悲しみの人


  週末に帰省しましたが、帰省したその夜に大熱を出しました。

  すわ、ノロか、ノタか、インフルか?新幹線の車内ではあれほど注意したのに(←ずっとマスクしてた)、実家にウイルスを持ってきてしまったか、と案じましたが、幸いなことに熱は一日で下がりました。嘔吐や下痢といった症状もまったくなし。

  家族も今のところなんともないので、何かのウイルスを持ち帰ったのではなく、単なる小風邪のようです。ほっ。

  今は『紅白歌合戦』やってます。美輪明宏が初出場だってことにすごい驚きました。それほど今まで偏見が根強かったってことか。にも関わらず、泰然としてる美輪明宏はさすがだ。

  みんなが幸せでないといけないらしい、めでたい大晦日におかしなタイトルつけちゃってすみません。

  今さらながらに遠藤周作の『イエスの生涯』を読みまして、この作品に描かれたイエス・キリストの人物像とテーマが、以前に読んだ『沈黙』、『悲しみの歌』、『母なるもの』など、遠藤周作の一連の作品群の根底に共通して流れていることに今さらながら気づき、これらの作品を読み直している最中です。

  イエス・キリストは「悲しみの人」であった、というのが遠藤周作の解釈です。従来の「神」とは違い、怒れる存在でもなければ、罰する存在でもなかった。また「預言者」たちのように、高みから人々を見下ろして警告する存在でもなかった。

  イエスは幸せな人間には関心がなかった。彼が専ら気にかけたのは、悲しんでいる人間、辛い思いをしている人間、苦しんでいる人間、惨めな思いに苛まされている人間、他人に見捨てられた人間、虐げられた人間、蔑まれた人間、罪を犯した人間であった、といいます。

  しかし、イエスはそうした人々に対して「奇跡」を起こしたのではなく、黙ってその傍に寄り添い、彼らの悲しみをともにしただけだった。イエスは現実には無力な、弱い人だった。しかし、最後まで人々の悲しみを分かち合うことを貫いた。

  宗教に勧誘してるんじゃないのでご安心を。遠藤周作の解釈は納得できるなあ、と思っただけです。納得できるというよりは、心にしみ入ります。

  なんでこんなことを書いてるのか自分でもよく分かりません。大きな悲しみを背負っている人が今のこの時もたくさんいるという当たり前のことが、なんか頭から離れません。その傍に寄り添い、その悲しみをともにしている存在が、本当にいてくれるといいんだけど。

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新国立劇場バレエ団『シンデレラ』(12月23日)-2


  四季の精、中でも五月女遥さん(春の精)、井倉真未さん(夏の精)、竹田仁美さん(秋の精)は、個人的には21日のキャストより良かったと思います。動きがみなきれいだったし、何よりも音楽にきっちり乗って踊っていたからです。

  このアシュトン版『シンデレラ』が初演されたのは1948年、再演はそれからおよそ20年後の1965年です。ですから、アシュトンの振付の中には、今となっては奇妙で滑稽にさえ見える動きがあります。そして、下の記事に書いたように、音の捉え方と振付が困難であるという問題もあります。四季の精の踊りには、これらの特徴が詰まっていると思います。

  しかし、五月女さん、井倉さん、竹田さんの動きは自然で美しく、音楽にもよく合っていました。とりわけ、竹田さんの秋の精の踊りを観て、そうか、この踊りはこう踊ればすばらしいんだ、と私は初めて納得できました。それまで、仙女の踊りと同様、秋の精の踊りは、私にとって実に謎な踊り(笑)でした。音楽の終わり方も変わってるしね。

  竹田さんは、この間のビントリー版『シルヴィア』第三幕でマルスを踊ってました。小柄ですが、身体が柔らかく、テクニックも強くて、敏捷に、弾けるように踊ります。秋の精の踊りではリズム良くきびきびと踊っていて、本当に木枯らしのようでした。最後の決めのポーズで少しよろけてしまいましたが、久々の感動でした。

  あとは、仙女の踊りをどなたか正しく踊ってみせて下さることを熱烈希望。

  んで。シンデレラの義理の姉たち、山本隆之さんと橋一輝さん。

   最高でした。大爆笑。

  山本さんは濃ゆくてブキミなオカマメイクにも関わらず、その下の表情がとても豊かでした。わざとらしい、いかにも女っぽい演技もナイス。観てるほうがイタくなる「笑いを取ろうと頑張って無理してる感」がゼロで自然体。またおとなしすぎず、出張りすぎもせず、ちょうどいい感じで素直に笑えました。山本さんが、こういう役に合ってるとは意外でした。

  山本さんが、デカい羽根扇の間から顔だけ出して、目を爛々と光らせながら下品な笑いを浮かべ、「イイオトコはいねがー!」とばかりにキョロキョロと周囲を見渡すあの表情、今でも思い出すと噴いちゃいます。

  また山本さんに負けず劣らず笑えたのが、下の姉役の橋さんでした。下の姉は上の姉に比べておとなしく、姉にさからえないという設定なので、ただおとなしいだけの印象で終わってしまう人もいるんですが、橋さんはなんか存在感があるんです。

  気弱で頼りない演技の中にも、上の姉の強烈さに負けてないふてぶてしさとちゃっかり感があり、さりげなく姉を出し抜こうとしていて、その演技がまた見事にこちらの笑いのツボにはまるんですな。この橋さんと山本さんとで、ちょうどいいボケとツッコミのお笑いコンビになってました。

  山本さんと橋さんによる姉妹同士のどつき合いはもちろん、それにダンス教師役の福田圭吾さん、ウェリントン役の貝川鐵夫さん、ナポレオン役の吉本泰久さんが絡んでくるシーンでは更なる化学反応(笑)が起きて、客席から大きな笑い声が起きていました。

  山本さん、橋さん、福田さん、貝川さん、吉本さんのキャストは、今まで観た中でいちばん互いにしっくりいってたと思います。

  ナポレオン役の吉本泰久さんは、もうナポレオンが永久不滅の当たり役ですね。観るたびにハゲヅラギャグが磨かれていっています。オチが分かってても笑っちゃうんだよねえ。

  あと、義理の姉たち、ウェリントン、ナポレオンが4人で踊るヘンな踊りがあるでしょう。ウェリントンを取り合う姉たちにかまわず、一人で両手を規則正しく交互に挙げながら無表情で踊る吉本さんは個人的にツボです。また、ヅラが落ちたことに気づいて真っ青になる表情も最高に笑えます。

  ウェリントン役の貝川さんも一皮むけた(←それほどのことか!?)感じです。姉たちにモテまくり、気取った表情でひそかにニヤけてました。また、ナポレオンがハゲでヅラだと判明した後、山本さん扮する上の姉が、ウェリントンの髪の毛を引っ張ってハゲかどうかをチェックするという演技があり、これまた大爆笑。  

  道化は八幡顕光さんで、待ってました!という感じ。この『シンデレラ』の道化役は、『白鳥の湖』の道化役よりも踊りがはるかに多いです。しかも長い踊りが複数あります。更に第二幕と第三幕はほとんど出ずっぱりで演技しなくてはならないから、すごくタフな役だと思います。

  八幡さん、今まさに踊りが絶好調で冴え渡ってるな~、という印象でした。テクニックは磐石だし、パワーも最後まで落ちないです。自信を感じるというか、踊りに余裕と安定感があるので、この人なら信頼して、安心して観ていられる、というレベルのダンサーになってると思います。

  八幡さんが柔らかく弾むように踊りながら、高く跳躍して脚を180度以上に開いたり、速度自在の連続回転を長時間パワフルに続けたりするたびに、観客のみなさんは小声で「すごいね!」、「おお!」と思わず言ってました。八幡さんは相変わらず足音をまったく立てずに踊りますね。跳躍の着地音もまったくしません。  

  東京フィルハーモニー交響楽団の演奏は21日ほどひどくなかったです。21日のあれは何だったんかいな。でも、第二幕、オレンジを持った義理の姉たちの踊り(『三つのオレンジへの恋』と同じ曲が用いられている)では、やはり金管楽器が音を外しまくりというか、そもそも追いつけないらしい感じでした。もし『三つのオレンジへの恋』組曲を演奏する機会があったらどうするんだろう。

  今回の舞台、ダンサーたちの踊りと演技は、非常にこなれてしっくりいっていました。また安易に原演出や原振付を変えたりせず、オリジナルの演出と振付をきっちり守っていたようにも思います。中でも、時代的な間隔が大きいために、今では奇妙で滑稽に見えやすくなってしまった振付も、きれいに見えるように踊っていた印象を受けました。

  新国立劇場バレエ団ブログに書かれていた、今回の公演の指導に当たった「ウェンディさん」とは、ウェンディ・リリス・サムズのことでしょう。故マイケル・サムズ(この作品の1948年初演者の一人)夫人で、自身もロイヤル・バレエ現役時代にシンデレラをレパートリーとしていた人だといいます。更に、このアシュトン版『シンデレラ』の現在の権利所有者でもあるそうです。

  憶測ですが、フレデリック・アシュトンとリアルタイムで仕事をしていて、この作品を隅々まで知り尽くした人物が上演指導をしたこと、新国立劇場バレエ団が何度もこの作品を上演してきた経験が実を結んだこと、バレエ団のダンサーたち全体の能力が向上して、アシュトンが目指したとおりに美しく踊れることが、今回の公演の完成度をより高めることにつながったのではないかと思います。

  世界のバレエ団の中で、アシュトン版『シンデレラ』をレパートリーとしているバレエ団がいくつあるのかは知りませんが、今では少なくなっているだろうと思います。新しい映像版も出てないでしょう?

  優れた作品です。新国立劇場バレエ団には、これからも引き続き上演していってほしいです。

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新国立劇場バレエ団『シンデレラ』(12月23日)-1


 『シンデレラ』全三幕(於新国立劇場オペラパレス)


  シンデレラ:長田佳世
  王子:菅野英男

  義理の姉たち:山本隆之、橋一輝
  父親:石井四郎

  ダンス教師:福田圭吾

  仙女:湯川麻美子

  春の精:五月女 遥
  夏の精:井倉真未
  秋の精:竹田仁美
  冬の精:丸尾孝子

  道化:八幡顕光

  ナポレオン:吉本泰久
  ウェリントン:貝川鐵夫


  順番的には、21日の公演の感想のほうを先に書かなくてはならないのでしょうが、今日の公演のほうが記憶がまだフレッシュなので、こちらを先に書いてしまいます。

  今回はプログラムを買いませんでした。他のキャストのみなさんのお名前を細かく書けないです。すみません。王子のイケメン友人軍団の中にマイレン・トレウバエフ、貴族の女性の中に寺田亜沙子さん(たぶん)、星の精の中に大和雅美さんがいたのが分かっただけです。

  正直、長田佳世さんのシンデレラというのがどうしてもイメージできなかったのですが、実際に観てみたらまったく違和感なし。自然じゃありませんか。ディアナ・ヴィシニョーワが、あるインタビューの中で言ってた、たとえ自分の顔つきがその役に向いていなくても、その役の雰囲気は作ることができる、という名言を思い出しました。

  長田さんのシンデレラは溌剌&活発系でした。さっぱりした雰囲気が非常に良かったです。けなげでかわいそうというよりは、意外にちゃっかり者でけっこう強そうな感じです。

  といっても、私は今となっては、シンデレラの役作りとかにはあんまり興味がなくなってて、踊りが良ければそれでいーや、と思ってるようです。

  長田さんの踊りは、ちょっと粗かったです。テクニック、パワー、勢いとスタミナはあるんですが、なんかバタバタしていて、また特に両腕の動きが柔らかさに欠ける印象を受けました。腕と脚の動きもうまく連動していなかったと思います。それから姿勢。長田さんの姿勢と動きは、いわゆる「アシュトン・スタイル」ではないと感じました。

  文句ばかりで本当に申し訳ないですが、長田さんはきちんと音楽に乗って踊れていたともいえないです。なんでも、このプロコフィエフ作曲の『シンデレラ』は、振付家泣かせなんだそうです。専門用語で何と呼ぶのか、振付をする際に必要な音楽の区切りが困難らしいです。

  アシュトンはプロコフィエフの音楽を絶妙の箇所で区切って振付を施しています。私が最も好きなのが、第二幕のシンデレラと王子のパ・ド・ドゥで、シンデレラと王子が一緒に横に移動しながら、シンデレラが回転すると王子がシンデレラの腰を支え、シンデレラはアラベスクをびしっと決めてほんの一瞬静止、その瞬間に二人が同時に横を向く、という動きを左右4~2回ずつ素早くくり返していく箇所です。

  あれを見るといつも、あの音楽をああいうふうに区切ってああいう振付をしたアシュトンてすげえな、とつくづく思います。

  後で書きますが、第一幕の仙女の踊り(ここの音楽はジョン・ランチベリーがプロコフィエフの別の音楽を編曲したもの)、そして四季の精の踊り(特に秋の精の踊り)も、音楽の区切りと振付の両方が極めて難しいんじゃないでしょうか。

  てことは、プロコフィエフの音楽が元々難しい上に、更にアシュトンの音楽の区切りと振付も非常に困難なので、踊る側にとって、音楽に乗ってきっちりと踊ることは相当大変なのでしょう。

  長田さんの踊りは、全体としてなんかまとまってないというか、一定性がないというか、おかしな喩えですが「踊りが戸惑ってる」というか、そんな感じがしました。でも、長田さんがどんなふうに踊りたいのか、そのイメージはなんとなく分かりましたし、時折、音楽と動きが見事にカチッと嵌まった瞬間もあったので、あとは場数をこなすだけの問題だと思います。

  王子役は菅野英男さんでした。これほど踊れるダンサーを「普通」と思えるようになった、日本人男性ダンサーの全体的なレベルの向上はすばらしいです。ちょっとしたミスはあっても、決定的な大きなミスというものを、みんなまずしなくなったもんね。

  菅野さんは、王子オーラにまだ欠けると思いますが、態度は堂々としており、身のこなしや仕草も上品でした。上に書いたように、踊りは普通に良かったです。驚嘆するほどすばらしいとは感じませんでした。しかし、目立ったミスはしないし、不安定なところもなかったです。決めなくちゃいけない箇所では必ずビシッと決めるしね。

  菅野さんのパートナリングで最も感心したのが、第三幕の最後、シンデレラと王子が一緒にゆっくりと踊るシーンで、長田さんを丁寧にサポートしていた、あるいは長田さんを信頼してサポートしていたことです。長田さんがサポートなしの自力でキープできると判断するや、あとは余計な手出しはせずに最小限のサポートに徹して、長田さんをよりすばらしく見せていました。

  あと、菅野さんて、確か今年の夏の『マノン』でレスコーをやった人だよね?ああいう悪役と王子役との両方をこなせる点でも、これから大いに期待できる人材だと思います。

  仙女は湯川麻美子さんです。暗闇の中から、純白の輝くドレスをまとった仙女が、優しい微笑を浮かべながら、ぱあっ!と突然現れるシーンは、いつ見ても美しく華やかでいいですね。

  湯川さんの仙女は母性的な優しさにあふれていて、なんかシンデレラの母親みたいでした。あれ、今まで気づかなかったけど、そういうことなのか?シンデレラ、亡き母の肖像画を飾って、母親を思い出して泣いてたもんね。

  もう忘れちゃったけど、ジャン・クリストフ・マイヨー版『シンデレラ』の仙女も、確かシンデレラの亡き母親が姿を変えて現れたという設定だったような。(違ってたらごめん。)

  湯川さんの踊りは相変わらず落ち着いていて、余裕と貫禄がありました。湯川さんのあの独特な動きを見ると、湯川さんはまるで音楽の中を泳ぐように、音楽を操って自由自在に踊ることのできる、日本人ダンサーとしては珍しい才能に恵まれてる人だと思います。

  ただ、仙女の踊りでは、ちょっとだけステップにぎこちなさが見られ、音楽に合わせるのも難しかったようでした。もっとも、これぞ仙女の踊りの手本、的な映像があったらぜひ観てみたいよ。あの音楽にあの振付で、どうやって踊れば正しいというのか。

  今、2005年のロイヤル・バレエ日本公演のプログラムを引っ張り出して見てみたら、私が観た『シンデレラ』で仙女を踊ったのはベリンダ・ハトレー(90年代のロイヤル・バレエ全盛期に活躍していたダンサー。もう退団してると思う)でした。

  しかし記憶の片隅にも残ってないことから、ハトレーの仙女の踊りにも満足できなかったらしいです。イヴァン・プトロフの王子が非常にすばらしかったことは覚えています。プトロフ、美男子だったのに退団しちゃってもったいない。今どこに在籍してるんだろう。

  ちなみにシンデレラはロベルタ・マルケスでした。このころはロイヤル・バレエに移籍してきたばかりで、かわいらしい容貌と高いテクニックが持ち味でした。(今のマルケスの状態を思うと複雑な気持ちになりますな。)

  長くなったのでいったん切ります。

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新国立劇場バレエ団『シンデレラ』(12月21日)-3


  シンデレラの義理の姉たちは古川和則さん、野崎哲也さんです。 凶暴な 気が強い上の姉がもちろん古川さん、気の弱い下の姉が野崎さん。

  古川さんは健闘していたと思いますが、あれでもまだおとなしすぎかな、という感じです。以前の公演でこの役をいつも担当していた、マシモ・アクリさんほど派手にやれとはいいませんが、もっと羽目を外してもよかったかも。

  野崎さんはキャラ設定どおり、上の姉に逆らえず、ひたすらどつかれてただけという印象です。ちょっと影が薄かった。でも、この感想は23日の公演で観た後に書いてるので、どうしても山本隆之さんと橋一輝さんがやった義理の姉たちと比べてしまうんですね。21日に観たときは、古川さんと野崎さんの演技には大笑いしました。

  父親役の石井四郎さんも影が薄かったですが、父親役は本来影が薄いキャラ設定です。じゃなければ、あのオカマ姉妹がやりたい放題できるわけない(笑)。

  地味とはいえ、石井さんはさすがは年の功で、若い出演者ばかりの中で重みがありました。亡くなった実母を思い出して泣くシンデレラを見て、心を痛めながらもためらってしまい、しかしシンデレラに抱きつかれると、堰を切ったようにシンデレラへの愛情がほとばしり出てしまう、悩める父親の演技もきちんとしてました。

  ただ、なぜ父親が普段はあそこまでシンデレラに冷淡なのか、観る側が納得できる演技をしてくれるともっとありがたいです。

  ダンス教師は八幡顕光さんだったと思います(間違ってたらごめんなさい)。黒タイツを穿くとあんなに細いのね。デカいオカマ姉妹二人に引きずられ、振り回されて疲れ果て、白いハンカチでいそいそと汗を拭く仕草と表情が笑えました。  

  仙女は本島美和さんでした。先日のビントリー版『シルヴィア』のダイアナ役でもそうでしたが、仙女役でも本当に美人です。仙女の衣装は、純白でキラキラ輝く、なんともきれいなドレスで、本島さんの美貌をいっそう引き立てています。仙女の登場の仕方は暗闇の中から突然現れるというものです。あれで舞台が一気に盛り上がります。

  本島さんの仙女は、シンデレラの優しいお姉さんという感じです。

  その後はアシュトン版オリジナルの仙女の踊りになります。アシュトンがジョン・ランチベリーに依頼し、プロコフィエフの作品の中からふさわしい曲を選んで、プロコフィエフ風にオーケストレイトしてもらったのだそうです。あまりに良い仕上がりになったので、シンデレラ役のバレリーナがシンデレラの踊り用に欲しがったとか。

  ゆっくりした神秘的な雰囲気の曲になっています。いかにも仙女の踊りにふさわしい感じです。振付もゆっくりめに見えるんですが、なんか音楽と踊りが合ってないような気がいつもします。ダンサーに問題があるのではなく、アシュトンの音の取り方や振付に問題があるのではないか、とかねがね感じています。

  音楽に合わせるのも難しそうだし、振付も細かいステップ、回転、舞台一周などがふんだんに盛り込まれた難易度の高いものです。音楽に乗っているかどうかはおいといて、本島さんがこういう難しそうな振付の踊りを踊ると、心配でハラハラしてしまいます。でも、少しというかかなりガタガタしてたものの、なんとか踊りきったのでホッとしました。

  四季の精の踊りは、冬の精を踊った厚木三杏さんを除いて、なんかガタついていたような印象です。動きがあまりきれいではありませんでした。アシュトンの振付は一歩間違えると阿波踊りになるのですが、阿波踊りになってたときが多かったと思います。

  一方、厚木さんの冬の精の踊りには見とれました。冬の精はやはり厚木さんに限る、と思いました。厚木さんの硬質な雰囲気と、冬の張りつめた冷たい空気と静かに降る雪をイメージさせる、ゆっくりした音楽と振付がぴったり合っています。厚木さんの踊りにも隙が全然ありませんでした。手足をゆっくりピンと伸ばす動きが美しかったです。

  星の精たちの群舞もこの作品の大きな見どころです。第一幕の最後の「時計の情景」と「ワルツ」の踊りは大いに見ごたえがあります。今回も相変わらず動きにメリハリをつけて整然と踊っており、まさに星々が天を周回して時を刻んでいくかのようでした。ガクッとした上半身の折り方と、ぴっ、と天地を指す腕の動きが個人的にツボです。移動しながら交互にこの動きをくり返していく、星の群舞の構成と振付も絶妙ですね。

  道化は福田圭吾さんでした。この作品では道化が踊るシーンが多くあり、しかも長めの踊りばかりです。最も長い道化のソロで、福田さんは最後はちょっとスタミナが切れてしまったようでした。でも、柔軟で弾むような動きがすばらしかったです。

  ナポレオンは吉本泰久さんです。23日の公演の感想にもう書きました。ますますハゲに、いや芸に磨きがかかってました。

  21日の公演では、私の後ろに座ってた年配男性の観客が、吉本さん扮するナポレオンのハゲ&ヅラギャグにめちゃくちゃウケていて、「あ~っはっはっはっ!」と大笑いしてました。ナポレオンはハゲだったという史実(?)をご存知だったのかもしれません。

  ウェリントンは小笠原一真さんでした。異様な無表情のまま、二人の姉たち、ナポレオンと、「かごめかごめ」みたいなヘンな踊りを踊るとこはいつ観ても笑えます。

  ウェリントンが『眠れる森の美女』のグラン・パ・ド・ドゥでの王子みたいに、腕を横に差し出して構えると、上の姉がオーロラ姫よろしく駆け寄っていきます。これは明らかに『眠れる森の美女』のパロディだよね(笑)。

  小笠原さんのウェリントンはここでクシャミをする演技をしてました(人によっては靴のほこりを払う演技だったりする)。下を向いちゃったウェリントンのせいで、上の姉はウェリントンの横をすり抜け、勢いあまって道化にフィッシュ・ダイブ。

  道化と貴族たちのマズルカも、あの振付は秀逸だよねえ(感嘆)。まず道化が激しく踊り、その後に貴族たちが一斉に前に走り出てきて華やかに踊る。ロココ調の衣装もみなよく似合ってます。王子の友人たちもみなスタイル抜群のイケメンでした。踊りも端正。

  余談。この日の公演は、お客の入りがちょっと寂しかった気がします。普段は客の入りにあまり注意していない私が気づいたくらいだから、たぶんそうだったんでしょう。平日といっても、金曜日の夜公演だったんですが(たださすがにクリスマスの三連休は完売状態だった模様)。

  でも会場の雰囲気は良かったです。なんか、懐ばかりか頭もセレブな雰囲気の年配のお客が多かったです。特にロマンスグレーの男性が目立ちました。みなさん揃って品が良い感じ。上演中はおしゃべりしないし、飴の包み紙をカシャカシャやったりもしません。お行儀が良い。招待客か、団体客かは分かりません。いったいどういう人たちだったのだろう。

  反応も総じて良かったです。お笑いシーンでは、みなさん素直に笑います。道化が超絶技巧で踊ると感嘆の声を上げ、シンデレラのヴァリエーションでは感心したようなため息をもらします。踊りが終わると拍手。おかげで私も便乗して声立てて笑って、大いに拍手しました(←普段は周囲の観客の反応を見てから拍手する。チキン)。

  なんかリラックスして観劇できました。

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新国立劇場バレエ団『シンデレラ』(12月21日)-2


 『シンデレラ』全三幕(於新国立劇場オペラパレス)


  振付:フレデリック・アシュトン
  音楽:セルゲイ・プロコフィエフ

  演奏:東京フィルハーモニー交響楽団
  指揮:エマニュエル・ブラッソン

  シンデレラ:小野絢子
  王子:福岡雄大

  義理の姉たち:古川和則、野崎哲也
  父親:石井四郎

  ダンス教師:八幡顕光

  仙女:本島美和

  春の精:細田千晶
  夏の精:西川貴子
  秋の精:長田佳世
  冬の精:厚木三杏

  道化:福田圭吾

  ナポレオン:吉本泰久
  ウェリントン:小笠原一真


  スタッフやキャストのみなさんをごく一部しか書いてなくてすみません。今回はプログラムを買わなかったんです。王子の友人役イケメン4人のお名前なんかも書きたかったんですが。

  あ、この感想は、上にある23日の公演の感想を書き終えた後に書いてますので、記述が前後したりかぶったりしている部分があると思いますが、どうぞご了承下さいませ。

  今回の公演では、語弊がありますけれども、フレデリック・アシュトンの振付の独特さが強く印象に残りました。

  下にあるその1に簡単に書きましたが、まず手足の向きや姿勢が鋭角的で直線的です。次に、ステップが細かく複雑で、腕と脚の動きの組み合わせも難しいです。そして最大の特徴は、プロコフィエフの音楽の区切り方が巧妙かつ独特で、それに非常に劇的な効果を発揮するけれども、そのぶん困難な振付を施してあることです。

  そのため、音楽を把握して踊るのがかなり難しいようです。うまく踊れているダンサーと、そうでもなかったダンサーがいました。

  シンデレラ役の小野絢子さん、前回(2010年)の公演のよりも、更にすばらしく踊っていました。

  振付家に合わせて踊りのスタイルを変えるのは、なかなかできないことだと思います。しかし、小野さんは、たとえ速い動きであっても、両腕の動きはスローモーションのようにしなやかで柔らかく、それと同時に足で細かいステップを踏んでいきます。そして、両腕の動きと両脚の動きがきちんと組み合わさって、美しい踊りとなっていました。

  第一幕のシンデレラのソロでは、まだちょっと波に乗りきれていなかったのか、足元が少し危なっかしいときがありました。でも、身体全体の動きの形が非常にきれいで、音楽にも乗っていました。

  小野さんが空恐ろしいほどの実力を発揮したのは、第二幕のシンデレラのヴァリエーション、王子とのパ・ド・ドゥ、第三幕のシンデレラのソロでした。

  シンデレラのヴァリエーションは2分しかありませんが、あれを最後までスタミナ切れせずに踊るのはさぞ大変だと思います。シンデレラはヴァリエーションの最後で、連続で2回も舞台を一周します。両足を揃えた回転、片脚での回転、小さなジャンプを組み合わせながらです。

  小野さんは、おそらく自身の体力のペース配分を考えてのことでしょう、2回目の舞台一周では、回る円を小さくしてこなしたようでした。いきなり話は飛びますが、2006年の公演で本島美和さんがシンデレラを踊ったとき、本島さんはヴァリエーションの最後でスタミナ切れを起こし、足がほとんど動かなくなってしまいました。

  ヴァリエーションのみに限らず、本島さんのシンデレラは全体的に良くなかったので、私は感想で本島さんをけなしてしまったのです。しかし今思えば、そのときにゲストとしてシンデレラを踊ったのは、アリーナ・コジョカル(!!!)だったんです。

  本島さんは、たぶん上演指導者に教えられたとおり、コジョカルと同じように、ごまかさずに、生真面目に踊ったのでしょう。そつなく小さくまとめるという、ある意味あざといことをしなかった。その結果、体力を使い果たしてしまったのだろうと思います。

  小野さんの話題からそれてしまいましたが、つまりは、本島さん、あのときはけなしちゃってごめんなさい、と謝りたいのです。大体、コジョカルと比べるのが間違っていました。コジョカルと比較するなら、今回の小野さんについても悪口大会になってしまうでしょう。

  さて、小野さんの話題に戻ります。シンデレラのヴァリエーションでの、充分にためを置いた、ゆったりした安定感のある踊りが見事でした。最も見とれてしまったのが、左右に回転で移動してアラベスクでゆっくりとキープするところです。

  身体の軸がやや斜め前になって、上半身を反らせ、軸足が通常以上に弓なりになり、指先まで鋭く反らせた両腕を前後にピンと伸ばすという、アシュトン独特のあのアラベスクを、小野さんが完璧にしているのが目に入ったときには、「ああ、アシュトンだー!」と思わず叫びたくなるほどでした。それほどすばらしかったのです。

  王子とのパ・ド・ドゥも、あの音楽自体はゆっくりなんですが、振付、特にシンデレラの動きにはかなり緩急があります。手足を真っ直ぐに伸ばした姿勢や動きが多く、それらが時にはゆっくりだったり、時には目にも止まらぬ速さだったりします。それを小野さんはほぼ完璧に踊ってました。

  しかし、王子役の福岡雄大さんのほうが、今回は衝撃的だったかも。第二幕で登場した瞬間、王子オーラ大放出。ほとんど後光が差してる。 王子の純白衣装と白タイツもよく似合ってます。いや~、スタイルいいねえ。

  挙措は上品で威厳があり、踊りもダイナミック。ジャンプは高いわ、両脚はぐわあっ!と思いっきり開くわで、まさにお見事の一言。ジャンプからの後ろ向き片脚着地も問題なし。回転もグラつかず、静止するときもスムーズでゆったり。最後は王子ポーズ(片膝を立て、背筋をピンと伸ばし、片腕を上げる)できっちり決める。

  王子を踊る福岡さんは初めて観ましたが、予想以上のすばらしさでした。小野さんともども、福岡さんもつくづく先が楽しみですねえ。

  欲を言えば、小野さんも福岡さんも演技にもっと力を入れてくれるといいなと思います。『マノン』のような作品だけが、真剣に演技すべき作品だというわけじゃないです。

  『シンデレラ』は喜劇に入るんだろうけど、アリーナ・コジョカルやヨハン・コボーはガチ演技してたんです。どんな作品だろうと、それがたとえ喜劇だろうと、ありえないおとぎ話だろうと、舞台の上ではそれぞれの役になりきってたんです。

  それは決して滑稽なことじゃなくて、逆にいつまでも観客の心に残るんです。私は今でも、コジョカルのシンデレラが舞踏会に現れたシーンでの、憧れの場所に来られて感激している潤んだ瞳、シンデレラへの恋の喜びにあふれた、コボー王子の輝く笑顔を思い出せます。

  (ちなみに、コジョカルとコボーが私生活でもパートナーであることは関係ないです。コジョカルがシンデレラを踊ったときはフェデリコ・ボネッリが王子、コボーが王子役だったときはさいとう美帆さんがシンデレラでした。)

  長くなったのでその3に続きます。

    
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新国立劇場バレエ団『シンデレラ』(12月21日)-1


  今日の午後5時ごろ、「明日の午前零時で世界が滅亡するんだよね」と同僚と話していたら、それを聞いていた別の同僚が、「いや、時差があるから、日本時間だと今日の午後3時で滅亡するはずだったんですよ。もう3時過ぎたでしょ。だからもー大丈夫」と言いました。

  そりゃそうだ。マヤの暦なんだから、日本時間に合わせて世界が滅亡するワケねーわ。我ながらアホだと思いました。

  さて、2年おきの年末のお楽しみ、新国立劇場バレエ団によるフレデリック・アシュトン版『シンデレラ』です~。

  やはりアシュトンの最高傑作の一つだよな、とあらためて実感しました。

  きびきびした直線的な、しかし上品で端正な姿勢(アシュトン独特のあのアラベスクには本当にうっとり♪)と動きで構成された振付、そして今回は特に、女性ダンサーたちの爪先の動きの美しさに見とれてしまいました。踊りの全体を見なくちゃ、と心がけているのですが、油断すると女性陣のステップやポワント・ワークばかりに目が行ってしまいます。

  それだけアシュトンの振付が良いんでしょうね。踊る側からするとめちゃくちゃ難しいんでしょうけど、観る側にとっては非常に美しくて見ごたえがあります。極言すれば、女性陣の爪先の動きだけで充分に楽しめるくらいです。あのステップをこなせてる新国立劇場バレエ団の女性ダンサーたちもすごいです。

  演技面はともかく、振付の面では、アシュトン作品は日本のダンサーに向いているとも感じました。あんなに細かくて複雑で、しかも素早い動きやステップをきちんとこなせるのは、今となっては日本のダンサーたちくらいじゃないのかなあ。

  先日のデヴィッド・ビントリー版『シルヴィア』の踊りを楽しめた方には、この作品はおすすめです。ビントリー版『シルヴィア』と似てるので。

  もちろん、ビントリーはアシュトンほど直線的な姿勢や動きは用いていないし、細かいポワント・ワークにこだわっているわけでもないですが、それでもアシュトンとビントリーの振付、そして作品から漂うエンターテイメント性に富んだ雰囲気は、イメージがかぶります。アシュトンはビントリーの「ジ・オリジン」なのだろうと思いました。

  客席の雰囲気も良かったです。シンデレラのオカマ姉妹、じゃなかった、二人の義理の姉たちのどつき漫才(笑)に、みなさん楽しげな笑い声を上げておられました。

  演奏は東京フィルハーモニー交響楽団でした。久々にバレエ公演の生演奏におけるお約束、「金管楽器の音が外れまくり」を経験しました。いや、別に外しちゃってもいいですよ。人間だもの(by みつを)。でも、第二幕のシンデレラと王子のパ・ド・ドゥで、あの最も音楽が盛り上がる瞬間でも外されちゃったので、ちょっと感動に水をさされてしまい、これだけ殘念でした。

  東京フィルハーモニー交響楽団は、去年の冬に初演されたデヴィッド・ビントリー版『パゴダの王子』(ベンジャミン・ブリテン作曲)の演奏も担当していたと思うんですが、あのときもかなりひどかったように覚えています(金管がというよりは全体が)。冬場はバレエ公演の演奏に回せる人手が足りないのかな。

  詳しくは後日~。もう寝るっす。

  
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Federer goes to South America


  12月6日から15日まで、ロジャー・フェデラーは自身のスポンサーの一社であるジレット(Gillette)が開催した、南米でのエキジビション・マッチ・ツアー、その名も『ジレット・フェデラー・ツアー』に参加していました。

  ジレット社って、女子のみなさまにはなじみが薄いでしょう。でも殿方はよくご存知のはず。男性用かみそりメーカーです。フェデラーは超毛深いんで、ジレット社が「こりゃ我が社のかみそりの広告にはうってつけだわ」と目をつけたのはまさに慧眼です。現在の男子選手の多くがおしゃれにヒゲを整えているのと違い、フェデラーがヒゲを生やさず、いつも顔がつるんつるんなのはこのせいでしょう。

  フェデラーの腕、脚、胸、腹はすっごい毛深いので、フェデラーがヒゲを生やしたらアマゾンの熱帯雨林状態になり、いったん迷い込んだら遭難しかねないのは目に見えてます。それが、アップで映ってもヒゲのそりあとがほとんど見えません。ジレット社のかみそりは確かに優れているんだと思います。

  今回のエキジビション・マッチ・ツアーのスポンサーがジレット社だということで、フェデラーはやはり今回の大会に参加したジョー・ウィルフリード・ツォンガ(フランス)とともに、「どちらが上手にヒゲを剃れるか」というアホな競争を記者会見でやらされました。ほっぺたにクリームつけてかみそりで剃ってました。

  ツォンガが明らかに戸惑ってる(←普段は電気シェーバー派か?)のに対し、フェデラーはさすがに手慣れたもんでした。しかもこんなバカバカしい企画を、「歴代最高」、「史上最強」の偉大なテニス選手で、「インターナショナル・セレブリティ」でもあるフェデラー様は、冗談を交えながら超ご機嫌でやっておられました。一緒に記者会見に臨んだ他の選手たちは、フェデラーとツォンガが二人並んでヒゲ剃ってる様子を見て大爆笑、特に女子選手たちは興味津々で見入っていました。

  私はフェデラーのヒゲのないつるんつるん顔が好きですが、フェデラーのめっさ濃い腕毛、脚毛、胸毛、腹毛も大好きなんです。フェデラーの胸毛と腹毛は、試合中にウェアを着替えたときに拝めます。腹毛なんか濃いあまりに渦巻いてて、フェデラーの直筆サインと、フェデラーの腹毛1本とどちらがほしいかと問われれば、迷うことなく腹毛を選ぶでしょう。

  ジレット社と同様、フェデラーの体毛の濃さに目をつけたエステサロン企業が、フェデラーのスポンサーになって、フェデラーに全身脱毛させないよう願うばかりです。

  フェデラーははじめて南米を訪れたのだそうです。サッカーの強豪国がひしめいている南米に来られたことがすごく嬉しかったようで、毎日のようにフェイスブックを更新しまくりでした。明らかにめちゃくちゃハイテンションで、その大はしゃぎっぷりがまぶたに浮かぶようです。

  エキジビション試合以外にも、現地の子どもたち相手のテニス教室(子ども相手に凄まじいサーブを放っていた。おとなげない)、そして南米出身の往年の名選手たち(グスタボ・クエルテンにも会ったそう。懐かしー)との会見などをこなしました。しかし、それ以上に目立ったのが、サッカー関係のイベント参加。

  サッカーの名門チームを訪れ、往年、また現役のサッカーの名選手たちに会い、現地の子どもたち、そして恐れ多くも現役のサッカー選手とサッカーのミニ・ゲームに興じている様子が、フェイスブック、公式サイト、ニュースに掲載されています。フェデラーがテニスの試合をしている写真よりも、サッカーをしている写真のほうが多いです。

  果てに、サッカーのブラジル・チームのユニフォームを着てテニスの試合をするという始末で、もはや今回の訪問目的がテニスなのか、それともサッカーなのかが分からないカオスっぷり(笑)。

  もっとも、フェデラーはかつてテニスとサッカーの両方を本格的にやっていて、最終的にテニスを選んだという経歴を持つ人です(だから今でもテニスの試合中に機会を捉えてはサッカーをしてしまう)。元サッカー少年の血が騒いで、子どもみたいに嬉しがって興奮するのも仕方ありません。

  真面目なテニス・ファンのみなさまは、「ふざけんな!エキジビションといえどテニスに集中しろ!」とフェデラーに憤っておられるかもしれません。でも今回、これほどフェデラーが南米のサッカー・チームや選手たちと交流を持ったのは、たぶん南米各国のサッカー協会の意向によるものじゃないかと思います。理由は知りませんが。決してフェデラーが個人的に要求したのではないと思いますよ。

  フェイスブックをマメに更新してたのも、フェデラーの傾向からすると、意図的に南米を世界中のファンにアピールしたかったからだと思います。南米でのテニス人気を盛り上げてくれとか、ブラジルで開催されるFIFAワールド・カップ(2014)、リオデジャネイロ五輪(2016)のために南米の良いイメージを広げてくれとか、内々に頼まれていたのかもしれません。フェデラーが初来日したときのようにね。

  確かに、私個人は、南米は政情が不安定で、政治家、軍部、官僚、公務員は揃って汚職で贅沢三昧、マフィアや誘拐組織などによる凶悪犯罪が横行し、ゲリラ組織が過激な武力活動を展開して、庶民は低賃金で重労働を課され、貧富の差が極端に大きく、環境破壊や公害問題が深刻で、治安も非常に悪い、という偏見を持っているんで、絶対に行きたくないです。しかし、ちょくちょく南米に行く人が知り合いに複数いますが、女性でも平気で一人旅しているので、気をつけてさえいればそう危険でもないのでしょう。

  肝心の(笑)エキジビション試合では、トマス・ベルッチ(ブラジル)と1回、ジョー・フィルフリード・ツォンガ(フランス)と2回、トミー・ハース(ドイツ)と1回、ファン・マルティン・デル・ポトロ(アルゼンチン)と2回、それぞれ対戦したそうです。戦績はブラジルのベルッチとアルゼンチンのデル・ポトロに1回ずつ負け(←ははは)、その他は勝って4勝2敗です。

  つっても、しょせんはエキジビション試合です。ポイントにもランクにもなーんも関係なし。フェデラー側はYou Tubeに専用チャンネルを設け、ネットで生中継していたのですが、私はどうも観る気になれず、結局1回も試合は観てません。

  フェデラーも対戦相手たちも、ツアーの大会ほどガチでプレーしてなかったでしょうし、大体、フェデラーは意識の上でどう思っていようと、無意識的なところでの勝利へのモティベーションの強弱が、プレーにもろに出るタイプの選手だということが、おぼろげながら私にも分かってきました。そーいうヤツが、エキジビション試合で本領を発揮できるわけがない。

  でも、後でYou Tubeにアップされてる試合を一つくらいは観てみるつもりです。特にデル・ポトロとの試合。エキジビションでも、フェデラーが少しは本気になった可能性のある試合は、デル・ポトロとの対戦でしょうから。

  それにしても、対戦の都度、あれだけ手こずらされてるというのに、フェデラーはデル・ポトロのことが好きみたいですね。フェデラーのフェイスブックに、フェデラーとデル・ポトロが肩を組んでのツーショットが掲載されています。デル・ポトロ、相変わらず優しそうで感じが良いです。

  フェデラー、次はいきなり来年1月の全豪オープンに出場するそうです。前哨戦的な大会には出ないみたいです。まあ、フェデラーって、1~4回戦の試合を練習代わりにする人ですからね。これは傲慢で嫌味に見えますが、フェデラーは、今もって練習ではどうしてもうまくプレーできないようです。

  You Tubeのフェデラー専用チャンネルを観てたら、フェデラーがプロの選手と試合レベルのガチ練習してる映像が候補で出てきました。それを観たところ、フェデラーがとにかくミスをしまくるせいでラリーが続かず、相手選手は呆れた表情を浮かべ、フェデラー自身も申し訳なさそうに苦笑してました。面白い人ですねえ。

  そうそう、You Tubeのフェデラー専用チャンネルには、試合以外の映像も多くアップされています。ツォンガとの「ヒゲ剃り競争」もここで観られます。いちばんウケたのが、フェデラーがアルゼンチンの女性大統領、クリスティーナ・フェルナンデス・デ・キルチネル氏との会見に臨んだ映像です。

  冒頭、フェデラーがいささか緊張した面持ち(横顔がりりしくてステキ)で、白いYシャツの襟を立て、上のボタンをはめてから淡いブルーのネクタイをきっちり締めている様子が映ります。その姿がなぜかめっちゃセクシー、激萌えです。これはおすすめ映像。

  キルチネル大統領は御年59歳にも関わらず、これがまたすごい美魔女で、ウェーブのかかったロングヘアー、ムネぼい~ん!ヒップばい~ん!のセクシー熟女です。お色気ムンムン。フェデラーの肩に顔を寄せるわ、フェデラーからサイン入りラケットをもらって、「ワ~オ!」と色っぽい声を何度も上げるわ、フェデラーの両頬に「ぶちゅぶちゅ」と音を立ててキスするわ、まさに大統領の権限でやりたい放題です。…うらやましい。

  大統領府を去るフェデラーをキルチネル大統領が見送るシーンで映像は終わるんですが、キルチネル大統領、扉にすがるように寄りかかって、ただならぬ熱視線でフェデラーを名残惜しげに見つめています。すっかりメロメロになっちゃった模様です。いや~、噴いた噴いた。

  でも、同じ女として、大統領の気持ちは大~いに!分かります(笑)。

  
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WhatsOnStage.com Awards 2013 ノミネート発表


  アダム・クーパーの公式サイトにも掲載されましたが、WhatsOnStage.com Awards 2013にノミネートされた候補者リストが発表されました。同時に投票も始まりました。 ここ から投票できます。

  "Singin' in the Rain"からも多くの候補者が出ています。


   Best Actress in a Musical:Scarlett Strallen(キャシー役)
   Best Actor in a Musical:Adam Cooper(ドン・ロックウッド役)
   Best Supporting Actress in a Musical:Katherine Kingsley(リナ役)
   Best Supporting Actor in a Musical:Daniel Crossley(コズモ役)
   Best Musical Revival:Singin' in the Rain
   Best Choreographer:Andrew Wright(振付)


  こうして見ると、"Singin' in the Rain"の作品自体はもちろん、スカーレット・ストラーレン、アダム・クーパー、キャサリン・キングスリー、ダニエル・クロスリーの主役4人がすべて、そして振付を担当したアンドリュー・ライトがノミネートされていて嬉しい限りです。

  しかし、アダム・クーパーが、Best Solo PerformanceとBest Takeover in a Roleにノミネートされなかったのはちょっと意外だったなー。

  Best Takeover in a Roleについては、ジーン・ケリーの壁はやはり厚かったとして納得できますが、Best Solo Performanceって、私、意味を取り違えていたのだろうか?てっきり「一人での見せ場で優れたパフォーマンスをした賞」だと思っていたんだけど。第一幕最後の"Singin' in the Rain"でもう決まりだと思っていたので、かなり残念です。

  一方、クーパー君が、…もうやめるか、この呼び方。「君」って年齢でもないしね。アダムがBest Actor in a Musicalにノミネートされたのも意外でした。でもこれは、アダム・クーパーは踊りだけが売り、という印象を打ち破って、ようやくミュージカル・アクターとして評価されたとみなすことができるでしょう。大いに喜ぶべきですね。

  もっとも、私はアダム・クーパーの受賞は難しいだろうと思います。批評家の目は厳しいでしょうし、アダム・クーパーに対する偏見もなお根強いように感じるからです。

  大体、ウエスト・エンドで舞台に立つ俳優たちのレベルの高さと層の厚さは本当にハンパないんで、アダムが他の俳優たちを凌駕できたかというと、私はそうだとは断言できないのが正直なところです。

  投票は来年の1月31日まで受け付けられます。その後、2月17日に受賞者と受賞作品が発表されるそうです。

  アダム、なんとか受賞できるといいですね。毎日毎日、あんな出ずっぱりの役で、全身びしょぬれになって頑張ってるんだから。

  水の中で踊るアダム、本当に美しいんですよ。本当に。

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上海バレエ団『白鳥の湖』(12月2日)-3


  ロットバルトはヂョウ・ハイボー(周海波)でした。まったく踊らず、演技だけです。額から頭頂部までがハゲていて、黒い長髪が垂れ下がっているヅラでした。たぶんハゲワシをイメージしたものでしょうが、ハゲワシというより落武者でした。

  第一幕、上海バレエ団のダンサーたちが勢ぞろいした様子を見ての第一印象は、「うわー、みんなスタイルすげー良い!!!」でした。男性も女性も小顔、上半身が短く、手足が細くて長かったです。彼らが踊りだすと、身体もみんなすっごい柔らかいことが分かりました。体型と身体能力に非常に恵まれているダンサーばかりでした。

  メイクは男女ともに薄め、というよりほとんどスッピンに近い感じでした。オデット/オディール役のファン・シャオフォン(范暁楓)でさえもそう。見るからに「舞台用メイク」していたのは、王子役のウー・フーション(呉虎生)とロットバルトくらいです。うーん、塗りたくれとはいわんけど、みんなもうちょっとメイクに力を入れてくれたほうが、より華やかに、きれいになったんじゃないかなー。

  さて、上海バレエ団の踊りのレベルについてですが、あのね、私は嫌中派でも反中派でもないです(中国嫌いだったらそもそも観に行かないですよ)。それをまずお断りしておきます。

  上海バレエ団のダンサーたちは、体型と身体能力には非常に恵まれてる人たちばかりです。しかし、技術のレベルは高いとはいえない。動きがぎこちない。前の動きと次の動きとがつながっていない、つまり踊りの動線が切れまくり。そして、表現力と情感に欠ける。

  これは非常に不可解なことでした。優れた身体能力を有している人たちなのに、技術が不安定で、動きがもたつき、バタバタする。そのために踊りが揃わず、音楽にも合わない。

  特に気になったのがこれ。彼らは一つの動きをやり終えると、素に戻って動きを完全に止めるか、普通にテクテクと歩き、そして次の動きをするためにじっと構えて待つんです(それでもタイミングを間違えたりする)。これで踊りの流れが断ち切られてしまいます。

  普通、動きと動きとの間は一本の線でつながっていて、スムーズに移行していくものですが、上海バレエ団のダンサーたちの踊りはそうじゃないんです。まるでローカルなバレエ・コンクールのアマチュア参加者のようでした。

  これは中国におけるバレエの教授理論と教授法がまだ立ち遅れているせいだと思います。そうでなければ説明がつきません。あれほどの身体能力に恵まれているダンサーたちが、あんな踊りしかできないというのは、教える側の能力と訓練法に問題があると考えるのが自然です。非常にもったいないことです。

  上海バレエ団のダンサーたちと日本のバレエ団のダンサーたちとを比べた場合、見た目と身体能力では上海バレエ団のほうが圧倒的に上です。しかし、技術、踊りのスムーズさ、演技、表現力では、日本のバレエ団のほうがはるかに優れています。再び念を押しておきますが、これは偏見や感情抜きの正直な感想です。

  第二幕、第四幕の白鳥の群舞ではさほど気になりませんでした。しかし、第一幕の人々の群舞と第三幕の民族舞踊では、ダンサーたちの踊りの拙さがかなり目立ちました。最も意外だったのは民族舞踊で、ほら、男女が互いの腰に手を回して、ぐるぐる回る動きがあるでしょう?上海バレエ団のダンサーたちはそれがスムーズにできないんです。

  前や中心で踊るソリストたちでさえもそう。足元がバタバタしてきれいに回れないし、互いの回転スピードが合っていないので、回っているうちに手が相手の腰からどんどん離れていってしまいます。今まで気にしたことはありませんでしたが、なんでもなく見えるあの動きも、実は難しいんですね。今回の例を目にしてはじめて分かりました。

  群舞は最初はきちんと揃っているのです。このへんはさすがに中国のバレエ団だと感心しました。でも、踊りが進むにつれて、ダンサーたちの踊りが技術的に追いつかなくなっていき、徐々に崩れていってしまう場面が多く見られました。

  技術のムラも激しかったです。さっきは完璧にできたのに、今回はできない、かと思うと次はまた完璧に決める、といったふうに安定しません。

  ダンサーたちに適切な訓練さえ施せば、この上海バレエ団は世界でも優れたバレエ団の一つになるはずだと思います。

  でもさすがに、オデット/オディールを踊ったファン・シャオフォン(范暁楓)と王子を踊ったウー・フーション(呉虎生)は別格でした。

  ファン・シャオフォンは、特にテクニックが凄かったです。一方、他の作品ではどうなのか分かりませんが、表情があまりなかったです。オデットのときはもちろん、オディールのときもそう。表情での演技をさほど重んじない人なのかもしれません。

  もちろん身体も非常に柔軟なダンサーで、第二幕、オデットのヴァリエーションでのデベロッペなんか、スヴェトラーナ・ザハロワなみに脚が耳の横まで上がっていたし、コーダでのアントルシャの細かな足さばきもすばらしかったです。ただ、オデットの腕の動きがあまりしなやかでないのは、個人的には好みではありませんでした。

  最も凄まじかったのが、黒鳥のパ・ド・ドゥのコーダ、オディールのグラン・フェッテです。ファン・シャオフォンはなんと、本当に本当の一点で回り続けていて、位置がまったくズレませんでした。ちょうど、回転する彼女の背後に柱が見えたのですが、その柱の線と彼女の身体との幅が全然変わらないのです。

  たいていのバレリーナは、回っているうちに位置が多少はズレます。しかし、ファン・シャオフォンはまるでそこに固定されたかのように、まったく同じ位置で回り続けていました。いや、ほんとにあれはすごかった。

  それなのに、ファン・シャオフォンは32回を待たずに途中でフェッテをやめました。それまでは鉄壁の盤石さで回転してたので、もともとデレク・ディーンの振付が32回やらなくてよい、ということになっているのだろうと思います。

  今年の春に新国立劇場バレエ団『白鳥の湖』に客演した、中国中央バレエ団のワン・チーミンと、このファン・シャオフォンとを比べると、技術ではファン・シャオフォンのほうが、動きの柔らかさや情感ではワン・チーミンのほうが、それぞれ優れているという印象です。

  王子役のウー・フーションは、これは手放しで称賛したい。顔完璧(女性的な美形)、体型完璧、背丈完璧(長身)、技術完璧、身体能力完璧、演技完璧、メイク完璧(笑)で、もう言うことなし。

  生き生きした演技で、悩める、恋する若き王子を表現していて、オデット/オディールのファン・シャオフォンが無表情だっただけに、ウー・フーションの演技で物語が成立していた感じです。

  ウー・フーションの踊りの技術はこれまた盤石で、ジャンプしても回ってもミスなく、静止時も着地時もピタッと止まってガタつかず、最後のポーズも音楽に合わせてしっかり決め、踊り方も上品でした。非常に優れたダンサーです。

  今春、ワン・チーミンと一緒に新国立劇場バレエ団『白鳥の湖』にゲスト出演した、中国中央バレエ団のリー・チュンなんぞ比べものにならん。リー・チュンは完全にワン・チーミンのサポート要員だったからね。

  このデレク・ディーン版のラストですが、まずオデットが「私は死にます」というマイムをして、木陰に走っていって姿を消します。王子もその後に続いて姿を消します。すると、ロットバルトは急に苦しみだして倒れます。

  それから、オデットと王子を乗せた銀色のゴンドラ(?)みたいな船がゆっくりと天へ昇っていきます。二人は幸せそうにほほ笑んでいます。オデットと王子は愛を貫いて死に、その愛の力でロットバルトも滅んで、オデットと王子は天国で永遠に結ばれる、という結末です。
  
  上海バレエ団がどんな感じなのかは大体分かった(と思う)から、今度は中国中央バレエ団の日本公演がないかなあ。

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上海バレエ団『白鳥の湖』(12月2日)-2


  このデレク・ディーン版『白鳥の湖』の特徴ですが、

  プロローグが設けられていました。ロットバルトが人間だったオデットに襲いかかり、白鳥の姿にしてしまうシーンです。ロットバルトの大きな翼の陰から、それまで長いドレスを着ていたオデットが白鳥のチュチュ姿に早変わりして出てきます。もっとも、これは他の版でも目にしたことがあります。確かブルメイステル版もそうでした。

  多くの版で出てくる道化役はありません。第一幕では、パ・ド・トロワではなく、パ・ド・カトルが踊られます。音楽は、チャイコフスキー原曲『白鳥の湖』第19番(第三幕パ・ド・シス)の第1曲(4人での踊り)、第2曲(女性ヴァリエーション)、第5曲(男性2人による踊り)、第6曲(女性ヴァリエーション)、第7曲(コーダ)が使われていました。

  第一幕の最後、一人になった王子がソロを踊ります。ここではチャイコフスキー原曲第4番(第一幕パ・ド・トロワ)の第2曲を使っています。この音楽で王子がソロを踊るのは、他の版でもあった気がします。ちなみに、マシュー・ボーン振付『スワンレイク』でも、この音楽で王子がソロを踊ります。王子が酒場を追い出された後に踊るやつです。

  ついでに、大昔の英国ロイヤル・バレエ団の『白鳥の湖』に出てくるベンノ(王子の従者)は出てきませんでした。ベンノは森に狩猟に出かける王子に付き従い、今はオデットと王子とが踊るグラン・アダージョで、なんと王子と一緒にオデットと踊ります、というかオデットを支えます。

  1959年制作の映画"The Royal Ballet"で、オデット、王子、ベンノの三人で踊るグラン・アダージョを観ることができます。オデットはマーゴ・フォンテーンです。この三人ヴァージョンのグラン・アダージョは、今から見ると当然のことながらかな~り奇妙で笑えます。ベンノが明らかに余計(笑)。

  トロカデロ・デ・モンテカルロバレエ団の『白鳥の湖』ではこれをパロって、ベンノは王子とオデットに「てめえ邪魔だからあっち行け」と追い払われた挙句、むくつけき白鳥たちの群れに集団でボコられます。

  第二幕の大きい白鳥は2人でした。小さい白鳥は4人です。大きい白鳥が2人というのも、以前に観たことがあったような?どの版かは覚えてません。

  第三幕では、ロットバルトに2人の手下が付き従っていました。つるっパゲ、眉なし、真っ白顔で、映画『犬神家の一族』の「すけきよ」か山海塾みたいでした。

  民族舞踊は、スペイン、ハンガリー、ナポリ、マズルカです。ただ振付では、おそらく踊りが単調にならないようにとの配慮か、各国の踊りの振付に変化をつけていました。

  スペインの踊りでは、男女ともに民族舞踊用の靴を履いていますが、男性の踊りの振付はなぜかクラシカルで、一方、女性の踊りはよく見る「スペインの踊り」の振付でした。

  ハンガリーの踊りは、男女ともに民族舞踊用の靴を履いており、振付もよく見るものです。追記しておくと、ソリスト的な男女のペアが真ん中で踊っていましたが、このうち男のほう(リー・ヤン、李洋)の踊りが超汚かったです。動きがグニャグニャしていました。

  ナポリの踊りでは、女性のほうがトゥ・シューズを履いて踊ります。振付は非常にクラシカルで、民族舞踊というより普通のパ・ド・ドゥという感じでした。次のマズルカは全員が民族舞踊用の靴を履き、振付もよく見るものでした。

  このように、すべての民族舞踊が同じような印象を与えないよう、交互に異なる振付を施して、踊りにアクセントをつけているようでした。…それにしても、ハンガリーの踊りでの李洋とかいうヤツの踊り方は、最悪すぎて今でも脳裏に浮かびますわ(ある意味大物か!?)。

  第三幕の黒鳥のパ・ド・ドゥは、音楽はほとんどの版で使われるあれ(プティパ/イワーノフ版)です。コーダでのオディールのグラン・フェッテは、32回は回らないようです。ダンサーの調子とか能力の問題ではなく、デレク・ディーンの原振付がそうなんじゃないかと思います(理由は後述します)。

  第四幕、オデットの許に駆けつけた王子とオデットとの踊りでは、チャイコフスキー原曲第19番(第三幕パ・ド・シス)の第3曲が使われていました。マシュー・ボーン版で、傷心の王子が母親の王妃に抱きついて甘えようとし、王妃に拒否される場面です。

  ディーンの振付は、どこが前の版を踏襲したもので、どこがディーンのオリジナルなのか分からないのですが、まず第一幕のパ・ド・カトルがすばらしいと思いました。動きにメリハリがあって、見ていて飽きなかったです。

  第三幕の民族舞踊は前に書いたとおりです。そして全体的に、群舞の配置が工夫され、動きも凝っていて見ごたえがありました。第一幕の人々の群舞は単調に陥らずに変化がありましたし、第四幕の白鳥たちの配置やポーズも美しかったです。

  第二幕でのオデットの登場シーンは、オデットと白鳥たちが現れて舞台の右奥に輪を作り、その真ん中にオデットがいるというものでした。ただ、これはディーンの創作ではなく、たぶんイギリス系『白鳥の湖』の伝統的な版に沿ったものだと思います。

  イギリス系の振付家は、特に群舞の配置や踊りに凝る傾向があるように思います。マーゴ・フォンテーンが『バレエの魅力』で書いていたように、演劇が発達したイギリスでは、バレエでも観客を飽きさせないことを重んじるという背景によるのかもしれません。

  それをふまえると、デヴィッド・ビントリーが、ケネス・マクミランはフレデリック・アシュトンと違い、主役の踊りばかりを重視して群舞を軽視していた、と批判している気持ちも分かるような気がします(その批判が当たっているかどうかは別として)。

  装置・衣装デザインはピーター・ファーマーだそうで、そんなにゴージャスではないけど、かといって貧相でもない、といういつもの感じでした。第三幕の王宮の舞踏会のシーン、背景幕を巧妙に重ねて配置することで、華麗な感じを醸し出せていたのはさすがです。

  演奏は東京ニューシティ管弦楽団、指揮はあのオレクシイ・バクランでした。バクランの髪は相変わらずすっごい爆発アフロでした。あのアフロでちょっと視界がさえぎられました(笑)。バクランのせいかどうかは分からないんですが、演奏と踊りとが合っていないときがしばしばありました。

  前に書いたように、観客のほとんどはバレエ鑑賞に慣れていない人々だったらしくて、拍手もまばらでした。反感や悪意からではなく、どのタイミングで拍手したらいいのか分からなかったようです。

  しかし、私の隣に座っていた観客は中国人で、しょっちゅう「ブラヴォ!」と叫んでいました。他に男性の声で「ブラヴィッシモ!」という喝采も頻繁に聞こえてきて、これも外国人観客でしょう(日本人は普通「ブラヴィッシモ!」とは言わん)。コアなファンも観に来ていたようです。

  
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上海バレエ団『白鳥の湖』(12月2日)-1


  毎日、主催元である光藍社の公式サイトをチェックしていました。公演中止の知らせがついに載らなかったので、どうやら公演は予定どおり行なわれるらしいことが分かりました。しかし、会場のオーチャードホールに着く直前まで、入り口に「公演中止」の紙が貼ってあるかもしんないな、と最後まで少し警戒してました。

  尖閣諸島問題のせいで、大がかりな宣伝はできなかっただろうと思います。大々的に宣伝してしまったら、中国当局によって日本に圧力をかける手段として利用され、バレエ団に対して日本への出国許可が出ず、公演中止に追い込まれる可能性が大きかったからです。

  日本公演が実現したのは、尖閣諸島問題を発端とする日中関係の悪化が、今は冷却段階に入っていること、またその他の要因、たとえば上海バレエ団と光藍社による各方面への働きかけなどもあったと思います。公演を実現させるために、日中双方の関係者が奔走して努力されたのであろうと推察します。

  観客はほとんどいないんじゃないかと予想していましたが、思いのほか、そこそこ動員できていました。

  しかしその大部分は、バレエ観劇に慣れていないか、バレエをまったく観たことのない人々のようでした。上演中の観客の反応と、休憩時間に聞こえてきた観客の話の内容で分かりました。

  観客のほとんどは、おそらく招待客と、何かのつてで招集されたのであろう、バレエを習っている子どもたちとその親御さんたち、それからなぜか欧米人、そして日本にいる中国の人々でした(ただ、中国人観客の中には、バレエファンの人々もいました。やはり上演中の反応で分かりました)。

  これもやむを得ないことです。日本のバレエファンの人々がほとんど来なかったらしい原因は、まずマリインスキー・バレエ日本公演の期間と重なったことでしょう。

  次に、上海バレエ団は日本では知名度が低いこと、更に、反日デモのせいで強い反中感情を抱いてしまい、中国のバレエ団の公演を観に行こうという気になれなかった人々が多かったことも影響したと思われます。

  今回の上海バレエ団日本公演は、観客の数と質(といっては語弊がありますが)の面からみれば、もしバレエ公演の成功基準が「満員御礼で観客はバレエ通な人々ばかり」だというのなら、その基準においては失敗でした。

  しかし、普段はバレエを観ない人々にバレエを楽しんでもらいたいというのが、この公演の趣旨であったのなら、その点では成功でした。終演後、「いいものを見せてもらった」、「きれいだったね」と観客が話しているのを多く耳にしました。更に、人々の対中感情の悪化も、多分に緩和させることができたのではないかと思います。

  文化や芸術は、国家によって政治的に利用されるのが現実です。それでも、文化人、芸術家、そして文化や芸術を享受する立場にある人々は、やはり政治と文化・芸術とは切り離して考えなくてはならないと思います。

  だからね、光藍社はよくやりましたよ。こうやって、日中両国の硬直した関係や互いに対する悪化した感情を、草の根レベルで地道にほぐしていくことが、いちばん大事だし最も効果的なんですから。

  さて、バレエの話題に行きましょう。上海バレエ団が今回上演した『白鳥の湖』はデレク・ディーン版で、これはイギリス系の『白鳥の湖』です。

  日本でもしょっちゅう『白鳥の湖』は上演されていますが、そのほとんどは旧ソ連系、ロシア系の『白鳥の湖』でしょう。イギリス系の『白鳥の湖』が上演されることは非常に少ないのではないかと思います。

  このデレク・ディーン版は、かつて小林紀子バレエ・シアターが上演したことがあるそうです。他に、牧阿佐美バレヱ団が上演している『白鳥の湖』はテリー・ウエストモーランド版で、これもイギリス系です。私が知っているのはこれくらいです。

  素人知識で甚だ自信がないのですが、イギリス系の『白鳥の湖』の特徴は、ロシア革命以前の古い『白鳥の湖』の姿をとどめていることだと思います。つまり、共産主義的に改変されていない点です。その一例が、クラシック・マイムが残されていることでしょう。

  『ジゼル』や『眠れる森の美女』でもそうです。現在のロシア系の古典バレエでは、一定の知識がないと理解できないクラシック・マイムは、ソ連の成立以後にほとんど削除されてしまったようです。

  一方、イギリス系の古典バレエでは、現代の改訂版で削除された例もあるものの、どうやらこれだけは削除できない、残さなくてはならないとされる、一連のクラシック・マイムが暗黙のうちに決まっているようで、これらが残存しているのです。

  意外なことに、キューバ国立バレエ団が上演している古典バレエも、ロシア革命以前の古い姿を残しているようだ、と教えて頂いたことがあります。『ジゼル』では、ジゼルの母であるベルタがウィリの伝説を語るマイムをしていたそうです。

  中国は政治的には社会主義体制ですが、今回、上海バレエ団が上演したデレク・ディーン版『白鳥の湖』は、伝統的なクラシック・マイムが非常に多かったです。おかげでストーリーがよく分かりました。

  ディーン版『白鳥の湖』は全四幕構成で、第一、二幕は続けて、第三幕と第四幕はそれぞれ休憩時間を挟んで上演されました。

  マイムが面白いと思った場面。第一幕、王妃が現れると、王妃はジークフリート王子に弓を贈った後、右手の指で左手の薬指を示し、王子に妻を娶るよう迫ります。王子はいったん拒むのですが、王妃に再度迫られて、やむを得ず承諾します。

  それから王子は暗い顔つきになってしまいます。この一連のマイムによって、王子の憂鬱の原因は、まだ愛する人もおらず、結婚する気なぞないのに、結婚しなくてはならない破目になったことだと分かります。

  第二幕、王子はオデットの姿を見て、「なんと美しい人なのか」というマイムをします。その後、オデットは王子に対して、マイムで自分の身の上を語ります。このマイムを生で観たのは、これが2回目だと思います。吉田都さんがこのマイムをやったのを数年前に観たきりでした。

  王子とオデットはマイムで会話します。

  王子「あなたはどなたなのですか?」 オデット「私はもとは王女だったのです。」 王子はそれを聞いて丁寧にお辞儀をします。オデットは後ろを指さして「あそこにいる強い悪魔が私を白鳥の姿に変えてしまいました。この湖は私の母が流した涙でできたのです。私に永遠の愛を誓ってくれる人が現れれば、私は救われるのです」と語ります。

  王子は両手を胸に当て「あなたを愛しています」というマイムをすると、右手を天に向かって差し上げ、オデットへの永遠の愛を誓います。王子のこの誓いのマイムは、ロシア系の『白鳥の湖』でも残っていますね。

  最も面白かったというか噴き出しそうになったのは、第四幕でロットバルトがやったマイムです。オデットの許に駆けつけた王子に対して、ロットバルトはなんとこういうマイムをします。

  まず、右手の指で自分のこめかみを叩きます。それから、右手を天に差し上げます。つまり「思い返してみろ。お前は別の女(オディール)に愛を誓ってしまったではないか。もう手遅れだぞ」という意味のようです。

  このロットバルトのマイムはもともとあったものなのか、それともデレク・ディーンが付け加えたものなのかは分かりません(案外、上海バレエ団が勝手に加えたものだったりして)。英国ロイヤル・バレエ団の『白鳥の湖』あたりを観れば分かるかも。

  さすがにこればかりは古臭すぎるというか、このマイムのせいで、ロットバルトがやけに人間くさくて悪魔の威厳ナッシングになっちゃったかな~(笑)。

  あとは、第四幕の最後で、オデットが拳を握った両腕を力強く交差させ、「私は死にます」というマイムをしてから姿を消します。王子もオデットの後を追います。それで、ディーン版もやっぱりラストは悲劇か、と分かりました(←プログラム読んでなかった)。

 
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「インテンシオ」(11月25日)-3


 第2部

  「雨」(振付:アナベル・ロペス・オチョア、音楽:ヨハン・S・バッハ)

   イザベラ・ボイルストン、ダニール・シムキン

  ボイルストンは肌色の胸当てとパンツ、シムキンは上半身裸でやはり肌色のパンツを身につけているだけでした。

  振付は90年代のウィリアム・フォーサイスの作品そっくりです。ボイルストンもシムキンも柔軟な身体能力を駆使して見事に踊っていましたが、なにせ振付そのものが新味に欠けるため、というかこの手の作品はもう見飽きているため、さほど印象に残りませんでした。

  第1部でシムキンが踊った「Qi(気)」も、このアナベル・ロペス・オチョアという人の振付作品です。昨今、野心的な「振付家」が人気ダンサーに接触し、そのダンサーに自作を踊ってもらうことによって、振付家として名を上げようとする風潮があるように思います。シムキンがそういった「振付家」に利用されないとよいのですが。


  「ジゼル」より 第2幕のパ・ド・ドゥ(振付:ジャン・コラーリ、ジュール・ペロー、音楽:アドルフ・アダン)

   マリア・コチェトコワ、ホアキン・デ・ルース

  コチェトコワがとにかくすばらしかったです。こんなに私個人のツボにはまったジゼルを観たのは久しぶり。森下洋子さん(←ルドルフ・ヌレエフと日本で踊った映像を観た)以来かもしれん。

  静謐な雰囲気、柔らかですうっとした、ぎこちなさが微塵もないなめらかな動き、重さを感じさせない、また音のまったくしない跳躍は、ジゼルがもはや生きた人間でない存在であることを強く感じさせました。同時に、アルブレヒトをなんとか助けようとするジゼルの心も伝わってきました。

  コチェトコワは本当に音楽を大事にするダンサーですね。音楽のツボをよく押さえているというか、音楽と踊りとの相乗効果が最大になるように踊ります。音楽に合わせることをよく考えているか、あるいは自然にそうした能力に恵まれているのだろうと思います。

  デ・ルースは…、すみません、コチェトコワのおかげでよく覚えてません。でも、アルブレヒトのヴァリエーションは、やはりちょっといっぱいいっぱいな感じがしたかなー。でもパートナリングはよかったです。


  「クルーエル・ワールド」(振付:ジェイムズ・クデルカ)

   ジュリー・ケント、コリー・スターンズ

  ケントは茶褐色を基調とした暗い色合いのワンピースを着て、スターンズはグレーのハイネックの長袖Tシャツにデニム調のズボンを穿いていました。

  作品名からしてどんな悲惨な内容なのかと思ってましたが、男女の恋の終わりを表現した作品のようです。振付家も音楽も違いますが、この作品はまるで、第1部でケントとスターンズが踊った「葉は色あせて」の続編のようでした。

  振付は基本的にクラシカルで、ケントもスターンズも暗い色の衣装と冴えない表情で、二人の関係が破綻していく様を踊っていましたが、切ないと同時に、とてもきれいでもありました。この作品でも、スターンズのパートナリングのすばらしさが際立ちました。


  「白鳥の湖」より 黒鳥のパ・ド・ドゥ(振付:マリウス・プティパ、音楽:ピョートル・I・チャイコフスキー)

   イリーナ・コレスニコワ、ウラジーミル・シショフ

  休憩時間にずっと、「イリーナ・コレスニコワって、以前に観たことは絶対にない。なのに、名前は知っている。なぜだろう?」と不思議に思って考えていました。第2部の開始間近になってようやく思い出しました。

  コレスニコワの所属する「サンクト・ペテルブルグ・バレエ・シアター」って、「タッチキン・バレエ」のことだよ。数年前にこのバレエ団の日本公演『白鳥の湖』のチケットを取ったら、コレスニコワの妊娠で公演自体が中止になったんだった。だから彼女の名前を知ってたんだわ。

  コレスニコワのキャッチ・コピーは確か、世界最高速の32回転、とかでした。じゃあすごいラッキーじゃん。この公演で、彼女のオデットとオディールをいいとこ取りして観られるんだから。特にオディールの32回転ね、これは楽しみ。

  導入部、アダージョ、オディールのヴァリエーションとずっと観ていて、やはり踊り方に相当独特なクセのあるバレリーナだな、と思いました。振付も個人的に変えているのか、それともサンクト・ペテルブルグ・バレエ・シアター版『白鳥の湖』ではそういう振付になっているのか、いつも観るおなじみの振付とは異なる振りが処々に見られました。

  オディールのヴァリエーションでは、そのバレリーナのテクニックのレベルが分かりますから、注意して観ていました。そしたら、導入部とアダージョでも感じたことですが、テクニック的には意外と強くないように思えました。もっとも、非常にタフで難しいという箇所に限って、コレスニコワは振りを変えて踊ることが多かったので、断定はできませんでしたが。

  ところが、コーダの32回転になったら、確かにコマが回るようにくるくると、速く軽快に回っていました。「世界最高速」にするには、ダブルを入れるとスピードが落ちてその妨げになるためでしょう、すべてシングルで回りました。なるほど、32回転だけが得意なバレリーナっているんだな~、と勉強になりました。
  

  「ロミオとジュリエット」より 第1幕のパ・ド・ドゥ(振付:ケネス・マクミラン、音楽:セルゲイ・プロコフィエフ)

   吉田都、 ピート・サンプラス ロベルト・ボッレ

  やはり「バルコニーのパ・ド・ドゥ」になりました。うん、「寝室のパ・ド・ドゥ」は舞台装置的に準備が大変だからね。

  ボッレは第1部の『椿姫』の「黒のパ・ド・ドゥ」でも大熱演でしたが、このバルコニーのパ・ド・ドゥでも、にこやかに笑ってロミオを演じていました。踊りもパワフルで、パートナリングもすばらしかったです。

  いちばん凄かったのが、ロミオが正座(?)して、ジュリエットを頭上リフトしてから、そのまま膝から上を伸ばして何度か更にジュリエットを持ち上げるという、観ているほうがぎっくり腰になりそうなリフトです。あのリフトで、ボッレはなんと腕も伸ばして吉田さんを持ち上げていました。腕まで上げるロミオを生で見たのははじめてかも。いやはや、すごい。


  「レ・ブルジョワ」(振付:ベン・ファン・コーウェンベルク、音楽:ジャック・ブレル)

   ダニール・シムキン

  作品名はジャック・ブレルの同名シャンソン。シムキンは若干ヨレヨレな白いYシャツ、サスペンダー、黒いズボンという衣装で、メガネをかけてました。日本でいえば、新橋駅ガード下の立ち飲み屋で安酒を飲み、酔っぱらって帰る途中にテレビのインタビューを受けて寒いダジャレを言うリーマン、というところでしょう。

  シムキンの超超超超超絶技巧爆発しまくり、観客のテンションと頭の毛細血管も爆発しまくりな、トリにふさわしい盛り上がりとなりました。

  なんか、男子フィギュアスケートでよく見る技をやってました。上半身を床と水平にして跳び、空中で両脚をひねるようにして大きく旋回させるやつです。ググってみたら、フィギュアスケートでは「バタフライキャメルスピン」とかいうらしい(たぶん間違ってると思います。すみません)。この技は中国の革命バレエの映像版で見たことがあるだけで、生で見たことはありませんでした。シムキン、これを連続でやってました。物凄い迫力でした。

  途中でシムキン、タバコを口にくわえました。ダメだよ、中学生がタバコ吸っちゃあ、とつい思ってしまいました。ごめんなさい。

  歌の内容と振付がどう関連しているのかよく分かりませんでしたが、シムキンの技が凄かったからどーでもいいや。


  フィナーレ

  オープニングと同じ紗幕スクリーンが下り、再びシムキンの踊る映像が映されます。紗幕の後ろでは、出演したダンサーたちが次々と現れ、自分たちが踊った演目の一部を踊っては消えていきます。

  紗幕に砂のような粒子が集まっていく映像が映し出され、それらの粒子はやがて一気にシムキンの姿を形作ってフィニッシュ。最後まで凝ったCG映像でした。

  その後は紗幕が上がって舞台が明るくなり、普通のカーテン・コールとなりました。

  マリインスキー・バレエ日本公演とこの公演とが重ならなければ、もっとマシな感想が出てきたと思うんですが…。いずれまた同じ企画があったら、今度はゆっくり観たいです。

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「グラン・ガラ」


  マリインスキー・バレエの公演会場でもらったチラシの中に、思いもかけない朗報が。


 東日本大震災復興祈念チャリティ・バレエ「グラン・ガラ・コンサート ~私たちはひとつ!!~ 」


  公演期日:

   仙台公演 2013年3月19日(火)18:30 於東京エレクトロンホール宮城(宮城県民会館)

   東京公演 2013年3月20日(水)17:00 於Bunkamura オーチャードホール


  舞台監督・演出:アラ・ラゴダ(キエフ・バレエ バレエ・ミストレス)
  プロデューサー:田北志のぶ(キエフ・バレエ 第一舞踊手←ファースト・ソリストのこと?)


  出演者:

   田北志のぶ
   アレクサンドル・ヴォルチコフ(ボリショイ・バレエ プリンシパル)
   アレクサンドル・ザイツェフ(シュトゥットガルト・バレエ プリンシパル)
   イーゴリ・コルプ(マリインスキー・バレエ プリンシパル)
   ブルックリン・マック(ワシントン・バレエ プリンシパル)
   ヤン・ワーニャ(キエフ・バレエ ソリスト)
   エカテリーナ・ハニュコワ(キエフ・バレエ ソリスト)
   エカテリーナ・マルコフスカヤ(バイエルン国立歌劇場バレエ ソリスト)
   エレーナ・エフセーエワ(マリインスキー・バレエ セカンド・ソリスト)
   マリーヤ・アラシュ(ボリショイ・バレエ プリンシパル)
   


  演目:

   オープニング 『眠れる森の美女』よりワルツ(※仙台公演のみ)

   第1部

   『コッペリア』第三幕より スワニルダとフランツのパ・ド・ドゥ
      エカテリーナ・マルコフスカヤ、アレクサンドル・ザイツェフ

   『ジゼル』第二幕より ジゼルとアルブレヒトのパ・ド・ドゥ
      田北志のぶ、ヤン・ワーニャ

   「海賊」より メドーラとアリのパ・ド・ドゥ
      エカテリーナ・ハニュコワ、ブルックリン・マック

   『ライモンダ』より ライモンダとジャン・ド・ブリエンヌのパ・ド・ドゥ
      マリーヤ・アラシュ、アレクサンドル・ヴォルチコフ

   『タリスマン』より パ・ド・ドゥ
      エレーナ・エフセーエワ、イーゴリ・コルプ


   第2部


   『エスメラルダ』より パ・ド・ドゥ
      田北志のぶ、ヤン・ワーニャ

   「On the way」
      ブルックリン・マック

   『ラ・シルフィード』第二幕より シルフィードとジェームスのパ・ド・ドゥ

      エカテリーナ・マルコフスカヤ、アレクサンドル・ザイツェフ

   「グラン・パ ・クラシック」
      エレーナ・エフセーエワ、イーゴリ・コルプ

   『スパルタクス』より エギナとクラッススのパ・ド・ドゥ
      マリーヤ・アラシュ、アレクサンドル・ヴォルチコフ

   「瀕死の白鳥」
      田北志のぶ

   『ドン・キホーテ』より キトリとバジルのパ・ド・ドゥ
      エカテリーナ・ハニュコワ/ブルックリン・マック


   フィナーレ「花は咲く」


  チケット料金

   仙台公演:S席8,000円、A席6,000円
   東京公演:S席10,000円、A席9,000円、B席8,000円

  チケット発売日(仙台公演、東京公演):

   2012年12月2日(日)

  仙台公演チケット取り扱いプレイガイド

   河北チケットセンター 022-211-1189(平日10:00~17:00)
   藤崎
   仙台三越
   チケットぴあ
   ローソンチケット
   東京エレクトロンホール宮城 022-225-8641

  東京公演チケット取り扱いプレイガイド

   アルス東京公式サイト 、または TBS公式サイト をご覧下さい。


  ちなみにアルス東京は今回のガラ公演の招聘元、TBSは東京公演の主催者です。なお、「チケット料金のうち1,000円を被災地復興のための支援金として寄付いたします」とのことです。

  仙台、東京両公演の主催者に東京エレクトロンという名前が記載してありますが、これは後援企業(半導体メーカー)のようです。東京エレクトロンは宮城県と縁が深いらしく、それで公演資金を提供したのでしょう。

  また、仙台公演の主催者には河北新報社(宮城の地元新聞社)、TBC東北放送も名を連ねています。(『河北新報』は震災翌日の2011年3月12日から新聞を発行し続け、東北放送は松本龍元震災復興担当大臣の村井嘉浩宮城県知事に対する暴言と、マスコミ各社への脅迫的発言「今の部分はオフレコな。書いた社はこれで終わりだから」を、そのまま放送したことで有名。)

  田北志のぶさんは、去年の夏に行なわれたファルフ・ルジマトフのガラ公演『バレエの神髄』にも出演し、アルベルト・アロンソ版『カルメン』で、「運命(牛)」を踊りました。エカテリーナ・ハニュコワ、イーゴリ・コルプもこの公演に出演しています。彼らはみな、震災からたった4ヵ月しか経っていなかったにも関わらず、意志を変えずに日本に来て踊ってくれたダンサーたちです。

  ついでに、コルプとエレーナ・エフセーエワは今、マリインスキー・バレエの公演で日本滞在中です。

  アレクサンドル・ヴォルチコフ、マリーヤ・アラシュは今年初めのボリショイ・バレエ日本公演に参加し、来日記者会見でのスピーチでヴォルチコフは震災に触れ、その様子はNHKのニュースで放映されました。アラシュはボリショイ・バレエ日本公演の後も来日して、ガラ公演で踊っています。

  この公演はテープ演奏です。しかしこれほどの面子で、またどれも期待できる演目で、なんということでしょう!(←『ビフォーアフター』のナレーションで)、チケット代のこの安さは。

  これは注目すべき公演だと思います~。


          
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