フェデラー伝説 1-2


 ルネ・シュタウファー(Rene Stauffer)著『ロジャー・フェデラー(Roger Federer Quest for Perfection)』第1章(Chapter 1)その2。

  誤訳だらけでしょうが、なにとぞご容赦のほどを。

  第1章の後半は、ロジャー・フェデラー様ご幼少のみぎりについての逸話でございます。


   ・ロジャー・フェデラーの両親、ローベルトとリネットが勤務していたチバ製薬会社が、バーゼル近郊にあるテニス・クラブを後援することになったのにともない、フェデラー一家は揃ってテニスに打ち込むようになった。
   ・特に、リネットはすばらしい才能を発揮し、スイス・テニス・クラブのシニア大会チームの一員に選ばれたばかりか、テニス・クラブのジュニア部のコーチになったほどだった。後に、リネットはスイス室内(スイス・インドア)組織委員会の仕事に携わることになる。
   ・ローベルトもテニスに夢中であり、地域ランキング入りするに至った。もっとも、後に夫妻は、ゴルフに熱中するようになったが。

   ・リネットは赤ちゃんだったロジャーをよくテニス・コートに連れて行った。1歳半にして、ロジャーはテニス・ボールで何時間も遊び続けた。まだ歩けなかったけれども、ロジャーは自分の手より大きなボールをうまくつかむことができた。
   ・ロジャーは3歳半で、初めてボールをネットの向こうに打った。4歳のとき、ロジャーはボールを20球か30球も立て続けに打てるようになった。父ローベルトは「ロジャーの動きは信じられないくらい美しかったんですよ」と力説した。(←多分に親の欲目が入っていると思われる。)

   ・フェデラー家は裕福でもなく貧しくもない、堅実なスイスの中流階級だった。ロジャーはバーゼル郊外のミュンヘンシュタインにある、静かな環境の中の庭付き団地(日本でいえばメゾネット・タイプのアパートみたいな建物)で育った。(←後の章を読むと、経済的余裕のほとんどない質素な家庭だったようです。)

   ・ロジャーは感情が激しくて気の強い、難しい子どもだった。ボード・ゲーム(人生ゲームみたいなやつ)でさえ、ロジャーにとって負けることは大惨劇を意味した。ロジャーは普段は「良い子」だったが、何かが気に入らないと、とたんに攻撃的になった。癇癪を起こしたロジャーによって、ボード・ゲームのコマが居間にぶちまけられることは日常茶飯事だった。(←プチ星一徹)

   ・学校で教師たちに対してであれ、また家で両親に対してであれ、スポーツに対してであれ、ロジャーはいつも自分が満足するようにやったし、状況を自分の思いどおりに変えようとした。(←ガキのくせに「オレはオレのやりたいようにやる」というナマイキな性格だったということ。)
   ・ロジャーは活発で、元気の塊であり、時どき手に負えなくなった。気に入らないことをやるよう強制されると激しく反抗し、飽きると口答えするか無視した。父のローベルトが、テニス・コートでロジャーに教えているときでさえも、ロジャーは父のほうを見向きもしなかった。
   
   ・ロジャーは友だちの間では人気者で、人懐っこく、偉ぶらず、お行儀も良くて、そして運動神経が良かった。ロジャーはスキー、レスリング(←へぇ~)、水泳、スケートボード(←ほぉ~)などをひと通りやったが、とりわけ球技、サッカー、ハンドボール、バスケットボール、卓球、テニスに夢中になった。家では、隣の家との塀を使ってバドミントンもやった。(←お隣から苦情が来たのでは?) 学校の行き帰りにはボールを常に持ち歩き、憧れの存在の一人はマイケル・ジョーダンだった。

   ・一方、学校の授業では、勉強に集中することやじっと座っていることが嫌いだった。学校ではやる気のない生徒であり、成績も平凡だった。(←授業中のフェデラーのやる気のない態度は後にもっとひどくなり、学校側がしょっちゅう激怒するほどになる。)

   ・両親は息子のしたいようにさせ、強制はしなかった。ロジャーはとにかく動いていなければ落ち着かず、そうでないと我慢の糸が切れてしまうからだった。両親は息子があらゆるスポーツに挑戦することを重んじ、ロジャーが幼いころに地元のサッカー・クラブに連れて行った。チームメイトたちとの協調性を育むことを学び、選手にもなれるようにとの考えからだった。

   ・母リネットは、自分自身で息子にテニスを教えようとはしなかった。自分には充分な適性がないと考えたからである。それに、息子とテニスをしても、母は息子のプレーにとにかく意表を突かれっぱなしだった。「ロジャーはいつもふざけてばかりでした。あらゆる変わったストロークを試みて、普通にボールを打ち返してくることは決してありませんでした。これでは楽しいわけないですよね。」

   ・ロジャーは何時間もテニス・ボールを打ち続けた。最初は外壁、次に車庫のドア、更に自分の部屋の壁、ついには家の戸棚にまでボールを打ちつけるようになった。絵画、写真、食器類が粉々になり、姉ダイアナの部屋も弟による破壊の被害を蒙った。

   ・姉ダイアナは弟のせいで心休まる時がなく、乱暴者の弟の悪行を耐え忍ばなければならなかった。ダイアナが友だちと一緒にいると、弟ロジャーが常に乱入して騒ぎまくり、ダイアナが電話していると、弟は姉から受話器をひったくってしまうのだった。「あの子は本当に小さな悪魔だったわ」とダイアナは言った。

   ・才能に恵まれた者の兄弟姉妹の例に漏れず、自分が弟の陰に隠れてしまうことは、ダイアナにとっては辛いことだった。後にロジャーがテニス選手として有名になると、家族で出かけたときには、ロジャーがおのずと人々の注目を一身に集めることになった。
   ・しかし、母リネットはダイアナに味方した。「ダイアナ、あなたは私よりまだマシよ。多くの人々が私に話しかけてくるわ。でも、彼らの話題といえば、いつもロジャーのことばかりよ。」

   ・姉ダイアナは後に仕事熱心な看護師となり、弟ロジャーの試合はたまにしか観なかった。母リネットも同じで、2005年、ロジャー・フェデラーが上海マスターズに出場していたとき、ロジャー・フェデラーの母と姉は、試合中だったにも関わらず、試合会場を去って南アフリカ旅行に出かけてしまった。
   ・ダイアナは弟のロジャーのことを誇りに思っているが、しかし弟の陰に隠れるつもりは毛頭なく、弟のキャリアの詳細を熱心に知ろうともしなかった。よって、弟の対戦相手がどんな選手であろうと、彼らの対戦成績や過去の事情についてもまったく知識がなかった。   


  冷静沈着で紳士でスマートで華麗なるロジャー・フェデラーは、両親でさえ手のつけられない乱暴者の悪ガキだった!こんな悪ガキが家の中にいたらイヤだよなあ。ところで、フェデラーが家の中でところかまわずラケットでボールを打ちまくり、家具や調度を破壊し尽くしたというくだり、何かを思い出しません?

  そう、ナイキのあの大爆笑CMです。フェデラーが家に帰ると、なぜかコーチがタンスの中から飛び出してきて、フェデラーとボールを激しく打ち合って部屋中を破壊しまくり、最後にフェデラーがタンスにフォアの強打でボールを打ち返し、コーチごとタンスを倒して壊してしまうというオチ。あれはフィクションではなく、事実に基づいた(?)内容だったんですね(笑)。

  あと、フェデラーのお姉さんであるダイアナさん(←リネットさんにそっくり)に関するくだりでは、母リネットさんの賢明さが際立ちます。

  多くの場合、両親は才能のある子どもにばかり目を向けて、他の兄弟姉妹のことは気にかけなくなります。シュテフィ・グラフ一家はその典型例です。グラフの両親は娘のシュテフィを溺愛し、シュテフィの弟はテニス選手として大成できず、他の職業に就いて自立もできず、結局はシュテフィ・グラフの名ばかり「マネージャー」として、姉の後につき従い、姉の収入に依存して生きる結果となりました。

  フェデラー母リネットさんと姉ダイアナさんが、フェデラーの試合中にさっさと旅行に出かけてしまったというエピソードには爆笑でした。まさに、この家族にしてこの子あり。家族のそれぞれが自立し、互いに適切な距離を保つことがいかに大事かがよく分かります。

  そういえば、選手である息子/娘の試合にいつでもどこでも駆けつけ、一家揃って応援している家族がいるけど、彼らは何の仕事してるんだろうか?20代の選手の親とかなら、まだ働き盛りの年齢だろうに、もし無職とかで、息子/娘の収入で生活してるんだったらイヤな話だなあ。

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マリインスキー・バレエ日本公演キャスト変更


  ちょっとはバレエの話題も入れとこう。

  この11~12月に行なわれるマリインスキー劇場バレエ日本公演、すごい降板劇が起こりましたね~。びっくりした。

  ヴィクトリア・テリョーシキナ、アリーナ・ソーモワ、アナスタシア・マトヴィエンコが降板、代わりにエカテリーナ・オスモールキナとオクサーナ・スコーリクが参加するとのことです。

  オスモールキナは、数年前のボリショイ&マリインスキー合同公演で観たことがありますが(マリインスキー・バレエ日本公演でも観たかも?)、オクサーナ・スコーリクはたぶん観たことがないです。スコーリク、どんなダンサーなんだろ?

  私はテリョーシキナが来られなくなったことがかな~りショックです。テリョーシキナ主演の『ラ・バヤデール』のチケットを取ってたもんで。テリョーシキナの踊るニキヤ、本当に楽しみにしてたんだけどな~(泣)。

  テリョーシキナ、ソーモワ、マトヴィエンコの降板にともない、大幅なキャスト変更が行なわれました。私が観る予定だった公演では、こんなふうになりましてん。


  『ラ・バヤデール』11月24日(土)

   ニキヤ:(旧)ヴィクトリア・テリョーシキナ→(新)エカテリーナ・コンダウーロワ
   ソロル:(旧)ウラジーミル・シクリャローフ→(新)エフゲニー・イワンチェンコ
   ガムザッティ:(旧)アナスタシア・マトヴィエンコ→(新)エカテリーナ・オスモールキナ

  『ラ・バヤデール』11月26日(月)

   ガムザッティ:(旧)アナスタシア・マトヴィエンコ→(新)エカテリーナ・コンダウーロワ

  『白鳥の湖』11月20日(火)

   オデット/オディール:(旧)エカテリーナ・コンダウーロワ→(新)ウリヤーナ・ロパートキナ


  テリョーシキナが観られないこと、またコンダウーロワのオデット/オディールが観られなくなったことは確かに残念ですが、私の場合、変更後のキャストに対して大きな不満はないです。

  特に、コンダウーロワのニキヤとガムザッティを同時に観られるなんて、これは面白い体験ができそうです。また、ウリヤーナ・ロパートキナの、この上なくすばらしいオデット/オディールを再び目にできることになり、これまた嬉しい限り。

  実直そうで頼もしいイワンチェンコのソロルが観られるのも嬉しいサプライズですし、可憐な雰囲気のエカテリーナ・オスモールキナが、どんなガムザッティを演じ踊るのかも楽しみです。

  でも実は、ウラジーミル・シクリャローフを観ないで済むことになったのが、最も嬉(以下自粛)


  余談。11月30日(金)、12月1日(土)、2日(日)に行なわれる予定の上海バレエ団日本公演(デレク・ディーン版『白鳥の湖』)についてですが、今のところ、主催元である光藍社の公式サイトには、変更などに関するニュースは載っていません。

  なんつーか、こういうことからも、中国政府が問題のソフト・ランディングを希望していることがうかがわれると思います。あくまで今の時点では、ですが。

    
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気遣われました


  この前の、中国全土で行なわれた反日デモのさなかに多発した「暴力、破壊、略奪」事件の続報。

  あれは、中国政府の計算外の事態だったらしいです。中国政府の現執行部は頭を痛めているそうな。というのは、あの一連の犯罪行為は、やはり現執行部(胡錦涛、温家宝ら)と次期執行部(習近平ら)に打撃を与えるために、全国規模で組織的に行なわれた政治闘争だったという話です。

  今さら知ったかぶりで言いますが、前の記事(「官製デモの作り方」)を書いた後、ふと不思議に思ったのは、建物を破壊したり、商品を略奪したりといった犯罪行為がなぜ撮影されて、その映像や画像が海外メディアに流出したばかりでなく、中国国内のウェブ上にも投稿されまくったのか?ということでした。

  中国国内でも、あの破壊や略奪行為の画像や映像はあちこちにアップロードされていて、政府によるチェックと削除が追いつかない状態になったそうです(文字テキストと違い、画像や映像は検閲がしにくい)。

  若者を中心とした中国人たちは、同胞による犯罪行為の映像や画像を観て激怒、犯罪行為に加わっていた個人を特定する動きがネット上で起こり、そのうちの何人かは、なんと現役の公安(警察官)であることが判明しました。

  彼らは「便衣」といって、私服警察官とか潜入捜査官のことなんですが、これらの日本語とは語感が違います。「一般の民衆に紛れて悪いことをする」警察官、刑事、下っ端のスパイといったニュアンスがあります。

  これらの「便衣」がデモ参加者を煽って、もしくは最初から暴力行為を行なう人員を組織して、ああいった犯罪行為をわざと行ない、その映像をメディアに流出させて、胡錦涛や習近平の権力を弱めようとしたという見方が強いそうです。ただ、暴動を煽った公安関係者個人が特定されることまで予想していたのかどうかは不明です。

  目下、胡錦涛の命令によって、デモに便乗した犯罪行為の黒幕が誰なのかについて調査が行なわれており、次期主席に決定していて、国内外で今から騒乱を起こしたくない習近平は、いきり立つ軍部に冷静な対応を求めているんだとか(もっとも習近平は、反日デモそのものについては是認しているという)。

  なんで公安が先に立って犯罪行為をしたのかというと、中国の公安局はもともと薄熙来との繋がりが強く、権力闘争に敗れた薄熙来の復権を狙ったらしいです。

  ご存知のとおり、薄熙来は「唱紅」(共産主義革命の原点回帰、すなわち極左主義復活、資本主義的経済体制・改革開放政策の否定)という政治運動を起こし、公安局を使って、「腐敗」(汚職など)を行なったとされる人々を、強引な手法で(←冤罪や捏造事件をでっちあげて)逮捕することで、経済格差、物価の高騰、政治腐敗などに不満を抱いている大衆の支持を得ました。

  そうして現執行部と次期執行部に対立して圧力をかけ、権力の奪取を図ったのですが、現執行部と次期執行部が先手を打って、薄熙来の妻を殺人事件の容疑で逮捕し、それがきっかけになって薄熙来は失脚しました。

  日本でも報じられたように、今回のデモでは、なぜか全国的に毛沢東の写真や薄熙来の名誉回復を訴えた同じスローガンが掲げられたわけです。文化大革命(1966-77)を経験している世代の中国人たちはあの様子を見て、これは今までの反日デモとは違う、文化大革命と酷似している、と直感して戦慄を覚え、自分の子どもたちや孫たちに対して、今回のデモには決して参加しないよう言い含めたそうです。

  反日デモ便乗犯罪の黒幕が誰なのかについて、また面白いニュースが回ってきたら書きますね。

  韓国政府が、日中両国の冷静な対応を望む、的な声明を発表したことにも驚いた、と前の記事に書きました。韓国の人に聞いたんですが、実は韓国も、東シナ海のなんとかという島の領有権をめぐって、中国と争っているんだそうです。

  だから、中立的で無難な意見しか発表できないのだということです。中韓の領土問題は日中の領土問題よりも更に面倒です。中韓が領土問題で大騒ぎすれば、北朝鮮も領有権を主張して出てこざるを得ないし、北朝鮮が出てくれば、今度は朝鮮半島の情勢そのものが不安定になりかねないからです。

  領土問題って、結局は政治の問題なわけです。しかも、単なる面子の問題。庶民にはほとんど関係ない。それなのに、中国、韓国、日本のどこにでも、感情的に煽られてしまう一般の人たちがいる。

  感情的になる前にさ、知っておくべきことや考えておくべきことはたくさんあると思うんです。たとえば、「国有化」という行為は、日本と中国とでは重みがまったく違うこととか。

  中国では、すべての土地が国家のもの、つまり「国有地」です。日本では、私有地がほとんどです。日本の「国有地」といえば、大多数の人は、せいぜい森林だの山だのを思い浮かべる程度でしょ?だから、「国有化」といわれても、日本人にはそんなに重い意味を持つ行為とは思えない。でも、中国人にとっては、「国有化」とはすなわち「国の領土化」です。だからショックも大きかったわけです。

  そういう背景も知っておかなくてはならないし、まして、今回の件だけで、いきなり自衛隊の権限拡大とか、憲法改変とか、そういう宇宙の彼方に話がぶっ飛んではいけないと思いますよ。それは中国人も同じで、尖閣問題を利用して政治権力を握ろうだの、日ごろの鬱憤を晴らそうだの、日本人をリンチしてやろうだの、日本製品ボイコットだの、全面戦争だの、野蛮かつ実現不可能なことを叫んだりやったりしてはいけません。

  私が韓国の人と話していたところには中国の人も偶然いました。最後に三人で、ほんと、しょーもないよねえ、とため息をついた次第。

  で、その後に、中国の人と二人で歩いていたら、顔見知りだけど互いに名前は知らない同僚と出くわしました。その人はとても良い人で、「今回の日中の問題には心配しています」と言いました。そして興味深いことを口にしました。「私は沖縄の出身なんで、中国が領有権を主張する事情も、少しは理解できるんです。」

  私は心中、へえ、それは面白い意見だな、と思いました。詳しく聞こうとしたら、その人は私たち(私と中国人1名)に向かって言いました。「だから、あなたがたお二人のような中国の人々のお気持ちや立場は分かります。しばらくはお辛いでしょうが、頑張って下さいね。」

  この人は私のことを中国人だと思い込んでいる、と分かった以上、私にどんな反応ができたでしょうか。私は「ア、アリガトザイマス」とカタコト日本語で答えるしかありませんでした。

  最後に「またお時間のあるときにでもゆっくりお話ししましょう」とその人は言い、穏やかな微笑を残して去っていきました。

  その人の姿が遠くに過ぎ去ると、中国人は大爆笑。「あの人、あなたのことを中国人だと思っているよ!」

  いずれ「お時間のあるときにゆっくりお話しする」ときになったら、私はどうすればいいのか、日本人だとカミングアウトすればいいのか、中国人のフリをし続ければいいのか、今から悩んでいます。

  冗談はともかく、尖閣諸島の問題について、沖縄や石垣島の人々はどう思っているのか、という視点は、私は考えつきもしませんでした。沖縄の首長である人々はともかく、一般の人々はどう考えているのでしょうか。これはとても重要な問題提起でした。

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フェデラー伝説 1-1


 ルネ・シュタウファー(Rene Stauffer)著『ロジャー・フェデラー(Roger Federer Quest for Perfection)』第1章(Chapter 1)。

  誤訳だらけでしょうが、なにとぞご容赦のほどを。

  第1章は、ロジャー・フェデラーの両親、ローベルト・フェデラーとリネット・デュランの履歴を簡単に記した後、ロジャー・フェデラーの子ども時代について紹介しています。(注:ロジャー・フェデラーの父、Robert氏の名前はどう発音するのが正しいのか分かりません。"Federer"はドイツ系の名字であることは確からしいので、とりあえず「ローベルト」にしておきます。)

  あくまでロジャー・フェデラーの伝記なので、その両親の経歴については手短かに述べるのは当然としても、どうもフェデラーの両親は、自分たちのことについては、あまり詳しい話をしなかったのではないかと思える節があります。

  フェデラー母のリネットさんはそれでも率直に物を言うタイプのようですが、問題はフェデラー父のローベルト氏。ローベルト氏は寡黙なタイプらしい上に、更に自分に関する話となると、喩えや曖昧な表現を用いることが多く、何を言いたいのかよく分かりません。ローベルト氏は、ツッコめばかなり面白い人物なのではないかと思います。

  ロジャー・フェデラーの顔は、父親のローベルト氏と瓜二つで、特に眉と目もとはそっくりです。親子とはいえあまりに激似なんで、最初にローベルト氏を見たときには噴き出してしまいました。そのローベルト氏は現在60代半ばながら、髪はロマンスグレーのフッサフサです。だから、おそらく息子のロジャー・フェデラーもハゲることはないと思われます。ファンのみなさま、ご安心あれ。


   ・ロジャー・フェデラーの父、ローベルト・フェデラーはスイスのベルネックの出身で、繊維労働者の父と専業主婦の母との間の子として生まれた。20歳で故郷を離れてバーゼルにたどり着き、バーゼルを本拠地とする大手製薬会社のチバ(現ノバルティス)の研究所に就職した。
   ・4年後の1970年、ローベルトは「放浪癖の衝動に駆られ」、スイスから離れて外国に移住する決意を固めた。ローベルトは移住先としてたまたま南アフリカを選んだ。当時、南アフリカはアパルトヘイト下にあったため、ローベルトは比較的容易に移民ビザを取得することができた。(←ヨーロッパ系白人であったので。) ローベルトはヨハネスブルク郊外のケンプトン・パークにあった、チバ南アフリカ支社に再就職した。

   ・ローベルトは職場で、秘書として働いていた18歳のリネット・デュランと出会った。アフリカーンス語がリネットの実家の農園で話されており、リネットの父は現場監督、母は看護師であった。(←リネット・デュランは典型的なアフリカーナーであったということ。) しかし、リネットは英語で授業を行なう学校に進学し、できるだけ早くヨーロッパに移住するための貯金に励んだ。リネットはイギリスに移住したいと考えていた。

   ・ローベルト・フェデラーとリネット・デュランは交際を始めた。ローベルトは南アフリカに移住してから趣味でテニスを始め、リネットもローベルトと一緒にテニスを楽しむようになった。ローベルトとリネットの交際は順調で、アパルトヘイトに影響されることはほとんどなかった。


  ロジャー・フェデラーの両親、ローベルト・フェデラーとリネット・デュランについてまず分かるのは、彼らはともに労働者階級、しかも昔の言い方だと「ブルーカラー」の家庭の出身だということです。そして、ともに自身が生まれ育った、社会的・地域的・人種的・民族的コミュニティにまったく執着していなかった、むしろそこから離れたがっていた点でも共通しています。

  「アパルトヘイトが彼ら(ローベルトとリネット)に影響を及ぼすことはほとんどなかった」とは、何を意味しているのか分かりません。ヨーロッパ系白人であるローベルト・フェデラーと、当時の南アフリカで、イギリス系白人と微妙な関係にあったアフリカーナーとはいえ、同じく白人であるリネット・デュランとが交際することは、アパルトヘイトの諸々の法律に別に抵触しなかったと思うのですが。


   ・1973年、ローベルト・フェデラーはリネット・デュランを連れて、スイスのバーゼルに戻った。なぜスイスに戻ったのか、ローベルトはその理由をうまく説明できず、「渡り鳥が故郷に帰るような感覚を抱いたのです」と言うだけだった。
   ・バーゼルに戻ってからも、ローベルトはなぜ南アフリカに留まらなかったのか、と自問自答し続けた。というのは、リネットが、スイスという地域とスイスの人々の狭い物の考え方に、やりにくさを感じていることを知っていたからである。しかし、リネットは「急速に適応することができました」と振り返る。


  フェデラーの両親に関する記述はここで終わっています。結局、南アフリカで何かあったのか、フェデラー父のローベルト氏がなぜバーゼルに戻ったのかは明記されていません。ただ、フェデラー母のリネットさんが、スイスという慣れない外国の土地でかなり苦労したことがうかがわれるのみです。

  また、とりわけローベルト氏が、依然として祖国だの故郷だのに執着しない考えの持ち主だったことも分かるし、祖国に対して嫌悪感さえ抱いていたんじゃないかという印象を受けます。理由はまったく分かりませんが。

  ローベルト氏とリネットさんのこの傾向は以後も変わらなかったようで、10数年後には「フェデラー家オーストラリア移住計画」が持ち上がります。ローベルト氏がチバのオーストラリア支社に赴任したのにともない、家族がオーストラリアに旅行に行ったら楽しかったから、というだけの理由で。

  しかし、テニス選手として専門的な訓練を受けていた最中だった息子のロジャーのことを考えて、「フェデラー家オーストラリア移住計画」は白紙に戻されました。


   ・ローベルト・フェデラーとリネット・デュランは正式に結婚し、1979年に娘のダイアナが、1981年に息子が生まれた。息子はロジャーと名づけられた。ロジャーと名づけたのは、英語でも発音しやすいようにという理由からだった。両親は、英語で発音しやすい名前であれば、彼らの息子の将来にいつか役立つかもしれないと考えた。「フェデラー」という姓は、スイスでも非常に珍しいからである。


  しかし、ローベルト氏とリネットさんの傾向からすると、「フェデラー」という名字が珍しいから、ファースト・ネームを英語風の「ロジャー」にしたというよりは、いかにもドイツ風な名前を避けたからではないか、と思います。お姉さんの名前「ダイアナ」も世界中にある普遍的な女性名ですしね。

  スイス人であるローベルト氏は、南アフリカ人であるリネットさんと結婚しました。二人が交際を始めてから9~10年後の1979年、ようやく長女のダイアナさんが生まれています。

  ロジャー・フェデラーも、スイス国籍とはいえ、スロヴァキアからの移民であるミロスラヴァ・ヴァヴリネック(ミルカさん)と結婚し、ミルカさんと交際を始めてやはり9~10年も経った後、やっと子どもをもうけました。

  親子といっても、こんだけやることがそっくり似てるというのは面白いですね。意識的なものであれ、無意識的なものであれ、やっぱり親の影響というのは大きいんだなあ。

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フェデラー伝説(序章)


 ルネ・シュタウファー(Rene Stauffer)著『ロジャー・フェデラー(Roger Federer Quest for Perfection)』序章。

  誤訳だらけでしょうが、なにとぞご容赦のほどを。

  シュタウファーは、歴代の名選手たちのほとんどが、10代のころから早々と頭角を現していたことを指摘しています。


   ・男子選手では、ボリス・ベッカー、ステファン・エドバーグ、ジョン・マッケンロー、ビヨン・ボルグ、ピート・サンプラス、アンドレ・アガシ、マッツ・ヴィランデル、ラファエル・ナダルなど。

   ・女子選手では、シュテフィ・グラフ、トレーシー・オースティン、アンドレア・イェーガー、モニカ・セレス、ジェニファー・カプリアティ、アンナ・クルニコワ、マルチナ・ヒンギス、マリア・シャラポワ、ヴィーナス・ウィリアムズ、セリーナ・ウィリアムズなど。

  
  面白いのは、そうした10代の天才選手たちに、大人たち(マネジメント会社、記者、評論家、コラムニストなど)が群がる様を紹介していることです。


   ・マルチナ・ヒンギス(チェコ出身、後にスイス国籍を取得した)の場合、9歳にしてすでに地元マスコミに紹介されていた。ヒンギスが12歳で全仏オープンのジュニア大会で優勝したときには、選手、コーチ、有名記者、ファンの行列がヒンギスを取り囲んでいた。
   ・たとえば、スポーツ選手のマネジメント会社の国際的最大手、インターナショナル・マネジメント・グループ(IMG)の会長であるマーク・マコーマックはヒンギスにぞっこんで、ヒンギスの試合には必ず観戦に訪れた。
   ・ヒンギスが全仏オープンのジュニア大会で優勝したとき、有名なテニス評論家やコラムニストも観戦していた。ヒンギスが優勝すると、彼らはスイス人記者であるシュタウファーに向かって、「君はこれでこの先20年間はメシが食えるぜ!」と言った。
   ・実際、トップ選手が一人出現すると、その国のテニス界の状況に変化がもたらされることになった。ドイツのテニス関係のメディアは、ボリス・ベッカーが現れるまで、国内のテニス人気をなんとかとりつくろうので精一杯だった。しかし、ベッカーが活躍しだすと、ドイツのメディアはベッカーの報道のために、フル回転の忙しさになった。

   ・ロジャー・フェデラーは、すべての面において例外だった。フェデラーの少年時代を知る人はみな、フェデラーがテニス界を支配する存在になるとは考えていなかった。フェデラーと同時期にジュニア選手だった人々さえこう言った。「彼が世界ランキング1位になるなんて、思ったこともありませんでした。彼は飛びぬけて優れた選手ではなく、その他大勢の選手の一人に過ぎなかったのです。」
   ・テニスの評論家やコラムニストも同じで、彼らはジュニア時代のフェデラーの試合を観に来たこともなかった。フェデラーが17歳のときにウィンブルドン選手権のジュニア大会で優勝したときでさえ、プロでもトップ選手になれるとは期待されていなかった。

   ・フェデラーがプロに転向してからも、フェデラーはすばらしい才能に恵まれた選手とはみなされていたが、しかし可能性を伸ばすことはできないだろうし、落ちこぼれのまま選手生活を終えるだろうと思われていた。
   ・スイス国内でも同様で、フェデラーはヒンギスの陰にすっかり隠れる形になっていた。1997年、フェデラーがジュニア選手として世界のトップになろうしていたとき、フェデラーとほぼ同い年のヒンギスは、すでに3つのグランド・スラム大会で優勝し、プロ選手として世界のトップになっていた。将来性の不確かなジュニア選手であるフェデラーに、まったく関心が向けられなかったのも当然だった。

   ・しかし、このおかげで、フェデラーは両親や人々の期待のプレッシャーにさらされることなく、静かに成長していくことができた。
   ・また、フェデラーはプロテニスが充分に浸透している風土の中で成長した。スイス室内大会(スイス・インドア)は、ATPツアーの中で最も重要な大会の一つであるが(←2011年、錦織圭選手が怒涛の快進撃を見せ、決勝でフェデラーと対戦したことでも有名)、その会場はバーゼル近郊にあるフェデラーの実家から徒歩圏内にあった。フェデラーの母リネットは、大会組織委員会のスタッフとして携わっており、1994年、13歳だったフェデラーもボール・ボーイを務めた。その折にフェデラーはジミー・コナーズと一緒に写真を撮らせてもらった。

   ・フェデラーが幼かったころ、また少年時代には、スイスの男子プロテニスもやや発展を見せていた。たとえば、後にシュテフィ・グラフのコーチとして名を馳せたフランツ・ギュンタード、世界ランキング7位にまでなったヤコブ・ラセク、1992年のバルセロナ・オリンピックのテニス男子シングルスで、金メダルを獲得したマルク・ロセなどがいた。

   ・マルク・ロセはまた、ロジャー・フェデラーの可能性に気づいた最初の一人でもあった。ロセは「ロジャーはトップ選手になるのに必要なすべて、つまり才能、野心、達者な口ぶり、我慢強さを兼ね備えている」と言い、フェデラーがまだ11歳の時点で、フェデラーを手助けするつもりでいた。
   ・実際、ロセはフェデラーの教師的存在となり、フェデラーもまたロセに引っ張られているように感じていた。「ひょっとしたら、僕たちは二人とも悪ふざけが好きで、直情径行型で、思ったことをそのまま言ってしまう癖があって、ふてぶてしくて、元気があり余っていて、ついでにちょっと滅茶苦茶な人間だったからかもしれない」と、フェデラーは振り返った。
   ・2000年、マルク・ロセとロジャー・フェデラーは、フランスのマルセイユで行なわれたATPツアー大会、オープン13の決勝で初めて対戦した。ATPツアーで、スイス選手同士が決勝で対戦したのは、これが最初だった。このときはロセがフルセットで優勝している。

   ・フェデラーはテニス大国で成長したわけではなかったが、スイスはテニスにおける「無人島」でもなかった。よって、フェデラーは最初から、スイスの男子選手はテニス界で上位にたどりつけないなどとは思っていなかった。


  確かに、ジュニア時代、そしてプロにデビューしてから数年間の時期のフェデラーに関しては、今でも噂や伝聞の域にとどまる話しか残っていません。画像、映像、テキストなどの具体的な情報が極端に少ない(ほとんどない)ように思います。

  フェデラーがマルチナ・ヒンギスなどとは違い、テニス関係者やメディアにほとんど注目されていなかったというのは事実なのでしょう。

  でもそれが逆に幸いした、というシュタウファーの指摘は的を射ています。個人的には、10代のころから活躍した選手は、いわゆる精神面での「燃え尽き症候群(バーン・アウト)」、身体的な怪我や故障のせいで、早い引退に追い込まれることが多い印象があります。

  その大きな理由は、シュタウファーが述べているように、本人の周囲に群がる大人たち、親(←問題ある人物が多い)、マスコミ、テニス業界の関係者たちです。

  天才といっても10代の子どもです。精神面が未熟なうちに、様々な思惑を持つ大人たちの言いなりになって、その結果、心身ともに深刻なダメージを負ってしまう、そんな選手が多いように思います。精神的には子どものまま、また常識知らず、世間知らずのまま大人になった後、スキャンダルや問題行動を起こした選手も多いです。

  フェデラーはそのような環境にいませんでした。子どものころに注目されず、期待もされなかった、しかし分かる人(マルク・ロセ選手のような)には目をかけられ、ひそかにサポートされていたことが、テニスのマイナー国から「史上最高」の選手が生み出された背景の一つだったというのは興味深いです。

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官製デモの作り方-2

ショック・ドクトリン〈上〉――惨事便乗型資本主義の正体を暴く
幾島 幸子,村上 由見子
岩波書店

 (ナオミ・クライン著『ショック・ドクトリン』。上下巻。生きてくのがイヤになるような現実が書いてありますが、世界で今何が起こっているのか、日本がこれからどうなろうとしているのか、中国がなぜこんな状態になってしまったのかがよく分かる本です。)


  じゃあ、一部の反日デモで発生した、暴徒による破壊だの略奪だの放火だのも中国政府の命令か?というと、命令ではなく、中国当局の想定内ギリギリの事態か、もしくは想定内の事態をいささか超えてしまった、「ちょっと想定外の事態」と捉えていいと思います。

  数年前から、組織化されていない人々がデモに加わるようになりました。たまたまデモに出くわして、またネットでデモ情報を知って混ざり込んだ、つまりは便乗組です。今回のデモで、破壊、略奪、放火といった行為をしたのは彼らです。

  映像を観た限りでは、20代~40代前半の人々が多いようでした。個人的には、彼らは学歴が低く、知識や教養もなく、ついでに真面目に働く気もない無職の若者がほとんどだったのではないかと思います。地元民の無職者なのか、それともよそ者で都市に流れ着いたものの、まともに働いていない連中なのかまでは、ちょっと分かりません。

  日本のメディアは同じ映像ばかりをくり返し放映しています。このことから、あのような犯罪行為はごく少数で、極めて限定的なものだったと考えていいでしょう。

  ああいう映像を何度も放映し、日本人の反中感情を煽るような報道を行なうのは、なんだかなあ、と思うと同時に、中国政府にある程度の圧力をかけられるかもしれない、とも感じます。

  中国のデモがすべて官製であることは周知の事実です。今回、中国人による明らかな破壊、略奪、放火行為の映像が撮影されたことで、日本のメディアはこぞって、中国当局が国民を制御できなくなっていると言っています。

  また、中国のことをよく知らない人々があんな映像を目にすれば、中国人は野蛮である、経済大国である中国は、道徳面ではいまだに立ち遅れている、という感想を抱くのは当たり前であり、中国に対する悪いイメージが民間レベルで広まることにもなります。

  しかも、「破壊、略奪、放火」は、中国ではアヘン戦争での欧米列強連合軍、日中戦争での旧日本軍の蛮行の象徴とされています。中国政府が非難してきた列強や旧日本軍と同じ蛮行を、今度は中国人が、しかも民間人がやったということになると、中国政府の面目は丸つぶれです。

  (あの一連の犯罪行為は、共産党内の権力闘争の一部ではないかという報道が出ました。共産党内の現執行部、また次期執行部に対立する派閥が、現執行部と次期執行部への批判を惹起するため、デモに乗じて故意に引き起こした事件かもしれないという説です。もちろん私には分かりませんが、ありうる話だとは思います。)

  昨日あたりから、今まで沈黙を守っていた各国が、いきなり見解を発表し始めました。中国側の過激な行動に批判的である一方、日本の冷静な対応、特に日系企業、工場、日本関連の商店が、さっさと休業してトラブルを事前に回避する対応をとったことを評価しています。

  最近、「竹島問題」であれほど日本と揉めたばかりの韓国でさえ、非常に客観的で中立的な意見を発表しました。

  韓国に対して悪感情を拭いきれない人もいるでしょうが、あの「竹島」騒動は、日韓首脳の政治的な思惑(各々の国内での支持率を回復させたい、もっと深刻で重要な問題から国民の目を反らせたい)が一致した、出来レースの茶番劇だったということを、韓国の冷静なコメントは示していると思います。

  反日デモを全国で起こすことは、中国政府にとっては真っ先に踏まざるを得ない手順でした。しかし、尖閣諸島の日本による国有化は公開もされずに行なわれたので、政治的な問題としての重要性のいかんに関わらず、ヴィジュアル的には何のインパクトもありませんでした。

  一方、中国で起きた大規模な反日デモと、デモの中で発生した暴力行為と犯罪行為は、目に見えるものだけに大きな衝撃を与えることになりました。

  日本と中国との尖閣問題への対応が与えるイメージの違い、またこの問題に対する両国民の関心と態度の温度差が、中国に不利な結果をもたらしたということです。

  また、デモの矛先は、日本ばかりでなく、他の国にも及び始めたようです。不思議に思われるかもしれませんが、これも中国ではよくあることなのです。たとえば、最初は反米デモだったのが、いつのまにか反日デモに変わったことも以前にありました(ちなみに日本は何もわるいことはしてなかった)。

  中国政府がデモの禁止に転じたのは、このままデモを放置すれば、デモと暴力行為の標的が他の国々に、最終的には中国政府にまで広がることが分かりきっているからです。

  今、友人を通じて、中国国内と国外にいる中国人・日本人からの情報がたくさん来ています。

  中国に進出している日本以外の外資系企業も、今回の件で影響を受けているようです。今度は自分の国の番ではないか、と恐れているらしいです。

  中国政府はもちろん、外資系企業のこうした危惧に気づいています。外国資本に撤退されたら、中国経済は終わりです。中国政府がデモを禁止したのは、このせいでもあります、いや、まさにこのせいでしょう。

  反日デモのスローガンに「日本製品をボイコットせよ」というのがありました。しかし、これを実行するのがどだい無理なことは、中国人はよく分かっています。今の日本で、中国製品をボイコットするのが無理なのと同じです。苦悩と葛藤に陥っている中国人が多いらしい。

  「ウチにある家電、全部捨てなきゃいけないじゃん!」、「日本ブランドでも、中国の工場で作られた製品は日本製品に入るのか?」、「日本製の部品を中国で組み立てたものはどうなるんだ?」、「日本製の部品と中国製の部品とが混ざったものはどうすればいいのか?」という意見がほとんどです。ある中国人は「100年前の革命スローガンを今の時代に実行しろってのが、そもそも無理なんだよ」と呆れてました。  

  ウチの姉は「戦争になるのか」などと心配してましたが、中国は軍事行動を起こせません。中国が抱えている領土問題は、尖閣諸島だけではないですから。たかがあんな「小さな島」のために軍事行動なんか起こしたら、中国はそれこそ世界中を敵に回すことになります。今は中国寄りである国々も、中国を警戒するようになるでしょう。

  大多数の日本人は尖閣問題への関心が薄いです。これは結果的に、日本に良いほうに働いています。日本人が、この問題のせいで、中国に感情的に反応しないこと、また日本に滞在している中国人に絡んだり、暴言を吐いたり、暴力行為に及んだりしないことこそが、日本にとってプラスになるのだと思います。

  今回の「尖閣」騒動は、結局は中国の国内事情によって引き起こされた問題なんです。中国政府が対処すべきであり、日本が大騒ぎする必要はありません。

  でも、日本政府は意外と、今回の反日デモのおかげでずいぶんと助かったのではないかと推測します。反日デモの陰に隠れる形で、日本国民に注目されては困ることがほとんど報道されなかったから、難局を乗り切れたのではないですか?

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官製デモの作り方-1


  ウチの姉(アメリカ在住)から、「なんか日本が、韓国や中国と小さな島をめぐって揉めてるそうだけど、戦争になるの?」というメールが来ました。

  アメリカのテレビのニュースでは、今のところ「竹島問題」や「尖閣問題」はまったく報じられていないそうです。しかし、日本のウェブでの報道を見て、姉は心配になったらしい。

  姉の脳内ではすでに有事になっとるんかい、とこっちが仰天しました。しかし、姉がそう思い込んだということは、日本のメディアも限定的な内容しか報じていないってことです。姉には、まったく心配する必要はないと書いて返信しました。

  中国の「反日デモ」についてですが、ひょっとしたら、以前の記事にすでに書いたことがあるかもしれません。重複してましたらすみません。

  まず、中国で起こるデモはすべて官製デモ、つまり中国政府の指示によって組織・実行されたデモです。中国政府の報道官はよく「市民の自発的なデモ」と言いますが、それはありえないです。

  香港特別行政区を除いた中国では、市民によって自主的に組織されたデモが行なわれることは決してありません。

  仮にデモを申請したところで、当局から許可が下りることは絶対にないです。大体、デモを申請した時点で、すでに当局の「反体制的危険人物ブラック・リスト」入りが決定です。一旦ブラック・リストに載ってしまうと、公安警察による随時監視、行動の制限という一生が待っています。

  しかし、ごくまれに、人々が自主的に組織した抗議活動が発生することもあります。でもそれは「デモ」ではなく、「騒乱」とか「暴動」とかいう扱いになり、公安警察、武装警察、甚だしい場合には人民解放軍によって武力鎮圧されます。

  現在、中国全土で発生しているという反日デモは、もちろん中国政府の命令によって行なわれています。だから、同じ時期に一斉に起こり、同じスローガンが用いられているわけです。

  デモに参加した中国人たちから聞いたところによると、中国における官製デモは、大学生を利用するもの、勤め人を利用するもの、デモのために臨時に雇った人々を利用するものの三種類が主です。

  まず、大学生の場合です。中国政府がデモに大学生を利用する主な理由は、1919年の五四運動以来、大学生によるデモを「民主的な政治運動」として象徴化していること、一度に大量の人数を動員できること、まだ子どもで世間智がないため煽りやすいこと、しかし大学生だけに頭が良く理性的なので、過激な行動に走りにくく、制御が容易であることです。

  中国当局からデモ組織と実行の指示を受けた人物が、その指示を連絡役の一部学生たちに伝えます。連絡役の学生たちは、メールやマイクロブログ(いわゆる「中国版ツイッター」。中国では香港以外、Twitterは利用できない)を通じて、何月何日何時にデモを行なう、ついては当日何時にどこそこに集合、といった情報を全学生に拡散します。

  学生たちのほとんどはデモに参加します。たとえ本心では嫌でも、自分だけ参加しないのは気まずいから、また、学生たちにとって、デモはすごい娯楽というか、超楽しいお祭りであるからです。

  横断幕をもって愛国的、反日的なスローガンを叫んだり、日本の国旗を焼いたり、日本の首相の写真にイタズラ書きをしたりしている学生たちは、本気で怒っているとは限りません。怒っているとしても、楽しくて怒っている、つまりデモを通じて日ごろのストレスを発散している面が大きいように思います。

  大方の学生たちは、形だけ拳を振り上げてスローガンを叫びながら、実際にはデモとは関係ないおしゃべりに興じ、飲み食いを楽しみます。そしてデモが終わると、けろりとして日本語の勉強に取り組んだりするのです。

  というわけで、本心から反日的な感情を持ってデモに参加している学生は、ほとんどいないと考えていいと思います。反日的な感情を持って、反日的な言動をとっているとしても、それは彼らの日常生活や人生に何か不満があって、それを反日感情によって紛らわせている、反日的な言動によって日ごろの鬱憤を晴らしているのでしょう。

  次に、いくつかの会社・企業の勤め人たちを動員したデモです。これは大学生を動員したデモとシステムはほぼ同じです。しかし、酸いも甘いも噛み分けた社会人だけに、これも世間の付き合いだ程度にしか考えていませんから、明らかにやる気がありません。従って、過激なことは端からやるはずもありません。

  日本メディアは、行進しながら笑っている、スマホで写真を撮っているデモ参加者がいることを、驚きのニュアンスをもって報道していますが、別に驚くことではありません。あれが自然な姿です。

  最後に、臨時雇いの人々によるデモです。彼らはお金で雇われたデモ要員です。おおかたは失業者(特に国営企業を解雇されて再就職できなかった人々)か無職者、チンピラやヤクザの類でしょう。だから一見してガラの悪い連中が多く、やることも過激というか大仰です。

  しかし、彼らはしょせん当局に雇われた人々で、しかも当局の工作員がデモ隊の中にまぎれこんでおり、一緒に騒ぎながら彼らを監視・制御しています。従って、当局が指示した以外のことはできませんから、結局は大した騒ぎは起こしません。
  
  テレビやネットでデモの映像と画像が映ったときに、デモ参加者の数と見た目に注目してみると、大学生、勤め人、臨時雇いの人々のどれを動員したデモかは、大抵見分けられます。

  明らかに人数が大量で、10代後半~20代前半らしい若者が目立つ場合は大学生を使ってるデモです。人数が少なく、20代後半~40代前半の人々が目立つ場合は、勤め人か臨時雇いの人々を利用したデモです。行動がおとなしめで身なりがこざっぱりしてる場合は勤め人、行動が大げさで過激に見える場合は臨時雇いです。

  ちなみに、ちょっと前に台湾と香港の「活動家」が尖閣諸島に上陸した事件が起こりましたが、彼らは「活動家」なんぞではありません。見た目からして「カタギ」じゃないです(笑)。中国当局とつながりのある「その筋」の人員です。同行取材していた香港のフェニックス・テレビ(鳳凰電視台)は、北京の中央政府系メディアです。

  今回の反日デモでは、混成チームもあったように見受けられます。デモ隊の最前列で横断幕やプラカードを掲げ、激昂した様子でスローガンを叫び、日本国旗を焼き、ペットボトルや果物の種を投げつけるなど、いかにも分かりやすい過激な行動をしていたのは臨時雇いの人々と本物の工作員で、大学生や勤め人たちは、その後ろで適当に合わせていたか、遊んでいたのだろうと思います。

  中国の一般市民は、今回の事態を冷めた眼で見ているはずです。特に、デモやデモに付随して起きた破壊、略奪、放火行為に対しては、ほぼ全員が批判的な意見を持っているでしょう。

  以前、中国全土で今回と同じような大規模な反米デモ(大学生主体)が起きたとき、マクドナルドやケンタッキー・フライド・チキンの店舗が多く破壊されました。私はたまたま乗ったタクシーの運転手に意見を聞いてみました。タクシーは密室だし、乗客が外国人だけだと、中国人も本音を言いやすいのです。彼はあきらめたような口調でこう言いました。

  「学生たちは物が分からない(世間を知らない)から、店を壊したら、仕事を失うのは中国人、修理する金を払うのも中国人だ、ということが分かっていないんだよ。損をするのは、結局は中国人なんだ。」

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フェデラー伝説(プロローグ)


  ルネ・シュタウファー(Rene Stauffer)著『ロジャー・フェデラー(Roger Federer Quest for Perfection)』プロローグ。

  誤訳だらけでしょうが、なにとぞご容赦のほどを。


   ・1996年9月、シュタウファーはチューリヒで行なわれていた、ジュニア選手の国別対抗戦の大会を取材していたとき、当時15歳だったロジャー・フェデラーの試合を初めて観た。
   ・スイステニス連盟の職員は、フェデラーはとても優れた選手で欠点もほとんどない。時々感情的になってしまうことを除いては、と話した。
   ・フェデラーは15歳になったばかりだったが、スイスのジュニア大会ですでに5回優勝しており、スイスの16歳以下の選手ではランキング1位、プロも含めたスイス国内ランキングでも88位だった。
   ・その試合はいかにもマイナーなジュニアの大会といった風で、3、4人の観客と1人の審判がいるだけだった。ボール・パーソンもいなかった。(←わびしいのう。)

   ・フェデラーの動きは美しく、ジュニア選手らしからぬ高い技術を有し、多彩なショットを打ち、戦術面でも優れていた。シュタウファーはフェデラーのプレーを見て、これは間違いなく「ダイヤモンドの原石」だと確信した。
   ・しかし、フェデラーの振る舞いは、そのプレーとは正反対だった。フェデラーはカッとなりやすく、ほんの些細な、小さなミスにも逆上した。フェデラーは何度も、怒りと苛立ちのあまりラケットを放り投げ、自分自身を罵倒した。
   ・フェデラーはポイントを取ったときでさえも、自分の返球に満足できないと大声で喚いた。
   ・フェデラーは相手と戦っていると同時に、自分自身とも悪戦苦闘していた。しかし、フェデラーはフルセットでその試合に勝った。(実はその前日、フェデラーはレイトン・ヒューイットと対戦していた。観客はたった30人だった。)

   ・試合後、シュタウファーはフェデラーに取材を申し込んだ。シュタウファーは、あの少年は見知らぬ新聞記者なんぞに打ち解けないだろうし、記事のネタにできることも話せないだろうと予想していた。だが、フェデラーはいたずらっぽい笑みを浮かべ、しっかりした口調ですらすらと話した。
   ・フェデラーは、自分のアイドルはピート・サンプラスで、レマン湖畔のエキュブランにあるスイス・ナショナル・テニス・センターで訓練を受けて1年になると話し、自分は同じ年齢の選手の中では、おそらく世界のベスト30~40人に入るだろうし、将来はプロのトップ選手になりたい、でも、自分の試合内容と、そして自分の態度を改善しなくてはならない、と言った。
   ・フェデラーは言った。「プレーが悪くなるから、不平を言ったり叫んだりしてばかりではいけないことは分かってる。でも、たとえよくあることだとしても、どんなミスでも自分をなかなか許せない。完璧な試合ができなくてはならない。」

   ・シュタウファーはそれで理解した。「完璧な試合をすること」がフェデラーのモチベーションであり、フェデラーは金持ちになる、有名になるのもわるくはないと思っているものの、相手を打ち負かしたいのでもなければ、トロフィーを獲得したいわけでもない。フェデラーにとっては、試合の過程そのものが賞金であり、その過程においては、可能な限り完璧な形でボールを打ち込むことが必要不可欠なのだった。
   ・この考えにフェデラーは強迫的に囚われている感があり、どうしてポイントを取ったときでさえも彼が苛立ってしまうのか、これで説明がついた。

   ・しかし、フェデラーが異様にこだわったのは、自分のプレーが完璧であるかどうかであったから、対戦相手を自分の獲物を奪おうとする敵とは考えておらず、同じ道を行く仲間だとみなしていた。そのおかげで、フェデラーは選手たちの間で人気者だったし好感を持たれていた。普段のフェデラーは気さくで、気軽に冗談を言い合える少年だった。

   ・フェデラーは、自分は練習が好きでなく、練習ではいつも悪いプレーしかできない、と話した。そして言った。「試合だと、200%で良いプレーができるんだけど。」
   ・シュタウファーはこの言葉に驚いた。普通、試合中の選手はプレッシャーに押しつぶされる。しかしフェデラーは勝つという意欲を保ち続けることができた。フェデラーのこの強さは、大事な試合あるいは重要な局面であればあるほど発揮され、対戦相手を動揺させることになったが、逆にフェデラーは絶望的な状況からも脱け出すことができた。これが後年において、フェデラーが前人未踏の記録を次々と打ち立てることにつながった。


  当時、スイスのマスコミはフェデラーにまったく注目していなかったそうです。シュタウファーは、三つ原因を挙げています。一つめは、当時のスイスの男子プロテニスが停滞気味だったため、マスコミの関心が薄かったこと、二つめは、フェデラーとほぼ同い年で、すでにプロ入りしていたマルチナ・ヒンギスの活躍に、マスコミの注目が集中していたことです。

  三つめは、フェデラー自身にあったかもしれない、とシュタウファーは書いています。つまり、試合中のフェデラーの態度と行儀のひどさが、フェデラーのプレーに悪影響を及ぼしていたせいで、注目を浴びるような華々しい成果をなかなか上げられなかったことです。

  マルチナ・ヒンギスの態度と行儀も相当ひどかったけどね(笑)。でも、ヒンギスは14歳でプロ入りした直後から、プロのメジャーな大会で良い成績を上げていって、16歳のときに全豪オープンで優勝しました。また、なにせすごい美少女で華があったから、マスコミ(←日本のマスコミ含む)の注目がヒンギスに集まったのも当たり前か。

  一方、15歳のフェデラーはまだジュニア選手で(17歳でプロ入り)、しかもこのころのフェデラーは、生来の気質や性格と生活環境とが悪循環を生んで、精神状態が非常に不安定だったことが後述されています。

  もっとも、フェデラーはこの後も長きにわたって、自身の独特な気質(率直に言って、私にはかなり理解不能)に苦しめられることになります。

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フェデラー伝説(シリーズ開始)

Roger Federer: Quest for Perfection
Rene Stauffer
New Chapter Pr

(Rene Stauffer 著 "Roger Federer Quest for Perfection", 2006)


  わたくしの「フェデラー病」は悪化の一途をたどっておりまして、ついにフェデラーの伝記を読み始めてしまいました。上記のルネ・シュタウファー著『ロジャー・フェデラー ~完璧の追求~』です。

  アダム・クーパーに関しては、今はまったく安心してます。毎日ロンドンで元気に『雨に唄えば』に出演してるだろうし、最近もITV(←地上波)のテレビ番組で、ダニエル・クロスリー(コズモ役)、スカーレット・ストラーレン(キャシー役)とともに"Good Morning"をライブで披露したそうで、順調みたいだしね。

  前に書いたように、今回の『雨に唄えば』の振付とキャストたちのパフォーマンスは本当にすばらしいです。観客の盛り上がり度でダントツで一位なのが"Singin' in the Rain"、同率二位で"Moses Supposes"、"Good Morning"です。だから、"Good Morning"がテレビ放映されて、またお客さんが増えるといいな、と思います。

  ルネ・シュタウファーによるフェデラーの伝記、まだ読み始めたばかりだけど、信頼できるんじゃないでしょうか。

  一つには、著者のシュタウファーは、フェデラーの地元スイスのテニス記者であり、フェデラーがまだ15歳で、周囲からさほど期待されていなかったジュニア選手だったころから、フェデラーをずっと取材し続けていることです。つまり、フェデラーがトップ選手になってから、フェデラーに接近し始めた記者ではないということです。

  二つには、取材源はフェデラー本人と家族、および友人、コーチ、同僚の選手たちなどの関係者で、彼らへの直接インタビューによって構成されていることです。

  三つには、有名人のサクセス・ストーリーにおいては、過去の苦労自慢が必須要素です。波乱万丈はあったけど、でもそれを乗り越えて成功を手にした、彼の挑戦はこれからも続く、的な展開と結末になるのが鉄板です。この伝記もその例に漏れません。

  ただし、この著者は、フェデラーの成功への過程をドラマティックに盛り上げるために、昔の苦労話を後から無理やりほじくり出して紹介しているのではありません。フェデラーの場合、著者のシュタウファーは無理に探さなくても苦労話のネタには困らなかったみたいです(笑)。

  著者の興味は、もうすでにテニス史に名が残る巨大な存在になっているフェデラーが、歴代の名選手たちと違って、どうしてなかなか大成できなかったのかという点にあるようです。その理由を説明するために、フェデラーの苦労、というよりは、フェデラーの性格上の特徴と独特の価値観とが大きな障壁になったことについて述べています。

  四つには、著者が伝記の執筆を申し入れたとき、フェデラー側から一度断られていることです。21歳のフェデラーが2003年のウィンブルドン選手権で優勝した後、著者はさっそくフェデラーに伝記を書かせてほしいと提案したのですが、フェデラーとその両親の回答は「伝記なんてあまりに早すぎる」という至極真っ当なものだったそうです。

  それから数年して、フェデラーの実績と地位とが確固たるものになった時点で、著者は再び申し入れを行ない、それで出版されたのが本書というわけです。

  一方、読むに際して注意しておくべき点は、まず本書はもともとドイツ語で書かれている(原題:"Das Tennis-Genie")ことです。私が読んでいるのは英語翻訳版です。ドイツ語ができる方、ドイツ語を学んだことがある方は、原書を読んだほうがいいと思います。英語版の翻訳の精度にさほど大きな問題はないでしょうが、原書のニュアンスを完全に翻訳できているとは限りません。

  (ちなみに、原題の"Das Tennis-Genie"(テニスの天才)は、シンプルというか素っ気なさすぎるくらいですが、英語版題の"Quest for Perfection"は、逆にこっぱずかしいことこの上ないですな。)

  次に、フェデラー自身、家族、関係者たちへの直接取材に基づいている以上、フェデラーに批判的なことや不都合なことは書けなかったでしょう。大体、著者であるこのシュタウファー本人がフェデラーの大ファンらしいので、記述がどうしてもフェデラー寄りになるのは当たり前です。

  更には、フェデラーが功成り名を遂げた時点では、すべての記憶は美化されて語られたであろうことです。これは著者と取材を受けた関係者全員についていえます。過去に起きたすべてのことが、後の成功に結びついているという予定調和的な結論になるのは、どうしても避けられないでしょう。また、取材を受けた人々の一部は、心中で本当はどう思っていようと、フェデラーを賛美することしか言わなかった(言えなかった)可能性もあります。

  こういうプラス面とマイナス面とを踏まえて、さあ読了めざして頑張るぞ~。

  
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『ビッグイシュー』オンライン版開設

 (雑誌『ビッグイシュー日本版』最新号)

  
  以前に『ビッグイシュー(THE BIG ISSUE)』という雑誌について書きましたが、この9月11日より、オンライン版の提供が始まるそうです。

  『ビッグイシュー』が販売されている場所は、ほとんどが東京と大阪などの大都市、しかも大きな駅の前に限られています。買いたい、読みたいと思っても、物理的に手に入りにくいです。通販で買えるとはいえ、そこまでするのも手間がかかるわけで…。他の雑誌と同じように、そのへんで手軽に買える、というのが理想的なんですけどね。

  オンライン版ができるのはいいことです。オンライン版では、雑誌のバックナンバーから抜粋された記事、またオンライン版独自の記事の掲載が予定されているそうです。オンライン版を閲覧すれば、どういう記事が雑誌版『ビッグイシュー』に載っているのか確認できます。

  まあ、今日のこの日にオンライン版の開設が予定されているということ自体、『ビッグイシュー』がどんな雑誌であるかを端的に示していると思いますが。

  オンライン版については、『THE BIG ISSUE ONLINE』公式サイト をご覧下さい(公式サイトはまだ作成途中のようです。今ごろ作業を急ピッチで進めているんだろうけど、間に合いますように)。

  雑誌の『ビッグイシュー日本版』公式サイトは こちら です。

  販売者の方々の支援に少しでも協力したいという目的で買うのもよし、記事の内容が面白いからという理由で買うのもよし、購入する動機は人それぞれで、結果的に雑誌が売れればいいわけです。

  ただし、前にも書きましたが、私の場合、特に去年の震災以後は記事の内容を重視するようになりました。(もちろん、販売者の方々の売り上げを伸ばすのに協力したいとも思っています。)

  去年の震災直後、新聞や雑誌などマスコミ各社それぞれの「本性」が明らかになったといいますか、どの新聞、また雑誌が信頼できるか、ある意味「ふるいわけ」ができたわけです。

  当時、福島第一原子力発電所の事故の影響について、私たちが血眼になって情報を探し求めていたにも関わらず、ほとんどの大手マスコミは無視と沈黙を続けました。しかし、『ビッグイシュー』はこの問題を毎号にわたって取り上げ、客観的な視点と科学的な根拠に基づいて、詳細かつ丁寧に情報を提供し続けました。それは今も同じです。

  それだけでなく、原発の可否、そしてこれからの日本のエネルギー対策はどうあるべきかというテーマについても、世界各国の例を紹介することで、読者自身が考えるための材料を多く与えてくれました。その際には、決して自分たちの主張を読者に押しつけたり、読者を自分たちが企図する結論に誘導しようとしたりといった、大手マスコミの常套手段は用いません。あくまで材料と情報を淡々と提供するだけです。

  同時に、実は不合理で不平等な現在の社会・経済システムのせいなのにも関わらず、「自己責任」だの「能力主義」だのという、公平さを装った大義名分の下に、弱い立場に追いやられる人々が増加し続けている現状を、一貫して取り上げているのも『ビッグイシュー』の特徴です。

  たとえばアメリカのように悪化の一途をたどっている、日本における貧富の格差の拡大、ワーキング・プアの増加、若者の就職困難、正規社員の劣悪な労働環境、使い捨て非正規雇用者の増大、リストラ、失業などの深刻な現状を紹介し、これらの問題を底の浅い正義感で批判するのではなく、現実的にどう改善していったらいいのかということを、冷静に分析して解決策を提案しています。

  大手マスコミがとかく、「社会的弱者」とされる人々を、「自分の努力が足りないせいなのに、社会に責任を転嫁している怠け者、負け組」と一刀両断しがちなのとは対照的です。

  作家の瀬戸内寂聴によれば、「原発の問題をはじめ、少しずつ言論の規制が進んでいるでしょう。この状態は昭和16、17年ごろの感じなの。自由にものが言えなくなる、書けなくなる、非常に不気味な空気を感じます」ということです。

  なるほど、戦中に行なわれた「情報統制」や「言論規制」とは今みたいな感じだったのか、と意外に思いました。戦中は、何か言ったり書いたりすれば、特高警察とかにすぐ捕まって拷問死させられたんだろう、と思い込んでましたが、巧妙な、隠微な形で行なわれていたんですね。経験者が言うんだから間違いないでしょう。

  そういや、「大本営発表」にすべてのマスコミ(当時は主に新聞)が従い、当時のいわゆる「文化人」や「知識人」の多くも、こぞって軍隊、政府、戦争支持の文章を発表していたとよく聞きます。

  それだと、戦中の日本人の多くは、自分たちがどんなに厳しい制限の下に置かれているのか、自覚していなかったかもしれません。現在に至っても、日本がどんなに異常か気づいていない、また日本は自由な民主国家だ、と信じている人が多いように。

  個人的には、『ビッグイシュー日本版』は、本家イギリスの"THE BIG ISSUE"よりも内容が充実していると思います。ただ、たとえばロンドンでは、街頭のあちこちに販売者がいるのに対し、日本は販売場所の制限が厳しいようで、首都圏や大阪の大きな駅前で販売されているだけです。内容が優れているだけに、これは非常にもったいないことです。

  紙が薄くて厚みがなくても、分量が少なくても、中身は「購買数第*位」を謳うぶ厚い大手新聞や雑誌をはるかに凌駕しています。

  しつこいですが、雑誌『ビッグイシュー』、買ってね 

  追記:『ビッグイシュー』オンライン版、なんとか開設作業が間に合った模様。おめでとうございます~。さっそく面白い記事を載せてます。ぜひご一読を。   

  
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やっぱり前言撤回


  もう全米オープンテニスの試合結果には触れないと書きましたが、撤回いたします。


  全米オープンテニス男子シングルス準決勝 アンディ・マレー(イギリス)対トマーシュ・ベルディハ(チェコ)


   5-7、6-2、6-1、7-6


  ベルディハ選手、本当に残念でしたね。ベルディハ選手の本大会でのご健闘、心よりお祝い申し上げますと同時に、今後も益々ご活躍されますよう心より祈念し、謹んで以下の言葉をお贈りさせて頂きたいと存じます。


    ざまあみやがれ


  どうも失礼しました。
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全米オープンテニス準々決勝 フェデラー対ベルディハ


  全米オープンテニス準々決勝 ロジャー・フェデラー対トマーシュ・ベルディハ(チェコ)


   6-7(1)、4-6、6-3、3-6


  まず、試合を全部観られなくて、試合結果とニュースの記述のせいで落ち込んでおられる、フェデラーのファンのみなさまへ。

  決してわるい試合じゃなかったですよ。ニュースはさっそく「大波乱」とか書いてるけど、私はそうだったとは思いません。惜敗というべき。

  フェデラーは第1セットと第2セットでの不調(ファーストサーブが入らない、凡ミスが異常に多い)が、最終的に影響しちゃいました。やっぱり前の試合との間隔が空きすぎたのが原因だったんだろうな。

  でも、第3セットは凄かった。フェデラーはすでにブレークされて窮地に立たされていたのですが、それから例の異様に強靭な精神力を発揮、高い技術を駆使して、セットを取り返しました。逆にベルディハ選手は動揺してしまっていました。

  第4セット、ベルディハ選手は強烈なサーブとリターンで持ち直し、フェデラーのサービスゲームをブレークして勝ち抜きました。

  結果としてはフェデラーが負けたけれども、プレーの内容はフェデラーのほうが本当に良かったんですよ。これは負け惜しみ抜きの率直な感想です。見ごたえがあったのは、明らかにフェデラーのプレーでした。

  あの多彩なショット(ボレー、スマッシュ、ドロップ・ショット、ショート・クロスのリターン、パッシング・ショットなど)と、試合の組み立て(一発で決めようとしない)は本当にすばらしかった!フェデラーが見事な技を見せるたびに、観客はやんややんやの大喝采。

  それでもやっぱり悔しいから、ベルディハ選手の悪口を言わせて(笑)。いーじゃん、ベルディハ選手は勝者なんだから。

  ベルディハ選手は、ビッグ・サーブと強打の一発勝負だけに頼るんじゃなく、もっと多様な技術を身につけたほうが、お客さんをより楽しませることができると思いますよ。縦でも斜めでも、真っ直ぐな超速ボールしか返さないんじゃなくてさ。観客はみんな高いチケット代を払って、チケット取りにもすごい苦労して、試合を観に来てくれたんだから。

  でも、ベルディハ選手はネットで批判されているように、それほど態度がわるくはなかったです。ボールを打つときも唸り声を上げないし(←わたくし的には、これはポイントが大きい)、大げさなジェスチャーもしない、感情を激しく露わにもしない。

  ただ一つ引っかかったのは、ベルディハ選手の癖らしい、対戦相手への心理攻撃(?)のやり方です。

  ベルディハ選手は、今年の全豪オープンでニコラス・アルマグロ選手と対戦しました。ベルディハ選手の鋭いリターンに、アルマグロ選手はなんとか追いつき、ラケットの板面に辛うじてボールが当たりました。そのボールが、ベルディハ選手の右腕に当たり、ベルディハ選手はその場に昏倒して、しばらく動け(動き?)ませんでした。

  アルマグロ選手は心配そうにネット際でベルディハ選手を見守り、ベルディハ選手が起き上がった後にも、ネットの向こうから何度も謝りました。ところが、ベルディハ選手はアルマグロ選手をまったく無視し、試合後の握手にも応じませんでした。

  この事件の映像を観て、右腕にボールが当たっただけで(アルマグロ選手は強打で返したのではない)、バッタリと昏倒してしばらく動けないなんておかしいな、と思ったのです。

  たぶん、ベルディハ選手はウィナー(決定打)になったと思って動きを止めたところに、意外にもアルマグロ選手がボールを返してきたので避けきれず、自分の腕に当たるという大恥をかいたため、アルマグロ選手に逆ギレしたというのが本当のところでしょう。つまり、「てめえのせいで怪我したぞ!?」と問題をすり替えた。

  今回の試合でも似たようなことが起こりました。

  フェデラーがドロップ・ショットを打ったとき、ベルディハ選手はネット前に走り出てきたのですが、足がすべって転倒してしまいました。問題はその後。フェデラーもネットから離れず、ベルディハ選手を心配そうに見守っていました。ベルディハ選手は起き上がると、右腕を大きく上げて、肘に怪我をしたかのようなそぶりをしました。解説者さえも「ベルディチ(ベルディハ)は肘に怪我をしたのでしょうか」と言っていました。

  ところが、その後のベルディハ選手のプレーは元気そのもの(笑)。

  それで思ったんですが、よくサッカーの試合で、選手がわざと転倒して大仰に痛がるフリをして、審判に「相手が危険行為をしました」アピールをしたり、また時間稼ぎをしたりすることがあるでしょ。

  ベルディハ選手がやってるのも、本質的にはこれと同じだと思います。いくらなんでも、今シーズン、私のような素人が知っているだけでも2回、似たようなことが起こるのはおかしい。相手に心理的な負い目を感じさせるために、機会を捉えてやっちゃう癖があるのでしょう。勝つためには何でもやる、という主義なのなら、それはそれでかまわないんじゃないの?私個人は好きじゃないですが。

  第1セットと第2セットでのフェデラーは表情が冴えませんでしたが、試合後のフェデラーは意外にさっぱりした表情をしていました。序盤はともかく、中盤以降のプレーが良かったから、試合の内容に満足していて、結果はそんなに気にしてないんじゃないかな。もちろん全然平気というわけでもないだろうけど。

  フェデラー本人はたぶん、コーチやスタッフたちとともに「本日の反省会」を開いて、今回の試合の問題点と今後の改善策を検討したと思います。で、その後は、「終わったことはしゃーない」とさらっと割り切るんじゃないでしょうか。

  全米オープンテニスは来年も開かれますから。来年また頑張ればいいんですよ。

  「フェデラーはやっぱり年齢の影響で勝てなくなってる」と不安になる方もいるでしょうけど、そんなみなさまは、とりあえず昨年から現在までのフェデラーの成績を思い出して見て下さい(グランドスラムをはじめとする上位大会で優勝10回、準優勝3回、オリンピック銀メダル)。

  これでもうしばらく、テニスの試合結果についての話題からは遠ざかります。全米オープンテニスはもう観ないよ。フェデラーがいなくなったから、興味なくなっちゃった。あ、でも「フェデラーな日々」シリーズは続行します。フェデラーは面白い人だし。

  この際だから、最後に書いちゃおう。

  私は2ヶ月ほど前から、テニス関係のいろんなサイトを見るようになりました。とても勉強になる、内容が充実したサイトをいくつか見つけることができました。

  しかし、それら以外の大多数のサイトは、驚いたことに、たった一つの大会や、極端な場合には、たった一つの試合の結果だけで、その選手の能力を決めつけてしまう記事やコメントが際立って多いんですね。フェデラーの場合はそれが最も甚だしい。負ければ「フェデラーはもう終わり」、勝てば「王者フェデラー健在」的な。

  公共のものでも、個人のものでも、読者を感情的に煽ることを目的にしているとしか思えない記事やコメント、幼稚園児のケンカ並みの不毛な中傷合戦がすごく多い。スポーツは、一つの試合の結果に一喜一憂することが楽しさの一つなのは分かります。

  けど、それだけで全体を単純に決めつけて、選手をひどい言葉で罵ったり、全否定したり、読者に誤解を植え付けることを意図して、理由や根拠を示さずにわざとネガティブな内容の記事を書いたりするのは、やっぱりやっちゃいけない。そういうことすると、いつかは自分に違う形で返ってくるんですよ。絶対に。

  このブログの内容は、基本的にバレエ、ダンス、ミュージカルについての感想が主ですが、ダンサーやパフォーマーたちに対して、私もずいぶんとひどいことを書いてきました。今は反省しています。

  まあこれからも、嫌いなものは嫌い、これはいかがなものか、と思ったときはそのとおりに書くつもりです。しかし、なぜ嫌いなのか、なぜ批判するのか、その理由や根拠をきちんと書くように心がけるようにしています。まだ努力が足りないですが。

  フェデラーは「史上最強の選手」とか言われていて、そして今は負けるたびに「年齢の限界」云々と言われるわけですが、フェデラーはこれから別の面で、史上初の新しいモデル・ケースになる可能性があります。

  テニス選手の主な引退原因は、怪我、故障、病気、意欲喪失、体力の低下などです。特に怪我と故障、およびそれにともなう意欲や自信の喪失によって、引退を余儀なくされる例が圧倒的に多いはずです。それが、若い選手たちを「使い捨てる」現状を生み出していると思います。

  フェデラーの強さの一つとして、常に安定した身体状態を保てていることがよく挙げられます。以前も現在も、大きな怪我や故障をしていません。これは、フェデラーが体調管理を最も重要視していることによるのでしょう。

  まだ身体も充分にできていない若い選手たちに、一生完治しないような怪我や故障を負わせて、次から次へと引退に追い込むような現状は異常です。フェデラーは、この状況に変化をもたらすことができるかもしれません。現在の、そしてこれからのフェデラーについては、このような視点からも注視していくべきだと思います。

  最後に、ファンの方にご紹介頂いた記事に載っていた、直近のフェデラーの言葉を書いて終わりにします。(←ちょっとカッコつけてみる)

  目先の勝利に囚われすぎたり、自分に無理を強いたりすることによる、深刻な怪我や故障を背負いこむ危険を避け、長く順調な選手生活を送るという自分の主義について、フェデラーがその考えを述べたものです。


   もし近視眼的に物事を見てしまえば、間違いをしでかすことになるだろう。だから僕は自分自身にこう言った。「僕は確かに目の前にある目標を達成しなくてはならない。しかし、僕は長期的な目標を見据え続けるんだ。そのおかげで、僕はこれまでの長い年月、本当に良い状態でやってこられたのだから」と。    



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そんなバナナー!!!


  現在、日本時間9月4日午前3時半です。全米オープンテニス4回戦、フェデラーの試合はまた日中試合(現地時間9月3日午後2時半以降)だというので、仮眠を取って、さっき無理して起きて、フェデラーの試合を観ようと思ったら、……ぼーぜん。


  全米オープンテニス4回戦 ロジャー・フェデラー対マーディ・フィッシュ(アメリカ)

  
   フェデラーの不戦勝(フィッシュの棄権による)


  フィッシュは"health concerns"のため、試合を棄権したそうです。"health concerns"って、意味がよく分かんない。健康上の懸念?病気か怪我か。

  フィッシュの3回戦の試合のサマリー(試合概要表。試合内容を、ファーストサーブの確率、サーブが入った場合のポイント獲得率、サービス・エースの数、決定打の数、凡ミスの数、ネットプレーの成功数、ブレークポイントでのゲーム獲得率など、項目別にまとめたもの。画面にも時々映る)を見ると、全然良いよ。

  寝る前(現地時間9月3日午前11時くらい)に試合予定をチェックしたときには、試合スケジュールには何も変更はなかったから、試合開始予定時刻のほんの2~3時間前になって、フィッシュの棄権が正式に決まったようです。何が起こった?

  ……フェデラーの公式サイトに詳しい事情説明が載りました。フィッシュは「心臓の問題("heart-problems")」を抱えており、今シーズンの最初の2ヶ月間はツアーに参加せず休養していたそうです。う~ん、何と言ったらいいのか…。大事ないように願うしかない。

  全米オープンテニスの公式サイトにも、フィッシュとフェデラーのコメントが掲載されました。

  フィッシュ「棄権はしたくなかったけれども、医学的な助言に従うことにした。僕はすばらしい夏のツアー生活を過ごしたし、秋には参加を予定している大会に復帰するのを楽しみにしている。(I was reluctant to do so, but am following medical advisement. I had a good summer and look forward to resuming my tournament schedule in the fall.)」

  フェデラー「マーディのことには本当に心を痛めている。彼の早い回復を願うばかりだ。僕たち選手はみんな、マーディが近いうちにツアーに戻ってくる姿を見たいと思っているよ。(I am really sorry for Mardy. I just want to wish him a speedy recovery. We all want to see him back on tour soon.)」


  とにかくフェデラー、準々決勝進出おめでとう。フェデラーはこういうことが起きると、逆に動揺してしまうところがあります(相手の不幸に乗じていいのか、という葛藤を抱きやすいらしい)。よくもわるくも、彼は育ちが良いんですな。勝つことのみにガツガツしてない。

  でも気持ちを切り替えて、また調整し直して、次の試合も万全の態勢で臨んで下さい。

  わしはまた寝ます。


  追記:マーディ・フィッシュ選手の「心臓の問題」とは、ニュースによると不整脈だそうです。不整脈の原因は複雑で、重大な心臓疾患が隠れていることもありますから、今は治療と休養に専念して、また元気に復帰してほしいです。(←ベテラン選手には、ファンじゃなくてもつい応援モードになってしまうわたくし…)

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「ロイヤル・エレガンスの夕べ」-3


 注:「ロイヤル・エレガンスの夕べ」の感想の続きは、この記事の後半にあるでよ。あと、プログラムのラウラ・モレーラの写真があんまりきれいなんで、その1に載せときました。見てね♪

 
  全米オープンテニス3回戦 ロジャー・フェデラー対フェルナンド・ベルダスコ

    6-3、6-4、6-4

   日本時間9月2日午前4時(現地時間9月1日午後3時)から試合開始。週末だから、人気選手であるフェデラーの試合を日中に配置したんだろうけど、勘弁してくれよ~(泣)。日本との時差も考えてくれよ~(←無理)。2時間で終わってよかった。

   ベルダスコは左利きの両手打ち。ベースライン(コートの後ろの白線のあたり)からの強打が得意らしいです。一方、まったくといっていいほどネットプレーをしません。たまにネットプレーをしても、ことごとく失敗(打ちそこねる、ネットにボールを引っかける、ラインの外にボールが出てしまう)。

  不可解なのは、ダブルフォールト(サーブは基本的に1度に2回までできるが、2回とも失敗すると相手の得点になる)の異常な多さでした(10回以上は確実にあった)。しかも、わずかに外れるというもんではなく、ラインの外から数10センチも大きく外れることがほとんどでした。風が強かったようなので、そのせいかな?

  フェデラーのほうは、今日は「カモーン!」もガッツポーズも一切なし。表情は不機嫌そのもの。どうやらこのタイプ(ベースラインからの強打オンリー)の選手と試合をしても楽しくないらしく、やっぱり必要な数(1回)だけベルダスコのサービスゲームをブレークすると、あとは無理せず、自分のサービスゲームを鉄壁で守って勝ちました。

  ベルダスコがネットに出ないとみるや、フェデラーは自分のほうからネットに出て攻撃したり、ベルダスコのミスを誘ったり(相手がネットに出ると怖いのでミスをしやすくなる)、ベルダスコをネットにおびき寄せてボールを抜いたり(前に出た相手の後ろにボールを返す)していました。

  試合の終盤、やっぱりベルダスコもブチ切れて、一人で怒鳴り散らしていました。途中でフェデラーの関係者席(選手のコーチ、家族、友人などの専用席)が映りました。フェデラーの奥さんであるミルカ夫人は、足を組んで椅子の背にもたれて座っていました(接戦の時は前かがみになり、両手を組んでじっと見ている)。実況中継の声。

  「ミルカ、リラックスしてますね。優雅な午後のひとときを楽しんでいるのでしょう。」    
   

  第2部(続き)


   6.「アイヴ・ガット・リズム」(振付:スティーヴン・マックレー、音楽:ジョージ・ガーシュウィン)

    スティーヴン・マックレー

  このへんから、各演目の振付がなんだか似たり寄ったりになったんだよね。だから、あまり大した印象は残ってないのですが。

  マックレーは白いYシャツに黒いズボン姿。振付は、マックレー様の超絶技巧連続オン・パレード(笑)。両足を揃えて回転(←マックレーの得意技)しながら、なんと舞台一周!その直後に大きなジャンプでも舞台一周。

  あとはなんかあったかな…。とにかく、マックレーは凄かったの一言。


   7.「アンド・ザッツ・ミー」(振付:ジョナサン・ワトキンス、音楽:クロード・ドビュッシー)

    崔 由姫

  崔さんは紐飾りが付いた黒いかわいいワンピースを着ていました。音楽は『子どもの領分』から「ゴリウォーグのケークウォーク」です(CMとかでよく使われてます)。力強いけど軽快で飛び跳ねるような音楽に乗って、…あれ?どんな振付だったっけ?

  基本クラシックの動きで、時おりクラシックの型から外れたモダンな(?)動きが混ざったような振付だったかな?ま、最近よくある振付でした。

  崔さんは本当に足が強いね~。動きもメリハリがあってきっちり決まります。揺るぎない安定感です。


   8.「エレクトリック・カウンターポイント」(振付:クリストファー・ウィールドン、音楽:ヨハン・セバスティアン・バッハ)

    リカルド・セルヴェラ

  これ、私観たことあるわ。確かCG映像、ダンサーの踊り、ダンサーの語りの三つを組み合わせた作品だったです。

  振付はウィールドンですが、全編がコンテンポラリー寄りの動きで構成されていました。踊れているダンサーと踊れていないダンサーとの差がはっきり出ていて、初演キャストの一人だったセルヴェラが最もすばらしく、唯一しっかり踊れていた記憶があります。

  今回は短めのソロで、音楽はこれも有名な、確か「主よ、我は御身を呼ぶ」(←アンドレイ・タルコフスキーの映画『惑星ソラリス』で使われてる)だと思った(間違ってたらごめんなさい)。

  セルヴェラは白っぽい薄いシャツとズボンだったような。床に寝そべりながら、ゆっくりした動きで踊っていました。尺取虫のような柔らかで柔軟な動きでした。あっという間に終わったのが残念でした。


   9.「水に流して」(振付:ベン・ヴァン・コーウェンバーグ、音楽:エディット・ピアフ)

    サラ・ラム

  サラ・ラムは胸元と背中が大きく開いた、七分袖のシンプルだけどおしゃれな黒いワンピース。ラムの細い首筋と背中の美しさがいっそう際立ちます。

  振付はやはりクラシックが基本で、コミカルなマイムを混ぜたもの。「違うのよ」というように手を振ったり、「聞いてちょうだい」というふうに耳に手を当てたり。

  特に面白い作品だとは思いませんでしたが、サラ・ラムの踊りが良かったからいいや。


   10.「サムシング・ディファレント」(振付:スティーヴン・マックレー、音楽:よく聞く曲だったけど名前知らない)

  スティーヴン・マックレー

  マックレーは白いYシャツにブラック・ジーンズを穿き、黒い上着を着ていました。この作品はタップ・ダンスです。舞台に入ってきたときの靴音ですぐに分かりました。

  マックレーはタップ・ダンスも上手なんですね。でもね、専業タップ・ダンサーで、マックレーよりもはるかに優れた踊りができるダンサーは、それこそ山ほどいると思うんですね。

  そういうことを踏まえないで、バレエを観に来た客の前で「すばらしいタップ・ダンス」を披露して喝采を得ることに、何の意味があるのかなあ?バレエ作品の中にタップ・ダンスが取り入れられているから、それを踊ったというのなら分かります。

  だけど、バレエの世界という安全圏の中に留まったままで、こういうジャンルの異なるダンスを自分から嬉々として披露するのは、果たしていかがなものか、と個人的には思ふ。また、この公演はイギリスのバレエの良さを紹介するのが主眼であり、マックレーが座長なのでもない。

  ロイヤル・バレエのトップ・ダンサーは、ともすると視野狭窄に陥りがちなように思います。スティーヴン・マックレーには、今の時点ではあくまでバレエ・ダンサーとしての道を極めてほしいです。あれだけすばらしい踊りができる、優れた能力を持っている人なんだから。

  
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