マリインスキーのチケット買いました

  ゴールデン・ウィークに突入しましたね。みなさまいかがお過ごしですか~?

  悩んでいたマリインスキー・バレエのチケットですが、意を決してついに購入しました。結果は、

  ・『白鳥の湖』11月29日(日):テリョーシキナ、サラファーノフ

  ・『眠れる森の美女』12月5日(土):テリョーシキナ、シクリャローフ

  ・「オールスター・ガラ」12月10日(木):ロパートキナ、コルスンツェフ 他

となりました。『イワンと仔馬』はキャスト的、日程的に観られないのであきらめました。

  なんだか今年のマリインスキー・バレエ日本公演は、私にとって「ヴィクトリア・テリョーシキナ強化週間」になりそうです。

  『眠れる森の美女』は、王子役がウラジーミル・シクリャローフということでマジでかな~り悩みました。でも、最後にシクリャローフを観てから2年が経っているので、彼のパートナリング技術もその間に少しは改善されたであろうことを期待しています。

  それに、シクリャローフは見てくれはいいし、ソロで踊る限りはなかなか上手ですしね。(←しいて好意的に考えてみる。ポジティヴ・シンキング)

  「オールスター・ガラ」は、ウリヤーナ・ロパートキナとダニーラ・コルスンツェフが『シェエラザード』を踊る日を選びました。

  ディアナ・ヴィシニョーワやイーゴリ・コルプは、「なにもマリインスキーの公演でなくても、彼らを観られる機会は他にもあるだろうし」と考えちゃって、候補から外れてしまいました。

  「世界バレエフェスティバル」の全幕プロも、マリア・コチュトコワ(サンフランシスコ・バレエ)とダニール・シムキン(アメリカン・バレエ・シアター)が主演する『ドン・キホーテ』を選びました。理由は簡単、コチュトコワもシムキンもまだ観たことないから。ところで、「シムキン」って、面白い名前だよねえ。なにもこんな痒そうな名前にしなくてもなあ。

  タマラ・ロホ、フェデリコ・ボネッリ(以上『白鳥の湖』主演)、アリーナ・コジョカル、ヨハン・コボー(以上『眠れる森の美女』主演)は、前に観たことがあるからやめました。それにコジョカルについては、彼女は本当に出られるのかどうかいまいち不安という理由もあります。

  『シェエラザード』といえば、この7月の「ルジマトフ&レニングラード国立バレエ」でも上演されますね。私は早々にチケットを買いました。今年は『シェエラザード強化年間』にもなりそうです。

  でも、「ルジマトフ&レニングラード国立バレエ」の中でいちばん楽しみなのは、『シェエラザード』じゃなくて「阿修羅」です。上野の国立博物館でやっている「阿修羅展」が6月で終わるのが残念。ルジマトフにぜひ本物の阿修羅像を見てほしかったなあ。

  その「阿修羅展」も早く見に行かないと。平日の日中もかまわず大混雑だということで、いったいどの時間帯なら空いているのでしょうか。でもなにせ仏像界のトップ・スター、阿修羅様ですからね。「止まらないで進んで下さ~い」状態なのも仕方がないのかな。

  そういや思い出した。「ルジマトフ&レニングラード国立バレエ」だけど、なんで西島千博が出るの?チラシ見て仰天しましたよ。
コメント ( 4 ) | Trackback ( 0 )


小林紀子バレエ・シアター『眠れる森の美女』(26日)

  驚いたことに、今日(26日)の公演は完売御礼だったようです。このバレエ団にしては珍しいというか、はっきり言って今までになかったことではないでしょうか。

  会場に入ってみると、観客の中には、小さなお子様方の姿が昨日の公演よりもはるかに高い割合で見受けられました。また、大人の観客たちの多くは知り合い同士だったようで、会場のそこかしこで、互いに手を振ったり挨拶をしたりしていました。

  要は、今日は事実上「身内向け公演」だったのでしょうね。それで一般にはあまりチケットが出回らなかったのだろうと思われます。

  昨今の興行においては、「チケットはなるべく早く売り切る」というのが趨勢であるようです。昨年来の不況が、こんな小さなバレエ団の公演にも影響を及ぼしているのか、と驚きを禁じ得ませんでした。

  身内の中でチケットをさばくのが確実に客席を埋める手段であること、また、系列のバレエ教室に通っている子どもたちが休みである日曜日を、「身内向け公演日」とせざるを得ない事情は理解できます。しかし、だからといって一般客にチケットが回らないという状況はいかがなものか、と個人的には思います。

  今日のオーロラ姫は島添亮子さんでした。アシュトンやマクミラン作品を得意とするダンサー、というイメージがありますが、私は数年前に小林紀子バレエ・シアターが上演した『パキータ』のグラン・パで、ヴァリエーションを踊る島添さんを観たことがあります。そのときの島添さんの踊りから、彼女はプティパも充分にイケる、と踏んでいました。

  ただ、今回、島添さんがオーロラを踊るにあたってハンデとなるのは、テクニックと、そして特にスタミナだろう、とも思いました。

  考えてみたら、『眠れる森の美女』におけるオーロラの踊りは、ハードというレベルを通り越して、もはや拷問に等しいものがあります。だって、登場してすぐの踊りが「ローズ・アダージョ」ってどうよ!?

  島添さんの踊りは思ったとおりすばらしかったです。島添さんの踊りの大きな特徴は、豊かな音楽性に裏打ちされた繊細で優美な動きだと思います。彼女の動きには常に余裕とゆとりがあります。決して急ぎません。動きに充分に「ため」を置き、一つ一つの動きをじっくりと丁寧に、細やかにこなします。

  また、島添さんはあのとおり小柄で華奢です。しかし、舞台上にいると誰よりも可憐で輝いて見えます。

  彼女の小鹿のような細い四肢も愛らしく魅力的です。でも、島添さんのあの小さな身体には、見た目よりもはるかに強靭な筋力があるようです。だから、動きの細部に至るまでを、あれほど完璧にコントロールできるのでしょう。

  今回の役はオーロラ姫ということもあって、あどけない、優しげな雰囲気にあふれていました。表情はあまり変えませんが、作り笑いなどをして「明るく屈託のないお姫さま」を無理に演じようとしないところも好感が持てました。

  スタミナが不安、ということを上に書きましたが、やはり「ローズ・アダージョ」の最後で疲れが出てしまいました。本当に最後の最後でです。それまでは大丈夫だったのです。それなのに、踊り終わったオーロラ姫が、各国の王子たちにお辞儀をする寸前で、足元がグラついてしまいました。あれは本当に惜しかった。

  でも、それ以降は見事に踊りきりました。テクニックやスタミナだけを比べれば、島添さん以上にオーロラを踊れるバレリーナはいくらでもいると思います。でも、島添さんほど指からつま先までを細緻に、丁寧に、優雅に、美しく動かして踊れるバレリーナはそういないでしょう。

  ゲストのロバート・テューズリーがデジレ王子を踊りました。ゲストとしての仕事は充分に果たしたと思います。踊りも端正で技術的にもすばらしかったし、演技もよかったです。昨日の中村誠が「徹底的に真面目でひたむき王子」だとすると、今日のテューズリーは「適度にトボける余裕のあるお人好し王子」でした。表面的な軽さと心の奥底の深さをくるくる変えて垣間見せる演技が見事でした。

  第二幕で、同行の貴族たちと別れて一人きりになった王子が踊る苦悩(?)のソロは、あれはマクミランは独自の振りに変えてありますね。見た目は静かでゆっくりですが、実は難しくて複雑な動き(特に回転→脚技の組み合わせ)がすし詰めになっていました。テューズリーはよくあんな動きができるな、と感心しました。

  高畑きずなさんのリラの精には納得しました。確かに彼女はリラの精のファースト・キャストにふさわしいです。高畑さんの踊りは非常に安定していました。手足が力強くすっきりと長く伸びます。そして、トゥ・シューズの音がまったくしません。

  演技にも優しさとパワーの強い妖精らしい威厳とが漂っていました。第二幕で邪魔をしようとするカラボスの前に立ちふさがるときの、高潔な厳しい表情がよかったです。また、高畑さんはマイムが絶品でした。高畑さんとカラボス役の楠元郁子さんが、マイムでは最もすばらしかったと思います(まあ主にマイムをやるのはこの二人だからということもありますが)。

  ひとつ思ったのが、マクミランはリラの精とカラボスとが対峙するシーンを増やすことで、なんというか、光と影の表裏一体性、みたいなことを強調したかったのかな、と。

  たとえば、第一幕でオーロラが倒れてしまった後、カラボスが逃げ去ったのと同じ場所からリラの精が現れるとか、第二幕では、王子を導いてオーロラを目覚めさせようとするリラの精と、それを阻もうとするカラボスとが、まったく同じポーズで舞台の中央で並び立つなど、リラの精とカラボスを対比させる演出がとかく目立ちました。

