「従業員!」

  いよいよ北京滞在の最後の日となった。もっとも、近いうちにまた来るだろうとも感じていたので、べつだん感傷みたいなものはない。しかし北京オリンピックが開催される来年の8月には絶対来ない(笑)。

  北京の人々は5年前とは明らかに変わった。店員は愛想が良く親切だ。銀行員は愛想はないが仕事はきっちりする。タクシーの運転手は、客が下りる際に「お気をつけて」、「さようなら」などの挨拶言葉を欠かさない。そして、「レシートはいりますか?」と自分がボッタクリをしてないことを証明しようとする。

  中国は毎年、前年比10%以上という経済成長を続けている。中国政府はこれを憂慮し、マクロ・コントロール政策を実施して、急激な経済成長を抑えようとしている。同時に、日本などの欧米型先進国の仲間入りをしたいがために、「社会主義市場経済」という奇妙な理念を打ち出し、「改革開放政策」を20年にわたって続けてきた。

  「先進国」の証となる一連の要素、原子力発電所の建設、核ミサイルの開発、世界貿易連合への加盟、有人宇宙飛行の成功は果たした。世界万国博覧会の上海での開催も決まっている。残るは夏季オリンピックを成功裡に終わらせることだけだった。

  環境汚染問題より人権問題より、最も頭が痛い問題は、人民の「文明度」を向上させることだ。これまで当たり前だった、無愛想でつっけんどんで粗暴な態度、礼儀のカケラもない乱暴な言葉遣い、怠慢な仕事ぶり、他人への不親切どころか、隙あらば他人を騙して利益を得ようとする姿勢、列に並ばない、路上・バス・列車の中、ところかまわず痰を吐く等々、絶望した魯迅が皮肉って書いた小説、「阿Q正伝」の主人公である阿Qのような人々が14億、ひょっとしたら15億人もいるのだ。国家の面子をかけたオリンピックで、外国人旅行客に侮蔑され、世界の物笑いになるような結果は、絶対に避けなければならない。

  政府が数年前からねばりづよく続けてきた道徳重視・向上キャンペーンは功を奏している。テレビや新聞では道徳的美談がこれでもかこれでもかとばかりに報じられ、他人への思いやりと親切、自己犠牲の精神を訴えたドラマが放映されていた。主要な諸機関はその模範となって、率先して仕事に勤勉に取り組むこと、客に万全のサービスを提供することが求められている。

  私は今まで、北京をこれほど居心地が良いと感じたことはなかった。これまで、中国にいる間は、自分が中国基準に合わせた態度や行動を取らなくてはならなかった。でも今回は、基本的には日本にいるのと変わらない感覚でいてもよくなった。強権国家の力は人々の意識さえもこうして変えてしまうものか、と思った。

  またタクシーの運転手と話をした。外国人にとって、タクシーの運転手ほど良い話し相手はいない、と私は思う。彼らは一日中、街じゅうを走り回り、いろんな客を乗せて彼らと話をする。客がいないときにはラジオを聴くか新聞を読んでいる。そして、学歴、収入、考え方、すべてが中間的である。おまけに客と話す場所は、他に誰も聞いていないタクシーの車の中。

  そのとき、私は北京の、というよりは中国のIT産業の中心地である中関村に用があった。中関村には北京大学や清華大学があり、中国で1、2位を争うこの一流2大学を中心に、IT関連の大規模な研究センターや企業が結集していた。

  どうしてそういう話題になったのかは覚えていないけど、とにかく私は「中国の経済成長率はものすごいのに、物価がほとんど上がっていないことに驚いた」と言った。そして、「だけど、オリンピック期間中には物価の上昇が起きるだろうから、オリンピック以降の中国の物価はどうなるのだろう」と聞いてみた。

  運転手は前を見たまま、冷めた口調で「オリンピック後には、すべてが下がるだろう」と言った。「今はオリンピックに向けてすべてが上昇している。今が最高潮だと言っていい。でも、オリンピックが終われば、すべてが下降する。」 私はこの運転手の冷静な分析に驚いた。そして、オリンピック後に現れるかもしれない「反動」がどんなものになるのか、少し怖くなった。その中には、人々の態度や言動も含まれているのだろうか?

  その日の夕食は、大学のホテルの部屋を予約してくれた先生と、その大学の先生と一緒にとった。待ち合わせ場所は留学生宿舎兼ホテルのロビーだった。待っている間、ロビーを行きかう留学生たちの様子を見ていた。

  日本人らしい留学生の一団がエレベーターの前に立っていた。すると、欧米人らしい留学生の一団がやって来た。欧米人留学生の1人が日本人留学生たちに向かって、発音の不正確な中国語で「日本人、日本人!」とからかうように言った。どうやら、日本人留学生たちと欧米圏の留学生たちとは、仲があまりよくないらしかった。

  やがて待っていた先生方が来たので、大学の門を出たすぐ傍にあるレストランに行った。ウイグル族の料理を出すレストランだった。中国では今、他人に対する「呼びかけ」が変化している最中である。たとえばレストランの店員に対しては、数年前までは「お嬢さん!」か「お兄さん!」だった。それが今は「従業員!」になっている。特に女性の店員に対して「お嬢さん!」と呼ぶことはダメらしい。セクハラとして捉えられるようになっているのだろう。

  他にも、「お会計!」という言い方も変わったし、その店の責任者を「だんな!」(女性であれば「おかみさん!」になる)と呼ぶこともなくなった。なんと「社長!」と呼ぶのである。私には「従業員!」とか「社長!」とか呼ぶのが非常に不自然に感じられたものの、勇気を振り絞ってなんとか呼んでいた。

