霧の北京

  台風のせいで北京行きの飛行機は出発が2時間近くも遅れた。本当なら午後7時に離陸して、北京時間の午後10時(日本時間午後11時)には着くはずだった。「機材の搬送が遅れているため」というアナウンスがあったが、要するに北京から東京に来る飛行機が遅れているのだ。「機材」とは飛行機のことである。

  午後8時40分にようやく離陸した。中国には北京時間の午前0時ごろに到着するだろう。それから入国審査を通って荷物を受け取るのに、ひょっとしたら1時間近くもかかるかもしれない。またそれからタクシーに乗って北京市内に入るのに1時間弱かかる。ホテルに着くのはたぶん午前2時近くになる。最悪。

  北京に行くのは5年ぶりだった。空港で良心的なタクシーに当たれるかどうかがまず不安だ。

  それから泊まったことのないホテルに行く。今回はある大学のホテル(中国のほとんどの大学にはホテルがある)の部屋を、知人を通じて予約してもらっていた。大体の場所は分かるが、中国の大学のキャンパスは一般に広いため、重いトランクを引きずって歩くことを考えるとうんざりする。

  また、ちゃんとホテルに行き着けるかどうか心配だ。大学のキャンパスとはいえ、さすがに真夜中の人通りはほとんどないだろう。中国の治安、特に北京の治安、そして特に学校のキャンパス内の治安は良いものだが、時間が時間だけに怖い。

  着陸30分前になった。飛行機から地上を眺めた。点々と明かりが見えた。あれ?と不思議に思った。四角を中心に放射状に広がる北京の明るい夜景が見えるはずなのに、なぜこんなにぽつぽつとしか地上の明かりが見えないのだろう?やがて、窓の外に広がる暗闇が、なんとなく白っぽいのに気づいた。雲がかかっていて、それで地上の明かりが見えないのだろうか。

  飛行機が北京国際空港に着陸した。なんとまだ午前0時前だった。パイロットはずいぶん頑張ったな、と感心した。だが飛行機はターミナルのゲートに直にくっつかず、乗客はタラップを降りてターミナルに向かうバスに乗らなければならなかった。これでまた時間を取られるのだ。私はまた不機嫌になった。

  周りを見わたすと、やはり白い煙がかかっている感じがする。これが悪評高い北京の大気汚染か!?こんなにひどいとは、と思った。入国審査、中国人用の窓口は比較的すいていたが、外国人用窓口の前には長い長い列ができていた。何時間待てば自分の番になるのか、とふてくされた気分で並んだ。すると、職員が中国人用の窓口を指差して何か叫んでいる。外国人も中国人用の窓口に行っていい、と言っているようだった。さっそく中国的だなあ。でもこれは実に好都合、さっさと中国人用窓口の列に並んだ。

  おかげで、ほんの2、3分待っただけで私の番になった。若い男性の入国審査官は私のパスポートを見て、ここは中国人用の窓口だ、と言った。列を整理していた職員が、外国人も中国人用の窓口に行っていいと言ったんだ、と私は言った。入国審査官はニヤリと笑って、僕はそんな話は聞いてないけどね、と言いつつも、私のパスポートにポン、とハンコを押して通してくれた。中国に来た目的も、滞在期間も、何も質問されなかった。中国的だなあ。

  さて、次はトランクの受け取りである。腕時計を見ながら荷物の受取所に向かったら、回転寿司みたいなぐるぐる回るやつの上に、見慣れたトランクが載って動いているのが見えた。こんなに早く出てくるなんて、なんともラッキー。トランクを持ち上げて、引きずりながらついに空港の出口へ向かった。

  午前0時を過ぎた真夜中だというのに、空港の出口の外にはたくさんの出迎えに来た人々が、客の名前を書いた紙を持って待っていた。私はタクシー乗り場に向かった。昔は白タクのオヤジが次々と声をかけてくるものだったが、今回は一度も声をかけられなかった。

  タクシー乗り場には、たくさんの旅行客たちが並んでいた。私はうんざりはしなかった。道路には数え切れないほどのタクシーがひしめいていたからだ。次々と発車して、次々とやって来る。タクシーの色が変わっていた。前は赤い色がほとんどだった。今は車体の中段が黄土色で、上段と下段がそれぞれのタクシー会社の色に塗られていた。

  10分ほど待って私の番になった。整理係がいて、客が行き先を告げると、あの車に乗れ、と指示する。乗車する前に黄色い紙を手渡された。タクシーに乗り込んでからその紙を読んだ。「もしあなたの乗った車が不正な行為をしたら、車のナンバーを控えて以下に連絡して下さい」と書かれていた。タクシーの運転手に不正行為(ほとんどはぼったくり)をさせないために、乗客にこうした紙を渡しているようだ。厳しくなったものだ。来夏のオリンピックにかける中国政府の意気込みはすごいな、と思った。

  運転手と話をした。私「この白い煙は何ですか?霧ですか?」 運転手「霧だよ。今日は雨が降ったから。」 私「空港のタクシーの管理は厳重になりましたね。」 運転手「まあね。」 私「今回は白タクに声をかけられませんでしたよ。白タクは空港から全面的に追放されたんですか?」 運転手「白タクは今でもいるよ。」 私「やっぱり白タクは危険ですか?」 運転手は前を見たまま、クスリと笑って小さくつぶやいた。「危険に決まってるじゃないか。」

  運転手は続けた。「でも、正規のタクシーを待つ時間の惜しい人はそれでも白タクに乗るよ(白タクは「すぐに発車する」のが売りだが、実際には乗り合いタクシーのようにして、客が揃うまで待つ場合も多い)。・・・ところで、どうしてこんな遅い時間に着いたんだい?」 私「東海にあった台風のせいで飛行機が遅れたんですよ。」 運転手「ああ、台風か。」

  私「私は北京は5年ぶりなんです。」 運転手「5年ぶり?じゃあ、北京はすごく変わっただろう?」 私「そうですね。やっぱりオリンピックのためですか?」 運転手「そうだ。」 私「タクシーの色も変わりましたね。以前の赤い夏利(昔のタクシーの定番塗装と車種)はなくなったのですか?」 運転手によれば、赤い夏利ももまだ走っているが、来年からはすべてのタクシーが、中段が黄土色、上段と下段が各タクシー会社の色、というふうに塗装が統一されるという。赤い塗装のタクシーは姿を消すそうだ。

  ホテルのある大学に着いた。料金は117元(1元=15~16円ほど)。確かに正規のタクシーだった。夜間の割増料金で、しかも高速道路を通ったのに、これは良心的だ。

  大学の門には24時間、保安員が常駐している。彼らにホテルの場所を尋ねた。「左に曲がって真っ直ぐ行け」との指示に従って、トランクを引きずって歩いた。大学の建物はあちこちが改修中か、取り壊し中か、新築中だった。友人が以前に住んでいた古い建物(キャンパス内には大学の教職員とその家族が住む団地がある)は壊されている最中だった。

  人通りはなかったが、どうやら安全らしい、という感じがした。前に明るい光が見えた。こぎれいな外装の、15階建てくらいのビルだった。あれがホテルに違いない。中に入るとそこはロビーで、カウンターがあった。その背後の壁面には、世界の主要都市の時間を示す時計がいくつもかけられている。ホテルに間違いない。2人の若い保安員がいたが、それぞれが自分の携帯電話を必死にのぞきこんでいた。念のために彼らに尋ねて、ここがホテルであることを確認した。

  やがて女性のフロント係が出てきた。予約はキャンセルされていなかった。チェックインを済ませてデポジットを払い、ようやく自分の部屋に向かった。私の部屋は2階だった。便利便利。このとき午前1時半くらいだったと思う。台風のせいで遅れたけど、それ以外はすべて順調だった。

  部屋に入ると扉がノックされた。部屋係のおばさんがお湯の入ったポットを持ってきてくれたのだった。遅い時間なのにありがとう、とお礼を言った。部屋は2間あって、テレビと小さな冷蔵庫と大きなソファーと立派な机のある部屋、その隣が寝室だった。ベッドのサイズはダブルだった。それにトイレ、洗面所、シャワールーム。浴槽はないけど、中国ではよくあることだ。内装はきれいで設備はほとんど新品、これほどの部屋で1泊280元なら安いものだと思った。

  洗面台でまず手を洗ったら、床下から水が漏れ出てきた。これも中国ではよくあることだ。

  喉が渇いたので、部屋に置いてあったジャスミン茶を淹れて飲んだ。この時間では、周囲の店はもうみな閉まっているだろうから、この夜はジャスミン茶と機内食の残りのパン(←学生時代の「もったいない癖」でいまだに持ち帰る)を食べて我慢することにした。それからシャワーを浴びて寝た。         
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ついに本格始動か!?

  クーパー君の公式サイトの日記が更新されてます。クーパー君は、なにかとっても嬉しいことがあると、興奮して一気に日記を書いてしまうクセがあるようですね。今回の日記、彼はとってもはしゃいでいます。

  リチャード・ロジャースの音楽を使ったダンス・ショウですが、なんとワーク・ショップと、ロジャースの作品の権利所有者とプロモーター(なんとTBS)を前にしてのプレゼンテーションと試演の段階まで進んだというのです。

  幸いなことに、彼らは好反応を示したそうで、それは将来の上演実現の可能性をうかがわせるものだったようです。ただ、上演時期は2009年の初めになりそうだとのことで、クーパー君は、残念ながら少し待たなければならないけど、しかし待つだけの価値はあるだろう、とポジティブに捉えています。

  また、サラ・ウィルドーは、今年の10~11月にロンドンで上演される演劇に出演予定で、現在はそのリハーサルに取りかかっているそうです。

  クーパー君自身については、そのリチャード・ロジャースのダンス・ショウ以外には確定した予定はないけど、多くの企画や構想をいろんな人々と話し合っていると書いています。

  私個人の考えでは、予定は未定といいますが、その反対もまたあり得るわけで、いきなりの舞台出演が決まる可能性もなきにしもあらずでしょう。イギリスの舞台興行は、直前になってキャンセルされたり上演が決まったりするものですから。

  目下、彼は2年ものあいだ踊っていない自分の体を「修復中」だそうで、しかしそれをとても楽しんでいるようです。早くパフォーマンスの世界に戻りたいし、観客の前に立つことを熱望している、と彼は結んでいます。私たちファンもそうですね。

  私としては、リチャード・ロジャースもいいけど、ウィル・タケット振付の「兵士の物語」を日本で上演してくれないか、と切に希望しています。絶対ウケると思うんだけどな~。  
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よく見りゃ似てるこのふたり

  ニコライ・ツィスカリーゼと小島よしお(♪おっぱっぴー♪)


  ・・・すみません。
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みな帰る

  この一週間、音沙汰がなくてすみませんでした。日曜日から北京に行っていて、今日の夕方に帰ってきました。毎日がとても忙しくて、ブログを更新する時間が取れませんでした。

  数年ぶりの北京はとても楽しかったです。中国、特に北京は変化がいちじるしいと報道されていますし、北京の人々も実際にみなそう言います。確かに北京の建造物(高層ビル、高層マンション)の新築ラッシュはすごいです。来年の北京オリンピックに向けて、どこもかしこも工事中でした。「オリンピックのために彩りを添えよう」というスローガンが書かれた赤い横断幕が、工事現場に貼られていました。

  でも、いちばん変わったのは北京の人々そのものです。ホテルの従業員、レストランの従業員、商店の店員、銀行員、タクシーの運転手、バスの車掌などなど、以前の木で鼻をくくったような無礼な対応がなくなりました。みな親切で愛想も良かったです。中国人同士の間でも「ありがとう」、「どういたしまして」、「いらっしゃいませ」、「お気をつけてお帰り下さい」という言葉が普通に飛び交っていて仰天しました。但し、「ごめんなさい」を聞いたのは1回だけでした。

  中国のDVDやらVCDやらを買い込んできて、その中には中国のバレエ団による公演の映像版や、中国で行なわれたバレエのコンクールの映像版があります。他には映画もたくさん買ったし、これからじっくりと観ていきます。うふふ♪

  それから、家出していた実家の猫が、私が北京にいた間に無事に帰ってきました。母が外出から戻ると、いつもと変わらない様子で「お出迎え」したので、母はびっくりしたとか。猫にとってはおよそ3週間の冒険でした。

  ひと回り痩せた感じがするものの、やつれた感じはなく、汚れてもいなかったそうです。ただ数ヶ所ケガをしていたので獣医さんに診てもらったところ、獣医さんは、近所のどこかの家でエサをもらいながら、他の猫とケンカして生活していたのだろう、と言ったそうです。プチ家出をして渋谷をうろついている若人たちと同じですね。

  というわけで、ご心配下さって、そして励まして下さったみなさま、「猫家出問題」は無事に解決しました。どうもありがとうございました。

  さすがに疲れているので、今日はここまで。
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気になる言葉

  「しかし運の尽きるときが来た。全力で走り続けたにもかかわらず、彼の世界が崩壊する日がやって来たのである。事業に成功することのみに自分の人間としての価値をおいていた彼にとって、それが崩壊したときには彼の自尊心も道づれになった。万全であったはずの能力主義的自尊心が、社会が彼に約束してくれたはずの人生と共に破綻したとき、彼はそれに代わる自我の拠り所をほとんど持ち合わせていなかった。」(テレンス・リアル著、吉田まりえ訳「男はプライドの生きものだから」、講談社)

  首相の辞任を思い起こさせますが、それもあながち関係ないとはいえません。でも、私が自分のことについて考えているときに、「彼」を「私」に、「事業」をある別の言葉に置き換えて読んでみたら、「こりゃあ私のことだよ!」と。

  これが自分の価値だと思っていたものがすべてなくなる。つまり自分の価値がなくなる。さあどうしよう?

  ごめんなさいね、これは「チャウのひとりぶつぶつ日記」です。
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ニジンスキー・プロ(2)

  今日も観てきました~。やっぱりこの公演、マラーホフが出られなくなった穴は埋められなかったな、と思いました(あくまでも全体的に)。

  「レ・シルフィード」の詩人はシュトゥットガルト・バレエのフリーデマン・フォーゲルでした。背が高くて金髪でなかなかハンサムでした。ソロでの踊りはやわらかくて軽かったし、妖精に魅せられたロマンティックな詩人としての演技もしていましたが、そんなにすごいという印象は受けませんでした。

  それに、どんなにすごいダンサー同士が踊ったとしても、しょせんは即席ペアの踊りがスムーズにいくわけもなく、吉岡美佳と組んで踊っているときは、少し見るのが辛かったです。

  「レ・シルフィード」という作品は、私は嫌いではないんです。ストーリーはなくとも、踊りさえすばらしければ。でも今日の公演での「レ・シルフィード」では、残念ながら肝心の踊りそのものがすばらしいとはいえなかったと思います。

  「薔薇の精」は東京バレエ団のキャスト(大嶋正樹、少女は高村順子)でした。私はイーゴリ・コルプのを3回、マチアス・エイマンのを1回観てしまったので、それもいけなかったとは思います。ですが、正直言って、これも見ていてかなり辛かったです。

  薔薇の精を踊った大嶋正樹は、振りを追いかけるので精一杯らしくて、踊りが基本的に音楽に合っていませんでした。また、音楽に間に合わせるために、動きを制限していたように見えました。一つの振りを終えないうちに次の振りに移ってしまうのです。個性とか独特の解釈とかいう以前の、教科書的な踊りというレベルにも達していなかったと思います。薔薇の精といえば独特な腕のポーズと動きですが、大嶋正樹のそれはまったく印象に残りませんでした。でも、ジャンプから着地するときのやわらかく美しい動きと足のポーズには感心しました。

  「牧神の午後」は今日もシャルル・ジュドと井脇幸江が主演でした。幕が上がった瞬間、客席の空気はまたピンと張りつめ、いつにもまして水を打ったように静まり返り、観客の目がジュドをじっと注視しています。

  ジュドがポーズを取っているときには微動だにせず、動くときには時に鋭く、時にゆっくりなスピードで実に絶妙です。演技は必要最小限ですが、感情をあからさまにするときには、その効果を最大限に発揮するように表現します。

  静かな仕草だけど、葡萄を貪り食らう様子、ニンフたちに目を向けるときの顔の動きと目つき、ニンフたちをからかった後の嘲笑、ニンフに触れて性的な情熱が一気に爆発したかのように咆哮する様など、ふとした折に見せる獰猛さが非常に魅力的でした。

  ポーズにも踊りにも演技にも、とにかく隙がない。前にも書きましたが、ジュドの牧神は野性的で獰猛なのですが(更にいえばセクシーですらある)、それでも決して下品でないのです。トンデモ版「牧神の午後」を踊った後輩君(特に名は秘す)とは大違いです。

  ニンフを踊った井脇幸江もすばらしかったです。彼女のポーズや動きにも隙がなく、神秘的だけど、いかにも牧神が惚れそうなフェミニンな魅力を漂わせていました。また動きの少ない振りの中で、まったく目つきと眼ヂカラだけでジュドの牧神に応じていたのが、そしてそれがジュドの牧神の演技とかみ合っていたのが見事でした。

  ジュドみたいな、牛や羊系というより黒豹系のセクシーな牧神なら、私がニンフだったら大歓迎です。カーテン・コールでは、パートナーやオーケストラや観客すべてに気を配る、落ち着いた大人の男性の魅力を醸し出していて、これまた大いにステキでございました。

  「ペトルーシュカ」、これも今日は東京バレエ団のキャストによります。バレリーナを踊った小出領子がダントツにすばらしかったです。ペトルーシュカを踊った中島周もよかったですが、同じ役でも先日のローラン・イレールとはやっぱり大いに違いました。

  中島周の動きを見て、イレールは力任せ、勢い任せのように見えた動きでも、本当はすべてコントロールして動いていたのだと分かりました。暴れているように見えても、逃げ惑っているように見えても、イレールはいつでもちゃんと「踊って」いたんですね。中島周は踊っているとポーズが崩れてしまうときがありましたが、イレールはペトルーシュカの基本ポーズを決して崩さないまま踊っていたようです。演技と関係してきますが、イレールは哀さを感じさせる奇妙で滑稽なポーズを常に保っていたのです。

  演技は、イレールはとにかく気弱そうでかわいそうで哀れを催させる、中島周はなかば頭がおかしいというか、気が狂ったように感じられました。また、イレールのペトルーシュカは、心を持ったがために恋をしたこと、恋に敗れたこと、いじめられたこと、その果てに命を失ったことへの激しい辛さと悲しみを、中島周は愛を得られなかったことへの未練を強く感じさせました。

  踊りのことはよく分かりませんが、より印象に残ったのはどちらかといえば、やはりローラン・イレールのペトルーシュカでした。見ていてすごくかわいそうだったから。

  あと、「ペトルーシュカ」は、音楽に細かく合わせて振り付けられていますね。群舞のシーンを観ていてそう思いました(でも今日も最後の群舞の途中で飽きた)。

  マラーホフがこの「ニジンスキー・プロ」を踊ったらどうなるのだろう、と興味があります。無事にケガが治った暁にはぜひ実現してほしいです。      
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ニジンスキー・プロ

  12日の公演に行ってきました。12、13日の公演で「牧神の午後」の牧神を踊るはずだった後藤晴雄が足のケガのために出演できなくなり、結局「牧神の午後」の牧神はすべての公演でシャルル・ジュドが踊ることになりました。

  「レ・シルフィード」。小出領子の腕の動きが波打つようにやわらかくて、まさに妖精という雰囲気の、ふわっとした軽い感じの踊りでした。木村和夫は、技術はしっかりしていてちゃんと踊れていますし、リフトやサポートもすばらしかったです。すばらしかったですが、手の先や足の先までコントロールが利いていないような、粗削りなところがありました。あと、照明が異常に明るすぎるのではないでしょうか。あれでは「お天気のよい明るい昼下がり、1人の若者が大量のご婦人方と森に楽しくピクニックするバレエ」になってしまいます。
  
  「薔薇の精」。マチアス・エイマンは初めて踊るというからどうかな~、とちょっと不安でした。でも意外とよかったです。というか、別に「薔薇の精」は必ずしも中性的でクネクネしていなくてもいいんだと思いました。エイマンはかなり緊張していたらしくて、ジャンプの着地や回転の失敗がありましたが、そんな小さいことを吹っ飛ばしたのが、エイマンの薔薇の精の役作りというか踊り方でした。

  エイマンの薔薇の精は、とにかく鋭くて軽くてキレがよかったです。腕の動きもくるくるとスピーディーでした。薔薇の花びらが風に乗って少女の部屋をひらひらと舞う(←ポエムだ)イメージです。とても爽やかで新鮮で、観ていて気持ちがよかったです。たとえばイーゴリ・コルプの薔薇の精とエイマンの薔薇の精とは正反対なのですが、どっちの役作りでも踊り方でも私は好きです。

  少女役の吉岡美佳も演技がすばらしかったです。

  「牧神の午後」。このまえのボリショイ&マリインスキー合同公演でいえば、ウリヤーナ・ロパートキナが出てきたときとまさに同じでした。幕が上がり、岩の上に座って牧笛を吹くシャルル・ジュドの姿が舞台上に見えたとたん、なんだかその場の雰囲気がビシッと引きしまりました。横顔を見せて座っているジュドの存在感は圧倒的でした。あんな男性ダンサーを見たのは久しぶりです。

  牧神もニンフたちも、手の指は伸ばして反らし、手首、肘、肩、脚、膝、足首は直角に曲げられたまま、ゆっくりと、ギクシャクと踊って(動いて)いきます。必要最小限の動きしかありません。ジュドは無表情ですが、時おり口を大きく開けて咆えるような表情をします。初演時に問題とされたというラスト・シーンの他に、もっと驚くような振付がありまして、そこでもジュドは咆哮しました。もちろんラスト・シーンでも、牧神はニンフの残していった青いヴェールを体の下に敷き、その上で突然びくっと顔を上げて咆哮します。

  このように、ジュドの牧神は時に野性的で動物的でした。また、無表情だったジュドの牧神が水浴びに来たニンフを見つけたとき、ジュドは顔をすばやくニンフに向けて、彼女をじっと見据えます。無表情なジュドの瞳が鋭い光を放ちます。でも、ジュドの牧神には、男性の生々しい性欲を動物的な動きや演技に置き換えた感じではなく、なんだか峻厳で気高い雰囲気さえ感じられたのです。

  「牧神の午後」が上演されている間、私は緊張しながらも集中してジュドの牧神を見つめていました。ニジンスキーの「牧神の午後」を生で観るのは初めてですが、シャルル・ジュドで観られてよかったと思います。ちなみに、あの引き締まった筋肉だけのしなやかな体、あれが54歳の体だとは到底思えません。ジュド様にとって、メタボリック・シンドロームなど永遠に縁のないことでしょう。

  「ペトルーシュカ」。正直なところ、これはもう作品としての賞味期限が過ぎかけているのではないでしょうか。20世紀初頭のパリで上演するには、ああいうロシアの民族的な素材は歓迎されたのでしょう。ですから、街の人々の群舞の時間的割合が多くて、人形のペトルーシュカ、バレリーナ、ムーア人の出番は意外に少なく、観ていて拍子抜けしました。

  ペトルーシュカはローラン・イレールが踊りました。肩をすくめ、顔をうつむけ、背中を丸め、膝を曲げた弱々しいポーズを常に取っています。イレールはそんなに濃いメイクはしておらず、顔全体を軽く白く塗って、道化の眉(泣き眉)を黒で細く描いているだけでした。イレールの素の顔立ちが分かるくらいです。おとなしそうな顔立ちの人ですから、ペトルーシュカがバレリーナにフラれ、ムーア人にボコボコにされるシーンはかわいそうでした。

  いちばん心が痛んだのは、バレリーナに恋するペトルーシュカが自分の部屋の中で、またムーア人に殺されたペトルーシュカの魂が、主人である見せ物師のシャルラタンに向かって、「なぜ人形の自分に『心』なんか入れたんだ!」とマイムで絶叫するシーンでした。「心」なんかなければ苦しい思いをすることはなかったのに、というペトルーシュカの悲しみが伝わってきました。

  ローラン・イレールの踊りがどうだったかはよく分かりませんが、イレールの演技は観ている側の心を打つものでした。個人的には、ペトルーシュカは踊りの技術が云々、という役柄ではなく、心が入ってしまった人形の悲哀を醸し出すことが大事だと思います。イレールのペトルーシュカは、抱きしめてあげたいくらいかわいそうでした。

  バレリーナを踊った長谷川智佳子は、上半身を動かさず、腕に至っては微動だにせず、本当に人形みたいでよかったです。あと、シャルラタン役の高岸直樹の演技がとてもすばらしかったです。死んだペトルーシュカの魂に責められて、自分が軽はずみな真似をして悲劇を招いたことに気づき、はじめて悔やむ表情をみせます。

  マラーホフが参加できなくなったので残念でしたが、それに代わるだけの見ごたえはありました。やっぱりシャルル・ジュドの牧神がいちばん印象に残りました。    
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なんか面白かったんで

  以下はバレエ作品の中国語名です。どの作品のことでしょう。ヒントつき。

 【初級問題】

   1.「天鵝湖」
   2.「睡美人」
   3.「海盗」
   4.「主題与変奏」(ジョージ・バランシン振付)
   5.「胡桃夾子」

 【中級問題】

   6.「唐・吉訶徳」(発音は「タン・チーフードゥー」)
   7.「羅密欧与朱麗葉」(「羅密欧」の発音は「ルオミィオウ」、「朱麗葉」の発音は「ジューリーイエ」。「与ユィ」は「と」の意味。)
   8.「卡門」(中国語の発音は「カーメン」)
   9.「年軽人与死亡」(「年軽」は「若い」という意味。ローラン・プティ振付。)
   10.「誰在乎?」(「在乎」は「気にする」という意味。バランシン振付。)

 【上級問題】

   11.「吉賽爾」(中国語の発音は「ジーサイアル」)
   12.「希爾薇婭」(中国語の発音は「シーアルウェイヤ」)
   13.「仙女」(わらわら出てきます)
   14.「阿莱城姑娘」(音楽はジョルジュ・ビゼー作曲。バレエ版があるとは知らなんだ。)
   15.「穆勒咖啡屋」(「穆勒」は「ムーラァ」。ピナ・バウシュ振付。)

  解答はコメント欄にあります。
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猫、家出す

  私と母が東京見物に浮かれていたころ、秋田の実家では不穏な出来事が起きていました。飼い猫がある夜に出て行ったまま、今に至るまで9日間ものあいだ、まったく家に帰ってこないのです。こんなことは初めてです。電話の向こうの母の声は憔悴しきっていました。

  家族は時間のあるときに周辺を探し回りましたが、今のところ見つかっていません。私は母に保健所(迷子の動物を一時的に保護する)と市役所(動物の死体を処理する部署がある)に問い合わせてみるよう言いました。結果、ともに該当する猫はいないとの返答だったそうです。

  驚いたことに、ペットの失踪は警察でも受け付けているそうで、母は警察にも届けました。警察でも、今のところ該当する猫の保護届けは出されていないそうです。

  私は今年に入ってから撮った猫の写真を母のパソコンに送り、姉がその写真を使って「尋ね猫」のビラを作りました。近所の雑貨店、クリーニング店、コンビニ、スーパーマーケット、公民館などに貼ったそうで、店長さんや町内会長さんは快く承知してくれたそうです。

  あちこちのサイトをめぐってみると、猫の家出は頻繁に起こるもののようです。1週間や10日いないことなどは序の口で、中には数ヶ月間も帰ってこない猫もいるとか。(人間が推測する)猫の家出の理由は様々なようですが、犬とは違い、猫と家出は切って離せない現象のようですね。

  最近の情報によると、先週の水曜日、実家から100メートルも離れていない近所の家で、ウチの猫にそっくりで首輪も同じ色の猫を見た、と教えてくれた人がいたそうです。ウチの猫はかなり特徴的な容貌と目立つ色の首輪をしていますので、その猫がウチの猫である可能性は高いと思います。

  とすると、少なくともウチの猫は生きていて、実家から半径100~200メートル以内の近所をぶらついているらしく思えます。なぜ家に帰ってこないのかは分かりません。今年の夏でちょうど2歳になりますので、大人になって自立心が芽生えたのかもしれません。

  猫家出関係のサイトやブログを読むと、公的なやるべきこと(各種機関への届け出、ビラ配りなど)をやった後は、人々の目撃情報を頼りに、そのあたりを歩いて根気強く名前を呼んで探すしかないようです。母は朝と夕方には猫の名前を呼んでいるそうです。

  私はけっこう楽観的で、猫は生きており、今は近所を徘徊しているけれども、いくら長引いても寒くなる前には帰ってくるのではないか、と思っています。ただ母親の落ち込みようはひどく、ビラに載せた猫の写真を見ては泣いているそうです。私にとってはこちらのほうが心配です。

  なんにせよ、生き物を飼うということは、人に喜びをもたらしますが、不安や悲しみももたらすものです。それが生き物を飼うことの意味でもあるのでしょうが・・・。  
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東京観光(3)

  なんでこんな日記を書いているのかといいますと、私にとって東京は生活の場であって、いままで観光名所といわれるところには行ったことがありませんでした。それが今回、母親に同行して、観光客として東京を見物して回ったのがすごく新鮮で、なるほど、同じ土地でも、生活者と観光客とでは感じ方がかなり違うのだ、と驚いた次第です。

  その東京観光の最終日は、もちろん母親の希望で浅草に行きました。母親は日舞をやっていて、浅草には踊り用品専門の店がたくさんあるので、実用的な意味でも浅草に行きたかったらしいのです。

  都営浅草線浅草駅を下りるとすぐに仲見世です。まず雷門(←はじめて生を見た)をくぐり、仲見世の商店街を買い物がてらぶらぶら散策しました。ここも外人客が実に多く、アメ横と同じく中国人がすっごく多かったです。

  仲見世には外国人観光客向けの浴衣(もどき)や着物(もどき)を売っている店と本物の和装洋品店があります。もちろん日本人なら見てすぐに区別がつきます。外国人観光客向けの「なんちゃって」浴衣や着物には、「根性」、「招福」などのヘンな漢字熟語ロゴ入りや龍や虎の絵入りなどのトンデモ柄のものが多く、普通の日本人だったらまず着ないであろうものが多かったです。

  あと、アメ横とは違い、仲見世の店の人たちはおそらくほぼ全員が日本人だろうと思われますが、中年の店主のおっちゃんが外人客に向かって「メイアイヘルプユー?」と言っていて驚愕しました。私たち日本人が外国の有名な観光地に行って、地元人の店員さんから日本語で「ヤスイデスヨ~」と言われるのと同じといえば同じなのですが。

  母親は踊り用品の専門店に行っては、ほしい物を買ったり、品物のパンフレットをもらったりしていました(←こういう店はたいてい通販ができるらしい)。

  そして浅草で最も有名なS寺(特に名は秘す)に行きました。ここが有名なS寺かあ~、と感動しました。母親がおみくじを引こう、というので引きました(100円)。母親は「吉」でした。ところが、私は「凶」でした。これは縁起が悪い、というので、お線香(100円)を買って勢いよく突き刺し、厄除けの護摩木(300円)を買ってお焚き上げをお願いしました。そして線香の煙を身にかぶると縁起が良い、というので、線香を焚いている鉢に体を突っ込んでまんべんなく煙を浴びました。

  これで万全、と思い、確認するために再びおみくじ(100円)を引きました。ところが、世界でわたくしほどかわいそうな人間はおりますまい、なんとまた「凶」が出てしまったのです。こんな理不尽なことってあるでしょうか!?私はへなへなへな~、とおみくじの前に座り込んでしまいました。母は静かに私の肩を叩き、私の手を引っ張って「お払い」受付所へと連れて行きました。

  思いもかけないことに、S寺の本堂で午後の部の「お払い」を受けることになりました(3,000円、私の自腹)。それでも落ち込み続ける私を引っ張って、母親は近くのラーメン店に入りました。まだお昼前で店内はそんなに混んでいませんでした。和風のラーメンでおいしかったです。だししょうゆ味で、柚子の隠し味が効いていました。チャーシューもおいしかったです。ところが、店内の壁に蛭子能収のイラスト入りサイン色紙が飾ってあって、それを見たら余計に落ち込んでしまいました。

  30分前には来て下さい、と言われていたので、お払い開始30分前にS寺本堂に行きました。右側の入り口から本堂内に上がりました。本堂内には、お払いを受ける人でなくても、誰でも入れますよ。意外とみなさん、網戸で仕切られた本堂前のお賽銭箱までしか行けない、と思っているのではないかしら。でもご本尊(観音様らしい)がおられる壇の四周には幕が張ってあって見えませんでした。

  お払いが始まる前に、作務衣を着た若いお坊さんたちがハンド・モップを持って掃除してまわっていました。そのころには、お払いを受ける人々が20人ばかりは集まっていたでしょうか。掃除しているお坊さんの中に、ちょっと妙な人がいるのに私は気づきました。彼は集まっている人々をしきりに横目で見やっては、中に若い女性がいるのを見つけると、口元にニヤけた笑いを浮かべながらチラ見しているのです(心の中で「生臭君」と命名)。その生臭君は掃除が終わった後も、用事もないのに須弥壇のあたりをうろうろと歩いては、その都度若い女の子たちに目をやっていました。

  偉そうなお坊さんの一団がやって来て、ついにお払いが始まりました。お経を唱えているのですが(←当たり前だ)、何と言っているのかさっぱり聞き取れませんでした。ですが私は手を合わせながら心の中で必死に「厄払い厄払い厄払い厄払い厄払い悪運退散ー!!!」と念じていました。途中からお経に合わせて、太鼓がどーん、どーん、と打ち鳴らされます。「そろそろコーダかな」と思って太鼓のほうを見ると、なんと太鼓を叩いていたのはあの生臭君でした。ご利益が半減するのではないか、と心配になりました。

  30分くらいでお払いは終わり、帰りにお札とお供物をもらいました。母親は「○○ちゃん(私のこと)、意外と信心深かったのね!○○ちゃんがずっときちんと手を合わせてお祈りしているのを見て、お母さんホント感動したわ~。この子もやっとこんなふうに仏様を信じる気持ちを持ってくれたのか、って」と言っていました。  

  帰りに浅草で有名な甘味処に入りました。私が「掃除してた若いお坊さんの中に、1人ヘンな人がいなかった?若い女の人を横目でチラチラ見てて」と言うと、母は「いたいた。用もないのにうろうろ歩き回ってね。お母さんも、あらこのお坊さん、若い女の子ばかりやたらと見るわね~、と思って可笑しかったのよね」と答えました。彼(生臭君)にとっては、お払いに来た俗世の若い女の子をチラ見するのが、戒律の厳しい生活の中のささやかな楽しみなのかもしれません。

  晩御飯を食べるには中途半端な時間ですが、母親の帰りの新幹線の発車時刻が迫っていたので、上野駅に戻ってピザを食べました。母親の荷物は山のようなお土産のせいで上京したときの2倍になっていました。上野駅の新幹線のホームはおそろしく深い地下にあり、ホームに下りるには長~いエスカレーターに乗らなくてはなりません。危ないので荷物を持ってホームまで送りました。

  母親を送ったあと、私は奇妙な心持になりました。自分が東京で生活している人間であるという感覚を取り戻すには、まだ観光客としての気分が半分持続していたからです。        
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東京観光(2)

  ウチの母が秋田から上京して2日目、9月2日(日)は手に汗にぎる緊迫のスケジュールでした(←おおげさ)。

  この日はボリショイ&マリインスキー・バレエ合同公演を観る予定でした。それが午後2時から。よって、午前中は何をしたいか新幹線の中ででも考えといてね~、と母に言っておいたのがマズかった。

  母親は「隅田川を川下り」、「月島でもんじゃ焼きを食べる」プランを持ち出してきたのです。例によってガイドブックに影響されたらしい。もんじゃ焼きについては、別に月島でなくても食べられるよ、と言ってみたのですが、母にとっては「月島でもんじゃを食べる」ことに意味があるらしいのです。月島には「もんじゃストリート」という通りがあって、たくさんのもんじゃ焼きのお店があるのです。

  提案するのは母ですが、手配するのは私です。あわてて隅田川の水上バス(隅田川ライン)の時刻表と路線図を調べ、月島の位置を確認して(←名前しか知らなかった)、午前中にこの二つの計画がこなせるかどうか、何度も脳内で予行演習しました。

  隅田川の川下りは浅草から出ていて、その始発は10時、次の便は10時40分です。そこで、時間になるべく余裕を持たせるため、10時ぴったりの便に乗ることにしました。「東京の川は汚れている」という先入見が私にはありましたが、隅田川は意外ときれいで悪臭などもなく、川風がすがすがしかったです。

  隅田川川下りの目玉は、川にかかっているいくつもの橋をくぐることらしく、それぞれの歴史をガイドさんが説明していました(でも船のエンジンの轟音でほとんど聞こえなかった)。それにしても、ア○ヒビール本社ビルの屋上に据え付けてある金色の巨大オブジェは、どーみても金色の巨大一本○ソにしか見えませんなー。

  船は東京湾に入りました。築地市場が見えてきました。すると母親は突然「築地市場を見物したい」と言い出しました。私は焦って「今日は日曜日で市場は休みだと思うよ。それに築地市場に行くのなら月島行きはなし!」と厳然と申しわたしました。母はおとなしくなりました。彼女の脳内で魚市場よりもんじゃのほうが勝ったようです。

  乗船すること35分、船は浜離宮恩賜公園の船着場に着きました。ここで下ります。浜離宮はさほど広くはなく、キバナコスモスの花が見ごろでした。公園を突っ切って、都営大江戸線汐留駅に向かいます。浜離宮の向こうには「どーだ、最先端のデザインで超高層でエラいだろ」と言わんばかりの汐留高層ビル群が聳え立っています。

  浜離宮の出口から都営大江戸線汐留駅までは徒歩5分、とガイドブックには書いてありましたがとんでもない。どう割り引いても15分はかかりました。直線距離にすると確かにすぐそこなのですが、汐留はまだあちこち工事中で通り抜けできない箇所が多く、しょっちゅう回り道をしなければならなかったのです。

  この日は久しぶりに晴れて太陽が顔をのぞかせた日で、川下りには最適でした。でも高層ビルの間を歩くには最悪です。汗だくになって歩き、なんとか汐留駅に行き着きました。そこで大江戸線に乗車して月島へ向かいました。月島まではたった2、3駅です。

  ガイドブックを見ると、紹介されている有名なもんじゃ焼き店の営業時間はほとんどが夕方から深夜まででした。果たしてこの時間(まだ11時半前)に開いている店はあるのだろうか?とちょっと心配でした。月島駅近く、「もんじゃストリート」の角には案内所があったので、そこで昼からやっているお店があるかどうかを聞いたところ、もう開店していて、しかも地元の人間にも好評だというお店を紹介してもらいました。

  そのお店に行くと、まだ早い時間のせいか、お客はほとんどいませんでした。月島は築地市場に近いから美味に違いない、という母の根拠なき提案で、海鮮もんじゃとカニ塩やきそばを注文しました。メニューの飲み物の中に「下町コーラ」、「下町オレンジ」というのがあったので、店員のお兄さんに「普通のコーラやオレンジジュースとどう違うんですか?」と聞いたら、苦笑いしながら「いや、ホントはあんまり意味ないっス」と言ってました(笑)。

