バーンスタインとガーシュウィン

  ここ数日、レナード・バーンスタインが作曲した“On the Town”のCDをかけっぱなしにしています。本当はバレエ『オネーギン』の音楽を聴かなくちゃいけないんですけどね(シュトゥットガルト・バレエ団の公演の感想を書くのに思い出すため)。

  何度も聴いたので、そろそろ、「あ、ここで踊りの見せ場があるな」という当たりが付くようになりました。酒井はなさんをリフトで振り回すアダム・クーパーが見えてきそうです。そんな曲に限って、曲目を見ると(←普段は曲目を見ないで聴いている)、確かに“PAS DE DEUX”とか書いてあります。

  “On the Town”がミュージカル音楽だということは、歌があるし、セリフがたまに入っているし、音楽の構成がストーリーの進行に沿っているし、また全体的にミュージカルっぽい雰囲気があるので分かります。

  でも、もし歌の入っていない一部を取り出されて、これはレナード・バーンスタインの作った音楽です、とだけ言われて、音楽ジャンルを特定せよ、と求められたら、私には到底無理です。

  “On the Town”の多くの曲はジャズとクラシックが混ざったような感じで、ジャズではないけれども、じゃあクラシックかといわれればそうでもない、みたいな音楽です。“jazz”ではないけれども、アダム・クーパーが言っていたように、まさしく“jazzy”です。

  聴いていて思ったのは、“jazzy”な点ではジョージ・ガーシュウィンの音楽によく似ているな、ということです(素人が感じたことですから、プロのみなさんはツッコまないで下さいねん)。

  ガーシュウィンは「ラプソディー・イン・ブルー」、「パリのアメリカ人」、「アイ・ガット・リズム」などで有名な作曲家です。私はバーンスタインはもちろん、ガーシュウィンの曲もすべてを聴いたことがあるわけではないですが、バーンスタインの“On the Town”を聴いてとっさに連想したのは、ガーシュウィンの「ピアノ協奏曲へ調」でした。

  ガーシュウィンの「ピアノ協奏曲へ調」は曲名からして一応クラシックなんでしょうが、聴いてみると、前述の「ジャズではないけれども、じゃあクラシックかといわれればそうでもない」、やはり“jazzy”な曲です。クラシックのピアニストが弾くより、ジャズのピアニストが弾いたほうがいいんではないか、と思えるほどです。

  私はこのガーシュウィンの「ピアノ協奏曲へ調」が大好きで、アダム・クーパーがミュージカルに関わり始めたころから、これをぜひクーパー君に振付・主演してもらいたい、とアホな妄想を抱いていたのです。

  ガーシュウィンの「ピアノ協奏曲へ調」は30分弱の短い曲なので、一幕三場のダンス作品にできそうな気がします。

  彼が好んでいる(らしい)リチャード・ロジャースの曲よりも、ガーシュウィンの曲のほうがいいと思うんだけどなあ。それとも、ガーシュウィンの曲はやはり今となっては多少古くさいのかしら。

  余談。ガーシュウィンは、モーリス・ラヴェルを非常に敬愛していたそうで、ラヴェルに会ったこともあるらしいですよ。ラヴェルの曲とガーシュウィンの曲を比べると、そんなことがあったなんて意外ですね。
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サイトを更新しました

  およそ2ヵ月ぶりにサイトを更新しました。新国立劇場バレエ団『アラジン』(デヴィッド・ビントリー振付)第三幕です( こちら )。よかったらご覧になって下さいね~。

  本文のほうにも書きましたが、『アラジン』は決してわるくはない作品だと思います。音楽もいいし、美術やセットもイリュージョンもよかったし、振付もきれいでした。

  ただ、同じビントリー作品でも、『アラジン』は『美女と野獣』に及ばないと思います。作品としてまだ未完成だと感じたし、ダンサーたちも演技力と踊りこみが足りなかったと思います。

  再演の暁にはもっとよくなっているといいですね。

  ところで、今日(1月26日)は旧正月(春節)です。日本各地の中華街はさぞにぎやかでしょう。『アラジン』の音楽を聴きながら、獅子舞や蛇踊りのシーンを書いていて、そういえば春節なのだなあ、と思い出した次第です。

  そういうわけで、今年二度目のあけましておめでとうございます。

  (1月27日追記) シュトゥットガルト・バレエ団日本公演『眠れる森の美女』の感想も書きました( こちら )。よかったら読んでね
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“On the Town”CDとボディ・ブラシ

  昨日、1月24日(土)にレスターのCurve Theatreで上演されていた、アダム・クーパー監督・振付の“Simply Cinderella”が楽日を迎えたはずです。1ヵ月半にわたる公演でした。クーパー君、スタッフ、キャストのみなさん、お疲れ様でした。

  クーパー君が先週、4年ぶりに来日したにもかかわらず、オーディションの仕事だけして、わずか5日間の滞在で帰国したのは、“Simply Cinderella”のことが気にかかっていたからですね。

  ジーン・ケリー、フランク・シナトラ主演の映画『踊る大紐育』と、舞台版『踊る大紐育』の音楽がほとんど違う、と知ってから、突如として舞台版の音楽が気になり始めました。

  映画版と舞台版の音楽が違うのなら、映画版を観てもあまり意味がないわけで、それなら舞台版のCDを聴いて予習したほうがいいわけです。

  今年の9月に上演される『On the Town~踊る大紐育~』は、ほぼ完全分業制で、セリフをしゃべり、歌を歌い、演技をするキャスト、ダンスオンリーのキャストに分かれています。酒井はなさんだけは例外で、セリフとダンスの両方を担当するそうです。

  演出は去年11月のニューヨーク公演と同じジョン・ランドー、音楽監督と指揮はロブ・フィッシャー、演奏はオーケストラ・アンコールズ(←今回の公演のために特別に編成されるオーケストラでしょう)、音楽コーディネイターは宮本文昭です。

  セリフと歌は日本語で行なわれるようです。日本語台本・歌詞翻訳は橋本邦彦となっていますから(だからアダム・クーパーはセリフもしゃべらないし歌も歌わない)。セリフと歌を担当するキャストは、今のところは鈴木綜馬さん、諏訪マリーさん(←これは個人的にすごく嬉しい)が予定されているそうです。

  セリフと歌が日本語とはいえ、音楽をあらかじめ頭に入れておくと記憶しやすいので、『On the Town』舞台版のCDを購入しました。気が早すぎますが、こういうことは、きっかけがあったときにすぐにやるほうがいいと思うのです。

  CDはAmazonで購入しました。『On the Town』というキーワードで検索したら割と多くヒットしましたが、映画版と舞台版が混在していました。また、舞台版のCDでも、他にバーンスタインのバレエ音楽『ファンシー・フリー』、オペレッタ『キャンディード』、ミュージカル音楽『ウエスト・サイド・ストーリー』から、それぞれ有名な音楽を集めたセレクト版も多くありました。

  そのため、商品説明を注意深く読んで、『On the Town』舞台版の全曲版と思われるCDを買いました。今日そのCDが届きました。幸いなことに舞台版の全曲版でした。2枚組みで、“Complete Recording”と書いてあります。96年にロンドンでスタジオ録音されたもののようです(CDJAY2-1231)。価格は税込みで4,000円ほどでした。2枚組ですから、まあ妥当な値段でしょう。

  話は変わります。5年越しで使っていたボディ・ブラシがくたびれてきたので、新しいボディ・ブラシを買うことにしました。仕事の帰りに多くの生活雑貨店を巡りましたが、意外なことに、ボディ・ブラシを置いているお店はほとんどないのです。ボディ・タオルなら近所のドラッグ・ストアでも置いてありますが。

  たまにボディ・ブラシを置いている店もありましたが、価格が3,000円~4,000円と非常に高いのです。いくら毎日使うものとはいえ、たかだかボディ・ブラシにこんなお金をかけるのはアホくさい。

  で、Yahooのショッピングで探しました。そしたら、あることはありましたが、やはり数があまりないのですね。200円という格安な商品もありましたが、手数料や配送料のほうが高くついて、結局は1,000円くらいになってしまうのです。それに私のほしいのは柄が長めなもので、200円の商品は長さが足りません。というわけで、これはパス。

  更に探していくと、1,300円の商品を見つけました。長さもちょうどいいし、手数料は無料、配送料は480円で、配送料は電車賃とほぼ同じ値段です。探す手間も時間も省けるし、それでこの商品を購入しました。

  今日このボディ・ブラシが到着したので、今夜のお風呂でさっそく使います。私は新しい服とか、アクセサリーとか、化粧品とか、シャンプーとか、ヘア・クリームとかを買うと、使うのが楽しみで幸せな気持ちになります。

  そんなわけで、この新しいボディ・ブラシを使うのがとても楽しみです。 
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小林紀子バレエ・シアター『眠れる森の美女』(2)

  4月24日(金)、25日(土)、26日(日)に行なわれる予定の、小林紀子バレエ・シアター第93回公演ケネス・マクミラン版『眠れる森の美女』(於新国立劇場中劇場)ですが、チケットが1月24日(土、つまり明日)から一般発売されます。

  なんかいきなりな展開だな、でもチケットの発売日が決まってよかったよかった、と安心し、さて詳細は?とバレエ団にさっそくお電話しました。

  そしたら、このバレエ団にしては珍しく、誰がどの日に踊るかといったキャスト情報については、「チラシ」に出ている以上のことはまだお知らせできない、とのことでした。

  ただ、私は『眠れる森の美女』のチラシを持っておらず、ただ去年末の『くるみ割り人形』のチラシの裏側にある小さな囲み広告だけが頼りです。

  そのチラシに載っているキャストと、イープラスの公演情報に載っているキャストを照らし合わせてみると、現時点での出演予定者は、島添亮子、ロバート・テューズリー、高橋怜子、中村誠、大森結城、大和雅美、楠元郁子ほか、となります。

  島添亮子さんとロバート・テューズリーが主役として3連投するのか、それともセカンド・キャストが踊る日があるのか、セカンド・キャストの主役は誰と誰なのか、ファースト・キャストとセカンド・キャストはどういう日程で踊るのか、一切はまだ確言できないそうです。

  そんなあやふやな状態なのにチケットだけを先に売るんですか?と危うく言いかけてやめました。このバレエ団は、客を「散らす」(キャスト情報をわざと伏せて、すべての公演日に客を入れようとする)ような、セコい真似をするカンパニーではありません(と思う)。

  また、さほど大きくはないこのバレエ団にとって、『眠れる森の美女』全幕を上演するのが、どんなに大変なことかも想像がつきます。

  おそらくは、手配や準備にまだ手間取っているうちに公演日が迫ってきて、そろそろチケットを売らざるを得ない時期になってしまった、ということなのでしょう。

  しばらくしたらまた電話してみます。でも、マクミラン版というのに興味があるので、キャストは関係なく、必ず観に行くつもりです。
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「On the Town~踊る大紐育~」公式サイト

  アンコールズ・ジャパンの公式サイトに「On the Town」の情報が掲載されました( こちら )。

  早くもアダム・クーパー来日時の写真が実にたくさん載っています。プロモーション用と思われる写真撮影風景(衣装を着てポーズを取ったり、踊っている)、そしてオーディション風景などです。

  水兵服のクーパー君ははじめて見ました~ ・・・でも、思ったより似合ってるな

  ジェローム・ロビンスの「ファンシー・フリー」で有名なジャンプとそっくり同じなジャンプもしっかりやってます。「ロビンスの振付は意識しない」と言ったのはどの口だー(笑)!

  チケットの発売は4月下旬だそうです。料金は「フル・オーケストラの生演奏付きで、たった10日間の公演で、これで採算がとれるの!?」とこちらが心配になるほど廉価になるようです。

(後記:その後、『On The Town~踊る大紐育(ニューヨーク)~』は事情により公演が無期限延期となりました。詳しくは こちら をご覧下さい。)  
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酒井はな&アダム・クーパー インタビュー(2)

(前の記事と同じインタビュー終了後。キメ顔と角度でしっかりカメラ目線なアダム・クーパー)

問:「On the Town」の著作権はどうなっているのですか。ジェローム・ロビンスにはないのですか。

関係者:ロビンスには「On the Town」の著作権はありません。なぜかというと、ロビンスはまだ若いころに「On the Town」の振付をやったので、晩年になるとそのことを忘れてしまったのです。もちろん、「ウエスト・サイド・ストーリー」は別です。あれはロビンスの振付でなくてはなりません。バレエの「ファンシー・フリー」も同じです。ですが、「On the Town」をリバイバルしようとしたときに、ロビンスは自分がこの作品の振付をしたことを覚えていませんでした。去年のニューヨーク公演の際には、ロビンスとつながりの深い振付家が再振付しました。本来はロビンスが振付したのだから、ロビンスと関係の深い振付家が担当しなければならない、という雰囲気になっていたのです。ですが、日本公演に関しては、そのような制約は特に課さない、というのがあちら側の意向です。

問:舞台版と映画版は違うのですか?

関係者:まったく違います。特にバーンスタインの音楽は、有名な「ニューヨーク・ニューヨーク」を除いて、ほとんど違います。舞台版の音楽は、映画の観衆にはとっつきにくいと判断されたのです。でも、舞台版の音楽のほうがはるかに優れています。

問:クーパーさんは舞台版を観たことがありますか?

クーパー:ありません。映画だけです。

問:「ファンシー・フリー」は観たことがありますか?

クーパー:ありますよ。

問:振付に際して、ロビンスの「ファンシー・フリー」を特に意識することはありますか?

クーパー:いいえ、ロビンスのスタイルを意識するつもりはありません。音楽のイメージを最優先します。

問:振付はどうやって思いつくのですか?

クーパー:あるときには音楽を聴いているうちに、あるときには絵画や映像を見ていると、振付の形が浮かんできます。あるときには電車に乗っていて、また車を運転していても、ふと振付のアイディアが浮かぶこともあるんですよ。ただ、振付の大体のベースはすでに頭に浮かんでいることが多いのです。あとはリハーサルで、ダンサーたちと試行錯誤しながら、細かいところを決めていきます。

問:振付のアイディアが出なくて苦しいときはありますか?

クーパー:(笑いながら)いつも苦しんでいますよ!でも、苦しい中にも、良いことは少しでもあるものです。苦しくても必ず何かを生み出すことができるんです。これは、何事においても同じではないでしょうか。

問:酒井さんとのパ・ド・ドゥの見せ場などはあるのですか?

クーパー:ええ、ありますよ。

問:舞台で、クーパーさんは水兵服を着るのですか?

クーパー:(笑って)もちろんです!(頭に手をやって嬉しそうに)水兵帽もかぶりますよ!

問:「On the Town」といえば、誰でもジーン・ケリー(映画版に主演)をイメージします。ジーン・ケリーに勝つ自信はおありですか?

クーパー:(きっぱりと)もちろんです!(真顔になって)・・・確かに、この役ならこの人、というイメージを人々は持っているものです。ただ、僕が「雨に唄えば」をやったときもそうでしたが、僕がステージに立っている間だけは、ジーン・ケリーのイメージを忘れて、舞台を楽しんでほしいのです。

問:クーパーさん、酒井さん、ファンのみなさんにそれぞれメッセージをお願いします。

関係者:(笑って)最初の挨拶と同じになるから(くり返さなくても)いいでしょう。

クーパー:いえ、言いますよ。(真面目な声音でゆっくりと)日本に帰って来ることができて、とても幸せです。日本のファンのみなさんにお会いできることを楽しみにしています。

酒井:私にとっては新しい挑戦です。アダムさんと一緒によい舞台を作りたいです。共演できることに感謝します。

  この後は写真撮影となりました。

  アダム・クーパーは相変わらずニコニコして上機嫌でした。通訳の方がいるのですが、必ず質問者のほうをまっすぐに見つめて答えていました。あの真剣な目つきを見て、アダム・クーパーはぜんぜん変わってない、誠実な人柄は以前とまったく同じだ、と確信しました。

  ちなみに、彼は日曜日(18日)に来日して、木曜日(22日)にロンドンへ帰るそうです。本当に忙しい日々を送っているんですね。オーディション、お疲れ様でした。

  最後に、アンコールズ・ジャパン社の特別なお計らいに感謝いたします。

(後記:このインタビューが行なわれてからおよそ1ヵ月後、2009年2月末になって、“On the Town”はある事情により上演が無期限延期になりました。詳しくは2009年2月27日の記事をご覧下さい。) 
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酒井はな&アダム・クーパー インタビュー(1)

(インタビュー後の酒井はなさんとアダム・クーパー。念のため:この写真はアンコールズ・ジャパン社の承諾を得て掲載しています。)

  1月21日、今年9月に東京で上演される「On the Town~踊る大紐育~」に主演する酒井はなさんとアダム・クーパー(彼は振付も担当)の合同ミニ・インタビューが行なわれました。アンコールズ・ジャパン社さんのご厚意で、その様子を見学することができました。

  以下にその質疑応答の内容を簡単にまとめました。ただし、当日の現場はいろんな人が順不同に発言し、また日本語と英語が同時に飛びかっているという状況でした。

  よって、発言者、発言の内容は、あくまで私が自身のメモと記憶に頼り、更に頭の中で整理した上で書きました。発言者を誤っているかもしれませんし、発言もその人の言葉をそのまま記録または逐語訳したのではなく、大体の意味を書いたにすぎません。更には、私の理解が間違っているところもあると思われます。このことをあらかじめおことわりしておきます。

問:オーディションの参加者は合計でどのくらいでしたか。またその主な年齢層は?

関係者:全部で280人ほどが参加しました。20~30代が中心でしたが、もっと上の年齢層の人、たとえば50代の方もいました。

関係者:アダムさんと酒井さんに一言ずつ挨拶をお願いします。

アダム・クーパー(以下「クーパー」と略):日本に戻って来られて嬉しいです。僕は日本が好きで何度も来たことがありますが、今回は最後に来てから最も長い時間が経っています。ですから本当に嬉しいです。

酒井はな(以下「酒井」と略):私はクラシックのダンサーなのですが、最近はミュージカルにも出ています(チャウ注:劇団四季『コンタクト』イエロー・ドレスの女)。今回、アダムさんと共演できて嬉しいです。雲の上の人でしたから。夢のようです。

問:今回のオーディションでは、クーパーさんがお一人で審査されたのですか?

関係者:基本的にはアダムさんと助手のトムさんです。主なスタッフも立ち会いました。今回のオーディションはダンサーのみのオーディションで、セリフをしゃべって演技するキャストのオーディションは、また別個に行なわれるのです。ダンサーはダンスオンリーです。もっとも、酒井はなさんだけが唯一、踊りの他にセリフもしゃべります。アイヴィ・スミスの役です。

問:ダンサーの数はどれぐらいですか?

クーパー:10人から12人です。彼らのほとんどはダンスだけを踊ります。一部の人は歌いますが。そのために、すばらしい人材を集めました。

問:日本のダンサーはどうですか?

クーパー:すばらしかったです。ただ、私たちは求めるダンサーの条件を具体的に決めていましたから、(オーディションを受ける側にとっては)厳しかったでしょうね。

問:条件とは何ですか?

クーパー:まず、バレエのテクニックがあることです。また、ジャズ・ダンスも踊れることです。そして、強い個性を持っていることです。なぜなら、体が動いているだけの踊りは退屈なものです。踊りで心や感情を表現できなければなりません。そんな踊りに人は感動するのです。ですから、人を感動させることのできるダンサーを必要としたのです。

問:公演で踊られるのは、どのジャンルのダンスなのですか?

クーパー:ジャズ・ダンスがメインです。音楽がジャズ風ですから。でも、ベースはバレエです。

問:バレエがベースのダンサーが踊るジャズ・ダンスと、本来ジャズ・ダンスがベースのダンサーが踊るジャズ・ダンスは、具体的にどう違うのですか?

クーパー:それは難しい質問です。・・・僕はクラシック・バレエを主に踊っていましたから、相手もバレエをベースにしたダンサーだと、たとえば腕の使い方(言いながら両腕を広げる)、脚の使い方、首や上半身の使い方(言いながら首を伸ばし、胸を張って胸元を両手で示す)が同じです。そうすると、僕が求めていることが相手に理解しやすいし、僕が目指すところと、相手が目指すところの方向性も一致しやすいのです。

問:この「On the Town」では、ダンスはどんな位置を占めているのですか?

関係者:多くのミュージカルとは大きく違います。ダンスは単なる添え物ではないのです。

クーパー:「On the Town」はダンスが多くあるミュージカルであり、ダンスによって物語が進んでいきます。オーケストラが舞台の上にいるというのも、ダンサーにとってはいいことです。ストーリーも面白いです。3人の水夫が、24時間以内に恋人を探し当てなければならない、という物語ですから。

問:振付と主演を同時にやる、というのは大変ではないですか?

クーパー:はじめは大変でした。でも今では、振付と主演、振付と監督、振付と監督と主演という同時作業にも慣れました。

問:酒井さんとクーパーさんは以前に組んだことがありますか?

酒井、クーパー:ありませんね。

酒井:アダムさんのようなダンサーと共演できるのは、幸せで夢のようです。

問:酒井さんは『コンタクト』でイエロー・ドレスの女を演じられましたが、ミュージカルに出演するにあたって、ヴォイス・トレーニングの訓練を受けたりなさっているのですか?

酒井:はい、自分でも毎日欠かさずしています。

関係者:酒井さんはセリフとダンスの両方をなさいます。

問:酒井さんとクーパーさんの、お互いの第一印象は?

クーパー:美しい!すてきだ!

酒井:あこがれのスター!

(後記:このインタビューが行なわれてからおよそ1ヵ月後、2009年2月末になって、“On the Town”はある事情により上演が無期限延期になりました。詳しくは2009年2月27日の記事をご覧下さい。)
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「奇才コルプの世界」(2)

  第2部はクラシック作品の有名なパ・ド・ドゥばかりです(しかし最後にどんでん返しが!)。

  「眠りの森の美女」よりグラン・パ・ド・ドゥ、ダンサーはヴィクトリア・クテポワ、ヴィクトル・イシュク(キエフ・バレエ)。

  まず、クテポワとイシュクの身長差がありすぎです。クテポワは長身で、イシュクはそんなに背が高くありません。イシュクのパートナリングはよかったと思いますが、タイミングが合わず(というか身長差のせいで手が届かず)、サポートがうまく決まらなかったときがありました。

  それから、クテポワは見た目は非常にきれいなのです。背が高く、スタイルが良く、顔も美しいです。でも、踊るとまるでバレエ・コンクールの参加者のようにぎこちなくなります。イシュクに手を取られてアティチュードで立っていても、軸足がガタガタと震えているくらいです。

  仇をとったのがヴィクトル・イシュクで、王子のヴァリエーションとコーダでの技はパワフルで、一つ一つの動きがすばらしかったです。

  「海賊」よりパ・ド・ドゥ、ダンサーはオクサーナ・シェスタコワ(レニングラード国立バレエ)、オウルジャン・ボロヴァ(プログラムはここだけ「オグルキャン・ボロヴァ」と書いてある。どっちがほんとなのだ)。

