もらった公演チラシから


  この年末、キエフ・バレエの公演会場入り口でもらった、2014年の公演チラシから興味深いものを。

 1.2014年4月19~27日 新国立劇場バレエ団『カルミナ・ブラーナ』

  デヴィッド・ビントリー振付の好評演目。新国立劇場バレエ団が上演するのは今回が3度目。フォルトゥーナ(運命の女神)は湯川麻美子さんと米沢唯さん、神学生3はイアン・マッケイ(バーミンガム・ロイヤル・バレエ)と福岡雄大さん。

  今回は、フォルトゥーナ役にゲストは招聘しないのね。フォルトゥーナは大人の女性の色気とコミカルさと冷酷さが必要な難役。湯川さんのフォルトゥーナは磐石だとして、米沢さんのフォルトゥーナはどんななのかな。楽しみです。

 2.2014年8月8~10日 「ロイヤル・エレガンスの夕べ」

  2011年に行なわれ、これまた大好評だったガラ公演です。ロイヤル・バレエとバーミンガム・ロイヤル・バレエのダンサーたちが、フレデリック・アシュトン、ケネス・マクミランを中心とした、ロイヤル・バレエの地元公演で上演されている作品群を踊ります。日本ではめったに上演されない作品ばかりを観られる貴重な機会です。

  一昨年の公演では、ウェイン・マクレガーの「クローマ」からスティーヴン・マックレーがソロを、ラウラ・モレーラとリカルド・セルヴェラがパ・ド・ドゥを踊って、振付とパフォーマンスのあまりな凄さに、会場は大騒ぎになりました。

  現在のところの出演予定ダンサーは、ラウラ・モレーラ、サラ・ラム、ネマイア・キッシュ、スティーヴン・マックレー、崔由姫、リカルド・セルヴェラ、平野亮一(以上英国ロイヤル・バレエ)、佐久間奈緒、ツァオ・チー(ともにバーミンガム・ロイヤル・バレエ)です。おお、ついに平野さんが出演!平野さんはカッコええぞ~。実はロイヤル・バレエ内で、身長と体型では最も恵まれていたりする。

  チラシによると、「今回の演目は、ダンサーひとりひとりが持つ多様な技術や芸術性を余す所なく伝えるように、英国ロイヤル・バレエ団プリンシパルのラウラ・モレーラによって選択・構成されています」とのこと。モレーラはいうまでもなく英国ロイヤル・バレエの大ベテランなので、その作品選択眼は信用できると思います。ていうか、一昨年の公演もモレーラが実質的に座長だったんでしょ?だったら大丈夫ですよ。

  チケット発売日や演目などの詳細はまだ未定のようで、「最新情報は 公式HP をご覧ください」だそうです。

 3.2014年9月13~15日 エロール・バレエ「メン・イン・ピンク・タイツ」

  主催はなんと光藍社。「メン・イン・ピンク・タイツ」って、なんちゅう公演名だ(笑)。メル・ブルックス監督の『ロビン・フッド ~キング・オブ・タイツ~』を思い出すぞ。

  公演名から分かるように、トロカデロ・デ・モンテカルロ・バレエ団やグランディーバ・バレエ団と同じく、男性ダンサーたちによる女装コメディ・バレエのようです。チラシは片面モノクロ印刷で、ダヴィデ像がチュチュ着てます。キャッチ・コピーは「究極の美、襲来― 」 さすが「帝王再臨」(←2013年「バレエの神髄」キャッチ・コピー)の光藍社。

  エロール・バレエはアメリカのバレエ団らしいです。トロカデロ・デ・モンテカルロ・バレエ団もニューヨークで結成されて、オフ・ブロードウェイで公演やって人気が出て、ついで日本とヨーロッパに進出して、世界規模のバレエ団(?)にのぼりつめたんだよね?アメリカって、こういうとこは懐が深い。

  ちゃんと光藍社が下見をした上で、「こりゃ日本でもイケる」と踏んだんだろうが、大丈夫か光藍社。とりあえず詳細発表(2014年4月)を待とう。

 4.2014年11月8~16日 新国立劇場バレエ団『眠れる森の美女』

  あれ?わしは新国立劇場バレエ団の『眠れる森の美女』を今までに観たことがないような?いくらなんでも上演されたことがない、てなことはないよな。あんまり上演されなかったのだろうか?

  面白いのがですな、演出と改訂振付がウェイン・イーグリングだそうなんですよ。ウェイン・イーグリングは、元英国ロイヤル・バレエ団プリンシパルで、マクミラン版『ロミオとジュリエット』の映像版(1980年代初めの収録)でロミオを踊ってます(ジュリエットはアレッサンドラ・フェリ)。

  現役引退後はイングリッシュ・ナショナル・バレエの芸術監督を長く務め、あのワディム・ムンタギロフを見出したのはイーグリングなんだそうです。

  ウェイン・イーグリングの演出・改訂振付ということは、イギリス系『眠れる森の美女』になるという理解でいいのでしょうか。つまり、マイムを全残ししてある。だったら観に行きます。

  そうそう、新国立劇場バレエ団のチケットは、来年の3月31日までに購入すれば消費税は5%ですが、4月1日以降に購入すると消費税が8%かかります。1日違いで90~450円も高くなるわけです。3月31日までに予約しても、清算が4月1日以降になると消費税は8%です。ご注意を。

  今年も拙ブログをご覧頂きまして、本当にどうもありがとうございました。みなさまどうぞ良いお年を!

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キエフ・バレエ『バヤデルカ』(12月27日)(仮)


  昨日の土曜日に帰省しました。行きはとりあえず順調でしたが、東京への戻りはどうなることやら。いや~、やっぱり秋田はさみなあ~。

  27日もキエフ・バレエの『バヤデルカ』を観に行きました。26日はニキヤがナタリア・マツァーク、ガムザッティがエレーナ・フィリピエワということで、まずまずの客の入りでした。

  一方、27日は主演がオリガ・ゴリッツァ(ニキヤ)、ヤン・ヴァーニャ(ソロル)、オリガ・キフィアク(ガムザッティ)と、日本ではまだ知名度の低いダンサーたちばかりだったのと、西側、とりわけ日本では『バヤデルカ(ラ・バヤデール)』はまだまだマイナー演目であるためか、ちょっと客の入りが寂しかったです。

  なんで『バヤデルカ』がマイナー演目なのか、それはこの作品が上演困難であるためでしょう。最も難しいのは、主役3人(ニキヤ、ガムザッティ、ソロル)をはじめとする主役たちから群舞に至るまで、すべて非常に高い水準のダンサーたちで固めなくてはならないことです。

  それだけに、『バヤデルカ』は『白鳥の湖』と同じくらい、そのバレエ団のレベルを端的に示してしまう演目です。その点で、今回の『バヤデルカ』の上演は大成功でした。『バヤデルカ』すなわち『ラ・バヤデール』の公演としては、極めてレベルの高い舞台になりました。26日の公演はもちろん、この27日の公演もです。

  日本での知名度が低いというだけで、キエフ・バレエを侮ることはできません。日本で知名度のある海外のダンサーたちやバレエ団に、あくまで古典作品に限ってではありますが、踊りの実力と容姿の面でまったく引けをとらないどころか、彼らを軽々と凌駕しているダンサーたちがほとんどです。

  ニキヤ役はオリガ・ゴリッツァでした。まだ若く、日本では無名ですけれども、本当に優れたバレリーナです。演技ではナタリア・マツァークに明らかに勝っています。技術面ではマツァークにまだ及ばないと思いますが、ただこれはキャリアの年数と場数の問題で、テクニックもいずれはマツァークに追いつくでしょう。

  そのときにはゴリッツァのほうが強いと思います。ゴリッツァは表情が豊かです。第一幕でのガムザッティとの争いのシーン、第二幕でのニキヤのソロとニキヤの死のシーンでのゴリッツァの演技には目が釘付けになりました。

  ゴリッツァの踊りはすごく丁寧で粗さがまったくありません。情感あふれる踊りというのはよくある表現ですが、たとえば腕の動かし方とか、脚の上げ方や上げるタイミングとかが、観ている側のツボに見事にはまります。ゴリッツァは小柄で、本来は腕もそんなに長くないらしいのですが、ゴリッツァの腕が異様に長く見えるときがしょっちゅうあって、それもゴリッツァがまだまだ伸びしろのあるバレリーナであることをうかがわせます。

  ソロル役はヤン・ヴァーニャで、『くるみ割り人形』の王子よりもソロルのほうが圧倒的に魅力的でした。非常な長身で、ひょっとしたら190センチを越えているかもしれません。均整の取れた体型と長い手足とに恵まれ、また演技にも秀でています。『くるみ割り人形』でもそうでしたが、技術は非常に、というより完璧に安定しています。ミスはまったくありません。ザンレールが凄かったなー。何回転したんだろ。

  大人っぽい端正な顔立ちで、今回はソロルという人物の高級戦士らしい毅然とした態度と、ニキヤとガムザッティとの間で気持ちが揺れ動き、優柔不断さのせいでニキヤもガムザッティも不幸にしてしまう弱さのギャップを表現していました。ヴァーニャがやる『ジゼル』のアルブレヒトなんかも観てみたいと思いました。

  ゴリッツァとヴァーニャの踊りには、『くるみ割り人形』のときと同様、今日もちょっとだけぎこちなさが見られました。ヴァーニャのパートナリング能力のせいだと思っていましたが、ゴリッツァのせいもあるのではないかと思いました。ぎこちなさは、もっぱらゴリッツァが回転するときに生じてしまっていて、どうやらゴリッツァは自分が回転して静止するのを、ヴァーニャ任せにしているようでした。

  ガムザッティ役のオリガ・キフィアクは初見です。この人も技術が非常に強く、第二幕のガムザッティとソロルのグラン・パ・ド・ドゥのコーダ、イタリアン・フェッテでのキープの鉄壁さと時間の長さには驚きました。そのあとのグラン・フェッテも完璧。キエフ・バレエは女子の層が本当に厚いです。

  明日のニキヤかガムザッティになるだろうのが、グラン・パを踊ったカテリーナ・カザチェンコ、アンナ・ムロムツェワ、アナスタシア・シェフチェンコ、ユリヤ・モスカレンコです。この4人が出てきたとたん、彼女らが他の女子コール・ドとは別格の人材なのは一目瞭然です。体型からして違います。みな脚が長い長い!眼福なのはもちろん、彼女らの足先の動きだけ観ていても飽きません。

  爪先の動きに見とれてしまう理屈はよく分かりませんが、つまりは彼女らがすばらしく踊っているということなのでしょう。

  黄金の偶像は昨日に引き続きマクシム・コフトゥンで、今日は昨日より硬さがなかったようです。昨日はよほど緊張しちゃってたようで、途中で動きの出だしを間違えてました(笑)。ひょっとして黄金の偶像を踊るのは、今回の公演が初めてだったのかしらん? 

  太鼓の踊りは今日も最高でした♪エレーナ・フィリピエワが太鼓の踊りに出るというのには半信半疑でしたが、ホントに出てきて踊りました。フィリピエワが舞台に飛び出してきたとたん、観客は大拍手。

  フィリピエワは古典作品の主役を踊るときには、身体能力やテクニックを過剰にひけらかさず、むしろ抑え目にする人ですが、この踊りではそんな遠慮は無用で、脚を根元から高々と上げてぶんぶん振り回し、音楽に乗ってリズミカルに飛び跳ねていました。顔には明るい笑顔を浮かべています。フィリピエワの太鼓の踊りを観られたなんて、なんかすっごい得した気分です。

  太鼓の踊りの男性ソリストはコスチャンチン・ポジャルニツキーとワシリー・ボグダンということで、途中からフィリピエワと一緒に出てきたのはどちらなのか分かりません。二人とも例の黒髪おかっぱヅラをかぶってたから。二人とも元気いっぱいに長い脚をまっすぐ高く振り上げていたのがよかったです。

  影の王国のコール・ドは本当にすばらしいです。みな容姿端麗、手長足長、技術強靭、とどめに手足の角度から動きまでみな完全に揃ってるときたもんだ。あの第三幕で、客席の雰囲気ががらりと変わったのが分かりました。だって私も変わったもん。

  揃ってる点では、新国立劇場バレエ団のコール・ドに勝るとも劣らないと思います。去年のマリインスキー劇場バレエ日本公演での女性コール・ドは、少しバラバラ感が強かったでしょ。キエフ・バレエのコール・ドにはバラバラ感が皆無。

  前にも書いたけど、ミコラ・ジャジューラ指揮による演奏は、テンポが異常に遅かったのです。ゆっくりした音楽ほど遅い。伸ばして引きずりまくり。だからダンサーたちはしんどかったでしょうが、動きがゆっくりになることで、逆に彼らの能力の凄さが引き出された感じです。特に影のコール・ド。両腕の動きの連続写真のような美しさとキープ能力の高さが際立ちました。ほんとにグラつかないのよこれが。

  あの影のコール・ドの見事さでは、あれに匹敵する『ラ・バヤデール』の舞台は記憶にないです。数年前のボリショイ・バレエの日本公演くらいかも。あんなふうに踊られちゃ、ぐうの音も出ないよね(笑)。

  というわけで、年末で何かとあわただしい(年賀状も今日ようやく書き終えた。やれやれ)ので、詳しいキャストとか細かいツッコミとかはまた今度~。

 
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キエフ・バレエ『バヤデルカ』(12月26日)(仮)


  予想を裏切る(?)すばらしさでした。実は、どーせ大したことないだろ、と思ってたんです。エアで土下座して謝ります。ごめんなさい。

  ニキヤ役のナタリア・マツァークは、いつものように時おりムラが見られた(いきなりガクッと不安定になったり、かと思うと直後は完璧に踊ったり)ものの、技術は申し分なし。そして相変わらず美しい(惚れ惚れ~)。演技にもうちょっと深みがあればもっとよかったなー。

  ガムザッティ役はエレーナ・フィリピエワ。待ってました!この人がいるだけで舞台がビシッ!と引き締まります。あの優しい顔でニキヤを見据え、そのままニキヤにどんどん詰め寄っていくところは迫力満点。ニキヤを殺すことを決意するシーンでは、眼だけをカッと見開いて、前を睨みつけていました。そのときのフィリピエワの表情が超怖かったです。目が合ってしまった(気がする)。ひええ。

  フィリピエワの踊りもやはり別格でした。ポーズひとつとっても全然違う。磨きに磨き抜かれて、艶々とした輝きを放っている感じでした。微塵も隙なし。

  大僧正役のセルギイ・リトヴィネンコも圧倒的な存在感のある人でした。大僧正はこのくらい大きくて個性的な人でないといけないと思います。でも、顔に黒いペンシルで何本もシワ描きまくり(笑)。描きすぎだよ(笑)。いいけどね(笑)。

  本日の収穫その一。マグダウィア役のヴィタリー・ネトルネンコ。この人はすごいっすよ。明日もマグダウィア役で出演するようなので、まあ見て下されい。

  なのに、マグダウィアの踊りの振付が小ぶりなものに変更されているのは実に残念。第一幕の儀式での踊りで、マグダウィア独特の両足揃えたあの回転がなかった。第三幕冒頭のマグダウィアの火の踊りも、なぜか狭いところ(幕と舞台の縁の間)で踊らされていて、あれはなんとかならんかいな。

  本日の収穫その二。太鼓の踊り!!!!!去年のマリインスキー劇場バレエ日本公演『ラ・バヤデール』のヘタレな踊りとはぜんっぜん違う。ダンサーがみんな気合い入れて全力で踊ってる!ああ漲る元気と躍動感!そして、明日の公演ではなんとフィリピエワがこの踊りに加わる予定。楽しみ~。

  本日の収穫その三。ソロル役のデニス・ニェダク。あら?名前打ち込んで変換したらパッと出たぞ。以前にも観て記事に書いたことがあるんだな。でも覚えてない。

  文字入力といえば、Baidu IMEが、ユーザーが打ち込んだ日本語(全角ひらがならしい)を、ユーザー本人に無断で、ユーザーのPCから自社サーバーに自動送信させてた(つまり勝手に記録取ってた)件がニュースになりました。ニュースが報じられたタイミングからすると、わざと首相の靖国参拝にぶつけて中国を牽制しようとした感がありますが、やっぱりヤバい入力ソフトだったか、というのが正直な感想。

  私のPCにもいつのまにかBaidu IMEが入っていました。無料ソフトをダウンロードしたときにインストールさせられたようです。Baiduは中国の「百度」のことだから、百度製の文字入力ソフトだろうことは分かりました。いつのまにかインストールさせられた、しかも中国製。だから不気味に思って絶対に使いませんでした。でもアンインストールもしないでいました。

  それが、今日のニュースを見て速攻アンインストールしました(更にPCの中を検索して、Baidu関連のフォルダやファイルはみな削除。IME以外にもけっこうあるよ)。今日は膨大な数のユーザーが、Baidu IMEをアンインストールしたに違いない。

  中国で普通にやってるのと同じ感覚で、ユーザーが打ち込んだ文字の記録を勝手に取るなんて、そういうことしちゃダメなんだよ。記録した文字列は日本国内のみで管理している、と百度側は言ってるらしいけど、誰が信じられる?記録のデータを中国側に提供してるんじゃないか、って疑われるのが当たり前でしょ?ぷんすか。

  でも、こんなことをするのは百度だけとは限らないだろうけどね。  

  デニス・ニェダク、顔はダンサーには割とよくいる感じですが、ハンブルク・バレエのアレクサンドル・リアプコに似てる。まず最初に気づいたのは身体の柔軟性。それが身のこなしや踊りにしなやかさとして出てます。マリインスキー劇場バレエのイーゴリ・コルプに動きが良く似てる気がしました。ニェダク、凄まじく上手いです。パートナリングも上手でした。が、こちらはまだコルプほどではないかな。

  ニェダクはコルプほどクセがあってアクが強いことはありません。かといって没個性ということもなく、演技が非常に良かったです。ソロルという人物をしっかりと表現してました。顔や雰囲気がリアプコに似てるので(?)、ノイマイヤーの『椿姫』のアルマンとかもイケるんじゃないの?この人。

  本日の収穫その四。第三幕、影の王国の群舞がこの上なくすばらしかったです!最悪、影たちが登場するシーンで将棋倒しが起きるんじゃないかと思ってましたが、もちろんそんなことはありませんでした。群舞は整然として揃っており、バランスを崩したダンサーは、皆無とはいいませんが極めて少数でした。しかもそんなに大きく崩れてはいません。

  演奏のテンポは全体的にかなり遅いです。第三幕の影の王国も非常にゆっくりな演奏でした。ところが、ダンサーたちの動きは明らかに遅い演奏を前提としたもので、それが凄まじく美しかったのです。不思議なことに、後になればなるほどダンサーたちの踊りがすばらしくなっていきます。踊っていくうちにいよいよ集中していくんでしょうね。

  いや、すばらしかった。

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キエフ・バレエ『くるみ割り人形』(12月23日)-2


  ドロッセルマイヤーも冒頭で踊ります。ドロッセルマイヤー役はロマン・ザヴゴロドニーで、眉が薄く、眼がぎょろりとしていて、ちょっと怖い顔立ちです。黒いマントを翻しながら(マントさばきが上手い!)ジャンプして踊るので、コイツ、『白鳥の湖』あたりでロットバルトになって出てくんじゃねえか、と思いました。

  プログラムを見たら、ザヴゴロドニー、ロットバルトはやらないすね。でも、『眠れる森の美女』でカラボスをやるらしい。やっぱり~(笑)。はまり役だろうなあ。

  クララの弟だっけか?フリッツ(マリヤ・ドブリャコワ)をはじめとする男の子たちの役は、もちろんみな女性ダンサーが踊ります。これもバンバン踊る。男の子という役だけに、大きなジャンプで舞台を横断するとか、活発な振りが多かったです。大ぶりに踊ってみせていたけど、ジャンプで開いた脚の形が女性ダンサーのそれで、みーんな両脚が180度以上に反り返って開いてました。

  くるみ割り人形はしょっぱなから等身大、つまりダンサーが演じ踊ります。くるみ割り人形も女性ダンサーが担当します。今回はマリヤ・トカレンコが踊りました。

  ピエロの人形であるコロンビーナ(アンナ・ムロムツェワ)とアルレキン(セルギイ・クリャーチン)、サラセン人の人形たち(アンナ・ボガティル、マクシム・コフトゥン)のメイク・衣裳と踊りを見たら、『ペトルーシュカ』を思い出しました。登場人物(?)がそっくりじゃん。なにか関係があるのでしょうか?

  クララとフリッツの両親、シュタールバウム夫妻(ヴラディスラフ・イワシチェンコ、オクサーナ・グリャーエワ)と客人たちの髪型と服装は18世紀っぽいデザインです。この後も、くるみ割り人形が率いる兵隊たち、雪の精、花の精なども、男女ともにみな白いロココヅラをかぶってました。

  これらの群舞のダンサーたちはみな長身のように見受けられました。実際に長身でなくとも、長身に見える体型のダンサーばかりなのだろうと思います。みな大きくて見ばえがします。雪の精たちの踊り(第一幕)、花のワルツ(第二幕)でも、体型の整ったダンサーたちばかりで、踊りもよく揃っていた(←外国のバレエ団にしては珍しいと思えるほど)ので、ああ、この人たち、「バレエを踊りたい人たち」ではなく、「バレエを踊れる人たち」だなあ、と思いました。

  ねずみの王様役のセルギイ・リトヴィネンコは、今回はねずみの仮面をかぶっていたので、そのお顔を拝見できませんでした。でも仕草だけで笑えました。『バヤデルカ』では大僧正役をやるようです。なかなか演技派の模様。

  第二幕のスペイン、東洋、中国、ロシア、フランスの踊りでは、東洋の踊りがダントツで良かったです。東洋の踊りは、「アラビアの踊り」とか「コーヒーの踊り」とかともいうんじゃなかったっけ?よく分かりません。なんかあやしげな感じのゆっくりした音楽のやつ。

  この東洋の踊りは男女二人で踊られます。男性のほうは『シェヘラザード』の金の奴隷そっくりな衣装、女性のほうは『バヤデルカ』第二幕のニキヤみたいな衣装(ただし色は青)を着ています。振付は回転やジャンプなどの大技はなく、中国雑技団の軟体芸と尺取り虫の動きをまぜたような(表現力がなくてごめんね)、ゆっくりした動きのみで構成されていました。

  男性ダンサーの名前は、なぜかキャスト表にもプログラムにも書いてないので不明です。でもイイ体してました。

  印象的だったのは、女性ダンサーのほうです。アナスタシヤ・シェフチェンコという人です。これがまたほっそい華奢な人でね、手足、とくに脚が超長いの。今回はハーレム・パンツを穿いていたから、なおさら長く見えました。アラベスクやアティチュードで脚を伸ばすだけで、もう大迫力よ。こんなふうに容姿だけで観客に大きなインパクトを与えられるってのも才能の一つだと思います。

  身体能力にも恵まれていて、とにかく身体が柔らかかったです。後ろにえびぞると、頭が足の裏にほとんどくっついてたほどでした。脚も高く上がります。細い胴体と長い手足でかたちづくるポーズそのものがすっごく印象的。

  シェフチェンコには独特の雰囲気もありました。お顔つきは、ウリヤーナ・ロパートキナと、あとは厚木三杏さんにも似てるかなー。雰囲気も似てます。冷たい硬質な感じです。ただ性格はシェフチェンコのほうが悪そう。語弊があるかもしれんが、性格が悪そうなのがまた魅力的なんですよ(笑)。野心的なのはいいことだ。

  シェフチェンコは、容姿はニキヤにぴったりです。『バヤデルカ』では影のヴァリエーション、『白鳥の湖』では大きな白鳥、『眠れる森の美女』では妖精を踊るようです。細かい動きはどうなのか、後のお楽しみってことで。

  王子役のヤン・ヴァーニャは、長身(190近くはありそう)、整った体型、長い脚、そんなに美男子ではないけど優しげな顔つきと穏やかな表情、落ち着いた上品な雰囲気とたたずまいなど、まず見た目の王子要素はコンプリート。

  踊り。身体がさほど柔らかくないみたい。脚があまり高く上がらないし、開かない。ただ、技術は盤石の安定感。ゴリッツァと同じで、この人も目立ったミスはなし。回転ジャンプして片足着地でアラベスク、何度やってもまったくグラつかず。連続回転、軸が全然ブレない。回転から静止、やはり微動だにせずビシッとポーズを決める。回転ジャンプでの舞台一周、脚はそんなに開いていないけど、高さがあって力強くてダイナミック。

  一方、パートナリングはかなり不安定だった。第一幕のクララとのパ・ド・ドゥでは、オリガ・ゴリッツァの身体がかなりグラグラしていた。「しゃちほこ落とし」はなんとか無事に決めた。でも、第二幕最後のグラン・パ・ド・ドゥでは、二人の動きがかなりスムーズになった。ヴァーニャ、第一幕は緊張してたのかもしれないです。まあ、倒れてたのが起き上がって、いきなりクララとの踊りだから。

  上に書いたように、群舞は男女ともよく揃っていました。男子はみな長身イケメン君ばかりです。女子の群舞はより大事なんで注意して見ました。ステップが見た目に少し重くてもたついてるような気がしましたが、みなの動きは整然としていました。いや、『バヤデルカ』の「影の王国」の登場シーンは大丈夫かなって心配でさ。あれは有名バレエ団でも失敗するときがあるから。

  数年前、レニングラード国立バレエ(ミハイロフスキー劇場バレエ)が、日本公演で『バヤデルカ』を上演したときのこと。「影」の群舞が惨憺たる出来だった(グラつく、動きが揃わない)。そのときの芸術監督はファルフ・ルジマトフ。翌日の演目も『バヤデルカ』でした。どうなるんだろうと思ってたら、翌日には見違えるようにすばらしくなっていました。たった一晩でどうやったらあんなに改善させることができるのか、今もって謎です。

  『くるみ割り人形』、『バヤデルカ』、『眠れる森の美女』、『ドン・キホーテ』、『白鳥の湖』って、プティパの5作品全幕を3週間で一挙上演って、よく考えたら(よく考えなくても)すごい話だ。キエフ・バレエは侮れないのである。

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キエフ・バレエ『くるみ割り人形』(12月23日)-1


  キエフ・バレエの正式名称は「タラス・シェフチェンコ記念ウクライナ国立バレエ」だそうです。長くて打つのが面倒くせえので、本記事では「キエフ・バレエ」という通称を用います。

  ウクライナは旧ソ連邦に属していましたから、キエフ・バレエはロシアのマリインスキー劇場バレエと同じ系統(ワガノワ・メソッド)のバレエ団です。実際、観ているとなんか「マリインスキーっぽい」感じがします。形式美を重んずる正統派クラシック・バレエというか。

  キエフ・バレエ本体は日本ではまだそんなにメジャーではないかもしれませんが、キエフ・バレエ(もしくはバレエ学校)は、世界的に有名なバレエ・ダンサーを多数輩出していることで知られています。プログラムやチラシに書いてあることは本当です。

  めちゃくちゃ上手だしなんか印象に残るなあ、と思って経歴を読むと、キエフ・バレエ系の出身者だったということはよくあります。アリーナ・コジョカル、スヴェトラーナ・ザハロワ、イーゴリ・コルプ、レオニード・サラファーノフあたりが有名どころです。

  あとはデニス・マトヴィエンコ、アレクサンドル・リアプコ、イリーナ・ドヴォロヴェンコ、イワン・プトロフ、アナスタシア・マトヴィエンコ、驚いたことにアレクセイ・ラトマンスキーもキエフ・バレエ出身だそうです。錚々たる面子です。他にもまだまだいるでしょう。


 キエフ・バレエ『くるみ割り人形』全二幕(2013年12月23日於東京国際フォーラムAホール)

   作曲:ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー
   台本:マリウス・プティパ
   原振付:マリウス・プティパ
   振付・演出:ワレリー・コフトゥン
   美術:マリヤ・レヴィーツカ


   クララ:オリガ・ゴリッツァ
   王子:ヤン・ヴァーニャ

   ドロッセルマイヤー:ロマン・サヴゴロドニー
   フリッツ:マリヤ・ドブリャコワ

   ねずみの王様:セルギイ・リトヴィネンコ
   くるみ割り人形:マリヤ・トカレンコ

   コロンビーナ(ピエロの人形):アンナ・ムロムツェワ
   アルレキン(ピエロの人形):セルギイ・クリャーチン
   サラセン人の人形:アンナ・ボガティル、マクシム・コフトゥン

   シュタールバウム夫妻:ヴラディスラフ・イワシチェンコ、オクサーナ・グリャーエワ

   スペインの踊り:オリガ・キフィアク、ドミトロ・チェボタル
   東洋の踊り:アナスタシヤ・シェフチェンコ、男子1人(←キャスト表に名前が書いてない)
       
   中国の踊り:カテリーナ・ディデンコ、寺田宜弘

   ロシアの踊り:カテリーナ・タラソワ、マクシム・コフトゥン

   フランスの踊り:アンナ・ムロムツェワ、ユリヤ・モスカレンコ、セルギイ・クリャーチン、イワン・ボイコ


   指揮:ミコラ・ジャジューラ
   演奏:ウクライナ国立歌劇場管弦楽団

   上演時間:第一幕50分、第二幕50分


  演奏が良かったです。ウクライナ国立歌劇場管弦楽団はそんなに大きなオーケストラではないだろうと思います。またオーケストラはオーケストラでコンサートをいくつか行なうようです。ですから、今回のバレエ団の公演の演奏を担当したのも、いわゆる二番手、三番手などの団員ばかりではなく、腕のいい団員たちがほとんどなのではないかと思われます。

  指揮を担当したミコラ・ジャジューラもウクライナ国立歌劇場の音楽監督で、普段はオペラやコンサートで振ってる人です。演奏が良いのは嬉しい♪これは『眠れる森の美女』や『白鳥の湖』も期待できそう。

  昨今の『くるみ割り人形』といえば、ストーリーを筋道立てて細かく説明する改訂演出や、あるいはまったく別のストーリーに仕立てあげてしまう新演出が多いです。結果、踊りよりも演技によるストーリー説明の比重が大きくなり、甚だしい場合、第一幕が最後のクララと王子との踊りまで、ほぼ演技オンリーで構成される版もあります。

  改訂でも改変でも、出来のいい版(ピーター・ライト版、マシュー・ボーン版、グレアム・マーフィー版など)は見ごたえがありますが、版によっては退屈になってしまいます。

  また日本のバレエ団が年末に揃って上演する『くるみ割り人形』には、決まってそのバレエ団の学校やお教室の生徒さんたちが舞台上にひしめき、ほほえましくかわいらしい踊りを披露するわけで、バレエ公演というよりは学芸会的な雰囲気に、まったくもってうんざりさせられるわけです。

  それで、もう何年も『くるみ割り人形』は観てませんでした。最後に観たのはマーフィー版(オーストラリアン・バレエ)だと思います。伝統版に至ってはもう5、6年も観てないかも。スターダンサーズ・バレエ団のピーター・ライト版だったか?吉田都さんが金平糖の精を踊った公演。

  もちろんキエフ・バレエのこのワレリー・コフトゥン版は初見です。で、けつろん。重箱の隅をつつくような細けえストーリー説明はなく、徹頭徹尾踊りのみの構成、 うざいガキんちょども かわいい子どもの生徒さんたちは出てこず、プロのダンサーである団員のみの出演と、私の好みどストライクな演出でした。

