遅ればせながら

  日本におけるアダム・クーパーファンが日ごとに減少していく厳しい現実をひしひしと感じる今日このごろ、先日、アクセス数が25万を突破しました。

  いまだにこのサイトをお見捨てなく寄って下さっているみなさま、本当にどうもありがとうございます。

  これからもアダム・クーパーとバレエと諸々のエンタテイメントと、そして時にはパーソナルな出来事や魂の叫び(笑)を書いていきます。どうぞよろしくお願いいたします。

  ところでアダム・クーパーさん、日本のファンはあなたの来日を切に願っています。そろそろこちらにいらしてはいかがでしょうか。

  もし万が一、プロモーターのみなさんがこのサイトをご覧になっていらっしゃるなら、アダム・クーパーというあの素材を放っておくのはもったいないですよ。2003年のボーン版「白鳥の湖」日本公演がいい例です。彼は、使いようによっては爆発的な集客力を発揮します。

  莫大なコストのかかる全幕物はもう難しいというなら、「エクセター・フェスティバル」でクーパーが見せた優秀なプロデュース能力を生かして、ミックスド・ビルやガラ・パフォーマンスの企画でも持ち込んでみたらいかがでしょうか。

  うまくいくと思うんだけどなあ~。ちなみに、私はウィル・タケット版「兵士の物語」を日本で観たいです。クラシック音楽、バレエ、演劇という幅広いファンを集められると思うのですけれど。
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時事一題(2)

  九州の事件でマスコミに叩かれた先生のように、生徒をいじめている先生の多くは、「イジメ」という自覚がないままにやっているものです。

  一つだけ私のルサンチマンを吐き出させて下さい。あれは高校の体育の授業での出来事でした。これは小学校のときとは違い、学校や先生の側に偏見はなかったものの、その先生個人の無神経さのために起きてしまったことです。

  おそらくその体育の先生にとって、それは授業を「楽しいもの」にする「ゲーム」でした。最初、生徒たちは床に四つん這いになります。それは「ゴキブリ」です。

  生徒たちはそのままの姿勢で、隣の誰かとジャンケンをします。勝ったら「アヒル」になれます。そうしたら両手を上げて膝で歩くことができます。ただし、負けたほうは「ゴキブリ」のまま、また他の「ゴキブリ」とジャンケンをします。

  「アヒル」同士がジャンケンをすると、勝ったほうは「人間」になり、その人はそこで立ちあがってゲーム・オーバーです。一方、負けたほうは「アヒル」から再び「ゴキブリ」に降格です。

  つまりは2回連続してジャンケンに勝てば上がり、という単純なゲームなのですが、最後に数名、とうとう「人間」になれなかった生徒が出ました。その中に私もいました。私たちはまだ「人間」ではないので、四つん這いか膝立ちという姿勢のままです。

  先生(女性)は私たちに向かってこう言いました。「あなたがた、運が悪いのよ。今までも運が悪かったでしょ?これからもそうなのよ。ゴキブリのような一生を送るのよ。」(注:これは実話です)

  「運が悪い」、「ゴキブリのような一生」という言葉もショックでしたが、なによりも、「人間」になって立っているみんなの、憐れみと優越感の入り混じった視線が痛かったです。

  あれから20年近くが経って、あのとき「人間」になれなかったクラスメートのうち数名とは、今でも連絡があります。私のみるかぎり、彼らはちゃんと「人間」の一生を送っています。
  私はといえば、「人間」にはなれていないけど、「ペリカン」にはなったからいいか、と思います。(ベタですがオチがつきました)

  九州の事件に話を戻すと、先日、同僚の一人とあの事件について話していたら、その同僚は「あの先生は確かにひどいけど、親もどうして気づかなかったんだろう」と言いました。
  私はそれで、あ、この人、いじめられた経験がないな、と分かったし、そういう問題に関する知識もないな、と思ったので、その話題は打ち切りました。

  いじめられている子どものほとんどは、自分がいじめられていることを絶対に親には言いません。それどころか徹底的に隠しとおします。なんでかというと、自分がいじめられていることを親に告白するのは、彼らの最後のプライドの崩壊を意味するからです。

  それは大人の視点からすると間違ったプライドなのですが、子どもには子どもの意地と誇りというものがあります。自分が学校ではみじめな境遇にあることを親に相談するのは、自分が「ダメ人間」、「敗者」である「事実」を、自他ともに認めることになります。

  そんなことをするくらいなら、彼らはまだ平気な顔で登校し、学校でいじめられるほうがマシなのです。そして、ある日ぷっつんと切れてしまいます。親が気づく間はありません。

  それでも亡くなった子の親は、なぜ気づいてやれなかったのか、と自分たちを責め続けるでしょう。私は、あなたがたのお子さんは、あなたがたに絶対に気づかせたくなかったのです、だから、あなたがたが気づかなかったのは仕方のないことなのです、と言いたいです。

  掲示板などを見ると、「いじめるほうが悪い」、「いじめられるほうに原因がある」という白黒議論に終始しているようです。私は、いじめる側といじめられる側は、表裏一体の関係にあると思います。

  自分を肯定することを「自分に自信がある」と表現するならば、いじめられる側も、そしていじめる側も、ともに「自分に自信がない」人々だと思います。
  いじめる側は、いじめることによって自分に自信を持とうとし、いじめられる側は、いじめられることによって自分に自信がないことを再確認するのでしょう。
  
  どちらも結局は自分に自信がないわけですから、なぜそんなに自分に自信がないのか、その原因をはっきりさせて解決しない限り、いじめを本当に解決することはできないと思います。

  九州の事件では、いじめた生徒たちの名前が某巨大匿名掲示板に書き込まれたそうです。またある雑誌は、亡くなった子をいじめたとされる元担任教師の顔写真と実名を掲載していました。

  これは感情的にはスッキリする「報復」ですが、特定の生徒を嘲笑するという方法でしか、クラスをまとめることができなかった教師、亡くなった子を集団でいじめた生徒たち、彼ら個々の内情を解明して適切な処置を施さなければ、この事件の本当の解決にはならないと思うのです。
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時事一題(1)

  週末にバレエ観劇の予定がないと、こんなにも時間的、また気持ち的な余裕ができるものなんですね。今月はなんか日記すごい書いてるなあ。
  とはいえ、この前「シェヘラザード」を観に行ったときにもらったチラシを整理していたら、面白そうな公演のがあったので、当日券ででも行こうかな、と思っているのですが。

  この日記では、なるべく時事問題には触れないようにしているのですが(それでも時おり書いていますが)、連日これでもかとばかりに大きな扱いで事件が報じられると、嫌でも目や耳に入って気になってしまいます。
  
  その一つが九州で起きた中学生の自殺について、その原因であるイジメの発端は、亡くなった生徒の元担任による不適切な言動だったらしい、という事件。

  私はあくまでテレビや雑誌が報じていた内容しか知らないですが、その元担任の先生の言動は、結果的には「イジメ」であったと思います。

  この先生には、自分が生徒をいじめている、という自覚はたぶんなかったろうと思います。おそらく、これがこの先生の、クラスを運営するいつものやり方だったのでしょう。つまり、生徒の誰かをからかってクラス全員で笑いものにすることで、クラスを団結させてまとめるという方法です。

  ただ、これこそが「イジメ」の構造そのものなのです。集団の団結を保つために誰かを犠牲にする、というのは、イジメを行なう集団の行動パターンと何ら変わりありません。

  この先生は、自分のやり方がいかに危険で大きなリスクをはらんでいるものなのか、マスコミに叩かれるまで、残念ながら気がつかなかったのでしょう。

  この先生の亡くなった生徒に対する言動が明らかになったのは、別の生徒が学校のアンケートの中で指摘したからだそうです。ということは、生徒たちはこの先生の言動を、度を越していると感じていたことを意味しています。

  多くのマスコミが、諸悪の根源はこの元担任教師の言動だ、と決めつけるのは、私は短絡的な見方だと思います。ですが、この先生が、クラスを「円滑に」運営するために一部の生徒たちを犠牲にする、という方法を採用したのは、明らかに間違った選択でした。  

  先生による生徒への「イジメ」は昔からありました。先生も人間ですから、中には意地の悪い人、思いやりや他人の立場になって物事を考える力の足りない人もいます。それは他の職種や職場でも、そうした人がいるのと同じことです。
  
  私は母子家庭の出身で、しかも家は貧乏でした。今では、また都会の学校では考えられない話でしょうが、私が小さかったころ、田舎の学校では、そうした家庭の子を教師が差別したりいじめたりするのは、ごくごく当たり前のことでした。

  小学校に通っていたとき、特に3、4年生(クラス担当は2年間同じだった)のころの担任が、自分の偏見に沿って忠実に行動する先生でした。具体的な事柄を言えばキリがありません。一言でいえば無視と冷遇です。

  とても辛かったですが、なにせ子どもだったので、先生からいじめられているなんて、思いもつかないのです。なんだか辛いなあ、悲しいなあ、と毎日感じていましたが、自分に起こっていることを自分でよく分かっていませんから、親にも話したことはありません。親に話すという発想自体がありませんでした。

  今にして思えば、私が通っていたころのその小学校では、母子家庭の子、貧困家庭の子、知的障害のある子、在日の子は、学校ぐるみで差別し、またいじめていたようです。ですが、それは積極的な悪意のある組織ぐるみの行動だったのではなく、ただそうするのが当たり前な風潮だった、ということです。

  あのときの先生方のほとんどは、もうすでに退職されているでしょう。いったいどんな思いで、九州のあの事件の報道をみたのか、尋ねてみたい気がします。
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雑技版「白鳥の湖」再び

  知りませんでしたよ。この夏の公演が、いつのまにかWOWOWで放映されてたんですね(私は地上波難民)。友だちからDVDを借りて観ました。

  あらためて観ても、オデットが王子の肩や頭の上で、ポワントでアラベスクをするのは、本当に驚異的な技ですね~。しかも王子、肩の上にアラベスクしてるオデットを乗せたまま舞台を歩いて一周するんだもん。
  
  でも、目は雑技版「白鳥の湖」を観ているのに、時々ユリア・マハリナやスヴェトラーナ・ザハロワのオデットが頭をかすめます。「黒鳥のパ・ド・ドゥ」のアダージョが流れると、ついクーパー君を思い出して泣いてしまいました。

  権利の問題とかいろいろあるのだろうけど、ボーン版「白鳥の湖」の2003年日本公演も、クーパー君が出演した舞台をこうやって録画して放映していてくれれば、今ごろどんなに幸せだったでしょう。

  ところでこの雑技版「白鳥の湖」、来年、2007年の夏に再び日本公演が行なわれるそうです。

  映像版もいいけれど、雑技は空間を大きく使うパフォーマンスだから、やっぱり生の舞台を観るに越したことはありません。そのほうが断然迫力があります。

  この夏に観たときには、出演者たちはバレエの一つ一つの動きやポーズはできても、それらをつなげて「バレエを踊る」までには至っていない、と感じました。でも映像をこうして見直してみると、ちゃんと踊っている部分もありますね。

  雑技の訓練を毎日続けるかたわら、クラシック・バレエの訓練も並行して行なっているのでしょう。本当にすごいぞ広東雑技団、と思います。

  WOWOWが放映したのは生の公演を収録した映像のようで、私が観に行ったとき(公演2日目だったかな?)よりも、観客の興奮度が圧倒的に高いです。たぶんすごい話題になって、ソールド・アウト公演になった頃に収録したのでしょう。

  このころは、日中の政府間の関係が最悪だったんですよね。でもこうして文化面での交流ルートはきちんと保たれていました。両国の首脳が会談するより、普通の人々がこうして相手の文化に直に触れて、それを歓迎することのほうが、はるかに心強いです。

  来年の公演も観に行こうと思います。あの神業をもう一度この目で見たいし、それに王子役の人、やっぱり男前だし~。 
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ハロウィン

  「ガイズ・アンド・ドールズ」の感想をあと1回で終わらせるべく、現在鋭意執筆中ですが、すっきりと簡潔にまとめればよいものを、「クーパー君の一挙手一投足をすべて書いてホメなければ気が済まない病」にかかってしまい、なかなか終わりません。いっそのこと、2回に分けることにしようかな(と言って永遠に終わらなかったりして)。

  更新がなくて申し訳ないですが、他の理由もあったのです。最近、インターネットの接続の具合が悪く、ほとんどネットができませんでした。このまえの週末から火曜日にかけてが特にひどかったです。

  あまりに繋がらないのに音をあげて、火曜日の夕方、とうとうプロバイダのカスタマーサポートに連絡しました。いろいろ調べたら、私のパソコンやモデムに問題はなく、プロバイダの回線が不安定なのが原因だと分かりました。

  今回のようなことは初めてではなく、数ヶ月前にもあったのです。そのときもプロバイダの回線の問題でした。

  たった数ヶ月の間に、こう何度も同じ問題が起こるなんて、毎月お金を払っているのがバカみたい、いっそプロバイダを変えようか、という考えが頭をかすめました。
  が、さすがに向こうはこっちの考えなどお見通しなのか、さきほど(水曜日深夜)から回線の状況が安定してきました。
  願わくばこのまま好調を保ってほしいものです。

  そうそう、ハロウィンだっけ。確か今月の初めあたりから、ハロウィン、ハロウィン、とウチの商店街が騒いでいます(お店の飾りつけがみなカボチャ)。

  先日のルジマトフの「シェヘラザード」でも、オレンジ色でカボチャのように大きくふくらんだハーレム・パンツを穿いた女奴隷たちが踊っていました。やっぱりハロウィンだものねえ、と思ったのを覚えています。

  それからはや10月も下旬に入ったわけですが、いまだに街はハロウィンで盛り上がっているようです。私は南蛮の風習には詳しくないので分からないのです。いったい10月何日が「ハロウィン」なんですか?いつになったらこの「カボチャ祭り」は終わるのか、と不思議に思っております。

  ウチの商店街は、ハロウィンと並行しつつ「沖縄祭り」というのを先日やりまして、沖縄からやって来たらしい一団が、沖縄の民謡や音楽、踊りなどを披露しながら、商店街を練り歩いていました。

  その「沖縄祭り」の前後、時はもう10月だというのに、商店街のBGMは「島唄」とか「涙そうそう」とかばかりでした。でも、お店の飾りつけはすでにカボチャなのです。

  「沖縄祭り」が終わると、商店街のBGMはいきなりベートーヴェンの「第九」になりました。ド夏から一挙にド冬に移行したのです。あまりに極端すぎます。それに、「第九」の前になんか一つ忘れてないかな、と思うのですが。でも、お店の飾りつけはまだカボチャなのです。

  はっきりいって、ウチの商店街を歩くと季節感がおかしくなります。   
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いつもの日々

  怒涛の「ルジマトフ強化月間」も過ぎて、いつもの日々が戻ってまいりました。ファルフ・ルジマトフ氏については、あれほど傑出したダンサーの優れたパフォーマンスを目にすることができて、本当に貴重な経験ができたと思っています。

  ルジマトフの踊りは非常に強烈、凄絶で、観ている側を否応なしに彼の持つ深い世界に引き込む力がありました。最初は呆然とし、次には感動し、最後には尊敬の思いでファルフ・ルジマトフという稀有なダンサーの踊りを見つめていました。

  ただ、彼が展開した世界はあまりに壮絶で、公演が終わった後はぐったりと疲れたことも事実です。気楽に眺める、ということができなかった。踊るルジマトフが真剣勝負なら、観ている私も真剣勝負でした。

  プログラムA、プログラムBの感想を速攻書いて掲載したのは、これらの公演の影響をいつまでも引きずるのは、私にとってはあまりよくない、と思ったためです。感想を早く書いてしまって、あの独特の世界から早く抜け出す必要が私にはありました。そうでないと、いつまでもあの強烈な魔力を持つ世界に浸り続けてしまうことになってしまう。

  感想を書き終えた今はさっぱりした気分です。現金なもので、途端に「ガイズ・アンド・ドールズ」の公演が再び思い出されてきました。今、頭の中では“Luck Be A Lady Tonight”の音楽に乗せて、ダンサーたちが踊る「クラップ・シューターズ・ダンス」の様子が脳内再生されています。

  次には「ガイズ・アンド・ドールズ」の感想を書き終えるつもりです。「ガイズ・アンド・ドールズ」感想をまだ書き終えていないために、私の中では、ある意味、まだ8月のロンドン旅行は終わっていないのです。あれから2ヶ月が経ちますから、いいかげんロンドンから魂を呼び戻さなくてはなりません。

  11月は、バレエ公演の鑑賞はお休みです。ちょうど仕事やその他のことで忙しくなりますから、しばらく現実世界で頑張ることにします。
  でももちろん、サイトの更新は極力おこないます。ネタがないから、久しぶりに「経歴」の続きでも書こうと思っています。

  それから、ロイヤル・バレエ時代のクーパー君が頻繁に出てくる本があります。ロンドンのロイヤル・オペラ・ハウスで購入した、“The Royal Ballet 75 Years”という本です。これもいずれ詳しくご紹介しますね。

  著者がクーパー君のファンなのか、なぜかやたらとクーパー君の名前が出てくるのです。新しく分かったこともあって、なかなか面白い本です(まだちょっとしか読んでないけど)。

  たとえば、クーパー君は「三人姉妹」のソリョーヌイ役のオリジナル・キャストだったわけですが、本来は、スチュワート・キャシディがソリョーヌイを踊るはずだったそうです。ところが、キャシディがケガをしたために、急遽クーパー君がソリョーヌイ役に抜擢されたんだとか。
  クーパー君には常に妙な運の良さがついてまわることを、あらためてうかがわせるエピソードですね。

  ともかく、再びアダム・クーパーのファンとして、これからも爆走していく決意を新たにした次第です。

  そういえば、「ガイズ・アンド・ドールズ」公式サイトがようやく更新されました。クーパー君の名前と履歴の紹介はなくなりました(当たり前だけど)。それはそれで、ちょっと寂しい気分だな~。 
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おつかれさまでした

  今ごろロンドンのピカデリー劇場は、10月14日土曜日の「ガイズ・アンド・ドールズ」昼公演が行なわれている最中でしょう。
  そして、夜7時半から始まる夜公演が、アダム・クーパーがスカイ・マスターソン役として出演する最後の公演となります。きっとクーパー一家とサラ・ウィルドーが勢ぞろいするんだろうな(笑)。

  そのころの時間は、私はまだ夢の中でしょう。ロンドンに思いを馳せながら、クーパー君にとっての「ガイズ・アンド・ドールズ」千秋楽を、心ひそかに祝ってやれないのが残念です。ので、今のうちにお祝いしておきます。

  思えば3月から今まで7ヶ月余もの間、たった2、3日の休みを取っただけで、ほぼ全公演に出演したクーパー君はすごいです。仕事と観客に対する彼の真面目で誠実な姿勢は、大きな尊敬に値すると思います。

  私はますますクーパー君が好きになったし、また3月と8月に「ガイズ・アンド・ドールズ」を観て、彼の著しい成長ぶりを目にすることができて、本当に嬉しかったです。何よりも、彼自身が「ガイズ・アンド・ドールズ」の舞台をとても楽しんでいることが分かって、心底ホッとしました。

  ともかくも、長い間、本当にお疲れさまでした。日曜日からはゆっくり休んで下さい。公演のためにできなかったことをやって、奥さんのサラや猫ちゃんたち(そして魚ちゃんたち)とくつろいで過ごして下さい。

  ファンとはわがままなもので、「ガイズ・アンド・ドールズ」が終わったとなると、「次は何するの?いつ?」と気になって仕方がありません。でもそれは発表をじっくりと待つことにします。私は耐えましょう、クーパー君のためならば。・・・とはいえ、やっぱりできるだけ早く教えてほしいわ

  でも今しばらくは休んでね。これは心の底からそう思います。
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ベニスに死す

  日曜日にファルフ・ルジマトフ&インペリアル・ロシア・バレエの公演に行って、そこでルジマトフ氏の踊る「アダージェット」を観ました。あれはもうバレエとかテクニックとかいう低い次元の域を超えています。究極の身体表現、としか形容しようのないものです。

  用いられた音楽はマーラーの交響曲第5番第4楽章「アダージェット」でした。作品名はこれに由来します。

  ルジマトフの踊りで久しぶりにこの曲を聴きました。ルジマトフの踊りは確かにすばらしかったです。公演後、私の頭の中ではこの曲がまだ流れていました。でも脳裏に浮かんできたのは、ヴィスコンティの映画「ベニスに死す」でした。

  帰宅してから今まで、毎日何回も「アダージェット」を聴いていますが、やはり頭に浮かぶのは「ベニスに死す」です。

  マーラーの第5番の「アダージェット」が「ベニスに死す」で使われていることは非常に有名です。「アダージェット」といえば「ベニスに死す」を想起する人は多いでしょう。私もその一人です。

  「ベニスに死す」ではマーラーの交響曲が使われまくっていますが、特に印象的なのは、もちろんラスト・シーンでしょう。主人公のアッシェンバッハは浜辺のチェアに腰かけて、波打ち際で遊んでいる、彼が憧れて追い回していた少年の姿を見つめています。

  やがてアッシェンバッハは苦しげな表情に変わり、その額やこめかみから、髪を染めたために黒い色をした汗が幾筋も流れ落ちてきます。

  静かな「アダージェット」が流れる中、アッシェンバッハは少年の姿を見つめながら死んでいきます。

  私がこの映画を初めて観たのはまだ学生のときで、確かに印象的な映画だとは思いましたが、何を描いているのか、何を言わんとしているのかは分かりませんでした。
  大体、タジオ少年をストーキングする(今の視点でいえばそうですよね)アッシェンバッハの気持ちが理解できず、単なる変態ジジイだと思っていました。

  それから数年の間隔を置いて、テレビで放映されたり、レンタルビデオ店でたまたま目についたりしたときに、この映画を観ています。

  この年齢になって、ようやく「ベニスに死す」が、「老い」というものの非情さ、醜悪さ、滑稽さ、残酷さを描いている映画だと分かってきました。
  それでアッシェンバッハがなぜあれほどタジオに執着したのかも、やっと理解できました。アッシェンバッハにとって、タジオは彼が失なったものの象徴だったのですね。

  でも頭では分かっても、気持ち的に共感する、というところまではまだいっていません。故淀川長治氏が、「私はこの映画を観ると辛くてたまらない」ということを書いていましたが、あれほどの年齢にならないと、しかも男性でないと、「ベニスに死す」はたぶん分からない映画なのでしょうね。

  久しぶりに「アダージェット」を聴いて、時間ができたらまた「ベニスに死す」を観てみようか、と思っています。
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補足

  昨日書いた「やれやれ」の最後に追記がありますのでご覧下さい。特に名古屋、宇都宮近辺にお住まいのみなさま。
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  順番的にはこっちのほうを先に書くべきでしたね。昨夜、夢を見ました。クーパー君が「三人姉妹」の「別れのパ・ド・ドゥ」で、ヴェルシーニンを踊っているのです。

  私は客席から舞台を眺めていたようです。クーパー君が踊っていたのは、「別れのパ・ド・ドゥ」で、途中から音楽が変わって、ヴェルシーニンが回転しながら大きくジャンプし始めるところからです。ピアノの音楽もはっきり覚えています。

  クーパー君はきれいな姿勢で、きちんと丁寧に踊っていました。ムハメドフほどすごくはないけれど、上品で端正な踊りです。空中でも姿勢が崩れない。クーパー君が着地して、優雅な仕草でポーズを取ると、その横をマーシャの衣装を着たサラ・ウィルドーがジュテをして通り抜けました。

  私の隣にはなぜか私の母親が座っていて、彼の踊りを観ながらこう言いました。「半端だけれど、でもなんか惹きつけられるわね。どうしてかしら。」
  「半端」という言葉に私は少しムッとしましたが、「なんか惹きつけられる」という感想には心中大いにうなづきました。ちなみに現実の母親は、「アダム・クーパー」なんてまったく知りません。

  この夢は、スターダンサーズ・バレエ団の「マクミラン・カレイドスコープ」で、アダム・クーパーとサラ・ウィルドーが踊った「三人姉妹」を観たときの記憶が出てきたものなのでしょう。

  なんでこんな夢を見たのか、きっと「新国立劇場バレエ団『シンデレラ』のチケットを取らなければならない」→「その『シンデレラ』はアシュトン版である」→「アシュトンといえばロイヤル・バレエ」→「ロイヤル・バレエといえばマクミラン」→「そーいえばクーパー君のヴェルシーニンはカッコよかったな」という脳内過程を経たためと考えられます。

  もう忘れたと思っていても、脳ミソは実はけっこう覚えているものなのですね。
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やれやれ

  午前10:00ぴったりにチケットぴあにアクセスして、12月に行なわれる新国立劇場バレエ団公演「シンデレラ」(アシュトン版)のチケットを取りました。2回分取りました。どちらもアリーナ・コジョカル(ロイヤル・バレエ)とフェデリコ・ボネッリ(同)がゲスト出演する日です。

  コジョカルはシンデレラが似合いそうだし、あとボネッリについては、この夏のスターダンサーズ・バレエ団「くるみ割り人形」公演で見て、ちょっと「ラヴ」って感じだし。

  「1階正面席」ではなく(競争率高そうだから)、「1階席」(←両サイド席のこと?)を最初から指定して申し込んだら、2回ともサイド席だけど割と良いお席が取れました。

  その後で一応イープラスにも行ってみましたが、イープラスの席はなぜかほとんどが早々に完売御礼になっていました。販売開始から10分も経っていないのに、ですよ?対してぴあのほうは、「予定枚数終了」になった席もちらほらありましたが、全体的にまだぜんぜん余裕がありました。

  両社ともにどういう「大人の事情」があるのか分かりませんが、今回の「シンデレラ」のチケットに関しては、チケットぴあで取ってよかったと思います。

  他にも「シンデレラ」の席を取り扱っている会社はあります。その中には、言葉は悪いですが、いわゆる「クズ席」のチケットしか割り振ってもらえなかった会社もあるようです。久しぶりに日本の興行チケット販売システムに対する不信感が湧いてきました。

  話は変わって、明日はファルフ・ルジマトフ氏の率いる、じゃなかった、ルジマトフ氏がゲスト出演するインペリアル・ロシア・バレエの公演を観に行きます。
  
  ルジマトフ氏の踊りを観られるのはもちろん楽しみですが、私の今回のお目当ては、ユリア・マハリナ(マリインスキー劇場バレエ)です。今まで映像(「白鳥の湖」)でしか観たことがないのですが、表現力が高く、しかも美しくてしなやかな身体を持つダンサーです。

  この公演のメインである演目は、もちろんルジマトフとマハリナ主演の「シェヘラザード」なのですが、他の演目も面白そうです。「カルミナ・ブラーナ」(M.ムルドマ振付)と、「アダージェット~ソネット~」(N.ドルグーシン振付)だそうです。
  「M.ムルドマ」も「N.ドルグーシン」も全然知らないので、どんな振付の作品なのか楽しみです。

  残念なのは、音楽が「テープ演奏」であることですが、これは仕方がありません。なにせ「カルミナ・ブラーナ」と、マーラーの第5番(たぶん)と、それにリムスキー=コルサコフの「シェエラザード」ですから、生演奏でやったらチケット代がとんでもないことになるでしょう。
  
  あと、会場が駅から少し遠いんです。昨日は一日中ひどい天気でしたし、今日も風が強いですが、明日はいいお天気になりますように。

  追記:ファルフ・ルジマトフ、ユリア・マハリナ、スヴェトラーナ・ザハロワが主演する「シェヘラザード・ビル」(勝手に命名)は、名古屋(10月11日)と宇都宮(10月13日)でも上演されます。お近くにお住まいのみなさんは、この機会にぜひご覧になってはいかがでしょうか。詳細はチケットぴあ等でどうぞ。
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クーパー君新日記

  やっぱり半年ぶりにようやく更新されましたな。まだざっとしか読んでいませんが、非常に落ち着いている感じを受けました。例によって、まず「ガイズ・アンド・ドールズ」での共演者たちを称え、スタッフたちにも感謝の言葉を綴っています。

  クーパー君の「ガイズ・アンド・ドールズ」降板まであと10日となりました。でも彼の中では、もう「やり終えたこと」になっているようです。今後のスケジュールは彼自身まだ分からないということです。

  ただ、三月から十月まで8ヶ月間、週1回の休みだけで、文字どおり毎日ショウに出演し続けたのですから、私が思うには、数週間どころか、年内はずっと休んでもいいのではないか、と思うくらいです。下世話なことを言えば、今回の長期にわたる「ガイズ・アンド・ドールズ」出演で、彼はかなりの収入を得たのではないでしょうか。

  「危険な関係」の再演とツアーについて彼は言を濁していますが、今すぐに取りかかることはない、と言っているのであって、おそらくは「危険な関係」を含めた様々なプロジェクトの話が進んでいることは認めています。

  不確定なスケジュールについては、神経質なほど口が堅いのがクーパー君の特徴です。何も予定がない、ということはあるはずもなく、スケジュールが確定すればすぐに発表してくれるでしょう。特に「危険な関係」の再演とツアーは、かなり実現の可能性が高いような言い方をしています。

  まあ今はとりあえずゆっくり休んで下さい、とクーパー君に言いたいです。もっとも、彼はせっかちにもワーカホリックな性格を発揮して、休みが欲しいと言いながらも、またすぐに仕事がしたいようなことを言っていますが。

  最後に“Please”を2回も繰り返して、「カレンダーを買ってね」と言っています。ファンタスティックな写真だとはあんまり思いませんが、クーパー君にこれだけ懇願されるとなあ(笑)。

  少なくとも来年には、彼の言うとおり、どこかの劇場でアダム・クーパーのパフォーマンスが観られればいいですね。
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