小林紀子バレエ・シアター第102回公演


  公式サイトは更新されないし、バレエの公演会場でもらう公演チラシにも入っていないしで、いったいどーなってんのか、と思ってたんですが、

  小林紀子バレエ・シアターの公式サイト で、今夏に行なわれる第102回公演の詳細がやっと発表されました。

  なーんと!!!ケネス・マクミラン振付『アナスタシア』です!!!

  あいかわらず期待をはるかに上回ることをやってくれますな、このバレエ団は。


 小林紀子バレエ・シアター第102回創立40周年記念公演-Ⅰ

  ケネス・マクミラン振付『アナスタシア』全幕

  2012年8月18日(土)午後6:00、19日(日)午後2:00開演(於新国立劇場オペラパレス)

  振付:ケネス・マクミラン
  音楽:ピョートル・チャイコフスキー/ボフスラフ・マルティヌー
  美術:ボブ・クロウリー
  衣装・装置提供:ロイヤル・オペラ・ハウス
  出演:島添亮子、アントニーノ・ステラ(ミラノ・スカラ座バレエ団プリンシパル)、後藤和雄、大和雅美、高橋怜子、中尾充宏、村山 亮、奥村康祐、冨川直樹、澤田展生、萱嶋みゆき、真野琴絵、喜入依里 他


  チケットは6月4日(月)午後12:00から発売されるそうです。詳細は小林紀子バレエ・シアターの公式サイトをご覧下さい。

  日本のバレエ団が上演するのはもちろん初めてでしょうし、ひょっとしたら日本初演では?とも思うのですが…。

  と分かったように書きつつ、私は実はこの作品を観たことが一度もありません。でも、小林紀子さんの作品選択眼は確かですし、小林紀子バレエ・シアターの上演能力の高さも信頼できます。

  マクミラン作品では、「コンチェルト」、「ソリテイル」、「エリート・シンコペーションズ」、『招待』、『眠れる森の美女』、そして去年の『マノン』などで、このバレエ団は常に良質な舞台を提供してきました。

  今回の『アナスタシア』も、きっと見ごたえのある舞台になると思います。

  ゲストのアントニーノ・ステラ(Antonino Sutera)も、私は生で観たことがありません。てか、名前すら知りませんでした。ごめんなさい。で、You Tubeで検索したら、たくさん出てきました。てことは、人気のあるダンサーだということですな。

  投稿されてる映像をちょっとだけ観てみたら、ステラはスタイルの良いイケメンぽいです。特に脚が長いっす。ミラノ・スカラ座バレエ団というと、私は以前の日本公演のせいでかなーり偏見があるのですが、ステラに関しては期待できそう。

  …ステラのレパートリーはね(You Tube調べ)、黄金の仏像(『ラ・バヤデール』)、ブルー・バード(『眠れる森の美女』じゃなくて、なぜか『白鳥の湖』の中で踊られている様子?)、ペザント(『ジゼル』)、レンスキー(『オネーギン』)、オベロン(『真夏の夜の夢』)などらしいです。技巧的な踊りが得意なタイプなのでしょうか。

  ちなみに、空手選手でも同姓同名の人がいるようです。カン違いして試合映像を真剣に観てしまいました。(本当に同一人物だったりして)

  
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金環日蝕



(四川省成都市郊外にある金沙遺跡〔紀元前13~7世紀ごろ〕から出土した「太陽神鳥金飾」。金環日蝕に似てるかも!?)


  薄曇りだったので、肉眼で見ました。今のところ目に異常は感じません。前の晩、近所のコンビニに日食グラスを買いに行ったら売り切れでした(当たり前だ)。

  金環状態になる直前にベランダに出たら、道路には近所の人々が総出で観測、隣のマンションのベランダや屋上にも人の姿が多く見えました。

  晴れてなくて、むしろよかったです。薄い雲の中で、月の影が形づくる真っ黒い円の外側に、白い太陽のリングがくっきりと浮かび出ていて、その見事な黒と白のコントラストが、実に神秘的でした。

  日蝕の間はやや暗くなりました。日蝕自体が終わって明るくなったころ、鳥たちが一斉に啼き始めました。きっと夜明けだと思ったのでしょう。
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エンタメネタ4題


1.映画『テルマエ・ロマエ』

  やっと観に行きました~♪1回観れば充分な感じですが、まあまあ面白く、料金分の価値はあると思います。それに、大規模なセットとCGによる古代ローマ都市の再現部分は、大画面で見たほうが迫力満点です。

  やはり原作を読んでから観たほうがよいです。特に前半部は原作のエピソードを忠実に再現しているので、脳内比較すると余計に笑えます。後半部は映画オリジナルの展開になっていますが、それでもちゃんと原作のエピソードを下敷きにしています。

  日本を代表する濃い顔の俳優陣、阿部寛(ルシウス)、北村一輝(ケイオニウス)、宍戸開(アントニヌス)、市村正親(ハドリアヌス帝)が勢ぞろいしているのは話題になったばかりです。この中で圧倒的にすばらしいのは、なんといってもルシウス役の阿部寛!

  背がイタリア人エキストラよりも高いばかりか(190センチくらいあるのでは?)、まさに古代ローマ時代の彫像のごとき、あのカラダの完璧な美しさ!肩幅が広く、ほどよく付いた胸筋と腹筋で、胸から腹までが逆鋭角三角形、長い手足も形よい筋肉が付いて引き締まっており、47歳にしてあのカラダとはほとんど驚異的、いや奇跡です。

  阿部寛扮するルシウスは全裸(ちゃんと隠すところは隠してますが)シーンがほとんどなので、阿部寛の肉体美を堪能できます。私にとっては、これだけでも観に行った甲斐があったというものです。

  阿部寛氏、および関係者の方々におかれては、ぜひとも阿部寛氏のすばらしき肉体を撮影した「阿部寛美写真集」の出版を検討して頂きたい。

  あと、登場する「平たい顔族」(←日本人のことね)のおじいちゃんたちがとにかくラブリー 昭和顔の古き良き日本のおじいちゃんたちを見て、なんか懐かしい思いになって、ほのぼのしちゃいました。

  この週末から公開された『ダーク・シャドウ』も面白そうなので、客足が少なくなった頃に観に行きたいと思います。予告編だけで大爆笑でした。


2.レディー・ガガ

  職場の知人がふと漏らした、「この前、レディー・ガガのコンサートに行ったんだけど…」という言葉に、周囲にいた人間は一斉に食いつきました。

  チケット、よく取れましたねー、と私が言うと、その知人の家族がプロモーターの抽選販売に応募して当たったとのこと。

  その知人自身はレディー・ガガのファンではないのですが、コンサートを見ていて、レディー・ガガの人柄に感心したそうです。

  というのは、コンサートの間、会場が興奮と熱狂の渦に包まれる中、レディー・ガガは終始一貫して、観客に対してきちんとした態度でメッセージを投げかけ続けていたというのです。それは、単なるショウの演出というよりも、レディー・ガガ自身の強い意志から出ているように感じられたそうです。

  ファンではない人がそう感じたのですから、たぶんそうなんでしょう。レディー・ガガが去年の震災直後に来日した際には、私は「アメリカ政府に圧力をかけられて、有無を言わさずプロパガンダのために来させられたんだな、気の毒に」と思っていたのです。アメリカ大使が彼女の横にいて、わざとらしいスピーチをしていましたからね。

  しかし、知人のエピソードを聞いて、レディー・ガガは本当に慈善活動や社会奉仕の精神を強く持っていて、それを実行している人なのかもしれないな、と思い直しました。


3.NHKドラマ『新選組血風録』

  最近、日曜日の午後1時からNHK総合で放映していて、ハマってしまいました。もともとは去年にBSでのみ放映されたもので、それを今は地上波で再放送しているらしいです。

  BS専用ドラマだったせいか、知名度のまだ高くない、あるいは名脇役といわれる俳優さんばかりが出演しています。しかし!みんな演技力がハンパない。観ているこちら側は俳優さんたちの知名度に惑わされることがないから、彼らの演技力の高さをそのまま感じられるわけです。

  殺陣、斬り合いのシーンも物凄いです。民放の時代劇や大河ドラマのへなちょこ殺陣とは比べものになりません。驚いたことに、殺陣のシーンは、殺陣専門の俳優が代役でやっているのではなく、本当にその役の俳優さん本人がやっているようです。顔が見えない角度で撮影するということをしてないので分かります。

  またすばらしいのが脚本です。司馬遼太郎の原作を、セリフに至るまで忠実に再現しています。脚色を加えるとしても、結果、原作をより深みのある、面白い物語に仕上げているのがすばらしい。

  俳優陣の中で、最もヒットだと思うのが、沖田総司役の辻本祐樹さんです。本当に、司馬遼太郎が『新選組血風録』や『燃えよ剣』で描いた沖田総司そのもの!

  天真爛漫、無邪気、純粋で、はにかみやで恥ずかしがり、子どもっぽい反面、爽やかな笑顔のままで容赦なく敵を斬り倒す冷酷さをも併せ持っているという、沖田総司の複雑なキャラクター(司馬遼太郎は土方歳三をして「理解できない」と言わせている)を演じています。

  第4回「長州の間者」で、沖田総司が新選組内に隊士として潜入した長州の間者を斬り殺した後、手ぬぐいで汗を拭きつつ、涼やかな笑顔で「いきなり斬りかかってくるんだもん。焦っちゃった」と言った辻本さんの優しげな声音には、思わずゾッとしてしまいました。天真爛漫さと冷酷さが同居している沖田総司の内面を見事に表現していました。

  辻本さんの剣さばきや身のこなしも華麗で軽妙、スマートです。まさに天才剣士といわれた沖田総司らしいです。

  司馬遼太郎が生きていたら、辻本さんの沖田総司を大絶賛するに違いありません。

  運わるく、途中(第4回「長州の間者」)から観始めたので、見損ねた第1~3回までが気になって仕方ありません。「NHKオンデマンド」とやらでは視聴できないのかな?DVD化するんなら、絶対に買いますよ。


4.NHK大河ドラマ『平清盛』

  豪華キャスト、平安時代末期を正確に再現したという時代考証と演出の割には、視聴率が良くないことでニュースになっていますね。

  確かに、あれはマニアックな歴史ファンじゃないと面白くないです。話は分かりにくいし、人物関係は複雑だし。

  しかも、脚本も良くないと思います。一つ一つのシーンはもとより、全体的にも何を表現したいドラマなのかが分かりません。

  時代がよく知られていないとか、登場人物がマイナーとかいうのは、実はあまり関係ないですよ。『独眼竜政宗』は、当時はマイナーな歴史的人物だった伊達政宗を主人公にして、東北の田舎を主な舞台にしても、あんなに視聴率が高かったんだから。それは脚本が良かったからでしょう。母子や兄弟間の葛藤とか、中央の権力者たちの狡猾さや、急変する時代状況に翻弄された果ての結末の不合理さとかがちゃんと伝わってきましたから。

  藤原頼長役の山本耕史さんがすばらしいので今は観ていますが、保元の乱が終わったら、たぶん観なくなると思います。去年も、トヨエツの織田信長が出ていた間は観ていましたが、本能寺の変の後は観なくなりました。

  というか、去年の『江』で、視聴者が離れてしまったのが、『平清盛』の不調の最大の原因じゃないのかなー。「My番組表」が決まっちゃうと、なんとなく変更はしないものなんですよね。たとえば、大河ドラマがつまらないから日テレの『イッテQ!』を観る、ということになっちゃうと、新しい大河ドラマが始まっても、そのまま『イッテQ!』を観続けてしまうんです。

  『平清盛』を観てると、高学歴者独特の思い込みを強く感じますし、「テレビ局のエリート病」だとも思います。

  ここ数年、朝ドラ並みに陳腐でバカバカしい内容の大河ドラマをさんざん作って、視聴者離れを起こしておきながら、いきなりマニアックな歴史知識が必要な内容の、正確な時代考証とやらを売り物にしたドラマを作って、自分たちが面白いと感じるのだから、大衆にもウケるはずだと思っている見通しの甘さは、まったくもって世間知らずなエリートの考えです。

  『平清盛』視聴率アップのための打開策としては、平清盛はやたらと海に向かって「ウオーッ!!!」と叫びますが、あれをちょっと変えて、「男は夢はでっかく太平洋ぜよ!」というセリフにしてみたら、100人中1~2人くらいは『龍馬伝』とカン違いして観るかもしれません。

  「これからはわしら武士の世を作るのじゃー!」と毎回スローガンを叫ばれても、だからといって共感できる点は何もないので困ってしまいます。武士が貴族に取って代わるからって、だから何なのよー?そう、『平清盛』って、現代の人間一般にも共感できる点や共通する点がなーんにも見出せないんだよね。

  最新撮影機材と技術の駆使、正確な時代考証などは、ほとんどが高学歴であり、また多くが貴族、武家、豪商、新旧財閥といった旧(そして現)支配層の末裔であるNHKのテレビマンたちがいかにも好みそうなことです。一般視聴者にとっては、最新技術や厳密な時代考証なんぞどーでもいいということが、学のあるNHKの人たちには分からんのでしょうなー。

  
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新国立劇場バレエ団『白鳥の湖』(5月8日)-2



  (中国最南端、海南島にある海南師範大学を2010年に訪れた際、同大の舞踊スタジオに飾られていたガリーナ・ウラノワの舞台写真。『ジゼル』らしい。2010年の時点でウラノワって。)


  伝統版の『白鳥の湖』でのロートバルトというのは、どうしても戯画的なキャラクターにならざるを得ないわけで、現代のダンサーにとっては実に演じにくいものだと思います。特に、この牧阿佐美版はセルゲーエフ版を基にしたハッピー・エンドなので、オデットとジークフリード王子の愛とやらの前にわざとらしく敗れ去る悪魔なんて、どう踊り演じても様になることは困難であり、観る側の私も居心地わるく感じます。

  グリゴローヴィチ最新版などのロートバルトであれば、徹底してデモーニッシュで冷酷無比なばかりか、キャラクターも複雑なので演じ甲斐があるでしょうし、踊りも多いですから踊り甲斐もあると思いますが…。

  ロートバルト役の貝川鐵夫さんは、踊りも演技も迫力不足でした。悪魔というより、なんか知らんけどちょろちょろ出てくる黒い服のヤンキー兄ちゃん、といった感じでした。しかし、ロシアのバレエ団でさえ、ロートバルト役には極端に長身で極端に特徴的な顔立ちの、極端にアクの強い雰囲気を持つダンサーを起用して、見てくれでなんとかしようとするくらいですから、日本の若いダンサーの中にロートバルトに適した人材を探すのは、より難しいことと思います。

  オデット/オディールはワン・チーミン、ジークフリード王子はリー・チュンでした。ともに中国最高のバレエ団である中央バレエ団(北京)のプリンシパルで、両人とも北京舞踏学院で訓練を受けたそうです。

  前の記事にも書いたように、中国出身だけど海外で活動しているバレエ・ダンサーではなく、中国出身の、かつ中国国内で活動しているバレエ・ダンサーの踊りを日本で観られるというのはめったにない機会です。楽しみにしていました。

  ワン・チーミンとリー・チュンが卒業した北京舞踏学院は、おそらく公立のダンス学校でしょう。中国国内の主要都市には、戯劇学院や舞踏学院など、芸術分野の公立専門学校がたいていありますし、大規模な総合大学であれば、芸術分野の人材を育成する専門の学部や学科が設置されています。

  日本における多くの場合のように、お稽古事として、あるいは親もバレエをやっているとかいう理由でバレエを始めた坊ちゃん嬢ちゃんの中で、たまたま才能と人脈と経済力に恵まれた人が最終的にプロのダンサーになるのではなく、中国の芸術系の学院には入学試験があり、基本的に素質があるとみなされた者のみが選抜され、専門教育を受けるという方式です。もっとも、中国もカネとコネが大いに物を言う国ですから、例外はあるでしょうが。

  しかし、中国は、バレエ分野の人材を育成するには充分な環境が整っていると一応はいえますし、また歴史的経緯からして、中国のバレエは旧ソ連のバレエの系統に属しているはずだと思いました。ですから、ワン・チーミンとリー・チュンがどんな踊りをするのか興味津々でした。

  ワン・チーミンとリー・チュンは、中国の伝統的な美男美女の顔立ちをしています。目は切れ長で目尻がやや吊り上がっており、寄り目気味で、鼻筋が通っている、京劇役者によくある顔立ちなので、私は「京劇顔」と勝手に呼んでいます。

  第一幕で、まずジークフリート王子役のリー・チュンが踊りました。背が低い人で、170センチあるかないかだと思います。体型も普通です。踊りも技術的には大したことはありませんでした。それで、本当のゲストは女性のほう、つまりワン・チーミンであり、リー・チュンは彼女のパートナリング要員としてくっついてきたのだろうと察せられました。

  第二幕でオデット役のワン・チーミンが登場しました。ワン・チーミンは体型に非常に恵まれた、顔立ちもとても美しい人でした。背丈は160センチほど、つまり新国立劇場バレエ団の女性ダンサーたちと同じくらいです。ほっそりした華奢な四肢と形の良い細い躯幹、また柔軟な身体能力を持つダンサーです。やっぱりこっちが真のゲストでした(笑)。

  ジークフリート王子役のリー・チュンですが、パートナリング要員としても、そんなに優れているようには見えませんでした。むしろ、ワン・チーミンの足を引っ張っているような印象さえ受けました。サポートはぎこちなく、ワン・チーミンがそのせいでグラついてしまうときもあったので、見ていてヒヤヒヤしました。

  ちょっと検索してみたら、リー・チュンとワン・チーミンは定番コンビであり、二人一組で現在の中国バレエ界を牽引するリーダー的存在とみなされているらしいです。ですから、今さらコンビを解消することはできないのでしょう。ひょっとしたら、二人は夫婦なのかもしれないし。

  ワン・チーミンは確かにゲストにふさわしいダンサーだと思いました。しかし、ワン・チーミン、リー・チュンには、ともに共通する特徴がありました。

  リー・チュンは、大した技術は持っていませんし、演技も型どおりで没個性、これらの足りないところを補なうに足る表現力やら存在感やらの類もないようでした。最も不可解だったのは、踊り方がぎこちないこと、たとえば踊りの流れが途切れてしまうほど、各々の動きの前に一々構える、また手足を棒みたいに伸ばしたまま、カクカクした硬い動きで踊ることです。

  第四幕の前に、ジークフリート王子が幕の前で一人で踊るシーンがありました。心ならずも裏切ってしまったオデットの元へ駆けつけることを表現しているようです。リー・チュンが踊っているのを見て、見ているこっちのほうが間が悪くて仕方ありませんでした。演出と振付が時代遅れな上に、技術、演技力、表現力に乏しいダンサーが踊るので、まったく負の相乗効果でした。

  でも、リー・チュンにはかなり強い筋力があり、身体も非常に柔軟です。突発的に高くて柔らかいジャンプを跳んだりするのです。ただ、それはあくまで突発的なものにとどまり、一定しません。つまり、リー・チュンは、身体的な素質や条件には、充分に恵まれているようなのです。高い身体能力を持っていながら、なぜこんな踊りになってしまうのか、とても不思議に思いました。 

  一方のワン・チーミンも同様でした。ワン・チーミンも、技術のレベルはそんなに高いというわけではありません。というよりも、できることとできないこととの差が激しい感じでした。

  第二幕では例の白鳥アラベスクの状態で揺らぐことなく静止し、腕はしなやかに、巧妙に動き、第三幕のオディールのヴァリエーションで最も難しいだろう、回転→アティチュード→開脚は完璧でした。その反面、ジャンプは弱々しく、第二幕のコーダでは両足がまったく交差してなかったし、第三幕のグラン・フェッテでは、回りながらどんどん斜め前に位置がずれてきていました。

  ワン・チーミンのいちばん不思議な点は、音楽にほとんど合わせないで踊っていたことです。腕の動きはきれいなのですが、肝心の音楽に合っていません。第三幕のグラン・フェッテでは、ダブルを入れながら回ってましたが、全然音楽に乗っていませんでした。

  というわけで、ワン・チーミンとリー・チュンに共通しているのは、柔軟な身体、強い筋力などの生来の素質にはすごく恵まれているらしいのに、技術が安定せず、極度にできるか極度にできないかのどちらか一方に偏っていること、音楽にきっちり合わせて踊らないことです。

  この不可解な特徴の原因は、なんか分かる気がします。たぶん、中国のバレエの教育水準の問題でしょう。前述したように、中国には確かにバレエ専門の公立高等教育機関が至るところに設けられています。素質に恵まれた者が選抜されて、そこで養成されます。

  しかし、専門学校というインフラはあっても、中身がそれに追いついていない、すなわちバレエの教員やバレエ教授法の質がまだ高くないのだと思います。そのために、人材をきちんと育て上げることができないのでしょう。

  ついでにいえば、西洋のクラシック音楽が一般的にはまださほど普及していないせいで、西洋のクラシック音楽を教授できる充分な教育環境がなく、従って音楽に厳密に合わせて踊ることも重視されていないのかもしれません。

  もう一つの原因は、中国独特のバレエのスタイルの問題です。特にリー・チュンのカクカクした硬い踊り方は、あれは中国往年の革命舞踊劇一般に見られるバレエ・スタイルと似ています。

  舞踏学院では、バレエだけを習うわけではなく、中国の伝統舞踊をはじめとする様々な種類の踊り、果ては踊りに必要な武技なども当然訓練されるはずです。おそらくその結果、いろんな種類の動きが一つの身体に混ざり合ってしまったのではないかと思います。

  (話は飛びますが、こう考えると、中国出身の一連のバレエ・ダンサーたちが、なぜ海外で活動することを選択したのか、またたとえば吉田都さんが、なぜコンテンポラリーを踊ることを極度に恐れたのか、更に、元来はバレエ学校の出身でなかったアダム・クーパーが、なぜバレエ独特のラインを身につけるのに、自信喪失してしまうほどに苦しみぬいたのか、理解できる気がするのです。)

  欧米のバレエが、バレエのあるべきスタイルだとするなら、中国のバレエはまだ遅れていると表現できます。バレエ人口が多く、素質と才能のある者がバレエを学ぶためのインフラも公的に整備されているのにも関わらず、中国を代表するというダンサーですらこの程度(←口が悪くて本当にすみません)なのは、ちょっと意外でした。

  以上、色々と偉そうに書いてしまい、さぞ噴飯ものの内容だろうと思いますが、私にとっては中国のバレエ事情が垣間見られた貴重な経験でもありました。

  主役がそんなに良くなくとも、脇とコール・ドがしっかりしていますから、新国立劇場バレエ団の『白鳥の湖』が見ごたえのある舞台だということは、再度くり返しておきます。  
  
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新国立劇場バレエ団『白鳥の湖』(5月8日)-1


  無更新記録更新ですなー。困ったもんだ。4~5月の年度始めはいつもこうです。新しい環境にまだ慣れなくて疲れやすいんですね。ごめんなさいです。

  『雨に唄えば』の続きは追い追い書くとして(←努力します)、まずは新国立劇場バレエ団の『白鳥の湖』。


 『白鳥の湖』全4幕(5月8日、於新国立劇場オペラパレス)


  オデット/オディール:ワン・チーミン(中国中央バレエ団)
  ジークフリード王子:リー・チュン(中国中央バレエ団)

  ロートバルト:貝川鐵夫

  王妃:楠元郁子

  道化:八幡顕光

  家庭教師:石井四郎

  王子の友人(パ・ド・トロワ):川村真樹、本島美和、江本 拓

  小さい白鳥:さいとう美帆、長田佳世、寺田亜沙子、細田千晶

  大きい白鳥:本島美和、厚木三杏、堀口 純、丸尾孝子

  スペインの踊り:厚木三杏、西川貴子、マイレン・トレウバエフ、江本 拓

  ナポリの踊り:さいとう美帆、井倉真未、福田圭吾

  ルースカヤ:湯川麻美子

  ハンガリーの踊り:大和雅美、輪島拓也

  2羽の白鳥:厚木三杏、堀口 純


  演奏:東京フィルハーモニー交響楽団

  指揮:アレクセイ・バクラン


  ゲストに中国中央バレエ団のダンサーたちを招くというのは、とかく金髪碧眼の欧米人ダンサーばかりをゲストに呼ぶ日本のバレエ団としては非常に珍しいことでしょう。どういう事情があったのかは知りませんが、これはすごく良い試みだと思います。

  この夏に上演される『マノン』のゲストは、ヒューストン・バレエのダンサーたちだそうです。日本でまだ名をあまり知られていない、海外の優秀なダンサーたちを紹介できるのは、新国立劇場バレエ団ならではのことでしょう。すばらしいことではないでしょうか。

  新国立劇場バレエ団の『白鳥の湖』を観るのは9年ぶりだと思います。あのときは確か、ディアナ・ヴィシニョーワとイーゴリ・コルプ(マリインスキー劇場バレエ)がゲストでした。その当時は、両人とも今ほど有名ではなかったはずです。特にコルプのほうは。

  今回観た版は、9年前とは演出や振付がかなり変わった気がします。個人的には、9年前のほうが良かったです。特に、第四幕の冒頭、王子が幕の前に出てきて悩ましげに踊るのは、前世紀的な野暮ったい演出で、かつ振付もお約束的でつまらないと感じましたし、9年前の版にはあった、幕が開くと白鳥たちが処々でうずくまり、藍色の背景の中、純白のチュチュがそこかしこで花のように広がっていた幻想的な光景が消えてしまったのも残念でした。

  (追記:9年前のプログラムを引っ張り出してみたら、9年前はコンスタンチン・セルゲーエフ版でした。今回は「演出・改訂振付:牧阿佐美」となっています。セルゲーエフ版を下敷きに牧阿佐美さんが改訂したもののようです。セルゲーエフ版は全3幕構成ですが、牧阿佐美改訂版は全4幕構成で、第一、二幕-休憩時間-第三、四幕という形で上演され、休憩を除くと上演時間は2時間ちょっとです。新国立劇場バレエ団における牧版作品にはよくある「コンパクト・ヴァージョン」に変更された模様。)

  新国立劇場バレエ団は、コール・ドから脇役に至るまで、演技も踊りもみな非常にしっかりしており、どのシーン、どの踊りであれ、とても見ごたえがありました。舞台全体がきっちりとまとまっている印象です。

  白鳥たちのコール・ドは一糸乱れぬすばらしさでした。私は今回、文字どおりど真ん中の席で観ました。第一幕の人々の群舞も、第二、四幕の白鳥の群舞も、列は真っ直ぐ、手足の動きもみなきっちり揃っており、感嘆するばかりでした。

  第三幕の各国の民族舞踊も、多くの場合は「とっとと終われよ」とつい思ってしまうのですが、上に書いたように、主役級のダンサーたちがソリストとしてバンバン出てきて踊るし、群舞も生き生きとすばらしく踊っていたので、引き込まれて見入っていました。

  個人的には、スペインの踊りの西川貴子さん、ハンガリーの踊りの大和雅美さん、輪島拓也さんが特にすばらしかったと思います。

  どういう評価が一般的なのか知りませんが、スペイン、ナポリ、ロシア、ハンガリーの踊りは、音楽自体も非常に優れているのだろうと思います。この一連の民族舞踊では、観客がすごく盛り上がりました。これは音楽の効果も大きかったでしょう。

  またこれはもちろん、アレクセイ・バクランの指揮と東京フィルハーモニー交響楽団の演奏がすばらしかったからでもあります。しかしバクランは、今回は妙におしとやかでしたね。指揮台の上で飛んだり跳ねたりしてなかったし、唸り声も聞こえなかったし。

  第三幕、王子の花嫁候補である王女たちの踊りと演技にも感心しました。王子から求婚されることを期待して、憧れに満ちた瞳で王子を見つめ、しかし王子に選ばれなかった後、とたんに失望の色を浮かべて悲しむ、王女たちの表情の変化が良かったです。

  パ・ド・トロワ(第一幕)と大きな白鳥(第二幕)には本島美和さんが加わっていました。誰だってミスはします。仕方のないことです。しかし、大きなミスはできれば1回にとどめてほしいです。パ・ド・トロワのときに大きくつまづいてよろけたのは、相手がいきなり変わった(本来は菅野英男さんだったが、江本拓さんに変更)から無理ないかな、と思いました。でも、大きな白鳥の踊りの最後、まさに決めのポーズでバランスを崩して大きくグラついたときには、結果的にそれで踊り全体がぶち壊しになってしまったため、ナニやってんだよ、とついムッとしてしまいました(ごめんね)。

  今まで気をつけていませんでしたが、堀口純さん(大きな白鳥、2羽の白鳥)はいいですね。2羽の白鳥のソロ(1番目)でのアラベスクがあまりに凄絶に美しくて、思わず鳥肌が立ちましたよ。これから堀口さんをチェックしていくことにしました。

  最もすばらしかったのが、道化役の八幡顕光さんです。もっとも、今さら言うことではないかもしれません。本当に筋肉が強い!あんなにぽんぽん跳んでるのに、足音や着地音が全然しなかったです。動きは柔らかいし、技術は安定していて、まさしく安心・安全な踊り。

  最近(?)流行っている、仰向け気味に半回転ジャンプをしていった最後の1回で、跳躍した瞬間に脚を大きく振り切り、身体をくるりと1回転させて着地するという技もやりました。今の日本人ダンサーでこれができるのは八幡さんくらいでは?

  また感心したのが、八幡さんの雰囲気作りの上手さです。第一幕というのは観客のノリがよくないものですが、八幡さんの演技と踊りのおかげで、客席に漂っていた硬い雰囲気がほぐれたのです。舞台の上で八幡さんが孤軍奮闘している感じで、八幡さんが作品の世界を作り出そうと、そこに観客を引き込もうと意識的に努力していたのは確かだと思います。
 
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