オリンピックネタ(2)

魂まで奪われた少女たち―女子体操とフィギュアスケートの真実
ジョーン ライアン
時事通信社

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  「ケリガンの第一位は確実視されていたから、参加選手の誰もが、自分たちは二位をめざして競うのだと知っていた。選手の一人、ニコル・ボーベックはニューヨーク・タイムズにこう話してさえいる。『あの人がうまく滑らないときには、きっと審判員たちが手を差し伸べるでしょうよ』」(ジョーン・ライアン著『魂まで奪われた少女たち』より)

  女子フィギュアの試合(再放送)をさっき観ました。またしてもNHKと民放が同時放映してました

  男子フィギュアでは「高橋選手、よかったね~♪」と能天気に思った門外漢の私も、女子フィギュアのショート・プログラムの上位3人の選手の点差を見て、審判団がキム選手に絶対に金メダルを取らせたいこと、そして、浅田選手の出来次第によっては、ロシェット選手に銀メダルを取らせてもいいという意向らしいことは察しがつきました。

  そして、今日のフリーの結果を見たら、キム選手が異常な高得点を挙げていたので、「うーん、これはどうみても、キム選手の後に演技する浅田選手が、どんなに完璧な演技をしても、キム選手には追いつけないような点数的余裕を持たせたんだろうな」と思い、「ここまで露骨にやるか~」と驚きを通り越して呆れました。

  周囲の思惑に振り回される選手たちがかわいそうです。

  私がこういう感想を抱いたのは、上に紹介した本を以前に読んだことがあったからです。この『魂まで奪われた少女たち-女子体操とフィギュアスケートの真実-』は、原題を“LITTLE GIRLS IN PRETTY BOXES-The Making and Breaking of Elite Gymnasts and Figuire Skaters-”といいます。

  すごい題名ですが、その名のとおり、女子体操と女子フィギュア・スケートの選手たちがいかに「作り出され」、また「破壊され」ていくかについて、多くの選手の実例を挙げて述べています。中には、著者のインタビューを受けた数ヵ月後に亡くなった選手もいます。

  また、フィギュアの審判たちに関する諸事情についても、非常に突っ込んで書かれているので、私はこれを読んで、今回の女子フィギュアの結果がなぜあのようになったのか、すんなりと納得できました。

  この本は、選手たちの「華麗なる演技の陰にある汗と涙の努力」を美化礼賛した内容ではありません。ですから、フィギュア・スケートを素直に楽しみたい方にはおすすめしません。

  大体、リンクは貼りましたが、この本は97年の出版なので、果たして現在でも入手が可能かどうか分かりません。図書館などにはけっこう置いてあるかもしれませんね。「私は読んでも大丈夫」という自信のある方は、もしご興味があれば読んでみて下さい。

  オリンピックネタはこれで終わりにします。

  ただ、最後に一言だけ。

  どんな世界でもそうですが、フィギュア・スケートでも、「職業・肩書き」としてスケート選手になった人と、「競技者」としてスケート選手になった人との2種類がいるのでしょう。それぞれがそれぞれの道を行けばいいのだと思います。  
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なんか異常では!?

  帰宅したら、夕方のニュースは今日行なわれた女子フィギュアのショート・プログラム関連の話題ばかりでした。

  盛り上がるのは大いにけっこうですが、その一方でなんか違和感が湧いてきました。

  第1位のキム・ヨナ選手と第2位の浅田真央選手の2人だけを取り上げて、しつこく彼女らの演技の録画映像を流しながら、両者の演技を細かく分析した大きなフリップを掲げて、どうしてこういう結果になったのか、フリーではどうなるか、などと、どの局もアナウンサーと解説者が違うだけで、同じようなことを滔々とまくしたてているのです。

  ゴールデン・タイムにはなんと、NHKと民放が揃って同じ時間帯に女子フィギュアの試合の録画映像を再放送する始末。夜のニュースもやっぱり女子フィギュア一色。

  違和感、というのは、メディアのこうした異常なはしゃぎように対してでもありますが、それよりも、おおかたの報道の本質が、競技としての女子フィギュアから乖離して、キム選手と浅田選手との競争を、韓国と日本の代理戦争として扱うことにシフトしていることに対してでした。そして、私も視聴者としてそれに感化されていることに気づいて慄然としました。

  男子フィギュアでもプルシェンコ選手の問題があったように、フィギュア・スケートは、評価基準が分かりにくく不明朗なために、とかく批判やトラブルを招きやすい競技です。それに加えて、今回は第1位が韓国の選手で、第2位が日本の選手という結果になったため、両国にもともと存在する、互いの国に対する反感がより煽られて、競技や選手を離れて代理戦争化したのでしょう。

  確かにショート・プログラムの滑走順といい、キム選手と浅田選手の点差といい、審査員が金メダルをキム選手に与えたい意向であることは明らかだと思います。ですが、フィギュア・スケートの順位にこうした作為はつきものでしょう。

  審査員が当初の意向を変更せざるを得なかった例は、94年のリレハンメル・オリンピックで、オクサーナ・バイウルが金メダルを獲得したときぐらいだと聞きました。審査員にとって、バイウルは当初はメダル範囲外の選手でしたが、彼女の演技が誰が見ても他の選手より突出して優れていたので、作為的な評価をすればすぐにバレるため、やむを得ずバイウルに金メダルを与えたという話です。

  フィギュア・スケートのそうした裏事情には「なんだかな~」と呆れます。でも、かといって、たった19歳の少女たちの肩に「国」を背負わせ、あたかも出征兵士を応援するように、ヒステリック且つ偏執的に大騒ぎするのはもっと異常だと思います。メディアが煽って、「国民」が熱狂する、本当に前の戦争のようです。

  ・・・今観ているニュースでも、またキム選手と浅田選手の演技をノーカットで流すってさ。今日はいったい、彼女たちの演技が各局合計して何回流されたんだろう。男子フィギュアとは歴然としたこの扱いの差。

  冬季オリンピックは夏季オリンピックに比べればマシだ、と思っていたけれど、冬季オリンピックもやっぱりイヤなもんですね。

  鳩山首相は「メダル、メダルと言うのも、プレッシャーをかけますから・・・個人のベストを尽くしてくれれば」と言ってました。鳩山首相を叩いてるメディアより、よほどマトモなコメントです。          
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アダム・クーパー近況

  アダム・クーパーの公式サイトが久しぶりに更新されていました。

  管理人さんの筆になるもののようですが、それによると、なんと、

  アダム・クーパー&サラ・ウィルドー夫妻はめでたく第二子を授かったそうです!

  出産は晩春か初夏とのことです。6月くらいでしょうか?

  それにしても、身ごもった妻が安定期に入るまで、周囲に緘口令を布いていたらしいクーパー君、えらいぞ!妻と子どもたちを守る、それでこそ漢だ!

  でも、奥さんのサラは、2008年夏の出産からわずか1年での妊娠です。3年間に2回の妊娠と出産は、身体に大きな負担をかけることになるでしょう。
  どうか大事にしてほしいものです。

  本当におめでとう!

  ところで、この1月以来消息不明(笑)だったアダム・クーパーは、相変わらず忙しい日々を送っているそうで、もうじき詳しいことを教えてくれるとのことです。それも楽しみですね
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テルマエ・ロマエ

テルマエ・ロマエ I (BEAM COMIX)
ヤマザキマリ
エンターブレイン

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  今、大大大人気(出版後わずか2ヶ月で4刷!)のこのマンガ、いずれこのブログでも紹介しようと思っていたら、昨日の『王様のブランチ』(TBS系)で紹介されてしまいました。テレビ媒体で取り上げられたら、影響大きいよ~。アマゾン見たら、案の定マンガのランキングで第2位に跳び上がってた(第1位はやはり一昨日に日本テレビ系で放映されたばかりの『風の谷のナウシカ』)。

  私はこれを本屋さんのコミックコーナーで見つけ、「絶対これは面白いに違いない!」と直感、即買いしました。

  題名の「テルマエ・ロマエ」というのは、どうやらラテン語のようです。「テルマエ」は浴場、「ロマエ」はローマのことらしいです。だから、「ローマの浴場」とか「ローマの湯」とかいう意味であろうと思われます。

  この題名から分かるように、これは風呂マンガなのです。また、表紙を見て下さい。ギリシャ・ローマ時代の石膏像か石像とおぼしき筋骨隆々の男性がポーズを取っていますが、その右手には木の風呂オケを抱え、左肩に赤いタオルを引っかけています。この『テルマエ・ロマエ』は、古代ローマと現代の日本を、時空を越えてつなぐ壮大なスケールの作品なのです(ただし風呂限定)。

  時はハドリアヌス帝治下のローマ帝国。浴場設計技師のルシウス・モデストゥスは己の理想とする浴場設計が時代に受け入れられずに苦悩している。そんなとき、職人の友人であるマルクスに誘われて、気晴らしに公衆浴場(テルマエ)に出かける。しかし、当時の公衆浴場は総合娯楽施設で、静かで落ち着いた古き良きテルマエを理想とするルシウスには騒々しいばかり。

  たまらず湯の中に身を沈めたルシウスは、浴槽の底に開いている奇妙な大きな穴に気づく。ルシウスはその穴を排水口だと思い込み、職業柄どんな構造なのか気になって近づく。するとルシウスの体は凄まじい大きな力でその穴に吸い込まれる。溺れかけながらもなんとか水面に顔を出すと、そこは「平たい顔」をした知らない民族が集まる、今まで見たこともない浴場だった・・・!

