スティーヴン・ソンドハイム

  昨夜は飲み会でした。なにせ昨日は今年度最後の平日でしかも金曜日、更には桜が満開でしたから、絶好の飲み会びよりでした。終電ギリギリに帰途につきましたが、深夜とは思えないほど駅も道も人でごったがえしており、しかもそのほとんどが酔っぱらいでした。私もつい飲みすぎてしまい、まだ体がだるいです~。

  それはそうと、昨日の日記で書いた“Side by Side by Sondheim”についてですが、どんな作品なのか少しだけ分かりました。話題になっているのも(ならせているのも?)さもありなん、といった感じです。

  ふじさんが書いて下さっていますが、スティーヴン・ソンドハイムという人はアメリカの作詞家、また作曲家で、アメリカのミュージカル界における神様的存在だそうです。

  “Side by Side by Sondheim”は1975年にイギリスで初演されましたが、もともとはコンサート形式で上演されました。ソンドハイムが作詞・作曲した歌と、そしてソンドハイムが他の作詞家・作曲家と作った歌、全31曲を次々と披露していく、という内容のようです。

  それらの作詞家・作曲家の顔ぶれは、レナード・バーンスタイン、リチャード・ロジャース、メアリ・ロジャース、ジュール・スタインらで、作品は“West Side Story”、“Gypsy”、“A Funny Thing Happened on the Way to the Forum”、“Company”、“Follies”、“Pacific Overtures”、“A Little Night Music”など。

  “Side by Side by Sondheim”は初演の翌年、1976年に舞台化されました。それをプロデュースしたのが、なんとあのキャメロン・マッキントッシュです。その後、“Side by Side by Sondheim”は、1977年にブロードウェイでも上演され、トニー賞にノミネートされたそうです。

  この作品はどうやら1978年のブロードウェイ公演の終了を最後に上演されることがなくなったらしく、今回は実におよそ30年ぶりの再演ということになります。

  今回の再演は新しい演出で行なわれるため、その詳しい内容は知るよしもありませんが、この作品には3人の歌手、2人のピアニスト、1人の語り手が登場するそうです。そうなるとクーパー君の役割がよく分からないのですが、“Choreography”とか“Musical Staging”とか書いてあるからには、たぶんダンスも取り入れられていて、その振付やら演技やら演出やらをクーパー君が担当するのでしょう。

  小さい劇場での期間限定上演じゃん?と私は思い、なんでロンドンのエンタテイメント・ニュースが騒いでいるのか、最初はよく分かりませんでした。でもミュージカルの神様の代表作を集めた伝説の(←言い過ぎか)作品が30年ぶりに上演される、というので、ちょっとした話題になっているのでしょうね。

  イギリスのエンタテイメント関連のニュースというのは、それ自体が一種の宣伝だと思うので(日本も事情は同じでしょうけど)、今回の「騒ぎ」もなんか成功への布石を打っておくような、多分に作為的なものを感じます。まあ別に悪いことではありません。作品が「成功する」前提条件は、話題作だ、と事前にマスコミが煽ることですから。

  あとは実際の公演内容が良ければいいんです。この4月末から上演が開始されますから、クーパー君は大体の構想をすでに完成させているでしょう。どうかすばらしい振付と演出を披露してほしいものです。

  ロイヤル・オペラ・ハウスのリンバリー・スタジオでも、ソンドハイムが作詞・作曲したミュージカル“Into the Woods”がこの6月に上演されます。監督・演出・振付はウィル・タケット、装置・美術はレズ・ブラザーストンです。ほぼ同じ期間に、ほとんど同じ場所で、しかも親しい友だち関係にある人たちが、別々にソンドハイム関係のミュージカルを上演するなんて面白いですね。

  私が個人的に興味があるのは、“Side by Side by Sondheim”よりはむしろ“Imagine This”のほうです。公式サイトのクーパー君の日記や近況報告からして、彼もたぶん“Imagine This”のほうに大きなやりがいを感じているだろう、となんとなく思うのです。

  でもクーパー君の振付家としてのキャリアにとっては、“Side by Side by Sondheim”が成功することのほうがはるかに重要です。振付家として活躍するためには、実力だけでなく名声も必要です。もっとはっきりいえば、実力を発揮するためには、まず名声を勝ち取らなければなりません。クーパー君には、それぞれの作品から、それぞれ必要なものを得てほしいと願っています。     
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二つの「おめでとう」

  ここ4、5日間ネットをやってなかったうちに、クーパー君のキャリアにすばらしい進展がみられたようですね。公式サイトの“Current&Future Events”に、クーパー君が振付またはステイジングを行なう舞台の情報が二つ掲載されておりました。

  例のマサダ要塞の故事をミュージカル化したという作品“Imagine This”は、プリマスのシアター・ロイヤル(やっぱり訳すなら「王立劇場」になるのか?)で、今年の7月6日から21日まで上演される運びとなったようです。まずは一つめのおめでとう。

  なお、公式サイトがリンクしているMySpaceの“Imagine This”のページは、劇中の音楽や歌が聴けるので面白いです。地方の小劇場が製作した作品を、こういうサイトを利用して宣伝するとは考えたものですね。

  MySpaceは主に音楽の配信を行なっているサイトで、ユーザー(インディーズ・バンドなんかが多いみたい)は登録して自分のページを作り、そこに自分たちの作った楽曲をアップロードして、ページにアクセスした人に試聴してもらうことを目的としているようです。アマチュア、もしくはインディーズの売り込みは、もう真夜中の駅前とか商店街とかで地道に行なわれる時代ではなくなってきているのねえ~。

  いまいち分からんかった「マサダ要塞」ミュージカル“Imagine This”ですが、MySpaceのページによると、第二次世界大戦の間、ワルシャワのゲットーに強制収容されたユダヤ人俳優たちが、紀元前、マサダ要塞に立てこもったユダヤ人たちの物語を演ずる、というストーリーのようです。

  ワルシャワのゲットーは映画「シンドラーのリスト」にも出てきました。ゲットーを解体してユダヤ人たちを絶滅収容所に送ろうとする際に、ドイツ軍によって多くのユダヤ人たちが殺されるシーンがありましたね。ワルシャワのゲットーではその後、ユダヤ人たちによる大規模な蜂起が勃発し、それを鎮圧しようとするドイツ軍との間で激戦となって、結果的に1万人近くのユダヤ人が殺されました。

  クーパー君の日記を読んだときには正直「へ!?」だったけど、第二次世界大戦時のワルシャワのゲットーに古代のマサダ要塞を重ね合わせた物語だ、ということが分かり、これは非常に奥の深い作品になるんではないか、と思いました。 

  また、いきなり出てきたご大層なニュースが、“Side by Side by Sondheim”というミュージカルの振付もしくはステイジングを、クーパー君が担当するらしいことです。ロンドンのヴェニュー劇場で、プレビューは4月26日から、本公演は5月1日から7月14日まで行なわれます。  

  こちらはね、クーパー君の公式サイト以外にも、ロンドンの多くの舞台関連の大手ウェブサイトに情報が載ってます(キーワード「Side by Side by Sondheim Adam Cooper」で検索してみてね)。今夜は疲れてその全部を読む気にはなれないから、どういう作品なのかは後でみてみることにします。

