アダム・クーパー『雨に唄えば』出演延長か


  アダム・クーパーの公式サイトですでに発表されていますが、

  『雨に唄えば』の公演が、来年(2013年)の2月28日まで延長されることが正式に決定しました。アダム・クーパーも引き続き、ドン・ロックウッド役として出演すると解釈してよいと思います(たぶん)。

  彼にとっては、1週間8公演、週休1日のハード・スケジュールが丸々1年間も続くという、もはや驚異的な生活サイクルとなりました。しかも、アダム・クーパーは毎回ずぶぬれになりながら、歌って踊るのですよ!?

  『雨に唄えば』がロングランになったこと、アダム・クーパーの出演が延長されたらしいことは嬉しいですが、どうか身体を大事にしてほしいです。クーパーは怪我や病気をほとんどしない人だし、心身のバランスがすごく良く取れている人でもあるので、大丈夫だとは思いますが…。

  これも同じく公式サイトで発表されました。『雨に唄えば』のCDレコーディングが行なわれたそうです。 発売は今年の末だって。CDか~。映像版じゃないのはかな~り残念だけど、とにかくおめでとうございます~。

  ラジオやテレビのインタビューだの、ガラ公演がテレビ中継されたり(←You Tubeにアップされてます)だの、トラファルガー広場でライブだの益々の御活躍で、ファンとしてはもちろん嬉しいです。同時に一抹の寂しさ、つまりアダム・クーパーがどんどん「雲の上の人」になっていくのではないかという思いも抱いてしまいます。

  しかし、この3月に『雨に唄えば』を観に行ったとき、アダム・クーパーは自分の成功を、距離を置いて冷静に眺めているように感じました。まったく有頂天になってなかったのです。自分が主演の舞台があれほど成功すれば、ある程度はいい気になって浮かれて当然なはずなのに。

  個人的に思うことには、この『雨に唄えば』で、アダム・クーパーはマシュー・ボーン『白鳥の湖』を完全に卒業したというか、超えました。今まで彼に付されていた冠言葉は「マシュー・ボーンの『白鳥の湖』でセクシーなスワンを踊った」でしたが、これからは「2012年ウエスト・エンドの『雨に唄えば』でドン・ロックウッドを演じた」が加わることになるでしょう。

  いかん、思い出したら、また観に行きたくなっちゃった(笑)。

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新国立劇場バレエ団『マノン』(6月24、26日)-1


 『マノン』

  原作:アベ・プレヴォ

  振付:ケネス・マクミラン

  音楽:ジュール・マスネ
  音楽構成・編曲:リートン・ルーカス、ヒルダ・ゴーント
  改訂編曲:マーティン・イェーツ

  装置・衣装:ピーター・ファーマー(ニコラス・ジョージアディスの原デザインによる)

  演出:カール・バーネット、パトリシア・ルアンヌ

  照明:沢田祐二

  監修:デボラ・マクミラン


  マノン:サラ・ウェッブ(ヒューストン・バレエ)
  デ・グリュー:コナー・ウォルシュ(ヒューストン・バレエ)

  レスコー:古川和則
  レスコーの愛人:湯川麻美子

  マダム:堀岡美香
  ムッシューG.M.:マイレン・トレウバエフ

  乞食のかしら:吉本泰久
  高級娼婦:厚木三杏、長田佳世、堀口 純、川口 藍、細田千晶
  紳士:江本 拓、原 健太、奥村康祐

  看守:厚地康雄

  ねずみ捕りの男:小笠原一真


  演奏:東京フィルハーモニー交響楽団
  指揮:マーティン・イェーツ


  今回の装置と衣装はオーストラリアン・バレエからのレンタルだそうです。去年の小林紀子バレエ・シアターの公演もそうでした。にしては、マノンの衣装が微妙に違うように思いましたが、マノン役のサラ・ウェッブの自前衣装だったのかしらん。

  デザインがピーター・ファーマーなのは、小林紀子さんによると(2011年小林紀子バレエ・シアター『マノン』公演プログラム)、英国ロイヤル・バレエが用いている、ニコラス・ジョージアディスがデザインした衣装や装置とそっくり同じものを作ろうとすると、コストが大幅にかかるんだそうです。

  そこでオーストラリアン・バレエはピーター・ファーマーに再デザインを依頼し、ファーマーはジョージアディスの原デザインに沿いつつも、より低コストで作成可能な衣装と装置をデザインし直したとのこと。

  私はファーマーのデザインのほうが好きですね。つっても、細かい違いなんか分かってなくて、ただ単にファーマーのほうはヘンなヅラを使ってないからというだけの理由です。

  『ロミオとジュリエット』の3人の娼婦でも明らかなように、ニコラス・ジョージアディスはヘンなヅラマニアだったのだろうと私は踏んでます。『マノン』もその例外ではなく、第二幕の娼婦たちや、第三幕のニューオーリンズの街の女たちは、みーんなパパイヤ鈴木みたいなアフロヅラをかぶってます。

  しかし、ファーマーのデザインだと、娼婦たちのヅラはロココ調で許容範囲内ですし、街の女たちは地毛をひっつめ髪にしてあるだけなので、ドリフの爆発コントみたいなヅラよりもはるかに自然で、素の美しさが引き立ちます。

  今回の指揮者は、『マノン』の音楽の改訂編曲を担当したマーティン・イェーツ御本人です。イェーツのこの改訂編曲版が、現在は本家の英国ロイヤル・バレエをはじめとして、世界中のカンパニーで用いられているとのことです。イェーツは、実は隠れた豪華キャストですな。でもやっぱり、リートン・ルーカス&ヒルダ・ゴーント版との違いがよく分かんないのですが。

  東京フィルハーモニー交響楽団の演奏は非常にすばらしかったです。『マノン』の前奏曲のあの静かな出だしを聴くと、毎度ゾクッときます。オリジナルの選曲&編曲者であるルーカスとゴーントは偉大だ。

  音楽はすごく良かったですが、イェーツ氏には、たとえば第三幕の冒頭、埠頭で兵士たちと女たちが踊るシーンはもうちょっと速く、ラストの沼地のシーンはもうちょっと遅く演奏してほしいです。デ・グリューとマノンの脳裏に現れる人々役のダンサーたちが、演奏があまりに速いので、あわただしく急いで動き回ってて大変そうだったぞ。

  沼地のパ・ド・ドゥも、もうちょっと迫力ある演奏希望。

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新国立劇場バレエ団『マノン』(6月24日)


  また無更新記録更新ですね~。とりあえず元気でやってます。

  しかし、トシのせいで体力・気力がともにめっきり落ちてしまい、以前のように頻繁にバレエを観ることが難しくなりました。

  この5月の連休明け、新国立劇場バレエ団の『白鳥の湖』を仕事の帰りに観に行ったところ、翌日から疲労が原因で体調を崩しました。完全復調するまでに10日間もかかったので、以来、とにかく健康第一を目標に掲げ、適度な運動、健康的な食生活、休息時間をたっぷり取るなどの努力をして、体に過度の負担をかけないよう過ごしております。いや~、トシは取りたくないもんだ(歎)。

  また、以前ほどがっついてバレエを観たい気持ちもなくなりました。シュトゥットガルト・バレエ団の公演も観に行きませんでした(←演目に興味が持てなかった)。グルジア国立バレエの公演や世界バレエ・フェスティバルも観に行きません(←ニーナ・アナニアシヴィリに特に思い入れがなく、世界バレエ・フェスティバルは前回観てうんざりした)。

  今のところ観に行く予定でチケットを購入済みのバレエ公演は、夏の小林紀子バレエ・シアターの『アナスタシア』と、冬のマリインスキー・バレエ日本公演『ラ・バヤデール』、『アンナ・カレーニナ』、『白鳥の湖』だけです。

  1ヶ月に1回ほどバレエを観られればいいかなあ、と今は思います。

  で、6月のバレエ鑑賞は新国立劇場バレエ団『マノン』です。

  2回観るつもりでチケット買ってました。1回目が今日、2回目は来週の日曜日です。ゲストが主演の回(今日)と、団員が主演の回(来週)と1度ずつ観ようと思ってたわけです。ところが、今日の公演の終演後、そのままボックス・オフィスに駆け込み、今週の火曜日、再びゲストが主演の回のチケットを追加で衝動買いしてしまいました。

  やっちまった、と少し後悔しましたが、でもこれは逃しちゃいけない機会だとも思います。たぶん、あれほどのデ・グリューを観られるのは、この先10年もないかもしれないからです。

  そのデ・グリューは、コナー・ウォルシュ(ヒューストン・バレエ)です。

  私が『マノン』全幕を生で観たのは3回だけでした。2005年の英国ロイヤル・バレエ日本公演と去年の小林紀子バレエ・シアターの公演です。デ・グリューはそれぞれロベルト・ボッレとロバート・テューズリーでした。

  あとはガラ公演の類で、第一幕でデ・グリューがマノンに愛を告白するパ・ド・ドゥと寝室のパ・ド・ドゥ、第三幕の沼地のパ・ド・ドゥを観た程度です。デ・グリューはたぶんヨハン・コボー、ニコラ・ル・リッシュ、フリーデマン・フォーゲル等々。

  だから偉そうなことは言えないんですが、今日、コナー・ウォルシュのデ・グリューを目にして、「これは今まで観た中で最高のデ・グリューだ」と思いました。現役時代のアンソニー・ダウエルがデ・グリューを踊っているのを生で観たならば、おそらくこんな感じだったのだろう、とも。

  とはいえ、コナー・ウォルシュは、とりわけイケメンというわけではなく、お顔つきは地味なほうだと思います(あくまで私個人のイケメン基準では)。体型も決してわるくはないけど、スタイル抜群というほどでもありません。背も高くはないようで、またやや筋肉むっちり系です。

  それに、顔の表情とか仕草とかでの演技力にはむしろ乏しいほうだと思います。じゃあ一体ウォルシュのどこがダウエルに匹敵するのかといえば、一つには技術、二つには(これが最も重要なことですが)ウォルシュは踊りそのもので「語る」ことができる点でした。

  極端に言うと、ウォルシュの表情の演技なんぞ見る必要はなかったのです。ウォルシュの踊りを見ているだけで、デ・グリューが今どんな気持ちなのか、何を言っているのか、それがすうっと自然に脳内に入ってくるのです。

  マクミランの振付、特に男性ソロの振付は難度の高いものが多く、テクニカルなダンサーでも手こずり、グラグラしながらなんとかこなしている様子をしょっちゅう見てきましたが、ウォルシュのテクニックは完璧でした(第一幕、デ・グリューの最初のソロでバランスを少し崩しただけ)。

  しかも、ウォルシュの踊りからは、デ・グリューのモノローグやダイアローグが聞こえてきます。こういうダンサーを見たのは久しぶりです。

  この春の『白鳥の湖』でゲスト出演した男性ダンサーは、明らかに女性ゲストの「パートナリング要員」として、おまけで呼ばれたのがバレバレでがっかりしたのですが、今回ばかりは、新国立劇場バレエ団、グッジョブ!!!と思いました。よくこれほどのダンサーを見つけ出してきたもんだ。世界はまだまだ広いね。

  ウォルシュはアメリカ生まれのアメリカ育ちのダンサーです。私はアメリカ人ダンサーやアメリカのバレエ団には偏見を持っていたんです。その原因は、去年のアメリカン・バレエ・シアター日本公演を生で観ちゃったことでした。あまりにリベラルでフリーダムでグローバルでユナイテッドな彼らの踊りに、すっかりげんなり満腹になってしまい、もう二度と観なくていーや、と心に決めました。

  でもウォルシュと、そして同じくヒューストン・バレエからのゲスト、サラ・ウェッブ(やっぱり生粋のアメリカ人)のおかげで、その偏見が消えましたよ。きちんと真面目に、美しく、端正に踊るアメリカ人ダンサーもいるんですね。

  ヒューストン・バレエがこれほどのレベルなら、サンフランシスコ・バレエやジョフリー・バレエなんかはどうなんでしょう。観てみたいです。

  この日の公演についてはまたあらためて。 
  
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