  ルシウスが「顔が平たい」とか「平たい顔」とか形容し、ついには勝手に「平たい顔族」と呼ぶようになるのは日本人で、ルシウスがたどりついたのは昭和50年代の浅草の銭湯だったのです。ルシウスは銭湯を奴隷用の浴場だと思い込みますが、ローマ人用の浴場よりもはるかに高度に発達した風呂文化に驚愕し、そして思うのです。「この平たい顔族が風呂文化を殊の外大切にしていることはよくわかる・・・・・・しかし、こうしてローマの一部分になってしまったからには、我々ローマ人がその文化を吸収する権利があるということを彼らは知る義務がある!」

  このマンガは1話完結方式で、ルシウスは浴場設計のアイディアに煮詰まると、ご都合主義的にタイム・トリップをして現代日本の銭湯、家庭風呂、露天風呂、温泉、湯治場、はては大手サニタリー会社のショールームにたどりつき、日本の風呂のアイディアやアイテムを古代ローマの浴場に採用する、というパターンの話です。

  でも、風呂ネタ一本のマンガなのに全然飽きません。むしろ、日本の風呂文化の多様さと奥深さに今さらながらに気づかされます・・・ってか、ただ単に面白いんだけどね。

  まず絵柄が良いんです。作者のヤマザキマリさんは、イタリアの美術学校に通って本場の油彩画を学んだ方だそうで、主人公のルシウスは表紙そのままの重厚な絵柄でマンガの中に出てきます。そして、日本の様々な風呂文化に接するたびに、その高度な文明(←銭湯の黄色いケロリンの風呂オケとかフルーツ牛乳とか家庭用風呂のフタとか温泉玉子とかシャンプーハットとか)にローマ人としてのプライドを打ち砕かれ、あたかも悲嘆するモティーフの石像そのままに苦悩する。その姿がすっごく笑えます。

  いちばん笑えたのは、ルシウスが日本の銭湯にタイム・トリップしたとき、銭湯の壁に描かれた富士山を見て「ポンペイのヴェスビオス火山ではないか!!」とカン違いするシーンです。ルシウスは最初は「平たい顔族」(注:日本人)の奴隷用の風呂に入ってしまったと思い込み、次は「平たい顔族」の居住するローマ帝国の属州に迷い込んだと思い込み、更に「平たい顔族」の国の領土に来てしまったと思い込み、自分がタイム・トリップしていることにはまったく気づいていません。そして、「平たい顔族」の風呂文化の高度さにローマ帝国衰亡の危機さえ感じるのです。

  ルシウスのキャラもいいです。生真面目で仕事一筋、笑顔など一切浮かべず、顔はいつも真剣そのもの、石像のような端正な顔立ちで日本の風呂文化に愕然とし、しばらく立ち直れないほどに打ちのめされる、その表情と(ポーズ)が実に笑えます。

  あと笑えるのが、ルシウスが出会う日本人たちです。ルシウスがタイム・トリップするのは銭湯とか温泉とか湯治場とかですから、そこで出会う現代日本人たちはじいちゃんばあちゃんがほとんど。

  日本のじいちゃんばあちゃんたちはいきなり現れたルシウスに驚きながらも、「外人さん」だから言葉も分からず、日本の風呂にも慣れていないのだろうと簡単に納得し、ルシウスに飲み物や食べ物を勧めてあれこれ世話を焼きます。ルシウスは戸惑いつつフルーツ牛乳や温泉玉子や日本酒やタケノコの煮つけを口に入れ、その美味にまたもや驚愕しながら堪能します。ルシウスと日本人たちの双方とも、事態の本質をまったく理解してないのですが、食い違ったままに一緒にお風呂でほんわかする。これがなんとも心なごむのです。  

  なんか書きすぎちゃったな。もうやめます。とにかく、興味を持たれた方はぜひご一読を♪
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オリンピックネタ

  今日の夕方、新聞もテレビもインターネットも、すべて高橋大輔選手の銅メダル獲得のニュース一色でしたね。

  NHKの録画放送を観ましたが、実はわたくし、フィギュア・スケートについては、何をどう観ればいいのかよく分からんのです。

  だからこれはド素人の漠然とした印象に過ぎないのですが・・・。

  4回転ジャンプが勝敗を分ける、的なことをニュースは盛んに報じていましたが、フタを開けてみれば、4回転に成功した小塚選手は8位にとどまり(いや、8位でももちろんすごいことだけどね)、4回転に挑むも失敗して転倒した高橋選手が3位になり、プルシェンコ選手は4回転を成功させたのに2位、4回転なしで演技したライサチェク選手が1位、という結果でした。

  順位を知った上で録画を観た影響を考慮しても、ライサチェク選手と高橋選手には共通点があるように思いました。音楽性にあふれたなめらかな動き、情感たっぷりな演技です。特に高橋選手は、あれは音楽に合わせて動いているというより、まさに音楽に乗って踊っているといっても過言ではないと思います。表情も非常に豊かで、ニーノ・ロータの物悲しい「道」の雰囲気をよく醸し出していました。

  今(夜11時)、NHK教育でパリ・オペラ座バレエ団の公演を放映してます。バレエ・リュスじゃなくて、『シンデレラ』か『ジゼル』にすればいいのになあ。とりあえずちょっと中座します~。

  「牧神の午後」は東京バレエ団の公演のほうが断然良いと思う。ニコラ・ル・リッシュの牧神は、シャルル・ジュドの牧神に到底敵わず。『三角帽子』はヒマくさい作品だけど、ジョゼ・マルティネスが超カッコいい。

  『三角帽子』がつまんないから、横目で観ながらフィギュア・スケートの話の続き。フィギュア・スケートはダンスではなくスポーツなのだから、4回転ジャンプができるのは当たり前で、今は5回転ジャンプを目指しているというプルシェンコ選手のジャンプ第一主義も分かるのだけど、でも、ジャンプなどの技術と同じくらいに、振付・動きのなめらかさ・情感などを重視する評価基準は好ましいと私は思います。

  技術に評価が偏れば、選手の身体的負担は大きくなり、怪我や故障のリスクも高くなるでしょう。非人間的な領域の技術など不要。却って害悪です。

  高橋選手もジャンプが原因で脚にひどい怪我をして、それから必死のリハビリを経て復帰に至ったそうです。テレビのニュースは、このリハビリが下半身の関節の可動域を広げることになり、結果、高橋選手のステップが更にすばらしくなったなどと報じていました。本当の話だったら、まさに「災い転じて福となす」ですが、私はこういう話は好きじゃありません。怪我なんか最初からしないほうがいいに決まってますもん。

  高橋選手はもともと音楽性に恵まれている選手だったのでしょう。ダンスを踊らせてもかなり上手に違いありません。また、怪我のリハビリで落ち込んで、1週間ほど音信不通で「失踪」(←ハタチ過ぎの青年に対して、この言い方はおーげさなような気がするが・・・)したこともあるそうだから、繊細で感受性が強い性格なんだろうと思います。そういう性格だからこそ、「表現したい何か」を持っていて、それが演技に表れたのでしょうね。

  織田選手のアクシデント、よりによって、オリンピックでの演技中にスケート靴の紐が切れるという事態にはびっくりしました。よくあることなんでしょうか?でも、なにもオリンピックで起きなくてもねえ、とかわいそうでした。とはいえ、織田選手は次回のオリンピックも目指せるそうですから、次はうまくいくといいね、と思いました。

  今(午前0時)、『ペトルーシュカ』を放送してますが、『ペトルーシュカ』もやっぱりつまんねえなあ。ペトルーシュカはバンジャマン・ペッシュです。良いのか良くないのか、映像だとよく分かりません。ローラン・イレールのペトルーシュカはあわれで良かったな。

  そうそう、フィギュア・スケートについて、かねての私の持論を最後に。

  良い音楽を選んだ選手は好成績を得る。

  だから、浅田真央選手はたぶん金メダルを獲るんじゃないかな(おそらくフリーで逆転する)。・・・でも、前のオリンピックでも日本人選手(荒川静香)が金メダルだったから、今回は上位選手の「国籍的バランス」を取ることを図るかもしれないですね。 
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『ロミオとジュリエット』その他の主要キャスト(ロンドン編)

  ついでに、今まさにロイヤル・オペラ・ハウスで上演中の『ロミオとジュリエット』について、ロミオとジュリエット以外の主要キャストは誰が担当しているのか書いておきます。

  ただし、ロミオとジュリエットを誰が踊るかによって、他の主要キャストが決まってくる、ということは、『うたかたの恋』ほどにはないんではないか、と思います。

  マキューシオ:スティーヴン・マックレー、蔵健太、ブライアン・マロニー、ホセ・マルティン
  ベンヴォーリオ:セルゲイ・ポルーニン、蔵健太
  ティボルト:ギャリー・エイヴィス、ティアゴ・ソアレス、ベネット・ガートサイド
  パリス:ルパート・ペネファーザー、デヴィッド・ピッカリング、ヨハネス・ステパネク
  マンドリン・ダンス(リーディング・ダンサー):スティーヴン・マックレー、セルゲイ・ポルーニン
  キャピュレット夫人・エリザベス・マクゴリアン、ジェネシア・ロサト
  キャピュレット卿:デヴィッド・ドリュー、クリストファー・サウンダース
  モンタギュー夫人:シンディ・ジョーダン
  モンタギュー卿:クリストファー・ニュートン
  ローレンス神父:アラステア・マリオット
  娼婦(リーディング・ダンサー):ラウラ・モレラ

  キャピュレット卿役で出演しているというデヴィッド・ドリューは、アレッサンドラ・フェリ、ウェイン・イーグリング主演の『ロミオとジュリエット』映像版でティボルト役を、アンソニー・ダウエル、ジェニファー・ペニー主演の『マノン』映像版で看守役を担当している人です。もし来日するのならちょっと感動。

  『ロミオとジュリエット』は上演中(3月まで)で、レビューがまだ揃っていないので、更にキャストが分かったら追記しますね。  
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『うたかたの恋』その他の主要キャスト(ロンドン編)

  6月の英国ロイヤル・バレエ団日本公演で『うたかたの恋(マイヤーリング)』(ケネス・マクミラン振付)が上演されます。

  NBSのサイトには、ルドルフ皇太子、マリー・ヴェッツェラ、ラリッシュ伯爵夫人のキャストしか載っていません。『うたかたの恋』には他にも多くの重要な役があり、またルドルフ皇太子と組んで踊るのは、マリー・ヴェッツェラ、ラリッシュ伯爵夫人だけではないので、今シーズン(去年10月~11月)にロイヤル・オペラ・ハウスで上演された『うたかたの恋』の主要キャストはどうなっていたのか、参考までに整理してみました。

  『うたかたの恋』は、難度の高いパ・ド・ドゥが多いため、ルドルフ皇太子を誰が踊るかによって、ルドルフ皇太子と踊るキャストがほぼ固定化されます。

  もちろん、日本公演までに若干の変更はなされるかもしれませんが、6月の日本公演でルドルフ皇太子役にキャスティングされている3人、カルロス・アコスタ、ヨハン・コボー、エドワード・ワトソンのときのキャストに絞って、以下にまとめてみました。

  ルドルフ皇太子:カルロス・アコスタ
  マリー・ヴェッツェラ:タマラ・ロホ
  ラリッシュ伯爵夫人:マーラ・ガレアッツィ
  シュテファニー皇太子妃:イオナ・ルーツ
  ミッツィー・ガスパール:ラウラ・モレラ  

  ルドルフ皇太子:ヨハン・コボー
  マリー・ヴェッツェラ:リャーン・ベンジャミン
  ラリッシュ伯爵夫人:ラウラ・モレラ
  シュテファニー皇太子妃:エマ・マグワイア
  ミッツィー・ガスパール:ヘレン・クロフォード  

  ルドルフ皇太子:エドワード・ワトソン
  マリー・ヴェッツェラ:マーラ・ガレアッツィ
  ラリッシュ伯爵夫人:サラ・ラム
  シュテファニー皇太子妃:イオナ・ルーツ
  ミッツィー・ガスパール:ラウラ・モレラ
  
  また、やや流動性が高いと思われるキャストは以下のとおりです。
  
  フランツ・ヨーゼフI世:クリストファー・サウンダース、ウィル・タケット
  エリーザベト皇后:ディアドリ・チャップマン、シンディ・ジョーダン
  ブラットフィッシュ(ルドルフの御者):ジョナサン・ハウエルズ、スティーヴン・マックレー、リカルド・セルヴェラ
  ルイーゼ王女(シュテファニーの妹):ロマニー・パジャック、エマ・マグワイア、リャーン・コープ
  4人のハンガリー将校(ルドルフの友人):ホセ・マルティン、ブライアン・マロニー、ヨハネス・ステパネク、アンドレイ・ウスペンスキー、セルゲイ・ポルーニン、ベネット・ガートサイド、佐々木陽平、トーマス・ホワイトヘッド
  ベイ・ミドルトン(エリーザベトの愛人):ギャリー・エイヴィス、ヴァレリー・ヒリストフ
  カタリーナ・シュラット(フランツ・ヨーゼフの愛人、劇中歌を歌う):エリザベス・シコラ

  これは実際に上演された舞台のレビューからキャストを拾い上げたもので、中には代役も入っているようです。また、どうしても分からないキャストもありました(特に、なぜかアコスタがルドルフを踊った舞台のレビューがほとんど見つからなかった)。

  不確実ですが、ご参考までに~。
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春節快楽!

  今日は旧暦の正月元旦、旧正月です。

  今年二度目になりますが、みなさま、あけましておめでとうございます

  中国は昨夜から今日は大騒ぎだったでしょう。これから1週間くらいは盛り上がると思います。

  それにバンクーバー冬季オリンピックが加わり、更に今日はバレンタインデーときたもんだ。

  中国でもバレンタインデーは若い人たちの間で普及しておりまして、確か彼氏が彼女に赤いバラの花を贈るという習慣だったと思います。そのため、バレンタインデーの直前や当日になると、街中にさすらいの「赤いバラの花売り」が出現します。(追記:念のため中国人に聞いてみたら、彼女のほうは彼氏にチョコレートを贈るそうです。)

  旧正月の元旦、ふつう「初一」といいますが、初一は家族だけでゆっくりと過ごすのが一般的です。それで、今晩は中央電視台第1チャンネル(CCTV1)で放映される「春節晩会」(日本の紅白歌合戦のようなもの)を観ます。

  正月2日目、つまり「初二」には、目上の知り合い、たとえば恩師や親戚などに年始の挨拶に回ります。年始回りの客が確実にやって来る家庭では、ごちそうを用意して待ち構えています。

  正月3日目、「初三」になってやっと、友だち同士で遊びに行ったりするようです。

  ところが、今年は初一がバレンタインデーです。彼女のいる中国の青年たちは、自分の家族だけと過ごすのと、外出して彼女に会って赤いバラの花を手渡すのと、いったいどちらを選ぶのでしょう?
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バンクーバー冬季オリンピック開幕式

  つい全部観ちゃいましたよ~。面白かったです。冬季オリンピックは、夏季オリンピックに比べると「国家の威信合戦」みたいな雰囲気が薄いし、なぜかカナダには良い印象があります。以下にとりとめなく分かったこと、感じたことを。

  ・カナダの元首は「総督(Governor General)」であり、形式的にはイギリス女王の代理としてカナダを統治している(追記:ウィキによると、カナダには連邦政府があり、首相がいて、実質的な政治は連邦政府の首相が担当しているそうだ)。

  ・カナダの先住民族は“First Nations”と呼ばれている。

  ・カナダの先住民族のダンサーたちの民族衣装は、ダイナミックなデザインとカラフルな色彩で非常にインパクト大。彼らによる踊りも見ごたえがあった。

  ・でも、選手の入場行進の間(およそ40分間)ずっと踊り続けていたので、実はすっごく疲れたんじゃないだろーか。

  ・カナダのバレエ団、アルバータ・バレエも踊った。服部有吉(←名前はよく聞くし、公演チラシもよく目にするダンサー)が踊っていた(たぶん白いシャツに淡いグレーのズボンを穿いていた人)。

  ・入場行進で観客の歓声がひときわ高かった国(地元のカナダを除く):

    イギリス(やはり関係が深いからか)
    アイルランド(これも関係が深いからだろう)
    中国(移民が多いからだろうか)
    アメリカ(隣国だからか。アメリカとカナダは仲が良いらしい。ふつう隣国同士は仲が悪いものだが)
    ラテンアメリカの国々(距離的に近いから?)
    日本(理由不明)

  ・入場行進の制服がイカしてた国:

    フランス(真っ白いジャンパーの背中に大柄のトリコロールを縦にあしらったデザイン。)
    イギリス(シャツ、オフホワイトのフリース、ウールっぽい濃い色のジャケットの重ね着が意外におされ。男子のかぶっていた帽子もキュート。)
    イタリア(忘れたけどカッコよかった。)
    カナダ(チェックやボーダーの入った幅の広い真っ赤なマフラーがかわいかった。)

  ・先住民族の文化や伝承をテーマにしたパフォーマンスの後は、一転してスコットランドやアイルランドを思わせるキルトの衣装、独特のステップの踊り、音楽のパフォーマンスに変わった。やはりカナダはイギリス、アイルランドと関係が深いのだなあ、と思った。

  ・オリンピックの歌を歌ったソプラノ歌手は髪型が良かった。クリスマスツリーにできそうだ。ドレスもゴールドとド派手。でも、あれくらいでないと「会場負け」してしまう。

  ・オープニングの歌を歌ったブライアン・アダムスが意外にまだ若かった(今いくつだ?)。

  ・国際オリンピック委員会会長の挨拶で、「ドーピングをしないように、不正をしないように」と注意していたのが、まるで小学校の運動会での校長先生の挨拶みたいだった(スケールは違うが)。

  ・選手宣誓でも「ドーピングはしません、薬物も使用しません」と言っていた。わざわざ言わなきゃならないようなことなのだろうか。

  ・聖火の点灯で、待機している聖火リレーの選手が4人なのに、柱が3本しか立たないのはおかしいし、ビジュアル的にもなんかショボい、と思っていたが、やはりアクシデントで柱の1本が立たなかったらしい。まあこんなこともあるさ。

  ・カナダ国旗やオリンピック旗を持っていた、赤い服に黒いズボンのカナダ森林警備隊(?)を見て、モンティ・パイソンのコント「ランバージャック」を思い出して噴き出しそうになった。あれが本物か~。ついでに「ランバージャックの歌」も思い出して更に笑えた。   
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バレンタインデー買出し大作戦

  今日の帰りにデパートに寄って、バレンタインデー(今年は15日に配るけどね)の買出しをしました。

  デパートは最上階に「バレンタイン・フェア」と銘打った特設会場をもうけ、だだっぴろいスペースに、たくさんの製菓会社、チョコレート会社の販売カウンターがすし詰めになって並んでいました。

  そこにまた、向こうが見えないほどたくさんの買い物客がひしめきあって、各店のカウンターの前で商品を選んでいます。当然のことながら、買い物客は99%が女性。年齢層も幅広いです。

  多くの店のカウンターを設置した結果、会場内はさながら迷路のように入り組んだ構造になっています。すべての店を効率よく回るため、会場に足を踏み入れる前に、脳内で巡回経路を何度もシミュレーションした上で買出しに臨みました。

  助かるのは、最近のチョコはほとんどがトリュフ型なことです。トリュフ型チョコは、見た目はゴージャスですが価格はお手ごろ、包装もおされな箱入りと、さも高級そうに見えるので、大量バラまき(←つまり義理チョコ)に最適です。

  なんてこたない、トリュフ型チョコというのは、早い話が「混ぜ物」で「かさ増し」した代物(ミもフタもない言い方でごめんなさいね)なのよ。チョコレートの割合が実は少ない。だから安いわけです。でも、どーせ男どもには分かんねーだろ。

  というわけで、義理チョコは安くて高級そうにみえる包装のお店でテキトーに買って、さて次なる問題は友チョコ以上をどうするかです。

  友チョコをあげるのはほとんどが女子、女子なら考えることはみな同じ、安いトリュフ型チョコの小細工など一発で見破られるに決まってます。友情崩壊に至る危険性大です。

  とゆーわけで、友チョコは「混ぜ物」のほとんどない、しっかりした純チョコを買いました。値段はやや高くついたけれども、友だちには本当においしいチョコをあげたいもんね。念入りに試食した上で選んだから、まあ大丈夫でしょ。

  どの店も、カウンターに並んでいる商品をじっと眺めてると、ほぼ必ず試食させてくれます。中には、試食用のチョコを持った白人のイケメン兄ちゃん店員に客を呼び止めさせ、試食→イケメンの目ヂカラ攻撃→商品購入という、女心をくすぐる巧妙な戦略で臨んでいる店もありました。

  なにせ全部の店を回ったので、しょっちゅうチョコを試食することになりました。店を回り終わるころには、試食したチョコレートのせいで胸焼けがしておりました。初めは、ついでに自分チョコも買おうかと思っていたのですが、なんかもう充分に食べたからいーや、と満足してしまい、結局は買いませんでした。

  ちょっと疲れたけど楽しかったです。タダでチョコもたくさん食べられたしね。   
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ボーン版『スワンレイク』日本公演主要キャスト

  日本公演の公式サイトで、ザ・スワン/ザ・ストレンジャー、王子役のキャストが発表されていました。

  ザ・スワン/ザ・ストレンジャー役はリチャード・ウィンザー、ジョナサン・オリヴィエ、王子役はドミニク・ノース、サム・アーチャーのダブルキャストだそうです。ザ・スワン/ザ・ストレンジャー役の1人、ジョナサン・オリヴィエはバレエ畑の人のようで、ノーザン・バレエ・シアターなどに在籍したことがあるそうです。

  秘書(執事)役と女王役は発表されていませんでした。秘書役と女王役も発表してほしいところですが。執事役として、スコット・アンブラーあたりが来てくれたら、話題になるのではないでしょうか。アンブラーが執事をやるんだったら、私も1回くらいは観に行きたいかも。

  ともかく、やはりアダム・クーパーは出演しない、ということになりました。個人的にはホッとしたというのが正直なところです。期待していたみなさまには無神経な言い草ですが・・・。

  若さが勢いよく迸る、映像版での小気味良いパフォーマンス、踊り、表現、演技すべてが絶頂を見せていた2003年の日本公演でのパフォーマンス、良い思い出でアダム・クーパーのザ・スワン/ザ・ストレンジャーを締めくくることができてよかった。

  さあ、私も「前に進まなくちゃ!」
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「マニュエル・ルグリの新しき世界」Bプロ(2)

  再び念を押します。Bプロに参加したダンサーたちのファンのみなさまは、くれぐれも読まないよーに。この(2)は特に。

  第2部。

  「マリー・アントワネット」(パトリック・ド・バナ振付)、ダンサーはアニエス・ルテステュとパトリック・ド・バナ自身。

  衣装が面白かったです。ルテステュはシースルーの白い生地で作られた、腕にフィットした肘までの袖口にフリルの飾りが幾重にもつき、また胸を寄せあげ、胴体部分をぎゅっと締めた感じのラインという、ロココ調のドレスを思わせる上着を着ていましたが、下は白いパンツだけで、しかも生脚でした。ド・バナはそれの男性版です。同じ素材の生地で、ロココ調デザインの長い上着とベスト、首にはスカーフを結んでいます。下はやはりパンツのみ。

  ルテステュとド・バナは舞台の真ん中に置かれた椅子にそれぞれ座り、それから立ち上がって踊り始めます。ルテステュは悲しみにくれた表情をしています。ベタな解釈をするなら、ルテステュはもちろんマリー・アントワネットで、しかも革命後に幽閉された身なのでしょう。ド・バナはマリー・アントワネットの人生、あるいは運命そのものといったところでしょうか。ちょうど、アルベルト・アロンソ振付『カルメン』の「運命」みたいなものでしょう。

  マリー・アントワネットの生涯を暗示するような振付の踊りでした。振付は「コンテンポラリー」だと思いますが、特に特徴的だとか、印象に残ったとか、すばらしいとか思った振りはありませんでした。どちらかというとワンパターンな動きが目立ちました。たとえば、ド・バナがルテステュの両腕を持って、ルテステュの身体を低く振り回すリフトとか。

  あとは踊りというより、演劇的な仕草を踊りっぽくした動きばかりでした。はっきり言ってルテステュほどのダンサーにはあまりに役不足で、彼女の才能を無駄に遣っていると思いました。

  天下のパリ・オペラ座バレエ団で、それこそ多くの優秀な振付家たちの、多種多様なスタイルの作品を踊りこなしてきたベテランのエトワールが、なんでこんなのに簡単に引っかかるのか、と疑問でした。

  「ハロ」(ヘレナ・マーティン振付)、ダンサーはヘレナ・マーティン自身。

  ヘレナ・マーティンはフラメンコ・ダンサーのようですが、腕や脚の動かし方は多分にバレエ的で、体つきは豊満ですが割とほっそりしています。スペイン国立バレエ団に長く在籍していたそうなので、純粋な民族舞踊としてのフラメンコ・ダンサーではなく、バレエと融合した創作舞踊としてのフラメンコ・ダンサーなのでしょう。

  縁に長い房のついた淡い金色のショールを大きく振り回しながら、舞台じゅうを旋回する動きがメインの振付でした。あとは少しばかり、激しくタップ(と言うのか?)を踏む動きもありました。

  繰り返しになりますが、なぜ一流の優秀なバレエ・ダンサーは、こういうのにいともたやすく引っかかってしまうのでしょうか?バレエしかやってこなかったから、他の世界を知らないのか?だから見たことのない踊りなら即座にすごい、と思ってしまうのか?しかも、なんでみな判で押したようにフラメンコに惹かれるんだろう?不思議でならん。

  「ドニゼッティ・パ・ド・ドゥ」(マニュエル・ルグリ振付)、ダンサーは上野水香、高岸直樹(ともに東京バレエ団)。

  当初の予定では、デヴィッド・ホールバーグが上野水香とこの作品を踊る予定でしたが、ホールバーグはフリーデマン・フォーゲルの代わりに「アザー・ダンス」を踊ることになったため、「ドニゼッティ・パ・ド・ドゥ」のリハーサルで、上野水香の相手役を務めていた高岸直樹が出演することになったそうです。

  フォーゲルの負傷にともなう一連の変更は、すべてマニュエル・ルグリの判断によるそうです。ホールバーグは元々「アザー・ダンス」をレパートリーとしていたようですし、高岸直樹はリハーサルでホールバーグの代わりに上野水香と踊っていたのですから、しごくまっとうな判断だと思います。

  この「ドニゼッティ・パ・ド・ドゥ」は、2007年の「ルグリと輝ける仲間たち」で、ドロテ・ジルベールとマチュー・ガニオ(ともにパリ・オペラ座バレエ団)が踊ったのを観ました。あの黒を基調にしたアゲハ蝶みたいな色彩の衣装で思い出しました。

  ルグリはパリ・オペラ座バレエ団の若手プルミエール・ダンスーズ、もしくは若手エトワール級のダンサーをこの作品の踊り手として想定していたわけで、もちろんクラシック・バレエのテクニックを最優先した振付です。

  上野水香と高岸直樹の踊りがどうだったかは言うまでもないですね。ですが、アダージョは、上野水香はむしろホールバーグと踊るよりは、高岸直樹と踊って正解だったんじゃないでしょうか。二人の踊りはよく合っていたと思います。

  会場に貼り出されていた掲示には、「ドニゼッティ・パ・ド・ドゥ」では男性ヴァリエーションは踊られない、と書かれていました。でも高岸直樹はヴァリエーションを踊りました。コーダもなんとか踊りぬきました。最後のマネージュでは脚がほとんど上がらなくなっていて痛々しかったですが、高岸直樹のダンサーとしてのプロ根性はすばらしいと思います。

  とはいうものの、いいかげんやめてほしいんです。上野水香を海外の有名ダンサーのガラ公演にねじりこんで、いわゆる「抱き合わせ販売」をすることによって、「上野水香は日本を代表するバレリーナである」という既成事実を無理に作っているとしか思えないやり方は。もちろん、上野水香がそうされるにふさわしいダンサーなら何の文句もありません。でも、少なくとも今の彼女はそれほどのダンサーではないと私は思うし、むしろ彼女をこういうやり方で甘やかしてチヤホヤすることで、逆に彼女の成長の芽を摘んでしまっているのではないか、そんな気さえします。

  上野さんに関しては面白いことが起きました。「ドニゼッティ・パ・ド・ドゥ」のカーテン・コールが終わって、幕が完全に閉じられて照明が暗くなったとき、幕の裏側から、トゥ・シューズで大股に歩いていっているらしい、ゴツゴツゴツゴツ、という大音響が聞こえ、それに続いてまたも大音響で、ガンガンガンガン、と階段を下りていっているらしいトゥ・シューズの音が客席じゅうに響きわたりました。こんなバレリーナは初めてです。ますます気持ちが滅入りました。

  「マリー・アントワネット」、「ハロ」、「ドニゼッティ・パ・ド・ドゥ」の3連チャンで、気分がすっごく盛り下がってしまいました。

  「失われた時を求めて」(ローラン・プティ振付)より“モレルとサン・ルー”、ダンサーはギヨーム・コテ、デヴィッド・ホールバーグ。

  サン・ルー(ギヨーム・コテ)がモレル(デヴィッド・ホールバーグ)に誘惑され、篭絡されてしまうシーン。コテもホールバーグも肌色の全身レオタードという衣装のため、身体のラインが露わな上に、まるで裸のようでギョッとする。ホールバーグは「アザー・ダンス」で下ろしていた前髪を撫でつけたオール・バックで、なおさら大人っぽく見える。コテは前髪を下ろしたままで、やや気弱そうで頼りない感じ。

  ストーリーははっきりしていて、デモーニッシュな雰囲気を漂わせながら時に強引に、時に甘く言い寄るモレルを、サン・ルーは拒みながらも徐々に彼に惹かれていき、ついにはモレルの足にキスをするに至る、という結末。

  額を出して髪を後ろに撫でつけたホールバーグが、サン・ルー役のギヨーム・コテを見据えながら、傲然とした態度でゆっくりと歩み寄っていく横顔が、なかなか迫力がありました。あらためて、ホールバーグは大人になったわねえ、と感慨深かったです。数年前の小林紀子バレエ・シアター『くるみ割り人形』(「レ・シルフィード」だったかな?)での、あの超ヘタレな踊りっぷりが夢のよう。

  振付は難しくありません。クラシックの振りをベースにして、二人が同じ振りで踊ったり、二人で組んで踊ったりというものでした。特に二人で組んで踊るとき、サン・ルーとモレルが互いの身体をエロティックに絡ませたまま静止する振りが多く、ホールバーグとコテの重なり合った身体と交差する手足が作り出すフォルムがとても美しかったです。

  ただ、モレル役のホールバーグはブロンドで背が高く大人びた顔立ち、サン・ルー役のコテは褐色の髪でホールバーグより背が低くて少年ぽい顔立ち、と見た目的にはバランスが取れていましたが、コテのテクニックがやや危なっかしくて、冒頭で一人で踊っているときは少し不安定でした。

  ふと思ったんですが、サン・ルーをフリーデマン・フォーゲルがやったらどうかなあ、と。イメージ的には似合うような気がするんですが。それとも、ホールバーグと背丈がそんなに変わらないかな?この踊りは、踊り手によってかなり異なった雰囲気を醸し出せる作品だろうと思いました。

  『三人姉妹』(ケネス・マクミラン振付)より別れのパ・ド・ドゥ、ダンサーはシルヴィ・ギエム、マニュエル・ルグリ。

  このBプロでギエムとルグリが何を踊ってくれるのか楽しみにしてたんだけど、結局はニコラ・ル・リッシュがマニュエル・ルグリに変わっただけなような気が・・・。ギエムとルグリで新しいことをやるんじゃなくて、ギエムの踊れる作品にルグリが付き合っているだけという印象が残りました。

  それでも第1部の「優しい嘘」は凄まじくすばらしかったですが、この『三人姉妹』はねー、なんというか。

  このパ・ド・ドゥは、ヴェルシーニン(マニュエル・ルグリ)がマーシャ(シルヴィ・ギエム)に別れを告げにやって来て、そこで踊られるものです。もちろんギエムは淡いクリーム色の膝下丈のドレス、ルグリは例の軍服姿です。

  『三人姉妹』最大の見せ場で感動的な踊りのはずですが、あのギエムとルグリが踊ったにしては、何の感動も抱けませんでした。ギエムもルグリもともに練習不足というか、踊りこみ不足のような印象を受けました。二人ともそこそこ踊っているけど、今ひとつ物語、ヴェルシーニンとマーシャの複雑に交錯する心情が伝わってきません。

  それから、ルグリはパワー不足ではなかったかと思います。もしくは、踊り全体が小さい上に、やたらと細かいステップにこだわり、目的が足技の披露に傾いていた観がありました。このシーンでのヴェルシーニンの踊りが持つはずの骨太さ、スケールの大きさが感じられません。

  精密な機械人形があわただしく踊っているような、ちっさい「別れのパ・ド・ドゥ」でした。パリ・オペラ座バレエ団のダンサーが踊ると、どうしてもこうなってしまうのでしょうか。

  ギエムがルグリに合わせて、『オネーギン』からタチヤーナとオネーギンの別れのパ・ド・ドゥを踊ればよかったと思います。それならすごく話題になったに違いありません。でもギエムはタチヤーナを踊ることを許可されていないそうですから、はなから無理な話ですが。なんでクランコ財団はギエムに踊らせないのかね?今どきは中国国立バレエ団だって、すっごいショボいセットとショボい踊りでも『オネーギン』を上演しているご時世だというのに。

  そんなわけで、個人的には、トリの『三人姉妹』が不発に終わってしまいました。こんなことなら、「優しい嘘」をトリに持ってきたほうがよかったかもしれません。

  またお金の話で恐縮ですが、これでS席19,000円は高すぎます。妥協しても15,000円くらいが適当だと思いますよ。実際のパフォーマンスから値段をつけるとすれば。2月もまだ初めにして、さっそく2010年の「少しくらい金返せ賞」候補が決まってしまいました。
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「マニュエル・ルグリの新しき世界」Bプロ(1)

  本日の公演に行ってまいりました。

  でも、9日(火)の公演に行くみなさま、Bプロに参加したダンサーたちのファンのみなさまは、くれぐれも読まないよーに。

  このBプロに参加するダンサーたちの名前に高いお金を払ったけど、残念ながらパフォーマンスでそれに見合うものを返してもらえなかった、という感じです。

  まずは第1部。

  「チャイコフスキー・パ・ド・ドゥ」(ジョージ・バランシン振付)、ダンサーはヘザー・オグデン、ギヨーム・コテ(ともにナショナル・バレエ・オブ・カナダ)。

  二人とも動きがぎこちなくてなめらかさが足りませんでした。練習不足か、それともこの作品を踊る能力がまだないのか。はじめて見るダンサーなので分かりませんが、オグデンとコテはたぶん、いつもパートナーを組んでいるのではないですか?それなのに、二人で組んで踊っているときの、この動きの硬さとぎこちなさはなんだろう、と不思議でした。

  ヴァリエーションやコーダでも、オグデンは必死に超絶技巧をこなしていて、結果ぎこちなさや不安定さが目立ってしまい、コテも振付を余裕なくこなしているのが分かって、観ていてハラハラしました。

  あとは、「チャイコフスキー・パ・ド・ドゥ」という作品を踊ることの難しさです。「チャイコフスキー・パ・ド・ドゥ」は、アダージョでは暖かく、ヴァリエーションでは軽快、コーダでは溌剌とした印象で、「困難」とか「複雑」とかいう言葉とは無縁なように見えます。でも、何度かこの作品をいろんなダンサーで観ているうちに、この作品は実は、振付の難しさに加えて、音楽に合わせて踊ることが最も重要で、しかもそのことが極めて困難なのだと今にして分かるようになりました。

  一番手でこのような作品を踊らなければならなかったオグデンとコテは、緊張もたぶんにあったのだろうとは思います。しかし、酷な言い方をしますけれど、オグデンとコテは、このBプロに参加した他のダンサーたちと比べると、明らかに技術でも表現力でも劣るダンサーです。ルグリの人選に疑問を感じました。

  「モペイ」(マルコ・ゲッケ振付)、ダンサーはフリーデマン・フォーゲル(シュトゥットガルト・バレエ団)。

  フォーゲルは首を痛めたとのことで、この作品のみの出演となりました。上半身は裸で、下は黒いズボンか足首まであるスパッツでした。

  そうそう、フォーゲルの格好で思い出したんだけど、芸人の江頭2:50も、いつも上半身裸で下は七分丈の黒いスパッツを穿いているでしょう。あのスパッツはチャコットで買っているんだそうですよ。江頭は意外と正統派だったんですね。

  フォーゲルの話でしたな。この「モペイ」という作品はコンテンポラリーです。どういう振付かというと、ゲームのインベーダーみたいな姿勢で、ささささ、っと横にカニ歩きをしたり、全身を痙攣させるように細かく動かしたり、あとは客席に背中を見せて踊ったり、というものです。振付自体はヘンでしたが、暗い照明の中で踊るフォーゲルの動き(とカラダ)が非常にすばらしく、意外にも見ごたえがありました。動きはしなやかだったし、あとはカラダそのものでモノを言っているような感じがありました。

  途中、フォーゲルは自分で自分のことを連続ビンタしてましたが、すっごく大きな音が響いていて、あれは痛くなかったのかしら。

  「スリンガーランド」((ウィリアム・フォーサイス振付)、ダンサーはアニエス・ルテステュ(パリ・オペラ座バレエ団)、パトリック・ド・バナ。

  ルグリが目下ほれ込んでいるらしいド・バナをはじめて見ました。まずは見事なV字型に刈り込まれた額に感動。髪が白髪まじりなのも渋い。顔も特濃。眉毛がぶっとくて目が大きくてギラギラしてる。クラシックのバレエ・ダンサーにはまずありえない、日本のガンコオヤジ的容貌で、どっちかというと、佐川急便のあの横縞のポロシャツ着て荷物運んでそうな感じだった。

  ルテステュの衣装はクモの糸をまんべんなく張りめぐらしたようなオフ・ホワイトのレースのチュチュで、スカートは横に細長い楕円形をしている弾力性のある一枚布。どっかで見たことあると思ったら、去年夏の「世界バレエフェスティバル」で、ルテステュはジョゼ・マルティネスとこの「スリンガーランド」を踊ってたんですね。今回は「世界バレエフェスティバル」よりも(たぶん)長めに踊ったので、ルテステュの踊りを堪能できました。ちなみに、ド・バナは同じような生地の全身タイツを着ていました。

  ルテステュの身体の柔らかさと動きのなめらかさ、美しい鋭さに目が釘付けでした。闇を切り裂くような白い長い手足の旋回が流麗で、動きの緩急も見事にツボを捉えていました。動きやポーズには隙がなく、たるみやぎこちなさも皆無。美しく、そして強靭。ルテステュはすばらしいダンサーだな~、とあらためて感動しました。

  ド・バナのほうはサポートとリフトに専念していたので、彼個人の踊りがどうかということはよく分かりませんでした。でも、パートナリングは絶賛するほど上手ではないと思います。ド・バナのパートナリングには若干ためらいや間があって、ルテステュが終始リードしているような印象を受けました。

  途中でド・バナが少し両手を動かして踊りました。腕の動きは非常に柔らかでした。でも、なんて言ったらいいのか、なんだか表面的というか、小器用さのようなものを感じました。身体の芯から動いているという感じがしないのです。

  「アザー・ダンス」(ジェローム・ロビンス振付)、ダンサーはオレリー・デュポン(パリ・オペラ座バレエ団)、デヴィッド・ホールバーグ(アメリカン・バレエ・シアター)。

  振付は非常にクラシカルで、時おりマズルカのような腕の形とステップが入ったものです。構成はまず男女が二人で踊り、次に男性がソロで踊り、次に女性がソロで踊り、次にまた男性がソロで踊り、次にやはり女性がまたソロで踊り、最後に男女が二人で踊る、というものです。つまり、男女が組んで2回踊り、更に男女それぞれがソロを2回ずつ踊るという非常にタフな作品です。

  フリーデマン・フォーゲルは最初この作品を踊る予定でしたが、首を痛めたために、ホールバーグが代わりに踊ることになりました。こんな作品では無理もありません。

  デュポンは淡いラベンダー色のシースルーのワンピース、ホールバーグは青のベスト、シャツ、淡い青のタイツという衣装でした。デュポンは本当に美女ですね~。ホールバーグも背がまた高くなったような?顔立ちも大人びて男前になって、体つきもたくましくなり、すっかり頼りがいのある大人のダンサーになりました。

  いきなり組むことになったという割には、デュポンとホールバーグが組んで踊っているときに、練習不足を感じさせるようなぎこちなさはありませんでした。更に、デュポンもホールバーグもテクニックがすごく安定していました。伴奏はピアノ1台のみで、ショパンのマズルカやワルツに合わせて踊っていきます。音楽が静かだと踊りが浮き立つように見えますが、デュポンもホールバーグも音楽に乗ってなめらかに、ゆっくりとためを置いて、確実な動きで踊っていました。

  更に良かったのが、表面的にははっきりしたストーリーのないであろうこの作品で、デュポンとホールバーグがきちんと物語を作り上げていたことです。そういう感じの音楽だから、と言ってしまえばそれまでですが、たとえ仲の良い恋人同士であっても、それぞれは別々の人間で、相手には明かさない喜びや葛藤や悩みがあり、自分の中に自分だけの大事な思いや感情を抱えつつも他人を愛する、そういうリアルな物語があったように思います。 

  「優しい嘘」(イリ・キリアン振付)、ダンサーはシルヴィ・ギエム、マニュエル・ルグリ。

  この公演いちばんの白眉です。この演目がなかったら、この公演を観ても後悔しか残らなかったでしょう。

  本物の優秀な振付家の作品を本物の優秀なダンサーたちが踊ればこうなる、というまさに見本でした。

  ギエムは胴体部分だけが紫という黒いレオタードに黒いタイツ、ルグリも紫のシャツに黒いタイツ、もしくはスパッツという衣装。この「優しい嘘」は、ギエムとニコラ・ル・リッシュがほんの短いパートを踊ったのを観たことがありますが、今回はだいぶ長く踊ってくれました。

  もう表現のしようがありません。振付はキリアンですから、なんとも形容不能です。尺取虫、もしくは多面体の長いブロックが物凄いスピードで移動しながら組体操をしていって、合体を繰り返してはその姿を次から次へと変えていく、とでもいえばいいのか。まさにバレエ版「トランスフォーマー」。

  ギエムとルグリのスピード、動き、ポーズ、タイミングの合わせ方がとにかく凄まじい。相手をいちいち待ってない。大体、振付そのものが相手を待つ余裕なんてない。磁石が吸いつくように、ギエムとルグリの身体が組み合わさっていきます。完璧です。動きの鋭さやなめらかさはもちろん、ポーズも決して崩れません。ステンレスのような光沢と硬さと強靭さ。

  あんな凄い踊りは観たことがありません。これからも観ることはないんじゃないか、とさえ思います。
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アナログ時代とデジタル時代の現在

  ずいぶん前の日記にも書いたことがありますが、私が若い時分、音楽を聴くメディアといえば、レコードかカセット・テープでした。

  でも、学生の頃はお金がないですから、レコードやカセット・テープなんてそうそう買えるものではありません。私の場合、音楽はラジオで放送されたものを空のテープに録音し、「マイ・ベスト盤」をいくつも作って聴いてたわけです。

  ついでにいうと、録音用の空のカセット・テープは、最初から音楽が録音されているカセット・テープよりも当然はるかに安いのですが、今から考えても、日本製のカセット・テープは品質が非常に良かったと思います。実家に帰ると、私が学生時代に作った「マイ・ベスト盤」が埃をかぶって今でも置いてあります。たまに思い出して聴くことがありますが、壊れた(音が伸びる、機械に巻き込まれる等のトラブル)試しがありません。

  最近テレビを観ていたら、アメリカのオーディション番組で、黒人のオペラ歌手志望の青年が見事優勝した話が紹介されていました。彼はニール・ボイドといい、黒人の父と白人の母との間に生まれましたが、幼い頃に父親が蒸発し、母親が一生懸命に働いて彼を育てたという生い立ちでした。

  ボイドの故郷は南部であったために、幼い頃からとりわけ偏見の目で見られて人種差別を受けたそうです。そんな中で彼を元気づけたのがたまたま聴いたオペラでした。彼はオペラ歌手を目指して、自分も働いて学費を稼いだ上で音楽学校に通いました。しかし、黒人であるがゆえにチャンスに恵まれず、やがて学費も払えなくなって音楽学校を中退し、その後は普通の職に就きました。

  それがオーディション番組で優勝して、ようやく歌手としてファースト・アルバムを出すに至った、という成功物語でした。

  ニール・ボイドの物語にえらく感動した私は、さっそくアマゾンで彼のCD(『マイ・アメリカン・ドリーム』)を購入しようとしました。ところが、購入者の評価を見たらさほど高くはなかったんですね。また考えるに、ボイドはテノールだそうです。私はテノールの声質の好き嫌いが激しく、特にイタリア系の軽くてカン高いテノールの歌声は好きではありません。

  ボイドの成功物語に感動したからといって、ボイドの歌にも感動するとは限らない、というごく当たり前のことに気づいた私は、アマゾンでの購入者の評価のおしなべて高いスーザン・ボイルの『夢やぶれて』を代わりに(?)買いました。

  それからふと思いついたのは、昔、学生の頃、ラジオ放送からカセット・テープにせっせと録音していた、好きだったあのたくさんの歌を、今なら購入できるのではないか、ということでした。

  記憶を手がかりに脳内再生してみると、今でもまだ好きそうです。というわけで、スーザン・ボイルのCDと一緒に、「大人買い」決定。

  ところが、曲は思い出せるんだけど、誰が歌っていたのか、歌の題名は何というのかがあやふやです。ひどい場合には歌手の名前も歌の名前も思い出せないものがありました。

  まず、歌手も曲名も覚えているものから始めました。ホール&オーツの“Say It Isn't So”と“Everytime You Go Away”。これはすぐに見つかりました。ともにホール&オーツのベスト盤に入っていました。ホール&オーツの曲は、今でもテレビCMでしょっちゅう使われていますしね。

  次に、エルビス・コステロの“I Wanna be Loved”。これはすぐに見つかるでしょう。ところが、エルビス・コステロの曲であることには違いないんだけど、曲名が分からないのが1曲あります。必死で記憶の糸をたぐりよせて、確か日本語で「造船」という意味の曲名だったことを思い出しました(辞書で調べたことがあった)。

  さっそくアマゾンでコステロのCDを検索し、「造船」という意味の名の曲が入っているアルバムを探しました。そしたらあった!“Shipbuilding”です。これに違いない。“I Wanna be Loved”も“Shipbuilding”もコステロのベスト盤に入っていました。購入決定。

  次は曲名だけが分かっていて、歌手が分からない曲です。曲名は“Salty Dog”。

  そこで今度はグーグルにご登場願いました。「ソルティー・ドッグ 歌」というキーワードで検索すると、プロコム・ハルムにズバリ“Salty Dog”というアルバムがあることが分かりました。これに違いない。アマゾンでプロコム・ハルムの“Salty Dog”を探すと、これまたすぐにCDが見つかりました。これも購入。

  困り果てたのが、歌手も題名も分からない歌です。2つありました。1つは歌のサビの部分が「ジャア~ァスザァ~トゥ~オバスッ!」という曲。「ジャア~ァスザァ~トゥ~オバスッ、ジャア~ァスザァ~トゥ~オバスッ」と念仏のように唱えていたら、これは“just the two of us”と言ってるのではないか?と思い当たりました。

  で、またグーグルで検索しました。ビンゴです。ビル・ウィザースに“Just the Two of Us”という曲があることが分かりました。アマゾンでビル・ウィザースのベスト盤の収録曲を見たらありました。喜んで購入しました。

  もう1曲は日本人の曲です。覚えている歌詞は途切れ途切れです。「海はつながれて夢を見ている」、「夢を見た日から今日まで走った」、「誰かを待ち続けて」、「残したものも残ったものも何もないはずだ、夏は終わった」等々。

  これらの歌詞をグーグルで検索しました。なかなか出ませんでしたが、何回か検索を繰り返して、ようやくムーン・ライダースの「くれない埠頭」という曲だと分かりました。CD出てるかいな、と思いましたが、『青空百景』というCDの中に入っていました。これも即買い。

  アマゾンの仕事は速く、2日後くらいには商品が到着しました。何から聴こうか、と迷いましたが、紙ジャケでおしゃれな装丁のプロコム・ハルムの“Salty Dog”をまず聴きました。およそ25年ぶりに聴く“Salty Dog”は記憶以上に凄い名曲で、間奏部分のピアノから2番目の冒頭に入っているチェロを聴いた途端、あまりな名曲ぶりに呆然として聴き入ってしまいました。

  アナログ時代の思い出の曲だけど、長い間その名が分からなかった曲が、現代のインターネットのおかげで歌手と曲名が判明し、20数年ぶりに再会することができました。毎夜、かわりばんこにこれらのCDを聴いています。便利な世の中になったものです。
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節分と立春

  2月3日は節分でした。去年の節分に近所のスーパーマーケットに行ったら、いつも働き者で客(と店員)に対して非常に腰の低い店長が、率先して赤鬼のコスプレをして「恵方巻き」を売ってました。

  んで、今年も興味本位でそのスーパーに行ってみました。そしたら、やっぱし店長、二本の角がついた金髪アフロのヅラをかぶり、赤い全身タイツを着て、トラの皮模様のパンツを穿いて、「らっさいせ~!!!」、「あざーす!!!」と元気に「恵方巻き」を売っておられました。

  でも、恵方巻きは外の特設カウンターで売ってるので、寒さに耐えかねてか、店長はこっそりと(?)赤いジャンパーを着てました(笑)。

  去年に引き続いて今年も店長の熱意に感動したので、いちばんお高い「特上海鮮恵方巻き」(798円)を買いました。

  今年の恵方は西南西だそうです。が、私は東西南北くらいは辛うじて分かる(←太陽の位置からテキトーに判断する)ものの、西南西なんて細かい方角はさっぱり分かりません。

  更に、恵方巻きはまるごとかぶりついて一気に全部を食べなければなりません。吉縁を「切らない」ためだそうです(←テレビのクイズ番組でやってた)。でも、去年それを実践した結果、食べ終わらないままに途中でギブするという苦い経験を味わったため、今年は思いっきり包丁で切っちゃいました。

  で、(たぶん)西を向いているテレビを観ながら、東向きで食べました。縁起が悪いって?大丈夫です。凶縁を「切って」食べたからね。おいしゅうございました(ビールも飲んだ)。

  そして2月4日、寒いながらも昨日は立春でした。そんな日に、朝青龍の横綱引退と民主党の小沢幹事長の不起訴が決まったわけですわ。

  昨日と今日は、日本でいちばん「品格」という薄気味悪いコトバが使われたんじゃないでしょうか。

  テレビがあまりにも品格品格と連呼するので、私はいいかげんうんざりしてしまい、「ヒンカクヒンカクとうるせーんだよこのヒンカク野郎」とひとりで秘めやかにヒステリーを起こしておりました。

  朝青龍はかわいそうです。日本社会独特の陰湿な嫌がらせにとうとう追いつめられて、ついに排除されてしまいました。排除される者に自ら身を引く、という表面的な形を取らせるところなんかも、いかにも日本的陰険さにあふれたやり口です。あれだけ散々バッシングしておいて、引退したら今度は「あれだけの横綱がいなくなるのは寂しいですね」などと平然と言ってのける。ああいやらしい。鳥肌が立つわ。

  日本のあらゆる組織は、家庭から会社に至るまで、ホメオスタシス(恒常性)というものを持っています。相撲界だってそうです。ホメオスタシスを脅かす存在は自然に排除されます。ホメオスタシスを脅かす存在とは、他とは「異質」な要素を持つ者たちです。

  朝青龍は異質な存在で、早い話が「優等生」、「模範生」、あるいは「いい子ちゃん」ではなく、強い自我と個性を持っていた。そのまま放置しておいては相撲界のホメオスタシスを崩壊させる危険がある、と目されたのでしょう。

  朝青龍が排除されることは、彼自身も言っていたように、「いつかはこうなる運命」だったのだと思います。私は朝青龍のこの言葉を聞いて、朝青龍は「日本の伝統文化が理解できない」どころか、逆に「日本の伝統文化」、ひいては日本の社会が持つ「出る杭は打たれる」的本質を直感的に見抜いていたのだな、と思いました。

  相撲界と日本のマスコミは、朝青龍が何か失敗するその都度、それを大仰に騒ぎたてて彼に非難の大合唱を浴びせました。そんなことが何年間も、何度も続けば、誰だっておかしくなるに決まってます。つまり、お前はダメだ、と長い間、また繰り返し言い続けると、ダメだと言われた人は無意識のうちに周囲のそうした「期待」を受け入れ、そのとおりの行動を取るようになります。

  これは非常に日本的な、巧妙かつ陰険な罠です。朝青龍はそれにはまってしまったように思います。でも、そもそも、彼はどんな「失敗」をしたのでしょう?自分の故郷と家族を愛して、頻繁に帰って何が悪いのか?腕を怪我していたときに、足だけでできるサッカーをして楽しんで何が悪いのか?土俵上で闘志をむき出しにして何が悪いのか?

  朝青龍に「品格がない」というのなら、自由投票であるはずの選挙で談合を行なうことは品格のあることなのか?自由投票した者を裏切り者と罵って追い出そうとすることは品格のあることなのか?

  相撲は日本の伝統文化であり国技である、といいますが、現在の相撲興行の祖形ができあがったのは、たかだか江戸時代でしょう?現在の形態に定まったのは明治時代。長くても300年、厳密にいえば100年ちょっとの歴史しかない。実はこんなに歴史の浅い相撲が、何が「日本の伝統文化」か、何が「国技」か。カタハラ痛いわ。

  「伝統文化」だの「国技」だのといくら気取ったところで、相撲界も結局は日本的利権集団の一つに過ぎません。同じような利権集団であるマスコミも相撲界に追随する。角界ではよそ者である朝青龍の失敗は許されませんが、角界のサラブレットである貴乃花の失敗は許される、どころか英雄視される。よそ者に厳しく、身内に優しい。

  日本の社会の嫌な面を見せつけられて、ほんとにうんざりしました。私は朝青龍に言いたい。日本人の偽善の批判など気にする必要はないよ。将来はぜひモンゴル大統領になって、日本と断交して見返してやりなさい。

  民主党の小沢幹事長が不起訴になったことについては、あ~あ、という感じです。東京地検特捜部の優秀な検事といえど、しょせんは坊ちゃん育ちで出世街道を順調に歩んできた苦労知らずのエリート役人、世の中の清と濁、政界の表と裏、人間の善と悪、美と醜など、すべての相反する要素をまぜこぜにして塑造したような「人間ブラックホール」小沢幹事長の敵ではなかった、ということなのでしょうか。

  今度は鳩山首相を狙うのでしょうか。でも、鳩山首相は小沢さんとは違って高貴な生まれ育ちですからね。鳩山首相のお血筋は、さかのぼれば明治の元老、大名・公家をはじめとする旧華族につながるのではないでしょうか?それに戦中戦後の新興実業界が結合した完璧な家系です。捜査は別の意味で難しいような気もします。

  鳩山首相が母親から1ヶ月に1,000万円のお小遣いをもらっていたことを、野党は「非常識」とか非難してるけど、まったくナンセンスです(まあ、野党の人々はナンセンスなのは承知の上で、国民に向けたパフォーマンスとして敢えて攻撃してるのだろうけど)。

  街頭インタビューとかでも、批判して怒ってる市井の人々が多いけど、鳩山首相は上流階級の人なんです。桁外れの額のお小遣いは、上流階級では当たり前のことなんです。だから、庶民の尺度を当てはめて批判したり怒ったりするのはお門違いです。批判して怒るべきなのは、鳩山首相のような上流階級の人間でないと政治に携わることが事実上不可能な日本の政治システムそのものでしょう。

  また日本には鳩山首相みたいな上流階級が存在すること、ひいてはそうした上流階級の人々が日本の政治・経済・文化を壟断していることも、鳩山首相のおかげで明らかになりました。

  むしろ、憲法の下に人はみな平等であるはずの「民主主義国家日本」の化けの皮がはがれて、日本という国の正体がむき出しになったことに対して、私は鳩山首相に感謝してさえいるのです。 
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