モスクワ音楽劇場バレエ「白鳥の湖」(2)

  ジークフリート王子役はゲオルギー・スミレフスキでした。非常な長身で、顔が小さく、腕や脚が長くて、スタイルのとてもいいダンサーです。顔も苦みばしったイイ男です(←個人的好み)。

  他の誰と比べたらいいのか分かりませんけど、スミレフスキのテクニックは、少なくとも英国ロイヤル・バレエの一部の男性プリンシパルよりは断然優れています。ただ、ボリショイ・バレエやマリインスキー・バレエの男性プリンシパルよりは劣るかもしれません。あとは、パートナリングがときどき不安定でした。第二幕第二場、グラン・アダージョで、ジークフリートがオデットを持ち上げ、オデットがその瞬間に開脚するところは、両手がオデットの腰から上にずり上がってきて、落とすんじゃないかとヒヤリとしました。

  しかし、スミレフスキの演技は実にすばらしかったです。この人がしっかりとジークフリート王子という人物の造形をやってくれたおかげで、この舞台が王子を中心に引き締まった感じです。

  たとえば第二幕の舞踏会のシーンでは、玉座に座って各国の踊りを眺めている王子の演技が非常に重要なのです。スミレフスキの演技はとてもよかったです。ロットバルトは常に王子を注視していて、王子の反応や様子によって次の手(ディヴェルティスマン)をくり出します。ですから、観客もスペインやらナポリやらの踊りを見ると同時に、王子やロットバルトの様子も常に見ていなければなりません。更に、各国の踊りを踊っているダンサーたちも演技しています。私は第二幕を見ながら、まるでボーン作品みたい、目が忙しい、と思いました。

  スミレフスキについては、舞台上でのたたずまいというか、雰囲気も高貴な雰囲気がしてまさに王子でした。カーテン・コールでもそうで、スミレフスキは自分が受け取った花束を、オデットとオディール役のタチヤーナ・チェルノブロフキナに手渡しました。

  チェルノブロフキナも長身で小顔のダンサーです。もちろんプロポーションも四肢が細くて長くて完璧です。踊りも演技もよかったです。オデットのときの踊り方とオディールのときの踊り方はもちろん、演技もまったく違ったので、オデット/オディールはかくあるべきなんだろうな~、と思いました。オディールの32回転では、回っているうちに大幅に位置がズレていきましたが、ブルメイステル版のオディールの踊りはかなりタフだと思いますから、息切れしてしまったのでしょう。

  チェルノブロフキナもテクニック的にはそう強いわけではない(特に体育会系の技)と思いますが、彼女がオデットを踊っているときの、腕の付け根から波のようにねじれていくような、柔らかで美しい両腕の動き、爪先を細かく震わせる動き、オディールを踊っているときの、メリハリのある鋭い動きとダイナミックな跳躍は、本当に魅力的でした。

  また、不必要に自分の身体能力を誇示しない、というところも奥ゆかしいと思います。脚を上げるにしても、その動きに必要な分だけ上げるのです。かと思うと、王子に腰を支えられて上体を前に倒し、片脚を後ろに上げるときは、180度は開脚していたと思います。それを観客には見せない(チュチュの陰に隠れてしまう)のです。ロシアのプリマ・バレリーナは優雅でいいなあ、と思いました。

  テクニック云々をいうなら、道化を踊ったデニス・アキンフェーエフは完璧でした。複雑で素人目に見ても難しそうな回転や跳躍、回転と跳躍の組み合わせ技をバシバシ決めて、スタミナ切れしません。モスクワ音楽劇場バレエ、こんなすごい隠し玉を持っていたのね、と唸りました。

  道化の役回りも面白かったです。第三幕で、オディールが悪魔の手先だ、と最初に見破ったのは道化でした。だから道化はオディールに惹きつけられていく王子を必死で止めるのです。

  第一幕第一場のパ・ド・カトル(他の伝統版ではパ・ド・トロワ)、第二幕の各国の踊りはみなすばらしかったです。これがほんとーにこのまえ「くるみ割り人形」を踊った連中か!?と驚きました(ダンサーはあんまりかぶってないみたいですが)。

  それから、白鳥の群舞は予想していたとおり、よく揃っていてきれいでした。大きな白鳥(3人)と小さな白鳥(4人)の踊りもよかったです。大きな白鳥の踊りは、これがイワーノフの原振付なんでしょうか?ダイナミックな跳躍がてんこもりでした。キャスト表には大きな白鳥と小さな白鳥役のダンサーたちの名前がありません。これは不親切ですねえ。普通は掲載するものじゃないのかな。

  第一幕第一場で、他の版で「黒鳥のパ・ド・ドゥ」に用いられている音楽(イントラーダとアダージョ)は、ブルメイステル版では原曲の次序どおり第一幕第一場で用いられます。イントラーダは王子のソロ、アダージョでは女性ダンサー(貴族の娘役らしい)と踊ります。この女性ダンサー、アナスタシーヤ・ペルシェンコーワの踊りがしなやかですばらしかったです。彼女は身体能力にも恵まれているようです。びっくりするくらい脚が上がります。

  ちなみにこの貴族の娘は、王子に憧れていて、道化に促されてためらいつつも王子と踊ります。ところが、王子の心は途中から彼女から離れてしまい、王子は彼女を後ろに置き去りにして、空を仰いであらぬ方向を見つめます。彼女は悲しみに打ちひしがれ、泣き出しそうな顔になりながら退場します。と、このように小さな踊り一つとっても、演出が凝っています。

  いろいろと書きたいことはありますが、まだ公演は続くので、このくらいにしておきましょう。これからご覧になるみなさんは、中心人物だけではなく、舞台全体にまんべんなく目を光らせることをおすすめします。ミニドラマあり、伏線ありで楽しいです。特に第二幕、舞踏会のシーンでは気を緩めてはなりません。王子とロットバルトはもちろん、ディヴェルティスマンを踊るダンサーたちの目つきや表情も見逃すことはできません。

  そうそう、指揮者が若いボサボサ髪の男性だったら、彼の指揮ぶりにも要注意です。爆笑できます。フェリックス・コロボフという人です。熱血系の指揮者らしくて、音楽が高まるとコロボフの指揮も高まって、両腕を高く上げてぶんぶん振り回すわ、指揮台の上で跳び上がるわ、興奮して「フーフッフー」と荒い息を吐くわ、指揮台を踏み鳴らすわ、声を上げずにシャウトするわ、こんなに笑える指揮者も初めて見ました。第三幕のラストの劇的な音楽のとこなんて、指揮者が一人で炎上状態だったもんね(笑)。

  観に行く予定のないみなさんも、時間と余裕があるならぜひどうぞ。この公演は本当におすすめですよ。年末だから仕方がないですけど、空席があるのは非常にもったいないです。個人的には、こっちの公演のほうが、先日のギエムの公演(チケットの値段が同じ)よりはるかに見ごたえがありました。上演に3時間半かかる(休憩時間含む)というのも本格的(?)です。      
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モスクワ音楽劇場バレエ「白鳥の湖」(1)

  モスクワ音楽劇場バレエによるブルメイステル版「白鳥の湖」、27日の公演を観てきました。この公演で私の今年のバレエ鑑賞が終わります。すばらしいバレエ団によるすばらしい作品でシメることができてよかったです。

  事前に映像版(ミラノ・スカラ座バレエ団)を観て予習したのですが、実際の舞台を観て、映像版では分からない、気づかないところがいかに多いか、ということを実感しました。

  ブルメイステル版の特徴は、チャイコフスキーの原曲への回帰という点よりも、むしろ緻密に、周到に組み立てられた設定や演出という点にあると思います。ロシアの作品にしては(←これは偏見かもしれませんが)非常に演劇的で、ダンサーたち全員に細かい演技が求められます。そして実際、モスクワ音楽劇場バレエのダンサーたちは演技が非常にすばらしく、各々の演技がうまくかみ合いながらストーリーが進行していきました。

  先日、ワイノーネン版「くるみ割り人形」を観て、正直なところ「このバレエ団はわるくはないけど微妙だな~」と思ったのですが撤回します。今回のブルメイステル版「白鳥の湖」はまさに本領発揮、という感じで、ダンサーたちの踊りや演技、また衣装や舞台装置に至るまで、すべてがすばらしかったです。

  「くるみ割り人形」の美術はいかにも低予算という趣きでしたが、「白鳥の湖」の美術は、金に糸目はつけません、という超ゴージャスなものでした。

  特に第二幕、舞踏会が開かれる宮廷のセットは壮観としかいいようがありません。金の豪華なシャンデリアがいくつも天井から下がり、両脇には金の縁どりのある壁のセットが幾重にも置かれ、舞台の奥には、目で見た質感は木材としか思えない重厚な作りの壁が天井まで聳え立っています。第二幕のセットは本当に圧巻で美しかったです。あれだけで拍手してもいいくらい。

  第一幕第一場の森の中と第二場、第三幕の湖畔の情景は、まあありがちなセットでしたけれど、第三幕のラスト・シーン、王子がロットバルトの魔力によって溺れるところも、えっこれはどーいう仕掛けなわけ?というびっくりなセットがありました。だれがどう見ても布の中で王子が溺れたフリをしている、よくあるセットとは違います。

  衣装もダンサーたちが出てくるたびにうっとりと見とれてしまいました。女性たちは、目にも鮮やかな美しい色彩に、金糸、銀糸、レース、フリル、パール、ジルコニアをふんだんに使ったゴージャスなドレスを着ていて、村娘たちは頭に花飾りを付け、貴族や王族の女性たちはティアラか宝石を縫い付けた帽子をかぶっていました。

  男性たちも金糸や銀糸の刺繍のある渋い色合いの衣装を身につけていました。道化とキャラクター・ダンス(第二幕)を除いて、男子は全員白タイツでした。このバレエ団の男性ダンサーたちはみな背が高くてスタイル抜群なので、白タイツがよく似合います。ジークフリート王子は定番の黒い上衣(第一幕)、白銀の上衣(第二、三幕)に白タイツです。

  演出は非常に緻密でよく練られていますが、決して奇をてらったものではありません。伝統版「白鳥の湖」です。ただ、他の版ではあやふやだったり、あまり意味がなかったりしたシーンや登場人物が、ブルメイステル版ではきちんと納得のいく設定になっていて、登場人物たちには一定の役割が与えられています。

  たとえば第一幕第一場、森の中で王子が友人たちや村娘たちと踊っていると、いきなり王妃が現れます。ブルメイステル版では、王妃は遊び呆けている王子を叱りに現れるのです。王妃は冷たい厳しい表情で、王子があわててごまかし笑いをして言い訳をしようとするのを制します。

  王子の友人たちや道化は村娘たちを背後に隠して王子をかばいます。しかし村娘たちは結局みつかってしまい、彼女たちは王妃に挨拶をしますが、完全に無視されてしまいます。村娘たちは気まずい表情を浮かべて走り去ります。と、今度は走り去る村娘たちを貴族の女性たちは冷たい視線で見送るのです。このように、とにかく細かいのです。

  驚いたことに、無個性になりがちな白鳥たちにも役割が与えられています。ですが、最もすばらしい演出は、もちろん第二幕の舞踏会のシーンでしょう。あんなに盛り上がって見ごたえのある舞踏会のシーンなんて、今まで見たことがありません。「黒鳥のパ・ド・ドゥ」の前座的役割に陥りがちなディヴェルティスマンをそのまま残して、設定を少し変えて、設定に沿った演出と振付にして、それだけですごく面白くて緊張感があるシーンとなりました。ダンサーたちもノリノリで、音楽にうまく乗って、キレのある動きでカッコよく踊っていました。      
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クーパー君より愛をこめて

  公式サイトにクーパー君と管理人さんたちのクリスマス&新年メッセージが掲載されていますよ。短いけど読んで下さいね~。

  “keep logging in in 2008 for what promises to be a very interesting year.”って、形式的な言い方なの?それとも、本当に2008年はクーパー君にとって“a very interesting year”になりそうなのかしら?

  深読み癖のあるわたくしとしては、とっても期待しちゃうわよ~
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クリスマスの夜に

  わたしは、モーセとともにいたように、あなたとともにいよう。わたしはあなたを見放さず、あなたを見捨てない。

  わたしはあなたに命じたではないか。強くあれ。雄々しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。あなたの神、主が、あなたの行く所どこにでも、あなたとともにあるからである。




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モスクワ音楽劇場バレエ「くるみ割り人形」(2)

  私は今、プログラムとキャスト表を見ながら書いています。プログラムについてですが、この程度の内容で2,000円とは高すぎます。中国人のセンスを思わせる、見開き2ページに「くるみ割り人形」と「白鳥の湖」の舞台写真をぎゅうぎゅうに詰め込んだ悪趣味なコラージュ写真、色ムラが激しくて画質が粗くてピンボケな舞台写真、しかも写っているダンサーたちの名前が書かれていない不親切さ、ヘタレな紹介文、説明文、インタビューの内容、おまけに薄っぺらい。

  とりわけ、このバレエ団が売りにしている(らしい)「スタニスラフスキー・システム」についての説明文はワケが分かりません。ハリウッドの俳優の演技についてくどくど述べた末に、「ここでは、そのシステム自体をお話しするスペースがありません」とぬけぬけと書いてやがります。「そのシステム自体をお話しする」のが、依頼された原稿のメイン・テーマではなかったのか、と疑問に思ったのは私だけではないでしょう。

  さて肝心のダンサーたちについてです。ダンサーたちのプロポーションはいずれもみなきれいです。男女ともに均整のとれた体つきをしています。顔については、これは微妙な問題です。が、要はロシアほどのバレエ大国になると、ダンサーたちの身体能力や技術レベルがみな等しい場合、そこから頭ひとつ抜け出す条件は、単純に「見た目」しかないのだと思います。

  特にこのバレエ団の一部のプリマたちは、バレエの能力とは関係のないこうした要素において、ロシアの他のプリマたちよりも恵まれていないだけのように見受けられます。

  ですが不思議なことに、コール・ドの女性ダンサーたちは美女ぞろいでした。男性ダンサーたちもカッコいいです。男性ソリストについては、背が高くてスタイルもいいし、顔はメイク加工による修正処理が可能な範囲でした。ところが女性ソリストになると、「揃いも揃って、いったいなぜなんだ?」という感じなのです。

  いつまでも見てくれのことを言っても仕方がないので、踊りにいきましょう。第二幕で「ワルツ」を踊った群舞が非常にすばらしかったです。よく揃っていました。容姿もみなきれいなので(←おっと)、いっそう様になります。中心となって踊る四組の男女の踊りはやはり見ごたえがありました。群舞がすばらしかったので、「これで『白鳥の湖』は安心だな」と思いました。

  第二幕のディヴェルティスマンの中では、「スペインの踊り」のエカテリーナ・ガラーエワ、「ロシアの踊り」のドミトリー・ロマネンコ、「中国の踊り」のアンナ・アルナウートワがよかったです。ガラーエワは動きのキレが良くて、一つ一つのポーズが美しかったです。ロマネンコは、踊りがコサック・ダンス風のアクロバティックな振付だったせいもありますが、生き生きとしていてエネルギッシュな踊りでした。アルナウートワはトゥで立ったまま、かすかに膝を曲げて飛んだり跳ねたりしていて、よく見たらすごかったです。

  夢の中のマーシャ役だったオクサーナ・クジメンコは、今日は調子がよくなかったのだろうと思います。踊りが音楽と合っておらず、音楽が終わってから手首を急いで曲げて見得を切っていました。また、回転したり、バランスを保つところでは軸が不安定でした。手足の動きもポーズもそう美しいというわけではなく、正直なところ、今日の踊りでは、なんでこの人がソリストなんだろう、と思いました。

  王子役はスタニスラフ・ブハラエフで、テクニックは可もなく不可もなく、と言いたいところですが、どっちかというと不可寄りのレベルだと思います。王子らしい「まったり感(←優雅さともいう)」もあまりなかったです。ただ、パートナリングは非常にすばらしくて、クジメンコを力を感じさせずに軽々と持ち上げていました。

  ただ、クジメンコとブハラエフのパ・ド・ドゥ(第一幕最後と第二幕)では、特にリフトから別のリフトに急に移行するところ、たとえば王子がマーシャを「しゃちほこ落とし」してから、そのままのポーズでぐるっと回すところなどで、クジメンコとブハラエフのタイミングが合わずにガタガタしていました。かと思うと、回転するクジメンコの腰をブハラエフが支えるところでは、真っ直ぐな軸でいつまでもぐるぐると回っていました。結局、ふたりの踊りがよかったのかよくなかったのかは分かりません。少なくとも魅力的ではなかったし、特に印象的でもなかったのは確かです。

  ほとんど正午開始のド昼の公演だったので、普段は夜公演のほうが圧倒的に多くて、生活時間が遅めにずれ込んでいるであろうダンサーたちは、まだエンジンがかからなかったのでしょう。でも群舞はとても見ごたえがあったので、前にも書きましたが、ブルメイステル版「白鳥の湖」が俄然たのしみになりました。

  そうそう、第一幕の「ねずみ隊」の衣装が面白かったです。マヌケな着ぐるみではなく、メタリックな、鎧みたいなデザインの銀色の衣装で、昔なつかしい「メカゴジラ」みたいでナイスでした。

  ロシアのバレエ団というと、私はこれでボリショイ・バレエ、マリインスキー・バレエ、レニングラード国立バレエ、インペリアル・ロシア・バレエ、そしてモスクワ音楽劇場バレエを観たことになりました。私の脳内における序列は:

  ボリショイ・バレエ=マリインスキー・バレエ>>>レニングラード国立バレエ>>>>>モスクワ音楽劇場バレエ>>>>>>>>>>インペリアル・ロシア・バレエ

となりました。

  それから、オーケストラ(モスクワ音楽劇場管弦楽団)の演奏はとてもよかったです。「くるみ割り人形」は生で聴くと、いっそう生き生きとした魅力にあふれていてよいですね。

  ただ、音楽を聴いていて、マシュー・ボーン版「ナットクラッカー!」の爆笑シーンをつい思い出してしまい、危うく噴き出しそうになることがしばしばでした(特に第二幕「ワルツ」の冒頭)。     
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モスクワ音楽劇場バレエ「くるみ割り人形」(1)

  国立モスクワ音楽劇場バレエ「くるみ割り人形」(ワイノーネン版)を観に行ってきました。

  会場は東京国際フォーラムホールCでした。入り口で係員が「こちらは国立モスクワ・バレエの『くるみ割り人形』でーす!いま一度お手元のチケットをご確認下さ~い!!」と絶叫&連呼していました。何度も何度もしつこいな~、と思ったのですが、後で知ったことには、同じ時間にホールAのほうでは、レニングラード国立バレエによる「くるみ割り人形」公演があったらしいです。それで何度も注意していたのですね。

  私が観に行ったのは昼公演です。なんと12:30開演でした。いくら夜公演があるにしても、これは早すぎだよな~、と思いました。私の脳ミソがマトモな活動を開始するのは、だいたい午後1:00過ぎからなのです。

  モスクワ音楽劇場バレエはブルメイステル版「白鳥の湖」もド年末に上演します。「白鳥の湖」のほうは早々にチケットを購入していました。でも、「くるみ割り人形」のほうは、もともと観る気はありませんでした。

  新国立劇場バレエの「くるみ割り人形」でさえ、なんだか話はいきなり途切れるし、あまり見どころはないしで面白くなかったし、日本のバレエ団による「系列バレエ学校&お教室大集合年末発表会」的「くるみ割り人形」は、小林紀子バレエ・シアターの公演を観て心底うんざりしたし、「くるみ割り人形」にはあまり良い印象がありません。

  それが、今月の初めにスターダンサーズ・バレエ団の公演で非常に不愉快な思いをし、モヤモヤ感が募ってしまって、それを払拭しようと、ついこのモスクワ音楽劇場バレエ「くるみ割り人形」を衝動買いしてしまったのです。レニングラード国立バレエの「くるみ割り人形」にしようかとも考えましたが、会場がフォーラムのホールAだし(←超巨大で私は好きじゃないのです)、もうあまり良い席は残っていないだろうし、来年もまた来るだろうしと思い、モスクワ音楽劇場バレエのほうを選びました。

  レニングラード国立バレエのほうもそうだと思いますが、モスクワ音楽劇場バレエの公演も、劇場専属のオーケストラと指揮者とを引き連れての日本公演です。

  本物のワイノーネン版では、同一のダンサーがマーシャ役を踊ると思っていましたが、今日観たモスクワ音楽劇場バレエの上演版では、現実のマーシャと夢の中のマーシャ(プリンセス)が、それぞれ異なるダンサーによって踊られました。

  現実のマーシャは第一幕の途中までと第二幕の最後で踊ります。現実のマーシャ役を踊ったのは、このバレエ団の名プリマ、ナターリヤ・レドフスカヤに激似の黒髪の若いダンサーでした。踊りよりも演技のシーンが多かったですが、本当の子どもみたいで可愛らしく、演技も達者で、また踊りもきれいでした。フリッツにくるみ割り人形をぶっ壊されるシーンでは、吐息で嗚咽まで漏らしていて、演技派だな~、と感心しました。

  というか驚いたのが、クリスマスのパーティー・シーンでは、舞台上にいるダンサーたちが、そんなに大きな声ではありませんが、本当に生声で談笑していたのです。これには仰天しました。

  舞台装置は簡素ではありましたが、第一幕は白い切り絵のクリスマス・カードを思わせるきれいな幕と壁が舞台を囲み、また第二幕は細い金属製の装飾が天井からいくつも吊るされて、貧乏くさい感じはしませんでした。低予算でセンス良くまとめた印象です。

  第一幕のダンサーたちの衣装もおしゃれできれいでした。舞台装置と同じく、決してゴージャスではありませんが、女性たちは19世紀初頭に流行した薄いチュニック・ドレスを着ていて、男性たちも丈長の上着にベスト、ズボンというスーツ姿でした。

  ドロッセルマイヤーだけが18世紀のロココ調の衣装を着ていて、巻き毛のかつらもかぶっていました。あと、マーシャの祖父母もロココ調の衣装で、特にマーシャの祖母が、マリー・アントワネットみたいな、スカートが横に出っ張ったクリノリンの古風なドレスを着て登場したときには、細かいけどなかなか考えられたデザインだな~、と思いました。

  ただ、第二幕の「おとぎの国」での、ディヴェルティスマンを踊るダンサーたちの衣装は、はっきり言って悪趣味でした。なんでか知らないけど、白地の衣装の上に、色つきのマシュマロみたいな丸い飾りが全体にまんべんなく付いているのです。それから王子の衣装もいただけません。白い上衣は良しとしても、下が真っ赤なタイツというのは、あまり魅力的ではありません。

  マーシャ(プリンセス)のチュチュ、そして「ワルツ」を踊る男女の衣装は純白でデザインも美しいものでした。「ワルツ」を踊る女性ダンサーは光沢のある白い膝丈のドレス姿、男性ダンサーは白い燕尾服姿です。  
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乗り物三話

  その一。昨日のことです。タクシーに乗りましたら、めずらしいことに「回り道」をされて、ちょびっとだけ高めの料金となりました。ここ数年、毎週1回はタクシーでそこに行くので、ルートはもちろん、安ければこのくらい、高くてもこのくらいという料金の目安もよく知っていました。

  途中まではいつもの道を行きました。ところが、途中から違った道に曲がりました。初めて行くルートでした。これが「早道」なのか「回り道」なのか、どうせ最後に分かるんだから、運転手さんに任せてみよう、と思って黙っていました。

  いつもと違う道を走った後、知っている大通りに出ました。交通量も信号も多い道で、また目的地までまだしばらく走らなくてはなりません。この時点で、「回り道」をされたな、と分かりました。

  料金はいつもより90円高かったです。その地域は、今月からタクシーの初乗り料金が50円値上げされました。ただ、初乗り料金が値上げされた後に乗っても、料金は値上げ前とほとんど変わらなかったので、値上げの意味があったのかな、とかねがね疑問には思っていたのです。

  私は文句は言いませんでした。たかだか90円です。それに、タクシー運転手という職業が実は苛酷なものであるらしいということは、以前から様々な報道で見て知っていました。それに昔の中国のタクシーのように、いきなり4倍とかの料金を請求されるとかに比べたら、こんなのはかわいいもんです。むしろ、慎み深いとさえ感じます。

  その二。今年もそろそろ終わりに近づいています。最近、電車に乗ると、「人身事故」によって、電車が遅れている、止まっている、という時に出くわすことが多いです。救いなのは、「人身事故」が私の乗っている、まさにその電車で起こらなかった、ということです。

  それでも「現在、○○駅で警察による現場検証が行なわれております。運転再開は○時○分ごろを予定しております。警察から運転再開の許可が下りますまで、今しばらくお待ち下さい」という車内アナウンスを聞くのは嫌なものです。「現場検証」なんて生々しいし、どんな形であれ人の命が失われたというのに、「運転再開は○時○分ごろを予定しております」なんて、事務的で機械的な感じがするではありませんか(もちろん駅員さんたちが最も大変な思いをされているのは分かります)。

  上のような車内アナウンスを記憶しているくらいですから、今年の年末は例年に比べて、「人身事故」がより多く発生しているのではないか、と思います。時期的に多くなる理由はなんとなく分かりますが、なぜ今年に限って多いのでしょう?それとも、私が今年はこうしたことに出くわすことが偶然に多いだけなのでしょうか。気にし過ぎかもしれませんが、日本は大変な状況になりつつあるのではないか、という感じがするのです。

  その三。中国人の友だちとバスに乗っていました。そのときに「へぇ~(←古くてすみません)」という話を聞きました。友人曰く、「前に北京で、中国に初めて来た日本人と一緒にバスに乗っていたら、バスの運転手がいきなりバスを止めて下りて、トイレ(←中国の街には公衆トイレがいたるところにある)に行ってしまった。その日本人はすごく驚いて、『公共のバスの運転手が乗務中にトイレに行くなんて!』と言ってた。」

  私は「そういえば」と思いました。私「確かに、日本でバスや電車の運転手が途中で運転を止めてトイレに行くなんて、見たことも聞いたこともないよね。そんなことをしたら、特に電車なんかは絶対に大問題になって、テレビや新聞のニュースになるよ。『運転手のトイレでダイヤが大混乱~我慢できず途中駅で緊急停車~』とかいう見出しで。」 友だち「彼らは、運転している最中にトイレに行きたくなったら、どういうふうに対応しているのかなあ?」

  私は普段、彼らを一種の「機械」のようにしか見なしていませんでしたから、彼らに対してそんな人間的(?)な疑問は抱いたことがありませんでした。友だちに指摘されて初めて気づきました。長距離、長時間を走る電車やバスの運転手さんたちは、乗務中にトイレに行きたくなった場合はどうするんでしょうね?考えれば考えるほど不思議です。

  無理やりにまとめると、「バス、タクシー、電車など公共交通の業務に携わるみなさん、いつも本当にありがとうございます。これからもお世話になります」ということです。   
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規格内の規格外

  しばらくごぶさただったんでしょうか?年の瀬も近づいて、年内に片づけなければならない仕事が忙しくなったのと、あと毎年そうなんですが、私は冬至直前のこの時期が超苦手(←脳の活動が低下する)なのとで、ブログの更新がなおざりになってしまいました。ごめんなさい。

  忙しいといいつつ、先週の土曜日には「シルヴィ・ギエム・オン・ステージ」の神奈川公演を観に行っていました。演目は「白鳥の湖」グラン・アダージョとコーダ(やはりヴァリエーションはなし)、アロンソ版「カルメン」(東京バレエ団のキャストのみによる上演)、「Push」で、ギエムが踊る時間は東京公演のAプロ、Bプロよりも更に短くなりました。せいぜい40分弱くらいでしょう。

  ギエムのオデットは、私が今まで観てきたオデットとはまったく違いました。一部しか観ていないのでエラソーなことは言えませんが、ギエムのオデットはどちらかというと、ギエム自身のとびぬけて優れた身体能力とテクニックとを強調した踊りだったと思います。たとえば、ウリヤーナ・ロパートキナの優等生的で模範的な(←語弊がありますが)オデットとはまったく異なるのです。

  東京バレエ団によるアロンソ版「カルメン」は、全編(?)が観られたのが唯一の収穫でした。ギエムの「三つの愛の物語」は抜粋公演でしたから。ですが、上演時間が40分もあるので、私にしてはめずらしいことに、途中でひどい睡魔に襲われました。

  カルメンを踊った齋藤友佳理さんは、踊りに鋭いメリハリをつけて、頑張って踊っているのはよく分かりました。演技も彼女なりに精一杯にこなしていたと思います。でも、優しい顔立ちをしていらっしゃるので、カルメンというキャラクターがあまり似合わないように思いました。そういう方が一生懸命に「悪女」を演じているのを観ていて、少し痛々しく感じました。

  カルメンとドン・ホセ(木村和夫さん)とのパ・ド・ドゥ、そしてカルメンとエスカミーリョ(後藤晴雄さん)のパ・ド・ドゥは、もっとタイミングを合わせて緩急をつけてなめらかに踊れば、かなり劇的な踊りになったと思います。それが残念でした。

  運命(牛)を踊った奈良春夏さんは、踊りそのものはすばらしかったのですが、体つきが非常に華奢で、黒っぽいメイクをしても可愛らしい顔立ちは隠せません。ですから、あまり迫力がありませんでした。

  「Push」はギエムと振付者のラッセル・マリファントが踊りました。すばらしい踊りだったと思います。ただ、今ひとつ引っかかる点がありました。

  プログラムの中で、ギエムはアクラム・カーンとのコラボレーションである「聖なる怪物たち」という作品に言及しています。

  「この作品は、“伝統”が私たち2人(チャウ注:ギエムとカーン)に強いてきたルールに対する問いかけです。(中略)私たちは、“古典”の伝統的なルールに対する違ったアプローチという、共通点を持っていることに気づきました。アクラムはカタック出身の伝統的なダンサーですし、私はパリ・オペラ座で訓練を受けたクラシック・ダンサーです。そして私たちは、問題を探求するアプローチに対する権威からの拒否(または無知)という、同じような無理解に苦しんでいたということに気づいたのです。私たちは2人ともこのことに反発し、このバレエはこういったシチュエーションについての作品なのです。」

  私はこのくだりを読んで、かなり複雑な気分になりました。ギエムはまぎれもなく、クラシック・バレエでの成功者であり、勝利者です。彼女はクラシック・バレエで勝ち取った自分の権威と影響力を背景に、コンテンポラリー作品においても成功をおさめました。もしギエムが最初からコンテンポラリー専門のダンサーだったとしたら、彼女は現在のような成功を勝ち取ることができたでしょうか?

  「Push」は素人にはかなり理解不能な作品です。それでも大喝采を浴びるのは、彼女とマリファントのパフォーマンスが優れているという理由の他に、彼女がクラシック・バレエによって得てきた、観客の彼女に対する信頼と尊敬も一役かっている、と私は思うのです。それはすなわち、「あのギエムが踊るのだから、これはきっとすばらしい作品、パフォーマンスに違いない」という観客の先入見です。

  つまり、ギエムは「“古典”の伝統的なルール」を強いられ、また「権威からの拒否(または無知)という、同じような無理解に苦しんでいた」と自分を被害者のように語っているのですが、しかし彼女を現在の成功へと導いたのは、他ならぬ「古典」と「権威」の支持によるものなのです。

  ギエムは「古典」と「権威」によって、カリスマ的スター・ダンサーの地位に登りつめることができたのです。でも当の彼女自身は、そうした「古典」と「権威」を非難しているのです。正直言って、「超傲慢でカン違いしているな~」と思いました。

  ギエムは規格内の世界で勝利をおさめました。そして規格内の世界に身をとどめたまま、規格内の世界で得た権力を利用しながら、自分は規格外であると標榜し、自分のことをあたかも被害者か殉教者のように、または困難に立ち向かう英雄のように見立てています。

  容赦のない、本当の規格外の世界で、ダンサー、またパフォーマーとして生き残ることにしのぎを削っている人々は、複雑な気分だろうな~、と私は想像しました。

  「Push」や「Two」を振り付けたラッセル・マリファントは、ギエムに見出されたことによって、一挙に「次の世代を担う新進気鋭の振付家」としての地位を獲得しました。でも実際には、ギエムによってバレエの世界に引きずり込まれただけなのです。

  マリファントの振付による「Broken Fall」が、ロイヤル・オペラ・ハウスではじめて上演されたとき、マリファントの熱狂的なファンはカーテン・コールで大騒ぎしました。彼らは、マリファント(と彼を支持する自分たち)が、ロイヤル・オペラ・ハウスという伝統の牙城に乗り込んで勝利をおさめた、と感じて嬉しかったのでしょう。しかし実際には、マリファントは規格内の世界(バレエとロイヤル・オペラ・ハウス)に巧みに取り込まれたのです。

  こうしたことを考えながら、土曜日の夜、私は神奈川県民ホールを後にしました。        
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インテルからの回答

  日本の戦国時代の武将と現代フランスのバレリーナの体が入れ替わってしまうインテルのCMについて、インテルさんに直接お尋ねしてみました。そしたらさっそくご回答を頂きました。

  1.バレリーナと体が入れ替わってしまった戦国武将を演じた方は青木伸輔さん、王子役のバレエ・ダンサーを演じた方はマット・デイさんで、ともに俳優さんだそうです。青木さんとデイさんのバレエの経験の有無については、「オーディション時点では不問だったためわかりかねます」とのことですが、「振り付けのレッスンは事前に行っていました」ということです。

  2.バレエ・スタジオにいた白鳥のコール・ド役の方々については、「バレエ経験のある人を採用しましたが、現在バレエ団に所属しているかはわかりかねます」とのお答えでした。

  コール・ド役のみなさんはプロポーションもいいし、足の開き方がバレエ・ダンサーぽかったので、もしかしたら本物かな?と思っていました。やはりバレエ経験がおありだったのですね。

  戦国武将役の日本人男性と王子役のフランス人(?)男性については、プロポーションと姿勢と動きを見て、たぶん素人さんだろうなあ、と感じましたが、もし本物だったらどのバレエ団のダンサーさんなのだろう、と興味を持っていました(特に王子が最初は金髪アフロヅラで、最後はさりげなく金髪ちょんまげヅラになっていたのが大爆笑だったので)。

  また、「ヒデトラ」と体が入れ替わってしまった白人女性(←これが「シャルロット」)はカミラさん、「お館様」役の白人女性はナタリアさんというお名前で、やはり俳優さんだそうです。

  インテルさん、丁寧なご回答を頂きまして、本当にどうもありがとうございます~
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舞台復帰なるも・・・

  公式サイトにクーパー君の舞台復帰のニュースが掲載されました(ふじさん、どうもありがとうございます!)。

  復帰作は“Zorro”というミュージカルだそうです。また歌うのかい。しゃべるのかい。まあいいけどね~。

  クーパー君は主役の「怪傑ゾロ」ではありません。ヒロインに求愛するラモン(Ramon)という青年将校の役です。「ウィキペディア」によれば、男前でカッコいい役どころのようですが、結局はヒロインにフラれるんだ(ろう)から、はっきり言って文字どおり主役(ゾロ)の引き立て役でしょう。

  別に絶対に主役でなくてはならない、などとは言いませんし、このミュージカルではラモンがどれほどの重みを持った役なのかも分かりませんが、う~ん、なんかなあ、2年ぶりの舞台復帰作にしては地味な役まわりだなあ、というのが正直な感想です。

  まさか、ヒロインにクサいセリフを吐いて、求愛の歌を歌って、カッコつけて踊ったりするのかなあ。それで、正体不明の怪傑ゾロに「あいつはいったい何者だ!?」てな感じで、ヒロインともども振り回されて、で、最後にゾロの正体が判明し、ヒロインとゾロが結ばれるのを見て、ふたりを祝福しつつも横顔と背中に一抹の寂しさを漂わせながら去っていく(←妄想爆走中) ・・・考えれば考えるほど複雑な気分になってきます。

  いや、クーパー君が気に入った作品と役なのであれば、別にいいんですけどね。おめでとう、と言っておきます。フタを開けてみれば、案外に良い作品、良い役どころかもしれないし。

  ところで、「モンティ・パイソン」でジョン・クリーズが演じた「デニス・ムーア」は、「怪傑ゾロ」のパロディでしょうか?

  公式サイトによれば、このミュージカル「ゾロ」は地方のみでの公演となるようです。期間は2008年3月4日から4月12日まで。公演地はイーストボーン(3月4~8日)、ウォーキング(3月12~15日)、サウザンプトン(3月19~22日)、グラスゴー(3月25~29日)、マンチェスター(4月1~5日)、ミルトンキーンズ(4月8~12日)です。詳細はクーパー君の公式サイトをどうぞ。

  ちなみに音楽がジプシー・キングス(←テレビ朝日「タモリ倶楽部」の「空耳アワー」で一躍有名になったラテン系バンド)、というのはかなり微妙ですな。

  ともかく、クーパー君、舞台復帰、おめでとう~ 気が向いたら、どうかバレエにも復帰して下さいね~。
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クーパー君ビデオ・クリップ

  公式サイトにクーパー君のビデオ・クリップが3つアップされてます。ローザンヌ・コンクールの「海賊」よりアリのヴァリエーション、「牧神の午後」(クリスチャン・ウボリ版)、そしてなんと!「危険な関係」第一幕よりヴァルモンとトゥールヴェル夫人のデュエット(別名:ヴァルモンの「ハンド・パワーです」踊り)です。

  「牧神の午後」はKバレエ・カンパニーに客演したときのものでしょう。「危険な関係」は、日本公演のものかロンドン公演のものかは分かりません。いずれも小さくて短いですけど、でもすてきです。

  「牧神の午後」でのクーパー君のアラベスクがきれい!!!何度もリピートで観てしまいました。「危険な関係」は、私はあのシーンの音楽と踊りと演出が好きなので、やはり何度も観てしまいました。

  みなさん、ぜひご覧になってね~♪

  ・・・なんだか、さっき観たばかりのギエムが、もう遠い記憶の彼方に行っちゃったわ~。たとえ短くて小さくても、このビデオ・クリップを観られたほうがよっぽど嬉しいです。やっぱり私が観たいのは、クーパー君なのだなあ。

  ファンとして邪推しますと、今回公開された映像が、すべてクラシック・バレエ(「海賊」、「牧神の午後」)とクラシック・バレエの要素が強い「危険な関係」だということが、クーパー君のこれからの活動の方向を示唆している、と思いたいわけです。

  公式サイトの紹介文には、「彼のキャリアにおける様々な段階」と書いてあったけれど、それにしては「オン・ユア・トウズ」、「雨に唄えば」、「ガイズ・アンド・ドールズ」といった、彼が出演したミュージカルの映像がまったくないですよね。

  クーパー君が、あくまでバレエの経験を生かしたダンスをこれからも踊っていくことを期待したいです。  
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シルヴィ・ギエム・ノット・オン・ステージ

  最近の私の「バレエ運」はあまりよくありません。先週も面白くない思いをしましたが、今日も「なんじゃこりゃ~」という公演を観てしまい、これからはもっとお金の使い方をよく考えよう、と反省しました。

  今日観に行ったのは「シルヴィ・ギエム・オン・ステージ」(Aプロ)です。午後2時に開演して、午後4時ちょっと過ぎに終わりました(もちろん休憩時間を含む)。演目と上演時間は、

  ・「白鳥の湖」第二幕よりグラン・アダージョとコーダ(オデットのヴァリエーションはなし):20分弱
  ・ステッピング・ストーンズ:20分弱
  ・優しい嘘:5分弱
  ・Push:30分弱

で、シルヴィ・ギエムが出演したのは「白鳥の湖」、「優しい嘘」、「Push」です。「ステッピング・ストーンズ」は、東京バレエ団のキャストのみによる上演でした。ギエムが舞台に立った時間を合計すると、大甘に見てやっても50分間です。
  ちなみに、コンテンポラリー作品がほとんどのせいか(←みな効果音と電子音楽・クラシック音楽を合成編集したもののテープ演奏)、生オーケストラの演奏はありませんでした。

  なんかあっという間に終わってしまったので、これがS席15,000円の舞台か!?と呆気に取られてしまいました。演目にもあまり魅力がなくて(以前に上演したものばかり)、「進化する伝説」(この公演の副題)というより、「停滞している伝説」だなあ、と思いました。

  もちろん、シルヴィ・ギエムはすばらしかったですよ。ただ、演目の少なさと上演時間の短さからいって、私にとっては15,000円ほどの価値はなかった、というだけの話です。でも、シルヴィ・ギエムのファンの方々にとっては、充分に満足できる舞台だったことだろうと思います。たとえ短い時間でも、好きなダンサーが踊ってくれれば嬉しい、そのお気持ちはよく分かりますから。

  ギエムのオデットの踊り方は変わっていました。彼女独自の工夫を施しているようでした。振りもところどころで変えているように思えました。彼女の優れた身体能力がよく分かる踊りでした。特にコーダでの足さばきは本当にすばらしかったです。ぜひ全幕を観てみたいものです。

  東京バレエ団による「ステッピング・ストーンズ」(イリ・キリアン振付)もまずまずよかったです。特に女性陣(井脇幸江、小出領子、長谷川智佳子、奈良春夏)の、しなやかでしかも鋭いキレのある動きが魅力的でした。男性陣(木村和夫、後藤晴雄、中島周、平野玲)との踊りもよく合っていました。ただ、男性陣の群舞はちょっと迫力に欠けていました。

  この作品は、前に観たネザーランド・ダンス・シアターIによる「トス・オブ・ア・ダイス」によく似ています。踊りもそうですが、天井から三角定規のようなオブジェが吊り下げられていて、それが動いたりするところとかも。

  「優しい嘘」(イリ・キリアン振付)を観たら、そーなんだよな、踊れる人が踊れば、もっとすごくなるんだよな、としみじみと思いました。「ステッピング・ストーンズ」での、東京バレエ団のダンサーたちは確かにすばらしかったのです。でも、ニコラ・ル・リッシュに持ち上げられたギエムが、閃光の中でほんの一瞬、両腕をゆらりと動かしただけで、上には上がある、という言葉を実感しました。

  この作品はあっという間に終わってしまいましたが、もっと観たかったです。ギエムとル・リッシュの動きはよどみがなく、鋭く、美しく、そして重さや力をまったく感じさせません。鈍い暗い光の中で、足音も響かせず、静かに、でも物凄い存在感を放射しながら踊っていました。

  「Push」(ラッセル・マリファント振付)は、ギエムと振付者のマリファント自身が踊りました。「Push」自体は以前にもギエムで観たことがあります。この作品もコンテンポラリーですが、キリアンの振付とはまったく異なる動きの踊りです。

  キリアンの振付はまだ外に開かれているというか、非常に視覚的であるのに対して、マリファントの振付は中に向いているというか、莫大なエネルギーを内に込めながらも、それを決して外に出さない、表面張力ぎりぎりのところで保ちながら踊り続ける感じです。

  力の移動をまったく感じさせない、それこそ徹底的に重力というものを(表向きには)排除した動きです。バランス、ジャンプ、回転、動きやポーズの変化はすべてゆっくりと行なわれます。ギエムはマリファントの体の上でなめらかに姿勢を変え、マリファントもうまくタイミングを合わせて姿勢を変えます。また、マリファントがギエムの腕をつかんで、彼らは互いに突っ張るようにしてバランスを保って立ち、次の瞬間、ギエムはマリファントの体の上に跳び乗ります。あくまで音もなくしなやかに、です。

  マリファントは緊張していたのか、一瞬「踊り」の動きが崩れて、「素」の動きになってしまったときがありました。「素」の動きとは、「力」を感じさせる動きという意味です。

  このように、パフォーマンス自体はわるくなかったのです。ただ、ダンサー個人(今回の場合はギエム個人)の目的や熱意に、観客が絶対に服従しなければならないとか、全面的な理解を示さなければならないとか、必ずしもそうとは限らないのではないか、というのが私の考えでして、確かにダンサーのほうは心身ともに非常な労力を費やしたのでしょうが、見た目には少し地味で冗長で物足りなく感じました。

  そこで、この程度の公演内容ならば、チケットはもっと安くてもいいだろうと思ったのです。カーテン・コールは例によって大騒ぎでしたが、私は逆に冷めてしまって、途中で席を立って帰途につきました。道々、日本のバレエ・ファンは、本当にいいように搾取されている、これからバレエのチケットを買うときは、ちゃんとよく考えてからにしよう、と思いました。
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冬至の前に

  昔の中国にはこんな考え方がありました。冬至の次の日から「陽」の気が徐々に強まっていき、夏至にいたって「陽」の気は極盛となる。夏至の次の日から今度は「陰」の気が徐々に強まっていき、冬至にいたって「陰」の気は極盛となる。そして冬至明けからまた「陽」の気が強まっていき・・・という具合に循環を繰り返すというのです。

  このような考えに基づいて、昔の中国では、死刑は必ず冬至の前に執行されました。死刑は「陰」(すなわち「死」の本質)の勢力が強いときに行なわれるべきで、「陽」(すなわち「生」の本質)の勢力が強いときに死刑を行なうのは「不祥」である、と考えられたのです。

  日本は、実は古代中国のこうした「陰陽」思想の影響を強く受けていて、現在もひょっとしたらそうなのではないか、と疑っていました。テレビのニュースによると、今日、3人の服役囚の死刑が執行されたそうです。やっぱりそうなのかな?と思いました。

  鳩山邦夫法務大臣は、自分の職責を忠実に果たしました。現在の日本が死刑制度を有している以上、法務大臣は自らの職務をまっとうすべきだと私は思います。以前、死刑反対論者である政治家が法務大臣になり、「自分が在任している間に死刑は執行しない」とほざいたことがありました。私は「だったら最初から法務大臣なんか引き受けるな」と思いました。大臣の地位は欲しい、でも汚れ仕事はしたくない、という偽善的なずるさを感じました。

  私個人は、死刑制度を支持しています。他人の生きる権利を奪うのは、自分の生きる権利を放棄するのと同じである、と考えます。

  ここ数日、私は冬至を直前にした今の時季独特の、黄色い渇いた日ざし、音のない奇妙な静けさを強く感じています。これが「死」を内包する「陰」の支配する世界なのでしょうか。
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スタダンの公演に行ってきました(3)

  私は両日ともチケットを買っていたので、今日もきちんと観に行きましたよ。感じ悪いけど、観劇半分、見物半分で。でも、たとえば友人知人に、「チケット、タダであげるから、この公演、観に行ってみない?」とはとても言えないレベルの公演ですから、結局は自分が行くしかないわけです。

  昨日よりもバレエ団の対応は改善されていました。入り口の前、公演チラシを配るお兄さんの背後にボードがあって、手書きで書かれた紙が貼り付けてありました。「本日の『ロミオとジュリエット』よりバルコニーのパ・ド・ドゥは、吉田都さんが突然、怪我をされ、上演に向け最善の努力をしてまいりましたが、結果的に上演が不可能となりましたことをお詫びいたします。なお、すでにお求めいただきましたチケットの払い戻しはいたしかねますので、何とぞご了承ください。」 どうやら「吉田ショック」はかなり大きかったとみえますね。

  ただ、当日券売り場には、吉田都さんの降板と演目の一部上演中止に関する貼り紙はありませんでした。売り場の人が、口頭で伝えていたのでしょうか?

  開演前にバレエ団代表の小山久美さん、足を痛めて降板した吉田都さん、ロバート・テューズリーが舞台上に出てきて、昨日と同じようにスピーチしました。小山久美さんは、さすがに観客の失望を身にしみて感じたのか、終始一貫して平謝りでした。でも、吉田都さんは、周囲の人々からひたすら慰められたのでしょうね。観客への謝罪はもちろんありましたが、それ以上に、スターダンサーズ・バレエ団への謝意と賛意を中心にしたスピーチでした。吉田さんに足りないものがあるとすれば、それは「世間智」だろうなあ、とあらためて思いました。

  はじめて見る作品は、できれば最低2回は観たい、というのが私の傾向です。「アレグロヴィーヴォ」は、昨日よりも余裕をもって観ることができた気がします。ダンサーたちが頑張っているのはよく分かりました。

  振付自体は、独創性のようなものはなんらないピュアなクラシックの動きです。ただ、群舞のフォーメーションというか配置には問題があるように感じました。数人単位の小グループが舞台上に散らばり、それぞれのサークルの中でそれぞれが違った振りで踊るところです。見ていて全体的にゴチャゴチャしており、美しくありませんでした。

  たとえグループごとに異なる振りで踊っていても、全体としては統一がとれている、そんな群舞であればなおさらよかったと思いました。

  「ゼファー」では、黒田美菜子さんの足元が危なっかしくて不安定でした。久保田小百合さんは、手足がすっきりと伸びきって、また動きがたおやかできれいでした。福原大介さんと大野大輔さんは、いっそ東京バレエ団のバレエ学校にでも入って、男性技とパートナリングをもっと練習してはどうだろうかと思いました。

  「陽炎」の振付について、昨日のブログでは「クラシックとコンテンポラリーの中間」とか表現したように思いますが、訂正します。どちらかというと、クラシック・バレエ寄りのモダン・バレエと形容したほうがいいようです。

  小池知子さんと橋口晋策さんが今日もすばらしい踊りをみせてくれました。

  「火の鳥」での林ゆりえさんの踊りを観て、林ゆりえは、スターダンサーズ・バレエ団では、まさに「突然変異種」としかいいようがない、と強く感じました。すでに美しいポーズ、正確無比なテクニック、豊かな音楽性を兼ね備えた踊りですが、まだお若いそうなので、これからもっともっと魅力的になっていくだろうと思います。先が楽しみです。

  ツァレブナ姫を踊った松坂理里子さんも、ポワントでの踊りに比べるとどうしても地味に見えてしまう半爪先立ちではありましたが、時にクラシックの技が織り込まれた、モダン・バレエ風の振りを見ごたえ充分に踊ってすばらしかったです。

  ツァレブナ姫のソロ、また特にイワンとツァレブナ姫のパ・ド・ドゥは、暖かくしっとりした感じの音楽とよく合っていました。もちろん振付もよいのでしょうが、松坂理里子さんの動きと、そして表情がとても可憐で魅力的でした。

  イワンと火の鳥のパ・ド・ドゥは緊張感に満ちていますが、イワンとツァレブナ姫のパ・ド・ドゥは、まるで子どもたちがたわむれているような、ほのぼのした踊りです。振付的には、イワンとツァレブナ姫のパ・ド・ドゥのほうが優れていると思います。

  イワン役の新村純一さんは、最初に火の鳥とクラシックのパ・ド・ドゥを踊り、次にツァレブナ姫とモダンのパ・ド・ドゥを踊ります。現在のバレエ・ダンサーなら当たり前なのでしょうが、同一作品の中できちんと踊り分けができるのはすごいな、と感心しました。

  今日の公演を観ていて、それぞれの作品ごとに、「ここはこう踊れば、さぞすばらしいだろうに」という、それぞれの踊りのそうあるべき理想形みたいなイメージが、頭の中に浮かんでくることが多かったです。初見の作品ばかりだったのに、「すばらしく踊られた例」の映像が浮かんでくるとは面白いことでした。

  あとは、「アレグロヴィーヴォ」と「ゼファー」を見て、クラシック・バレエというのはやっぱり厳しいものなんだな、とあらためて実感しました。ごまかしが一切ききません。踊れる人は踊れる、踊れない人は踊れない、とはっきりしています。

  必死に「観に行った甲斐」というものを見出して、こうして書き連ねてきましたが、やはり今回の公演は、お金の面でも、(観る)体力・精神力の面でも、割に合わない出費だったといわざるをえません。

  本音を言えば、こんな経験は二度とあってほしくないですね。    
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スタダンの公演に行ってきました(2)

  開演前にプログラムを見ると、公演チラシには載っていない作品がありました。「アレグロヴィーヴォ」(小山恵美振付)で、音楽はビゼーの「交響曲第1番ハ長調第1楽章」だという。これは、バランシン振付の「シンフォニー・イン・C」(第1楽章だけですが)と同じ音楽ではないでしょうか。振付者の小山恵美さんは、スターダンサーズ・バレエ団の現役の団員さんです。

  この「アレグロヴィーヴォ」は、すべて女性の群舞によって構成されていました。衣装は白いレオタードの上に白い短いスカートを着けただけというシンプルなものでした。

  群舞による踊りなので、ダンサーたちは全員が勢ぞろいし、あるいは交代で現れては、1列、また2列に分かれて直線に並び、一斉に同じ振りで踊ったり、同じ振りを連鎖して、また左右対称に踊ったりする動きが多かったです。振付はきれいなクラシック・バレエの動きでした。

  まだ充分に踊り込んでいないかな、という印象でした。動きは揃っていなかったし、甚だしくは次の振りが思い出せないらしいダンサーもいるようでした。技術的にもかなり難しい振付だと思います。

  「ゼファー」(佐々保樹振付)は、音楽はピアノの独奏(吉田育英)で、リストとトム・コンスタンティンの曲をいくつか交互に用いていました。プログラムによると、「ゼファー」とはそよかぜ、微風の意味で、初演はなんとアメリカン・バレエ・シアターのダンサーたちが行なって、その中にはあのジュリー・ケントもいたそうです。

  まず男女によるパ・ド・ドゥ2つ、次に女性ダンサーによるヴァリエーション2つ、それから男性ダンサーによるデュエット、最後に4人全員が揃って踊ります。衣装は、女性は淡い緑色をした薄い布地の膝下丈の袖なしワンピース、男性は同じ布地のシャツに下は白いタイツでした。

  福原大介と大野大輔のパートナリングのまずさが目立ちました。ガタガタしていて、タイミングもズレまくりでした。福原大介は、これで本当に「ジゼル」のアルブレヒトを踊ったのだろうか、と不思議なくらいでした。大野大輔は福原大介に比べればまだ健闘していました。でも福原君は大人っぽくなりましたね。凛々しくなりました。

  この作品の振付もクラシカルで、優雅で流れるような美しい動きで構成されていました。ヴァリエーションでの黒田美菜子と久保田小百合はとてもきれいに踊っていました。女性陣はこんなに上手に踊れるのだから、となおさら男性陣の頼りなさが残念でした。

  男性陣によるデュエットは回転や跳躍などの難しそうな技が詰まっていました。この手の作品では見慣れていることですが、踊っているうちに段々と個人の技量の差が目立ってきて、踊りも揃わなくなってくるのです。

  「陽炎」(関直人振付)は、音楽はシベリウスの「トゥオネラの白鳥」です。この作品は男女2人のみによって踊られます。ダンサーは小池知子と橋口晋策でした。衣装は男女とも青みがかったユニタードでした。舞台の奥には山脈を思わせる黒い岩のようなセットが置かれていました。

  岩陰から男性ダンサーが女性ダンサーを支えながら登場します。悲しげで静かな曲に乗って、彼らはやや複雑に絡み合いながら踊ります。振付は純然たるクラシックではありませんが、フォーサイスみたいに極端なコンテンポラリーでもありません。ちょうどその中間くらいの動きです。

  この「陽炎」で、ようやくまともに踊れるダンサーが出てきたな、とホッとしました。小池知子も橋口晋策も、このバレエ団がフォーサイス作品を上演するときには、ほぼ必ずキャスティングされるダンサーです。こうした複雑な動きの作品を踊るのに長けていて、またふたりの踊りもよく合っていました。組んで踊ってもタイミングはバッチリだし、ふたり並んで同じ振りを踊るときには、動きからポーズまで完璧に揃っているのです。ふたりの動きもしなやかで、とても見ごたえがありました。

  「火の鳥」(遠藤善久振付、遠藤康行追加振付)、音楽はもちろんストラヴィンスキーの同名曲です。

  嬉しいことに、王子イワンが新村純一君でした 火の鳥は林ゆりえ、ツァレブナ姫が松坂理里子、魔王カスチェイが東秀昭です。

  新村君は詰襟で軍服風なデザインの、灰色がかった青の上衣に淡いグレーのタイツ、またグレーのブーツを履いていました。口ひげとあごひげをつけて(伸ばして?)いました。相変わらずこういう軍服スタイルがよく似合います。かつらはつけず、髪の毛を真ん中から分けて横に流した自前の髪型でした。大きな動きをすると、前髪が一すじ顔の前に垂れて、それがすごくカッコよかったです。

  火の鳥役の林ゆりえちゃんは、紅に金の模様が入ったチュチュを着ていて、頭にも金と紅のティアラをつけていました。孔雀のような感じのアイ・メイクをしていて、表情を変えずに踊り、とても神秘的でした。

  林ゆりえちゃんは、クラシック・バレエでは、このバレエ団では最も優秀なダンサーではないでしょうか。ポーズはきれいだし、腕の動きも鳥っぽくて美しく、踊りにはキレがあって安定しており、音楽にもよく乗っていました。足音というものがほとんどせず、ジャンプはふわりと軽くて、しかも着地音がまったくしません。

  この作品は振付が面白かったです。火の鳥はトゥ・シューズを履いており、クラシック・バレエの振りで踊ります。また、火の鳥の踊りやポーズに関しては、ミハイル・フォーキン版の振付を意識したであろうものが多く見られました。

  最初はイワンと火の鳥とのパ・ド・ドゥになりますが、新村純一のパートナリングは見事の一言につきました。やっとプロらしいリフトやサポートが見られたな、と思いました。力をまったく感じさせません。それが林ゆりえのすばらしい踊りとあいまって緊張感のあるパ・ド・ドゥとなり、とても集中して見入ってしまいました。

  イワンは火の鳥からもらった赤い羽根を胸につけて(小道具の赤い羽根がやや安っぽく、まるで「赤い羽根共同募金」みたいだった)、魔王カスチェイのいる城に乗り込みます。

  そこには12人の姫君が捕らわれの身となっています。12人の姫たちは髪を長くさばき、オレンジと黄色の薄い布地のドレスを着ています。その他にツァレブナ姫もいて、ツァレブナ姫だけは水色のドレスを着ています。姫たちは捕らわれの身ながらも楽しく踊って憂さを晴らします。

  面白いことに、姫たちはオフ・ポワントで、モダン・バレエのような動きで踊ります。火の鳥と姫たちとは、衣装ばかりか踊りのタイプもまったく異なります。イワンを目にした姫たちは最初は彼を怖がりますが、ツァレブナ姫とイワンはあっという間に恋に落ちて、一緒に踊ります。ふたりのパ・ド・ドゥも、モダン・バレエのような変わった振付でした。火の鳥とイワンとの踊りとは違います。

  ツァレブナ姫はイワンに自分たちの身の上を話します。イワンは魔王カスチェイとの対決に挑みます。イワンが固く閉ざされた城門を開けると、中から上半身をぼってりとふくらませた黒味がかった衣装の魔物たちが次々と現れます。一見するとカエルのような外見で、踊りも床に這いつくばったりしていたので、たぶんカエルやイモリなんかをイメージした振付だと思います。魔物たちはイワンとツァレブナ姫に襲いかかります。

  やがて魔王カスチェイも姿を現わします。東秀昭の衣装を見て危うく噴き出すところでした。ラメの入った黒いフロック・コートを羽織り、その下には黒のシースルーのランニング・シャツ、下はやはりラメ入り黒のズボン、そして黒の皮のブーツを履いていて、「おまーはボーン版『白鳥の湖』のストレンジャーか」と心の中でツッコミを入れました。

  イワンは赤い羽根を取り出して天に向かってかかげます。すると、火の鳥が現れて、魔王と手下の魔物たちを翻弄します。林ゆりえちゃんが冷静な表情で、大きなジャンプでバンバン跳びまくってカッコよかったです。

  魔王はいきなり身長が2倍になります。数名の男性ダンサーが魔王役の東さんを抱え上げているのがバレバレで、魔王抱え上げ役の男性ダンサーたちは1枚の大きな布で自分たちの姿を隠していたのですが、その布の端が滑り落ちて、中の人々が見えてしまいました。ちょっとショボいなあ、と思いました。

  イワンが赤い羽根を高々と差し上げると、魔王たちは徐々に力が弱まっていって、ついには倒れ伏してしまいます。魔物たち役のダンサーたちが、床に伏せながら何やら手を動かしています。やがて彼らが立ち上がると、異様にふくらんでいた上半身の衣装が裏返って下に垂れ下がり、白い貫頭衣に変わります。魔物たちは、魔王によって姿を変えられていた街の人々だったらしいです。グッドデザイン賞。

  威厳を漂わせて立つ火の鳥の前で、イワンとツァレブナ姫は愛を誓い合い、彼らを真ん中に、街の人々が両脇に整列してお辞儀をしながら祝福します。

  カーテン・コールが終わった後、再び「火の鳥」の最後の音楽が演奏され、ダンサーたちが花束を持って両脇に並びます。奥にかかっていた紅い幕が開くと、そこには太刀川瑠璃子さんが立っていて、小山久美さんに支えられながら、ゆっくりと前に歩いて出てきました。

  「アレグロヴィーヴォ」と「ゼファー」ではどうなることかと思いました。でも「陽炎」と「火の鳥」で救われた感じです。吉田都さんが降板したのはショックでしたが、林ゆりえちゃんがすばらしいダンサーだと分かったし、新村純一君は期待どおりに活躍してくれたし(それにすごいカッコよかったし)、まあいいことにしましょう。
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