  変な話ですけど、マクミラン版のリラの精とカラボスには、思わず『ウィキッド』を連想してしまいましたよ。

  演技という点では、カタラビュット(式典長)役の井口裕之さんには、両日ともに大いに笑わしてもらいました。とりわけ第一幕、編み物をしていた女たちから編み針を取り上げ、それをフロレスタン王と王妃から必死に隠そうとして、ゴマかし笑いをする演技がすごくおかしかったです。

  カタラビュットは女たちをかばって、なんとかその場を取り繕おうとするのですが、王と王妃に問いつめられて、あっさりと「あの女たちが持ってたんですう~」と指さし、あとは知らん顔をするのが笑えました。

  プロローグに登場する妖精6人のお付きの騎士の中では、魔法の庭の精(萱嶋みゆき)の騎士を踊った中尾充宏さんがいちばんよかったと思います。萱嶋みゆきさんと中尾充宏さんは、第三幕で白い猫と長靴を履いた猫の踊りでも組みました。中尾さんのスケベな手つきと、それを焦らして楽しんでいるような、萱嶋さんのコケットな仕草や表情がよかったです。

  青い鳥を踊ったのは八幡顕光さん、フロリナ姫を踊ったのは中村麻弥さんでした。八幡さんは新国立劇場バレエの公演で何回も観ていたので、八幡さんについても何の心配もしていませんでした。八幡さんの踊りは「この人ならこれぐらいはやるだろう」というものでした。衣装とメイクもよかったです。

  中村麻弥さんはとにかくきれいな子でした。首が細くて肌は透けるように白く、淡い青の衣装がよく似合っていました。踊りのほうはまだ将来があるな、という感じでしたが、青い鳥の声に耳を傾ける仕草と表情は、初々しい魅力にあふれていました。

  オーロラ姫とデジレ王子のグラン・パ・ド・ドゥでの島添さんを見て、あらためて感じたのは、小林紀子さんというのはイギリスのバレエの人、特にロイヤル・バレエの系統の人なのだな、ということでした。ロイヤル・バレエ系統のバレリーナには、ポワントで立ったときやアラベスクをしたときの姿勢に共通する特徴(直線的なライン)があるように思います。島添さんの姿勢にもそれと同じものを感じます。

  オーロラ姫のヴァリエーションを踊る島添さんに、「う~ん、マーゴ・フォンテーンみたい」とつい思いました。

  フィリップ・エリスが指揮をした東京ニューフィルハーモニック管弦楽団の演奏もよかったです。

  結局、ケネス・マクミラン版『眠れる森の美女』が他の版とどう違うか、まったく分かりませんでした。でも、見どころの連続でなぜか飽きませんでした。音楽もいいし、踊りもいい。だから、確かに他の版とは何かが違うんでしょうね。

  イングリッシュ・ナショナル・バレエあたりが映像版を出さないかな。

  今日の公演は最終日でしたが、残念ながら、会場はあまり盛り上がりませんでした。公演の出来は昨日より良かったと思うのですが、観客の反応は昨日の公演より静かでした。

  その理由はおそらく、一つには身内という義理で観に来たのであって、『眠れる森の美女』、もしくはバレエに必ずしも興味があるわけではないらしい観客が多かったこと、二つには自身がバレエを習っている、もしくは身内に習わせている観客の多くは、そんなに「バレエ鑑賞」に慣れているわけではないし、バレエ作品そのものを熟知しているとは限らないだろうことだと思われます。

  今日の公演の当日券が売り切れだったということは複数の方からうかがいました。でも、1階には、たとえば同じ列の4~5席が連続してずらっと空席になっている、という箇所がいくつかありました。チケットを手に入れていながら、断りを入れずにドタキャンした方々なのでしょうね。

  招待でもノルマ売りでも、チケットを手にした以上は観に来ること、また観に来られない場合はきちんとキャンセルの連絡を入れること、そういう基本的なルールを、お身内の方々にはぜひお知らせしたほうがいいでしょう。

  難しいところですが、「あらすじ全然知らないんだよね」と話す方々よりは、「マクミラン版『眠れる森の美女』に興味がある」、「○○さんの踊りが観たい」という方々に観て頂いたほうがよかったんじゃないかな、と一観客として思います。
コメント ( 6 ) | Trackback ( 0 )


小林紀子バレエ・シアター『眠れる森の美女』(25日)

  小林紀子バレエ・シアター第93回公演『眠れる森の美女』(ケネス・マクミラン版)を観に行きました。

  会場は新国立劇場の中劇場でした。「やはりこのバレエ団では、大きなホールをいっぱいにするのは難しいからかな?」と観る前は思っていました。でも、今回の公演の舞台装置や衣装が、イングリッシュ・ナショナル・バレエからのレンタルだと知って、別の考えが浮かびました。

  イングリッシュ・ナショナル・バレエは、ロンドン・コロシアムを拠点にしているカンパニーです。私はほんの2週間前にコロシアムに行ったばかりでしたから、新国立劇場中劇場とロンドン・コロシアムとは、舞台の大きさ(特に横幅と奥行き)がほぼ同じであることに気づきました。

  また、イングリッシュ・ナショナル・バレエは、コヴェント・ガーデンのロイヤル・バレエほど大規模な組織ではないようです。となると、出演するダンサーたちの数にともなう、舞台上におけるダンサーたちの配置という点でも、コロシアムに似ている中劇場の舞台は、今回の公演に適していたということなのでしょう。

  公演そのものは、「小林紀子バレエ・シアターなら、まあこんなもんかな」という感じでした。いずれも「想定の範囲内」の出来で、一部を除いて、特に感動したとか失望したとかいうことはありません。

  オーロラ姫を踊った高橋怜子さんは、おそらく今回がオーロラ・デビューだと思います。ですから、最初から大して(というよりまったく)期待していなかったし、実際にそのとおりの踊りでした。

  じゃあなんでこの日の公演を選んだかというと、マクミラン版『眠れる森の美女』なんて珍しいので2回観るつもりだったんだけど、初日である昨日(24日)の公演は、スケジュール的に観ることができなかったからです。だから土日を連続して観ることにしたわけ。

  高橋怜子さんの踊りに話を戻すと、ただでさえオーロラは大変な役で、まして高橋さんは今回がデビューなのだから、振りを追いかけるので精一杯でも、動きがぎこちなくても、踊りの軸やバランスが不安定でも、時に演技過剰になっても、時に演技を忘れ、真顔を通りこして表情がこわばっても、まあ仕方がない、ということです。

  でも、第一幕のローズ・アダージョは、去年に観たアリシア・アマトリアン(シュトゥットガルト・バレエ団)よりも全然マシだったし、その後のオーロラ姫のソロでの回転は音楽にバッチリ合っていたし、第二幕でリラの精が王子に幻影として見せるオーロラ姫の踊りは非常にすばらしかったです。

  デジレ王子は中村誠さんでした。去年の8月、小林紀子バレエ・シアターがヨハン・コボー版『ラ・シルフィード』を上演したとき、中村さんのガーンを観ました。演技も踊りもとてもよかったので、中村さんに関しては不思議と何の心配もしていませんでした。

  が、実際に観てみると、中村さんのデジレ王子はこちらの予想をはるかに上回るすばらしさで、すごく驚いたし感心しました。中村さんが出てきてくれたおかげで、舞台の雰囲気が一気に引き締まりました。

  中村さんは中肉中背だと思いますが、身体の各パーツのバランスが非常に良くて、結果スタイルがとてもいいです。特に肩から肩甲骨にかけてのラインがきれいで、脚の形もすらりとしていて、しかも長いです。

  踊りはしなやかで品があり、テクニックも安定していました。足元が多少ガタガタしても、優雅な挙措と雰囲気のおかげで気になりません。

  中村さんは演技もしっかりしています。『ラ・シルフィード』のガーン役でも、中村さんの演技はすばらしいものでした。今回のデジレ王子役でも、中村さんは踊りながら、サポートしながら、マイムしながら、ちゃんと王子らしい演技をしていました。お顔立ちはどちらかというと普通だと思いますが、表情や立ち居振る舞いが凛としていて気品があります。

  特に、王子がリラの精と出会い、彼女に導かれてオーロラ姫の幻影と踊り、オーロラ姫に魅了されていく様子、また眠っているオーロラ姫を目の前にして戸惑い、やがてオーロラ姫を目覚めさせる策を思いつく様子などは、とても生き生きとしていました。

  最も驚いたのが、中村さんのパートナリングのすばらしさです。特に「ろくろ回し」がすごかったです。超速で、しかもいつまで回るの~?と驚きました。軸の不安定な高橋さんをしっかりサポートし、また彼は力持ちらしく、高橋さんを軽々と持ち上げてまったくグラつきません。

