「On the Town」について

  残念な知らせです。アンコールズ・ジャパン社に問い合わせたところ、アダム・クーパー振付・主演「On the Town」の今年秋の上演が見送られることになったそうです。

  すでにチラシやポスターの印刷準備に入っていた段階だったそうで、アンコールズ・ジャパン社の方々も、なんとか事態を調整すべく奔走されたようですが、最終的にこのような結論を出さざるを得なくなったとのことです。

  しかし、「On the Town」日本公演のプロダクションそのものが完全に白紙撤回されたわけではなく、あくまで今年秋の上演がなくなったに過ぎないようです。ただ、いつ「On the Town」が上演されるのか、今のところは決定していないそうです。

  なぜ今になって「On the Town」の上演が見送られることになったのか。

  まず、スポンサー側の問題ではありません。

  そして、主催元の問題でもありません。

  最後に、アダム・クーパー側の問題でもありません。

  ではなぜなのか。しいていえば、日本のシアター・ワールド固有の陋習と、一部の人々の私意が関係しています。

  私はアダム・クーパーのファンとして、心の底から「On the Town」日本公演を楽しみにしていました。本当に残念でたまりません。

  とはいえ、主催元もアダム・クーパーも、アダム・クーパーの今年の来日公演実現をあきらめているわけでは決してありません。

  主催元はぎりぎりまで努力を続ける意気込みです。アダム・クーパーからも、今年の秋の予定は今までどおり空けておく、という返答をもらっているそうです。

  アダム・クーパーは本当に日本に来たがっているそうなのです。

  「彼は本当に日本が好きなんですね!」と主催元の方は何度も感嘆していました。私は心の中で「日本はギャラがいいからでしょ?」と意地悪く思いました。

  それを見透かしたように主催元の方は言いました。「彼は仕事がしやすい人なんです。決して文句を言わないし、悪口も言わないし、人と争いません。ギャラだって、他の出演者と変わらない額なんですよ。全然高くなんかないんです。」

  主催元の方によると、ギャラの交渉をする際にはいわゆる「駆け引き」をすることが習慣なので、主催者側は最初はわざと最低価格をクーパー側に提示したそうです。つまり、その最低価格から、お互いが納得できる金額を話し合って決める、というわけです。

  ところが、アダム・クーパーはその最低価格を見ても何も言わず、一発であっさりとOKを出したため、主催者側はすっかり仰天してしまったそうです。


  主催元の方の力強い語調と、その方から聞いたアダム・クーパーの上の話を聞いて、一瞬がっくりきた私も、望みを最後まで捨てないことにしました。

  もともと、アダム・クーパーが「On the Town」日本公演に主演し、振付も担当するという今回のプロジェクトには、日本のダンス界の人々のほとんどが強く食いついてきたそうです。そうした方々はもちろん、アダム・クーパー来日公演の実現を、引き続いて非常に強く願っているとのことです。

  「みなさんから背中を押されています」と主催元の方は嬉しそうに言いました。「私も押しますよ」と私は答えました。この記事をご覧になっているファンのみなさまも、どうか主催元の方々の背中を押して下さい。

  また、主催元の方と話をしていて、ひょっこりと分かった事実。アダム・クーパーはバレエを踊ることをやめていません。これは嬉しかったです。

  最後にお願いします。どうか、ファンのことを、観客のことを思いやって下さい。私は以前にも何度もお願いしたことがありましたね。面子や私利私欲で観客やファンを犠牲にすることは、どうかしないで下さい。どんなことであれ、やったことは、いずれは自分自身に返ってくるのです。どうせ返ってくるのなら、良いことをしたほうがいいでしょう?お願いします。  
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ノイマイヤー、恐るべし!

  たった今(現在午前10時半)、フェアリーにオンライン注文したジョン・ノイマイヤー振付『椿姫』のDVD(マリシア・ハイデ、イヴァン・リスカ主演)が届きました。

  このDVDは会場でも売っていたのだけど、結局『椿姫』を2回も観てしまった後ろめたさ(当初は1回だけ観る予定だったのが、衝動的に当日券で2回目を観たため)で、会場では我慢して買わなかったのです。

  ところが、フェアリーのサイトにあるサンプル映像を観たら耐えられなくなり、つい注文してしまった、というわけっす。

  私が買ったのは新書館発行のもの(フェアリーだから当たり前ですが)です。価格は6,090円。検索してみたら、同じ映像のDVDはアメリカかどっかでも販売されていまして、それはNTSCでオール・リージョンだということでした。価格は4,000円弱だったと思います。

  こっちの安いほうを買おうかな~、とも思いました。でも、オール・リージョンと表記してあっても、DVDプレイヤーによっては再生できない場合もあるので、安全策をとって完全に日本市場向けの新書館のほうを買いました(注:私は別に新書館の回し者ではありません)。

  今にして思い返してみると、当日券でバレエを観たなんて初めての経験です。私は観る予定のバレエのチケットは、公演のはるか以前(先行予約か発売初日)に買っておくタチで、いったん買ったら追加購入はほとんどしません。

  去年のシュトゥットガルト・バレエの『オネーギン』は、会場で「リピーター券」を買いました。あれは私にとっては「衝動買い」ですが、買うに至った理由は、割引券で且つ良い席だったからであって、もしそうでなかったら絶対に買わなかったろうと思います。

  それが今回の『椿姫』の場合は、はるばる横浜まで出かけていって、当日券窓口に並んでチケットを買うという、私にとってはこの上なく面倒くさいことをやったのだから、自分で自分に驚いています。

  更に不思議なのが、私は別に『椿姫』を観て号泣したとか、熱狂的な興奮や昂ぶる感動を覚えたとか、そういうわけではないのです。もちろん心にしみいるような、静かな感動は覚えましたが、でも一方で「ちょっと時代(制作年代の古さや当時の振付者の若さ)を感じるな」とも思いました。

  でも、1回目の公演を観た帰りの電車の中で、ショパンの音楽が耳について離れず、形容しがたい何かの感情がじわじわと出てきたのです。帰宅してもテレビをつける気になれず、音楽を聴いたり読書をしたりする気にもならず、甚だしくはゴハンさえ食べたくないし、眠る気にもなれない(眠ったら消えてしまうような気がして)。でもゴハンはしっかり食べたしちゃんと眠ったけど。

  そして、そのノリで当日券買いで2回目鑑賞という行動に走ったわけですが、2回目を観たら、満足するどころか「形容しがたい何かの感情」がいよいよひどくなり、いっそのこと『椿姫』が上演される兵庫、広島、福岡に行こうかというファンタジーに一瞬駆られたほどです。

  この「形容しがたい何かの感情」は何なのかをあえて具体的に表現するなら、「ワタシにもまだオトメな部分があったのね~」という悪ふざけはおいといて、「静かな心地よさ」というのが最も近いでしょうか。私は古城の廃墟に行ってぼんやり過ごすのが好きなのですが、そのときの気分によく似ています。

  まさかバレエでこんな気分になるとは思ってもみませんでした。ジョン・ノイマイヤー、恐るべし!です。

  さて、今日の午後は仕事に行きます。人よりサボったら、そのぶん働かないとね~。帰ったら『椿姫』のDVDを観るのを楽しみに・・・・・・。
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よく見りゃ似てるこの二人

  オクサーナ・シェスタコワ(レニングラード国立バレエ)とシルヴィア・アッツォーニ(ハンブルク・バレエ)。

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ハンブルク・バレエ『椿姫』(2)

  19日の公演も観に行ってしまいました(当日券で)・・・・・・。だって良い作品なんだもん。あれは1回観ただけじゃ分からないもん。映像版では舞台全体を再現しきれないタイプの作品だもん。音楽と踊りがとにかくきれいなんだもん。作品全体に静かな哀しさが漂っていて切ないんだもん。

  アルマンの得意技らしい度重なる気絶と卒倒には、「なにもそんなに何度も律儀に倒れんでも」と少し過剰演出のように感じましたが、アルマンは感受性が鋭くて繊細でひたむきで純粋な青年、という設定なんだろうから(だから裏切られると極端に激しい怒りや憎悪を抱く)、まああれはあれでいいのでしょう。

  今日のアルマン役はチャゴ・ボアディンで、この人は昨日の公演ではデ・グリューを踊りました。デ・グリューのときはメイクのせいで素顔がはっきり分からなかったのですが、大きな瞳がきらきら光る、純朴そうな顔立ちの青年(というより少年ぽい)でした。

  昨日のデ・グリューの踊りから予想していたとおり、ボアディンのアルマンの踊りも非常にすばらしかったです。しなやかでパワーもあります。

  マルグリット役はシルヴィア・アッツォーニでした。昨日のマルグリットとアルマン役だったジョエル・ブーローニュとアレクサンドル・リアブコが「成熟した大人のペア」だとすると、アッツォーニとボアディンは「情熱にあふれた若者のペア」という感じです。

  アッツォーニの踊りも実に優れたものでした。音楽と戯れるように手足を細かく、緩急の変化をつけて動かします。弾けるようにパワフルでもありました。

  ただ、ノイマイヤーの振付の最大の特徴、つまり、基本的に手足はまっすぐ伸ばして、空間を大きく切り取りながら踊る、という点からすれば、アッツォーニは小柄で手足も(前日のジョエル・ブーローニュに比べれば)短いため、ダイナミックな美しさを充分に出せていないときがありました。でもこれは仕方がないです。本人にはどうしようもないことです。

  アッツォーニのマルグリットは、柔らかくてかよわくて優しさに満ちていました。マルグリットはアルマンをからかい、彼の求愛を受け入れるフリをします。アルマンは感激のあまりに卒倒してしまいます。マルグリットは最初は愉快そうにアルマンを嘲笑います。でも次の瞬間には真顔に戻り、優しい表情になってアルマンを静かに見下ろします。

  マルグリットがアルマンと別れてから死に至るまでのアッツォーニの演技は、非常に壮絶なものでした。

  マルグリットがアルマンと決定的に別れた後、病気をおして舞踏会に出るシーン。アッツォーニのマルグリットは血色良く見せるため、真っ赤なけばけばしいドレスを着、両頬に頬紅を濃くさします。これは前日のブーローニュももちろんやっていたことですが、アッツォーニは頬紅のさし具合はより濃くて異様でさえあり、表情もほぼ完全に正気ではなくなっていて、とても痛々しかったです。

  ヴィスコンティの『ベニスに死す』で、アッシェンバッハが自分を若く見せるために床屋で化粧するシーンがあるでしょう?あのシーンに感じる痛々しさに近いものがありました。

  でも、死の床についたマルグリットの表情は静かで、アッツォーニは寂しげな、また優しげな横顔を見せて虚空を見つめていました。マルグリットはベッドから起き上がると、かすかな笑みを浮かべながら歩いてきて、そしてがっくりと倒れて死にます。

  冒頭のオークションのシーンで、マルグリットの死を知ったアルマンは父親に抱きつきますが、私はこれは納得いかないなー。だって、マルグリットが死んだ遠因はこの父親だよー?アルマンはこの時点では、父親がマルグリットにアルマンと別れてくれと頼み、かつ口止めまでしていたことを知っているはずなのに、なんでマルグリットを追いつめた張本人に抱きつくのよ。

  話がそれちゃった。マルグリットの友人の娼婦、プリュダンスを踊ったカトリーヌ・デュモン、劇中劇『マノン・レスコー』でマノンを踊ったカロリーナ・アギュエロ、デ・グリューを踊ったオットー・ブベニチェクがそれぞれすばらしかったです。中でも、ブベニチェクはアルマンを踊ったボアディンよりすごかったかも。

  アルマンの父はカースティン・ユング、N伯爵はヨハン・ステグリ、マルグリットの侍女であるナニーナはミヤナ・フラチャリッチで、前日の公演と同じでした。ヨハン・ステグリ君はやっぱ私の好みです。今日も笑かしてくれました。

  シュトゥットガルト・バレエ団と同様、このハンブルク・バレエも男子が高身長・スタイル抜群・イケメンと三拍子揃っており、また超超超元気でした。女子と違い、男子の踊りにはふんだんに回転やジャンプが盛り込まれていますが、みな勢いよくぐるぐる回ってびゅんびゅん跳んでました。

  実は、この『椿姫』の各幕で、マルグリットとアルマンによって踊られる有名な三つのパ・ド・ドゥについては、個人的にはそれほどすばらしい振付(もしくは踊り)だとは思いませんでした。

  でも、『椿姫』は全体的によく作られています。構成、台本、演出、美術、照明(そう、照明がすごい!)、そして振付、すべてが細緻に作り込まれています(アルマンの卒倒癖はともかく)。

  時間を逆転させて、マルグリットの死後に行なわれたオークションを導入部として持ってきたり、物語がアルマンやアルマンの父親による回想という形で進行したり、あるいは今現在の出来事として物語を展開したりと、ほんとによく考えて作ってあるわ~、と感嘆しました。

  舞台を文字どおり隅々まで有効活用する演出もいいですね。なんていう名前なんでしょう、舞台の両端から客席に向かって角のように伸びているあの細長いスペース、あの場所からは目が離せませんね。舞台で群舞が踊っている間に、あのスペースでマルグリットとアルマンが戯れていたり、アルマンの父親がいつのまにか座っていたりするので、目が忙しかったです。

  この2回目の鑑賞で分かったこと(髭男爵の役名とか)も多かったので、やはり私の場合、未見の作品は最低2回は観ないとだめだな、とあらためて思いました。

  ノイマイヤーの『椿姫』は噂どおりの名作でした。ノイマイヤー・ビギナーとしては、よい形でスタートできました。

  最後に、思わず「すげえ!」と唸ったプチ名演出。

  アルマンと別れた後、瀕死の状態のマルグリットは派手な扮装と化粧で無理に劇場にやって来ます。力なく椅子に座っていたマルグリットはふと立ち上がると、ふらつく足取りで向かい側に座っている一人の青年に近づき、その肩に手をかけます。マルグリットはその青年をアルマンだと錯覚したのです。青年はいぶかりながらもマルグリットを自分の椅子に座らせます。

  ですが、マルグリットはそこで上演された『マノン・レスコー』の結末(マノンの無残な死)に耐えかね、急に駆け出して劇場を去ってしまいます。みなは驚いて騒然となります。そんな中、アルマンと間違えられた青年は振り返って立ち止まり、何かを思いながらマルグリットが走り去った方向を見つめます。

  ふとすれ違っただけでも、彼女の心の痛みを感じ取ることのできる男性がいて、マルグリットにとってはそれがたまたまアルマンであったけれども、アルマンと出会っていなければ、それはこの青年であったかもしれない、と思いました。
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ハンブルク・バレエ『椿姫』(1)

  18日の公演を観に行ってきました。プロローグと第一幕が45分、第二幕が40分、第三幕が45分という長丁場でしたが、ぜんぜん飽きませんでした。

  全体的な印象は、美術も振付もダンサーたちの雰囲気も、透明感のある陶磁器を見てる感じっていうんですか、とてもきれいでした。きれいで哀しい物語。

  振付はクラシックですが、クラシックのステップやムーヴメントで、生々しい感情を表現していたのがすばらしいと思いました。

  ジョン・ノイマイヤーの昔の作品ということもあってか、振付はいささかワンパターンなところがありました。特に女性ダンサーは、手足を長く伸ばした美しいポーズで、アラベスクをしたり、リフトされて振り回されたり、といった感じです。それでも非常に美しくて飽きることがありません。

  かと思うと、純粋なクラシックではない独特のステップやムーヴメントも出てきたりします。でも、ひねくれて奇抜なものでは決してないのです。

  基本クラシックの振付で、あれだけ雄弁に登場人物の心情を物語ることができるというのはすごいと思いました。踊ってるというよりは、セリフを交わしているという感じでした。

  特に、マルグリットとアルマンの父親が対峙するシーン、怒りに燃えるアルマンがマルグリットに詰め寄るシーンの踊りには、あまりの迫力と緊張感に、見ていて思わず息を呑みました。

  マルグリットを踊ったジョエル・ブーローニュがすばらしかったです。鼻梁がすっととおった美女で、知性、気品、高潔さを感じさせる雰囲気を持った人でした。演技もすばらしく、娼婦としてのマルグリットの表情と、素のマルグリットの表情とがまったく異なり、自分の「二つの顔」の狭間で苦悩するマルグリットの心情がよく分かりました。

  アルマン役のアレクサンドル・リアプコには、まず「あれだけのリフトをこなして本当にご苦労さま、そしてお見事!」と言いたいです。アルマンはとにかくマルグリットをリフトしっぱなしです。しかもそれがことごとく流麗に決まります。

  ブーローニュとリアブコの踊りには、ベタな言い方ですが、マルグリットとアルマンの心情、つまり情感というものがあふれ出ていました。それぞれがソロで踊ってもそうでしたから、パ・ド・ドゥでどうなったかは言うまでもありません。

  マルグリットに裏切られたと思い込み、自暴自棄になってマルグリットを傷つけるシーンでは、マルグリットと同じように、アルマンもまた苦しんでいるのだ、と分かる悲壮な表情をリアブコはしていました。原作のアルマンと違って、「こいつ陰湿で粘着」という悪印象を持ちませんでした。

  マルグリットが自らの姿を重ね合わせるマノン・レスコーを踊ったエレーヌ・ブシェと、デ・グリューを踊ったチャゴ・ボアディンは、踊りがなめらかで非常にすばらしかったです。

  また、アルマンの父を踊ったカーステン・ユングも強い存在感がありました。

  マルグリットの侍女であるナニーナはとても大事な役割を担っていました。ナニーナは、マルグリットとアルマンが出会ったときからマルグリットの死後に至るまで、真相を知りつつ事の顛末を見つめている存在です。彼女は常に女主人(マルグリット)の身を案じ、マルグリットが死ぬまで忠実に尽くしますが、マルグリットが死んでからも、アルマンにマルグリットの日記を渡すことによって、アルマンにすべての真実を教える役割を果たします。

  ナニーナ役のミヤナ・フラチャリッチはほとんど踊りませんし、侍女の仕事以上の出すぎた行動もしません。でも、フラチャリッチがはじめて舞台に登場したときの、悲しみをたたえた静かな表情は非常に印象的でした。その後ずっと、マルグリットの苦悩を唯一理解し、常にマルグリットをいたわり続ける(実は)重要な存在として、フラチャリッチは非常に良い演技をしました。

  わるい意味ではなく、ハンブルク・バレエのダンサーたちは、容姿も踊りもまるで陶器人形のように透きとおっていました。顔立ちも体形もよく似ています。背が高く、手足が長く、つるんとした気品ある顔立ちをしています。

  なんかバレエを観た感じがしないんですよね。まるで演劇を観た気分です。でも「マイムのようなものはほとんどなし、踊りのみで勝負」という作品だったので、演劇を観た気分になるというのは不思議です。

  でも、踊りは本当にきれいだったなー。あの流れるように美しいリフトは絶品です。

  一つ疑問なのは、あのメガネをかけた男は何の役だったのか、ということです。髭男爵のメガネのほうに似てる人。ワイングラスを片手に「ルネッサ~ンス!」とか言いそうでした。個人的には好みです。ピエロの仮装が超キュートでした。(後日、「N伯爵」と判明。ダンサーはヨハン・ステグリ。教訓:プログラムはきちんと読みましょう。)

  もう遅いので今日はこれまで。また明日(てかもう19日か)にでも書きます。
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小林紀子バレエ・シアター『眠れる森の美女』(3)

  小林紀子バレエ・シアター第93回公演ケネス・マクミラン版『眠れる森の美女』が、今春4月24日(金)、25日(土)、26日(日)に新国立劇場中劇場で行なわれます。

  チケットは先月末からすでに発売されていますが、先月末にカンパニーに電話して詳細を尋ねてみたところ、オーロラ姫と王子役のキャストが一組(島添亮子さん、ロバート・テューズリー)しか決まっていない状態で、しかもテューズリーと島添さんがいつ踊るのかもまだ確かなことは言えない、という返事でした。

  今日も再び電話して問い合わせてみました。すると、まだ正式発表ではないが、という断りを入れた上でですが、24日と26日の主役(王子、オーロラ姫)はロバート・テューズリーと島添亮子さん、25日は中村誠さんと高橋怜子さん、という答えが返ってきました。ですが、準主役、たとえばカラボスやリラの精などはまだ決まっていないそうです。

  何度も「まだ正式な発表ではありません」と念を押されたので、ここに書くかどうか迷いましたが、まあ一つの目安にはなるでしょう。

  というか、小林紀子バレエ・シアターはすごくタチの良いバレエ団なのですが、あまりに商売っ気がなさすぎるのが玉に瑕です。商売っ気がなさすぎるというよりは、より多くの人々に知ってもらおうという努力をしなさすぎるところがあります。謙虚も度を越すと怠惰になります。今回の『眠れる森の美女』では、それが特に著しい気がします。

  まだ『眠れる森の美女』の正式なチラシは配布していないようだし(公演はもう再来月よ!?)、カンパニーの公式サイトも作る作るといってまだ作っていません。

  もうちょっと宣伝に力を入れてもいいんではないかなー、と私なんかは思うんですけどね。

  それにしても、高橋怜子さんはついにオーロラですか~。島添さんと高橋さんと両方観てみたくなったなー。
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胃腸炎も来襲

  ここ数日、なんとなく体じゅうがだるく、全身筋肉痛のような状態になっておりました。花粉症のせいで熱っぽくなっているのだな、と決めつけていたのですが、土曜日の朝に大熱を出し、同時に胃腸の調子を崩しました。

  いくらなんでもスギ花粉にこれほどの威力はないはずで、そーいえば2~3月といえば、私が1年のうちで最も体を壊しやすい時期だったわ、と思い出しました。近来の数年はまったくといっていいほど健康だった(鼻穴のおでき以外)ので、このことをすっかり忘れていたのです。

  芋づる式に、高熱と腹痛と消化器官の不調(←あえて生々しい表現は避ける)とが、私が今まで何度か罹っている胃腸炎の症状であることも思い出しました。

  でも、今回はそれほどひどいものではない感じがしたので、自己治療で済ませることにしました。週末で近所の医者は開いてないし。

  まず絶食です。胃腸に負担をかけないためです。だけど水分(水、ポカリスエット、りんごジュースなど)はこまめに摂る。市販の鎮痛剤や胃腸薬などを対症療法的に飲みまくる。そしておデコに「冷えピタ」を貼り、ひたすら寝る(注:といっても、これは私独自の素人療法なので、みなさんはくれぐれも真似しないで下さい。きちんと内科か消化器科を受診しましょう)。

  土曜日の夕方から日曜日いっぱいがいちばん辛かったですが、今までのに比べると、やはり軽いほうです。月曜日には平熱に戻るだろうという感触がありました。

  そのとおり、月曜日には平熱になっていました。ただ、腹痛がまだあって、体も痛かったのでお休みしました。夜になってだいぶ良くなりました。腹痛が残っているので少し考えましたが、素うどんを半玉ほど食べてみました。大丈夫でした。

  今はかなり良くなりました。軽い腹痛はありますが、体の痛みはほぼなくなったし、目のかすみと痛みもなくなりました(だからこうしてブログを書いているわけ)。

  明日(もう今日か)くらいには全快だろうと思います。しかしまいったなあ。せっかくの週末が寝込んで終わっちゃったよん。
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花粉来襲

  それは昨日(12日)のことでございました。朝起きたら、いきなりクシャミを連発し、喉がかゆくなりました。

  外に出たら、またしてもクシャミを連発、みずっぱなが垂れ(←あわてて手でぬぐった。きたねえ)、目に涙がにじみ、喉がかゆくてたまりません。

  「おのれ、今年もついに来たわね!」と確信しました。私の体内にある「花粉センサー」が反応したのです。

  昨晩、ふとんに入ると、どうも体がだるく、軽い筋肉痛のような感触があり、ついでに頭重感もあって、なかなか寝つけませんでした(でも寝たけど)。

  今日の朝起きると、全身筋肉痛と頭重感と熱っぽさがますますひどくなっており、やっぱりクシャミを連発しました(&みずっぱな)。

  窓の外は風が強く吹いているようで、すっごくイヤ~な予感がします。外に出ると、案の定、マスクをしている人が昨日に比べて格段に多くなっていました。

  やはり昨日、杉花粉は関東に来襲し、今日になって本格的な攻撃をしかけてきたと思われます。

  やむを得ずマスクを装着しました。去年使った残りの「暴走族型マスク」です。このマスクは鳥のくちばしのように先がとんがっていて、去年このマスクをしていったら、「族みたい」と同僚たちに笑われたトラウマがあります。でも背に腹はかえられません。

  道を歩いていて、今日の空気はなんだかほこりっぽい感じがしました。「目に見えない粉末が漂っている感じ」っていうのか、とにかく粉っぽい。

  ドラッグ・ストアで新しいマスク(今度は「暴走族型」じゃないやつ)を購入しました。「次世代マスク 快適ガードプロ」(白元)です。「ノーズクッション採用」、「縦横クロスプリーツ構造」、「W構造で超密着」、「花粉・ウイルスを含む飛沫99%カット」と、思わず勇気づけられる心強い言葉が並んでいます。

  ドラッグ・ストアにはすでに花粉症対策コーナーが設けられていました。ついでにアイボン(目の洗浄液)と鼻シャワーミスト(鼻穴の中に直にしゅわーっとスプレー)も買いました。

  あとは必要に応じて耳鼻咽喉科に行けばOKです。

  というわけで、2009年は2月12日に花粉が関東に飛来したことを宣言します。

  そうそう、NBSの公式サイト( こちらのページ )によれば、2月9日に上演された東京バレエ団「ベジャール・ガラ」のハイライトが、3月20日のNHK教育「芸術劇場」で放映されるそうです。

  喜ばしいことですが、「ハイライト」ってのが引っかかります。9日に上演されたのは「ギリシャの踊り」、「中国の不思議な役人」、「ボレロ」の3作品だけです。

  「ボレロ」はシルヴィ・ギエムが踊りました。もしギエムの「ボレロ」がテレビで放映されたら、ものすっごいお宝映像になるはずです。でも、「ハイライト」ってことは、やっぱり「ボレロ」はカットされるのかな。
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アダム・クーパー、オペラを振付

  アダム・クーパーの公式サイトが久しぶりに更新されました。クーパー君が、なんと!!!ドニゼッティのオペラ『ロベルト・デヴリュー』の振付をすることになったそうです。

  ロンドンを本拠地とするOpera Holland Parkによる上演で、公演日は6月2、4、6、10、12、18、20日だそうです。

  小さな公演のようで、出演するのはロベルト役のLeonardo Capalboを除いて、ほとんどがイギリス、アイルランド出身の歌手です。

  ですが、指揮はなんとあのリチャード・ボニングです。ドニゼッティですから、ボニングの得意科目ですね。

  ロベルトを歌うLeonardo Capalboはドニゼッティ、プッチーニ、ヴェルディを中心に歌っている歌手で、他にもグノー、ビゼー、リヒャルト・シュトラウス、クルト・ヴァイル、チャイコフスキーなども歌っているようです。まだ若いですが、守備範囲の広い人みたいですね。

  エリザベッタ(エリザベスI世)を歌うMajella Cullaghはベテランで、ドニゼッティ、ロッシーニ、モーツァルト、ヴェルディ、プッチーニなどを主なレパートリーにしているようです。

  オペラですから、どうしてもバレエっぽい振付にならざるを得ないでしょうが、オペラにおけるバレエは、いーかげんな扱いに対応するようにいーかげんな振付のものが多いので(ボリショイ・オペラやマリインスキー・オペラとかはほんとにひどい)、そういうイメージを払拭するようなすばらしい踊りにしてほしいです。

  あと、リチャード・ボニングと一緒に仕事をすることになったのはすばらしい偶然です。仕事そのものはオペラとはいえ、バレエ音楽のエキスパートでもあるボニングから、クーパー君が得られるものは大きいと思います。彼がこのチャンスを最大限に生かしてくれますように。
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公演チラシから

  月曜日に東京バレエ団「ベジャール・ガラ」を観に行ったときにもらったチラシから、「おお、これは」と思ったものを。

  まず、バレエ公演ではないですが、

  昭和音楽大学公開講座「プリンシパル誕生の瞬間-バレエ教育の原点に迫る-」

    サー・ピーター・ライトと吉田都さんの対談形式で行なわれ、その内容は「吉田都さんが、プロとして、プリンシパルとして、舞台に立つために求められたものとは何だったのか」についてだそうです。

    期日は3月1日(日)14:00~16:30、場所は昭和音楽大学北校舎5階第1スタジオです。無料で聴講できますが、定員200名で事前申し込み制だそうなので、興味のある方は昭和音楽大学舞台芸術センター・バレエ研究所(044-953-9858)にお問い合わせ下さい。申し込み締切は2月25日。

  次はバレエ公演です。

  マリインスキー・バレエ日本公演

    公演期日は今のところ2009年11~12月と書いてあるだけです。チケットの発売は4月下旬を予定しているそうです。

    「公演の詳細は近日発表」するそうですが、今の時点での上演予定演目は、

    ・『白鳥の湖』(セルゲーエフ版)
    ・『眠れる森の美女』(セルゲーエフ版)
    ・『イワンと仔馬』(ラトマンスキー新演出版)
    ・オールスター・ガラ

で、来日予定ダンサーは、

    ウリヤーナ・ロパートキナ、ディアナ・ヴィシニョーワ、ヴィクトーリア・テリョーシキナ、アリーナ・ソーモワ、エカテリーナ・オスモールキナ、エフゲーニャ・オブラスツォーワ、オレシア・ノーヴィコワ、エカテリーナ・コンダウーロワ、アンドリアン・ファジェーエフ、イーゴリ・コールプ、ダニーラ・コルスンツェフ、レオニード・サラファーノフ、イリヤ・クズネツォーフ、ミハイル・ロブーヒン、ウラジーミル・シクリャーロフ、イワン・コズロフ 他

だそうです。

    主催はジャパン・アーツです。

    『イワンと仔馬』って、『せむしの仔馬』のことですよね(「せむし」が差別用語だから改題したのかな?)。ロジオン・シチェドリンが作曲して、アレクサンドル・ラドゥンスキーが振付した作品。マイヤ・プリセツカヤとウラジーミル・ワシリーエフが主演したビデオを持ってますが、ラトマンスキー新演出版ってことは、振付も新しいのでしょうか。

    また、オールスター・ガラでは何が踊られるのでしょう。早く詳しいことが知りたいですね。
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東京バレエ団「ベジャール・ガラ」

  東京バレエ団の「ベジャール・ガラ」、昨日(9日)の公演を観に行ってきました(夜7時開演というのは助かります~)。演目は「ギリシャの踊り」、「中国の不思議な役人」、「ボレロ」です。

  「ギリシャの踊り」は、基本的に陽気なメロディのギリシャ音楽に乗って、ダンサーたちが入れ替わり立ち替わり現われては、時に大勢で、時に数名で、時に二人で、時に一人で踊るという作品でした。

  衣装が白と黒の二色のみ、男性は上半身裸に白か黒のズボン、女性も白か黒の七分袖のレオタードとシンプルな衣装でしたが、ダンサーたちの配置や構図は整然としていて、動きも波のように寄せては返しといった感じで美しかったです。

  終わりから最後まで後藤晴雄が踊りまくってました。彼の踊りは普通にすばらしかったです。東京バレエ団の他のダンサーたちも同様にすばらしかった・・・というか、現在のモーリス・ベジャール・バレエ団と共通するものがあると思いました。総体としてはそこそこのカンパニーだが、個人レベルで優れたダンサーがそう多くいるわけではない、ということです。

  この「ギリシャの踊り」はストーリーがないので、踊りそのもので勝負しなければならない作品です。踊りそのもので魅力的だったのは、吉岡美佳(「パ・ド・ドゥ」)と井脇幸江(「ハサピコ」)だけでした。

  吉岡美佳は柔軟な四肢の動きが、井脇幸江はテクニックはもちろんですが、それよりも動きの間合いのはかり方が見事でした。音楽にうまく合わせて、絶妙のタイミングで手首をくいっと曲げたり、脚を上げたりするのがすばらしかったです。ただ、木村和夫のリフト&サポートはややぎこちなく、井脇幸江がせっかくプロフェッショナルな踊りを見せているのに、それを充分に引き立てられなかった印象が残りました。

  全体として、この「ギリシャの踊り」はよかったのか普通だったのかわるかったのか、あまりよく分かりませんでした。でもたぶん、モーリス・ベジャール・バレエ団が踊ったとしても、去年の日本公演の印象からすると、東京バレエ団と同じ感じになるのではないのかな。ただモーリス・ベジャール・バレエ団のほうが、ダンサーはみな外人だから、見てくれでやや勝るのと、外人ダンサー特有の「見せる力」がある、という強みがあるだけで。

  「中国の不思議な役人」は、バルトークの同名曲を使っており、登場人物やストーリーもほぼ(やや?)同じな作品です。これはなんつーか・・・(笑)。

  盗賊たちはみな「ゴッドファーザー」に出てくるマフィアのような格好をしていました。盗賊の首領の娘は男性ダンサー(宮本祐宜)が、「若い男」は女性ダンサー(西村真由美)が踊ります。あと、なぜか「ジークフリート」(柄本武尊)が出てきて盗賊の餌食になってました。

  「ギリシャの踊り」もなんか男くさかったけど、「中国の不思議な役人」も男くさい。「若い男」を女性ダンサーに踊らせるアイディアより先に、盗賊の首領の娘を男性ダンサーに踊らせるアイディアがあって、男性ダンサーが踊る「中国の役人」と絡ませたかったのは間違いないよな。

  盗賊の首領の娘を踊り演じた宮本祐宜は見事なオカマぶりで、お尻と股間に黒い羽飾りが付いた黒い下着を着て、顔を真っ白に塗り、真っ赤な口紅をつけてました。女のように妖艶では全然ないです。見るからに奇妙でグロテスクです。明らかに「男が女装して、お約束的な女っぽい仕草で、ヒステリックに、また「女王様」的に振舞ってる」感じでした。

  あれはひょっとしたら、ルキノ・ヴィスコンティの「地獄に堕ちた勇者ども」で、ヘルムート・バーガーがマレーネ・ディートリヒの扮装をするシーン(←やっぱり奇妙でグロテスク)に想を得たものじゃないかな~、と思います。

  盗賊の首領の娘のあのグロテスクな姿とオカマっぽいキャラが、ベジャールがわざと意図したものだとすれば、宮本祐宜はすばらしかったんじゃないでしょうか(?)。オカマがヒステリー起こしてるみたいな雰囲気がよく出てました。

  ジークフリートはヒョウ柄っぽいパンツと、同じくヒョウ柄のレッグウォーマーみたいなのを穿いていて、ちゃんと剣(ノートゥング)を持ってました(『ジークフリート』)。髪は逆立っていて、登場したときには節分の鬼かと思いました。で、机の上に寝そべる盗賊の首領の娘に近づき(『ジークフリート』)、最後も盗賊の首領にちゃんと背中を刺されて死にます(『神々の黄昏』)。よく分かりません。

  この「中国の不思議な役人」で、ダントツですばらしかったのは、中国の役人を踊った首藤康之でした。中国の役人は紺色の人民服みたいなのを着て、毛沢東がかぶっていたような、正面に紅い星のマークがついた紺色の帽子をかぶっています。

  首藤康之は動きが他のダンサーとはまったく違いました。モーリス・ベジャール・バレエ団でいえば、ダンサーたちの間にいきなりジル・ロマンが現れて踊ったときと同じような印象を受けました。手足の動きは細緻で丁寧、動き同士が断絶しておらず、一本の流れる線でつながります。

  一つだけ難クセを付けるなら、首藤康之の「中国の役人」が、気味の悪い性的雰囲気を醸し出してたらもっとよかったんじゃないか、と思います。中国の役人は、性への異常な妄執で死なないわけですから。

  ラストはニジンスキーの「牧神の午後」入ってました。てか、「牧神の午後」のラストだけを踏襲して、あとは反転させる、というパロディだったのでしょうか?中国の役人は盗賊の首領の娘にキスされても死なないし、美女軍団(←こっちは本物の女性ダンサーたち)と乱○しても死なないんだよねえ。

  結局、この作品は何が何だかよく分かりませんでした。私には理解不能な世界です。

  「ボレロ」は、シルヴィ・ギエムがゲストとして踊りました。ギエムの踊りを観るのは2年ぶり?くらいかな。まず、ガーネット色だったギエムの髪が、マロン・ブロンドになっていたのに驚きました。前髪があって、耳の横の髪を短く切って、後ろの髪は長く伸ばしたヘア・スタイルでした。

  ギエムが数年前に踊った「最後のボレロ」と、今回の「特別復活ボレロ」を比べると、ギエムが数年前に「ボレロ」を封印した理由が分かるような気がしました。おそらく、ギエムには自分自身に課している恐ろしく厳しい要求があり、それを満たすことができないと判断した時点で、もう「ボレロ」は踊らない、と決めたのだと思います。

  たとえ、他のダンサーに比べて、ギエムのほうがはるかに優れているとしても、それはまったく別の問題であり、ギエムが自分の納得のいく踊りがもうできない、と思った以上、ギエムは自分がそれを踊るのを許せないのではないでしょうか。

  まわりくどくなりましたが、ギエムが数年前に踊った「ボレロ」は、身体の動き、ポーズ、演技、醸し出す雰囲気に至るまで、完璧にコントロールされた踊りでした。それに対して、今回の「ボレロ」は、理性によるコントロールを超越した、感情の奔流というか激流が一気に勢いよく噴出したような踊りでした。

  中心で踊るダンサーが、周囲の男性ダンサーたちを煽るような振りで踊るところでは、ギエムは半ば本気で煽っており、東京バレエ団の男性ダンサーたちも半ば本気で煽られていたと思います。以前と違って、東京バレエ団の男性ダンサー陣は添え物ではなく、強い存在感を発揮しながら、ギエムと一緒に「ボレロ」を踊っていました。

  というより、ギエムにそんな状況を許すような余裕ができたのだろうと思います。分かったような口を利くなら、「テクニックの衰えを補って余りある表現力や円熟味が増した」ということになるのでしょうか。でも、ギエムの「テクニックがやや衰えた状態」って、他のほとんどのダンサーにとっては、たとえ彼らが最盛期にあっても追いつけるレベルではないと思いますが。

  「中国の不思議な役人」には割と期待していたのですが、思ったほどではなかったなー(ダンサーの問題じゃなくて作品的に)。好きなベジャール作品が「ボレロ」だけ(しかもギエム限定)ってどうよ?と少し気まずいです。   
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ジョン・ノイマイヤー

  NBSからA3版見開き4ページのチラシが送られてきました。「ノイマイヤー・フェスト」という題名で、要は「今年の前半にジョン・ノイマイヤーの作品が日本でたくさん上演されるから観に行きましょう」ということのようです。

  これほど大騒ぎするからには、ジョン・ノイマイヤーはすっごい振付家なのでしょう。私はノイマイヤーの作品のごく一部しか観たことがないので、まだ実感できてないのですが。

  ちなみに私が観たことのあるノイマイヤー作品。『シルヴィア』の一部、『ハムレット』の一部、『椿姫』の一部(しかも踊りが超ヘタレだった)、ウィーン・フィルのニュー・イヤー・コンサートのために作られたバレエ。

  NBSのチラシでは、ノイマイヤーの作品が上演される公演をリストアップしてくれてます。こうしてくれるととても助かります。

  さて、それらの公演ですが・・・

  1.『人魚姫』(2月12・15日〔マチネ・ソワレ〕、ハンブルク・バレエ日本公演)

     この公演はもう来週に迫っております。チラシの公演写真は魅力的だし、オーケストラの生演奏付きだし、会場はNHKホールだし、観に行きたいんですけど、ただ一つ難点を言えば、チケット代が非常に高いんです(S席23,000円)。というわけで、今のところは観に行かない可能性大。

  2.『椿姫』(2月18・19日、ハンブルク・バレエ日本公演)

     この公演の会場は両日とも神奈川県民ホール、音楽は「特別録音によるテープ」使用。それなのにやっぱりチケット代が高いです。S席22,000円。でも、噂に聞こえたこの名作を生で観られる機会を逃す手はない、と思い、1回だけ観ます(チケットは購入済み)。

  3.「月に寄せる七つの俳句」(4月18・19日、東京バレエ団創立45周年スペシャル・プロ)

     この作品は、ノイマイヤーが東京バレエ団のために振り付けたもので、月を詠んだ俳句に想を得た作品だということです。トリプル・ビルの演目の一つとして上演されるので、そんなに長い作品ではないでしょう。難点は、公演期日が4月中旬ということです。新年度の仕事が始まって間もなく、まだ慣れずにヘロヘロになっているころでしょう。というわけで、この公演は考え中。
     もう一つ足踏みしている理由は、同時上演される「エチュード」(ハロルド・ランダー振付)を、東京バレエ団で観て満足できるか、ということです。幸か不幸か、私がこの作品を初めて観たのはマリインスキー劇場バレエでだったので。

  4.「ヨンダーリング」(4月25・26・28・29〔マチネ・ソワレ〕日、パリ・オペラ座バレエ学校)

     この作品はナショナル・バレエ・スクール・オブ・カナダのために振り付けられた作品だそうです。私はよく分からんのですが、パリ・オペラ座バレエ学校は、そこらのヘタレなプロのバレエ団に負けないんでしょうか。ガキのために作られた作品を、ガキのパフォーマンスで観る気にはなれないんですが・・・。日にち的には、ゴールデン・ウィーク直前で気分がリラックスしているころだろうから、ちょうどいいんですけど、これも考え中。

  5.『ロミオとジュリエット』(5月22・23・24日、デンマーク・ロイヤル・バレエ団日本公演)

     これは2回観に行きます(チケット購入済み)。ノイマイヤーの振付に興味があるというよりは、プロコフィエフのあの音楽に乗せて、ロミオとジュリエットの物語を観たいからです。オーケストラによる生演奏付きだけど、チケット代はそんなに高くない(S席16,000円)です。

  合計5演目のうち、今のところ観に行くことにしているのは、『椿姫』と『ロミオとジュリエット』の2演目のみ。来週の『人魚姫』は観に行きたいなあ・・・。でも、23,000円は高いなあ。今年は「アダム貯金」に励まないといけない年だし・・・。そういえばそろそろ確定申告の時期ですね。マジに設けてくれないかな、「バレエ控除」。     
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恵方巻き

  昨日、あるコンビニの前を通りかかったら、店の前に机を出して「恵方巻き」を売っていた。寒い中、店員の兄ちゃんが「恵方巻き、いかがっスかー!?おいしいっスよー!○○○○(←このコンビニの名前)の恵方巻きー!今年の恵方は東北東っスー!」と叫んでいる。

  私が「恵方」と「恵方巻き」を知ったのは、いまから10年ほど前のことである。関西出身の友人たちから詳しく教えてもらったのだ。

  曰く、節分の日に、恵方(縁起の良い方角。年によって変わる)に向かって、「恵方巻き」という太巻き寿司を食べる。恵方巻きは切られていない状態のものに、そのままかぶりつかなくてはならない。そして、ぜんぶ食べ終わるまでは、決して口から離してはならず、食べている間は沈黙を貫き、人と口をきいてはいけない(てか、口、きけないんじゃないのか)。

  近所のコンビニでその「恵方巻き」を売っているのを見て、東京には関西出身の人もたくさん住んでいるからねえ、と思いながら通り過ぎた。

  ところが。今日、いつも行くスーパーに帰りに寄った。そしたら、なんとそのスーパーも、店の前にでっかい商品棚を持ち出し、「恵方巻きセール」をやっていた。しかも、その特設「恵方巻き」コーナーの前には、大勢の買い物客が群がっていて、飛ぶように売れているのであった。

  店の中に入ると、とどめのように更に「恵方巻き特設コーナー」があった。いつもはたこ焼き、お好み焼き、和菓子、パン、ケーキなどを売ってる場所なのだが、今日はオール恵方巻き。太巻き寿司が山のように積まれている。

  この風景を目にするに至って、ひょっとしたら、この現代日本においても、恵方巻きの習慣は北上して伝播を続けており、今年の節分を以って関東に伝来したのではないか、と心の中で結論せざるを得なくなった。

  となると、なんだか俄然として恵方巻きに興味が湧いてくる。店の中で買い物をすませてから、店の外の特設「恵方巻き」販売カウンターに寄ってみた。

  多くの買い物客に揉まれながら見てみると、恵方巻きの種類は豊富で、「五目恵方巻き」というスタンダード(?)なものから、「ツナ恵方巻き」、「えびアボガド恵方巻き」、「トンカツ恵方巻き」と現代風にアレンジしたもの(←神様が怒りはしないか?)まで様々である。

  だが、私がびっくりしたのは、その特設「恵方巻き」販売カウンターにいた販売員の姿であった。なんと、赤いアフロヅラ、赤い全身タイツ、トラの皮模様のパンツ、という赤鬼の扮装をしていたのである。ご丁寧なことに棍棒(←プラスチック製)まで背負っている。高木ブーの「雷さま」にそっくりだ。

  更に私に衝撃を与えたのは、その雷さま、いや、赤鬼が、そのスーパーの店長だったことだ。

  このスーパーは下町に合わせた廉価な商品の販売に力を入れているが、廉価であっても品揃えを豊富にする努力をたゆまず続けている。

  また客に単身者や一人住まいのお年寄りが多いことを考慮して、たとえば鮮魚売り場では「商品はすべて小分けして販売いたします。お近くの店員にお気軽にお申し付け下さい」、「三枚下ろし、切り身、承ります。お近くの店員に(以下同文)」といった親切な張り紙がしてある。

  各売り場には「店員○○のおすすめ商品!」というカード(手書き・店員の写真つき)が添えられた商品が必ずあって、その商品の長所が説明されている

  アフター・サービスも万全で、特にお年寄りや大所帯向けに、買ったものを自宅まで無料で配送してくれるのだ。

  驚いたことに、この近辺では、競合相手となる他のスーパーが1軒もない。競争相手がいないと経営努力を怠りがちだと思うが、このスーパーは天狗になることなく、常により良い店作りに勤めている。

  このスーパーのこうした一連の企業努力は、ひとえに店長の主導による、と私は常々にらんでいた。

  というのは、このスーパーの店長は非常に腰が低く勤勉なのである。客に対しては「いらっしゃいませ~、いつもありがとうございます」の言葉を絶やさない。そして、いつも何かしら仕事をしている。レジ打ちはもちろん、レジ人員が足りているときは自分はヘルプに回り、買い物籠の片づけ、宅配荷物の預かり、レジに小銭が足りなくなったときの両替、商品の整頓や補充、レジ操作やカード払いの処理が分からないバイト店員の指導など、とにかく忙しく働いているのである。

  店長なのに誰よりも忙しく働き、非常に謙虚、また競争相手がいなくてもより良い店作りを目指す姿勢。社会人はかくあるべし、と私はひそかに店長のことを尊敬していた。

  その店長がよー、なんで雷さま、いや、赤鬼なんだよ。大体さー、豆まきには赤鬼で正解だろうが、恵方巻きと鬼ってなんか関係あんの?そもそも、その赤鬼衣装はどこで買ったんだろう。ドン・キホーテかな。それとも、このスーパーはチェーン店だから、本社から「これ着て売りなさい」という指示が来たんだろか。

  でも、赤鬼の扮装なんて誰もやりたがらないに決まってるから、真面目な店長は、「それなら自分が」と店のために我が身を犠牲にしたのであろう。なんと器の大きい人物であることよ、と私はあらためて店長のことを尊敬しなおした。

  それで私も恵方巻きを買ってみることにした。店長の頑張りに応えようと思い、いちばん高いのを買った。「特上海鮮恵方巻き」、1本980円である。「笑門来福」という赤いシールが貼ってある。

  切らずにそのままかぶりつかないといけない、というので、太巻きをつかんで一気に口にほおばろうとした。しかし、太すぎて口に入りきらん。仕方ないから半円ずつかじって食べた。ダイナミックでワイルドでなかなか気持ちがよい。でも、1回でぜんぶ食べきるのは量的に無理だった。半分でギブアップした。

  食べ終わってから、肝心なことを忘れていたことに気がついた。恵方である東北東を向くのをすっかり忘れて食べてしまったのである。まあいっか。明日、残りを食べるから、そのときにやればいーや。

  ちなみに、恵方巻きを買ったとき、店長は赤鬼姿のままで「ありがとございましたあ~」と、相変わらず愛想良く言ってくれました。腰の低い赤鬼です。
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サイトを更新しました

  サイト本体の「雑記」に、シュトゥットガルト・バレエ団日本公演『オネーギン』の感想を書きました( こちら )。

  ブログの記事を元に書きましたが、かなり加筆してあります。やはり、思い入れの強い作品は長くなってしまいます(笑)。

  よかったらご覧下さいね~♪

  まだボリショイ・バレエ『ドン・キホーテ』、『白鳥の湖』、『明るい小川』、新国立劇場バレエ『シンデレラ』、レニングラード国立バレエ『眠れる森の美女』、『奇才コルプの世界』が残ってます。

  来週の東京バレエ団の「ベジャール・ガラ」までに、上記の公演の感想をぜんぶ書き終えるのは・・・鉄板無理。どうしよう・・・。
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マメ知識

  昨日(1月31日)放送の「出没!アド街ック天国~新宿中井~」(テレビ東京)でやってたんだけど、

  赤塚不二夫の「おそ松くん」に出てくるイヤミの「シェー!」のポーズは、バレエのポーズであるルティレから思いついたもの

だそうです。

  ただそれだけです。下らなくてどうもすみませんざんす。
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