東京バレエ団「ベジャール・ガラ」

  東京バレエ団の「ベジャール・ガラ」、昨日(9日)の公演を観に行ってきました(夜7時開演というのは助かります~)。演目は「ギリシャの踊り」、「中国の不思議な役人」、「ボレロ」です。

  「ギリシャの踊り」は、基本的に陽気なメロディのギリシャ音楽に乗って、ダンサーたちが入れ替わり立ち替わり現われては、時に大勢で、時に数名で、時に二人で、時に一人で踊るという作品でした。

  衣装が白と黒の二色のみ、男性は上半身裸に白か黒のズボン、女性も白か黒の七分袖のレオタードとシンプルな衣装でしたが、ダンサーたちの配置や構図は整然としていて、動きも波のように寄せては返しといった感じで美しかったです。

  終わりから最後まで後藤晴雄が踊りまくってました。彼の踊りは普通にすばらしかったです。東京バレエ団の他のダンサーたちも同様にすばらしかった・・・というか、現在のモーリス・ベジャール・バレエ団と共通するものがあると思いました。総体としてはそこそこのカンパニーだが、個人レベルで優れたダンサーがそう多くいるわけではない、ということです。

  この「ギリシャの踊り」はストーリーがないので、踊りそのもので勝負しなければならない作品です。踊りそのもので魅力的だったのは、吉岡美佳(「パ・ド・ドゥ」)と井脇幸江(「ハサピコ」)だけでした。

  吉岡美佳は柔軟な四肢の動きが、井脇幸江はテクニックはもちろんですが、それよりも動きの間合いのはかり方が見事でした。音楽にうまく合わせて、絶妙のタイミングで手首をくいっと曲げたり、脚を上げたりするのがすばらしかったです。ただ、木村和夫のリフト&サポートはややぎこちなく、井脇幸江がせっかくプロフェッショナルな踊りを見せているのに、それを充分に引き立てられなかった印象が残りました。

  全体として、この「ギリシャの踊り」はよかったのか普通だったのかわるかったのか、あまりよく分かりませんでした。でもたぶん、モーリス・ベジャール・バレエ団が踊ったとしても、去年の日本公演の印象からすると、東京バレエ団と同じ感じになるのではないのかな。ただモーリス・ベジャール・バレエ団のほうが、ダンサーはみな外人だから、見てくれでやや勝るのと、外人ダンサー特有の「見せる力」がある、という強みがあるだけで。

  「中国の不思議な役人」は、バルトークの同名曲を使っており、登場人物やストーリーもほぼ(やや?)同じな作品です。これはなんつーか・・・(笑)。

  盗賊たちはみな「ゴッドファーザー」に出てくるマフィアのような格好をしていました。盗賊の首領の娘は男性ダンサー(宮本祐宜)が、「若い男」は女性ダンサー(西村真由美)が踊ります。あと、なぜか「ジークフリート」(柄本武尊)が出てきて盗賊の餌食になってました。

  「ギリシャの踊り」もなんか男くさかったけど、「中国の不思議な役人」も男くさい。「若い男」を女性ダンサーに踊らせるアイディアより先に、盗賊の首領の娘を男性ダンサーに踊らせるアイディアがあって、男性ダンサーが踊る「中国の役人」と絡ませたかったのは間違いないよな。

  盗賊の首領の娘を踊り演じた宮本祐宜は見事なオカマぶりで、お尻と股間に黒い羽飾りが付いた黒い下着を着て、顔を真っ白に塗り、真っ赤な口紅をつけてました。女のように妖艶では全然ないです。見るからに奇妙でグロテスクです。明らかに「男が女装して、お約束的な女っぽい仕草で、ヒステリックに、また「女王様」的に振舞ってる」感じでした。

  あれはひょっとしたら、ルキノ・ヴィスコンティの「地獄に堕ちた勇者ども」で、ヘルムート・バーガーがマレーネ・ディートリヒの扮装をするシーン(←やっぱり奇妙でグロテスク)に想を得たものじゃないかな~、と思います。

  盗賊の首領の娘のあのグロテスクな姿とオカマっぽいキャラが、ベジャールがわざと意図したものだとすれば、宮本祐宜はすばらしかったんじゃないでしょうか(?)。オカマがヒステリー起こしてるみたいな雰囲気がよく出てました。

  ジークフリートはヒョウ柄っぽいパンツと、同じくヒョウ柄のレッグウォーマーみたいなのを穿いていて、ちゃんと剣(ノートゥング)を持ってました(『ジークフリート』)。髪は逆立っていて、登場したときには節分の鬼かと思いました。で、机の上に寝そべる盗賊の首領の娘に近づき(『ジークフリート』)、最後も盗賊の首領にちゃんと背中を刺されて死にます(『神々の黄昏』)。よく分かりません。

  この「中国の不思議な役人」で、ダントツですばらしかったのは、中国の役人を踊った首藤康之でした。中国の役人は紺色の人民服みたいなのを着て、毛沢東がかぶっていたような、正面に紅い星のマークがついた紺色の帽子をかぶっています。

  首藤康之は動きが他のダンサーとはまったく違いました。モーリス・ベジャール・バレエ団でいえば、ダンサーたちの間にいきなりジル・ロマンが現れて踊ったときと同じような印象を受けました。手足の動きは細緻で丁寧、動き同士が断絶しておらず、一本の流れる線でつながります。

  一つだけ難クセを付けるなら、首藤康之の「中国の役人」が、気味の悪い性的雰囲気を醸し出してたらもっとよかったんじゃないか、と思います。中国の役人は、性への異常な妄執で死なないわけですから。

  ラストはニジンスキーの「牧神の午後」入ってました。てか、「牧神の午後」のラストだけを踏襲して、あとは反転させる、というパロディだったのでしょうか?中国の役人は盗賊の首領の娘にキスされても死なないし、美女軍団(←こっちは本物の女性ダンサーたち)と乱○しても死なないんだよねえ。

  結局、この作品は何が何だかよく分かりませんでした。私には理解不能な世界です。

  「ボレロ」は、シルヴィ・ギエムがゲストとして踊りました。ギエムの踊りを観るのは2年ぶり?くらいかな。まず、ガーネット色だったギエムの髪が、マロン・ブロンドになっていたのに驚きました。前髪があって、耳の横の髪を短く切って、後ろの髪は長く伸ばしたヘア・スタイルでした。

  ギエムが数年前に踊った「最後のボレロ」と、今回の「特別復活ボレロ」を比べると、ギエムが数年前に「ボレロ」を封印した理由が分かるような気がしました。おそらく、ギエムには自分自身に課している恐ろしく厳しい要求があり、それを満たすことができないと判断した時点で、もう「ボレロ」は踊らない、と決めたのだと思います。

  たとえ、他のダンサーに比べて、ギエムのほうがはるかに優れているとしても、それはまったく別の問題であり、ギエムが自分の納得のいく踊りがもうできない、と思った以上、ギエムは自分がそれを踊るのを許せないのではないでしょうか。

  まわりくどくなりましたが、ギエムが数年前に踊った「ボレロ」は、身体の動き、ポーズ、演技、醸し出す雰囲気に至るまで、完璧にコントロールされた踊りでした。それに対して、今回の「ボレロ」は、理性によるコントロールを超越した、感情の奔流というか激流が一気に勢いよく噴出したような踊りでした。

  中心で踊るダンサーが、周囲の男性ダンサーたちを煽るような振りで踊るところでは、ギエムは半ば本気で煽っており、東京バレエ団の男性ダンサーたちも半ば本気で煽られていたと思います。以前と違って、東京バレエ団の男性ダンサー陣は添え物ではなく、強い存在感を発揮しながら、ギエムと一緒に「ボレロ」を踊っていました。

  というより、ギエムにそんな状況を許すような余裕ができたのだろうと思います。分かったような口を利くなら、「テクニックの衰えを補って余りある表現力や円熟味が増した」ということになるのでしょうか。でも、ギエムの「テクニックがやや衰えた状態」って、他のほとんどのダンサーにとっては、たとえ彼らが最盛期にあっても追いつけるレベルではないと思いますが。

  「中国の不思議な役人」には割と期待していたのですが、思ったほどではなかったなー(ダンサーの問題じゃなくて作品的に)。好きなベジャール作品が「ボレロ」だけ(しかもギエム限定)ってどうよ?と少し気まずいです。   
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