ハンブルク・バレエ『椿姫』(1)
18日の公演を観に行ってきました。プロローグと第一幕が45分、第二幕が40分、第三幕が45分という長丁場でしたが、ぜんぜん飽きませんでした。
全体的な印象は、美術も振付もダンサーたちの雰囲気も、透明感のある陶磁器を見てる感じっていうんですか、とてもきれいでした。きれいで哀しい物語。
振付はクラシックですが、クラシックのステップやムーヴメントで、生々しい感情を表現していたのがすばらしいと思いました。
ジョン・ノイマイヤーの昔の作品ということもあってか、振付はいささかワンパターンなところがありました。特に女性ダンサーは、手足を長く伸ばした美しいポーズで、アラベスクをしたり、リフトされて振り回されたり、といった感じです。それでも非常に美しくて飽きることがありません。
かと思うと、純粋なクラシックではない独特のステップやムーヴメントも出てきたりします。でも、ひねくれて奇抜なものでは決してないのです。
基本クラシックの振付で、あれだけ雄弁に登場人物の心情を物語ることができるというのはすごいと思いました。踊ってるというよりは、セリフを交わしているという感じでした。
特に、マルグリットとアルマンの父親が対峙するシーン、怒りに燃えるアルマンがマルグリットに詰め寄るシーンの踊りには、あまりの迫力と緊張感に、見ていて思わず息を呑みました。
マルグリットを踊ったジョエル・ブーローニュがすばらしかったです。鼻梁がすっととおった美女で、知性、気品、高潔さを感じさせる雰囲気を持った人でした。演技もすばらしく、娼婦としてのマルグリットの表情と、素のマルグリットの表情とがまったく異なり、自分の「二つの顔」の狭間で苦悩するマルグリットの心情がよく分かりました。
アルマン役のアレクサンドル・リアプコには、まず「あれだけのリフトをこなして本当にご苦労さま、そしてお見事!」と言いたいです。アルマンはとにかくマルグリットをリフトしっぱなしです。しかもそれがことごとく流麗に決まります。
ブーローニュとリアブコの踊りには、ベタな言い方ですが、マルグリットとアルマンの心情、つまり情感というものがあふれ出ていました。それぞれがソロで踊ってもそうでしたから、パ・ド・ドゥでどうなったかは言うまでもありません。
マルグリットに裏切られたと思い込み、自暴自棄になってマルグリットを傷つけるシーンでは、マルグリットと同じように、アルマンもまた苦しんでいるのだ、と分かる悲壮な表情をリアブコはしていました。原作のアルマンと違って、「こいつ陰湿で粘着」という悪印象を持ちませんでした。
マルグリットが自らの姿を重ね合わせるマノン・レスコーを踊ったエレーヌ・ブシェと、デ・グリューを踊ったチャゴ・ボアディンは、踊りがなめらかで非常にすばらしかったです。
また、アルマンの父を踊ったカーステン・ユングも強い存在感がありました。
マルグリットの侍女であるナニーナはとても大事な役割を担っていました。ナニーナは、マルグリットとアルマンが出会ったときからマルグリットの死後に至るまで、真相を知りつつ事の顛末を見つめている存在です。彼女は常に女主人(マルグリット)の身を案じ、マルグリットが死ぬまで忠実に尽くしますが、マルグリットが死んでからも、アルマンにマルグリットの日記を渡すことによって、アルマンにすべての真実を教える役割を果たします。
ナニーナ役のミヤナ・フラチャリッチはほとんど踊りませんし、侍女の仕事以上の出すぎた行動もしません。でも、フラチャリッチがはじめて舞台に登場したときの、悲しみをたたえた静かな表情は非常に印象的でした。その後ずっと、マルグリットの苦悩を唯一理解し、常にマルグリットをいたわり続ける(実は)重要な存在として、フラチャリッチは非常に良い演技をしました。
わるい意味ではなく、ハンブルク・バレエのダンサーたちは、容姿も踊りもまるで陶器人形のように透きとおっていました。顔立ちも体形もよく似ています。背が高く、手足が長く、つるんとした気品ある顔立ちをしています。
なんかバレエを観た感じがしないんですよね。まるで演劇を観た気分です。でも「マイムのようなものはほとんどなし、踊りのみで勝負」という作品だったので、演劇を観た気分になるというのは不思議です。
でも、踊りは本当にきれいだったなー。あの流れるように美しいリフトは絶品です。
一つ疑問なのは、あのメガネをかけた男は何の役だったのか、ということです。髭男爵のメガネのほうに似てる人。ワイングラスを片手に「ルネッサ~ンス!」とか言いそうでした。個人的には好みです。ピエロの仮装が超キュートでした。(後日、「N伯爵」と判明。ダンサーはヨハン・ステグリ。教訓:プログラムはきちんと読みましょう。)
もう遅いので今日はこれまで。また明日(てかもう19日か)にでも書きます。
全体的な印象は、美術も振付もダンサーたちの雰囲気も、透明感のある陶磁器を見てる感じっていうんですか、とてもきれいでした。きれいで哀しい物語。
振付はクラシックですが、クラシックのステップやムーヴメントで、生々しい感情を表現していたのがすばらしいと思いました。
ジョン・ノイマイヤーの昔の作品ということもあってか、振付はいささかワンパターンなところがありました。特に女性ダンサーは、手足を長く伸ばした美しいポーズで、アラベスクをしたり、リフトされて振り回されたり、といった感じです。それでも非常に美しくて飽きることがありません。
かと思うと、純粋なクラシックではない独特のステップやムーヴメントも出てきたりします。でも、ひねくれて奇抜なものでは決してないのです。
基本クラシックの振付で、あれだけ雄弁に登場人物の心情を物語ることができるというのはすごいと思いました。踊ってるというよりは、セリフを交わしているという感じでした。
特に、マルグリットとアルマンの父親が対峙するシーン、怒りに燃えるアルマンがマルグリットに詰め寄るシーンの踊りには、あまりの迫力と緊張感に、見ていて思わず息を呑みました。
マルグリットを踊ったジョエル・ブーローニュがすばらしかったです。鼻梁がすっととおった美女で、知性、気品、高潔さを感じさせる雰囲気を持った人でした。演技もすばらしく、娼婦としてのマルグリットの表情と、素のマルグリットの表情とがまったく異なり、自分の「二つの顔」の狭間で苦悩するマルグリットの心情がよく分かりました。
アルマン役のアレクサンドル・リアプコには、まず「あれだけのリフトをこなして本当にご苦労さま、そしてお見事!」と言いたいです。アルマンはとにかくマルグリットをリフトしっぱなしです。しかもそれがことごとく流麗に決まります。
ブーローニュとリアブコの踊りには、ベタな言い方ですが、マルグリットとアルマンの心情、つまり情感というものがあふれ出ていました。それぞれがソロで踊ってもそうでしたから、パ・ド・ドゥでどうなったかは言うまでもありません。
マルグリットに裏切られたと思い込み、自暴自棄になってマルグリットを傷つけるシーンでは、マルグリットと同じように、アルマンもまた苦しんでいるのだ、と分かる悲壮な表情をリアブコはしていました。原作のアルマンと違って、「こいつ陰湿で粘着」という悪印象を持ちませんでした。
マルグリットが自らの姿を重ね合わせるマノン・レスコーを踊ったエレーヌ・ブシェと、デ・グリューを踊ったチャゴ・ボアディンは、踊りがなめらかで非常にすばらしかったです。
また、アルマンの父を踊ったカーステン・ユングも強い存在感がありました。
マルグリットの侍女であるナニーナはとても大事な役割を担っていました。ナニーナは、マルグリットとアルマンが出会ったときからマルグリットの死後に至るまで、真相を知りつつ事の顛末を見つめている存在です。彼女は常に女主人(マルグリット)の身を案じ、マルグリットが死ぬまで忠実に尽くしますが、マルグリットが死んでからも、アルマンにマルグリットの日記を渡すことによって、アルマンにすべての真実を教える役割を果たします。
ナニーナ役のミヤナ・フラチャリッチはほとんど踊りませんし、侍女の仕事以上の出すぎた行動もしません。でも、フラチャリッチがはじめて舞台に登場したときの、悲しみをたたえた静かな表情は非常に印象的でした。その後ずっと、マルグリットの苦悩を唯一理解し、常にマルグリットをいたわり続ける(実は)重要な存在として、フラチャリッチは非常に良い演技をしました。
わるい意味ではなく、ハンブルク・バレエのダンサーたちは、容姿も踊りもまるで陶器人形のように透きとおっていました。顔立ちも体形もよく似ています。背が高く、手足が長く、つるんとした気品ある顔立ちをしています。
なんかバレエを観た感じがしないんですよね。まるで演劇を観た気分です。でも「マイムのようなものはほとんどなし、踊りのみで勝負」という作品だったので、演劇を観た気分になるというのは不思議です。
でも、踊りは本当にきれいだったなー。あの流れるように美しいリフトは絶品です。
一つ疑問なのは、あのメガネをかけた男は何の役だったのか、ということです。髭男爵のメガネのほうに似てる人。ワイングラスを片手に「ルネッサ~ンス!」とか言いそうでした。個人的には好みです。ピエロの仮装が超キュートでした。(後日、「N伯爵」と判明。ダンサーはヨハン・ステグリ。教訓:プログラムはきちんと読みましょう。)
もう遅いので今日はこれまで。また明日(てかもう19日か)にでも書きます。