スペードの女王

  Kバレエの「白鳥の湖」を観て以来、落ち着かない気分が続いています。なにかこう、あまりよくない性質の空気がまとわりついているような感じで、気持ち的にしこりが残り、マイナス思考にもなっています。

  吉田都見たさにチケットを取ったものの、やはり今回の観劇はすべきではなかった、と今さらながらに反省しています。自分とそりの合わないものは「敬して遠ざく」べきでした。Kバレエの観劇は、今後しばらく「封印」するつもりです。

  「みそぎ」をせにゃならんな、と思いました。人間とはよくできているもので、自分にとって、「みそぎ」には何が最適か、ということを知らず知らずのうちに教えてくれるようです。

  ここ数日、私はなぜかローラン・プティ振付の「スペードの女王(Pique Dame)」(ボリショイ・バレエ)が気になって仕方がありません。頭の中ではチャイコフスキーの「悲愴」が流れ、ニコライ・ツィスカリーゼがゆっくりと踊っています。

  なぜ「スペードの女王」なのか、理由はまったく分かりません。私はツィスカリーゼのファンだというわけではありませんし。でも、これが今回の「みそぎ」には最適な作品だ、と自分の心が教えてくれていると思ったので、ようやく映像版を観ることにしました。

  「スペードの女王」映像版を観ていたら、安心感が心の中に広がっていきました。「悲愴」の音楽も、こちらを作品の世界に引き込んでくれます。

  結局、私は静けさと秩序と安定を求めていたのだと思います。「スペードの女王」がそういう作品かどうかは、人によって意見が異なるでしょうが、少なくとも今の私にとってはそういう作品なのです。

  1回観ただけでは足りないので、あと数回は観るつもり(短い作品だしね)です。実際の舞台を観たときには、踊り手がすばらしいだけで、作品としては特に際立った出来ではないよなあ、などと思いました。でも映像版を観て、この際立ったところのない(あくまで私の感想です)点こそがよいのだ、と思い直しました。

  抽象的で簡素なセットの中で、振付を効果的に見せるよう巧みに配置しなおされた「悲愴」の音楽に乗って、終始安定した踊りをみせるダンサーたち。

  濃くて具材のにぎやかな料理を食べた後には、こうしたあっさりした、しかも味の確かな料理が適しているようです(ツィスカリーゼの顔は濃いかもしれないが)。  
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Kバレエ「白鳥の湖」

  24日の夜公演を観に行ってきました。簡単に(?)感想をメモしておきます。

  舞台装置や衣装は、みな上質の材料で作られ、しかもデザインもセンスの良いものばかりでした。

  セットはいかにも「王宮」とか「湖畔」といったお決まりのデザインではありませんでした。王宮は、アール・ヌーヴォー調の美しい曲線を描いた金のポールが、天井から吊り下げられて表現されていました。湖畔にも白鳥のぬいぐるみは登場せず、背景の幕には湖もお城の絵もありません。切りたつ崖や岩のセットがあるばかりで、これは印象的でした。

  衣装は一見すると典型的な中世ヨーロッパ風ですが、しかし現代風のしゃれたデザインがさりげなく取り入れられていて、これが時代・国ともに詳らかでないおとぎ話のような、幻想的な効果を生み出していました。でも、舞踏会で王妃がぴかぴか光る紫の王冠とドレス姿で現れたときには、紅白歌合戦で歌う美川憲一か、と思いました。

  今はほとんどのカンパニーが省略しているマイムが採用されていて、これにはとても興味をひかれました。第一幕、王妃が王子に結婚するよう命ずるマイム、第二幕、オデットが自分の身の上を王子に明かすマイム、第四幕、オデットが王子の裏切りを白鳥たちに訴えるマイム、オデットが死を決意するマイムなどです。しかもオデットのマイムは、もちろん吉田都がやったので感動もひとしおでした。

  Kバレエのコール・ドはまったくひどいレベルです。派手な大技を一発芸的に披露することはできるのですが、それ以前に、基本的なポーズ、動き、ステップができておらず、また動きから動きへの流れもスムーズでなく、大多数のダンサーの踊りは半端で粗雑でガタガタしていました。第一幕のパ・ド・トロワを観て、パ・ド・トロワを踊るダンサーですらもこの程度か、と呆れました。熊川君は本当に頭の痛いことでしょう。

  踊りでさえこの体たらくですから、まして演技などには期待する気も失せました。彼らはもっとしっかりと踊る練習をするべきです。

  王子役の芳賀望はサポートが上手でした。第三幕の黒鳥のパ・ド・ドゥで、ようやく彼のソロが見られましたが、特筆すべきレベルではありませんでした。辛うじて難度の高い技巧をこなしても、私はすばらしいとは思いません。それ以前に、優雅な身のこなしで振る舞い、美しい姿勢と動線で踊る訓練をすべきでしょう。演技も大根でした。でもこの時点では、このカンパニーに高いレベルの踊りと演技を期待するほうが無理なのだ、ということをすでに悟っていたので、特に腹も立ちませんでした。

  スチュアート・キャシディは、いつのまにあんなに踊りのパワーが落ちたのでしょう。ジャンプは低く、すぐに着地してしまいます。ロットバルトの衣装がよほど重かったのでしょうか。でも演技はすばらしく、フクロウの真似をするとき、かがんで首をしきりに振る仕草が本物の鳥っぽくてよかったです。

  吉田都は、かねてご自身で判断されていたとおり、やはりもうオデットを踊るのは辛くなってきているのだと思います。もちろん大部分の踊りはすばらしかったです。動きはこれ以上にないほど繊細で丁寧で、軽いふわっとしたジャンプも健在です。でもところどころで、脚や足が昔ほどには動かなくなってきているのだ、というのが垣間見えました。彼女にしてはめずらしく(というかほとんどなかったことなのに)、音楽を外してしまうところも多く見受けられました。

  最も重要なことには、私はどうやら、吉田都よりもオデットをすばらしく踊れるダンサーをすでに見てしまっているようで、吉田都のオデットを観ても、さほど感動しなかったのです。あんなに楽しみにしていたのに。「吉田都でないとこんなオデットは見られない」という魅力を、彼女の踊りの中に見出すことができませんでした。

  吉田都の演技はしっかりしていました。お決まりの眉根をしかめた悲しげな顔をするか、さもなければひたすら能面のような顔でオデットを踊るダンサーの多い昨今、あれほど表情のある演技をし、またマイムや動きで気持ちや意志がはっきり伝わってくるオデットは珍しいです。

  オディールを踊った松岡梨絵は技術がすばらしかったです。キレよく敏捷に踊り、生き生きとして弾けるようです。また、オデットの真似をしていても、時折ロットバルトと同じくフクロウのように首を振って本性を現わす仕草もよかったです。ただあの邪悪な表情の演技は、あまりにもお約束な「オディールでござい」という感じで、しかもワザとらしすぎるので要改善だと思います。

  この熊川版「白鳥の湖」は、ベースはロイヤル・バレエ・ヴァージョンで(マイムや白鳥たちの衣装もそうですね)、それにブルメイステル版、ヌレエフ版(ウィーン国立歌劇場バレエ・ヴァージョン)などが取り入れられているようです。

  マイムを残してくれたのは嬉しいし、第三幕のディヴェルティスマンを「ナポリの踊り」と「スペインの踊り」のみにして、「チャールダーシュ」と「マズルカ」を削ったのは、観ているほうは飽きがこなくて楽でした。

  ただ、全体的な印象は、あまりにいじりすぎて「ごった煮」または「各版の半端なパッチワーク」になってしまっている、というものでした。特に第三幕と第四幕で、「あ、これはブルメイステル」とか、「これはヌレエフ」とか、「これはセルゲーエフ」とか、「さっきはドリゴが挿入した曲の踊りを削除したのに、今度はドリゴが入れた曲を削除しないのか?」(←曲の感じが似ているので、片方を削って片方を残すと不自然になる)とか思ってました。

  あと、第四幕のラスト・シーンで、オデットとオディールが「直接対決」する演出はやりすぎだと思います。笑えますが。

  物語構成と演出は、まるで子ども向けのバレエの絵本みたいに単純で同じことを何度もくり返し、しかも分かりやすいように、という配慮からでしょうが、スペクタクル&ロマン冒険劇のようなシーン(やはり第四幕のラストが最もひどい)があり、それなのに伝統的な難しいマイムが挿入されたりしているのです。
  骨太な一貫した解釈や統一性が感じられず、再演出・改訂振付版としては失敗作だと思います。もうちょっとすっきりと落ち着いた、大人向けの芸術的な作品にしてほしかったです。

  そんなわけで、Kバレエ・カンパニーはTBSが展開する事業の一つであり、TBSのイベント事業の中で最も高い収益を上げている、とTBSの社長が明言している以上、決して完全なる独立採算制をとっているはずがないだろう、と考えている私は、この公演には18,000円(チケット代)の価値はない、と思いました。
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ルジマトフ

  昨日、光藍社から封書が届きました。お、また公演チラシかな、今度はどんなキャッチコピーで笑かしてくれるんだろ、とワクワクしながら開けました。

  そしたら、中身はチラシではなくて請求書でした。あ、そーいえば、と思い出しました。今月の初め、レニングラード国立バレエの「バヤデルカ」を観に行ったときにたくさんのチラシをもらいました。その中に、「ルジマトフのすべて 2007」の特別優先予約受付用紙(FAX専用)が入っていたのです。

  「ルジマトフのすべて 2007」で上演される作品は、今のところは「ボレロ」(R.ロメロ振付)と「阿修羅」(岩田守弘振付)が確定のようです。両作品とも日本初演となるそうです。

  これはきっと上半身裸に黒のズボンで踊ってくれるくさいな、と思ったので、「バヤデルカ」を観終わって帰宅すると、さっそく光藍社に申し込みのFAXを送ったのでした。その請求書だったんですね。

  ルジマトフの他にも、レニングラード国立バレエのイリーナ・ペレン、エレーナ・エフセーエワ、ミハイル・シヴァコフが参加します。
  後は謎の人物が2人。ロサリオ・カストロ・ロメロとリカルド・カストロ・ロメロ(兄弟?)です。このうちどっちかが、ルジマトフが踊るという「ボレロ」の振付者に違いありません。

  「阿修羅」の振付者である岩田守弘は、ボリショイ・バレエの日本人の団員です。去年のボリショイ・バレエ日本公演では、銅像(「ラ・バヤデール」)と猿(「ファラオの娘」)を踊ってました。振付の才能にも恵まれた人だったんですね。

  あと、今年11~12月のキエフ・バレエの日本公演のうち、「ライモンダ」にルジマトフがアブクブクブクマンとかいう役でゲスト出演するそうです。こちらもFAXで予約を受け付けていましたが、でも私はコンテンポラリーを踊るルジマトフのほうが断然すばらしいと思うので、アブラブクブクマンは観に行きません。

  去年の「シェヘラザード」やこの間の「バヤデルカ」を観て、なるほどルジマトフはすばらしいクラシック・バレエのダンサーだな、と感服しました。でも、私個人は、ルジマトフは「レクイエム」や「アダージェット」のような作品を踊ったほうが、彼の肉体そのものによる表現力の、他に類を見ないほどのすばらしさが発揮できると思うのです。

  上手に踊れるダンサーはいくらでもいますが、身体そのもので何かを表現できるダンサーはめったに、というよりほとんどいません。ルジマトフは、そういうほとんどいない貴重なダンサーの一人だと思います。

  去年から今年にかけては、なぜかルジマトフの舞台を観る機会が多いです。かといって、私がルジマトフのファンになった、というわけではないのです。ルジマトフに対する感情は「ラヴ」ではなく、しいていえば「尊敬」でしょうか。峻厳に聳え立つ美しい雪山を眺めているといった感じです。

  アダム・クーパーに対する私の感情は「ラヴ」です。オンもオフもひっくるめて、クーパー君がまるごと好きなのです。だから舞台を観るのは基本で、オプションでサインしてほしい、握手したい(彼のぶ厚い手に触れるし)、一緒に写真撮りたい(肩や背中にたくましい腕を回してもらえるし)、ヘタな英語で恥ずかしいけど話がしたい(あの深いオリーブ・グリーンの瞳でじっと見つめてもらえるし)、となるわけです。

  でも、ルジマトフに対しては、舞台を観る以外は興味がないんですね。サインもいらないし、握手もしたいと思わないし、舞台写真も見たい気にならないし(動いていないルジマトフを見ても仕方がない)、素のルジマトフがどんな人物であろうがどうでもいいんです。

  それなのに、ルジマトフの踊るコンテンポラリーは、私をものすご~く惹きつけてやまないわけです。あれほど雄弁に物語る肉体と筋肉は見たことがありません。実に不思議なダンサーです、ルジマトフって。
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さんざし飴

  写真は北京に住んでいる友人が送ってくれた「さんざし飴」です。「糖葫蘆」といいます。背景はどうやら北京駅のようです。

  「さんざし飴」は、いくつものさんざしを写真のように串で貫いて団子状にし、それを融かした砂糖にくぐらせて冷やしたものです。日本の屋台名物「りんご飴」と同じです。写真には「さんざし飴」の他に「いちご飴」も写っていますね。主に広場や道端で、一串だいたい1~2元(15~30円)くらいで売っています。

  さんざしという果物は、私は日本では目にしたことがありません。「さんざし」という名前は、中国語の「山査(子)」に由来するようです。日本に中国語の名前が定着したのですから、日本でもどこかの地方にはあるはずです。

  「さんざし飴」は中国では冬の風物詩で、私は冬には毎日のように「さんざし飴」を食べていました。さんざしの甘酸っぱさは、さんざしをコーティングしているべっこう飴の甘さとよく合うのです。一度食べたらやみつきになります。

  2月18日は旧暦の正月でした。「春節」という語は、今は日本でも通用しつつあります。中国ではお祝い事があると爆竹を鳴らしまくるという習慣があるのですが、爆竹のせいで火事が起きたり、人が大やけどを負ったりと事故が頻発したため、ほとんどの大都市では、街中で爆竹を鳴らすことは禁止されています。

  ところが、友人によると、北京市は今年、春節に街中で爆竹を鳴らすことを許可したそうなのです。よって今年の春節では、街じゅういたるところで、朝から晩まで爆竹が鳴らされ続け、その騒音のために友人夫婦はすっかり寝不足になり、また昼でも爆竹の大音響で気が休まらなかった、ということでした。「今の中国人は変です」と、自らも中国人である友人は書いていました。

  ああ、「糖葫蘆」が食いたい。
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地方興行

  レニングラード国立バレエ「バヤデルカ」の感想というかあらすじ紹介というかを書き終えました。興味のあるみなさんは読んで下さいね。例によって文章が大量になりましたが、気に入った公演なり作品なりは、いつも大量になってしまうのです。

  にしても、クーパー君関連で書くことがないのは寂しい限りです。そろそろ舞台出演の情報が知りたいところですね。振付活動なんか後でやりゃいいじゃん、踊れるうちは踊ってほしい、というのが私の正直な気持ちです。  

  ところで下に書いたアクロバティック「白鳥の湖」ですが、イープラスは2月21日(水)~25日(日)にプレオーダーを受け付けます。チケットぴあのプレリザーブは、2月24日(土) 午前0:00~3月1日(木) 午前9:00の受付です。

  やっと本題です。実家の母親が、グランディーバ・バレエ団が秋田で公演をやるのでぜひ観たい、と申しまして、私が代理でチケットを取ることにしました。

  そこで秋田公演を主催するプロモーターに電話して詳細を聞きました。まずチケットを販売する会社を聞いたら、チケットはそのプロモーターのみが販売し、他のチケット・エージェンシーでは販売されない、ということでした。

  チケットの一般発売は3月で、予約受付は電話のみです。グランディーバ・バレエ団は毎年秋田公演を行なっているらしいです。それで毎年の売れ行きはどんな感じか、電話はかなり混みあうのかどうかを聞きました。そしたら、電話はかなり混むし、チケットは例年ともほぼ即日完売だ、という答えが返ってきました。秋田公演は2回しかないのです。

  東京から秋田へ「リダイヤルボタン作戦」をやるのはバカバカしいし面倒くさいし時間の浪費なので、先行予約などはないのかを尋ねました。すると、そのプロモーターの会員になれば、今すぐにチケットを予約できる、というのです。

  まあ仕方ないか、これも親孝行、と思い、会員になることにしました。入会料1,000円+年会費3,000円、しめて4,000円の出費です。驚いたことには、じゃあ会員になります、と言ったら、名前と電話番号を聞かれて、その場でチケットを予約してくれました。

  こうしてとりあえずチケットは押さえましたが、気になるのは席番です。聞いてみたのですが、「席はおまかせ」で、会員になったからといって良い席があてがわれるとは限らない、ということでした。

  4,000円の価値ある見返りは、確実にチケットが買えるということだけかい、と少しカチンときました。でも母親が希望していたのはS席でした。S席は8,000円です。東京では安いほうですが、地方ではとんでもなく高い値段です。S席ならそこそこ良い席になるのではないか、と思いました。

  でもなんか気になったので、会場の席数とS席のエリアを尋ねてみました。そしたら驚きました。会場の席数は1,800あまりで、うちS席は1階席全部と2階席前面だというのです。これを聞いて心中、うわあ、こりゃ完全に客の足元を見た商売だ、と叫びました。

  ただ今回は、プロモーターを相手に文句をつけることはしませんでした。どうせ私が観る公演ではないからね(←冷たい)。まあチケットは押さえられたんだからいいか、と思いながら電話を切りました。

  ちょっと笑ったのは、チケット代と入会費と年会費の支払いが現金書留だったことです。まだあったんです現金書留。とっくの昔に廃止されたと思ってました。送り先の住所を書いていてやっと気づきましたが、秋田のそのプロモーターの会社の所在地は、どうもマンションかなにかの一室らしいのです。

  マンションの一室で電話受付?回線数はどれぐらいなんだろう?と不思議に思いました。それとも電話の転送システムを利用して、別のもっと大きな場所で受け付けるのでしょうか。

  チケットは5月に郵送されてくるそうです。チケットが取れたと聞いて母親は喜んでいましたが、席番はどんな結果になるのか、私は別の意味で楽しみです。

  秋田でバレエ公演を行なうのは、グランディーバ・バレエ団くらいではないでしょうか。グランディーバ・バレエ団を見下しているわけでは決してありませんが(私も東京公演を観に行くし)、秋田で唯一のプロフェッショナルなバレエ公演が女装バレエ、というのは、ちょっと寂しい現実です。

  それでも地元のバレエ・ファンは、その唯一のバレエ公演に殺到します。そんなファンの気持ちに乗じて、1,800席という大きな会場の1階席全部がS席、しかも地元の物価に比べればべらぼうな値段である8,000円で売る、ということをやるわけです。

  これが地方興行の実態の一例です。
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雑技版「白鳥の湖」再び

  私は今日(もう昨日か)なぜか14時間も仕事をし続けてしまいました。脳ミソが熱を持ったような、なんだかヘンな感じです。もう何も考えられまへん。

  でもNHK教育の「スーパーバレエレッスン」、ヌレエフ版「ロミオとジュリエット」バルコニーのパ・ド・ドゥ最終回は、仕事しながら(してなかったか)観ました。

  アクセル君とロレーヌちゃんは本当にご苦労さまでした。特にアクセル君は、第1回目から最終回までマニュエル・ルグリに注意されっぱなしでかわいそうでした。結局、アクセル君は注意されればされるほど、どんどん調子が悪くなっていって、それにも関わらず「少し良くなった」と褒めるルグリの言葉が、ちょっと空々しく聞こえました。

  ヌレエフ版「ロミオとジュリエット」バルコニーのパ・ド・ドゥは全部で3回ありましたが、これは実際には1回でまとめ撮りしたのではないですか?だって、最初はダンサーたちを気づかって、「さっきより良くなったよ」とか、「いいね、そうだ!」とか声をかけていて、また丁寧に詳しく指導していたルグリが、今回はほとんど無口だったもん。

  教えられるダンサーたちも疲れたでしょうけど、教えるルグリも疲労しきっている感じでした。Tシャツが汗で滲んでいましたから。ヌレエフ版「ロミオとジュリエット」は、それほど難易度の高い振付、というよりは、人間が踊るのには相当無理のある振付なのでしょう。

  最後にはパ・ド・ドゥの全編を、エトワールとプルミエール・ダンスーズのダンサーが模範演技として踊りました。それでも、美しいとか、ドラマティックだとか、ぜんぜん思えませんでした。確かにアクセル君やロレーヌちゃんよりはスムーズでしたが、ややこしくて複雑でうるさい振付をこなすので精一杯、という感はぬぐえません。

  私はたぶん、ヌレエフ版「ロミオとジュリエット」を観る気は永遠に起きないと思います。ヌレエフ版はもうやめてくれ、というのが正直な気持ちです。次の回は何の踊りなのでしょうね。

  NHKのサイトを見たら、次は「モーリス・ベジャールの『アレポ』から第1部のパ・ド・ドゥ」だそうです。「アレボ」は「モーリス・ベジャールがパリ・オペラ座バレエ団にささげた現代バレエ作品」だそうで、生徒はオーバーヌ・フィルベールとマルク・モロー、模範演技はドロテ・ジルベールとエルヴェ・モロー。今回の「ロミオとジュリエット」の模範演技をしたのと同じダンサーです。先生はもちろんマニュエル・ルグリ。

  ところで、レニングラード国立バレエの「バヤデルカ」を観に行って、色々とチラシをもらいました。チラシを受け取らない人も多いようですが、チラシは重要な情報源だし、日によって配られるものが微妙に違うので、たとえ連日の観劇であっても、チラシは受け取っておいて損はないと思います。

  今回の「バヤデルカ」はオーチャード・ホールで上演されたんですね。それで、Bunkamura主催の公演のチラシが割と入っていました。

  やっと本題に入るわけですが、去年ソールド・アウト公演となった、アクロバティック「白鳥の湖」は今夏も日本で上演されます。

  上演期間は8月9日~19日で、去年よりも短いです。全部で12公演しかありません。一般発売開始は3月10日午前10:00で、たぶんぴあやイープラスで、その前に先行予約抽選が行なわれるのかもしれません。

  チケットの販売元はBunkamuraチケットセンター(03-3477-9999)、電子チケットぴあ(今回は店頭発売がないのかな?)、イープラス、ローソンチケットなどです。

  惜しむらくはダブル・キャストになる場合があるということで、ドリーム・ペアのウ・ジェンダン(オデット)とウェイ・バオホァ(王子)に当たらない可能性もあります。

  再来日公演を記念して、3月21日16:00からTBSで特番が放映されるそうです。TBS系列のテレビ局なら、東京以外の地域でも観られるかもしれません。

  去年の公演の映像は持っているのだけど、やっぱり雑技は生がいちばん迫力があるし、去年よりもグレード・アップした舞台になるかもしれないから、観に行きたいなあ、と思っています。
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バヤデルカ(2)

  今日もレニングラード国立バレエの「バヤデルカ」を観に行ってきました。久しぶりの連日観劇で疲れましたが、今日もとても楽しみました。

  昨日の公演と今日の公演を比べると、昨日は踊りが優れていて、今日はドラマとして優れていたという印象です。

  ソロル役は昨日に引き続きファルフ・ルジマトフでした。ニキヤは昨日ガムザッティを踊ったオクサーナ・シェスタコワ、ガムザッティはエレーナ・エフセーエワでした。

  個人的に思ったのですが、ルジマトフは、シェスタコワがニキヤだと、ソロルとしての演技がしやすいのではないでしょうか。昨日は抑え気味でクールな演技だったのが、今日のルジマトフはとにかく熱演でした。

  第二幕、毒蛇に咬まれたニキヤに、大僧正が解毒剤の入った小瓶を差し出し、命を助けてやる代わりに自分のものになれ、と迫ります。その小瓶を受け取ったニキヤに向かって、ソロルは「ダメだ」というように思わず首を振ります。それを見たニキヤは小瓶を取り落とします。

  ソロルは非常にエゴイスティックで、ニキヤを裏切って捨てたはずなのに、彼女が他の男のものになることは許せないのです。そんなことになるくらいなら、いっそのこと死んでくれ、というわけです。とんでもない男です。

  でもニキヤはソロルの願いを受け入れて死を選びます。ある意味、究極の愛の形なのかもしれません。このシーンでのルジマトフとシェスタコワの演技はすばらしかったです。まさにあうんの呼吸で、ソロルとニキヤがほんの一瞬の間に交わした気持ちのやり取りを表現していました。

  ボヤルチコフ版「バヤデルカ」のラスト・シーン(第三幕)はちょっとホラーな展開です。ソロルとガムザッティの結婚式が行なわれているのですが、なんとその場にニキヤの亡霊が現れるのです。   

  ニキヤは白い衣装に白いヴェールをかぶっていて、その顔は見えません。ニキヤの亡霊はソロルとガムザッティにつきまとい、ガムザッティにすりかわってソロルと踊ったり、ソロルがガムザッティに花を贈ろうとすると、その都度ふたりの横に立って、ふたりを引き離そうとする仕草をしたりします(←これが実に怖い)。そして、ガムザッティが受け取った花を、いつのまにかするりと奪い去ってしまうのです。悲劇のヒロインにはめったにない、執着心を露わにした、なかなかアグレッシヴな亡霊ぶりです。

  ニキヤの亡霊は、ガムザッティから奪った花を、ソロルとガムザッティの前に降らします。ここからのルジマトフの演技がすごかったです。ソロルははっと我に返ったような顔をして、ガムザッティから身を離すと、険しい表情で花を拾い集めてガムザッティに突きつけます。ガムザッティがニキヤを毒殺したことをはじめて生々しく実感し、ガムザッティを責めているのです。

  ガムザッティは父王に泣きつきます。ソロルは結婚式でガムザッティとともに握った紅いヴェールも拾い上げ、それを乱暴な手つきでくしゃくしゃにしてしまうと、ガムザッティにつかつかと歩み寄り、忌々しげな表情でガムザッティを睨みつけ、花とヴェールを彼女の足元にたたきつけます。

  こんなに嫌悪の感情をむき出しにしたルジマトフを見るのは初めてです。演技とはいえ、ガムザッティ役のエフセーエワがかわいそうでした(自業自得ですが)。

  今日の公演は、キャストが適材適所だったと思います。シェスタコワのニキヤは、予想したとおりはまり役でした。シェスタコワは昨日は金髪でしたが、今日は髪を濃い栗色に染めて登場しました。慎み深い静かな表情で、最初に登場して踊るシーンも、大僧正に求愛されて拒むシーンも、強い意志と威厳が感じられました。

  シェスタコワのニキヤは、ソロルのことをとにかく愛していて、信じているといった感じでした。どことなく憂いを含んだ表情は、ソロルのこととなると、花がほころぶように明るい笑顔になります。マグダヴェーヤからソロルからの伝言を耳打ちされたとき、ソロルは自分への愛を神に誓ってくれた、とガムザッティに話すとき、ソロルが自分に花籠を贈ってくれた(実はガムザッティがやったのですが)、と知ったとき。

  昨日のガムザッティ役では、シェスタコワはイリーナ・ペレンのニキヤ、ルジマトフのソロルに比べると影が薄かったですが、今日はシェスタコワのひたむきなニキヤにとても感動しました。

  踊りもすばらしかったです。特に第二幕でのソロは、しなやかにゆっくりと踊っていました。ジャンプしても動きに粗さがない上にとても軽いのです。花籠をもらった後の踊りは、あまりに底抜けに陽気になりすぎましたが、これもソロルをひたむきに愛していればこそでしょう。
  ですが、第三幕の「影の王国」でのパ・ド・ドゥでは、途中、特に白いヴェールを使った踊りの後くらいから不安定になりました。足元がグラついて、ステップやポーズが定まりません。でも最後は持ち直しました。

  ガムザッティ役のエレーナ・エフセーエワは、踊りこそ昨日のシェスタコワには及ばないと思いますが、役作りや演技はよく練られたものでした。
  
  わがままで感情の起伏が激しいお姫様で、ニキヤにソロルのことをあきらめるよう迫るシーンでは、ガムザッティは強気と弱気の間を行ったり来たりしながら、彼女自身も徐々に追いつめられた心境に陥っていって、それでついにニキヤを殺すことを決意するという過程がよく分かりました。

  婚約式でニキヤが踊っているとき、ガムザッティは不安げな表情で、しょっちゅうソロルの手を取っては彼の愛を確認しようとします。花籠がニキヤに届けられたとき、ソロルは事の次第を察してガムザッティに詰め寄りますが、ガムザッティは「あなたを愛しているからやったのよ」と必死な顔でソロルを見つめます。

  エフセーエワのガムザッティは、「わがままお姫様が後先考えずにとんでもないことをしてしまった」という感じで、まさに「恋は盲目」を地でいったキャラクターでした。だからルジマトフもあれだけ強い演技ができたのでしょう。ただ、エフセーエワは縦ロールのふさふさしたエクステンションをつけていて、まるでマリー・アントワネットのようでした。「パンがないならお菓子をお食べ」とか言いそうです。

  他には、大僧正を演じたアンドレイ・ブレグバーゼが強烈な存在感を発揮しました。ニキヤとソロルが恋人同士であることを知ったとき、怒りのあまり拳を振り回すのが迫力がありました。また、ガムザッティの父王に、ニキヤの白いヴェールをつかんで、ニキヤがソロルの恋人だ、と暴露するときの愛憎が入り混じった表情も良かったし、死んでしまったニキヤを目の前にして、悲しみと後悔に苛まれる様子も印象的でした。単なるエロ坊主で終わらなくてよかったです。

  ソロルにこき使われるマグダヴェーヤを踊ったラシッド・マミンも、演技はもちろん、しなやかで柔らかい動きの踊りもすばらしかったです。

  あとはなんといっても「影」の群舞です。山肌をアラベスクをしながら下りてくるシーンからはじまって、舞台上に揃って一斉に踊るところまで、すべてがとても美しく幻想的でした。トゥ・シューズの音は静かで、動きもきれいに揃っていました。

  詳しくは後で「雑記」に書きます。もう一言だけ。「バヤデルカ」の上演がたったの2回というのはもったいないなあ、と思いました。ボヤルチコフ版の演出はかなり凝っているので、観る回数を重ねれば重ねるほど新しい発見があるでしょう。それに、もっと色々なキャストで観たかったです。特に、イリーナ・ペレンのガムザッティはぜひ希望したいです。      
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バヤデルカ

  今日はレニングラード国立バレエの「バヤデルカ(ラ・バヤデール)」を観に行ってきました。新春(←もう節分だっつーの)初バレエ鑑賞です。この日を待っていたのよ~(泣)。

  節分といえば豆まきですが、関西ではその年の縁起の良い方向を向いてのり巻きを食べるそうですね。1本ののり巻きを完全に食べ終えるまでは、絶対に口をきいてはならない、と聞きましたが本当でしょうか?

  「バヤデルカ」は去年のボリショイ・バレエ日本公演で観ましたが、今日のレニングラード国立バレエの公演を観て、「白鳥の湖」や「くるみ割り人形」のように、「バヤデルカ」にもいろんなヴァージョンがあることが分かりました。

  レニングラード国立バレエの「バヤデルカ」は、ボリショイ・バレエのグリゴローヴィチ・ヴァージョンとは大いに違っていました。話の筋はもちろん同じなのですが、細かい振付や演出がかなり異なっていて、またエピローグ(第三幕のラスト・シーン)は、ボリショイとはまったく違いました。

  プログラムを買わなかったので、レニングラード国立バレエの「バヤデルカ」が誰のヴァージョンなのかは分かりません。(追記:光藍社のサイトを見たら、「改訂演出:N.ボヤルチコフ」と書いてありました。芸術監督であるニコライ・ボヤルチコフの改訂版らしいです。)

  マイムがグリゴローヴィチ版よりもはるかに多いのが特徴の一つです(特に第一幕)。マイムの他に、小道具を用いた演出も緻密で、それによってストーリーや登場人物の心情を細かく表現していました。黙劇みたいなヴァージョンだなあ、というのが第一印象です。

  ただ、やはりよく分からないところもあって、たとえばガムザッティのキャラクターが曖昧です。彼女は自分の婚約者となったソロルの恋人であるニキヤに嫉妬し、ニキヤを殺してしまうようなお姫様です。

  でも、第一幕、ニキヤを呼び寄せてソロルのことを諦めるように迫るシーンでは、ニキヤに自分のかけていたネックレスを差し出して懇願し、それでもニキヤがうんと言わないために、しまいには両手で顔を覆って泣き出してしまうのです。逆上したニキヤが短刀を振りかざして突進してくると、怖がって床にうずくまってしまい、間に入った侍女に助けられます。 

  そんなガムザッティが第一幕の最後で、いきなり拳を握った腕を下におろし、ニキヤを殺してやる、という仕草をします。決意があまりに唐突すぎて不自然です。

  また第二幕、ソロルとの婚約式のシーンでは、ガムザッティは一貫してかわいらしい微笑みを浮かべてソロルを見つめ、毒蛇に咬まれたニキヤが、ガムザッティの差し金だ、と彼女を指さすシーンでも、ガムザッティはニキヤに背を向けたまま、相変わらずソロルを可愛らしい瞳で見つめて微笑んでいます。ガムザッティは自分が人殺し呼ばわり(実際人殺しですが)されているというのに、何のリアクションもないというのはおかしいと思います。

  ガムザッティもそうですが、ソロルの行動にもよく分からないところがありました。ニキヤが毒蛇に咬まれて苦しんでいる最中、ガムザッティとソロルは手を取り合ってラブラブなのです。目の前で人が死にそうだというのに、更にニキヤはソロルの元恋人だというのに、ふたりともニキヤに目もくれません。かと思うと、ニキヤが死ぬシーンでは、ソロルはいきなり走っていって、倒れるニキヤの体を抱きとめ、彼女を抱きしめて悲嘆にくれるのです。これも非常に唐突です。

  最も分からないのは第三幕のラスト・シーンです。宮殿が崩壊した後、ソロルは舞台脇に姿を消してしまうので、ソロルが最後にどうなったのかがまず分かりません。その後に、第三幕の冒頭で「影」たちが下りてきた山が再び現れ、その山の中腹に大僧正が立って、火の燃える祭壇に祈りを捧げていて、それで幕となるのですが、これはどういう意味なのでしょう。私には、このラスト・シーンが最も理解不能でした。よって今も少しもやもやした気持ちです。

  というように、分からない部分もあったものの、上にも書きましたが、小道具をライトモチーフのように使って、ストーリー、登場人物、登場人物の心情を示すという演出は非常に巧みでした。

  たとえばニキヤやガムザッティのヴェールを用いた演出がそうで、第一幕でニキヤは白いヴェールをかぶって登場します。第三幕でソロルがニキヤの「影」と踊るシーンで、ソロルとニキヤはその白いヴェールの両端を持ちながら踊ります。ニキヤのヴェールが、ソロルとニキヤの間を繋ぐものとして再登場するわけです(ボリショイ版もそうですが)。

  またガムザッティもソロルと初対面するシーンでは白いヴェールをかぶっています。ソロルがニキヤと恋仲である、ということを知ったガムザッティは、ニキヤを呼び出している間、ソロルと初めて会ったときにかぶっていたヴェールを抱きしめます。これで、ガムザッティがソロルを深く愛していることが分かります。
       
  ソロルとニキヤが密会するに至る過程の演出も凝っていました。ボリショイ版は、ソロルが苦行僧のマグダヴェーヤに命じて、やがてニキヤがやって来るという単純なものでした。

  でも今回の舞台では、ソロルがマグダヴェーヤに命ずる(というよりは強く頼む)ところまでは同じですが、マグダヴェーヤがソロルからの伝言をニキヤに伝える演出がうまくできていました。大僧正が、修行の果てに倒れた苦行僧たちに水を飲ませるよう舞姫たちに命じます。ニキヤがマグダヴェーヤに水を飲ませると、マグダヴェーヤはニキヤに、ソロルからの伝言と密会の合図(手を打つ)をマイムで伝えます。それで次のソロルとニキヤの逢瀬にうまくリンクします。

  ニキヤ役のイリーナ・ペレンが踊りも演技もすばらしかったです。ガムザッティのほうが似合うのでは、と開演前には思いましたが、しっとりした情感豊かなニキヤとなりました。第二幕、ソロルとガムザッティの前で踊るシーンでは、悲痛な表情を浮かべていて、また踊りでもニキヤの悲しみが伝わってきました。踊れることと、踊りで表現できることとは違いますが、ペレンはポーズ、動き、そして体全体でニキヤを演じていたと思います。

  一緒に観た人が、「ペレンは本当にいいダンサーに成長した」と言っていました。私も2年前にペレンが「白鳥の湖」のグラン・アダージョでオデットを踊ったのを観ています。
  感想(「雑記」レニングラード国立バレエ「新春特別バレエ」公演)を読み直したら、「動きが雑で粗い」、「ポーズが美しくない」とか散々なことを書いていましたが、今日のペレンはどの踊りも美しく、しかもトゥ・シューズの音をまったく響かせないのです。ジャンプの着地音もしません。

  第三幕「影の王国」でも、イリーナ・ペレンはソロル役のファルフ・ルジマトフに負けない存在感を発揮して踊っていました。ふたりのパ・ド・ドゥは息が合っていて、とても美しかったです。ガムザッティ役のオクサーナ・シェスタコワが、完全にルジマトフに負けてしまっていたのに比べると大したもんです。

  そのオクサーナ・シェスタコワですが、どうもガムザッティ役としてはミスキャストではないかな~、と思います(ガムザッティは彼女の当たり役らしいんですが)。彼女の外見(清楚で可愛らしい感じ)だけを見て言ってるのではありません。

  ガムザッティは別に高慢で見るからに気の強いお姫様である必要はなく、かわいくて気が弱くておとなしいお姫様なのに、愛らしく微笑みながら平然と残忍なことがやれる、というキャラクターでもいいんです。というか、むしろこっちのキャラクターのほうが迫力倍増です。

  ただ、こういうキャラクターは非常に演技が難しいと思います。シェスタコワの演技からは、ガムザッティのそうした恐ろしさが伝わってきませんでした。踊りは見事なものでしたが、やはり「正確に踊っている」だけで、踊りそのものでガムザッティの心情を表現しているようにはみえませんでした。

  私が最も違和感を覚えたのは、シェスタコワがソロル役のファルフ・ルジマトフと一緒にいるときでした。ルジマトフとシェスタコワは、明らかにそれぞれが別次元にいました。ルジマトフが完全に自分の役柄の中に没入しているのに対して、シェスタコワは表面的に演技しているだけのようにみえました。たぶん、相手がルジマトフでなければ、こういうふうには感じなかったでしょう。

  ソロル役のファルフ・ルジマトフは相変わらずでした。踊りも仕草も演技も丁寧で安定していました。特に、ガムザッティと婚約した後、何も知らずに自分の目の前で踊るニキヤから目をそらし、婚約式の場でも、悲愴な表情で踊るニキヤに決して目を向けようとしない演技がよかったです。

  ソロルが毒蛇に咬まれて苦しむニキヤに気づかず、ガムザッティと手を取り合って見つめ合っているのが不自然、と上に書きました。シェスタコワには申し訳ないのですが、彼女は、ソロルが目の前で死に瀕している元の恋人(ニキヤ)を思わず忘れてしまうくらい魅力的なガムザッティを演じるべきでした。

  ルジマトフは、まとまった踊りの最後に着地するときの決めポーズが優雅でいいですね。着地が決して乱れないし、着地した後に両腕を緩やかに伸ばすのも魅力的です。ダンサーの中には、たとえ苦悩するソロルの踊りであっても、大げさに見得を切る人もいるでしょうが、ルジマトフは役柄に合わせて動きを適切に変えているのでしょうね。

  構成や演出はグリゴローヴィチ版のほうが優れていると思いますが、今回のボヤルチコフ版も面白かったです。公演時間は3時間を超えましたが、ドラマティックでまったく飽きませんでした。

  でも、マグダヴェーヤをはじめとする苦行僧たちの姿(黒髪のもじゃもじゃ頭にボロ布の腰巻、色黒)を見ると、やはり「アダモちゃ~ん!」と呼びかけたくなります(「は~い!」と答えてくれるのを期待)。
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