これからできること


  安全保障関連法案が参議院で可決・成立しました。与党が数で圧倒的に勝っている以上、これは避けようのなかったことです。もう済んでしまったことは仕方ありません。次にできることを今から準備しておきましょう。

  来年の夏、任期満了(2016年7月25日)による参議院議員選挙が行われます。現在の参議院議員の半数が対象となります。 

  前の記事で紹介した 国会議員いちらんリスト で、安全保障関連法案に賛成した自由民主党、公明党、次世代の党、日本を元気にする会、新党改革に所属し、任期満了日が2016年7月25日になっている議員をチェックしておきます。彼らはもちろん来年の選挙で再選されたい人々です。

  任期満了日が2016年7月25日になっている議員の中で、自分に投票権のある選挙区選出の議員名、更に比例代表の議員名をチェックしておきます。が、もちろん比例代表の場合は、上記5つの政党名だけを覚えておけばOKです。

  虎の威を借るといいますか、今の自民党の大部分の議員たちには、一個の政治家としての個人的な信念や責任感というものが感じられません。自分たちが圧倒的多数を占めていることに安心しきって、群れなしてやりたい放題に振る舞っているように見受けられます。彼らのつけ上がりようと傲慢ぶりは、見ていて極めて不愉快です。

  自民党の権力を自身の権力とカン違いしている議員たちは、自民党からひっぺがして、布衣の身分に落とす必要があると思います。与党の議員という肩書きを失なったら、自分には何も残らないことに気づいて、少しは正気に戻るでしょう。
コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )


さあ、あなたの選挙区の国会議員をチェック!


  安全保障関連法案に賛成している各政党所属の国会議員リスト(もしくは将来の戦犯候補者リスト)です。今後のために彼らの名前をよ~く覚えておきましょう。


   自由民主党

   公明党

   次世代の党

   日本を元気にする会

   新党改革


  こんなお役立ちサイトも。→ 国会議員いちらんリスト :両院全議員の公式サイトへのリンク、議員会館の部屋番号、電話・FAX番号(直通)、地元事務所の住所と電話・FAX番号、問い合わせフォームへのリンク、メールアドレスが載せられています。衆議院議員については、各議員の賛成、反対、退席の別が記されています。ご自分の地元選出の議員が、戦犯候補者の一人かどうか見てみましょう。


  「安全保障関連法案についてロクに理解もできてないクセに反対反対ばっかり言うな」という説は気にする必要はありません。

  たぶん安倍ちゃん(成蹊小学校→成蹊中学校→成蹊高校→成蹊大学という絵に描いたよーな内部上がり。人生で一度も受験しないで済んできたなんて羨ましいっす)も、ほんとはよく分かってないろうから。

  物事ってのは最も大事な本質だけを把握しとけばそれでいいの。

  現行の「個別的自衛権」ってのは、「日本が直に攻撃されたらそれに応戦していい」ってことです。たとえば北朝鮮や中国が日本を攻撃してきたら、日本は自国を守るために応戦してもよいってことです。

  安倍ちゃんたちが目指している「集団的自衛権」ってのは、「日本は直に攻撃されてないけど、成蹊の内部上がりでアタマが良くって"この国の最高責任者"で天皇陛下より偉い安倍ちゃんが、日本にも関係あるもん、と決めた戦争には日本も参加していい」ってことです。たとえば、シリア空爆に日本も参加していいってことです。

  だから安全保障関連法案は超危険なの。アメリカが世界のあちこちで戦争に介入したり、またわざと紛争や内戦を勃発させたりしている行為に、日本も加担する結果になるから。日本が世界各地で起きている戦争、紛争、内戦に参加すれば、在外日本人に対するテロ事件、また日本国内でテロ事件が起こるリスクも高まります。

  日本ははるか極東にあるし島国だから安全、ってことはありません。アメリカだって、高みの見物気分で紛争地から遠く離れているから自分たちは安全だと思い込んでいたけど、いわゆる同時多発テロ(9.11事件)が起きたでしょう。で、またそれを理由にして新しい戦争を中東でどんどん起こして、今や泥沼状態に陥って収拾がつかなくなっていますよね。

  日本は同じ轍を踏んではならないと思いますよ。「グローバル」なんてもういいよ。また鎖国しようよ。東京に出島作ってさ。

  今こそLet's尊皇攘夷。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


マーディ・フィッシュ2回戦試合後インタビュー(2)


  問:なんだか悲しそうですね。病気のせいで選手生活が終わってしまったからですか、それとも現役生活が終わったという現実のためですか?

  フィッシュ:もちろん病気のせいで選手生活が終わったからではありません。試合に負けたばかりの今、私は面白い気分ではないだけです(笑)。確かに不安障害を患ったことによって、私は、まあ、気分が良くないときには少しゆううつになります。しかし、いや、そりゃそうでしょう、(敗戦というのは)そこに身を置くのにかなりな労力が要ることですからね。でも、観客のみなさんが盛り上がってくれたことは、私の最後の試合で本当に良い思い出になりました。それは明らかに試合がフルセットにもつれ込んだからではなく、私の現役最後の試合だったからです。


  問:自分の中で不安や緊張を作り出してしまう期待やプレッシャーについて言及されましたが、(第4セット)で5-4とリードしてサービング・フォー・ザ・マッチ(←このサービス・ゲームをキープすれば勝てる)を迎えたとき、そうした期待やプレッシャーを感じていましたか?

  フィッシュ:いいえ、特にあのときに限ってということはありません。確かに私はこれはチャンスだと、活かすべき大きなチャンスだと思いました。しかし、それは一瞬のうちに過ぎ去ってしまいました。先ほども言ったように、私は両脚に痙攣が起き始めていたので、これは困ったことになったと思いました。私はできるだけ水分補給をして、痙攣を緩和させようと懸命に試みました。できることはみなやりました。でも私の体は疲弊しきっていて、それで動きが止まってしまったのです。


  問:あなたの両脚が痛んで痙攣を起こし始めたとき、自分に何と言い聞かせていたのですか?もしこれが全米オープン、もしくはあなたの現役最後の試合ではなく、他の大会や試合であったなら、あなたは棄権していたのでしょうか?

  フィッシュ:いいえ、私はやはり打開しようとしたでしょう。私は今までのキャリアで、痙攣というものをほとんど経験したことがありませんでした。キャリアの初期には、今回のように痙攣が起こるほどの長時間の試合をしたことはなかったですし、それに(キャリアの)終盤…2010年から(不安障害を発症した)2012年まで、痙攣なんぞ心配する必要がなかったほど調子が良かったのです。ですから、痙攣を起こしたときは、やることなすことすべてが最悪の状況を生んだのです。でも、つまり、少し…そうですね、もう燃料切れを起こしかけていたのでしょう。そういうことです。


  問:痙攣が起きていたときには、自分自身に何と言っていたのですか?

  フィッシュ:こりゃ困ったぞ、ですね(笑)。いいえ、私はさして考えていませんでした。それと、痙攣が始まったのは、そうですね、(第5セット)3-3、そして3-4で私のサービス・ゲームになったときです。私はなんとかウィナーを打ってサービス・ゲームをキープできないものかと模索していました。私は15-40というチャンスを得ました。それは、故障が生じていて、自分が押し切れると分かっている相手との試合はやりづらいもので、私がまさにそんな対戦相手の立場にいたからです。私には分かります。私はそんな経験はさほどありませんが。相手の身体はもう限界のようだ、と分かっている場合、そんな相手と試合をするのは逆にすごく大変なんです。それで、私は第5セット第8ゲームの前までは、彼(ロペス)よりもチャンスが回って来たわけです。実に多くのチャンスがね。だから、私はこの苦境を本当に乗り切れるのではないかとさえ思いました。でも、私は自分が苦しい立場に置かれていることも自覚していました。


  問:あなたが病気に対処しなくてはならなかったことを考えると、この数ヶ月の間、また数年の間に、一選手として、一個の人間として、自分が成し遂げたことについて、あなたが最も大きな充実感を得るのは何だろうと思いますか?

  フィッシュ:それは難しいですね。つまり、私は毎晩眠りにつくとき、…私は自分のキャリアの晩年において、自分がどんなに一生懸命に努力してきたかを思えば、とても快適に眠りにつけます。この(現役生活を終えた)夏がどんなふうに過ぎていったかを考えると、とても心地良い思いです。個人的にはただただ穏やかです。なぜかというと、私はここ数年間、自分のキャリアが終わらなかった、つまり、自分の思い描いていたようには終わらなかったことにがっかりしていました。でも、それが変えようのない現実ならば、自分が置かれた状況の中で、できる限りのことをしてみればいいのです。もちろん、それは辛いものです。ええ、辛いものなのです。それは、たとえば、こんなふうに記者会見で質問に答えていると、時おり打ちのめされるような気分になるのです。こうして質問に答えるなんて、これが最後の機会でしょうから。


  問:どんな思いになるのですか?

  フィッシュ:(質問に対して)悲しいとか愉快だとかいうことではありません。私はこうした記者会見を数多くこなしてきましたからね(笑)。つまり、これは面白い生活習慣でしょう。テニス選手として、プロのアスリートとして過ごしていく上での、(一般人とは)異なる生活習慣です。そうでしょう。こういう記者会見場で、記者のみなさんからの質問に答えるなんて、よほど特異なことですよ。そして、私はたぶんもう二度とこういうことをしないわけです。違和感を覚えます(笑)。


  問:ゴルフをするのもいいですが、プレッシャーを感じることなく、テニス選手として新しく活動する機会だってありますよね。たとえばインターナショナル・プレミア・テニス・リーグ(IPTL)などです。いつの日か、あなたが興味を抱いてやってみようという気になることはあるのでしょうか?

  フィッシュ:はい。テニスは私の人生の一部分であり続けるでしょう。私はいつでもテニスの傍にいます。ええ、ですから私はテニスからそんなに離れるつもりはありませんよ。アメリカ・テニス協会(USTA)にできる限り協力するつもりです。若いアメリカ人選手たちのためです。私には(プロテニス選手として)15、6年間以上もの多くの経験があります。私は6歳からテニスの大会でプレーしてきましたから、27年間の長きにわたる大会出場歴があるということになります。まあ今は終わりましたけれどね。


  問:現役生活を終えること、この全米オープンで終えることはどんな気分なのなのか、あなたはジェームズ(・ブレーク)やアンディ(・ロディック)と話したと思います。あなたがたはこの数日間、またこの数時間をどのように過ごしたのでしょうか?

  フィッシュ:先ほど言ったように、(敗戦直後で)私は充実感なるものを抱けていないので、それはまだ重要なことではありません。今は辛くて違和感があるだけです。ジェームズとアンディはこの全米オープン開催中(2012、2013年)に引退宣言をしましたから、私とは少し違う感覚だったでしょう。私はしばらくしてそれを知りました。私はアンディを個人的に知っていましたので、アンディが引退した経緯については知っていました。彼は自分でも分からなかった…、彼は引退を宣言した際、その寸前になるまで自分が引退することになるだろうとは、自分でも分からなかったんです。一方、ジェームズは(自分が引退するだろうことをあらかじめ)知っていたかもしれないし、あるいは知らなかったのかもしれません。彼は多くを語らなかったので。あなたの質問の最初の部分は何でしたっけ?


  問:彼らがあなたに話したことや、あなたが予想していたことは、あなたの期待に沿うものでしたか?

  フィッシュ:ええ、ええ。はい、そうですよ。つまりね、私は今日、自分の荷物を持ってロッカー・ルームを出て行く際、深々とお辞儀をして私を見送ってくれるような人を探し回るつもりはないんですよ。いいですか、そんなことは…、そんなことされたら居心地が悪いし、それは私が求めていることでもないんです。自分がこの夏に計画したことをすべてやり遂げられて、私はそれで幸せなんです。


  問:これがあなたの最後の記者会見となることについて、奇妙な感覚だと言いましたね。それは当然のことだと思います。私はあなたが自分の病気について自ら綴った手記を読みました。その中で、あなたは自分自身を、勝利と低迷とかいったスポーツ用語で定義されたくない、と書いていたことが印象に残りました。あれはスポーツの話というよりは、人生の話ですね。

  フィッシュ:なるほど。


  問:人生の物語としては、そのどんな面を、つまり、あなたは自身の人生の物語をどんな言葉で定義したいですか?あなたのテニスではなく、あなたの人生について、あなたは私たちにどんなことを考えてほしいですか?

  フィッシュ:ええ、そうですね、ただ私が…、ただ私が(同じように不安障害を抱えている)他の人々の役に立った、ということ、男らしくあるべきだろうがそうでなかろうが、私が不安障害という話題についてオープンであった、率直であったということです。私たちはテニス選手として、とても若い年齢のころから、弱さを見せてはならない、と訓練されてきました。私は自分のキャリアにおいて一貫して、弱さを見せないことにすごく長けていました。私は調子が良くないときも愚痴を言おうとしませんでしたし、それどころか、気分が良くなくてもコート上では虚勢を張ろうとし、つまりは、自分の弱い面を見せようとしなかったのです。でもだからこそ、私は自分の人生におけるそうした部分について率直でいられるのです。なぜなら、私が自分の病気について話すときに、それが大いに助けになってくれるからです。自分の不安障害について話すときに、私を楽な気分にさせてくれるのです。不安障害という病の渦中にある人々を支援し、最悪の時期に陥ってしまっている人々が参考にできる存在になることができたらと思います。彼らは病気から脱け出すことができます。私という実例があるのですから。彼らは病気を克服することができるのです。(終)


  誤訳が多くありますので、ご教示下さいましたら幸いです。代名詞と"sort of"の嵐には参った(汗)。


  不安障害という病気を発症する原因は人それぞれで、症状の種類、程度や完治にかかる時間もまた人それぞれです。その症状には大まかなパターンがあり、フィッシュの場合は動悸がその主な症状であったようです。インタビュー中に心拍計、心拍数、心電計うんぬんの話が出てきましたが、不安障害の症状として動悸がする場合、心拍数も実際に増加するのはよくあります。フィッシュはこのとき同時に、自分は死ぬのではないかという、地の底にずずずーっと引き込まれていくような、大きな恐怖感も体験したはずです。

  「不安」障害という病名で誤解されがちですが、不安障害は不安になるとかパニックになるとかいう精神的な症状だけの疾患ではなく、不安が引き金になって、実際に一連の身体的な症状が現れる病気です。発作を引き起こすその不安は「予期不安」と呼ばれますが、必ずしもその「不安」を本人が自覚できるわけではありません。発作による症状が突然、まるで天から一気に覆いかぶさるように襲ってくることもあります。

  治療はおそらく、投薬とカウンセリングやセラピーの併用が一般的ではないかと思います。フィッシュも投薬治療を受けたと話していますし、それになぜ自分が不安障害になったのか、その遠因や原因を説明しています。これはカウンセリングやセラピーを通じて自己分析した賜物でしょう。個人的には、薬によって予期不安や発作を抑えることと同時に、医師、カウンセラー、セラピストとの対話によって、自分が知らず知らずのうちに抱えていた問題を自覚することが、治療には非常に有益だと思います。

  不安障害とは、「表面的な自分」に抑えつけられていた「内にある本当の自分」が、「もうこれ以上頑張るのは無理!」、「もうこんなことやめない?」、「もういいかげん自分をいたわろう?」、「自分が本当はどう感じて、どう思っているのかそろそろ直視したら?」と主張し始めたようなものではないでしょうか。

  フィッシュは「いつも強くあらねばならない」、「いつも元気でなくてはいけない」、「いつもすばらしいプレーをしなくてはならない」、「決して愚痴を言ってはならない」、「決して弱さを見せてはならない」と、自分で自分に過剰なプレッシャーをかけ続け、本当はツアーを回る生活に疲れ果てていたにも関わらず、それでも自分の限界を超えて頑張り続けてしまいました。その結果、ついに内にある本当の自分がギブアップして、大きな発作を起こすことによって、「もうやめてくれ!」と救いを求めて悲鳴を上げる事態に至ったのだと思います。

  自身の不安障害について、フィッシュは「起こるべくして起きた」と述べています。私は、フィッシュが病気になったことは、彼が破滅を免れることができた最後の防御でもあった、という見方もできると思います。不安障害にならなかったとしても、いずれ別の形で、しかも最悪の形で爆発していたことでしょう。

  3年という時間はかかりましたが、フィッシュは見事に復帰しました。しかも、プロテニスという非常に過酷な世界にです。フィッシュが言っているとおり、不安障害は必ず治る、のです。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


マーディ・フィッシュ2回戦試合後インタビュー(1)


  マーディ・フィッシュ2回戦試合後の記者会見( USオープン公式サイト )。2回戦の対戦相手はフェリシアーノ・ロペス(第18シード、スペイン)で、フィッシュは6-2、3-6、6-1、5-7、3-6のフルセットで惜敗し、現役生活を終えました。


  問:(試合、そして現役生活を終えて)どんな気持ちですか、マーディ?どんな気分ですか?

  フィッシュ:言葉にできません。まだ試合が終わった直後で、最高の気分を感じられないので。だから、まだ実感が湧きません。ええ、ただ、…やっぱり分かりません。そうですね、もう少し時間が経ってから、ちょっとは良い気分を実感できるようになるでしょう。


  問:過去の数年間にあなたがどれだけの数の試合しかできなかったかを考えれば、5セットを戦い抜いたというのは誇りに思うべきでしょう?

  フィッシュ:ええ、大したことではありませんが。そうですね、何度か自分を苦境に立たせてしまいましたが、うまく切り抜けることができました。それでもう充分です。


  問:第4セット、あなたが5-4でリードしたときの気持ちを表現して下さいますか?あなたは自分が試合に勝利することに疑念を抱いているように、いささか見受けられたのですが。(※ここでフィッシュが自分のサービス・ゲームをキープすれば試合に勝利できた。)

  フィッシュ:いや、そんなことはありません。第4セットの最後、私は相当な疲労を感じ始めていましたし、脚にも何度もひどい痛みが走るようになっていました。ですから、(5-4になったとき)これは(試合に勝てる)チャンスだと思いました。ですから、わざわざ悪いタイミングで、この日最悪のゲームをしたわけではないのです。つまり、私は長い間、あのような立場に置かれていませんでしたから。それでああなってしまった(ブレーク・バックされた)んです。


  問:(対戦相手の)ロペスが、あなたがたが試合後にネットで挨拶を交わした際、ロペスはあなたに対して、あなたのほうが勝利にふさわしかった、あなたは自分を凌駕していたと思う、と言った、と語っていました。あなたにとってどんな意味を持つでしょうか?

  フィッシュ:私もそう思いますよ(笑)。いいえ、私と彼とは何度も戦ってきました。私は何度か彼に勝つことができました。私は(今日)うまくプレーできていました。確かにこの試合に勝てる機会はありました。


  問:あなたは一貫してすばらしいプレーをしていました。(6-1で取った)第3セットではどんな思いになったのですか?たとえば「俺はあきらめるわけにはいかない、続けるんだ」と?

  フィッシュ:いいえ、それはありません。


  問:気持ちを立て直したりはしなかった?

  フィッシュ:ありませんでした。


  問:あなたのこれまでのキャリアから、また、あなたが一連のチャレンジに取り組んできた姿から、人々にどんなメッセージを最も汲み取ってほしいですか?

  フィッシュ:分かりません。でも、私はたくさんのすばらしい思い出に恵まれました。すばらしい思い出に多く恵まれましたし、ここではすばらしい勝利を多く手にすることができました。ここでは実にたくさんの人々と、本当にすばらしい友情を築き上げることができました。ええ、私はそのことを懐かしく思い出すことでしょう。(私のキャリアと闘病に関する)あなたの質問には答えられません。うーん、微妙なところですね。私のキャリアについては、誰か、他の人々、みなさんによって判断が下されるべきだと思います。それから私の病気のことについては、ええ、私は私にできるやり方で(同じ病気を抱える人々を)手助けし、私の経験を分かち合うでしょう。私が何度も言っているように、それが他の人々の助けになるならば、それはすばらしいことです。


  問:あなたが経験してきたことについて、そして、健康上の障害について、あなたが人々に教訓としてほしい最も重要なことは何だと考えていますか?

  フィッシュ:それは、病気に打ち克つことができる、ということです。自分を前に進ませることができる、ということです、それはいつでも生活の一部であるわけですが。そして、辛い状況の中にあっても前進することはできるし、やがて乗り越えることができるのです。私はこの大会で、その実例をお見せできたかもしれませんね。


  問:第4セットで、脚に鋭い痛みがあったとのことですが、肉離れを起こしていたのでしょうか?(試合を続行することを)あきらめなくてはならないのではということについて考えましたか?

  フィッシュ:いいえ、あきらめてはいませんでした。筋痙攣を起こしていただけです。それは3歩か4歩、2歩か3歩動くと、両脚の両側に起こりました。ですから、そうですね、(試合続行を断念して)コートから去ることもできたでしょう。でも、私はあのとき、絶対に(試合を)やめたくはなかったんです。


  問:あなたはこの全米オープンを現役最後の大会として選びました。この大会はあなたにとってどんな意味を持っているのでしょうか?あなたが予想していたよりも激しい戦いになりましたか?お決まりの「さよならツアー」をやる人々もいますが、あなたは今日の試合だけでも、非常に凄まじい気力に満ちあふれ、凄まじい戦いをやってのけました。

  フィッシュ:ありがとう。ええ、私は復帰しようとかなり努力してきました。確かに私は数年前ほどの良い状態ではありませんでした。おそらく、数年前の私だったら痙攣は起きていなかったかもしれませんし、今日の第5セットでも良い状態を保てていたかもしれません。でも、私は今の自分にできる限りの努力をしました。私の身体ではこれが精一杯です。だから、私は自分の持てる限りを尽くしましたし、あれが私の持てるすべてでした。


  問:なぜ復帰に最適だと考えたのか、教えていただけますか。

  フィッシュ:3大会(アトランタ・オープン、シティ・オープン〔ワシントンD.C.〕、シンシナティ・マスターズ)のことですか?それともこの全米オープン?


  問:いえ、3大会です。復帰して別れを告げた。

  フィッシュ:ええ、それはあの3大会は私の好きな大会だからです。私が最も成功をおさめたことのある大会で、長年の間ずっと私を応援してくれているファンの方々がいます。特にアトランタとシンシナティ、そしてこの全米オープンがそうですね。つまり、私はこの全米オープンを…明確な意思をもって、この全米オープンを最後の大会にしたかったのです。私の過去数年間にわたる健康上の問題がなかったとしても、私はこの全米オープンを現役最後の大会として選んでいたでしょう。最も大きな大会で、最も楽しく、出場したい大会ですから。でもやはり、2012年に起きたこと(不安障害の発作)のために、この大会は特別、ないしは私にとって特別な意味を持っていたからです。


  問:これからどうするのですか?何をしたいですか?今はどうしたいと考えていますか?

  フィッシュ:アイス・バスに入ってゆっくりしたいですね(笑)。


  問:そんなすぐのことではなく。

  フィッシュ:自分が何をしたいか、自分でも分かりません。ベル・エア(ロサンゼルス)で開催されるゴルフ大会に出たいかな。最近はゴルフを存分にやっていませんでしたからね。それから仕事でいくつかやることがあります(笑)。


  問:あなたはすばらしいキャリアを積み上げ、そして2012年あたりにはアンディ(・ロディック)よりも上のランキングになりました。しかし、こう言う人もいるかもしれません。つまり、あなたは不安なんぞ一蹴し、いつのまにかプレーできるようになっていて、そして今や、より強くなってさえいるじゃないか、と。もしよければ、それまでの過程について説明して下さいませんか?

  フィッシュ:ええ、つまり、(自分に対する)期待が高まり、プレッシャーが非常に大きくなり、自分自身と他人からのプレッシャーも大きくなっていったのです。つまり、すべてはこのようにして起き、やって来たわけです。(自分に対して)過剰な期待を寄せるようになってしまった。すべての大会で、それも毎週かかさず良いプレーをしなくてはならないと、自分で自分に大きなプレッシャーをかけてしまった。確かにあれは私が欲しかった地位でした。つまりは、アメリカのナンバーワン、世界トップ10、注目を浴びる選手、という地位です。でも、私の手には余るものでした。


  問:人々から期待のプレッシャーをかけられたのと同じように、自分でも自分にプレッシャーをかけたと思うのですか?

  フィッシュ:そのとおりです。つまり、誰でも自分自身に対して、成功するようにとある程度のプレッシャーはかけるものなのですが、しかし、私の場合はまさに…私の場合はちょっと違うかもしれません。私は一生懸命努力し、自分の限界ぎりぎりまで必死に努力しようとし、コートの上でも外でも、多くのものを犠牲にしていたんです。そんなわけで、私は自分で自分をいつも辛い状態に置いていたんです。

  (その2に続く)


  誤訳がたくさんありますので、目に余る間違いがありましたら、ご教示下さいますと幸いです。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


マーディ・フィッシュ1回戦試合後インタビュー(3)


  問:あなたはとてもオープンな姿勢をとってきました。自分の病気について話すことが支えになっている、と言いましたね。同様の事情(不安障害)に対処しているアスリートたちはもっといるという実感があるのでしょうか?また、彼らは自身の病気について話すことから利益を得るでしょうか?あなたはそうするよう励ますつもりですか?

  フィッシュ:そうですね、…もちろんです。(不安障害に悩まされている)厖大な数の人々がいると確信しています。日常的に、この病気に対処しているアメリカ人は数千万人にものぼります。(選手用の)ロッカー・ルームには、(症状の)程度のいかんに関わらず、それ(不安障害)に由来する問題を抱えている、と私が確信している同僚たちがたくさんいるんですよ。私は数人の男子選手と女子選手たちに、そのこと(病気)について内々に話しかけてみたことがあります。おそらく彼らはただただ気分が悪いだけでしょう。つまり、まさにこの場所(記者会見場)で、彼らが自身の病気について話すのをカメラで撮影されることなんてね。でも、私は今はこの境地にたどりついた、ええ、自分の不安障害について話す後押しをしてくれて、今も後押しをしてくれている動機にです。これは私が自分の病気について話すのに大きな助けとなっています。今では、私は自分の経験を(同じ病気を抱えている人々と)分かち合いたいという気持ちになりました。ですから、私は(そうした人々を)手助けできるでしょう。


  問:日々の生活において、あなたは普通の日常に戻りつつあるのでしょうか?そして(脱文あり)解釈し難い瞬間(後者の質問は不明)  

  フィッシュ:手ごわいアクセントだね(笑)。まずまず戻りつつありますよ。日々まだ続いている闘いみたいなものはありますが。私はいつもその問題について考えていますし、いつもメンタル・ヘルス面での取り組みをしています。つまり、この大会(全米オープン)は、つまりは、すべてが崩壊した場所であり、また私が自分の全生涯において最悪な思いをしたのはここだったんです。つまり、自分が好きな大会で、あれは辛いことでした。だから、私は何が何でも戻ってきて、あの最悪な物語を書き直したかったんです。私は、ええ、本当に良い気分ですよ。あなたの質問に答えるならば、私は本当に長い道のりを歩んできました。まだ続いている闘いはありますが、でも私の人生はまた戻ってきましたし、普通のことをまたできるようになりました。


  問:(ロビー・)ジネプリもちょうど引退しました。彼と連絡はとっていますか?

  フィッシュ:彼は偉大なキャリアを成し遂げました。彼は最近プレーしていませんから、彼とはそんなに会っていませんが、ときどき連絡を取り合っています。彼は長年の親友ですから、彼が平和裏に引退へと向かい、大団円を迎えたことを耳にするのは嬉しいものです。この全米オープンで、彼は2005年に最高の結果を残しました。ほとんど決勝に進んだようなもの(準決勝)でした。ですから、ええ、彼の引退は大きな出来事ですが、でも、今や次世代の選手たちが上がってきていて、そして私たちの世代はほとんどみな去ってしまいました。


  問:(2012年全米オープンの3回戦の)シモンとの試合の間、どんな感覚だったのかを教えて下さるでしょうか?自分はダメになるという感覚だったのですか?それともニューヨークというプレッシャーだったのですか?あるいは何が起きたのですか?

  フィッシュ:そうですね、あれはまさに…期待のプレッシャー、あの瞬間に限定されたプレッシャーであったと思います。つまり、状況に合わせて対処しなくてはならないことがたくさんありましたし、また、試合開始時間が遅くなるという個別の状況もありました。あのときは気分が最悪でしたが、でもこれから何が起ころうとしているかには気づいていなかったのです。あの時点では助けを求めることもしませんでした。ただ何かが奇妙でしっくりいかないと思っていました。ですからあれは、ええ、本当に辛い時間でした。試合が本当に夜遅くにまで及んで、そしてたくさんの小さなことがそこで襲いかかってきて、ええ、気づいたときには、私はコートを去って、医師の診察室で体じゅうに心電計の電極を取り付けられていたのです。辛い時間でした。


  問:あなたが経験してきたことが、あなたがコーチ業に転身した際には、特別な考えや見方をあなたにもたらすだろうと思いますか?そこには…

  フィッシュ:私はコーチ業に転身するんですか?いいですね(笑)。


  問:もしそうなったら、一緒にやってみたい若いアメリカ人選手はいますか?

  フィッシュ:喜んで手助けしますよ。ええ、今度のオフシーズンには、ロサンゼルスで何人かの選手たち、何人かのアメリカ人選手たちを手伝う予定です。私が思うには、私にはたくさんの…、私には自分ならではの独自の見方があるように思います。どん底にいるときにはどんな思いがするものなのか、あとは、世界ナンバーワンではなく、世界トップ10にいるときにはどんな思いがするものなのか、そして、どうやって自分自身からすべてを引き出すよう努力できるか、私は分かっているかもしれません。つまりは、明らかに、優れた若いアメリカ人選手たちが多く現れてきているのです。これから数年のうちに、彼らの成長した姿を見られる、本当にすばらしい時が訪れるでしょう。そして、ええ、私は喜んで手伝うつもりです。私にできる限り彼らを手助けし、彼らと分かち合いたいと思います。


  誤訳がたくさんありますので、正しい訳をご教示下さいますとありがたいです。最後はけっこう投げやりに訳しました。

 
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


マーディ・フィッシュ1回戦試合後インタビュー(2)


  問:シンプルなことですが、(1回戦の試合が終わって)退場するときにどう感じましたか?観客からの好意を感じましたか?

  フィッシュ:ええ、もちろんです。最後の試合はかくあってほしいものです。ずっと大事にしていきたい思い出ですね。ですから、ええ、すばらしい気分でした。(試合が)4セット(3-1)ではなくストレート(3-0)で終わったなら、(プレーする身としては)もっと助かっただろうとは思います。今夜、明日、(2回戦が行われる)水曜日のためには、(1回戦はストレートで終わったほうが)もちろん大いに助かったのですが。


  問:私たちの社会にはプレッシャーやストレスが蔓延しているとはよく言われています。最初の質問は、不安障害とは何なのかについて話してもらえないかということです。次に、よければ私たちに教えてほしいのですが、あなたは世界的アスリートなわけですが、ずっと真夜中にいるような感覚とはどんなものなのですか?あなたにはまだ動悸の症状があるのでしょうか?あなたの脳裏をよぎるのはどういったことでしょう?

  フィッシュ:つまり、不安障害とは、頭が未来のことで占められ、いつも未来のことに考えが及んでしまい、そうすると、自分の考えている出来事は現実に起こる、という予言めいたものが浮かびます。しかも、いつもそれは悪い出来事なのです。私は2012年のこの大会で(ジル・)シモンと(3回戦を)戦ったとき、そして病院に駆け込む破目になった2012年のマイアミ・オープンで、トラウマとなる経験を何度かしました。それらが雪だるま式に膨れ上がっていって、いくつかの悪い思い込みになることを助長したのです。ですから、つまり、こうして悪化していって、膨張していくものなのです。それから二番目の質問についてですが、これは気分の良いものではありません。私たち患者は、ここでは私のことですが、練習するときも、練習していたときも(発作に)備えて対処しており、私は心拍計を装着して練習するようになったので、それで私は自分の心拍数をいかにしてすみやかに下げることができるかを訓練によって知っていますし、どこまで自分の心拍数が上がるか、そしてどこまで下がるかも知っています。ふつうは動悸が起きてしまうと、それをコントロールすることはできませんよね。そこで、つまり、私たち患者はあらゆる手立てを尽くして心拍数をコントロールし、またそうするよう試みるようにしているので、心拍数を細かくコントロールすることができているのです。コントロールができないと、かなり辛いことになります。


  問:あなたのすばらしいキャリア、たとえばコロンビア(2010年デビス・カップ)や銀メダル獲得(2004年アテネ・オリンピック)といった大会での勝利は、あなたを元気づけましたか?そのことはあなたの支えになりませんか?

  フィッシュ:あまりならないですね。正直に言えば、そのようなことを思い出すと、たとえばコロンビアでの大会を振り返ってみると、3日間の間に11時間以上かけて3試合をこなしたわけで、ただこう思うのです。やれやれ、今の俺はかなり程遠い状態だよな、と。


  問:2012年に起きたこと、またこの全米オープンで起きたことについて、今日考えていましたか?(病気に関してではなく)一般的な意味で、コートに入ったときの精神状態はどうでしたか?緊張していた、あるいは不安でしたか?

  フィッシュ:いいえ、良いスタートを切れました。つまり、くり返しになりますが、気候条件のことで私の頭はいっぱいで、試合がどう進むかもはっきりわかっていました。もし試合に勝てたら、つまり、ドローにはそこそこ恵まれたと分かっていたので、もし試合に勝てたら、それもさっさと終わらせることができるなら、それに越したことはありません。それから第1セットを落としてしまって、明らかに…私は今日はコート上で多くの時間を費やしてしまっていたので、その間ずっと、私は自分自身に言い聞かせていました。大丈夫だよ、すべてうまくいくよ、元気でいられるよ、と。心の中で自分に多くを語りかけました。それができたのは、私が味わってきたあらゆる体験、出来事、闘い、そして前に進むための必死な努力から学んでいるからに他なりません。3年前だったら辛い以外の何ものでもなかったでしょう。しかし、私は長い道のりを歩んできて、自分の病気に対して本当に一生懸命に取り組んできました。今日の結果を当然のものだとは思いません。切り抜けることができて嬉しく思っています。


  問:病気に対して何らかの投薬治療を受けていますか?それとも自身で何らかの訓練などを行なっているのですか?

  フィッシュ:ええ、投薬治療を受けていました。


  問:2012年にその出来事(発作)があったとき、あなたは自身のキャリアの頂点にありました。なぜよりによってそのときに病気があなたを襲ったのか、なぜそれはあなたがまだ当時のようにプレーできていなかったキャリアの初期に起きなかったのか、考えたことはありますか?

  フィッシュ:あまり考えたことはありません。それが起こるべくして起きてしまったのは不幸なことでした。しかし私の身に起きたことは予想を超えたものでした。まったく突然に、グランド・スラムの4回戦を戦うのに充分な状態ではなくなってしまったのです。病気を発症する前の私の人生において、グランド・スラム4回戦進出というのは驚くべき成績であり、私がほんの数回しか経験したことのないものでした。つまり、それで私は自分自身に大きなプレッシャーを与え、多くの過酷な義務を課してしまいました。ええ、つまりは、これは起こることになっていたのです。私が頑張りすぎてしまったからです。ですから、それは…言い切ってしまいますが、だから私は今では、あのときに病気を発症したことが意外ではないのです。つまり、2012年の初めにはすでに、大会から大会へと世界を渡り歩く旅の生活は、私にとって本当に辛いものになっていました。その前の2011年も、11月末にシーズンを終えるまで長い1年でした。こうして、実に多くの要因が一挙に押し寄せたのです。


  問:あなたは過去数年の間に、何ら恥ずることなく、功成り名を遂げた選手として引退することができました。しかしあなたはこの夏、この一つの勝利の栄光のために復帰しました。引退について考えましたか?あるいはなぜ考えなかったのでしょうか?

  フィッシュ:うーん、私は…私は別のスポーツを始めた、などともいえますが。私はいつも…、つまり、なぜ私が「引退」しなかったのか、それには理由があるのです。なぜかというと、私はつまり、自分の望むやり方で去りたい、と深く心に決めていたからです。ですから、つまりはこれが、理由の大きな部分を占めています。それは、この全米オープンに帰ってきて、最後にもう一度この大会での体験を楽しんで、3年前に起こったことに打ち勝ち、私から引き離されてしまったものすべてを奪い返すことです。

  (その3に続く)

  誤訳がたくさんありますので、正しい訳をご教示下さいますと幸いです。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


マーディ・フィッシュ1回戦試合後インタビュー(1)


  全米オープン1回戦、マルコ・チェッキナート(イタリア)に6-7(5)、 6-3、6-1、6-3で勝利したマーディ・フィッシュ(Mardy Fish、1981年12月9日生、アメリカ)の試合後インタビュー( USオープン公式サイト )。

  フィッシュは2012年全米オープン時のシングルス世界ランキングは25位、第23シードとして出場しました。4回戦に進出してロジャー・フェデラー(スイス)と対戦予定でしたが、試合前に「不整脈」を理由に棄権し、以後3年間にわたって事実上の休養状態を続けることを余儀なくされました。現在のランキングは581位。フィッシュは今回の全米オープンを最後に引退することを発表しました。

  フィッシュが長年悩まされてきた疾患が何なのか、今ひとつはっきりしなかったのですが、フィッシュは最近になってようやく、自身が不安障害(Anxiety disorder)に罹患していることを明らかにしました。


  問:フェデラーとの試合が動悸のために行なわれなかったのは数年前のことです。あれは身体的なものだったのでしょうか?どんな事情があったのですか?また、あなたの復帰を後押ししたのは何でしょうか?

  フィッシュ:あれは…よく分かりませんが、身体的なものでした。私はこの3年間、…たぶんちょうど3年前から不安障害による問題を抱えていた、まあそういうことです。ですから、そのせいで私は復帰できないでいたのです。


  問:あなたについての記事を読みましたが、あなたは自分と同時に他の人々も支援するつもりだそうですね。ザック・グレインキー(注:メジャー・リーグ選手)や、深刻な不安障害を抱えていた他のアスリートたちと話したりしましたか?彼らはあなたにどのようなことを話したのでしょうか?

  フィッシュ:そうしたことはしていません。グレインキーは(私とは)いささか異なっていて、社交不安障害を抱えているように思います。自分が(不安障害という)問題を抱えていることを好きに知られてもよい、といった人々はそんなに多くありません。しかしそれが、まず私が自分の不安障害について話すことを後押しする理由の一つとなりました。最初に、私は個人的に自分の不安障害を打ち明け、それについて話す気になれました。そして次に、私が(病気の)すべての過程を経験している間、…私はスポーツの熱烈なファンですから、(病気の)すべての過程を味わっているときはいつでも、病気を克服した、病気によって成長した、そして(病気から)復帰して成功することができた、あるいはただ復帰しただけであっても、再びプレーすることができた、その見本となるような人物、あるいはそういった誰かの存在を、私は探し求めていました。しかし、病気を見事に克服してのけたとか、まして、病気に直面している最中だとか、そうした人物を見つけることはできませんでした。これが、(私自身が病気を公表することを後押しした)もう一つの理由です。


  問:どんな個人的な成功体験によって、あなたは今日のすばらしい復活を遂げたのでしょうか?また、あなたが出場した最後の全米オープン(2012年)時にあなたが対応していた状態と比較してみて、今日の試合が始まった直後と、試合前のウォーミング・アップをしている最中の感情に違いはありましたか?

  フィッシュ:ええ、そうですね、今となっては違います。今回が私の最後の大会出場だと分かっていますから。ですが、私はなすすべがない状態で過ごしながら、実に多くの様々な思いを味わってきました。あれは少しばかり厄介なものでした。それでも、私はすべてを受け入れようと思っています。(すでに引退した)アンディ(・ロディック)とジェイムズ(・ブレーク)、また(ツアーへの参加を)やめてしまった多くの選手仲間からたくさんの助言と、そして彼らがどんな気持ちを抱いているのかを聞きました。私が3年前にここで経験した出来事(激しい発作)と、過去3年間に私が経験してきたこと(闘病生活)のおかげで、私にとってはほんの少しの違いに過ぎません。だから、私はすべてを受け入れ、この大会のすべてを楽しもうと思っているのです。そのほうがすばらしいことですから。まあ時には大変ですが。つまり、そうですね、2012年以来でしょうか、ここに戻って来てから、私は3時間もの長い時間、またそんなにしょっちゅうはプレーしていませんでした。練習で3時間もボールを打つことはまったくなかったのです。ですから、つまり、私は当然のことながら少し…そうですね、時計を見ては病気のことがちょっと心配になるのです。こんなに長い時間を堪えられるだろうか?と。つまり、こういった心配が回りくねって、どんどん肥大していって、私が対応しなくてはならない別の問題(不安障害の発作)を引き起こすのです。


  問:不安はどれくらいでしたか?第1セット、サービング・フォー・ザ・マッチ、それから、タイブレークを落としたとき、挽回したとき、あなたはどんな気持ちでしたか?あと、立て直すのにどれほど心配で、それから感情も…

  フィッシュ:いくつ質問したんだい、ダグ?4つだったかな(笑)?


  問:アンディ・ロディックは(最後の全米オープンで)どんどん勝ち上がっていきましたし、気持ちの準備をして最後の試合に臨みましたが、そういうわけではない?

  フィッシュ:まず5番目の質問から答えましょうか(笑)。私が過去(3年間)にどのくらいテニスをやったかといえば、多くはありません。順当な試合などありませんでした。私はアンディがやってのけたような快進撃を自分に期待するつもりはありません。4回戦、準々決勝進出、といったようなことはね。ですから私はこんなふうに考えました。勝ち続ける限りは毎試合が最後の試合だ、と。そして、次の試合(2回戦)がおそらく私の最後の試合になるでしょう。第1セットでは…うーん、天気が暑くなること、湿度が上がることが分かっていました。私はかつてこうした気候条件が大好きでした。3、4年前の私だったら、加えて日射しがもっと強烈なこんな日には張り切ったに違いありません。しかし、つまり、私が対応しなければならないでいること(不安障害の発作)がありますから、それで、私は病気について、気候条件について、発作が起こりそうかについて、そして発作が起こったらどう対処するかについて、非常に大きな不安を抱いていました。たとえば、出だしで私は相手の最初のサービス・ゲームをブレークしましたが、その後ブレーク・バックされて5-5になりました。そのときに私が考えたのは、つまり、もし私がこのセットを落としたら、今日という日はおそらく抜け出すことのできない、終わりのない長いものになるのではないかということでした。しかし、私は切り抜けることができました。私は自分が良い状態でプレーできていると思いました。でもそれはほんの始まりにしか過ぎませんでした。自分の身体は持ちこたえられるだろうか?私の心は持ちこたえられるだろうか?そんなわけで、この大会に出場しているほとんどの選手たちは対処する必要がないのに、病気のせいで私が対処しなければならないことはたくさんあるのです。


  問:今回がテニス選手としては最後の大会であることについて、あなたは多くのことを考えてこられたわけですが、あなたが求めていたときには存在しなかったという、(不安障害と向き合っている)選手として、またその見本として、あなたが得た経験をどう生かしていきたいですか?


  フィッシュ:難しい質問ですね。率直に答えられるほど、その問題については考えていません。分かりませんね。うーん、メンタル・ヘルスの事項としては、私は(同じ病気を抱えている)人々を支援したいと思っています。先ほど言ったとおり、それが私が自分の不安障害について話す動機になっているからです。私が自身の不安障害について話す動機になっているのであれば、おそらく他の人々も自身の不安障害について話せるきっかけになるでしょう。過去数年間ずっと、多くの人々が、私が自身の病気を告白し、私が自身の病気について率直に話してくれてよかった、と言ってくれました。しかし、テニスの方面ではどうなのか、私には分かりません。これは私が出しゃばることではありません。他の人々が、私が彼らを代表する立場にある、と見なせばの話でしょう。ですから、それはみなさんにお任せしたいと思います。

  (その2に続く)

  誤訳がたくさんありますので、正しい訳をご教示下さいますと幸いです。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )