地デジ化(まだ途中だけど…)

  先週の日曜日、7月24日の正午ぴったりに、テレビが観られなくなった。アナログ放送が終わったのだ。画面には青い背景に白で「アナログ放送は終了しました。詳しくは地デジコールセンターまで」云々と書いてあり、定期的に女性の声で同じ内容のアナウンスが流される。

  普段、テレビは点けているだけで、番組自体はあまり観ないから、焦らなくてもいいか、と思っていた。でも、画面に変化がないとさみしいし、何度もくり返し同じアナウンスが流されるので、24日の午後1時くらいの時点で早くも耐えられなくなってしまった。

  仕方ないから、地デジチューナー内蔵のブルーレイレコーダーをようやく箱から取り出した。1ヵ月半くらい前に買っておいたが、面倒くさくて梱包も開かずに置きっぱなしだった。

  レコーダーを買ったとき、ヨドバシカメラの兄ちゃんから、「接続サポートはどうしますか?」と聞かれた。「自分で接続するのは難しいんですよね?」と尋ねると、DVDやVHSの機器を自分で接続できるなら、レコーダーの接続も大丈夫なはずだと言う。半信半疑だったが、じゃあ自分でやるからいいです、と断った。

  レコーダーの梱包を開くと、「らくらくスタートガイド」が入っていた。機械オンチの私でも理解できる分かりやすい図解説明。レコーダー本体にもシールを貼り付けてあり、接続端子を差し込む穴がでっかい矢印と文字で示されている。「なるべく自力で接続して下さい」が前提なのだな、と思った。

  横長の薄いテレビはまだ買ってない。テレビはブラウン管テレビをしばらくそのまま使うことにした。今は駆け込み需要でテレビが品薄だというし、品揃えが回復してから買えばいい。地デジチューナー内蔵レコーダーを使って、ブラウン管テレビで地デジ放送を観る、というアイディアは、オーディオ・ヴィジュアル機器のプロから教えてもらった方法だった。「テレビを焦って買う必要はありませんよ」と言っていた。その人の同僚(←みなプロ)も、みな特に急いではいないという。

  ブルーレイレコーダーはブルーレイディスク専門の機器ではなく、基本的にどのメディアでも(VHS以外)再生可能だということも教えてもらっていた。ヨドバシの兄ちゃんも、ブルーレイディスクは、DVDが多くの種類に枝分かれして収拾のつかない状態になったこと、またDVDレコーダーの各社の規格がバラバラで互換性がないことへの反省を踏まえて、規格を統一したメディアだと言っていた。ブルーレイレコーダーにVHSレコーダーを接続すれば、VHSの映像をDVDなどにコピーすることも可能だ。

  テレビ、ブルーレイレコーダー、VHSレコーダーの背面を見て、これはここと接続して、と脳内でシミュレーションした後、接続作業に入った。というと大げさだが、10分くらいで終わった。ブルーレイレコーダーの背面の穴を見ると、大体どんな機能があるのか、どんなメディアと接続できるのかが分かる。基本的にVHSやDVDレコーダーと変わらない感じだった。

  「らくらくスタートガイド」には、コンセントを差し込む順番とか、テレビとレコーダーを接続する順番とか、電源を入れる順番とか、リモコンに電池を入れる順番とかがやかましく書いてあって、順番を間違えると映らない、的な注意書きもあった。しかし、ガイドに書いてある順番を完全に無視してテキトーに接続しても、ちゃんと起動できたし、ちゃんと映った。

  初期設定も簡単で、チャンネルの調整も機械が自動でやってくれた。で、すぐに地デジ放送が観られた。

  テレビはブラウン管テレビだが、画質はアナログ放送よりも格段に良い(気がする)。横長の薄型テレビを使えば、もっと画質が良くなるのだろう。でも、正直なところ、画質なんかどーでもいいのだ。テレビは点いてりゃ充分だ。

  次なる問題は、チャンネルの番号がアナログ放送とは微妙に違うことだった。新聞も取ってないし、テレビガイドの類の雑誌も買う習慣がない。Yahooのテレビ欄で確かめればいいのだが、そんな面倒なことをするまでもない。最初は戸惑ったけれど、1週間かけて分かったよ。5がテレビ朝日、7がテレビ東京で、あとはアナログ放送時とチャンネル番号は同じ(MXや放送大学はまったく観ないからどうでもいい)。

  残る問題は、今まで使っていたDVDレコーダーをどうしようか、ということだ。まだ使えるのに、捨てるのはもったいない。CDカセットプレーヤーでさえ、壊れるまで23年間使い続けた。まだ使える機器を、用済みだからという理由で捨てるのには抵抗がある。これが目下の悩み。

  あ、地震だ。割と大きい。震源地は福島県沖だそうだ。福島、茨城、栃木の一部地域が震度5。福島第一原発に何も影響がなければいいが。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


今日は誕生日でした

  アダム・クーパーの。

  とうとうアダム・クーパーも不惑を迎えました。しかし、今年の誕生日も彼はやはり仕事中(笑)。仕事があるのは良いことです。大いに結構。

  私が彼を知ってから、もう9年になろうとしています。この9年の間、彼にもいろんなことがあったろうけど、私にもいろんなことがありました。

  日本は今、本当に大変な時で、とてもたくさんの人々が絶望し、苦しみ、不安を抱えながら、それでも一生懸命に一日一日をなんとか乗り切っています。

  私は、最初は呆然として現実を否認し、それから大きな不安と混乱に陥りました。今は、現実をあるがままに認め、この大きな不安と一生をかけて共存していく覚悟を決めようと努力している最中です。

  だから、正直なところ、今の私には、以前のようにあなたのことばかりを考える余裕がないのです。でも、いずれ徐々に落ち着いてくることでしょう。自然にまかせようと思います。

  あなたはいつだったかのインタビューで、「踊れなくなった後も、他の形で活動していくことになるでしょう」と言いました。

  それを信じて、私はこれからもあなたのファンであり続けます。

  

  
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


ようやく「バレエの神髄 2011」(7月12日)-3

  第3部

  『カルメン』

  音楽:ジョルジュ・ビゼー
  編曲:ロジオン・シチェドリン
  振付:アルベルト・アロンソ
  改訂演出:アザリー・プリセッキー、アレクサンドル・プリセッキー
  美術:ボリス・メッセレル

  カルメン:エレーナ・フィリピエワ
  ドン・ホセ:ファルフ・ルジマトフ

  スニガ(ドン・ホセの上官):セルギイ・シドルスキー
  エスカミーリョ:イーゴリ・コルプ

  運命(牛):田北志のぶ

  カルメンの友人:マリア・トカレンコ、ヴィクトリア・メジャック

  他 キエフ・バレエ


  まず、ルジマトフがあのテントウムシみたいな柄のシャツを着てなかったので安心しました(真紅のシャツだった)。やっぱりあのテントウムシ柄は、ロシア系ダンサーのルジマトフから見ても相当ヘンなんだろうな。

  カルメンというと、「自由奔放で官能的な女性」的な単純な先入見を私は持ってました。でも、フィリピエワのカルメンはまったく違いました。カッコいいほど毅然とした強い女性でした。

  メリメの『カルメン』を読んだのはもう20年以上も前のことです。その前にビゼーの『カルメン』を聴いてしまっていたせいもあって、カルメンの人物像がよく分からなかったというのが本当のところです。ビゼーのカルメン像とメリメのカルメン像が重ならなかったのです。

  今では、メリメのカルメンとビゼーのカルメンは別物と考えるべきなのが分かります。同様に、今回の公演のおかげで、アロンソのカルメンも前の両者とはまったくの別物だということがやっと理解できました。

  アロンソが設定したカルメンのキャラクターは、男を次々と翻弄し、破滅させる悪女なんてものでは決してないと思います。このアロンソ版『カルメン』は、当時のソ連文化省から、過度にエロティックで堕落的であるという強い批判を受けたそうですが、実際はまったく逆で、エロティックどころか、非常に高度な思想的寓意とメッセージ性に富んだ作品でしょう。

  それは、非常に厳しい制約の中で、個人の自由な意思をどう貫くか、という、今の時代からすれば想像するのがとても難しいテーマです。

  今回、カルメンを踊ったフィリピエワは、初演者であるというよりは、この作品のそもそもの発案者であるマイヤ・プリセツカヤから直接にカルメンを教授されたそうです。フィリピエワは、プリセツカヤ、アロンソ、シチェドリンらが描こうとしたカルメンを、見事に表現していたと思います。私は以前に数回だけアロンソ版『カルメン』全編を観たことがありますが、いつもどこか腑に落ちない感触が残りました。でも、フィリピエワのカルメンを見てようやく、ああそういうことだったのか、と納得しました。

  もちろん、その作品の創作過程だの、成立の背景だのを絶対に踏まえなければならない決まりはありません。それに、1960年代のソ連で、プリセツカヤが置かれていた状況を念頭に置けといわれても、現代の私たちには、それ自体がとても難しいことです。ただ、アロンソ版のカルメンを、「男を次々と翻弄し、破滅させる悪女」というベタな設定で、色気たっぷりに、官能的に踊り演じようとすると、単なる薄っぺらい昼メロ的恋愛ドラマに終わってしまう気がします。

  それにしても、シチェドリンが編曲した『カルメン組曲』は、本当にビゼーの『カルメン』のいいとこ取りをしてますね~。しかも、ところどころでわざと主旋律をなくして、主旋律をダンサーの踊りそのものが奏でるようにしてあります。フィリピエワ、ルジマトフ、シドルスキー、田北さん、キエフ・バレエのダンサーたちはみなすばらしかったです!脚をまっすぐに伸ばして、爪先を細かく動かして、シャープな線を描いているのがとても魅力的で、なんか脚と爪先ばっかり見てたような気がします。というか、本当にみな脚と爪先で物を言い、会話してました。

