また延長

  クーパー君の公式サイトによれば、彼の「ガイズ・アンド・ドールズ」出演期間が10月7日まで延長されたそうだ。パトリック・スウェイジの出演期間に合わせたものだという。

  それにしてもクーパー君は実に働き者ですな~。仕事量からいえば、これでもう、今年1年分の仕事はやっちゃうことになるんじゃないのかな。
  今年の3月上旬から10月上旬まで、実質7ヶ月間、1週間に8回公演というペースで出演してきて、休演するのはこのままでいくとたった2、3回のはず。いったい合計して何回出演することになるのか。

  彼にとってはすでに1ヶ月延長した以上、更にたかだか2週間ばかり延長するのは何でもないことなのかもしれない。あんなに顔ちっちゃくて体細いのに、本当に頑丈だわね。

  十中八九大丈夫だと思うけど、無事に乗り切って下さい。 
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吉田都

  K-Balletの公式サイトによると、吉田都がK-Balletに移籍するそうだ。その具体的な時期や詳細はまだ分からない。8月31日に(吉田都本人の?)記者会見が行なわれ、9月1日以降にK-Balletの公式サイトに情報が掲載されるという。

  日本のバレエ・ファンにとっては喜ばしい出来事なのかもしれないけれど、私はちょっと複雑な気分だ。移籍先がK-Balletっていうのが。K-Balletは、熊川哲也が、自分が在籍していた頃のロイヤル・バレエを再現し、またその時に叶わなかった自分の願いを実現しているカンパニーのように私にはみえる。

  K-Balletがまるで90年代ロイヤル・バレエの縮小コピー版のようであることからすれば、それは吉田都にとっても好都合なのかもしれない。

  K-Balletにとってはもちろんいいことづくめだ。日本でも知名度の高い優秀なダンサーが加わる。よって客の入りがますますよくなる。チケット争奪戦も今まで以上に激烈になる。まさにウハウハな気分だろう。

  でも吉田都は、K-Balletの組織・機構やレパートリー以外の点をも考慮に入れた上で移籍を決めたのだろうか。K-Balletは熊川哲也の存在が必要不可欠な、というより熊川哲也なしでは成り立たないカンパニーである。その点ではK-Balletとロイヤル・バレエは根本的に異なる。

  つまりは私が何を言いたいのか、みなさんはもうお分かりでしょう。承知の上ならいいけど、移籍してから「それ」に気づいて、彼女が失望しないことを願っている。  
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写真載せました

  旅行中の日記に写真を付けたので見て下さいね~。やじるしマークを写真に合わせてクリックすると、大きいのが出ます。

  「世界中から」に載せたおっさん3人(ごめん)の写真ですが、左がナイスリー役のMartyn Ellis、真ん中がベニー役のファースト・キャストでネイサン役のアンダースタデイでもあるSebastien Torkiaです。お二方とも歌が非常にすばらしかったです。

  「大変な一日」に、クーパー君が黒いスーツを着て、淡い紫色のツーピースを着ている女性と手をつないでいる写真があります。この女性はサラ・ブラウン役のKelly Priceです。"I've Never Been in Love Before"の間奏部分でゆっくり踊っているシーン。

  「連チャン観劇」にもう一枚、黒スーツ姿のクーパー君の写真がありますが、これは"Luck Be A Lady Tonight"を歌っているときのものです。

  以上はピカデリー劇場の外壁に飾ってある宣伝用写真です。

  「ウエストミンスター大聖堂」のところにあるのは、木の下で雨宿りするハトちゃんたちです。かわいいでそ。

  「ドン・キホーテ」に載せたのはアダム・クーパー氏近影。ここに載せているのもそう。このサイトへの掲載については、ご本人の快諾(曰く“Yes! Of course!”)を頂けました(クーパーさん、どうもありがとうございます)。

  「戻りました」の写真は、ちょうどモスクワ北辺の上空を通過したあたりの、機上からの夕暮れの風景です。なかなかきれいでしょ。

  写真を載せる場合、ブログは容量を気にしなくていいから便利ですわー。
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戻りました

  昨日(21日)のお昼に成田に着きました。テロ未遂騒動の余波に巻き込まれて、最初はどうなることかと思いましたが、とにかく何事もなく帰ってこられたのでホッとしました。

  今回は体調が悪く、観劇以外にはあまり観光を楽しめなかったのが心残りです。ウォリス・コレクションやテート・モダーン、キュー・ガーデンズにできれば行ってみたかったのですが。でも前の日記にも書いたとおり、たまにはこんなこともあります。仕方がありません。

  ロンドンに着いたはじめの2、3日間は、テロ未遂やヒースロー空港の混乱について、テレビのニュースが割と大きく報じていましたが、帰国する直前には小さな扱いになっていました。
  私は毎日、ブリティッシュ・エアウェイズやヒースロー空港の公式サイトを見て、運航状況や手荷物・預け荷物の規制についてチェックしていました。ヒースロー空港のサイトは、手荷物・預け荷物の条件や制限についての情報を毎朝欠かさず更新しており、その点では安心できました。

  18日には20%減の運航制限が解除され、基本的に欠航する便がなくなったというのでホッとしました。
  また、空港の警戒レベルが最高度の“critical”(危機)から、一段低い“severe”(深刻)に引き下げられ、手荷物や預け荷物の制限もやや緩和されました。

  私の乗る飛行機は20日の現地時間午後3時45分発ブリティッシュ・エアウェイズ007便でした。ですから午前は懲りもせずにネットカフェでのんびりできたわけですが(もちろんヒースロー空港のサイトをチェックする目的もありました)、正午にはヒースロー空港に向かいました。入国よりも出国のほうが大変だろうと思ったからです。

  当日の時点では、手荷物は1人につき1個のみのカバン類の持ち込みが許され、もう透明なビニール袋を用いなくてもいいことになっていました。

  ただし中身には厳しい制限があり、特に液体やジェル状・ペースト状のものは、一部の例外(ベビーフード、薬品)を除いて、一切持ち込み不可でした。ですから、化粧品、ハンドクリーム、ウォーターミスト、歯磨き粉、飲み物などは手荷物の中に入れることができませんでした。
  固形のリップクリームや口紅はいいんじゃないか、と思いましたが、万が一引っかかるとイヤなので、預け荷物の中にしまいました。

  預け荷物であっても、液体、ジェル、ペーストの入ったボトルや缶は入れないでほしい、とヒースロー空港のサイトには書いてありましたが、はっきり言ってそれは無理な話です。向こうもそれを分かっているのでしょう、強制ではなく、「奨励(encouraged)」になっていました。

  テロ未遂事件が起こった直後は電化製品もすべて持ち込み不可でしたが、数日後にこの制限は解除されていました。ただし、手荷物内の電化製品はカバンからぜんぶ出して、トレイに載せてチェックされるということでした。

  ブリティッシュ・エアウェイズのチェックイン・カウンターに行くと、入り口でまず手荷物のサイズを調べられ、中に禁止されている物品が入っていないかどうか尋ねられました。やはり液体とそれに類したものはないか何度も聞いてきました。

  手荷物は1個のみ、という制限を知らなかったらしい乗客もいて、職員に注意されて、余分な荷物をあわててトランクの中につめこんでいました。

  普段なら、チェックイン後は、パスポートと搭乗券の確認、手荷物・所持品検査という2つの段階で出発ロビーに入れるのですが、さすがに今回は違いました。

  パスポートと搭乗券の確認後、手荷物・所持品検査を受けました。手荷物内の電化製品はトレイの上に出し、更に靴も脱いでトレイの上に載せ、X線で検査されました。金属探知機のゲートをくぐった後にボディ・チェックがありましたが、かさばった格好をしている人が対象だったようで、私は受けなくてすみました。

  その後はすぐに出発ロビーに入れるはずでしたが、あらためてパスポートと搭乗券をチェックするゲートが設けられていました。

  出発ロビーに入ったときには、飛行機の離陸予定時間まであと2時間弱になっていました。1時間はゆっくりできるな、と思い、店をぶらつき、ロビー内のパブでお昼ご飯を食べてビールを飲みました(←最後までやる)。

  BA007便が出発するゲートが離陸40分前にようやく決まりました。出発ゲートに通じる長い廊下を歩いていると、なんと途中でまたしても手荷物検査の場所が設けられていました。出発ロビーにある店で買った物品は機内持ち込みが許されていますから、どうもそれに妙な小細工をしていないかどうかの検査だったようです。

  検査待ちの乗客の長い列ができていました。出発ゲートが閉まる時間まであと15分しかないのにどうしよう、と思っていると、職員が脇のポールを移動させて、なぜか検査なしで通してくれました。たぶん土産袋を持っていない者、また日本人は、搭乗時間が迫っているので検査をしなかったのだと思います。

  離陸3時間前に空港に着いたのに、けっこう時間ギリギリでした。のんびりと2時間前とかに行っていたら、果たして無事に搭乗できたかどうか怪しいです。

  飛行機の中では爆睡しました。11時間の飛行時間のうち、7時間は寝ていたようです。ですから最初の2時間で夕ごはん、最後の2時間で朝ごはんを食べて、後は寝ていたのです。飛行機でこんなに眠ったのは初めてです。我ながらびっくりしました。

  怒涛のロンドン旅行でした。ロンドンにいる間に書いた長い日記を読んで下さったみなさま、またコメントを下さったみなさま、本当にどうもありがとうございました。
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ドン・キホーテ

  体の調子は相変わらずよくない。どうして肩こりが治らないんだろう。こんなふうに毎日ブログを書いているからいけないのか。でも、今回はやっぱり、あちこちを観光して回る気にはなれないんだよね。

  今日(19日)は「ガイズ・アンド・ドールズ」の昼公演を観て、夜は今回のロンドン旅行の大トリ、ボリショイ・バレエの「ドン・キホーテ」を観て、それで盛大に(?)しめくくる予定。

  クーパー君のスカイを見るのも今日が最後、心おきなく彼の姿を脳裏に刻みまくることにしよう。

  今日は早く起きたので朝ごはんを食べた。安宿のイングリッシュ・ブレックファストといえど、食べるとお昼になってもなかなかお腹が空かない。よって昼は食べないことにした。
  「ガイズ・アンド・ドールズ」の昼公演は2時半開演で、夕方の5時過ぎには終わるだろう。それから「ドン・キホーテ」(7時半開演)までの間に、早めの夜ご飯を食べればいいのだ。
  たかだか数日とはいえ、こちらにいると、油断すると太ってしまうのである。1食分の量が多いのと、パブ飯に代表されるように、こちらはなぜかカロリーの高い食べ物ばかりなせいだ。

  だから今回は「間食はしない」、「夜食は食べない」ことを厳格に守った。夜はパブ飯だが、昼は食べないか、簡単なものですませるか、中華街に行って野菜の多い料理を食べるかにした。
  欧米人には信じられない太り方をした人が多いのだが、その原因は私にだって断言できる。単なる食べすぎ、飲みすぎだよ。
  パブ、インディアン・キュイジーヌ、イタリアン・カフェで高カロリーなドカ飯を食い、絶え間なくお菓子を間食する、誰だって太るに決まっている。
  1日あたりの必要なカロリー摂取量は、日本もイギリスもさして変わらない。女でいえば、イギリスでは1日あたり2000キロカロリーが必要摂取量とされている。大きめのおにぎり1個分しか違わない。

  節制が功を奏してか、幸いなことに、今のところ太ったという間食、じゃない、感触はない。今回は「いましめジーンズ」(←分かるね)を持ってきていて、それを穿いて確認している。

  ピカデリー・シアターに行くと、なんとパトリック・スウェイジは今日も休演だった(昼公演終了後、夜公演も休演することが発表されていた)。これで3日連続の休演である。理由はいつも「indisposition」である。本当なのかどうかは分からない。休演の理由は誰でも「indisposition」なのだ。

  みんなスウェイジの休演を残念がっていたが、会場はいつものとおりほぼ満席であった。ネイサン役は今日もSebastien Torkiaで、この人は本来はベニー役のファースト・キャストである。ベニー役はアンダースタデイのSpencer Staffordが担当した。

  特に発表はされていないが、他にも休演しているキャストがいて、たとえばロビー・スコッチャー(ハリー役)、テイラー・ジェームズ(ハバナ・ボーイ役)も出ていなかった。私が観たのは4公演だが、それでもキャストの入れ替わりが毎日かなり激しかった。

  やはりみんな疲れているのだ。そんな中で、クーパー君の勤勉さと強靭さは驚異の域に達する。
  ベテランのミュージカル役者でさえもぽつぽつと休むのに、おそらく彼だけは休まずに毎日きちんと出演しているのだろう。3月から9月まで、休んだのは公式サイトの発表どおりだと、たった2回のはずである。
  彼がめったに休まないのは、体調管理が上手なのもあるんだろうけど、もともと体が強くてケガや病気をしにくいのと、また生真面目な性格のせいもあるのだろう。
  とにかく「スーパー・クーパー」(ロイヤル・バレエ時代の彼のあだな)には脱帽である。

  昼公演だから、出演者は力をセーブするだろうと思ったが、みな異常にノリノリで、いつもより力が入っていた。そういえば明日は日曜日で休みだもんなあ。明日が休みだと、仕事にやる気が出るのは、どの職種にも共通することらしい(笑)。
  あと、昼公演の観客のノリが良かったせいもある。不思議なことに、公演によって観客の雰囲気や反応も違うのだ。こんなに盛り上がった雰囲気の中で、私にとって最後の「ガイズ・アンド・ドールズ」を観られて良かったな、と思った。

  クーパー君は、セリフ回しや表情の演技で観客を笑わせるのが実に巧みになった。どうすれば効果的に観客の反応を引き出せるか、ツボをしっかり押さえているようだ。
  歌もすばらしかった。「I've Never Been In Love Before」はとても美しかったし、「Luck Be A Lady Tonight」はこぶしがきいていてカッコよかった。
  他のミュージカル役者の人たちとクーパー君の歌声は、声質そのものが違うんだけど、クーパー君のこの生真面目で爽やかな歌声は、もう彼独特の個性になっているよね。これでいいんだわ。

  昨日の日記でもうデマチはあきらめた、と書きましたが、やはり欲求には逆らえず、終演後に楽屋口に向かってしまいました。機嫌が悪そうだったら、声をかけないで去ろうと思った。
  ところが、楽屋口から出てきたクーパー君を見たら、今日はとても穏やかな表情をしている。恥ずかしかったが、思い切って声をかけた。そしたらやっぱり、今日は余裕があるようで快く応じてくれた。

  私はまず、私はショウをとても楽しんだ、と言い、次に、日本のファンは全員、あなたが日本にまた戻ってきてくれることを待っている、と彼に言った。クーパー君は「ありがとう」と言った。
  私は日本のファンにメッセージをくれないか、と頼むつもりだった。しかし彼は、私がそれを言い出す前に、「僕も心からそう願っている」とやや強い調子で自分から言った。

  その言葉だけで充分だった。私は彼が日本に来てくれることをじっくりと待ちたいと思う。

  夜ご飯は中華街で食べた。青島ビール一杯で酔っ払った。そこは中華街にしては珍しく、けっこうおいしい店だったので、また機会があったら来ることにしよう。

  ロイヤル・オペラ・ハウスに行くと、「ドン・キホーテ」もすでに完売だった。今日の席はオーケストラ・ストールの前から2列目であった。オペラグラスがいらない席である。

  「ドン・キホーテ」、キトリはスヴェトラーナ・ザハーロワ、バジルはデニス・マトヴィエンコであった。

  結論から言うと、私は公演の最初から終わりまで、口をあんぐりと開けて、目の前で繰り広げられる踊りに見入っていた。すごい圧倒された。

  ザハーロワは断然抜きん出ていて、クラシカルなバレリーナとしてはシルヴィ・ギエムよりすごいと思った。バレエ・ダンサーとしてはシルヴィ・ギエムのほうがすごいと思うが。あ、でも、ザハーロワはイタリアン・フェッテだけは苦手なようだ。

  コール・ドもみなすごくて、ここまでの高い技術レベルになると、主役をはれるかどうかは、もう容姿や体型によってしか決められないだろう、と思った。ボリショイ・バレエというのは、それほどのカンパニーなのだ。

  と、ここまで書いたところで、もうそろそろ空港に行かなくてはならない時間になった。今度は何事もありませんよーに。それでは、今度は東京から。 
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ウエストミンスター大聖堂

  昨日(17日)と今日(18日)は体の調子が悪く、どうもスッキリしない。重い疲労感があって、また肩こりがひどい。キリキリと刺されるように痛んで、最も痛いときには首が回らなかった。
  おかげで、せっかくのロンドンなのに、観劇以外はほとんど何もしていない。今回は特に行きたいところもなかったので、たまにはこんなふうに過ごしてもいいだろう。17日の日中は寝たきりだった。でもさすがにもったいないと思い、18日は午後から出かけた。

  たいていは美術館や庭園めぐりをするのだが、今回はその気にならない。たくさんの絵を見たり、広い園内を歩き回ることを想像するだけでゾッとした。やっぱりひどく疲れているらしい。無理はしないことにした。

  でもセント・ジェームズ・パークは例外である。パンを買って出かけた。隣にバッキンガム宮殿があるため、衛兵交替式がある11時から1時くらいまでは、園内も人が多い。ただ午後や夕方になると人影が減り、割と静かになってゆっくり散策できる。

  残念だったのは天気が良くなかったことで、しょっちゅう激しいにわか雨が降り、その度に木陰で雨宿りをしながら、雨が止むのを待つ破目になった。街中の公園といえど、セント・ジェームズ・パークには、とても大きくて背の高い木が生い茂っている。枝が大きくせり出して垂れ下がり、その下にいるとほとんど濡れない。
  木陰で雨宿りなんて、日本ではほとんど経験したことがないよな、と気づいた。柵内にいる鳥たちを見ると、ハトたちが大きな木の根元に集まって雨宿りをしていた。寒いのか、みな羽毛をぶっくりとふくらませて、身を寄せ合うようにして集まっている。あまりにかわいい光景だったので写真に撮った。

  水鳥たちは雨宿りをするということはなく、平然と湖を泳いでいるヤツもいれば、地面に座り込んでじっとしているヤツもいる。特に木の下にいるということもなく、平気で雨に打たれている。水に濡れても平気らしい。水鳥だから当たり前か。
  せっかくセント・ジェームズ・パークに来たのに、こんな天気だなんて、今回はよくよく運がない、と思いつつ、静かに佇んでいる鳥たちを見つめていた。
  にわか雨の間を縫って、彼らにパンをやった。観光客がいない時間帯は腹が減るらしい。パンはあっという間になくなった。

  リスの姿は見なかった。雨がひっきりなしに降っているので、今日は巣穴の中でじっとしていたのだろう。それとも、駆除されてしまったのだろうか。セント・ジェームズ・パークに棲んでいるリスのほとんどは、「有害動物」とみなされている種類である。
  外来種なのかどうかは分からないが、彼らのせいでイギリスに本来生息していたリスが絶滅の危機にある、というニュースを見たことがある。イギリスのオリジナルの(?)リスは目が細長くて、体もほっそりしており、人間に対する警戒心が強い。
  セント・ジェームズ・パークのリスは、目はくりっとしていて、体はまるく、住処が住処だからだと思うが、人なつこい。というかなれなれしい。

  雨が小降りになったところで、セント・ジェームズ・パークを後にした。一応バッキンガム宮殿見学のチケット・オフィスに行ってみたが、やっぱり長蛇の列だった。チケットを買うまで、また宮殿内に入るまで、宮殿内を見学し終わるまで、トータルで何時間かかるのか。気が遠くなってあっさりあきらめた。

  雨がまた降ってきた。徒歩で行くのはやめて、地下鉄でヴィクトーリアに行った。駅から出ると雨は止んでいた。ウエストミンスター大聖堂(Westminster Cathedral)に向かった。ヴィクトーリア駅から徒歩5分くらい。

  「地球の歩き方」にも書いてあったが、ウエストミンスター大聖堂は、国会議事堂の向かいにあるウエストミンスター寺院(Westminster Abbey)とよく間違われるそうだ。
  大聖堂か寺院かの違いだけで、名前は同じなのだからまぎらわしい。でも、両者は見た目も中身も観光客もぜんぜん違う。

  ウエストミンスター寺院には、王侯貴族をはじめとする、歴史上有名な人物がたくさん葬られ、また墓碑銘が嵌め込まれている。寺院の中は金ピカで豪華そのもの。

  一方、このウエストミンスター大聖堂は、赤茶色のレンガ造りで、正面向かって左側に実に高い尖塔がある。エレベーターがあって上まで行けるらしい。眺望がすばらしいそうだが、興味がないので素通りする。

  驚いたことに、ロンドンの有名教会の多くが商魂たくましく、高い見学料を入場者に課しているのと違い、ウエストミンスター大聖堂は入場は無料であった。ただ、ロンドンの観光名所の多くがそうであるように、募金箱が置いてあった。それでもたった2ポンドである。もちろん払った。

  観光客の姿は少なかった。内部の装飾は質素で、こげ茶色のレンガがむき出しになっている。窓も緑がかった色のガラスのみ。ステンドグラスというものがない。
  本堂の両脇には、壁で仕切られた小さなチャペル(礼拝堂)がいくつもならんでいる。いくつかのチャペルは、壁や天井が美しいモザイクで埋め尽くされている。「地球の歩き方」によると、このモザイクがウエストミンスター大聖堂の特徴なのだそうだ。
  とはいえ、モザイクで飾られているチャペルはほんの一部で、多くのチャペルの壁や天井はレンガむき出し状態であった。

  チャペルの中には必ずといっていいほど誰かがいる。それは観光客には違いないのだが、教会を見学に来た人ではなく、祈りに来た人である。椅子に座って、あるいは跪いて頭を垂れ、または静かな表情で両手を組み、前を見つめている。

  本堂(メイン・サンクチュアリ)の前には数え切れないほどの木製の椅子が並べられており、ところどころに人が座って祈っている。みな椅子に座る前に、正面の大きな十字架に向かって、片膝を折って礼をしていた。
  しゃべっている人はほとんどおらず、気軽な見物のつもりで入ってきた観光客は、すぐに中の雰囲気に気づいて神妙な顔つきになり、足音を忍ばせるのだった。カメラのフラッシュが光ることもない。
  おしゃべりな観光客でごった返し、いくら禁止しても、カメラやビデオで内部を撮影する人々が後を絶たないウエストミンスター寺院とは対照的だ。

  メイン・サンクチュアリの天井は大きなドーム型をしている。私が感動したのは、メイン・サンクチュアリのドームから、椅子が並んでいる本堂にかけての天井に装飾が一切なく、すべてこげ茶色のレンガがむき出しになっていることだった。

  この質素さ(予算がないだけかもしれないが)、この静けさ、これは以前にも経験した覚えがある。一昨年(2004年)に行ったレスター(Leicester)のレスター大聖堂と同じだ。
  あそこもこんなふうに、自由に出入りできて、人があまりいなくて、静かで、安心できて、椅子に座って泣いていても、放っておいてくれる場所だった。黙って見守ってくれる場所だった。
  私は椅子に座った。天井のこげ茶色のレンガを見つめていると、雲が切れたのか、窓から日の光が差し込んできた。こんな演出をするなんて、神様、あんまりじゃないか。私は今回もやっぱり泣いた。

  教会っていうのは、装飾を豪華にすればいいってもんではない。また、儀式ばった強迫的な祈りを捧げたり、手前勝手な願い事をする場所でもない。こんなふうに、自分の心をむき出しにできる、自分の弱さをさらけだせる場所だ。

  夕方になって、なにやら儀式が始まるようだ。儀式は嫌いだ。潮時とみて席を立ち、ウエストミンスター大聖堂を後にした。

  ピカデリー・サーカスに行き、ピカデリー・シアター近くのパブで夜ご飯を食べた。ロンドンに来てから毎晩、夕食はパブですませている。いろんなビールが飲めるし、ゆっくりできるし、気楽なんである。
  だから、「ガイズ・アンド・ドールズ」を観ているときは、少し酔っ払っている。そのほうが疲れを感じないし、心なしか肩の痛みもやわらぐような気がする。

  今日もパトリック・スウェイジは休演であった。ドンマー・ウェアハウスは、よっぽどスウェイジに有利な条件で契約を結んだとみえる。さすがはハリウッド・スターだ。気が向いたときにだけお出ましになるらしい。

  昨晩はクーパー君の歌がまだ不安定、と思ったが、日によって調子のよしあしがあるようで、今日はとても安定していてすばらしかった。「ガイズ・アンド・ドールズ」は水曜日と土曜日に2回公演がある。昨日の木曜日は2回も公演があった日の翌日で、彼もいくぶん疲れていたのかもしれない。

  クーパー君ばかりではなく、他の出演者も軒並み疲れているように感じた。サラ・ブラウン役のケリー・プライスも、ナイスリー役のマーティン・エリスも、歌声にムラがあって、時おり音程が外れたり、声がかすれたりしている。

  でも今日も昨日と同じように、カーテン・コールは大喝采に包まれ、やっぱりクーパー君を含めた主役4人が出てきたときに最も盛り上がったので嬉しかった。

  スウェイジがいないのでデマチをした。クーパー君にサインをもらうことができたが、3月に話したときとは違い、彼はとても疲れているようで、殺気立っている風でさえあった。そこで私はしつこく彼にあれこれ聞いたりすることは控えた。
  今の彼は「ガイズ・アンド・ドールズ」でいっぱいいっぱいなのだと思う。ファンとして言いたいことや聞きたいことはたくさんあるけれど、今はそうすべきではない。鈍感な私にもそれくらいは分かった。
  残念だけど、今回はそっとしておこう。
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世界中から

  今日(17日)の「ガイズ・アンド・ドールズ」は、パトリック・スウェイジが休演した。当日いきなりの発表だった。でもスウェイジのオフィシャル・サイトには、きちんと情報が載っているのかしら?

  客の入りにあからさまな違いがあったらどうしよう、と心配したけど、いつもと同じようにほぼ満席の盛況だった。

  嬉しかったのは、昨日休演したナイスリー役のマーティン・エリスが出演したこと。やっぱりこの人は声がよく響いて、歌い方も上手でいいよね。

  今日はハリー役のロビー・スコッチャーも休演した。ハリー役はいつもハバナ・ボーイをやっているテイラー・ジェイムズが担当した。テイラー・ジェイムズは、本来はダンス畑の人なんだろうな。セリフ回しがあまりうまくないから。

  それにしても、みなセリフをしゃべるのが速い速い!3月の倍速になったんじゃないか。しかも隠語をたくさん用いるものだから、追いつくのがとても大変で、ストーリーが分かっているからいいものの、前知識なしにいきなり観たら、どういうストーリーなのかてんで見当もつかないだろう。

  新アデレイドのクレアさん(すみません、まだ名前を覚えていません)は、サリー・アン・トリプレットのかわいらしいアデレイドに比べると、爆裂ボディを持ち(巨乳)、お色気たっぷりにふるまう、セクシーなアデレイドである。
  それぞれの役作りがあるわけで、ちょっと下品じゃないかと思うときもあるが、これはこれでいいのだろう。

  昨日観たパトリック・スウェイジのネイサンも、旧ネイサン(名前忘れた)に比べると、ひょうきんで軽い調子のスケベオヤジ(ごめん)であった。旧ネイサンは、どことなく気弱で情けない感じを漂わせていて、軽くてスケベな雰囲気はなかった。同じ役でも、演じる人によっていろんなキャラクターになるのだな、と思った。

  クーパー君のスカイは、3月に比べるとワル度が増している。3月はまだ生真面目というか、リハーサルしたとおりにやっている、という硬さがあったのだが、今では彼なりのスカイ像を確立したようだ。

  何回か観てると分かるのだが、ミュージカルでも同じ舞台はないのである。すべてが型にはまったルーティン・ワーク的に進むわけではない。各キャストの演技も毎回違う。クーパー君もそう。アドリブがとてもうまくなった。

  クーパー君のスカイは、一見クールなワルだが実は意外と優しくて正義漢、しかもユーモアもある。サラ・ブラウンを口説くため、救世軍の教会に出向いて涙の大ウソ懺悔をするシーンは爆笑である。
  サラとハバナに行くシーンでは、史跡をいちいち巡るサラにつきあって、うんざりしている表情が笑える。

  昨日も書いたけど、ハバナ・ダンスのシーンは圧巻よ。クーパー君とハバナ・ガールの踊りのシャープできれいなこと!ハバナ・ガールをリフトしてぐるぐる回すとこなんて、回転する円が水平を保っていて(他の出演者はたいてい円が崩れる)、美しく丁寧に踊るバレエ・ダンサーの性が出てしまっている。

  女性ダンサーをリフトして踊ると、他の出演者との差がはっきり分かる。やっぱりクーパー君のリフトは流れるようで、女性ダンサーが美しく映えるし、思わず見とれてしまうのだ。
  男性陣が床に両手を着いて(腕立て伏せみたいな姿勢)両脚を高く上げ、その瞬間に両の足を打つ動きでも、クーパー君がいちばんきれい(ほほほ、私は彼のファンなのよ)。

  クーパー君は「Luck Be A Lady Tonight」では少ししか踊らないけど、ほんの一瞬ピルエットするところがある。ギャンブラーたちの中心にいるから、見逃してしまいがちだけど、ギャンブラーたちと一緒に円になってぐるぐる走った後に、するりと輪の中心におさまって、くるりとピルエットする。

  やはり彼は踊ると水を得た魚のようになる。クーパー君のダンスがもっと見たい、とあらためて思った。

  クーパー君の歌については、小手先のテクニックは上手になったとは思うが、本質的なところではまだ不安定だと思う。ちゃんと歌えているけど。まあ、マーティン・エリスと比べちゃダメだよな。

  カーテン・コールは大盛り上がりであった。最後に主役のネイサン、アデレイド、スカイ、サラが出てきたときには最も大きな拍手と歓声が起こった。今日の公演にはパトリック・スウェイジはいない。とても安心した。

  いくつか気づいたことがある。今は8月で、観客は私のような外国人観光客が圧倒的に多い。そしてどうも、アダム・クーパーのファンが世界中から来ているようなのである。
  また、この「ガイズ・アンド・ドールズ」によって、クーパー君は新たなファンをも獲得しているようだった。今日また確かめてみるけどね。

  ああ、「ガイズ・アンド・ドールズ」への出演は、クーパー君にとって、確かにジャンプ・アップの機会になっているんだ、と実感した。
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連チャン観劇

  怒涛の一日目が終わり、二日目の今日(16日)は、午後2時からボリショイ・バレエの「白鳥の湖」、夜は7時半から「ガイズ・アンド・ドールズ」を観る。まだ疲れが取れないので、午前はネット・カフェでのんびりし、午後から動くことにした。

  今回上演されるボリショイ・バレエの「白鳥の湖」は、2001年に初演された最新のグリゴローヴィチ版である。伝統版といえば伝統版なのだが、これはかなり変わっていた。形は古典でも解釈は現代的といったところだろうか。

  従来の伝統版と最も大きく異なるのはロットバルトである。今回の「白鳥の湖」では、「ロットバルト」という名前ではなく、「The Evil Genius」という役名になっている。「悪霊」、「邪悪な精霊」という意味だろうか。

  成年を迎えた王子のジークフリードは、自分に与えられた王族、やがては王となる身分に重圧を感じている。その王子の心の迷いに乗じてロットバルト(一応こう呼びます)が現れる。

  ロットバルトは王子の心の中に巧みに入り込み、オデット姫の幻影を見させて、王子とオデット姫とを出会わせる。ロットバルトが踊るシーンは多く、ロットバルトが王子を巧妙に操る様子は、ロットバルトと王子が同じ振りで踊ることによって示される。
  だからこの最新のグリゴローヴィチ版では、ロットバルトは王子と同じくらい技術的難度の高い踊りができるダンサーでなければならない。

  こうなると、オデット姫の解釈も変わってくる。つまり、オデット姫は果たして現実の存在なのかどうかが分からないのである。ロットバルトの誘導によって、王子とオデット姫は出会うわけだから、オデット姫はロットバルトが王子を破滅させるために作り上げた架空の存在なのかもしれないのだ。

  この「白鳥の湖」は、伝統版の第2幕と第3幕を続けて上演することで全2幕となっている。従来の第2幕にあたる場では、最初に各国の踊り、その次に姫君たちのワルツがあって、それからロットバルトとオディールの登場となる。

  各国の踊りはその国の姫君と群舞という構成で、女性ダンサーは全員ポワントで踊る。どれも難度の高いクラシカルな振りの踊りで、どの国でもみな同じに見える従来の版での踊りとはだいぶ違っている。

  オディールが登場すると、王子とオディールのデュエットとなる。これはグラン・パ・ド・ドゥとは別個のもので、この版のオリジナルである。
  第1幕で悩める王子がソロを踊った音楽を再び用いており、オディールもまた王子の心の迷いに乗じて、王子を篭絡していくのである。ここのデュエットにはロットバルトも参加して、オデットを思う王子を巧妙に操り、王子の気持ちをオディールに向けさせる役割を果たしている。
  その後におなじみのグラン・パ・ド・ドゥが踊られる。

  このグリゴローヴィチ版のラストは悲劇ヴァージョンで、ロットバルトは王子からオデット姫を奪って殺してしまう。その瞬間にロットバルトもオデット姫の姿も消え失せ、打ちのめされた王子が両手で顔を覆って立ち尽くして幕となる。

  今回の新グリゴローヴィチ版は、王子の心の迷いと破滅を描いているように私には思えた。

  音楽は変わった使い方をしていたし、従来の版にはなかった踊りを加え、また振付も観客が観て飽きないものにしていた。
  王子は第1幕の最初からバンバン踊ったので、見せ場は黒鳥のパ・ド・ドゥのヴァリアシオンだけ、ということもなかった。各国の姫君の踊りもクラシカルで見ごたえがあった。ちなみに第2幕冒頭のワルツは、この姫君たちによって踊られた。
  ただ、従来の第3幕冒頭での白鳥たちの群舞は削除されていた。これがちょっと残念だった。

  伝統版の改訂版としては、かなり変わっていると思う。すべてが王子の心の中で起こっていることなので、オデット姫の存在感が薄れてしまい、また増補・改訂した踊りと従来の踊りを両方とも詰め込んでいるために、なんかパッチワークみたいになっていたところもある。でもとても面白かった。

  「ガイズ・アンド・ドールズ」が上演されるピカデリー・シアターに行くと、劇場沿いの道路の両端に人がいっぱい並んでいた。みな立ち止まってステージ・ドアーを見つめている。察しはついたが、一応その中の一人に聞いてみた。案の定、「パトリック・スウェイジを待っている」とのことであった。この日は昼公演もあったのだ。

  夜公演が始まり、ネイサン役のパトリック・スウェイジが登場すると、客席から一斉に大きな歓声が沸き起こった。これがハリウッド・スターの力なのね。
  スウェイジは演技はさすがで、表情の作り方や仕草がこなれており、ユーモアあふれる演技で観客を笑わせていた。

  さてクーパー君はというと、3月に観たときより演技もセリフ回しも歌もかなり上達して洗練されていた。特に演技とセリフ回しが格段に良くなり、身振り、表情、視線、リアクションが豊かになって、セリフは緩急をつけ、発するタイミングも良く、これまた観客を大笑いさせていた。

  嬉しいことに、クーパー君が踊るシーンがわずかながら多くなっていた。ハバナ・ダンスのシーンでは、赤いドレスのハバナ・ガールと踊るシーンが長くなった。やはり踊りではダントツである。群舞で踊っても姿勢の良さ、キレの鋭さ、なめらかさという点で、他の出演者たちとは明らかに違う。
  ニューヨークに戻った後、サラ・ブラウンと踊るシーンも若干長くなったようだ。あのゆっくりしたステップ、流れるようなワルツ、きれいだわあ。
  「Luck Be A Lady Tonight」の群舞シーンも、クーパー君が両手をポケットに突っ込んで、中腰でざっ、ざっと歩み出てくるところは、やっぱり私の一番のツボである。とにかく姿勢がカッコいい。ニヒルな表情もいい。すぐに終わってしまうのが残念だ。

  知名度の点でパトリック・スウェイジに負けるのは仕方がない。っていうか、一介のダンサーとハリウッド・スターとでは、はなから勝負にもならん。だから比べる必要はないのよ。

  最初に観たときから半年が経って、案の定、クーパー君がすばらしく進歩していたことがなによりも嬉しかった。 
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大変な一日

  明日ロンドンへ向かうという夜、HISから連絡が入った。なんと、私の乗るはずだったブリティッシュ・エアウェイズ(BA)の飛行機(午前便)が欠航になったというではありませんか!

  欠航の理由は、14日ヒースロー空港発成田行きの便が1便欠航になったためだった。
  BAは振替便を準備してくれたそうだが、それを聞いて愕然となった。まず全日空の飛行機でパリに行き、それからエール・フランスに乗り換えてロンドンへ行け、というのである。ロンドン到着は現地時間15日の19時20分。

  ええっ、それじゃあ、15日の夜のボリショイ・バレエの公演(7時半開演)に間に合わないじゃないか、大体、直行便でチケットを買ったのに、なんでトランジットで、しかも16時間もかけて行かなくちゃいけないのよ、と頭の中はパニック状態。
  お盆真っ最中にも関わらず友人に電話をかけて相談し、少し冷静になったところでアイディアが浮かんだ。素直に全日空のカウンターに行かず、ダメもとでまずBAにかけあってみよう・・・。

  翌朝、早めに成田空港へ行った。BAのチェックイン・カウンターには長蛇の列。みなBAの午前便に乗るはずだった人々だ。前に並んでいた人に聞いてみたら、その人は空港に到着してはじめて、自分の乗る便がキャンセルされたことを知ったという。
  並んでいる間、BAの職員が乗客名簿を片手にやって来て、並んでいる人に振替便の説明をしていた。私の前にいた人は、まずルフトハンザ機に乗って、やはりトランジットでロンドンに行くよう手配されているという。

  列はなかなか進まない。1時間ほど待ってようやく私の番になった。職員の人はさっそく振替便の手続きをしようとしたが、私は「ちょっと待って下さい。私は15日の夜に大事な用事があるんです。高いお金がかかっている用事です。トランジットでは間に合いません。BAの午後便か、他社の直行便を探して下さいませんか。」
  すると、BAの職員は「申し訳ありませんが、午後便はもう満席で、キャンセル待ちの状態です。必ずしもお席が取れるとは限りません」と言い、他社の直行便を探してくれた。

  カウンターの奥をBAの職員たちが忙しく行きかっている。私に対応してくれた職員もカウンターの隅に行って何かを検索しているようだった。職員はやがて戻ってきて言った。「他社の直行便もみな満席です。15日中にロンドンに到着できるのは、この振替便しかありません。BAの午後便のキャンセル席が取れなかったら、15日にロンドンに着くことはできません。」
  私は究極の選択を迫られることになった。しばらく沈黙して考えていると、隣の窓口から「では日航のカウンターに行って・・・」という職員の声が聞こえた。隣で手続きをしていたのは、偶然にも私の前に並んでいた人だった。私はその人に「どうなりましたか?」と尋ねた。その人は「日航の直行便が取れました」と答えた。

  それを聞いたとたん、私の頭の中は怒りで真っ白になった。私はカウンターの机をバンと叩き、「どういうことですこれは!!!」と大声で叫んだ。隣の職員と私に対応している職員は慌てて、口を揃えて「あの方の振替便は、最初から日航に決まっていたんです」と言った。
  私はますます怒り狂った。「違います。私はさっきBAの人があの方に、ルフトハンザ機でトランジットするよう言っていたのを聞きました。あなたはさっき他社の直行便はみな満席だ、と言ったじゃありませんか。なのに、同じ時間に手続きしていたのに、なぜ片方は直行便が取れて、片方はトランジットなんですか!!!」

  私が仕事以外で他人を怒鳴ったのは、これがはじめてだった。BAの職員は言った。「さっき検索した時点では、確かに他社の直行便はみな満席だったんです。」 私は冷静に、冷静に、と自分に言い聞かせながら言った。「ではもう一度検索して下さい。」 BAの職員は再びカウンターの隅に行って検索した。その後、その職員は他の職員と何やら相談した後、窓口に戻ってきた。そして言った。「では、BA8便(午後便)のビジネスのお席が取れましたので。お席は窓側と通路側とどちらになさいますか?
  さっき、「午後便はキャンセル待ちです」と言ったのはどの口だー!

  あまりといえばあまりな予想外の結果に、私は呆然としながら「さっきは乱暴なことをして、また怒鳴ってしまってすみませんでした」と謝った。BAの職員は「いいえ、いいんです、よく分かります」と言った。

  というわけで、私はBAの午後便の、しかもビジネス・クラスの席に乗ってロンドンに向かうことになった。ビジネス・クラスは空いていて、乗客は半分もいなかった。結果的に私はいい思いをしたのだから文句は言えないが、どうして他の困っている客を乗せないのだろう、と複雑な気分になった。

  ロンドンには現地時間午後5時過ぎに到着した。入国審査が非常に混んでおり、ここでも1時間待つことになった。私の番が来たときには6時半を回っていた。これじゃあ、ボリショイの公演は遅刻だな、と覚悟した。
  でも入国審査官の質問は、滞在日数と旅行の目的のみで、ほんの30秒で終わった。
  預けたトランクはとっくに出ていた。ヒースロー・エクスプレスで市内に向かい、7時過ぎに宿に着いた。簡単に化粧直しをして、急いで着替えてロイヤル・オペラ・ハウスに行った。着いたのは7時40分。もう公演は始まっていた。

  この公演は幸いなことにトリプル・ビルだった。一つめの演目は天井桟敷の廊下にあるモニターで観た。これまた幸いなことに(といっては申し訳ないが)、最初の演目はボリショイ・バレエの芸術監督、 ラトマンスキー振付の新作だった。
  モニターを通じて観た限り、そんなに大した作品とは思えなかった(負け惜しみもある)。主にクラシック・バレエの振りを用いたモダン作品で、シンプルな衣装を着た大勢のダンサーたちが、いれかわりたちかわり現れては踊っていく。
  
  それより、「スペードの女王」、「シンフォニー・イン・C」が観られてよかった。特に「スペードの女王」はすばらしかった。作品全体としてはそんなにいい出来だとは思わなかったが、主人公のヘルマン(だっけ?)を踊ったニコライ・ツィスカリーゼと、老伯爵夫人を踊ったイルゼ・リエパが凄かった。
  ツィスカリーゼとリエパが踊るシーンはすごい迫力があって、振付もすばらしかった。ツィスカリーゼとリエパの踊りがあまりに突出していたので、他の群舞がかすんでしまい、作品全体のバランスが崩れてしまった感がある。

  ツィスカリーゼは非常に個性的なダンサーで、踊りも演技もまるで抜き身のナイフのように鋭い。リエパも踊りはもちろんすばらしかったし(身体の使い方がすごい)、演技や踊りによってかもし出す雰囲気、表現力では、彼女のほうがツィスカリーゼよりも抜きん出ていたと思う。

  「シンフォニー・イン・C」は、何も考えずに観られたので楽だった。マリーア・アレクサンドロワちゃんに再会できて感動。相変わらず元気で華やかで輝いていた。
  さっきモニターを通して観たラトマンスキー振付の新作よりも、バランシン振付の「シンフォニー・イン・C」のほうが、はるかに優れているよなあ。

  長くてしかも大変な一日がやっと終わった。
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戦争について

  山岸凉子の「テレプシコーラ」っていうバレエ漫画があるでしょう。私はコミックスになった時点で買って読んでいたのだけど、先日、掲載されている雑誌の最新号で、主人公の一人が自殺したという衝撃的な展開を聞いて、さっそく本屋さんに飛んだわけ。

  ところが、アホなことに、私は「テレプシコーラ」がどの雑誌に掲載されているのか知らなかったのです。コミックスにはちゃんと書いてあったはずなのですが、どうしても思い出せません。
  そこで、山岸凉子は有名な漫画家だし、きっと雑誌の表紙にでっかく名前が書いてあるに違いない、と思い込み、漫画雑誌のコーナーに行って探してみました。ところが、どうしても見つからないのです。

  やっぱり家に帰ってコミックスを見直して、掲載雑誌名をちゃんと確認したほうがいい、とあきらめたのです(後に漫画雑誌ではなく、普通の雑誌に掲載されていたことが分かりました)が、思わぬ収穫(?)がありました。

  20年以上前なんですけど、「機動戦士ガンダム」っていうアニメがあったことをみなさんご存知ですか?私はそれを観ていて、主人公の男の子よりも、その敵役の「赤い彗星のシャア」が好きだったんです。

  で、「テレプシコーラ」を探しに漫画雑誌のコーナーに行ったら、なんとガンダム専門の漫画雑誌があるのを見つけたんです。大昔のアニメなのにどうして!?とびっくりしました。
  すごく恥ずかしかったけど立ち読みしちゃいました。そしたらね、どうも「ガンダム」は続編がたくさん作られていて、私が観ていた「機動戦士ガンダム」だけじゃないらしい。

  そのガンダム専門漫画雑誌は、「機動戦士ガンダム」のキャラクターデザインを担当した安彦良和の漫画以外は、はっきり言って絵も汚いし、話もワケの分からない駄作ばかりでした。

  私は安彦良和の漫画にもともと興味があって、なぜかというと、珍しい題材の漫画を多く描いているからでした。特に日本の傀儡国家であった満州国を取り上げた作品が多くて、こんなことをテーマに漫画を描くなんて珍しいなあ、と思っていたのです。

  ま、それはおいといて、ガンダム漫画専門雑誌に話を戻すと、なんか読んでるうちに複雑な気分になってきたのでした。

  子どものころは「シャアってカッコいい」くらいの感じで観ていたんだけど、今読んでみると、「この漫画家たち、いい年して何をバカバカしいSF戦争漫画なんて描いてるの」という、なんか怒りのような感情が湧いてきたのです。

  このガンダム漫画専門雑誌に載ってる漫画に共通しているのは、一見リベラルで難しい理屈をこねている割には、戦争をカッコよく描いていることなのね。つまり、戦争はどちらが正しいとは一概にいえない、という公平な(?)ことを言う一方で、平気で(しかもカッコよく)戦艦を撃墜したり、人を殺す様を描いている。
  人類の未来がどうとか、変革とか、漫画の(しかもド下手な絵の)キャラクターに言わせるなよ。

  アタシも年をとったな、と思うと同時に、もしこれを子どもが読んで真に受けたらどうなるんだろう、とゾッとしました。

  現実の問題って、現実の出来事や経験の中から考えていくものでしょ。それなのに、こういうフィクションの、しかも(結局は)戦争をカッコよく描いている漫画だけを通じて、子どもが「戦争とは」とか、「人類の未来とは」とか考え出したらどうなるんだろう、と怖くなったわけです。

  考えすぎかもしれないけど、現実の経験から物事を考えることのできない若い人たちが、親殺しからテロまでの、一連の過激な事件を起こしているんではないか、と思いました。  
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くるみ割り人形

  もう「雑記」に載せましたが、スターダンサーズ・バレエ団のピーター・ライト版「くるみ割り人形」はとても良かったです。吉田都さんも出番が少ないとはいえすばらしかったですし、「正宗」ピーター・ライト版があんなにも面白かったとは予想外でした。

  舞台への満足度、という点では、5月のボリショイ・バレエの「ラ・バヤデール」と同じくらいです。両者を並べるのはおかしい、と考える方もおありでしょうが、私はたいていのバレエ公演に対して、「勉強になったな」、「興味深いな」という感想は抱きます。

  でも、「感動したな」、「楽しかったな」と思うことはめったにありません。ですからそういう点で、ボリショイの「ラ・バヤデール」とスターダンサーズ・バレエ団の「くるみ割り人形」は同じ位置にくるわけです。

  また本物のピーター・ライト版「くるみ割り人形」が観られればいいなあ、と思います。

  ピーター・ライトつながりですが、公演当日に会場で配られた「NBSニュース」によると、バーミンガム・ロイヤル・バレエが来年、日本公演を行なうそうです。
  演目は「コッペリア」(ピーター・ライト版)と「美女と野獣」(デヴィッド・ビントリー振付)が予定されているようです。

  そんなに頻繁に来日するわけではないカンパニーだと思うので、とても楽しみです。(←気が早い)  
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