五月が終わる前に

  今月はいつにもまして日記を書くのがはかどりませんでした。主な理由は忙しかったからですが、何を書いたらいいのか分からなくなったからでもあります。
  以前はクーパー君のことに限らず、思うことを割と頻繁に書いていたように思うのですが、最近は「そんなことして何になる」という、一種の虚無感のようなものが常にありました。
  でもこの五月は本当に書いてませんねえ。今日のこの末日、気を振るって書いてみることにしましょう。

  最近、立て続けに有名な方々が亡くなっておりますが、私の身辺でも、ある方が亡くなるということが起こりました。家族や親戚や友人ではありません。ちょっとした顔見知り程度の方でした。
  それを知ったのはちょうど初七日に当たる日でした。亡くなったということを人づてに聞いたのです。お通夜や葬儀は親族のみで内々に済ませてしまったということでした。教えてくれた人は、「だから知らないフリをしたほうがいいかもしれないね」と言いました。

  正直なところ、私は悲しみは感じませんでした。それほどの深い付き合いではなかったからです。でも、それを知った後に夕暮れの空を眺めながら、「あの人はもういないのだ」と思うと、なんだか寂寞とした感覚が湧いてきたのでした。

  私の父は私が小さい頃に亡くなりました。ですから私には父の記憶がほとんどありません。ですが、姉は当時小学生でした。姉が話してくれたことには、父が死んだとき、悲しかったというよりは、「『死ぬ』って、『いなくなる』ことなんだ」と漠然と感じたそうです。
  
  私は亡くなった方のことを思いながら、姉の言葉を思い出していました。父の死は突然なものでした。母は混乱していたため、父が亡くなったときの記憶が今も定かでないそうです。ただ、病院の窓から眺めた空が、雲ひとつない晴れだったことと、冴え冴えとしたきれいな青色をしていたことははっきり覚えている、と言いました。

  母と姉の言葉が夕暮れの青い空にかぶさりました。でも、それ以上は、私にはどんな感慨も起こりませんでした。ただ彼らが「いなくなった」ことに、一抹の寂しさは感じました。そして、時は流れていくんだという当たり前なことを思いました。

  夜、テレビをつけたら、たまたまマーラーの「復活」を放送していました。第5楽章が流れています。指揮者はこれまた数年前に夭折したジュゼッペ・シノーポリでした。
  「復活」に感動するのは高校生まで、と決めていましたが(笑)、音楽を聴いているうちに、頭の後ろが酸っぱいというか、締め上げられるような感じになりました。
  「復活」にはソプラノとアルトの独唱、そして合唱があります。その歌詞はハンス・フォン・ビューロー(19世紀の指揮者。ワーグナーの後妻、コジマの前夫)の死に捧げられた詩をもとにしているそうです。
  よりによってこんな日に「復活」を聴くことになるとは、と思いながら歌詞の字幕を眺めていました。

  固く信ぜよ、わが心よ。
  わたしがなにも失ってはいないことを。
  お前があこがれたもの、お前が愛したもの、
  お前が得ようとたたかったもの、
  それらはすべてお前のものなのだ。

  信ずるのだ、わが心よ。
  お前はいたずらにこの世に生まれて、
  無為に生き、苦しんだのではないということを。  
コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )


小林紀子バレエ・シアター公演

  日記がご無沙汰になってしまってすみません。忙しくて疲れてしまって、書く余裕が持てませんでした。こんなときは職場での些細なトラブルも、過剰に気にしてしまってイライラし、更に疲れてしまうの悪循環。
  それにしても、最近の若い人の特徴、あれはなんなのでしょう!?プライドが異常に高い割には気が小さくて、図々しいかと思うと一人では何もできない、バレバレなウソをついて怒られると逆ギレし、問題を起こして注意されるとふて腐れる。
  よっぽど親に甘やかされて育てられたのでしょうね。世界は自分中心に回っているのではないことを、そろそろ悟ってほしいものですわ。あと、自分は万能ではなく、普通の人間なのだということもね。ああ、まだあります。他人はあくまで他人であって、自分のママやパパではないということも。甘えられても困るんですよ。

  と、以上は愚痴で、以下は再び宣伝です。以前に小林紀子バレエ・シアター7月公演のことを書きましたが、9月にも公演が行なわれます。
  公演日は9月9日(土曜日、18:30開演)、10日(日曜日、15:00開演)で、会場はゆうぽうと簡易保険ホールです。
  演目は「レ・シルフィード」(ミハイル・フォーキン振付)、「ソリテイル」(ケネス・マクミラン振付)、「パキータ」より(マリウス・プティパ振付)です。ゲストとしてアメリカン・バレエ・シアターのプリンシパル、デヴィッド・ホールバーグ(David Hallberg)が参加します。
  チケットはイープラス、チケットぴあで販売されています。また小林紀子バレエ・シアター(03-3987-3648)でも購入できます。チケットの価格はS席が9000円、A席が7000円です。

  なぜこのような演目の組み合わせにしたのか、というのも面白いですし、また新顔ゲストとして、アメリカン・バレエ・シアターのダンサーを招聘する、というのも珍しいのではないでしょうか。小林紀子バレエ・シアターは、上演作品もゲスト・ダンサーもイギリス・バレエ志向ですから。

  私は「ソリテイル」目当てでチケットを取りました。「ソリテイル」の一部は観たことがあって、印象はなんか物寂しくて、かつ懐かしい感じがするというのか、つまりは誰もが持っている孤独感をバレエで表現してみせた感じでした。全編を観るのが楽しみです。
  全編をご覧になったあびさんの感想を「ストーリーズ」に掲載していますので、ぜひ今一度お読み下さいね。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


ファラオの娘

  今日(11日)はボリショイ・バレエ団の「ファラオの娘」を観に行ってきました。これはいろんな意味でもの凄い作品でした。
  まず、ストーリーと踊りとが完全に分離していて、ストーリーはほぼマイムとジェスチャーによって説明されます。そしてストーリーとは何の脈絡もなく、いきなり踊りが始まります。最初から終わりまでこのパターンの繰り返しでした。

  更に、そのストーリーが「いくらなんでもそんな展開はねーだろ」という、あまりにもご都合主義的で、また非常に理解不能な、かな~り無理のあるものでした。

  イギリス人探検家のウィルソンと使用人のジョン・ブル(←ぶっ)が、ピラミッドの調査をしているうちに古代エジプトの世界に迷い込む。ウィルソンはタオール、ジョン・ブルはパッシフォンテという名になって、タオールはファラオの娘であるアスピシアと恋に落ちる、という話なのです。

  原作はテオフィル・ゴーティエ(女の幽霊が生きた男と恋をする小説ばかり書いた作家)の「ミイラ物語」だそうです。「ファラオの娘」が初演された1862年当時は、この手のストーリーが流行りだったらしいのです。ただし今となっては、まるでハリウッド製作のB級ロマンティック・アドヴェンチャー映画のようで、ツッコミどころ満載でした。

  だけどストーリーはともかく、踊りはとてもすばらしかったです。振付は総じてかなりトリッキーで、どのステップにもひとひねり加えてありました。更にそれらの複雑な技が息つく間もなく次々と展開されるので、ダンサーたちは本当に大変でしょう。
  出演人数は多く、ボリショイ・バレエ団のダンサーが総出演だったのではないかと思います。主役から群舞まで、みなすばらしいテクニックを披露してくれました。

  しかし、終演するやいなや、多くの観客がカーテン・コールを待たずに席を立って、さっさと帰り始めました。カーテン・コールが行なわれている最中も、たくさんの観客が続々とホールから出て行きます。私は平日の夜公演を観ることが多いのですが、こんな情景を目にしたのは初めてです。あれは抗議の意の表れだったのでしょうか。