  特に印象に残った点。出だしで、ライトが点いた瞬間に、右足を曲げて床に爪先を突き立てたフィリピエワが、屹然とした表情と態度で立っていたのがすごくカッコよかったです。といっても、傲慢では全然なくて、孤高な感じでした。それからのソロもすごく男前(笑)な鋭い踊りで見とれてしまいました。白い長い美脚を駆使した踊りが本当に魅力的でした。

  ドン・ホセのルジマトフと、その上官役のシドルスキーが並んで同じ振りで踊るところも、すごく見ごたえがありました。二人の動きが完璧に揃っていて、脚の高さも回転の速度もまったく同じ。ルジマトフもシドルスキーも一糸乱れず整然と踊っていました。カルメンが主に脚と爪先で話すのと同様、男性陣も脚と爪先の動きで話します。

  思ったのは、このアロンソ版『カルメン』は、どの登場人物も、かなり高度なクラシック・バレエの技術を持っていなければならず、しかも常に端正な、極端にいえば教科書どおりのきちんとした動きで踊らなければならない、ということでした。形からはみ出してはならないのです。

  「激しい愛憎が複雑に交差するドラマ」という表面的なストーリーのイメージに、私はこれまで引きずられていました。「腑に落ちない」感はここからきていたのでしょう。ひょっとしたら、私が以前に観たアロンソ版『カルメン』を踊ったダンサーたちも、こうしたイメージに強くとらわれていたのかもしれません。

  ルジマトフの第1部、第2部からの変容ぶりにはびっくりしました。踊りの雰囲気も違うし、キャラクターも全然違う。最初は気が弱くて従順で自己主張のない男性で、それが最後には激しい感情を爆発させるのです。

  ルジマトフが兵隊たちの群舞の真ん中で激しく踊ったときに至っては、心の中で「うわあ、超カッコいい~!!!」と悲鳴を上げました。今、シチェドリンの『カルメン組曲』を流してるけど、ちょうどそこの音楽になりましたよ。あの踊りは今思い返しても本当にカッコよかった。

  それから、運命(牛)を踊った田北志のぶさんもすばらしかったです。この役はすごく難しいだろうと思うのですが、田北さんには非情さというか冷酷さというか、まさしく「運命」のような、静かだけど恐ろしさを含んだ雰囲気がありました。

  時間はもう夜の10時を回り、疲れきっているはずなのに、私はこの第3部で完全に興奮してしまって、すごく集中して見入ってました。終演後には、この公演を観に来てよかったな、と心から思いました。不思議なほどに気分が良くて、歩きながら『カルメン』をこっそり口笛で吹きました。来年の「神髄」でまた上演してほしいなあ。 
コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )


ようやく「バレエの神髄 2011」(7月12日)-2

  第2部

  『バヤデルカ』第二幕よりパ・ダクシオン(音楽:レオン・ミンクス、振付:マリウス・プティパ)

   ガムザッティとソロルとのあの踊りです。ダンサーはナタリア・マツァーク(キエフ・バレエ)、セルギイ・シドルスキー、キエフ・バレエ。

   マツァークはちょっと動きが硬かったような。彼女がこの公演で踊ったのはこれだけだから、調子が今ひとつ出なかったのかもしれません。でも、ところどころで見せた優れたテクニックと身体能力はすばらしいものでした。

   シドルスキーはソロルの衣装が似合うこと似合うこと。やっぱりスタイル抜群でカッコいい。特に腰の線が実にセクシー 踊りも一つ一つの動きがきれいで安定しており、信頼して観ていられました。シドルスキーはもともと長身なのに加えて、それで半爪先立ちですっくと立つと、足がまっすぐで本当に見とれるほど美しいのです。

   キエフ・バレエの男性ダンサーが2名出演していましたが、衣装が白いターバンにピンクの縁取りの入った白い上着とズボンで、なんか回転寿司店のバイト店員みたいでした。

  「扉」(音楽:オーラヴル・アルナルズ、振付:ヴェーラ・アルブーゾワ)

   イーゴリ・コルプ(マリインスキー・バレエ)のソロです。衣装がパンイチ(白)でした。これは短い作品だったせいか、よく覚えていないのです。舞台の脇で観客に見えないように誰かがコルプを支えていたという振りがあって、こりゃ面白い発想だな、と思ったことは記憶しています。

   終わり方は唐突でしたが、でもとてもユニークでユーモアがあり、客席からも笑いが漏れていました。この公演では、私はコルプが舞台に出てきただけで噴き出しそうになりました。コルプは面白いというか、愛嬌があるというか、「なんかやってくれそうだな感」が強く漂っていて、実際にその期待どおりにやってくれます。

   ほんとに、ロシア系バレエ・ダンサーではめずらしいキャラクターの兄ちゃんですな。

  『白鳥の湖』より「黒鳥のパ・ド・ドゥ」(音楽:チャイコフスキー、振付:ユーリー・グリゴローヴィチ)

   ダンサーは再びアンナ・アントーニチェワ、ルスラン・スクヴォルツォフ。

   ……この二人は、ボリショイ・バレエのプリンシパルなんですね。スクヴォルツォフはちょっとしか踊らなかったからよく分からんけど、アントーニチェワのほうは、この人がオデット/オディールをレパートリーとしていると書いてあっても、ちょっとにわかには信じられないような踊りでした。終始一貫してぎこちなくて不安定だったので、よくある「新しいレパートリーに海外の公演で挑戦してみた」のかな、と思ったくらい。

   オディールは得意でもオデットは今ひとつ、というダンサーはよくいますが、アントーニチェワはその逆なのかな?彼女のオデットが観たいです。

  「ボレロ」(音楽:モーリス・ラヴェル、振付:N.アンドロソフ)

   ルジマトフのソロ。この公演の追加演目として、ルジマトフの「ボレロ」が発表されたとき、そんなに踊って大丈夫なの、と心配になりました。「シャコンヌ」も長いソロだし、『カルメン』のドン・ホセも踊るのに、更にもう一演目、しかも「ボレロ」なんて長そうな作品を踊るのか、と。

   でもこれは、舞台上で露わな感情を見せることのないルジマトフの、日本の観客に対する言葉によらないメッセージなのだろう、と私は感じました。だからこそ余計に泣きそうになりました。震災直後にルジマトフが日本に寄せたメッセージでも泣いちゃったけどね。

   ルジマトフの衣装がカッコよかったです。上半身は裸で、下は最初は黒のロング・スカートかと思ったけど、後半で動きが激しくなってきたときに、裾がとても広いズボンだと分かりました。腰から房の着いた飾りが何本か垂れ下がっていました(たぶんこれの一つが、後半の激しい動きの勢いでぶっ飛んだ)。ひたいに目のような形の紅い印を入れていました。全体的にエキゾチックな雰囲気です。

   振付はなんだか基本ベジャールの「ボレロ」みたいだな、と思いました。だから逆に、なんでルジマトフがベジャールの「ボレロ」を踊らないのか、と不合理に感じました。接点がないといえばそれまでですが、ファルフ・ルジマトフにベジャールの「ボレロ」を踊らせないのは罪悪です。バレエ界の大損失です。私が権利保持者なら、土下座してでもルジマトフにベジャールの「ボレロ」を踊ってくれるよう頼み込みますよ。

   ルジマトフの上半身と両腕の筋肉がリズミカルに生き生きと躍動して(相変わらず身体そのもので物言う人です)、「シャコンヌ」での、表面的な動きと感情の発露が抑制され、抑制された中で感情や思索を表現する踊りとは、まったくタイプの異なる踊りでした。『カルメン』のドン・ホセは更に異なる動きの踊りなので、ルジマトフの違った三つの面を、この「ボレロ」によって目にすることができました。

   最後に、ルジマトフは激情を観客に向かって投げつけるような激しい動きで、この作品を終えます。不謹慎でしょうが、ルジマトフがベジャールの「ボレロ」を踊っている姿をつい妄想して、勝手に脳内でエキサイトしてしまいました。  
コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )


ようやく「バレエの神髄 2011」(7月12日)-1

  忙しいのを理由にしてたら、いつまでも書けんわな。いいかげん書かなくては~。もうすぐアメリカン・バレエ・シアターの日本公演だし。

  といっても、第1部はほとんど記憶に残ってません。理由は二つ、仕事が終わってから急行して、開演時間ギリギリに会場に着いたので集中力に欠けていたこと、そして、第3部の「カルメン」の印象が強すぎて、他の演目の影が(わたくし個人限定で)薄くなってしまったこと。

  前者の理由については、仕事帰りに観劇というのは、もう気力の上でも体力の上でもしんどいと思ったので、日曜日の公演のチケットを取っていたのです。ところが、震災の影響で土日の公演が中止になり、やむを得ずこの日のチケットを急遽取りました。

  でも、光藍社のことだから、土日の公演の会場確保のためにギリギリまで必死に努力しただろうことは分かっているので、責めるつもりは毛頭ありません。

  東京での公演はたった1回とはいえ、第1部55分、第2部45分、第3部45分という、全幕バレエに匹敵するどころか、はるかに凌駕しさえする、長い時間かつ充実した内容の公演でした。

  第1部

  『マルキタンカ』よりパ・ド・シス(音楽:チェーザレ・ブーニ、振付:アルテュール・サン=レオン)

   ダンサーはエレーナ・フィリピエワ、セルギイ・シドルスキー(ともにキエフ・バレエ)、キエフ・バレエの女性ダンサー4人。

   おクラシック・バレエの鉄板という感じの作品でした。回転、跳躍、足技、バランス保持など、難度の超高いあらゆる技術がてんこもり。

   キエフ・バレエの4人の女性ダンサーが最初に登場して踊る姿を見て、早くも、うわー、ロシア系のバレエだ、と思いました。スタイルや身体能力からして、旧西側のバレエ・ダンサーとは違います。

   なんか思い出しました。幕が上がったら、まだリハーサル中だったのか、ダンサーたちが舞台の袖にいて、あわてて脇に引っ込んでいきました。観客がドッと笑い、あれで一気に雰囲気がなごんだのでした。

