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8月19、20日の公演を両日とも観に行ってきました。
演目は「レ・ランデヴー」(フレデリック・アシュトン振付)、「ザ・インヴィテーション」(ケネス・マクミラン振付)、「エリート・シンコペーションズ」(ケネス・マクミラン振付)です。このうち初見は「レ・ランデヴー」のみ。
「レ・ランデヴー」は、同じくアシュトン振付の「レ・パティヌール」のピクニック・ヴァージョンみたいな作品でした。セットも「レ・パティヌール」にそっくりです(白い柵)。とはいえ、設定はピクニックではなく、「新しく社交界にデビューする」男女が公園にやって来た風景だそうですが。
プログラムにも書いてあるように、この作品は舞台の使い方が変わっていました。群舞は基本的に左右対称ではありますが、舞台への出方、舞台での移動、舞台からの退場のパターンが、機械的というかノット・ガーデンみたいで面白かったです。
プリンシパル・ガールを踊ったのは小野絢子さんで、特にヴァリエーションでの上半身と両腕の動きが柔らかでとても美しかったです。表情も魅力的でした。基本的な姿勢やポーズがきれいで、またアシュトンの細かい足さばきもよくこなしていました。先がまだまだ楽しみなダンサーです。
プリンシパル・ボーイを踊った中村誠さんは、いやあ、やっぱり優れたダンサーですねえ!態度は落ち着いていて、表情や挙措に気品があり、踊りもノーブル。テクニックを誇るわけではないけど、しっかり堅実にミスなく踊る。サポートやリフトも磐石の安定ぶり。彼は王子タイプの日本人男性ダンサーとして貴重な存在なのではないかと思います。また、中村さんの踊りを観ていると、なぜか英国ロイヤル・バレエのヨハン・コボーを思い出します。落ち着いている雰囲気が似ているからか?
女性ダンサー1人(真野琴絵さん)と男性ダンサー2人(佐々木淳史さん、八幡顕光さん)によって踊られるパ・ド・トロワの振付は、この作品の中で最も面白かったです。両腕を前に出して交互に上下させながら、ひたすら「モモ上げ運動」みたいなステップを踏み、片足だけでぐるぐると回り続ける。あれはなんの風景を描いた踊りなのでしょうか。自転車とか、回転木馬とかかな?
真野琴絵さんはよく踊っていましたが、終わりのほうでスタミナが尽きてしまったらしく、脚があまり上がらなくなってしまいました。でもよく最後まで頑張りました。
「レ・ランデヴー」は衣装がきれいでした。女性は白いドレスで、ドレスのスカートの裾に水色の縁取りがしてあり、頭にも水色のリボン飾りをつけて、そのリボンを長く垂らしています。男性は光沢のある白いシャツにベスト、白いタイツというバレエの王道スタイル。
上に書いた舞台の面の使い方と、あとパ・ド・トロワの振付が変わっていることを除けば、振付は基本的にみなクラシカルな美しいポーズと動きばかりでした。「アシュトンー!」と思わせる動きはあまり目立ちませんでした。
バレエが上流階級向けの気軽な見世物だった時代を偲ばせる小品で、また観たいと思わせる作品ではありませんでした。同じタイプの作品なら、「レ・パティヌール」のほうが、アシュトン的な振付が多く施されている点で、はるかに優れていると思います。
「ザ・インヴィテーション(招待)」のキャストは、ロバート・テューズリー(「夫」役)を除いて、初演時、再演時とほとんど変わりありませんでした。今回の公演を観て、この作品が小林紀子バレエ・シアターのレパートリーとして定着したことを実感しました。同時に、この作品を上演するに当たっては、キャストの入れ替えが難しいことも分かりました。
というのは、すべての役に、ダンサーによるしっかりした解釈と表現が求められ、また振付的にも難しいものが多いからです。母親(大森結城)は娘たち(小野絢子、萱嶋みゆき)と、複雑に腕を絡めて踊りますし、少年(後藤和雄)は少女(島添亮子)、妻(大和雅美)と、複雑なリフトをまじえて踊ります。夫(ロバート・テューズリー)は妻、次には少女と、これまた凄まじく複雑なリフトがてんこもりな踊りをこなさなくてはなりません。
大森結城さんと楠元郁子さん(家庭教師)は、子どもたちが性に興味を持つことに対して異常なまでに神経質で、それを異常な厳格さで押さえつける大人を見事に演じていました。表情はもちろん、全身から神経を尖らせてピリピリしている雰囲気が伝わってきて、見ているほうも緊張するほどでした。大森さんも楠元さんも、ピンと伸ばした背筋を舞台に見せているときのほうがより怖かったです。
「妻」役の大和雅美さんは、もうこの「妻」がはまり役になってますね。大和さんの「妻」の表現は以前と少し変わっていて、以前は「冷たい夫にひたすらすがりついて拒絶され、その悲しみと怒りになげやりになり、少年を誘惑する」といった感じでした。でも今回は、「妻」は夫にただすがりついて哀願しているばかりではありませんでした。夫に対する反感を隠そうとせず、自身の不満や欲求があって、それで少年を確信犯的に誘惑する、といった感じになってました。
長い手足を駆使した踊りも見事で、表情もさることながら、夫や少年に対する執着を、蛇のように絡みつく白い長い脚で表現していたのがすばらしかったです。特に「妻」と少年との踊りでは、大和さんののけぞる身体と脚がエロすぎてゾッとしました。
「少年」役の後藤和雄さんも、「少年」がはまり役になってます。長身だし、よく見ると顔立ちも男らしいですが、少年ぽい初々しい雰囲気を漂わせていて、特に大人の女性(「妻」)からの誘惑に怯える表情がよかったです。
後藤さんは、「少女」役の島添さんとは子どもっぽい動きで、「妻」役の大和さんとはエロティックな動きで踊らなくてはなりませんでした。が、そのどちらもすばらしかったです。彼は動きに(エロい意味でなく)独特の色気があって魅力的ですし、リフトやサポートも上手です。
同じような体験をしてしまった「少年」と「少女」はその後、正反対の変容を遂げます。「少年」は自分が「大人のやり方」を刷り込まれてしまったことに無自覚で、最後の場面、なぜ「少女」がいきなり自分を嫌悪するのか分からず、でも「少女」のけんまくに押されて逃げ出していきます。そのときの後藤さんは子どもっぽい戸惑いの表情を浮かべていて、それがなおさらやりきれない結末を強調していました。
島添亮子さんの「少女」も、もはや島添さんの当たり役といった感があります。というか、日本人ダンサーでは、島添さんくらいしかこの役を踊れないのではないでしょうか?
石膏像の裸身にさえ拒絶反応を示すような超奥手の「少女」が、互いに幼い恋心を抱いている「少年」と無邪気に戯れる。軽いキス一つを交わしただけで、「少女」と「少年」にとっては心ときめく大きな出来事、幼いけれど、ふたりはこの段階までは「健全」な道を歩んでいる、と分かります。
ところが、招待客として「夫」と「妻」が現れたせいで、「少年」と「少女」のたどる道は大きく違ってしまう。「少年」は「妻」に誘惑され、「少女」は「夫」に目をつけられる。
魅力的な大人の男性(「夫」)に惹かれた「少女」は、彼の前で踊ってみせる。でも、その表情はやはりあどけなく、踊りも手足をバタつかせた子どもっぽい動きになってしまう。島添さんの「少女」は、ここまでは他愛ない子どもでした。
しかし、「夫」に手を取られながら踊るうちに、島添さんの子どもっぽい表情と目つきの中に、ふと艶冶な「女」のそれが浮かびます。それにつれて、「少女」の手足の動きもなまめかしい、官能的とさえいえるものに変化していきます。
島添さんの「少女」には、「子ども」と「女」の中間の時期にある少女独特の危うい魅力がありました。「少女」が自分の中にある「女」に目覚めていく過程も見事に表現されていました。
「少女」の心境(そして、もしかしたら「少女」自身も気づいていない「少女」の変化)を雄弁に物語る、あの演技とあの手足の動きは本当にすばらしいと思います。
さて、この「ザ・インヴィテーション」で、最も期待していたロバート・テューズリーの「夫」ですが・・・。役のほうが濃すぎたかな、と思います。
私は自分の目で実際に観るまで、「ザ・インヴィテーション」はトンデモ作品に違いない、と思いこんでおりました。ところが、小林紀子バレエ・シアターが日本のバレエ団としてはじめて上演した舞台を観たら、「ザ・インヴィテーション」が実は女性目線で作られていることが分かりました。振付者のマクミランは、当時(ヴィクトリア朝末期)の異常に厳格な性道徳と実際の状況がいかに乖離したものであったか、また、そのような状況の下で、当時の女性たちがどんなに残酷な目に遭わされていたのかを、リアルに描き出していたのでした。
その舞台では、パトリック・アルモンが「夫」役を担当しました。アルモンの「夫」は最初からロリコンなのではなく、「少女」との出会いによって、彼の中にくすぶっていた何かが徐々に燃え広がっていき、ついには爆発してしまう、というものでした。
「少女」が変化していくのと同じように、「夫」もまた変化していくのです。「夫」役は基本的に表情を変えません。アルモンは目つきを微妙に変えていくだけで、「夫」の中で何か異常な衝動がじりじりと高まっていく様を表現していました。特に、淫靡な闘鶏の踊りを座って眺めているときの、アルモンの目つきはいまだに忘れられません。
「少女」を暴行した後のアルモンの演技も凄まじかったです。後悔に駆られた激しい吐息と嗚咽が客席に響きわたりました。
それぐらいの表現をしないと、「夫」は単なる軽佻浮薄なロリコン男になってしまって、作品に深みが出ないのです。テューズリーにはもうちょっと頑張ってほしかったと思います。
また、テューズリーと大和雅美さんとの踊りはまったく問題ありませんでしたが、島添さんとの踊りはちょっとぎこちなかったです。マクミラン独特の複雑な振付は、スムーズに踊ってはじめて、目が離せない流れるような美しさ(もしくは緊張感)をかもし出すので、もう少しなめらかさがあればもっとよかったと思います。
もっとも、これはテューズリーと島添さんの身長差があまりにありすぎること(30センチ以上?)が原因だと思われます。テューズリーは、島添さんを支えたり持ち上げたりするのに、いちいち腰をだいぶ低く落とさなくてはならなかったのです。その結果、サポートやリフトの前にもたつきや「間」が生じてしまっていました。
最後の「エリート・シンコペーション」は軽い気持ちで観ることができました。楽しかったです。役作りというか、雰囲気作りは全体的にまだまだのところもありますが、これも小林紀子バレエ・シアターのレパートリーとして、定期的に上演していってほしい作品です。
冨川祐樹さんのナルシー入った役作りはなかなかよいと思います。それから、今が伸び盛りらしい高畑きずなさんの雰囲気と踊りも、自然に自信満々で落ち着いていました。中尾充宏さんもユーモラスでした。
萱嶋みゆきさんは、一生懸命に演技して(「ザ・ゴールデン・アワーズ」)、そして必死に踊ってる(「ザ・カスケード」)のは分かるのですが、心中の一生懸命さと必死さが外に出ちゃっていて、不自然でわざとらしい感じになってしまうのです。もう少し力を抜いたほうがいいかなー、と思いました。
最も良かったのは、やはり「ザ・アラスカン・ラグ」を踊った楠元郁子さん、大森結城さん、佐々木淳史さん、八幡顕光さんでした(ちなみに、私は両日とも大森さんと八幡さんが踊ったと思っていたので、今プログラムを見てびっくりしている)。特に大森さんと八幡さんの踊りには、会場から珍しく笑い声が起こっていました。小林紀子バレエ・シアターの公演で客が笑う、というのは、皆既日蝕と同じくらい稀なことなんです。
以前に上演した作品ばかりの公演でしたが、作品選択のバランスが良くて飽きなかったし、また落ち着いた気分で集中して鑑賞できました。観客をいつもこういう気分にさせるのは、このバレエ団の長所ですね。
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祭りの熱狂というのは一気に盛り上がって一気に冷めるもので、今さら書いてもな~、という感じですが・・・。
先週は多忙な日々が続き、日中に出勤して仕事、帰宅して2時間ほど仮眠を取ってからまた仕事、そのまま徹夜して朝方にやはり2時間ほど仮眠を取ってから出勤、という生活サイクルでした。今、生きてるのが不思議です。
そんな中で無理やり世界バレエフェスティバルのBプロを観に行きました。退勤してから電車に飛び乗り、会場の東京文化会館に到着したのは、なんと開演1分前!
Aプロのときと同じく、一言ずつ感想です。といっても、やっぱり一言で済んでないのがほとんどです。
「チャイコフスキー・パ・ド・ドゥ」(マリアネラ・ヌニェス、ティアゴ・ソアレス)
ヌニェスは妙にまったりゆっくりした動きで、丁寧といえば丁寧な踊りでしたが、もう少し音楽に合わせたほうがよかったかな、と。特にヴァリエーションでは、音楽と合うような溌剌さが欲しかったと思います。とはいえ、あれは英国ロイヤル・バレエ風の「チャイコフスキー・パ・ド・ドゥ」ではないかとも思いました。ソアレスについては、特に何の感想もありません(ごめん)。
「コッペリア」(ヤーナ・サレンコ、ズデネク・コンヴァリーナ)
サレンコはテクニックを売りにしているバレリーナで、アダージョではアラベスクでのバランス・キープを強調しておりました。しかし、グラグラしていて辛うじて立っている状態で、そんな不安定なバランス・キープを自慢げに披露されても、とちょっと鼻につきました。コンヴァリーナについては、またまた特に何の感想もありません。
「アレクサンダー大王」(ポリーナ・セミオノワ、フリーデマン・フォーゲル)
これは面白い作品でした。振付はロナルド・ザコヴィッチです。セミオノワは黒い胸当てに、片側だけに深いスリットの入った黒いスカート、フォーゲルは上半身裸で(確か)、下はやはりスリットの入った黒いスカートを穿いておりました。暗闇の中で、ふたりが絡んで踊る様は官能的な魅力がありました。
「海賊」より“寝室のパ・ド・ドゥ”(シオマラ・レイエス、ホセ・カレーニョ)
第二幕で、コンラッドとメドーラが初夜(笑)を迎える前の踊りです。もっとも、この後にコンラッドはビルバントの陰謀で眠り薬で気を失い、メドーラはさらわれてしまうのですが。踊り以前に、なんでこの踊りを選んだのか不思議です。踊るのはもっぱらレイエスで、カレーニョはリフトとサポートに徹しており、ほとんど踊りませんでした。振付的にもさして見どころがあるというわけでもなく、せっかくの舞台で踊るには地味だなあという印象でした。
「白鳥の湖」より“黒鳥のパ・ド・ドゥ”(上野水香、デヴィッド・マッカテリ)
ジゼルやオデットのような叙情的な踊りは苦手でも、オディールのようなアレグロな踊りになると、別人のようにすばらしく踊るバレリーナというのは少なからずいます。上野さんもそのタイプかと思ったのですが、彼女は私が思っていたほどテクニックに秀でているわけでもないようです。姿勢が汚く、動きはぎこちなくて重く、演技も素人同然、まるでバレエ・コンクールを見ている気分になりました。マッカテリはもっさりした動きで踊っていました。ですが、これは最初に踊ったソアレスと同様、英国ロイヤル・バレエの男性プリンシパルならこれが普通ですので、特に失望したとかいうことはありません。でも、このへんで、どーも男性陣は精彩を欠いているなあ、とうんざりし始めました。
「パリの炎」(マリア・コチェトコワ、ダニール・シムキン)
私は、「超絶技巧」とやらについては、1回見れば飽きてしまうタイプです。シムキン君はヴァリエーションとコーダで流麗で凄まじい跳躍&回転を見せました。跳躍した瞬間に片脚を根元から1回転させるのです。そのときは「おお、すげえ」と思いましたが、それだけでした。今は若いからテクニックを売りにできますけど、15年後に彼はどんなダンサーになっているのかな、とちょっと複雑な気分でした。コチェトコワはAプロのときと同じく、シムキンの陰に隠れてしまった形になりましたが、片脚で1回転しながら移動するときに、複数の回転を織り交ぜたりしていて、実はすばらしく踊っていたと思います。
「ナイト・アンド・エコー」(エレーヌ・ブシェ、ティアゴ・ボァディン)
ジョン・ノイマイヤー振付です。ブシェは黒い袖なしのレオタードに白い長いスカート、ボァディンは白いズボンだけだったような?背景は闇でしたが、一方向に白い光が射しており、シンプルだけどきれいでした。男女の愛憎を表現している作品のようで、どちらかというと、女性が優位にあるような振付でした。とはいえ、かなり抽象的で難解な振付で、ノイマイヤーの振付語彙の豊富さに感心しました。ブシェとボァディンは、静かながらも緊張感で張りつめた世界を作り出していました。ブシェの細くて長い四肢と、彼女の手足が醸しだす動きの美しさに見とれました。
「スリンガーランド・パ・ド・ドゥ」(アニエス・ルテステュ、ジョゼ・マルティネス)
ウィリアム・フォーサイスの作品です。衣装が変わっていました。ルテステュはレース状の白いチュチュでしたが、スカートが短くて円盤のような形をしていました。マルティネスも同じ素材の全身タイツでした。背景は闇でした。背景が闇だと、手足の動きの残像が見えやすいので、なおさら動きが美しくなめらかに見えるものですが、ルテステュとマルティネスの動きは、あまりスムーズには見えませんでした。フォーサイス風な複雑な動きで組んで踊るのですが、ぎこちなさが目立ちました。
「白鳥の湖」第三幕より(ルシンダ・ダン、レイチェル・ローリンズ、ロバート・カラン)
マーフィー版です。男爵夫人(ルシンダ・ダン)主催の舞踏会にふいにオデット(レイチェル・ローリンズ)が現れ、王子(ロバート・カラン)はオデットに魅せられてしまう。それを覚った男爵夫人が王子の心をつなぎとめようとする場面です。またたく間にマーフィー版のドラマの世界を作り出したダン、ローリンズ、カランが見事でした。特にルシンダ・ダンの男爵夫人のソロは、嫉妬と屈辱感と焦燥が渦巻く、悲壮で凄絶な雰囲気にあふれていました。最後に毅然とした表情で手を大きく打って立ち、激しい跳躍を一気に繰り広げるのが凄い迫力でした。一方、必死に踊っている男爵夫人から顔をそむけながらも、かすかに勝ち誇った笑みを浮かべているローリンズのオデットを見て、「女って怖え~」と思いました。それにしても、一場面だけ切り取っても、マーフィー版の王子はやっぱりバレエ史上最強のダメ男だな~。
「マノン」より第一幕のパ・ド・ドゥ(アリーナ・コジョカル、ヨハン・コボー)
デ・グリューがマノンに愛を打ち明ける場面です。コジョカルのマノンがとにかくかわいかったです。Aプロでもそうでしたが、コジョカルとコボーは舞台で踊っていても、オフでのラブラブぶりが伝わってきます。互いに見つめあったり、アドリブでキスをしたり、でもそれがぜんぜん嫌味じゃないんですね。むしろほほえましい。コジョカルとコボーが心から嬉しそうに一緒に踊っているのを見るだけで、こちらも幸せな気分になりました。
「アパルトマン」より“ドア・パ・ド・ドゥ”(シルヴィ・ギエム、ニコラ・ル・リッシュ)
振付はマッツ・エックです。「ウェット・ウーマン」を思い起こさせるような、およそ華麗とは無縁な、人間くさい、且つ妙に生活臭の漂う振付でした。ギエムは髪を一本の三つ編みに束ねていて、ほつれ髪が妙に貧乏くささを感じさせます。衣装もシャツによれよれのスカートで、ギエムがこんなダサダサ女を踊るのは初めて見ました。けっこう似合ってるじゃん。ル・リッシュも無精ひげを生やし、シャツにジーンズ姿で、「キンチョール」のCMに出てくる豊川悦司みたいにいかがわしかった(笑)です。振付は男女の愛憎漂うドラマ・・・というよりは、ダメ男とダメ女のどーしようもない痴話ゲンカという感じで、ギエムの表情や姿勢や動きがダサさ全開でおかしかったです。
「ベラ・フィギュア」(オレリー・デュポン、マニュエル・ルグリ)
振付はイリ・キリアン。デュポンの美貌に目が釘付けで、肝心の踊りのことはまったく覚えていません。衣装は、デュポンはストラップレスの黒と紫のレオタードだったような?ルグリもいたはずだけど、ぜんぜん覚えてない。キリアンの振付なんだから、もっとちゃんと集中して見とけばよかったなー。美しさって罪ね(笑)。
「海賊」(ナターリヤ・オシポワ、レオニード・サラファーノフ)
オシポワの衣装は胸当てに長めのスカートで、まるで『ラ・バヤデール』のニキヤみたいな衣装でした。サラファーノフは眼の覚めるような真っ青なハーレム・パンツ。う~ん、なんというか、世界バレエ・フェスティバルというのは元来こういうものなのかもしれませんが、一部のダンサーが超絶技巧の披露ばかりに走ってしまって、作品世界を見せることを忘れているようなのにはうんざりしました。
オシポワはヴァリエーションでとにかく無駄に跳躍を入れまくるし、サラファーノフはコーダでシムキンと同じ技、つまりジャンプした瞬間に片脚をぐるんと1回転させる技をやるし、すごいといえばすごいんでしょうけど、ちゃんと踊りを見せてほしかったです。特にサラファーノフは、シムキンと同じ土俵で競争する必要はないと思います。サラファーノフは普通のジャンプでも、ふわっと優雅に跳んで、空中で一瞬止まって見えるようなことができるダンサーで、うまくいえないのですが、マリインスキー・バレエ系の優雅で端正なダンス・スタイルで勝負すればいいじゃないか、という気がします。
「ル・パルク」(ディアナ・ヴィシニョーワ、ウラジーミル・マラーホフ)
振付はアンジュラン・プレルジョカージュ。プログラムの説明から察するに、これは続きものの作品の最後の場面らしいです。で、てんで分かりませんでした。ヴィシニョーワはパジャマ型のネグリジェっぽい長いシャツで髪をさばき、マラーホフは白いシャツにズボン姿でした。この踊りは「解放」とかいう題らしいんですが、あれのなにが解放なのかさっぱりです。思春期の女の子が男の子に恋をして(せっくす込みで)、男の子はつれなくて、女の子は必死にすがって、程度の印象しか持てませんでした。私には難解すぎます。
「ブレルとバルバラ」(エリザベット・ロス、ジル・ロマン)
モーリス・ベジャールの作品です。ロスは黒いロングドレス、ロマンは白いシャツに黒いズボンという衣装。数曲のシャンソンに合わせて、ロスとロマンが交互に踊る作品でした。まだ未熟者のわたくしには、おフランスの大人でディープな恋愛はよく分かりません。ただ、曲の雰囲気と踊り・演出がよく合っていて、洗練されたセンスの良さを感じました。ジル・ロマンの動きはやっぱりとても良いですね。表現力が物凄い。意味は分からなくても、ロマンの動きを見ているだけで飽きませんでした。
「エスメラルダ」(タマラ・ロホ、フェデリコ・ボネッリ)
「超絶技巧大披露会」化した弊害がここにも。ロホはバランスや回転など、とにかくテクニックを詰め込み、ボネッリは無理してついていこうとして回転して転倒、床にどすんと尻餅をつきました。ロホは力みすぎだったと思います。バランスはグラつき気味で、いつだったかホセ・カレーニョと踊った『ドン・キホーテ』での、驚異的な安定した長時間バランスには到底及ばなかったし、コーダでのグラン・フェッテでは、顔の向きを少しずつずらしながら回っていく、という技を披露したものの、回っていくうちに足がどんどん横にずれていって、体も斜めになっていました。やはり、やるんなら完璧にやりなさい、完璧にやれないのなら最初からやるな、と思います。
でも、ロホのヴァリエーションはよかったです。ゆっくりといつまでも回ってから止まってポーズを決めたり、片脚を高く上げたまま静止して、その間にタンバリンをリズム良く打ったりするところとか。特に、タンバリンの音が音楽と合っていたのは、観ている(聴いている)こちらも気分が良かったです。
「オネーギン」より第三幕のパ・ド・ドゥ(マリア・アイシュヴァルト、フィリップ・バランキエヴィッチ)
何度観てもこのパ・ド・ドゥはいいですねー。いきなりでも、作品の世界が一気に舞台上に現れましたし、短くても確かなドラマがありました。でも、アイシュヴァルトの役作りにはちょっと不満でした。思い切りが良すぎるというのか、タチヤーナの揺れ動く心、最終的にはオネーギンを拒否しても、それでもオネーギンへの断ち切れない思いというものがあまり感じられませんでした。でも、アイシュヴァルトのタチヤーナの解釈はそうなのかもしれません。バランキエヴィッチは、まず見事な老けぶりに感心しました。あの複雑で激しいリフトを次々とこなし、アイシュヴァルトとの息も合っていて、タチヤーナとオネーギンのせめぎ合う、また惹かれ合うといった心の葛藤が、そのまま踊りになったかのようでした。
「ドン・キホーテ」(スヴェトラーナ・ザハロワ、アンドレイ・ウヴァーロフ)
ザハロワはやはり絶対的な自信と誇りに満ちた態度で優雅に踊りました。Aプロのときもそうでしたが、あの完璧な容姿と美貌だけで、それまで踊ったダンサーたちのイメージを払拭してしまう威力があります。踊りでも、あくまで振付に忠実に、小技をきかせて(ウヴァーロフの頭上高くにリフトされた瞬間に片脚を曲げるとか)も、曲芸には陥らない域にとどまります。「しゃちほこ落とし」もすっごくきれいに決まりました。あんなにスムーズに決まった「しゃちほこ落とし」を見たのは初めてです。長い脚をほぼ水平に伸ばしたグラン・フェッテもきれいでした。ほんとに長い鞭が空にしなるようなフェッテでした。ウヴァーロフは、前に観たときとの印象と少し違いました。もっとすごい踊りをするダンサーだったと思うのですが、不調だったのでしょうか。でも、ウヴァーロフもザハロワと同様、曲芸には陥らない、節度ある踊りを保っていました。
公演が終わると、ダンサーたちがおみやげを投げていましたが、せいぜい10数列目くらいまでしか飛ばないんですわ。そんな中で、最も飛距離が長かったのがデヴィッド・マッカテリでした。マッカテリは舞台の最前面に出て、おみやげをなるべく遠くの席に投げようと努力していました。いいヤツだなあ、と思いました。
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