遅ればせながら「バレエの神髄」(1)

  7月11日(日)と15日(木)の公演に行きました。今さらという感じもしますが、覚えている限りの感想です~。

  第1部

  「眠れる森の美女」より「ローズ・アダージョ」:ナタリヤ・ドムラチョワ、セルギイ・シドルスキー(←そうか~?)、イーゴリ・ブリチョフ、オレクシイ・コワレンコ、チムール・アスケーロフ(ともにキエフ・バレエ)。

   ドムラチョワはピンクのチュチュ姿でした。踊りそのものは上手に器用にまとめあげたというか、リスクを冒さない代わりに、目立つアラもなかったように思います。

   ただ、ドムラチョワはオーロラ姫になりきっていて、にこやかな笑顔を浮かべて王子の一人一人にほほえみかけ、初々しい魅力に満ちていました。

   また、王子を担当した4人も、それぞれがきちんと演技していました。特に、舞台に登場したとき、客席に向かって順々に挨拶してみせるところでは、表情も仕草もマジで気取ってたので笑えました。

   ガラだからといって手を抜かない、そんな彼らのプロ根性に感じ入りました。

   ドムラチョワと王子は花なしで踊っていましたが、ローズ・アダージョに使う花程度の小道具くらい、持ってきてもよかったんでは?花がないとなんとなく物足りないっす。

  「侍」(振付:ミハイル・ラヴロフスキー、音楽:鼓童):岩田守弘(ボリショイ・バレエ)

   「侍」、副題は「本能寺の変~織田信長の最後~」(←もちろんウソ)。でも、いかにもそんな感じのする作品でしたよ(笑)。

   岩田さんは上半身は裸で、紺色の、あれは何というのかな、お坊さんの作務衣の下衣みたいな、裾を絞ったズボンを穿いていました。それに和扇子を持っていました。たぶん日舞の男踊りに使う扇子だと思います。

   演出が「スシ、フジヤマ、ゲーシャ、テンプラ」的で、扇子を片手に踊っていた岩田さんが、いきなり背中を反らせて手で押さえ、苦しそうに顔をゆがめるところ(←矢で射られたんですな)は、見ているほうもかなりイタかったです。

   岩田さんは、まず扇子さばきが見事でした。絶妙のタイミングで、ざっ!という快い音を響かせながら、すらり、ときれいに開きます。扇子の持ち方も端正でした。あるときは扇子、あるときは刀を表現していて、真っ直ぐに持つ手つきと腕の姿勢がカッコよかったです。

   振付のよしあしはよく分かりませんが、岩田さんの作品への深い入り込みようと、岩田さんの踊りの力強さ、また力のコントロールの完璧さに感嘆しました。物凄い筋力を持っているとお見受けしましたが、それをあからさまには表さない、静かで鋭い、まさに日本刀が白い光を放つような、凄味のある動きでした。

  『海賊』よりパ・ド・トロワ:エレーナ・フィリピエワ(メドーラ)、セルギイ・シドルスキー(コンラッド)、ヴィクトル・イシュク(アリ)。

   キエフ・バレエのスターたちによる競演です。フィリピエワはオリエンタルなデザインの、淡いラベンダー色の薄い生地のドレス姿で、チュチュではなく、裾の広がった形のスカートでした。シドルスキーとイシュクは、いかにもコンラッド、いかにもアリらしい衣装でした。

   フィリピエワはさすがに別格で、表情は優しく、踊りは美しい曲線的な四肢が柔らかにしなり、姿勢もきれいで、余裕があって安定していました。特にヴァリエーションでの音の取り方が絶妙で、踊りとの相乗効果でとても見ごたえがありました。15日の公演では、コーダの32回転に複数の回転を織り込んでいました。

   この日は最終公演でしたが、彼女のコンディションが良かったのでしょうね。きつい気候の中でのツアーだったと思いますが、楽日にこういうパフォーマンスをしてくれて、とても嬉しかったです。複数回転に対してじゃなくて、日本ツアーの最後で、彼女が良いコンディションを保っていられた、ということに対してです。

   シドルスキーは顔は長いけど、堂々たる体躯と態度、ダイナミックだけどノーブル、かつ確かなテクニックの踊りで、海賊の首領という役柄に合っていました。ヴァリエーションでは、やや野生的な振付の踊りを端正に、同時にダイナミックに踊りこなしていて、とても魅力的でした。

   イシュクは以前よりも踊りが丁寧になったように感じました。ただ、やはり若いとこうなっちゃうのか、超絶技巧を見せようとする姿勢が先走ってしまって、逆に踊りが崩れてしまう、というところがありました。

   コーダで、イシュクは最近よく目にする、ジャンプした瞬間に片脚を更に前方に一回転、という技をやりました。この技は流行っているようですが、あのレオニード・サラファーノフ(マリインスキー・バレエ)でさえ上手く決められない技です。きれいに決まったのを見たのは、ダニール・シムキン(アメリカン・バレエ・シアター)がやったやつくらいです。  
   まあでも、この『海賊』のパ・ド・トロワで、会場はすごく盛り上がりました。そんな中で、ついに御大の登場です。


  「阿修羅」(振付:岩田守弘、音楽:藤舎名生):ファルフ・ルジマトフ。

   日本初演(2007年)からたぶん毎年、この「阿修羅」を観ていますが、一つの作品を踊りこんでいって自分のものにするって、こういうことなんだな、と思いました。その過程を数年かけて目にすることができたと同時に、ルジマトフの表現者としての偉大さをあらためて実感しました。

   手を合わせたルジマトフの姿が舞台の奥に浮かび上がった瞬間、思わず阿修羅像が脳裏に浮かびました。舞台の上にいるのは確かに人間なのですが、生々しさがまったく感じられないのです。しかし生命ある感じがしないというわけではなく、しないどころか、確かに「魂」があり、凝縮された気迫とパワーが感じられるのです。

   優れた仏師が作った仏像には魂がこもる、とよくいわれますが、ルジマトフはまさに魂のこもった「阿修羅」でした。「仏像」とかいうとギャグになっちゃうけど、もし阿修羅が生身の人間の形をとって具現するとしたら、まさにこのルジマトフの姿になるのではないか、と思いました。

   ルジマトフは髪を後ろで結び、首と腕に飾りを着け、上半身は裸で、腰で結ばれた布が前に垂れ下がり、裾を絞った下衣を穿いていました。去年はなんとなくこの扮装がしっくりこなかったのですが、今年はまったく違和感を覚えませんでした。

   ルジマトフの踊りもそうで、今となって分かることには、ルジマトフは様々に踊り方を変え、衣装を変えて試行錯誤、つまり踊りこんでいったのでしょう。数年という時間をかけてです。

   今年のルジマトフの阿修羅の踊りは、今まで観てきた「阿修羅」とは別の作品のように思えました。とにかく静謐。「阿修羅」の振付は、踊り方によって激しく、また動的になりますが(実際にそう踊られた年もあった)、今回はとにかく静かでした。でも、無量のパワーを内に秘めた静けさで、ルジマトフの一挙手一投足から目が離せません。口では何も語っていなくても、ルジマトフの指先が、腕の動きが、ゆっくりと片脚を後ろに上げて静止した姿が、何かを語っているのです。ホントに阿修羅が憑依してたんじゃないでしょうか。

   「阿修羅」が終わって舞台が明るくなっても、阿修羅はなかなかルジマトフの中から出て行かなかったようです。3回くらい挨拶に出てきましたが、最後のほうでようやく、ルジマトフは片頬を少し緩めました。

   振付者の岩田守弘さんは、もちろん舞台の横から、ルジマトフの踊る姿を注視していたことでしょう。たぶん、「阿修羅」がこれほどの作品に化けるとは、岩田さんも予想していなかったのではないでしょうか。

   「阿修羅」はもう完成したのではないかと思いますが、来年ももしルジマトフが「阿修羅」を日本で踊るとしたら、そのときにはどう変化しているのでしょうね。もう変化のしようがないと思えるくらい、本当に凄い踊りだったのです。    
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アダ誕だぜ

  いくら超リア忙だからって、これだけはハズせないんだぜ。

  今日、7月22日はアダム・クーパー39回目の誕生日なんだぜ!!!

  おめでとう、アダム。

  私があなたを知ってから8年間、あなたは大人の男性として健やかに成長し、充実した日々を送っているね。社会的責任を果たし、家族への責任を果たし、人間としてこれほどすばらしいことはないよ。

  これからもサラの良き夫、ナオミちゃんとアレクサンダー君の良き父親であって下さい。

  そして、これからも良きパフォーマーであって下さい。

  誕生日、本当におめでとう!心からの祝福を。
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「バレエの神髄」

  今日(11日)の公演に行ってきました。

  美しい容姿と優れた能力を持つダンサーたちによる、プティパ、ワガノワ、フォーキンの作品、そして現代のロシアの振付家たちの作品のパフォーマンスを観て、英国ロイヤル・バレエ団による西側独自に発展したクラシック・バレエを観た後の頭が、妙な言い方ですが、いったん白紙に戻されて、そしてあらためて秩序立てられた感じです。

  ちょっと体調がよくないので、詳細はまた後日に書くつもりですが、今回のルジマトフの「阿修羅」には、まるで新しい別の作品を観るような印象を不思議と覚えました。

  また、「シェエラザード」での、フィリピエワのゾベイダは、今まで観た中でいちばん好きなゾベイダかも。キャラを作っている感じがせず、自然で中庸を得ているというか。

  では後日~

  

  
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