  クーパー君の公式サイトがリンクしているSee Ticketsというのは、文字どおり各種公演のチケットを販売する会社の公式サイトです。See Ticketsが取り扱っているチケットの規模は半端じゃありません。ほとんどワールドワイド。私はSee Tickets経由でチケットを買ったことがあるので、今でもメールマガジンが来ます。そっけないテキスト形式のメールですが、妖怪「いったん木綿」みたいにいつも長いです。

  “Side by Side by Sondheim”については、私はまだよく知りませんが、この作品の公演情報が、先週末から今週にかけて一挙に、しかも大量に流されたことは重要です。これは明らかに、“Side by Side by Sondheim”を「成功させる」ための仕掛けの一つだからです。こういう仕掛けを施せるような、そこそこ大きな力が後ろにあることを窺わせます。

  まあロンドンで、しかも(地理的にも)ウエストエンドのまさにど真ん中(レスター・スクエアの真ん前)の劇場で行なわれる公演ですから、こういったやり方は特に珍しくはないのかもしれませんが、大事なのは、クーパー君がこの手の公演に関わることのできるような存在になったらしい、ということです。

  クーパー君の公式サイトには“Choreographer”と書いてありますが、サイトによっては“Musical Staging”とも書いてあります。この「ステイジング」というのは、該当する日本語がないように思います。たとえばあるバレエ作品を「ステイジング」する、というときは、振付や演技の指導はもちろん、ダンサーの配置、構成から演出に至るまで(美術や照明は除く)、その作品を正しい形で上演するためのすべての仕事を指すようです。

  ですから、この“Side by Side by Sondheim”の仕事も、クーパー君は単なる振付以上に首を深く突っ込んでいるものとみえます。小さな劇場(ヴェニュー劇場はある教会の地下にある小劇場らしい)での期間限定公演とはいえ、(深くそのプロダクションに関わる)振付家としてのウエストエンド進出にはお祝いを言うべきでしょう。これが二つめのおめでとう。  
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アクロバティック「白鳥の湖」特番

  を今日(21日)の夕方4時ごろからTBSで放映してたんですよ。

  そういえば前日にイープラスから「アクロバティック『白鳥の湖』の特番があるから観てね」メールが来ていたのですが、すっかり忘れていました。たまたまつけっぱなしだったテレビのチャンネルがTBSだったので、運良く(?)観られました。

  でもその特番のタイトルからして超脱力もので、「アバ&白鳥・デビ夫人の絶対見てネSP!」というんです。なぜかデヴィ夫人が出てきて指令を出し、女性映画評論家のなんとか(名前忘れた)にはアバのコンサートの、元体操選手の池谷幸雄にはアクロバティック「白鳥の湖」の取材に行かせる、というヘンな番組でした。

  見逃した方はどうぞご安心下さい。別に貴重な休日の時間を割いて観るほどの内容ではありませんでした。公演映像はとっくの昔に放映されたものと同じだし、製作者や主演者のインタビューもなかったし。

  主な内容はね、一言でいえば池谷幸雄が「4匹のカエルの踊り」に挑戦する、というものでした。アクロバティック「白鳥の湖」では、「小さな白鳥の踊り」の音楽に合わせて、4匹のカエル(全員男性)が逆立ちしたまま踊るのです。

  みるべき内容はなかった、といっても、池谷幸雄は元体操選手だけに、逆立ちしたまま飛び跳ねたり、両脚を細かく動かしたりがどんなに難しいことか、身をもって実感しているのが分かったのは面白かったかな。

  あと池谷幸雄と松岡修造とは別人だった、ということが判明したのも収穫でした(今まで区別がつかなかった)。

  なぜデヴィ夫人が出てくる必要があるのかは最後まで分かりませんでしたが、デヴィ夫人の家は超ゴージャスで、スタジオを用意する必要がなくていいなあ、と思いました。

  アクロバティック「白鳥の湖」のチケットはすでに一般発売が始まっています。私は今年も観に行きます。チケットはもう買いました。あの舞台を観るには最適であろう良い席に当たって嬉しかったです♪
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PASMO

  昨夜はヘンな夢を見ました。ロンドンのどこかの劇場で、私はなぜかウィル・タケット(英国ロイヤル・バレエ団員兼振付家)と、アダム・クーパーについて論じているのです。

  夢の中でウィル・タケットが言うには、アダム・クーパーは自分の役柄について確固とした解釈を打ち立てているので、舞台に上がると彼一人が目立ってしまうのだ、ということでした。

  一昨年にロンドンでウィル・タケット演出・振付「兵士の物語」を観たときに、私はタケットと少しだけ話したことがあります。すごく気さくないい人だったので、そのときの状況を夢で借りたのでしょう。

  私は時々「どこかの劇場でアダム・クーパーの出演する舞台を観る」夢を見ます。現実の私は今、レポート書きに集中しており、とてもクーパー君のことなど考える余裕がないのですが、なんでこんなときにこんな夢を見たのでしょうか。

  自分でもよく分からんのですが、久しぶりに「クーパー君の踊る姿が見たいよう」と思いました。

  今日の帰り道に、住んでいるところの最寄り駅でPASMO(パスモ)を購入しました。PASMOとは首都圏の交通機関のすべてで使えるICカードで、電子マネーとして使うことも可能だそうです。同時にJRのSuica(スイカ)もJR以外の交通機関でも使用できることになりました。

  今まではJRのSuicaと、私鉄・東京メトロ(旧営団地下鉄)・都営地下鉄のパスネットとは、相互使用ができなかったのでとても不便でした。たとえば私鉄から地下鉄に乗り継ぐ場合はパスネットだけでよいのですが、もしJRに乗り換えるのなら、パスネットではJRに乗ることができないので、わざわざJRの切符を買わなくてはならなかったのです。

  パスネットとはテレフォン・カードみたいなぺらぺらの薄いカードで、確かに便利ではありましたが、使い捨てカードなので、その金額分を使い切るとゴミ箱行き、という環境面からみて好ましくないものでした。

  これから徐々に廃止されていくのでしょうが、パスネットは導入開始からまだ5年も経ってないと思います。パスネットが導入されたときには、なんでJRはパスネットに参加しないんだろ、と不満でした。たぶんJRはSuica事業を推し進めたかったので、パスネット事業に関わる意志がなかったんでしょうね。

  でもこれからは便利になります。JRの駅の広告には「Suicaが私鉄や地下鉄でも使えるようになりました!」と書いてあったけど、私鉄の駅の広告には「PASMOなら首都圏のどこでも行ける!」と書いてありました。

  今年に入ってから、JRはSuica、私鉄はPASMOのキャンペーンに力を入れていました。特にPASMO事業には私鉄でやってる百貨店とクレジット・カード会社が参入して、その百貨店のクレジット・カード付きポイント・カードを作れば(つまりクレジット・カードを作れば)、それがPASMOとしても使えて(?たぶん)、しかもPASMOの残額が一定の額を下回ると、自動的にクレジット会社から数千円分がチャージされる(つまり知らないうちに借金ができる)、という「サービス」の宣伝をしてました。