  ボロヴァは暗い金色のハーレム・パンツ、シェスタコワは真っ青なチュチュという衣装でした。

  シェスタコワの小顔ぶりにまずびっくり。それから、動きと表情の優雅さとたおやかさにうっとりしました。

  ボロヴァのアリは、役作りという点ではまだ教科書どおりという感じでしたが、ヴァリエーションと特にコーダはもんのすごかった!です。コーダの最初で、まず男性がジャンプしますよね。ボロヴァは、私が今まで見たことがない、凄まじいジャンプをやりやがりました。跳び上がった瞬間に、右脚を根元からぶん、と一回転させるのです。それから着地します。これはすごい迫力でした。ボリショイ・バレエのイワン・ワシリーエフ(「パリの炎」)以来のショックです。

  シェスタコワもコーダの32回転で面白い技を披露しました。これも私は初めて見ました。2回転を織り込みながらしばらく回った後、回転が一度終わるたびに、顔が少しずつ客席側からずれていくように回っていったのです。この回転を数回くり返した後に、顔が再び客席側を向きます。うまく説明できないのですが。

  「グラン・パ・クラシック」、ダンサーはナタリヤ・マツァーク、ミハイル・カニスキン。

  衣装が変わっていました。マツァークは、シースルーの黒のハイネック、長袖の上衣に、白いスカートの表面に黒レースを重ねたチュチュでした。カニスキンは、襟口の開いた長袖の黒いシャツで、下は白いタイツでした。マツァークのチュチュは非常にしゃれていました。

  第1部の「道」で、私はマツァークに好感を持ちましたが、この「グラン・パ・クラシック」は、どうしてもマリインスキー劇場バレエのヴィクトリア・テリョーシキナの踊りと比べてしまいました。マツァークはバランスの保持に充分な時間を置かず、勢いでスピーディーに片づけてしまうところがありました。

  でも、それ以外の踊りはとてもすばらしかったです(特にゆっくりとした回転を間に挟みながら、片脚を上下させて前に進んでいくところ)。絶えず挑戦的な、不敵な笑みを浮かべていたのもかわいかったです。

  ミハイル・カニスキンのヴァリエーションとコーダでの踊りも、パワフル且つテクニカルで圧倒されました。ジャンプは高いし、身体のひねりはきいているし、跳んだ瞬間に両足を交差させる動きは細かかったです。

  第2部の最後は「ザ・グラン・パ・ド・ドゥ」(音楽:ロッシーニ、振付:C.シュプック)で、ダンサーはエリサ・カリッロ・カブレラ、イーゴリ・コルプです。

  これはとんでもない(笑)作品でして、古典バレエ作品にある数々のパ・ド・ドゥのパロディなのです。ところどころで、どっかで見たような振りが出てきます。

  まず、前奏がとてつもなく長い!グラン・パ・ド・ドゥらしい華やかな音楽がいつまでもいつまでも延々と続き、なかなか幕が開きません(爆)。

  やがて、しびれを切らした男性ダンサー(コルプ)が出てきます。いかにも営業用なわざとらしい笑顔で客席を見つめてポーズをとると、ようやく幕が開きます。そこへ女性ダンサー(カブレラ)も出てきます。グラン・パ・ド・ドゥのお約束として、ふたりとも純白の光り輝く衣装を着ています。

  ところが、女性ダンサーはメガネをかけ、ピンクのハンドバッグを携えています。明らかにやる気ゼロです。男性ダンサーはこわばった笑みを浮かべながら、女性ダンサーを力任せに引っ張り寄せ、ハンドバッグを取り上げて床に放り投げます。女性ダンサーはハンドバッグに気を取られながらも、男性ダンサーと一緒に踊り始めます。

  ちなみに、舞台の右奥には、白いチュチュのスカートを穿いたデカい牛(ホルスタイン)の人形が意味なく置いてあります。

  ふたりはまともに踊るときもあるのですが、しょっちゅう奇妙な踊りを連発します。ふたり並んで同じ振りで踊るかと思ったら、なぜかツイストだったり。ちなみにコルプの踊るツイストは爆笑でした。

  また、男性ダンサーが女性ダンサーのリフトに失敗し、彼女を床に放り投げ、男性ダンサーがアラベスクをすると、女性ダンサーがその上げた脚を引っ張って、男性ダンサーが転びそうになります。

  男性ダンサーは片膝を立ててひざまずき、両手を組んで顔を覆います。そう、「ジゼル」第二幕のアルブレヒトのポーズです。男性ダンサーはその状態でじっとしていますが、女性ダンサーは彼を放置したまま、ハンドバッグに夢中です。我慢の糸が切れた男性ダンサーが荒々しく立ち上がり、怒りの表情を浮かべて女性ダンサーに近寄ります。女性ダンサーはあわてて両手を胸の前で組みます(←有名なジゼルのポーズ)。

  また、「白鳥の湖」のオデットのヴァリエーションのパロディもあったりして、大笑いさせて頂きました。最後は男性ダンサーが女性ダンサーを押しのけて、完全自己満スマイルでお辞儀をします。しかし、今度は女性ダンサーが男性ダンサーを押しのけます。互いにどちらが前に出るかで争ううちに終わります。

  この「ザ・グラン・パ・ド・ドゥ」でのエリサ・カリッロ・カブレラとイーゴリ・コルプのお笑い合戦は本当に笑えました。こんな作品を踊りたがるなんて、マリインスキー劇場バレエのプリンシパルのくせに、コルプは本当に変わってる兄ちゃんですな。また、カブレラの演技がとにかくおかしかったです。

  正直なところを言うと、コルプは若干硬かったというか、「一生懸命にお笑いやってる感」があったのですが、それに対してカブレラはまったく自然にお笑いやってて、今回はカブレラの貢献度のほうが高いと思います。私はカブレラにかなり好感を持ちました。

  第3部は「シーソーゲーム~ブランコのふたり~」(音楽:C.ヴァルカス、バッハ)のみの上演です。ダンサーはイーゴリ・コルプとユリア・マハリナ(マリインスキー劇場バレエ)。この公演のための新作で、今回がもちろん世界初演です。

  舞台の左右にベッドとナイト・テーブルがあります。二つの部屋を表わしているようです。左右の部屋の背景には、ステンド・グラスの窓の画像が映し出されています。窓の向こうには街並みが見えます。ナイト・テーブルの上にはそれぞれ電話が置かれています。

  右の部屋のベッドの上には、長袖のゆったりしたワンピースを着た女(ユリア・マハリナ)が座っています。女は受話器を取り、電話を誰かにかけます。

  地中海風の穏やかな歌が流れます。

  やがて、左の部屋に男(イーゴリ・コルプ)が現れます。コルプは白いシャツにサスペンダー、ズボンという衣装で、シャツの袖に黒い袖当てをはめています。コルプはベッドに座ると、座ったままで両脚と両腕を複雑に速く動かして踊り始めます。マハリナも電話で話している仕草が、そのままゆったりした踊りになっています。

  音楽がバッハの「シャコンヌ」に変わります。

  それからふたりは組んで踊り始めます。振付はクラシックの要素がほとんど見られない動きでした。ですが、しいていえば、ウィル・タケットの90年代の作品に感じが似ている気がしました。リフトやサポートは複雑で、ふたりは木の根のように体を絡ませます。また、ふたりは時にそれぞれ離れて踊ります。その振りも身体を複雑に動かすものでした。

  マハリナは長い髪を垂らしていて、それが美しい額や頬にかぶさってとてもセクシーでした。

  女は嬉々として男の部屋に行き、男のかばんに男の衣類をつめこんでいます。それからふたりは女の部屋に行きます。それからのベッドの上での踊りが非常に官能的でした。男は女の体の上にのしかかり、女は両脚を広げます。マハリナの白い両脚がむき出しになり、コルプはマハリナの足首をつかんで、マハリナの体を逆さまに持ち上げます。

  ところが、ふたりがベッドに腰かけていると、電話のベルが鳴ります。女は一瞬ためらったものの、受話器を取って話し始めます。男は事態を察して暗い表情になり、女から離れます。