  素人目にはっきり分かったのが、彼は常に相手に注意を払ってパートナリングをしていることでした。第三幕のグラン・パ・ド・ドゥで、王子が回転したオーロラ姫を即座に逆さまに抱えてポーズをとる振りが3回あります。その途中で、高橋さんが床に手を着いてしまいました。

  その瞬間、中村さんは一瞬真顔になり、高橋さんの様子を確かめるようにのぞきこんでいました。これはパートナリングの失敗に入るのでしょうけど、私は逆に感心しました。

  中村誠さんは、これからますます成長が楽しみなダンサーだと思います。

  ただ、中村さんと高橋さんのキャリアの差というものが大きすぎて、中村さんが高橋さんをリードし、高橋さんは「お嬢さん芸」レベルのぎこちないバレエで、プロの中村さんに頼りっぱなしという印象がありました。ペアで組む以上、双方が対等な立場と技量で踊るべきで、どちらかがどちらかに依存するという踊りは、個人的には良いものとは思えません。

  私はマリインスキー・バレエの『眠れる森の美女』をどの組で観ようか、とまだ悩んでいます。今回、高橋怜子さんの踊りだけを観ているうちは「ヴィクトーリア・テリョーシキナの日にしよう。ウラジーミル・シクリャローフは気にしなければいい」と思いましたが、中村誠さんが出てきたら「やはり王子役は重要だ。シクリャローフのせいで後味がわるくなったらヤだな」と考え直しました。

  とすると、ディアナ・ヴィシニョーワとイーゴリ・コルプの日が最も無難、というより「当たり」でしょう。でもこの日はたぶん一番人気ですよね。どうしようかな~。

  リラの精を踊った大森結城さんは、その長身を生かして、威厳と気品にあふれた演技と踊りを見せてくれました。このマクミラン版では、リラの精とカラボスとが直接対峙するシーンが多いです。カラボス役の楠元郁子さんの演技は非常に強烈で印象深いものだったので、リラの精とカラボスの対決シーンは見応えがありました。

  楠元郁子さんのカラボスは、髪型とドレスがエリザベスI世の肖像画そっくりで笑えます(実際に黒いエリザベス・カラーを着けている)。デーモン小暮みたいな白塗りド派手メイクが強烈で、それに加えて楠元さんの演技が凄い凄い!これほど憎々しいババアがいるかと思うほどよかったです。個人的には、今日の公演の最優秀賞です。

  それに比べて、フロレスタン王役の本多実男さんはダメダメでした。まるでそのへんのおっさん。国王たる威厳がカケラもない。フロレスタン王は王座に座ってるだけの、単なる「置き物」じゃないのに。それとも、英国ロイヤル・バレエのギャリー・エイヴィスやウィル・タケットほど高レベルなフロレスタン王を求めるのが、そもそも無理な話なのかなあ。

  第三幕のディヴェルティスマンは簡素化されていて、更に個々のディヴェルティスマンに、単純ながらもちゃんとストーリーが存在しているところが「マクミラン的」なのでしょうか?観ていて飽きなかったです。特に、赤ずきんと狼の踊り(難波美保、冨川直樹)は、はじめて面白いと思いました。難波さんと冨川さんの演技が笑えました。

  冒頭の宝石の踊りは最も見ごたえがありました。私の好きな大和雅美さんがダイヤモンドを踊ったから、というせいもあるのですが。大和さんは、相変わらず腕の動きがしなやかで、ステップは端正できっちりしていました。ゴールドを踊った横関雄一郎さんも、見てくれと跳躍だけはすばらしかったです。

  宝石の踊りは全体として出来がよかったです。特にコーダ(というのか?)は5人のダンサーの動きがきびきびしていて、5人の踊りがバッチリ揃って終わりました。気持ちよかったです。

  『眠れる森の美女』にはマイムがたくさんあります。最近観たいくつかの版では、これらのマイムがだいぶ削除されていましたが、マクミラン版はやはり古き良きイギリス・バレエの伝統を継いでいるのか、マイムは(たぶん)すべて残しています。私は『眠れる森の美女』のマイムが好きなので、これらのマイムも楽しみました。

  にしては、ダンサーたちのマイムは総じてあんまり上手ではありませんでした。ちゃんと徹底的に指導してほしいなあ、と思いました。

  明日のオーロラ姫は島添亮子さん、デジレ王子はロバート・テューズリー、リラの精は高畑きずなさんです。楽しみ~♪
コメント ( 4 ) | Trackback ( 0 )


二つの会話

(ロンドン図書館の書庫内。床は鉄柵で隙間から下の階が見える。かなりコワイ)

  その一。この週末、心理カウンセラーの仕事をしている友人に会って、ロンドン旅行の話をした。私は去年の3月、アダム・クーパーが出演した『ゾロ』を観た後、彼に面と向かってきつい感想を言ってしまった。帰国してから、私はこの友人にそれを相談したことがある。

  ラッセル・マリファントの公演のことを話していて、私はこう言った。「その振付家(マリファント)の振付は、見た目はとてもゆっくりで静かなんだけど、本当はすごくパワフルで、すごい筋力と、すごいバランス・キープの能力が要るんだよ。」

  この友人はバレエはもちろん、ダンスのことはまったく知らない。しかし、私の説明を聞いて、驚嘆したように言った。

  「その人(マリファント)は、すごく真面目な人なんだねえ!」

  「なんでそう思うの?」と私は聞いたが、友人はニコニコ笑うばかりだった。

  私はこの友人を「仕事のできるヤツ」だろうと感じている。しかし、なんでマリファントの振付についての簡単な説明を聞いただけで、マリファントの性格を即座に言い当てることができるのか、「ナントカ心理士」の考えることはよく分からない。

  その二。ある人と久しぶりに話した。私「私はロンドンでアダムに『彼らはまだあきらめてない。私もあきらめてない』って言ったんですよ。」 その人は大きな声で言った。「ええ、私たちはあきらめてませんよ!アダムを待っている人たちがたくさんいるんですから!」 この言葉を聞いて、とても嬉しかった。

  私の思っている以上に、日本にはアダム・クーパーの来日を待ちわびている人々、そしてアダム・クーパーの味方をしようという人々がいることを知った。心強い思いになった。 
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


写真載せました

(←私は失敗写真だと思ったが、クーパー氏はこれが気に入った模様)

  平日はなかなか時間がとれなくてできませんでしたが、さっきようやく“Two:Four:Ten”のプログラムに掲載されている、ラッセル・マリファントとアダム・クーパーの写真、そして終演後のクーパー君の写真をアップしました。

  ロンドン滞在時の日記にそれぞれ載せています。

  プログラムの写真は、なかなかそそられる写真でそ?

  デマチでの「森の小人さん」風クーパー君も超キュートっす。

  ちなみにデマチでの会話。

  私「写真を撮ってもいいですか?」
  クーパー「もちろんいいよ~。」
  私「それを私のサイトに載せてもいいですか?」
  クーパー「写りが良ければね!はっはっはっは!」
  
  (写真を3枚撮る。チェックしてもらう。)

  1枚目:クーパー「う~ん、まあまあかな。」(←前の記事に載せた写真)
  2枚目:クーパー「お、これがいいね。」(←この記事の写真)
  3枚目:クーパー「これはヘンだなあ。」(←この写真はボツ)

  しかしほんとに、オンとオフではまったくの別人ですな。この兄ちゃんは。 
コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )


マリインスキー・バレエ日本公演2009

  ジャパン・アーツから公演チラシが送られてきました。公演日程と主要キャストは:

  『白鳥の湖』
         11月22日(アリーナ・ソーモワ / ウラジーミル・シクリャローフ)※横浜公演
         11月23日(エカテリーナ・コンダウーロワ / ダニーラ・コルスンツェフ)※横浜公演
         11月27日(ウリヤーナ・ロパートキナ / ダニーラ・コルスンツェフ)
         11月29日(ヴィクトリア・テリョーシキナ / レオニード・サラファーノフ)
         11月30日(ディアナ・ヴィシニョーワ / イーゴリ・コールプ)
         12月1日(ウリヤーナ・ロパートキナ / エフゲニー・イワンチェンコ)

  『眠れる森の美女』
         12月3日(ディアナ・ヴィシニョーワ / イーゴリ・コールプ)
         12月4日(アリーナ・ソーモワ / レオニード・サラファーノフ)
         12月5日(ヴィクトリア・テリョーシキナ/ウラジーミル・シクリャローフ)

  『イワンと仔馬』(ラトマンスキー版)
         12月8日(アリーナ・ソーモワ / レオニード・サラファーノフ)
         12月9日(ヴィクトリア・テリョーシキナ / ミハイル・ロブーヒン)