  クララの踊りの振付は難易度超絶高。冒頭でクララがさっそくソロを踊りますが、しょっぱなからこんな振付で踊るかー!と心中ツッコんだほど複雑で難しそうでした。

  クララ役のオリガ・ゴリッツァは、ゴリッツァという名前がなんかゴツいのと、プロフィールの写真写りがあんまし良くないので、ちょっと偏見を持ってました。ところが、舞台上に現れたゴリッツァを見て、「めっちゃカワイイやん!」(東京ガスのCM)。

  ダーク・ブロンドの頭が小さい!顔が小さい!首が細くて長い!手足も長い!胴体が華奢!ポーズがきれい!身体が超柔軟!テクニック強靭!バランス鉄壁!表情が豊かでかわいい!(どこかアリーナ・コジョカルに似てる気がする)と、まー優れたバレリーナでした。

  スタミナはまだちょっと足りないみたいです。第二幕の最後、クララと王子のパ・ド・ドゥ(金平糖の精の踊り)のコーダで少しへばってしまいました。グラン・フェッテがあまり美しくなかったです。回転しながら周回するところでは、脚の動きが重くなっていました。心の中で「がんばれ!あと少しだよ!がんばれ!」と応援。

  でも、100分間ほぼ出ずっぱりだったにも関わらず、目立ったミスがまったくなかったのはすごい(驚嘆)。

  踊りや表情が優しいフェミニンな感じで、同じキエフ・バレエのエレーナ・フィリピエワと似ているような気がしました。フィリピエワの境地に達するにはもっと時間が必要でしょうが、先が非常に楽しみなバレリーナです。オリガ・ゴリッツァ、チェックよーし!

  その2に続きます~。

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映画三昧


  今月からついにWOWOWに加入しましてん。契約しているケーブル・テレビの会社から営業の電話がかかってきて、あいつら、ほんとにセールスがうまいのな。「2ヶ月間無料!」の謳い文句に乗せられて契約しちゃった(来月からテニスの全豪オープンが放映されることが頭をよぎったせいもあり。フェデラー)。

  以前はめったにテレビを観なかったんですが、そのケーブル・テレビから送付されてくる番組ガイドを観て、面白そうなのがあれば観るようになりました。とりわけ週末。ケーブル・テレビの営業も「(加入後は)週末は特にテレビをご覧になるようになりますよ~」と言っとったが、本当にそのとおりになった。

  今週末は三連休とクリスマス前のせいか、面白い映画が目白押しでした。WOWOWでは『レ・ミゼラブル』(2012)、ムービープラスHDでは『ベンジャミン・バトン』(2008)を本放送と再放送の両方とも観ました。そして(本放送+再放送)×2の計4回号泣。

  ついさっき観終えたのは、日本映画で『遺体 明日への十日間』(2013)でした。震災発生後、岩手県釜石市に設けられた遺体安置所の10日間を描いたもの。ドラマティックな要素はなく、これでもか、これでもかとばかりに、容赦のない、救いのない現実が次々と襲ってきます。最後も期待や希望を込めるオチにせず、ただ状況だけが淡々と描写されて終わりです。

  登場人物たちは無力です。英雄ではありません。無力な中で、打ちのめされながら、疲れ切って、自分のやることをやるだけです。

  キャストはすごいです。西田敏行、緒形直人、勝地涼、國村隼、酒井若菜、佐藤浩市、佐野史郎、沢村一樹、志田未来、筒井道隆、柳葉敏郎などなど。

  一連の描写は、あれでも控え目だったのではないかと想像されます。実際はあれ以上だったでしょう。

  それでも観ているだけでかなり辛いものがありました。実際に関わった市の職員、医師、消防隊員、警察官、葬儀社の社員、ボランティア、そして遺族の人々はその後どうなったのか、後から深刻な精神状態に陥ったのではないか、今でも立ち直れないでいるのではないか、とても気にかかります。

  鎌倉の建長寺で目にした大槌町の人々もそうでしたが、私は、彼らが明るい笑顔を浮かべて、前向きに一生懸命頑張っているのが心配なのです。彼らはちゃんと悲しんだでしょうか。泣いたでしょうか。辛い思いを封じ込めて、無理をしていないでしょうか。

  神様が彼らを抱きしめてくれればいいんだけど。

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イチョウの木


  

  見事な「イチョウじゅうたん」だったので、携帯電話(ガラケー)で撮影。ガラケーだけに画質がよくなく、無理に拡大したら逆に興趣がなくなった。そこであえてオリジナルサイズで。


  

  もう一枚。
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「聖なる怪物たち」(12月1日)-2


 注:以下の記事には、本作品に対してかなり批判的な内容が含まれています。感動に水をさされたくないみなさまは、ご覧になるのをお控え下さいますようお願い申し上げます。


  ギエムは相変わらず凄かったです。台湾出身の振付家、林懐民の振付によるギエムのソロは、ギエムの特徴とされてきた能力、つまり人間離れした柔軟な身体、強靱な筋力、安定した平衡感覚、驚異的なバランス保持力を故意に強調した振付でした。

  片脚を付け根から頭の横まで上げて(←ギエム独特のあのポーズ)キープ、ゆっくり数回転する、10秒ほどもかけて、前アティチュードの狀態からゆっくりと徐々に片脚を後ろに移動させてアラベスク、それからパンシェして(←もちろん両脚は180度以上開いている)キープ、などといった動きをふんだんに盛り込んでいました。

  観客がギエムに期待するバレエのムーヴメントをわざと詰め込むことで、カーンのカタックと対比させた踊りです。カタックがカーンを拘束していったのと同様、クラシック・バレエの伝統と観客の期待とが、ギエムを拘束していったことを示す意味合いがあるのでしょうが、それでもやはりギエムは凄いなあ、と思いながら見とれていました。

  カーンとギエムがそれぞれの出発点であるソロを踊った後は、独白と会話を差し挟みつつ、カーンとギエムが一緒に踊り始めます。ギエムがイタリア語を勉強するために、イタリア語版の『ザ・ピーナッツ』を読んだことを独白します。独白の中に、チャーリー・ブラウンの妹、サリーが縄跳びをするシーンが出てきます。その後、ギエムとカーンは縄跳びをモチーフにした楽しげな踊りを踊ります。

  その後はカーンの踊りになります。カーンは「これは正しいのか?」と自問自答しながら、苦しげな表情を浮かべ、拳を激しく打ちつけます。ギエムがその手をつかまえて、カーンを止めます。カーンとギエムは互いの手をつないだまま踊り始めます。

  この手をつないだままの踊りは、ギエムとカーンの腕がかたちづくる輪がとてもきれいでした。

  その前、カーンのソロを見ていて、どうもこの人は腕は短いせいか、腕の動きに見ごたえがないな、と思っていました。思いながら、私はほとんどバレエの舞台しか観ていないから、ダンサーの体型や動きに対して、バレエの基準だけでそのよしあしを評価する癖がついてしまっているのだ、と自覚もしていました。

  最後、ギエムが両脚でカーンの腰を挟み込み、そのままの状態でゆっくりと踊ります。もちろんギエムですから、ずり落ちたりなどしません(笑)。ギエムの上体と両腕は、スローモーションのように、連続写真のように動いていきます。力が入っていることをまったく感じさせません。

  カーンも、自分よりも背の高いギエムを腰だけで支えながら、床に着いているその両脚、そしてギエムにしがみつかれている上半身は微動だにしません。ギエムと同じように両腕を流れるように動かしていきます。カーンとギエムの動きはぴったり合っています。

  この踊りはチベット仏教の合体仏や歓喜仏を連想させます。実際に、カーンはこれらの仏像をモチーフにして振り付けたのだろうと思います。カタックとバレエという異種の踊りの融合と、新しい舞踊表現の誕生を示しているのでしょう。

  その後、ギエムがカーンから体を離して床に下り、二人は楽しげな表情を浮かべて踊り続けます。歌と音楽が高揚したものになっていくとともに、二人の踊りも激しくなっていきます。

  ギエムとカーンが激しく踊り続けていると、いきなり歌と音楽がパタッと止みます。いいかげんにしろ、はいもう終わり!というように。ギエムとカーンは「えっ!?そんなあ!」という表情で歌手と演奏者たちのほうを見ます。その瞬間に照明も落とされます。なかなかユーモラスな、小粋な演出です。

  まとめ。この「聖なる怪物たち」は、そんなに優れた作品だとは思いません。まず、シルヴィ・ギエムもアクラム・カーンも、ダンス界での成功者、それもとてつもない大成功者です。その成功者たちが「私はこんなに苦しんできました」と訴えるのです。こうした「成功者の苦悩自慢」は白けるものです。  

  冒頭、ギエムとカーンはともに鎖のついた手かせを付けています。陳腐で安っぽい演出です。

  次には、この作品の上演が、傍目にはルーティン・ワーク化、ショウビズ化してしまっているように見えることです。この手の内容の作品は、一時性というか即興性というか、そのときそのときでまったく違うパフォーマンスになることが、出来不出来を左右する重要な要素です。鮮度が大事です。これは違うキャストで上演されるならまだ可能なのですが、同じキャストだと非常に難しくなります。

  ギエムとカーンは毎回毎回、決まったセリフで自己の苦悩を述べています。となると、どうしても鮮度は落ちてしまいます。英語圏で上演する場合は即興でセリフを言うことが許されます。しかしこうして非英語圏で上演する場合には、言葉の問題がありますし、字幕も事前に用意されていますから不可能です。しかも、ギエムもカーンもセリフで表現するプロフェッショナルではありません。

  踊りについては、私は今回の舞台しか観ていないので、いつも同じ踊りしか踊っていないのかどうかは知りません。ひょっとしたら、メインのソロやデュエットを除いた他の踊りでは、即興で変えているのかもしれません。しかし、私は今回の舞台を観て、また観たいとまでは思わなかったし、映像版を買おうとも思いませんでした。むしろ、1回しか観ていないのに、この舞台には強いルーティン・ワーク性とショウビズ性を感じました。

  最後には、ギエム、カーン、歌手、演奏者たち、デザイナー、技術者、スタッフが小さな芸術サークルを形作っていて、彼らだけで自己完結してしまっているのが鼻につくことです。伝統的な価値判断、ダンスのジャンルにとどまらない人種・民族・宗教など様々な垣根、そして固定された枠組みに疑問を呈しながら、彼らは同じような価値観を共有し、自分たちだけで固まって垣根を作り、自分たちだけの小さな枠組みの中で悦に入っているように見えます。

  初見の作品なので、今回はさすがにプログラムを買いました。プログラムに書いてある作品紹介や解説は、ほとんどが字面を見ただけで読む気が失せるような、難解な単語を複雑な修辞で敷き連ねたワケ分かんない抽象論ばっかり。こういうとこからも、この作品が持つインテリ的スノッブさがよ~く分かる。

  この75分間に展開されたのは、高い志を同じくする真の芸術家たちによる自己満足の世界でした。観客を演者と同じ世界に巻き込めるような、小さな劇場なら分からなかったと思います。私はギエムとカーンの苦悩と新たなる試みに感動したことでしょう。しかし幸いにも(?)、今回は大きな会場で、演者と観客との間に距離があったおかげで、彼らの自己満度が余計に目立ちました。私という観客は終始一貫して「よそ者」でした。

  この作品は、ロンドンやパリの小さなアングラ劇場で上演したほうがいい作品だと思います。でも実際には、サドラーズ・ウェルズ劇場やシャンゼリゼ劇場で上演されたわけです。アングラ劇場なんてそもそも無理でしょう。シルヴィ・ギエムとアクラム・カーンが演者なのですから。

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「聖なる怪物たち」(12月1日)-1


 「聖なる怪物たち」(12月1日午後3時-4時15分、於ゆうぽうとホール)

   振付:アクラム・カーン、林懐民(ギエムの第1ソロ)、ガウリ・シャルマ・トリパティ(カーンの第2ソロ)

   音楽:フィリップ・シェパード、イヴァ・ビトヴァー、ナンド・アクアヴィヴァ、トニー・カサロンガの歌より

   照明:ミッキ・クントゥ
   装置:針生康
   衣装:伊藤景

   構成:ギィ・クルーズ

   ヴァイオリン:アリーズ・スルイター
   チェロ:ラウラ・アンスティ
   パーカッション:コールド・リンケ
   ヴォーカル:ファヘーム・マザール、ジュリエット・ファン・ペテゲム


   ダンサー:シルヴィ・ギエム、アクラム・カーン


  2か月ぶりの舞台鑑賞です。リハビリ(?)には最適な舞台でした。短くてすぐ終わり(休憩なしの75分)、構成はシンプルでたわいなく分かりやすかったです。

  しかし、ギエムが出ずっぱりの演目、日曜日の昼の公演、しかも楽日なのに、観客の入りが良くなかったので驚きました。1階席後方はガラガラ、前方にも空席がちらほら見られました。どーりでNBSの公演にしちゃ珍しく、良い席をもらえたわけだよ。売れ行きがあまり伸びなかったんだな。(それとも最初からわざと売らなかったとか?)

  まず文句からいきましょ。「箱」が大きすぎです。この作品は小~中規模のホール、シアター・コクーン、新国立劇場中劇場、東京芸術劇場中ホールみたいな会場のほうが向いています。しかも演者と観客との距離がほとんどないような、たとえば凸型などの舞台にすれば、もっと見ごたえがあったはず。

  ここはひとつ、佐々木忠次氏が新国立劇場に土下座(笑)して、中劇場を貸してもらえばよかったのに。

  もちろんこれは冗談。採算をとるために、客はなるべくたくさん入れたほうがいいから、大きくて安く借りられるゆうぽうとホールにしたんでしょ。このご時世では仕方ないですね。

  会場売りのチケットも、パリ・オペラ座バレエ団公演(『椿姫』、『ドン・キホーテ』)と東京バレエ団公演(ノイマイヤー版『ロミオとジュリエット』)のみとちょっと寂しい。購入している人もほとんどいなかったような…。世の中の実情はやはり不景気なのだと実感(今回は休憩時間がなかったせいもあるでしょうが)。

  いわゆる「アベノミクス」による「経済成長」の基本的な実態は、徹底したコストカットで増益したように見せかけてるだけで、収益自体が上がってるわけではないからね。

  NBS主催の公演に行くたびに、NBSが募っている寄付金の種類がどんどん増えていっているのもその傍証になります。本当に景気が良くなっているなら、お上も庶民もやることは決まってます。娯楽におカネかけるようになるはず。1980年代後半~90年代前半のバブル経済期を思い出してみれば分かる。でも、現状はそうじゃないでしょ。

  NBSのほうも、日本における舞台芸術は危機に瀕しています、寄付をお願いいたします、と連呼して寄付を募りながら、その割には観客の要望をまったく聞こうとしないのは不可解です。いいかげん会場アンケートくらい実施してはどうでしょうか。もう昭和の高度成長期やバブル経済期の感覚で、舞台興行やってける時代じゃないよ。  

  本題。この「聖なる怪物たち」は映像版が出ているので、内容について細かく説明するのは省きますです。カーン、ギエムが交互にそれぞれのオリジン的な踊りであるカタックとバレエを踊り、自らについて語り、対話し、一緒に踊ることで双方の踊りが融合していき、名前の付けられない、ジャンル分けが不可能な踊りに進化していく。

  カーンとギエムについてもまず文句を言っておこう。セリフを交えるのであれば、もっと大きくはっきりと発声したほうがよいと思います。ギエムのセリフ回しはまだ明瞭でしたが、カーンは声が細くて小さく、しかも早口なので、非常に聞き取りにくかったです。

  仰々しく演技をつけた話し方をしろ、と言ってるのではありません。観客に聞かせて理解してもらう前提でセリフを取り入れる以上は、観客が聞き取れるように発音・発声しなければならない、ということです。

  もっとも、今回は舞台と客席との距離が遠く、しかもカーンとギエムのセリフは、舞台前面に設置された集音マイクを使用して流していたので、なおさら聞こえにくくなったのでしょう。だったら大規模な会場に合わせた音響設備を整えなくちゃいけないし、さもなければやはり中規模の会場で公演を行なったほうがよかったのでは。

  踊りについては、カーンがギエムを凌いでいたと思います。クラシック・バレエの舞台ではないので、カーンはギエムに遠慮する必要がなかったし、ギエムも自分一人を目立たせろと要求するような人ではないでしょう。

  今回はカーンの踊りのほうが強かったです。男性だからパワフル、というのではなく、訴えかけてくる力が凄かった。カーンのほうが、葛藤して、悩んで、苦しみながら考えぬいて、そういう経験をギエムよりも多くしてきたんだろうと思います。たぶんその差が出たんでしょう。

  カタックの動きを取り入れてあるという、両腕と両手の美しい、かつせわしい動き、いつまでも続く鋭い速い回転、タップ・ダンスのような足踏み(それともタップ・ダンスと取り入れたの?)がとても力強かったです。やがてカタックが暴走して、カーンを逆に苦しめる存在になっていく過程もよく分かりました。

  セリフの字幕が出ているのに、カーンがセリフを言わなかったシーンがありました。「これは正しいのか?」という、カーンへのインタビューで印象的だと紹介されていたシーンです。

  このシーンでは、カーンは四つん這いになり、何度も起き上がろうとしては、そのたびに顔を歪ませ、押し潰されたかのように床にべたっと手をつく動作をくり返します。そして、拳を握った手を何度も打ちつけます。

  後でプログラムを読んだら、フランス公演でも、フランス語の字幕が出ているのにも関わらず、カーンはセリフを言わなかったそうです。今回の日本公演でも、あえてセリフを言わないことにしたのでしょう。そのぶん、身体の動きだけで語ることになるので、セリフを言うよりも逆に雄弁なものとなりました。

  上から抑えつけようとする力にあらがって、苦しそうに顔を歪ませながら何度も起き上がろうとするカーンの動きは強烈で、まさに圧巻でした。

  そのカーンに手を差し伸べて助けるのがギエム、という演出には、個人的には「?」と思いましたが(どちらかというと逆だろうと思う)。

  うーん、正直、「たかが踊り」で、カーンもギエムも何そんなに深刻になってんの、と思わないでもありません。

  しかし、人はそれぞれ自分を表現するメディアを持っているものでしょう。そのメディアは人によって違います。そのメディアはその人にとって大事なものですが、しかしその人を苦しめる存在にもなりうるものです。

  私たちが自分のメディアに疑問を感じ悩んできたのと同じように、カーンとギエムもまた、彼らのメディアであるカタックとバレエに疑問を感じ悩んできたのだと考えると、まあ理解はできるような気がします。

  …と、できるだけ好意的にとらえてみたけど、やっぱり、この作品の致命的な欠点は、底の浅いテーマ、インテリ芸術家独特の狭小な世界観、いかにもフランス的な薄っぺらい衒学的雰囲気だ、という感は拭えないなあ。

  (その2に続く

    
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