  実は、私も母も、もんじゃ焼きを食べるのは初めてなのです。どんなものなのか具体的には知らず、ただガイドブックの写真を見て、お好み焼きの親戚みたいなものだろう、と思っていました。どんぶりにのっかった具が来ました。作り方を店員さんに指南してもらいながら(時に代行してもらいながら)作りました。

  1.最初に海鮮や野菜などの具を2枚のヘラで細かくきざんでよく炒めます。
  2.きざんだ具でドーナツ状の土手を作ります。
  3.その中にだし汁を半分だけ入れます。
  4.だし汁がとろとろしだしたら、残りのだし汁を入れます。
  5.だし汁全体がとろとろしたら、周りの具とよく混ぜて薄く伸ばします。
  6.ペースト状になったところで、小さなヘラを使って食します。

  もんじゃの味はやはりお好み焼きに似ていました。大阪のたこ焼きと同じく、東京の地元の人はみな家でもんじゃをよく食べるのでしょうか。

  お腹もいっぱいになったし、12時半過ぎになったし、そろそろ新国立劇場に向かうことにしました。再び都営大江戸線に乗りました。月島から新宿までたった24分です。便利な世の中になったなあ、と思いました。しかも大江戸線と初台駅(新国立劇場最寄り駅)のある京王新線の新宿での乗り場は隣同士(てか同じ)です。うまくできているものです。

  で、浅草から船で隅田川を下って汐留に行き、そこから大江戸線で月島に行ってもんじゃと焼きそばを食べ、また大江戸線で月島から新宿に行って、京王新線に乗り換えて初台駅で下車し、地下通路から新国立劇場に入りました。折しも開場時間の1時15分でした。

  母親はきれいな新国立劇場を見物してはしゃいでおりましたが、私は午前からお昼にかけてのハード・スケジュールがうまくいってくれたことで、すでに燃え尽きておりました。
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東京観光(1)

  ボリショイ&マリインスキー合同ガラBプログラム(9月2日)には、私の母親も連れて行きました。彼女はその前日の土曜日(9月1日)に2泊3日の予定で秋田から上京したのです。

  母親は若いころは東京に住んでおりました。夫が亡くなって、それで子どもたちを連れて郷里の秋田へと帰ったのです。

  「どこに行きたいかは自分で決めろ」と私は前もって念を押しておきました。母親は東京の観光ガイドを買って、一生懸命に研究したようです。ガイドブックには付箋がいっぱい挟んでありました。

  上野で落ち合って、さてどこへ行きたいかと尋ねてみると、アメ横に行きたいと言うのです。そこでアメ横を散策&買い物しました。私がアメ横に行くのは10年ぶりくらいでした。

  気づいたのは、まず観光客に外国人、特に中国人がやたらと多かったことです。通りを飛びかうのは中国語ばかりでした。驚いたことに、店の店員にも中国人が多かったです。鮮魚店の兄ちゃんもネイティブの中国語を話していました。

  こう言ってはなんですが、店によっては怪しげな商品が置いてありました。でも、あの雑多で威勢の良い雰囲気に押されて、私もついバカな買い物をしてしまいました。

  それは健康食品だったのですが、その商品が欲しかったというよりも、店員の兄ちゃんとの値引き交渉が面白かったからです。日本では(特に東京では)値引き交渉なんてめったにやりません。お互いの妥協点をじりじりと近づけていく値引き交渉はとても面白かったです。

  その後は鈴本演芸場に落語を聞きに行きました(これも母親の希望)。夜の部です。5時20分から8時40分までという長丁場ですが、出入りは自由だし、飲食もできるので、気軽な気持ちでした。

  落語を生で聞くのはたぶん2度目だと思います。最近、自分の日本語のヒヤリング能力が落ちていると感じていたので、耳だけに頼って聞くという経験は大事だと思いました。

  落語が7つ、曲独楽が1つ、漫才が1つ、手品が1つ、太神楽曲芸が1つというラインナップでした。夜の部のトリを務めたのは柳家甚語楼という人でしたが、やはりトリを務めるだけあって、その前に落語を披露した噺家さんたちとは別格でした。

  話の内容を書くとマズイと思うので書きません。でも最初から最後まで抱腹絶倒でした。話の流れはある程度読めるし、オチも察しがつくのですが、それでも面白かったです。滑舌はすばらしく、登場人物ごとに口調を変え、しかも極端な江戸弁ではなく、とても聴き取りやすかったです。表情も豊かで、また「間」の取り方が実に見事でした。さすがはトリを務める噺家だけのことはある、と感心しました。

  その後は隣にある中国料理屋で遅い夕食をとりました。そこは日本の中華料理屋ではなく、割と本格的な中国料理を出す店です。でも母親の口には合わないだろうと思ったので、あっさりした味つけの、母親にも食べやすいであろう料理を頼みました。

  おかげで私はフラストレーションがたまりました。もっと辛い味付けの料理が食べたかったし、中国西方独特の香辛料で味つけした羊肉炒めも食べたかったのです。でもそれは今度ともだちと行こう、と思って耐えました。
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ボリショイ&マリインスキー合同ガラ(3)

  このガラ公演の演奏は東京ニューシティ管弦楽団でしたが、指揮者は2人いて、マリインスキー・バレエの指揮者であるアレクサンドル・ボリャニチコと、ボリショイ・バレエの指揮者であるパーヴェル・ソローキンが、それぞれのバレエ団の音楽を指揮しました。

  第2部はボリショイ・バレエによるパフォーマンスです。

  「ばらの精」、ダンサーはニーナ・カプツォーワ、イワン・ワシリーエフです。ワシリーエフはAプロでボリショイ・バレエ側のトリを務め(「パリの炎」)、文字どおり超人的で驚異的な超絶技巧をやってのけたダンサーです。「ばらの精」はAプロでマリインスキー・バレエがイリーナ・ゴールプ、イーゴリ・コールプのペアで上演しました。脳内で比べると、やっぱりマリインスキー・バレエの「ばらの精」のほうがよかったかなー、と。

  ボリショイ・バレエの「ばらの精」は、明るく元気で健康的で体育会系な感じがしました。ワシリーエフは技術はすばらしいし、腕の動きもまあそれなりにしなやかだったのです。ただ、本人にはどうしようもないことを責めるのは酷というものですが、あの衣装がまず似合いません。また、妖精っぽい神秘的な雰囲気が足りない印象です。妖精というよりふつーの男の人(というよりそのへんのおっさん)にしか見えないのです(しかもピンク色のヘンな全身タイツ衣装を着ている・・・)。

  「ライモンダ」より第二幕のアダージョ、ダンサーはネッリ・コバヒーゼ、アルテム・シュピレフスキー。ふたりとも純白の衣装で、シュピレフスキーは長いマントをはおったまま(←この衣装がかなりカッコいい)コバヒーゼをリフトして踊りました。踊っている最中、マントをうまく翻して、もてあましていなかったのが見事でした。コバヒーゼは手足の形が美しかったです。おまけに本当に美人です。シュピレフスキーはパートナリングが非常に安定していて上手でした。アダージョだけで終わってしまったのが物足りなかったです。シュピレフスキーはロットバルト(グリゴローヴィチ版の)やエスパーダを踊るダンサーですから、ひとりで踊っても非常にカッコいいのですが。

  「白鳥の湖」(グリゴローヴィチ版)より黒鳥のパ・ド・ドゥ、ダンサーはエカテリーナ・クリサノワ、ドミートリー・グダーノフ。クリサノワはまだオディール(/オデット)を踊りこなしていないのではないでしょうか?特に出だしのアティチュードはかなり危なっかしい感じでした。アダージョでのオディールの演技(王子がオデットを思い出して戸惑うところ)も、かなり大仰な表情で王子のほうをちらちらと盗み見していて、なんというか、オディールの邪悪だけど高貴で神秘的な雰囲気に欠けていました。

  クリサノワもグダーノフも、ヴァリエーションとコーダのハデハデ技連発で盛り返していました。終わり良ければすべて良しかもしれませんが、どーもあのイントラーダとアダージョのぎこちなさが引っかかりました。と、終演後、一緒に観た母親に言ったら、「最初から完璧に踊れる人はいない。場数を踏んで段々と(以下略)」とまた説教されました。

  「スパルタクス」より第三幕のパ・ド・ドゥ、ダンサーはスヴェトラーナ・ルンキナ、ルスラン・スクヴォルツォフ。お楽しみのスパルタクスとフリーギアのパ・ド・ドゥです。最初にフリーギアのソロの振付を見て気づいたのは、先日の「ルグリと輝ける仲間たち」のパリ・オペラ座バレエ団のダンサーによる踊りと、今回の公演での踊りは違っているところがある、ということです。パリ・オペラ座バレエ団のダンサーが踊っていたのは、昔のボリショイ・バレエ「スパルタクス」映像版と同じでしたが、今のボリショイ・バレエの「スパルタクス」には改訂が施されているようです。

  見た目で判断してしまって申し訳ないのですが、ルンキナとスクヴォルツォフはともに長身で、体型ですでにフリーギアとスパルタクスでした。スパルタクスがフリーギアを複雑な形で振り回すリフトも、パリ・オペラ座バレエ団のダンサーに比べれば、音楽によく乗っていました。

  例の「逆立ちリフト」ももちろん問題なく成功しました。でもやはりあっさりと成功してしまって、贅沢な不満ですが、もっともったいぶってドラマティックにしてもいいと思います。ただ、ルンキナは観客に見ごたえを感じさせるツボを心得ているようで、逆立ちした後に片脚を更に曲げるタイミングを巧妙に捉えて、観客を沸かせていました。ウチの母親もその場で「すごーい!」と声に出して言っていました。

  「ミドル・デュエット」、振付はアレクセイ・ラトマンスキー、音楽はユーリー・ハーニン。この作品は、現ボリショイ・バレエ芸術監督であるラトマンスキーが、芸術監督になる前の1999年、マリインスキー・バレエのために作った作品だそうです。その作品を今回はボリショイ・バレエのダンサー、ナターリヤ・オシポワとアンドレイ・メルクーリエフが踊るわけです。

  オシポワは肩ストラップの黒い短いワンピース、メルクーリエフも黒い衣装だったと思います。まず音楽として用いられたユーリー・ハーニンによるピアノ曲が良い曲でした。振付も音楽のイメージにぴったりと合わせたものでした。速いテンポの音楽で、短い音が間を置かずに次々と繋がって演奏されていきます。それに合わせて、メルクーリエフに支えられ、客席に背を向けたオシポワが、白い脚を左右に出してせわしく動かしていきます。オシポワは背を向けたままメルクーリエフに持ち上げられ、その瞬間にばっと開脚します。オシポワの脚(と足)の動きがリズミカルですばらしかったです。

  作品名、ダンサーの衣装、また振付から思ったことには、これは故意に(つまり観客に想起させるように)フォーサイスの「イン・ザ・ミドル・サムホワット・エレヴェイテッド」を模して創作されたのではないでしょうか。単なる稚拙な物真似ではないと思います。

  男女が両腕をつないだままやじろべえのようにバランスを取ったり、複雑な形に絡み合って踊ったり、また途中で踊りをやめて唐突に別の動きに移ったりと、振付はフォーサイスの「イン・ザ・ミドル・・・」によく似ています。それに時折クラシック・バレエお決まりの振りが取り入れられている振付でした。

  フォーサイスの後追い作品、と片づけてしまえばそれまでですが、私はそれでもこの作品はなかなかの佳作だと思います。また、踊ったオシポワとメルクーリエフは非常にすばらしかったです。特にオシポワは単なる「跳び女」ではない、優れたダンサーだと感じました。

  「ドン・キホーテ」より第三幕のパ・ド・ドゥ、ダンサーはマリーヤ・アレクサンドロワ、セルゲイ・フィーリン。アレクサンドロワは紅のチュチュ、フィーリンは黒い衣装でした。アレクサンドロワはやっぱり華があります。彼女が出てくるだけで楽しい気分になれます。アダージョ、アレクサンドロワはフィーリンに手を取られて回転した後、そのままアティチュード静止するところは、フィーリンが即座に手を離し、アレクサンドロワは平然とした顔で静止していてカッコよかったです。アレクサンドロワとフィーリンのタイミングはよく合っていて、アレクサンドロワが長い脚を伸ばしてダイナミックに回転し、それからフィーリンに支えられてポーズを取るところも、「シャチホコ落とし」もうまくいきました。
        
  ヴァリエーションでのアレクサンドロワもすごかったです。片脚をかわるがわる上下させて、爪先を複雑に動かすところは、テリョーシキナに引けを取らないほどすばらしかったです。やはり目が吸い寄せられました。フィーリンは技術を誇示せず、気品を保って端正に踊りました。このほうがよほど好感が持てます。

  コーダではフィーリンが舞台をジャンプしながら一周し、アレクサンドロワが華やかでダイナミックなグラン・フェッテをやってのけ、フィーリンが高速で回転し、アレクサンドロワも回転しながら舞台を一周し、最後にフィーリンに支えられて回転した後、フィーリンに手を離されても片脚の爪先立ちのみで静止して、それからふたりがきれいに揃って片膝ついて決めのポーズを取りました。

  観客はすっかり大興奮してしまい、最高の盛り上がりの中でガラ公演は終わりました。

  カーテン・コールは、ダンサーたちが自分たちの踊った作品の振りを再び踊りながら登場しては消えていきます。これはすばらしいアイディアです。一つの同じ音楽(ジャパン・アーツの公式サイトによると、あの曲はグリエール「赤いけし」より「ソヴィエト水夫の踊り」だそうです)に合わせて踊るのですが、どの踊りも音楽に合っていて、それが不思議でもあり、また面白かったです。

  いちばんウケたのは、「スパルタクス」を踊ったスヴェトラーナ・ルンキナとルスラン・スクヴォルツォフが、なんとあの「逆立ちリフト」をした状態で現れ、そのまま舞台を半周して退場していったことです。観客は思わず「おおお~っ」と大きくどよめきました。あれはうまいことやったな、と思います。その後に出てきたペアは少し気の毒でした(笑)。

  最後にダンサーたちが順番に舞台に現れ、舞台の真ん中に集合写真を撮るような感じで集まり、観客に手を振るうちに幕が下りました。もっともこれはカーテン・コールの始まりに過ぎず、それからまた幕が上がり、ダンサーたちは一列に並んで前に出てきてお辞儀をする、というカーテン・コールが何度も繰り返されました。

  公演最終日の2日は、お祝いに虹色のテープのカーテンが2回も下ろされ、紙吹雪がいつまでも振り落ちていました。テープのカーテンと紙吹雪のせいで、ダンサーたちの姿が見えなくなるほどでした。ダンサーたちはカーテンを引きずって前に出てきてお辞儀をしました。ロパートキナはふざけてカーテンをショールのように両腕に絡ませ、アレクサンドロワは紙吹雪を集めてオーケストラ・ピットにぱっと降らせました。男性ダンサーたちは紙吹雪をお互いの頭上にかけ合っていました。

  最後のカーテン・コールが終わると、幕の向こうからダンサーたちの歓声が聞こえました。観客が大笑いし、ふざけてもういちど拍手しました。そしたら再び幕が上がってカーテン・コールになりました。ダンサーたちは手を振り、観客は立ったまま拍手しました。

  日本で初めてのボリショイ・バレエとマリインスキー・バレエとの合同公演は、大成功をおさめたといってもいいのではないでしょうか。一緒に観た母親はすっかり感激して「夢みたい」と言いました。私ももちろん、本当に本当に楽しかったです。
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ボリショイ&マリインスキー合同ガラ(2)

  最終日(2日)の公演(Bプロ)を観に行ってきました。また短い感想をメモしておきます。

  Bプロの第1部はマリインスキー・バレエです。

  「アルレキナーダ」よりパ・ド・ドゥ、振付はマリウス・プティパ、音楽はリッカルド・ドリゴ。ダンサーはエフゲーニヤ・オブラスツォーワ、アントン・コールサコフ。まず、「アルレキナーダ」とはどういうストーリーの作品で、このパ・ド・ドゥを踊るのはどういう役柄の人々なのかが分かりません。でも、この踊りは恋の踊りであるらしく、またダンサーたちはお互いをからかうようにコミカルな仕草をし、終始ほほえましい雰囲気が漂っていました。オブラスツォーワは白地に水色やピンクの入ったチュチュを着ていたように覚えています。コールサコフの衣装は忘れました。でも、目の周りをパンダみたいに真っ黒に塗っていて、あれはなんだったんでしょ?

  「病めるばら」、ローラン・プティの振付で、音楽はマーラーの交響曲第5番「アダージェット」を使っていました。「アダージェット」はバレエの振付家によほど人気があるようですね。残念なことに、音楽は録音されたものでした。最初に男性の声でなにか言ってました。その後に音楽が始まります。ダンサーはウリヤーナ・ロパートキナ、イワン・コズロフ。ロパートキナはピンクの膝下丈のドレスを着ていて、スカートは何枚も重なった薔薇の花弁のようなデザインでした。コズロフは上半身裸にオフホワイトのズボンです。

  Aプロの「三つのグノシエンヌ」と同じく、リフトを多用した作品でした。コズロフのリフトやサポートは実にすばらしく、ロパートキナの手足の動きや四肢のポーズも非常に美しかったです。ただ、「三つのグノシエンヌ」ほど感動はしませんでした。振付の良し悪しは私には分かりませんが、いかにもロパートキナが踊りそうな作品というか、薔薇というよりは白鳥を連想させる振付でした。

  「三つのグノシエンヌ」は、振付のタイプとロパートキナの踊りのギャップがよかったというか、そうクラシカルとはいえない振付を、ロパートキナが彼女独特のスタイルで完璧に踊りこなして、それで逆に彼女の踊りの魅力がいっそう引き出されていたと思うのですが、「病めるばら」はロパートキナに対するありきたりなイメージと合いすぎて、それで逆に彼女の踊りの魅力が埋没してしまった気がします。「病めるばら」は、少なくともロパートキナにとっては役不足の作品ではないかと私は思います。

  「眠れる森の美女」より第三幕のパ・ド・ドゥ、ダンサーはアリーナ・ソーモワ、アンドリアン・ファジェーエフ。ふたりとも純白の衣装でした。アリーナ・ソーモワの長い脚の驚異的な上がりっぷりは何度観ても壮観です。腕の動きも柔らかくて丁寧でした。あとは、あの細くて長くて美しい脚を完全にコントロールできれば、もっと魅力的になると思います。まだ勢いや力に任せているところがあるようです。でもヴァリエーションで爪先立ちでゆっくりと歩くところはすばらしかったです。ところで、私は元気で勝ち気そうなオーロラ姫も好きですよ。

  「ジゼル」より第二幕のパ・ド・ドゥ、ダンサーはオレシア・ノーヴィコワ、ウラジーミル・シクリャーロフ。ノーヴィコワの清楚で可憐な雰囲気はジゼルによく似合っていました。彼女の爪先の動きは細かくてすばらしかったですが、ゆっくりと一回転するところやバランスを保つところで不安定なときがありました。また、アダージョはまだよかったのですが、その後の踊りはなんだかバタバタしていて、音楽にあまり合っていなかった気がします。

  シクリャーロフのリフトやサポートは、Aプロの悲惨なパートナリングよりはマシだったと思いました。ただ、ソロの踊りがやはりバタバタしていて不安定で、しかも音楽にもそんなに合っていなかったです。なんだかジゼルもアルブレヒトもまだまだ未熟なジゼルとアルブレヒトだな~、と思って、終演後、一緒に観ていた母親にそう言ったら、「最初から完璧に踊れる人はいない。場数を踏んで段々と良くなっていくのよ。そう思ってあげなさい」と諭されました。

  「イン・ザ・ミドル・サムホワット・エレヴェイテッド」よりアダージョ(←「アダージョ」なの!?)、ダンサーはイリーナ・ゴールプとイーゴリ・コールプ。ゴールプは胸から腰までが緑でパンツ部分が黒のレオタードにシースルーの黒いタイツ、コールプは緑のユニタード。話変わるけど、イリーナ・ゴールプとイーゴリ・コールプって、名前似てて紛らわしくない?

  ちょっとクラシック風の優雅な「イン・ザ・ミドル・サムホワット・エレヴェイテッド」で、もちろんダンサーたちの技量も身体能力もすばらしく、短い時間でしたが圧倒されました。イーゴリ・コールプがひとりで踊るのはほんのちょっとでしたが、それでも鋭いキレがあって、また充分な迫力がありました。母親はこの作品を「変わってて面白かった」と言ってました。

  「タリスマン」よりパ・ド・ドゥ、振付はマリウス・プティパ、音楽はリッカルド・ドリゴ、プログラムの「作品解説」によると、このパ・ド・ドゥは天の支配者の娘であるニリチと風の神であるヴァイユによる踊りだそうです。ダンサーはエカテリーナ・オスモールキナ、ミハイル・ロブーヒンで、オスモールキナはギリシャ神話風デザインの白い薄い衣装、ロブーヒンは片肌脱いだ水色の薄い生地の上衣に同色同素材のハーレム・パンツ風ズボンでした。オスモールキナの踊りがしなやかですばらしかったです。ロブーヒンもダイナミックな踊りを披露しました。

  「瀕死の白鳥」、ダンサーはもちろんウリヤーナ・ロパートキナ。2回目に観たせいか1回目ほどの感動はありませんでした。踊りのイメージが「病めるばら」と基本的に同じテイストだったせいもあります。これだからガラ公演での作品の選び方は難しいですね。

  でも、闇の中で静かに踊るロパートキナの姿は本当に美しかったです。上半身をがっくりと折って立ち、爪先立った足だけを細かく動かしたり、床に片膝ついて身を伏せ、大きく広げた両腕だけを翼のように天に向かって伸ばしたり、まさしく白鳥のように優美で典雅でした。母親はこの「瀕死の白鳥」が最も気に入ったそうです。

  「海賊」第二幕のパ・ド・ドゥ、ダンサーはヴィクトリア・テリョーシキナ、レオニード・サラファーノフ。テリョーシキナは濃いローズ・ピンクのチュチュを着ていた覚えがあります。サラファーノフはお約束の青いハーレム・パンツではなかったでしょうか。

  サラファーノフは態度が堂々としすぎて、どーみても奴隷には全くみえませんでしたが、相変わらず超絶技巧で踊っていたのではないでしょうか。それよりもテリョーシキナがサラファーノフを見事に押さえつけた気がします。メドーラのヴァリエーションが、あんなに見ごたえのある踊りだとは思いませんでした。片脚を交互に上下させながら爪先を細かく動かすのも余裕たっぷりで安定していて、しかもみせどころを心得た「間」とタイミングで踊り、目が吸い寄せられました。片脚を伸ばして大きく回転するときも、ダイナミックで余裕綽々でやっていてすばらしかったです。更にテリョーシキナの長所は、これほどすばらしい容姿と技術を持ちながらも、常に端正で気品を保っていて、功を焦ったイヤミな感じがまったくないところでしょう。

  初日(8月30日、Aプロ)を観に行ったときには、カーテン・コールは通常は1回、すばらしい踊りならば2回でした。ですがこの日は最終日ということもあったのか、すべてのペアが2回カーテン・コールをしました。ただしウリヤーナ・ロパートキナが「瀕死の白鳥」を踊ったときだけは例外で、3回カーテン・コールが行なわれました。2日の、もしくはBプロでのマリインスキー・バレエはすばらしかったです。第1部が終わったときには、これでボリショイ・バレエはやりにくくなった、果たして巻き返せるんだろうか、とさえ思いました。    
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