  「オールスター・ガラ」
         12月10日(『シェエラザード』:ロパートキナ、コルスンツェフ;パ・ド・ドゥ集、『海賊』組曲:ヴィシニョーワ、テリョーシキナ、ソーモワ、オブラスツォーワ、コールプ、イワンチェンコ、サラファーノフ、シクリャローフ 他)
         12月11日(『シェエラザード』:ヴィシニョーワ、コールプ;パ・ド・ドゥ集、『海賊』組曲:ロパートキナ、テリョーシキナ、ソーモワ、オブラスツォーワ、コルスンツェフ、イワンチェンコ、サラファーノフ、シクリャローフ 他)

  演奏は『イワンと仔馬』(12月8、9日)のみマリインスキー歌劇場管弦楽団、他はすべて東京ニューシティ管弦楽団です。また、指揮は12月8日のみワレリー・ゲルギエフ、他はすべてミハイル・アグレストです。

  さて、正直なところ、この日程とキャストには困りました。

  まず『白鳥の湖』は、今回はテリョーシキナのを観ようと最初から決めていたのですが、公演日は日曜日。お客が混み合いそうです。

  また困るのが『眠れる森の美女』。コールプには文句はありません。でも、私はヴィシニョーワがあまり好きではないのです。私の誤解かもしれませんが、彼女にはなんとなく功を焦っている感じがあって、あまり好感を持てないのです。

  アリーナ・ソーモワは論外。ついでにいえば、私はサラファーノフもあまり好きではない(←若さが先走ったちょっとゴーマンな雰囲気がイヤ)ので、この日は絶対に観ません。

  となると、消去法でテリョーシキナとシクリャーロフの日しかないわけですが、テリョーシキナはともかく、シクリャーロフか~。彼は、パートナリングのほうは大丈夫になったのでしょうか?

  そんなわけで、『眠れる森の美女』はまだ考え中です。

  『イワンと仔馬』は、やっぱりソーモワは論外。ゲルギエフはバレエでなくても、コンサートかオペラで観れば(聴けば)よろしい。でもテリョーシキナとロブーヒンの日は、仕事が遅くなるので絶対に観られません。

  残念ながら、『イワンと仔馬』はあきらめざるを得ないようです。

  唯一「どっちでもいいかな~」という余裕があるのが「オールスター・ガラ」です。『シェエラザード』はまさかぜんぶ上演するのか?ロパートキナとヴィシニョーワの王妃、どっちがいいか・・・。

  金の奴隷は、コルスンツェフよりはコールプのほうが似合いそうだし、一癖も二癖もありそうだから、ここは女子よりも男子で選んで、コールプの日にするべきかしらん。

  もっとも、私の好みにはかなり偏見がまざっているし、最後に観てから数年が経つダンサーがほとんどなので、「○○(←ダンサーの名前)はいいよ~ん」というおすすめがあったら、ぜひ教えて下さい。  
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


Two:Four:Ten フォト・ギャラリー

  月曜日の朝に帰国しました。帰りは機内放映の映画を観てばかりで一睡もしませんでした。

  「ミラーズ」、「チェインジリング」、「ベンジャミン・バトン」を観ました。

  「ミラーズ」はホラー映画だったはずなのに、最後はアクション映画になってしまったので大笑いでした。どうしてアメリカ人っていうのは、怪異現象に具体的な理由とか説明とかをつけたがるんでしょうね。怖いなら怖いだけで別にいいじゃん。

  「チェインジリング」は、戦前のアメリカの警察は、あれほど野蛮で粗暴でひどい組織だったのか、とびっくりしました(あと当時の精神病院も。あれはひどすぎる!)。戦前の日本の警察と変わりありませんね。結末には溜飲が下がりましたが、ウォルターが結局どうなったのか分からないのが不満です(ノンフィクションだから仕方ないんでしょうけれどね)。

  「ベンジャミン・バトン」は、重箱の隅をつつこうと思えばいくらでもつつける設定でした。でも物語は素直に面白かったし、とても感動しました。ブラッド・ピットは、いつあたりのベンジャミンから演じたんでしょう。特殊メイクがすごくて分からなかったです。ケイト・ブランシェットは美しい女優さんですね。彼女はバレエができる人なんでしょうか?グラン・フェッテをしていたのは本人だったような?  

  ところで、BruceさんのBallet.coにTwo:Four:Tenのギャラリー・ページがあります( こちら )。

  ラッセル・マリファントとアダム・クーパーの踊る“Critical Mass”の写真がたくさん掲載されています。

  個人的に不満なのは、見どころだったポーズや動きに限って撮影されてないんですよね。第2部の写真ばかりで、見せ場の多かった第1部と第3部の写真がほとんどありません。撮影技術的に難しいのかな?でも、どんな感じの振付なのか、大体の雰囲気は伝わってくると思います。

  マリファントと揃って「マルガリータ」なクーパー君をご覧下さいね~。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


きゃー!!!×きゃー!!!

(←どうしたらこんなポーズで静止することが可能なのか!?)

  でも、そんな心配は無用でした。「Two×Two」は確かにすばらしいですが、「Critical Mass」は作品と踊り手の規模が段違いに大きいので、比べる気など起きず、まったくの別物として見ることになるのです。

  ラッセル・マリファントとアダム・クーパーが、「Critical Mass」を舞台上で踊るのは、昨夜で4回目になります。3回目までは、カーテン・コールでのマリファントとクーパーの間に漂っていた他人行儀さと同様、その踊りも、双方が自分のキャリアと能力に物を言わせて、そつなくプロフェッショナルに仕事をこなしていたといった感がありました。

  しかし、昨夜の二人の踊りには、パートナーシップというものがありました。踊っている間、彼らは相手を待っていませんでした。それぞれがそれぞれの動きを踊るだけです。だけど、その動きがバッチリ合っている。これはお互いに対する信頼感がないとできないことだと思います。

  アダム・クーパーに関していえば、動きが今までにも増してキレよく、また美しかったです。ラッセル・マリファントも同様でした。お互いが自分の踊りを自分の能力を存分に出しきって踊っていました。

  だからすごく動きが速く、鋭く、きれいでした。目にも止まらぬ速さと、あとは物凄い緊張感と迫力とで、今回もやっぱりオペラ・グラスを使う余裕はありませんでした。

  ラッセル・マリファントとアダム・クーパーは、それぞれがダンサーとして、正面からぶつかりあって踊っているという感じがしました。これはもう相手を信頼しきって、心を全開にしている、まったく遠慮していない、という雰囲気が伝わってきました。

  最後のほうでは、マリファントもクーパーも息遣いの荒さを隠そうとしませんでした。でも、無表情は変わらないし、踊りのパワーは少しも落ちないし、動きは完璧にコントロールされています。

  ライトが消えて「Critical Mass」が終わると、まだ効果音が続いているのに、観客はいっせいに拍手を始めました。マリファントとクーパーが挨拶に出てくると、今までで最も大きい拍手とブラボー・コールと歓声が飛びました。他の観客も私と同じように思ったのであろうことが分かります。

  マリファントとクーパーも、今までにはないほどにこやかな笑いを浮かべながら互いを見てうなずき、最初は客席に向かって、次にお互いに向かって、深々とお辞儀をしました。そして、互いの肩に腕を回してがっちりと組んで、客席を力強い目つきで見つめていました。

  私が思うに、今回の公演にアダム・クーパーを出演させることは、マリファントの意思ではなかったと思うのです。おそらく、サドラーズ・ウェルズ側から要請されたのではないでしょうか。だから、マリファントにとってアダム・クーパーは、最初は「お客様」だった。

  でも、昨夜のパフォーマンスで、ラッセル・マリファントとアダム・クーパーは、やっと「ともに踊る仲間」として打ち解けたと思うのです。それが伝わってきたことが何よりも嬉しかったです。
コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )


きゃー!!!

(公演が行なわれたLondon Coliseum)

  まず、昨日(10日)の公演は実にすばらしかったです!昨夜は興奮してなかなか気持ちが鎮まりませんでした。

  初日の時点ではまだぎこちなさが見られた、Ivan PutrovとDaniel Proiettoによる「Knot」は、見違えるようにすばらしくなりました。初日ではProiettoが緊張のためかミスを犯し、またIvan Putrovは振付を自分のものにできていないことが明らかでした。

  「Knot」の振付は「Critical Mass」と感じが似ています。男性2人による踊りという点も同じです。Proiettoはラッセル・マリファント・カンパニーのメンバーなので、マリファントの振付には慣れているのでしょう。2日目からはすばらしい動きを見せました。

  一方、Ivan Putrovは、ひどい言い方ですが、Proiettoの足を引っ張っていました。彼の動きは振付をただなぞっているだけでした。なめらかさがほとんど見られません。クラシック・バレエという「武器」を奪われたバレエ・ダンサーが、新しい振付を踊ることが、どんなに大変なことなのかがよく分かりました。

  また、初日から3日目くらいまで、ProiettoとPutrovが組んで踊るとき、二人のタイミングはあまり合っていませんでした。「Critical Mass」で、ラッセル・マリファントとアダム・クーパーが組んで踊っているのを見るときに感じる、爽快感や気持ちよさを感じないのです。