  その「クレジット・カード付き百貨店ポイント・カードPASMO」のキャンペーンがあまりにすごかったので、最初、私はてっきり、「クレジット・カード付き百貨店ポイント・カード」を作んないと、PASMOは買えないのかな、と思ったくらいです。ですから、PASMOをきっかけに、私鉄が経営する百貨店のポイント・カードを申し込んだ人(つまり新たにクレジット・カードを作った人)はかなり多いと思います。うまいやり方です。

  もちろん普通のPASMOは駅の券売機で購入できます。自分でチャージしていくタイプです。私は夜の7時過ぎに買いましたが、小さな駅なのに券売機の前は長蛇の列でした。券売機の画面を見たら、みんなPASMOを購入してました(笑)。

  私の番になって、PASMOを買うためにタッチパネルを押していると、隣の券売機の列に並んでいたおじいさんがブツブツ言い始め、やがて駅員に向かって「この『ぱすも』、どうにかしてくれよ!、長々待たされて切符が買えねえよ!」と怒鳴りました。おじいさんは普通の切符が買いたかったらしいです。でもみんなPASMOを買うためにぐずぐずと画面を押し続けているので、おじいさんはブチキレてしまったようでした。

  さて普通のPASMOは、ちょっと黄色がかったシルバーグレーの地に、ピンク色の電車とバスのかわいい絵があって、更に「PASMO」とプリントされています。シンプルすぎるデザインですが、まあ長く使うものはシンプルなデザインのほうがいいですよね。

  ところで、このPASMOはどうやって使うんだろ?パスネットみたいに自動改札機の中に入れるのか(かなりぶ厚いけど)?それとも「かざす」のか?明日は「プチ恥」をかきそうな予感 
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コンタクト(2)

  第3部“CONTACT”は、マイケル・ワイリー(加藤敬二)という広告代理店の重役が主人公です。彼は仕事で大成功し、社会的にも高い名声を持つ働き盛りの中年男性です。

  広告賞を受賞したその夜、彼はお祝いのパーティーをすっぽかしてマンションに戻ります。授賞式で陽気な笑顔を浮かべてユーモアたっぷりのスピーチをしていたマイケルは、一転して暗い顔つきになり、疲れたようにベッドに横たわります。彼は実はひどい絶望感と孤独感を抱えており、精神科医にもかかっていて、睡眠導入剤を服用しているのです。

  マイケルは、パーティーに来るよう催促するエージェントからの電話や、マイケルの深刻な状態を心配する精神科医からの電話、マイケルが出す騒音で不眠状態に陥っている階下の女性からの電話にも出ようとしません。

  階下に住んでいる女性からは、ひっきりなしに苦情の電話がかかってきます。なぜマイケルは騒音を出すのか?不思議に思っていると、マイケルは大量の薬を飲もうとしたり、窓から飛び降りようとしたり、カーテンの紐を使って首を吊ろうとします。マイケルはそのたびにバタバタとうるさい音を立てるのです。

  どうやら彼は毎晩、自殺しようとしては果たせないでいるらしいのです。そして、そうとは知らない階下の女性は、マイケルに苦情の電話をかけてきているのでした。

  マイケルはとうとうカーテンの紐で首を吊ります。すると、周りの風景が一変し、そこは薄暗いバーになります。そして大勢の男女が現れ、静かに踊り始めます。マイケルは驚きながらも、とりあえずカウンターに腰を下ろして、バーテンダー(明戸信吾)と話します。

  バーテンダー役の明戸信吾は、第2部の“DID YOU MOVE?”ではマフィアっぽいスーツ姿で、ヤクザな暴力&束縛夫を演じていたのに、今度はドレッド・ヘアになって、Tシャツにジーンズという出で立ちで、軽い口調でしゃべります。バーでしゃべるのは、マイケルとバーテンダーだけで、踊っている男女はいっさい口をききません。

  第3部の踊りはバレエではなく、それこそあらゆるタイプの踊りがつまっていました。振付はバラエティに富んでいて、群舞の配置や踊りの構成も緻密で計算され尽くしており、あらためてスーザン・ストローマンは優れた演出家・振付家だと実感しました。

  舞台から受けた印象では、ストローマンはおそらく天才型(あんまりこういう言葉で表現したくはないけどね)に属する振付家で、要するにすっごくカンの良い「ひらめきタイプ」なのだろうと思います。マシュー・ボーンも同じタイプだと思いますが、振付そのものの能力を比べれば、ストローマンのほうが圧倒的に上です。

  マイケルとバーテンダーは長い会話を交わします。その中で唯一覚えているのは、バーテンダーの次の言葉です(うろ覚えだけど)。「みんなが自分は他人に愛されもしなければ他人を愛することもできないと思い込んでいて、そしてみんなが孤独を感じている。でも、勝手にそう思っているのは自分だけで、そんなことは実は下らないことなんだ。」

  マイケルは仰天します。バーテンダーの言葉は、精神科医が留守番電話に吹き込んでいた言葉とそっくり同じだったからです。

  バーテンダーはマイケルにも踊るように勧めます。でもマイケルはためらってしまい、自分一人でも踊れないし、まして女性を誘って踊ることなんてできません。突然、バーの扉が開き、黄色いカクテル・ドレスを身に着けた美しい女性(坂田加奈子)が現れます。マイケルは一目で彼女に惹きつけられます。

  黄色いドレスの女性は、気に入った男性とだけしばらくのあいだ踊り、次々と踊る相手を替えていきます。マイケルも彼女と踊りたいのですが、どうしても彼女に声をかけることができません。彼女は絶えずマイケルのそばにいて、マイケルが一歩を踏み出しさえすれば、いつでも彼女と踊ることができそうなのですが。

  マイケルは勇気を振り絞って彼女に近づこうとします。すると今度は途端に他の男性たちの邪魔が入ります。マイケルは躍起になって彼女を求めます。でもいつも踊る人々の列に遮られ、彼女に近づくことができません。彼女はその間も、他の男たちと、あるいは一人で悠然と踊っています。

  黄色いドレスの女性役の坂田加奈子は、体が細くてスタイルの良い人でした。何を考えているのか分からない謎めいた雰囲気を漂わせていて、また踊っているときのポーズがとても美しかったです。

  マイケルはやっと黄色いドレスの女性に近寄ると、おずおずと手を差し出して彼女の手を取ります。そして、不器用な足取りながらも、ゆっくりとステップを踏み始めます。黄色いドレスの女性はそれまで無表情だったのが、マイケルを優しいまなざしで見つめ、柔らかい微笑みを浮かべながら彼と踊ります。

  たどたどしいマイケルの踊りが、徐々に流れるように美しい踊りへと変わっていきます。マイケルと黄色いドレスの女性が踊り続ける中、いつしかバーは消え、いつものマイケルの部屋になります。そしてベッドに倒れ込んだマイケルを見つめながら、黄色いドレスの女性も姿を消します。

  マイケルは目を覚まします。電話がけたたましく鳴り、留守番電話から階下の女性の怒声が響いてきます。マイケルは今度は急いで受話器を取り、もううるさい音を響かせない、と明るい口調で応じます。

