ハンブルク・バレエ団『リリオム』(3月6日)
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結局当日券で2回目観に行きました。久しぶりですっかり忘れてたのでございます。ノイマイヤーの全幕作品は、後からボディ・ブローのようにじわじわ効いてくるといふことを。また、消化に時間がかかるといふことを。
金曜日(4日)に観に行ってから、あの音楽が頭の中で鳴りっぱなしで止まることなく、もう一度観たいという誘惑に打ち勝つことができませんでした。金曜日に観に行ったときに会場でリピータ券買っとくんでした。そしたら1,000円引きだったのにぃ~!当日券は定価でした、はい。
公演前にノイマイヤーのプレトークがあったんでついでに聞きました。聞き手は『ダンスマガジン』でおなじみの三浦雅士氏。時間は30分ほどでした。噂には聞いてましたが、聞き手(三浦氏)が話し手(ノイマイヤー)よりもしゃべりまくるってどうなんでしょう。ノイマイヤーの話がもっと聞きたかったです。
私は『リリオム』についての話を期待していたのですが、三浦氏は来週行われるガラ公演 「ジョン・ノイマイヤーの世界」と『真夏の夜の夢』について、ほとんどの時間を割いてノイマイヤーに聞いて(というより自論を話して)ました。終わりにも「みなさん、近隣の人を誘ってぜひ観に来て下さい!」と念押ししてたんで、たぶんチケットが売れてないんだと思います。確かに今日の『リリオム』も、日曜日の昼だというのに空席がかなりありました。
演目が知られてないせいもあるでしょうが、チケットの値段が高すぎるせいも大いにあるでしょう。英国ロイヤル・バレエ団日本公演のチケット価格を見たときには、NBS、気は確かか?と思いましたよ。でもさすがに、ミラノ・スカラ座バレエ団(ヌレエフ版『ドン・キホーテ』)のチケットは据え置き価格のようです。あのレベルのバレエ団で20,000円以上取るんなら誰も観に行かないでしょうからね。ただ、ミラノ・スカラ座バレエ団のダンサーが主役を踊る回に行っちゃう人はいるんだろうな。気の毒だ。
ノイマイヤーのプレトーク。『リリオム』については何しゃべったんだっけ?えーとね、まず音楽。ミシェル・ルグランからある日電話があって、ノイマイヤー作品の舞台をみて面白かったので、一緒に仕事がしたいと言ってきた。ノイマイヤーは『リリオム』をバレエ作品にしたいと長年思っていて、ルグランの申し出があったときに、これは『リリオム』のバレエ化を実現するチャンスだと思った。
『リリオム』では、ジャズバンドが奏でるジャジーな音楽とクラシック風の音楽の二種類が用いられているが、ジャズは外界を示していて、クラシカルな音楽は内面を示している。
リリオムの子ども(原作、映画、ミュージカルでは娘)を息子に変更したのは、息子にすることによって、リリオム自身の子ども時代も同時に見せることができるから。「風船を持つ男」はあの世とこの世とをつなぐ役割を果たしている。なんか切れ切れにしか覚えてません。
『真夏の夜の夢』の話については、私は観に行かないのでまったく記憶になし。ガラ公演については、ガラ公演にありがちな、パ・ド・ドゥの寄せ集めで主役級のダンサーだけが踊るのではなく、カンパニーのダンサー全員が活躍できるような構成にした。あとは能がどうとか、生死がどうとか言ってました。つーか三浦(ここでは敢えて三浦と呼ばせてもらおう)、てめえは黙れ。
肝心の公演『リリオム』についての感想です。2回目とあって、初回よりはいくぶん落ち着いて観ることができました。さすがはノイマイヤーで、演出にまったく隙がない。またすべての登場人物が生きている。『リリオム』については、ノイマイヤーの作品に時に見られる、計算し尽くされた押しつけがましい周到さが鼻につくということもなかったです。
「風船を持った男」(サシャ・リーヴァ)は「この世とあの世とをつなぐ者」であると、ノイマイヤー自身がネタバラシしちゃったのはいささか興ざめでしたが、おそらくリリオムを守る善霊というか、守護天使のような存在なのだろうと思います。そして、「悲しいピエロ」(ロイド・リギンズ)は、「風船を持った男」と相対する存在、リリオムと同様に破滅してしまった堕天使のような存在なのでしょう(前回は分かりやすいとかベタとか書いてすみません)。ラストで、「悲しいピエロ」は「風船を持った男」と同じ動きで歩くので。
風船を持った男役のサシャ・リーヴァは圧倒的な存在感があります。でも気配を完全に消すこともできる人です。メイクが故デヴィッド・ボウイの「ジギー・スターダスト」みたいに白塗りで、また常に無表情なせいもありますが、それを差し引いても非常に神秘的な不思議な雰囲気を持っています。常にゆっくりした動きで歩いたり踊ったりします。まったく不安定さがありません。
リリオムが荒れる息子ルイスのもとにやって来るシーン。リリオムはマリーとウルフ夫妻、その息子のエルマーがルイスを侮る様子を見て憤り、彼らに対して中指を立て(笑)ます。風船を持った男はリリオムの手を優しく押さえて止め、ルイスに近づくよういざないます。また、ジュリー、ルイス、リリオムとともに踊る(EXILEのChoo Choo TRAIN状態)とき、それまで無表情だった風船を持った男は、はじめて明るい微笑を浮かべます。このときのサシャ・リーヴァの表情がすごく良くて、観ているこちらまで救われたような気になりました。
カーテン・コールでは、このサシャ・リーヴァに非常に大きな拍手とブラボー・コールが送られました。主役のアリーナ・コジョカル、カーステン・ユング、演奏の北ドイツ放送協会ビッグバンドと同じくらい大きな拍手喝采でした。リーヴァがお辞儀をして拍手に応えている間、後ろに立っていたダンサーたちが足をドンドンと踏みならしました。これは拍手の足バージョンです。リーヴァが同僚たちからも好かれていることがよく分かる情景でした。
『リリオム』のバレエ化に長い時間がかかった理由の一つは、主役のリリオムとジュリーに適したダンサーがいなかったからであることをコジョカルが明かしていました。それは分かる気がします。ノイマイヤーは基本的に「清く正しく美しく」な振付家であるため、ハンブルク・バレエ団に集まるダンサーたちも、自然と癖のない、アクの強くない人材ばかりになってしまうからでしょう。
ノイマイヤーは確かに、思いどおりにいかない愛、すれ違ってしまう愛、報われない純愛を表現するのに長けている振付家ですが、たぶんねっとりした、絡みつくような、生々しい男女の情愛を表現するのはさほど得意ではないと思います。それは、リリオムとその雇い主であり愛人でもあるマダム・ムシュカートとのパ・ド・ドゥが、定型表現的な、いかにも「ザ・セクシー」な振付になってしまっていることから感じられます。
リリオムとマダム・ムシュカートのパ・ド・ドゥは複数ありますが、その都度、もしケネス・マクミランなら、もっと爬虫類系な粘っこい振付で表現できたろうな、と思ってしまいました。
金曜日に観たときは、第一幕最後のリリオムとルイスのデュエットに涙しましたが、今日は第二幕最後でのリリオムとルイスのデュエットで目が潤んでしまいました。リリオム役のカーステン・ユングの表情が、これがまた父親らしい、すごい優しい表情でね。二人で伸び伸びした動きで並んで踊るシーンにはカタルシスを感じました。それまでリリオムもルイスも、腕を荒々しく振り回したり、床を乱暴に踏み鳴らしたり、身体を小さく縮めて転げ回ったり、そういう動きしかしてなかったのが、はじめて四肢を存分に伸ばして、それこそ解き放たれたように大きな動きで踊ります。
ジュリー役のコジョカルは、『リリオム』が、配偶者や子どもへの暴力を肯定的に描いていると受け取られかねないことについて、インタビューの中で説明し反駁していました。確かにこの作品では、リリオムがジュリーを殴り、またルイスを殴るシーンが象徴的に用いられています。
ミュージカル映画『回転木馬』のラストで、地上に降りてきたビリー(リリオム)は、天から持ってきたプレゼントの星を受け取ろうとしない娘のルイーズ(ルイス)を殴ってしまいます。ルイーズはショックで泣き叫びますが、母のジュリーに「でも不思議なの。殴られたのに全然痛くないのよ」と言います。亡き夫がやって来たことを確信したジュリーは、ルイーズに答えます。「ええそう、殴られても痛くないことってあるのよ。そういうことがあるの。」 私個人は、なんかこれで納得できるような気がします。
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