  でも、昨日の「Knot」は本当にすばらしかったです。静かで鋭くて流れるように美しかったです。Proiettoは磐石の安定した動きで踊り、Putrovの動きも初日とはまるで別人のように自然になりました。二人のタイミングもバッチリでした。見ていて気持ちよかったです。

  「Knot」が終わると、客席からはじめてブラボー・コールが飛びました。初日からずっと硬い表情だったPutrovも、Proiettoと顔を見合わせて、はじめて嬉しそうに歯を見せて笑いました。ダンサーが新しい踊りを自分のものにしていく過程を見られたのは興味深かったし、あんなにぎこちなかったPutrovが、マリファントの振付をついに見事に自分のものにしてみせたのには舌を巻きました。

  私がまだ「うーん」と思うのは、Agnes OaksとThomas Edurが踊る「Sheer」です。振付は「Knot」に似ていますが、派手な動きはほとんどありません。恋人同士の踊りという設定らしく、互いへの感情が複雑に交錯する様を、けだるい静かな動きで表現しています。男性ダンサーと女性ダンサーが並んで同じ振りで踊る動きも多いですが、男性ダンサーが女性ダンサーをリフトする動きのほうが、やはりどうしても多めになります。

  Edurは比較的よく踊りこなしていると思います。一方、Oaksはバレリーナらしく丁寧に、柔らかく踊っているものの、マリファントの作品に共通している、力を完全に制御しながら一つ一つの動きを硬質な「静」にして、それを連続させてなめらかな「動」にする、というところが、彼女の踊りにはまだないように思えます。

  もっとも、これも今日の公演でどう化けるか分からないので、今日の公演を楽しみに待とうと思います。

  「Two×Two」には何の文句もありません。毎回いつも楽しみです。この作品はラッセル・マリファント・カンパニーのメンバーで、マリファントの妻でもあるDana Fourasと、「Knot」を踊ったDaniel Proiettoが踊ります。舞台左奥の台の上にはFourasが、舞台右前の床にはProiettoがそれぞれ立って踊ります。

  振付は全体的に太極拳をベースにしていると思います。真っ暗な舞台に当てられた2つのスポット・ライトの下で、FourasとProiettは非常にゆっくりな動きで、立ったまま体をねじり、折りたたみ、両腕を太極拳のように大きく緩慢に動かします。

  FourasとProiettは同じ振りを同時に、また時間差で踊ります。一緒に組んで踊ることはありません。「Two」は1人、2人、3人ヴァージョンとあるそうです。それぞれが別個に踊るので、こういうヴァリエーションが可能なんでしょうね。

  太極拳のようにゆっくり動いているFourasとProiettの手足が、徐々に鋭く速く動いていきます。腕も脚もピンと伸ばして旋回させるのが特徴です。この速い動きも中国武術を連想させます。

  この段階になると、照明はただFourasとProiettの両腕と両足のみに当てられているだけです。この状態で腕や脚を回転させると、視覚的に非常に面白い効果が生まれます。

  腕と足先の旋回の形が、白い光の帯をともなった残像となって見えるのです。肉眼でです。闇に松明の灯りが光の影を帯びて動くのを見るようにです。FourasとProiettは腕と脚を絶え間なく鋭く旋回させ続けます。効果音の中、丸い光の線が闇の舞台の上で現れては消えていきます。それが最高潮に達したとき、効果音が消えてライトが落とされます。うーん、カッコいい!

  この「Two×Two」が終わると、会場はいつも大盛り上がりです。この後は休憩時間ですが、私としては、クーパー君の踊る「Critical Mass」がこの盛り上がりに呑まれてしまったらどうしよう、と初日は心配しました。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


「Critical Mass」(2)

(終演後のアダム・クーパー。まるで森の小人さん)  

  今日、4月10日はグッド・フライデーで休日です。なんでかというと、今度の日曜日(12日)がイースター(復活祭)だからです。13日の月曜日もイースター・マンデーで休日となり、イギリスは今日から4日間の連休に入ります。

  しまったよ。そんなこと全然知らなかった。主たる観光地は、よほどメジャーなところでない限り、ほとんどが休みのはずです。夜までどうやって時間をつぶそうか・・・公園か教会かな。

  ちなみに、イースター・ホリデイの日程がよく分からなかったので、泊まっているB&Bの受付の兄ちゃんたちに聞いたら、兄ちゃんたち、互いに顔を見合わせて、「たぶん日曜日がイースターだよ。金曜日がバンク・ホリデイで、月曜日もそうだと思う。俺たち、クリスチャンじゃないからよく分かんないだよね」と、ちょっと強い口調で言われました。

  すわ、祝祭日といえど、宗教に関する質問はタブーなのか、と思い、「私もクリスチャンじゃないから分かんないんですう」とあわてて言い訳して、「じゃ、おやすみなさい!」と言って逃げるように去りました。

  昨日書いた「Critical Mass」(1)ですが、特に第2部を書き足したので、よかったら最後のほうをまたご覧下さい。

  照明が再び消えると、やがて舞台の左前方にアダム・クーパーの後ろ姿が白いライトの中で浮かび上がります。クーパーは両手を組んで頭上に上げています。第3部がこれから始まるようです。

  やはりほぼ無音の中で、クーパーのソロが始まります。クーパーは組んだ両手の輪を空中でゆっくりと動かし、身をよじるように体を複雑に動かします。組んだ両手は縛られているかのようであり、クーパーはやや苦しげな表情をして、なんとか自由になろうともがいているかのような振りで踊ります。

  そして、両手を離すと、今度は両腕をピンと伸ばし、鋭く、しかしなめらかに回転させます。クーパー君の長い腕の本領発揮です。彼の両腕は、闇の中に白い円型の光の残像を描きながら旋回します。肉眼で見ても、無数の光の線からなる円い残像がはっきり見えるのです。

  これは「Two×Two」でも見られた振りですが、暗い照明とダンサーの動きの巧みさとが、うまく融合して醸し出される効果だと思います。

  クーパーが踊っているうちに、舞台の右奥にラッセル・マリファントが立っているのが見えてきます。踊り終えたクーパーはその場に座り込みます。マリファントも同じように座り込みます。彼らは同じ方向を見つめ、それからゆっくりと立ち上がります。

  マリファントとクーパーはやがて顔を上げると、歩いては座り込み、また歩いては座り込みして、互いに歩み寄ります。そして再び組んで踊り始めます。

  音楽ではなく、低い効果音と重いパーカッションの音だけが響いています。マリファントとクーパーは床の上を這いずり、またのたうち回るかのような動きで舞台じゅうを移動して踊ります。

  第3部の踊りは基本「床に寝そべって」のようです。マリファントとクーパーは床の上に横たわりながら、そのまま身体をぐるぐると回転させて、腕の力だけで身体を持ち上げ、逆立ち状態で相手の身体の上を横断したり、互いに動きながら身体を組み合わせていきます。

  ほとんど寝そべったままで、マリファントとクーパーの身体はすばやく動き回り、動きながら身体を組み合わせていく、その一瞬一瞬が絶妙なポーズになっています。これも二人のタイミングが合わないと成り立たない振りです。

  パーカッションの重い音がリズミカルに響きわたります。第2部と似たようなダイナミックなリフトが再び何度も繰り返されます。マリファントにリフトされた瞬間に開脚するアダム・クーパーのポーズが実に美しいです。こころもち身をよじらせながら、頤をのけぞらせます。不謹慎かもしれませんが、なんとなくエロティックでうっとりしてしまいます。

  また、クーパーが側転しながら、かがんだマリファントの背中の上を横断する動きと姿勢がきれいでした。

  クーパーもまるで女性ダンサーに対するように、マリファントを軽々と高く持ち上げます。力持ちだろうとは思ってたけど、背丈が少し違うだけで、体格はさほど変わらない男性をここまでリフトできることに驚きました。しかももう20分以上が経過しているのに、その間ずっと踊りっぱなしなのに、パワーがほとんど落ちない。

  こうして35分もの間、マリファントとクーパーはくんづほぐれつで絡みっぱなしなのですが、実に健康的で性的な雰囲気はまったく感じません。ただ、踊りに大人の男の色気のようなものが漂っています。健全なセクシーさです。

  クラシック・バレエの振りがいくつかありました。片脚を斜め横に伸ばして回転する、ジャンプして半回転する、片脚を真横より上にふり上げる、またアラベスクなどです。アダム・クーパーの動きはどれもきれいでした。もちろん、彼よりテクニック的に優れているダンサーは星の数ほどいるでしょうが、クーパーの動きには、彼特有の端正さと優雅さとがあります。

  第1部と同じ効果音とパーカッションの重い音が再び流れます。マリファントとクーパーは舞台の中央に立つと、加速するパーカッションの音の中で、第1部で踊った一連の振りをまた繰り返します。やがてパーカッションの音が徐々に低くなっていきます。舞台の真ん中だけにライトが当てられ、マリファントとクーパーはその中に並んで立つと、やがて無表情のまま互いに背を向けて闇の中に去っていきます。

