大福 りす の 隠れ家

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虚空の辰刻(とき)  第148回

2020年05月18日 22時56分51秒 | 小説
『虚空の辰刻(とき)』 目次


『虚空の辰刻(とき)』 第1回から第140回までの目次は以下の 『虚空の辰刻(とき)』リンクページ からお願いいたします。


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- 虚空の辰刻(とき)-  第148回



紫揺が首を振る。

「そんなことないです。 思い出すのは毎日思い出していますから。 お父さんとお母さんと一緒に居た年月は私の宝物ですから」

「紫揺ちゃん・・・」

あの時の辛さを乗り越えたのか。 両親との思い出を想うことが出来る様になったのか。

「佐川のおじさん、お母さんの声が聞こえたんです。 その、信じてもらえないかもしれませんけど。 『―――守っているから。 見ているから。 ―――ね、紫揺ちゃん』 って。 私、泣いてばかりいたんです。 悲しんでばかりいたんです。 何度謝っても、お父さんもお母さんも、私を許してくれるはずないって思ってて。 そしたら、お母さんの口癖が『―――ね、紫揺ちゃん』 って聞こえたんです」

ホテルでのことだ。 紫揺のあまりに悲しむ姿に母の振りをしてケミが言った言葉。

『―――生きて
―――生きて』
そう言った後に、ケミが言っていない言葉が入った。
『―――守っているから。 見ているから。 ―――ね、紫揺ちゃん』 と。

紫揺はその言葉だけを佐川に言った。 ケミの言葉も母親の言葉と思っていたが、心のどこかで本当の母親の言葉かそうでないのかは分かっていたのかもしれない。

「そうか、そうか。 何を言ってるんだい、信じない筈はないだろう。 早季(さき)さんがどれだけ紫揺ちゃんを可愛がっていたのか知ってるんだから。 悲しんでばかりの紫揺ちゃんを、早季さんが放っておくはずないんだから」

俯き加減にコクリと紫揺が頷く。

「ほら、さっきまでの元気はどうしたの? 顔を上げて」

新谷が止めてくれてよかった、と坂谷が数時間前を遡った。 そんなことがあったとは考えもしなかった。 新谷が止めなければズカズカと紫揺の心の中に入っていたかもしれない。

「で、まだその流浪っていうのを続けるの?」

それはそれで心配だ。

「先のことはまだ分かりませんけど一旦家に戻ります」

「あ・・・家は・・・」

他の人が住んでいる。

「坂谷さんから聞きました。 おじさんが心配して見に行ってくださったって」

「うん。 知らない人が居た。 引越して来て間がないって言ってたよ」

「多分・・・大家さんが貸したんだと思います。 大家さんには暫く家を空けるって言っておきましたから。 一年くらいは空けるつもりだって。 だからその間に誰か短期で貸してほしいって言ってきたら、気にせず貸して下さいって言ってましたから。 そしたらその間の家賃が浮きますから」

ウソだ。 そんなことは言っていない。

「え? そうなの? あ、そう言えば、話をしてくれた人は、そこの住人じゃないって言ってたかな」

記憶を掘る。

「そうだ、友人の引越しの手伝いをしただけって言ってたか。 そうか、事情をよく知らなかったのか」

「そうかもしれません」

背中に滝のような汗が流れていたが、それがやっと枯渇した。
嘘が成り立った。

新大阪駅から大阪駅までの一駅分の車内で、そして佐川との待ち合わせ場所まで歩いている間に、坂谷から色々聞かされたうちのこれが、この話がネックだった。

最初は金沢駅で聞かされていた話だが、その時には大きく反応した。 だが、移動の間に考えた。 引き落としではなく、毎月大家宅に家賃を持って行っていた。 その家賃を長らく入れていないのだから、荷物も何もかも撤去され、顔も見たことの無い誰かが住んでもおかしくはないと。

だがよくよく考えた。 『お探ししておりました。 藤滝紫揺さん』 と言った “東の者” と名乗る男が言ったことを。
紫揺が『家に帰ります』 と言うと『承知いたしました。 ご自宅までお送りいたします』 そう言っていた。
それは、紫揺の家の場所を知っているということだろう。 そしてその家は、東の者という人間が確保しているのかもしれない、きっとしているだろう。

北とか東とか好き勝手なことを言っている男達だが、北と言われるムロイ達のしてきたことを考えるとホテルではVIP、屋敷においては高給ホテル並み。 最初にムロイが言ったようにお金には困っていないどころか、贅沢三昧の状態だった。

そして東の者と名乗る人物が現れた。 身のこなしも、言葉使いも洗練されていたものだったし、その者の言いようがセノギそのものと感じた。

北とか東とかと言ってそこにどんな境界線があるのか、それともそれも嘘なのかは知らないが、どちらも金にものを言わせて調べ上げ、北なり東なりに都合よく物事を運んでいるのではないだろうかと思った。

だから東の者というのが、紫揺の家を押さえているのではないかと。
確信などないし大間違いかもしれない。 坂谷から聞いた以外のことを佐川が聞いているかもしれない。 大きな賭けだった。

「や、坂谷さん私の早とちりだったようで、すみません」

頭を掻き掻きその頭を坂谷に下げた。

「いえ、それを言うなら職業的に自分のミスです。 ちゃんと突っ込んで訊かなかったんですから」

「いやいや、紫揺ちゃんからの筆跡がどうのこうのということも、私の思い過ごしばかりで、いや、お恥ずかしい・・・」

(筆跡? なんのことだろう)

だがこれ以上話を広げたくない。 黙っていよう。

「二通目はその事に触れていたんだよね、その頃には流浪っていうのをしていたんだよね、少しは落ち着いていたってことかな?」

「はい」

坂谷が微笑んでいるということは、元気に微笑み返して応えるのが妥当だろう。

「ね、言ってたでしょ? ここに来るまでに、どれだけ佐川さんが心配されていたのか。 よく分ったでしょう?」

「はい、本当におじさん御免なさい」

筆跡のことなど、手紙が二通あったなどとは聞いていなかったが、心底心配をかけたのは分かった。

「それじゃあ、家に戻るんだね?」

家に戻る。 嬉しい言葉だ。 じわじわと実感が込み上げてくる。

「はい」

ヒマワリのようだ、紫揺の顔を見た坂谷が思った。 それくらい紫揺の顔が生き生きとしていた。 あの時の陰はない。

「佐川さん、もう心配は要らないかもしれませんね」

「そうですね」

坂谷を見た佐川が紫揺に目を戻した。

「紫揺ちゃん?」

「はい」

「安心していいかな?」

「おじさん・・・」

「いいのかな?」

コクリコクリと、首肯する。

「心配ばかりかけてごめんなさい。 大丈夫です、本当に大丈夫です。 これからは、おじさんに心配をかけないように生きていきます」

ニョゼが見たら、どれ程紫揺が強くなったかと思うだろうか。


佐川と分かれ、坂谷に連れられて新大阪駅に戻ってきた。 これから新幹線に乗って博多駅に向かう。
緑の窓口で切符を買うと坂谷がホームまで付き添ってきた。 なにせ目的地さえ覚えていなかった紫揺なのだから放ってはおけなかった。
見送るまでは出来なく、紫揺をホームに立たせると坂谷は足早に去っていった。

「たしかに流浪だな」

クッと喉を鳴らす。 全く一人で駅の中を歩けないあの紫揺が計画的に事を起こすにはかなり無理がありそうだ。

新幹線に揺られる。

「嘘八白並べた・・・」

正確には八百も百も十すらも並べていないが。

「平気で嘘をつけるようになった」

平気じゃなかったけど。

「お父さん悲しんでるだろな」

『嘘はいけないよ』 いつもそう言っていた。

座席から腰をずらしてボォーっと新幹線の上部を見る。 完全ではないが、少なくとも五十%は放心状態だ。

「あ、そういえば・・・」

思い出したことがあってポケットに手を入れた。

切符を買う時に自分で払いはしていたが、その時にあるはずのものを目にした覚えが無かった事に気付いた。
右のポケットに小銭。 左のポケットに日本銀行券の数枚の札。

船に居た時は札とメモを右のポケットに入れていたが、釣銭を貰った時に小銭を右のポケットに入れたので、札を左のポケットに移したのだった。
右のポケットをジャラジャラと言わせて探るが、メモの感触がない。 次に左のポケットから札を出して、一枚一枚の間に挟まっていないかと見るが、メモの姿などない。 再度ポケットに手を突っ込んでも何もない。

「うそ・・・落としたの?」

でも切符を買う時に札の間に挟まっていたら気付くだろうし、ポケットから出した時に落としたのなら、坂谷が気付くはずだ。
金沢駅でも新大阪駅でも窓口で坂谷が何もかも言ってくれて、次に紫揺が窓口に立って支払いをしていたのを後ろから見ていたのだから。

ちなみに新大阪―大阪間の一駅分は往復とも坂谷のおごりだった。

「あ、それともあの時・・・」

船を下りた後、ポケットのファスナーを閉め忘れていて、ポケットから諭吉さんが顔を出していた。 誠也が言ってくれなければ、諭吉さんを落としていたかもしれない。 メモはその時に浜辺で落としたのかもしれない。

「サイアク・・・」

これが映像なら巻き戻しも出来ただろう。 だがそうはならない。

「考えても返ってこない・・・」

いつ落としたなんて考えても事は変わらない。

「先輩にお金を返せない・・・」

連絡先が分からなくなったのだから。


夜、誠也のスマホがブーンと揺れた。 画面には “春樹” と出ている。

「おい、なんで連絡してくれなかったんだよ」

『電源切ってたのそっちだろ』

「あ・・・そうだった」

切っておかなければ、持ち込み禁止を破っていることがバレてしまう。

「無事に出られたみたいだな」

『あ、ああ・・・』

なんだ? その言い方、何も見てもいなかっただろうに何を知っているんだ? と一瞬思ったが、すぐに春樹が続けた。

「電車にも乗せてくれた?」

『ああ』

「なんだよそっけない」

うっさいよ! こっちは落ち込んでんだよ! と言いたかったが、それは自分のミスと言っていいのだから公明正大には言えない。
それに春樹には告げなくてはいけないことがある。

『紫揺ちゃんから連絡あった?』

――― ちょっと待て。 今何と言った?

「紫揺ちゃんって・・・」

『彼女の名前じゃん。 お前が教えてくれた』

「いや、そういう事じゃなくて」

――― そう呼んでいいとは言っていない。

「そう呼んでたのか?」

『当たり前じゃん。 他になんて呼ぶんだよ』

(コイツ! 俺が紫揺ちゃんと出会ったのが、何年前だと思ってんだっ。 それに再会して何日目で “紫揺ちゃん” って呼べたと思ってんだっ。 それをコイツはっ!)

『金沢駅まで車で送って行った。 そしたら紫揺ちゃんの知り合いに会って―――』

(そうだ! 紫揺ちゃんの知り合いに会ったんだ! あの人なら紫揺ちゃんの連絡先を知ってるはずだ!)

「なに? 知り合いって誰?」

『警察って言ってた』

(ああ、そうだ。 サカタニって言ってた。 えっと・・・どこの警察署だって言ってたっけ)

「警察? 警察が紫揺ちゃんの知り合い? それ、間違いないんだろうな」

『紫揺ちゃんも知ってるぽかったから、間違いないんじゃない? その場にいない人の話もしてたし』

(ちょっと黙れよ。 ああ何警察だったっけ・・・)

「でも、そうならもう連絡があってもいい筈なんだ」

おっと、その話だった。

『連絡ならない』

「は? どういうことだよ」

『紫揺ちゃん、お前の書いたメモを落としていった』

「え!?」

『浜辺ギリギリまでゴムボートで行くつもりだったんだけどさ、岩礁が多すぎて行けなかったんだ。 で、紫揺ちゃんの腰辺りかなぁ? そこまで浸かっちゃってさ、お前が渡したメモと札を入れている上着は、手に持って浸からないように上げてたみたいだけど、その後に上着をドボンと見事に海中に入れちゃってさ、船に乗った後はポケットから金とメモを拭いたりして、その後ポケットに入れたはいいけど、ファスナーを閉め忘れてたみたいで、メモだけを船の中に落としてたってわけ』

「え“え”―――!!」

『声、大きすぎ。 言い変えれば、落としたのを見つけてよかったじゃん。 気が付かなかったら、紫揺ちゃんに何かあったと心配しなくちゃなんなかったんだから』

「だからって、ちゃんと家に帰れたかどうかわからないじゃないか!」

それに今後の連絡予定はどうするんだよ。

『大丈夫だって。 その警察と二人で一旦大阪で降りて誰かと会うみたいなことを言ってたけど、そこまではその警察がついてるだろうし、その後もあの人ならちゃんと新幹線か何かに乗せてくれてるよ』

「・・・信じていいんだな」

『さすがの紫揺ちゃんも、博多駅が大きいからってそんなに迷わないだろうよ。 地元に帰った安心感もあるだろうし、在来線に乗ればそれで終わりだろう?』

「・・・よく知ってんな」

博多駅に帰れるように、切符を買ってやってほしいとは言ったが、在来線とかそこまでは言っていない。

『親父がね、紫揺ちゃんを気に入ったみたいで、家に帰れるかどうか心配でアレコレ訊いてた。 まぁ、最初にお前が言ってた紫揺ちゃんを心配する気持ちがよく分かったよ。 俺も親父も。 そう言えば朝飯は一緒に食べたけど、ちゃんと昼飯食べたかなぁ・・・』

時間的に言って、坂谷が食べさせているはずだが、仕事の合間にちょっと抜けるだけと言っていた。

「朝飯を一緒に食べた?!」

自分はそんなことを一度も経験していない。

『当たり前だろ。 時間を考えろよ。 親父のおごりだけど。 まぁ、とにかく、紫揺ちゃんは無事に帰った筈だ。 そしてその紫揺ちゃんからの連絡は百パーセントないということ。 じゃな』

―――プツン。

「ガア――――! なんだよ! 一方的に切りやがって!」

スマホを叩きつけようと腕を上げたが、おっと、そんなことをして壊れては困る。 不承不承と言った態で横に置いた。

「くっそー、連絡ないのかよ・・・」

似たような、真反対のようなセリフをもう一人も吐いていた。

「くっそー、長々と話させて! えっと・・・なに警察って言ってたっけか!」

髪の毛をグシャグシャと手でかき回して思い出そうとするが、あの黒い手帳を開けて見せられては、誰も一瞬固まるだろう。
思い出せない以前に聞いていなかったという方が正しいだろう。 坂谷の名前を思い出したのは、紫揺が坂谷の名前を何度か呼んでいたからだけだったのだから。

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