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今日は福岡雄大さん(ソロル)と輪島拓也さん(大僧正)の日でした。
福岡さんは役作りでも踊りでも、ワディム・ムンタギロフより良かったのでは?踊りについては、持ち合わせている技術や身体能力ではムンタギロフのほうが勝っているとしても、第二幕のヴァリエーション、第三幕のパ・ド・ドゥのコーダでの技のチョイスは、間違いなくムンタギロフよりも適切でした。王子的なノーブル一辺倒の踊りじゃなくて、気品と同時に猛々しさもある戦士らしい踊りです。
第二幕のソロルのヴァリエーションの最後で、福岡さんはなんと、跳んだ瞬間に身体を外側へ仰向けにするジャンプで舞台一周。最後まで姿勢が崩れず、高度も落ちず、むしろ空中で一瞬静止しさえするハイレベルぶりでした。
また、第三幕で、どこって言えばいいのかな?ニキヤとの最初のパ・ド・ドゥが終わって、影たちが両脇からぞろぞろ出てくるでしょ。それからソロルが現れて、ニキヤの姿を探すように舞台中央を前後に移動するところ。あの場面で、福岡さんはきちんと両足を揃えて回転しながら舞台を縦断しました。19日のムンタギロフはなぜかやらなかったのです。あの回転は音楽にすごく合っているので、これもツボにはまりました。
福岡さんのソロルの演技もすごく良かったです。(二股かけるダメ男だけど)毅然とした態度の雄々しい(名前のとおりですな)男性で、優しくて優柔不断なだけの人物ではありませんでした。マグダヴェヤ(八幡顕光さん)に対して、高飛車で有無を言わせない厳しい態度で命令する演技、毒蛇に咬まれたニキヤを目の前にして動揺しながらも、最後にはニキヤを殺す陰謀を黙認するに至る演技などがすばらしかったです。
輪島拓也さんの大僧正は、無表情で終始厳しい目つきで前を凝視しているんだけど、その陰にニキヤへの愛情やソロルへの憎しみ、自分の密告がニキヤの死という悲劇をもたらしてしまったことに対する苦しみが感じられて、こちらも19日の大僧正だったマイレン・トレウバエフよりも納得できる人物像でした。
そのマイレン・トレウバエフは、ターバンとハデな金ピカのズルズル衣装が濃ゆい顔によーく似合ってましたが、どうしてもお笑いが入っちゃうんですなー。インド映画みたいにいきなり踊り出しそうでした。
米沢唯さんは今日がニキヤ・デビューということですが、今回のデビューは成功したとはいえないと思います。
かなり意外なことに、技術面でまだ頼りないところが目につきました(特にバランス、キープ、ジャンプなど)。もちろん、部分的に良いところは良いのです。第三幕での難しい一連の回転は見事にこなしていました。
でも全体的な印象としては、なんだかよちよち、よたよたした感じの踊りでした。第一幕は気にならなかったのですが、第二幕からこうした印象が強くなっていきました。動きはこじんまりとしていて、小さくなってしまっていました。それと関係しているのか、踊りが音楽に追いついておらず、わたわたと焦って動いているようでした。
どんなダンサーにも長所と同時に欠点があるものだと思います。米沢さんの長所はメンタルとテクニックの強さです。一方、米沢さんの「欠点」は、前々から思っていたけど書けなかったのですが、今回だけ正直に書きます。幼すぎる顔立ち、特に正面を見据えたときに目立つ、寄り目がちな子どもっぽいきょとんとした表情、そして貧弱な上半身の体型です。
米沢さんのこれらの「欠点」は、本人の努力ではどうしようもないことです。だから批判するのは非常に残酷なことです。それはよく分かっています。ただ、踊りがうまくいっているときは、これらの欠点はほぼカバーされるので気になりません。ところが、今回のように踊りが不安定で小さくなってしまうと、これらの欠点が途端に突出して目についてしまうことになります。
上で「よちよち」、「よたよた」というひどい表現を用いてしまいました。本当にごめんなさい。でも、米沢さんのニキヤを見ていて、ずっと頭に浮かんでいたのはこれらの語でした。まるで幼い女の子が大人の女性の真似をして必死に踊っているかのようで、なんだかいけないものを見ているような、複雑な気分でした。
米沢さんが身体能力の面でも技術面でも優れたダンサーであることは、去年の『眠れる森の美女』や『シンデレラ』で分かっていたので、今回のニキヤが全体としてつたない出来になってしまった理由は分かりません。
どのバレエ団も同じでしょうが、新国立劇場バレエ団も「特別強化対象」のダンサーに主役を踊る機会をどんどん与えてきました。それで見事に大成したダンサーもいれば、結果を残したとはいいにくいダンサーもいます。米沢さんは大成すると私は思っているので(実際にもう結果を多く出してきたし)、また3~4年後にニキヤを踊るチャンスが米沢さんに与えられるならば、そのときに挽回してほしいと思います。
そんなわけで、小野絢子さんがニキヤ役の第1キャストなのが納得できました。バレエ団のキャスティングって確かなのねえ。
長田佳世さんのガムザッティは悪女ではなく、ごく普通の女性でした。ニキヤが踊っているとき、ニキヤ憎しであてつけにソロルとイチャイチャするのではなく、ソロルの気持ちをなんとか自分に向けさせようと健気に努力している感じでした。また、長田ガムザッティは、父王のラジャがニキヤ殺しの黒幕であることを最後まで知りません。だから、ニキヤが毒蛇に咬まれたときに驚いてうろたえ、「なんてむごいことを!」という痛ましげな表情さえします。
王女様といっても冷酷な女性ではなく、むしろ王女様だからこそ、一時の怒りに駆られて「あの女(ニキヤ)を殺してやる!」と軽率に思ってしまうけれども、それを実際の行動に移すほど苛烈な性格の持ち主ではないようです。考えてみれば、ガムザッティは生まれ育ちの良いお嬢さんなのですから、これはこれでもっともな解釈です。
個人的にいちばんツボにはまった長田さんの演技。ソロルのことをあきらめるようニキヤに迫るシーンで、首飾りを外しながら、ニヤ~ッ、とほほ笑んだ長田さんの表情が超怖かったです。「ほ~ら、きれいな首飾りでしょ?あなたにあげるわよ。あなたのような下賤な女にはこんなもので充分よねえ?」みたいな。
長田さんの踊りもよかったです。米沢唯さんのガムザッティには、技術面では及ばないと思いますが、第二幕のヴァリエーションは終始安定した動きで踊っていました。コーダでのグラン・フェッテも、姿勢、脚の位置の変化、回り方が非常に美しかったです。
黄金の神像(ブロンズ・アイドル)は奥村康祐さん。まだまだ不安定でした。ブロンズ・アイドルを踊るには身長が高すぎる気もしますが(道化も同様)、ボリショイ・バレエだとデニス・メドヴェージェフ、マリインスキー劇場バレエだとキム・キミンなど、別に小柄というわけでもないダンサーたちも踊ってるわけだから、身長の高さは特に関係ないのかな…。
第一幕のジャンペ、第二幕のパ・ダクシオンに堀口純さんを発見。ジャンペの踊りは見ごたえありました。脚が威勢よく上がる上がる。
第三幕の第1ヴァリエーションを踊った柴山紗帆さんがとてもすばらしかったです。丁寧な踊りで、踊りの動線がなめらかにつながっていて見惚れました。
第一、二幕の群舞、第三幕の影たちの群舞はどれもよく揃っていて見事でした。影の王国のコール・ドは19日よりも凄味があったと思います。目立ってグラつくダンサーがいませんでした。神入ってたんじゃないでしょうか。
指揮のオレクシィ・バクランは、興奮してくるとしょっちゅう起こしていたダンサー無視の暴走癖が改善されたようでよかったです。ちゃんとダンサーを見て指揮してました(たぶん)。でも、19日の公演と同様、今日の公演でも、第三幕で興に乗ってきたらしく、客席に聞こえるほど大きな鼻歌を歌っていました。上記のソロルがニキヤを探して現れる場面で「ふ~んふ~んふふ~♪ふ~ふ~ふふ~ふ~♪」
今日はこのへんで。
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新国立劇場バレエ団の『ラ・バヤデール』、直近の公演は2011年1月だったっけか?なんか久しぶりだな~、という気がしたと思った。4年ぶりか。
第一幕が40分、第二幕が35分、第三幕が40分、休憩時間を含めて3時間弱で上演が終わる、「世界最短」の『ラ・バヤデール』です。
最近観た『ラ・バヤデール』は、マリインスキー劇場バレエ、キエフ・バレエ、ボリショイ・バレエとオール東側でした。新国立劇場バレエ団が用いている音楽は、西側のバレエ団で用いられてるジョン・ランチベリー版を、ランチベリー自身が新国立劇場バレエ団のために特別に編曲し直したものだということです。
東側で用いられている音楽とは編曲がだいぶ異なり、また各シーンの音楽がかなり短縮されています。最近観た『ラ・バヤデール』がみな東側のものだったため、編曲の違う音楽、シーンの短さとスピーディーすぎる進行に、最初はかなり違和感がありました。が、観ているうちに慣れました。
今日は中学校だか高校だかの団体観劇が入っており、制服を着た女子生徒さんたちがたくさんいました。みなお行儀のよい子たちでした。でも、子どもに見せるのに、なにも今日みたいなキャストの公演を充てなくてもいいのに、もったいない、と正直思いました。
小野絢子さんが踊るニキヤを見て、日本人バレリーナによるこれほどのニキヤを目にできるとは、と感慨深い思いになりました。ガムザッティを踊った米沢唯さんについても同様で、ガムザッティをこれほど踊れる日本人バレリーナを見られる日が来るとは、とこれまた感動。
米沢さんのガムザッティがまたイヤ~な女でね(笑)。マリインスキー劇場バレエのエカテリーナ・コンダウーロワのガムザッティも相当ヤな女だったけど、それに匹敵するよ。ニキヤの目の前でソロルとわざとイチャつき、動揺するニキヤを見て気味良さげにほほ笑む、ニキヤが毒蛇に咬まれたのは父王のラジャの差し金だと知っているんだけど、ソロルに「どういうことだ!?」と問い詰められても、「えっ?私、知らな~い」と白々しい表情でしらばっくれる。いや~、イイねえ、ワルい女で(笑)。
第二幕のパ・ド・ドゥのコーダ、ガムザッティの2種フェッテ連続シーン。米沢さんは片脚を高く上げてからアティチュードに移るフェッテを完璧に決めた後、続けてのグラン・フェッテでは2回転を入れて回りました。無理してる感ゼロ。また言うけど、日本人バレリーナでも出てきたよ、こういうガムザッティを踊れる人が。
新国立劇場バレエ団が上演している牧阿佐美版『ラ・バヤデール』の面白さの一つは、音楽は西側版(ジョン・ランチベリーの編曲版)を用いているのに、ニキヤの踊りの振付は東側版(ロシア、ウクライナ)を用いているとこです。たとえばナタリア・マカロワ版のニキヤの踊りは、西側のバレリーナたちに特化した振付になっています。早い話が難度を落としてある。第二幕のニキヤのソロなんかがそうです。ところが、この牧阿佐美版のニキヤの踊りの難度はロシア系のまんまで、早い話が容赦ないです。
小野さんももちろんロシア系の振付で踊りました。でも、困難すぎる振りは無理せず易しいものに変えていました。また、第三幕、ニキヤがヴェールを持ったまま回転する踊りの後半、あのクソ難しい片脚ターン2回のところで、小野さんは途中から脚を下ろして両足で回りましたが、これは改訂振付自体がそうなっているのかどうか不明。もう1回観に行くことにしたので、そのときに確認してみます。その前のソロルとのパ・ド・ドゥの途中でも、なんか不自然な間が空いてた気がします。これも次に確かめてみよう。
…といっても、スヴェトラーナ・ザハロワ、ディアナ・ヴィシニョーワ、エカテリーナ・コンダウーロワ、ナタリヤ・マツァーク、オリガ・ゴリッツァ、エカテリーナ・クリサノワと比べての話です。小野さんの踊りは見事だったし、あれほど安定した技術でニキヤを踊れることに驚くべきでしょう。
女性コール・ドは乱れが少し目につきました。第三幕の影の王国、最前列や中央にいるダンサーさんたちは決してグラついてはいけません。信頼されてこその最前列と中央なんだから。
ソロル役はワディム・ムンタギロフでした。ひょっとしたら今回がソロル・デビューでは?王子役よりは生き生きしてて、ムンタギロフはこういう役のほうが合っているのかもしれないと思いました。役作りのほうは、ソロルというよりはアルブレヒト(『ジゼル』)みたいな感じでしたが。これはムンタギロフが英国で活動していて、英国バレエを踊っていることの影響もあると思います。なんかこう、踊りも演技もソロルっていう人物になりきれていない、そんな印象でした。戦士にしては優しすぎるの。
ムンタギロフはロシアのダンサーの踊るソロルを見て研究したそうですが、第一幕冒頭でソロルがジャンプしながら登場する出だしは、現在のグリゴローヴィチ版の模倣かいな。
大僧正がマイレン・トレウバエフでした。こちらもちょっとまだ板についていない感じ。笑かそうと思ってたわけはないのですが、演技が大仰すぎる印象でした。大僧正は演じようによってはすごく深みのある人物になり、物語に奥行きをもたらすことができるので、少し物足りなかったです。
ラジャ役の貝川鐵夫さんは顔にペンで皺を引きまくってましたが、渋いナイスミドルな長身イケメン王でした。貝川さんというと、どうしても貝川さんの当たり役、アシュトン版『シンデレラ』のウェリントンを思い出して笑ってしまいます。
第二幕のパ・ダクシオンと第三幕で第2ヴァリエーションを踊った堀口純さん、プティパをここまでダイナミックに踊る人も珍しい(皮肉じゃないよ)。うまく説明できないけど魅力的なんだよなー。なんでだろう?堀口さんが出てくるとワクワクするようになっているわたくし。堀口さんの踊るガムザッティとか、オデット/オディールとかを観てみたいな~、と思いました。
新国立劇場バレエ団の『ラ・バヤデール』の特徴は、上演時間が世界最短であろうということですが、もう一つ、舞台装置と照明が世界で最も美しいことです。これは断言します。世界のバレエ団が使用しているどのセットと比べても、別格の美しさを持っているでしょう。特に第三幕は筆舌に尽くしがたい美しさ。
装置・衣装・照明をデザインしたのは、アリステア・リヴィングストンというイギリスのデザイナー。プロダクションの一切は新国立劇場バレエ団のために制作されたものです。2回目を観に行くことにした理由は、あの美しい装置と照明をもう一度見たいからというのもあります。
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