  「Critical Mass」は大体このような作品です。ですが、まだ記憶違いや書き落としがたくさんあると思うので、明日にでもまた書き足すかもしれません。

  カーテン・コールでのマリファントとクーパーは、初日は二人の間にまだ距離があるような感じでした。でも、回を重ねるごとに近しくなっていくようで、昨日の公演のカーテン・コールでは、互いに肩を組んでニコニコと笑いあっていました。安心しました。

  この公演には日本からたくさんのファンの方々がいらしています。終演後、ファンの方々の末尾に勝手に紛れ込ませてもらって、アダム・クーパーのデマチをすることができました。

  今のクーパー君は丸坊主に近い短い髪型です。なぜそんなに短く切ったのか、と聞いたら(←くだらないことを聞いてすみません)、「(手入れが)簡単だから」だそうです。また「時々、髪を短く切りたくなる衝動に駆られることがある」んだそうで、更に「ラッセルが丸坊主だから、僕も丸坊主のほうがちょうどいい」とも。そーだったんかい。

  マリファントの振付とクラシック・バレエの振付との違いについて聞いたら、やはり「ラッセルの振付にはバレエだけでなく、ヨガ、太極拳、○○(←聞き取れず)が融合している」ことを挙げていました。マリファントの振付の踊り方は、バレエの踊り方と具体的にどう違うのかも聞きました。そしたら、「バレエでは一つの動きをする場合、身体の各部の動き方が決まっているけど、ラッセルの振付ではそうではない」と言ってました。

  私が「マリファントさんの振付は静かだけど、実はとてもパワフルだと思う」と言ったら、アダム・クーパーは「そのとおり」と言い、「それはラッセルの人柄そのままで、彼は物静かで内気だけど、本当はとても強靭な人だ」ということでした。

  最後に、なるべく早く日本で会えたらいいですね、と互いに言いました。クーパー君はだいぶん痩せてシャープになった感じでした。顔がいよいよ小さく細長くなっていました。非常に上機嫌で明るく、公私ともに、また心身ともに充実していることがうかがえました。
コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )


「Critical Mass」(1)

(←顔を作れば、アダム・クーパーはこんなにカッコいいのに・・・)

  ラッセル・マリファントの公演が行われているロンドン・コロシアムは、よい意味で古風で豪華な内装の劇場なのですが、オーケストラ・ピットが大きく場所を取っているために、舞台と客席の距離を感じます。前列に座っていても、ダンサーの姿が小さく見えるのです。

  しかも、マリファントのどの作品も照明は暗く(これは踊りの効果を高める上で非常に重要らしいのですが)、ダンサーの表情がはっきり見えません。初日の公演では、私の隣の観客もオペラ・グラスを使っていました。それで私も、昨日(8日)の公演には、万が一のために荷物に入れておいたオペラ・グラスを持っていきました。

  昨日の記事で、ラッセル・マリファントとアダム・クーパーが踊る「Critical Mass」について簡単に書きました。でも昨日の公演を観たら、見落としがかなりあったことが分かったので、それらを補いたいと思います。あわせてマリファントとクーパーのパフォーマンスについても。

  前に書いたように、「Critical Mass」は35分という、コンテンポラリーとしては長い作品です。その間、マリファントとクーパーは踊りっぱなしです。しかも、最後になればなるほど振りがタフなものになっていきます。

  「Critical Mass」は3部構成です。舞台の中央だけにライトが当てられ、両端からラッセル・マリファントとアダム・クーパーが無表情のまま歩いてやって来ます。彼らは舞台の中央に並ぶと、ゆっくりした動作で踊り始めます。

  昨日も書きましたが、様々な動きで構成された一組の振りを、音楽(効果音と重低音のパーカッションだけ)に合わせて、加速しながら何度も何度も繰り返します。

  彼らは舞台の中央からほとんど動きません。しかし、実はかなり大変そうな動きばかりです。ラッセル・マリファントとアダム・クーパーは、身体を同時に折り曲げたり、交互に腕や身体をブロックのように組み合わせ(「絡み合わせ」ではない)たりします。その動きはしなやかで鋭いです。間やたるみがまったくありません。

  また、クーパーがえび反り状態で後ろに倒れると、マリファントはクーパーの腕をつかんで一瞬静止します。それから間髪入れずにクーパーは起き上がり、今度はクーパーがマリファントの腕をつかんで、マリファントは後ろに倒れかけた状態で静止します。「倒れる」と書くと、「勢い」や「スピード感」が漂いますが、そうではないのです。なんというのか、力を入れて身体をコントロールしながら倒れている感じがします。

  たとえば、アダム・クーパーは全身を筋肉で支えながら、なめらかに、流麗に後ろに倒れるのです。ただし、力を入れてふんばっている感じはまったくしません。マリファントが倒れるときも同じです。力みをまったく感じません。

  倒れる相手の腕をつかんで支える動きも同様で、「力を入れて支えている」感がありません。とにかく「力」というものを感じない。

  お互いの身体を複雑に組み合わせ、後ろに倒れるお互いの身体を支える、この一連の動きはすべて、静かでなめらかで鋭くて流れるようです。しかし、どんなにタフな振りなのかは見てれば分かります。それを加速させながら繰り返していくのです。その加速度が尋常ではなく、まるでビデオ・テープの早回しを見ているようです。

  もしマリファントとクーパーとの間にタイミングや間合いの「ずれ」が生じてしまえば、この踊りは台無しになるはずです。しかし、マリファントとクーパーはよどみなく一連の振りを踊り続けます。

  彼らの動きが加速すればするほど迫力も凄まじくなっていくので、まずこの時点で観客は呑まれてしまっていると思います。私は本当に口を開けっぱなしでした。オペラ・グラスを使う暇はありません。

  照明がいったん消されます。一部の観客は作品が終わったものと思って拍手していました。でもすぐにまた照明が点きます。マリファントとクーパーは聞こえないくらい静かで低い効果音の中でゆっくりと踊ります。今度は舞台を移動しながら、手や腕をつないだまま、時に同じステップを踏み、時に身体を絡ませて(でもエロい感はゼロ)、時に交互に相手に寄りかかって、あるいは双方がコンパスのようにふんばってバランス・キープし、時に片方が片方の身体の上に乗りあげながら開脚して、やっぱり無表情のままゆっくりと踊り続けます。

  うーん、コンテンポラリーって、マリファントって真面目ねー、と厳粛な気持ちになったところで、いきなり俗っぽくてコミカルな感じのタンゴの音楽が流れます。観客がクスクス笑います。

  ところが、マリファントとクーパーは、さっきほぼ無音の中で踊ったのとまったく同じ振りで、そのタンゴに乗って踊るのです。やるわ、と思いました。無音とコミカルな音楽という、両極端なものの中で同じ振りを踊ることで、踊りの印象がまったく違ってしまうのです。踊りをそれぞれの「ジャンル」に閉じ込めることがいかに無意味か、思い知らされた気がしました。

  観客にそのことを分からせた(?)上で、マリファントとクーパーは本格的に両手を組んで、「ジャンル」が正体不明の振りを、「タンゴ」の中で踊ります。互いの両足を絡ませたり、身体を反転させたり、タンゴだと思い込めばタンゴですが、でもタンゴとは限らない、という意識ができあがってしまったので、不思議な踊りを見るようでした。

  ただ、その中で、クーパーが身をかがめたマリファントの背中の上に飛び乗って一瞬正座する、という動きがあります。クーパー君は無表情で正面の客席をじっと見つめます。そのときに客席にいつも軽い笑いが起こるのです。彼のこういう間合いのはかり方の絶妙さはさすがだな、と思いました。

  マリファントとクーパーはふと向き合って、ゆっくりした動作で、まるでレスリングかキック・ボクシングといった格闘技のような振りで踊ります。マリファントがクーパーに向かって片脚をゆっくりと上げ、クーパーはそれを避けるかのように身をよじります。この振りもスロー・モーションのように、実に緩慢で静かなうちに踊られます。

  徐々にマリファントとクーパーが交互にリフトする動きが多くなっていきます。ちょっと持ち上げるような軽いリフトではありません。クラシック・バレエで、男性ダンサーが女性ダンサーをリフトするようなダイナミックなリフトを繰り返します。

  マリファントとクーパーは代わる代わる、相手の身体を横抱きにしたり、逆さまに抱えたまま静止したり、相手の両脇を抱えて頭上に持ち上げたり、相手の身体を肩にぶら下げます。クーパーのほうがマリファントよりも長身なせいか、どちらかというとクーパーがマリファントをリフトするほうが多い気がします。

  これだけダイナミックなリフトだらけなのに、やはり、マリファントもクーパーも、力が入っている感じを与えません。持ち上げるほうはフォーク・リフトのように機械的で、持ち上げられたほうも身体をピンと伸ばしたまま微動だにしません。最後はクーパーが直立不動のマリファントの両脇を支え、ぐーん、と高く持ち上げたところで、照明が消されて終わります。

  これが「Critical Mass」の第2部に当たります。

  そろそろ時間なのでやめます。続きはまた明日にでも。マリファントとクーパー君は濃い目のグレーの前開きのシャツを着て、ほぼ同じ色のズボンを穿いています。足は裸足です。クーパー君はなぜか丸刈りっぽい短い髪型になっていました。なぜそうしたのかは分かりません。スキンヘッドのマリファントと合わせたのか!?(←マリファントさんすみません)
コメント ( 5 ) | Trackback ( 0 )


うわー!!!!!

(←これは“Critical Mass”第1部の振りの一つ)

  ロンドンです。火曜日(7日)の午後に着きました。順調に宿にチェック・インして、化粧直しと着替えをすませて外出、ラッセル・マリファントの公演が行われるロンドン・コロシアムへ向かいました。

  ロンドン・コロシアムはイングリッシュ・ナショナル・オペラの本拠地で、イングリッシュ・ナショナル・バレエもこの劇場で公演を行なっています。ただ近年は、サドラーズ・ウェルズ劇場が主催する公演の会場としても用いられているようです。

  コヴェント・ガーデンのロイヤル・オペラ・ハウスほど大きくはありませんが、おそらくはサドラーズ・ウェルズ劇場と同じくらいか、一回り小さいくらいの、なかなか大きな劇場です。客席は馬蹄形をしており、天井はドーム型で天蓋も付いています。しかも、ロンドン・コロシアムの外装と内装は古めかしくて、ロイヤル・オペラ・ハウスやサドラーズ・ウェルズ劇場が全面改装される前はこういう感じだったのかな、という、古き良きロンドンの劇場の姿をそのまま保っているように思いました。

  一方で、中の機材は最新です。オンライン予約したチケットは、わざわざボックス・オフィスに行って受け取る必要はありません。発券機があり、購入時に使ったクレジット・カードを差し込むだけで、チケットが自動的にプリント・アウトされて出てきます。

  スタッフはみな態度が非常に良く、またとても親切です。ロンドンの劇場で、あんなに感じの良いスタッフばかりに出くわしたのははじめてです。

  コロシアムのロビーやラウンジは、ウエスト・エンドの多くの劇場と同様に狭く、通路は迷路のように曲がりくねっており、かなり分かりにくい構造をしています。狭いロビーの片隅にプログラムを売っているカウンターをなんとか見つけ、さっそく1部購入しました(4ポンド)。

  プログラムの表紙を見たとたん、私は卒倒しそうになりました。

  表紙は、ラッセル・マリファントとアダム・クーパーが組んでいる写真でした。アダム・クーパーは全身を後ろに反らせて倒れかかり、ラッセル・マリファントがクーパーの胸の前に腕を差し出し、クーパーはマリファントの腕を両腕で挟んで、床すれすれのところで倒れかかった体をキープしています。これは彼らがこの公演で踊る「Critical Mass」の振りの一つです。

  アダム・クーパーもラッセル・マリファントも藍色っぽいシャツにズボンというシンプルな衣装です。静かだけど完全にコントロールされた強靭な力を感じさせる、クーパーとマリファントのポーズはもちろん、マリファントに支えられたクーパー君の表情の・・・ああ、敢えてこう表現しましょう、なんとエロティックなこと!なんと危うい色気のあること!私はまるで、心臓に手を突っ込まれてわしづかみにされたように呆然としてしまいました。

  プログラムの中には更にもう1枚、マリファントとクーパーが組んでいる写真がありました。それを見たとたん、私は鼻血が噴き出そうになりました。

  それはラッセル・マリファントがアダム・クーパーを逆さまにリフトしているものでした。これもまたマリファントらしい、コントロールされた強いパワーが、限界ぎりぎりのところで均衡を保っていることを感じさせる、静かな緊張感にあふれたポーズでした。

  アダム・クーパーはラッセル・マリファントの膝の上に腰だけを乗せた状態で、両脚を空中に伸ばしてわずかに広げ、そのままで静止しているのです。両腕はもちろん床になんかついていません。こんな写真がよく撮れたものだ、と仰天しました。人類的にありえないポーズで、この写真を撮るために、彼らはどのくらいの間このポーズのままで静止していたのか、と思いました。

  そしてまた、この写真のクーパー君の表情が実にイイんです。少年のような脆さとあやうさを感じさせるエロティックな表情で、とても37歳妻子持ちの男性には見えません。

  会場はほぼ満員の大盛況で、イギリスの舞踊批評家たちの姿も多く見受けられました。この公演では4作品が上演されました。「Knot」、「Sheer」、「Two×Two」、「Critical Mass」です。

  ラッセル・マリファントとアダム・クーパーは最後の「Critical Mass」を踊りました。35分という長い作品です。踊りの振りからみると3部構成で、最初はすさまじいパワーとバランスの一組の振りを、加速しながら繰り返していきます。次は一転してタンゴに乗せて、クーパーとマリファントが手を組んで、でもタンゴのようでタンゴじゃない、いかにもマリファントらしい振りで踊っていきます。最後の冒頭はクーパーのソロで、両腕を組んだまま、その両腕がまるで鎖のように離れないかのように、苦しげな表情と振りで踊り、ラストはマリファントが現れて、クーパーとともにゆっくりした振りを連動して踊ります。

  考えてみれば、私はアダム・クーパーの踊るコンテンポラリー作品を観たことがありませんでした。私はマリファントとクーパーの踊る「Critical Mass」を見ながら、凄まじい力とスタミナで踊っているはずなのに、この人たちはなんで足音をまったく立てないのか、なんでこんなにも静かなのか、と呆然とし、同時にまったく音のしない彼らの動きの中からじりじりと発散されている、制御された強靭なパワーとスタミナの、そのあまりの迫力に圧倒されて、口を開けたまま見入っていました。

  マリファントの作品は、目に見える「力」を感じさせたら、その魅力が一気になくなってしまうという特徴を持っていると思います。暗いライトの中で、ラッセル・マリファントとアダム・クーパーは、最後まで音を立てず、静かに、あからさまな「力」を感じさせることなく、無機質に踊りとおしました。

  アダム・クーパーは、バレエを舞台で踊らなくなってからのほうが、逆にバレエがうまくなったのではないでしょうか。この「Critical Mass」には、はっきりと分かるバレエの動きが割とありましたが、クーパー君の動きやポーズは非常にきれいでした。端正な動きは相変わらずです。ウィリアム・フォーサイスの「ヘルマン・シュメルマン」を踊っている20代のアダム・クーパーよりも、「Critical Mass」を踊っている今のアダム・クーパーのほうが優れていると思いました。
コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )


大山(?)鳴動して

  まだ日本にいます~。日曜日の夜、秋田の実家に電話して「来週から1週間くらいロンドンに行ってくる」と言いました。

  母親は「あらそう、気をつけて行ってらっしゃい」とだけ言うと、「それよりね、今日ね、お兄ちゃん(←私の兄)と午前中に庭仕事をしてね、お昼になったから家に入ってテレビのニュースをつけたらね、あのアホな国がロケットを飛ばしたって言ってて、じゃあお母さんとお兄ちゃんが庭にいたときに飛んでいったのねえ」と一気に話しました。

  北朝鮮のロケットが県の沖合いに落下し、また上空を通過する予定だった秋田は、おそらく太平洋戦争時の空襲以来の大騒ぎになっていたらしいです。

  地元のテレビ局のニュースや新聞がやたらと騒ぎ立てたであろうことは想像がつきますが、地元の自治体、県庁から町内会に至るまでも対策におおわらわになって、広報とかを配りまくったのかもしれません。かくして県民は現実的には無用な恐怖心を抱き、近所の噂話などでも話題として取り上げられて、それが更に人々の(やはり現実的には無用な)不安をかきたて・・・と悪循環にはまっていったのでしょう。

  もちろん、何の被害もなかった今だからいえる面もありますが、北朝鮮のへっぽこロケットなんぞに、日本政府もメディアも騒ぎすぎです。日曜の夕方のニュースなんか、このニュースがもちろんトップ・ニュースで、「今日一日のドキュメント」とか「今日の動き」とかおーげさに報道してて、おまけに号外まで出したバカな新聞社もあったそうで、まったくうんざりしました。吠えかかる弱い犬をまともに相手してどうするよ。

  先週末の花見(飲み会ともいふ)で、同僚の一人が「今回のことで、自衛隊の存在感や影響力が強まるでしょ?そんなことも分からないなんて、あの国(北朝鮮)も頭悪いよね」と言っていて、私の感想もその同僚とまさに同じでした。

  ただ、かなり以前、旧ソ連空軍によって大韓航空機が撃墜されるという事件が起こりました。そのとき、北海道の北端にソ連軍の通信を傍受するレーダー基地があって、ソ連空軍の基地と大韓航空機を撃墜したパイロットとのやりとりが、アメリカ・日本側にリアルタイムでつつぬけだったことが分かりました。当時の私は、あの事件自体に大きなショックを受けたのはもちろん、日本にそんなレーダー基地があったという事実にもかなり驚きました。

  今回も、自衛隊が保有している移動式の迎撃ミサイルが、秋田と岩手にそれぞれ配備されて、えっ、日本はそんなもの持ってたの、とちょっとびっくりしました(1発20数億円するそうです。すげ~)。こういうことがないと、日本の軍備の詳細っていうのは分からないものなんですね。

  しかし、この迎撃ミサイル、トラックに載せられて秋田まで運ばれたそうですが、途中で盛岡に行く道と秋田に行く道とを間違えて物損事故を起こし(損害はなぜか秋田県が弁償するとか)、配備はされましたが秋田全域をカバーできる性能はもとより持っておらず、結局は使用されないで終わりました。往復の運送費(+事故の弁償金)は、全部でいくらなのでしょう。それを考えると、税金のムダ使いだな~、と感じるのは私だけでしょうか。

  それから北朝鮮のロケットが発射されると数分内にそれを察知するという、なんとかネット(名前忘れた)というシステムが存在することも分かりましたが、そのシステムの「誤探知」が土曜日に起こったため、この「なんとかネット」はあまり頼りにならなさそうだな、と思いました。

  結局、迎撃ミサイルもなんとかネットも現実にはあまり役に立たず、弾道ミサイルで攻撃された場合の日本の防衛体制はかなり脆弱、どころか、ほとんど手も足も出ない、という実態が分かりました。日本の軍事力の強大さと頼もしさを国民に誇示するのにはほど遠い結果になっちゃいました。

  北朝鮮のロケットも残りはぜんぶ太平洋に落ちちゃったそうですし、ほんとにバカバカしいです。北朝鮮も日本も、無駄に騒いで、無駄におカネ使って。政治的には、北朝鮮も日本もこういう「対内のための対外危機」を欲しているのでしょうけれど。

  それは分かるのだけど、でも一民間人で、しかも女の私には、やっぱり「アホか」としか思えないのです。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


新年度開始

  2009年度が始まりました。今日(1日)は街も駅も電車も大混雑でした。駅の定期券の券売機やみどりの窓口には長い列ができていました。

  人々はなんだかみな苛立っていたようです。帰宅途中、私が大きな横断歩道を渡っていたときのことです。私の手前を歩いていた男性が、後ろから早足で斜め横断してきた別の男性に突き飛ばされる形になって、大きく前につんのめりました。

  しかし、突き飛ばしてしまった男性は「すみません」の一言もなく、そのまま早足で行ってしまおうとしました。突き飛ばされた男性はムッとした顔で振り返ると、自分を突き飛ばした男性を追いかけました。そして突き飛ばした男性の腕をつかんで引き止め、大声で怒鳴りつけていました。

  駅には警備員の姿がいつもより多く見られました。車内アナウンスも「本日はお客様同士のトラブルが大変多くなっております」と言っていました。たぶん、かばんや肩がぶつかったとか、押しのけたとか、足を踏んだとか蹴ったとかが原因でしょう。

  「すみません」、「ごめんなさい」と頭を下げて謝れば済む話だと思うのですが、最近は特に、こうした簡単なことばさえも口にしない人が多くなっているように感じます。性別とか年齢とかに関係なくです。

  私はトラブルに巻き込まれるのはイヤですから、かばんの持ち方、車内での立ち方、道の歩き方には細心の注意を払っています。それでも人にぶつかってしまったり、足を踏んだりしてしまったときにはあわてて謝ります。それでつっかかってくる人はまずいません。それどころか、逆に頭を下げて「大丈夫です」、「はい」と快く許してくれる人がほとんどです。

  互いに声をかけ合いさえすれば、路上や電車内でのトラブルはだいぶ減ると思います。でも、なんでこういう簡単なことをやらない人が多いのか、正直いってすごい不思議です。

  話は変わりますが、クーパー君の新しい日記には、来週のラッセル・マリファントとの舞台について書かれていますね。面白く思ったのが、"getting my body back into shape"というくだりです。やっぱりコンテンポラリー・ダンス、特に人間の身体能力の可能性を様々に模索するマリファントの作品は、ミュージカルでのダンスとはまったく異なるでしょう。

  憶測ですけれども、クーパー君はかなりハードな練習をしているのではないでしょうか。なにせ、ブランクが長かったですから。でも、これは彼にとってとてもいい機会なのだと思います。マリファントに感謝ですし、バレエの神様にも感謝です。

  また、クーパー君はマリファント本人と"Critical Mass"を踊るとのこと。そして、この"Critical Mass"は30分の作品で、コンテンポラリー作品としては長いです。私は例によって観に行く予定ですが、それだけの「観甲斐」はありそうです。

  あとは、飛行機が時間どおりに無事に飛んで、私が道に迷わずにロンドン・コロシアムに着けて、クーパー君がケガや病気をしないで舞台に出てくれることを祈るのみです。
コメント ( 3 ) | Trackback ( 0 )


土岐麻子

  4月1日です。3月をもって退職されたみなさんは、今まで本当にお疲れさまでした。長いあいだ頑張ってきたぶん、これからはご自分の好きなことを、心ゆくまで楽しんで下さい。でもその前に、しばらくはゆっくり休んで心身の疲れを取って下さいね。まだ働かなくてはならないみなさんは、今年度も健康に気をつけてなんとかしのぎましょうっ!

  さて、先週土曜日夜のテレビ東京「ミューズの晩餐」のゲストは、歌手の土岐麻子でした。この人は「CMソングの女王」だそうで、彼女が歌ったCMがいくつか紹介されて、それがどれも聴いたことがある歌ばかりで、あっ、これも彼女が、あれも彼女が、と驚きました。

  特に、昨年の冬に放映されたユニクロのCMには、土岐麻子本人が登場して“How Beautiful”を歌っています。CM放映時から、これは良い曲だな、と思っていたし、歌声も私の好きなタイプだったので気になっていました。

  やっと正体が分かったので(そもそも検索すればすぐに分かることですが)、「ミューズの晩餐」終了後にすぐにアマゾンを検索し、土岐麻子のソロ・アルバムを2枚(“Debut”と“TOUCH”)購入しました。

  今は“TOUCH”を聴きながらこの記事を書いています。私が日本の女性歌手のアルバムを買うのは、「渡辺はま子・ベスト・セレクション」以来のことで、めったにないことです。でも、こうして“TOUCH”を聴いていると、買ったのは間違ってなかったな、と思います。
  
  やはり“How Beautiful”はダントツで良い曲ですねえ。歌詞もせつない。1曲目の“SUPERSTAR”や5曲目の「ホロスコープ」も良いです。(後記:後で「ホロスコープ」がいちばん良い、と思い直しました。)

  土岐麻子の声はまさに私の好みで、大貫妙子とザ・カーディガンズのニーナ・パーションを足して2で割ったような感じです。透明感のある声ですね。

  彼女には“TALKIN”というソロ・アルバムもあるのですが、“TALKIN”は全体的にポップだということで、今回は買いませんでした。・・・そーいえば、アマゾンで試聴できるんだから、試聴すれば実際の感じが分かるんだよな・・・。今やっと気づきました。もっとも、アマゾンの試聴はほとんどがサビ前で切れているので、良さがいまいち伝わってきませんが。

  土岐麻子の歌のように、世の中にはまだまだ「いいもの」がいっぱいあるんですよねえ。私のように、普段アダム・クーパーの追っかけだけしかしてないと、なかなかこういう簡単なことにも気づかないものです。今回は「いいもの」の一つにめぐりあえてよかったです。

  みなさんの中には今、苦しい、つらい思いをされている方がおられるかもしれません。ただ、その苦しさやつらさは永遠に続くものではありません。急に目の前がぱっと開ける、または、いつのまにか状態が変化していくものだと思います。今は一時しのぎの策でいいですから、なんとかしのいで下さい。

  誰かに相談すること。恥ずかしがったり遠慮したりしないで下さい。相手は友人でもいいし、公共機関の相談窓口でもいいです。ただし、問題を解決してもらうことを期待してはいけません。ただ話を聞いてもらうのです。自分の苦しさやつらさを整理してまとめるのです。それだけでも冷静さをだいぶ取り戻せるはずです。

  役に立つかどうかは分かりませんが、ライフリンクDBのサイト をリンクしておきます。

  自分で自分を貶めることは絶対にしないで下さい。自分で自分をダウングレードしてしまうと、そこからまた上がるのは容易なことではありません。今の状態は長い人生の中の短い一局面です。すべてではないのです。  
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )