試飲会から一夜明けて沖縄は相変わらずの快晴、土地の人に聞いても何時もとは違う2月の暖かさのようです。朝の食事の席でも皆さんリラックスした風情で、後は帰る心配をするだけです。網代と那覇で全く色合いの違う試飲会を行ないましたが、どちらかというと那覇の試飲会はメーカーのとって馴染みの有るやり方でしたので、驚きは無いものの安心して仕事が出来たようです。
夜の食事の場所に選んだ”月桃庵”は伝統的な民家を改造したような、沖縄料理店ですが、街の中心から少し離れており、道から奥まったところにあるので、地元の人の利用が多い料理屋のようで静かで風情があり、その佇まいからして心そそられます。
最初から最後まで料理は素晴らしく美味で、泡盛と共に食するのにぴったりのものでした。多くのメーカの連中の心をときめかした料理は、伊勢えびを雲丹とマヨネーズと思われるソースを塗ってグリルしたもので、モニク、ジャン・フィリップ、オリヴィエは絶賛しておりました。殻から身を取り出すとジュースに溢れており、雲丹の風味と蝦の旨みが相乗的に夫々のよさを引き出して、何より火の入れ方が抜群でした。知念さんによるとこれは沖縄の古典的な料理ではないとのことでしたが、モニクなど殻にかぶりついて最後の旨みの一滴まで貪り食っておりました。テビチも洗練されたスタイル、20時間超弱火で煮込み豚の臭みを取り除き、比較的薄味で味付けしたもので、日頃テビチが苦手の方も箸をつけておりました。モニクは自分の皿をすぐさま食いつくし、隣の皿を譲り受け、器用に爪楊枝を使って骨の髄までしゃぶり尽くしておりました。もう一皿メーカーの絶賛を浴びていたのが、焼きそうめん。豚肉を調理したものが旨みの基本になっていたと思いますが、二口で食してしまいましたので細かく説明できないのが残念です。
私はもちろん総ての皿に舌鼓を打って、時には隣の皿までむしゃぶりついておりましたが、最後のお茶請けに出た、冬瓜の黒砂糖のグラッセの洗練された甘味と風味に心打たれました。知念さん曰く鹿児島の同様の菓子もみんなここから伝わったんだよとの事。考えてみれば芋焼酎も豚肉の煮込みも、食文化の世界のセンターである、中国南部やタイの文化圏から沖縄を伝わって九州へもたらされ、北上していったというのが歴史の示すところなんでしょう。
最後に知念さんが挨拶され、”沖縄はとにかく昔から軍事力が弱く、外交によって生き延びてきた国であり、色々なものや文化が近隣諸国からもたらされ、既存の文化と融合させながら高い文化を築き上げてきた。私はワインの文化をこの沖縄で根つかせることに過去15年間心血を注いできましたが、これからも引き続きその気持ちでワインをこの沖縄の地で育ててゆきたい。”と志を表明され、参加メーカー総てから大いなる喝采を浴び散会いたしました。
夜の食事の場所に選んだ”月桃庵”は伝統的な民家を改造したような、沖縄料理店ですが、街の中心から少し離れており、道から奥まったところにあるので、地元の人の利用が多い料理屋のようで静かで風情があり、その佇まいからして心そそられます。
最初から最後まで料理は素晴らしく美味で、泡盛と共に食するのにぴったりのものでした。多くのメーカの連中の心をときめかした料理は、伊勢えびを雲丹とマヨネーズと思われるソースを塗ってグリルしたもので、モニク、ジャン・フィリップ、オリヴィエは絶賛しておりました。殻から身を取り出すとジュースに溢れており、雲丹の風味と蝦の旨みが相乗的に夫々のよさを引き出して、何より火の入れ方が抜群でした。知念さんによるとこれは沖縄の古典的な料理ではないとのことでしたが、モニクなど殻にかぶりついて最後の旨みの一滴まで貪り食っておりました。テビチも洗練されたスタイル、20時間超弱火で煮込み豚の臭みを取り除き、比較的薄味で味付けしたもので、日頃テビチが苦手の方も箸をつけておりました。モニクは自分の皿をすぐさま食いつくし、隣の皿を譲り受け、器用に爪楊枝を使って骨の髄までしゃぶり尽くしておりました。もう一皿メーカーの絶賛を浴びていたのが、焼きそうめん。豚肉を調理したものが旨みの基本になっていたと思いますが、二口で食してしまいましたので細かく説明できないのが残念です。
私はもちろん総ての皿に舌鼓を打って、時には隣の皿までむしゃぶりついておりましたが、最後のお茶請けに出た、冬瓜の黒砂糖のグラッセの洗練された甘味と風味に心打たれました。知念さん曰く鹿児島の同様の菓子もみんなここから伝わったんだよとの事。考えてみれば芋焼酎も豚肉の煮込みも、食文化の世界のセンターである、中国南部やタイの文化圏から沖縄を伝わって九州へもたらされ、北上していったというのが歴史の示すところなんでしょう。
最後に知念さんが挨拶され、”沖縄はとにかく昔から軍事力が弱く、外交によって生き延びてきた国であり、色々なものや文化が近隣諸国からもたらされ、既存の文化と融合させながら高い文化を築き上げてきた。私はワインの文化をこの沖縄で根つかせることに過去15年間心血を注いできましたが、これからも引き続きその気持ちでワインをこの沖縄の地で育ててゆきたい。”と志を表明され、参加メーカー総てから大いなる喝采を浴び散会いたしました。