追記2

  Bプロカーテン・コールでのイワン・ワシーリエフ(ボリショイ・バレエ)が、いかにも気分が昂揚した様子で、参加した全ダンサーに力強く一生懸命拍手を送っていたのを思い出しました。

  真面目な顔でしきりに大きくうなづきながら、「うんうん、みんなよく頑張った!」という表情で、力いっぱい拍手していました。熱血体育教師みたいでおかしかったですが、とてもほほえましくて、ワシーリエフはこれだから憎めないよな~、いいヤツだなあ、と思いました(笑)。

  前の記事で「いきなりちょいミスをする」と書いたエフゲーニヤ・オブラスツォーワ(マリインスキー・バレエ)ですが、よくよく考え直してみると、彼女はきちんと端正に、真面目に踊っているからこそ、つまり観客の目をごまかすような小細工をしないからこそ、ちょっとしたミスが逆に目立ってしまうのではないか、と思い直しました。「ちょいミス」は、オブラスツォーワの美点がもたらす現象だと思います。

  来年、レニングラード国立バレエ(ミハイロフスキー劇場バレエ)日本公演の『ドン・キホーテ』で、オブラスツォーワはゲストとしてファルフ・ルジマトフと共演します。今度は彼女のアレグロな踊りが観られるわけで、今からとても楽しみです。

  合同ガラとはまったく関係ない話。最近は企業のTVCMにバレエ・ダンサーが起用されることが多いようですね。

  信販会社のアメリカン・エクスプレスのTVCMでは、日本人の男性ダンサーが見事な跳躍(スロー・モーション再生ですが)を見せています。シャツにジーンズ、というカジュアルな服装なのが、更にカッコよさを倍増させています。

  あれは首藤康之さんですよね?アメリカン・エクスプレスの公式サイトを見ても確認できませんでした。また全身を映しているので、顔がよく分かりませんが、あの横顔はたぶん首藤さんだと思うのですが。

後記:違いました(汗)。荒井英之さんだそうです。荒井さん、本当に失礼いたしました(汗汗汗汗)。

  荒井さんの出演するアメリカン・エクスプレスのTVCMは、荒井さんが所属する エストレーラバレエの公式サイト で観ることができます。
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追記

  帰り道にふと思い出したのでメモしておきます。

  ボリショイ・バレエ&マリインスキー・バレエ合同ガラBプロのトリを飾った、ヴィクトリア・テリョーシキナとレオニード・サラファーノフ(ともにマリインスキー・バレエ)の「黒鳥のパ・ド・ドゥ」。

  オディールのヴァリエーション、私は今まで好きでなかったのです。ドラマを離れて踊りを見せるだけ、みたいな感じがして。

  ところが、テリョーシキナが踊ったヴァリエーションを観て、ようやく分かりました。あれはまさしくオディールが踊っているんですね。

  ヴァリエーションの最後のほう、両腕を動かしながらポワントで両足を小刻みに動かして出てきて、小さくジャンプし、それから回転するところでの、テリョーシキナの両腕の動きがまさに鳥が羽ばたく動きで、それでやっと、そうか、これはオディールだ、と突如として気づきました。

  私が今まで鈍感だったんでしょうが、そんな鈍感な私に、オディールのヴァリエーションの意味を気づかせてくれたテリョーシキナは凄い!とあらためて思いました。
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ボリショイ&マリインスキー・バレエ合同ガラBプロ(3)

  第3部

  『パリの炎』よりパ・ド・ドゥ(振付:ワイノーネン/ラトマンスキー、音楽:アサーフィエフ)

  ナターリヤ・オーシポワ、イワン・ワシーリエフ。

  前回の合同ガラで、オーシポワとワシーリエフがセンセーションを巻き起こした演目。

  オーシポワは胴衣がブルー、スカートは白だが、今回は丈が長めでクリノリンが入っていないタイプのもの。ワシーリエフは白のシャツにオフホワイトのタイツ、黒いブーツ。両人の衣装にはトリコロールの模様が入っている。

  元々上演予定だったのは「シェヘラザード」のデュエットだったが、この演目に変更になった。個人的には「シェヘラザード」が観たかったものの、前回のあの衝撃を思い出すと、やはりワクワクした。会場全体も「待ってました!」という雰囲気になったのが分かった。

  オーシポワは相変わらず浮揚装置が装着されているかのような、軽くて高い跳躍を披露した。しかもオーシポワは、跳躍の後にトゥ・シューズの音がまったくしない。どれほど強靭な筋力を持っているのかと思う。

  ワシーリエフも前回よりもパワー・アップしていて、ヴァリエーションでの最初の跳躍、跳び上がった瞬間に両脚を開くジャンプは信じられないほど高かった。超速回転から徐々に速度を落としていって、これまた信じられないほどゆっくりと停止する回転にも磨きがかかっていた。

  オーシポワとワシーリエフが大技を決めるたびに観客は拍手、というよりも大きな歓声を上げ、バレエ公演ではめったにないことに、「ヒュー!!!」という声まで飛んだ。第3部になって、観客もすっかり興奮している。

  それにつられたのか、特にワシーリエフがすっかりエキサイトしているのが見た目に分かった。コーダでは新しいジャンプでの技、やはり跳躍した瞬間に脚をなんか複雑に動かす技を披露したが、着地が乱れて(←ワシーリエフはいつも乱れがちなのだが)床に片手を着いてしまった。ワシーリエフは「ちくしょう!」という表情を隠そうとしなかった。それで観客は大爆笑、やはり拍手喝采を送った。これがボリショイのダンサーの特徴なのか、観客がついつられて興奮し、失敗しても許すどころか、逆にそれが更に観客の愛情を引き出してしまう。

  オーシポワの32回転は、途中で数回転を織り込んで回ったのはすごいんだろうが、やはり音楽に合っていない。後で32回転をやったガリーナ・ステパネンコやヴィクトリア・テリョーシキナは、同様に数回転を織り込んで回って、しかもきちんと音楽に合っていた。ここは要改善。

  『ジゼル』よりパ・ド・ドゥ

  エフゲーニヤ・オブラスツォーワ、アレクサンドル・セルゲーエフ。セルゲーエフは濃い紫の上衣に淡い紫のタイツという衣装。

  この演目もAプロとかぶるが、Aプロでこの演目を踊ったのはボリショイ・バレエのスヴェトラーナ・ルンキナとアレクサンドル・ヴォルチコフだったので、バレエ団同士の同じ演目の踊り比べという意味があるし、なによりもオブラスツォーワのジゼルはぜひ観てみたかったので大歓迎。

  あとは意地悪な動機だけど、セルゲーエフの純クラシックの踊りを観てみたかった。彼がこれまで踊ったのは、モダン、クラシックだけど現代振付作品、そしてタンゴだったから。

  ジゼルが踊りだす振付(というかタイミング)は、Aプロのルンキナが踊ったものとは異なり、いつもどおりのもの。これも得点高し。

  前の『パリの炎』のせいで興奮冷めやらぬ会場の雰囲気の中、さぞやりにくかろうと思っていたが、意外にすんなりと会場は『ジゼル』の世界に入り込めた。少なくとも私はそうだった。残る心配は、ヴィオラ奏者が音程を外さずにソロを弾いてくれるかどうかだけだ。

  余談(?)だが、今回のオーケストラは実にひどかった。あまりにひどいので観客が失笑したほど。バレエ公演でオーケストラの金管・木管が音を外すのはもはやお約束だが、今回は弦までひどかった。ヴァイオリン、ヴィオラの奏者たちは一体どういう人々なのか。趣味でやってるアマチュアの人々なのだろうか。

  オブラスツォーワのジゼルはすばらしかったが、時に動きが不安定になるときがあった。以前からオブラスツォーワにはこういうところがあり、ちょいミスをいきなりやってしまう。その前後は何の問題もないのに。

  セルゲーエフのアルブレヒトのソロやヴァリエーションもすばらしかったが、どーもセルゲーエフは、失敗しそうになると小器用にごまかしてすり抜ける長所(?)があるらしい。回転の最後やジャンプの着地の際にそれが見られた。

  ちょっとご飯食べてきます。

  『プルースト~失われた時を求めて~』(振付:プティ、音楽:サン=サーンス)よりデュエット

  スヴェトラーナ・ルンキナ、アレクサンドル・ヴォルチコフ。

  ふ~、食った食った。舞台の前面に白いシャツ、黒いベスト、黒いズボンという衣装のヴォルチコフ(私)が立ちつくしている。

  すると、舞台左奥に白い長いカーテンが下ろされており、そこにスポット・ライトが当たる。カーテンの下には、髪を垂らし、白いシュミーズ姿の女(アルベルティーヌ)が眠っている。「私」は眠るアルベルティーヌに近寄り、彼女の頬を手で愛撫する。

  アルベルティーヌが目覚める。彼女は夢うつつな表情のまま、「私」と踊り始める。サン=サーンスの音楽が非常に美しかった。美しい音楽に乗せた踊りもとても美しく、またドラマティックだった。「私」は眠るアルベルティーヌを愛する。アルベルティーヌを閉じ込め、「私」から離れることを許さない。

  自らのエゴに苦しみつつも、なおもアルベルティーヌを手放すことができないヴォルチコフの表情と雰囲気がすばらしかった。振付はきれいで、また演劇的で分かりやすい。ルンキナもあくまで「私」の脳裏に映る存在という儚げな表情でよかった。ヴォルチコフとルンキナは、本当に夢の中でたゆたう恋人たちの世界を舞台の上に作り上げていた。

  「ファニー・パ・ド・ドゥ」(振付:シュプック、音楽:ロッシーニ)

  あの「ザ・グラン・パ・ド・ドゥ」ですがな。ウリヤーナ・ロパートキナ、イーゴリ・コールプ。コールプは、このBプロではこれだけの出演。なんかもったいなくね?

  普段は美しく気高い踊りと雰囲気のロパートキナが、ガニ股でツイストを踊る姿には笑ったし、ふざけた作品の中でもまともに踊る姿はやはり別格に凄くて、それなりに楽しめた。けど、コールプと同様、せっかくのロパートキナなんだから、もっとちゃんとした作品を踊ってほしかったかな、というのが正直なところ。

  『ドン・キホーテ』よりパ・ド・ドゥ

  ガリーナ・ステパネンコ、アンドレイ・メルクーリエフ。

  ステパネンコは胴体部分が黒のビロード、スカートが真紅のチュチュ、メルクーリエフは黒のベストにタイツ。メルクーリエフ、意外に脚が細い。髪はやっぱりロン毛。なぜだ?

  これぞ正統派の『ドン・キホーテ』グラン・パ・ド・ドゥ。ステパネンコはきっちりした動きで、安定した踊り。音楽にちゃんと乗って、見せどころを心得ている。ヴァリエーションでの扇の使い方もカッコよかった。

  コーダの32回転は、右脚を床とほぼ水平に上げ、音楽にバッチリ合うように回転する。途中で数回転していたが、それも音楽に合うように計算してやっている。アリーナ・ソーモワ、ナターリヤ・オーシポワはぜひ見習ってほしい。ステパネンコはまったくパワーが落ちず、最後のフェッテはくるくると数回転して、両足ポワントですっくと立って静止した。観客は大興奮し、会場は万雷の拍手。

  メルクーリエフも磐石のパートナリングと、ヴァリエーションとコーダでの見事な踊りで観客を沸かせた。メルクーリエフもボリショイの血が騒いだのか、かなりエキサイトしていたようだった。だけど、ワシーリエフと違って、技を失敗したりはせず、最後まできっちりと踊りきった。感情の昂ぶりがいいほうに働いたようだ。

  『白鳥の湖』より黒鳥のパ・ド・ドゥ

  ヴィクトリア・テリョーシキナ、レオニード・サラファーノフ。

  テリョーシキナはもちろん黒のチュチュ、サラファーノフは上下ともに純白の衣装。黒と白のコントラストが鮮やか。

  テリョーシキナについては、何を書くこともないでしょう。完璧。テリョーシキナはテクニックばかりが云々されることが多いけれど、彼女は演技派でもある。作品によって踊りと雰囲気をがらりと変えることのできる優れたバレリーナ。

  王子の心をつかんだことを確信した瞬間の、テリョーシキナの邪悪な目つきと微笑が凄かった。

  サラファーノフは、またバジル化するんじゃないかと心配したが、ヴァリエーションで、この上なくノーブルな踊りを見せた。あんな美しいノーブルな王子のヴァリエーションは初めて観た。きれいなポーズで、ぽーんとゆっくり跳躍し、両足を打ちつけ、優雅にくるくると回る。あらまー、やればできるんじゃん(ごめんなさい)。最後に両足を揃えて上に跳び上がって回転する動きでも、今度は身体が斜めにはならず、まっすぐできれい、音楽にも合っていた。

  コーダでは、テリョーシキナが見事な32回転を羽ばたく姿勢で決めてニヤリ、と挑戦的な目つきでほほ笑んだ瞬間、観客の興奮は最高潮を迎え、今までにない大きな拍手と歓声が会場を包んだ。

  テリョーシキナのすごいところは、彼女はふだんはムダに脚を上げないんだけど、黒鳥のパ・ド・ドゥのコーダでは、脚が頭にくっつくんじゃないか、と思えるくらいの凄まじいアラベスク(アティチュード?)をする。そのときの写真がプログラムにも載っているけど、実際はあれよりも脚が高く上がっている。

  サラファーノフがジャンプでの舞台一周を終え、テリョーシキナも片足で回転しながら舞台を一周し、最後にテリョーシキナがサラファーノフに支えられてアラベスクで静止した。いやー、凄かった。

  ちょっと疲れたけど、贅沢で眼福な時間を過ごせた。

  そうそう、2012年2月のボリショイ・バレエ日本公演の演目は、『白鳥の湖』、『ライモンダ』、『スパルタクス』だそうです。『スパルタクス』がいちばん嬉しい。待ち遠しいです。

  あと、レオニード・サラファーノフはミハイロフスキー劇場バレエ(レニングラード国立バレエ)に移籍するんだそう。移籍の理由は分からないような分かるような。個人的には、今まで散々悪口は書いたけど、サラファーノフほどのダンサーがなにもなあ、と思います。  
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ボリショイ&マリインスキー・バレエ合同ガラBプロ(2)

  第2部

  『ゼンツァーノの花祭り』よりパ・ド・ドゥ(振付:ブルノンヴィル、音楽:ヘルステッド)

  エフゲーニヤ・オブラスツォーワ、レオニード・サラファーノフ。

  オブラスツォーワは第一幕のジゼルみたいなデザインの、胴体部分が青、スカートが白の衣装で、サラファーノフは白いシャツの上に黒いベストを着て、下は黒い膝丈のタイツ、その下は白いタイツを穿いていた。

  恋人同士の他愛ない、かわいらしい戯れの踊り。

  上半身を直立させたままの下半身だけでのジャンプ、爪先や足の細かい複雑な動き、両腕を丸く内側に曲げたままでの踊りなど、『ラ・シルフィード』でもおなじみの動きがたくさんあった。

  サラファーノフは踊れていたけど、いわゆる「ブルノンヴィル・スタイル」とやらを物にしたわけではないと思う。サラファーノフよりも、たとえばヨハン・コボーのほうがはるかによく踊れると思う。サラファーノフの踊りは二つの動きが混ざっている感じがした。

  オブラスツォーワはかわいかったし、踊りもいつもどおりふんわりと柔らかかった。でも、このパ・ド・ドゥはどちらかというと男性の見せ場がメインだと思うので、特に強い印象は残っていない。

  「パ・ド・ドゥ」(振付:ヤコブソン、音楽:ロッシーニ)

  ナターリヤ・オーシポワ、イワン・ワシーリエフ。

  この第2部で最も楽しみにしていた演目。振付者のレオニード・ヤコブソンに興味があったので。マイヤ・プリセツカヤの自伝『闘う白鳥』によれば、ヤコブソンは「神に選ばれた振付家」であったが、ソ連政府との折り合いが悪くなったのを境に、不遇のままに一生を終えたという。

  プリセツカヤがヤコブソン版「スパルタクス」を踊っている映像が一部だけど残っていて、その振付に驚いたのを覚えている。ダイナミックでアクロバティックなリフト、ジャンプ、回転が盛んだったはずの当時のソ連で、ヤコブソン版『スパルタクス』は、女性もオフ・ポワントで踊り、ハデな跳躍も回転もリフトもないものだった。

  しかも、ヤコブソン版『スパルタクス』のスパルタクスとフリーギアとのパ・ド・ドゥには、従来のクラシックのステップやポーズが一切なく、振付は実に独特で、しかも不思議と心惹かれる魅力的なものだった。1956年のソ連で、現代でも充分に通用する新しい振付を考えつく人物がいたのだ。(プログラムによれば、ヤコブソン版『スパルタクス』は近年、マリインスキー・バレエによって再演されたという。)

  だから、ぜひヤコブソンの作品を観たかった。

  うろ覚えだけど、オーシポワは胸元に刺繍の入った淡いピンクの長めのスカートのチュチュ、ワシーリエフは白いシャツに、オーシポワの衣装と同じ刺繍の入った薄い青の長いベスト、腰からある黒いタイツ姿だったと思う。

  やはり恋人同士の戯れといった感じの、ややコミカルな踊りで、振付や構成は案の定かなり新奇なものだった。これは1974年、ヤコブソンが亡くなる前年に作られたそうだ。

  クラシックといえばクラシックだが、たとえばリフト、ステップ、ポーズがすごく変わってる。特に男女が組んでの踊りは秀逸で、多彩な形や動きのサポートやリフトで構成された動きがするすると連続して展開されていく。

  なるほど、プリセツカヤが書いたとおり、これは「天才」の振付だ、と思った。

  『パピヨン』よりパ・ド・ドゥ(振付:マリー・タリオーニ/ラコット、音楽:オッフェンバック)

  アリーナ・ソーモワ、ウラジーミル・シクリャローフ。

  ソーモワは頭に蝶の触覚を思わせるティアラをつけ、白い長いスカートのチュチュ。スカートの腰周りから裾にかけて、青い線で花弁のような刺繍が施してある。シクリャローフはフリル襟の白いブラウスに模様入りの真紅のベストを着て、腰にも模様入りの真紅の布のベルトをつけ、白いタイツを穿いていた。ハデや~。

  ソーモワとシクリャローフ、これも意外にスムーズに踊ってた。頭上に高く上げるリフトなんかもあったけど、しっかり持ち上げていた。Aプロの「チャイコフスキー・パ・ド・ドゥ」はなんだったんだ。

  ヴァリエーションでは、シクリャローフ、またもや元気爆発、柔らかい身体とジャンプ力、回転力をフル活用してバンバン踊りまくる。

  ソーモワはAプロの『眠れる森の美女』や「チャイコフスキー・パ・ド・ドゥ」ほどひどくはなかった。マリインスキー・バレエ芸術監督代行やバレエ教師に説教でもされて改心したのかな。

  「グラン・パ・クラシック」

  スヴェトラーナ・ルンキナ、アレクサンドル・ヴォルチコフ。

  ルンキナは純白のチュチュ、ヴォルチコフは淡い金色の上衣に白いタイツという衣装で登場。

  この作品を踊りたがる女性ダンサーは多いようだが、この作品はダンサーを選ぶところがあるように思う。ちゃんと踊れたとしても、似合うダンサーと似合わないダンサーが出てしまう。

  ルンキナはこの作品に合っていないし、踊れてもいなかったように思う。ヴァリエーションでは、バランス・キープも回転も速さでさっさと片付けていて、あれでは見ごたえがない。コーダでのフェッテもこじんまりとしていて迫力に欠けた。

  ヴォルチコフは奮闘した。この作品では女性ヴァリエーションばかりが注目されがちだが、男性ヴァリエーション、コーダともに見事に踊って存在感を発揮した。でも、映像に残っているマニュエル・ルグリの踊る男性ヴァリエーションには及ばないが。

  「グラン・パ・クラシック」は、なんというか、テクニックがあればいいというもんじゃなくて、それにプラスしておフランス的「おされ」感が必要な気がする。ボリショイのダンサーにはいっそう向かないと思う。プログラムによると、ガリーナ・ステパネンコもこの作品を踊りたいそうだが、やめたほうがいい。テクニックの問題じゃなくて、雰囲気の問題。  

  「ロシアの踊り」(振付:ゴールスキー/ゴレイゾフスキー)

  『白鳥の湖』で版によっては踊られるアレです。ウリヤーナ・ロパートキナ。

  ロパートキナは華やかなロシアの民族衣装をつけて現れた。頭に着けた扇状の大きな髪飾りから白いヴェールを長く垂らし、白を基調にした鮮やかな模様の入った長いドレス。手に白いハンカチを持ったまま踊る。ポワント。

  この踊りの何をどう楽しめばいいのか、私はよく分からないんだけど、良かったんじゃないだろうか。ロパートキナだし。

  『海賊』よりパ・ド・ドゥ

  アンナ・ニクーリナ、ミハイル・ロブーヒン。

  これもAプロでナターリヤ・オーシポワとイワン・ワシーリエフが踊った。だからさー、なんで同じバレエ団のダンサーが、揃って同じ演目を踊るのよ。AプロもBプロも両方観る観客が(たぶん)絶対的に多いに決まってんだから、なんとか工夫して下さい。

  ニクーリナは淡いラベンダー色のチュチュ、ロブーヒンは青いハーレム・パンツ姿。

  オーシポワとワシーリエフの超絶技巧てんこもり体育会系パフォーマンスに敵うだろうか、と他人事ながら心配したが、個人的にはニクーリナとロブーヒンのほうが良かったと思う。

  理由その一。ニクーリナはちゃんとヒロインのメドーラを演じていて、ロブーヒンも奴隷のアリを演じていたこと。ロブーヒンのアリは野性的で粗野に片足突っ込んでたが、マッチョでわたくし的にはOK。ニクーリナのメドーラとロブーヒンのアリとの間には、ちゃんと上下関係があった、つまり物語の設定をちゃんと踏まえていた。

  理由その二。ロブーヒンのアリのヴァリエーションが、伝統的な振付に忠実だったこと。ワシーリエフのように好き勝手に変えてなかった。舞台左奥から斜めに走り出てきて、舞台右前面でアティチュード。これが見たかったのよ~!!!

  ワシーリエフは左奥から出てきてそのまま左前面でアティチュード。ワシーリエフの場合は、その後はもう別の作品になっていたと言ってもよい。でも、ロブーヒンは伝統的な振付に従って踊った。これで好感度アップ。映像の中のヌレエフやルジマトフが踊っていたのと同じ振付だった。

  結局、ニクーリナとロブーヒンの『海賊』も会場の大喝采を受けたのだった。ロブーヒンは力強いまなざしで客席を見つめていて、お、彼も手ごたえを感じているな、と思った。そして、今にして思えば、最後の第3部を控えて、観客ばかりかダンサーたちの興奮も徐々に高まってきていたのだ。
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ボリショイ&マリインスキー・バレエ合同ガラBプロ(1)

  Bプロも長かった。第1部:50分、第2部:55分、第3部:65分。2時開演、終演は6時近く。

  とはいえ、最後が近づいた第3部あたりから観客もダンサーたちもエキサイトし始め、会場内の温度が急上昇。大いに盛り上がって、楽しいカーテン・コールとなりました。

  第1部

  『フローラの目覚め』よりパ・ド・カトル(振付:プティパ/レガート/ブルラーカ、音楽:ドリゴ)

  エフゲーニヤ・オブラスツォーワ(ディアナ)、アリーナ・ソーモワ(オーロラ)、ナターリヤ・オーシポワ(ヘーベ)、スヴェトラーナ・ルンキナ(フローラ)。

  4人とも長いスカートの白いチュチュ。ただ、女神の役なので、チュチュにはそれぞれを象徴する刺繍が施され、髪飾りやティアラもそのようなデザインになっていた。

  4人みながソロを踊った。振付の趣きはそれぞれ異なるが、ステップの組み合わせがかなり複雑なように感じられた。オブラスツォーワのソロは爪先の動きが非常にトリッキーな振付、オーシポワのソロは跳躍が多く、ルンキナのソロはやはり最も難しそうで、回転が多く織り込まれていた。

  さすがのソーモワも、今回は他の3人と同じようにゆっくりと急がず踊っていた。ソーモワの課題は、あの長すぎる手足をどうやって適切に動かすかだと思う。そういうことをきちんと指摘して矯正してくれる教師はいないのだろうか。手足が短いことで苦労しているバレリーナは多いだろうが、手足が長すぎて踊りがおかしくなってしまうバレリーナもいるんですね。

  オーシポワも、柔らかく踊ってはいたけれど、どうしても元気のよさが出てしまう。でも、インタビューを読むと、オーシポワは自分の長所も欠点も自覚しているようだから、これからに期待。

  オブラスツォーワはいつものように暖かみのある優美な動きで踊っていた。昨日の公演でも思ったのだけれど、オブラスツォーワのファンはいつのまにか大増殖中だ。

  ルンキナは、主役にしては少し存在感が薄いような気がしたが、逆にいえば自分をむやみにアピールする必要もないのだろう。静かな表情できっちりと踊り、ゆっくりと何回転もし、回転してからそのまま片脚を高く上げる、なんて動きを涼しい顔でやっていた。

  『ライモンダ』よりパ・ド・ドゥ

  アンナ・ニクーリナ、ミハイル・ロブーヒン。

  Aプロでガリーナ・ステパネンコとアレクサンドル・ヴォルチコフが先に『ライモンダ』を踊っている。演目もバレエ団もかぶってる。こういうところはもっと工夫してほしい。

  ニクーリナは純白に金の円形の刺繍が入ったチュチュ、ロブーヒンはヴォルチコフと同じ白い大きなマント付きの衣装。

  ニクーリナの踊りはきれいだった。ステパネンコのような強靭さとは異なる「たおやか系」。ルンキナと雰囲気が似てるかも。ロブーヒンは普通(実はあんまり覚えてない)。

  Aプロでステパネンコが踊ったヴァリエーションは、最終幕のグラン・パ・ド・ドゥで踊られるものだった。ニクーリナが踊ったのは、振付はもちろん音楽も違うものだった。他の幕でのヴァリエーションを踊ったのだろうか?

  「タンゴ」(振付:ミロシニチェンコ、音楽:ピアソラ)

  ヴィクトリア・テリョーシキナ、アレクサンドル・セルゲーエフ。音楽は音源を使用。

  テリョーシキナは髪を長く垂らし、胸元と背中が大きく開いた黒いレースの短いドレスを着て、高いハイヒールを履いていた。セルゲーエフはワインレッドのシャツに黒いベスト、黒いズボン。

  舞踏会でのパフォーマンス用作品だということで、振付はタンゴにバレエの動きを取り入れたものだった。たとえば、大きなリフト、脚を高く上げる・蹴り上げる、身体を大きく反らせる、など。

  テリョーシキナもセルゲーエフもカッコよかった。動きがきびきびしていて、音楽にきっちりと乗り、たるみがまったくない。テリョーシキナは、あんな高いヒールでよく踊れますなー。トゥ・シューズを履いていると平気なものなんだろうか?

  “Fragments of Biography”より(振付:ワシリーエフ、音楽:アルゼンチンの作曲家による)

  ガリーナ・ステパネンコ、アンドレイ・メルクーリエフ。音楽は音源を使用。

  音楽は前のピアソラとかぶるというか、途中で南米の民族音楽のメロディが入ったりしたものの、基本的には前と同様にラテン・アメリカ系音楽。こういう点も工夫してほしい。

  メルクーリエフが最初に出てくる。黒い帽子をかぶり、黒いベストに黒いズボン姿。

  黒い帽子を手でもてあそび、ステップを踏んで一段落するするたびに、帽子を何度もゆっくりとかぶりなおす。そんなに印象に残る振付ではなかったが、かといってありきたりなクラシックの動きでもなく、特に脚を前に蹴り上げるようにして、ゆっくりと進む動きがコミカルだった。

  メルクーリエフが踊り終わると、ステパネンコが現れる。ステパネンコは誰がどーみてもフラメンコ用の白いドレスを着ていた。……きっと、アルゼンチンは元スペイン領だからアリなんだろう。

  ステパネンコはドレスの裾をつまみながら踊ったが、そのステップも誰がどーみてもフラメンコ風。「アルゼンチンにおけるフラメンコ」についてご教示を請う。

  『ロミオとジュリエット』よりバルコニーのパ・ド・ドゥ(振付:ラヴロフスキー)

  アリーナ・ソーモワ、ウラジーミル・シクリャローフ。

  どうなることかと思ったが、意外と良かった。リフトだらけのマクミラン版などと違い、ほとんどジュリエットとロミオが別々に踊る振付が幸いしたのかもしれない。

  ただ、制作された時代状況を反映してか、キス・シーンはなく、最後はロミオが指を立てた右手を上げて、ジュリエットへの永遠の愛を誓う、というすっごい古典的なオチだった。

  このラヴロフスキー版は、現在までに生み出されたすべての『ロミオとジュリエット』の源流で、敬意をもって対するべきなのは分かっている。でもやっぱり、『ロミオとジュリエット』はマクミラン版が一番だよな~、とつい思ってしまった。
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ボリショイ&マリインスキー・バレエ合同ガラAプロ(3)

  第3部

  「黄昏のヴェニス」(振付・ヴィスクベンコ、音楽:ニンファ、フレーム、ヘーフェルフィンガー)

  スヴェトラーナ・ルンキナ、アンドレイ・メルクーリエフ(ボリショイ・バレエ)。音楽は音源を使用。

  メルクーリエフはなんかロン毛になってました。衣装は色は忘れたけど、普通のYシャツにズボンだったような気がする。

  この作品は、去年亡くなったエカテリーナ・マクシーモワ(ボリショイ・バレエの元プリマで、ウラジーミル・ワシーリエフの妻)を追悼して、先月に初演されたばかりの作品だそう。

  音楽はなんか俗っぽくて安っぽい、いかにもお涙頂戴的なメロディの歌だった。しかし結局、この作品にはすごく感動した。間違いなく今回の公演での優れたパフォーマンスの一つに入ると思う。

  舞台には幕が下ろされていて、メルクーリエフが舞台の前面におり、厳しい表情でひとり踊る。やがて幕が上がると、そこに白いレースのワンピースを着て、髪をまとめたルンキナが光に包まれて立っている。メルクーリエフはルンキナに近寄り、二人で一緒に踊る。

  この作品を観たワシーリエフはきっと泣いただろうと思う。私も泣きそうになったくらいだったから。メルクーリエフとルンキナとの踊りには、ワシーリエフとマクシーモワとの踊りを思い起こさせる動き、とりわけリフトが多く取り入れられていた。ワシーリエフとマクシーモワの、互いへの固い信頼をそのまま踊りにしたような、あの特徴的なリフトである。

  ルンキナとメルクーリエフの踊りは本当にすばらしかった。パートナーシップは完璧で、メルクーリエフがルンキナを流れるように振り回し、ルンキナは実に自然にメルクーリエフの体の上に乗る。

  最後はルンキナが再びメルクーリエフから離れ、照明が消されて、踊る彼女の影だけが明るい背景の中に浮かび上がっている。

  この作品が終わると、物凄い拍手と喝采が起こった。他の観客も感動したんだと思う。

  「チャイコフスキー・パ・ド・ドゥ」

  アリーナ・ソーモワ、ウラジーミル・シクリャローフ。

  ソーモワはピンクのワンピース、シクリャローフは白の上衣に白いタイツという衣装。

  「ここはおねむの時間だな~」と寝ようと思っていたが、あんまり面白かったので、結局最後まで観てしまった。

  自分の踊りだけする、パートナーのことは考えない、実際の能力以上に自信過剰、という共通点を持ったダンサー同士が踊るとやっぱこーなるんだなあ。

  ソーモワは、まさに前回の合同ガラの「伝説再び」という感じ。この人はとにかく音楽をまったく意に介さない。音楽無視でどんどん踊る。どう踊れば美しく見えるか、という観客目線も無視。動きは粗雑で乱暴。

  シクリャローフは、ただでさえパートナリングがヘタなのに、ましてわが道を行くソーモワのパートナリングをどうするのか、と思いながら見ていたら、やっぱりボロボロ。ソーモワの動きを必死に追いかけるが間に合わない。ついにはイラついたらしいソーモワにサポートの手を叩かれてた(笑)。

  でも、シクリャローフ君、ヴァリエーションでは元気爆発、これでもかとばかりにテクニックを披露して踊っていた。まあ一人で踊るぶんには、確かに見栄えがするんだけどね。

  観客の笑いを取るためとしか思えないペアだった。

  『スパルタクス』よりデュエット

  アンナ・ニクーリナ、ミハイル・ロブーヒン。

  「フラミンゴ立ち」があるフリーギアのソロと、「逆立ちリフト」があるフリーギアとスパルタクスのデュエット。

  フリーギアの「フラミンゴ立ち」は、アラベスクでやる人とアティチュードでやる人とがいるみたいだけど、ニクーリナはアティチュードでやっていた。アラベスクで完璧な「フラミンゴ」ができる人は、やはり故ナターリヤ・ベススメルトノワしかいないのだろうか。

  ニクーリナはちゃんと踊っていたが、振りの形をなぞっているだけで、フリーギアの心情までは、まだ踊りで表現できていない感じだった。あと、ためをおかずに、動きを急ぎすぎている感があった。

  続くスパルタクスとフリーギアのデュエットでもそれは同じで、ロブーヒンはちゃんとニクーリナをリフトして踊っているんだけど、スパルタクスの強靭さとフリーギアへの強い愛情が伝わってこない。だから、「逆立ちリフト」も、本当はすごいことなのに、迫力不足で今ひとつ感動できなかった。

  『シンデレラ』よりデュエット(振付:ラトマンスキー)

  エフゲーニヤ・オブラスツォーワ、アレクサンドル・セルゲーエフ。

  オブラスツォーワは白いドレスで、前髪を下ろしたキュートな姿。周囲を見回して気おくれしたような表情をした後、両手で顔をふさいだ。これ、なんか既視感がある。この後、つまらなそうな様子の王子(白いスーツ姿)がふらっと現れるんじゃなかったっけ、と思ってたら、やっぱり現れた。たぶん、ディアナ・ヴィシニョーワとイーゴリ・コールプで観たことがあったように思う。

  オブラスツォーワの踊りはすごく柔らかくてきれいだった。音楽性も豊か。シンデレラの演技もかわいい。伏兵セルゲーエフはここでも磐石の踊りと絶妙なパートナリングを披露した。白いスーツ姿もカッコよく、本当に体型に恵まれた人である。

  『カルメン組曲』より(振付:アロンソ、音楽:ビゼー、編曲:シチェドリン)

  ガリーナ・ステパネンコ、アンドレイ・メルクーリエフ。音楽は音源を使用(←なぜだろう?)。

  ステパネンコは真紅のレオタード型の衣装で、長袖部分と短いスカートが黒いレースでできている。メルクーリエフは冗談としか思えないトンデモ衣装を着ていた。黒いタイツなのはいいとして、問題はブラウス。赤に大きな黒い水玉が入っている。こんな衣装はあんまりだ。ウケを狙っているのか!?

  踊られたのは、「恋は野の鳥」(カルメンのソロ)、間奏曲(←自信なし。ドン・ホセのソロ)、「お前の投げたこの花は」(カルメンとドン・ホセのデュエット)の3つの部分。

  アロンソの振付が妙に言語的であることに気がついた。特にステップ。床に突き刺すような爪先、直線的に伸ばした脚と床を直角になぞる爪先の動き、ステパネンコは、ステップを踏むことでカルメンのセリフをしゃべっているかのようだった。

  「ジュエルズ」よりダイヤモンドのパ・ド・ドゥ(振付:バランシン、音楽:チャイコフスキー)

  ウリヤーナ・ロパートキナ、イーゴリ・コールプ。

  まさしくこの公演の「ダイヤモンド」。  

  ロパートキナの踊りは端正で美しく、孤高。

  ダイヤモンドがロパートキナなのか、ロパートキナがダイヤモンドなのか?

  『ドン・キホーテ』よりパ・ド・ドゥ

  ナターリヤ・オーシポワ、イワン・ワシーリエフ。

  オーシポワは胴体部分が黒、スカート部分が白のチュチュ、ワシーリエフは上下ともに黒の衣装。

  オーシポワは、「ろくろ回し」をされるときに目を見張り、歯をむき出しにして食いしばるクセがなくなったようでよかった。ちゃんと口を閉じて、すました顔でワシーリエフに「ろくろ回し」されていた。

  アダージョの最後あたりから、オーシポワもワシーリエフもエキサイトしてきたようだ。ヴァリエーションでは、ワシーリエフはまたジャンプの凄い技をやった。舞台一周でも、途中で空中に一段と高く跳び上がり、身体をゆっくりと回しながら着地する。滞空時間が以前よりも長くなったみたいだ。ワシーリエフはまだまだ進化してますな。

  ワシーリエフは、スゴ技をやって着地が崩れたときがあって、本人も苦笑しながら「あちゃ~、やってもうた」という顔をした。たとえば、サラファーノフが高難度の技をやって着地に失敗したなら、私は心中ムッとするだろうが、ワシーリエフだと腹が立たないのはなんでだろう。

  たぶん、サラファーノフは「みんな、見てくれオレの凄い技を」というオーラを出しているのに対して、ワシーリエフは「みんな、凄い技にチャレンジするから楽しんでね!」というオーラを出しているからだと思う。文字どおり体を張って観客を楽しませようとしているのが分かるから、ワシーリエフは憎めない。

  ワシーリエフの他の得意技の一つに、「回転のゆっくり停止」がある。これも今回はバンバンやった。回転のヴァリエーションも増えているから見ごたえがある。

  オーシポワはコーダで本日2回目の32回転をやった。やはり回転が音楽に合っていないのが気になった。でも、最後の回転では、余裕で3~4回転やって静止したと思う。すごいスタミナだ。

  カーテン・コールでは、バレリーナたちが舞台の前面で一列に並び、男性ダンサーたちに支えられて、一斉に前アティチュードをやって静止し、ポーズを決めた。『眠れる森の美女』で、妖精たちが同じ動きをするでしょう。全員が同じ速度で回り、全員が同じ高さで脚を上げ、全員が同時に静止した。おまけだけど、凄いと思った。 
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ボリショイ&マリインスキー・バレエ合同ガラAプロ(2)

  第2部

  「ナルシスへのレクイエム」(振付:スメカーロフ、音楽:マンセル)

  ウラジーミル・シクリャローフ(マリインスキー・バレエ)。音楽は音源使用。

  舞台の奥に長細い鏡が置いてあって、シクリャローフは灰色の裾の長い上着を肌の上に直に着て、同じ色のズボンを穿いている。シクリャローフは鏡を見つめると、やがてぺらぺらしら柔らかい板状の鏡を引き抜いて、それを持って踊る。

  鏡の扱い方を除けば、振付はクラシックの技が基本で、そんなに目新しい振付とも思えない。振付者のスメカーロフはマリインスキー・バレエの現役団員だが、元はボリス・エイフマン・バレエの団員だったそうだ。

  シクリャローフはソロで踊ればすばらしいのは相変わらずで、身体は柔らかいし、ポーズはきれいだし、テクニックも万全だった。でも、踊りに奥行きがなく、表現が薄っぺらい。作品のテーマがナルシスだろうがドリアン・グレイだろうがどちらでもいい。肝心なのは、シクリャローフがこの作品をどう解釈して、何を表現しようと、何を伝えようとして踊るのかが大事だと思うんだけど、それがさっぱり分からなかった。

  見た目だけきれいならいいというもんでもない。

  『ライモンダ』よりパ・ド・ドゥ

  ガリーナ・ステパネンコ、アレクサンドル・ヴォルチコフ。

  ステパネンコは白銀色のチュチュ、ヴォルチコフは長いマントつきの白い衣装。ヴォルチコフのこの衣装には見覚えがある。前回の合同ガラで、アルテム・シュピレフスキーが着ていたアレだ。前回はアダージョだけだったが、今回は男女2つのヴァリエーションとコーダまで踊られた。

  ステパネンコはさすがベテランだけあって、ダンサーたちの中で最も踊りに艶があり、見せ方も上手で、何よりもきっちりと音楽に合わせて踊っていた。スタミナもあり、テクニックも強靭で、第1部の「パ・ド・カトル」と同様、力強い踊りという印象だった。

  別れ(振付:スメカーロフ、音楽:パウエル)

  エフゲーニヤ・オブラスツォーワ、アレクサンドル・セルゲーエフ(マリインスキー・バレエ)。音楽は音源を使用。

  オブラスツォーワは両脇に深いスリットの入った赤いロングドレス、セルゲーエフは、色は忘れたけど、タンク・トップみたいなシャツにズボンだった気がする。

  この作品はなかなか面白かった。一つの椅子にオブラスツォーワとセルゲーエフが半分ずつ座り、最初にオブラスツォーワが立ち上がり、次にセルゲーエフが立ち上がって順番に踊り、最後にふたりが一緒に踊る。動きやポーズも、シクリャローフが踊った「ナルシスへのレクイエム」とは異なり、クラシックの動きはほとんど目立たず、演劇的なマイムを踊りにした印象だった。別れる?別れない?いーや、もうイヤだ、やっぱ別れる!といった感じの、なんとなくコミカルな雰囲気も漂っていた。

  オブラスツォーワはどんな踊りを踊ってもすばらしい。こんな男、もううんざり、という表情も良かったし、動きもしなやかでなめらかだった。

  しかし、ある意味「伏兵」だったのがアレクサンドル・セルゲーエフ。この人も非常に優れたダンサーである。長身でスタイル抜群、イケメン、テクニックは磐石で常に安定しており、ポーズも動きもカッコよかった。パートナリングもスムーズで頼りがいがある。(もっとも、クラシックを踊ったらどうなのかは分からない。)

  『タリスマン』よりパ・ド・ドゥ(振付:プティパ/グーセフ、音楽:ドリゴ)

  アンナ・ニクーリナ、ミハイル・ロブーヒン(ボリショイ・バレエ)。

  ロブーヒンは今年の1月にマリインスキー・バレエからボリショイ・バレエに移籍したそう。ロブーヒンは前回の合同ガラで「ディアナとアクティオン」を踊ったが、野性味のある雰囲気と動きから、マリインスキー・バレエには珍しいタイプだと思った。ボリショイ・バレエのほうが、ロブーヒンの個性や踊りのタイプに適した作品を多く持っていると思うので、移籍は正解だと思う。

  ニクーリナは淡いラベンダー色の膝下丈のスカート、ロブーヒンは額と腕に水色のリボンを巻き、上下ともに白い衣装を着ていた。上半身は片肌脱ぎ。ニクーリナの役は神の娘ニリチ、ロブーヒンの役は風の神。場面はニリチが風の神の力を借りて、地上に下りていくシーン?

  ダンサーたちの衣装には見覚えがあり、音楽にも聞き覚えがある。以前に観たことがあるはずだけど、思い出せない。後で調べてみよう。

  薄い生地の衣装を着てはじめて分かった。ニクーリナのスタイルの良さは驚異的。長身で手足が長く、すごくほっそりしている。典型的な現代ロシア・バレエ界におけるプリマ体型。ニクーリナの身体能力も驚異的。

  ニクーリナの踊りもすごくよかった。美しい長い手足をゆるやかに動かし、音楽にも乗っている。悪戯っぽい笑顔で、風の神に下界に自分を連れて行ってくれるようせがむ演技もほほえましい。それに困る風の神、ロブーヒンの表情もよかった。

  風の神の踊りは本当に旋風が巻き起こるかのようで、ジャンプが多いダイナミックな動きは、ロブーヒンの雰囲気によく合っていた。

  「タランテラ」(振付:バランシン、音楽:ガチョーク/ケイ)

  ヴィクトリア・テリョーシキナ、レオニード・サラファーノフ。

  これは昨年のマリインスキー・バレエ日本公演のガラでも上演された。テリョーシキナは髪を左右に分けてまとめ、白い半袖のブラウスに黒いビロードの胴衣、裾に黒、黄色、赤の線が入った白いスカートを着ていた。サラファーノフは白いシャツに白い膝下丈の黒いタイツ、その下は白いタイツと靴。頭に布を海賊風にしてかぶっている。

  ふたりで交互にテンポの速い超絶技巧てんこもりな踊りを踊っていく。が、オーケストラの演奏に、テリョーシキナもサラファーノフも踊りが遅れがちな気がした。音楽が速すぎて追いつかないらしい。もっとあの軽快で小気味のいい音楽に乗って踊ったほうがもっとよかったと思った。
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ボリショイ&マリインスキー・バレエ合同ガラAプロ(1)

  10月23日(土)、於東京文化会館大ホール。

  第1部:65分、第2部:40分、第3部:70分という長丁場。2時に開演し、終わったのは5時半過ぎ!さすがにちょっと疲れた。

  第1部

  「パ・ド・カトル」(振付:ドーリン、音楽:ブーニ)

  エフゲーニヤ・オブラスツォーワ(マリインスキー・バレエ)、アンナ・ニクーリナ(ボリショイ・バレエ)、ガリーナ・ステパネンコ(ボリショイ・バレエ)、ウリヤーナ・ロパートキナ(マリインスキー・バレエ)。

  それぞれが歴史上の名プリマに扮して踊る。オブラスツォーワはルシール・グラーン、ニクーリナはカルロッタ・グリジ、ステパネンコはファニー・チェリート、ロパートキナはマリー・タリオーニ役で、みな淡いピンクがほんのりとかかった白い長いチュチュを着て、髪に花飾りを着けている。

  個人的には、ボリショイ・バレエとマリインスキー・バレエのダンサーを混ぜて上演するのはいかがなものか、と感じた。踊りになんだか統一感がない。

  古めかしいポーズやステップ(←この作品は現代に至ってからの復元版で、わざとそのように振り付けられているそうだ)はさておき、みなふんわりした柔らかな動きで踊っていた。また、細かな爪先での動きが多く、エフゲーニヤ・オブラスツォーワが踊ったルシール・グラーンのソロには、ジゼルのような細かいステップが特に多かった。オブラスツォーワは優雅に踊りきり、客席からさっそくブラボー・コールが飛んだ。

  ステパネンコが踊ったファニー・チェリートのソロはややダイナミックで跳躍が多かった。驚いたことに、と言っては失礼だが、最も年長のステパネンコが、若い3人のダンサーよりもはるかに顔が小さかった。

  『眠れる森の美女』グラン・パ・ド・ドゥ

  アリーナ・ソーモワ、レオニード・サラファーノフ(マリインスキー・バレエ)。

  ソーモワはやはり動きが雑なように思った。オーロラがあんなに乱暴に脚を振り上げてどーする。音楽に合わせることもしていない。回転するときの軸も不安定で、すぐに身体が斜めになってしまう。

  サラファーノフはソロの後半からまたしてもバジル化した。ソロで高度な技を決めた瞬間にロコツに「やったぜ!」みたいな顔をしないでほしい。最後のキメのポーズも退場の仕方もおよそ王子らしくなく、完全にバジルだった。

  『海賊』よりパ・ド・ドゥ

  ナターリヤ・オーシポワ、イワン・ワシーリエフ(ボリショイ・バレエ)。

  オーシポワがすっかり大人っぽく、色っぽくなっていたので驚いた。手足がすらりとして、体の輪郭が曲線的になった。ワシリーエフも大人の男らしい顔つきになり、特に上半身の筋肉がすごくたくましくなっていた。ただ、上半身に比べると下半身は以前と同じだった。脚がもう少し長ければいいのになー。

  オーシポワは淡いペパーミント・グリーンの胸当てと膝丈のスカート、ワシーリエフは青いハーレム・パンツ姿。

  ワシーリエフは高難度な技のレパートリーが増え、しかもいよいよ凄まじいことになっていた。アリのヴァリエーションで、跳躍した瞬間に右脚を根元から床と水平にぶん、と半回転させる大技を何度も決めた。

  コーダで、オーシポワは第3部の『ドン・キホーテ』グラン・パ・ド・ドゥと合わせ、本日1回目の32回転。間に何回転も織り込むのはいいが、回転自体が音楽と合っていない。テクニックを見せるばかりでなく、音楽に合わせて回ってほしい。

  『愛の伝説』よりモノローグとアダージョ(振付:グリゴローヴィチ、音楽:メーリコフ)

  ヴィクトリア・テリョーシキナ、イーゴリ・コールプ(マリインスキー・バレエ)。

  テリョーシキナは胸元がV字型に開いた黒いミニのワンピースに、黒いタイツを穿いていた。最初は紅いヴェールで頭と口元を隠して踊る。

  コールプは昭和の戦隊モノに出てくる世界征服を企む悪人みたいな衣装。……どういう衣装か分からないよね、でっかい銀の冠をかぶり、青いヴェールから顔だけを出し、同じ青い色の全身レオタードに鎧を着ている。頭のかぶりものがとにかく大きくて、照明を消して輪郭だけ浮かび上がらせれば、みな絶対にバルタン星人と見間違えると思う。

  この日の公演で最もすばらしかったのがテリョーシキナ。前の合同ガラで、ロパートキナが踊り始めたときに感じた「別格」感を、今回はテリョーシキナがソロを踊り始めた瞬間に感じた。

  グリゴローヴィチの振付は元々非常に音楽的だが、テリョーシキナの踊りも音楽的で、しかもドラマティックだった。嫉妬と孤独に苦しみ、愛する男との逢瀬という夢に辛うじて救いを見出す女性の哀しみが伝わってきた。

  アダージョは『スパルタクス』のクラッススとエギナのパ・ド・ドゥみたいな振付が多かった。アクロバティックなリフトが多く、しかも官能的。しかし、テリョーシキナとコールプが踊るのだから、パートナーシップは完璧。テリョーシキナは男性ダンサーのサポートなんぞ必要ないほどのバレリーナだし、コールプはあのとおりパートナリングに非常に優れ、また濃密な雰囲気をかもし出すことのできるダンサーだから、ふたりの踊りはとても見ごたえがあった。

  『ジゼル』よりパ・ド・ドゥ

  スヴェトラーナ・ルンキナ、アレクサンドル・ヴォルチコフ(ボリショイ・バレエ)。

  ヴォルチコフは上下ともに黒か濃い藍色の衣装。

  今回の公演では、舞台奥の幕に、それぞれの演目の舞台セットを思わせる画像が映し出されていた。この『ジゼル』では、暗い森に十字架が一つぽつんと立っている背景になった。だけど、このような背景は特に必要なかったのではないか。照明も異様に明るかったので、舞台は夜とは思えない明るさになった。

  そのせいもあって、ルンキナは前回の合同ガラでも『ジゼル』を踊ったが、あのときのような神秘的な雰囲気は、今回はあまり感じられなかった。

  理由は別にもあった。パ・ド・ドゥの出だしでのジゼルの踊りが、見慣れているものと違った。今回ルンキナが踊ったのは、去年のマリインスキー・バレエ日本公演のオールスター・ガラで、アリーナ・ソーモワが踊った『ジゼル』パ・ド・ドゥの振付と同じだった。『ジゼル』パ・ド・ドゥには、ガラ用のヴァージョンでもあるのだろうか。

  ヴォルチコフの踊りは普通だった。ただし、ボリショイ・バレエの男性プリンシパルの「普通」は、西欧のバレエ団におけるトップの男性プリンシパルたちに匹敵する。マリーヤ・アレクサンドロワとスヴェトラーナ・ザハロワが降板しても、すぐにアンナ・ニクーリナやガリーナ・ステパネンコのような高い能力のダンサーを出してくることからも分かるように、ボリショイ・バレエやマリインスキー・バレエのダンサーたちの層の厚さには、西欧のバレエ団はとても敵わない。 
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オーストラリア・バレエ団『くるみ割り人形』(3)

  舞台が暗転すると、再び紗幕が下りてきて、革命戦争、革命以後のロシアの様子、レーニンやスターリンの演説風景が映し出され、続けて、大きな黒い客船が出航する様、豪華なオペラ・ハウスなどが次々と紗幕に映ります。クララがバレエ・リュスの一員として祖国ロシアを離れたことを示しているようです。

  次はディヴェルティスマンとなります。マーフィーはスペイン、アラビア、中国の3つのみに絞りました。クララの加わっているバレエ・リュスの一行が、行く先々の国の踊り(もしくは現地の人々の様子)を見る、という流れで、これらのディヴェルティスマンを物語につないでいるのですが・・・・・・クララたちは本当に脇で見ているだけなので、伝統版のディヴェルティスマンとさほど変わらないように私には思えました。

  しかも、スペイン、アラビア、中国の踊りが、どれもみな超つまんねーの。正直言って。「スペインの踊り」はジプシーたちが踊る、という設定に変えてあるんだけど、振付には特に見るべきものはなし。もっとひどかったのが「アラビアの踊り」で、これはエジプトのスエズ運河で、船を河岸に引っ張る仕事の人夫たちがこき使われている様を踊りにしていました。マーフィーはよっぽどここの振付をするのがイヤだったんだな、と思えるほどひどい振付(?)でした。

  微妙なのは「中国の踊り」で、伝統版ではアップテンポな音楽に合わせた、軽快で速い動きの踊りになることが多いですが、マーフィーはなんと、大量の中国人がハエが止まりそうなぐらい超スローなテンポで太極拳をしている、という踊りにしました。

  ハイ・テンポな曲にスロー・テンポな振付を施したアイディアは面白いと思います。でも、見ててつまんなかったです。原因はたぶん、マーフィーは太極拳に詳しいわけではなく、ただ「太極拳っぽい」振付をしただけなので、動きの多様さに欠けること、また、ほとんどのダンサーたちに太極拳の実践経験がないだろうことです。

  そんなわけで、ディヴェルティスマンが面白くないというなら、いっそのことすべてのディヴェルティスマンを削除すればよかったのでは、と思うのですが、あのマシュー・ボーンでさえ、『ナットクラッカー!』でも、『スワンレイク』でも、結局はディヴェルティスマンを排除できなかったくらいですから、やはりディヴェルティスマンの扱いというか、始末は非常に難しいのでしょうね。

  そうそう、クララが人力車から下りて、中国人たちの太極拳を見物している間、車引きの中国人はしゃがんで待っています。たぶんオーストラリア人、また欧米人は、このポーズを見れば「東洋的」だと思うのでしょう。

  バレエ・リュスの一行はついにオーストラリアにやって来ます。背景はオーストラリアの新聞を拡大して貼り合わせたもので、「『全面』戦争突入!」とか書かれています。第二次世界大戦の勃発です。

  紺色のセーラー服を着たオーストラリアの水兵たち(ツ・チャオ・チョウ、ケヴィン・ジャクソン、チェンウ・グオ、ジャ・イン・ドゥ、ジェイコブ・ソーファー、マシュー・ドネリー)が、気勢をあげるように生声で叫び、喚声を上げています。ほー、声も出すか、と思いました。私は別に抵抗感はありません。

  水兵たちはアクロバティックな振りの踊りを踊りました。『白鳥の湖』では、あれほど軍服が似合ってなかったツ・チャオ・チョウが、セーラー服は妙に似合っていて、脚も長~く見えます。

  クララたちが船から下りると、水兵たちは女性たちに声をかけます。また、記者とカメラマンたちが現れて、バレエ・リュスのオーストラリア上陸を取材します。ついにセリフまでしゃべりやがった!!と驚きました。マーフィーはまた思い切ったことをしたもんだね。別にいいと思うけど、抵抗感を抱く観客もいるかもしれないですね。

  舞台奥の床一列に小さな照明が灯ります。ダンサーたちが客席に背中を向けて踊り始めます。群舞の奥にはクララがいて、やはり客席に背を向けてパートナーと踊っています。どうやら舞台の奥の向こうが客席という設定で、私たちがいる本当の客席は舞台の裏側という設定らしいです。これは非常に生々しい、まるで自分が舞台の裏側からダンサーたちの踊りを見ているような感覚がしたし、真っ暗な舞台の奥に観客がいるかのような気さえしました。すばらしい演出です。

  ダンサーたちの衣装は昔とは異なり、男性はタイツを穿き、女性のチュチュのスカートも短くなってなり、おかしなかつらもかぶっていません。

  やがてカーテン・コールとなり、クララが舞台の奥で、本当の客席には背を向けたまま、暗闇の向こうにいる「観客たち」にお辞儀をします。他のダンサーたちも舞台の脇から奥を見つめ、クララに拍手を送ります。

  クララはいったん退場しますが、再び舞台の脇から現れてお辞儀をします。クララはふと振り返ります。すると、そこにいたのは若いクララではなく、年老いたクララでした。クララは真っ直ぐに前に歩み出てきます。彼女は力強い瞳で、口元には微笑みが浮かんでいます。

  その背後に、年老いた彼女が住んでいる粗末なアパートの寝室が再び現れます。ベッドには子どものクララ、若いクララが横たわっています。年老いたクララはかつての自分たちと一緒にベッドに横たわります。

  子どものクララが、次に若いクララが、最後に年老いたクララがベッドの上に倒れこみます。ベッドの脇の椅子に座っていた医師(ロバート・カラン)は異変に気づき、あわててクララの脈を測ります。医師は呆然とした表情をしながらも、片手を胸に当て、クララの永遠の安息を祈ります。

  このラスト・シーンにも、思わずぐっときました。

  本当に、クララと一緒に、彼女の一生を追体験したような気分でした。見どころとなる踊りは若いクララ役のルシンダ・ダンが担当しましたが、最も印象に残ったのは年老いたクララ役のマリリン・ジョーンズです。ジョーンズに比べると、ダンはまだまだ青二才に思えたくらいでした。

  ディヴェルティスマンの部分には問題がありますが、マーフィー版『くるみ割り人形』は非常に良い作品だと思います。出演したすべてのダンサーを通じて、ロシアから亡命したバレエ・ダンサーたち、ひいては出演したオーストラリア・バレエ団の元ダンサーたち、そして現役ダンサーたち自身の人生が感じられて、なんというか、心に深く染み入ってくるものがありました。

  久しぶりに感動できる作品に出会えました。 
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オーストラリア・バレエ団『くるみ割り人形』(2)

  第一幕は非常に良くできていましたが、第二幕は少し問題ありだと思います。

  グレアム・マーフィーが伝統版『くるみ割り人形』の欠点として指摘した問題の一つは、第二幕で必然性に欠けるディヴェルティスマンが無意味に展開されることです。しかし、この問題は、マーフィーも結局は解決できていないように思えます。

  第二幕は、サンクトペテルブルクの帝室バレエ学校のレッスン風景から始まります。子どもの生徒たちがバー・レッスンをしています。生徒役はみな東京バレエ学校の生徒さんたちのようです。

  クララ(柴平くるみ)もその中にいて、いつしかひとりで踊り始めます。柴平くるみちゃんは、なんとオフ・ポワント(半爪先立ち)でグラン・フェッテを延々とやってのけました。とてもきれいでしたよ。すごいねえ。

  やがて、生徒たちは背景の鏡のドアから順番に出入りして、全員がルシンダ・ダンをはじめとするオーストラリア・バレエ団のダンサーたちに入れ替わります。高位貴族らしき人々が見学に訪れます。生徒たちは彼らの前で踊ってみせます。最後に全員がグラン・フェッテをしますが、次々と脱落していき、クララ一人だけが残ります。

  クララは貴族から青いリボンのついたメダルを贈られます。第一幕で、年老いたクララがクリスマス・ツリーの先に大事そうに飾っていたものです。こういう「後から分かる演出」っていいよね。

  そして、次はガラ公演で観たことのあるピクニックのシーンです。クララ、クララの友人たち(アンバー・スコット、ラナ・ジョーンズ)は、クララの恋人の将校(ロバート・カラン)、他の2人の将校たち(アンドリュー・キリアン、ティ・キング=ウォール)と、バスケットを持ってピクニックに出かけます。将校たちは軍服、クララたちはサマー・ドレスを着ています。

  そこへ、大きな鍬を持った農奴の親子が通りかかります。農奴たちはボロボロの服を着て、クララたちをじっと見つめ、やがて去っていきます。なんとなく気まずい雰囲気となり、クララの友人たちと将校たちは帰ってしまいます。

  クララと恋人の将校はふたりきりになります。クララと将校はふたりで踊り始めます。この踊りでも複雑なリフトが多用されていますが、ルシンダ・ダンとロバート・カランはテンポ良くスムーズに踊っていました。ルシンダ・ダンは肝が太いというか、「リフトされ上手」だよね。持ち上げられる前に、自分から持ち上がるような感じです。

  踊りが終わると、雷鳴がとどろき、雨が降ってきて、クララと将校は急いで去っていきます。さっき横を通っていった農奴の親子がまた現れます。彼らは地面に這いつくばり、クララたちのピクニックの食べこぼしを貪り食らいます。確かに、世界史の教科書にも載っている、帝政ロシア末期における有名な社会問題だけど・・・こんな演出が必要だったのかどうか?革命への流れとして入れたかったのかなあ。

  クララと将校はついに冬宮に招かれます。クララは豪奢なドレスに身を包んでいます。ニコライII世(ベン・デイヴィス)は美しいクララをいたくお気に召した様子。アレクサンドラ皇后(ローラ・トン)はそんな皇帝に睨みを利かせます。

  帝室マリインスキー劇場のプリマ・バレリーナの多くが王侯貴族の愛人であったのは知られています。ロシアに限らず、中央ヨーロッパの諸国(イギリスも含めて)も同様だったようですね。この「伝統」は後の時代にも引き継がれました。「囲い主」が王侯貴族から、ソ連では党の幹部に、中央ヨーロッパでは資本家に代わっただけの話。今はどうか知りませんが。バレエの歴史が新しいオーストラリアからみれば、こういう悪弊(だったのか?)はかなり異様なんでしょうね。

  この第二幕では、伝統版の『くるみ割り人形』では聞いたことのない音楽がいくつか演奏されました。チャイコフスキーのオリジナルに入っていた曲なのかどうかは分かりません。

  プログラムに掲載されていた、振付者のグレアム・マーフィーと今回の公演で指揮を担当したニコレット・フレイヨン(音楽監督/首席指揮者)の対談は非常に興味深かったです。謙遜していましたが、マーフィーは楽譜が読め、かつ専門的な音楽的知識と技術を持った人物のようで、自身で音楽を数値的に分析し、1小節レベルで振付を構成していることがうかがえます。

  たぶん、聞きなれない一連の音楽は、マーフィーがチャイコフスキーの音楽から付け加えたものではないでしょうか。

  帝室マリインスキー劇場でバレエが上演されます。皇帝夫妻、将校たちが観劇しています。最初はキンキラでけばけばしい(豪華ともいう)衣装を着た、長髪のかつらをかぶった女性と、バッチリぶ厚い衣装を(主に下半身に)着込んだ男性の群舞が踊りを披露します。衣装やポーズが時代がかっていて、今となっては野暮ったいのが面白いです。

  次に『くるみ割り人形』のグラン・パ・ドドゥのアダージョが、クララと男性ダンサー(ルディ・ホークス)によって踊られます。

  このアダージョの振付も伝統版とは違ったような?似たような感じはしましたが(←『くるみ割り人形』はあまり観たことないから分からない)。マーフィーによる新振付だとしても、さしたる魅力もなかったような。しいていえば、古い雰囲気を出すため(?)に、腕のポーズや動きがカクカクしていて、やや仰々しいポーズが多かったことぐらいでしょうか。でもここだけは、いっそプティパ/イワーノフの原振付を用いてもよかったのではないか、と思いました。

  クララが踊り終わると、恋人の将校は立ち上がって拍手します。ニコライII世も拍手していますが、隣のアレクサンドラ皇后は拍手しません(笑)。

  終演後、クララの楽屋には貴族のファンがつめかけます。彼らは宝石をクララに贈ります。クララは彼らをからかい、焦らしに焦らした上、宝石だけをちゃっかり受け取って、彼らを追い出してしまいます。クララ、まさにわが世の春です。

  恋人の将校も楽屋を訪れます。クララはとたんに真剣な表情になります。クララと将校は情熱的なパ・ド・ドゥを踊ります。この踊りでは、ダイナミックな動きやリフトが多く、特にルシンダ・ダンがもの凄い勢いで走っていって、身体を横にしてジャンプし、ダンの体をロバート・カランががっちりと受け止め、そのままダンをぶんぶん振り回すのが迫力ありました。

  しかし、そんなふたりの背後に、ロシア軍の隊伍が近づいてきます。将校もそれに加わります。立ち上がる労働者をデフォルメして描いた紗幕が下り、紗幕の陰のあちこちで火薬(←本物)が爆発し、大きな火花が散って、革命戦争がついに始まります。火薬の使用、これも古典バレエではありそうでなかった演出です。

  続く爆音にクララが耳をふさいだ瞬間、部隊の前面で陣頭指揮をとっていた恋人の将校が、銃弾の音とともに倒れます。恋人の死を知ったクララもその場に倒れます。

  すごく泣けたのが次のシーン。立ち上がったクララは顔をゆがめて泣きます。その背後から年老いたクララ(マリリン・ジョーンズ)が近づき、若いクララを慰めるように優しく、強く抱きしめます。そして、死んだ恋人の将校の写真が入った額を手渡します。若いクララは額を胸に抱きしめ、ますます泣きじゃくります。あ~、思い出すだけで涙が出てくる(泣)。
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オーストラリア・バレエ団『くるみ割り人形』(1)

  最終日(17日)の公演に行ってきました。グレアム・マーフィー版です。期待どおりの良い作品でした。

  伝統版の改訂版というより、マシュー・ボーンの『ナットクラッカー!』のように、ストーリーから踊りまでをすべて改作した「リテイル(retell)版」といえます。

  真夏にやって来るオーストラリアのクリスマスが舞台で、主人公のクララはオーストラリアに定住したロシア人の元プリマ・バレリーナという設定です。

  子どもたちが遊ぶ路上の脇に立つ粗末な二階建てのアパート。外で遊ぶ子どもたちはみな夏の軽い服装をしています。同じく半袖のワンピースを着た一人の年老いた女性、クララ(マリリン・ジョーンズ)が買い物から部屋に戻ってきます。

  机の上には小さなクリスマス・ツリーが置かれていて、クララはアクセサリーでツリーを飾り、ツリーのいちばん上に青いリボンのついた銀のメダルを引っかけます。ふと、クララは壁にかけてある、黒白の古ぼけた写真の入った額を外し、しげしげと見入ります。

  序曲の始まり方が面白かったです。クララが机の上にあるラジオをつけると、スピーカーから『くるみ割り人形』の序曲が流れます。途中、その後を引き取る形で、オーケストラが序曲の演奏を始める、というものです。

  やがて、数名の老人たちがクララの部屋を訪ねてきます。男性はやはり夏用のスーツ、女性たちは半袖のワンピースを着ています。彼らはクララと同じく、オーストラリアに定住したロシア人たちです。ロシア人たちはクララにマトリョーシカをプレゼントします。クララは彼らと一緒にクリスマスを祝い、みなで踊ります。

  伝統版『くるみ割り人形』の出だしはガキんちょの群れが踊りますが、このマーフィー版では老人たちが踊るわけです。

  クララをはじめとする亡命ロシア人たちの役は、みなオーストラリア・バレエ団の元団員ということです。特に、クララ役のマリリン・ジョーンズは、ルドルフ・ヌレエフなど往年の名ダンサーたちと共演した本物の元プリマ・バレリーナで、スタントン・ウェルチ、ダミアン・ウェルチのお母さんだそうです。そうすると60歳は越えているはずですが、とても若々しくきれいな人で、晩年のマーゴ・フォンテーンのようでした。

  さすがは元プリマ・バレリーナというべきか、マリリン・ジョーンズの表情には深みがあり、終始穏やかな微笑みを浮かべながらも、過ぎ去った栄光の日々を懐かしみ、なによりも愛する恋人と祖国を失った哀しみをずっと引きずっている、どこか影のある老婦人を見事に演じていました。

  現役を退いてもう数十年も経つのでしょうが、表情のちょっとした変化や一挙手一投足につい注意が向いてしまうような、ジョーンズの存在感の強さは、さすが元プリマ・バレリーナ、という感じでした。

  そこへ、医師(ロバート・カラン)が訪れます。往診カバンを持ち、黒いスーツにメガネをかけた姿。あら!?なんかカッコいい?このまえ観た『白鳥の湖』では、「顔は中級」とか書いちゃったけど。というか、私はメガネ男が好きなのよん。

  医師はクララのかかりつけらしい。医師はクリスマス・プレゼントのつもりか、映写機を取り出します。ロシア人たちがシーツを広げて持ち、スクリーン代わりにします。映るかよ、と思いましたが、ちゃんと映っていました。そういう素材で作られているんですね。シーツのスクリーンに映ったのは、白黒のバレエ公演の様子でした。

  シーツのスクリーンに映像が映ると同時に、舞台の背景全体に同じ映像が映し出されます。背景は凹凸の多いセットでしたが、意外とちゃんと映るし、劇的な効果もありますね。

  クララはすっかり喜び、昔のように踊り出します。しかし、踊っているうちにふらついて倒れかけます。医師があわてて抱きかかえ、カウチに座らせます。クララは胸を押さえて苦しげな表情をしています。どうやら彼女は心臓が良くないようです。

  医師と女性たちがクララをかばうようにして二階の寝室に連れて行きます。医師はクララをベッドに寝かせます。突然、ベッドの傍の窓から、若いバレリーナが現れ、白い両腕をぬっと差し出します。それから大きなねずみも顔をのぞかせます。クララは驚きますが、他の人々は気づきません。ロシア人たちはクララに挨拶をして帰っていき、医師はクララのベッドの横の椅子に腰かけます。

  時計が12時の鐘を鳴らします。医師は椅子に座ったまま眠ってしまったようです。クララはひとりで起き、階下に降りていきます。時計の下には、ロシア人たちからもらったマトリョーシカが大きくなって立っています。クララがマトリョーシカを開けていくと、中から白い軍服を着た恋人の士官が現れます。

  すると、あちこちから大きなねずみたちが現れます。ねずみたちは厚手の草色の軍服のコートを着て、腕には紅い腕章をつけています。ねずみたちは白い軍服の士官を捕まえ、銃殺してしまいます。ねずみたちは大きな紅い旗を高く振り回します。ねずみに革命兵の格好をさせたのは良いアイディアです。

  ここで確か紗幕が下りて、革命時のロシア社会の様子、レーニンの演説風景などが映し出されます。そして、昼間にクララが見入っていた、黒白の写真の人物の顔が大きく映った幕が、何枚も何枚も何枚もクララの前に下りてきます。まるで開けても開けても人形が入っているマトリョーシカのように。

  クララは混乱してベッドに逃げ戻ります。気配に気づいた医師が目覚め、クララの体にブランケットをかけ直してやります。すると、クララが再びゆっくりと起き上がります。そこにいたのは年老いたクララではなく、若いクララ(ルシンダ・ダン)でした。

  年老いたクララ役のマリリン・ジョーンズと若いクララ役のルシンダ・ダンがベッドの中で入れ替わり、ルシンダ・ダンのクララが医師と向き合った瞬間に、あの音楽(王子が起き上がってクララと出会う場面の「た~ら~ら~ら~♪」っていうアレ)が演奏されます。マーフィー、なかなかやりますなー。

  医師が着ていた上着を脱ぎ、クララがズボンを脱がせると(←ちょっと笑った)、その下から現れたのはロシア将校の白い軍服でした。クララと恋人の将校はゆっくりと踊り始めます。クラシカルな、きれいな振付のパ・ド・ドゥでした。ルシンダ・ダンのたおやかな腕の動きと美しい四肢のポーズ、ロバート・カランの流れるようなリフトに見とれました。ところで、メガネを外したロバート・カランを見たら、やっぱり「顔は中級」と再び思いました。メガネ・マジック(←チャウ限定?)恐るべし。

  暗転した後は、白いポンポンみたいなかつらをつけ、古風なデザイン(スカートが長めでふっくらしている)の白いチュチュを着た群舞が現れて踊り、空から雪が降り落ちます。背景は白銀のカーテン。若いクララ、年老いたクララが現れて、白銀のカーテンの中へ消えていきます。そして、年老いた亡命ロシア人たちも現れ、同じく白銀のカーテンの中へ、つまりそれぞれの過去へと戻っていきます。

  子どものクララ(柴平くるみ)も白い毛皮の縁取りのついたコートを着て、他の子どもたちとともにその場にいます。同じく豪華な毛皮のコートに身を包んだクララの母親が現れ、クララにピンクのトゥ・シューズを渡します。クララは嬉しげな様子でトゥ・シューズを抱えます。

  背景にギリシャ正教のイコン風のマリア像(?)が現れます。親子はマリア像に向かって歩いていきます。ここで第一幕が終わります。

  第一幕はすごく良く構成されていると思います。演出もすばらしいです。ミュージカル、コンテンポラリー・バレエではいまや当たり前な、映像による効果を取り入れたのも、いまだに幕やセットといった「物」と照明だけで勝負しがちな古典作品(←あくまで私の印象では)では斬新でしょう。

  また、第一幕、およそ1時間のほとんどが、じいさんばあさん(本当にすみません)による演技だけだったというのに、飽きがこなかったというのもすごい。構成・演出の良さに加えて、クララ役のマリリン・ジョーンズをはじめとする、オーストラリア・バレエ団の元団員たちによる演技がすばらしかったせいだと思います。

  ダンサーとして長い時間を過ごして豊富なキャリアを持ち、人生経験も積んだ人々による演技は、若いダンサーが年寄りの役をするよりも、はるかに現実味と説得性がありました。
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あらためてオーストラリア・バレエ団『白鳥の湖』(2)

  ロットバルト男爵夫人の夫(だからつまりロットバルト男爵だよね)役のフランク・レオがちょっとツボでした。のっぺりした、つるんとした顔、鷲鼻、弓なりの細い眉で、顔立ちがまさに「麿」(笑)。気取ってはいるものの、実は妻に頭が上がらない。妻とジークフリート王子との関係ももちろん承知の上で、あえて見て見ぬフリをしている。

  ジークフリート王子の弟と思われる「公爵」(←アンドリュー王子がモデルだよね?)の婚約者役、本坊怜子さんがなにげにすばらしく、将来に大いに期待が持てると思いました。

  本坊さんは、欧米ウケするアジアン・ビューティーの枠からは外れると思いますが、アジアではまぎれもなく美人です。小顔で細面、目鼻立ちがはっきりしており、魅力的な大きな瞳がきらきらしていて、とても可憐です。

  小柄ですが、マドレーヌ・イーストーと同様、それだけに敏捷に動くことができ、しかも身体能力もかなり高いとお見受けしました。第一幕と第三幕での踊りを見ただけですが、いいとこまでいくダンサーだと思います。ただひとつ、フィッシュ・ダイブ(第三幕)はもっと練習しませう。

  ゲイのカップル役と思われる、伯爵(ダニエル・ゴーディエロ?)と伯爵の侍従(ツ・チャオ・チョウ)は、第一幕での踊りはあまり良くなかったですが、第三幕での踊りでは、目を疑うような超絶技巧を次々と繰り広げ、見事にキメておりました。

  伯爵の侍従役のツ・チャオ・チョウは、短い髪型だったせいもあって、かなり孫悟空っぽかったです。それから、身体能力に恵まれていること、テクニックが見事なことは確かですが、どちらかというと中国雑技・武術系の動き方をしており、時にバレエに見えませんでした。プロフィルを見ると、彼は台湾の出身です。どうしてああいう踊り方になってしまうのか?

  あと、踊らない役ですが、宮廷医役のルーク・インガムが黒髪メガネのイケメンで、ああいう医者になら強制入院させられてみたいと思いました。

  第一幕はみな緊張していたのか、特に群舞が揃っておらず、雑然とした踊りになってしまいがちで、オーストラリア・バレエ団はこの程度だったっけ、と不審に思いました。ただ、ほぼ同じ面子が登場した第三幕では特にアラは目立たなかったので、やはり第一幕は気持ち的にまだそれぞれの役に入り込めていなかったのでしょう。

  白鳥(黒鳥)のコール・ドもきれいでした。第二幕、第四幕のエッシャーの「波形表面」を用いた舞台美術は、やはりうっとり見とれるほど美しいよね。

  第二幕、第四幕は、オデットの心の中の情景なわけですが、前回に観たときよりも、今回のほうが、そのことがより分かりました。第二幕、病院に強制入院させられたオデットは白鳥になって自由に飛んでいきたいと願い、それがあの湖畔の風景にリンクします。白鳥となったオデットの前に現れる王子は、オデットがそうあってほしいと願っている妄想上の王子です。

  第二幕でのオデットと王子との踊りは、第一幕の最後で、錯乱したオデットを王子が手荒く咎めるときの踊りを再現したものです。ただし第二幕では、第一幕とは正反対に、優しい愛の踊りになっているわけです。オデットがそうであってほしいと望んだように。

  第四幕、狂ったように乱れ飛ぶ黒鳥たちはいうまでもなく、再び入院させられそうになって逃げ惑い、混乱したオデットの心を表しています。しかし、オデットの許に駆けつけた王子は、今度はオデットの妄想ではなく、現実の王子の姿をそのまま映し出したものです。ちなみに、ロットバルト男爵夫人も現れますが、これはオデットの心の中の残像でしょう。王子がオデットに駆け寄って彼女を強く抱きしめたとき、オデットの心から、ようやくロットバルト男爵夫人の存在が消え去ったのだと思います。

  ただ、なんでオデットが死ななければならないのか、まったく納得がいきません。普段は男性ダンサーがする、永遠の愛を神に誓うマイム(指を立てた右手を差し上げる)を、湖の底に沈んでいくオデットが王子に向かってやる姿には違和感を覚えます。ついでにいうと、沈んでいくオデットを助けようともせず、能天気に同じマイムをやり返す王子にも違和感が大ありです。ぼさっとしてないでさっさと助けに行けよ、などと、つい不毛なことを思ってしまいます。

  だってさあ、伝統版の『白鳥の湖』の王子は、オデットを助けようとして溺れて死んじゃうんだぜ。とかく理解不能な行動をとりがちな伝統版の登場人物でさえ、こうして人として当然な行為をするのに、マーフィー版の王子はなぜ人命(しかも自分の女房の)救助をしないのだろうか?

  なおわるいことに、死にゆくオデットが愛を誓うあのマイムが、私にはどうしてもピースサインに見えてしまうんだよ。あやうく噴き出すところでした。

  指揮者はニコレット・フレイヨン、小柄な女性でした。ショート・カットにきびきびした動作、カッコよかったです。演奏は東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団で、今回は特に気になるミスもなく、すばらしかったです。

  明日(もう今日だ)はマーフィー版『くるみ割り人形』を観に行きます。今回はこっちが真打だから、楽しみです~♪
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あらためてオーストラリア・バレエ団『白鳥の湖』(1)

  気にしたことなかったけど、オーストラリア・バレエ団のダンサーの位階制度は、上から順に、

   プリンシパル・アーティスト
   シニア・アーティスト
   ソリスト
   コリフェ
   コール・ド・バレエ

というものらしいですね。他に、「ゲスト・アーティスト」という位階があって、主に年長のダンサーたちからなり、演技中心の役を担当しているようです。

  私、てっきり「シニア・アーティスト」が、演技中心の役を担当している位階だと思い込んでいて、なんでシニア・アーティストが主役や準主役を踊っているのか、不思議に思ったんです。

  「シニア・アーティスト」の「シニア」って、「上位の」という意味であって、「年長の」という意味ではなかったんですね。英国ロイヤル・バレエ団だと、「ファースト・ソリスト」に相当する位階ですね。プリンシパルの次位。

  さて、グレアム・マーフィー版『白鳥の湖』。前回の来日公演(2007年)で、ジークフリート王子を踊ったダミアン・ウェルチはどうやら退団したようです。ツイードのスーツ姿で踊る姿が、男の色気ムンムンでセクシーだったのにな~。もったいない。

  そうなるとルシンダ・ダンしか興味のあるダンサーがおりません。よって、ルシンダ・ダンがロットバルト男爵夫人を踊る日を選びました。

  バレエ史上最低男の1、2位を争うジークフリート王子を踊ったのはロバート・カラン。中肉中背、ついでにお顔も中級です(いつものことながら口が悪くてごめんね)。

  さるインタビューで、オーストラリア・バレエ団の他の男性プリンシパルが、タイツ衣装よりも現代の普通の服のほうが踊りやすい、的なことを言っていました。その割には、カランがスーツを着て踊る王子のソロには、特に見るべきところもなかったように思います。

  テクニックも終始不安定だったし、動きにもさしたる魅力はなく、また、オデットとロットバルト男爵夫人との間で揺れ動く王子の、自分勝手な悩みとはいえ、思い悩む気持ちも感じられませんでした。

  ただ、カランはパートナリングが非常に上手で、というのは、このマーフィー版『白鳥の湖』のジークフリート王子は、オデット、ロットバルト男爵夫人とのパ・ド・ドゥ、更に、オデットとロットバルト男爵夫人を同時に相手にして踊るパ・ド・トロワがあります。

  マーフィーの振付にはトリッキーな動きが多いですが、ジークフリート王子も複雑で難しいサポートやリフトをこなさなくてはいけません。カランのパートナリングは、オデットと踊ろうが、ロットバルト男爵夫人と踊ろうが、常に流れるようにスムーズで、観ているほうも大いに頼りがいを感じました。

  オデット役は映画『小さな村の小さなダンサー』にも出演したマドレーヌ・イーストーでした。目の大きな可愛らしい顔立ちを持ち、小柄でほっそりした体つきをしていますが、しっかりしたテクニックでパワフルに踊ります。

  第一幕でオデットが狂乱する場面での踊りがやはり圧巻でした。ほとんどの版で「黒鳥のパ・ド・ドゥ」として使われる音楽に合わせて、大きくジャンプ、ダイブしながら、男性たちに息もつかせず次々と身を投げ出して、高くリフトされます。実にスピーディーでテンポよく、ハッピーなシーンではないですが、見ごたえがありました。グラン・フェッテをしながら舞台を大きく周回していくところも凄かった。

  第1幕の最後、通常の版では道化がピルエットを長く続ける音楽で、オデットは垂直に飛び跳ねながら、すっごく細かくて複雑なステップで踊ります。マーフィー、無茶な振付すんなあ~、イーストーはよく捻挫しないものだ、と思ってしまうほど複雑な動きでした。

  ただ、イーストーのオデットは存在感が今ひとつ薄いというか、確かにマーフィー版のオデットは精神的に脆くて不安定、更に妄想症状まである女性です。それでも、精神的に弱いという役柄ならば、そんな役柄ならではの表現の仕方、存在感の示し方があるでしょう。イーストーによるオデットの演技はひたすら「弱い」に終始しており、それは役柄のせいというよりは、イーストー自身の演技力と存在感の弱さのせいに思えました。

  ジークフリート王子役のロバート・カランも演技や表現が弱かったので、ジークフリート王子とオデットとの間に漂っているはずの、危うさ、緊張感、不安定さ、脆さなどが強く伝わってきませんでした。

  ロットバルト男爵夫人はルシンダ・ダンでした。この役はダンのはまり役だと思うのですが、なぜ映像版(DVD)のロットバルト男爵夫人役がダンではないのか不思議です(私はそれでDVDを買うのをやめました)。

  ダンの踊りはまさに別格で、テクニックはもちろん、ちょっとした手足の動きからして、他の女性ダンサーたちとは明らかに違います。見せ方も上手いし、まさにプロフェッショナル。演技は抑え目で、表情もあまり変えませんでしたが、逆にロットバルト男爵夫人の狡猾さ、したたかさが強く漂っていました。特に、伏し目にしたときの表情には、女のふてぶてしさが感じられました。  

  第三幕、オデットの出現によって、王子がオデットに心を移し始めたのを覚り、ロットバルト男爵夫人はロシアの踊りの音楽でソロを踊り、王子の心を自分につなぎとめようとします。このソロは、ルシンダ・ダンはガラ公演などでも踊っていますね。ロットバルト男爵夫人最大の見せ場です。

  ダンが舞台の中央にトゥで立って、パン、と大きく手を打ったときの存在感からして強烈です。踊りそのもので物を言えていたのは、このルシンダ・ダンくらいではなかったでしょうか。ロットバルト男爵夫人のオデットへの嫉妬、王子への執着といった情念、王子に対する、私を見て!という強い自己主張が踊りから伝わってきました。

  長くなったので、(2)に続きます。 
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オーストラリア・バレエ団『白鳥の湖』

  2007年に行われたオーストラリア・バレエ団日本公演で、日本初演されたグレアム・マーフィー版です。これを今回も持ってきたってことは、前回の公演でよほど大好評だったってことなのかしらん。

  感想を書きたいけど、詳しくは明日にでも(時間があればの話だが・・・)。以下、簡単に。

  3年前の日本公演以後、大幅な団員入れ替えでもあったのか、舞台全体の出来は今ひとつと感じました。その最も大きな原因は群舞の踊りの不揃いさ・粗雑さです。

  でも、演出や振付に細かい改訂が施されていたようで、3年前には分かりにくかったところが、今回はすんなり納得できました。

  ロットバルト男爵夫人役のルシンダ・ダンはやはり別格。すばらしい!!!

  ジークフリート王子役のロバート・カランは、ソロは惨憺たるものでしたが、パートナリングは非常にすばらしかったです。

  オデット役のマドレーヌ・イーストーは、小柄な身体を生かした敏捷な動きと細かい足さばきが見事で、そして物凄いパワーとスタミナで踊ってました。でも、演技や踊りはまあ普通かな~、という感じ。3年前に観たカースティ・マーティンのオデットのほうが、いまだに強く印象に残ってます。

  あと、日本人団員(女性)で、かなり将来有望そうな方がいましたよん。本坊怜子(ほんぼう・れいこ)さんです。現在はソリストですが、プリンシパルになれるといいですね。
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COLD SLEEP(2)

  舞台装置は簡素で、舞台の真ん中にひし形状に置かれた階段つきの小舞台、その背景に和紙で作った照明器具のような四角柱の巨大な背景、右脇には西洋と日本のあらゆる種類の打楽器のセットのみ。

  最初、なんかエコでロハスでスロー・ライフな内容のナレーション(男性)がありましたが、忘れました。

  小舞台の真ん中に白いドレスの女性(川井郁子さん)が横たわっていて、ゆっくりと起き上がります。ヴァイオリンと弓を持っていたせいもあってか、起き上がり方がぎこちなくて素人くさかったですが、彼女は役者やダンサーじゃないんだから当たり前です。

  一応ストーリーはあります。近未来を舞台にした、地球死滅・人類絶滅後の再創世神話みたいなものです。主人公は女(川井郁子)と男(ファルフ・ルジマトフ)。彼らふたりが出会って、愛しあって、別れて、また出会って、戦って、また別れて、また出会って、さてそれからどうなるんでしょう、というお話。

  川井さんはほぼ出ずっぱりでヴァイオリンを弾いておりました。アンプから音を流してましたが、昨今のコンサートではアリなのでしょうか?ルジマトフは要処要処に出てきてソロ(岩田守弘振付)を踊り、第2部の最後にバッハの「シャコンヌ」(ホセ・リモン振付)を踊りました。

  最初は「男」が誕生した、というシーンだったので、ルジマトフは腰にミニ・スカート風の布きれを着けていただけでした。髪の毛は明るい栗色に染めていました。その次は上半身裸で、えんじっぽいハーレム・パンツ風のズボンを穿き、前髪だけを後ろにしばって流した姿(←「阿修羅」っぽかった)、最後は黒いシャツに黒いズボン、髪を全部まとめて後ろできちっとしばる、という悶絶もののカッコよい衣装で登場しました。

  ほとんど全裸で舞台上に現れたときから、ルジマトフはその裸身でなにかを物語っておりました。身体の輪郭が、手足の長さが、腕、胸、脚の筋肉の盛り上がり、窪みの一つ一つが、ここまで雄弁に物言うダンサーもめずらしい。

  対して、川井さんの音楽と演奏からは、私は何も感じ取ることができませんでした。ルジマトフに集中していたからというせいもあります。でも、川井さんの音楽も演奏にも、ルジマトフの踊りを見るときに感じるような、強い磁力に否応もなくぐいっ、と引っ張られるような感覚を抱けません。

  音楽はほとんど川井さんの自作曲でした。いずれも似たようなメロディで、ヒーリング・ミュージック風なイージー・リスニングというか、聴いていてクリスチャン・ラッセンの絵を音楽にしたらこーなるだろうな、と思いました(ラッセンの絵をお持ちの方、本当にすみません)。

  岩田さんの振付はクラシックをベースにしたものでしたが、あまりにお約束なクラシック過ぎず、あまりに難解で複雑なコンテンポラリー過ぎず、ルジマトフのポーズや動きの「基本の美しさ」と、ルジマトフというダンサーの「基本の凄さ」を強調した踊りという印象を受けました。ホセ・リモンの振付には、黒い衣装のせいもあってか、しゅっと引き締まった、鋭い光のような、緊張感に満ちた印象を受けました。

  舞台上のルジマトフがとにかくデカい!両腕を広げると、大鷲が羽ばたくような勇壮な迫力があります。ルジマトフの圧倒的な存在感と放射状に発散される強烈なオーラで、はっきり言ってしまえば、川井さんの影が薄くなってしまったというか、川井さんの素人くささと底の浅さが明らかになってしまったというか、川井郁子とファルフ・ルジマトフとのコラボレーションというよりは、「ファルフ・ルジマトフ with 川井郁子」になってしまいました。ロビーの花輪の列とは正反対に。

  バレエ公演でのルジマトフに比べると、今回の公演でのルジマトフの踊りは「普通レベル」のものだと思います。それでも、上に書いたとおり、いわば「ファルフ・ルジマトフ~基礎編~」をゆっくりじっくり堪能できて、充分に楽しめました。最後の「シャコンヌ」は凄かったです。

  バッハの音楽が持つ力(と演奏に使用されたストラディヴァリウス)のせいもあると思いますが、黒いシャツを着たルジマトフが腕を振るたびに、汗の滴が黒い背景にぱっと散るの。それも、ルジマトフが腕を鋭く振ってから止めた瞬間に、汗の滴が光りながら線状に散っていく。はっとしました。静かにゆっくり踊っているように見えて、その実、ルジマトフがどれだけ力を凝縮して踊っているのか。周囲の観客たちも息を呑んだのが分かりました。えもいわれぬ凄絶な美しさと迫力に満ちていました。

  ところで、最後のほうで、ルジマトフが何か叫んだ(←はじめて生声を聞いた)んだけど、あれは何と言ったのでしょうか?聞き取れた方、どうぞご教示下さい。

  あと凄かったのが、打楽器を担当した3人の奏者です。特にメイン奏者の女性(高田みどりさん)!特に第2部の冒頭、打楽器のみの演奏場面は、ずっとこのまま聴いていたい、と思ったくらい。そう、それぞれの楽器に、それぞれのマイスターがいるんだよな、と実感しました。こういう凄い人が、脇のほうで静かな表情で、しかし力強く演奏している。カーテン・コールで、高田さんへの拍手がひときわ大きかったのもむべなるかな。いや、かくあるべし。

  主役であろう川井郁子さんについて、ほとんど賛辞らしいことを書いてきませんでしたが、正直なところ、川井さんの演奏のほとんどを、観客はアンプを通して聴かされたので、川井さんの演奏がよかったのかよくなかったのか、どーもよく分かりません。最後の「シャコンヌ」は良かったけど、あれは楽器のおかげかもしれないし(←そーいうもんなのか!?)。

  いいにくいけど、個人的にドン引きだったのが、川井さんの衣装でした。第1部は白、そして淡いオレンジの薄手の生地のドレスで、バレエを観ている人間にとっては何の違和感もありませんでした。ある観客は(おそらくクラシック音楽のファンだろうと思われます)、「ヴァイオリニストにしては肌の露出が多いねえ。透けて見えるし・・・」と言ってましたが。

  しかし、第2部はよー、あれは、はっきし言って、アキバ系の方々か、もしくは歌舞伎町の一部の方々がお喜びになりそうなドレスでした。真っ赤なシースルーの生地のドレスで、腰には黒い皮のビスチェ、黒い皮のボクサータイプのパンツ、とどめに黒い皮の腿上まである丈のハイヒールのブーツ。黒いムチ持ったら完璧、という姿。

  冗談はさておき、プロのヴァイオリニストで、デビュー10周年という人が、自作曲は暗譜しているのに、バッハの「シャコンヌ」は暗譜できていない、その「シャコンヌ」も、速く細かい部分では演奏がたるんで遅れてしまう、というのでは、とても好意的には書けないです。

  こういうアイドル的「ヴァイオリニスト」の存在を否定はしません。能力だけでやっていけるヴァイオリニストもいますが、そうでない人は、美貌、マスコミ・大企業・テレビ局・芸能人との結びつきを武器にすればよいのです。これで、たぶん10~20年間くらいは、「ヴァイオリニスト」としてやっていけるでしょう。ファンもつくでしょう。そのあとは「ヴァイオリニストであると同時にセレブなマダム」(←後者に比重がおかれる)的存在になるんでしょうね。それに「エッセイスト」とかいう肩書きも加わるかもしれない。

  どうも我ながら意地が悪いな・・・・・・。川井さん、ごめんなさい。カーテン・コールでの、川井さんの心から感激している表情を見て、私は、「この人、一生懸命なんだ、純粋で繊細な人なんだ」とよく分かりました。でも同時に、生活していけるかどうかの瀬戸際とは、およそかけ離れた明るい場所に、ずっと居て、今も居て、これからも居続ける人だということも分かってしまって、なんだかやりきれない思いでした。

  ところで、新国立劇場合唱団の人は、なんで契約更新を拒否されたのかな(大体察しがつく気もするが)。今度、日本音楽家ユニオンに電話して聞いてみよう。
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