   フィリピエワとシドルスキーは完璧。フィリピエワは相変わらず美しく、踊りも端正でありながら、またたおやかさと暖かみがありました。無駄に身体能力を誇示しないのも相変わらずです。

   シドルスキーも人柄の良さがそのまま踊りに出ているかのようで、高い身長とスタイルに恵まれ、また高度な技術を持っているのに、それをひけらかすようなことをしません。しっかりきっちり正確に踊り、かつやはり柔らかさと暖かさがあります。

   フィリピエワとシドルスキーが最初から手堅く決めてくれました。

  「瀕死の白鳥」(音楽:カミーユ・サン=サーンス、振付:大島早紀子)

   白河直子さん(H・アール・カオス)のソロです。この作品の最初と最後は無音で、真ん中にサン=サーンスの音楽を挟みます。

   白河さん、ヤバい!!!!!凄すぎる!!!!!日本にこれほどのダンサーがいたことを知らなかったなんて、私はなんて愚かだったのか。

   そのへんのバレエ・ダンサーが踊る半端なコンテンポラリー・ダンスとは明らかに違う、本物のコンテンポラリー・ダンサーによる本物のコンテンポラリー・ダンス。脚や爪先の形を見れば、白河さんのベースもやはりクラシック・バレエなのは一目瞭然だけど、なんという柔らかさ、なんという鋭さ、なんというバランス、なんという凄絶さと迫力だろう。

   私は自分の視線と注意が白河さんにぎゅーっと一直線に向かっているのを自覚した。私の視界と脳内には白河さんの姿しかなかった。こういう体験をしたのは久しぶり。仕事の疲れがどっかに吹っ飛んだ。白河さんが踊り終えた途端、客席全体からブラボーの嵐。

   作品の哲学的な意味は私にはよく分からなかったけれど、でも白河さんの踊りだけで充分。髪はさばいて、衣装は淡いグレーのトップスとパンツだけ。飾りひとつない。文字どおり体一つでの身体表現。あの凄さは到底、言葉で書き表すことはできません。書き表すことはできませんが、確かに何かをしっかりと受け取りました。

   H・アール・カオスの公演を今度絶対に観に行くぞ~!!!

  『ライモンダ』第二幕よりアダージョ(音楽:アレクサンドル・グラズノフ、振付:ユーリー・グリゴローヴィチ)

   ダンサーはアンナ・アントーニチェワとルスラン・スクヴォルツォフ(ボリショイ・バレエ)。白いマントをなびかせたスクヴォルツォフを見て、あ、これ、前にボリショイ・バレエとマリインスキー・バレエの合同ガラでやったやつだ、と分かりました。確かすぐ終わっちゃうんだよな、と思ったら、やっぱりすぐ終わっちゃいました。

   だから踊りのよしあしはよく分かんなかったけど、アントーニチェワもスクヴォルツォフも長身の見事なプロポーション、アントーニチェワはいわゆる「プリマ体型」、スクヴォルツォフは優しげなイケメンで、二人とも容姿だけでボリショイー!という感じでした(第2部の「黒鳥のパ・ド・ドゥ」で、「容姿だけはボリショイー!」というほうが正しいことが判明)。

  『ラ・シルフィード』よりパ・ド・ドゥ(音楽:ヘルマン・レーヴェンショルド、振付:オーギュスト・ブルノンヴィル)

   キエフ・バレエのカテリーナ・ハニュコワとボリショイ・バレエの岩田守弘さんが踊りました。

   ハニュコワは愛らしくて、まさにシルフィードそのもの。無邪気だけど人間のような分別はもちろん持ち合わせておらず、それだけにこりゃ厄介だな、と悲劇の結末を感じさせる妖精ぶりでした。踊りもふんわりと軽くて、トゥ・シューズの音がまったくしません。

   岩田さんは相変わらずのテクニシャンで、ブルノンヴィルの振付特有の細かい足技をきっちりとこなしていました。

   ヨハン・コボー版『ラ・シルフィード』だと、シルフィードとジェームズは確かまったく触れ合わないのですが、今回の公演では岩田さんがハニュコワをサポートしていました。バレエ団によって振付が多少違うんですね。

  「シャコンヌ」(音楽:ヨハン・セバスティアン・バッハ、振付:ホセ・リモン)

   御大、ファルフ・ルジマトフの登場です。ルジマトフは黒いシャツに黒いズボン。音楽は生演奏で、マリア・ラザレワが完全暗譜で弾きました。

   なんというか、ルジマトフにはわるいんですが、今回は音楽のほうに気を取られてしまって、ルジマトフの踊りがどうだったかあまり覚えていません。

   この時期にバッハ、しかも「シャコンヌ」は反則ですよ。バッハの音楽は聴くほうの脳みそを直にわしづかみにして、しかも心の中にあるものを掘り起こしてしまうから。

   ルジマトフの踊りについては、振付の「形」を通じて表現したいものが、ルジマトフ自身の中でまだ定まっていないというか、まだ試行錯誤中であるかのような印象を受けました。「阿修羅」みたいに、これから何年もかけて、またどんどん変わっていくのではないでしょうか。(私は第1部が終わってからようやくプログラムを買ったので、この印象はプログラムに引きずられたものではありませんです。) 
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


「バレエの神髄 2011」(7月12日)

  詳しくは後日書きますが、公演は今日(13日)は大阪で、明日(14日)は名古屋で行われるそうなので、取り急ぎ。

  アロンソ版『カルメン』は必見です。これほどレベルの高い『カルメン』は、滅多に観られるものじゃないと思いますよ。

  私は今回の『カルメン』を観て、ようやくこの作品が理解できた気がします。

  それから、「瀕死の白鳥」(大島早紀子振付)を踊った白河直子さんは、凄まじいほど優れたダンサーです。衝撃的でした。シルヴィ・ギエムも真っ青だと思います。あれほどのダンサーが日本にいたんですね。

  必見です。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


よく見りゃ似てるこの二人

  ヨハン・コボー(英国ロイヤル・バレエ)とラファエル・ナダル(プロテニスプレーヤー)

  今、ウィンブルドンの男子決勝見てます。ジョコヴィッチは確かに強いが、ナダルはいつものナダルじゃない。やっぱりケガしてるんじゃないか?
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


新国立劇場バレエ団『ロメオとジュリエット』(6月26日)-3

  ティボルト役の輪島拓也さんについては、踊りはまだまともに観たことがないからなんともいえませんが、演技力がすごくある方だと感じます。輪島さんが『ラ・バヤデール』で大僧正を演じた時からそう思っていました。

  輪島さんはイイ男だし、ティボルトの紅い衣装もヒゲも様になっていました。基本クールなティボルトでしたが、マキューシオを背中から刺した直後の後ろめたそうな表情や、怒りに我を忘れたロミオにがむしゃらに斬りかかられ、徐々に劣勢になるにつれて動揺していく必死な表情が良かったです。 

  パリス役の厚地康雄さんは、あの金髪のヅラが似合ってるし、イケメンだし、1日の公演ではサポートとリフトも大丈夫だったし、浅薄な優しさと裏に隠れた凶暴さ(パリスがもしジュリエットと結婚していたらDV夫になる可能性大、と思わせる)もきっちり表現していました。

  でも、金髪ヅラの厚地さんを見ながら、なんか既視感が、とずっと思っていたのですが、後になって思い出しました。芸人のヒロシに激似なんですよ。「パリスです。ジュリエットの前で祈っていただけなのに、いきなりロミオに殺されたとです。それから幕が下りるまでずっと倒れっぱなしです。パリスです、パリスです、パリスです、パリスです……」

  キャピュレット卿はこの日も森田健太郎さんでした。『ラ・バヤデール』で大僧正役をやった時にも思ったんだけど、森田さんは、オヤジ役はまだ不得手なんじゃないでしょうか。威厳とか横暴さとか封建的な雰囲気を出そうとするあまり、オーバーアクションでわざとらしくなってしまっている、と感じます。

  ゲスト・ダンサー組と「親睦を深める会」でも開催したのか、7月1日の公演の第三幕で、ジュリエットがパリスとの婚約を拒否するシーン、森田さんはジュリエット役のリアン・ベンジャミンを、26日の公演の時よりもかなり乱暴に扱っていました。ベンジャミンを払いのけたり、床に叩きつけたりする仕草が真に迫っていて怖かったです。

  そういえば、パリスが自分を拒絶するジュリエットを力でねじ伏せようとする踊りも、26日よりも1日のほうが断然良くなっていました。厚地さんはサポートそのものでパリスの凶暴さをよく表わしていたし、ベンジャミンも激しい動きでそれに合わせていました。

  キャピュレット夫人役の湯川麻美子さんも名演技。ティボルトが死んだ時の演技が実にすばらしかったです。眼を大きく見開いてロミオを睨みつけ、歯をむき出しにしてロミオに殴りかかり、また剣を持って斬りかかる様は壮絶でした。拳を振り上げ、床をのた打ち回って、文字どおり全身で悲しみにくれる踊りも凄まじかったです。このシーンでのキャピュレット夫人は髪を長く垂らしているので、乱れた髪の毛が顔にかかって、なおさら迫力がありました。

  湯川さんのキャピュレット夫人はジュリエットに優しく接する母親で、パリスとの婚約を嫌がるジュリエットを痛々しく見つめていました。それでも、「女には、好きな男と結ばれることなんてないのよ、あきらめてちょうだい」という感じの悲しげな表情で、ジュリエットを諭しているようでした。キャピュレット夫人も意に沿わない結婚をさせられたのだな、とさえ感じました。

  ジュリエットが死んだと分かったシーンでも、はじめて父親らしく心から嘆き悲しむキャピュレット卿に対して、キャピュレット夫人はあきらめたように目を閉じていて、好きでもない男と結婚させられる前に死んで、むしろよかったのかもしれない、とキャピュレット夫人が考えているかのような印象を受けました。

  ロザライン役の川村真樹さんは、とにかくお美しい!!!新国立劇場バレエ団で最も美人だと思います。物静かだけど、冷ややかでプライドの高そうな表情が良かったし、長いドレスもよく似合っていました。後ろ姿もすっとしてきれいでした。

  穴場で良かったのはヴェローナ大公役の内藤博さんで、第一幕だけの出演ですが、深みのある演技を見せました。キャピュレット家とモンタギュー家の乱闘で死んだ人々をじっと見つめ、死んだ人々にとりすがって泣き、大公に悲しみを訴える女性たちに、慈悲深い仕草で手を差し伸べて慰め、それから両家の人々を厳しい表情と視線で非難する演技がすばらしかったです。

  3人の娼婦役、寺田亜沙子さん、堀口純さん、北原亜希さんも、演技も踊りも申し分ありませんでした。素が良いせいと、ヅラが控え目だったせいと、メイクがちょい薄めだったせいで、みなさんきれいでした。目を覆いたくなるような英国ロイヤル・バレエのヴァージョン(ヅラが特大ボリューム、メイクがおてもやん)とは大違いです。

  踊りはなめらかで、やはり三人で踊るときはよく揃っていました。かといってコチコチな感じではなく、明るくて生き生きしています。演技については、基本的に生まれ育ちのおよろしい日本のバレリーナのみなさんに娼婦が演じられるのか、と偏見を持っていましたが、表情が色っぽくて、仕草も奔放な感じで特に違和感はなかったです。

  ジュリエットの友人を踊った大和雅美さん、井倉真未さん、細田千晶さん、川口藍さん、加藤朋子さん、盆子原美奈さんも、やっぱりきちんと踊れるダンサーたちが踊るときれいだな、と思いました。演技もちゃんとしていて、マスク姿のロミオを見て、ジュリエットと同様、ジュリエットの友人たちも見知らぬこの青年に心惹かれ、それで中の一人(大和雅美さん)がロミオと一緒に踊ったのか、とやっと分かりました。

  マンドリン・ダンスはねえ、あの衣装は、もしかしたら回転したときに、あの細長いビラビラが直線的に翻って印象に残る視覚効果を狙ったデザインかな、とふと思いました。でも、やっぱりあれはないよな。26日、1日のソリストがグリゴリー・バリノフで、バリノフの踊りがすっごい良かっただけにもったいないです。よく見たら、5人(アンダーシュ・ハンマル、小口邦明さん、清水裕三郎さん、田中俊太朗さん、原健太さん)は顔も茶色のドーランを塗ってて、バリノフもバカ殿みたいなメイクをしてました。みんな異様に明るい笑顔で踊っていて、実はけっこう楽しいのかも、と思いました。

  群舞のみなさんも、演技も良し、踊りも良しで、もうこのマクミラン版『ロミオとジュリエット』を、新国立劇場バレエ団の定番レパートリーにするだけの能力は全体的にあると感じます。特に、みんな演技がすごく良くて、しかも踊っていても演技していてもとても楽しそうというか、とにかく生き生き、ノリノリなように見えるんです。実際は大変なのだろうけど、でもそう見えるというのはすばらしいことなんじゃないでしょうか。

  東京フィルハーモニー管弦楽団は、特に1日の演奏が気圧されるほど凄かったです。たとえば、第一幕でヴェローナ大公が両家を非難するときの音楽と、第三幕の前奏曲は同じでしょ?あの音楽は凄絶なほどに美しかったです。すごい大音響でジャージャージャーン!って演奏された下から、弦が静かに出てくるよね。あの瞬間は鳥肌が立ちましたよ。オーケストラの奏者のみなさんはもちろん、指揮の大井剛史さんも優れた音楽家だと感じ入りました。

  今回の公演を観に行って本当によかったです。
コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )


新国立劇場バレエ団『ロメオとジュリエット』(6月26日)-2

  26日の公演があまりにすばらしかったので、急遽、7月1日の公演にも行きました(笑)。主要キャストはともに同じなので、1日の舞台であらためて気づいたことなどもあわせて書きます。

  ジュリエット役のリアン・ベンジャミンは、ラスト、ジュリエットが自殺するシーンで、なんと眼を開けたまま死んでおりました。眼を開けたまま死ぬジュリエットを見たのははじめてです。でも、むごたらしい様ではなく、ミレーの「オフィーリア」のような、美しくて切ない感じでした。

  ロメオ役のセザール・モラレスは、ちょっと異色のダンサーだと思います。モラレスはチリの出身です。南米出身のダンサーというと、特に男性ダンサーは、「柔軟な身体と強靭なバネでパワフル且つしなやかに踊る」のがありがちな特徴です。モラレスも、確かに柔軟な関節と身体を持っているらしいのですが、しかし、彼の踊りは完全なヨーロピアン・スタイルで、ヨーロッパ人独特の硬質なポーズと動きをします。

  モラレスのこの踊り、南米色、つまり柔軟な身体だの強靭なバネだのを強調せず、逆に抑制しさえして、常に中庸を保って振付どおりに丁寧に、端正に、ゆっくりとためを置いて踊るのが非常に魅力的で、私はすごく好感を持ちました。

  モラレスのロミオの踊りも非常に安定していました。もちろん、マクミラン版のロミオを踊り慣れているせいもあるでしょう(でも、マクミラン版のロミオをレパートリーとしているダンサーでも、その日の調子によってうまく踊れないこともあります。あのカルロス・アコスタだってそうですよ)。あとは、やはりマクミランの振付の特徴をきちんと把握して、万全の準備をしてきたのだと思います。

  踊りが安定しているだけでなく、モラレスは「超絶技巧」で自分ひとりを目立たせようとすることもありませんでした。新国立劇場バレエ団のダンサーたちの中に自然にとけこんでいました。

  たとえば第一幕でロミオ、マキューシオ、ベンヴォーリオがキャピュレット家の舞踏会に忍び込む前に一緒に踊るシーンでは、3人とも姿勢、動き、スピード、間隔がよく揃っていて、すごく見ごたえがありました。第二幕での娼婦たちとの踊り、ジュリエットの乳母をマキューシオ、ベンヴォーリオとの3人でからかう踊りも、他のダンサーたちの踊りとよく合っていて、見ていてとても楽しかったです。

  ロミオの踊りはかなり難しいらしいのですが、モラレスはそれをまったく感じさせず、あくまで自然に(ついでに控えめに)さらりと踊ってしまうのです。こういうところも、私はすごく好きですね。

  モラレスのパートナリングも良かったです。そんなに力持ちではないようですが、とにかくなめらかで、たるみやぎこちなさがありませんでした。ジュリエット役のリアン・ベンジャミンとは初めて組んだのではないでしょうか。それに、ベンジャミンとの年齢やキャリアもずいぶん差があります。でも、まったくそういうことを感じさせませんでした。

  バルコニーのパ・ド・ドゥ、寝室のパ・ド・ドゥは凄まじいほど美しかったです。ロミオが仮死状態のジュリエットを引きずる踊りでも、難しくて危険なリフト(倒れているジュリエットの腕を引っ張り上げてリフトし、ジュリエットの体を床に落す)を、無難なものに改変することなくやっていました。また、娼婦役の寺田亜沙子さんと組んでの踊りでも、寺田さんをサポートしながら、速くて複雑な動きを(これまた自然に)こなしていました。

  モラレスに関しては、本当に文句のつけようがないのです。だからまだ続けます(笑)。最もすばらしかったのは演技で、しかも文字どおり踊りと演技とが一体となっていました。大仰な表情はまったくしません。しかし、表情が非常に細緻で、眉を少しひそめたり、口角をわずかに上げたり、あとは目つきを様々に変えたりすることで、ロミオの心情が十二分に伝わってきました。

  それだけに、死んだマキューシオを抱き起こして、大きく揺さぶりながら慟哭するシーンはぐっときました。最もすごかったのが、石棺に横たわる仮死状態のジュリエットを前にしての演技でした。ジュリエットの体を抱いて、叫ぶように口を大きく開けていたのです。このシーンのロミオは、観客からはその横顔しか見えないのです。また、ジュリエットの頭を抱きかかえてうつむいているから、ロミオの表情もよく見えません。でも、よく見たら、モラレスはほとんど吼えるように口を大きく開け、表情を大きく歪ませている。まさに悲愴の一言に尽き、私はこれで完全にモラレスにノックアウトされました。

  モラレスについては、また褒めることを思い出したら書き加えますが(ははは)、最後に結論。セザール・モラレスは、コヴェント・ガーデンのロイヤル・バレエでロミオを踊っても全然おかしくないダンサーです。デヴィッド・ビントリーは、コヴェント・ガーデンにモラレスを取られないよう気をつけたほうがいいと思います。

  マキューシオ役の福田圭吾さんは適度な質感と重みのある踊りをしていて、私はこういう踊りのほうが好みです。今回、新国立劇場バレエ団のダンサーたちは、一体ナニがあったのか!?と思うほど、みな演技が生き生きしていてすばらしかったのです。福田さんもそうで、ティボルトをからかいながら踊るシーンは、難しい動きやステップをこなしながら、コミカルな表情と仕草でティボルトを挑発していて、なんか「水を得た魚」みたいだな~、と思いました。

  マキューシオがティボルトに刺されてから死ぬまでの、「マキューシオ役のダンサー泣かせの2分40秒(だっけ?)」での演技もすごく良かったです。表情が苦痛に歪んだかと思うと、次には苦しそうな顔でおどけてみせ、最後には物凄い激しい目つきと表情でティボルトとロミオを睨みつけて倒れる、いやー、実に迫力がありました。

  ベンヴォーリオは菅野英男さんで、ロミオとマキューシオと一緒に踊るシーンでも、モラレス、福田さんとの動きがよく合っていたし、速さも揃っていました。結局、三人組はモラレス、福田さん、菅野さんの組み合わせが、踊りでも見た目的にもいちばんしっくり行ったのではと思います。三人でじゃれてる姿は、本当の仲の良い友だち同士みたいでした。 
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )