ボーイト 『メフィストーフェレ』


  
Mefistofele
RCA
RCA


 (1995年3月、リッカルド・ムーティの指揮によって、30年ぶりにミラノ・スカラ座で復活上演された『メフィストーフェレ』ライヴ録音盤。日本語解説・歌詞対訳付きのものはもう廃盤みたいで、これは輸入盤。英語の解説と歌詞対訳は付いていると思います。この録音が個人的にはおすすめ。)
 

  つっても、どっかに観に行ったわけじゃありませんよ、もちろん。そんなおカネはなーい!

  今日、NBSからDMが来たんですが、「NBS News」に指揮者のダニエル・ハーディングのインタビューが載ってました。ところで、ダニエル・ハーディングって若いねえ。1975年生まれの37歳だとさ。この若さで、ミラノ・スカラ座で振ってんの?指揮者界のスーパー・エリート様ですな。  

  ま、それはともかく、ハーディングのインタビューに、ヴェルディの『ファルスタッフ』の台本は、「ボーイト」が作ったと書いてあったんです。

  「ボイート」って、オペラ『メフィストーフェレ』を作ったあのボーイト?と思って、手元にある『メフィストーフェレ』CDに付いてた解説を読んだら、やっぱりそうでした。(教訓:解説は面倒くさがらずにきちんと読みましょう。)

  アッリーゴ・ボーイト(Arrigo Boito、1842-1918)は「オペラ史上最優秀の台本作家」で(ハーディングも「ボーイトは、文学的な観点からいっても素晴らしい台本作家」と言っている)、また作曲家であると同時に、詩人、哲学者、劇評家、政治家でもあった「マルチ天才」だったんだそうです。てっきり不遇の一生を送った貧乏音楽家だろうと思ってたよ。

  ボーイトはかなり過激な人で、ジュゼッペ・ヴェルディ(1813-1901)が牽引していた当時のイタリア・オペラを痛烈に批判したため、ヴェルディとは不倶戴天の仲だったらしい。それが後年、ヴェルディの『シモン・ボッカネグラ』改訂版(1881年)の台本をボーイトが担当したことで両者は和解し、ボーイトはヴェルディの『オテロ』(1886年)、『ファルスタッフ』(1893年)の台本も執筆した。

  ボーイトの兄であるカミロ・ボーイトも建築家、美術評論家、小説家とこれまた多才な人で、ルキーノ・ヴィスコンティの映画『夏の嵐』(1954年)は、このカミロ・ボーイトの小説「官能」が原作だという。びっくり。

  そのカミロ・ボーイトも、ヴェルディが構想して設立した「音楽家たちの憩いの家」(老いた音楽家たちが余生を送るための施設。現在も存続している)の設計を担当し、ヴェルディとボーイト兄弟は良好な関係を終生保ち続けたようです。

  以上の出典は、上に挙げたミラノ・スカラ座復活上演ライヴ録音盤CDに付属していた、河合秀朋氏による日本語解説「作品について」(発売元:BMGビクター株式会社、製品番号:BVCC-1935-36、発売年:1996年7月)と、あとはウィキペディアです(いつもありがとう、ウィキペディア)。

  アッリーゴ・ボーイト『メフィストーフェレ』、原作はゲーテの『ファウスト』、台本はもちろんボーイト自身の執筆によります。プロローグ、第一~四幕、エピローグという構成ですが、上演時間は140分ほどですから、そんなに長くはありません。

  『ファウスト』をオペラ化したものというと、シャルル・グノーの『ファウスト』が最も有名だと思います。グノーの『ファウスト』にある「ワルプルギスの夜」は、バレエ公演で単独上演されることも多いです。

  ところが、私はグノーの『ファウスト』全曲を通しで聴いたことがありません。どうしても途中で飽きて挫折してしまうのです。

  一方、ボーイトの『メフィストーフェレ』は何回聴いても飽きません。しかし、『メフィストーフェレ』は、めったに全幕上演されなかったそうです。『メフィストーフェレ』が初演された(1868年)ミラノ・スカラ座でも、1964年以後、およそ30年にわたって上演されていませんでした。1995年、リッカルド・ムーティがミラノ・スカラ座で復活上演して、大成功をおさめてからようやく、世界各地で上演され始めた印象があります。

  今は全曲録音盤や全曲映像版が割と多く出ているようですね。あと、気が狂ったマルゲリータが歌うアリア「暗い海に」は、コンサートなどで歌われる機会が多いと思いますし、オペラ・アリア集の類にもよく収録されています。

  ボーイトの『メフィストーフェレ』のどこがそんなにいいのかというと、音楽がドラマティックでなじみやすいのはもちろんですが、私がいちばん気になるのは、題名からも分かるように、このオペラの主人公はファウストではなく、メフィストフェレスだという点です。

  録音盤を聴いても映像版を観ても、このオペラでのメフィストーフェレ(メフィストフェレス)の存在の比重は、ファウストよりはるかに大きいのが明白です。

  また変わっているのは、オペラの男性主人公には普通、テノールを充てることが多いと思うのですが、どーみても主人公であるメフィストーフェレがバス、どーみても脇役のファウストがテノールです。実は、ボーイトはファウスト役にバリトンを充てたかったのだそうです。しかし主要な役にテノールがいないと興行的に盛り上がらないため、仕方なくファウストをテノールとしたそうです(河合秀朋「作品について」)。

  あくまで私の勝手な印象ですが、『メフィストーフェレ』でのメフィストーフェレには、「排除された者」の哀しみと孤独を強く感じます。

  『メフィストーフェレ』の最後のシーンは、なおもファウストを誘惑しようとするメフィストーフェレ、メフィストーフェレの誘いに迷いながらも、生への歪んだ執着を捨て、神への信仰を取り戻して死を受け入れようとするファウスト、そうしたファウストの心に呼応して近づいてくる神の光と天使たち、三者のせめぎ合いが凄まじい緊張感をもって展開されます。

  そうした中で、メフィストーフェレがファウストを誘惑しながらも、徐々に追いつめられていく様子が、聴いているだけで分かります。 

  『ファルスタッフ』のボーイトの脚本について、ダニエル・ハーディングは「彼(ボーイト)が書いている言葉には全部ウラの意味があって」と述べています。『メフィストーフェレ』ではどうなのか分かりませんが、ファウストの魂を取り損ない、神との賭けに敗れたメフィストーフェレの最後のセリフは、なぜか非常に印象的です。


   神に選ばれた者どもが勝利する、
   だが見捨てられた罪人(つみびと)は口笛で呼んでいるんだ!

   神が勝利する、
   だが、罪人は口笛で呼んでいる!(小瀬村幸子訳)


  そして、メフィストーフェレは断末魔の呻き声を上げながら消えていきます。

  ボーイトは、なぜ『ファウスト』を原作とするオペラに『メフィストーフェレ』という題名を付け、主人公をファウストではなくメフィストフェレスにしたのか、それによって何を描きたかったのか、メフィストーフェレの最後のセリフは何を意味しているのか、これについては、CDの解説にも何も書いてありません。

  ボーイトが優秀な台本作家であり、言葉には全部ウラの意味があるとすれば、『メフィストーフェレ』はいったい何を言わんとする作品だったのでしょう?私はぜひそれを知りたいのです。

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「バレエの神髄」2013(7月14日)-3


 第2部(続き)


 「ボレロ」(音楽:モーリス・ラヴェル、振付:ニコライ・アンドロソフ)

   ファルフ・ルジマトフ

   キエフ・バレエ

  2011年7月「バレエの神髄」での初演時には、この「ボレロ」はルジマトフによるソロ作品として上演されました。今回は女性群舞6人が加わっていました。

  個人的には、この作品はやはり当初の形どおり、ルジマトフのソロ作品として上演するほうがよいと思います。理由は二つです。

  一つには、女性群舞の配置(ルジマトフを中心に円陣を組んでいる)と振付が、モーリス・ベジャール版「ボレロ」の男性群舞に似ていること、二つには、ルジマトフと女性群舞たちの力量差が大きすぎて、ルジマトフの踊りの見事さが、女性群舞の踊りのつたなさのせいで見た目に半減してしまうことです。

  一昨年の「バレエの神髄」でこの「ボレロ」が上演されたとき、観ているこちらのほうは精神状態がいつもと違いました。それはおそらくルジマトフも同じだったと思います。ルジマトフの全身には強いパワーがみなぎり、ルジマトフが激しく動くたびに、その身体から汗がいくつもの線を描いて鋭く飛び散っていました。

  言葉によらない、しかし言葉以上に力強いメッセージとパワーとを、観客に激しくぶつけてくるかのような踊りでした。

  それに対して、今回の「ボレロ」は、あくまで一作品としての枠内にとどまったすばらしい踊りだったと思います。正直、物足りなさも感じましたが、一昨年はなにせ公演が行われた状況そのものが尋常ではありませんでしたから、今回のほうがよいのかもしれません。

  ただ、やはりソロに戻してほしいと思います。なるべく女性群舞は見ないようにしたものの、どうしても視界に入ってきてしまいます。結果、気が散ってルジマトフの踊りにあまり集中できませんでした。

  ルジマトフは上半身が裸で、スカートのような黒い幅広の丈長ズボンを穿いていました。初演時とほぼ同じ衣装です。ただ、ルジマトフの裸の上半身を見て、今回はその身体に大きな衝撃を受けました。一昨年から変わってないどころか、逆により筋肉質になって引き締まっていたのです。

  ルジマトフが両腕を上げるたびに、その脇の下に水かき状の筋肉が見えましたが、あれは何ていう名称の筋肉なんでしょうか?他の男性ダンサーたちには見たことがありません。ルジマトフの身体、とりわけ上半身は非常に特徴的で、たとえ顔を隠したとしても、上半身の体つきでルジマトフだとすぐに分かるはずです。

  胸板が上よりで短く、その下はすぐに肋骨と筋肉だけの胴体です。それにあの長い腕。胸板から二の腕にかけては、連続した筋肉の線でつながっています。そして、今回はじめて気づいた、背筋から二の腕にかけての、やはり連続した線でつながっている不思議な筋肉。

  踊りがヒート・アップしていくと、ルジマトフの胸板が徐々に赤く染まっていきます。しかし、ルジマトフの表情はあくまで静かです。それを見ると、この人はなんと誠実で真摯で、そしてなんと厳しく激しい人なのだろう、と、もはや「すばらしかったです」などといった表現では物足りない思いになります。

  ファルフ・ルジマトフは、心から信頼できる、そして尊敬できる偉大なダンサーです。


 第3部


 『シェヘラザード』全一幕(音楽:ニコライ・リムスキー=コルサコフ、振付:ミハイル・フォーキン)

   ゾベイダ:エレーナ・フィリピエワ

   金の奴隷:ファルフ・ルジマトフ

   キエフ・バレエ

  シャリアール王、王の弟、宦官、3人の女奴隷、4人の男奴隷などのキャストを書けなくてすみません。再度申し上げますが、今回はプログラムを買わなかったせいです。プログラム代は、会場のラウンジに出ていたロシア雑貨店の出店で使っちゃいました(だってかわいい品ばかりだったんだもん)。

  『シェヘラザード』はもう4、5回か5、6回は観ていると思います。うち、金の奴隷は1回がダニーラ・コルスンツェフ(マリインスキー劇場バレエ)、あとはすべてファルフ・ルジマトフ、

  ゾベイダ役はユリア・マハリナ(マリインスキー劇場バレエ)、スヴェトラーナ・ザハロワ(ボリショイ・バレエ、ただし当時はまだマリインスキーの所属だったかも)、ウリヤーナ・ロパートキナ(マリインスキー劇場バレエ)、そしてエレーナ・フィリピエワ(キエフ・バレエ)です。

  すべての回を、みなすばらしいキャストで観させてもらったと思います。が、金の奴隷といえば、もはやファルフ・ルジマトフしか受け入れられず、ゾベイダで今でも印象に残っているのは、ユリア・マハリナ、そして今回もゾベイダを踊ったエレーナ・フィリピエワのみです。

  今回の感想は、恥を捨てて言いますと、性的な興奮すら覚えてしまったほど官能的な舞台でした。

  フィリピエワのゾベイダは、作品の登場人物というよりも、生身の女として舞台の上にいました。バレエの登場人物に対してこういう感覚を抱くことは、私の場合めったにないのですが。

  ゾベイダがハレムの奥深くに閉じ込められ、王の寵姫という名のもとに飼い殺しにされて、爆発寸前の閉塞感とひどい孤独感を抱えていること、そんな生活の中での唯一の救いとして、ゾベイダが金の奴隷に対して、狂気にも似た激しい恋情をぶつけていることが、痛いくらいに伝わってきました。もちろん、これらの背景は、知識として分かってはいましたが、感覚として実感したのははじめてです。

  フィリピエワのゾベイダが宦官から鍵を奪い取り、後宮の扉を開けようとして、脇目も振らずに鉄の格子戸に駆け寄ります。もうこの時点で、ゾベイダが金の奴隷を求める気持ちがビンビンに伝わってきて凄かったです。求める、なんてもんじゃなく、渇望する、といったほうがいいかもしれない。

  そして、鉄の扉の奥から勢いよく走り出てきた、ルジマトフの金の奴隷。いつ見ても不思議で不思議で仕方がない。ルジマトフはなぜ、舞台では、特にこの金の奴隷役のときには、こんなに大きく、たくましく変貌するのか?とにかく大きい。背丈も、体つきも一回りも二回りも大きくなるのです。「ボレロ」を踊ったときよりも大きかったです。なにより、普段の中性的な、神秘的な雰囲気が消えて、非常にオスくさい男になります。

  こんなルジマトフを見ると、ゾベイダが金の奴隷をむさぼるように愛するのも当たり前だ、と思うわけです。私はよくふざけて、男性ダンサーについて「セクシー」という言葉を使いますが、ルジマトフに限っては冗談抜きです。本当にセクシーで官能的。バレエ界における「抱かれたい男 No.1」といえます(やっぱり生々しさを避けるためにふざけておきますw)。

  フィリピエワとルジマトフが踊る、ゾベイダと金の奴隷とが愛し合う様を、振付者のミハイル・フォーキンが見れば、さぞ驚くことだろうと思います。初演からおよそ100年も経過した現在、元来の(おそらく)通俗的なエキゾチシズムを凌駕した、生身の男女の性愛、つまり生き生きとした人間らしさを込めて踊られるとは、フォーキンも予測していなかったでしょう。

  公演前はアルベルト・アロンソ版『カルメン』のほうがよかったのに、などと思いましたが、いざ『シェヘラザード』を観たら、そんな思いはどっかに吹っ飛んでしまいました(笑)。

  狂宴が最高潮に達したシーン、ルジマトフが踊り狂う群舞の中心で、豪快なピルエットを連続で回り続けます。このピルエットについては、確か数年前、ルジマトフが40代半ばにさしかかったころにはやらなかった覚えがあります。それが、前々回の「バレエの神髄」の『シェヘラザード』で復活し、今回の『シェヘラザード』でも回り切りました。

  この人はどこまで人間を超越しているのか、と思いました。

  カーテン・コールでは、ファンの方々による毎回恒例の花束贈呈が行われました。この花束贈呈は、素のルジマトフをほんのちょっとだけ垣間見られる貴重な瞬間です。キエフ・バレエの面々、エレーナ・エフセーエワ、吉田都さん、岩田守弘さんももう慣れっこになったようで、ニコニコほほ笑みながら、また面白そうな笑顔を浮かべながら見守っていました。

  ルジマトフが日本に来てくれるのは、こうしたファンの方々がいてこそでしょう。ルジマトフに対してはもちろん、ルジマトフのファンの方々にも、心からありがとうと言いたいです。

  
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今日はアダム・クーパーの誕生日です


  昨夜、なぜかふと思い立って、ウィリアム・タケット版『兵士の物語』の映像を観たんですね。

  ああ、アダム、懐かしいなあ、今ごろは家族とゆっくり休暇を過ごしているんだろうな、と思いました。

  このとき、はたと気づいた。明日(7月22日)って、アダムの誕生日じゃん!やば、また忘れるところだった(←去年はすっかり忘れていた。薄情)。

  というわけで、アダム・クーパーさま、42歳のお誕生日、おめでとうございます。今日は家族みんなでお祝いだね。

  去年の今ごろは、『雨に唄えば』の出演で、誕生日どころではなかったでしょう。

  1年4か月に及んだ『雨に唄えば』の公演期間中、アダムは結局、あらかじめ決められていた休暇の日以外は、ほとんど毎回出演だったそうです。その驚くべき強靭な体力と、何よりも舞台に対する強い責任感と愛情には脱帽します。

  正直なところ、今の私は10年前ほどには、アダム・クーパーに粘着しているわけではないです。でも、彼が出演する舞台があればきっと観に行くでしょうね。毎日アダムのことを考えてはいないけど、でも舞台には必ず行きます。

  向こうはイギリスのスター・ダンサー/パフォーマー、こちらは日本の一般人、国も立場も大きく違いますが、この10年間、それぞれ頑張って生きてきたよね、と私は勝手にアダムのことを戦友のように思い込んでおります。

  いつかはアダム・クーパーも表舞台に姿を現さなくなるときが来るでしょう。その日まで、これからも気長に彼のキャリアを見ていこうと思います。

  
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「バレエの神髄」2013(7月14日)-2


 第2部


 『ロミオとジュリエット』よりバルコニーのパ・ド・ドゥ(音楽:セルゲイ・プロコフィエフ、振付:A.シェケロ)

   カテリーナ・クーハリ、オレクサンドル・ストヤノフ

  今回はプログラムを買わなかったので、このシェケロ版の詳細がまったく分かりません。ごめんなさい。でも、たぶん最近作られたヴァージョンでしょう?

  隅々までまんべんなく踊りを詰め込んでいたので、おそらくロシア系の振付だと思います。しかし、西欧系の『ロミオとジュリエット』(ジョン・クランコ、ケネス・マクミラン、ジョン・ノイマイヤーなど)に、かなり影響を受けているらしく思えました。テクニック披露重視の振付ではなく、人物の感情表現を重視する振付です。ただ、半端な出来でまとまりというか一貫性がなく、振付にはそんなに強い印象は受けませんでした。

  でも、演技でキャラクターの性格や心情を表現する面が強く、それには新鮮なものがありました。最も印象に残ったのは、バルコニーにたたずむジュリエットと見つめあっていたロミオが、ふとジュリエットに背を向けて、両膝を抱えて座り込み、膝の間に顔を埋めてしまう仕草でした。

  好きな少女の家の庭に思い切って忍び込んでみたものの、いざ当の彼女を目の前にしたら、急に恥ずかしくなって照れてしまったといった様子でした。シャイなごく普通の少年ロミオ。これはかわいかった(笑)。


 「ナヤン・ナヴァー」(音楽:V.ジャルサーノフ、振付:P.バザロン)

   岩田守弘(ロシア国立ブリャート・バレエ芸術監督)

  音楽はやはり中央アジアとか中近東とかの民族音楽っぽいものでした。申し訳ありません、この作品、どんな振付だったかだけでなく、岩田さんの踊りがどうだったか、そもそも岩田さんがどんな衣装だったかすらも、まったく覚えていません。なぜだ?ちゃんと観ていたはずですが。本当にごめんなさい。

  でも、まったく記憶に残っていないということは、その程度の作品だったということだと思います。2010年の「バレエの神髄」で岩田さんが踊った「侍」(振付:ミハイル・ラヴロフスキー、音楽:鼓童)のほうが、まだ記憶に残ってます。


 『白鳥の湖』よりロシアの踊り(音楽:ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー、振付:マリウス・プティパ、レフ・イワーノフ、改訂演出:ウラジーミル・ワシーリエフ)

   エレーナ・エフセーエワ

  これは初めて観ました。You Tubeで探したら、アナスタシア・ヴォルチコワ(元ボリショイ・バレエ)が踊っている映像(→ ここ )がありました。…別に、太っているとは思えないけどなあ。体重の件は、ヴォルチコワを解雇するために、ボリショイ側が無理やり作った理由だったんじゃないの?

  それはさておき、このワシーリエフ版の「ロシアの踊り」は、従来の大きな髪飾り、長いスカートの民族衣装風ドレス、スカーフを手に持って踊るのではなく、髪飾りはティアラ並みに小さく、衣裳は純白の短いチュチュになり、白い薄いレースのショールを羽織る、といったふうに、出で立ちからして大きく変更されています。

  「改訂演出」とありますが、振付も改訂されています。従来の振付を全体的には残していますが、民族舞踊色が薄れて、クラシックの難度の高い技が多く取り入れられています。特に回転が多いです。

  ワシーリエフの振付って、ワシーリエフ自身とエカテリーナ・マクシーモワのレベルに合わせて作ってあることが多い気がする。つまり、鬼難しい

  エフセーエワはすばらしかったと思います。なにせ、このヴァージョンは初めて観たからよく分かりませんが(比較対照できる同じ踊りを観ないと分からない)。後ろに曲げた脚の爪先で床を打って音を出すのも、気持ち良く決まってました。

  あと、エフセーエワは、この公演では身長と体型で他の大部分のバレリーナたちに勝ること、華があること、雰囲気を作るのがうまいことはやはり否めません。音楽に合わせて最後のポーズもばっちり決め、客席はかなり盛り上がりました。  


 『ラ・シルフィード』よりシルフとジェームズのパ・ド・ドゥ(音楽:ヘルマン・レーヴェンショルド、振付:オーギュスト・ブルノンヴィル)

   吉田 都、セルギイ・シドルスキー

  吉田さんは無邪気で何も考えてないシルフを好演してました。前に見ていて羨ましいと思った、ジェームズが婚約者にしていた愛の告白や誓いのポーズを、ジェームズにくり返させて単純に喜び、シルフ基準で人間ジェームズを喜ばせようとする(泉の水を飲ませるなど)。表情やマイムの手つきの繊細さはさすがです。

  シドルスキーもよかったですが、今日はちょっと不調だったのかな?長身で脚がすごく長いから仕方ないのかもしれませんが、ジャンプが大ぶり過ぎ、細かい足さばきもやや粗くて、全体的にどたどたした感じがしました。

  (その3に続きます。)

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ベット・アット・ホーム・オープン ロジャー・フェデラー総括


 2回戦 対ダニエル・ブランズ(ドイツ)

   3-6、6-3、6-2

  はじめに、大会の主要スポンサーらしい"bet at home"って何の会社?と不思議だった。ドイツだからDIYの大型チェーン店とかかと思ったのだけど、調べたらなんとスポーツ賭けの会社らしい。へえ、こういう会社が大会のスポンサーになってもいいのか。

  日本では、競馬、競輪、競艇、サッカーくじの存在くらいしか私は知らん。向こうでは、あらゆるスポーツを賭けの対象にしても合法なのね。

  この試合は楽しみだった。フェデラーが今まで使用していた小型のラケットを大型のラケットに変更した後の、事実上の第1戦だから。フェデラーのラケット変更は、個人の方のテニス専門ブログで知った。 tennis365.net にも取り上げられている。で、びっくりしたのが、他のトップ選手たちは、もうほとんどが大型のラケットを使っているということだった。

  アンディ・マレーは98平方インチ、ノヴァク・ジョコヴィッチ、ラファエル・ナダルに至ってはなんと100平方インチだという。その中で、フェデラーは今までずっと小型の90平方インチのラケットを使ってきたが、この試合から98平方インチのラケットを使用することにしたという。

  ラケットの大きさなんて私は門外漢だから全然知らない。でも、フェデラーが小型のラケットを用いた片手打ちで、大型のラケットを用いた両手打ちの他のトップ選手たちと、これまでずっと互角に戦い続けてきたのは驚異的なことだってことくらいは分かる。

  とんねるずの「スポーツ王は俺だ!」のお約束ギャグで、木梨が特注の超大型ラケット(フェデラーが用いているのと同じウィルソン社製w)を途中から必ず持ち出してくる。あれはあながち冗談だけではないわけだ。

  第1セット、フェデラーは明らかに戸惑って緊張しており、おっかなびっくりボールを打っているのが分かった。ブランズも積極的にネットに出て良いプレーをしていた。それで第1セットを取られてしまった。

  フェデラーのラケット変更の件を知らなければ、フェデラー、いったいどうした!?と心配しただろうが、幸いにもラケットのことを知っていたので、そんなに驚きはしなかった。フェデラーは使い慣れないラケットでさぞ苦しいだろう、でも、ここは我慢して、1ポイント1ポイントを地道に乗り切っていくしかないんだろうな、と思いながら観ていた。

  第2セットに入ると、フェデラーは徐々に慣れてきたようだった。第1セットではブランズに主導権を握られていた感があったけど、第2セットではフェデラーが多彩な技を見せ始めた。ブランズは振り回されてポイントを取られた末に、ラケットを地面について支えにしながら、肩を上下させて大きく息をしていた。

  終盤になって、ウィナーを決めたフェデラーから例の「カモーン!」が出た。しかし、声音がいつもと違う気がした。自分を元気づけるための少し無理した「カモーン!」ではなく、「よっしゃ、つかんだ!」的な、心の底から振り絞るかのような声の「カモーン!」だった。

  第3セットではブランズのサービス・ゲームを次々とブレークしていった。ブランズはしぶとい良い選手だけど、もしフェデラーが以前の小さなラケットを使っていたならば、もっとたやすくブランズを破ることができたのではないかと思った。でも、長い目で見れば、新しい大きなラケットを使って、苦戦して勝ったほうがよかったのだ。

  ヘンな言い方だけど、「産みの苦しみ」だよ。がんばれ!


 3回戦 対ヤン・ハイェク(チェコ)

   6-4、6-3

  このハイェクってのが、またしぶといしぶとい!とにかくタフ!どんなボールでも追いつく!食らいつく!拾いまくる!声がうるさい!まだ29歳なのに見た目が超オヤジ!スコアこそフェデラーのストレート勝ちですが、試合時間は1時間10分ほどもかかりました。

  またフェデラーがね、何度もチャンス(ブレーク・ポイント、セット・ポイント、マッチ・ポイント)を握りながらも、なかなか決めきれないのよ。ファースト・サーブは入らないし、凡ミスは量産するし。

  …と観ているこっちはハラハラ(最後にはイライラ)しどおしでした。でも、昨日の試合では、フェデラーはミスをしても声をまったく上げなかったのに対して、今日はドイツ語で叫ぶことが多かったです。それで、「あら、昨日と違って、自分のミスに苛立つ余裕が出てきたのねえ」となぜかホッとしました。

  ちょっと不思議なんだけど、2回戦の対戦相手のダニエル・ブランズといい、この3回戦の相手のヤン・ハイェクといい、彼らはフェデラーが今までにほとんど対戦したことがない選手。ブランズもハイェクもランキングは140~50位だといっても、新人という年齢でもなく(ブランズ26歳、ハイェク29歳)、キャリアも長い。それなのに、なぜ今までフェデラーと対戦したことがないのだろう?

  なんでも、クレー・コートでの試合を得意とし、クレーの大会にしか出場しない、「クレー・コーター」と呼ばれる一群の選手たちがいると聞いたけど、ブランズやハイェクはそのクレー・コーターという部類の選手なのかな?

  いくらフェデラーが今季は絶賛大不調中で、今大会から新しいラケットを使用し始めてまだ2戦目だといっても、ブランズもハイェクも良いプレーをしていたのは間違いないと思うんだけどなあ。なんでこういう選手たちがあまり上に出てこないのか。

  ま、とにかく勝ってよかった。今はあっさり勝つよりも、こうやってしぶとい相手とタフな試合をして、実戦の中でなるべく多くボールを打つことで、新しいラケットに慣れていったほうがいい段階だと思うよん。でも、自分のミスに怒る余裕が出てきたのはいいことだけど、あまりに怒りすぎて我を失わないでね。我慢我慢。今は忍耐の時だぞ。


 準々決勝 対 フロリアン・マイヤー(ドイツ)

   7-6(4), 3-6, 7-5

  観ないで寝ちゃった。フェデラーは第4試合で、日本時間20日午前12時半(現地時間19日午後5時半)から開始予定だったのが、時間になってもまだ第2試合のフェルナンド・ベルダスコとフェデリコ・デルボニスとの試合をやってて、それが午前1時近くにやっと終了。これからまだ第3試合のトミー・ハース対ファビオ・フォニーニ戦がある。

  この大会はクレー・コートなので、ただでさえ試合時間が長くなってしまいがち。フェデラーの試合は観たいけど、もうこれはいつ始まるか読めない。早くても午前2時半以降になるなあ、だみだ、眠い、寝よう、とあきらめました。

  朝起きてスコア見たら、すごい接戦じゃん!今回もタフな試合になったのね~。マイヤーも強かったんだろう。フェデラーがウィンブルドン選手権でセルギイ・スタコフスキーに負けて以来、「今のフェデラーになら、ひょっとしてオレも勝てるかも」と強気になった選手が増えたと思う。

  逆にフェデラーは、まだ自信を取り戻せないでいるんだろうね。もちろん、フェデラーがまだ新しいラケットと悪戦苦闘してるせいもあるでしょうが。

  ほんと、産みの苦しみ。辛いだろうけど、今は1試合1試合ではなく、1ポイント1ポイントを耐えて、乗り越えていくしかない段階です。辛さと苦しみを少しずつ克服していくうちに、必ず少しずつ強さを取り戻していけるよ。がんばれ。


 準決勝 対 フェデリコ・デルボニス(アルゼンチン)

    6-7(7), 6-7(4)

  またまたタフな試合でした。デルボニスってのは若いけど非常に良い選手です。ただ、「一発屋」で終わるか、それともイェジィ・ヤノヴィッツのようにどんどん伸びていくかは、これからを見てみないとまだ分からない。

  僭越ながら、フェデラーの今の課題は、新しいラケットに慣れること以上に、チャンスを握ったら必ず決めること、だと思います。これは完全に精神面の問題。今回の試合も、第1セット序盤で、まだ緊張して硬かったデルボニスのサービス・ゲームをせっかくブレークしたのに、すぐにブレークし返されてしまった。それでデルボニスが調子を上げていくことにつながってしまいました。

  男子の場合、いくら下位の選手でも、波に乗り出したら手がつけられません。まして若い選手は怖いもの知らずなんだから。みすみすチャンスを逃して相手を波に乗らせてしまう、最近のフェデラーの負けパターンです。今回もそうでした。

  これでフェデラーの不調にいよいよ拍車がかかるかどうかはフェデラー次第。今回の大会に急遽出場することを決めたのはフェデラー自身ですから、ランキング100位台の若い選手に初対戦で負けた、というこの結果をどう受けとめるかもまた、フェデラー自身が選ぶことです。

  フェデラーは今、突破口を開くために苦しんでいる状態でしょう。見ていて私も苦しいです。でも、今はひたすら耐えるしかない時期なんだよね。大丈夫。底をついたら、あとは上がっていくものだから。苦しいばかりと感じていても、自分でも気がつかないうちに、物事はだんだん良くなっていくんだよ。(勝手ながら)私も一緒にがんばるよ。

  しかしまー、フェデラーのファンになると本当に心が鍛えられるよな(笑)。

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「バレエの神髄」2013(7月14日)-1


 「バレエの神髄」2013(於文京シビック・ホール)


  2011年7月以来2年ぶりということで、今回の公演、


    帝王再臨


  という光藍社史上最強のキャッチコピーに圧倒されたのは私だけではないはずである。

  しかし、それもむべなるかな、と思い知らされたファルフ・ルジマトフの偉大さよ。ルジマトフの踊りや表現がすばらしかったのはもちろん、50歳という年齢を超越した、もはや荘厳ささえ感じさせるほどの完璧な美しい肉体を見ただけで、ただただ畏敬の念に打たれるばかり。


 第1部


 『パキータ』よりグラン・パ(音楽:レオン・ミンクス、振付:マリウス・プティパ)

   カテリーナ・クーハリ、オレクサンドル・ストヤノフ(キエフ・バレエ)

   キエフ・バレエ

  『ライモンダ』のグラン・パは割と上演される機会が多いですが、『パキータ』のグラン・パは少ない気がするし、私は『パキータ』のほうが好きなので嬉しかったです。

  女性コール・ドは鮮やかな赤いチュチュでした。カテリーナ・クーハリ、オレクサンドル・ストヤノフは純白の衣裳。

  『パキータ』のグラン・パについてはずっと疑問がありました。女性ダンサーによって踊られる5つのヴァリエーションのうち、どれが主人公パキータの踊りなのかということです。以前に小林紀子バレエ・シアターが上演したものでは、第4ヴァリエーションがパキータの踊りでした。しかし、第4ヴァリエーションではなく、最後の第5ヴァリエーションだとも聞いていました。

  クーハリが踊ったのは第5ヴァリエーションでした。よって、通常は第5ヴァリエーションをパキータ役のダンサーが踊るとみていいようです。

  コーダでさっそく本日の公演1回目の32回転。ロシア系のバレリーナって、軽々とこなしちゃうんだもんなー。

  この前日に観た英国ロイヤル・バレエ団日本公演『白鳥の湖』で、オディール役のサラ・ラムが、32回転の最後でスタミナ切れして体勢を崩しかけました。それを見て取ったジークフリート王子役のカルロス・アコスタが、とっさにすごいピルエットをして観客の注意をラムから逸らしたことを思い出しました。

  装置と衣裳はロイヤルのほうが圧倒的におカネかけてるけど、こっちはダンサーの体一つあれば済むんだもんね。


 「帰還」(音楽:ウクライナの民族音楽、振付:V.ロマノフスキー)

   ファルフ・ルジマトフ

  出ました御大!吹雪のような寒々しい音が流れたあとに、歌付きの音楽が始まります。ルジマトフは暗い色の長いコートで身体をすっぽりと覆って登場しました。寒そうに肩をすくめています。

  ルジマトフはそれからコートを脱いで、ゆっくりと踊り始めました。上半身は裸で、黒いズボンを穿いています。ルジマトフによると、この作品は「少し哲学的で兵士の帰還を表現しています」とのこと。

  兵士の帰還にしては、生きて帰ってきた喜びではなく、逆に寂寥とした雰囲気に満ちていました。最後にルジマトフが、床に脱ぎ捨ててあったコートを、まるで人を抱きかかえるかのように持ちました。ひょっとしたら、この兵士は死んで帰ってきたのかな。あるいは、戦友の死をたくさん抱えて帰ってきたのかも。


 『海賊』よりメドーラとアリのパ・ド・ドゥ(音楽・リッカルド・ドリゴ、振付:マリウス・プティパ、V.チェブキアーニ)

   エリザヴェータ・チェプラソワ、若いピチピチ男子(キエフ・バレエ)

  アリ、メドーラのヴァリエーションは省略された短縮版。このパ・ド・ドゥを踊るはずだった岩田守弘さんは、前日の公演で脚を痛めてしまったため、急遽この若いピチピチ男子に変更になったようです。

  「若いピチピチ男子」って、すみません。変更されたキャスト名をメモるのを忘れてしまったのです。黒髪の坊やだったなあ。踊りは少し不安定でパワーに欠けました。急に踊ることになって、練習が間に合わなかったためでしょう。

  コーダでチェプラソワが本日の公演2回目の32回転。本当にみんな軽々とこなすねえ。姿勢の美しさや定位置を保っているかといった点で違いはあっても、途中で失敗するとか、最後でパワーが落ちるとかは絶対にないんだよね、ロシア系のバレリーナって。


 「瀕死の白鳥」(音楽:カミーユ・サン=サーンス、振付:ミハイル・フォーキン)

   エレーナ・フィリピエワ(キエフ・バレエ)

  両腕の動きがとても美しかったです。骨がないみたいに細かに波打ちます。激しさはなく、静かに従容として死を受け入れる白鳥といった感じでした。


 『ドン・キホーテ』よりグラン・パ・ド・ドゥ(音楽:レオン・ミンクス、振付:マリウス・プティパ)

   エレーナ・エフセーエワ(マリインスキー劇場バレエ)、セルギイ・シドルスキー(キエフ・バレエ)

  エフセーエワが出てきた途端、エフセーエワが長身で手足が長いことにびっくり。といっても、エフセーエワはマリインスキー劇場バレエの中で踊ると、むしろ小柄で普通の体型に見えます。本筋から外れますが、マリインスキー劇場バレエのバレリーナたちが、どんなに身長と体型とに恵まれているかということを、今さらながらに痛感。

  去年のマリインスキー劇場バレエ日本公演でもエフセーエワを観ましたが、エフセーエワ、本当に大人の女性になっちゃって。レニングラード国立バレエ(ミハイロフスキー劇場バレエ)時代は少女っぽい天真爛漫さがありましたが、今は艶やかで色っぽいです。

  いきなり余談。ミハイロフスキー劇場バレエに移籍した、元ボリショイ・バレエのナターリャ・オシポワは、来シーズンから英国ロイヤル・バレエ団に移籍するんだってね(それともゲスト・プリンシパル?)。相方のイワン・ワシーリエフはどうするんだろ?ロイヤルのレパートリーと熱烈募集中の人材(←長身王子)からすると、ワシーリエフでは難しいかなあ。

  エフセーエワは、去年観た『ラ・バヤデール』のガムザッティみたいなキャラで、キトリを踊っていました。やっぱり舞台映えがするというか、華があるよね、エフセーエワは。大きく見えるのはそのせいもあると思います。踊りにも自信がみなぎっています(みなぎらせようと頑張っていたともいう)。

  セルギイ・シドルスキーも相変わらず長身でカッコいい。でも、シドルスキーは、バジルよりも王子のほうが似合うと思います。雰囲気も踊りも上品だから。この踊りでも、あくまで羽目を外さない、節度を保ったバジルでした。

  で、コーダで本日の公演3回目の32回転。エフセーエワは頑張ってくれて、2回転を入れてました。最後で音楽に合わなくなってきたので、1回転のみになってたと思います。キャラ作ってる感とマリインスキーのダンサーとしての誇りで力んでる感が強かったですが、一生懸命なのが分かるので憎めません。むしろあまりな健気さに、応援してしまいます。

  (その2に続く~。)

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英国ロイヤル・バレエ団 『白鳥の湖』(7月13日夜)


  これまたとても楽しかったです!

  なにせロイヤル・バレエだから、プティパは散々な出来になるんじゃないかと思ってました(ごめん)。でも、ロイヤル・バレエならではの良さがすごく出ていました。

  まず今はほぼロイヤル・バレエの『白鳥の湖』にしか残っていないクラシック・マイム、白鳥たちの長いチュチュ、それに王子と友人たちのあのカッコいい藍色の軍服を生で見られて感動です。

  装置と衣装は、私が今まで観てきた『白鳥の湖』の中で、間違いなく最もおカネをかけているであろう超ゴージャスさ。重厚感が漂うばかりでなく、美しくて洗練されています。

  振付と音楽のほうは、マリウス・プティパ=レフ・イワーノフ版を復元したというだけあって、マリインスキー劇場バレエが上演しているコンスタンティン・セルゲーエフ版と重なる部分が多かったです(特に終幕)。

  マリインスキー劇場バレエが上演しているセルゲーエフ版と、英国ロイヤル・バレエ団が上演しているこのアンソニー・ダウエル版は、ともに後世に残すべき『白鳥の湖』だと思います。プティパ=レフ・イワーノフ版『白鳥の湖』の東西それぞれの子孫代表として。

  イギリス系の『白鳥の湖』から枝分かれしたテリー・ウエストモーランド版やデレク・ディーン版は、半ばロシア系『白鳥の湖』に回帰しているため、逆に独自性の希薄な、無難な作品になってしまったのではないかと感じました。

  一方、アンソニー・ダウエルの演出はすばらしいと思います。ロイヤル・バレエの長所を生かした、極めて演劇的な演出でした。娯楽性が強く、そのぶん観ていて飽きることがありません。民族舞踊も楽しかったです。しかし、これでもマシュー・ボーンは退屈だと感じていたそうな。

  ちなみに演奏のテンポは時としてすごく遅かったです。特に第二幕のグラン・アダージョ、オデットのヴァリエーション、コーダでのオデットのソロ。テンポに関してはマシュー・ボーンの感じ方に同意です。でも、ゆっくりめな動きの踊りに合わせているためなので、踊りを見ていれば耐えられないほどではありませんでした。

  第三幕の王女たちの踊りでは、王女さま方が玉の輿をゲットしようという野心むき出しに、互いを押しのけあって踊る有様(笑)。特にエマ・マグワイア(たぶん)の王女がミエミエな上昇志向丸出しで最高でした。

  ダウエルの演出の特徴は、古くても時代を超える良いものは残し、時代遅れなものは改変してある点です。そして、観客を「芸術鑑賞耐久レース」に参加させるのではなく、観客が無理なく楽しめるようにアレンジしています。

  ダウエル版『眠れる森の美女』でも感じたことですが、ロイヤル・バレエの伝統を死守しようとする保守派代表のようにみえたダウエルは、実は斬新な演出や改訂振付に積極的に挑んだ人だったのではないかと。

  デヴィッド・ビントリー振付による第一幕のワルツも、今まで観た中でいちばん見ごたえがあったし、フレデリック・アシュトン振付によるナポリの踊りは、バランシンの「タランテラ」みたいに小気味良い動きの踊りで(衣装も似てる)、見ていて楽しかったです。そのナポリの踊りを踊ったのは、なんとラウラ・モレーラとリカルド・セルヴェラでした。二人とも軽快でこなれた動きですばらしかったです。

  オデット/オディールのサラ・ラムは手足が長く、とりわけ脚がものすごく長いのには驚きました。ほっそりした華奢な体型と手足の長さは、オデットにぴったりです。また、ロイヤル・バレエ独特のシャープな動きと直線的な姿勢で踊っていました。

  テクニックではロシアや東欧のバレリーナたちには到底かないませんが、オデットでもオディールでも、ラムは非常に魅力的で強く印象に残る雰囲気を醸し出していました。オデットのほうが特に良かったです。

  ラムの音楽への合わせ方もいいですね。音楽に遅れているように見えて、最後にはなぜか無理なく追いついてしまいます。このへんもさすがはロイヤル・バレエのダンサーです。

  ジークフリート王子のカルロス・アコスタは、やっぱり動きが他の男性ダンサーたちとは全然違います。まったく力まず、無理なく、構えなし、助走なしでふわっと柔らかく跳びます。回転もゆっくりで優雅。過剰に凄い技はやらないところがさすがです。この余裕こそが、第一幕のパ・ド・トロワで、「オレの凄いジャンプを見てくれ」といわんばかりに、180度開脚しまくってたヴァレンティノ・ズケッティとは違うところです。

  アコスタのパートナリングも良く、特にろくろ回しがすごかったです。ラムがいつまでも回ってました。ラムと組んで踊るときの姿勢もきれいで、二人のポーズが対で様になっていました。

  アコスタはあくまでサラ・ラムを目立たせることを第一にして、自分は極力控え目にしていました。だから、第一幕でのソロと第三幕の黒鳥のパ・ド・ドゥのヴァリエーションまでは、アコスタがさほどすごいダンサーだとは思えません。

  ところが、黒鳥のパ・ド・ドゥのコーダ、ラムがグラン・フェッテを終える寸前、アコスタはそれに紛れて、舞台の隅っこで何気に物凄い爆速ピルエットをやりました。あんな速いピルエットは初めて見ました。驚愕した瞬間にはもう終わってました。

  アコスタが凄技をやってることに気づいた観客が驚いた声を上げ、あわてて喝采を送りましたが間に合いませんでした。グラン・フェッテを終えたサラ・ラムが、舞台の前に出てきて観客の拍手と喝采に応えてお辞儀している間、アコスタは何もなかったかのように、ずっと後ろに下がって立って待っていました。ああ、アコスタのあのすげえピルエット、もっと観たかった!まさしく、能ある鷹は爪を隠す。

  ロイヤル・バレエ独特の魅力に溢れた『白鳥の湖』で、意外なほどに楽しむことができて大満足です~。


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コジョカルとコボーも降板


  現在開催中の英国ロイヤル・バレエ団日本公演。しかし昨日(10日)の午前、事態が急変。アリーナ・コジョカルとヨハン・コボーがともに『白鳥の湖』を降板するというニュースが、NBSの公式サイト に掲載されました。

  NBSの公式サイトによると、「コジョカルは今年の春に左足の甲を、またコボーは1月に腰を痛め、それぞれ治療に努めて」いたものの、「昨日(注:9日)のリハーサル終了後、〈ロイヤル・ガラ〉の小品は踊ることができるものの、身体的負担の大きい全幕作品である『白鳥の湖』を踊れる状態までには回復しておらず、『白鳥の湖』への出演を断念せざるを得ないという結論に至りました」とのこと。ちなみにコジョカルとコボーは5日に来日していたそうです。

  それで、コジョカルとコボーが主演予定だった7月12日(金)の公演は、急遽ロベルタ・マルケスとスティーヴン・マックレーが主演することになりました。

  ところが事態は二転。今日(11日)夜、再びNBSの公式サイトに、今度はロベルタ・マルケスが、10日夜に行われた「ロイヤル・ガラ」の本番中に「脚を痛め」たため、「マルケスは大事をとって本来の出演予定日である7月13日(土)昼公演に専念し、明日(7/12)の公演はサラ・ラムとスティーヴン・マックレーが主演いたします」ということになりました。

  つまりこういう変遷をたどったわけです。

 
  7月12日(金)18:30 「白鳥の湖」

   オデット/オディール:(旧1)アリーナ・コジョカル→(旧2)ロベルタ・マルケス→(今のところ新)サラ・ラム
   ジークフリート王子:(旧)ヨハン・コボー→(今のところ新)スティーヴン・マックレー


  ここまで混乱すると、またいきなりキャスト変更が起きるんじゃないかと心配になります。私は土曜日の夜公演(サラ・ラム、カルロス・アコスタ主演予定)を観に行くので、サラ・ラムが金曜日の公演のせいで、万が一怪我でもして降板しちゃったら大ショックです。

  コジョカルとコボーがともに降板したことを知ったときの第一印象は、すげえ感じ悪いな、でした。『白鳥の湖』への出演はずいぶん前に決まっていたことで、5日にはちゃんと来日もしていたのに、今さら二人とも「身体的負担の大きい全幕作品である『白鳥の湖』を踊れる状態までには回復しておらず、『白鳥の湖』への出演を断念せざるを得ない」はありえないだろ、と思いました。

  だって、コジョカルとコボーは1か月前の6月5日、ロンドンのロイヤル・オペラ・ハウスで上演された『マイヤーリング』全幕で主演を務めています(マリー・ヴェッツェラとルドルフ皇太子)。コジョカルが左足の甲を痛めたのは「今年の春」、コボーが腰を痛めたのは今年の「1月」、それでも6月の『マイヤーリング』全幕は踊ったのに、それから1ヶ月後の『白鳥の湖』全幕は踊れない?

  何が起きたか知らないが、観客をバカにするのもいいかげんにしろ、と、なんか私の中で、コジョカルとコボーに対するイメージが一気に悪くなってしまいました。(このバ○ップル、とまで思ってしまった。)

  しかし、いろいろネット上で見てみたら、決して軽々しい、あるいは悪意あるドタキャンではない感じが強いです。

  コジョカルは6月末、ハンブルク・バレエとともに『リリオム(Liliom)』(ジョン・ノイマイヤー振付)全幕に主演し(25日)、また『ペール・ギュント』のパ・ド・ドゥを踊った(30日)そうです。

  しかも、7月15日から19日までは、コボーとともにデンマーク(←コボーの祖国)での公演に出演予定で、更に7月31日、8月2日、3日には、ローマのグローブ座で行なわれるスロヴァキア国立バレエ団公演『ロミオとジュリエット』(マッシモ・モリコーネ振付)に、フェデリコ・ボネッリと主演予定だという。

  ここまで知って、コジョカル、ざけんなー!と思ったのですが…。  

  でもコジョカルは、7月3日にニューヨークのメトロポリタン歌劇場で行なわれる、アメリカン・バレエ・シアター公演『眠れる森の美女』に主演予定だったのですが、それは降板していました。マリア・コチェトコワがコジョカルの代わりに主演を務めたようです。

  あるバレエ・ファンによると、こういう理屈だって。つまり、マリウス・プティパの振付は、他の振付家による振付と比べて、身体的な負担の重さが並大抵なものではない、ということ。だから、コジョカルが『眠れる森の美女』と『白鳥の湖』に限って降板したのは、特に不自然なことではないらしい。

  そういえば、ロイヤル・バレエ前芸術監督のモニカ・メイスンも、そのあまりに苛酷な振付のために、プティパを「サディスト」呼ばわりしたと聞いたことがあります。

  シュトゥットガルト・バレエ団が分かりやすい例です。シュトゥットガルト・バレエ団は、ジョン・クランコはもちろん、ジョン・ノイマイヤー、ウィリアム・フォーサイス、ハンス・ファン・マネンなど、なんでも踊りこなします。しかし、プティパとなると、てんで踊れないダンサーが多いです。プティパはそれほど別格なのでしょう。

  だとすると、コジョカルはむしろ、日本で『白鳥の湖』を踊ることを優先して、アメリカン・バレエ・シアターの『眠れる森の美女』をキャンセルしたと考えられるのです。

  退団をめぐって、ロイヤル・バレエ側と何かもめて『白鳥の湖』をドタキャンしたのなら、アメリカン・バレエ・シアターの『眠れる森の美女』をキャンセルする必要はありません。むしろ、これからのことを考えると、アメリカン・バレエ・シアターの公演のほうを優先するのが自然でしょう。

  コジョカルがこうして『白鳥の湖』公演直前で降板を決めたのは、ぎりぎりまで踊る可能性を模索した末にあきらめざるを得なかったか、もしくはもっと早くに降板の申し入れをしたかったのだけれども、主催元や日本の観客の期待の大きさを考えると、断るに断れなかったのではないでしょうか。

  コボーについても、降板は仕方のないことだと思います。ただ、コボーが腰の故障のせいで降板したとは、私は信じていません。コジョカルの代わりにコボーと踊れるバレリーナがいなかった、これが本当の理由でしょう。

  なぜ他のバレリーナを手配することができなかったのかは分かりませんが、大体こんなところが原因ではないでしょうか。特にここ数年の間、コボーがコジョカル以外のバレリーナとパートナーシップを築く努力をしてこなかった。コボーが急速に踊れなくなってきた。にも関わらず、前芸術監督のモニカ・メイスンをはじめとするロイヤル・バレエ側は、これらをずっと看過してきた。しかし新芸術監督のケヴィン・オヘアはこの状態を容認できなかった。そして自分の立場の危うさを知ったコボーの主導で、コボーとコジョカルの退団がオヘアの頭越しに唐突に決まり、それにオヘアが大きな不快感と不信感を抱いた、等々。

  私生活でのパートナー同士が舞台上でもペアを組むのは危険だ、という説がうなずける気がします。なれ合いに陥ってしまうことが多いからだそうです。今回のような事態が起こると、コジョカルとコボーもその危ない道に向かいつつあるように思えます。

  ただ、コジョカルはロイヤル退団が決まった後も、相変わらず世界のあちこちから引っ張りだこのようです。いろんなカンパニーで、いろんなダンサーたちと舞台に立ち続けている以上は、ダンサーとして視野狭窄に陥ることはまあないだろうと思います。むしろこれからのほうが更なる大活躍になるかも。

  一方、コボーに関しては、早くどこかのバレエ団の芸術監督に就任できればいいと思います。コボーは公演プロデュース、演出、改訂振付に優れていると思うので、その能力を存分に発揮できる場所が早く決まってほしいものです。

  …と私はコジョカルとコボーに好意的に書きましたが、向こう(ロイヤル・バレエの地元ロンドン)のファンの意見の大勢は違いますな。なんとコジョカルとコボーに批判的な意見が多いです。

  非難の的は、一つにはコジョカルのドタキャン癖(←以前から頻繁にあったらしい)、もう一つにはコジョカルとコボーのお騒がせ癖(いきなり衝撃的なニュースを発表して大騒動を巻き起こし、関係者やファンを振り回す。コジョカルとコボーが『マイヤーリング』の公演2日前に、突然ロイヤル・バレエからの退団を発表したことも取り上げられている)です。

  向こうのファンは、コジョカルとコボーの両人は彼ら自身の意思で、『白鳥の湖』を公演2日前の時点でドタキャンしたと見ているようです。何ヶ月も前にチケットを買っていた日本のファンを失望させ、ロイヤル・バレエ側をキャスティングの急な調整に東奔西走させて、他のダンサーたちを『白鳥の湖』なんて大変な作品に、いきなり代役で出演する破目に陥らせて迷惑をかけた、という厳しい論調です。

  いわれてみれば、今回も『白鳥の湖』公演2日前、しかも「ロイヤル・ガラ」の当日朝に降板が発表されたなあ。まるで「ロイヤル・ガラ」での話題を引っさらい、観客の注目と大喝采を独占することを狙っていたかのように。『マイヤーリング』公演2日前にいきなり退団発表→大騒ぎになる→『マイヤーリング』が感動と涙のさよなら公演に、とパターンがまったく同じだわ。

  う~ん、やっぱり、コジョカルとコボーは「バ○ップル」なのかなあ。二人でロイヤル・バレエの頂点に君臨していた10年あまりの間に、徐々に感覚がおかしくなっていってしまったのだろうか……。


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英国ロイヤル・バレエ団 『不思議の国のアリス』-2


  この作品は、観客が原作を読んだことがあるという前提で作られています。ですから、演出に分かりにくい場面が多いのは仕方がありません。幻想的なシーン、非現実的なシーンは、ある程度は現代の技術で表現できても、言葉遊びや、話に整合性がないのはそもそも整合性がないからだ、ということは表現できません。

  イギリスのみならず、世界で最もメジャーな児童文学作品の一つである『不思議の国のアリス』がバレエ化されなかったのは、幻想的なシーンを舞台で再現することの難しさもあったでしょうが、それよりも内容を表現することの難しさ、内容がないことを表現することの難しさのほうが大きかったせいだろうと思います。

  ですから、演出やストーリー構成に分かりにくさや物足りなさを感じたのは、私は特に不満ではありません。しかし、振付は改善することが可能ですので、クリストファー・ウィールドンの振付には不満を抱きました。

  良い踊りはすごく良いんです。私個人が気に入ったのは、第一幕でアリスが小さな扉から無理に入ろうとする踊り、第二幕のイモ虫の踊り、第三幕のハートの国の人々による群舞(チュチュとタイツのほう)、ハートの女王によるローズ・アダージョならぬタルト・アダージョ(笑)、第一、二、三幕でくり返される、アリスとジャック(ハートの騎士)によるライト・モティーフ的な踊り(二人で並んで踊るやつ)でした。

  振付家とはそんなものなのでしょうが、特にイモ虫の踊りとハートの女王のタルト・アダージョでは、ウィールドンがどんな場面や踊りを好むのかがはっきり出ていました。また、ウィールドンによる群舞の振付は、全体的にみなすばらしかったです。

  ところが、ソロ、デュエット、パ・ド・ドゥになると、どうも振付が平凡でつまらないと感じてしまうのです。もっとも、振付の物足りなさは、ダンサーたちがうまく補っていました。とりわけ白うさぎのエドワード・ワトソン、ハートの女王のゼナイダ・ヤノウスキーです。(スティーヴン・マックレーは予想してたより出番が少なかった。残念)

  一方、アリスのソロ全般、そして第二幕と第三幕で踊られるアリスとハートの騎士のパ・ド・ドゥは、普通にきれいなだけで、ほとんど印象に残りませんでした。

  これはアリス役のサラ・ラムやハートの騎士役のフェデリコ・ボネッリの力不足ではなく、多分に振付のせいだと思います。(でも正直言うと、ボネッリのほうは踊りもパートナリングも少し危なっかしかった。)

  主役二人の踊りに見ごたえがないっていうのは致命的な欠陥ですが、演出、衣装、装置、パペット、映像その他もろもろの要素がその穴を埋めていた感じでした。それでもアリスのソロやアリスとハートの騎士のパ・ド・ドゥは、どうしても踊りだけが舞台上でくり広げられざるを得ませんから、物足りなさが目立ちました。

  クリストファー・ウィールドンは、クラシックでもコンテンポラリーでも、それらの中間的な踊りでも、なんでも振り付けられる人です。でも、それはいわゆる「引き出しの多さ」だの、「舞踊言語の語彙の豊富さ」だのとは異なる気がします。こんな言い方で本当にごめんなさい、「器用貧乏」な感じがするんです。

  ウィールドンは、モニカ・メイスン版『眠れる森の美女』第一幕「花のワルツ」を改訂振付していたと思います。あれもきれいなことはきれいだけど、大して印象に残らない踊りです。また、ウィールドンは2010年ローザンヌ・コンクールのコンテンポラリー審査用に、男子参加者のための作品(「コメディア」だと思う)を提供していました。

  参加者のほとんどは、ウィールドンの作品を選んで踊っていました。コンテンポラリーにしてはクラシックの要素が強い、確かに踊りやすそうな作品でした。そんな中で、一人の参加者だけが他の振付家、キャシー・マーストンの作品を踊りました。マーストンの作品はクラシック臭が微塵もないばかりか、音取りも極めて困難そうな振付でした。そのめちゃくちゃ難しい作品を見事に踊った参加者(クリスティアン・アムチャステギ)が第一位を獲得しました。

  ウィールドンの振付は、万人受けするものであるのは確かだと思います。でも、じゃあウィールドンの振付の特徴は何か?となると、私には見分ける自信がまったくありません。私個人の考えですが、名実相伴う振付家には、やはりその作品を見ればなんとなく分かる独自の特徴があります。

  ところが、この『不思議な国のアリス』では、ウィールドンならではの特徴みたいなものが、私には見い出せませんでした。思ったのは、ウィールドンはコンテンポラリーではウェイン・マクレガーにかなわないだろうし、クラシックではデヴィッド・ビントリーにかなわないだろう、ということでした。

  でも、マクレガーがクラシックの全幕作品を創作するのは無理でしょうし、ビントリーがクラシックの動きを一切排除したコンテンポラリー作品を創作するのも無理でしょう。その双方ができる位置にいるのがウィールドンなのではないか、と思いました。

  私はウィールドンのことをよく知りませんでしたが、やはり全幕を見ると分かることがあるものですね。『不思議の国のアリス』は早々に映像版が出て、再演もされている人気演目だそうです。しかし、振付にはまだ大幅な改訂が必要だと思います。映像版や公演映像を見るのに困らないのは助かりますが、ロイヤル・オペラ・ハウスは少し先走りし過ぎたのでは、とも感じます。

  カーテン・コールに振付者のウィールドンが出てくるのは当たり前としても、作曲のジョビー・タルボット、装置・衣装のボブ・クロウリー、パペットのトビー・オリー、映像担当のジョン・ドリスコール、ジェンマ・キャリントンなども、役割的にはウィールドンと同じ比重を占めていると思うので、まあ、ちょっとだけ違和感がありました。

  こんなことは、ウィールドン自身がよく分かっているに決まってます。『不思議の国のアリス』はまだ改訂版が出る可能性が大です。というか、改訂してほしいです。

  (まだ続く。)


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英国ロイヤル・バレエ団 『不思議の国のアリス』-1


 『不思議の国のアリス(Alice's Adventures in Wonderland)』全三幕

   初演:2011年3月、英国ロイヤル・バレエ団による。於ロイヤル・オペラ・ハウス(コヴェント・ガーデン、ロンドン)


   振付:クリストファー・ウィールドン
   振付助手:ジャクリーン・バレット

   音楽:ジョビー・タルボット
   編曲:クリストファー・オースティン、ジョビー・タルボット

   台本:ニコラス・ライト

   衣装・美術:ボブ・クロウリー

   パペットデザイン・指導:トビー・オリー
   マジック指導:ポール・キーヴ   

   照明デザイン:ナターシャ・カッツ

   映像デザイン:ジョン・ドリスコール、ジェンマ・キャリントン

   オリジナル・サウンド・デザイン:アンドリュー・ブルース


   アリス(アリス・リデル):サラ・ラム

   ジャック(リデル家の庭師)/ハートの騎士:フェデリコ・ボネッリ

   ルイス・キャロル/白うさぎ:エドワード・ワトソン

   アリスの母(リデル夫人)/ハートの女王:ゼナイダ・ヤノウスキー

   アリスの父(リデル氏)/ハートの王:ギャリー・エイヴィス
   アリスの姉妹たち:ベアトリス・スティックス=ブルネル、リャーン・コープ

   マジシャン/マッド・ハッター:スティーヴン・マックレー
   牧師/三月うさぎ:リカルド・セルヴェラ
   聖堂番/眠りネズミ:ジェームズ・ウィルキー

   公爵夫人:フィリップ・モーズリー
   料理女:クリステン・マクナリー

   リデル家の召使/さかな:ルドヴィック・オンディヴィエラ
   リデル家の召使/カエル:蔵 健太

   ラジャ/イモ虫:エリック・アンダーウッド

   3人の庭師:ジェームズ・ヘイ、ダヴィッド・チェンツェミエック、ヴァレンティノ・ズケッティ

   リデル家の執事/死刑執行人:マイケル・ストイコ


   演奏:東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団
   指揮:デヴィッド・ブリスキン


   第一幕:50分、第二幕:30分、第三幕:45分


  2011年の初演時は全二幕だったらしいです。現在の第一幕と第二幕が本来は第一幕、現在の第三幕が本来は第二幕だったということのようです。

  今回の公演で、第二幕の終わりに降りてきた大きな首切り斧の刃に"INTERVAL"と映ったでしょう。あれはもともと第一幕の終わりを示していたんですね。

  現在の第一幕と第二幕を休憩なしで上演した場合、80分という長時間になってしまい、ダンサー、オーケストラ、観客がみな疲れてしまいます。それに第一幕が80分で第二幕が45分というのは、時間的にもバランスがよくありません。時間配分としては、全三幕のほうがよいと思います。

  ただし、この作品の性質からいうと、全二幕構成のほうが適切です。いかめしい内容ではなく、シンプルな娯楽的要素に満ちた作品ですから。振付者のクリストファー・ウィールドンの当初の意図としては、たとえばミュージカルが基本的に全二幕構成なのを参考にして、観客に冗長な感覚を抱かせることを避け、観客を飽きさせないために全二幕構成にしたと思われます。

  それが、元来の第一幕が80分と長すぎることと、またひょっとしたら、「全幕バレエたるものは全三幕がふさわしい」的なナンセンスな意見が出たのかもしれませんね。こうした諸々の理由で全三幕構成に改めたのでしょう。

  とても楽しい作品でしたが、全体的な印象としては、二幕物を三幕物に改めたように、これからも更に改訂される可能性の高い、また改訂する必要が多くある未完の作品だなあ、と思います。

  さっそく悪口で申し訳ありません。最も改訂する必要があるのは、クリストファー・ウィールドンの振付です。踊りによって、振付の出来不出来の差が激しいように感じました。(その2に続く)


  
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英国ロイヤル・バレエ団 『不思議の国のアリス』(7月5日)


  今さっき帰ってきたばかりです。簡単に。

  すごく楽しかったです!!!英国ロイヤル・バレエ団が日本に持ってきた演目としては、久々のヒットなのでは?

  完璧にすばらしい作品、とまではいえません。率直に言うと、肝心のクリストファー・ウィールドンによる振付、とりわけアリスのソロ、そして最も重要なアリスとハートの騎士とのパ・ド・ドゥは魅力に欠けているところがあります。

  しかし、この作品はいかにもイギリスらしい「総合芸術」的なバレエで、舞台全体にイギリス的要素がまんべんなくつめ込まれています。イギリスの演劇、ミュージカル、バレエなどの舞台文化が好きな方には、この上なく楽しめる作品だと思います。

  あらすじはほぼ原作どおりです。でも、原作のこれを一体どーすんのか、と思っていた場面では、「おお、そうきたかー!」と思わず唸る秀逸な演出や振付が施されていました。第一幕冒頭と第三幕ラストでは演出を新しく加えています。ラストの演出はとても粋でした。

  また、第一~三幕の本編だけでなく、休憩時間への入り方やカーテン・コールに至るまで、徹底して観客を楽しませるように綿密に作ってあります。

  クリストファー・ウィールドンの振付に魅力が足りない、などと書いてしまいましたが、ウィールドンでなければ、このような作品を創り出すことはできなかったでしょう。今までウィールドンが小品の中で試みてきた手法がいかんなく発揮されています。

  また、舞台技術の進歩した現代だからこそ、この作品をこうして舞台化できたのだろうと思います。同時に、最先端の技術を用いながらも、昔ながらのアナログ技術も効果的に、しかも肯定的な意味を込めて使っているところが心憎いですね。

  振付や脚本・構成だけでなく、音楽、装置、小道具、衣裳、照明、音響、映像などのすべてが結合したこういうバレエ作品を観ると、イギリスの舞台文化のレベルの凄さを今さらながらに思い知らされます。

  アリス役は出ずっぱりのタフな役です。こういうタフなパフォーマンスをバレリーナに課す作品も今どき珍しいと思います。アリス役のサラ・ラムは、第二幕では少しペースを落として、うまく体力を配分していました。

  そのキャラクターの雰囲気を作り出すサラ・ラムの能力は、本当に見事なものです。ラムは役によって完全に別人になってしまいます。踊りも言うことなしのすばらしさでした。

  観る前は、アリス役以外ではスティーヴン・マックレーのマッド・ハッターを楽しみにしていました。しかし、それをはるかに凌駕していたのが、エドワード・ワトソンの白うさぎと、ゼナイダ・ヤノウスキーのハートの女王でした。特に白うさぎ役のエドワード・ワトソンは、アリス役のサラ・ラムと同じくほぼ出ずっぱりでした。

  ゼナイダ・ヤノウスキーのハートの女王は大爆笑の演技と踊りでした。でも、コミカルな動きの中にも分かるんですよ、ヤノウスキーは恵まれた身体能力と高度な技術を持つ、超優秀なバレリーナだということが。

  やっぱりロイヤルのダンサーたちは、こういう作品だと最大限に魅力を発揮しますね。みな生き生きと踊り演じていました。

  『不思議の国のアリス』のチケットはほぼ完売状態で、追加公演のチケットがまだ僅かに残っているだけのようです。『白鳥の湖』は観ないで、今日と同じキャストで上演される『不思議の国のアリス』のチケットをもう1枚買えばよかった、とちょっと後悔しました。

  で、未練なあまりに映像版を買ってしまった(笑)。


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