フェデラー伝説4-4


  ルネ・シュタウファー(Rene Stauffer)著『ロジャー・フェデラー(Roger Federer Quest for Perfection)』第4章(Chapter 4)その4。

  誤訳だらけでしょうが、なにとぞご容赦のほどを。


  ・98年、フランス・トゥールーズ大会とスイス室内大会という大きな大会に出場した後、フェデラーはスイス国内で開催されていたサテライト・サーキット(最も下部のプロ大会。現在のフューチャーズに当たる)に出場した。フェデラーにとって、それは安っぽい映画に出演しているかのように感じられた。

  ・なにせ、つい先日、9千人の観客とテレビ観戦している計り知れない数の人々の前で、フェデラーは偉大な選手の一人であるアンドレ・アガシと対戦したばかりだったのだ。新聞各紙もフェデラーについて書きたてていた。
  ・それに、フェデラーは世界最大のスポーツ選手専門マネジメント会社であるインターナショナル・マネジメント・グループ(IMG)と契約を交わし、また憧れのピート・サンプラスのように、ナイキ(Nike)やウィルソン(Wilson)といったスポーツ用品の有名ブランド・メーカーから、テニス用品を提供されるようになった。


  ところで、17歳のフェデラーとアガシが初対戦した、98年スイス・インドア1回戦の映像を観ました。アガシ、たった47分でフェデラーに勝ちました。でも、フェデラーはボロ負けというほどではないような?サービス・エースをバンバン取ってるし、当時の主流だった強打のラリー戦でも、アガシに打ち勝つときがありました。特に爆速フォア・ハンドが凄まじい。あとは、シュテフィ・グラフ並みのバック・ハンドでのスライスには、観衆が「おお~っ!」と感嘆の声を上げていました。

  ただ、フェデラーは身長こそアガシと同じくらいですが、体つきはまだ細いです。アガシの強力なショットにパワー負けして、ミスを連発しまくったのが敗因かと。トップのプロ選手とジュニア選手の実力差ですね。ラリーが続いた後は息切れしてるし。

  フェデラーは今と違って、思いっきり強打するときには声を上げ、ミスをするたびに「ナイン!」と叫び、苛立って両手を広げたり、額に手を当てたり、ボールを蹴ったりしてます。しかし、「ラケット放り投げ」はしていないし、暴言も吐いていません(1回だけドイツ語でなにか喚いてたけど)。

  フェデラーは確かにナイキのウェアを着ています。明らかにサイズが合ってなくて、大きすぎてブカブカです(笑)。アガシもゆったりめのサイズとデザインのウェアを着ていますが(当時の男子選手のウェアはこれが流行りだったんでしょうね)、フェデラーはナイキから既製品のウェアをもらっただけでしょう。

  さて、フェデラーは華々しいプロ大会デビューを飾ったのですが、  


  ・それが一転して、今やフェデラーはスイスの小さな都市の谷あいにある、陰気なテニス・スタジアムにいるのだった。観客はまったくおらず、線審もボール・ボーイもいなかった。フェデラーが対戦しているのは、世界ランキング8位のアンドレ・アガシではなく、スイス国内ランキング11位の選手だった。

  ・はじめてのサテライト・サーキットでの1回戦は、フェデラーにとってはカルチャー・ショックに他ならなかった。フェデラーはとたんにやる気をなくしてしまった。フェデラーの無気力を、大会の審判委員長であるクラウディオ・グレーター(Claudio Grether)は見逃さなかった。「ロジャーはまったくやる気がない状態で、コート上で投げやりな態度をとり、自分のサービス・ゲームのたびに2回もダブル・フォールトを犯していました。」
  ・そのままストレートで敗退したフェデラーに対し、審判委員長のグレーターは100ドルの罰金を科した。理由は、プロ選手はいかなる大会であろうと最善の努力を尽くさなければならない、という規定にフェデラーが違反したからだった。


  しかし、この罰金処分はグレーターの温情によるものだった。


  ・グレーター「私はロジャーを出場停止処分にすることもできました。しかし、そうなると、彼は残りのサーキット大会に出場できなくなってしまいます。」(←サテライト・サーキットは複数の大会を巡回して戦った結果で優勝と獲得ポイントが決まる。)

  ・フェデラーは黙って罰金処分を受け入れた。その大会でフェデラーが獲得した賞金はわずか87ドルだった。100ドルの罰金を支払ったので、13ドルの赤字が出た。この大会は、フェデラーが出場して赤字を出した唯一のプロ大会となった。

  ・この一件はフェデラーにとってよい教訓になった。「あの罰金処分は正しかった」とフェデラーは認めた。


  このエピソード、私は好きですね。フェデラーは短期間に天国と地獄を味わい、有頂天になった途端にどん底の気分に突き落とされて、試合へのやる気を失ってしまいました。でも、それに処罰を加えるという厳しい方法で、グレーター審判委員長はフェデラーに活を入れました。

  大きな大会のトーナメント・ディレクターたちが、ワイルド・カードをフェデラーに与えてちやほやしたことよりも、最下部の大会であるサテライト・サーキットの審判委員長が、無気力試合をしたフェデラーに挽回する余地を残した処罰を与えたことのほうが、本当の意味でフェデラーのためになったと思います。


  ・1週間後、フェデラーは2番目のサテライト・サーキットの大会で勝ち、サテライト・サーキットの総合獲得ポイント優勝を目指した。最初の大会でつまづいたにも関わらず、フェデラーの努力は報われた。フェデラーは更に世界ランキングを100位も上げ、303位になった。17歳の選手にとって、これは悪くはないことだった。


  同時に、フェデラーは引き続き、ジュニア世界ランキング1位を目指します。


  ・12月にフロリダで開催されるオレンジ・ボウル(最も大規模なジュニアの国際大会の一つ)で、フェデラーはジュニア世界ランキング年間1位になるために、是が非でも勝たなくてはならなかった。


  ところが、フェデラーはこの大会で、信じられないほどアホなことをしでかしてしまいます。


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重要:『雨に唄えば』上演期間変更


  アダム・クーパーの公式サイト によると、ロンドンのパレス・シアターで現在上演中の"Singin' in the Rain"は、2013年6月8日で公演が終了することが決定したそうです。

  チケット販売サイトでも、6月8日までのチケットしか販売されていません。8月にまた観に行こうかと思っていた私には、すごくショックなニュースです。6月初旬に終わるのでは、観に行くのは私はもう無理。

  ウエスト・エンド公演終了後は、2013年11月から2014年10月まで、イギリスとアイルランドでのツアー公演が行なわれます。ベルファストやダブリンにまで行くってすげーな。

  アダム・クーパーがツアー公演に参加するかどうかはまだ未定とのことです。

  ウエスト・エンドでの公演が終わると国内ツアーに移行するのはよくあるパターンですが、国内ツアーが終わったら、いっそのことワールド・ツアーをやって、日本に来てくれませんかね?もちろんアダム・クーパー込みで。

  ともかくイギリス&アイルランドのツアーにアダムが参加するかどうか、続報を待ちましょう。

  

  
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フェデラー伝説4-3


  ルネ・シュタウファー(Rene Stauffer)著『ロジャー・フェデラー(Roger Federer Quest for Perfection)』第4章(Chapter 4)その3。

  誤訳だらけでしょうが、なにとぞご容赦のほどを。
  
  
  ・デビス・カップのスイス・チーム監督だったシュテファン・オーベラーは、98年の4月にフェデラーを出場選手たちの練習相手要員として、スイス・チームに参加させていた。チューリヒで行なわれたデビス・カップ1回戦対チェコ戦で、フェデラーはスイスのプロ選手たちと練習することができた。
  ・スイス・オープン後、フェデラーはデビス・カップ準々決勝対スペイン戦が行なわれるスペインのア・コルーニャに、再び練習相手要員としてスイス・チームとともに赴いた。当時のスペイン・チームには、カルロス・モヤ(Carlos Moya、76年生、95年プロ転向、98年全仏オープン優勝者)やアレックス・コレチャ(Alex Corretja、74年生、91年プロ転向、98年全仏オープン準優勝者)といった強豪が揃っていた。スイス・チームは敗れたが、フェデラーにとって、これは経験を培う価値ある旅となった。


  スイスのテニス界は、長い時間をかけて、16歳のフェデラーをゆっくり育成していく方針を採りました。まず、フェデラーをジュニアからいきなりプロに転向させるのではなく、フェデラーにジュニア選手として活動させると同時に、プロテニスに触れる経験を積ませていくことで、無理なくプロテニスにシフトできるような、段階的な手順を踏んだといえます。


  ・フェデラーは98年をジュニア世界ランキング第1位で終えたかった。ウィンブルドン選手権後、フェデラーのランキングは、フランスのジュリアン・ジャンピエール(Julien Jeanpierre、80年生、98年プロ転向)、チリのフェルナンド・ゴンザレス(Fernando Gonzalez、80年生、99年プロ転向)に次いで第3位であった。
  ・第1位でその年を終えることと、第2位、第3位でその年を終えることとの間には大きな差があった。第1位のジュニア選手は、より良い契約を結ぶことができるし、大きな大会でのワイルド・カード(主催者推薦特別出場枠)を得やすかったからである。
  ・ワイルド・カードは、困難(怪我や病気など)から復帰した選手、予選において出色のプレーを見せた選手に与えられる。また、世界ランキングが低いせいで、大きな大会への出場権がない年少の選手たちにも、ワイルド・カードは出場の機会をもたらしてくれるのである。(←へぇ~)


  ワイルド・カードは、ランキングは低いけれども、その大会が開催される国の若手選手やベテラン選手に与えられることもあるよね。また、2011年秋のスイス・インドアに、錦織圭選手がワイルド・カードで出場したけど、あれは震災に対する配慮だったのだろうか?誰にワイルド・カードを与えるのかを決めるのは主催者側だけれど、フェデラーがスイス・インドアの主催者側に間接的に働きかけた可能性はないのかね?なんかフェデラーって、錦織選手のことをえらく気に入ってる感じがするんだよな。


  ・フェデラーはジュニア世界ランキング年間第1位の獲得に乗り出した。夏に行なわれたヨーロッパ選手権で準決勝に進み、全米オープンのジュニア部門では決勝に進出したが、アルゼンチンのダヴィド・ナルバンディアン(David Nalbandian、82年生、2000年プロ転向)に敗れた。

  ・ところが、予想外の事態が起こった。ジュニア世界ランキング年間第1位獲得競争の決着がつく前に、フェデラーはATPツアーでの最初の関門を突破してしまったのである。98年9月末、プロ選手も含めた世界ランキングで、フェデラーは当時878位だったが、ATPのフランス・トゥールーズ大会(←どんな大会なのかよく分からない)で、フェデラーはなんと予選を通過して本選出場を果たしてしまった。

  ・2度目のプロ大会出場にして、17歳のフェデラーは世界ランキング45位のフランス人選手、ギョーム・ラオー(Guillaume Raoux、70年生、89年プロ転向)に、たった4ゲームしか与えずに勝つという番狂わせを演じた。
  ・次の試合でも、フェデラーはオーストラリアのリチャード・フロムバーグ(Richard Fromberg、70年生、88年プロ転向、この当時は世界ランキング30~43位)をストレートで破った。
  ・しかし準々決勝、オランダのヤン・シーメリンク(Jan Siemerink、70年生、89年プロ転向、当時の世界ランキングは20位)との対戦中、フェデラーは大腿部がずきずきと痛み出し(←やはり身体がまだプロ選手との連戦に耐えられるほどできてなかったんだね)、ストレートで敗退した。

  ・だが、フェデラーはこの大会で10,800ドル(←当時の為替レートで約145万8,000円)の賞金を手にした上に、世界ランキングを一気に482もすっとばし、396位に上がった。

  ・トゥールーズの大会での結果が評価され、フェデラーはスイス室内大会(Swiss Indoors)のトーナメント・ディレクター、ロジャー・ブレンヴァルト(Roger Brennwald)から、ワイルド・カードを受け取った。この大会に出場するだけで、最低でも9,800ドル(←当時の為替レートで約132万3000円)の賞金を手にできることが保証されていた。


  この章では、フェデラーがどうやってジュニア選手からプロ選手に移行していったかが記述されています。もちろん、これは極めて特殊な例だと思いますが…。

  まず驚いたのは、ジュニアの世界ランキングで3位以内でも、プロを含めた世界ランキングでは700~900位に過ぎない、ということです。プロ選手の層がいかに厚いかが分かります。

  プロの世界にもぐりこむためにフェデラーが目指したのは、ジュニア世界ランキング1位の座でした。ワイルド・カード、しかも大規模な大会のワイルド・カードをもらって、本選に入り込もうという目論見です。大きな大会に、予選免除のワイルド・カードで出場して本選を勝ち抜けば、ランキングは手っ取り早く上がるし、もらえる賞金の額も大きいという一挙両得、一石二鳥を狙ったのです。

  余裕のない金銭事情の中で、「まず世界ランキング10位以内に入り、それから1位になる」という大きな目標を達成するためにフェデラーが頼みにできたのは、自分の能力しかありませんでした。最初こそうまく事が運びました。しかし、プロの世界はやはり甘くなかった。


  ・フェデラーにとって、スイス室内大会はグランド・スラムのようなものである(←ここは現在形で書いてあるので、現在のフェデラーにとってもそうだということ)。94年、フェデラーがまだ13歳のとき、フェデラーはボール・ボーイとして、マルク・ロセ、ステファン・エドバーグ、ウェイン・フェレイラのような世界的トップ選手たちのために、コートでボールを拾っていた。あれから4年後、今度はフェデラーが選手としてコートに立つことになったのだから。

  ・1回戦、フェデラーの対戦相手は、なんと世界ランキング8位(翌99年に1位)のアンドレ・アガシであった。にも関わらず、若気の至りで、フェデラーはふてぶてしくこう宣言した。「僕はアガシのことをよく知っている。アガシが僕のことをまったく知らないのとは違ってね。僕は勝ちを取りに行くよ。」


  ガキ時代のフェデラーの大言壮語第二弾である。結果は、またしてもお約束でフェデラーが負けた。しかも、今回は接戦どころではなく、ボロ負けであった。この試合の映像はYou Tubeに投稿されている(→ ここ )。


  ・アガシはフェデラーに5ゲームしか取らせず、6-3、6-2のストレートで勝った。そして、スイス人期待の新星であるあの僕ちゃんに大した印象は残らなかった、と述べた。アガシは余裕たっぷりに言った。「彼は何度かその才能と優れた本能とを見せたけれど、でも僕にとっては、理想的な1回戦だったよ。あれこれやらなくて済んだし、新しいコンディションに慣れることができたからね。」(←アガシらしい。)


  「ワイルド・カード取り作戦」で、プロ大会で手早く良い成績を残そうとしたフェデラーの単純な目算は外れた。結局は、まず堅実にジュニアのトップ選手としての地位を固めること、そして新人のプロ選手がみなやっている地道な努力、下部大会に参加して実績を積んでいくこと、という真っ当だけど時間のかかる道のりを歩むことになった。


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フェデラー伝説4-2


  ルネ・シュタウファー(Rene Stauffer)著『ロジャー・フェデラー(Roger Federer Quest for Perfection)』第4章(Chapter 4)その2。

  誤訳だらけでしょうが、なにとぞご容赦のほどを。

  ワイルドカードをもらい、はじめてプロの大会であるスイス・オープンに出場できることになったとはいえ、フェデラーは乗り気ではありませんでした。しかし、この話を断ることができない事情があったようです。それは、


  ・フェデラーにスイス・オープンのワイルドカードを与えたのは、トーナメント・ディレクターのケービ・エルマンジャ(Koebi Hermenjat←ワケ分かんねえ名前もいいかげんにしろ)である。エルマンジャはATPツアーで最も古株のツアー・ディレクターの一人で、テニス界に顔が利く有力者だった。

  
  要は、スイス・オープンのディレクターであるエルマンジャがテニス界の権力者だったので、この人物の招聘(というか強制召集)には逆らえなかったんでしょう。 


  ・フェデラーは非常に嫌々ながらも(←だって本当にそう書いてあるんだもん)、ウィンブルドン選手権が終了した日曜日に開かれる公式晩餐会「チャンピオンズ・ディナー」を辞退し、その日のうちにロンドンを去った。飛行機でバーゼルに行き、そこからは自動車に乗ってベルナー・アルプスに向かった。スイス・オープンが開かれる高級リゾート地、グシュタードに着いたころには真夜中を過ぎていた。

  ・フェデラーのプロ・トーナメントでのデビューはうまくいかなかった。彼が先週プレーしていたウィンブルドンのコートは芝で、しかもほぼ海抜0メートルであった。しかし、スイス・オープンが開かれるグシュタードは滑りやすいクレー・コートで、海抜は1000メートル近くもあった。ウィンブルドンのコートではボールは低く弾む。一方、気圧の高いグシュタードでは、ボールは高く弾み、球速も速い。おまけに、クレーのサーフェスでは、芝のサーフェスとはまったく異なる走り方をしなければならない。

  ・しかも、ウィンブルドン選手権でフェデラーが対戦したのは、みな経験の浅いジュニア選手たちだったが、スイス・オープンのドローには、世界的なプロ選手たちがずらりと居並んでいた。このスイス・オープンが、16歳のフェデラーにとって一回りも二回りも大きすぎる大会なのは明白だった。


  1998年、16歳当時のフェデラーの写真や映像を見ると、身体がまだできあがっていないことが分かります。現在のようにごんぶとな骨と筋肉しかないガチ痩せ体型ではなく、なで肩で肩幅も広くなく、筋肉もさほどついていません。全体的に丸っこい少年の体型です。そういうガキと百戦錬磨の大人のプロ選手とを対戦させようってんだから、この企画はほんと悪趣味。


  ・しかしフェデラーには目的があった。それは経験を積むことと、この大きな晴れ舞台で、より多くのスイスの人々に、自分の存在を知ってもらうことだった。

  ・フェデラーは1回戦でドイツのトミー・ハース(Tommy Haas、78年生、96年プロ転向)と対戦することになった。当時20歳のハースはすでに世界ランキング41位だった。試合は火曜日に行なわれる予定だった。日曜日の真夜中過ぎにグシュタードに着いたばかりのフェデラーは、月曜日に有無を言わさず記者会見に引きずり出され、ウィンブルドン選手権ジュニア部門優勝とプロ大会へのデビューについて質問を受けた。


  なんてかわいそうなロジャー!という流れにしたかったのですが、ここで10代のフェデラーの悪癖、大言壮語がさっそく炸裂


  ・「(グシュタードの)二流のコートより、(ウィンブルドンの)センター・コートでプレーするほうがよかったなあ。」 スイス・オープン側が自分の試合のために決めたコートについて、フェデラーは大胆不敵に言い放った。

  ・このウィンブルドン選手権ジュニア・チャンピオンに対する興味があまりに大きかったため、グシュタードのNo.1コートの1,000ほどの観客席では、怒涛のごとく押し寄せた人々をすべて収容することができなかった。


  プロの試合では何の実績もないジュニア選手のクセに、コートがショボいとケチつけるなんてナマイキ千万。しかし、お天道様はちゃんと見ていたのだ。身の程知らずのナマイキなフェデラーに天罰が下る。


  ・フェデラーと対戦予定だったトミー・ハースは、試合の数分前に胃痛のため棄権してしまった。ラッキー・ルーザー(予選で負けたものの、本選を棄権した選手の代わりに出場できることになった選手)として、アルゼンチンのルカス・アルノルド(Lucas Arnold、74年生、94年プロ転向)が、フェデラーと対戦することになった。
  ・世界ランキング88位でクレー巧者であるアルノルドは、フェデラーを6-4、6-4のストレートで下した。アルノルドはフェデラーを評してこう言った。「彼はピート・サンプラスのようにプレーするし、すばらしいサーブを持っている。」(←人格者)

  ・フェデラーはがっがりしたが、しかし打ちのめされはしなかった。「僕は一生懸命闘ったけど、うまくプレーできなかった。もしうまくプレーできていたら、僕が勝っていたよ。」(←懲りないヤツ) フェデラーはあっけらかんとした口調で言った。「プロ選手と試合するには、ジュニア選手と試合するよりも、もっと走り回らなくちゃいけない。それに、プロ選手はジュニア選手がするほどのミスをしない。」


  プロ大会でのデビュー戦で、大言壮語して負ける、というお約束の(?)パターンをたどったフェデラーだったが、確かにボロ負けではなかったようで、この試合で新たにフェデラーに目をつけた人物がいた。


  ・デビス・カップのスイス・チーム監督で、スイス・テニス連盟のテクニカル・ディレクターでもあり、そしてマルク・ロセ(Marc Rosset、70年生、88年プロ転向)のコーチであったシュテファン・オーベラー(Stephane Oberer)は、グシュタードでフェデラーのプロ大会デビュー戦を間近で観た。オーベラーはフェデラーの才能を認め、フェデラーを支援するために裏で画策することにした。

  ・「ロジャーはまだジュニア選手のようなプレーをしている。」(←いや、実際まだジュニア選手なんだけど。) オーベラーはグシュタードで言った。「(デビュー戦での)個々のポイントは、彼にとって小さな価値しかもたらさなかったが、しかし、彼はいつかチャンピオンになれる要素のすべてを持っている。」

  ・「我々は彼をダメにしない(バーン・アウトさせない)よう、しっかり注意していかなくてはならない。重要なのは、さしあたって彼が強かったかどうかではなく、これから4~6年の間に、彼が自身の可能性の芽を結実させることができるかどうかだ。」


  90年代のこの当時、プロテニス界では「10代の天才選手」がもてはやされていました。テニスだけではなく、他のスポーツでも低年齢化が進んでいました。これは特に女子選手に顕著でした。男子選手ほど層が厚くないので、若くても良い結果を出しやすかったこと、競技自体の成績に加えて、容姿のかわいらしさが重視されたことなどが原因だと思います。

  しかし、成長しきっていない身体を酷使し続けた結果、怪我や故障で早期の引退に追い込まれる選手が多くなりました。また更に深刻だったのは、シュテファン・オーベラーがフェデラーについても危惧した「バーン・アウト(燃え尽き症候群)」、 すなわち競技への意欲を失ってしまうことです。実際、10代で活躍した選手が「バーン・アウト」にかかり、競技生活のみならず、私生活でも破綻する例が続出しました。

  テニス選手における例として有名なのは、トレーシー・オースティン、ジェニファー・カプリアティ(←彼女は本当にかわいそうだった)、マルチナ・ヒンギスでしょう。モニカ・セレシュも広義では「バーン・アウト」に含まれると思います。

  当時の主流だった低年齢化にあえて逆行して、16歳のフェデラーに対し、更に4年から6年の時間をかけて、プロ選手として完成させようというオーベラーの判断は正しかったのです。現在のフェデラーがそれを証明しています。


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フェデラー伝説4-1


  4月のバレエ鑑賞は、マニュエル・ルグリのガラ公演のみで、A、Bプロ両方を観に行く予定です。新国立劇場バレエ団の『ペンギン・カフェ』は考え中。「かぶりものバレエ」は好きじゃないのですが、以前にご覧になった方から、すごく良い作品だとうかがいました。

  フェデラーの公式サイトを見たら、フェデラーは5月まで大会に出場しないのね。これは当初のスケジュールどおりなので、1ヵ月半も大会に出ないってことは、この間に何かやるつもりなんだろうなあ。治療とか調整とか。

  フェデラーが出ないとなると、テニス観戦にまったく興味が湧かないことに我ながら驚きます。今も何か大きな大会をやってるみたいですが、観る気全然ナッシング。早くフェデラーのプレーが観たいです。

  BNPパリバ・オープン準決勝での対ラファエル・ナダル戦直後、フェデラーの公式サイトのコメント欄がすごいことになって、世界中のフェデラー・ファンのショックと嘆きの声が、大音量で一斉に聞こえてくるかのようでした。ちなみにこのコメント欄で、フェデラーの背中の故障がかなり深刻な状態だったということを知ったわけです。さすが長年のファンの眼はすごいね。

  フェデラーの公式サイトだから、コメントはもちろんフェデラーへの慰めや励ましがほとんどです。ところが、フェデラーに対する皮肉や嫌味もちらほらありました。

  コメントを書き込むには会員登録してログインしないといけないので、登録してまで悪口を書き込む心理が、私にはよく分かりません。大体、悪口を言いたいほど嫌いな選手の公式サイトに、なんでわざわざ行くかね?

  いわゆる「荒らし」行為なんだろうけど、それに真面目に反論したり、感情的に言い返したりするファンがいたもんだから、荒れたとまではいえないけど、ちょっと険悪な雰囲気になりました。最後は冷静になるよう呼びかけるコメントが増えて収束しましたが、フェデラーとナダルの試合って、ファンにとってもすごく特別なものなんだな、とほんと実感しましたよ。

  ファン同士がネット上でケンカするのは、スポーツを楽しむ醍醐味の一つになってます。私ももう20歳若かったら大喜びで(笑)参戦したでしょう。でも、顔の見えないネット上で匿名で罵りあいをするのは、やはり不健全で危険なことだと思います。

  去年の上海マスターズ直前に「フェデラー暗殺予告騒動」が起こり、まず上海、ついで中国全土、果てに全世界を揺るがす大騒ぎになりました。あれも、『百度』という中国の大手ポータル・サイトの掲示板上での、フェデラーのファンとナダルのファンとのケンカが原因でした。

  「フェデラーを暗殺する」と書き込んだ「藍猫」というネットユーザーは、ナダルのファンだということです。『百度』の掲示板のフェデラーのトピック専用板に出入りしているフェデラーのファンたちが、ナダルのことを悪く書いていたのに怒り、フェデラーのファンたちと悪口の応酬をしていて、その流れで例の書き込みをしたそうです。

  フェデラーのファンたちがナダルの悪口を書いていたのもいけなかったし、ナダルのファンだという「藍猫」が、フェデラーのトピック専用板なんぞに入り込んだのもいけませんでした。それがきっかけでファン同士の言い争いが激化し、ついにはフェデラー本人とその家族に、身の危険という深刻な不安を与えてしまったのです。

  冷静というよりは硬くて暗い表情でプレーするフェデラー、コーチのポール・アナコーン氏以外は誰もいない、がらんとしたフェデラーの関係者席、あの光景を思い出すと、今でも心が痛みます。

  「藍猫」君は未成年らしいので、事件後はおそらく青少年用の矯正施設に収容され、インターネットに接続できない環境でしばらく過ごしただろうと思います。でも、大げさに騒ぎ立てたフェデラーのファンたちも同罪です。「藍猫」の書き込みが本気じゃないことは分かってたくせに、フェデラー側、上海マスターズ主催者側、上海市公安局に「通報」した上、マスコミの取材に事の次第を軽率にしゃべりまくったんですから。

  去年の「フェデラー暗殺予告」事件、そして今回の対ナダル戦に対するファンたちの敏感な反応を見て、これからフェデラーとナダルとの対戦について感想を書くときには、言葉にくれぐれも細心の注意を払おう、とガチな恐怖心をもって思った次第。

  また無駄話が多くなっちゃった。ルネ・シュタウファー(Rene Stauffer)著『ロジャー・フェデラー(Roger Federer Quest for Perfection)』第4章(Chapter 4)その1。

  誤訳だらけでしょうが、なにとぞご容赦のほどを。


  ・1998年、16歳のフェデラーは、ジュニアの国際大会でめざましい活躍を見せ、どんなサーフェスにも適応できる、またオールラウンド・プレーヤーであるということを示していった。

  ・ハード・コートの大会では、オーストラリアで行なわれたジュニア大会で優勝し、全豪オープンのジュニア部門でも準決勝にまで進んだが、スウェーデンのアンドレアス・ビンシゲラ (Andreas Vinciguerra、81年生、98年プロ転向)に敗れ、決勝進出を逃した。
  ・クレー・コートの大会でも、イタリアで開催されたジュニア大会で優勝した。しかし全仏オープンのジュニア部門では1回戦で敗退した。

  ・イギリスで行なわれたグラス・コートの大会でフェデラーは連勝し、ついにウィンブルドン選手権ジュニア部門男子シングルス決勝で、フェデラーはグルジアのイラクリ・ラバーゼ(Irakli Labadze、81年生、98年プロ転向)を破って優勝した。スイス人ジュニア選手として、これは76年に優勝したフランツ・ギュンタード以来の快挙だった。
  ・しかし、当のフェデラーは意外なほどに淡々としていた。「満足してるけど、大喜びはしてない。」 一方、フェデラーのコーチであるピーター・カーターは狂喜した。「ロジャーはプロ並みの集中力でプレーした。次は、ボレーを向上させなくては。」

  ・フェデラーがウィンブルドン選手権のジュニア部門で優勝した直後、フェデラーはスイスのグシュタードで開催されるスイス・オープンのワイルドカード(主催者推薦特別出場枠)を受け取った。
  ・このとき、フェデラーの世界ランキングは702位であったので、本来ならば出場資格はなかった。しかしこれが、フェデラーがプロの大会でプレーするはじめての機会となった。
  ・スイス・オープンはクレー・コートの大会であり、ウィンブルドン選手権の次の週に開催されることになっていた。大会はベルナー・アルプスにある、絵に描いたようなセレブ御用達の保養地で行なわれており、1915年にまでさかのぼる歴史ある、最も古いプロの大会の一つである。
  ・多くの山荘と豪壮なパレス・ホテルがたたずむ小さな村という牧歌的なロケーションと、絵葉書のような風景とで、このスイス・オープンは選手と観客に人気である。


  といわれてもねえ。スイス・オープンという大会は、ATPの現在の大会カテゴリでは250シリーズに属します。2012年の優勝者はトーマス・ベルッチ、準優勝者はヤンコ・ティプサレヴィッチ、2011年の優勝者はマルセル・グラノイェルス、準優勝者はフェルナンド・ベルダスコ、2010年の優勝者はニコラス・アルマグロ、準優勝者はリシャール・ガスケとなっています。

  1915年からという長い伝統があり、アルプスの美しい山々の風景に囲まれた、別荘と高級ホテルが立ち並ぶ金持ち専用保養地で開催される大会。でも250シリーズ。

  このスイス・オープン、おそらくは夏のバカンスを楽しむセレブ観客限定の、見せ物興行的な要素が強い大会なんでしょうね。トップ選手がガチでポイントを取りにいくために出場するような大会ではないんだろうと思います。

  フェデラーはワイルドカードでこの大会に出場できることになり、プロ大会でのデビューを果たすことになるわけですが、それはウィンブルドン選手権のジュニア部門で優勝した、16歳のスイス人ジュニア選手と大人の世界的プロ選手とを対戦させるという「座興」のために呼ばれたのでしょう。

  大人のプロ選手たちの中に年少のジュニア選手を放り込む、いささか悪趣味な企画です。でもプロテニスの大会はショウ・ビジネスでもあります。かくして、ロジャー・フェデラーはプロ・トーナメントにデビューすることになりました。動物園の檻の中に撒かれる生餌みたいに。


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「バレエの神髄」2013


  今年の7月13日(土)、14日(日)、15日(月)に、2年ぶりにファルフ・ルジマトフのガラ公演「バレエの神髄」が行なわれます(於文京シビックホール)。

  第1部はガラ(演目未定)、第2部は「シェヘラザード」(音楽:リムスキー=コルサコフ、振付:ミハイル・フォーキン)です。

  現時点での主な出演者は、ファルフ・ルジマトフ、エレーナ・フィリピエワ(キエフ・バレエ)、セルギイ・シドルスキー(キエフ・バレエ)、岩田守弘(ロシア国立ブリャート・バレエ芸術監督)、吉田都、エレーナ・エフセーエワ(マリインスキー・バレエ)です。相変わらずの豪華キャストです。

  キエフ・バレエも出演するそうで、「シェヘラザード」を踊るのでしょう。キエフ・バレエは同じ時期に日本ツアーを開始しますから、ちょうどスケジュールが合ったんですね。

  つい先日、光藍社の公式サイト にいきなり公演情報が掲載されて、チケットの優先予約販売もすでに始まってたんで、びっくりしてあわててチケットを取りました。昨日、DMも届きました。

  光藍社は良席をどんどん気前よく放出してくれる、今どき奇特なプロモーターなんで、チケットはなるべく早く購入されたほうがいいですよん。今は優先予約期間(4月11日まで)で、S席はなんと2,000円割引の12,000円でした。それでもすんごい良席(センターブロック数列目ど真ん中)をゲットできました。光藍社、良心的すぎる~!(感涙)

  2011年の「バレエの神髄」で上演されたアロンソ版『カルメン』は、それまで観た中で最高の『カルメン』でした。すごいキャストだったんですよ。ドン・ホセ:ファルフ・ルジマトフ、カルメン:エレーナ・フィリピエワ、エスカミーリョ:イーゴリ・コルプ、ツニガ(ドン・ホセの上官):セルギイ・シドルスキー、運命(牛):田北志のぶ。

  あのときは震災の影響で1公演のみになってしまったのが残念、というより無念でした。ルジマトフとフィリピエワの『カルメン』、また観たいなあ。次の「バレエの神髄」では、どうかご検討のほど、よろしくお願いいたします。


  次はルジマトフとは全然関係ない話なので読まなくていいです。ジム・キャリーでまた大爆笑な映像がYou Tubeにあったので、ついでに載せておきます。題して、「ジム・キャリーのワークアウト( Jim Carrey Classic Workout )」。

  ジム・キャリーが女性トレーニング講師に扮して、ステキな美しいボディを手に入れるためのトレーニングを指導するんですが…、興味のある方はご覧下さい。

  ジム・キャリーの身体能力のすごさにびっくりしますよ。また、ジム・キャリーは左肩の関節を自由に外せるんだそうで、映像で肩が外れるのは本当です(痛がってるけど、もちろん演技)。

  最近気づきましたが、私が好きな人々、アダム・クーパー、アレクサンドル・ヴォルチコフ、ロジャー・フェデラー、ジム・キャリーって、どこか顔(とカラダ)が似てます。(「同じくくりにするなー!」と、それぞれのファンのみなさまにフルボッコにされますな。)


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「グラン・ガラ・コンサート」(3月20日)-3


 第2部(続き)

 『スパルタクス』より エギナとクラッススのパ・ド・ドゥ

   マリーヤ・アラシュ、アレクサンドル・ヴォルチコフ

  第二幕のパ・ド・ドゥかと思っていたら、第二幕と第一幕のパ・ド・ドゥをつなぎ合わせた特別ヴァージョンだった。なんかすっごく得した気分♪

  第二幕、エギナのモノローグ直後のクラッススの踊りから始まった。今日は全幕上演じゃないから、ヴォルチコフもヘタってなかった(笑)。ああ、斜めエビぞりジャンプが、身体がちゃんと弓なりで、しかも高くて美しい~ 1年3ヶ月ぶりにヴォルチコフの生美腕と生美脚とを拝むことができ、誠に眼福の至り。アラシュは、あれは第三幕冒頭の衣装か?黒とグレーのグラデーションっぽいやつね。

  第二幕のパ・ド・ドゥの途中、クラッススとエギナが並んで踊る部分は省略されていた。「あり?」と思ったけど、この後で第一幕の踊りを踊らなくてはならなかったから、省エネしたんだな。

  この第二幕のパ・ド・ドゥのリフトは、間近で見ると凄い迫力だった。高く開脚ジャンプしたアラシュを、ヴォルチコフがそのまま肩に乗り上げさせる形でキャッチして、更にアラシュの全身をぐるん、と大きく振り回す。

  クラッススがエギナを頭上リフトして回転した直後、ヴォルチコフは早々にアラシュを下ろしてしまった。というより、手がすべった模様(笑)。ヴォルチコフのパートナリングが頼りないというより、前から思ってたんだけど、アラシュはリフトされるとき、もっと自分から身体を引き上げるようにしたほうがいいんじゃないかなあ。パートナー任せじゃなくて。

  スヴェトラーナ・ザハロワとヴォルチコフがこのパ・ド・ドゥを踊っている映像があるけど、ヴォルチコフのリフトの出来が全然違う。ザハロワが自分から動いているので、ヴォルチコフの負担が少ないからだとすぐ分かる。

  第二幕のパ・ド・ドゥが終わったと思ったら、「巫女たちの踊り」の前のクラッススのソロが始まった。えっ?まだ続くの?と驚いたけど嬉しい♪ ヴォルチコフ、高くジャンプして両脚を交互に上げる。更に開脚で連続ジャンプ。それから片脚を前に高く蹴り上げ、もう片脚を引きずる激しい動きで進む。周囲の観客の一人が「すごい!」と声を上げる。最後は鋭い連続回転でビシッと静止して決めた。

  超絶難度リフトの連続とヴォルチコフの鬼気迫る激しい踊りに、客席から驚きのため息が漏れていた。わたくしはすでに死亡。

  それから第一幕の宴の場面、エギナのソロになる。アラシュの回転が美しかった。回転しながら両腕を上げていくところね。アラシュ、エギナのソロを全部踊ったよ。最後のキトリみたいなえびぞりジャンプもちゃんとやった。全幕上演のときは、簡単な軽いジャンプに変えてるみたいだけど。

  最後はクラッススが寝そべったエギナを見下ろしながら狂乱して踊り、エギナを風車のようにリフトして振り回した後、前に走り出てきて見得を切って終わり(スパルタクスと剣闘士の闘いの直前)。一粒で二度おいしい演目だった。ああ、『スパルタクス』全幕がまた観たいよ~(泣)。もちろんクラッススはヴォルチコフで。

  アラシュもヴォルチコフも、第1部の『ライモンダ』とは正反対のキャラと踊りだった。ナイスな選択だ。『ライモンダ』のお姫様と白衣の騎士を踊ったのと同じダンサーたちだと気づかなかった観客もいたに違いない。


 「瀕死の白鳥」
      
   田北志のぶ

   ハープ:早川りさこ、チェロ:渡部玄一

  やっぱり生演奏はいいね。チェロの渡部さんが、田北さんのほうをさりげなく見て、演奏が踊りと合っているか確認してた。

  田北さんの腕はウリヤーナ・ロパートキナ並みに長い。暗闇の中でうねる長い両腕が神秘的なほど美しかった。

  死にゆく白鳥が、最後まで生きようとして死に抗う踊り。テーマがテーマだけに、やっぱり観ていて2年前のことを思い出さざるを得ない。涙が出そうになった。仙台公演の観客のみなさんは大丈夫だったのかな。こうした作品は、まだ気持ち的にきつくないかな。

  田北さんは、ずっと自分と真摯に向き合い、自分と厳しく闘ってきたダンサーだと思う。自分はどう踊るのか、何を表現するのか、ということを追求し続けてきたダンサー。私はこういうダンサーが大好きだし尊敬する。

  
 『ドン・キホーテ』より キトリとバジルのパ・ド・ドゥ
      
   エカテリーナ・ハニュコワ、ブルックリン・マック

  この二人は今回はじめて組んだのだろうか?そんなふうにはとても思えない。ハニュコワ自身の上手さのせいも当然あるけど、マックのパートナリングは本当にすばらしい。「しゃちほこ落とし」もすんなり見事に決まったよ。

  マックのテクニックはパワフルでスピーディー。動きは非常に直線的で鋭く、優雅さや曲線美にやや欠けるので、好きじゃない人は好きじゃないだろう。でも、アメリカのダンサーって、サービス精神が昂じたあまりに、できない高難度の技を無理にやることが多いんだけど、マックにはそういう「無理にやってる感」がない。

  高くジャンプして空中で数回転して、片脚着地してからそのままアラベスク・パンシェとか余裕でやる。脚が全然グラつかない。途中で気づいたけど、着地音も全然しない。

  一方のハニュコワも、今日の公演で32回転を2回もやったことになる。すげーな。ここの32回転でも、顔を少しずつすらしていく技をやった。ヴァリエーションとコーダで扇を持ってなかったけど、キエフ・バレエの版ではそうなのかな?

  舞台の脇、舞台装置のカーテンの陰に隠れて、イーゴリ・コルプが体育座りをし、膝を抱えてマックの踊りを眺めているのが見えた。かわいかった。(その隣にはザイツェフかワーニャがいた模様。)


 フィナーレ「花は咲く」

  歌が流れたんだけど、あれ、NHKがしょっちゅう流してる歌だと思う。ダンサーたちが交互に現れてお辞儀をしていった。その後、全員がなぜか花束を持って現れると、なんと客席に下りてきて、2本の中央通路沿いの席に座っている観客を中心に、花を一輪ずつ配って回った。コルプはわざわざ端の通路に回って花を渡していた。

  カーテン・コールは何度も行なわれた。まあ半ば無理やりスタンディング・オベーションにした感があったが、観客もダンサーたちも最後は一緒に笑い出してしまって、すごく楽しい雰囲気の中で公演が終わった。

  コルプとマックは仲が良さそうで、コルプがマックの肩に手をやって、互いに何か話しながら幕の陰に去っていった。やっぱ英語でコミュニケーションとってるんだろうな。閉じた幕の向こうで、ダンサーたちが一斉に歓声を上げた。


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さらば小田急線下北沢駅地上ホーム


  明日の3月23日(土)より、小田急線下北沢駅のホームが地上から地下に移動します。仕事の行き帰りに通ってきたホーム。いろんな思い出があります。仕事がうまくいかなくて、落ち込んだ気分で、線路の向こう側に見える店の明かりを見つめながら電車を待ってたり、冬は寒い風が吹きさらす中で、ぶるぶる震えながら「電車、早く来ないかな~」と思ってたりね。

  私は思い出深いこのホームがなくなることがとても寂しいです。もちろん、汚くて(笑)狭いホームから、きれいで広いホームになったほうが、駅員さんたちは労働環境が快適になって、仕事の負担(乗客の線路への転落防止、運転間隔の調整)も減るだろうし、「開かずの踏切」がなくなって、近隣住民のみなさんの行き来も便利になることは分かっています。

  元は大正時代に建設され、空襲も免れて今に至ったという昭和なホーム、私は鉄道ファンではないですが、記念に写真を撮りました。今日はこのホームが使用される最後の日とあって、一般の乗客も多くスマホや携帯電話で写真を撮っていました。もちろん鉄道ファンの方々も集結。筋金入りのファンだけあって、みなさんすごく良いカメラを持ってました。


   新宿方面行きホーム。

   小田原・片瀬江ノ島方面行きホーム。

   跨線橋から。上を走っているのは京王井の頭線の電車、下が小田急線の電車。


  駅構内アナウンス、駅員さん、安全管理員さんたちが、ひっきりなしに「黄色い線からはみ出さないで下さい!」、「フラッシュは焚かないで下さい!」と絶叫。駅関係者のみなさんにとっては、今日は最も神経をすり減らす日でしょうね。お疲れさまです。

  小田急線と京王井の頭線との乗り換えは、今までは2分ほどでできました。新ホームは地下5階の深さに設置されているということなので、これからは5分ほどかかるそうです。でも、実際はもっとかかるんじゃないかな?時間に余裕を持ったほうがいいですね。

  駅前にあった、上野のアメ横を思わせる、昭和の香りが漂っていたバラック街もなくなりました。現在の線路、ホーム、駅舎が完全に撤去された後、あの一帯は再開発されて、バスや一般車両が入れるロータリーになるらしいです。

  小田急線の地下化にともなう下北沢駅周辺地域の再開発には、反対運動もあったと聞いた覚えがあります。下北沢独特の古き良き街並みとコミュニティとを壊すのか、という意見。あのあたりは暗黙の建築物の高さ制限があって、本多劇場が入っている高層マンションが建ったときも、周辺からものすごい反発を食らったと聞きました。

  吉祥寺と並んで、下北沢も若い人に人気な街です。吉祥寺駅とその周辺もなんかあちこち再開発の工事中で迷うほどですが、あれ、吉祥寺駅周辺の治安が最近悪化してきたという背景もあるようです。タチの良くない、ガラの悪い連中が多くなってきたってことらしいです。そういえば最近、吉祥寺駅付近で強盗殺人事件が起こりましたね。

  下北沢も同じで、特に南口(マクドナルドのあるほう)なんて、キャッチやら宗教勧誘やら客引きやらがすごい。落書きも多い。昔からの地元住民によると、以前よりも雰囲気が悪くなっているとのこと。だから、再開発も仕方ないのかもしれないですね。広くてきれいで明るいとこには、悪い連中は寄ってこないですから。

  仕方ないけど、でも寂しいことには変わりないです。人や物との別れがひときわ寂しく感じられるなんて、私も年をとったんだなあ。


  追記:ちょっとお、今日の『タモリ倶楽部』、地下駅化される前の東急東横線渋谷駅の特集じゃん。だったら次は下北沢地上駅の特集もやってよ。

  下北沢地上駅は、京王井の頭線の線路とすれすれでX字形に交差するカッコよさに加え、いい具合に錆びた鉄骨、ハゲまくりのペンキ、ひび割れたコンクリート、黒ずんだ壁をつたう得体の知れない水と薄気味悪い苔、つぎはぎだらけのボロい建物と、マニアの方にはたまらないはず。

  ちょうど「空耳アワー」のネタも1個持ってるから、テレ朝に要望を出してみよっか。


  追記2:TwitCastingで下北沢地上駅営業終了の瞬間&移設工事開始のライブ中継を観ました。終電まで見物客がたくさんホームと駅構内にいて、終電が去るとすぐに見物客を駅の外に出して、移設工事を始めていました。

  新しい北口と南口ができてるみたい。つまり今までの駅舎そのものがすべて閉鎖。北口と南口とをつなぐ連絡通路として、駅舎はまだ通り抜けできるんだと思ってた。不覚!駅舎の写真も撮っときゃよかった!

  京王井の頭線下北沢駅でも工事が始まっていて、やはり新しい入り口ができてるようです。小田急線からの直通エレベーターも設置している模様。

  始発まで、実質あと4時間もないよね。作業員の人たちは大変だわ。がんばって下さい!!!


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「グラン・ガラ・コンサート」(3月20日)-2


 第2部

 『エスメラルダ』より パ・ド・ドゥ
      
   田北志のぶ、ヤン・ワーニャ

  女性ヴァリエーションが有名なあのパ・ド・ドゥかと思ったら違った。どういう場面なのか分からない。ボリショイ・バレエが上演した全幕版の舞台映像(ナターリャ・オシポワ、アレクサンドル・ヴォルチコフ主演)があるけど、たぶんあれと同じ作品だろう。

  田北さんがエスメラルダ、ワーニャがフェビュスだと思う(違ってたらごめんね)。田北さんはジプシーっぽい衣装で、ワーニャはなんか王子みたいな衣装だった。田北さんは怯えたような、警戒した表情でいるが、ワーニャに促されて、タンバリンを持って踊る。しかし、ちょっと踊り終えると、卑屈な態度で床にうずくまってしまう。

  話はよく分からないけど、田北さんはやっぱり演技派だねえ。踊りだけでなく、役柄を理解し尽くした上できちんと表現しているのはちゃんと分かる。

  また、この演目でも、途中からバレエの神様が降臨した踊りになった。おどおどした態度でためらいながら踊っていたエスメラルダは、徐々に表情が緩んで、笑顔を浮かべて溌剌と踊るようになる。このへんの踊りが特にすばらしかった。

  たぶん、田北さんは音感も良いな。いわゆる「絶対音感」の持ち主なのかも。


 「On the way」

   ブルックリン・マック

  You Tubeに映像があったよ。→ ここ

  振付はDai Jian、2007年の作品だって。「コンテンポラリー作品」になるんだろうけど、私の嫌いな、クラシックのポーズや動きを、モダン・ダンスやマイムっぽい動きでつなぎ合わせている中途半端な作品ではなく、とても自然な振付の作品だった。

  マックは上半身は裸で、白いロング・スカートを穿いていた。映像では見えないけど、終始とても苦しげな表情で踊っていた。マックの身体能力がすごかった。力強さもさることながら、動きと動きとが連続していて、踊りの動線が切れない。

  今、映像を見返したら、振付自体は大したことないかな?でも、マックの強靭な踊りが振付の物足りなさを凌駕しちゃってる。こういうことってあるんだよね~。


 『ラ・シルフィード』第二幕より シルフィードとジェームスのパ・ド・ドゥ

   エカテリーナ・マルコフスカヤ、アレクサンドル・ザイツェフ

  マルコフスカヤはかわいらしく、邪気がないぶん厄介な妖精という感じが良かった。ジャンプなどの動きがやや大きかった。これはブルノンヴィルの振付なんだろうか?それとも、旧ソ連系のヴァージョンの改訂振付だろうか?

  ザイツェフは……自分に向かない踊りは踊らないほうがいいと思う。キルト・スカートのあの衣装を着てなければ、ジェームズだとは分からない踊り方だった。動きがとにかく大きすぎる。上半身が動き、ジャンプは見るからにデカく、足さばきも細かいとはいえなかった。

  第1部の『コッペリア』でもそうだったけど、この二人は演技で手を抜かないのがよかった。妖精であるシルフィードに人間の女性と同じ愛を求めるジェームズと、ただジェームズが気に入っただけで、他に何を考えてるわけでもなく、面白半分に人間の真似事をするものの、ジェームズが近寄るとさっと逃げてしまうシルフィードとのすれ違いが虚しかった。


 「グラン・パ ・クラシック」

   エレーナ・エフセーエワ、イーゴリ・コルプ

  衣装が二人ともとてもきれい。エフセーエワは濃いブルーのチュチュ、コルプは黒と淡いグレーの上衣、同じく淡いグレーのタイツ。特にコルプの衣装は、デザインと色合いが本当にセンスよかった。あれは自前の衣装なのかしらね。

  アダージョは最高の出来だと思う。エフセーエワのバランスは安定し、動きも音楽によく合っていた。もっとも、半分(もしくはそれ以上)はコルプの手柄だと思う。エフセーエワのバランスの軸をきちんと安定させた上で、自分も音楽に乗って踊り、エフセーエワと動きをぴったりと合わせていた。コルプの「ろくろ回し」も、いつまで回るのかと思えるほど、相変わらず見事だった。アダージョが終わると、客席から大喝采。

  ただ、コルプのヴァリエーション、そしてコーダは物足りなかった。第1部の『タリスマン』では、あれほど空を飛ぶように流麗に踊っていたのに、このヴァリエーションは、コルプにしてはありきたりな無難な出来だった。こういうお堅い踊りが嫌いなんか?

  エフセーエワのヴァリエーション。「グラン・パ・クラシック」は、高難度なバランスの技術が必要なのはもちろん、エレガンスが必要な点で、作品のほうがバレリーナを選ぶ難しい踊りだけど、エフセーエワはエレガンス以前に、バランスの技術自体がまだ不足していると思う。コーダでの回転も不安定で頼りなかった。

  でも、キレの良い動きが処々にあった。脚を高く鋭く上げたり、腕の動きを音楽とぴったり合わせて決めたりね。急場しのぎ的な粗い動きという感じもしたけど、マリインスキー・バレエの舞台で、借りてきた猫のように没個性な動きと演技の踊りを観るよりは、私はこっちのエフセーエワのほうが好きですね。


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「グラン・ガラ・コンサート」(3月20日)


  この公演のチケット料金は、S席10,000円、A席9,000円、B席8,000円でした。チケット料金から一律に1,000円を震災復興の寄付金にするそうです。

  これほどの豪華キャストだったにも関わらず、チケット料金がこの値段というのは珍しいことでした。参加してくれたダンサーたちの往復交通費と日本滞在費くらいは、主催者と後援者がちゃんと負担したでしょうが、出演料はタダかタダ同然だったと思います。

  彼らのほとんどは、震災前から日本にしょっちゅう来ていたダンサーか、震災直後にも来日することを厭わなかったダンサーでした。そうでないダンサーたちも、ドイツやアメリカで、震災、とりわけ原発事故に関する、日本よりもっとシビアで詳細な報道を見ていたはずです。それでも来てくれました。

  結果的な出来不出来はおいといて、どのダンサーも手を抜かないパフォーマンスを見せてくれたことに感謝です。そして、これほどのダンサーたちを集めることに成功したことから、呼びかけ人である田北志のぶさんの人柄もまたしのばれます。


 第1部

 『コッペリア』第三幕より スワニルダとフランツのパ・ド・ドゥ

   エカテリーナ・マルコフスカヤ(バイエルン国立歌劇場バレエ団 ソリスト)
   アレクサンドル・ザイツェフ(シュトゥットガルト・バレエ団 プリンシパル)

  急ごしらえのペアだったせいか、二人のタイミングが合っていなかった。ザイツェフのパートナリングがあまり上手でなかったせいだと思う。ザイツェフは踊りのテクニックも粗かった。シュトゥットガルト・バレエは、クランコ作品は得意だが、いわゆる古典作品は不得意なのかもしれない。

  マルコフスカヤはよかった。ヴァリエーションで安定したすばらしい踊りを見せた。マルコフスカヤとザイツェフの二人とも演技はすばらしい。少年と少女とがついに結婚式を迎えて、嬉しさに満ちあふれている初々しい感じがよく出ていた。


 『ジゼル』第二幕より ジゼルとアルブレヒトのパ・ド・ドゥ

   田北志のぶ(キエフ・バレエ ファースト・ソリスト)
   ヤン・ワーニャ(キエフ・バレエ ソリスト)

  田北さんは、テクニック的にちょっと頼りないと最初は思った。ところが、途中から神がかり的な凄まじい動きになった。テクニカルというよりは、雰囲気を醸し出すことに秀で、情感豊かな踊りをする。役に没入し、「自分はこう踊りたい」と、踊りに真摯に向き合っていることが伝わってきた。

  ワーニャは、田北さんをリフトするときに思いっきりガニ股になるのはやめなされ。でも、アルブレヒトのヴァリエーションはすばらしかった。ジャンプの着地音がデカくて、床が抜けるかと思ったが。西側のバレエ団のプリンシパルよりも、東側のバレエ団のソリストのほうが、テクニックが優れているという皮肉。


 『海賊』より メドーラとアリのパ・ド・ドゥ

   エカテリーナ・ハニュコワ(キエフ・バレエ ソリスト)
   ブルックリン・マック(ワシントン・バレエ プリンシパル)

  ブルックリン・マックは逸材。なんでこういうダンサーを日本のプロモーターは呼ばない?アメリカには、日本では知られていないだけで、実は多くの優れたバレエ団があるのに。サンフランシスコ、ヒューストン、ジョフリー(シカゴ)などなど。ワシントン・バレエもそうらしい。

  マックはテクニックだけでなく、パートナリングに非常に優れている。跳躍は高いわ、回転は速度を自在に操るわ、あげくに、身体を上向けにした半回転ジャンプの連続→最後に同じジャンプをして空中で一回転、という技を平然とやる。しかもまったく不安定さがない。ハニュコワと組むのはたぶん今回がはじめてでしょ?でも全然そんな感じがせず、二人の踊りは自然に合っていた。

  マックのバレエは、典型的なアメリカン・スタイルのエンターテイメント性に富んだ踊りで、更に動きが黒人特有の超強靭な筋力を反映しているので、好みの分かれるところだと思う。だが、現在のアメリカン・バレエ・シアターの男性ダンサーたちと比べると、テクニックのみを比べればダニール・シムキンに次ぐだろうし、パートナリングではマルセロ・ゴメスに匹敵するだろう。

  ハニュコワも頑張っていた。コーダの32回転では、顔の向きを少しずつずらしていく技をやった。普段はおとなしくして抑えてるけど、やろうと思えばこういう技をやってのけるんだよ、東側のバレリーナって。この演目はすごく盛り上がった。録音演奏だったので、最後の決めポーズが音楽とずれたのはご愛嬌(笑)。


 『ライモンダ』より ライモンダとジャン・ド・ブリエンヌのパ・ド・ドゥ

   マリーヤ・アラシュ(ボリショイ・バレエ プリンシパル)
   アレクサンドル・ヴォルチコフ(ボリショイ・バレエ プリンシパル)

  このへんから「別格感」が漂い始める。身長と体型とに恵まれ、整った端正な動きで踊る、ロシアのエリート・ダンサーのバレエになる。

  アラシュは白に金の刺繍が入ったチュチュ、ヴォルチコフは例の白い衣装。ただしマントなし。マックとハニュコワの『海賊』の後だったので、影が薄くなるんじゃないかと心配した。でも、アラシュとヴォルチコフが舞台に現れただけで、存在感が段違いだった。絵に描いたようなお姫様と王子(騎士だけど)な上に、泰然とした落ち着いた佇まいで、舞台が一気に静かになった。

  アラシュとヴォルチコフの踊りも、正統派~、という感じだった。アラシュは余裕綽々と上品に踊り、ヴォルチコフは相変わらずこういう王子的な役では控えめだったが、枠からはみ出さない、抑制した踊りと表現から、逆に品の良さ、誇りの高さ、確固とした自信が伝わってきた。

  ヴォルチコフが回転に入る前に両腕を横に伸ばして、すっと差し出した右脚の形とか、横にジャンプして膝から先を細かく振る動きとかに、えもいわれぬ高貴さが醸し出されるのよ

  ところで、私は『ライモンダ』全幕は1回しか観たことないので、すっかり忘れてしまったんだけど、アダージョは第一幕から、ジャン・ド・ブリエンヌのヴァリエーションは第三幕から、ライモンダのヴァリエーションは第二幕からという構成だったのでしょうか?それでコーダは第一幕ですか?よく分かりません。


 『タリスマン』より パ・ド・ドゥ

   エレーナ・エフセーエワ(マリインスキー・バレエ セカンド・ソリスト)
   イーゴリ・コルプ(マリインスキー・バレエ プリンシパル)

  同じく「別格感」が漂う。特にコルプの存在感が物凄かった。全身からオーラがぎらぎらと発散されていた。コルプは淡いラベンダー色の衣装で、ハーレム・パンツを穿いており、腕に同じ色の布をなびくような形で結び付けていた。風の神だっけ?

  コルプの踊りのあまりな美しさにただただ見とれるばかり。柔らかいしなやかな動きで踊り、軟体すぎて姿勢や動きが崩れているかに見えても、なぜかとても美しい。「関節あるのか!?」的な反らした上半身、たわむ腕、曲線的な脚の形に何ともいえない魅力があり、更に流れるような、自由自在な動きの踊りで、まさに風そのもの。

  ゆーっくりとアラベスク・パンシェしていって、そのままゆーっくりと一回転という芸当もやってのけた。ジゼルか!(笑)異常に上手すぎる(笑)パートナリングも健在で、エフセーエワを頭上リフトしても揺るがず、笑えるほどエフセーエワが回り続ける「ろくろ回し」もすごい。

  エフセーエワは水を得た魚のようだった。こういう公演のような、自分の踊りたい踊りができる舞台のほうが、彼女は断然魅力的。マリインスキーの公演の中で見ると、彼女は身長や体型に恵まれているほうではないんだけど、今あらためて見ると、そんなことは全然分からない。エフセーエワでさえ体型に恵まれていないことになってしまうマリインスキー・バレエって。

  コーダでは、コルプとエフセーエワとの踊りが文字どおりぴったり合っていて、音楽にもきっちり乗っていて、観ていて気持ちよかった。あそこの音楽も良いんだよねえ。

  (その2に続く~。)


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ジム・キャリー『ブラック・スワン』モノマネ


  アメリカの超人気お笑い番組に『サタデー・ナイト・ライブ』というのがあります。

  大物コメディアンが毎回出演し、パロディの対象になる世界的スターのご本人も登場してコントをやることがあるんですが、ジム・キャリー(←アダム・クーパー似)がやった映画『ブラック・スワン』のモノマネが最高だったと聞きました。

  You Tubeで探してみたら、ありました。→ ここ

  主人公のライバル役のパロディですね(笑)。ちなみに背中にある翼のタトゥーは手羽先(←バッファロー・ウィング。アメリカ人も手羽先を食う)になってます。

  イギリスのお笑いはセリフで笑わせるギャグが多いと思うんですが(『モンティ・パイソン』とか)、アメリカのお笑いは体当たりギャグが多いそうで、このジム・キャリーのモノマネも見るだけで大爆笑です。

  テレビ画面を直に撮影した映像みたいで、最高に笑える場面では、投稿者が思わず噴き出してむせている音声も入っています(笑)。

  映画『ブラック・スワン』をご覧になった方は、ぜひどうぞ~♪

  『サタデー・ナイト・ライブ』は最近、映画『レ・ミゼラブル』のパロディ・コントをやり、その中の替え歌(どうも『夢やぶれて』らしい。 ごめん。『ワン・デイ・モア』でした)が秀逸で、これまた大爆笑モノだったそうです。こちらはYou Tubeでは見つかりませんね。残念。

  なんと映画でファンテーヌ役をやったアン・ハサウェイ本人も出演したそう。向こうって、下らない(?)番組に大物スターが平気でゲスト出演しちゃうところがいいですよね。


  追記:アン・ハサウェイが出演した『サタデー・ナイト・ライブ』の『ワン・デイ・モア』替え歌シーンの映像がありました。

  アメリカのYahoo!Videoで探したら、dailymotion.comにあっけなくアップされてました。→ ここ

  アン・ハサウェイが生で歌ってます。アン・ハサウェイは本当に歌が上手いんですね~!(感嘆)


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BNP PARIBAS OPEN ロジャー・フェデラー総括-3


 準々決勝 対 ラファエル・ナダル(スペイン)

   4-6、2-6

  これはもうフェデラーの完敗。接戦とか惜敗とかではないです。ラファエル・ナダルのほうが圧倒的に強かった!第1セットの序盤で、ああ、こりゃフェデラー勝てないわ、って分かったもん。フェデラーが負けたのはとても残念ですが、これほどの完敗だと、逆にあっさりとあきらめもつくというものです。

  ナダルのプレーをはじめてまともに観たけど、どんなボールでも打ち返して、あれほどパワフルなリターンをコントロール良く、ものすごい鋭角で叩き込んでくるのでは、フェデラーもどうしようもないです。完全にフェデラーのパワー負けでした。

  ナダルの印象は、1つ1つのポイントをすべて物凄い気迫で取ろうとしてくる、駆け引きめいたこと、たとえばこのポイント、このゲーム、このセットは落としても仕方がないとかいう計算を一切せず、いつも全力投球(テニスだけど)、というものです。

  ある意味、手を抜くという発想がない、純朴な性格の完璧主義者なのでしょう。膝を痛めて長期休養していたというのも頷ける話で、こうした真面目で一生懸命すぎるほどの対戦姿勢やプレー・スタイルは、確かに身体に大きな負担をかけるだろうと思います。

  これは私の周囲にいるテニス選手経験者やテニスを趣味にしている人々が、みな言っていたことでした。今日の試合を観てようやく納得できました。  

  今日のフェデラーがナダルに完全に封じ込まれてしまったのは、背中の故障や昨日の対ワウリンカ戦での疲労も原因ではあったと思います。ロンドン・オリンピック決勝での対アンディ・マレー戦を思い出しました。

  (追記:筋金入りのフェデラーのファンたちが揃って指摘することには、フェデラーの背中の状態は実はかなり悪かったようで、フェデラーが痛みを堪えて試合をしているのがはっきりと分かったそうです。)

  ただ、背中の故障を押して試合に臨んだのはフェデラーの選択です。昨日の試合も、フェデラーの集中力次第で、ストレートで勝てた試合でした。それをフルセットにまで持ち込まれて疲れ果ててしまったのは、フェデラーの責任です。

  去年の夏からフェデラーの試合をずっと観てきましたが、今年に入ってからのフェデラーは明らかに「不調」です。フェデラーの年齢の問題がよく取り沙汰されますけれども、新年を境にいきなり年齢の影響がどさりと現れることは現実的にありえません。年齢の影響は一気に現れるものではなく、徐々に出てくるものだからです。

  フェデラーの今年の出場予定大会数が少ないことから分かるように、フェデラーが今シーズンの目標を優勝やランキングではなく、すでに抱えている身体の故障を悪化させないこと、無理をして新たな怪我をしないこと、弱点や欠点の矯正、年齢に合ったプレー・スタイルや作戦を模索し調整していくことなどに置いているのが、最も大きな要因だろうと思います。

  あと私が思うのは、フェデラーが去年、あまりに多くの大会に出場しすぎた反動が、今になって出て来ているんじゃないかということです。去年のシーズン中に蓄積した疲労が、今年に入って心身両面で表面化しているんだと思います。

  これは別にスポーツ選手に限らず、一般人にも起こることです。こういう経験をまだしたことのない人には理解するのが難しいと思いますが、前年の蓄積疲労が翌年に現れることはよくあります。こうした場合、短期間で回復させるのは無理な話です。まずは負担を減らして無理しないこと、回復に長い時間をかける、短くて半年、長くて1年をかけることが必要です。

  もし今年、フェデラーが去年と同じような過密スケジュールを組んでいたら、たぶんフェデラーの選手寿命は結果的に短くなってしまうでしょう。ファンの失望とメディアによる揶揄やバッシングとを覚悟で、余裕を持たせたスケジュールを組んだフェデラーの選択は賢明だし正しいと思います。

  ファンというものは1つの試合、1つの大会の結果に一喜一憂するものですが、今年のフェデラーに対しては、グランド・スラムでの優勝を期待しなくてもいいと思います。マスターズ1000や500シリーズで、1勝か2勝くらいすれば御の字なのではないでしょうか。

  余談。今日の試合の主審は、フェデラーの前の試合、対デニス・イストミン戦でも主審を務めた、毅然とした態度を保ち、ちょっと鼻にかかったきびきびした声でコールし、目視でインとアウトとを正確に判断する人でした。今日の試合でも、線審がフェデラーのリターンをアウトとコールすると同時に、オーバーコールしてインと判定し、ホーク・アイで確認しました。そしたらやっぱりインでした。ああいう優秀な人が主審だと、選手も頼もしいでしょうね。


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どうしたボリショイ3


  今回のセルゲイ・フィーリン襲撃事件は世界中で大騒ぎになったが、これまで報道されてきた内容を雑誌『WEDGE』のウェブ版がまとめてくれている( ここ )。

  フィーリン襲撃を提案したのがドミトリチェンコではなく、実行犯の男のほうからドミトリチェンコに話を持ちかけてきたというくだりを読んで、やっぱりな~、と思った。

  今日、フジテレビのワイドショーでも、フィーリン襲撃事件のことを紹介していた。直近のフィーリン、パーヴェル・ドミトリチェンコの映像、そして事件の発端となったとされるボリショイ・バレエの若手ダンサー、アンジェリーナ・ヴォロンツォーワの映像が流された。

  フィーリンの顔は意外にきれいで、少し赤みが残って腫れがみられるものの、別人のように変貌したということはない。髪の毛は処置のために短く刈られてしまったらしい。頭に網状のガーゼの医療用キャップをかぶっており、その下に短い髪と地肌が見えた。

  この映像でのフィーリンはサングラスをかけていなかったのだが、報道されているように、両眼はまだ見えにくいようだった。でも、まったく見えないというわけではないと思う。視線がはっきりしていたから。

  フィーリンの映像よりも、裁判所の法廷に引き出されたドミトリチェンコの映像のほうがよっぽどショックだった。手錠をかけられ、髪はぼさぼさで額に垂れ下がり、青白い顔、頬は痩せこけ、目の下は隈で黒ずみ、生気のない表情で小声で話していた。

  ワイドショーだけに情報ソースが示されなかったのだけど、この番組によると、

  ドミトリチェンコは去年の11月、確かに実行犯の男にフィーリンを「襲撃」するよう依頼したのだが、それは「頭をポカリと一発殴ってやれ」と言っただけで、しかも報酬は渡していなかった。

  このとき、フィーリンへの「襲撃」は結局行なわれなかった。ドミトリチェンコも襲撃を依頼したことをいつしか忘れてしまっていた。

  それが、今年の1月にフィーリンが顔面に硫酸をかけられる事件が起きた。ドミトリチェンコは、ボリショイ・バレエの団員の会話からその事実を知って驚いた。自分に疑いの目が向くことを恐れたドミトリチェンコは、依頼した男たちに金を払って、去年の11月に自分が頼んだことを言わないよう口止めした。  

  ドミトリチェンコは、フィーリンを襲うよう頼んだこと自体は認めているが、硫酸をかけるよう指示したことは一貫して否認している。

  また、ドミトリチェンコはボリショイ劇場内で行なわれている不正を告発しようとしたとも供述している。

  ボリショイ劇場のイクサーノフ総裁は、ドミトリチェンコが逮捕された後も、「黒幕はまた別にいる」と述べた。

  と、大体こんな内容だった。

  この報道内容そのものが本当なのかどうか疑わしいのだが、あくまでこの報道によれば、最も不思議なのは、去年の11月にフィーリンを襲撃するよう依頼したことを、当のドミトリチェンコ自身がすっかり忘れていた、という点である。

  他人を、しかも自分が所属するバレエ団、しかも天下のボリショイ・バレエの芸術監督を襲撃するよう頼んだことを忘れていたなんて、そんなことがありうるだろうか。

  また、ドミトリチェンコの供述によると、襲撃を依頼した去年の11月の時点では、実行犯の男たちに報酬を渡していないという。今年1月の事件発生後に支払われたカネは、ドミトリチェンコの認識では、襲撃への「報酬」ではなく「口止め料」だったことになる。

  この報道内容が本当だとすると、また『WEDGE』によると、こういうことなのかもしれない。ドミトリチェンコは実行犯の男からフィーリン襲撃を提案され、軽いノリで「フィーリンを一発ぶん殴ってやれ」と口にしただけのつもりだった。冗談半分で言ったことだったので、その後はすっかり忘れていた。

  ところが、フィーリンが硫酸を浴びせられるという重大事件が起きてしまった。自分の以前の言葉を思い出したドミトリチェンコは、慌てふためいて襲撃を依頼した男たちに口止め料を払った。でもそれは自分の起こした犯罪を隠すためというよりは、身に覚えのある自分が疑われて、主犯に仕立てあげられることを恐れたからだった。

  こう考えるとつじつまが合うように思える。不正告発うんぬんの件だが、これはドミトリチェンコが場当たり的に発した自己弁護の言い訳だろうと思う。自分だけが悪いんじゃない、フィーリンだって芸術監督の立場を利用して悪いことをしている、と言いたいのだろう。

  ドミトリチェンコは知的で優秀なダンサーだと思ったけれども、一連の言動からみると、プライベートではかなり軽率で行き当たりばったりな行動をとる人物のようだ。

  でも、ドミトリチェンコはやっぱり利用されたんじゃないかな。実行犯の男にドミトリチェンコを唆させ、ドミトリチェンコの冗談半分の「襲撃依頼」にうまく乗っかった人物がいるんだと思う。硫酸をフィーリンの眼にかけるよう指示したのはそいつだろう。

  真冬で着込んでいたから、外に露出している唯一の部分である両眼に「偶然」硫酸がかかったというよりは、最初から両眼を狙ったんだろう。フィーリンを失明させるために。防犯カメラの死角を選んで、しかも暗がりで、ピンポイントで両眼に硫酸をかけられるなんて、そのへんの半端なチンピラができることじゃないよ。

  フィーリン襲撃の目的は、単なる仕返しや脅しじゃなくて、フィーリンを芸術監督の座から引きずりおろすことだったんだと思う。しかも、顔や眼に硫酸をかけるという発想には、女性的な陰湿さと粘着性を感じる。  

  ドミトリチェンコと恋人(もしくは夫婦)の関係にあったアンジェリーナ・ヴォロンツォーワが、フィーリンに対して『白鳥の湖』のオデット/オディールを踊らせてくれないかと申し出て、それをフィーリンがひどい言葉で拒絶したのが事件の直接的な原因だという。(あくまで報道によれば、ヴォロンツォーワは元々フィーリンに冷遇されていたそうだが。)

  これも私はおかしな話だと思っている。ヴォロンツォーワは、去年の1月の時点ではコール・ドだった。今はソリストだけど、これはコール・ドのすぐ上で、下から2番目の位階に過ぎない。彼女のキャリアで主要な役といえるのは、『ドン・キホーテ』の森の女王と『ジュエルズ』のダイヤモンドくらい。そんなダンサーが芸術監督に対して、よりによってオデット/オディールを踊らせてくれと直談判した。ボリショイ・バレエでは、こんなことはよくあるの?

  ヴォロンツォーワは事件に巻き込まれたかわいそうな被害者だ、という考えはよく分かるが、ヴォロンツォーワのこの行動について、当局はもっと調べる必要があると思う。

  つまりは、フィーリンがオデット/オディールを踊ることを許可してくれるという目算が、彼女にあったのかどうか。目算があったとすれば、それは彼女の自分の能力への自信に基づくものだったのか、それとも他の要素もあったのか。そもそも、彼女がフィーリンに直談判しようと決意したのはなぜか。彼女個人の考えでそうしたのか、それとも、誰かが彼女にそうするよう勧めたのか。

  私個人は、ヴォロンツォーワが事件後も平然としてにこやかに舞台に立っている姿には、かなりな違和感を覚える。

  ドミトリチェンコの軽率な言動を巧みに利用して、ドミトリチェンコにすべての罪をかぶせてしまった人物がいるに違いないと私は思っている。今回の事件、とかげの尻尾切りで終わってほしくない。


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2年目


  2年目だから何か書こうと思うんだけど、何を書いたらいいのか分からない。

  あの震災で、あらゆる物事に対する私の見方は根本的に変わった。それらはすべて、一つ一つが極めて不愉快な感覚をともなうもので、ひたすら失望し、絶望するばかりだった。ついでに体調も崩した。

  「絆」、「がんばろう日本」、「復興」といった一連のスローガンには、嘘くささと中身の無さしか、今もって感じていない。

  こういった美しいスローガンの下で、何が行なわれているのか。阪神・淡路大震災後、焼失した住宅街が神戸市の再開発地域となって、住民が戻れなくなるということが生じた。そのときはじめておかしいと思ったのだが、東日本大震災が起きた今も、同じことが行なわれていないか。

  たとえば、維持に予算が費やされ、県にとって重荷だった多くの小漁港が、津波で壊滅状態になったとする。県は、「早期の復興」を名目に、県内の漁港を「効率的」に「統合・合併」するとして、それらの小漁港を修復せずに廃港にする。結果として、県の予算が浮く。一方、それらの小漁港をよりどころにしていた漁師の人々は、母港を失う。

  またたとえば、津波が押し寄せて壊滅した平地の住宅街や商店街があったとする。県は、この平地は将来に同程度の地震と津波とが起きた場合、再び水没する可能性の高い「危険な地域」であるとして、人々が元の住所に家や店を再建することを許可せず、充分とはいえない金を給付して高台へ転居させる方針を強制的に決める。そして、その平地を「経済復興と雇用創出」のための商工業用地として整備し、企業誘致を行なう。

  高台の土地は不動産会社が買い占めて、震災前よりも地価を高く設定し、そこに転居する人々に販売する。銀行も住宅ローンの契約を結ばせる。住民が退去させられた平地は県の管理地となり、震災前よりも地価を安く設定し、誘致に応じた企業に販売する。

  住民は家(建物がなくなっていても、その場所は「家」である)を失い、借金を得る。地方自治体は海辺部の貴重な平地を、住民との土地売買交渉なんて手間をかけるまでもなく、タダ同然に手に入れ、企業から用地の購入代金と税金とを得る。企業も安価な用地を手に入れ、地方ということで建設費、維持費、人件費のもろもろを安く抑えられる。

  現在行なわれている「復興」とやらの正体は、案外こんなものではないだろうか。それは被害に遭った人々の以前の暮らしを取り戻すことではない。国、地方自治体、企業が結託して、今回の災害に乗じて経済的利益を得ることである。

  未来へ夢と希望をつなぐような、新たな一歩を踏み出すようなことが書けなくてごめん。


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BNP PARIBAS OPEN ロジャー・フェデラー総括-2


 3回戦 対 イワン・ドディグ(クロアチア)

   6-3、6-1

  ニュースに「フェデラー快勝」とか書いてあったけど、第1セット第1ゲーム、フェデラーがいきなりダブル・フォールトとミスを連発し、あっという間に0-40になったときは肝をつぶした。でも、そこはさすがにフェデラーで、それからは良いファースト・サーブと攻撃的なプレーでキープした。

  第1セットの途中までは、ドディグはとても良いプレーをしていた。サーブもいいし、コントロールもいいし、フェデラーのバック・ハンド攻め→フェデラーを左サイドに引きつけておいて→最後は右サイドに打つ、というフェデラー対策をきちんとやっていたし、ネット・プレーもそこそこやっていた。

  対してフェデラーは不調で、ファースト・サーブは入らないわ、ミスはしまくるわ、どうなることかと心配になった。斜めから射し込む夕日の強烈な光がかなり邪魔だったらしくて、まぶしそうに目を細めていた。コート上は日が射す部分と日陰になっている部分の明暗の差が激しく、両選手ともさぞ目がくらんだろう。

  更に、フェデラーは緊張していたように見受けられた。ドディグとは初顔合わせな上に、ドディグが以前ラファエル・ナダルに勝ち、2回戦ではフェデラーが苦手とするジュリアン・ベネトーをストレートで下しているということが頭にあったんだろう。

  ところが、フェデラーは、絶対に守らなくてはならない、決めなくてはならない大事なポイントでは決してミスをしない。一方、ドディグは大事なポイントに限ってミスをする。第1セット第8ゲーム、ドディグはなんとダブル・フォールトで自分のサービス・ゲームを落としてしまった。フェデラーが次のサービス・ゲームをキープして、第1セットを取った。

  ドディグは、基本的には強打のラリーを得意とする選手なのだと思う。第1セットの中盤までは、ラリーに持ち込んでフェデラーを左右に振り回し、更にネット・プレーを織り交ぜて善戦してたけど、徐々に集中力を持続できなくなってきたらしかった。

  第2セットに入ると、フェデラーのプレーが普通に安定した。反対にドディグは辛そうな顔になってきて、ラリー戦ではフェデラーに優位に立たれ、ネットに出る余裕もなくなったようだった。ドディグはミスが増え、ダブル・フォールトを連発し始めた。

  ドディグは、なぜかブレーク・ポイントで、決まってダブル・フォールトをやってしまう。第2セット、フェデラーが5-1とリードした次の第7ゲームは、ドディグのサービス・ゲームだった。ドディグはこのゲームの最後で、なんと2回連続してダブル・フォールトをやらかしてしまった。ドディグのダブル・フォールトで、試合はあっけなく終わった。

  フェデラーのプレーがすばらしかったというよりは、ドディグが勝手に自滅したという印象だった。見ごたえのない試合だった。勝ったフェデラーもにこりともしない。

  第2セットの途中、実況中継がフェデラーが背中を痛めたようだ、と言っていた。フェデラーが上半身を不自然に反らせてリターンしたときだったと思う。打った後、フェデラーは背中か腰に手を当てていた。大丈夫かな。

  第1セットの序盤でフェデラーがミスをしたとき、フェデラーは「ナーイン!」とドイツ語で声を上げた。試合中はドイツ語と英語で考えているというのは本当らしい。ちなみに、フェデラーは試合で本気になると、声音が普段と全然違うものになる。この「ナーイン!」は普段の声だった。


 4回戦 対 スタニスラス・ワウリンカ(スイス)

   6-3、6(4)-7、7-5

  今年に入ってから目立つフェデラーの負けパターンは、

   1.サービス・ゲームをあっさりブレークされる
   2.相手のサービス・ゲームでブレーク・ポイントを握っても決めきれない
   3.セット・ポイントを握っても決めきれない
   4.タイブレークで負ける(←タイブレークは本来超得意)
   5.マッチ・ポイントを握っても決めきれない
   6.最終セットで精神的に崩れてしまう

  てな感じだと思います。ドバイ免税テニス選手権でのトマーシュ・ベルディハ戦は典型的でした。能力で負けるんならともかく、勝てたはずの試合で負けるというのは、精神的にかなりダメージが大きいと思います。

  今日の試合も対ベルディハ戦にそっくりでした。第2セット、フェデラーはワウリンカのサービス・ゲームを1つブレークしていて、5-4で自分のサービス・ゲームを迎えました。それまでの試合内容から見れば、このままフェデラーが6-4で勝つかに思われました。

  ところが、0-40か15-40でワウリンカにあっさりブレークされて5-5に戻され、そのまま6-6になってタイブレークに入りました。タイブレークはワウリンカが制して、第3セットに持ち込まれてしまいました。

  なんかいや~な流れになってきたなあ、と思いました。最近のフェデラーの負けパターンになってしまったからです。案の定、フェデラーは苛立ち始め、第2セットまでは少なかったミスが目立つようになりました。

  チャレンジ要求を退けられ、フェデラーが主審と口論する場面もありました。フェデラーのファースト・サーブをワウリンカがリターンしたのですが、フェデラーは左手の人差し指を上げながら(←チャレンジの意思表示)そのボールを打ち返し、ボールはネットにかかってフェデラー側に落ちました。それがワウリンカのポイントとなりました。

  するとフェデラーは憤然として主審に詰め寄り、自分のファースト・サーブのチャレンジを要求しました。フェデラーは、線審が自分のサーブをアウトとコールしたのに、ワウリンカがリターンしてきたので自分も打ち返さざるを得ず、そのために即座にチャレンジを申し出ることができなかった(←チャレンジはすぐに行なわなくてはならないので)、と言っていたようです。

  しかし主審は、多くのショットが打たれた後でのチャレンジは認められない、と拒否しました。フェデラーは「たった2回(ワウリンカ、フェデラー)のショットで?」と言い返します。フェデラーがあまりに食い下がるのと、事情があまりに複雑なので、ついには大会の審判委員長らしき人物までが出てくる始末。ホーク・アイで確認したところ、確かにフェデラーのファースト・サーブはアウトでした。でも当初の判定は覆らず。

  そのゲームが終わっても、フェデラーはベンチに座りながら主審とやりあっていて、これはいよいよマズい感じです。

  ワウリンカのプレー、集中力、メンタルの強さは本当にすばらしかったです。とはいえ、フェデラーのプレーが良くなかったということはないです。ただ、フェデラーは最近よく陥っている悪循環にはまったようでした。勝てるはずだったのにチャンスを逃した→自信が揺らぐ→集中力が途切れてイライラする→ミスをする→ますます自信と集中力がなくなり苛立つ、という負のループです。関係者席にいたミルカ夫人も絶望的な表情になっていました。

  しかし、最近のこの悪い癖はフェデラー自身が最もよく分かっているはずです。こればかりはフェデラーが自分一人で克服するしかありません。

  フェデラーは俄然、非常に攻撃的になりました。ワウリンカはあまりネットに出ません。フェデラーは盛んにネットに出ては自分から先に攻撃をしかけ、ワウリンカに余裕を与えないプレーでピンチを乗り切っていきます。互いにブレーク、ブレーク・バックをくり返した末、第3セット6-5で、ワウリンカのサービス・ゲームになりました。

  ここでもフェデラーは積極的に攻撃をしかけて主導権を握り、あっという間に0-30になりました。合理的な説明ができないのですが、この時点で一種の「流れ」ができたというか、結果が決まったように感じられました。フェデラーが勝つということです。ワウリンカもそれを感じて怯んでしまったようでした。

  15-40でフェデラーはマッチ・ポイントを握り、最後はワウリンカの返したボールがネットに引っかかって、7-5でフェデラーが勝ちました。

  この勝利は、フェデラーにとって非常に大きい意味を持つと思います。勝てたはずの試合で負ける、ということをくり返さずに済んだからです。この試合で負けていたら、おそらくフェデラーは本格的なスランプに陥ることになったでしょう。

  今日の試合、フェデラーはワウリンカに勝ったというよりは、自分と闘って勝った、という印象でした。フェデラーにとって、これは対戦相手に勝ったとか、準々決勝に進めたとかいうこと以上に、はるかに大きな戦果だったと思います。


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