  食事中、2人の先生(どちらも日本人)に、日本人留学生と欧米圏の留学生の仲がよくないらしい、ということを話した。その大学の先生は困ったように言った。「日本人は日本人同士ですぐに固まってしまうんです。それに、最近の日本の若い子たちはプライドばかり高くて、外国に行ってその国語をマスターするには、まずプライドを捨てなければ始まらない、ということが分かっていません。そして、日常会話程度の片言中国語を覚えただけで、満足して帰国してしまいます。」

  清算してレストランを出るとき、私は従業員の女の子にこっそり小声で聞いてみた。「客に『お嬢さん!』って呼ばれるのはムッとする?」 その女の子は小さくうなずいた。

  食事が終わってホテルに帰る途中、留学生宿舎の部屋の前を通りかかった。閉めきられた窓を通り抜けて、電子音楽と効果音らしい音が大音響で聞こえてきた。先生の1人がつぶやいた。「ゲームでしょう。わざわざ中国に来たのにね。」

  私は自分の部屋にいったん戻ったが、その日の夕刊をまだ買っていなかったことに気づいて、再び出かけることにした。夕刊を買って、ついでにタピオカ・ミルクティーを売るスタンドに寄った。スタンドには2人の女性がいた。

  ためしにまた聞いてみた。「客に『お嬢さん!』って呼ばれると面白くないですか?」 女性の1人が言った。「そんなことないよ。『お嬢さん!』で、もちろんいいわよ。」 私があれ?と思った瞬間、もう1人の女性が口を挟んだ。 「いいわけないでしょ!でも、北京はいろんな人が集まるから、『お嬢さん!』って呼んでもいい。だけど、地域によって違うの。たとえば東北地方で『お嬢さん!』なんて呼んだら大変よ。」 彼女たちは東北地方の出身らしい。

  部屋に帰って新聞を開くと、「オリンピックのために甘んじて故郷を離れる」という見出しがあった。ある家族が先祖代々住んでいた場所にオリンピック関係の施設が建設されることになり、立ち退きを迫られることになったが、政府からは充分な補償金と新しい住宅を提供されたし、また国家の栄誉のために、慣れ親しんだ故郷を喜んで離れた、という話だった。こんな政府に都合のいい話が掲載されるところをみると、オリンピックにともなう立ち退き問題はかなり深刻なのだろう。

  テレビをつけたら、警察を特集した番組をやっていた。どっかのホールからの実況生中継で、中国中央テレビの有名アナウンサーが司会をしていた。犯人逮捕の際に重傷を負い、下半身不随になった警官へのインタビューがあったり、早い話が中国の警察の活動を称賛する番組だった。

  その後はこれまた警察を舞台にした連続ドラマだった。香港返還前、広州警察の特殊捜査部を舞台にしたドラマである。台湾の秘密機関の陰謀によって、広州の工場からある極秘資料が盗まれた。その資料が香港を経由して台湾側の手に渡るのを、特殊捜査部が必死の捜査で食い止めようとしている、というストーリーである。

  極秘資料は台湾側に金銭で懐柔された工場の職員によって持ち出された。苦悩する工場長が副工場長に叫ぶ。「あれはソ連から派遣された技術者が中国を離れるときに、こっそりと私に譲ってくれた弾道ミサイルの製造法を記した資料なんだ!友情の証なんだ!断じて敵の手に渡すわけにはいかない!」 私が爆笑したのはいうまでもない。

  やっぱり「中国」だなあ、と思った。                  
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真夏の夜の夢

  東京バレエ団「バレエ・インペリアル」、「真夏の夜の夢」公演を観に行ってきました。なんかすっごい久しぶりにバレエを観た気がします。そーいえばこの前も東京バレエ団の「ニジンスキー・プロ」でしたね。

  「バレエ・インペリアル」については、とりあえず何も書きません。地雷を踏むのはイヤですから。

  「真夏の夜の夢」にも、実はそんなに期待はしていなかったのです。タイターニア役のアリーナ・コジョカルはともかく、オベロン役のヨハン・コボーが怪我で降板して、その代役がスティーヴン・マックレーとなりました。

  いくらNBSが公式サイトで「このたびのスティーヴン・マックレーの出演は、元ロイヤル・バレエ団の芸術監督で『真夏の夜の夢』オベロン役の初演ダンサー、本公演のリハーサル指導者でもあるアンソニー・ダウエルの推薦によるものです。マックレーはロイヤル・バレエ団が期待する若手ソリストで、今シーズンのロンドン公演に抜擢されオベロン役を準備中でした」とフォローしようが、「スティーヴン・マックレー」って誰よ、しょせんは即席ペアだし、コジョカルとの踊りがうまくいくはずはない、と思っていました。

  それで今日の公演を観てみたら、いやはや、ロイヤル・バレエにこんなすごいダンサーがいたとは、と仰天しちゃいました。背丈はそんなに高くありませんし、スタイルがそんなにいいというわけでもないです(顔はメイクでどうにでもなるから問題外)。どちらかというと頭がデカくて体が細いという、私のストライク・ゾーン外の体型でした。

  でも、これが踊り始めたらすごいすごい。キレのあるスピード感に溢れる踊り、超高速回転やダイナミックな跳躍などの凄まじいテクニック(あくまでロイヤル・バレエ基準ですが)、東京バレエ団の女性ダンサーよりもなめらかで柔らかい腕の動き、自然なマイム、分かりやすくて雄弁な表情での演技、「やっぱりコボーじゃないもんねえ」とがっかりするどころか、「なんなのこの人!」と圧倒されました。

  マックレーはまだソリストだそうですが、テクニックがもっと安定して、雰囲気に落ち着きが備わり、更に強い存在感が加われば、かなりいいとこまでいくダンサーだと思います。