  離れた男に女が近づきます。それからのふたりの踊りは、女が男にまとわりつき、男が女を突き放し、女が男を拒絶し、男が無理やり女をつなぎとめる、という動きをくり返します。この一連の踊りの動きは非常に複雑でした。打ちのめされた男を、女は指さして大声で嘲笑します。しかし、男が離れようとすると、女は再び男に身をすりつけてなだめようとします。

  男はついにかばんを持って女の部屋から出て行きます。彼らは自分の部屋で再び独りになります。舞台が暗くなり、背景に窓の映像がいくつもいくつも映し出されます。やがて、男は立ち上がって自分の部屋を出て行きます。

  再び、最初に流れた地中海風のけだるい歌が流れます。

  女は受話器を取ってボタンを押します。男の部屋の電話が鳴ります。しかし受話器を取る者はいません。電話のベルだけが鳴り続けます。

  イーゴリ・コルプとユリア・マハリナの踊りはもちろんすばらしく、またふたりが、ある男と女の物語の世界を見事に作り出していたのにも感心しました。

  この作品のテーマそのものはありきたりで、振付にも特に新味や魅力があるとは思いません。そこらのダンサーが踊ってもつまらない退屈な作品で終わると思います。でも今回は、コルプとマハリナ個人の力量によって、踊りが振付を凌駕しました。

  カーテン・コールはおまけつきでした。出演したダンサーのうち、女性はシックなドレスに身を包み、男性もそれぞれドレスアップしていました。

  今さらながらに、女性ダンサー陣の見事なプロポーションに見とれてしまいました。特に、オクサーナ・シェスタコワの藍色のチュニック・ドレス姿と、ナタリヤ・マツァークの黒いカクテル・ドレス姿がかわいかったです。

  コルプもおしゃれな黒い衣装で出てきました。この姿がカッコいいのなんの。手足が細くて長くて、まるでモデルのようです。

  そして、なぜかタンゴが流れ、ダンサー全員がそれぞれ異なる振りで踊り始めました。やっぱりコルプがいちばんノリノリでした。そして、踊る動きやポーズが非常に美しいというかきれいというかカッコいいというか、何を踊っても様になる人だな~、と感嘆しました。

  最後は、なんとコルプがワイヤーに吊られて、お空に昇っていってしまいました(笑)。

  カーテン・コールに至るまで、心ゆくまで楽しませてもらいました。イーゴリ・コルプは稀に見るダンサーとしての能力と、そしてエンターテイメント性に富んだプロデュース能力とを兼ね備えた人です。チケット代相応どころか、それ以上に楽しい思いをさせてもらった、と久しぶりに感じた公演でした。
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「奇才コルプの世界」(1)

  20日の「奇才コルプの世界」(←このネーミングはなんとかならんか)を観てきました。最高の舞台でした!イーゴリ・コルプは優れたダンサーであると同時に、優れたプロデューサーでもありました。

  残念ながら、広いオーチャード・ホールは満席ではなく、1階席の後方や2階席にはかなりな空席があったようです。廉価でしかも良質なあの舞台が満席にならなかったとは、実に惜しいことです。

  でも、逆に見ることもできますね。イーゴリ・コルプの日本における知名度が、(私が個人的に思うことには)まだとびきり高いわけではないことを考えれば、広いオーチャード・ホールをあそこまで埋められたのはすごいと言えます。

  第1部はモダン、コンテンポラリー作品でした。

  「白鳥」(音楽:サン=サーンス、振付:R.パクリタル)、ダンサーはイーゴリ・コルプ。

  ボロボロの黒い帽子をかぶり、よれよれの黒いコートを着たコルプが、不気味な笑いを浮かべながら現れます。なんだか薬や酒でイっちゃってるような雰囲気です。コルプが帽子とコートを脱ぐと、その下の服、というよりぼろきれの布は、下半身を辛うじて覆っているだけ。

  やがて、サン=サーンスの「白鳥」が流れます。気味の悪い微笑を浮かべていたコルプは、いきなり腕を波のように美しく動かして踊り始めます。まぎれもない白鳥の羽ばたきです。

  コルプ演ずる男は、時おり神経質に顔を歪めたり、苦しそうに頭を手で押さえたり、指を意味ありげに、しかも不気味に動かします。しかし、それと交差して、男は両腕を美しく羽ばたかせます。

  のっけから文字どおり「コルプの世界」に引き込まれました。不気味で醜悪な男がふと見せる美しい羽ばたき。コルプの手足の動きは流れるようにきれいで、身体はしなやかです。そして、全裸の上半身とむき出しの両脚のなんと美しいことよ。身体のきれいな男性ダンサーを見たのは久しぶり。

  「カジミールの色」(音楽:ショスタコーヴィチ、振付:M.ビゴシゼッチ)、ダンサーはエリサ・カリッロ・カブレラ(ベルリン国立歌劇場バレエ)、ミハイル・カニスキン(同前)。

  カブレラは白のタンクトップに白と淡い黄色が半々のショート・パンツ、カニスキンは黒と淡い黄色が半々のショート・パンツ姿。

  振付はクラシックの要素が見た目にはほとんど感じられない複雑な動きでした。カブレラはすばらしい身体能力を持ち、また彼女の踊りも流麗でなめらかでした。たるみやぎこちなさが皆無で、長い手足が空間に自在に伸びていきます。カニスキンは複雑なサポートとリフトを巧みにこなし、カブレラとカニスキンの息はよく合っていました。

  世界にはまだまだ優れたダンサーがいるのだ、と実感させられました。

  「デュエット」(音楽:コレッリ、振付:D.ピモノフ)、ダンサーはイーゴリ・コルプ、ヴィクトリア・クテポワ(マリインスキー劇場バレエ)。

  振付者のピモノフは、コルプが「ルジマトフのすべて2007」で踊った「マラキ」という小品の振付者でもあります。「マラキ」は非常に面白い作品だったのですが、この「デュエット」はさほど面白みのない作品でした。クラシックの要素が強いか、またはクラシックそのものの動きと、「モダンっぽい」動きが混在する振付でした。

  クテポワは藍色のシンプルなワンピース、コルプは黒い上着に黒いズボン、上着の下は裸という出で立ちです。

  この作品では、コルプはサポートとリフトに徹していて、それはそつなくこなしていたと思いますが、問題はクテポワです。なんというか、動きにはっとさせられる魅力がない。踊りこなれていない。むしろぎこちない。

  更に、前の「カジミールの色」とこの「デュエット」は、テーマが男女の愛憎とかぶるのです。これも「デュエット」には不利でした。どうしても両者を比べてしまいます。振付的には「カジミールの色」が優れていたと思いますし、踊り手(特に女性)も「カジミールの色」のほうがよかったです。

  正直言って、この「デュエット」はちょっと肩すかしでした。

  「道」(音楽:マスネ、振付:D.クリャービン)、ダンサーはナタリヤ・マツァーク(キエフ・バレエ)。

  マツァークは白い長いスカートのチュチュを着ています。でも、チュチュの上半身には白鳥の羽根飾りが無様に垂れ下がり、スカートの前部分は長方形に切り取られています。

  マツァークは終始苦しげな表情で、狂ったように踊ります。両腕のうねりが非常に美しかったです。振付はクラシックですが、マツァークは時おり床に転倒しては、顔を手で押さえて苦悶の色を浮かべます。

  しかし、マツァークはそのつど起き上がっては、再び手足を大きく舞わせ、身体を回転させて踊ります。しかし表情は苦しげなままです。彼女のこの踊りには、なんともいえない鬼気迫る美しさがありました。マツァークは小柄ですが非常にきれいな容姿を持つ人です。またしても、世界にはまだまだ優れたダンサーがいる、と思いました。

  「Something to say」(音楽:クリント・マンセル、振付:セルゲイ・セルゲイエフ)、ダンサーはオウルジャン・ボロヴァ(シンシナティ・バレエ)。

  まず、このオウルジャン・ボロヴァは非常なイケメンです。額に垂れる黒髪、細面、直線的な眉、とおった鼻梁、おまけに背も高いです。

  ボロヴァは上半身が裸で、黒いズボンを穿いています。おかしなことに、右手首に黒のビニールテープを巻き、そしてなんと口を黒のビニールテープで塞いでいるのです。

  ボロヴァはその姿のまま、激しく踊り始めます。激しいアクロバティックな動きの多い振付です。その間、背景は真っ赤になったりして、なんだか反骨精神のようなものを感じさせます。途中で、ボロヴァは床に倒れて、そして再び起き上がります。すると、その上半身には血の跡がついています。うーむ、まるでいけないプレイのような気がしてきました。

  音楽が最高潮になったころ、ボロヴァは口を塞いでいた黒のビニールテープをはぎとり、「ウォーッ!」と叫びます。

  踊り手(ボロヴァ)がよかったからいいものの、この「Something to say」は実のところ、かなりなトンデモ作品だと思います。30年前のパンク・ロックを想起させます。

  でも、オウルジャン・ボロヴァはイケメンでしかも優れたダンサーでした。またしても、世界にはまだまだ優れたダンサーが(以下略)。

  第1部の最後は「レダと白鳥」(音楽:バッハ、振付:ローラン・プティ)です。ダンサーはイーゴリ・コルプと草刈民代。

  コルプは上半身裸で、白いタイツを穿いているだけです。草刈民代はきなりのワンピースを着ていました。ちなみに、白鳥の役がコルプで、レダ役が草刈民代です。すでに人の妻であるレダを見初めたゼウスが、白鳥に変身してレダと交わる物語です。

  白鳥を踊る男性ダンサーの振付には、同じくプティ振付の「スペードの女王」のゲルマンを思わせる動きが多くありました。アラベスクで静止したり、片脚を後ろに上げたままゆっくりと一回転したりという動きです。コルプの動きは非常にきれいで、同時に野性味も感じられるセクシーなものでした。

  ところが、問題はレダ役の草刈民代です。草刈民代の踊りには、はっとさせられる魅力が感じられず、いや、むしろ凡庸な踊りでした。私にはこの「レダと白鳥」のどこがいいのか分かりませんでした。でも、振付のせいというよりは、踊り手のせいでしょう。

  草刈民代は、この作品のストーリーが分かっていたのでしょうか。自分の役の解釈がきちんとできていたのでしょうか。白鳥(ゼウス)役のダンサーだけでなく、レダ役のダンサーもまた官能性を醸し出さなければ、「レダと白鳥」は単なるワケの分からない作品になってしまいます。

  多くの観客も草刈民代については不満に思ったようです。カーテン・コールでのことです。イーゴリ・コルプが草刈民代の手を取って、前に出てきてお辞儀をしたときには普通の拍手でした。ところが、ふたりが退場するとき、先に草刈民代が舞台の脇に姿を消して、その後ろに続いたコルプが舞台の端に数秒間いました。その数秒間に、途端に大きな拍手が湧き起こったのです。コルプだけに向けられた拍手だったことは明らかです。こんな「拍手差別」(←勝手に造語)は初めて見ました。

  というわけで、「レダと白鳥」も肩すかしで終わってしまいました。 
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まちびと来たる?

  明日の19日から、今年の9月に上演される「On The Town~踊る大紐育~」のオーディションが始まります。

  アンコールズ・ジャパン社によると、審査にはアダム・クーパー自身が参加する、とのことです。

  とすれば、クーパー君は、今日ぐらいに来日するのではないか、と勝手に想像しております。

  ひょっとしたら、今ごろはもう東京にいるかもしれません。クーパー君はロンドンのどんより曇った冬の天気にうんざりしているでしょう。飛行機から降り立った彼に、東京の晴れた空を見てもらいたかったですが、残念なことに東京も今日は曇り空です。

  クーパー君がいる間に、なんとか天気が良くなってくれるといいです。また、早いところでは梅のつぼみがほころびかけています。見られる機会があるといいな。

  でも、イギリス人は梅のような素朴な花には興味がないかしらね

  とにかく、私は今、クーパー君と同じ空気を吸っている。そう思うと、なんとなく嬉しいです。うふふ。
  
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レニングラード国立バレエ『眠れる森の美女』

  17日の夜公演を観てきました。5時に開演して8時半に終わりました。ヘトヘトになりました。

  レニングラード国立バレエ『眠れる森の美女』は、プロローグと第一幕が65分、第二幕が50分、第三幕が50分というゴージャスな時間量です。

  第二幕(王子の登場~リラの精に導かれて王子とオーロラ姫の幻影が踊る~王子のキスによってオーロラ姫が目覚める)がどーしてそんなに時間がかかるのかというと、王子がリラの精とともにオーロラの眠る城めざして出発するシーンの後に、やたらと長い間奏曲が入るからです。

  この間奏曲でずっと奏でられるバイオリンのソロが実にすばらしく、素人耳に聴いた限りでは、音を一度も外さなかったと思います。高音もしっかりと出ていました。

  間奏曲が終わると大きな拍手がおき、指揮者のミハイル・パブージンに促されて、バイオリン奏者がオーケストラ・ピットの中から顔を出しました。第二幕が終わると、いつもより大勢の観客がオーケストラ・ピットの周りに集まりました。たぶん、ソロを弾いたバイオリン奏者がどんな人なのか、みな興味を持ったのだと思います。

  オーロラ姫はイリーナ・ペレンでした。久しぶりに彼女を観ましたが、演技や踊りに幅が出て、以前よりもすばらしくなったと思います。

  ペレンはあまり表情を変えないダンサー、という印象がありました。ところが、今回のオーロラ姫の演技はとてもよかったです。微笑んだ顔がとてもかわいらしかったです。

  特によかったのが、糸車で指を傷つけてしまってから倒れるまでの演技です。指先がちょっと傷ついただけで問題ない、と周囲を安心させるように微笑みながらも、だけど何か自分の中でおかしなことが起こっていることに戸惑い、不安な表情を浮かべ、やがて徐々に苦しげな顔になってきて、ついには倒れてしまいます。この一連の演技がとても自然でした。

  それでも、ペレンは踊っている途中でつい真顔になってしまうときがあるんですね。あどけないほがらかなお姫様らしく、笑顔を絶やさずに踊り続けていればもっとよかったです。

  ペレンは化粧を必要以上にきつめにするときがありますが、今回はそんなことはありませんでした。ナチュラル・メイクで、本当にきれいな子だな~、とあらためて思いました。

  ペレンの踊りは、以前は「四角四面に上手」な感じがあって、本当はもっと踊りそのもので何かを表現できる素質を持ったダンサーなのに、と歯がゆく思っていました。でも、今回のオーロラ姫の踊りには、上手さに加えて、一貫して余裕がありました。決して焦らず、充分にためを置いて踊り、音楽にバッチリ合わせます。第一幕のオーロラ姫のソロでは、つま先の動きが実に優雅で、バイオリンとハープの音楽を、そのままつま先で丁寧になぞっているかのようでした。

  デジレ王子はアンドレイ・ヤフニュークで、私は初見だと思います。学生時代の同級生の石田君にそっくりな顔で、登場した途端「あっ石田君」と思いました。ちょっと地味めな王子でしたが、物腰や仕草は王子っぽく、踊りも王子っぽいもっさり感(優雅さともいう)がありました。

  技術がとびぬけて優れているわけではないと思いますが、ヤフニュークの踊りには確実性というか安定性があって、安心して観ていられました。ハラハラさせられる危うさがないというのは、王子の踊りで最も大事な要素でしょう。

  ヤフニュークはそんなに背が高くなく、長身のペレンをサポートするのに苦労しているようでした。ペレンがポワントで立つと、明らかにペレンのほうがヤフニュークよりも背が高いんです。ヤフニュークがペレンをサポートするとき、ペレンの体がときどき斜めになってました。または、両人は組んでまだ日が浅いのかもしれません。

  リラの精のイリーナ・コシェレワは美しくて気高く、特にカラボスを制するときの表情や姿勢が凛としていて、パワーの大きい妖精らしい高潔な威厳がありました。コシェレワは背が高くはないですが、それでもカラボス役のアンドレイ・オマールに負けていませんでした。

  ただ、プロローグでは、リラの精は紫色のチュチュを着ています。それが第一幕と第二幕では、淡い紫色の薄い生地のロング・ドレスになります。はっきりいってあの衣装はヘンです。ネグリジェを着てきたのかと思いました。プロローグから第三幕まで、同じチュチュで通していいと思うのですが。てか、これはコシェレワとは関係ないですね。

  カラボス役のアレクサンドル・オマールは、カラボスという役柄そのもので、このけだるい作品にパンチをきかせていましたが、以前に観た英国ロイヤル・バレエ、シュトゥットガルト・バレエ『眠れる森の美女』のカラボスに比べると、やはりインパクトが弱かった気がします。杖突いてるくせに超元気なばーさんでしたが(笑)。

  ところで、なんでマリインスキー劇場バレエのヴィクトリア・クテポワがいたんでしょう?しかも勇気の精を踊るだけで?およそ1ヶ月にもわたるレニングラード国立バレエの日本公演に、彼女はずっとつきあってるんでしょうか?あの踊りからすれば、別にいなくてもいいんじゃないかと思います。

  第三幕のディヴェルティスマンで、オクサーナ・シェスタコワがダイアモンドの精を踊りました。この『眠れる森の美女』のように、大量のダンサーを必要とする演目では、こんなふうに主役級のダンサーがちょっとしたところに出てきて踊ってくれるから嬉しいです。踊りの調子自体は、今日はあまりよくなかったようです。でも、舞台でダンサーは役に応じてこう振舞うべき、という点で、シェスタコワほど好感の持てるダンサーはいないと思います。

  長靴をはいた猫(アレクセイ・クズネツォフ)と白い猫(アンナ・クリギナ)の踊りが意外に面白かったです。クズネツォフは確か、「太鼓の踊り」(『バヤデルカ』)の兄ちゃんですよね。ぬいぐるみのかぶりものをしていて、顔が見えなかったのが残念です。というか、今年は『バヤデルカ』の公演がないのが非常に残念です。正月に「太鼓の踊り」を見ないとなんか寂しいんだよなー。

  クリギナの白い猫のほうは素顔を出していました。頭に猫っぽい帽子をかぶってるだけです。長靴をはいた猫が白い猫に言い寄り、白い猫ははねつけたかと思うと、今度は自分から色仕掛けをし、ケンカになって引っかきあい、ついには長靴を履いた猫が白い猫の頭をボコン、と叩きます。観客は爆笑でした。

  でも、アンナ・クリギナは、連続でジャンプを繰り返しては細かい足さばきができる優れたダンサーでした。最後にディヴェルティスマンを踊った一同がまた踊るときに分かりました。

  さてさて、ある意味、本日の主役であるペレンとヤフニュークを危うく食いそうになったのが、青い鳥を踊ったアントン・プローム(マクシム・エレメーエフから変更)とフロリナ姫を踊ったタチアナ・ミリツェワです。いや~、盛り上がりましたわ~。

  プロームの跳躍は高く、上半身と下半身のひねりはしなやかで、まさしく空高く飛ぶ鳥という感じでした。ただ、私はプロームよりもミリツェワのほうに驚きました。

  きれいな形の真横180度開脚ジャンプ、人間はあれほど脚を後ろに高く上げられるのか!?と思わず唸るほどのえびぞりアティチュード、ミリツェワの技術と身体能力の凄まじさにあ然としました。まあ、ちょっと押しつけがましい自己顕示欲がミエミエかな、と思わないでもありませんが、非常に見ごたえがあったことは否めません。

  フロリナ姫の後を追って、プロームの青い鳥が高くジャンプして舞台の袖に消えた瞬間、大音響の拍手とブラボー・コールが場内に鳴り響きました。カーテン・コールでも、ミリツェワとプロームが出てくると、客席はやんややんやの大喝采でした。

  アントン・プロームは仏像(『バヤデルカ』)を踊ったのを観たことがあって、それで覚えていました。ミリツェワも以前に観ているはずですが、特に記憶に残っておらず、こんなにすごいダンサーだとは思いもよりませんでした。先が楽しみですなー。

  客席は超満員で、一緒に観た友人(←今回がバレエ初鑑賞)が「どっから集まってきたの!」と呆れていたほどでした。『眠れる森の美女』はやはり人気演目ですね。

  レニングラード国立歌劇場管弦楽団の演奏もよかったです。最優秀賞は、やはり第二幕の間奏曲でバイオリンのソロを弾いた奏者かと。

  舞台のセットや衣装も豪華できれいでした。衣装のほうは、プロローグと第一幕はトランプの絵柄みたいな時代不明の衣装で、第二幕と第三幕は18世紀のロココ調の衣装でした。バッハやヘンデルみたいなヅラにはちょっと違和感がありました(特に王子はすっごくヘンで気の毒になった)。ペレンちゃんはヅラ姿もかわいかったけど。

  そもそも、『眠れる森の美女』を観に行ったのは、去年からの「食わず嫌い撲滅運動」の一環だったわけです。去年の3月と7月に英国ロイヤルバレエの、11月にシュトゥットガルト・バレエの『眠れる森の美女』を観て、第3弾がこのレニングラード国立バレエの『眠れる森の美女』でした(東京バレエ団のマラーホフ版公演は、リラの精の衣装がヘンだったのでパスした)。

  で、好きになれたかというと・・・うーん、やっぱりちょっと苦手かな。でも以前ほど毛嫌いしなくなったので、またいいカンパニーが上演する機会があるようなら、観に行こうと思います。
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小林紀子バレエ・シアター『眠れる森の美女』

  今年の4月24、25、26日に上演が予定されている、小林紀子バレエ・シアター第93回公演『眠れる森の美女』(ケネス・マクミラン版)ですが、年も明けて、あり、もうチケットが発売されてるんでねが?(←帰省の影響でまだナマっている)と思い、さっそくバレエ団にお電話しました。

  そしたら、まだチケットは発売されておらず、現在のところは今月末の発売開始を予定しているそうです。正式な公演チラシも作成中で、まだ配布は始まっていない、とのこと。

  キャストの詳細についてもまだ確言はできないそうです。ただ、オーロラ役は島添亮子さんでほぼ間違いない(というかそれが当然か)ようです。王子役は、当初はデヴィッド・ホールバーグ(アメリカン・バレエ・シアター プリンシパル)を予定していたものの、ロバート・テューズリーに変更になったそうです。

  オーロラと王子以外の主要キャスト、たとえばリラの精、カラボス、青い鳥とフローリン姫などに至っては、今のところはまだ確定していないそうで、じゃあ、今月末にまたお電話させて頂きますね~、と言って受話器を置きました。

  ケネス・マクミランが『眠れる森の美女』に手を付けていた、というのは返す返すも驚きです。ドロドロなリアル人間劇の『眠れる森の美女』だったりして(笑)。

  ステイジングとリハーサル・ディレクターはジュリー・リンコン、監修はデボラ・マクミラン、衣装デザインはニコラス・ジョージアディス、装置デザインはピーター・ファーマーということで、舞台の雰囲気はなんとなく想像できるような気がします。

  衣装と装置はイングリッシュ・ナショナル・バレエの提供だとあります。てことは、イングリッシュ・ナショナル・バレエは、マクミラン版『眠れる森の美女』をレパートリーとしている、ということなのでしょうか?
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花びら餅

  去年、NHKの大河ドラマ『篤姫』をずっと観ていて、およそ20年ぶりに幕末がマイ・ブームとなり、その勢いで有吉佐和子の『和宮様御留』(講談社文庫)を読み返してみました。

  『和宮様御留』はいわゆる「和宮替え玉説」を小説化した作品です。

  久しぶりに『和宮様御留』を読んでみて、こういってはなんですが、大河ドラマ『篤姫』の原作である宮尾登美子の『天璋院篤姫』とのあまりな格の違いに驚きました。もちろん『天璋院篤姫』も面白かったですが、『和宮様御留』はただ単に「時代小説」と呼ぶには惜しい作品で、その作者である有吉佐和子は、まさに司馬遼太郎に匹敵する作家だと思います。

  その『和宮様御留』の中に、和宮の替え玉にされるフキという少女が「花びら餅」を食べるシーンがあります。捨て子であり、和宮の替え玉になるまで下女として生きてきたフキは「花びら餅」をはじめて口にし、そのあまりな美味に驚嘆します。その「花びら餅」の描写がすばらしく、読んでいて「これは確かにうまそうだな」と思わずヨダレが出そうになりました。

  私はその「花びら餅」を食べたことがなく、見たこともありません。という以前に、「花びら餅」というものが存在することすら知りませんでした。だから、「花びら餅」とは京都にしかないものだと思っていたわけです。

  ところが、このまえのお正月に帰省したとき、母親と一緒にスーパーに買い物に行きました。スーパー内を一巡してレジに行こうとした途中の和菓子コーナーに、『和宮様御留』に書かれていた「花びら餅」の形状とバッチリ同じなものが並んでいました。つまり、白い平べったい丸餅で紅の三角餅、味噌餡、ごぼうを挟んだものです。

  見るなり、京都にしかないはずのものがなんで秋田にあるのかは知らないが、とにかくこれこそ憧れの「花びら餅」に違いない、と直感し、一箱(4個入り)をつかんで買い物カゴに放り込みました。

  家に帰ってラベルを見ると、小さい字で「花びら餅」とプリントしてあります。製造元は青森県八戸市の和菓子会社でした。さすがは旧南部藩の城下町です。雅ですな。

  ちなみに、母親も「花びら餅」は知らない、と言ってました。食してみると、確かに『和宮様御留』に書いてあったとおり、ごぼうは甘く煮たもので、餡は味噌餡でした。あまじょっぱい風味がなんともいえず、スーパーで売ってた安物とはいえ、予想どおりおいしかったです。

  東京に戻った直後、ふと「ネット通販で買えねえべか(←帰省の影響でナマっている)」と思い立ち、即探してみたら、やはり通販で「花びら餅」を販売している和菓子店はけっこうありました。

  ところが、「花びら餅」は正月限定商品らしく、ほとんどのところがすでに「販売終了」でした。三が日までしか販売しないんだべか?と思いつつ、なおも販売しているところを探したら、東京の和菓子店でまだ「花びら餅」を販売しているところがありました。京都の店じゃないけど、まあ買えるんならこの際どうでもいいです。実家用と自分用に申し込みました。

  それが昨日届きまして(10個入り)、一気に4個も食べてしまいました。賞味期限は3日間だそうですが、それにしてはなんだかやたらと日持ちがしそうな質感です。味は期待ほどではなかったですが、やはりあのあまじょっぱい風味は病みつきになりますね。

  まあ私はまだ「花びら餅ビギナー」なので、これから研鑽を積んで、来年の正月にまた頑張る(おいしい「花びら餅」を手に入れる)ことにします。最終目標は『和宮様御留』に出てくる「川端道喜」の「花びら餅」を食べることです。
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帰省より戻る

  昨日の5日に東京に戻りました。昨年末に帰省したときは、暴風雪や新幹線のシステムトラブルのせいで、東北地方の新幹線をはじめとする多くの電車が遅延、また運休になりまして、その隙を縫うようにしてなんとか帰りました。

  無事に東京に戻れるだろうか、と心配でしたが、大晦日が近づくと天気が好転し、元旦は時おり日が射す穏やかな一日となりました。それからずっと冬とは思えない良い天気が続きました。昨日の5日も青空が広がり、風もほとんどありませんでした。電車は時間どおりに進み、かくして順調に東京に戻ることができました。

  もっとも、駅まで送ってくれた親は覚悟を決めたように、「これから冬の本番になる」と言ってました。刺すような寒さとなり、空を灰色のぶ厚い雲が覆い、冷たく激しい風が吹き、その風に煽られて雪やあられが容赦なく吹きつける。脳裏に浮かぶようでした。

  全国ニュースにもなりましたが、昨年末に秋田に多くの生産工場を持つ大きな電機企業が、秋田の工場における大規模な非正規雇用労働者の解雇を発表しました。

  これだけでも、秋田県内で数千人規模の失業者が出ることになります。電機企業本体の工場ばかりでなく、その下請け会社や工場も県下には無数にあります。これらの小さな会社や工場ももちろん大きな影響を受けるはずです。ですから、実際には更に多くの失業者が生まれるだろうことは、素人の私でも分かります。

  親は言いました。「このへん(県内)では、ふつうのときでさえ仕事がない。まして世の中がこんなときに、新しい仕事を見つけるというのは・・・。」 親はそう言って黙りました。私も黙ったままでした。

  テレビやインターネットのニュースは、東京の日比谷公園に臨時に設けられた「派遣村」の様子について連日報じ続けました。こうしたマスコミの大々的な報道のおかげと、それによって自らの無為無策の責任を国民に問われるという危機感を持ったせいでしょう、野党各党の議員が派遣村を訪れ、続いて厚生労働省と東京都が微々たる協力(宿舎の提供)を行ないました。

  選挙という面からみれば、秋田というのはいわゆる「保守王国」だと思いますし、実家の親も周囲の雰囲気に引きずられてずっと自民党支持でした。その親でさえ、「派遣村」のニュースを見ながら、「自民党はダメだ。てんで頼りにならない。あの麻生さんはなんだ。仕事をなくして住むところがない人がたくさんいるのに、自分は毎晩高級ホテルのバーでお酒を飲んで」と憎々しげに言ってました。

  私の親戚の中には、非正規雇用労働者の解雇を発表した電機企業の工場、関連会社、下請け会社に勤める人々が多くいます。親戚関係を重んじる親にとって、この不況はまったく他人事ではなく、だからこそ上のようなことを言ったのでしょう。

  秋田の冬の曇り空は、今の不況をそのまま映し出しているようでした。

  東京に向かう新幹線が太平洋側に出て岩手県の盛岡駅に到着したとき、私はなんとなくホッとしました。それは、今回も無事に秋田から抜け出せた、という奇妙な安堵感です。私にとって、帰省はもちろん嬉しいことではあるのですが、同時にどこか怖いことでもあります。

  東京駅に降り立つと、大勢の人々が行きかっています。電車に乗ると、乗客はみな殺気立っており、荷物や肩がぶつかっても、「すみません」の一言もありません。私は「みんな相変わらず殺伐としてるなあ、よしよし」となぜか無性に嬉しくなりました。私は自分の表情を「東京モード」に変えて、「なんとなく不機嫌面」にしました。  
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今年の初夢

  めずらしくはっきりした初夢を見ました。

  気がつくと、中国のどこかの都市のどこかの大学の留学生宿舎の部屋にいる。

  「あれ、なんで私は中国にいるのだろう?どうやって留学することになったのだろう?仕事してるはずなのに?」とふと疑問に思う。

  しかしすぐに、「まあいいか、とにかくここでの生活をしっかり打ち立てなくちゃな」と思い直し、「必要なものはあれ、これ、それ」と数え、外に買い出しに行くことにする。

  必要な品々を心の中でリストアップしながら、「果物を買うならあの屋台がいい、日用雑貨ならあのスーパーがいい、食事はあの店がいい」となぜか知っている。

  そしてあらためて、「ここでの生活を早く確立しなくては」と思う。

  ここで目が覚めました。吉夢か、凶夢か、それともただ単にふつうの夢かは分かりません。
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