  階下の女性はマイケルが部屋にいることを知り、彼の部屋のドアを叩きます。マイケルは薬瓶や紐などの「自殺未遂の痕跡」をあわてて隠す(←これが笑える)と、ドアを開けて彼女を迎え入れます(ここで心憎いほど見事な演出があります)。

  グレーのスウェットの上下にバスローブをひっかけた女性が入ってきます。マイケルは部屋中に柔らかいじゅうたんを敷きつめる、と女性に約束します。そして、女性に自分と一緒に踊ってくれるよういきなり頼みます。

  女性はためらいます。「私、あなたのことを何も知らないんですよ?」 マイケルは笑いながら答えます。「僕も、あなたのことを何も知りません。」 女性「私、時間がないんです。明日も朝から仕事ですし。」 マイケル「そう、時間がないんです。だから、一曲だけ。」

  マイケルは女性に向かって手を差し出します。女性は観念したような笑いを浮かべ、スウェットにバスローブ姿でマイケルと踊り始めます。ふたりが踊り続ける中、幕が下ります。

  この第3部はやはり最高の出来でした。昨日も書きましたが、第3部があまりにすばらしかったので、前の第1部と第2部の印象が薄れてしまったくらいです。逆にいえば、脚本を担当したワイドマンと演出・振付を担当したストローマンの、第3部ほどの見事な作品を作れる能力からすれば、第1部と第2部はいかにも「つけたし」で、手を抜いて作ったような感じを与えるのです。

  でも「コンタクト」は非常によくできたミュージカルだと思います。更に、もう一度だけ言いますが、劇団四季の役者さんたちは本当にすばらしいです。ミュージカル特有の「いきなり歌い出すのがちょっと・・・」という方も、「コンタクト」なら大丈夫です。歌はありませんから。でも私、四季の役者さんたちの発声の良さを聞いて、歌も聴きたいなあ、と思いました。

  最後に疑問に思ったことを一つ。観客の反応の薄さには拍子抜けしました。笑えるシーンでも笑わないし、カーテン・コールも静かな拍手だけで、囃したてる声や口笛もなかったです。日本でもミュージカル・ファンならもっと元気で反応がいいと思っていたんだけど、やっぱり日本の観客は一般に静かなものなのかしら。           
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コンタクト(1)

  14日(水)の夜に劇団四季のミュージカル「コンタクト」を観に行きました。席運のよくない私にしては珍しく、最前列センターの席でした。おかげで出演者の顔がはっきりとよく見え、ダンスも演技もすごい迫力でした。

  まず「上演に先立っての場内アナウンス」が面白かったです。役者さんの一人(男性)がやっているらしくて、「携帯電話、アラーム付き時計、キッチンタイマー、ウソ発見器をお持ちのお客様は、電源を切って下さいね♪」と言うので客席は大爆笑、また「上演中に飴を召し上がるお客様、飴が一つ一つ袋に入っていて、こういう音(ここで「カシャカシャ」という音が入る)を立てる袋の場合は、今のうちに飴を口に放り込んじゃって下さい!」という言葉でみな爆笑しました。

  劇団四季の「コンタクト」は、もちろんブロードウェイやウエストエンドで上演されたのと同じです。演出と振付はスーザン・ストローマン、脚本はジョン・ワイドマン、装置はトーマス・リンチ、衣装はウィリアム・アイビー・ロング。ただしもちろん、セリフはほとんどが日本語に翻訳されています。

  「コンタクト」に歌はいっさいありません。セリフとダンスのみです。また全幕物(ミュージカルでもこういうの?)ではなく、3話によるオムニバスでした。

  第1部は“SWINGING”で、舞台は18世紀のおフランス、登場人物は貴族の男女、そして男の召使です。女性はピンクのドレスを着て、召使の揺らすブランコに乗ってはしゃいでいます。彼女はブランコの前にいる男性に向かって股をおっぴろげたり、スカートをめくってフトモモを見せたりとかなり大胆です。召使はその様子を複雑な表情で見つめています。やがて貴族の男性と女性はワインで乾杯しますが、女性はワインの瓶の中身をこっそりと捨てて、男性に代わりのワインを取りに行かせます。

  女性はまたブランコに乗り始めますが、彼女は男の召使を誘うようにブランコの片方に寄ります。すると、それまでじっと耐え忍んでいた(?)召使は、吊り輪体操のように、ブランコに逆さまになって飛び移ります。女性は嬌声を上げます。

  それからがすごかったでしょ、ここなっつさん(笑)。貴族の女性と男の召使は揺れるブランコの上でくんずほぐれつ、アクロバティックな体○でS○○しまくり、最後にお互いに身をのけぞらせて叫び声を上げて絶○を迎えます。

  女性が何食わぬ顔で身じまいを整えると、貴族の男性が戻ってきます。するとなぜか貴族の男性は自分の上着を男の召使に着させて、今度は自分がブランコを押します。男性貴族が座っていた場所に召使が座り、彼は叫びます。“One play!”なるほど、そーいうことだったんですね~。

  この第1部はセリフがまったくないし、ブランコの上の妙技(笑)も、ダンスというよりはアクロバット的な演技ですね。召使役の満寧君がすっごいかっこよかったです。でも貴族二人の衣装については、なにせ映画「マリー・アントワネット」を観たばっかりなだけに、ちょっと安っぽいなあ、と思いました(比べるほうがおかしいか)。  

  第2部は“DID YOU MOVE?”です。ニューヨークのとあるビュッフェ式のイタリアン・レストランに、夫婦が食事に訪れます。夫はガラの悪いヤクザな中年男で、妻はスカートがフレアータイプのブルーのワンピースを着て、おとなしそうな感じです。

  夫婦は食事を始めますが、夫はむっつりと黙ったまま、料理を口につめこむだけです。妻は必死に夫に話しかけますが、まったく相手にされません。おまけに、夫は料理を取りに席を立つたびに、妻を「しゃべるな、動くな、笑うな!」と脅しつけます。

  夫がいなくなると、妻は夢見るような表情になります。そして彼女は妄想の中で踊りだします。それを何回も繰り返し、彼女はついに色男のウェイター長とロマンティックに踊ります。

  この“DID YOU MOVE?”は、まず妻が妄想と現実の間を行き来する演出が実に巧妙でした。よくこんなにスムーズな舞台転換を考えつくな~、と感心しました。踊りは驚いたことにほとんどクラシック・バレエなんです。オフ・ポワントですけどね。ウエストエンドでの上演では、クーパー君の奥さん、サラ・ウィルドーが妻を演じました。なるほど、ぴったりだわ、と納得しました。

  それに劇団四季の人たちはみなマルチな能力の持ち主です。演技、セリフ、数種類のタイプの踊り(そしてもちろんたぶん歌も)をみんなこなします。もちろんミュージカルでのバレエとバレエでのバレエは違うわけですが、妻を演じた団こと葉、ウェイター長を演じた吉元和彦の踊りはとてもすばらしかったです。

  ウエストエンドだと、歌メイン、踊りメイン、演技メイン、踊りでもコマーシャル・ダンスがメイン、バレエがメイン、とほぼ分業化していると思うのですが、それに比べると劇団四季の人たちはすごいですわ。

  特に演技には感動しました。とにかくみな表情が豊かで、たとえ現実の人間はこんなに表情が豊かではない、と分かっていても、生き生きしてるなあ、と感動しました。日本人や中国人だって、訓練すればこんなに表情に変化をつけることができるし、目つきや視線に意味を持たせることができるんですね。

  そうそう、気づいたことがあって、牧阿佐美バレヱ団「ロメオとジュリエット」でティボルト役だった菊池研の踊りがよく分からない、と書いたでしょう。本人が聞いたら怒るかもしれないけど、菊池研のバレエは、バレエでのバレエというよりは、ミュージカルでのバレエによく似ていると思うんです。

  妄想に浸っている妻を夫が見咎めて激怒し、「動いたな!?」と言うなり、懐から銃を取り出して彼女に銃口を向けます。レストランの人々は慌てふためいて夫を止め、人々が入り乱れての大騒ぎとなります。騒ぎの中で落とした銃を必死に探す夫を、妻は撃ち殺します。妻はそれからレストランの人々とともに、勝利と独立の踊り(笑)を踊り、さながらグラン・パのコーダのような様を呈します。彼女が椅子に座ったころ、夫が料理の皿を持って席に戻ってきます(←分かりますね)。

  この妻は、いずれ現実でも夫を撃ち殺すんじゃないかなー、かわいそうだなー、とふと思いました。

  第1部も第2部も面白かったですが、これらがはるかに及ばないほど、脚本も演出も振付もよくできていたのが第3部の“CONTACT”です。もともとはこの第3部だけの小品だったのに、上演時間の関係で後から第1部と第2部を足したらしいですね。だから第1・2部と第3部の間に、作品としての仕上がり度という点ですごい差があって、第3部を観ると第1部と第2部がかすんでしまうのです。これはこの「コンタクト」の欠点だな、と思いました。

  第1部と第2部は休憩時間なしで上演されて合計50分くらい、休憩時間を挟んで第3部が上演されます。第3部はそれだけで50分くらいあります。長いのでまた明日書きます。   
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「ロメオとジュリエット」(2)

  今日も牧阿佐美バレヱ(なんで「エ」じゃないんだろ?)団の「ロメオとジュリエット」を観に行ってきました。昨日に引き続いて2回目なので、やや慣れたせいか、昨日よりも余裕をもって楽しめた気がします。

  昨日の日記では書きませんでしたが、昨日の公演はオーケストラ(の一部)がちょっとひどかったのです。観客たちの間でも、幕間や終演後の話題になってたほどです。でも今日はとてもきれいでした。やっぱりプロコフィエフの音楽は、というかプロコフィエフの「ロミオとジュリエット」は、演奏がかなり難しいのでしょうか(これは音楽をやってるみなさんにぜひお聞きしたいです)?

  1回目に観たときは、振付者であるプリセッキーが専ら踊りを主体としているために、この「ロメオとジュリエット」はストーリー性に若干欠けていて、登場人物の解釈にも深みが足りない、と思いました。確かにクランコ版やマクミラン版に比べればそうでしょうが、今日の2回目を観て、プリセッキー版もそれなりにストーリーを重視している、と思い直しました。昨日は私が気がつかなかっただけでした。

  たとえば、ジュリエットの乳母は、最初はジュリエットの味方をして、ロミオをきちんと品定めした上でジュリエットの恋文を渡し、ロミオとジュリエットの結婚を仲立ちします。ところが最後には、ジュリエットにパリスと結婚するよう勧めます。昨日は「しょせんは召使だから雇い主(キャピュレット公夫妻)には逆らえないもんね」と思いましたが、どうも違ったようです。乳母は、ティボルトがマキューシオを殺したという前段階を知らないままに、ロミオがティボルトを殺すところを見てしまうのです。たぶんそれで、人を殺すようなロミオは、ジュリエットにはふさわしくない、と思ったようなのです。なるほど、と納得しました。

  ただ、場つなぎ的な演出や踊りがあって、私はこれはいらないんじゃないか、と時おり感じました。第三幕で、ジュリエットがロレンツォ神父のところへ行くのを表現するために紗幕の前を走って舞台を横断し、またロレンツォ神父のところから家に帰ってくるのを表現するために、今度は逆方向から走り出てきて舞台を再び横断していくシーンは、こんな言い方は失礼ですが、古っ!と思いました。

  同じく第三幕で、ジュリエットが仮死状態になる薬を飲んで葬られるのを、ベンヴォーリオがたまたま見つけます。ベンヴォーリオはあわてた様子で走って舞台脇に消え、それからロミオを引っ張ってまた現れます。つまり、ジュリエットが死んだ、とベンヴォーリオが早合点し、ロミオに知らせて彼を連れてくる、という演出になっているのです。こんなくどい説明的演出も不必要じゃないかな、と私は感じました。

  このプリセッキー版では、ティボルトも踊りの面で重要な役割を担っています。ティボルトが踊るシーンをなるべく設ける、という方針のためでしょうが、踊る必要もなさげなシーンでティボルトが踊っちゃうところがありました。それはマキューシオやロミオに詰め寄るシーンで、ティボルトはマキューシオやロミオを睨みつけながら、鋭い感じはするものの、基本的にはクラシカルなステップを踏んで踊るのです。唐突に踊りだすのでかなり奇妙でした。マキューシオはティボルトが踊り終えるとからかって拍手します。私も拍手したい気分でした。

  必要もないのに唐突に踊りだすシーンは他にもありました。あと、なんでこいつとこいつが一緒に踊るんだ、というおかしな組み合わせで踊ったりね。書き出すときりがないので、今はやめておきます。

  登場人物の心理にも分からない部分があって、私が最も分からなかったのはキャピュレット夫人です。彼女がなぜあんなにティボルトに固執するのかが示されていません。ティボルトが殺されてキャピュレット夫人は狂ったように嘆き悲しみます。また、彼女はティボルトをロミオに殺された怨みによって、ジュリエットを無理やりパリスに嫁がせようとします。よりによってロミオと一緒にさせてなるものか、というすごい執念です。が、なぜ彼女はそんなにティボルトにこだわるのか、その理由が分かりません。

  でもプリセッキーの振付にはトリッキーなところやあざとさがなく、みなとても美しかったです。第一幕「バルコニーのパ・ド・ドゥ」は、恋に落ちたロミオとジュリエットが同じ振りで踊ったり、手をつないでジャンプしたりと、生き生きとした魅力に溢れていました。第三幕「寝室のパ・ド・ドゥ」も、流れるような(しかも難しそうな)リフトと、特にジュリエットの脚と爪先の動きがみどころでした。

  ロミオ、マキューシオ、ベンヴォーリオが一緒に踊るところやマキューシオのソロも、「男子だなあ」という元気な踊りで楽しそうでした。3人の街の女たちの踊りも、よく見たら難しいステップがてんこもりでしたが(グラン・フェッテをしながら輪を描いて踊るとか)、ダンサーがよかったのでみなとてもきれいに決まっていました。

  今日のマキューシオは中島哲也で、踊りではロミオとベンヴォーリオに負けていたかな~、と思います。でも演技はとてもよくて、昨日の小嶋直也よりも自然だったかも。第二幕、ティボルトと剣で戦うシーンは、あれだけ激しい動きをしながらも余裕綽々でツボにはまった演技をしていました。また、死ぬときの演技は最も見ごたえがありました。表情はコミカルなようでいて、だけど目は笑っていません。そして死ぬ直前になって、ティボルトへ向かって拳を突き出し、激しい怒りを露わにすると、バッタリと倒れて死にます。今回は息を呑んで、マキューシオが死んでいく様子に見入ってしまいました。

  ティボルトは今日も菊池研でした。正直に白状すると、私はこの人についてどう言えばいいのか分かりません。もちろんヘタではないし、平均的でもないと思いますが、でも上手だ、と言うには何か釈然としないものが残るのです。昨日も今日も同じ印象でした。具体的に要求(?)を言えば、観客の目が追いつけるスピードで踊ってほしい、というところでしょうか。踊るスピードが速すぎて瞬間芸みたいなのです。

  今日のロミオは森田健太郎、ジュリエットは青山季可でした。今日の公演の主人公は森田健太郎だったな、と思います。日本人にしては珍しく、欧米人型の演技ができる人だと思います。表情が非常に豊かで、表情の変化や身のこなしがスムーズというかプロっぽい感じです。人によっては演技過剰だと思うかもしれませんが、私はとても感心しました。昨日の小嶋直也の踊りには驚嘆しましたが、今日は森田健太郎の演技に驚嘆しました。日本には優れた男性ダンサーがまだまだいるのですね。

  森田健太郎は踊りも堂々としていてよかったです。大柄な体格にも関わらず(カンケーないか)脚や足の動きは細かく、ジャンプは大きくてダイナミックです。また、顔は中坊みたいなんだけど、不思議な大物オーラがあるのです。プロフェッショナルな雰囲気を漂わせていて、どう踊れば、どう演技すれば観客に分かってもらえるか、またダンサーは舞台でどう振舞うべきか、ということをちゃんと考えている人だろうと感じました。

  森田健太郎と青山季可のパ・ド・ドゥは息が合っていてすばらしかったです。ロミオとジュリエットの二つのパ・ド・ドゥには難しいリフトがいくつかありますが、スムーズで緩急のタイミングもうまく捉えていて、とてもきれいでした。第三幕に入ると、ジュリエット役のダンサーは感情的にも乗ってくるのでしょうね。青山季可も迫力がありました。死ぬと覚悟した上でパリスとの結婚を承諾するシーン、両親とパリスに凄絶な表情で近づいていくところがすごかったです。

  もう何回か観たいところです。そうすればもっと多くの発見があるでしょう。でも残念ながら、公演は2回のみです。再演されるのはまた数年後なのでしょうか。いい作品なので、できれば毎年上演してほしいですね。     
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ロメオとジュリエット

  牧阿佐美バレヱ団の「ロメオとジュリエット」を観にいってきました。このバレエ団の公演ははじめて観ましたが、ダンサーのレベルがみな高くて驚きました。もっと早くから観にいっておけばよかった、と後悔しました。

  ダンサーたちの踊りには共通した特徴があるんですね。みなさん、すっきりとキレよく踊ります。きれいな踊り方だなあ、というのが第一印象です。

  この「ロメオとジュリエット」は、なんと牧阿佐美バレエ団が特注した作品で、振付者はアザーリ・M・プリセッキーです。プリセッキーは、あのマイヤ・プリセッカの実弟だそうです。

  私は最初によりによってケネス・マクミラン版「ロミオとジュリエット」を観てしまったので、その刷り込みがすごいのです。それで他の版の「ロミオとジュリエット」を観るときには、なるべく頭を空っぽにして観るよう努めています。それでもあの音楽を聴くと、ついマクミラン版のイメージが浮かんできてしまうのですが。

  プリセッキーの「ロメオとジュリエット」を観て、ロシアの振付家が考えるところのバレエ全幕作品はこうなんだな、と思いました。私はジョン・クランコ版を観たときにはあまり違和感を抱かなかったのですが、プリセッキー版はクランコ版やマクミラン版とは明らかに違いました。

  何が違うのかというと、あくまで踊りをメインに据えているところです(いや、バレエはそもそも踊りがメインで当たり前なんですが)。クランコ版やマクミラン版には、もちろん振付が非常に言語的であるという共通点がありますが、その他に、演劇的要素を重視しているという点でも両者は一致しています。基本的に踊りそのものによって物語を進め、また踊らずに演技のみで進行させるシーンもかなりあります。

  でも、プリセッキー版はとにかく踊りが主体です。ジュリエットはバルコニーでひとり佇んでいるシーンでも踊るし、ロレンツォ神父とも踊るし、ついでにキャピュレット卿やキャピュレット夫人と3人一緒に踊るし(パリスも入れて4人一緒だっけか?)、ティボルトはロミオやマキューシオにインネンをつけるために詰め寄りながら踊るし、「なんでここでいきなり踊るの」というシーンで踊ります。

  音楽を無駄にせず踊りを入れる、というのが、ロシアの振付家の傾向なのかもしれません。プリセッキーの振付はクラシカルでとてもきれいでした。このバレエ団のダンサーの特徴に合った、すっきりとした清潔感の溢れる踊りとなっていました。男女ともに、ダンサーの長い四肢を存分に生かしたポーズや動きが美しかったです。また、近年の振付作品なのに、クラシック・マイムが用いられているのも興味深いです。でも登場人物のキャラクター設定が浅いのが物足りなかったです。

  ジュリエットを踊った伊藤友季子は体がすっごい細くて、とにかくスタイル抜群でした。手足が細くて長くて、特に折り曲げた脚をゆっくりと伸ばすところは非常に美しかったです。まだ若いのでしょうが、手足の動きは細かくきびきびとしていてジャンプも軽かったです。演技については、日本人だし、ジュリエットは初役だというし、あんなもんかな、という感じです。でも、ロミオを愛して強い女に変貌したジュリエットの演技はすばらしかったです。

  ロメオを踊った逸見智彦は、・・・特に印象に残ってないですね。次に言いますが、他にすごい男性ダンサーが出演していたので、逸見智彦は私の脳内ですっかりかすんじゃったんです。でも王子っぽい雰囲気を持っている人で、生真面目で優しそうな感じがロミオによく似合っていました。踊りもよかったですよ、もちろん。

  マキューシオを踊ったのは小嶋直也で、さっき書いた「すごい男性ダンサー」とはこの人のことです。他の男性ダンサーたちとは明らかに別格で、日本にこんなにも踊れる男性ダンサーがいるとは思いもよりませんでした。マキューシオはテクニックを駆使した踊りが多いですが、小嶋直也はとにかくすごかったです。

  テクニックがすごいだけじゃなくて、とてもきれいにキレよく踊るのです。踊っている最中のポーズも美しく、手足がしかるべき位置に常に収まっています。特に小嶋直也の脚と足は絶品です。動きも形もすごいきれいでした。ヘンな衣装(片脚がド派手なターコイズ・ブルーでもう片脚が白のタイツ)が気になりません。

  ただ単に私が無知なのかもしれませんが、なんでこれほど踊れる人がメジャーでないのか!?と不思議でなりません。きっと本人に出世欲がないのでしょう。いろんなことに手を出して・・・いや、活動の範囲を広げて、知名度を上げているバレエ・ダンサーも多い中、こういう隠れた天才がいるんですね~。今日は運がよかったです(明日のマキューシオは違うキャストなので)。

  ティボルト役の菊池研は、メイクのせいで要潤みたいになってました。この人も優れたダンサーだと思います。特に死に方がとても上手でした。

  プリセッキー版は、ロメオとジュリエットが死んで終わり、ではないのです。また、毒を飲んだロメオが死ぬ直前にジュリエットが目を覚まします。だから、ふたりは最後に生きて(もうすぐ死ぬけど)再会します。死にそうなロメオがジュリエットを担ぎ上げて踊っていて、苦しいだろうに気の毒だなあ、と思いました。

  ジュリエットがロミオに続いて死んだ後、重なり合ったふたりの死体を前にして、キャピュレット家とモンタギュー家の人々が現れて静かに和解し、ふたりに祈りを捧げるシーンで幕となります。

  また明日も観に行きます。今度はどんな発見があるかな~♪ 
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御礼など

  月曜日は午後1時から5時まで会議でした。会議の後は同じ建物内の別室で2時間ほど懇親会があり、外の天気など知るはずもありませんでした。懇親会がお開きになって外に出たのが午後7時過ぎで、そこでようやく傘が折れ曲がるほどの暴風雨になっているのに気がつきました。二次会に誘われましたが、天気が悪いのが気になったので行きませんでした。

  今日(火曜日)は朝から体がだるく、懇親会で飲みすぎちゃったかなあ、と思いました。なんかもうビールが酒のようには思えなくなってきていて、それでつい何杯も飲んでしまうのです(そしてビール腹になる)。

  それにしてもだるいので、ようやくハタ、と気づいて体温を計ったら、やっぱり熱が出ていました。道理で鼻水やくしゃみも出ていたわけですよ(花粉症だと思っていた)。原因はたぶん、会議室がえらく寒かったことです。セントラル・ヒーティングなので、部屋ごとに温度調節ができず、その設定温度がもともと低い上に、会議室は12階にあるので、月曜日の強風がまともに当たって更に寒かったんですね。

  会議なんてうぜー、と以前は思っていましたが、たとえ有意義な話し合いが実際に行なわれることはめったにないとしても、形だけでも会議を行なうことには意義がある、と最近は思います。つまり「ほーら、私たちはこんなに意欲的に仕事に取り組んでいるんですよ」という姿勢を内外に示すことは大事なわけです。

  映画「マリー・アントワネット」には、フランス宮廷のいろんな慣例や習わしが出てきます。一緒に観に行った人が、「宮廷に権威を持たせるために、いろいろな『慣例』が生み出されたんですよ」と教えてくれました。会議にも相通ずるものがあると思います。

  何が言いたいかというと、アクセス数が26万を越えたので、そのお礼です。みなさん、本当にどうもありがとうございます。 
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コジョカルとルグリの「ジゼル」

  みなさんもうご存知でしょうが、今日の夜10時20分から、NHK教育でアリーナ・コジョカルとマニュエル・ルグリ主演の東京バレエ団公演「ジゼル」が、ノーカットで放映されます。

  コジョカルがロイヤル・バレエでジゼルを踊ったとき、そのあまりのすばらしさに、当時の芸術監督だったアンソニー・ダウエルは、第一幕が終わった時点でコジョカルをプリンシパルに昇格させることを即断した、といわれています。

  相手役はマニュエル・ルグリです。泣く子も黙るパリ・オペラ座のエトワールにして、また「スーパーバレエレッスン」で、もうすっかりお茶の間にもおなじみですね(ほんとかい)。

  個人及び家庭で楽しむために、録画予約もセットしました。楽しみです。
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マリー・アントワネット

  ソフィア・コッポラ監督の映画「マリー・アントワネット」を観てきました。公開1ヵ月半を過ぎた今も、立ち見が出るほどの盛況ぶりでした(観た映画館が小さかったというのもあるが)。

  なかなかの佳作です。(これからご覧になる予定のみなさんは、以下はお読みになりませんように。)

  時代物で、しかも歴史上有名な人物を主人公とした映画となると、とかく過剰にドラマティックになったり、主人公の人物像が極端なものになったりしがちですが、この映画でのマリー・アントワネット(キルスティン・ダンスト)は、とにかく普通の人間です。現代物の映画の主人公にそのまま持ってきてもいいと思えるくらい。

  実際、使われている音楽のほとんどは、ロココ音楽ではなくて、なんと1980年代のポップ・ミュージックです。たとえば貴族たちの舞踏会のシーンでは、あくまで映画のBGMとしてロックがガンガンに響いている中を、ロココ衣装とヅラ姿の貴族たちが踊っている。ヘンな光景のはずなんですが、不思議と違和感がないんです。オープニングのクレジットでも、ポップな丸い字体を使っていて、まるで軽いノリの青春映画かなんかのようです。

  この映画の呼び物になっている、実際のヴェルサイユ宮殿を使った壮大なロケ、マリー・アントワネットをはじめとする、王族・貴族たちの豪華衣装や、当時の上流階級の儀式、典礼、風俗、習慣の再現などは、確かに「へえ~、この当時はこうだったのかあ~」と面白かったです。

  それよりもっと興味深かったのは、やはりマリー・アントワネットのキャラクターでした。素直で物事を深く考えない性格で、だけどオーストリア皇女として生まれ育ったゆえに、「これが作法ですから」とか、「墺仏関係のためですから」と周囲の人々から指図されれば、「バカみたい」と言いつつも、唯々諾々とそれに従い、また自分の感情を露わにせず、いつもにこやかに微笑んでいる。

  だけど、かわいい魅力的な微笑をいつも浮かべているマリー・アントワネットの行動に、彼女が抱えているフラストレーションが如実に現れます。夫のルイ16世(ジェイソン・シュワルツマン)は彼女を愛そうとせず、彼女は豪奢なドレス、髪飾り、宝石、靴、夜どおしの宴会、賭博、シャンパン、ケーキに夢中になります。

  豪華な装いでシャンパンを飲み、ケーキを口いっぱいにほおばり、賭博に興じるマリー・アントワネットの姿は、まるで現代女性のようです。愛がないとき、女は往々にして物質を愛の代わりにします。これは女性監督ならではの解釈です。

  結婚して数年が経っても世継ぎに恵まれないどころか、夫婦生活すらない彼女を、母であるマリア・テレジア女帝(マリアンヌ・フェイスフル)やフランス宮廷の貴族たちは責めたてます。そして義妹のプロヴァンス伯爵夫人(クレメンティーヌ・ポアダッツ)に男の子が生まれたとき、笑顔で義妹を抱きしめて祝福したマリー・アントワネットは、ついに耐え切れずに部屋に一人こもって泣きじゃくります。 

  そんなマリー・アントワネットもついに子どもに恵まれます。すると、彼女は一転、それまでの贅沢で不健康な生活をしなくなり、服装と髪型はすっかりシンプルになって、また農家風の別荘で子どもたちと暮らし、植物や動物などの自然に目を向け始めます。

  これは現代のセレブのいわゆる「ロハス」生活を諷刺しているのだ、というレビューを読みましたが、あのシーンの撮り方からすると、諷刺を狙ったものとは私には思えません。夫の愛と子どもたちという強い生きがいを得て、マリー・アントワネットはようやく平穏な心境に至ったのではないかな、と単純に感じました。

  この映画のまた別の魅力は、ロココ時代を扱った映画にはつきものなエログロさが一切ないところです。過激な性描写がないのはもちろん、ヌードもほとんどありません。バストすら出しません。

  マリー・アントワネットはフェルゼン伯爵(ジェイミー・ドーナン)と浮気します。が、それも大人の火遊びというよりは、恋に恋する少女みたいな描写(すげえ笑える)で、恋という感情を知らずに結婚し、大人になってしまったマリー・アントワネットが、すごいかわいそうに思えます。

  また、マリー・アントワネットとルイ16世の間に長いこと夫婦生活がなかったのは、ルイ16世が包茎であったからです(これは史実です)。ところが、この映画ではこれをあえて改変して、内向的な性格のルイ16世には、妻を愛する勇気がなかなか持てなかったからだ、という設定にしてあります。

  この映画を観ていると、内容があまりに狭すぎると感じるかもしれませんが、その狭さこそが、マリー・アントワネットがいた実際の世界だった、と思えるのです。郊外の大きな宮殿の奥で貴族たちばかりに囲まれて暮らし、外で起きていることなど知る由もなく、また政治、外交、庶民の暮らしぶりなどには関心がないので、なぜ民衆は自分に不満なのか、なぜ革命が起きたのかが理解できないのです。

  それでも彼女は現実から逃げません。蜂起した民衆がヴェルサイユ宮殿に迫ったとき、避難するように勧める臣下に対して、ルイ16世は自分はここから逃げない、とその提案を拒否します。そしてマリー・アントワネットは静かに「私は夫の傍にいます」と言います。

  パリに護送される馬車の中で、マリー・アントワネットは子どもたちの肩をしっかりと抱き、夫に向かっていつものように愛らしい微笑みを浮かべます。彼女は悲惨な最後を遂げますが、映画ではそこまでは描かれません。でもラストの彼女のセリフから、彼女が自分の運命を予感していることが分かります。それでも彼女はいつもの表情のままです。

  劇的な演出はまったくないし、よく考えると悲劇なのですが、観て終わった後に重いものが残りません。でもなんとなくしみじみと考えさせられる、そんな映画でした。

  ちなみにマリー・アントワネット関連のおすすめ本:シュテファン・ツヴァイク「マリー・アントワネット」(岩波文庫、角川文庫)、「マリー・アントワネットとマリア・テレジア秘密の往復書簡」(岩波書店)。
  前者はいわずと知れた古典的名著ですが、後者はある意味もっと面白いかも。マリー・アントワネット、マリア・テレジアの書簡以外にも、マリー・アントワネットの兄であるヨーゼフII世の書簡も参考として収録されています。いずれも当事者たちの書簡だけに生々しい証言となっています。  
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クーパー君サイト更新

  横の写真は「オネーギン」第三幕です(タマラ・ロホと)。  

  クーパー君の公式サイトがひっそりと(下に追記があるから読んでね)更新されていました。更新されたのは“current & future events”です。最近のクーパー君はミュージカルの仕事で忙しく、パフォーマーとしていつ舞台に登場するかについては、まだ確定していない旨が書いてあります。

  「2007年3月:アダムは目下のところ振付の仕事に集中しています。現在、彼はマサダ要塞の歴史物語を題材とした、新しいミュージカルの試作に関する仕事に携わっており、彼は多くの企画会議、オーディション、ワークショップ、リハーサルに関与しています。よって、アダムは舞台に登場してはいませんが、相変わらず多忙です。また従来どおり、彼は他のプロジェクトも企画しているところです。それらが最終的に実現する折には、それらは彼にパフォーマーとして復帰する機会をもたらしてくれるでしょう。それが決定したら、詳細はもちろんここで明らかにされます。」

  この文面からすると、クーパー君は当面の間、舞台に登場する予定はないらしいです。踊っているクーパー君が見たい私としては残念なことではあります。

  けれど、彼が現在のところ振付に集中しているというミュージカルの仕事ですが、どうやら彼は振付だけを担当しているのではなく、製作サイドの中心人物の一人として、製作の仕事全体に関与しているようです。

  これは、そのミュージカルを企画・製作・上演する劇場のプロデューサーに特に招聘されたということであって、今までの「アダム・クーパー振付」作品のほとんど(「オン・ユア・トウズ」、「雨に唄えば」、「危険な関係」)が、実はアダム・クーパーだけをフィーチャーした企画であったこととは、大いに趣を異にします。

  アダム・クーパーの名を呼び物にしていない作品で、製作スタッフとして招聘されたのは、今まででは「グランド・ホテル」と「プロミス・プロミス」ぐらいでしょう。しかも「グランド・ホテル」と「プロミス・プロミス」では、クーパー君は本当に振付だけを担当したらしいですが、今度のミュージカルでは、作品の製作に企画段階から関わっているようです。

  ですから、クーパー君はさりげないながらも、振付用に一時雇用されるだけではない、製作全体に深く関わることのできるレベルの振付家への道をじりじりと歩んでいるようです。彼のためを思えば、これは喜ばしいことでしょう。

  ただ、クーパー君が再び舞台に登場するのがいつになるのか、まだ確定していない、というのは非常に寂しいし残念です。私個人のワガママを言えば、今年の前半は別に舞台に立ってくれなくてもいいです(私が忙しくて観に行けないから)。でもせめて今年の後半には、何らかの舞台に立ってくれないかな~、と思います。

  クーパー君が1月に書いた日記によれば、いくつか具体的なプロダクションがあるのは事実らしいですから、ぜひその中の一つくらいは実現してほしいですね。私が気になっているのは、レズ・ブラザーストンと企画しているというプロダクションです。きっとダンス・ドラマでしょうから、その上演の実現を期待したいところです。

  追記:公式サイト“What's new”のページに更新のお知らせが載りました。その文章がちょっと笑えます。「みなさんのメールから、アダムのこれからのパフォーマンスについての情報がないので、みなさんががっかりしていることは分かっています。」 ここまでは普通だけど、面白いのがその次。

  「なぜかというと、アダムはこんなにもマルチな才能を持った、そしてすごく求められる人材なので、彼は最近、パフォーマンスなしの仕事で非常に忙しいのです。」 私もかなりミーハーなファンだけど、さすがにここまで図々しい(おっと!)ことは言えないわ。さすが公式サイト管理人。思わず尊敬しちゃったぞ。

  でもできればさー、振付よりはさー、踊りのほうで“sought after person”であってほしいなあ。
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