ハンブルク・バレエ『椿姫』(2)

  19日の公演も観に行ってしまいました(当日券で)・・・・・・。だって良い作品なんだもん。あれは1回観ただけじゃ分からないもん。映像版では舞台全体を再現しきれないタイプの作品だもん。音楽と踊りがとにかくきれいなんだもん。作品全体に静かな哀しさが漂っていて切ないんだもん。

  アルマンの得意技らしい度重なる気絶と卒倒には、「なにもそんなに何度も律儀に倒れんでも」と少し過剰演出のように感じましたが、アルマンは感受性が鋭くて繊細でひたむきで純粋な青年、という設定なんだろうから(だから裏切られると極端に激しい怒りや憎悪を抱く)、まああれはあれでいいのでしょう。

  今日のアルマン役はチャゴ・ボアディンで、この人は昨日の公演ではデ・グリューを踊りました。デ・グリューのときはメイクのせいで素顔がはっきり分からなかったのですが、大きな瞳がきらきら光る、純朴そうな顔立ちの青年(というより少年ぽい)でした。

  昨日のデ・グリューの踊りから予想していたとおり、ボアディンのアルマンの踊りも非常にすばらしかったです。しなやかでパワーもあります。

  マルグリット役はシルヴィア・アッツォーニでした。昨日のマルグリットとアルマン役だったジョエル・ブーローニュとアレクサンドル・リアブコが「成熟した大人のペア」だとすると、アッツォーニとボアディンは「情熱にあふれた若者のペア」という感じです。

  アッツォーニの踊りも実に優れたものでした。音楽と戯れるように手足を細かく、緩急の変化をつけて動かします。弾けるようにパワフルでもありました。

  ただ、ノイマイヤーの振付の最大の特徴、つまり、基本的に手足はまっすぐ伸ばして、空間を大きく切り取りながら踊る、という点からすれば、アッツォーニは小柄で手足も(前日のジョエル・ブーローニュに比べれば)短いため、ダイナミックな美しさを充分に出せていないときがありました。でもこれは仕方がないです。本人にはどうしようもないことです。

  アッツォーニのマルグリットは、柔らかくてかよわくて優しさに満ちていました。マルグリットはアルマンをからかい、彼の求愛を受け入れるフリをします。アルマンは感激のあまりに卒倒してしまいます。マルグリットは最初は愉快そうにアルマンを嘲笑います。でも次の瞬間には真顔に戻り、優しい表情になってアルマンを静かに見下ろします。

  マルグリットがアルマンと別れてから死に至るまでのアッツォーニの演技は、非常に壮絶なものでした。

  マルグリットがアルマンと決定的に別れた後、病気をおして舞踏会に出るシーン。アッツォーニのマルグリットは血色良く見せるため、真っ赤なけばけばしいドレスを着、両頬に頬紅を濃くさします。これは前日のブーローニュももちろんやっていたことですが、アッツォーニは頬紅のさし具合はより濃くて異様でさえあり、表情もほぼ完全に正気ではなくなっていて、とても痛々しかったです。

  ヴィスコンティの『ベニスに死す』で、アッシェンバッハが自分を若く見せるために床屋で化粧するシーンがあるでしょう?あのシーンに感じる痛々しさに近いものがありました。

  でも、死の床についたマルグリットの表情は静かで、アッツォーニは寂しげな、また優しげな横顔を見せて虚空を見つめていました。マルグリットはベッドから起き上がると、かすかな笑みを浮かべながら歩いてきて、そしてがっくりと倒れて死にます。

  冒頭のオークションのシーンで、マルグリットの死を知ったアルマンは父親に抱きつきますが、私はこれは納得いかないなー。だって、マルグリットが死んだ遠因はこの父親だよー?アルマンはこの時点では、父親がマルグリットにアルマンと別れてくれと頼み、かつ口止めまでしていたことを知っているはずなのに、なんでマルグリットを追いつめた張本人に抱きつくのよ。

  話がそれちゃった。マルグリットの友人の娼婦、プリュダンスを踊ったカトリーヌ・デュモン、劇中劇『マノン・レスコー』でマノンを踊ったカロリーナ・アギュエロ、デ・グリューを踊ったオットー・ブベニチェクがそれぞれすばらしかったです。中でも、ブベニチェクはアルマンを踊ったボアディンよりすごかったかも。

  アルマンの父はカースティン・ユング、N伯爵はヨハン・ステグリ、マルグリットの侍女であるナニーナはミヤナ・フラチャリッチで、前日の公演と同じでした。ヨハン・ステグリ君はやっぱ私の好みです。今日も笑かしてくれました。

  シュトゥットガルト・バレエ団と同様、このハンブルク・バレエも男子が高身長・スタイル抜群・イケメンと三拍子揃っており、また超超超元気でした。女子と違い、男子の踊りにはふんだんに回転やジャンプが盛り込まれていますが、みな勢いよくぐるぐる回ってびゅんびゅん跳んでました。

  実は、この『椿姫』の各幕で、マルグリットとアルマンによって踊られる有名な三つのパ・ド・ドゥについては、個人的にはそれほどすばらしい振付(もしくは踊り)だとは思いませんでした。

  でも、『椿姫』は全体的によく作られています。構成、台本、演出、美術、照明(そう、照明がすごい!)、そして振付、すべてが細緻に作り込まれています(アルマンの卒倒癖はともかく)。

  時間を逆転させて、マルグリットの死後に行なわれたオークションを導入部として持ってきたり、物語がアルマンやアルマンの父親による回想という形で進行したり、あるいは今現在の出来事として物語を展開したりと、ほんとによく考えて作ってあるわ~、と感嘆しました。

  舞台を文字どおり隅々まで有効活用する演出もいいですね。なんていう名前なんでしょう、舞台の両端から客席に向かって角のように伸びているあの細長いスペース、あの場所からは目が離せませんね。舞台で群舞が踊っている間に、あのスペースでマルグリットとアルマンが戯れていたり、アルマンの父親がいつのまにか座っていたりするので、目が忙しかったです。

  この2回目の鑑賞で分かったこと(髭男爵の役名とか)も多かったので、やはり私の場合、未見の作品は最低2回は観ないとだめだな、とあらためて思いました。

  ノイマイヤーの『椿姫』は噂どおりの名作でした。ノイマイヤー・ビギナーとしては、よい形でスタートできました。

  最後に、思わず「すげえ!」と唸ったプチ名演出。

  アルマンと別れた後、瀕死の状態のマルグリットは派手な扮装と化粧で無理に劇場にやって来ます。力なく椅子に座っていたマルグリットはふと立ち上がると、ふらつく足取りで向かい側に座っている一人の青年に近づき、その肩に手をかけます。マルグリットはその青年をアルマンだと錯覚したのです。青年はいぶかりながらもマルグリットを自分の椅子に座らせます。

  ですが、マルグリットはそこで上演された『マノン・レスコー』の結末(マノンの無残な死)に耐えかね、急に駆け出して劇場を去ってしまいます。みなは驚いて騒然となります。そんな中、アルマンと間違えられた青年は振り返って立ち止まり、何かを思いながらマルグリットが走り去った方向を見つめます。

  ふとすれ違っただけでも、彼女の心の痛みを感じ取ることのできる男性がいて、マルグリットにとってはそれがたまたまアルマンであったけれども、アルマンと出会っていなければ、それはこの青年であったかもしれない、と思いました。
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ハンブルク・バレエ『椿姫』(1)

  18日の公演を観に行ってきました。プロローグと第一幕が45分、第二幕が40分、第三幕が45分という長丁場でしたが、ぜんぜん飽きませんでした。

  全体的な印象は、美術も振付もダンサーたちの雰囲気も、透明感のある陶磁器を見てる感じっていうんですか、とてもきれいでした。きれいで哀しい物語。

  振付はクラシックですが、クラシックのステップやムーヴメントで、生々しい感情を表現していたのがすばらしいと思いました。

  ジョン・ノイマイヤーの昔の作品ということもあってか、振付はいささかワンパターンなところがありました。特に女性ダンサーは、手足を長く伸ばした美しいポーズで、アラベスクをしたり、リフトされて振り回されたり、といった感じです。それでも非常に美しくて飽きることがありません。

  かと思うと、純粋なクラシックではない独特のステップやムーヴメントも出てきたりします。でも、ひねくれて奇抜なものでは決してないのです。

  基本クラシックの振付で、あれだけ雄弁に登場人物の心情を物語ることができるというのはすごいと思いました。踊ってるというよりは、セリフを交わしているという感じでした。

  特に、マルグリットとアルマンの父親が対峙するシーン、怒りに燃えるアルマンがマルグリットに詰め寄るシーンの踊りには、あまりの迫力と緊張感に、見ていて思わず息を呑みました。

  マルグリットを踊ったジョエル・ブーローニュがすばらしかったです。鼻梁がすっととおった美女で、知性、気品、高潔さを感じさせる雰囲気を持った人でした。演技もすばらしく、娼婦としてのマルグリットの表情と、素のマルグリットの表情とがまったく異なり、自分の「二つの顔」の狭間で苦悩するマルグリットの心情がよく分かりました。

  アルマン役のアレクサンドル・リアプコには、まず「あれだけのリフトをこなして本当にご苦労さま、そしてお見事!」と言いたいです。アルマンはとにかくマルグリットをリフトしっぱなしです。しかもそれがことごとく流麗に決まります。

  ブーローニュとリアブコの踊りには、ベタな言い方ですが、マルグリットとアルマンの心情、つまり情感というものがあふれ出ていました。それぞれがソロで踊ってもそうでしたから、パ・ド・ドゥでどうなったかは言うまでもありません。

  マルグリットに裏切られたと思い込み、自暴自棄になってマルグリットを傷つけるシーンでは、マルグリットと同じように、アルマンもまた苦しんでいるのだ、と分かる悲壮な表情をリアブコはしていました。原作のアルマンと違って、「こいつ陰湿で粘着」という悪印象を持ちませんでした。

  マルグリットが自らの姿を重ね合わせるマノン・レスコーを踊ったエレーヌ・ブシェと、デ・グリューを踊ったチャゴ・ボアディンは、踊りがなめらかで非常にすばらしかったです。

  また、アルマンの父を踊ったカーステン・ユングも強い存在感がありました。

  マルグリットの侍女であるナニーナはとても大事な役割を担っていました。ナニーナは、マルグリットとアルマンが出会ったときからマルグリットの死後に至るまで、真相を知りつつ事の顛末を見つめている存在です。彼女は常に女主人(マルグリット)の身を案じ、マルグリットが死ぬまで忠実に尽くしますが、マルグリットが死んでからも、アルマンにマルグリットの日記を渡すことによって、アルマンにすべての真実を教える役割を果たします。

  ナニーナ役のミヤナ・フラチャリッチはほとんど踊りませんし、侍女の仕事以上の出すぎた行動もしません。でも、フラチャリッチがはじめて舞台に登場したときの、悲しみをたたえた静かな表情は非常に印象的でした。その後ずっと、マルグリットの苦悩を唯一理解し、常にマルグリットをいたわり続ける(実は)重要な存在として、フラチャリッチは非常に良い演技をしました。

  わるい意味ではなく、ハンブルク・バレエのダンサーたちは、容姿も踊りもまるで陶器人形のように透きとおっていました。顔立ちも体形もよく似ています。背が高く、手足が長く、つるんとした気品ある顔立ちをしています。

  なんかバレエを観た感じがしないんですよね。まるで演劇を観た気分です。でも「マイムのようなものはほとんどなし、踊りのみで勝負」という作品だったので、演劇を観た気分になるというのは不思議です。

  でも、踊りは本当にきれいだったなー。あの流れるように美しいリフトは絶品です。

  一つ疑問なのは、あのメガネをかけた男は何の役だったのか、ということです。髭男爵のメガネのほうに似てる人。ワイングラスを片手に「ルネッサ~ンス!」とか言いそうでした。個人的には好みです。ピエロの仮装が超キュートでした。(後日、「N伯爵」と判明。ダンサーはヨハン・ステグリ。教訓:プログラムはきちんと読みましょう。)

  もう遅いので今日はこれまで。また明日(てかもう19日か)にでも書きます。
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