  コジョカルとの踊りはよく合っていました。でも、やはりキャリアの差が出るのか、コジョカルのほうが勝っていました。私は数年前にコボー&コジョカルの「真夏の夜の夢」を観ています。そのときのコジョカルのタイターニアには、まだ子どもっぽさが残っていました。

  今日の公演のコジョカルには、数年前には見られなかった妖精の女王らしい威厳、そして大人の女性らしい妖艶さが加わっていました。演技にもコミカルさが増していて、たとえば眠っている間にオベロンに惚れ薬をかけられ、パックのいたずらでロバに変身したニック・ボトムに一目惚れしてしまい、ロバの耳を「まあ、なんてステキなお耳!」とばかりにいとおしそうに抱きしめる仕草には大爆笑でした。またニック・ボトムを自分のしとねに誘うときは、「うふふふ~」といった(あくまで笑える)淫靡な微笑を浮かべていて、すごくおかしかったです。

  コジョカルの踊りもすごかったです。NBSが今回の公演に際して、彼女につけたキャッチ・コピー「ポスト・ギエム、フェリ世代の女王」には、えっそうなの?と思いますが、私はコジョカルの踊りがとても好きです。コジョカルは音楽に上手に合わせて、ロイヤル・バレエのダンサー独特の鋭角的なポーズを取り、メリハリをつけて機敏に動き、安定した強靭な技術を披露し、柔軟な身体能力を駆使して見事に踊っていました。バネのように勢いよく跳ね返る体、微動だにしないバランス保持、柔らかくて優雅にしなる動きには、スティーヴン・マックレー以上に圧倒されました。

  でも、私がマックレーとコジョカル以上に感動したのは、東京バレエ団のダンサーたちです。私は数年前、やはり東京バレエ団による「真夏の夜の夢」を観たことがありますが、今回はそのときの公演より段違いに良くなっていました。

  パック役の大嶋正樹、ニック・ボトム役の平野玲、ハーミア役の小出領子、ライサンダー役の後藤晴雄、ヘレナ役の井脇幸江、デミトリアス役の木村和夫、みなすばらしかったです。

  踊りでは、やはり踊りどころの多いパック役の大嶋正樹が、オベロン役のマックレーに負けない超絶技術で踊りまくりました。演技ではライサンダー役の後藤晴雄が最もすばらしいというか大爆笑で、最初はハーミアにキスしようとして口をむちゅ~、と突き出し、次には惚れ薬のせいでヘレナにキスしようとして、タコみたいに口を突き出したまま、嫌がるヘレナに迫っていく表情がおかしいのなんの。

  惚れ薬をかけられてワケが分からなくなったライサンダーとデミトリアスの決闘シーンも笑えました。二人でヘレナの腕を引っ張り合い、ヘレナが逃げた拍子にライサンダーとデミトリアスが抱き合ってしまうシーンとか、ボクシングのような仕草で拳をぐるぐる回すシーンとか、パックに眠くなるよう魔法をかけられて、二人が同時にアホ面になって(ごめん)ふらつき、木の根元に倒れこむシーンとか、すっごい笑いました。

  井脇幸江(ヘレナ)の踊りと演技がすごく良かったです。デミトリアスに追いすがって、はねつけられてもつきまとうところでは、デミトリアス役の木村和夫との踊りがとてもよく合っていました。フラれてもフラれてもめげない陽気な表情もほほえましくて、このまえ「牧神の午後」で神秘的なニンフを踊ったのと同一人物とは思えませんでした(そういえばこの方は「ジゼル」のミルタも踊るのですよね)。

  井脇幸江のすごいところは、踊りと演技との両方を同時にきちんとこなしていることで、たとえばデミトリアスにとりすがってぴょんぴょん跳ぶところで、顔はデミトリアスを見つめてニコニコ笑っていて、脚の動きや形は空中できちんときれいな踊りになっています。

  ニック・ボトム役の平野玲の「ロバ変身後ポワント踊り」もすばらしかったです。ポワントで、しかも膝を曲げ、更に跳びながら踊っていました。ロバの仕草も笑えました。人間の姿に戻った後、美しい女性(タイターニア)との恋の「夢」を思い出して、鼻の下を伸ばしながらヘラヘラ笑う演技もおかしかったです。

  カーテン・コールは大騒ぎでした。どのダンサーにも大きな拍手と歓声が送られていました。確かにそれだけの拍手喝采を受けるにふさわしい舞台だったと思います。最も大きな拍手喝采が飛んだのはアリーナ・コジョカルとスティーヴン・マックレーでしたが、それ以上に大きな拍手喝采を受けたのは、今回の「真夏の夜の夢」の指導をしたアンソニー(・ダウエル)卿でした(笑)。

  ダウエルはマックレーの手を握って高く上げました。「君は見事にやってのけたぞ!」という感じでした。マックレーがロイヤル・バレエでオベロンを踊るのは来年だそうです。きっとそれなりの評価を受けることになるでしょう。

  途中、観客の反応のあまりな激しさのせいか、コジョカルの目が一瞬うるんだように見えました。マックレーも最後には歯を見せて嬉しそうに笑っていました。コジョカルは「インドの子ども」役の男の子を気づかうように、しょっちゅう身をかがめて男の子の顔をのぞき込み、またその手をずっと握り続けていました。

  オベロン役とタイターニア役については、カンパニー内に人材を見出すのはなかなか難しいでしょうが(数年前にこれらの役を担当したダンサーたちの踊りから推測するに)、「真夏の夜の夢」は東京バレエ団の得意演目になったんじゃないかなと思います。またぜひ上演してほしいです。      
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亡き王女のためのパヴァーヌ

  このところ忙しかったので、更新がなくてすみませんでした。今日やっとひと区切りつきました。でも今はほとんど放心状態で、今日は久しぶりのご挨拶程度でご容赦下さい。実際、うまくキーが打てなくなっています。

  今日帰宅してテレビをつけたら、なんかの刑事ドラマが終わりかけているところでした。水谷豊が出ていました。

  エンド・ロールが流れる中、ラヴェルの「亡き王女のためのパヴァーヌ」が流れていました(水谷豊演ずる刑事に連行される犯人が、華やかで上品な感じの婦人だかららしい)。

  ラヴェルの「亡き王女のためのパヴァーヌ(死せる王女のためのパヴァーヌ)」は、私は小学校のころに初めて聴きました。NHKの「名曲アルバム」ででした。演奏されていたのはオーケストラ版でした。私はまだ子どもでしたが、それでも「こんなに美しい曲が世の中にあったのか」と、とても感動したことを覚えています。

  その当時はちょうど、なんとなく生きるのが辛いと感じていました。もちろん子どもでしたから、明瞭にそう思っていたわけではありません。ただすべてが辛いなあ、不安だなあ、とぼんやり思っていただけです。

  そんなときに聴いた「亡き王女のためのパヴァーヌ」の美しい旋律は、当時の私を取り巻いていた様々なこととはまったく異なる性質のもので、今の私の言葉で表現するなら、子どもの私は、物悲しいけれど美しいこの音楽に救いのようなものを見出したのでした。

  その刑事ドラマに触発されて、それから何回も「亡き王女のためのパヴァーヌ」を聴いています。ピアノ版もいいけど、私はオーケストラ版のほうがやっぱり好きですね。

  私はラヴェルの他の音楽も好きなのですが、「マ・メール・ロワ」というバレエ音楽が特に好きです。中でも「パゴダの女王レドロネット」とそれに続く「妖精の園」はいつも「感傷的」に聞き惚れてしまいます。ラヴェルの「ピアノ協奏曲」第2楽章についても同様です。

  ところで、「マ・メール・ロワ」はバレエ音楽として作曲されたようですが、どんな作品なのでしょう?大体、今でも上演されているのでしょうか?「ラ・ヴァルス」はアシュトンが振り付けていますね。クーパー君が踊っている舞台写真を見たことがあります(タキシード姿でカッコいい!)。

  「亡き王女のためのパヴァーヌ」も誰か振り付けたりしていないのでしょうか(マクミランの作品に「パヴァーヌ」があるそうですが、ラヴェルの曲なんでしょうか?)。   
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蓮の実

  知人を通じて中国のある出版社から仕事を頼まれたことがある。〆切を大幅にオーバーしながらもなんとかこなしたところ、無事に報酬がもらえた。といっても人民元でである。これも知人を介してで、彼らはなんと現金で渡してきたという。日本ではさしたる額ではないが、中国では都市住民の平均的年収にあたる。大金なので、知人はとりあえず中国の銀行に口座を作って貯金した。

  でももちろん、外国人である私の名前で勝手に口座は作れないので、知人は自分名義で口座を作り、日本に来たときに私に通帳を渡して、暗証番号を教えてくれた。知人の誠意はありがたいが、他人名義の通帳をもらっても困る。いつか私が北京に行ったときに名義変更をしようということになった。

  で、北京に来たのだから、念願の(笑)名義変更をすることにした。名義変更さえしてしまえば、私はもうお金を持って中国に行く必要はなく、中国に行ったら銀行やATMで必要な分だけお金を下ろせばいいのだ。中国ではけっこうな額なので、ちょっとしたお金持ち気分である。

  知人は自宅近くの銀行に口座を作ったため、私がそこへ出向くことになった。名義変更をするついでに昼ご飯も一緒に食べようという約束だったので、昼過ぎに出かけた。

  中国は不動産バブルで(北京近郊でも1平米が1万元以上するという)、北京市内にもどんどん高層マンションが建てられている。中国人は働いている会社や機関から安価でマンションの部屋を購入することができる。夫婦の場合、中国では共働きが基本だから、夫婦それぞれが自分の勤め先から住宅を安い価格で購入できることになる。更に、完全自己負担で別に住宅を購入することもできる。よって、1組の夫婦が3軒の住宅を持っているという現象が起きている。実際、私の知人夫婦も3軒のマンションの住宅を保有している。

  しかし、知人夫婦は現在、息子夫婦のマンションに住んでいた。内装済みのマンションが販売される日本と違い、中国では住宅は「箱」しか売られない。内装は購入者が自費で行なう。知人夫婦が住む予定のマンションはまだ内装が済んでいないので、息子夫婦の家に仮住まいしているそうだ。

  知人の住むマンション(正確には知人の息子夫婦のマンション)は、北京の西の近郊にあった。清朝の庭園であった円明園、夏の離宮であった頤和園の更に北にある。タクシーで行ったが、途中で円明園の真ん中を突っ切る道路を走った。高架道路なので、円明園の建物の残骸(アヘン戦争時に欧米列強の連合軍によって建物が放火・破壊され、残骸がそのまま放置されている)がちらりと見えた。

  待ち合わせのレストランに着いた。その辺はまだ開発途中で、私にとっては懐かしい、中国の古い形式の建物(質素な平屋建て)の商店が軒を連ねていた。道路の向こうには知人の住むマンション村が見えた。高層マンションではなく、5階建てくらいの新築のマンションが団地のように並んでいる。建物のデザインは瀟洒で品の良い感じがした。

  知人はもうレストランに着いていた。そこはきれいで高級そうなレストランだったが、客は私たちの他にはほとんどいなかった。そのレストランの客層は専ら知人の住むマンション村の住民たちで、彼らのほとんどは昼間は仕事に出ているために、レストランも平日の日中は開店休業状態なのである。その代わり、夜や週末は大賑わいだそうだ。

  昼間からビール、牛の筋の肉(コラーゲンが豊富で美容に良い)、野菜炒め、羊肉のスパイス焼き、中国風お好み焼き(小麦粉に卵を入れて練り、その中に野菜と肉を混ぜて焼いたもの)、落花生の酢醤油漬け、揚げパン、など、知人はまたもや食べ切れない量の料理を注文した。

  申し訳ないことに、またおごってもらった。知人が日本に来たときには、せいぜい大盤振る舞いをしてやろうと思った。レストランを出ると、知人は地下を指さして言った。「ここは地下にフィットネス・クラブがあって、プールもあるんだよ。」 知人が指さすほうを見ると、そこは透明なガラス張りになっていて、その下にプールが見えた。日の射し込むプールの中を、男性が1人泳いでいた。

  レストランとは打って変わって、銀行は大賑わいだった。受付カード機から紙を引き抜いて、窓口の上にある受付番号の電光表示板を見ると、待ち人数がなんと30人だった。ところが、「○○番のお客様、○番窓口においで下さい」という自動アナウンスがあって、客が即座に返事をしない場合、たった1秒も待たずに次の番号がさっさと呼び出される。飛ばされた客はまたカードを引き抜いて待たなければならない。

  というわけで、10分くらいで私たちの番になった。アナウンスが流れると、知人は速攻大声で「行きますよ!」と返事をした。私一人だったら、容赦なく飛ばされていただろう。

  中国の銀行員はかつて、笑わない、礼儀正しい言葉を使わない、仕事をしない、が売りだったが、久しぶりに来てみたら、愛想はないし、言葉もぶっきらぼうだったものの、仕事は勤勉にこなしていた。無表情だけど、実はとても親切であった。私たちの前に、辞書くらいのぶ厚い札束を持った男性が窓口に陣取っていて、しきりに銀行員に食い下がっている。すごい早口でなまりもひどく、私には何を言っているのか分からなかった。しかし知人は「あの男はイヤなヤツだ」と何度も言っていた。最近の中国にはよくいる、成り上がりの教養のない金持ちなのだろう。

  女性の銀行員は顔色ひとつ変えず、その「イヤなヤツ」に冷静に対応していたが、ふと私たちのほうを見て「次はすぐあなたたちの番ですから」と言ってくれた。

  イヤな成金野郎はブツブツ言いながら席を立ち、私たちの番になった。その女性銀行員は、やはり愛想笑いひとつ浮かべなかったが、対応は親切だった。彼女によれば、名義変更は必要なく、クレジット・カード機能なしのカードを作ってATMで使えばいい、とのことだった。それで知人がカード発行の手続きをした。日本の銀行とは違い、女性銀行員はパソコンにカチャカチャカチャ、と凄まじい速さで情報を打ち込み、なんとその場でカードが発行された。

  私はそれでも心配だった。「何かトラブルが発生したときに、名義の異なる通帳やカードを私が持っているとなると、問題なのではないですか?」 しかし銀行員は「問題ありません」と断言した。後で知人は苦笑しながら、「名義変更なんて面倒な仕事は、やっぱりしたくないんだね」と言った。

  銀行を出て、さっそくATMでお金を下ろしてみた。うまくいった。知人が口座を作ってくれた銀行は中国三大銀行の一つで、しかもカードはどの銀行のATMでも使えるタイプのものだった。中国の銀行カード事情は、日本とほとんど変わらなくなっている。これで必要なときにカードでお金を下ろせる。なんとなく安心した。

  知人と別れて、またタクシーに乗って帰った。ホテルまで比較的長い道のりだったので、運転手と話をした。運転手は「麻生と福田と、どっちが次の首相になればいいと思う?」と聞いてきた。中国人の多くは、みな日本の政治に一定の関心を持っている。私は「どっちも嫌いだ」と答えた。運転手は「安倍はなんで辞めるんだい?彼は中日関係を良くしたじゃないか?」と言った。私は「あれは政治的パフォーマンスだ。安倍は実際のところ極端な右翼主義者で、柔らかくて曖昧な言葉を使って日本を戦前戦中のような国にしようとしていた。みんななんとなくそれに気づいていて、それで参議院選挙では自民党に投票しなかった」と答えた。

  それから話題はお互いの個人的な事柄に及んだ。中国では、初対面の相手に個人的な事情を聞くのは、さして失礼なことではない。大体、私と運転手との間には、何の利害関係もないのだから。

  運転手は八達嶺の出身だという。よくテレビで映る万里の長城がある街である。私は言った。「じゃあ毎日、万里の長城を見て育ったんですね。」 運転手は笑った。「まあそうだね。」 私「家族の人はみな実家ですか?」 運転手「子どもは北京で学校に通っているよ。妻も北京にいる。実家へは、月に2度くらいは帰るかなあ。」 私「奥さんと子供さんと一緒に住んでいるのなら、寂しくないですね。」 運転手「そうだね。」

  話題はなぜか日本と中国の少子化問題に及んだ。運転手は「中国は法律で子どもは1人だけと決められているけど、日本にはそんな法律はないだろう?なのに、なぜ少子化が進んでいるんだ?」 私は自分の思うところを答えた。「子どもを産むことに価値を見出せない夫婦が増えているんです。」 「子どもを産むことに価値がない?」運転手は驚いたようだった。

  だが、運転手はいきなり言った。「このまえ北京の近くの村でさ、ある夫婦に五つ子が生まれたんだ。」 私は単純に「そりゃあ両親は嬉しいだろうな」と思った。中国では子どもは大事にされるし、まだ農業の機械化が進んでいない農村では、働き手となる子どもは多ければ多いほどいいだろう、という頭があったからだ。運転手は続けた。「そのうち3人は施設に引き取られたよ。」 今度は私が驚く番だった。思わず大声で叫んだ。「どうして!」

  運転手は私が驚いたことに驚いたらしい。あわてて言った。「子どもを育てるには金がかかる。2人ならなんとかなるだろうさ。それに大金持ちか、都市住民だったら5人でも育てられるかもしれない。でも、養育費がかかるし、学費も高い、それに海外に出る(大学卒業後に海外に移住するのは、中国人の理想とするエリート人生である)となれば、貧しい連中や、特に農民なんかは、とても5人なんて育てられないよ。」

  私は聞いてみた。「子どもが成人になるまで、最低でいくらくらいかかるんですか?」 運転手は「成人までねえ・・・」としばらく考え込んでから言った。「最低でも10万元から20万元かな。」 これは都市住民のおよそ10年分の収入に相当する。確かに農民には無理だ。でも、経済的な事情で養育できないから、という理由で我が子を施設に引き取ってもらう、という発想には少しショックを受けた。

  タクシーを降りて歩いていると、道端で蓮の実を売っている女性がいた。これも懐かしい。写真の不気味な物体は蓮の実である。緑色の莢をむくと中に白い種が入っている。ピーナッツとマカダミア・ナッツの中間のような味だけど、油っぽくなくてさっぱりしている。3茎で6元だという。ちょっと高いなあ、と思ったが買った。

  買った蓮の実をホテルの門番やフロントのお姉さんたちに見せた。彼らは一様に戸惑ったような表情を、あるいは曖昧な微笑を浮かべた。ホテルの門番の兄ちゃんは、「俺はそんなものは食わないよ」と言った。彼らは汚いとか不衛生だと思っているのだろう。蓮の実は、もう貧しい時代を象徴する粗末で下品な食べ物になっているのかもしれなかった。                 
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どういうこと???

  クーパー君の公式サイトの最新ニュースに、「2008年クーパー君カレンダー」は発売されない、と書いてありました。理由は高いコストがかかるからだそうです。

  2007年カレンダーは「危険な関係」の舞台写真でしたけれど、2008年カレンダーのネタになるような写真があるとしたら、それは2006年にクーパー君が出演した「ガイズ・アンド・ドールズ」の舞台写真しかありません。でも、権利の問題を考えると、確かにアダム・クーパーのファン向け小部数発行(だと思うんだけど)のカレンダーを作るには、利益よりもコストのほうが高くついてしまうでしょう。

  代替案として、カレンダーの代わりにTシャツと、あとは何かしらの商品を発売する予定だそうです。Tシャツってねえ・・・そりゃ安上がりで作ることができますが(既成のTシャツに柄をプリントすればいいだけだから)、大学生のサークル活動じゃあるまいし、なんだか寂しいですね。

  今年は舞台に立ってなかったんだから、まあ仕方がないよね。でも、個人的には、舞台写真のカレンダーもいいけど、2006年カレンダーみたいに、レッスン風景とか、休憩時間にくつろいでいるときの姿とか、「素顔のクーパー君」写真集みたいなカレンダーでもいいと思うんだけどなあ。それなら製作コストも安いと思うのだけど。

  よく分からないのは、2008年カレンダーの発売がないことは、昨日に発表されたんだけど、今日になっていきなり「私たちはみなさんの意見を聞くことをいつも楽しみにしています。だからみなさんはいつでも連絡ページのリンクを通じて、Eメールを送れることを忘れないで下さいね」という文が付け加えられたことです。

  どうしてこんな文章がわざわざ付け加えられたのか、まったく分かりません。公式サイトに送られてくるEメールの量が減ってきたので危機感を覚えたとか、公式サイトではなく、別のところでアダム・クーパーに関する論争(?)が盛り上がっているとかいう理由でしょうか。

  でもねえ、クーパー君は今年、振付の仕事ばかりで舞台に立ってないでしょ?はっきり言わせてもらうけど、クーパー君の魅力は舞台に立つことで発揮されるんだから、彼が長いあいだ舞台に立っていないことに失望して、気持ちが冷めてしまったファンが多少はいても仕方がない、と私は思うのですよね。

  それに、公式サイトのEメールアドレス宛てにメールを送っても、おそらくメールを読むのは管理人の方々で、クーパー君自身がきちんと読んでるかどうかは怪しい感じがするのです。私も何度かメールを送りましたけど、返事はすべて管理人から返ってきましたよ。クーパー君本人に読んでもらいたいメールなのに、まず他人に読まれて、しかもクーパー君が読んでるとは限らない。これではメールを書く気にはなりません。
  
  メールを送ってほしいのなら、クーパー君自身もちゃんとメールを読んでいるということをはっきりと言うべきです。そして、公式サイトにも書いてあったけど、クーパー君が一刻も早く舞台に復帰してくれることを、私も心から待ち望んでいます。  
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新鮮ですよ!

  北京に着いた翌日(いや当日)の朝、8時に起きるつもりだったのが、目を覚ましたらなんと10時近くだった。

  目覚ましが鳴らなかったのか、それとも私が熟睡のあまり目覚ましの音さえも聞こえなかったのか、とびっくりして時計をよく見ると、現在時刻が午後10時になっていた。寝る前に目覚ましを北京時間に合わせたときに、午前と午後を間違えてセットしてしまったのだ。だからアラーム音が鳴らなかった。我ながらアホだ。

  起きてしまったことは仕方がない。起きて居間へ行き、昨夜のうちに淹れて冷やしておいたジャスミン茶を飲んだ。ジャスミン茶は茶色になってしまっていて、表面に濃い茶色のペースト状のものが浮かんでいる。が、気にしないで飲んだ。

  とにかく腹が減った。ホテルを出て換金ができる大きなデパートに行った。日本円の現金3万円を兌換した。2000元弱になった。それから昼食をとるために、そのデパートの隣にあるはずのおいしい餃子屋を探した。ところが、前にその店があった辺りは工事中で、その餃子屋が見当たらない。

  さてはつぶれたか、と思ってその辺を探してみると、デパートの横の細い道をかなり入った奥に、同じ名前の餃子屋の看板があるのを見つけた。入ってみると、以前のあの店だった。工事のせいで店舗を移転したのだ。

  日本でも水餃子は段々と普及しているが、中の具がワンパターン(豚肉と野菜)で面白くない。しかも必ずニンニクが入っている。更に小さい割に値段が高い。おいしい水餃子を食べるなら中国に行くに如くはない、と私は強く思っている。

  店に入ってずっと食べたかった香菜と豚肉の入った餃子(たしか12元)を注文した。注文は2両(8つ)からで、もう一種類注文した。水餃子に豚肉は必須であるが、海産物と豚肉の水餃子もおいしい。女性店員に尋ねてみると、彼女が勧めてきたのは最も値段の高い海老入り餃子(20元くらい)だった。

  すると女性店員は、いきなりこう言った。「新鮮ですよ!」 私は中に入っている海老は新鮮かどうかなんて尋ねなかった。それなのにいきなり彼女は「新鮮です!」と断言したのだ。大体、レストランで魚介類を注文したら、店員がわざわざ「新鮮です!」なんて言うか?

  ちょっと奇妙に思いながらも、緊張している気分をほぐすために、昼間っからではあるがビールも注文した。燕京ビールという北京の地ビールである。でも、燕京ビールは日本のアサヒビールと技術提携しており、実際には日本のビールを飲むようなものだ。

  待っている間、他の客と店員とのやりとりを聞いていた。すると、しょっちゅう客が「新鮮か?」と聞き、店員がそのたびに「新鮮ですよ!」と強調しているのが聞こえた。なるほど、食の安全に対する意識が、中国人の間でもかなり高まっていることが察せられた。

  久しぶりに食べる香菜餃子は最高の味だった。海老餃子もおいしかった。2種類で4両の餃子をたいらげてしまった。16個。日本の「水餃子」がとかく小さいのに比べて、向こうの水餃子は中の具がぎっしりと詰まっていて大きい。写真は香菜餃子である。あまりおいしそうには見えないだろうけど、大きくてジューシーでとてもおいしい。

  満腹して店を出て、その晩に会って一緒に食事をする予定になっている知人に連絡を入れた。待ち合わせ時間と場所を確認した。ホテルに戻って残りの宿泊代をデポジット込みですべて支払った。それからまたホテルを出てある場所に行き、主要な用事を済ませた。

  5時過ぎになったので、そろそろ待ち合わせの場所に行くことにした。夕方になって雨が降り出した。ちょうど日本海を通過していた台風の端が北京にもかかっているらしい。待ち合わせ場所はある有名ホテルの正門だった。

  そのホテルの正門には大きな庇があったので、雨宿りをしながら知人が来るのを待った。ところが、待ち合わせ時間の6時を過ぎても知人が来ない。知人の家に電話を入れたら家族の人が出て、とっくの昔に出かけたとのことだった。北京の交通渋滞は大きな問題になっている。しかも雨が降れば道路はかなり混雑する。遅れているのはそのせいだろう。

  ホテルの正門にはガードマンや荷物運びのボーイがいる。彼らと話しながら時間をつぶした。正門には他にも人と待ち合わせているらしい人々がいた。ホテルのロビーの中もいちおう探したら、一発で日本人と分かる女の子たちがいた。

  やがて、正門で人を待っていた日本人らしい男性が日本語で話しかけてきた。「もしかしたら、○○さん(私の名前)ではありませんか?」 その人は、私が泊まっている大学のホテルを予約してくれた先生だったのだ。私はてっきり、中国人の知人がホテルの部屋を予約してくれたと思い込んでいたのだが、実際にはその先生が代理で申し込んでくれたのだという。その先生は、ロビーにいた日本人の女の子たちを呼び寄せた。なんとその子たちも、その先生の教え子で、一緒に食事するために招集されたのだった。

  お互いに挨拶を交わし、肝心の中国人の知人が来るのをみんなで待った。やがて7時近くになって、ようやくその知人と奥さんがタクシーに乗って到着した。そのホテルの辺りは繁華街で、その中にある一軒の立派なレストランに入った。

  中国では、一人で食事をするのがいちばん困る。一人でご飯を食べるとなると、ラーメンとか、餃子とかの炭水化物1品に限られがちである。中国料理は基本的に復数人で食べるのが、栄養の面でも、またいろんな料理が食べられるという面でも適切なのである。

  中国では私は客なので、料理の選択はホストである中国人の知人夫婦に任せた。日本では食べられない料理を次々と注文する。せっかくの機会なので、私はリクエストを出して、久しぶりに北京ダックを食べさせてくれないかと頼んだ。女の子たちも大喜びだった。中国での北京ダックの値段は日本に比べれば安いが、学生たちにはそれでも手の届かないごちそうらしい。注文したのは、もちろん1羽まるごと。1羽でも300~400元である。

  オードブル(酢醤油漬けの落花生、塩漬けの鶏があったような気がする)、ビール、菊茶(小菊の花のお茶。夏場によく飲まれる)がまず出された。菊茶は透明なポットの中で、お湯を注がれてきれいに花開きながら、ゆらゆらと漂っていた。クコの赤い実も入っていて、菊の花がきれいに開いていること、またお茶の淡い黄色い色合いから、これは高級なお茶だなあ、と思った。味はカモマイル・ティーによく似ている。

  そのうちに料理が続々と出てきた。中でも面白かったのが、ある種の芋をすりつぶして麺状にしたもの。色は濃い茶色で、酢と醤油で味つけされていた。つまりは中国版コンニャクである。日本のコンニャクよりも、もちもちした柔らかい食感だった。

  創作料理のようなものもあって、春雨と野菜を卵を練りこんだ皮で包んで揚げた料理もおいしかった。他には大きな川海老の素揚げ。他にもたくさんの料理があったが忘れた。久しぶりの北京ダックもおいしかった。小麦粉の丸い薄い皮で、細切りにした白葱と胡瓜、味噌、鴨の皮と肉を包んで食べる。鴨の皮はパリパリしていて香ばしく、やっぱり北京ダックは皮がおいしいなあ、と思った。

  こうした宴会では、オードブル→メイン料理→スープ→炭水化物という順番で料理が出される。スープはかき混ぜた卵の白身を流し入れたもの(芙蓉と呼ばれる)と海老が入ったあっさりスープで、炭水化物は刀削麺(麺の生地を包丁で細く削った麺。形のゆがんだきしめんに似ている)だった。刀削麺の味つけは肉味噌とトマト・卵スープの2種類があった。肉味噌で麺を和えたのがジャージャー麺である。もとは北京の麺であり、四川のタンタン麺と並んで、今は日本にもすっかり定着した。

  宴会では、料理はわざと食べきれないほどの種類を注文する。今はそんなにこだわらないと思うけど、客が出された料理を食べきってしまうと、ホストの面子をつぶすことになる。少ない種類の料理しか注文しなかったので、客を満腹にさせなかった、ということになるかららしい。

  食べ残した料理はパックに積めて持ち帰りできる。日本の飲食店では法律の制限があるためにできないらしいが、中国では当たり前のことである。食べ残しの料理はホストが持ち帰る。

  高級レストランだったので、会計は高くついたと思う。でも、これも面子の問題で、私は中国では客人であるので、中国人である知人が会計を全額負担する。客の私たちは、一応は「いけません、押しかけた私たちが払います」と主張する。ホストである中国人の知人は「いえいえ、次に私たちが日本に行ったらご馳走して下さい」といった返答をして、店員を呼んでさっさと清算を済ませてしまう。私たちは何度もお礼を言ってそれでお開きとなる。

  レストランから出ると、外はどしゃぶりの大雨となっていた。北京でこんな大雨に出くわしたのは初めてである。いくら街の外観を近代的にしようとしても、これほどの大雨が降れば弱点が露呈する。北京は排水がよくない。雨が下水管に流れ込まず、あちこちの道路が川になっていた。靴がびしょ濡れになった。

  帰り際、中国人の知人は他の人に悟られないように、そっと月餅を贈ってくれた。中秋節(十五夜)が近づいていて、中国のあちこちで月餅が売られていた。クリスマスにケーキを食べるのと同じような習慣である。私も知人にそっと大量の玄米茶が入った袋を渡した。知人は日本の玄米茶が大好きで、買ってきてくれるよう私は事前に頼まれていた。

  知人夫婦や留学生の女の子たちと別れ、私は部屋を予約してくれた先生とホテルに戻った。その先生はホテルの隣にある留学生宿舎に住んでいた。ホテルのロビーでコーヒーを飲んで少し話をした。

  中国の食べ物の話題になって、その先生は言った。「そういえば、部屋にあるジャスミン茶は飲んではいけませんよ。」 私はギクッとして言った。「昨夜と今朝と飲んでしまいました。」 先生は「カップに茶渋がやたらと着くでしょう?あれはおかしいです。それに、冷めると表面に妙な膜が浮かんでいませんでしたか?」

  まったくその通りだったので、私は「あの茶色い膜は何なんですか?」と聞いた。 先生は言った。「何かの鉱物でしょう。人体に有害なものですよ。あのジャスミン茶は飲まないほうがいいです。」 それから先生は「これなら問題ないです」と言って、1回分ずつの茶葉が真空パックに詰められたお茶を1缶くれた。

  先生と別れてから、ホテル内の売店で、朝食用のパン、チーズ・クリームを挟んだクラッカー、インスタント・コーヒー、ヨーグルト、ミネラル・ウォーター、酸梅湯(ちょっと渋味のある梅ジュース。日本には売ってない)を買った。

  部屋に戻って、さっそく先生にもらったお茶を淹れて飲んでみた。茶葉をフタ付きのカップに入れ(普通ティー・バッグは使わない)、お湯を注いでしばらく待った。茶葉が開いたかな、というところでカップを開けて中を見てみた。カップの内側に茶渋は着いておらず、お湯はほとんど透明でかすかに緑色だった。そうそう、これが中国茶本来の色だ、と思い出した。

  カップのフタをわずかにずらして、茶葉が出てこないようにカップとフタのすき間からお茶を飲んだ。部屋に置いてあったジャスミン茶とはまったく違う、品の良い味がした。何度もお湯をつぎ足して飲んだ。

  餃子屋での店員の「新鮮です!」という言葉とホテルのジャスミン茶の茶色い膜は少しショックだったが、久しぶりに食い物は危ない、ということを実感できた。          
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ボリショイ&マリインスキー合同ガラ放映

  本日、10月5日(金曜日)午後10:25~午前1:20まで、今年の8月末~9月初めに行なわれたボリショイ・バレエとマリインスキー・バレエによる合同ガラ公演の模様が、NHK教育の「芸術劇場」で放映されます。

  公演自体の放映は10:45からですが、その前に合同公演の舞台裏の様子なども紹介されるそうです。

  当日の公演をご覧になれなかったみなさま、この機会にぜひぜひチャンネルを合わせてみて下さい。すばらしいですよ~。
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