  私はといえば、確かにこんな作品でS席19000円は高いのでは、と感じました。どうせ同じ値段なら、「ラ・バヤデール」をもう一度観るべきであったと少し後悔しました。でも、ボリショイ・バレエ団のすばらしさを存分に堪能できただけで、観に来た甲斐は充分にありました。
  ただ本音を言えば、もうこの作品は観なくていいです。
コメント ( 3 ) | Trackback ( 0 )


3連休初日

  3連休初日、今日の東京はいいお天気に恵まれました。休日にいい天気になったのは久しぶりじゃないでしょうか。おかげで大きな物の洗濯ができました。いやースッキリ。
  
  話は突然変わりますが、マイ・フェバレイト・カンパニー(笑)である小林紀子バレエ・シアターの夏の公演について、超微力ながら宣伝です。
  7月15日(18:30開演)、16・17日(15:00開演)に、小林紀子バレエ・シアターが新国立劇場(中劇場)で夏の公演を行ないます。演目は「招待(The Invitation)」、「コンチェルト(Concerto)」(ともにケネス・マクミラン振付)、「チェックメイト(Checkmate)」(ニネット・ド・ヴァロワ振付)です。

  チケットはイープラスと小林紀子バレエ・シアター(03-3987-3648)ではもう販売されていますが、チケットぴあでは5月11日(木)からの販売となります(なぜ?)。お値段はS席9000円、A席7000円。
  
  「チェックメイト」については、あびさんがバーミンガム・ロイヤル・バレエの公演でご覧になった感想があります(ここ)。「招待」については、私の感想&あらすじが「雑記」(ここ)と「名作劇場」(ここ)にあります。

  クーパー君がマクミラン作品の中で、「マイヤーリング」とともに最も好きな作品として挙げていたのが「招待」です。「危険な関係」との共通点もあって、去年はいろいろと面白い発見がありました。

  小林紀子バレエ・シアターは9月にも公演を行ない、そこでは「ソリテイル」(ケネス・マクミラン振付)が上演されるようです。そちらのほうも楽しみです。
コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )


黄金周

  今年の私のゴールデン・ウィーク、お休みはカレンダーどおりとなりました。今日も明日も仕事ですが、でも明後日の3日からは連休だもんね~。うひひ。

  ゴールデン・ウィーク初日の4月29日、松山バレエ団の「ジゼル」を観に行ってきました。詳しい感想を「雑記」に書いたので、どうか読んでみて下さいませ。
  テレビでしか見たことのなかった森下洋子の踊りを、生で観られて本当に感動しました。彼女の「ジゼル」は、やはり私にとっては永遠の「マイ・ジゼル」となりそうです。

  森下洋子がまだ現役で踊り続けていること、また松山バレエ団の公演の主役を務めるプリマが、いまだに彼女一人だけといっていいことについては、賛否両論があると思います。現に、テクニックやスタミナといった面では、確かに彼女の能力には甚だしい衰えがきています。こんなことを言いたくはないですが、容姿の面においても。

  でも、マイヤ・プリセッカやルドルフ・ヌレエフと同じで、もう引退すべきだ、と非難されてもなお踊り続ける人々、踊ることをやめられない人々に、私はなんだか大きな魅力を感じます。
  それは同情ではないし、といって愛情でもない、なんというのでしょうか、敬服という言葉が最も近いでしょうか。彼らのバレエに対する一途な執着心に圧倒され、それに感服しさえするのです。

  熊川哲也はかつて、晩年のヌレエフが踊る姿を観て、そのあまりな痛々しさに、もう充分じゃないか(もう踊るのをやめたらいいじゃないか)、と思ったそうです。
  満足に踊れなくなったら引退する、熊川君はそうするのだろうし、吉田都もレパートリーを減らしていっている、ダーシー・バッセルに至っては、踊れなくなる前に身を引いてしまいました。

  ダンサーのそれぞれに美学があり主義があるのでしょう。その中には、いつまでも踊り続けるという道もまたありだと思います。そういうダンサーは本当に頑固でわがままだともいえますが、同時にまた本当に正直でまっすぐな、実に人間らしい人々だともいえます。私はそんな人々に、いつまでも踊り続けていって下さい、と心から声援を送りたいです。  
コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )