ペリカン・ダンス・アワード2008

  大晦日、みなさまいかがおすごしでしょうか。わたくしはただいま、郷里の秋田に帰省しております。実家の大掃除が済んだころを見計らって帰った(←お約束)つもりが、帰ったら大掃除はまだやっておらず、結局丸一日手伝う破目になりました。今日は体じゅうが筋肉痛です。  

  さて、今年もやってまいりました、ペリカン・ダンス・アワード2008でございます。もっとも、今年はバレエをあまり観なかったので、少ない候補の中から絞り出す、という感じですが・・・。

  例年のとおり、授賞項目は思いついたままに設けました(つまりテキトーっす)。

  最優秀公演賞:『オネーギン』(シュトゥットガルト・バレエ日本公演)
            『明るい小川』(ボリショイ・バレエ日本公演)

  最優秀演目賞:小林紀子バレエ・シアター公演(「マクミラン・ダイヴァーツ」、ヨハン・コボー版『ラ・シルフィード』)

  最優秀作品賞:ピーター・ライト版『コッペリア』(バーミンガム・ロイヤル・バレエ)
            テリー・ウエストモーランド版『白鳥の湖』(牧阿佐美バレヱ団)
            ウラジーミル・ワシリーエフ版『ドン・キホーテ』(東京バレエ団)
            アレクセイ・ラトマンスキー版『明るい小川』(ボリショイ・バレエ)

  最優秀ダンサー賞(男性):セルゲイ・フィーリン(ボリショイ・バレエ『明るい小川』)
                    ウラジーミル・マラーホフ(『マラーホフの贈り物』ロナルド・ザコヴィッチ振付「ラ・ヴィータ・ヌォーヴァ」、東京バレエ団『ジゼル』)

  最優秀ダンサー賞(女性):吉田都(バーミンガム・ロイヤル・バレエ『コッペリア』)
                    マリーヤ・アレクサンドロワ(『マラーホフの贈り物』、ボリショイ・バレエ『明るい小川』)

                    ゼナイダ・ヤノウスキー(英国ロイヤル・バレエ『田園の出来事』、『シルヴィア』)

  一皮むけたダンサー賞:エレーナ・エフセーエワ(レニングラード国立バレエ『バヤデルカ』)
                  小出領子(東京バレエ団『ジゼル』)
                  デヴィッド・ホールバーグ(ヨハン・コボー版『ラ・シルフィード』)

  最優秀演技賞:イリ・イェリネク(シュトゥットガルト・バレエ『オネーギン』オネーギン役)
            ウラジーミル・マラーホフ(東京バレエ団『ジゼル』アルブレヒト役)

  最優秀群舞賞:新国立劇場バレエ団(『ラ・バヤデール』、『シンデレラ』)

  これからに期待賞:ローレン・カスバートソン(英国ロイヤル・バレエ『シルヴィア』)

  スタミナ賞:小野絢子(新国立劇場バレエ団『ラ・バヤデール』影の群舞で連日先頭を踊る)
          さいとう美帆(新国立劇場バレエ団『シンデレラ』シンデレラ役3連投)

  スタミナ切れ賞:イアン・マッケイ(バーミンガム・ロイヤル・バレエ『コッペリア』)

  体育会系賞:イワン・ワシーリエフ、ナターリャ・オーシポワ(ボリショイ・バレエ)
           シュトゥットガルト・バレエの男子全員

  超人的超高速シェネ賞:イーゴリ・コルプ(レニングラード国立バレエ『ドン・キホーテ』)
                   スヴェトラーナ・ザハロワ(新国立劇場バレエ団『ラ・バヤデール』)

  まったり賞:アルテム・シュピレフスキー(ボリショイ・バレエ『白鳥の湖』)

  ケネス・マクミランが草葉の陰で泣いているぞ賞:英国ロイヤル・バレエ団日本公演

  ジョン・クランコが草葉の陰で喜んでいるぞ賞:シュトゥットガルト・バレエ団日本公演

  観たことをすっかり忘れていました賞:モーリス・ベジャール・バレエ団日本公演

  早く舞台に復帰してね賞:アリーナ・コジョカル(英国ロイヤル・バレエ)

  よくぞ復帰しました賞:アダム・クーパー(『ゾロ』UKツアー、『オズの魔法使い』ロンドン公演)

  来年もバンバン舞台に立ってね賞:アダム・クーパー

  あと来日公演も忘れないでね賞:アダム・クーパー  

  とりあえずはこんなもんでしょうか。後でまた何か賞を思いついたら書き加えます。

  みなさま、今年も拙サイト&ブログをご覧下さいまして、本当に本当にどうもありがとうございました。

  どうぞよいお年をお過ごし下さいませ。
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アダム・クーパーの舞台映像

  アダム・クーパーの公式サイトが、クリスマス・プレゼントとして、彼の舞台映像を公開しました。

  2003年のエクセター・フェスティバルで上演された“The Nature of Touch”の一部です。アダム・クーパーと彼の兄、サイモン・クーパーが一緒に踊っています。

  この“The Nature of Touch”はアダム・クーパーによる振付です。コンテンポラリー作品といえると思いますが、兄弟が親しみあい、そして憎みあうという、相反する感情が複雑に交錯する様が表現されているように感じました。よい作品です。

  2003年エクセター・フェスティバルについては、いおさんから詳しいレポートを頂戴しました。サイト本体の こちら をご覧下さい。

  アダムとサイモンの実の兄弟が、10数年にわたって互いに距離をとり続けてきた末に、ようやく一緒に踊れるまでに気持ちが落ち着いたことを象徴する映像です。

  今さらながらに感慨深いものがあります。
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新国立劇場バレエ団『シンデレラ』(2)

  23日の夜公演も観に行ってきました。ていうか、最初からコジョカル狙いで2回分のチケットを買っといたのですわ。

  結局キャストは変更になりましたが、アシュトン版『シンデレラ』は好きな作品なので、私の場合はぜんぜん問題ありません。シンデレラの演技や踊り以外にも、見どころはたくさんある作品です。しかも、上演するのは新国立劇場バレエ団だし。

  シンデレラ役のさいとう美帆さんは、昼と夜と連チャンで、ズタボロになっていないかと心配でしたが、表面的にはまったく問題ありませんでした。でも、第二幕のシンデレラのソロで、回転と軽いジャンプ的な動きで舞台を2周する最後のほうは、もう脚があまり上がらなくなっているのが分かりました。決めのポーズでもちょっとふらつきました。それでも笑顔を崩しませんでした。

  ああ、本当はやっぱり疲れているんだな、と分かりました。でも、さいとうさんが疲れを見せたのはこのソロの最後だけで、他は毛ほどにもそんな様子を見せませんでした。なんというか、まだ若いのに、それに小柄でかわいいのに、なんという強靭さ、そしてなんというプロ根性、と感動しました。

  ヨハン・コボーは、踊りのほうは昨日(22日)より調子がややよくないようでした。ただ、立ち居振る舞いは優雅で王子らしかったし、演技も細かかったです。あまり表情を変えないようにみえるんだけど、実はかすかに表情を変えて演技しています。

  コボー演ずる王子が、最初はシンデレラの美しさにただただ呆然とするばかりだったのが、次第にシンデレラに魅せられていき、最後にははっきりと恋心を抱いて、胸に手を当てながら、目を輝かせて明るく微笑みます。そのコボーの生き生きとした表情を見たとき、これぞ英国ロイヤル・バレエの真骨頂じゃい、と嬉しくなりました。

  コボーは王子キャラを保ちつつ笑いを取るのも上手でした。シンデレラの姉たちが大きなオレンジを奪いあう様子に、かすかに眉をひそめる表情や、またシンデレラのスカートからガラスの靴がこぼれ落ちるのを見て、シンデレラの姉のデカ足からガラスの靴を脱がそうとするんだけど、なかなか脱げないので思い切り踏ん張る演技が笑えました。

  踊りではジャンプが少し低くて重かったですが、これはロイヤルの男性プリンシパルの、ある意味「持ち味」なので、私はさほど気になりません。ですが、是が非でも決めなくてはならないところはビシッと決めます。回転はブレないし、脚も下がらないし、静止はスムーズで両足の位置もきれいです。また、片脚を真横に上げてジャンプするとき、上げた片脚から爪先までの線が弓なりでとても美しかったです。

  さいとう美帆とのパートナーシップも昨日よりよかったように思います。さいとうさんもうまく合わせていたのでしょうが、コボーの適応能力が優れているせいもあるんでしょうね。考えてみれば、夏休みを除いて、ロイヤル・バレエは公演が毎週あるんですから、相手役がいきなり変更になるといったアクシデントには慣れっこなのでしょう。

  あえて難癖をつけるなら、「ろくろ回し」がちょっとスムーズでなかったのと、第三幕のラストで、アラベスクをするシンデレラを支えて手を離し、一瞬の間をおいて再びシンデレラを支えるとき、コボーとさいとうさんのタイミングが合わなかったことぐらいでしょうか。これは昨日もぎこちなかった箇所でした。昨日はヒヤリとしました。さいとうさんの体が支えを失って、上体が後ろに倒れかけたところで、コボーがかろうじて支えなおしました。今日も同じ箇所で同じようにコボーが少し出遅れました。それでも、昨日よりはぜんぜんマシでした。

  アシュトン版『シンデレラ』は群舞も見どころです。群舞に見入ってしまう作品というのは珍しいんではないでしょうか。第一幕の仙女、四季の精、星たちの群舞、第二幕の舞踏会の客たちの群舞、みんな振付やフォーメーションが凝っていて見ごたえがあります。私のいちばんのおすすめは第一幕の星たちの群舞(「ワルツ」)です。ダンサーたちが場所を移動しながら交互に上半身を上げては伏せ、というあのリズミカルな動きは、音楽と非常に合っていて気持ちいいです。

  見ていていつも「大変だなー」と思うのは、第一幕の最後で仙女と四季の精が手足を超超超高速で動かす踊り(「出発の中断」)です。鋭角的でシャキシャキした動きで、見てるほうは楽しいのですけれどね。

  仙女、四季の精のそれぞれのソロも、プロコフィエフの音楽がおそらく捉えにくい上に、うなじから肩と背中までをピンと反らせたまま、手足だけを細かく複雑に動かす振付が施されていますから、踊っているほうはさぞ大変だろうと思います。

  特に秋の精のソロは、バッチでうまく踊れるダンサーはなかなかいないでしょう。私は今までダンサーに非があるのだ、と思ってましたが、今日に至って、これは音楽と振付の難しさに問題がある、と思い直しました。

  プロコフィエフの『シンデレラ』は「音取り」が難しい、というのは、マシュー・ボーンも言ってましたもんね。

  第二幕の王子とシンデレラのパ・ド・ドゥも、音を捉えて踊るのがかなり難しいと思います。特に、シンデレラが回転してからアラベスクした瞬間に、王子がシンデレラの腰を支えて止める、という動きを何回か連続して、しかも左右両方に繰り返すでしょう。これと似たような動きは、『ラ・バヤデール』第三幕のニキヤとソロルの踊りにありますが、『ラ・バヤデール』の場合は音楽がまだ捉えやすいと思います。それに対して、『シンデレラ』のあの「王子とシンデレラのパ・ド・ドゥ」の音楽に、同じ動きを入れるというのはすごい発想です。

  シンデレラの姉たちですが、今日は第一幕で姉たちが舞踏会用のおめかしをしたり、ダンスの練習をして大騒ぎしているときに、井口裕之さんのヅラがふっとんでしまう、という笑えるハプニングがありました。

  もっとも、姉たちは実はハゲ頭であり、おしゃれ(かどうかはかなり疑問だが)ヅラをかぶって舞踏会に行く、という設定なので、ヅラがふっとんでも問題ないわけです。どうすんのかなー、と思って見ていると、井口さんがハゲ頭のまま踊り続けている間に、衣装係の役のダンサーがヅラを拾い上げて持っていってしまいました。井口さんはアドリブで「アタシのヅラがない~」と父親役の石井四郎さんに泣きついていました。まもなく、宝石係役のダンサーがヅラをお盆の上に乗っけて出てきて、井口さんは無事にヅラをかぶることができました。

  ダンス教師役の吉本泰久は踊りがなにげにすごかったですが、その小柄な体がデカい姉たちに引きずり回されているシーンは笑えました。

  ナポレオン(伊藤隆仁)のヅラが脱げて(←またヅラネタ)、それに気づいたナポレオンが真っ青になる演技、伊藤隆仁は今日もグッジョブでした。観客は大いにウケてました。

  オーケストラは、今日は昨日よりもいくぶんよかったです。

  私の2008年のバレエ鑑賞は、この『シンデレラ』で終わりです。よい作品で締めくくりができてよかったです。
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新国立劇場バレエ団『シンデレラ』(1)

  22日の公演を観に行ってきました。アリーナ・コジョカル→ラリーサ・レジニナ→さいとう美帆、と主役のシンデレラを踊るキャストが次々と変更になった回です。

  20日の公演をご覧になったみなさんは、公演の途中でシンデレラのキャストがいきなり変わった(ラリーサ・レジニナ→さいとう美帆)ので、非常に混乱されたであろうとお察しいたします。

  いくらステージ・パフォーマンスにはこうしたリスクはつきものといっても、実際に自分がそうした場に居合わせてしまうと、とても残念で納得のいかない気持ちになることは避けようがありません。

  さて、下の記事にあるように、私は新国立劇場の公式サイトを見たので、「シンデレラ:さいとう美帆」とあらかじめ承知の上で観に行きました。

  さいとう美帆さん、すごくよかったですよ。とても小柄で、驚いたことに、ポワントで立ってもヨハン・コボーより背がやや低いのです。コボーは小柄なコジョカルと以前にペアを組んでいたくらいですから、そんなに背の高いほうではないと思います。とすると、さいとうさんは160センチぎりぎりぐらいなのではないでしょうか。顔立ちも目が大きくかわいらしいので、いかにもシンデレラといった感じでした。

  踊りはすごく丁寧で安定していました。見ていてヒヤヒヤすることがなかったです。決して無理をせず、自分が確実にできる踊りに徹する姿勢にも好感が持てました。(コジョカルと同じように踊って自滅してしまったダンサーを、私は以前に見たことがあります。)

  演技はちょっと元気がよすぎて、シンデレラのかわいそうさがまったく伝わってきませんでしたが、もともとアシュトン版『シンデレラ』は、シンデレラがさほどかわいそうではないので、あれはあれでいいんではないかと思います。

  でもねー、やっぱり、さいとうさんが踊っているのを見ていると、脳裏に浮かんできてしまうんです。アリーナ・コジョカルの踊るシンデレラが。第二幕のシンデレラのソロとか、王子とシンデレラとの踊りとかで、ああ、コジョカルはこう踊ったのに、とつい脳内比較してしまう。

  いかんいかん、さいとうさんはさいとうさん、コジョカルはコジョカル、と自分を戒めましたが、私も人間です。コジョカルならどんなに感動したろうに、とどうしても思ってしまうのです。いけないことだ、と分かってはいるのですが・・・。

  王子役のヨハン・コボーとさいとうさんはよく合わせていました。第三幕のラスト、シンデレラと王子との踊りで、コボーのサポートが少し遅れて、さいとうさんの体がややよろめきましたが、それ以外には、特に問題はなかったと思います。むしろ、2人の踊りを合わせる時間が実質1日しかなかったであろう現実を考えると、あそこまで自然に、スムーズに合わせて踊ったのはすごいです。

  コボーの踊りを見て、ちょっと重いな、と最初は感じました。どうやら外人ダンサーを見たとたん、反射的に「ボリショイ脳」が起動したようです。あわててマニュアルで「英国ロイヤル脳」を起動しました。そしたら、これぞ英国ロイヤル・バレエ独特のまったり感だ、と懐かしく感じました。

  もちろん、コボーは堂々とした気品ある態度で「王子様」していたし、踊りも外人ダンサー特有の「見せる力」の強い、艶のあるものでした。

  シンデレラの姉たちを演じたのはマシモ・アクリと井口裕之で、アクリさんはこの役をやればやるほど、ますますお笑い度に磨きがかかってきている感じです。井口さんは線の細い人で、最初は「あれ?女の人?」と思いました。おとなしいほうの姉の役のせいかもしれませんが、もうちょっと羽目を外してもよい気がしました。

  仙女は川村真樹で、まず超美人なので見とれました。淡い青がかかった白い衣装がよく似合っていて、仙女らしい雰囲気に溢れていたし、踊りもよかったと思います。

  四季の精の中に1人、突出して踊りのうまいダンサーがいたので、オペラグラスで顔をよく見ると、西川貴子(夏の精)でした。ガムザッティ様(5月『ラ・バヤデール』)でしたか。

  冬の精の寺島ひろみも落ち着いた丁寧な踊りをみせました。でも、途中で足元が大きくグラついたのが惜しかったです。これは私の気持ちのせいかもしれませんが、今日の四季の精は、みなどこか踊りが今ひとつビシッと決まらない感じがしました。

  道化役の八幡顕光は実にすばらしかったです。複雑なジャンプや回転などの難しい技を次々とこなしていました。演技も面白くて、我こそはと意気込むシンデレラの姉たちに、ガラスの靴を嫌々履かせるシーンには特に笑いました。

  王子の友人たちの中に1人、突出して踊りのうまいダンサーがいたので、オペラグラスで顔をよく見ると、どうやら中村誠のようでした。やっぱり他の日(27日)に王子を踊るだけのことはあります。

  伊藤隆仁扮するナポレオンのヅラが落ちてハゲ頭が露わになるシーンで、観客は異常に大ウケしていました。ヅラが落ちたのに気づいてあわてる伊藤隆仁の演技が笑えました。ちなみに、ウェリントンを演じた貝川鐵夫は、26日の公演で王子を踊ります。いいのか王子にこんな役を受け持たせて。

  群舞は相変わらず見事でした。特に星たちの踊りは見ごたえがありました。第一幕最後の「時計の情景」と「ワルツ」の踊りでは、プロコフィエフの優れた音楽と群舞の見事な踊りとがあいまって、見ていて鳥肌が立ちました。

  ところで、プロコフィエフの音楽は難しいのかもしれないが、あのオーケストラはどーにかならんか。

  元気がよすぎる、と上に書いたさいとう美帆さんの演技ですが、第三幕でシンデレラが舞踏会を思い出して踊った後、ふと我に返ったときの、あの切なげな、同時に哀しげな表情はすばらしかったです。思わずぐっときました。 
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ラリーサ・レジニナも降板

  現在公演中の新国立劇場バレエ団『シンデレラ』ですが、ゲストのラリーサ・レジニナ(オランダ国立バレエ団)が20日の公演中にケガをしてしまい、出演予定だった22日と23日夜の公演を降板したそうです。

  本人は今回の舞台を楽しみにしていたそうで、本当にかわいそうです。でも、どうか今はケガの治療に専念してほしいものです。

  詳しくは新国立劇場公式サイトの こちらのページ をご覧下さい。

  レジニナの代わりに、さいとう美帆さんがゲストのヨハン・コボー(英国ロイヤル・バレエ団)と組んで出演することになりました。ところが、すごいスケジュールです。さいとう美帆さんは、なんと22日、23日昼・夜公演の3連投を行なうことになったのです。

  さいとう美帆さん自身が納得して引き受けたことなら文句は言えません。でも、こんな忙しいスケジュールで踊って大丈夫なのでしょうか?アシュトン版『シンデレラ』のシンデレラは非常にタフな役だと思うので・・・。

  あと、これは冷たい言い方だと思いますが、さいとう美帆さんは、アリーナ・コジョカルやラリーサ・レジニナと同じくらいのパフォーマンスを見せてくれるのでしょうか。

  私はコジョカル目当てでチケットを買ったので、当然の気持ちとして、さいとうさんがコジョカルと同じレベルの踊りと演技を見せてくれるものと期待しています。「代役」だからといって、生暖かい目で見る気にはなれません。
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ボリショイ・バレエ『明るい小川』(4)

  早く書かなきゃ書かなきゃと思いつつ、つい時間が経ってしまいました。やっぱり師走がわるいんです。昨日の土曜日もお仕事でした~。・・・でも、今のご時世、働ける場があるだけでもありがたいと思わなくちゃ。

  真っ赤なドレス、纏足みたいな細い三角形の真っ赤なトゥ・シューズを履いた別荘住人の妻(アナスタシア・ヴィノクール)が現れ、夫(アレクセイ・ロパレーヴィチ)が白いドレスを着た筋肉ムキムキのシルフィード(セルゲイ・フィーリン)に鼻の下を伸ばしているのを見つけ、激怒して駆け寄ろうとします。

  ところが、その前を、大きな犬が自転車に乗って悠然と通り過ぎていきます。それは犬の着ぐるみを着たトラクター運転手(イワン・プラーズニコフ)なのですが、別荘住人の妻は気づかず、あっけにとられて自転車を漕ぐ犬を見つめます。

  この光景に会場は爆笑の嵐でした。とてもボリショイ・バレエの公演とは思えません。まるで吉本新喜劇です。この犬の着ぐるみというのが、ダンサーの顔が丸出しで、その顔の上に犬の顔と頭があるので、ダンサーの表情が分かるんです。着ぐるみを着たイワン・プラーズニコフは妙に飄々としていて、全然平気な顔して自転車を漕いでいて、カワイイ犬の着ぐるみとプラーズニコフの冷静な表情とのギャップが面白かったです。

  そこへ今度は、バレエ・ダンサーに変装したバレリーナ(マリーヤ・アレクサンドロワ)が現れます。アレクサンドロワは、美しいと同時にきりりとした表情をしていて、苔色の上着、ズボン、ベレー帽、ブーツという出で立ちがよく似合ってカッコよかったです。まさに「男装の麗人」でした。

  バレエ・ダンサーに変装したバレリーナは、わざと男性っぽい仕草や身振りをして、別荘住人の妻を誘惑します。でも、アレクサンドロワの身体の柔らかい曲線が、男の服の上からでも分かってしまって、見ていてなんだか形容し難いアブない気分になりました。宝塚ってこういう魅力があるから人気があるのかしら。

  別荘住人の妻は大喜び、わざと地べたに座り込んで、バレリーナに助け起こされようとします。バレリーナは別荘住人の妻の両手を取って助け起こそうとしますが、相手はなかなかに重いらしく、踏ん張ってゆっくりと助け起こすうちに、徐々にバレリーナの体が別荘住人の妻の脚の間にすべり込み、今度はバレリーナが地面に仰向けになって倒れてしまいます。

  更に、別荘住人の妻はバレリーナに抱きついて、その頬にむちゅちゅちゅ~、と熱烈なキスをします。バレリーナは顔を背けながら、うぎゃあ、という表情を浮かべます。

  アレクサンドロワのこの一連の仕草や表情に、観客はまたもや爆笑しどおしでした。

  ところが、アレクサンドロワは、第一幕でセルゲイ・フィーリンが踊ったバレエ・ダンサーのソロを、そっくり同じ振りで踊りました。つまり、すべて男性技で踊ったのです。斜めに跳躍して両足を打ちつけたり、半爪先立ちで豪快に回転したりした後、両脚を大きく開いてジャンプしながら舞台を一周します。

  男性ダンサーの技は基本的にパワーにあるのだな、と思いました。ジャンプは高く、回転は豪快に、しかも長時間続ける、などです。女性ダンサー特有のフェミニンな動きは完全には消せなかったものの、アレクサンドロワの男踊りは非常にパワフルで力強かったです。しかもカッコよかった!!!アレクサンドロワが宝塚に入団したら、私、ファンになるかも。

  その間、背後の物陰から、シルフィード姿のセルゲイ・フィーリンがしょっちゅう様子を窺い見ている姿が何気に笑えました。

  バレリーナと別荘住人の妻が姿を消すと、今度はピョートル(アンドレイ・メルクーリエフ)が周囲をきょろきょろと見回しながら姿を現します。彼はバレリーナと逢引しにやって来たのです。その前にふんわりしたスカートの、白いドレスを着たバレリーナが現れます。彼女はなぜか目を隠すマスクをしています。実は、彼女はバレリーナに変装したピョートルの妻、ジーナ(エカテリーナ・クリサノワ)でした。

  でもピョートルは彼女があこがれのバレリーナだと信じ込んでしまい、彼女に白い花束を贈ります。バレリーナに変装したジーナはにっこりと笑って花束を受け取ると、いきなり不機嫌な表情になって花束を地面に叩きつけます。観客はまたまた大笑いです。

  バレリーナに扮したジーナとピョートルは一緒に踊ります。どうも前段のセルゲイ・フィーリンとマリーヤ・アレクサンドロワによる爆笑パフォーマンスに押されたせいか、ジーナとピョートルの踊りがどうだったかはよく覚えていません。でもステキな踊りだったことは確かで、エカテリーナ・クリサノワとアンドレイ・メルクーリエフの踊りもすばらしかったです。「こんなにすばらしく踊られたんじゃ、フィーリンとアレクサンドロワの存在感が薄れてしまうわ」と危機感(笑)を抱いたことは覚えていますから。

  ジーナとピョートルの踊りが終わると、別荘の住人の夫のほうとバレリーナに扮したムキムキなシルフィード姿のバレエ・ダンサーが再び現れます。すると、バレエ・ダンサーに扮した男装のバレリーナと別荘住人の妻のほうもやって来ます。バレエ・ダンサー姿のバレリーナはわざと「自分の恋人を寝取った」と怒るフリをし、手袋を床に叩きつけて別荘住人の夫に決闘を申し入れます。

  別荘住人の夫はうろたえますが、品質検査官のガヴリールィチ(アレクサンドル・ペトゥホーフ)をはじめとする人々が次々と現れて、さっさと決闘の準備を進めてしまいます。

  別荘住人の夫が銃を構えると、バレエ・ダンサーに扮したバレリーナは、いきなりシルフィード姿のバレエ・ダンサーを前に押し出し、自分の盾にします。それまで両手を胸の前でたおやかに交差させ、神妙な顔をしていたシルフィード姿のバレエ・ダンサーはとたんに素に戻り、あわてた顔になって脚をガニ股にして踏ん張り、銃口から逃れようとします。そこで品質検査官が金タライを叩き、ぐわ~ん、と大きく鳴らします。

  その音とともに、シルフィード姿のバレエ・ダンサーは脚をガニ股にしたまま後ろに倒れます。シルフィードに扮したフィーリンの「死に様」が見事に野郎だったので超笑えました。

  人を殺してしまった、とカン違いした別荘住人夫妻はあわてて逃げていきます。彼らが去ると、倒れていたシルフィード姿のバレエ・ダンサーはむっくりと身を起こします。策が上手く運んだ一同は大笑いします。

  前幕が下ります。これがまたかわいい色使いと模様の幕で、いろんな色の花々と大きな麦の穂が描かれています。その幕の前を、人々がありえない大きさの農作物を担いで通り過ぎていきます。最後に現れた人々は巨大なカボチャを転がしながら運んでいきます。う~ん、どれもなんてカワイイの。

  幕が開くと、第一幕と同じ舞台背景の前に巨大農作物が並べられています。やがて、やっと人間・・・もとい、男性の姿に戻ったバレエ・ダンサーが現れ、更に同じ白い衣装を着て、目をともにマスクで隠した2人のバレリーナが姿を現します。バレエ・ダンサーと2人のバレリーナは一緒に踊ります。ピョートルは不思議そうな顔をします。

  2人のバレリーナは並んで踊ります。マスクはつけていましたが、どっちがアレクサンドロワで、どっちがクリサノワかは身体のスタイルと踊りですぐに分かります。やっぱり自然と目が吸い寄せられるのはアレクサンドロワのほうでした。

  やがてピョートルの目の前で、本物のバレリーナがマスクを外し、いたずらっぽい微笑を浮かべます。ピョートルは残る1人のバレリーナを見つめます。すると、もう1人のバレリーナもマスクを外します。なんとそれは妻のジーナでした。

  自分が昨夜「逢引」したのが、実は自分の妻だった、と分かったピョートルは、とっさにひざまずき、ジーナの両手を握って許しを請います。ジーナはピョートルを許し、これで大団円となります。

  最後は明るくて豪壮な音楽が演奏される中、人々のすべてが舞台の真ん中に集まり、観客に向かって手を振るうちに幕が下ります。

  この終わり方は、去年のマリインスキー・バレエ&ボリショイ・バレエのカーテン・コールを思い起こさせる、実にほのぼのとした演出です。ダンサーたちと観客との距離が縮まるというか、最後まで楽しい気分にさせてくれた舞台でした。

  ショスタコーヴィチの音楽も非常によかったし、ボリショイ劇場管弦楽団による演奏もすばらしかったです。ロシアの作曲家の音楽をロシアのオーケストラが演奏すると、やっぱり何かが違います。リズムよいというか、緩急がツボにはまっているというか、聴いていて実に心地よいです。あとはなんといっても、アレクセイ・ラトマンスキーの振付が音楽に非常に合っていました。

  『明るい小川』は本当に楽しくて見ごたえのある作品でした。将来のボリショイ・バレエ日本公演でぜひ再演してほしいけど、ラトマンスキーはボリショイ・バレエの芸術監督を退任するというから、ひょっとしたらこれが、最初で最後の日本での上演になるのかもしれません。

  でも、カーテン・コールでラトマンスキーが出てきたときに、ひときわ大きな拍手とブラボー・コールが湧き、スタンディング・オベーションをする観客が多く出た情景を、公演前に挨拶したロシア政府のお偉いさんたちは見たはずです。

  本当によい作品なので、ボリショイ劇場内の政治事情の如何にかかわらず、ボリショイ・バレエのレパートリーとして、ぜひとも残してほしいです。
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ボリショイ・バレエ『明るい小川』(3)

  浮気性なピョートル、別荘に住む老夫婦をからかうために、ジーナはバレリーナに、バレリーナはパートナーのバレエ・ダンサーに、バレエ・ダンサーはバレリーナに、トラクター運転手はにそれぞれ変装することにします。

  一方、緑色のセーラー服を着た可憐な女学生のガーリャ(アナスタシア・スタシケーヴィチ)に、芸術慰問団の一員であるアコーディオン奏者(デニス・サーヴィン)が近づきます。

  アコーディオン奏者は腰に手を当てたり、肩をそびやかしたり、腰を突き出して脚を前に出したり、髪を片手でなでつけたりと、妙にカッコつけたポーズと仕草で、ガーリャに(あくまで本人的には)クールにアピールします。

  アコーディオン奏者役のデニス・サーヴィンは、『ドン・キホーテ』でガマーシュを演じた人でした。ガマーシュのときもおネエ入った仕草で大笑いでしたが、このアコーディオン奏者のカッコつけてるけど笑える仕草と表情に、観客は始終クスクスと笑いどおしでした。

  ところが。アコーディオン奏者はカッコつけた仕草で踊り始めます。踊ってびっくり、デニス・サーヴィンは非常に優れたテクニックを持つダンサーでした。しなを作ったような笑える仕草を保ったまま踊るんだけど、高く跳び、複雑な足技を決め、凄まじい勢いで回転します。サーヴィンが踊っている間、私は笑ったり驚嘆したりと忙しかったです(笑)。サーヴィンが踊り終えると、盛大な拍手が送られました。

  ガーリャ役のアナスタシア・スタシケーヴィチは、第一幕から群舞に混じって、またアコーディオン奏者役のサーヴィンと踊っていました。スタシケーヴィチは小柄なダンサーで、ぽんぽんと軽く弾むように、敏捷な動きで踊ります。特にポワントで立ちながら、脚を高く上げる動きが速く、また鋭くて印象的でした。また、溌剌とした可愛らしい雰囲気のダンサーです。ちなみに彼女は『ドン・キホーテ』ではキューピッドを踊りました。

  アコーディオン奏者はガーリャとのデートの約束を取り付けます。ところが、アコーディオン奏者がガーリャに近づこうとすると、犬の着ぐるみを着たトラクター運転手(イワン・プラーズニコフ)が四つんばいで飛び出してきて、「ワン!ワン!」とマジで吠えて威嚇します。

  まさか栄えあるボリショイ・バレエの舞台で、犬の着ぐるみが出てくるとは、しかも、ワンワンと吠えるとはー!と驚きましたが、おかしくて大笑いしました。

  そこで一同が出てきて種明かしをし、アコーディオン奏者も「浮気者にはママより怖いおしおきだべ~!」(By ドクロベエ様)作戦に参加します。

  別荘に住む老夫婦のうち、旦那(アレクセイ・ロパレーヴィチ)が自転車に乗って現れます。なぜか長銃と弾薬を引っさげて完全武装しています。美しいバレリーナにカッコいいところを見せようというのでしょう。

  やがてその妻(アナスタシア・ヴィノクール)も現れます。こちらは真っ赤なトゥ・シューズを履いています。イケメンのバレエ・ダンサーと踊ろうというつもりらしいです。

  妻はイケメンのバレエ・ダンサーを探し求めて去っていきます。ひとり残された夫の背後に、白いシルフィードの衣装を着たバレエ・ダンサー(セルゲイ・フィーリン)が現れます。

  フィーリンは両手を胸の前に緩く差し出したシルフィードの定番ポーズで、舞台の奥を軽やかに・・・ではなく、どたどたどたどた~、と大きな足音を立てながら大股に横切っていきます。しかも、その目は夫をガン見しています。

  大きな足音を響かせながら舞台を何回か往復した後、フィーリンは両手を胸の前で交差させた、ジゼルのようなポーズでベンチの上に立ちます。ジゼルのようにふわっとベンチの上に座るのかな?と思いきや、フィーリンは両足を揃え、どん、と力強い音を立てて地上に降り立ちます。

  それからバレリーナに変装したバレエ・ダンサーに扮した(まぎらわしい)フィーリンと、別荘の住人の旦那との踊りが始まります。フィーリンはたおやかな仕草で踊ります。両腕の動きが女性ダンサーに負けないか、もしくは女性ダンサー以上にたおやかで優美で驚愕しました。まるで骨がないみたいに柔らかくたわむのです。

  また、ポワントで立ってやったジゼル風のアラベスクもすごくきれいでした。脚の高さや角度が絶妙で、一瞬これは男性だということを忘れたくらいでした。基本お笑い中心なんですが、フィーリンがふとしたときに見せる動きやポーズが女性ダンサー以上に美しく、かと思うと舞い上がったスカートの下にスネ毛がびっしり生えた脚が見えてしまい、とたんに現実に引き戻されます(笑)。

  バレエ・ダンサーは油断するとガサツな男の地が出てしまい、そのたびにあわてて両手を胸の前で組みますが、その目は異様に据わっており、別荘の住人をじとーん、と凝視しています。フィーリンのこの表情がすごく笑えました。

  別荘の住人の旦那はバレリーナに変装したバレエ・ダンサーの言いなりです。バレエ・ダンサーはポワントで踊ることに疲れて床に座り込みます。バレエ・ダンサーのシルフィードは人差し指をくいくい、と動かして、別荘の住人が腰に下げていたウォッカの小瓶を要求します。

  ウォッカを受け取ると、フィーリンは大股広げて座ったまま、それを一気にあおろうとします。しかし別荘の住人のいぶかしげな視線に気づくと、あわてて両脚をきれいに斜めに揃えて座り直し、その姿勢でウォッカをうまそうに飲み干します。

  フィーリンのシルフィードが登場している間、観客は大きな声を上げて笑いっぱなしでした。フィーリンの笑える、時にハッとさせられる踊りと、大爆笑な演技のおかげで、舞台はフィーリンの独壇場となりました。
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ボリショイ・バレエ『明るい小川』(2)

  詳細は後日、とか書いといて、いつまでも書かないですみません。みんな仕事がわるいんです。なにせ師走ですから・・・。

  12月9日のボリショイ・バレエ公演『明るい小川』、正月を越えたら脳内から消えてしまいそうな気がするので、そうならないうちに感想を書いておきます。といってもメモ程度のことしか書けませんが。

  まず、舞台がソ連時代のコーカサス地方にあるコルホーズ(集団農場)というのが懐かしかったです。そういえば、ソフホーズ(国営農場)というのもありましたな~。両方とも社会の教科書に出てきましたっけ。

  作品名の『明るい小川』とは、物語の舞台であるコルホーズの名前だそうです。

  幕が開くと、白黒の内幕がかかっています。中央には大きなハンマーと鎌が描かれ、またもや懐かしいソ連の国旗を思い出させます。その周囲にはキリル文字(ロシア文字)でなにか書いてあります。いかにもソ連~!!!という感じです。

  コルホーズの人々の衣装は、女性は明るい色の花柄のワンピースを着て、頭を布で覆っており、男性は地味なシャツにズボンを穿いています。どこか安っぽくて垢抜けない衣装で、いかにも昔の社会主義国家という感じでした。また、コサック・ダンスの衣装みたいな毛皮の民族衣装を着た高地の住人たち、軍服風の作業着を着たクバンの作業員たちなども、ソ連時代を想起させます。

  ですが、これらの衣装、そして舞台装置や小道具などは、昔のソ連を忠実に再現したというよりは、おそらくソ連時代の雰囲気や面影は残しつつも、現代風にアレンジしたであろうと思われます。ダサさ、安っぽさ、垢抜けなさは、プロパガンダ用に描かれた大きな看板の絵みたいな、キッチュな魅力を持っておりました。

  物語は他愛なく、よその美女にちょっかいを出そうとする夫を、妻がその美女に変装してとっちめ、夫は改心して妻の許しを請い、夫と妻は仲直りをする、というものです。ヨハン・シュトラウスの『こうもり』みたいなストーリーです。また、一農婦に過ぎないはずだった妻が実は天才的なバレリーナだった、という設定は、『オン・ユア・トウズ』をはじめとする、アメリカの古いミュージカルを思わせます。

  すべては、コーカサスのコルホーズ『明るい小川』に、モスクワから芸術慰問団がやって来たことから始まります。

  バレリーナ役のマリーヤ・アレクサンドロワは、襟、リボン、ベルト部分が黒い、セーラー服風デザインのおしゃれな白のワンピースを着て、髪はおでこを出したショート・カット、耳にはイヤリングをつけ、きれいに化粧しています。アレクサンドロワはやっぱり華やかな美女だな~、とあらためて思いました。

  そのパートナーであるバレエ・ダンサー役はセルゲイ・フィーリンでした。苔色のスーツにブーツを履き、ベレー帽をかぶっています。意外にスレンダーで線の細い人だったので少し驚きました。(第二幕でチュチュを着たらそうじゃなくなりましたが)。しかも小顔ですべすべのきれいなお肌をしていて、本当に引退するような年齢なのだろうか、と不思議でした。

  『明るい小川』で働く農業技師のピョートル役はアンドレイ・メルクーリエフ、その妻のジーナ役はエカテリーナ・クリサノワでした。

  アレクサンドロワ演ずるバレリーナとクリサノワ演ずるジーナは、実はバレエ学校での同級生だった、という設定で、アレクサンドロワとクリサノワが一緒に並んで同じ振りで踊るシーンがありました。この踊りというのが、複雑な動きで回ったり跳んだりと、みるからに難しそうな技がてんこもりでした。

  並んで踊っているので、アレクサンドロワとクリサノワの踊りの違いがなんとなく分かりました。クリサノワは華奢な体つきで、手足も長くてほっそりしており、腕の動かし方は柔らかくて繊細です。

  対してアレクサンドロワは、身体能力とテクニックではクリサノワを凌駕しているようでした。また、アレクサンドロワとクリサノワが踊っていて、どちらに自然に目が向くかというと、やはりアレクサンドロワでした。存在感とかオーラとかいう点でも、アレクサンドロワは抜きんでているように思いました。

  ただ、クリサノワのグラン・フェッテは、私の理想のグラン・フェッテです。片脚を真横に上げて、膝から下もほぼ床と水平になるまで高く上げるのです。クリサノワのグラン・フェッテは本当に美しいです。

  コルホーズの人々による群舞もすばらしかったです。アレクセイ・ラトマンスキーの振付はいいですね。男性陣が一斉に開脚ジャンプして舞台を横切ると、次には女性陣が同じように一斉に開脚ジャンプして舞台を横切ります。男性陣、女性陣ともに側転までやったので驚きました。パワフルで、しかもキレがよく美しかったです。

  バレリーナ(アレクサンドロワ)とバレエ・ダンサー(フィーリン)の踊りも流麗の一言に尽きました。特に、フィーリンがアレクサンドロワを軽々とリフトして、自分の肩や頭上で振り回すのがスムーズできれいでした。特に驚いたのが、フィーリンがアレクサンドロワの体を床すれすれの高さのまま、いつまでも振り回し続けたことです。1分近くは振り回してたんじゃないでしょうか。その間、アレクサンドロワの体はまったく下がりませんでした。

  フィーリンはソロも踊りましたが、非常に軽々飄々と踊っていました。空中に高く跳び上がって、その瞬間に両足を打ちつけたり、軽く跳んで両足を小刻みに交差させたり、ダイナミックな安定した回転を続けたり、こんなに踊れるのにどうして引退する(した)のかしら、とやはり不思議に思いました。

  クバンの作業員たちと高地の住人たちの踊りは、足首を曲げてかかとを地面につけ、脚を外側に開いて大きくジャンプする、という勇壮なものでした。が、その踊りの最後で、いきなりアレクサンドロワが男たちの踊りの輪に乱入(笑)し、豪快な開脚ジャンプで舞台を一周したのには圧倒されました。最後までパワーが少しも落ちません。アレクサンドロワは本当にすごい、とあらためて思い知らされました。

  ジーナの夫、ピョートルはバレリーナにすっかり夢中になってしまいます。ジーナは悲しみますが、バレリーナは自分にそんな気はない、とジーナの誤解を解きます。

  ピョートル、そしてバレリーナ、バレエ・ダンサーとの浮気をそれぞれたくらんでいる別荘の老夫婦(アレクセイ・ロパレーヴィチ、アナスタシア・ヴィノクール)をこらしめるための策謀に、バレエ・ダンサー、品質検査官(アレクサンドル・ペトゥホーフ)、女子学生のガーリャ(アナスタシア・スタシケーヴィチ)、トラクター運転手(イワン・プラーズニコフ)たちも加わり、一緒に策を練ります。

  このへんの流れを表すマイムはとても分かりやすかったです。ラトマンスキーのマイムは明快でいいな、と感じました。  
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ボリショイ・バレエ『明るい小川』

  昨日(9日)の公演を観てきました。例によって、詳細はまた後で。

  今日(10日)の夜にも公演があります。時間が空いているというみなさんで興味のある方は、ぜひジャパン・アーツに当日券の有無を問い合わせてみて下さい(たぶんあると思いますが)。

  『明るい小川』は最高におすすめです。観て損はないと思います。

  私も仕事さえなければ今日も行きたい。実に無念。

  セルゲイ・フィーリンは、マジでジゼルもシルフィードもイケますな~。あの女性ダンサーに匹敵する(もしかしたら凌駕する)腕の柔らかなしなり具合と色っぽさ(あくまで腕のみ。ムキムキの肩とスネ毛の生えた脚は除く)は絶品です。

  あと、ジゼル風のアラベスク・パンシェの姿勢の美しいこと!

  それなのに、大股広げて座ってウォッカを一気飲みするのはやめなさい!(笑)
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アダム・クーパー来日公演続報(3)

  来年9月に予定されている『On The Town ~踊る大紐育~』日本公演について、アダム・クーパー側とアンコールズ・ジャパン社の双方に問い合わせてみました。

  アダム・クーパー側とアンコールズ・ジャパン社の回答は、基本的に一致しておりました。まず、アダム・クーパー側の回答の概要は以下のとおりです。

  ・現時点で言えるすべてのことは、アダムは可能性のある(possible)来年のあるプロダクションについて、日本の興行元と討議している最中(in discussion)である。
  ・一連の詳細が確定したらすぐに、公式サイトにそれらを掲載する。

  アンコールズ・ジャパン社の回答の概要は以下のとおりです。

  ・現在はアダム・クーパーとミーティングを行なっている。
  ・来年1月の発表を待ってほしい。

  また、アンコールズ・ジャパン社によれば、『On The Town ~踊る大紐育~』日本公演の上演形式は、『Chicago』と同じようなものであり、フル・オーケストラを舞台に上げて、残りをアクティング・スペースに使うそうです。公演はカットが一切なしで、全シーン、全ナンバー、全ダンス・シーンを上演するとのことです。

  どうやら、『On The Town ~踊る大紐育~』日本公演については、来年の1月に大きな動きがありそうです。ファンとしては心がはやりますが、辛抱しつつも楽しみに待っていようと思います。  
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ボリショイ・バレエ『白鳥の湖』(2)

  王子役のアルテム・シュピレフスキーは、踊るたびに「大丈夫か?」と見てるほうがヒヤヒヤしました。でも、もっさり感たっぷりに一応こなしていました(笑)。王子の雰囲気はありまくりなんですよ。彼は。背が高いし、ハンサムだし、それに王子らしい立ち居振る舞いと表情をしてました。意外と違和感なかったです(ごめんね)。やや目を伏せた、憂いを含んだ斜め45度の表情がステキでした。

  シュピレフスキーは自分の能力をよく知っていて、決して無理はしないダンサーだと思います。もっさりした彼の踊りには、達観しているというか、悟りを開いているというか、妙に落ち着いたところがありました。だからブラボー・コールが出なくても全然平気なようで、踊り終わると表情一つ変えずに堂々と前に出てきて、両腕を広げて一礼し、そして淡々と退場していきます。第一幕のパ・ド・トロワ、第二幕の黒鳥のパ・ド・ドゥ、万事こんな感じでした。

  んで、同じ調子でサポートやリフトをやります。やるべきことを淡々とやる。彼は力持ちなようで、第一幕第二場のグラン・アダージョでは、アレクサンドロワの腰をつかんで、彼女の身体を頭上高く持ち上げるというよりは、頭上で振り回してる感じでした。

  よく見ると、サポート、たとえば「ろくろ回し」なんかは、アレクサンドロワを延々といつまでも回しています。でもシュピレフスキーに功名心のような雰囲気がまったく感じられないので、実はすごいことをやっているのが分かりにくいのです。

  他のリフトやサポートも同様で、無理しないでもっさりと、淡々とこなします。表情はまったく変えません。女性ダンサーに対する扱いも、自分に対する扱いと同じで、無理を強いることはありません。出すぎたことはせず、必要になったらさりげなくやる。「僕は女性ダンサーのことを考えたパートナリングをしてます」的なアピールもありません。
  
  なんか(精神が)すでに老成してる感じで、やっぱりよく分からない人です。アルテム・シュピレフスキーは。

  ロットバルトのパーヴェル・ドミトリチェンコ、道化のヴァチェスラフ・ロパーティンは、ともに役相応の能力を持っているダンサーでした。道化を踊ったロパーティンのテクニックはすごかったです。複雑なジャンプや回転をきっちり、軽快にこなしていました。ロットバルトのドミトリチェンコは、まああんなものでしょう。

  儀典長のアレクサンドル・ファジェーチェフがすごいハンサムでした。おかっぱ頭のヅラをかぶってましたけど。

  ネッリ・コバヒーゼが3羽の白鳥(大きな白鳥)と、ハンガリーの王女を踊りました。身体能力が高く、テクニックもあり、踊りは落ち着いていて、見せどころで凄技をばっと出してきます。また、線が細くてたおやかな雰囲気のクール・ビューティーなので、ぜひいいとこまで行ってほしいダンサーです。

  スペインの王女は、ナターリヤ・オーシポワに代わって、アナスタシア・メシコーワが踊りました。スペインの踊りの振付はジャンプや回転などの大技が多く、なるほど、オーシポワがキャスティングされるはずだ、と思いました。でも、メシコーワのジャンプもオーシポワに負けないほど高く、踊りはカッコよくて、オーシポワが出なかったことが残念だ、とは思いませんでした。

  王子がオディールを結婚相手に選んだときの、各国の姫君たちの演技が2年前よりも細かくなっていました。姫君たちはそれぞれの両親である王と王妃の元に走り寄って抱きつき、泣き出してしまいます。ハンガリーの王女役のネッリ・コバヒーゼは熱演で、肩を大きく震わせて泣いてました。

  私の気のせいかもしれませんが、今日の群舞は少し精彩を欠いていたように感じました。特に第一幕の群舞(宮殿内という設定なので、貴族たちという設定なのだろうか?)は、先日の『ドン・キホーテ』ほど揃っていなかったように思います。

  白鳥の群舞はきれいでしたが、どこかドタバタしている感じがあって、そんなに印象に残りませんでした。東京文化会館の舞台が狭すぎるのかな?いや、それよりも、オデットをはじめとする白鳥たちの存在感が、このグリゴローヴィチ版では薄れてしまっているのが、最も大きな原因かもしれません。

  心なしか、ボリショイ劇場管弦楽団によるオーケストラも、今日は小さなミスが続出していました。でも、音の強弱やテンポの緩急が、ことごとく劇的度を高めるツボにはまった演奏であったことには変わりありません。

  ところで、指揮者のパーヴェル・クリニチェフは、せっかちなタイプなのでしょうか?オーケストラ・ピットに出てきてから指揮台に上がるまでが、異常に速いように思うのですが。

  このグリゴローヴィチ版は、形は古典でも内容は斬新で深い作品で、それはそれですばらしいと思います。また、下の記事にも書きましたが、2年前と比べると、ラスト・シーンには大幅な改変が加えられていました。

  以前はまったく容赦のない残酷な終わり方だったのが、今回は王子とオデットが必死にロットバルトと戦う踊りがあり、またロットバルトがオデットを抱きかかえ、オデットはロットバルトに抱えられてぐったりと息絶えるなど、表現がドラマティックで、またややソフトになりました。

  でも、神も仏もないあの結末にはやはり欲求不満を覚えます。

  ジークフリート王子もロットバルトも踊りまくるので、男性ダンサーによる踊りの見ごたえはあるのですが、ボリショイ・バレエが上演するのでなければ観に行かない作品だな、というのが正直なところです。

  そうそう、カーテン・コールでは、マリーヤ・アレクサンドロワとアルテム・シュピレフスキーの仲は非常に良いように見えました。全員で出てきてお辞儀をするときには、アレクサンドロワとシュピレフスキーは笑顔でなにやら話をしていました。ふたりで出てくるときの雰囲気も非常に仲良さげで、シュピレフスキーに対する評価は、仲間内(ボリショイ・バレエ内)と観客とでは、かなり違うんではないか、と思いました。
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ボリショイ・バレエ『白鳥の湖』(1)

  夜の部を観に行きました。マリーヤ・アレクサンドロワのオデット/オディールと、セルゲイ・フィーリンのジークフリート王子を観たかったからです。ところが、チケットを買ってしばらくして、フィーリンが引退(モスクワ音楽劇場バレエの芸術監督に就任したらしい)のために降板し、アルテム・シュピレフスキーがジークフリート王子を踊ることとなりました。

  2年前にロンドンで観たグリゴローヴィチの新版と同じだと分かっていたので、意外で唐突な展開やカタルシスのない結末には、あらかじめ覚悟を決めて行きました。

  でも、一部の演出や踊りは、2年前とは違っていたように思います。特にラスト・シーンは、救いのない結末に変わりはありませんが、王子とオデットが必死にロットバルトと戦う演出と踊りが加えられていて、このほうがよいと思いました。

  オデット/オディール役のマリーヤ・アレクサンドロワは、今夜は本調子ではなかったか、あるいは彼女のオデット/オディールはまだあのような段階にあるのか、と思わせるものでした。

  特にオデットは、特に印象に残るといった踊りではありませんでした。でも、アレクサンドロワはどうも、本当はできるのに、あえて押さえ気味にしていたのではないか、と思いました。

  たとえば、あまり脚を開きすぎない、あまり脚を上げすぎない、あまり高くジャンプしない、といったように。技術や身体能力に物を言わせようとしたのではなく、あくまで情感豊かな踊りを目指したのでしょう。

  現に、オデットが羽ばたくときの、アレクサンドロワの両腕の動きは波打つように柔らかくて優美でした。あの腕の動きの美しさはとても印象的でした。

  アレクサンドロワのオデットの演技は、自らの不運に深く苦悩する気高い女性、という感じでした。アレクサンドロワは少しきつめの顔立ちをしていますから、無理に弱々しい、頼りない雰囲気を出そうとしなかったのは賢明だと思います。

  アレクサンドロワのオディールは、ようやく本領発揮、という感じでした。自力でアティチュード&ジャンプして両脚を前に振り上げ、脚を高く上げた力強いジャンプで王子の元に飛び込みます。その後も優れた身体能力とテクニックを駆使し、メリハリのある、また鋭いキレのある動きで踊り、アレクサンドロワ姐さん、待ってました!と心の中で思いました。

  彼女は音楽への乗り方にも少し特徴がありました。うまくいえないのですが、音楽を先取りしたり、あるいはわざと「ため」をおいて、振りを踊るタイミングに緩急をつけたり、動きを少しだけ変えたりするのです。同じようなことをするダンサーは他にもいます。アレクサンドロワのオディールでは、やはり腕の使い方にこのような特徴がありました。流麗ですが一瞬で終わるのが常なので、私は勝手に「マジック」と呼んでいます。

  オディールの演技もよかったです。意外にも表情がくるくると変わります。冷たい無表情だったり、にこやかに笑ったり、じっと睨みつけたり、艶っぽく微笑んだり、口元は微笑を浮かべているけど目つきは鋭かったり。王子が翻弄されるのがよく分かったし、オディールが悪の化身であることもよく分かります。でも決して邪悪さを大げさにアピールした演技ではありません。これにも好感が持てました。

  オディールのヴァリエーション(音楽はブルメイステル版と同じもの)の最後、ポーズを決める直前にアレクサンドロワは足元がふらついてしまいました。それからオディールが両腕を斜めに傾けて静止したところで、観客は大きく拍手しました。ところが、アレクサンドロワは前をきっと睨みつけたまま、お辞儀もしないで退場してしまいました。そういう演出なのか、それとも足元がふらついた自分が許せなかったのか、結局よく分かりません。

  コーダでの32回転はばっちり決めました。途中で両腕を真上に上げながら回っていました。ですが、そのコーダでもアレクサンドロワは1箇所だけ小さなミスをしたように思います。足元がちょっとふらつくとか、その程度のものでしたが、やはり今日のアレクサンドロワはあまり調子がよくなかったのかもしれません。
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ボリショイ・バレエ『ドン・キホーテ』(2)

  ボリショイ・バレエの群舞は非常にすばらしかったです。第一幕の街の人々による群舞は、音楽のテンポが超速なのにも関わらず、みな動きがビシッとそろっていて、踊りのキレがよく、すげ~、と思いながら見つめていました。

  例を挙げれば切りがありません。脇役たちもみなすばらしかったです。ドン・キホーテ役のアレクセイ・ロパレーヴィチは頭がイカレているけど紳士的で、アレクサンドル・ペトゥホーフは愛嬌があってカワイイ(笑)サンチョ・パンザでした。

  私はボリショイ・バレエのガマーシュの衣装(白レースの襟、白光りするかぼちゃブルマー、白タイツ、水色リボンの靴下留め)が大好きなのですが、ガマーシュを演じたデニス・サーヴィンは、演技が細かくて、しかもなんかおネエ入っていて笑えました。

  キトリの友人、フアニータ役のヴィクトリア・オーシポワ、ピッキリア役のオリガ・ステブレツォーワも、こんなに踊れる子たちが脇役なわけ!?とびっくりしました。特に、黄色いドレスを着ていたほうのダンサーが優れていました。

  エスパーダ役のアルテム・シュピレフスキーは、ボリショイ・バレエの中では異色の存在だと思います。彼の踊りは、バレエ的なバレエではないのです。なぜボリショイ・バレエが彼を雇用したのかは分かりませんが、何か雇っておいて損はない的な理由があるのでしょうね。

  実際、私もシュピレフスキーはなぜか気になるのです。伝統的なバレエの価値基準からすれば、特に優れているダンサーではないでしょう。でも、なぜか私には気になります。なんなんでしょーね。(後記:今日『白鳥の湖』を観に行く道すがら考えたのですが、私がシュピレフスキーを気になる理由は、たぶん彼独特の、バレエにそぐわない、人間らしい「もっさり感」かな、と思いました。)

  街の踊り子役のアナスタシア・メシコーワ、メルセデス役のマリーヤ・イスプラトフスカヤ、スペインの踊りのクリスチーナ・カラショーワは、ドレスの裾さばきが美しく、背中が柔らかに反り返ります。特に、スペインの踊りのカラショーワは、カスタネットを鳴らすのが音楽にうまく合っていて、私はそれだけで感動してしまいました。

  ジプシーの踊りのアンナ・アントロポーワも、ゆっくりした振りでは身体を柔らかくしならせ、激しい振りでは情熱的に鋭く踊り、また時おり哀愁のようなものを漂わせながら踊りました。情熱と憂愁が交錯するすばらしい踊りでした。

  森の精の女王、エカテリーナ・シプリナは、ナターリヤ・オーシポワのドゥルシネアが、姫君にしてはちょっと乱暴な踊りをしていたのに対して、これぞ正統的クラシック・バレエといった、優雅で繊細な動きで踊りました。

  キューピッド役のアナスタシア・スタシケーヴィチも、かつらと衣装のせいで雰囲気は子どもっぽいですが(でも実はかなりな美人とみた)、確かな技術に裏打ちされた動きで、可憐に、またキレよく踊っていました。

  第三幕のグラン・パ・ド・ドゥで第2ヴァリエーションを踊ったネッリ・コバヒーゼはいいですね~。ためをおいてゆっくりと、しかも落ち着いた動きで踊っていたと思ったら、いきなり鋭く片脚をさっと上げる。その片脚が耳の横まで上がっていて、それまでのおとなしめの踊りとのギャップにギョッとしました。見せどころを心得ているダンサーだと思います。脳ある鷹は爪を隠す、ですな。

  指揮はパーヴェル・クリニチェフ、演奏はボリショイ劇場管弦楽団でした。演奏のテンポがとにかく速いのなんの。びっくりしました。でも、軽快、且つ巧みに緩急と強弱をつけた演奏で心地よかったです。

  このように楽しめたのですけれど、観劇中にひとつだけ気になる、というか迷惑なことがありました。

  私の隣に座っていた観客ですが、たぶんその方にとってダンサーの踊りがよかった、と感じられた場合は、身を乗り出し、腕を上げて大きな拍手を送っておられました。別にこれは普通のことです。というか、むしろ好感の持てる反応です。

  ところが、困ったのは以下のような態度です。この人は、逆にダンサーの踊りがよくなかった、と感じたのであろう場合は、拍手しないどころか、肩を揺らし、鼻を鳴らして、あからさまに失笑なさるのです。

  もっと困ったのは以下のような態度です。この人は、自分がよくないと思ったダンサーの踊りに他の観客が拍手を送ると、明らかに他の観客のこうした反応に対して、肩を揺らし、鼻を鳴らしてあからさまに失笑なさるのです。何も他の観客の反応まで笑いものにしなくてもいいじゃありませんか。

  隣に座っていた私はすっかり怖くなってしまいました。本当にこの人には困りました。気にすまいと思っても、隣でしょっちゅう肩を揺らして鼻を鳴らして失笑されてごらんなさい。どうしても気になってしまうものです。

  でも、「人の振り見てわが振り直せ」です。私も気がつかないうちにこうした態度をとらないよう、充分に気をつけよう、と思いました。
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ボリショイ・バレエ『ドン・キホーテ』(1)

  本日(4日)の公演を観ました。

  バジルはイワン・ワシーリエフ、キトリはナターリヤ・オーシポワでした。去年のボリショイ&マリインスキー・バレエ合同ガラで、この二人が踊った『パリの炎』のパ・ド・ドゥを観て仰天したので、『ドン・キホーテ』は迷わずこのふたりが主演する回を選びました。

  若いからこそできる踊り、というものがあって、その意味では、ワシーリエフとオーシポワの『ドン・キホーテ』はさぞ見ごたえがあるだろうと思ったのです。

  予想どおり、ワシーリエフとオーシポワは第一幕からバンバン跳びまくってくれました。

  オーシポワは、本当にジェット噴射装置が身体に付いているとしか思えませんでした。ジャンプはとにかく高い、ふんわり、そして軽い!しかも助走なしでやってしまいます。空中で一瞬のあいだ止まっているかのように見えるときもあって、男性ダンサーではこうした人はたまにいますが(イレク・ムハメドフなど)、女性でこれはすごい、とあっけにとられました。

  回転も速いタイプのものだろうと、ゆっくりなタイプのものだろうと、常に安定していました。爪先での動きも細かく(ちょっと元気がよすぎるけど)、バランス・キープも余裕でやってのけます。

  第三幕グラン・パ・ド・ドゥのコーダでの32回転、オーシポワは2回転や3回転を織り交ぜて、また後半では腰に両手を当てた状態で回りました。わがままを言えば、右脚はもう少し高めに上げて、膝から下も高く伸ばしたほうが、よりダイナミックに、美しくなるのになあ、と思いました。

  第二幕、ドゥルシネア役で出てきたときは、キトリと踊りや雰囲気がどう違っているか楽しみでした。ただ、本人が努力しているのは分かるけど、やっぱり高貴な姫君らしい、優美で繊細で柔らかな動きはまだ不得手なようでした。

  キトリについても、演技は「教えられたとおりにやってます」的なところがありました。表情がオーバーアクションでわざとらしい印象を与えるときがありました。

  ただ、オーシポワの現在の欠点は、時の経過とともにいずれ解決されることだろうと思いました。正直言って、オーシポワの踊りと演技には、彼女がこれからもどんどん成長していって、やがてはとてつもない大物ダンサーになるのではないか、と感じさせられました。

  イワン・ワシーリエフも、バジルが登場するシーンで、いきなりスピーディーに回転ジャンプ&助走、そして更に高く跳び上がって、その瞬間に下半身を大きくひねって1回転、という大技をやりました。

  その後もとにかく跳びまくり&回転しまくりでした。リフトもオーシポワの加速度のついたフィッシュ・ダイブを受け止め、バジルがキトリを頭上にリフトして静止するところでは、片手でオーシポワを支えていたどころか、更に片足を上げて、また更に半爪先立ちになる、ということまでやってのけました。

  今回、ワシーリエフは巻き毛の栗色の髪をやや長く伸ばしたヘア・スタイルで、バジルの演技はとても自然で、ちょっとお調子者だけどいいヤツ、という感じでした。

  第二幕のバジルの言自殺のシーンは笑えました。後ろに倒れる前に、ちゃんとマントを敷いたところに倒れられるかどうか確かめるときの、「え~っと、だいじょぶかな?」という表情がすごいおかしかったです。

  オーシポワについては、まだまだ先が楽しみだな~、と思ったのですが、ワシーリエフについては、逆に「この子はこれから大丈夫なんだろうか?」と少し不安になりました。

  オーシポワの踊りは、彼女の今の欠点を打ち消してしまうほど魅力的で、むしろそれらの欠点さえも、逆に「まだ若いのよね~」とほほえましく感じ、そして「今しかできない踊りを存分にやってね」と励ましたい気持ちになりました。

  それに対して、ワシーリエフの踊りには、どうも今の彼の能力以上のことを、無理にやってるように感じられるときがありました。確かにワシーリエフのジャンプはダイナミックだし、回転も絶妙らしく見えるのです。が、特に難しいジャンプをするときに、体勢がかなり崩れてしまうことが気になりました。

  体勢をあそこまで崩してまで、こんな難しいジャンプをする必要があるのだろうか?これが「ボリショイ風」というものなのだろうか?と個人的には疑問に思いました。

  また、体力のペース配分というものを考えていないのもちょっとなー、と思います。第三幕グラン・パ・ド・ドゥのバジルのヴァリエーションでは、最後のほうでもうヘトヘトになっているのが分かりました。でも、コーダでは持ち直し、舞台をジャンプしながら一周するところでは、もんのすごく高くて浮いたような回転ジャンプを織り込んでいました。

  それに、今のワシーリエフは「持ち駒」が少ないのです。いつも同じ形のジャンプ、同じタイプの回転、同じ着地ポーズで勝負していて、最後には「またこれか」と思ってしまいました。

  オーシポワの欠点と同様、ワシーリエフの欠点もまた、時間とともに改善されていくものだといいのですが。

  あとは、オーシポワとワシーリエフの踊りは、技に気をとられるあまりか、音楽に合っていないときがしょっちゅうありました。演奏はかなりテンポが速かったのですが、指揮者もオーケストラもボリショイ劇場の専属ですから、いつもと勝手が違ったから、踊りが音楽に合わなかったのではないと思います。踊りにうまく乗って踊れるようになってほしいです。

  とはいえ、今が若い時期の旬であるオーシポワとワシーリエフのキトリとバジルが見られて、本当によかったです。いい思い出になるだろうと思います。
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