ボリショイ&マリインスキー合同ガラ

  ボリショイ・バレエとマリインスキー・バレエの合同ガラ公演(Aプログラム)を観に行ってきました。演目はよく知られている作品のパ・ド・ドゥがほとんどだったので、気軽に踊りそのものを楽しむことができました。忘れないうちに感想を短くメモしておきます。

  Aプログラムはボリショイ・バレエが先攻です。

  「エスメラルダ」第二幕のパ・ド・ドゥ、ダンサーはエカテリーナ・クリサノワ、ドミートリー・グダーノフ。さっそくロシアのバレリーナのプロポーションの美しさと優れた身体能力に打ちのめされる。濃い緑のチュチュを着たクリサノワは長い脚を耳の傍まで高く上げて、爪先でタンバリンをリズムよく叩く。脚の形が実に美しい。弓道に使う弓のようだった。クリサノワがコーダで何かミスをしたように覚えているが、最初だから緊張もするだろう。

  「マグリットマニア」(ユーリー・ポーソホフ振付)デュエット、ダンサーはネッリ・コバヒーゼ、アルテム・シュピレフスキー。コバヒーゼは両脇に深いスリットの入った赤いドレス、シュピレフスキーは白いシャツにサスペンダーを付けた黒いズボン。クラシックお約束の動きがほとんどないモダン作品。コバヒーゼの腕の動きがとても柔らかで美しかった。シュピレフスキーはコバヒーゼをリフトしっぱなしだったけど、ふたりは闇の中を白い流線を描いてすべるように踊っていた。

  「海賊」第一幕の奴隷の踊り。ランケンデムとグルナーラの踊りらしい(海賊はまともに観たことがないので分からない)。ダンサーはニーナ・カプツォーワとアンドレイ・メルクリーエフ。カプツォーワは白い紗のヴェールをかぶって登場した。メルクリーエフが途中でそのヴェールを外す。このへんから、ボリショイ・バレエのダンサーたちが、揃いも揃って背が高くてスタイル抜群、しかもみな恵まれた身体能力と超絶技巧を誇るという事実を痛感し始める。

  「ジゼル」第二幕のパ・ド・ドゥ、ダンサーはスヴェトラーナ・ルンキナ、ルスラン・スクヴォルツォフ。ルンキナのジゼルはすばらしかった。動きは丁寧でゆっくりと回転するときやアラベスクをするときの足元も安定している。片脚を前に上げ、同時に上半身を後ろに反り返らせたジゼルの腰をアルブレヒトが支え、その瞬間にジゼルが前に向き直る動きでは、スクヴォルツォフのサポートがバッチのタイミングで見事だった。スクヴォルツォフは腕が長いのか、ルンキナからずいぶんと離れたところから支えていた。

  「ファラオの娘」第二幕のパ・ド・ドゥ。王女とタオール(←名前あやしい)の踊りだよね、確か。全幕で観ると耐え難かったが、パ・ド・ドゥだけ観るとすばらしい。ダンサーはマリーヤ・アレクサンドロワ、セルゲイ・フィーリン。アレクサンドロワは紫のチュチュ、フィーリンは古代エジプト風の(?)白地に水色の入った胸当てと短いスカート状の腰巻。アレクサンドロワは華やかでいいねえ。ヴァリエーションでのアレクサンドロワの爪先が、超高速で激複雑な振付なのにも関わらず、正確に動いてステップを踏んでいくので、心の中で絶句してしまった。

  「パリの炎」(振付:ワシリー・ワイノーネン)第四幕のパ・ド・ドゥ。ダンサーはナターリヤ・オシポワ、イワン・ワシリーエフ。オシポワとワシリーエフの白い衣装にはトリコロールの色が入っている。どーやらこれはフランス革命を描いた作品くさく思える。オシポワの体には空中浮揚装置かジェット噴射エンジンでも付いているのか。なんで助走もしないのにあんなにふわっと高く跳べるのだろう。ワシリーエフは(たぶん)コーダでとても人間技とは思えない回転ジャンプをした。斜め跳びして回転するんだけど、その体の角度が尋常じゃない。床に対して45度くらい?なのに片膝ついてポーズを決めて着地する。もうちょっと美しく跳んでくれたらもっとすばらしかった。

  後攻はマリインスキー・バレエです。

  「ばらの精」、ダンサーはイリーナ・ゴールプ、イーゴリ・コールプ。イーゴリ・コールプがはなからものすごい大ジャンプで舞台に飛び込んできた。回転では足元が多少グラついた。珍しい。一番手だから緊張していたのね、きっと。野郎のくせに腕の動きがゆらゆらと波打つようでとてもきれいだった。

  「サタネラ」(振付:マリウス・プティパ)パ・ド・ドゥ、ダンサーはエフゲーニヤ・オブラスツォーワ、ウラジーミル・シクリャーロフ。オブラスツォーワは黒地に紅の入った、オディールみたいなチュチュ。シクリャーロフのパートナリング(特にろくろ回し、リフト)が相変わらずぎこちなくて、終わったとたんに後ろの観客が「何かヘンじゃない?」とささやいているのが聞こえた。それなのにヴァリエーションでは飛ばしまくる。去年のマリインスキー・バレエ日本公演でもそうだった。もっとパートナリングを頑張りませう。

  「三つのグノシエンヌ」(ハンス・フォン・マネン振付)、ダンサーはウリヤーナ・ロパートキナ、イワン・コズロフ。ロパートキナは膝下丈の薄い青い生地のドレス。コズロフの衣装は忘れた。第1曲はふたりが組んで、第2曲はふたりが並んで同じ振りを、第3曲は再び組んで踊る。バレリーナとして、ロパートキナは別格だと思った。背が高く、手足が長くて、プロポーションは完璧、それに手足の動きが他のバレリーナとはぜんぜん違う。動きに緩急をつけ、また音楽を的確に捉えてメリハリをつける。

  振付は少し変わっていて、これもモダン作品に属すると思う。足首を曲げたり、ロパートキナが人形のように体を硬直させて持ち上げられたりする。振付もすばらしいのだろうけど、ロパートキナは振付を完全に凌駕してしまっている。まさに踊りだけで「見せた」。コズロフのサポートやリフトもすばらしかった。ぎこちなさやたるみがまったくない。彼らが踊っている間、観客は息を呑んで見つめていた。私もすごく集中してガン見していた。

  マリインスキー・バレエのダンサーたちは、見てくれ(身長と体型)ではボリショイ・バレエのダンサーたちにやや劣る。またミスもボリショイ・バレエに比べて多い。ロパートキナが来なかったら、マリインスキー・バレエはボリショイ・バレエに容姿でも踊りでも負けていただろう。ロパートキナを来させたのは賢明な判断だった、と思った。

  「ディアナとアクティオン」パ・ド・ドゥ、ダンサーはエカテリーナ・オスモールキナ、ミハイル・ロブーヒン。今日の公演で最も見ていて気の毒に感じた演目。ヴァリエーションでのオスモールキナは不安定で(特に片脚で回転してから、そのままもう片脚を後ろに伸ばすところ)、またロブーヒンは、ヴァリエーションでの最初の回転ジャンプをするタイミングを逸したのではないだろうか?出てきていきなり回転ジャンプするはずだよね?

  「グラン・パ・クラシック」、ダンサーはヴィクトリア・テリョーシキナ、アントン・コールサコフ。テリョーシキナはすみれ色のチュチュ。申し訳ないけど、やっぱりテリョーシキナばかりに目が向いてしまった。コールサコフさん、すみません。アダージョでのテリョーシキナのバランス・キープもすごかったけど、ヴァリエーションでのテリョーシキナは更に安定していて、定期的に脚の方向を変えながら、爪先を細かく上げ下げして、ゆっくりと前に進んでいくところも、最後までリズムよく動き、またパワーが落ちなかった。音楽の雰囲気と同じく、きちんとしていて端正だった。

  「チャイコフスキー・パ・ド・ドゥ」、ダンサーはアリーナ・ソーモワ、アンドリアン・ファジェーエフ。ソーモワはピンクの衣装だった(布地の質とデザインはいつものあれ)。ソーモワの腕の動きがたおやかでとても美しくなっていた。またソーモワは脚がとびきり長く、体も極端に柔らかい。だから脚を高く上げたりする動きがすごく様になる。でもヴァリエーションはあまりに動きが速すぎて、私の目が追いつきませんでした。

  「瀕死の白鳥」、ダンサーはウリヤーナ・ロパートキナ。これはもう号泣ものだった。鼻をすする音が周りからも聞こえてきた。踊りを見て涙が出たのはこれがはじめて。どう書けばよいのか分からないから書かないでおく。

  「ドン・キホーテ」第三幕のパ・ド・ドゥ、ダンサーはオレシア・ノーヴィコワ、レオニード・サラファーノフ。愛らしい容姿のノーヴィコワの踊りはすばらしかった。バランス・キープは安定していて、ヴァリエーションでの爪先の細かい動きもとてもきれいだった(コーダのグラン・フェッテでは1回かかとが床に着いてしまったけど)。私にとって厄介なのがサラファーノフ。一応ミハイル・バリシニコフ並みに踊れることはよく分かった。でも、得意げな顔でこれ見よがしに超絶技巧を披露し、大見得を切ってポーズを取るのはまだ許せるが、コーダで女性ダンサーの出だしを邪魔してまで回転を続けるのはやめてほしい。

  フィナーレは演出に面白い工夫がされていて、とても楽しかったし見ごたえがありました。

  ボリショイ・バレエとマリインスキー・バレエのダンサーたちの踊りを観ていると、だんだんと感覚が麻痺してきます。みなすごい技ができて当たり前、男性ダンサーは何回転もできて、しかも軸がブレなくて足元もグラつかないのが当たり前、ものすごい回転ジャンプができて当たり前、女性ダンサーはみな細かくて難しい爪先の動きができて当たり前、バランスの保持が長時間できて当たり前、グラン・フェッテは2回転、3回転を入れるのが当たり前、もう見慣れたわい、という感じになってきます。

  やっぱりロシアの二大バレエ団のダンサーはすごい、とため息をつきました。Bプログラムも観に行きます。Bプログラムには母親も連れて行きます。グランディーバ・バレエ団の踊りに感動していた母親ですから、いい親孝行ができそうです。

  あ、チケットをもいでもらってから渡されるチラシ類は受け取ったほうがいいですよ。プログラムとは別に演目・キャスト表があるのはもちろん、「やずやの千年ケフィア」(健康食品)のサンプルが入ってます。「コーカサス正統種菌の発酵食」だそうです。   
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クーパー君日記更新

  されてます(もちろん公式サイト)。えらいこと長いです。

  まだざっと読んだ限りですが、まず日記が1月からずっと更新されてないことを平謝りに謝ってます。

  この年明けからずっと忙しかったこと、“Side by Side by Sondheim”の仕事はすばらしい経験だったことを書き綴っており、それに比べて“Imagine This”の仕事は散々で、もし“Imagine This”が今後、他の地で上演されることになっても、自分はもういっさい関わるつもりはない、と断言してます。よっぽどイヤな目に遭ったらしいですね。

  クーパー君の今後の活動についてですが、イギリス人プロモーターであるRaymond Gubbay(オペラ、バレエ、クラシック音楽のコンサートなどを手がけているらしい)との間で、リチャード・ロジャースの音楽を用いたダンス・ショウの企画話が持ち上がっているそうです。これは歌の一切ないダンス・ショウになるらしいです。最初は地方で上演されることになるだろうが、うまくいけば来年には実現する可能性があるそうです。

  「危険な関係」は、端的に言って頓挫しているらしいですね。でもクーパー君はいろんなプロデューサーと話し合って、再演実現に努力しているようです。

  最近、彼の祖母や代母が立て続けに亡くなったそうで、クーパー君は彼らに哀悼の意を表しています。代母の方は亡くなる前にガンとの闘病生活を続けており、それが原因でクーパー君はついに禁煙に踏み切ったらしいです。

  クーパー君は、自分の今年の活動はもう終わりで、早くも2008年に心が向かっているようです。でも追記して、おそらく今年中には自分の来年の活動予定を知らせるだろうと書いています。

  最後に、「早い時期に舞台の上からみなさんにお目にかかれることを祈っています」と書いています。来年はクーパー君が出演する舞台があることを期待したいと思います。

  ともかく、クーパー君が元気なことが分かって安心しました。彼の出演する舞台が来年にでもあるのなら、たとえ地方でも絶対に観に行きます。

  ところで話は変わりますが、小林紀子バレエ・シアター第87回公演の感想をサイトのほうに載せました。ご覧になりたい方は、左上の「ホームに戻る」をクリックして下さい。ホームページから感想を乗っけたページにリンクしています。 
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ルグリズブートキャンプ再び

  私は今日(25日)も小林紀子バレエ・シアターの公演を観に行きました。観劇後に新宿のとってもすてきなお店(新発見!)で友だちとご飯を食べておしゃべりして、さっき帰ってきてお風呂に入って、疲れたのでもう寝ます。感想は起きてから書きますわ~。

  ところで、出がけに郵便受けを見たら、NBSから封書が届いていました。9月中旬に観に行く予定の「マラーホフ、ニジンスキーを踊る」公演の変更に関するお知らせと書いてあって、急いで封を切りました。

  そしたらなんと、肝心のウラジーミル・マラーホフが、膝の手術を受けたために出演できなくなってしまったというのです。マラーホフは今年の5月に膝の手術を受けて、7月には舞台に復帰したものの、また状態が悪化してしまったために再手術を受け、この12月に復帰する予定だということです(来年二月の公演「マラーホフの贈り物」への出演は大丈夫だそうです)。

  マラーホフが出演する予定だったのは、「ジゼル」、「薔薇の精」、「ペトルーシュカ」、「レ・シルフィード」、「牧神の午後」でした。

  今回のお知らせでは、マラーホフが出演できなくなった事情とともに、マラーホフの代わりに(といっては語弊があるかもしれませんが)出演するダンサーの名前が書いてありました。これがびっくり。

  「ジゼル」(アルブレヒト):フリーデマン・フォーゲル(シュトゥットガルト・バレエ団 プリンシパル)

  「薔薇の精」:マチアス・エイマン(パリ・オペラ座バレエ団 スジェ)

  「ペトルーシュカ」:ローラン・イレール(パリ・オペラ座バレエ団元エトワール、パリ・オペラ座バレエ団副芸術監督)

  「レ・シルフィード」:フリーデマン・フォーゲル

  「牧神の午後」:シャルル・ジュド(パリ・オペラ座バレエ団元エトワール、ボルドー・バレエ団芸術監督)

  4人中3人がパリ・オペラ座バレエ団関係のダンサーなのです。マチアス・エイマンとローラン・イレールはこの間の「ルグリと輝ける仲間たち」で見たばかりですが、シャルル・ジュドは名前しか知りません。

  NBSによれば「それぞれの演目で定評のあるダンサーばかり」とのことです。でもイレールとジュドはいちおう一線を退いたダンサーなのではないでしょうか。ジュドの「牧神の午後」は有名だそうですが、彼は1953年生まれだから、もう53、4歳のはずです。現役時代に負けない踊りを見せてくれるのでしょうか。それに、イレールは「日本で踊るのはこれが最初で最後の機会になるかもしれません」と書いています。日本で「ペトルーシュカ」を披露したことはないらしいですね。

  とはいえ、マラーホフはこれからも観る機会はあるわけだし、全盛期を見損ねた有名なダンサーの踊りを見られるチャンスだと思えば、そう不満に思う必要もないでしょう。ベテランならではの渋くて奥深いパフォーマンスを見せてくれればいいなあ、と思います。

  マチアス・エイマンは「薔薇の精」を踊ります。イーゴリ・コルプ(マリインスキー劇場バレエ プリンシパル)の「薔薇の精」とどう違うか見てやりましょう。フリーデマン・フォーゲル(←彼もまだ若いらしい)も名前しか知りませんが、「小顔でちょう美形」とのことですので、美女妖精軍団に囲まれてニヤける「レ・シルフィード」の詩人にはぴったりかも。

  同封してあった「ゲスト出演者紹介」の文章がすごく笑えます。たとえばローラン・イレールについては、「2005年及び本年8月の<ルグリと輝ける仲間たち>では、円熟味極まる『さすらう若者の歌』で日本のバレエ・ファンに大きな感銘を与えた」と書いてある。

  フリーデマン・フォーゲルについては、「シュトゥットガルト・バレエ団のプリンス」で、「本年4月には日本で『白鳥の湖』を踊り、ファンを酔わせた」、マチアス・エイマンについては、「8月<ルグリと輝ける仲間たち>A・Bプロと『白鳥の湖』道化役で人気が大ブレイク(←・・・・・・)」と書いてあります。

  いや、そのとおりなんでしょうけど、お堅いイメージのNBSが「円熟味極まる」とか、「ファンに大きな感銘を与えた」とか、「ファンを酔わせた」とか、「人気が大ブレイク」とか書いてると、なんかすごい笑えるの。特にマチアス・エイマンについての「人気が大ブレイク」は傑作だわ。「おまーはK藍社か」とツッコみたくなりました。    
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クリスプ、リンコン、小林紀子トーク・ショー

  今日(24日)の小林紀子バレエ・シアター第87回公演の前にトーク・ショーがありました。参加者はイギリスの舞踊批評家であるクレメント・クリスプ氏、ヴァロワ、アシュトン、マクミラン作品の再演を指導しているジュリー・リンコンさん、そして小林紀子さんでした。

  クリスプ氏とリンコンさんにはそれぞれ通訳がついていたのですが、結局、小林紀子さんがおひとりでぜんぶ通訳してしまいました。

  トーク・ショーの内容は今回の公演の演目、「コンチェルト」(ケネス・マクミラン振付)、「ザ・レイクス・プログレス」(ニネット・ド・ヴァロワ振付)、「エリート・シンコペーションズ」(ケネス・マクミラン振付)についてでした。

  覚えている限りではありますが書き留めておきます(間違ってたらすみません)。

「コンチェルト」について:

  (クリスプ)マクミランがロイヤル・バレエを離れてベルリン・オペラ・バレエの芸術監督になったとき、リン・シーモアも彼についてベルリン・オペラ・バレエに入団した。彼女は腕や脚の動きの非常に美しいダンサーだった。

  ある朝、マクミランがスタジオに入ると、シーモアがバー・レッスンをしていた。その姿から「コンチェルト」の創作が始まった。第2楽章(ショスタコーヴィチ「ピアノコンチェルト」第2番第2楽章)では、女性ダンサーが男性ダンサーを支えにバー・レッスンのような動きをする。ここでは男性がバーの役割を果たしている。

  マクミランがベルリン・オペラ・バレエの芸術監督に就任した当時、ベルリン・オペラ・バレエのダンサーたちはクラシック・バレエがあまり踊れなかった(ここでリンコンさんが「慎重に!」とあわてて注意する)。(クリスプ氏、笑いながら)当時、そこでは“united”なダンス様式が一般的だった。そこでマクミランはクラシック・バレエの様式をバレエ団にもたらすために「コンチェルト」を創作した。

  (リンコン)初演当日の開演30分前、第3楽章で女性ダンサーと組んで踊るはずだった男性ダンサーが消えてしまった(went off)。30分前では代役のダンサーも見つからない。そこで、その女性ダンサーは第3楽章をひとりきりで踊る、という「かわいそう」なことになってしまった。それ以来、その「かわいそう」はずっと続いている(第3楽章は女性がひとりで踊ることになっている)。

「ザ・レイクス・プログレス」について:

  (クリスプ)「ザ・レイクス・プログレス」は、ニネット・ド・ヴァロワが自分のバレエ団、ヴィック・ウェルズ・バレエ(現ロイヤル・バレエ)を創立した4年後に作られた(1935年)。この作品は、イギリス(“English”)のバレエにとって、非常に重要な契機となるものだった。

  この作品はウィリアム・ホガースの絵画「ア・レイクス・プログレス」に想を得て作られた。プログラムに掲載されているホガースの原画を見てから、ヴァロワの「ザ・レイクス・プログレス」の舞台を観ると、絵がまるで命を得て動き出したかのように感じられる。ゲーヴィン・ゴードンの音楽も力強くてすばらしい。

  衣装を担当したレックス・ウィッスラーは、・・・・・・であり(←忘れた)、composerであり、cartoonistであった。彼は1904年生まれで、たった40歳で死んだ。

  私はこの作品を子どものときに観た。そのとき、ラスト・シーンの主人公の死に様がとても恐ろしく感じられた。

「エリート・シンコペーション」について:

  (クリスプ)この作品は“completely mad”だ。マクミランはスコット・ジョップリンのラグタイムを聴いて、それでこのバレエを思いついた。

  あとはすみません、忘れました。最後にジュリー・リンコンさんが、「よい“dance critic”とはどのようなものですか?」とクリスプ氏に質問しました。

  (クリスプ)私はとても幸運で、70年から「ファイナンシャル・タイムズ」に依頼されて舞踊批評を書くことになった。これまで書き続けてきたし、今も書いている。舞踊批評を始める前に17年間バレエを観た。

  「ファイナンシャル・タイムズ」はビジネス紙だが、多くの読者が舞台のことを知りたがっていることが私には分かっていた。私は私が尊敬するこうした人々(読者)のために、その公演のいいところもわるいところも書くのであって、バレエ団やダンサーたちに、私がどう書いたかを知ってもらおうとは思わない。

  (リンコン)さっきから舞台監督が「もう時間です」と舞台脇で合図しています。あのようなすばらしいスタッフたちの努力があってこそ、よい舞台が生まれるのです。みなさんはこれからの舞台をきっと楽しまれることでしょう。ですが、彼(舞台監督)はただ「時間だから止めなさい」と合図しているに過ぎません。ですから、止めましょう。(観客が笑う)

  (クリスプ)どうかみなさん、楽しんで下さい。

  トーク・ショーはこんな感じでした。あとで思い出したらまた書き加えます。また、間違っているところがたくさんあるはずです。どんどん補足・訂正のコメントをお願いします。

  肝心の公演についてですが、あくまで私の好みからいえば、今回の公演はとりわけ演目の選定がすごくよいと思います。特に「エリート・シンコペーションズ」をレパートリーとしたのは、観客的には大ヒットです。明日(25日)も観に行くので、詳しい感想はまた明日。
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小林紀子バレエ・シアター第87回公演

  8月24日(金)、25日(土)、26日(日)の3日間にわたって、小林紀子バレエ・シアターによるトリプル・ビルが上演されます。演目は「ザ・レイクス・プログレス」(ニネット・ド・ヴァロワ振付)、「エリート・シンコペーションズ」、「コンチェルト」(ともにケネス・マクミラン振付)です。

  詳しくは前の日記( ここここ )をご覧下さいね。24日の17:30からは、クレメント・クリスプ(英国のちょう有名舞踊批評家、ハゲ)とジュリー・リンコン(ニネット・ド・ヴァロワ、フレデリック・アシュトン、ケネス・マクミランの作品を中心にステイジングしている人)によるトーク・ショーも行なわれます。

  当日券の有無は小林紀子バレエ・シアター(03-3987-3648)に直に聞いたほうが確実だと思います(たぶん99.9%の確率で席はまだあるだろう)。

  抽象的で哲学的なヨーロピアン・コンテンポラリー作品もすばらしいけれど、人間くさくて演劇的なイギリスのバレエ作品もいいと思いますよ。
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ルグリズブートキャンプ(7)

  ついに「ルグリと輝ける仲間たち」最終日を迎えました。今日(18日)は全幕プロ「白鳥の湖」です。オデット/オディールはドロテ・ジルベール、ジークフリート王子はマニュエル・ルグリ、ロットバルトはステファン・ビュヨン、その他は東京バレエ団の出演によります。

  まず、アレクサンドル・ゴルスキー版系統の「白鳥の湖」を観られたことが意外でした。正確に言うと「原振付・演出:マリウス・プティパ、レフ・イワーノフ、改訂振付・演出:アレクサンドル・ゴルスキー、再改訂振付・演出:イーゴリ・スミルノフ」ということになるのでしょうか。

  東京バレエ団の「白鳥の湖」は誰の版なのか知らなかったし、プログラムも面倒で事前に見ていなかったので(←おい)、第一幕のパ・ド・トロワを観て「あり?」と思い、第二幕の白鳥の群舞を観て「これは古い映像版で観たことがある」と気づき、休憩時間にプログラムを見てようやく、これはゴルスキー版の改訂版らしいと分かりました。

  ゴルスキー版は、ボリショイ・バレエが大昔に上演していたヴァージョンだと思います。ユーリー・グリゴローヴィチ版が出る前です。マイヤ・プリセッカが出演しているダイジェスト版(映画、1960年)で、彼女とボリショイ・バレエが踊っているのがゴルスキー版でしょう。まさか東京バレエ団がレパートリーにしているとは思いませんでした。

  ただ、イーゴリ・スミルノフによって手が加えられていますし、それがどの部分なのか、詳しくは分かりません。

  プティパ=イワーノフ=ゴルスキー=スミルノフ版では、第一幕のパ・ド・トロワの振付が他の版とは大きく異なります。また王子は農民たちの踊りにかなり絡んで踊ります。第一幕の最後には王子のソロがありました(原曲の第一幕「パ・ド・トロワ」アダージョ)。

  第二幕の白鳥の群舞も他の版とかなり違っています。また、オデットが自分の身の上を王子に説明するマイムがありました。第三幕のディヴェルティスマンの順番も異なり、チャールダーシュ→ナポリ→マズルカ→姫君たちのワルツ→スペインとなります。この中で「スペインの踊り」を踊る人々は、ロットバルトが引き連れてきた悪魔の仲間であると設定されているようでした。

  スペインの踊りの次は黒鳥のパ・ド・ドゥとなります。オディールと王子のアダージョが終わるとロットバルトのソロがあって(原曲の第一幕「パ・ド・ドゥ」第2ヴァリエーション)、それから王子のヴァリエーション、オディールのヴァリエーション、コーダとなっていました。

  第四幕の白鳥たちの群舞の音楽は、原曲の第三幕「パ・ド・シス」第2ヴァリエーションで、第四幕はなんと20分ほどで終わります。ちなみに結末はハッピー・エンドです。王子はロットバルトと戦い、その羽根を引きちぎってやっつけて、オデットは人間に戻ります。

  東京バレエ団の踊りを観ていて、また東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団の演奏を聴いていて、「白鳥の湖」は踊りも音楽もやっぱり別格の作品だわ、と実感しました。バレエ団やオーケストラのレベルがそのまま出てしまうからです。この作品が大量のコール・ド・バレエと大規模なオーケストラを必要とするという数量上の問題以前に、そのバレエ団やオーケストラが「白鳥の湖」を上演するのに充分な能力を持ち合わせているかが、最も大事な条件なのだと思い知らされました。

  東京バレエ団の群舞(パ・ド・トロワ、4羽の白鳥・3羽の白鳥の踊りも含めて)は、少し危ういところがありました。白鳥たちのトゥ・シューズの音の大きさも気になりました。少なくとも「白鳥の湖」に関しては、ミラノ・スカラ座バレエ団のように、自前のダンサーを主役に据えて上演することができないのでしょう。ただ、スペインの踊りを踊った井脇幸江、奈良春夏はすばらしかったです。

  東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団は、金管楽器系の調子があまりよくなく、大事な見せ場で音を外してしまったりして、ちょっと脱力しました。

  あと、舞台セットと小道具がまるで学芸会並みの貧弱さでした。ほとんど幕でした。驚いたことにシャンデリアさえも幕でした。もっとしっかりした素材で作られた重厚なセットを用意してほしかったです。第三幕の王宮のシーンでやっと「ハコモノ」セット(背景の階段と柱)が用いられていましたが、とても簡素で、というより安普請で、王宮なのに寂しかったです。

  衣装も少し微妙でした。色やデザインの問題もあると思いますが、素材があまり上質なものではないのではないでしょうか。なんだか安っぽい感じがしました。農民たちはともかく、王妃、花嫁候補のお姫様たち、ディヴェルティスマンを踊る人々の衣装などは、もっと華やかにしてもよい気がします。マズルカを踊る人々のブーツは、まるで子どもの履くゴム長靴みたいでした。

  オデット/オディールを踊ったドロテ・ジルベールですが、元気で溌剌とした初々しさがとても魅力的でした。オデットの演技もよかったです。お約束の恨み眉の能面オデットでなく、表情がはっきりしていて健気でかわいいオデットでした。

  オディールのときは魅力全開で、踊りもキレがよかったし、演技は大仰でなく、目つきや仕草でオディールの邪悪さをさりげなく表現していました。あの大きな瞳がきらきらと輝いて美しかったです。

  王子がオディールに愛を誓ってしまうところで、スペインの踊りを踊った人々が身を乗り出し、してやったりとばかりに一斉に王子を指さします。この演出はすごく効果的だったと思います(それでスペイン勢がロットバルトの仲間だと分かった)。

  ジークフリート王子を踊ったマニュエル・ルグリは、この人はなんといったらいいのか、ヘンな言い方ですが「踊りの骨が常に正しい」です。踊っているときの姿勢がいつも端正で美しく、いつ写真に撮ってもきれいなポーズになっているだろうと思います。

  あとはあの独特な動き方です。手足の動きはしなやかで柔らかで優雅です。それにまったく重さや力を感じさせません。軽々と、飄々とすごい技をやってのけます。超絶技巧でござい、どうだ、ダイナミックだろ、という押しつけがましさがまったくありません。優雅、高貴、磨きぬかれた、そんな印象です。

  演技もすごくよかったです。王子の一連の行動がどうリンクしていくか、という意味においてではありません(伝統版「白鳥の湖」の王子役にそんな要求をするのがそもそも無理というものです)。そうではなく、とにかくその場その場で「王子」そのものなのです。

  しかも、私に「ダメ男」呼ばわりされるような、ナニを考えているのか分からない王子ではありません。表情がとても豊かでした。

  第一幕では、優しく気さくな王子だけど、ふと物思いに耽って気がふさいでしまう、それで憂さ晴らしに狩りに行くことになって明るい顔になる。

  第二幕ではオデットに魅せられて真摯な表情で愛を誓う。

  第三幕ではオデットのことで頭がいっぱいでぼんやりしており、他の女性と形ばかり踊るけどさっぱり楽しそうでなく、それで王妃に自分は誰とも結婚しないと一生懸命に訴える、オディールが現れるとすっかり魅入られてしまい、実に嬉しそうに微笑みながらヴァリエーションとコーダを踊る、悪魔に騙されたと知ると、必死な表情でオデットを探しに駆けていく。

  第四幕ではオデットに激しく拒否されても(←ジルベールの演技がかなり気が強い感じだった)とことん必死に誠実に謝罪する。

  と、このように、どの幕でもどの場でも、ルグリは「王子」でした。個人的には、第四幕で王子が駆けつけるドラマティックな音楽とまさにバッチリのタイミングで、ルグリがぽーん、とすっごく大きくジャンプして飛び込んできたところで、最後のとどめをさされた感じです。

  ロットバルトを踊ったステファン・ビュヨンは、みみずくの仮面で顔半分がおおわれていて、せっかくハンサムなのに残念でした。でも第三幕では、なんとほとんどメイクなしの素顔で現れました。実にイイ男です。デーモン小暮みたいなメイクをしてなかったのでホッとしました。

  また、黒鳥のパ・ド・ドゥでオディールを支えたり持ち上げたりするために、長いマントをばっと翻して腕に巻きつける仕草や、ソロでのダイナミックな踊りがすごくカッコよかったです。

  第四幕の最後で、王子とロットバルトは戦って、王子がロットバルトの片方の羽根を引きちぎって、ロットバルトに叩きつけます。ロットバルトはよろめきながら姿を消します。このシーンは、双方とも心なしか仕草がぎこちなかったです。

  私が勝手に思ったことには、これはルグリもビュヨンもやっててかなり恥ずかしかったんではないかと。古き良きソビエト・バレエの残滓で、私はハッピー・エンドのほうが好きです。でも西ヨーロッパのダンサーは、悲劇的結末のほうがやはり慣れているのではないでしょうか。

  倒れていたオデット役のドロテ・ジルベールはゆっくりと立ち上がると、確かめるように自分の腕に触ります。これはロットバルトの呪いが解けて、オデットが人間に戻ったことを表しています。ここまで具体的な動作をしなくてはならなかったジルベールも、ちょっと居心地わるく感じたかもしれません。でも最後は王子とオデットが抱き合って前を見つめて終わりです。やっぱりハッピー・エンドのほうがいいですね。

  カーテン・コールは総立ちのスタンディング・オベーションになりました。この公演そのものはそこまでの反応をするのに値しないでしょうが(主役さえ良ければ全部良いってものでもないと思うので)、マニュエル・ルグリのこれまでの活躍と功績を日本のファンが讃える場であると考えれば、そうして当然でしょう。

  これで10日間にわたる「ルグリと輝ける仲間たち」観劇は終わりました。これでちょっとはパリ・オペラ座バレエ団を肌で知ることができたかなあ、と思います。
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暑い!

  もうこれしか言葉が出てこないです。しかし、こういうときこそ健康管理には気をつけるべきで、規則正しい生活リズムや食生活を心がけ・・・と思いつつ、朝はアイスコーヒー、野菜ジュース、果物、アイス、昼はそうめん、アイス、夜は冷奴、冷やしそば(またはうどん)、アイス、という、一日三食ならぬ一日三アイス生活が定着しつつあります。

  アイスは箱に入ったやつ(中にたくさん入ってる)を買います。お気に入りは「ガリガリ君」で、特にソーダ味が美味です。ここ数日間はたった1日で1箱消費していて、これでは確実に夏太って「高木ブートキャンプ」(←気に入っている)になってしまう、と分かっているのですがやめられまへん。

  北海道を代表する銘菓「白い恋人」賞味期限延長問題が、いま巷間を騒がせています。みなさん一度は食べたことがおありでしょう、「白い恋人」。私は20年以上前に食べたきりで記憶が甚だ怪しいのですが、薄いクッキーでホワイト・チョコレートを挟んだ、あるいはホワイト・チョコレートでクッキーをコーティングしたお菓子だったと思います。すごいおいしい、と思ったことを覚えています。

  報道によると、少なくとも11年前から賞味期限の延長が行なわれていたそうですが、11年間もなんの事故も起こらなかったのなら別にいーじゃん、そんなに責めるなよ、と思ってしまうのはいけないことでしょうか。

  なんか今年に入ってから、食べ物関係で、やれ偽装だ、やれ禁止成分検出だ、と騒がれる事件が多いようです。

  「出羽の守(でわのかみ)」という言葉があって、これは海外滞在経験のある人間が、「アメリカでは・・・」、「フランスでは・・・」とやたらと知ったかぶって自慢することを揶揄したものです。だから、慎んだほうがいいのかもしれませんけど、でも聞いて下さい。

  去年あたりから、日本のメディアは「中国産」もしくは「中国製」の物に如何に偽物が多くてかつ危険か、という報道を面白おかしくやっています。最近は「段ボール入り肉まん」事件(捏造だったそうですが)や、中国産農産物の残留農薬問題が取り上げられました。私はそういう報道を見たり読んだりすると、「何を分かりきったことを今さら大騒ぎしてるの」といつも思います。

  私が中国での居住経験で学んだことの一つは、「食べ物は基本的に危ない」ということでした。もちろん中国人はみなそうした意識を持っています。だから水はミネラル・ウォーターを飲み、野菜や果物は、水道水や洗剤でよく洗って農薬を落とします。また雑菌やウイルスが怖いので、肉、魚、野菜は生食はせずに絶対に加熱調理します。

  外食する場合は、「この店の衛生管理は大丈夫かどうか」を、口コミ、店の外観、内装、使っている食器、客の入り具合などから判断した上で入ります。料理をオーダーするときも、ヤバそうな料理(特に貝類。「当たる」確率が高い)は避けます。あとは「人事を尽くして天命を待つ」です。それでも当たっちゃったら仕方がないです。自分の判断ミスに運の悪さが加わったと思ってあきらめるしかありません。

  私が中国に住んでいた数年間でも、食品偽装とそれによる病気感染・死亡事故は頻繁に報道されていました。周囲の中国人たちからも、どこで買えば安全か、大丈夫な食品と怪しい食品をどう見分ければいいのかを教えてもらいました。極端な例をいうと、中国には「白酒」というアルコール度数の非常に高い酒があって、高級品は贈り物にされています。ある中国人が言うには、たとえ高級デパートで売られている白酒でも絶対に買うな、飲むな、売られている白酒はほとんど偽物だ、ということでした。

  それで、私はミネラル・ウォーターを買うのにも「これは本物か偽物か?」、まして食事をする際には「ここで食べてもA型肝炎ウイルスに感染しないだろうか?」と疑ってかかるようになりました。

  さすがに帰国してからはそんなことはありません。が、消費期限の偽装だの牛肉100%のはずが豚肉が混ざっていただのというちゃちなことで、マスコミが大騒ぎしているのを見るたびに、ああ、日本では、食べ物は絶対に安全だ、という認識が一般的なのだ、と思います。

  日本の食品偽装事件なんて、みなかわいらしい程度のものです。なんか神経過敏でないかなあ、と思うのは、やっぱり感じ悪いですかね。

  話は変わって、ホームページのアクセス数が27万を越えました。本当にどうもありがとうございます。最近「ここ何のサイト?」化してますが、アダム・クーパー(←おおすげえ久しぶり)のことは忘れちゃいませんよ。今はネタがないから、あくまでクーパー君のお導きによって、バレエに走ってるだけです。クーパー君の舞台への復帰を首を長くして待っています。         
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ルグリズブートキャンプ(6)

  第3部の最初は「ジュエルズ」(振付:ジョージ・バランシン、音楽:チャイコフスキー)より“ダイヤモンド”です。ダンサーはローラ・エッケとオドリック・べザール。

  衣装は男女ともに純白で、それに銀とジルコニアの飾りがふんだんにつけられている、とても美しいものでした。踊りも優雅で美しかったです。

  次は「ドリーブ組曲」(振付:ジョゼ・マルティネス、音楽:レオ・ドリーブ)、ダンサーはミリアム・ウルド=ブラーム、マチアス・エイマンです。プログラムのBプロの演目にこの作品は掲載されておらず、当日配られたキャスト表に書いてあって、それではじめて分かりました。

  正直言って困りました。Bプロには似たような作品が多いからです。もし「ドニゼッティ・パ・ド・ドゥ」、「ジュエルズ」、「ドリーブ組曲」を、衣装なしで振付だけで区別しろ、と言われたら、私には絶対にどれがどれだか分からないでしょう。

  素人目には区別のつかない似たような作品を3つも演目に入れるとは、ルグリ側の意図がよく分かりません。それなら、CプロやDプロで上演されてAプロとBプロでは上演されない作品、たとえば「小さな死」や「黒鳥のパ・ド・ドゥ」を、なんとか演目の順番やダンサーを調整して、このBプロで上演すればよかったのに、と思いました。そのほうがルグリのファンの方々にも喜ばれたでしょう。

  まあ済んでしまったことは仕方ないです。Aプロでこの「ドリーブ組曲」を踊ったのは、アニエス・ルテステュとジョゼ・マルティネスだったので、彼らと比べるとウルド=ブラームとエイマンはどうしても物足りない感じがします。見た目でまずAプロの長身大柄コンビ(ルテステュ、マルティネス)より迫力負けしてしまうし、踊りも長身コンビよりこじんまりとしています。

  でもウルド=ブラームの少女のような可憐な顔立ちはやはり愛らしいですし、踊りも柔らかできれいでした。エイマンはヴァリエーションでマルティネスと逆方向(右手)から登場し、そのまま逆方向にジャンプして踊っていました。マルティネスと鏡合わせになった感じでした。

  最後は「さすらう若者の歌」(振付:モーリス・ベジャール、音楽:グスタフ・マーラー)でした。ダンサーはローラン・イレールとマニュエル・ルグリ。

  イレールは水色の、ルグリは赤い丸首の全身レオタードを着ていました。ゆっくりとした踊りで、回転やバランスを保ちながらポーズを変化させていく動きが多かったです。イレールとルグリの踊りはさすがで、動きが実になめらかで洗練されていました。ただ振りを踊るだけなら若いダンサーにもできると思いますが、かつ踊りでなにかを表現できていたのは、ベテランのイレールとルグリであってこそでしょう。

  「さすらう若者の歌」はマーラーが自身の失恋をテーマに詩を書き、それに曲をつけたものです。前奏部分を少し切り取ってはいましたが、ほぼ全曲(4曲)を用いていました。

  踊りや演技は各曲のメロディや歌詞と密接に連動していて、イレールは歌詞に歌われる若者の表の部分を、ルグリは若者の裏の部分、というよりは、若者の内なる自分を踊り演じているようでした。イレールは「いま考えている自分」であり、ルグリは「心の奥底から何かを語りかけてくる自分」です。

  イレールは黒髪でおとなしそうな顔つき、ルグリはブロンドでややアクの強い顔つきをしています。イレールは本当にナイーヴな若者といった雰囲気でした。

  第1曲「彼女の婚礼の時」では専らイレールが踊ります。ルグリは舞台の奥に後ろを向いて立っています。歌詞は失恋の苦しみを述べていますが、このベジャールの作品では、もっと普遍的なテーマ、生きることの苦しみや懊悩を踊りとして表現しているように感じました。イレールは悲しげな、また寂しげな表情を浮かべて、体をゆっくりと動かして踊っていました。

  第2曲「春の野辺を歩けば」になるとルグリが前に出てきて、イレールに微笑みかけながら、楽しんで踊るよう促します。イレールは明るい笑いを浮かべて楽しそうに踊ります。ルグリは舞台の前に座り込んで、イレールの姿を見守っています。しかし、いっときの楽しさは、すぐに大きな苦しみに打ち消されます。イレールは再び沈鬱な表情になって座り込みます。ルグリはイレールに近寄って抱きしめますが、ふと冷たい表情になってイレールから離れます。

  第3曲「怒りの剣で」では、激しく怒り狂うような音楽と歌詞に乗せて、イレールとルグリはふたりで並んで同じ振りで踊ります。振付も急で激しいものです。「若者」はもはや表も裏もなく、積もり積もった思いが爆発して、心の底から悲しみ嘆いているのでしょう。

  第4曲「彼女の青い目が」で、「若者」はあきらめの境地というか、静かで落ち着いた心境に至ったようです。マーラーの歌曲は、終わりの曲に死んだ自分を描写した詩を持ってくることが多く、それは現実の死ではなく、安らぎを得た心境を象徴しているようで、この「さすらう若者の歌」もそうです。

  イレールは救われたような落ち着いた表情になりますが、ルグリはそんなイレールの手を引っ張って、奥に広がる闇の中へと導いていきます。イレールはそれに従います。でも、ふと後ろを振り返って、なにかを求めるように手を伸ばし、それとともにゆっくりと舞台のライトが落とされます。ハープの音だけが静かに残ります。

  カーテン・コールになると、イレールとルグリはがっしりと肩を抱き合って、並んで前に出てきてお辞儀をしました。

  それから全体のカーテン・コールが始まって、数え切れないくらい繰り返されました。途中で、天井からフランス語と日本語の書かれた大きな看板が下りてきました。フランス語のほうはルグリの自筆文を拡大したものでしょう。日本語のほうには「皆様のご声援に心から感謝します。また会いましょう! マニュエル・ルグリ」と書かれていました。

  さまざまな色のテープや光る紙吹雪が天井から落ちてきました。特に紙吹雪のほうは一向に止む気配がなく、いつまでも降り続けていました。カーテン・コールの途中で、ダンサーたちはふざけてテープを首に引っかけて出てきたり、手で集めた紙吹雪を客席に向かってばっと降らせたり(←バンジャマン・ペッシュ)し、最後は観客に手を振っていました。

  幕が閉ざされて、カーテン・コールが終わった、と思った途端に、幕の向こうから「ヒョオー!!!」という大きな歓声が聞こえました。ダンサーたちが公演終了を祝ったのでしょう。さすがはラテン民族、賑やかだなあ、と思いました。

  帰りかけた観客はドッと笑い、再び拍手しました。すると、また幕が開いて、なんとまたカーテン・コールになりました。最後はダンサーたちがまた手を振ってお別れしましたが、幕が閉じた瞬間に、またまた「ヒャウー!!!」という大きな歓声を上げていました。

  Aプロの追加公演があったために、結局1週間ぶっ続けの公演となりました。ダンサーのみなさん、お疲れさまでした、と心の中で声をかけて会場を後にしました。  
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ルグリズブートキャンプ(5)

  第2部の最初は「ビフォア・ナイトフォール」(振付:ニルス・クリステ、音楽:ボフスラフ・マルティヌー)です。ダンサーはメラニー・ユレル、マチアス・エイマン(第1パ・ド・ドゥ)、エレオノーラ・アバニャート、ステファン・ビュヨン(第2パ・ド・ドゥ)、ドロテ・ジルベール、オドリック・べザール(第3パ・ド・ドゥ)、マチルド・フルステー、マルク・モロー、ローラ・エッケ、グレゴリー・ドミニャック、シャルリーヌ・ジザンダネ、アクセル・イボ(以上は3組のカップル)。

  幕が開くと舞台の床は白くなっており(第1部では黒だった)、その上に上半身裸に黒いタイツを穿いた男性たち、濃淡さまざまなグレーのストラップ・タイプの膝下丈のドレスを着た女性たちが、それぞれペアを組んで整然と斜めに並んでいました。女性が男性の背中から両腕を回して寄り添っていましたが、私の目の間違いでなければ、1組だけ男同士で抱き合ってるのがいました。あれは一体なんだったんでしょう?

  最初は全員が舞台に散らばって踊り、それから3組のペアによるパ・ド・ドゥが、3組のカップルからなるアンサンブルを間に挟みながら踊られ、最後はまた全員が揃って踊ります。

  音楽は終始一貫して恐ろしげな、また不安をかき立てるようなメロディと雰囲気のものでした。振付はクラシカルなものでしたが、特徴的だったのが腕が変則的な形をしていたことで、ほとんど奇妙な形に曲げられていました。いちばん目についたのが、頭を下げ、両腕を幽霊のように曲げて前に出して、手を垂らしてするアラベスクでした。

  また、速くて鋭角的で、鋭い刃物をイメージさせる動きやリフトが多かったです。ストーリーは特になく、でもしいていえば、男女の間の何らかの感情を描いているようです。

  ですが具体的ではっきりした物語はないので、このタイプの作品は踊りそのもので勝負することになります。その点で、第2パ・ド・ドゥを踊ったアバニャート、ビュヨン組は最もすばらしく踊ったと思います。激しくて鋭い振付をキレよくスピーディーに、スムーズにこなしていました。ゾッとするほどきれいな踊りでした。

  特に、ビュヨンのパートナリングは実にすばらしいと思いました。ビュヨンはAプロで「スパルタクス」のパ・ド・ドゥを踊っていますから、やっぱりリフト/サポート上手なのでしょうか(←短絡的?)。

  「牧神の午後」(振付:ティエリー・マランダン、音楽:ドビュッシー)、ダンサーはバンジャマン・ペッシュ。とてもおもしろい作品でした。大爆笑。プログラムにはペッシュのこの作品についてのウンチクが載っていて、「今回が日本初演になります」とのこと。でも、別に初演してくれなくてもよかったです。

  舞台の左側に白いベッドのような台があって、白いパンツ一丁のペッシュが横たわっています。舞台の右には白キクラゲのような形状の巨大な丸い物体が2つ置かれています。

  ペッシュはやがてベッドから下ります。すると、ベッドだと思ったそれはベッドではなく、巨大なティッシュ・ペーパーの箱でした。箱の口からは、これまた巨大なティッシュ・ペーパーが顔をのぞかせています。あ、なるほど、と合点がいきました。2つの巨大白キクラゲは、丸めて捨てられたティッシュ・ペーパーですね。これは18歳以下鑑賞禁止にすべき作品ではないでしょうか。

  ペッシュの動きは淫靡というよりは動物的で、自分の腕をべろ~ん、と舐めたり、親指をしゃぶったりしていました。振付は、ゴリラかチンパンジーといったサル類か類人猿が、未知の物体を目の前にして、警戒しつつも好奇心を持って近づいていき、触っては安全だと分かると様々にいじくって遊ぶ、という一連の動きをイメージすればよいと思います。

  お世辞にもすばらしい振付とはいえないと思いますし、ペッシュの踊りも振付を凌駕するほどのものでもなかったし、エトワールという地位と優れた能力とを見事にムダに使っていました。

  ペッシュは床の上を奇妙な動作でジャンプして、2つの丸めたティッシュ・ペーパーの中に手を突っ込んだり、顔を突っ込んだり、下半身をこすりつけたりします。終わりに近くなって、ペッシュはニジンスキーがやった、両手を斜めに揃えて前に出すポーズを取りました。

  最後に、ペッシュは再びベッド・・・じゃなかった、巨大なティッシュ・ボックスに上がり、ティッシュ・ペーパーを引きずり出し、それを広げて恋人のようにいとおしげに抱きしめ、自分の体をすりつけます。

  いきなり、ティッシュ・ボックスが光り、中が透けて見えました。同時にペッシュはティッシュ・ボックスの口の中にダイブします。ティッシュ・ボックスの中に納まったペッシュの姿が一瞬見えて終わりました。ティッシュ・ボックスの口は「それ」をも象徴していたらしいです。

  ちょっと眠くなってきていたので、いい気分転換になりました。また、カーテン・コールは面白かったです。ペッシュはカーテンの間から、ニジンスキーの「牧神の午後」のポーズを取った手だけをにょっきりと出し、それから姿を見せました。次には、カーテンの間からひょい、とコミカルにジャンプして飛び出してきました。本人的には大満足でご機嫌のようです。また、気はいい兄ちゃんなのでしょう。

  ですが、ペッシュは良い振付というものを見分ける眼力を、もっと養ったほうがいいと思いました。Aプロの「椿姫」では散々なリフトを、Bプロではこのトンデモ「牧神の午後」をパンツ一丁で披露して、あなたはいったいナニをしにわざわざ日本に来たのですか、と聞きたいです。
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ルグリズブートキャンプ(4)

  今日(13日)は「ルグリと輝ける仲間たち」Bプロを観に行ってきました。Aプロを2回観たら、突如としてBプロも2回観たくなって、チケットは残っていないかと公演直前にいろいろ探しまくって、んでやっぱりダメでした(←アホ)。でも今日の公演を観たら、Aプロと重なる演目があったり、似たような作品が複数あったりしたので、1回でよかったのかなと思います。

  Aプロと同じくBプロも3部構成でした。第1部の最初は「タランテラ」(振付:ジョージ・バランシン、音楽:ルイ・モロー・ゴットシャルク)、ダンサーはメラニー・ユレルとアクセル・イボです。ユレルの衣装は白い上衣に赤い短いスカートのチュチュ、アクセル君は白いシャツ、赤い太いベルト、黒い膝丈のタイツ、白いハイソックスでした。

  最初に男女が一緒に踊って、それから男女が交互に短いヴァリエーションを2回ずつ踊り、最後にまたふたりで踊って終わりでした。音楽が軽快なのと同じように踊りも軽快で、ヴァリエーションでは男女がそれぞれタンバリンを持って、それを実際に鳴らしながら踊ります。

  アクセル君の素早くキレのよいステップ、高いジャンプ、タンバリンの使い方のうまさに感心しました。また、メラニー・ユレルの「爪先立ちのままM字開脚スクワット」には仰天しました。

  「アベルはかつて・・・」(振付:マロリー・ゴディオン、音楽:アルヴォ・ベルト)、ダンサーはグレゴリー・ドミニャック、ステファン・ビュヨン。

  音楽がピアノを交えた管弦楽曲で、メロディは静かでどこかもの悲しく、ゆっくりした静的な踊りとあいまって非常に印象に残りました。床に広げられた白い長方形の布を間に挟んで、上半身裸に白いズボンを穿いたビュヨン(カイン)とドミニャック(アベル)が向かい合っています。ふたりはやがてゆっくりと踊り始めます。

  振付にはクラシック・バレエ的な動きがほとんどなく、Aプロの「扉は必ず・・・」(イリ・キリアン振付)に感じがよく似ています。カイン役のビュヨンとアベル役のドミニャックは互いをリフトしたり(←多かった)、腕をとったり、抱き合ったりして踊ります。常にカインがアベルを庇っている感じで、アベルもまたカインを慕っているという、なんだか暖かい雰囲気が漂っています。

  途中で、カインとアベルは長方形の白い布の両端を持って引っ張ります。すると布が引き裂かれていきます。カインの手元に残ったのは小さな布、アベルの手に残ったのは、カインよりもはるかに大きな布でした。

  カイン役のビュヨンが苦しげな表情でひとりで踊ります。激しい動きの踊りです。アベル役のドミニャックは、やがて自分が手にした大きな布を捨てて、頭と顔を手で覆ってしゃがみこんでしまいます。アベルはこんな結果を望んではいなかったのです。一方、カインはアベルが得た布を羨ましげに手に取って抱きしめます。

  アベルが得た白い布を持ったカインがアベルに近づきます。ふたりは再び一緒に踊ります。カインは白い布をアベルの体に巻きつけると、アベルの体をゆっくりと倒します。アベルの体は力なくだらんと垂れ下がり、やがてゆっくりと床の上にくず折れます。死んだアベルの体の傍で、実の弟を殺してしまったカインは立ち尽くします。

  音楽も踊りも静かでゆっくりでしたが、実は激しい感情が込められたドラマティックな作品でした。実の肉親だからこそ、他人に対してよりもはるかに強く抱いてしまう、激しい愛情と憎悪がもたらす悲しい結末を描いていました。

  「ドニゼッティ・パ・ド・ドゥ」(振付:マニュエル・ルグリ、音楽:ドニゼッティ)、ダンサーはドロテ・ジルベール、マチュー・ガニオ。衣装は男女ともに同じ色合いで、赤や黄の色とりどりな布の上に、黒のシースルーの布を重ねています。キイロアゲハの羽根をイメージすると最も近いように思います。ジルベールは黒のシースルーのタイツを穿いていて、ガニオは黒いタイツです。デザインも色彩も凝った、華やかな衣装でした。

  Aプロで上演されたジョゼ・マルティネス振付の「ドリーブ組曲」もそうでしたが、ルグリのこの「ドニゼッティ・パ・ド・ドゥ」も、クラシック・バレエおなじみの技を駆使する振付の作品でした。ただ、同じ形式、似たような振付であっても、やはり違いはあるもので、マルティネスの「ドリーブ組曲」ではダイナミックな回転やジャンプが目立ちましたが、ルグリのこの作品では、複雑で細かい足技が目立ちました。

  ルグリのこの作品の振付のほうが、お約束の動きにひとひねり加えてある印象が残りました。アダージョでガニオが回転するジルベールの腰を支えて、それからジルベールが前アティチュードをするタイミングをわざと引っかかったように止めたり、女性ヴァリエーション(もしくはコーダ)でジルベールがフェッテをするのですが、数回フェッテをするたびに振り上げていた右脚を下ろして軸足にして、同時に左脚を上げて爪先立ちをする、というパターンにしたりといったふうにです。

  ジルベールもガニオも踊りがすばらしかったです。ふたりで踊るときもよく息が合っていました。ガニオは踊りにもう少し落ち着きというか、途中でタイミングがズレてわたわたするところがなくなればもっといいと思います。

  「オネーギン」よりAプロと同じ「別れのパ・ド・ドゥ」、ダンサーはマニュエル・ルグリとモニク・ルディエール。やはりルディエールの演技に目が行ってしまいました。タチヤーナが主人公なのですから当たり前といえば当たり前ですが。

  タチヤーナは昔の憧れの人だったオネーギンからの恋文を読んで、思わず嬉しそうに手紙を抱きしめます。しかしすぐに我に返り、混乱した表情になって、どうしたらいいのか分からないといったふうに部屋の中を走り回ります。

  オネーギンが入ってきたときには、タチヤーナは厳しい表情で机の前に座り、前をじっと見据えています。しかし、オネーギンが、厳しい表情のまま立ち上がったタチヤーナの体を包み込むように両腕をかぶせると、途端にタチヤーナは目を閉じて切なげな顔になります。

  タチヤーナは決してオネーギンと目を合わせようとしませんが、彼女はオネーギンから顔をそむけながらも、明らかにその表情はオネーギンを愛しています。そして、オネーギンから必死に身を離そうとし、時に腕を突っ張り、時に背中合わせになりながらも、それでもオネーギンと一緒に踊り続けます。

  オネーギンに両手を後ろから引っ張られ、タチヤーナはオネーギンを引きずるようにして、過去を断ち切ろうと重い足どりで前にゆっくりと進みます。しかし、耐え切れずにしばしばオネーギンの首にすがるように抱きつきます。

  オネーギンが昔を思い出させるようにジャンプしてタチヤーナをいざないます。タチヤーナは少女の顔に戻ってオネーギンの腕の中に飛び込み、オネーギンに持ち上げられて、彼女の両脚が美しい形に開かれて空を舞います。

  しかし、タチヤーナは甘い夢に浸っている自分を振り切って厳しい表情に戻り、机の上に置いてあったオネーギンからの恋文を握りしめ、顔をそむけたままオネーギンの胸元に突きつけます。まさに「あうんの呼吸」というのでしょう、ここのルディエールとルグリの演技は最高にすばらしかったです。

  タチヤーナはオネーギンに出ていくよう命じます。オネーギン役のルグリが出て行った後のルディエールの演技はいつも違うようです。今日は部屋じゅうをまろぶように走り回り、そして部屋の真ん中に立ち尽くすと、拳を握って顔を覆います。

  その拳を力を振り絞るようにして下ろしたとき、ルディエールの顔にはかすかに微笑みが浮かんでいました。この前は自分を無理に納得させようとしているふうでしたが、今日は「これでいいのだ」と未練を残しながらも確信している感じでした。  
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ひと休み

  それにしても毎日暑いですね。

  ところで、「ビリーズブートキャンプ」にザセツした人のことを、「高木ブートキャンプ」と呼ぶんだそうです。

  またところで、私は今日(12日)、去年に引き続いて「アクロバティック『白鳥の湖』」を観に行ってきました。会場はオーチャード・ホール、午後1時開演でした。

  日曜日のお昼の渋谷ですから、さぞ人でごった返しているだろう、ただでさえ暑いのにヤだなあ、と思っていましたが、ハチ公口から出て文化村通りを歩いていたら、人がそんなに歩いていないことに気づきました。すいすい前に進めちゃうのです。

  折しもお盆、さてはふだん渋谷にたむろっている若人の大多数は地方出身者でであったか、と気づきました。おそらく今は帰省中なのでしょう。

  そういえば電車もすいていたし、東京は今、人口が一時的に減少しているようです。

  「アクロバティック『白鳥の湖』」はとても楽しかったです。でも、すでに一度観ちゃったからでしょう、去年ほどの興奮はありませんでした。とはいえ、さすがにウー・ジェンダンとウェイ・バオホアによる、「王子の肩や頭の上にオデットが爪先立ちでアラベスクとアティチュード」には、やっぱり呆然として見とれてしまいました。

  去年よりも舞台装置や衣装が豪華になっていました。これは確実です。あとこれは私の気のせいかもしれませんが、出演者の中にバレエをバック・グラウンドとする人(特に女性)が多くなっているように思いました。「中国雑技とバレエとの融合」をより推し進めるために、そうした人を集めたのかもしれません。

  一緒に行った友人は「アクロバティック『白鳥の湖』」を観たことがなくって、それでも笑いのツボが私と同じだったので安心しました。たとえば、ロットバルトがオデットをさらって白鳥にしてしまう冒頭の場面で、公園の池に浮かんでいるボートそっくりの、巨大なカワイイ白鳥の装置が出てきたときには、ふたりして大爆笑してしまいました。

  その友人が「デーモン小暮閣下」と形容したロットバルト(黒鷹王)を王子が矢で射て殺す場面でも、デーモン閣下がしゅるるる、と天井に上がっていったかと思うと、手品みたいに紙吹雪がぽん、と飛び散るところでも爆笑しました。

  またやはり一番の笑いどころは、オデットを探してエジプトにやって来た王子が、ラクダに乗ってスフィンクスの前を通り過ぎていくシーンでしょう。その前でインド風の衣装を着た人々が雑技を披露しているのも笑えます。「どこからツッコんでいいのか分からないほどの舞台でしたね」とは、友人の弁。

  また、プログラムも笑えました。紹介文やインタビュー記事などはかなりマトモで読み応えがあるのですが、舞台写真がコラージュしまくりで、しかもコラージュというより「切り貼り」じゃねーか、と言いたいくらい雑なのです。

  切り抜いた人物の周りに、切り抜き損ねた黒い輪郭がはっきりと出ていて、パソでコラージュしたんじゃなくって、ハサミで切り抜いて貼り付けたんじゃないか、と思えるくらいでした。

  またそのコラージュ写真が、見開き2ページに全シーンと全雑技を無理やり詰め込んでいて、すっごいゴージャスというかどハデというか、いかにも中国人が好きそうな構図です。

  さすがに日本の招聘元がこんなハデハデで悪趣味で雑な仕事をやるわけがないんで、これらのコラージュ写真は、絶対に中国側が用意したプロモーション用写真に違いありません。

  ですから、プログラムは去年のほうが絶対にいいですよ。日本側が特別に撮影した写真は本当にステキだしね(水しぶきが飛び散っているなかを、きれいな特殊メイクをしたオデットと王子がポーズを取っている)。

  それから、音楽をよく聴いてみると、チャイコフスキーの原曲をこれほどメチャクチャに切り貼りした「白鳥の湖」はないだろうなあ、としみじみ思いました。中国四千年(最近の発掘調査で「中国六千年」に改められた模様)にとっては、19世紀のロシアの作曲家など、単なる若造に過ぎないのでしょう。

  とどめが場内アナウンスでした。たとえば「客席でのご飲食はご遠慮下さい」なら珍しくもないけど、なんと「客席は禁煙です」と言っていたのです。いくら大らかな中国人でも、そこまではしないって、と思ったけど、・・・するのかなあ?

  いろんな意味で、久々に中国的な雰囲気に触れられて楽しかったです。   
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ルグリズブートキャンプ(3)

  金曜日(10日)のAプロが終わったのが夜の9時45分ごろ、それから友人とご飯を食べておしゃべりし、部屋に帰ったのは日付が変わった午前0時過ぎでした。

  「タモリ倶楽部」(東京の「聴き鉄」ポイント紹介)を観てからお風呂に入って、忘れないうちにとこのブログの日記を書いて、眠ったのが午前3時半ごろ。

  朝は8時半に起き、今日も暑くなりそうだな~、と思いつつ布団を干しました。

  朝食を食べて、しばらくボーっとして、それから出かける準備に取りかかりました。午前11時から「ルグリと輝ける仲間たち」公開クラス・レッスンがあって、それを観に行くためです。

  「クラス・レッスン」とは具体的に何をするのか知らなかったのですが、練習には違いありません。練習を見物されるなんて、ダンサーたちにとっては迷惑千万なことでしょうが、観客にとっては千載一遇の機会です。舞台はお金を出せば観られますが、練習はそうではありませんから。

  クラス・レッスンは11時からですが、入場受付開始の10時半にゆうぽうとに行きました。レッスンが始まる11時ぴったりにダンサーたちがやって来るわけはない、きっと幾人かはすでに来ているだろう、と思ったからです。

  10時45分にホール内に入ることができました。見学する席はあらかじめ決められていましたが、前から5列目くらいの通路に白いテープが張り渡してあって、それよりも前の席には行けないようになっていました。

  思ったとおり、舞台上にはもう何人かダンサーがいて、各々ストレッチをしていました。移動式の練習用バーが何本も並べられています。公演ならば、「さあ、見せてもらうわよ~」という横柄な気持ちになります。が、練習となると、「すみません、ご迷惑でしょうが見せて下さい」という申し訳ない気持ちになります。

  実際、ぞろぞろと入ってきた観客たちを見て、ダンサーたちはちょっと戸惑ったような表情をしていました。彼らはストレッチを続けながらおしゃべりしていましたが、たぶん「レッスンを見られるなんてやだよね~」とか話していたのだろうなあ。

  ダンサーたちのストレッチはそれぞれが違っていました。あおむけに寝転んでいろんな形に脚を上げ、そのたびに足の裏に紐を引っかけて引っ張っているダンサーがいました。マチュー・ガニオでした。観客がホールに入ったときには、ガニオはすでに舞台の上にいて、こうしたストレッチをしていました。

  ガニオの向かいにアクセル・イボがやって来て、ガニオとさかんに話しながらストレッチを始めました。あぐらを組んだ脚を床にぴったりとくっつけたり、180度開いた脚を床に着けたまま床にうつぶせたり、でんぐり返しのような格好をして脚を伸ばしたりしていました。ガニオやアクセル君のストレッチを見ていて、今さらながらに「柔らかいな~」と驚きました。

  マチュー・ガニオとアクセル・イボはずいぶんと仲が良いようで、ずっとしゃべっていました。でも、それぞれが軟体アクロバットみたいなものすごいポーズを取ったまま平然としゃべり続けているので、傍目に見ていて可笑しかったです。

  いつのまにかマニュエル・ルグリも来ていました。ダンサーたちの中に融け込んじゃっていて、地味で目立たない、ぜんぜん普通のお兄さんでした。すごいぶっくりした布製のシューズを履いていました。足を保護するシューズでしょうか。

  ダンサーたちは総じて上下ともすごい厚着でしたが、足はルグリのようにぶっくりした厚いシューズを履いている人もいれば、普通のバレエ・シューズを履いている人もいれば、アクセル君のように裸足の人もいました。

  確実にいたのはマニュエル・ルグリ、マチュー・ガニオ、エレオノーラ・アバニャート、メラニー・ユレル、ミリアム・ウルド=ブラーム、マチルド・フルステー、ローラ・エッケ、オドリック・べザール、マチアス・エイマン、アクセル・イボ、グレゴリー・ドミニャック、マルク・モローです。

  誰だか分からなかったのが、青いTシャツにグレーの肩紐つきのズボンを穿いていた男性ダンサーで、彼はずっとルグリの向かいにいました。ローラン・イレールか、またはバンジャマン・ペッシュでしょうか。あとはカラフルなレッグ・ウォーマーを穿いていた女性ダンサーがいて、これはドロテ・ジルベールかシャルリーヌ・ジザンダネかなあ。私はパリ・オペラ座バレエ団についてはほとんど何も知らないので、アホな間違いをしているようならすみません。

  確実にいなかったのはモニク・ルディエール、いたかいなかったか分からないのはステファン・ビュヨンです。

  公演のときに薄い生地の衣装を着て、長身で大きく見えたダンサーたちは、みなそんなに背が高いというわけではなく、しかもぶ厚い練習着姿なのに、非常にほっそりとしていました。エレオノーラ・アバニャート、メラニー・ユレル、ミリアム・ウルド=ブラームなんか、あまりに小さくて細くて、最初は誰だか分かりませんでした。公演のときにも小柄で細身だった女性ダンサー、マチルド・フルステーは、全身を厚いジャージで包んでいても、それでも折れんばかりに細かったです。

  左端のバーに陣取っていたのは、ルグリ、青いTシャツの男性ダンサー、ミリアム・ウルド=ブラーム、グレゴリー・ドミニャックなどで、その右隣のバーにはローラ・エッケ、メラニー・ユレル、マチルド・フルステー、カラフルなレッグウォーマーの女性ダンサーがいました。その右隣のバーにはマチュー・ガニオ、アクセル・イボ、マチアス・エイマン、マルク・モロー、エレオノーラ・アバニャートがいて、右端のバーの奥には(たぶん)オドリック・べザールが1人で黙々とストレッチに励んでいました。

  やがてNBS側から観客に注意のアナウンスがありました。しゃべらないこと、写真撮影や録画は厳禁であることと、また「ルグリ側からの注意」として、クラス・レッスンは華麗な技を見せるためのものではなく、ダンサーが公演前に各々の体を調整するためのものであって、あるときは参加したり、あるときは抜けたりするものであることがアナウンスされました。

  前の列の通路に張り渡されていた「立ち入り禁止」のテープ、そしてこのアナウンスで、基本的に(日本人)観客は信用されていないし、常識知らずな上に物知らずだと思われているのだな、とちょっと寂しく感じました。まあ仕方ないですね。

  それからレッスンが始まりました。教師はローラン・ノヴィ(レペティトゥール、教師)でした。てっきりルグリがやるのかと思っていたので意外でした。  

  ダンサーたちはみな立ち上がってバーに片手をかけました。ピアノの音楽に合わせて、片腕と片脚を動かしていきます。ノヴィ先生はダンサーたちの間をゆっくりと見回って歩いていました。

  基本的には同じ動きなのですが、ダンサーの上体や腕を上げ下げするタイミングはまったく同じというわけではありません。群舞ではないのですから、各々が自分なりのペースでやればいいようです。

  最初は足や爪先を細かく動かす練習から入り、それから徐々に大きな動きに移っていきました。片脚をまっすぐに伸ばしたり、高く上げたりします。途中でバーがすべて舞台上から取り去られました。

  すると、ノヴィ先生が手や足の動きを交えて何かを説明していました。数をかぞえながら小さくステップを踏んでいます。こう踊りなさい、と指示しているようです。ピアノが鳴ると、ダンサーたちは一斉にノヴィ先生に言われた動きで踊り始めました。途中で動きが止まる人はまったくいません。言われた動きと順番を一発で覚えられるようです。

  ノヴィ先生が短い踊りを指示し、ダンサーたちが言われたとおりに踊る、ということが何度も繰り返されました。練習が進むにつれて、それらの短い踊りの中に舞台で目にする動きが多くなっていきました。ダンサーたちは時間を見つけては着ていた練習着を脱ぎ捨てていきました。彼らのほとんどが何枚も重ね着していて、たとえばルグリは上下のジャージを二枚重ねで着ていたのです(しかも紺のジャージの下に真っ赤なジャージ)。

  ルグリはおとなしく素直にノヴィ先生の指示した短い踊りを踊って練習していました。スターであっても、また座長であっても、レッスンではあくまで一ダンサーとして真面目に謙虚に取り組むのだな、と感心しました。

  更にレッスンは進行し、2~3人のグループに分かれての大技練習に入りました。女性たちはトゥ・シューズに履き替えました。様々なタイプのジャンプ、回転の練習が行なわれていきます。みな、まったくといっていいほどミスがありません。まるでパ・ド・ドゥのヴァリエーションを観ているような気になってきました。ただし、ルグリはここからの練習には参加せずに抜けたようです。

  最後に男性たちはなんと舞台を回転ジャンプしながら一周する練習をしていました。途中、マチアス・エイマンが回転ジャンプをしながら舞台を横断し、最後にまた高く跳んで回転して、きれいに着地しました。見ていたダンサーたちがふざけて拍手しました。つられて観客も拍手しました。一方、女性たちはグラン・フェッテの練習です。レッスンもそろそろコーダに入ったようです。

  ノヴィ先生がまた指示しました。すると、ダンサーたちはゆるやかに回ったかと思うと、男性は立ったまま、女性は片膝をついて、客席に向かってお辞儀をしました。ノヴィ先生とダンサーたちのスペシャル・サービスのようです。彼らの意図を察した観客は一斉に拍手しました。

  幕が下りかけ、ダンサーたちは舞台から引き上げながら、観客に向かって手を振ってくれました。部外者に見られてさぞ練習しづらかったろうに、特別に「お辞儀練習」までしてくれて、最後には手も振ってくれて、とても嬉しかったです。

  バレエのレッスンなんてめったに見られるものではないし、しかもパリ・オペラ座バレエ団のダンサーたちのレッスンを見られたのですから、いい思い出になりました。

  そうそう、真面目な表情で勤勉に練習に取り組んでいたルグリも印象的でしたが、それ以上に印象に残ったのがマチュー・ガニオでした。もちろん彼もきちんと練習しているのですが、何がそんなに笑えたのか、練習の間じゅう、面白くてたまらない、といった笑いをしきりに浮かべていました。その笑顔が実に天真爛漫というか無邪気というか、とても感じの良い子でした。  
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ルグリズブートキャンプ(2)

  「ルグリと輝ける仲間たち」Aプロ(10日)をまた観に行ってきました。今日は追加公演で、少し空席もあるようでしたが、それでも大盛況でした。ちなみにNBSの人に聞いてみたら、11日から始まるBプロは完売状態で、当日券を販売する予定もないそうです。直前キャンセルが出るのを待つしかないそう。すごい人気ですね(嘆)。

  演目はもちろん8日に観たのと同じです。ただ、「舞台は一期一会」とか、「まったく同じ舞台はない」とかいいますが、今日の公演ではほんとにそのとおりだな、と痛感しました。

  彼らが疲れていたのか、それとも私の目が多少なりとも慣れたのか、「白の組曲」では、ダンサーたちの不調が目立ちました。8日にパ・ド・トロワを踊ったアクセル・イボ君は今日は出演せず、グレゴリー・ドミニャック君が出演しました。脳内で比較したら、アクセル君のほうが技術が優れているように思いました。

  アニエス・ルテステュが出てきて踊って、それでエトワール級ダンサーとそうでないダンサーの違いは何か、ということが分かったのは8日と同じでした。技術が非常に安定しているのはもちろん、容姿、体格、そして何よりも手足の動きがしなやかでなめらか、といった点が違います。

  しかし、今日はルテステュもフェッテでミスをしました。4日連続の公演で、さすがに疲れていたのでしょう。

  東京バレエ団のダンサーたちは、今日も整然と踊っていました。この「白の組曲」の振付やダンサーの配置には幾何学的な要素が強いので、彼らのよく揃った動きや常に一定の間隔を保った踊りは、今回の上演をよいものにしたと思います。 

  マニュエル・ルグリ、エレオノーラ・アバニャートによる「扉は必ず・・・」は、最初はゆっくりな動きで踊るのですが、最後で一気に動きが速くなります。踊りが中盤にさしかかったところで、ルグリの白いシャツは汗でびっしょりでした。ここはまだゆっくりな動きで踊っていました。それでも(だからこそ?)非常に体力を使うのでしょう。それでも疲れた様子を見せないのですから、ダンサーとは本当にすごいものです。

  マチルド・フルステー、ステファン・ビュヨンが踊った「スパルタクス」のパ・ド・ドゥでは、例の難しい「逆立ちリフト」は今日もつつがなく成功しました。スパルタクスが逆立ち状態のフリーギアをリフトしたまま舞台を半周するところで、ビュヨンはなんと片足をわずかにではありますが上げてみせました。

  アニエス・ルテステュ、ジョゼ・マルティネスによる「ドリーブ組曲」は、よく見たらちょっとお遊びが入っていました。

  アダージョが終わると、ルテステュがゆっくりと踊りだします。あれ、女性ダンサーのヴァリエーションが先?と思っていると、マルティネスがやって来て「僕の踊る番だよ」という仕草をルテステュにします。ルテステュは「分かったわ」というふうにニヤリと笑って退場します。

  男性ヴァリエーションが終わると、マルティネスはそのまま舞台上にとどまってルテステュを迎え入れ、手を取って少しだけルテステュと踊ると姿を消します。

  「チャイコフスキー・パ・ド・ドゥ」(ドロテ・ジルベール、マチュー・ガニオ)ですが、衣装を書き忘れたのでメモしておきます。女性は水色のローブ状の膝丈の衣装、男性は水色のシャツにオフホワイト(もしくは水色がかった淡いグレー)のタイツです。

  女性ヴァリエーションで、片脚を後ろに伸ばしたままピョンピョンと後ろに下がっていくところは、もっと音楽に合わせてゆっくりやってもいいように思いました。ジルベールは勢いに任せて(あるいはスピードがコントロールできず)やっている感じでした。

  マチュー・ガニオはとても人気のあるダンサーのようで、彼が何かする(連続ジャンプする、連続回転する)たびに、他のダンサーには送られなかった盛大な拍手が沸きました。回転ジャンプをしながら舞台を一周するところでは、その拍手の大きさはいうまでもありません。でも私は、マチュー・ガニオがそんなに(以下自粛)。

  8日の公演では「悲惨」の一言に尽きた「椿姫」第二幕のパ・ド・ドゥは、今日は劇的なほどに変化を遂げました。

  衣装を先日は書き忘れたので書いておきます。エレオノーラ・アバニャートは胸元が大きく開いて、襟口が大きなフリルで縁取られている白い長いドレスで、髪は垂らしています。バンジャマン・ペッシュは白いシャツ、黒いベスト、黒いタイツです。

  このパ・ド・ドゥの前半で、ペッシュがアバニャートを頭上に持ち上げるリフトが何回かあります。8日と同じく、今日もペッシュがアバニャートを「よっこらせ」となんとか持ち上げているのが分かってしまって、しかもアバニャートが、衣装の白い長いドレスの裾がペッシュの顔にかかって視界を遮らないよう、裾を引っ張っているのが見えてしまって、う~ん、と思いましたが、それでも8日よりはうまくいきました。

  劇的に変わったのは後半の踊りです。ノイマイヤーっぽい、手足を伸ばした女性ダンサーを男性ダンサーがくるくると振り回すリフトが何度もあります。今日の公演でようやく、なるほど、これが本来の振付で、正しく踊られるとこんなに美しくなるのね、と見とれました。ペッシュとアバニャートの息はよく合っていました。

  彼らが踊り終わると、8日には出なかったブラボー・コールが今日は出ました。ペッシュの胸元は真っ赤になっていて、しかもはあはあ、と大きく息を吐いていました。その息を吐く音が客席にまで聞こえてきました。ペッシュはよく頑張ったと思いますが、ペッシュとアバニャートの身長差をもっと考慮してペアを組んだほうがよかったのではないか、と思いました。

  ジョゼ・マルティネスが踊る「三角帽子」は、今日は気のせいかパワー・ダウン気味でした。でもやっぱりそれまでにない盛大な拍手とブラボー・コールが送られました。

  カーテン・コールは面白かったです。マルティネスは幕の間から出てきてお辞儀をすると、いきなりスペイン舞踊風のポーズをビシッ!と決めてから消えました。観客がドッと笑うとともに、更に大きな拍手を送ります。マルティネスはまた出てきました。お辞儀をすると、今度はやや長めに踊りました。即興の振りで踊ったのか、それともソロの一部だったのかは分かりません。観客はもうMAXに盛り上がりました。

  3回目のカーテン・コールに現れたマルティネスは、去り際にまたもやスペイン舞踊風のポーズを決めました。彼はウケるタイミングを捉えるのに長けているようで、聞いたこともないような激大音量の拍手が送られました。エンタテイメント性にも恵まれているダンサーのようです。

  でも、せっかくファンが気を利かせて送った赤いバラの花を、また客席に投げ返したのは感心できません。バラを送ったファンの人がかわいそうじゃないですか。

  劇的な変化を遂げていたのは「椿姫」ばかりではありません。なんと最後の「オネーギン」より別れのパ・ド・ドゥ(マニュエル・ルグリ、モニク・ルディエール)も8日とはぜんぜん違いました。

  ルグリとルディエールは、振りと振りの切れ目が分からないくらい、きれいにリンクして踊っていました。流れる水のように美しかったです。オネーギンがタチヤーナを空中に放り投げて、落ちてくるタチヤーナの両脇の下に、伸ばした両腕だけを差し込んでキャッチする振りがあります。8日は今ひとつでしたが、今日は実にきれいに決まりました。

  あと更によくなっていたのがルグリとルディエールの演技です。思うに、客席に踊りや演技の出来具合をチェックする人がいて、よくないところは直させているのではないでしょうか。それとも、何回も踊っているうちに、ふたりとも演技が違ってきたのでしょうか。

  ルディエールの演技で、タチヤーナはまだオネーギンを愛しているのだ、とはっきりと分かります。それでも、すでに人の妻になった彼女は、オネーギンを拒まなくてはなりません。相反する二つの感情の間を行きかうタチヤーナの苦悩がよく伝わってきました。ルグリよりもルディエールのほうにどうしても目が吸い寄せられてしまいました。

  最後、オネーギンが立ち去った後のタチヤーナは、苦しげな表情を浮かべながら、それでも強く拳を握った両腕をぐっと下に伸ばします。辛いけれども、これでいいのだ、と自分に納得させようとするタチヤーナに、見ている私も切ない思いになりました。

  Bプロの演目にも「オネーギン」が入っているので、この次に観るときにはまたどんなに変わっているのだろう、ととても楽しみです。

  全体のカーテン・コールではなぜか「威風堂々」が最初に流れます。いつもこうなのでしょうか?カーテン・コールがより盛り上がるのでいいとは思いますが。

  Aプロの最終日のせいか、カーテン・コールの最後で会場総立ちのスタンディング・オベーションになりました。でも本当は、前に座っている人たちが立つので、後ろに座っている人たちは舞台上に立つダンサーたちの姿が見えず、それでやむを得ず自分たちも立っているようです。「見えないよ」という声が聞こえました。

  私はお祭り騒ぎが好きなので、たとえスタンディング・オベーションするほどの舞台ではない、と心の中で感じていても、みんなが立てば自分も立つようにしています。でも今日は疲れていたので立ちませんでした。   
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ルグリズブートキャンプ(1)

  今日(8月8日)から来週いっぱいは「マニュエル・ルグリ強化週間」です。「ルグリと輝ける仲間たち」A、Bプロと「白鳥の湖」を観ます。今日は「ルグリと輝ける仲間たち」Aプロを観てきました。

  3部構成で、第1部は「白の組曲」(振付:セルジュ・リファール、音楽:エドゥアール・ラロ)でした。

  黒い背景に白い衣装に身を包んだダンサーたちが整然と居並んだ様は美しく、また壮観でもありました。

  それからダンサーたちが次々と踊りを披露していきます。私はパリ・オペラ座のダンサーを、一挙にこれだけの量を見るのは初めての経験で、「スーパーバレエレッスン」でマニュエル・ルグリにダメ出しされてばかりいたアクセル・イボ君でさえも、実は背が高くてスタイルが良く、またすばらしい技術の持ち主であったことに驚きました。

  パリ・オペラ座バレエ団のダンサーたちはみな恵まれた容姿と優れた技術を持っていて、下位のダンサーでも軽々と超絶技巧をこなしてみせるのが当たり前なようでした。上位のダンサーはそれにプラスしてなめらかさや表現力を有していました。彼らの踊りに共通していたのは、とにかく正確できっちりしている、という印象で、(悪い意味ではなく)やや機械的で硬質な感じのする踊りでした。

  「白の組曲」はダンサーの配置や踊りが整然としており、振りはクラシックですが、必ず一ひねり加えて難しくしてありました。パリ・オペラ座バレエ団のダンサーたちは凄かったですが、彼らに加わって踊った東京バレエ団のダンサーたちもよく頑張っていたと思います。

  第2部では3作品が上演されました。最初は「扉は必ず・・・」(振付:イリ・キリアン、音楽:ダーク・ハウブリッヒ)でした。これはAプロでの私のイチ押し作品です。

  クープランの曲をアレンジした、バロック調の音楽が流れます。エレオノーラ・アバニャートは黄色いドレス、グレーのアンダースカートを身につけ、マニュエル・ルグリは白いシャツを着て白い膝丈の下穿きを穿いています。後ろにはベッド、その横には大きな扉があります。

  アバニャートとルグリはゆっくりとした、スローモーションのような動きで、互いにもたれ合い、絡み合い、押しのけ合い、抱き合い、またもんどりうって踊ります。時にテープが早回転したような音が流れると、それに従って彼らの動きも速くなります。また映像を早回しで何度もリピートするかのように、彼らは一つの花束をさかんに投げあいます。最後にふたりは並んで座って、1個のリンゴを大きくかじります。

  プログラムにあるとおり、この作品はある男女の関係を、未来、現在、過去をごちゃ混ぜにして描いた作品なのでしょう。振付自体にも不思議な魅力がありましたが、その魅力を最大限に引き出していたのがルグリとアバニャートです。絵画のような雰囲気が漂う、静かでゆっくりな動きだけど、観ている側がつい集中してしまう迫力がありました。

  次は「スパルタクス」(振付:ユーリー・グリゴローヴィチ、音楽:ハチャトゥリアン)よりスパルタクスとフリーギアのパ・ド・ドゥです。なぜいきなり「スパルタクス」なんでしょう?「スパルタクス」はパリ・オペラ座バレエ団のレパートリーにあるんでしょうか?

  最初にフリーギアのソロも踊られたので嬉しかったです。フリーギアはマチルド・フルステーが踊りました。小柄でほっそりしたダンサーです。スパルタクスはステファン・ビュヨンでした。

  フリーギアのソロをフルステーはすばらしく踊りましたが、やはりボリショイ・バレエ映像版「スパルタクス」での、ナターリャ・ベスメルトノヴァの踊りが私の脳内に染み付いていて、ベスメルトノヴァはすごいダンサーだったんだな、と思いました。

  スパルタクスが片手でフリーギアを支え、フリーギアはスパルタクスの肩に手を置いて、スパルタクスの体の上に逆立ちになる有名なリフトもすんなりと成功しました。これは、いつかのなにかの公演で、ロシアのバレエ団のダンサーたちが失敗していたほど難しいリフトです。

  でも、確かに上手なんだけど、もうちょっと音楽にうまく乗ってほしかったというか、踊りにも音楽的なリズムがほしい気がしました。

  最後は「ドリーブ組曲」(振付:ジョゼ・マルティネス、音楽:レオ・ドリーブ)です。パ・ド・ドゥで、アニエス・ルテステュとジョゼ・マルティネスが踊りました。

  衣装は、女性は袖なしで胸の部分は紫のベルベット生地、胸の下から腰は青色の縦縞の生地、スカートは淡い青色のふんわりした形で、下に幾重もの白いアンダースカートがついています。かわいかったです。男性は大きな三角形の襟の白いシャツ、紫のベルベット生地のベスト、青の縦縞の短い上着、白いタイツでした。女性の衣装と素材や色は同じです。この衣装はなんとルテステュのデザインだそうです。

  振付はまさに正統的なクラシック・バレエのパ・ド・ドゥでした。若いダンサーのために振り付けられた作品なんだそうです。が、ジョゼ・マルティネスのヴァリエーションでの踊りには仰天しました。背がとびきり高くて脚も際立って長いダンサーですが、柔らかい身体を駆使した技術がとにかく凄まじかったです。特に横にジャンプして開脚したときなんか、ジャンプは高いわ、脚は180度以上にもばっ、と開くわで、観ているこっちが腰を抜かしそうになりました。

  第3部の最初は「チャイコフスキー・パ・ド・ドゥ」(振付:ジョージ・バランシン、音楽:チャイコフスキー)です。ダンサーはドロテ・ジルベールとマチュー・ガニオでした。

  ふたりの踊りはすばらしかったです(←こればっかり)。踊りとは関係ありませんが、音楽を聴いていて、やっぱりこれは「白鳥の湖」にあるべき曲だよなあ、と感じました。この音楽を自分の「白鳥の湖」に採用したブルメイステルは偉かったと思います。

  次は「椿姫」(振付:ジョン・ノイマイヤー、音楽:ショパン)第二幕よりパ・ド・ドゥ。この公演はテープ演奏ですが、この作品だけピアノによる生演奏でした。ダンサーはエレオノーラ・アバニャート、バンジャマン・ペッシュです。

  ペッシュはどっかで見たことのある兄ちゃんだな、と思いましたが、確か新国立劇場バレエ団の「ジゼル」にゲスト出演して、アルブレヒトを踊った人だと思います。

  先週、アレッサンドラ・フェリの「エトワール達の花束」で、ノイマイヤーの「ハムレット」の一部を観ました。そのとき、これは全幕を観ないと良さが分からないな、と思ったのですが、この「椿姫」でも同じように感じました。でも「ハムレット」のあの踊りより、今回の「椿姫」の踊りは分かりやすかったです。マルグリットとアルマンの愛の踊りです。

  抱き合ったりキスしたりと直接的なマイムが多かったですが、流れるような美しい振付もありました。でも、ペッシュとアバニャートの息が今ひとつ合っていなくて、特にペッシュはアバニャートをリフトするのがしんどそうでした。もっとスムーズに踊られれば、かなり美しい踊りだろうに、と思いました。

  次は「三角帽子」(振付:レオニード・マシーン、音楽:ファリャ)よりソロ。この踊りは「扉は必ず・・・」の次に気に入りました。ダンサーはジョゼ・マルティネスで、赤い幅広の袖のシャツに、黒いズボンを穿いています。

  振付にはスペイン舞踊の振りがかなり取り入れられていて、それにバレエの振りが混じっています。振付もカッコよければ、踊ったマルティネスもかなり、というか非常に、というか最高にカッコよかったです。

  マルティネスは音楽性に非常に恵まれたダンサーなのではないでしょうか。指パッチン、靴音、手拍子で巧みにリズムをとりながら、情熱的に、ダイナミックに、リズミカルに踊りました。踊り終わった瞬間に万雷の大拍手でした。

  最後は「オネーギン」(振付:ジョン・クランコ、音楽:チャイコフスキー)第三幕より別れのパ・ド・ドゥで、モニク・ルディエールとマニュエル・ルグリが踊りました。ルディエールの衣装は茶色のドレスではなく藍色のドレスでした。ルグリはあの黒い衣装です。

  ルグリがシュトゥットガルト・バレエ団日本公演の「オネーギン」にゲスト出演したときは、シュトゥットガルト・バレエ団の女性ダンサーとの息があまり合っていなくて印象が薄かったのですが、今回は違いました。とてもなめらかに、流れるように踊っていました。

  ルディエールは、オネーギンに対して、彼を愛する気持ちと拒絶しなければならないという気持ちが交錯するタチヤーナを見事に演じていました。ルグリも、プライドも何もかもかなぐり捨てて、必死にタチヤーナの愛を取り戻そうとするオネーギンを、すがるような表情をして必死に演じていました。

  ただ、やっぱりルグリもルディエールも、「オネーギン」のような、説明的なくどい演技が必要な役には向いていないのではないか、と感じました。パリ・オペラ座のダンサーは、どちらかというと演技よりは踊りそのもので表現するような、抽象的な作品のほうが得意なのだろうと思います。

  客席には「ブラボー隊」みたいな人たちがいて、彼らが絶えずブラボーを連呼してくれたので、会場が盛り上がってよかったです。私には誰だか分かりませんでしたが、ダンサーらしい人たち(←小顔、長身、スレンダー体型ですぐ分かる)も座っていました。

  とりあえず今日は「恐るべしパリ・オペラ座バレエ団」ということをマスターしました。
ヴィクトリー!   
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エトワール達の花束(2)

  第2部の最初は「ジゼル」第二幕よりアダージョ。ダンサーはアレッサンドラ・フェリ、ロベルト・ボッレ。

  短くてあっという間に終わってしまったので、あんまり印象に残っていません。でも、フェリの腕の動きは美しかったです。あとはやっぱり、フェリとボッレのタイミングが合わないこと、ボッレのリフトやサポートがぎこちないことが少し気になりました。それに、音楽のテンポが異様に速かったです。もっとゆっくりのテンポで踊ったほうが雰囲気が出るのに、と思いました。

  「太陽が降り注ぐ雪のように」、振付はローランド・ダレシオ、ダンサーはアリシア・アマトリアン、ロバート・テューズリー。ふたりともピンクの長いTシャツを着て登場しました。Tシャツの下は、アマトリアンは黒のレオタード、テューズリーは黒のショート・パンツです。

  ふたり並んで客席に向かってお尻を突き出して動かしたり、ふたりが次々と床をスライディングしたり、アマトリアンがテューズリーに頭突きをしたり、テューズリーが自分のTシャツをびょ~んと伸ばして、アマトリアンをすっぽり覆ってしまったりと、コミカルな踊りでした。常に膝はゆるく、足首は極端に曲げていたのが印象に残っています。

  まあ気軽に観られる小品、という感じです。さほどすばらしいとは思いませんでしたが、アマトリアンとテューズリーがお茶目でかわいかったし、シュトゥットガルト・バレエ系の振付家は、後でどう化けるか分からないから無難に褒めておこうっと(←権威に弱い)。

  「シンデレラ」より舞踏会のパ・ド・ドゥ、振付はジェームス・クデルカ、ダンサーはジュリー・ケント、マルセロ・ゴメス。舞台を近代に移しかえたようで、ケントは20世紀初頭風デザインの淡いピンクの膝丈のドレス、ゴメスは黒い燕尾服を着ていました。

  振付にはさして特徴的なところがありませんでした。ただ、ケントがよい演技をしていて、「白鳥の湖」では気づきませんでしたが、彼女の踊りもフェリ系のように思いました。でもまだフェリの境地には至っていないようです。

  「ハムレット」、振付はジョン・ノイマイヤー、ダンサーはシルヴィア・アッツォーニ、アレクサンドル・リアプコ。

  これも現代版、というか80'sかな?ハムレットのリアプコはアイビーファッション(シャツ、襟がV字型のセーター、上着、ズボン)で、シャツの裾が片方ズボンの外にはみ出しているのが、気が狂っている様を表しているらしいです。オフィーリア役のアッツォーニはグレーに近い水色のワンピースを着て、花をつんで冠を編んでいます。

  またもやジョン・ノイマイヤーの振付ですが、さっきの「マーラー交響曲第3番」とは雰囲気ががらりと違いました。舞台の右奥にはトランクが山積みになっており、ハムレットはずっこけて、床に散らばった荷物をあわてて拾い集めます。ハムレットに気づいたオフィーリアとハムレットは、子どもっぽくてどこか間の抜けた笑いを浮かべ、楽しそうにたわむれたり、踊ったりします。

  ふたりともガキっぽいというか、気が狂っているっぽいというか、仕草はぎこちなく、踊りもきれいというよりはマイムの延長のような感じでした。これは全幕を観ないとよく分からない作品だと思います。

  「フー・ケアーズ?」、振付はジョージ・バランシン、ダンサーはパロマ・ヘレーラ、ホセ・カレーニョ。ヘレーラは胸元の大きく開いた赤い短いスカートのドレス、カレーニョは黒いシャツに黒いズボンという衣装でした。

  ヘレーラが最初に出てきて踊ります。やはり少し頼りなげな感じがします。ですが、カレーニョが出てきて一緒に踊り始めると、ヘレーラの動きはすばらしいものとなりました。ヘレーラとカレーニョの踊りもよく合っていて、ガーシュウィンのあのよく耳にする、気だるいもの悲しいメロディの曲が踊りによく合っていました。

  最後は「マノン」より沼地のパ・ド・ドゥ、ダンサーはアレッサンドラ・フェリ、ロベルト・ボッレ。フェリは黒髪なので、短髪ヅラがまるでいがぐり坊主のようでした(すみません)。ボッレは白いシャツを着てグレーのタイツとブーツを穿いています。

  目つきはうつろで意識がもうろうとした表情のフェリが、ボッレに手を取られてゆっくりと回り始めます。ボッレのリフトは、少なくともフェリと踊るときにはさほど上手でない、と私は結論しました。ちゃんとこなすのですが、なんかぎこちないのです。

  でもドラマティックな音楽と振付で、やっぱり集中して見入ってしまいました。ボッレがいつフェリを落とすか、とヒヤヒヤしましたが大丈夫でした。マノンがデ・グリューの腕の中にジャンプして飛び込み、間を置かずにデ・グリューがマノンの体を腕の中でぐるっと回転させて、それから振り回すところもうまくいきました。

  フェリは自分ひとりで踊るときも表現力が豊かですが、「リフトのされ方」もうまいなあ、と思いました。リフトされたときのポーズがとてもきれいです。デ・グリューがマノンの体を床すれすれに近づけるとき、フェリは体をやや反らせて、片脚をボッレの腰に引っかけていました。なんのことだか分かりにくいと思いますが、その引っかけた脚の形が美しいのです。

  マノンがデ・グリューの腕に飛び込んだと同時に死ぬところでは、ボッレがフェリの体を抱えた途端に、フェリの手足が力なくだらん、と垂れ下がりました。さっきの「オテロ」でもそうだったけど、「死に方」も上手だなあ、と感心しました。

  最後の最後でこんなことを言って申し訳ないのですが、ボッレのあの大根演技はどーにかなりませんか。マノンが死んだと気づいたデ・グリューの演技ですが、ボッレは頭を両手で抱えて嘆き悲しみます。その表情がなんともわざとらしいというか、テクニックなみに演技も上手になれよ、と思いました。

  沼地のパ・ド・ドゥもあっという間に終わってしまいました。カーテン・コールは何度も行なわれました。引退公演ですから当然でしょう。銀のテープがクラッカーのように客席に発射され、また舞台上には色とりどりのテープが下りてきてカーテンを作りました。私は失礼にも、「あのテープを沼地のパ・ド・ドゥでの昆布セット代わりに使えばよかったのに」と思ってしまいました。

  最後のほうでフェリがひとりで舞台上にたたずんで、彼女にスポット・ライトが当たり、上から赤い花のようなものがはらはらと降ってきました。私はこういうわざとらしい演出には感動しませんでしたが、いつまでも続く観客の熱狂的な拍手喝采に、フェリがつい顔をゆがめて涙目になり、ゆっくりと下を向いて、バレリーナ的でない、自然な仕草で深々とお辞儀をしたときには、ついもらい泣きしそうになりました。

  いろいろと言いたいことはありますが、やはり観ておいてよかったと思います。彼女が踊ったのが、「ロミオとジュリエット」のジュリエット、「オセロ」のデズデモナ、ジゼル、マノンというのが、フェリのバレリーナとしての本領がどこにあるのかを表している気がしました。  
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