小林紀子バレエ・シアター『マノン』(8月28日)

  今日も観に行きました。

  やはりすばらしかったですが、昨日に比べると、全体的にちょっとパワーダウンしていたような?観客が昨日と違っておとなしい(ような気がした)ことが影響していたのかな。それとも私が少しは見慣れてしまって、アラ探しをする余裕ができたせいか。

  それでも、本家本元の英国ロイヤル・バレエとは確かに比べようもないけれど、日本のバレエ団でこの作品を上演して、ここまで完成度が高い舞台を作り上げることができるのは、小林紀子バレエ・シアターだけではないでしょうか。

  どうしても主役や準主役にばかり目が行きがちですが、出演したダンサー全員が、演技にしても踊りにしても、非常にまとまっていました。だから全体としてすごい統一感があって、観ていてとても自然だったのです。このカンパニーが、今まで地道に、しかし堅実にマクミラン作品に取り組んできたことが見事に実を結んだのだろうと思います。

  第一幕の乞食たちの踊り、第二幕の娼婦たちの踊り、客たちの踊り、第三幕の街の人々の踊りはいずれもすばらしかったです。みな演技達者だし、踊りは音楽にバッチリ合っているし、演技は互いに呼応していたし、動きはよく揃っていました。

  娼婦を踊った高橋怜子さん、萱嶋みゆきさんはとても魅力的でした。第二幕で、互いに互いを出し抜いて目立とうとする踊りがコミカルでおかしかったです。

  第二幕と第三幕で並んで踊っていた荒井成也さん、杜海さん、冨川直樹さんも、ダイナミックかつ端正な動きが非常に印象に残りました。とりわけ杜海さんは先がすごい楽しみです。

  レスコー役の奥村康祐さんは、あんな難役をよく踊り演じました。レスコーはすごい複雑なキャラクターだし、踊りも(個人的に思うことには)かなり不可解というか、単純にこういう雰囲気やスタイルで踊ればいい、というものでもないと思いますから、ある意味、デ・グリュー役よりも大変でしょう。なにせ、デ・グリュー、マノン、ムッシュG.M.、愛人を操って手玉に取るような人物です。

  奥村さんの踊り全体と、パートナリングの一部はちょっと頼りなかったですが、レスコーの歪んだ性格や異様な雰囲気はよく伝わってきました。第一幕、幕が開くと、暗闇の中にレスコーが座りこんで前を凝視している。奥村さんのレスコーの、何を考えているのか分からない冷たい目つきと表情が強く印象に残っています。

  一つ不思議なんですが、レスコーがソロで踊るシーンの音楽は、なぜどれも荘重というか豪華なんでしょう?レスコーって、自分の愛人ばかりか、自分の妹までも確信犯的に売春婦にして、自分は彼女たちのヒモになるようなヤツだよね。レスコーのこういう人物像と踊りの音楽のタイプが正反対なのは、どういうことなんだろう。偶然か、それとも何かの意図があるのか?

  デ・グリュー役のロバート・テューズリーは、今日のほうが絶好調でした。特にソロで踊るところです。また、テューズリーは感情の起伏を舞台で出さないタイプだと思っていましたが、今日は息を荒く吐いたり、マノン役の島添さんとのキスシーンで音を立てたり、かなりエキサイトしていたように見えました。 

  テューズリーのパートナリングも凄まじかったです。島添さんをものすごい勢いでブン投げて、振り回して、ぎゅりぎゅりぎゅり~、と空中で回転させて、島添さんの顔が床すれすれに近づくまで逆さにぶら下げるの。今日も舌を巻きました。

  そのマノン役の島添亮子さんは、もう『マイヤーリング』のマリー・ヴェッツェラ役とかもイケるでしょう。表情もそうだけど、腕と、特に脚がエロいエロい。それに、島添さんは、どんな踊りであろうと、誰にリフトされようと、まったく躊躇しないし、物怖じしない。

  テューズリーのパートナリングが上手くいったのは、島添さんの力によるところも大きいのは違いありません。島添さんがためらいも怯えもなく、まっすぐテューズリーに向かって飛び込んでいくから、テューズリーも遠慮したり気を使ったりする必要がなかったでしょう。だから島添さんとテューズリーの間には、たるみやぎこちなさがまったく生じなかった。

  でも、島添さんは、自信満々という雰囲気では全然ないんです。やっぱり、「強い」という言葉しか浮かんできません。かといって、島添さんは自分を観客に押しつけがましく誇示する人ではまったくないし、むしろ自分を抑制するタイプだと思います。それに島添さんは小柄で華奢だし、顔つきもかわいらしいのですが、でもあの強靭さは本当に凄い。真面目に、ストイックに、ひたむきに役に取り組んでいる感じとでもいうのかなー。

  面白いことに、第一幕、第二幕、第三幕で、マノンがあの音楽とともに現れて踊り始めると、観客の注意が島添さんに集中してしまうんですね。シーンと静まりかえって、島添さん一人に全観客の視線が釘付けになっているのが感じられましたよ。マノンにのめりこんだ男性たちの気持ちが分かりました(笑)。

  島添さんにはまたマノンを踊ってほしいし、次はぜひマリー・ヴェッツェラも踊ってほしいです。島添さんなら絶対にできますよ。

  最後に、『マノン』を久しぶりに観て思ったこと。やっぱり、『マノン』の第三幕は(いちおう古典全幕?)バレエ作品としてはかなり異様だよな。いがぐり頭でボロボロ衣装のバレリーナがたくさん出てきて、ヒロインまでいがぐり頭のボロボロ灰色衣装で、ヨレヨレになりながら、断末魔をそのまま動きにしたような凄まじい踊りを踊って死ぬんだから。 
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小林紀子バレエ・シアター『マノン』(8月27日)

  小林紀子バレエ・シアターの公演として、というよりは、『マノン』の公演として、非常にすばらしい舞台だと思いました。

  予想を遥かに超えたすばらしさでした。配役もまさに適材適所で、もう言うことなし。

  島添亮子さんは、今回がマノン・デビューだと言われても、にわかには信じがたいでしょうね。本当に、身体だけでなく心もしなやかで強い人です。

  ロバート・テューズリーは、とにかくパートナリングが凄すぎる!最後の「沼地のパ・ド・ドゥ」での圧倒的な迫力には息を呑みましたよ。

  意外にハマり役だったのが、後藤和雄さんのムッシュG.M.です。鼻持ちならない傲慢な雰囲気を漂わせ、強い存在感がありました。

  レスコーの愛人役の喜入依里さんも、この役をやるのはホントに初めて?というくらいすばらしかったです。演技も良くて、泥酔したレスコーとの踊りでは客席から笑いが起きていました。

  思わぬめっけもんが、恵谷彰さんの乞食の頭です。第一幕の乞食たちの群舞と恵谷さんのソロは見ごたえがありました。

  マダム役の大塚礼子さんも貫禄たっぷりで、娼館のやり手な女主人役が堂に入っていました。

  看守役は冨川祐樹さんでした。これもハマり役でしょうね。

  それから、アラン・バーカー指揮の東京ニュー・フィルハーモニック管弦楽団の演奏もすばらしかったです。これも予想外に嬉しいことでした。第一幕のあの静かな前奏曲の出だしは、脳みそに滑り込むようにすうっと入ってきて、一瞬で『マノン』の世界に引き込まれました。

  明日はじめて観に行かれる予定で、プログラムを買うおつもりの方は、早めにご購入されたほうがいいです。今日の公演では、第二幕後の休憩時間にはプログラムが売り切れてしまったようです。

  小林紀子バレエ・シアターの公演では、当日券が出ないことが時にあるのですが(公演当日までにすべて売り切ってしまうらしい)、今回は当日券を販売しています。今回の『マノン』は、観て損はない舞台だと思いますので、お時間の許す方はどうぞ~。
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土曜ワイド劇場

  帰宅してテレビを点けたら、テレ朝の「土曜ワイド劇場 救急救命士・牧田さおり~緊急出動!狙われたバレリーナ…暴かれた舞台裏!愛憎、嫉妬、野望…女の闘いと出生の秘密!~」をやってました。ツッコんでやろうと面白半分で見始めたら、ついつい夢中になってしまい、結局最後まで見ちゃった。

  テレ朝の土曜ワイド劇場というと、最初は全裸美女が温泉の露天風呂に浮いて死んでて、最後は海の荒波が打ちつける断崖絶壁の上で船越英一郎が犯人を暴くのがお約束のパターンですが、今回の「救急救命士・牧田さおり~緊急出動!狙われたバレリーナ…暴かれた舞台裏!愛憎、嫉妬、野望…女の闘いと出生の秘密!~」はかなり趣向が違いました。

  本牧バレエ団(←……)のプリマ・バレリーナ(純名里沙)が、歩道橋の階段の上から何者かに突き落とされて脚を大怪我し、目前に迫った公演『白鳥の湖』のオデット/オディール役を降板せざるを得なくなる。犯人は女だということが目撃され、また、プリマはストーカーに付きまとわれているらしいことも明らかとなったが、警察の捜査は手詰まりになる。降板したプリマの代わりに、野心満々の後輩バレリーナが出演することになり、プリマはその後輩バレリーナが犯人ではないかと疑う。

  その後、救命救急士の浅野温子(←主人公)は、重い腎臓病を抱える少女の搬送を担当する。少女は腎臓移植をしなければ命が危うい状態だが、少女の父親はすでに亡くなっており、母親とは腎臓が適合しない。母親と亡き父の親友であった男性は、移植手術のための基金を集めている。

  少女は周囲に対してかたくなな態度を取り、またなぜかバレエを毛嫌いしている。しかし、浅野温子が少女を見舞ううちに、少女は浅野温子に心を開くようになる。

  そんな中、本牧バレエ団のスタジオで、怪我をしたプリマの代役に立つことになった後輩バレリーナが刺殺される(←ちなみに捜査本部の名称は「バレリーナ殺人事件」)。後輩バレリーナの持ち物の中にSDカードがあり、プリマ、腎臓病の少女を隠し撮りした画像が入っていた。

  更に、腎臓病の少女の母親の車が、事件のあった時間にバレエ団のスタジオ付近を走っていたことが判明する。少女の母親は参考人として事情聴取される。だが、少女の母親は、怪我をしたプリマに車を貸したことを打ち明ける。

  プリマも事情聴取され、事件の直前にスタジオで後輩バレリーナと会ったことを認める。後輩バレリーナは、チンピラまがいのフリー・ジャーナリストを雇って、プリマの過去を探らせていた。SDカードの画像はそのフリー・ジャーナリストに撮らせたものだった。後輩バレリーナはプリマの過去をネタに、この先ずっと自分に主役を譲るよう、プリマを脅したのだという。しかし、プリマは殺人そのものは否定する。そこに、バレエ団の代表(夏樹陽子)が弁護士とともに取調室に乗り込み、プリマを釈放するよう要求する。

  実は、プリマは腎臓病の少女の本当の母親であった。プリマはバレエのキャリアの妨げになるという理由で、自分が生んだ子どもを友人(少女の養母)に預けたのだった。後輩バレリーナはそのスキャンダルをバラすとプリマを脅したのである。(←今の時代、シングルマザーであることがバレエのキャリアの妨げになるとか、スキャンダルになるとかとはまったく思えないが。)

  少女の養母は、プリマを歩道橋の階段から突き落としたことを浅野温子に告白する。養母は少女を助けたい一心で、生母であるプリマに腎臓を提供してくれるよう頼んだが、プリマに断られた。それでプリマが脚にケガをすれば、少女に腎臓を提供してくれるかもしれないと思いつめたのである。

  一方、少女の養母とともに、少女の移植手術の基金を集めている男性は、陰で莫大な借金を背負っており、闇金から脅迫まがいの取り立てを受けている。闇金は少女のための積立金で借金を返すよう男性に迫る。

  その渦中、少女の酸素呼吸器の管が何者かによって切断され、少女が瀕死の重態に陥るという事件が起こる。またその後、バレエ団の代表とプリマが乗った車が交通事故を起こす。(←忙しい展開だな。)

  しかし、警察の鑑識は、後輩バレリーナが殺された現場、少女の病室に侵入した犯人、そして警察の取調室に残った「足跡痕」が一致することを発見する。(←「足跡痕」は、たとえ靴を履いていても、足への体重のかかり方は人によって異なるため、指紋と同じように個人を特定できるのだそうだ。面白いね。)

  足跡痕が決め手となって、自動車事故を起こしたバレエ団の代表が、後輩バレリーナを刺殺し、また腎臓病の少女を殺すことを図った犯人であることが明らかとなる。バレエ団の代表は、プリマを大事に思うあまり、またプリマの気持ちが少女に腎臓を提供しようという方向に傾いていることを案じ、プリマのバレエのキャリアの邪魔になる存在をすべて消そうと考えたのである。

  こうして事件は解決し、プリマは自分の実の子である少女に腎臓を提供する決意をする。また、彼女は警察に嘆願書を提出し、自分を突き落としてケガをさせた少女の養母に対して、寛大な処分をしてくれるよう願い出る。それからエンド・クレジットが流れて大団円となる。

  劇中でバレエを踊ったのは、谷桃子バレエ団の方々だそうです。プリマ役の純名里沙、後輩バレリーナ役の女優さんがバレエを踊るシーンもありました。吹き替えではなかったです。両腕と上半身の動きしか映してませんでしたが、あの動きは素人では無理だと思うので、お二方とも実際にバレエの素養があるのではないでしょうか。

  劇中のバレエ団は「本牧バレエ団」で、更に、ちらっと映った『白鳥の湖』公演ポスターには、「ジークフリート王子:小島トモヤ」(←……)とでっかく書かれていました。これって「セーフ」なのだろーか?

  バレエ団をドラマの舞台に選んだのは、映画『ブラック・スワン』の影響かもしれませんが、劇中では『白鳥の湖』とともに『ジゼル』も出てきて、『ジゼル』についてはストーリーまで説明されていたので、脚本家はすごいな、と思いました。

  よくこんな複雑なストーリーにバレエを絡めて考えて、脚本にできるものだなあ、と感心しました。が、謎が一つ。少女を救う基金を運営している男性が、闇金の取り立てに遭っているあのシーンのオチはどうなったのだろうか?私が見逃しちゃったのかな?コイツが意外と犯人だったりして、と私は踏んでいたのですが。

  ところで、なんで私はこんな記事を書いているのだろう。我ながらアホだわ。  
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今日は『マノン』♪

  今日と明日と、小林紀子バレエ・シアター公演『マノン』(ケネス・マクミラン振付)が、新国立劇場オペラ・パレスで上演されます。

  6月くらいから、ようやく公演チラシが配布されるようになってきました。でも、相変わらず大がかりな宣伝活動はしなかったようです。これでオペラ・パレスを満員にできるのか、他人事ながら心配ですが、日本のバレエ団ならではのチケット・ノルマ制とか、関係者に対してチケットの購入を義務づけるとか、招待券の配布とかを、今回も大いに活用したことでしょう。まあまあ客の入りは見込めるのではないでしょうか。

  このバレエ団は、いつも良質な作品を上演するプロフェッショナルなカンパニーなのに、なぜこんなに商売っ気がないのか、なぜいまだにお教室レベルの内輪ウケの自己完結に安住しているのか、大いに不思議なところではあります。

  さて『マノン』ですが、公演チラシには、主なキャストの予定が書いてありました。それによると、


   マノン:島添亮子
   デ・グリュー:ロバート・テューズリー
   レスコー:奥村康祐
   ムッシュG.M.:後藤和雄
   レスコーの愛人:喜入依里


だそうです。他のキャストは、恵谷彰、高橋怜子、中尾充宏、冨川祐樹、萱嶋みゆき、大塚礼子というおなじみの方々。ただ、大和雅美、小野絢子、楠元郁子、大森結城などの名前はみえません。会場に行ってキャスト表を見てみないと、最終的な出演者は分かりませんが。

  ともかく観に行ってきます。
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(ちょっと真面目に)よく見りゃ見てるこの二人

   マリス・リエパ(ボリショイ・バレエ)とイーゴリ・コルプ(マリインスキー・バレエ)


  来年のボリショイ・バレエ日本公演で『スパルタクス』が上演されますね。で、気が早いけど、『スパルタクス』映像版(ワシリーエフやベススメルトノワが出てるやつ)を観て予習しています。

  その中で、クラッスス役のマリス・リエパ(Maris Liepa)は圧倒的な存在感と踊りで、スパルタクス役のワシリーエフと比べてもまったく遜色ない。

  以来、you tubeでマリス・リエパの少ない映像を貪り観ています。観れば観るほど、これは凄いダンサーだという思いが強まります。

  ぜひ生で観たかったですね。年代的に無理ですが。(そもそも、来日したことがあるのだろうか?)

  マリス・リエパの踊りや演技を観ているうちに、なんか踊りのスタイルや雰囲気が、イーゴリ・コルプに似ているな、と漠然と感じました。

  ただ、マリス・リエパは、バレエ・ダンサーとしての面と一個人としての面とを、ほどよく共存させることができなかった人のようです。芸術家としての成功か、それとも個人の平凡な幸せかの二者択一の中で、苦しんだ末に悲劇的な最期を遂げた、20世紀型の天才ダンサーだったように思われます。

  一方、現在の大方のロシア系ダンサーたちは、バレエ・ダンサーとしての活動と、一個人としての日常生活とをバランス良く両立させているようです。イーゴリ・コルプもたぶんそうでしょう。

  それでも、コルプについては、明るくてユーモラスな雰囲気の陰に、なんか暗い部分も感じます。

  あの陰の部分と強い個性があれば、コルプがクラッスス役をやるとかなりハマるんじゃないかと思います。面白そうなのになー。  
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姉から聞いた話

 アメリカ在住の姉からメールが来ました。今日は終戦記念日で、なんだか不思議なものを感じるので、その概要を記しておきます。

 姉夫婦は8月初めから車で旅行に出かけていました。8月9日、カリフォルニア州からユタ州に出て、砂漠地帯を走っていたときのことだそうです。

 姉の夫(←アメリカ人)が、史跡の案内板があったと言い出しました。やがて、路肩に小さな空き地が見えてきました。姉夫婦は車を止めましたが、そこは石ころだらけの黄色い砂の空き地が広がるばかりでした。

 しかし、またしても姉の夫が、その地の由来を記した一枚の小さなプレートを見つけました。そこが史跡であることを示すものはそれだけでした。“Japanese-Americans”という語が姉の目に飛び込んできたので、姉は驚いて、そのプレートに記された説明を読みました。

 そのプレートには、次のようなことが書かれていたそうです。

 「第二次世界大戦中、カリフォルニア州にいた日系アメリカ人は、カリフォルニア州東部のマンザナーにある収容所に収容された。そのマンザナー収容所で“troublemaker”であったり、アメリカに忠誠を宣誓しなかったりした日系アメリカ人男性30~40人ほどが、懲罰の目的で、ユタのこの地に設けられた特別収容所に送られてきた。

 この特別収容所に収監された日系アメリカ人男性たちは、マンザナー収容所に再び送り返された人もいたが、この特別収容所で処刑された人もいた。

 これは、私たちの国の、罪の無い日系アメリカ人を苦しめた、歴史の誤り、拭い去ることのできない汚点である。」

 しかし、この特別収容所跡には、鉄骨の土台が地面に埋まっているだけで、もう何も残っていません。今はただ、黄色い砂漠と黄色い岩の山々が何百マイルも広がる中、砂ぼこりの風が吹いているだけで、通る車もほとんどなく、ここに車を止める人が一日何人いるだろうという感じの土地です。

 姉はその風景を眺めながら、「ああ、なんてかわいそうなんだろう。こんなところに連れてこられたなんて」と、胸が痛くなったそうです。日中は40度以上の高温で、辛かっただろうに、と。
 
 姉はもう二度とここに来ることはないだろうと思いながら、再び風景を見渡して、心の中で「安らかに眠って下さい。この話はみなに伝えますから」と言って、そこを離れました。
 
 そのユタの砂漠の中を、日本人や日系人が通ることが一年に何回あるだろうか、と姉は不思議でたまらず、よく車を止めて案内を読んだな、と思ったそうです。

 姉からこのメールを受け取ったあと、私はざっと検索してみました。でも、インターネットのレベルでは、ユタ州に存在した、30~40人という極めて小規模な日系アメリカ人収容所のことについては、まったく何も分かりませんでした。

 しかし、この8月15日に、姉が8月9日に体験したことを知って、私は何か縁のようなものを感じました。それで、私もこの話を伝えたいと思う次第です。
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アメリカン・バレエ・シアター日本公演

  観に行ったのは以下の演目です。

   『ドン・キホーテ』(7月23日夜公演)
   『ロミオとジュリエット』(7月26日、28日)

  一部のプリンシパルやソリストたちは、ガラ公演や全幕作品の公演に、ゲストとして出演したのを観たことがありましたが、カンパニー全体の公演を観たのは今回が初めてでした。

  やや落ち着いた今となっては、新鮮な観劇経験をしたな、と思います。ああいうバレエもあるんですね。お国柄を反映しているのか、それともこのカンパニー独特のものなのかは分かりませんが。

  ただ、観ているときは、とにかく苦痛で、居心地がわるくて仕方がありませんでした。自分でも不思議でした。『ドン・キホーテ』で、すでに気分は最悪でした。でも、バレエを観ていてあんな気分になったのは初めてだったので、疲れているとか、体調がわるいとか、機嫌がよくないとか、とにかく私のほうがおかしいのだ、と疑ったのです。

  その後の『ロミオとジュリエット』でも、観ながら心中で「?」を連発していましたが、『ドン・キホーテ』のときに比べれば大丈夫でした。やはり、そのカンパニーの色を見慣れるのは、楽しく鑑賞するための大事な要素ですし、あと、ダンサーたちの中に、たとえ1人や2人だけであっても、見とれてしまうダンサーがいると、ずいぶんと印象が違ってくるものです。

  私を救ってくれたダンサーその一は、ダニール・シムキン(『ロミオとジュリエット』ベンヴォーリオ役)です。

  『ドン・キホーテ』のバジル役では、本来の能力の5~6割くらいしか出していなかったように見えたし、パートナリングも弱い(2年前に観たときはそう思わなかったのですが)ように感じました。私の気のせいかもしれませんが、萎縮してしまっているというか、遠慮しているというか、とにかく故意にセーブして抑え目に踊っているように見えました。

  ところが、『ロミオとジュリエット』のベンヴォーリオ役では、とにかくポーズと踊りがきれいできれいで、ベンヴォーリオ役のダンサーにあれほど見とれたのも、やはり初めての経験でした。踊りに加えて、演技に関しても、シムキンは、シリアスな役も結構イケるんじゃないかと感じました。まだまだ多様な可能性のあるダンサーだと思います。

  その二はマルセロ・ゴメス(『ロミオとジュリエット』ロミオ役)でした。

  すごいイイ男(←私のストライク・ゾーンど真ん中)だし、なんといってもパートナリングが最高にすばらしかったです。

  ソロの踊りも良かったけど、やっぱりこのバレエ団独特の癖がついてしまっている部分があって、そこはちょっと慣れることができませんでした。

  その三はナターリア・オーシポワ(『ロミオとジュリエット』ジュリエット役)です。

  彼女はボリショイ・バレエからゲスト出演しました。シムキンと同様、姿勢や動きがすごく端正で美しかったです。彼女ならではの高い跳躍だの回転だのを封印した踊りでしたが、そのせいで逆に、オーシポワもリリカルな役に実は非常に適しているダンサーだということを強く感じました。

  オーシポワの役に対するアプローチにも、私はこの上なく好感を持ちました。原振付と演出を忠実に守るだけでなく、原振付と演出の意義を細かに解釈して咀嚼し、ジュリエットという役に文字どおり生命を吹き込んで、ジュリエットとして舞台上にいました。真摯に役に取り組む人なのだと思います。

  オーシポワのジゼルを、かのファルフ・ルジマトフが激賞した、という話を教えてもらいましたが、彼女のジュリエットを見て、心から納得しました。

  カーテン・コールでの、脱力しきった、呆然とした表情のオーシポワが、今も強く印象に残っています。

  やはりバレエ・ダンサーは、踊れてなんぼなのだな、と実感した公演でした。

  追記:最も笑かしてくれたダンサー:アイザック・スタッパス(『ロミオとジュリエット』ティボルト役)

  なんかヒゲが二次元だな、と思ってよく見たら、口ヒゲとあごヒゲを黒い塗料で描いてやがった(笑)。付けヒゲにしてよ~。噴き出しそうになるのをこらえるのが大変でした。

  それにしても、マクミラン版のティボルト役って、なんで誰がやっても室伏広治(ハンマー投げ選手)に似ちゃうんだろ。
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聴いたら似てるこの二人

  伊集院 光(の声)とマツコ・デラックス(の声)

  夜の9時のニュースを観てから、真っ青になりながらネットやってて、さっきふと聞こえたテレビ(←点けっぱなし)の音。テレ朝のクイズ番組『雑学王』。

  あ、マツコ・デラックスが出てるな、と思って画面を見たら、伊集院光だった。声だけ聴くと、ほんと似てるよ。

  真っ青になった件については、前からうすうす分かってたことを、なぜこのタイミングで言うのか、と不可思議だったけど、とりあえず落ち着いて、気を取り直してYahooを見ました。そしたらわざわざトップに出すかこんな話題を!?というニュースがホームページに。リンクが貼ってあったアマゾンに行ってレビューを読み、今度は一転して大爆笑。

  『アインシュタイン その生涯と宇宙』下巻の翻訳問題です。「ボルンの妻のヘートヴィヒに最大限にしてください。」 いやはや、ウケるわ~(笑)。この「初版本」は、中身的にも価値があるんじゃないかな。

  ところで、現在の翻訳作業は、まず翻訳ツールで行なうのが割と普通なんですって?そうなのか~。なんだか隔世の感がありますね。


  
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