マリインスキー・バレエ『白鳥の湖』

  昨日、キエフ・バレエの『眠れる森の美女』を観に行って、「やっぱり旧ソ連系のバレエ団は踊りも容姿もキレイだな~」と感嘆しましたが、甘かった。マリインスキー・バレエのコール・ドを見たら、男子も女子も揃いも揃ってみな長身、容姿端麗、抜群の身体能力、そして優れたテクニック。なんだこの美しくて凄い人間たちはー!と呆然、見とれてしまいました。

  久しぶりなのですっかり忘れていたのです。ボリショイ・バレエとマリインスキー・バレエは、誰が主役を踊ってもおかしくないようにみえる、ちょっと見ただけでは能力の優劣の差が分からない、超優秀なダンサーばかりの集団だということを。

  王子の友人たち、民族舞踊を踊る男性ダンサーたち、みな背が高くて上半身が短くて脚が長い!身体の各パーツのバランスが非常に良く、とても見栄えがする。白鳥のコール・ド、透きとおるような白い肌、長くて細い手足、美しい身体のライン、すっきり伸びた優美な首、小さくて麗しい顔、見た目だけでも充分にすごい。

  踊りについては、男性陣は個々人の能力差が割と分かりやすいように思いましたが、女性陣はほとんど分からない。みな恵まれた身体能力を持ち、いずれも凄いテクニックを持っています。白鳥のコール・ドは、みな腕の動きが柔らかくて流麗でした。脚も信じられないくらい高く上がり、しかもその形がこれ以上にないほど美しい。これだけの面子が揃っていて、主役を踊れる踊れないの差は何なのか!?と久しぶりに驚嘆しました。

  オデット/オディールはヴィクトリア・テリョーシキナでした。彼女について、プログラムには「ゆるぎないテクニック」云々と書いてあります。確かに華奢な体つきからは想像もつかない、柔軟な身体能力、強靭な筋力と精確な技術を持っていることはよく分かりました。

  回転、ジャンプ、爪先での細かい動き、すべてが安定していて、ほとんど(あるいはまったく)ミスがありませんでした。黒鳥のパ・ド・ドゥでのオディールのヴァリエーションは特に凄かったです。片脚で回転しながらアティチュードに移行してまた回転、静止して片足ポワントで立ったままアラベスク・パンシェ、この間、テリョーシキナは足元がまったくグラつきませんでした。コーダでの32回転については言うまでもありません。音楽にうまく合わせて、シングルにダブルかトリプルのターンを最後まで織りこんで回っていました。また、ヴァリエーションでもコーダでも、音楽の終わりとともにバッチリ終わってポーズを決めます。

  身体能力もすばらしく、脚の根元からよじれるようなアラベスクやアティチュードは凄絶なほどに美しかったです。筋力も強く、グラン・アダージョでの踊りではゆっくりとためを置いて、しかし脚がガクガク震えるといったこともまったくありませんでした。

  プログラムによると、テリョーシキナは「鉄の女」とか呼ばれているそうです。でも、よく見りゃ確かに凄まじいテクニック、身体能力、筋力を存分に発揮して踊っているのですが、私はテリョーシキナの踊りに節度を保った端正さと白磁のような透明さとを感じました。押しの強さ、アクの強さといったものが皆無なのです。

  ウリヤーナ・ロパートキナのような優雅さ、優美さといったものとは印象が違いましたが、テリョーシキナの踊りはとても清潔というか典雅というか、たとえばディアナ・ヴィシニョーワのように、枠から少しはみ出しても自分の個性を表現するということがありません。総じていうと、テリョーシキナの踊りは非常にバランスが良く、中庸を得ている(にしては凄すぎるが)というか、とても好感の持てるものでした。また、自然に安心して見ていられました。

  テリョーシキナのオデットは、ジークフリート王子役のレオニード・サラファーノフがかなり子どもっぽい雰囲気だったせいもあるのか、意外にも母性的な雰囲気を感じさせました。基本的には、テリョーシキナのオデットは、ロットバルトの魔力による支配に抗う気力もなく、自分の呪われた運命を諦めつつ甘受しているのです。しかし、第三幕で王子とロットバルトとが自分をめぐって戦うに至って、決意したような毅然とした表情になり、王子を庇ってロットバルトに向かって自分の身を投げ出し、自分を犠牲にして王子を守ろうとします。テリョーシキナのこの演技には思わずぐっときました。

  オディールのほうは、テリョーシキナの鋭い目つきがとても印象的でした。王子の前では笑顔を浮かべていても、目が笑ってない!氷のような冷たい鋭い視線で王子を見つめます。ロットバルトと絶えず目くばせをしながら、王子を誘惑していきますが、そのときの冷たい無表情が良かったです。

  王子がオデットのことを思い出したとき、オディールはオデットの真似をして羽ばたきながら踊ります。それまでオデットのようにはかなげな表情をしていたのが、最後に羽ばたいた途端、王子の様子を見て、してやったり、というような、あからさまに邪悪な笑顔をぱっと浮かべます。それまで基本的に無表情だったので、あの冷たい邪悪な微笑がとても効果的でした。

  さて、王子役のレオニード・サラファーノフですが、はじめて登場した瞬間、そのあまりに華奢で細い、というよりは貧弱な体つきにびっくりしました。第二幕では純白のベストを着て現れましたが、白という膨張色の衣装を着ても、それでも子どものように胸板が薄い。これは生理的に受けつけられない、と感じました。

  実は、今年の世界バレエ・フェスティバルで、ダニール・シムキンを目にしたときも、見た瞬間に「こりゃ私のストライク・ゾーン外だわ」だと思いました。エンジェル・フェイス、細くて華奢な体つき、結果、頭が異常にデカく見えて、「捕らわれた宇宙人」のような体型です。いくら超絶技巧をこれでもかと披露しても、どうしても魅力を感じませんでした。

  サラファーノフに話を戻すと、王子というからには、もうちょっと頼りがいのあるたくましい体つきをしてほしいのです。もっとも、体型ばかりは本人にはどうしようもないことですが。メイクもよくありませんでした。ほとんど坊主頭の短髪に、明るいファンデーションを塗り、眉を黒く細く描いて、唇に紅をさしていました。まるで女の子です。このメイクが短髪と似合わず、ゲイバーのママか、オナベバーのマスターみたいでした。今にも「あ~ら、いらっしゃ~い」とか言いそうです。

  演技も「手順どおりにやってます」みたいな感じで浅く、奥行きがまるで感じられませんでした。最も違和感を覚えたのが、黒鳥のグラン・パ・ド・ドゥでのヴァリエーションです。顔つきはすっかりバジルとなり、最後はザンレール+片足ピルエットをくり返しました。決めのポーズと表情もバジルでした。『白鳥の湖』のジークフリート王子に求められる踊りと演技は、『ドン・キホーテ』のバジルとは違うと思います。そのへんのことを彼は自覚しているのかどうか疑問でした。

  ただ、サラファーノフのパートナリングは非常に良かったです。もっとも、自分のパートナリングの技術の高さを観客に見せつけようという姿勢がありありでした。別に、回転するテリョーシキナの腰を支えて、いつまでもしつこくぐるぐると回し続けなくてもいいと思うのですが。そういう技術を披露する演目は他にあるでしょう。それでも、彼のパートナリングは非常に頼もしかったので、やはり安心して見ていられました。

  そうそう、グラン・アダージョで、オデットが王子に支えられながら、舞台奥から右斜め前に片足だけでトントントン、と移動し、それから王子に頭上高くリフトするところ、今日の公演では、王子がオデットの腰を両手で持ち上げて、オデットが客席に向かって大股を広げる(←下品な表現でゴメン)のではなく、オデットが王子の頭上で上半身を真っ直ぐに立てて両腕をゆっくりと羽ばたかせる「シルヴィ・ギエム方式」でした。サラファーノフが力持ちで本当によかったです(フォローしとこう)。

  第一幕のパ・ド・トロワ(エリザヴェータ・チェプラソワ、マリーヤ・シリンキナ、アレクセイ・チモフェーエフ)は、女子2人はすばらしかった(特に最初のソロを踊ったほう)のですが、チモフェーエフはちょっと頼りなかったです。ソロはステップをこなすので精一杯な様子でした。

  湖畔の場では、「大きな白鳥の踊り」(ダリア・ヴァスネツォーワ、エカテリーナ・コンダウーロワ、アナスタシア・ペトゥシコーワ、リリヤ・リシューク)がダイナミックで実に見事でした。たぶん前にマリインスキー・バレエの『白鳥の湖』を観たときにも同じように感じた覚えがあります。ジャンプは高くて大きく、片足で着地するときに足元がグラつくこともなく、脚は高々と上がり、上げた脚の曲げ具合というか、脚の付け根から爪先までの線がとても美しい。

  これも前に書いたと思いますけど、ひょっとしたら、かのマシュー・ボーンは、英国ロイヤル・バレエのヘタレな『白鳥の湖』しか観たことがなかったから、「大きな白鳥の踊り」を見ても、パワフルな音楽に比べて踊りがひ弱だ、と物足りなく感じてしまったのかもしれません。マリインスキー・バレエのこの、「大きな白鳥の踊り」を見ると、決して踊りがひ弱などという印象はまったく受けません。むしろ強靭でパワフルでダイナミックで、しかも端正且つ高貴な美しさに満ちています。

  第二幕の民族舞踊では、「スペインの踊り」(アナスタシア・ペトゥシコーワ、ヴァレーリヤ・イワーノワ、イスロム・バイムラードフ、カレン・ヨアンニシアン)が個人的にはいちばんステキに感じました。ペトゥシコーワとイワーノワの、腰を床にくっつくほどに後ろに反らせる動きが柔らかで美しかったです。

  第三幕冒頭の白鳥たちの踊りで、最初にソロを踊ったダンサーがとてもすばらしかったです。ダリア・ヴァスネツォーワとオクサーナ・スコーリクのどちらだったのかは分かりません(ヴァスネツォーワだったのだろうか?)。身体が柔軟で、テクニックに優れていたのはもちろんですが、手足で切り取る空間が大きいとでもいうのか、踊っている姿が非常に大きく見え、目が吸い寄せられました。

  マリインスキー・バレエの『白鳥の湖』はハッピー・エンドなので、私は大好きなのですが、劇的効果からいえば、確かに悲劇的結末のほうがよいのでしょうね。ジークフリート王子に片方の羽根を引きちぎられ、七転八倒した末に死ぬロットバルト(コンスタンチン・ズヴェレフ)の姿には、思わず心中で「ご苦労さま」と思いました。ズヴェレフ本人も、「なんでオレはこんなアホな演技をしなきゃいけないんだろう」とか思ってるのかもしれません。最後のシーンを除けば、ロットバルトはおいしい役どころですからね(衣装とメイクはともかく)。

  床の材質、もしくはマリインスキー・バレエのバレリーナたちが使っているトゥ・シューズの材質に原因があるのか、白鳥のコール・ドのトゥ・シューズが醸し出す大音響には少し参りました。静かで美しい音楽が流れる中、白鳥たちが動くたびにガツガツガツ、という音の大合唱です。でも30人以上の群舞だから仕方がないのかもしれません。

  なにはともあれ、今回の公演には大満足でした。

  会場では招聘元のジャパン・アーツがアンケートを取っています。このアンケートはぜひ書いて出しましょう。なぜなら、そのアンケートの中に、ボリショイ・バレエの次の来日公演では、『白鳥の湖』の上演はもう決まっているけど、他の演目は未定なので、何が観たいですか、という設問があったからです。

  私は『スパルタクス』と『スペードの女王』(←そうすればニコライ・ツィスカリーゼとイルゼ・リエパが来るはずだから)を書きました。たとえばNBSあたりなら、『スペードの女王』なんて絶対に許さないでしょうが、ジャパン・アーツは『明るい小川』を上演させたくらいですから、次も英断を下してくれるかもしれません。次もしつこく書こうと思います。

  余談。会場には、前日に観たキエフ・バレエ『眠れる森の美女』で、デジレ王子を踊ったセルギイ・シドルスキーらしき人物が来ていました。女性を連れていましたが、こちらは顔が見えなかったので、誰だったのかは分かりません。シドルスキーは背がすごく高くて(確実に190センチはあった)、顔が細長かったです。 
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キエフ・バレエ『眠れる森の美女』

  およそ4ヶ月ぶりの古典全幕バレエ鑑賞です。7月末に世界バレエ・フェスティバル全幕プロで、ダニール・シムキン、マリア・コチェトコワ主演の『ドン・キホーテ』を観て以来。

  キエフ・バレエ(ウクライナ国立バレエ)を観るのはこれがはじめて。でも、今までに見聞きした評判からして、なかなか良いバレエ団であろうと予想していました。

  席に着いたら、なんと最前列(1階)でびっくりしました。会場は1階席の傾斜が緩いオーチャード・ホールだったので眺めが心配だったのですが、これで視界をさえぎるものはなにもありません。安心しました。難を言えば、奥にいるダンサーの爪先が見えないことでした。でも、これはぜいたくな不満というものでしょう。

  指揮者が現れてタクトを振り始めたとたん、両腕をぶんぶん振り回し、指揮台の上でぴょんぴょん飛び上がり、更に「ふむ!ふ~む!」と音楽の邪魔になるほど唸る、そのあまりな血湧き肉躍る熱血指揮ぶりにどーも既視感が。そう、あの熱き血潮の若き指揮者、オレクシイ(アレクセイ)・バクランだったのでございます。

  序曲の途中、私はバクランの指揮する姿を見ながら、噴き出しそうになるのを必死にこらえていました。バクランは、カラボスのテーマの部分では、今にも「涙は心の汗だ!」と叫んで、夕日に向かって走り出しそうなほど全身を激しく揺り動かし、リラの精のテーマの部分では、「おまーは舞台俳優か」とツッコミたくなるほど、完全に自己陶酔したうっとりした表情でタクトを流麗に振ります。バクランのおかげで序曲の間もすっごい楽しめたよ。

  オーケストラはウクライナ国立歌劇場管弦楽団。良い演奏だったと思います。

  オーロラ姫役はエレーナ・フィリピエワでした。すごい良いバレリーナでした。動きはゆっくり、たおやかで、無重力空間にふんわりと漂っているような、実にやわらかい踊りをします。硬質さとか強靭さを微塵も感じさせません。ついでにいえば、「私はこんなにすごいのよ」的なアピールも一切なし。かといっていい子ぶった控えめさもなく、ひたすら自然にさりげなく、でも完璧に踊っていきます。

  たとえば、ローズ・アダージョで、オーロラ姫が王子たちに次々と手を取られて回っていくところ、たいていのバレリーナは真顔になり、王子役の男性ダンサーたちの手を強く握ってなかなか離そうとせず、手首がガクガクと震えているものです。でも、フィリピエワは微笑を浮かべたまま、王子たちの手を握っていた手をすぐに、しかも優雅な仕草で離して、アティチュードで静止します。

  第三幕のグラン・パ・ド・ドゥでもそうでした。フィリピエワは片脚を耳の横まで上げたまま、デジレ王子役のセルギイ・シドルスキーの手をすっ、とすぐに離し、微動もせずに片脚で静止していました。

  テクニックの面ですごかったところは他にもたくさんありました。回転はゆっくり回ってピタッと止まる。動きに充分に「ため」を置き、決して急いでステップを片づけようとしない。とても書ききれません。身体能力にもかなり恵まれていると見受けられましたが、表現は常に抑え目でした。第三幕のグラン・パ・ド・ドゥでようやく、すごい軟体ぶりをほんの一瞬だけ発揮しました。

  フィリピエワは演技も良かったです。オーロラ姫が登場するまで、なんだかこのバレエ団のダンサーたちは表情に乏しいな~、もっと演技に力を入れてもいいじゃないか、と少しもの足りなかったのです。

  でも、フィリピエワのオーロラ姫は控えめだけど優しい暖かい微笑を浮かべていて、両親の王と王妃に甘える仕草はかわいく、求婚する王子たちの一人一人に細かく丁寧に挨拶を返し、そしてデジレ王子が自分への愛を告白するのに驚いて、思わず父王にすがりつき、父王に促されてデジレ王子の求婚を照れながら受け入れます。このときの仕草と表情がすっごいかわいかったです。

  フィリピエワが舞台上にいると、舞台全体の雰囲気が華やぐような、生き生きするような。やっぱりオーロラ姫は舞台の雰囲気を一変させるほどじゃないとな、と思いました。

  デジレ王子役のセルギイ・シドルスキーもすばらしいダンサーでした。演技も良かったし、テクニックにも優れ、一つ一つの技は正確で安定していて、しかも長身なのでダイナミック、彼がジャンプすると、開いた両脚があまりに長いので、オーチャード・ホールの舞台が狭く見えてしまうほどでした。

  優しさの精とフロリナ王女を踊ったカテリーナ・カザチェンコも良かったです。踊りの感じがフィリピエワによく似ていました。ふんわりおっとり踊っているように見えるけど、でも実はさりげなく凄技をやっている、という点で。

  青い鳥のパ・ド・ドゥでは、青い鳥役のワーニャ・ワンに異常に(と私には思えた)大きな拍手喝采が送られていましたが、本当に優れていたのはカザチェンコのほうだったと思います。ワンの踊りには重たさを感じました。また、ワンはパートナリングがあまり上手ではありませんでした。

  コール・ドもそれなりに良く揃っていました。女子も男子も美形多し。ただ、ボリショイやマリインスキーのコール・ドに比べると、テクニックが不安定で不揃いなのと、そして体型において均整がとれていない(これは彼らのせいではないですが)ダンサーが目立ちました。ロシア・バレエ(ウクライナのバレエ団だけど、ロシア系統のバレエ団とみてよいだろう)では、体型が最後の最後でそのダンサーの命運を分けることを、あらためて実感しました。  

  改訂振付・演出はV.コフトゥンということです。演出は良くないと思いました。『眠れる森の美女』の大きな見どころであるクラシック・マイムはほとんど削除され、簡単な身振り手振りに変更されていました。また、演技の部分にはまるでまったくト書きや指示がないかのようでした。

  オーロラ姫役のフィリピエワとデジレ王子役のシドルスキー以外のダンサーたちは、演技してないか、していても大根で、この極めて現実味のないおとぎばなしに、それでも少しでもおとぎばなしなりの現実味を帯びさせようとする努力をしていませんでした。演出がおろそかなせいだと思います。

  おかげで、リラの精役のユリヤ・トランダシル、カラボス役のオレグ・トカリ、式典長役のデニス・オディンツォフも、せっかく良い役なのに、それぞれの持ち味を出せていませんでした。リラの精には威厳や神秘性が感じられず、カラボスは紋切り型の悪役で何のインパクトもなく、式典長にもコミカルさがありません。

  ロシア系の『眠れる森の美女』はみなこうなのでしょうか。レニングラード国立バレエの『眠れる森の美女』はもっと面白かったと思うのですが。来週、マリインスキー劇場バレエの『眠れる森の美女』を観に行くので比べてみます。  
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さらば成都よ(また来るけど・・・)

(成都の繁華街、春熙路の歩行者天国のスタンドで売られていた謎の食べもの。「???」と思って看板を見たら「鴨頚」と書いてあった。ま、まさか・・・。)

  いよいよ成都を去る日が来ました。ホテルを出た後、タクシーで空港に行こうと思って空車のタクシーを待ちました。が、1週間滞在して分かったことには、成都はタクシー不足らしいのです。このときもなかなかつかまりませんでした。空車のタクシーが来ると、同じくタクシーを探している中国人に取られてしまうのです。荷物さえなければ私も負けていませんが、大きなトランクを引きずっている身では、タクシー争奪戦参加もままなりません。

  困っていると、客を乗せたタクシーが私の目の前に止まりました。助手席から兄ちゃんが顔をのぞかせ(←中国人はタクシーに乗るとき、1人でも助手席に乗ることは珍しくない)、「どこへ行くんだ?」と聞いてきました。

  なんでタクシーの客が私に行き先を尋ねるのだろう、と不思議に思いつつ、「空港まで」と私は答えました。助手席の兄ちゃんは隣の運転手と何事かを話した後、「乗りなさい」と私に言いました。私は合点しました。この兄ちゃんも空港に行く客で、私を拾って「乗り合いタクシー」みたいにして、運賃をワリカンにすることで安く上げたいんだな、と。

  私が荷物を持ってタクシーに近づくと、助手席からその兄ちゃんが降りてきて、「俺がやるよ」と言って、私が荷物を車のトランクに入れるのを手伝ってくれました。私はお礼を言いつつも、なんでタクシーの客が、別の客の荷物を入れるのを手伝ってくれるのだろう、と不思議でした。

  私は後ろの座席に乗り込みました。運転手は中年のメガネをかけた男性でした。メーターはしっかりしているし、タクシー会社、車の登録番号、運転手の名前などが写真つきできちんと掲示されています。どうみても白タクではなさそうです。

  しばらく乗っていたら、助手席にいた兄ちゃんがいきなり車のドアを開けて降り、運転手に「じゃあね!」と言って、小走りに去ってしまいました。タクシーはそのまま発車しました。

  私が「あれ!?あのお兄さんは?」と運転手に言うと、運転手のおっちゃんは「彼は郵便局に用があって、私がここまで乗せてきてやったんだよ」と言いました。私が「彼はお客じゃなかったんですか?」と驚くと、おっちゃんは「彼は私の同僚だよ」と答えました。そして、「ここまでは私個人の用事。ここからは仕事ということでメーターを倒すよ」と言って、メーターを倒しました。ってことは、ホテルの前からここまでの運賃はタダってこと!?

  (いい意味で)ヘンなタクシー運転手だな~、と私は思いながら、あらためてその運転手が所属するタクシー会社の掲示を見ました。そのタクシー会社の名前が、中国のある超有名国営企業と同じだったので、私は「あなたのタクシー会社はこの企業となにか関係があるのか」と聞きました。そしたら、やっぱりその企業の関連会社だということでした。

  この前日、私は方言バリバリ、しかも本人まったく自覚ナシの無礼なタクシー運転手に遭遇して不愉快な思いをしました。ところが、昨日はあんなに聞き取れなかったタクシー運転手の言葉が、この日は妙に聞き取れます。今日のこのタクシー運転手の中国語は、私がふだん聞いている中国語と同じだからだ、ということに気づきました。

  こんな中国語を話すタクシー運転手に遭遇したのは初めてでした。私は前日の不愉快な体験を話した後、「でも、あなたの中国語は発音がきれいで文法も正確で、私でも聞き取れるので嬉しい」と正直に言いました。へつらいでもお世辞でもなかったんだけど、運転手のおっちゃんは得意そうな笑顔を浮かべました。

  おっちゃんが「君はどこの人?」と聞いてきたので、私は「日本人です」と答えました。相手が外国人ということで安心したのかもしれません。そこから、おっちゃんは自分の身の上を話し出しました。

  彼は以前、某国営企業に勤めていた事務職員でした。ホワイトカラーだったのですから、道理で言葉がきれいなわけです。たぶん学歴もそれなりにある人なのでしょう。しかし、改革開放にともなって、彼が勤めていた国営企業も解体され、彼は職を失い、つまり「下崗」しました。「下崗」した後に就いたのが現在の仕事、タクシー運転手でした。

  彼は現在の仕事の過酷さについてこぼしました。「さっきまで乗っていたあの彼はね、昨日から24時間働きどおしだったんだよ。」 私は「あなたも24時間ぶっ続けで働くことがあるんですか?」と尋ねました。運転手は「もちろんだよ!」と笑いました。

  運転手の言葉にだんだん力が入ってきました。「いいかい、こんな仕事をしているせいでね、私の体はあちこち痛んでいるんだよ。肩はこう、背筋はこう、背骨はこう、腰はこう・・・。」 運転手は体のあちこちを手で示して早口でまくしたてました。「医者は言うんだ、この仕事を続けている限り、この病気は治らない、と。」

  彼は明らかに気が高ぶってきたようでした。大きな声で言いました。「改革開放はね、中国に良い結果と悪い結果の両方をもたらした。改革開放のおかげで、確かに国家の経済は発展した。でも、一方では、私のような大量の『下崗』(失職)者を生み出した。」

  「『下崗』した連中は散り散りになっていろんな仕事に就いている。でも再び仕事に就けたとしても、以前とは比べものにならないひどい労働条件の仕事だ。私を見なさい、私は以前はオフィス・ビルの中で働いていた。8時に出勤して、仕事をして、5時には退勤できた。今はどうだ、狭い車の中に座りっぱなしで、体を壊しながら、24時間働いている。」

  「改革開放のせいで、大勢の人々が死んだ。文革の頃みたいに。」 彼は言いました。私はびっくりして、「なぜですか?」と尋ねました。運転手は大声で言い放ちました。「耐えられなかったんだよ!」

  「以前はそれなりの職に就いていた自分が、今は過酷な仕事をやっている。仕事さえ見つからない者もいる。みじめさに耐えられなくて、みんな自殺したんだ。私の知っている連中でも、首を吊ったり、跳び降りたりして死んだのがたくさんいるよ。」

  私は言いました。「『下崗』者の再就職が非常に難しいという問題については知っていますが、『下崗』のせいで大量の死者が出ているなんて、そんな報道は見聞きしたことがありませんよ?」 運転手は叫ぶように言いました。「中国のマスコミは、こんなニュースは決して報道しないのさ!でも、私たちはみんな知っているんだ。

  「職に貴賎なし」とはいいますが、そんな理念が現実には建前に過ぎないことは誰も否定できないことでしょう。またその人の立場に立って想像してみれば、ホワイトカラーで、それなりの職位にあった人が、いきなり失業して、次に就いた仕事が肉体労働だったとしたら、それは本当に屈辱的で辛いことに違いありません。

  やがて空港に通ずる高速道路の料金所に着きました。運転手は「お金を用意しなさい。高速料金だよ」と静かに言いました。これにも私は驚きました。中国のどの都市の空港に行くにも、高速道路は必ず通るものですが、普段はタクシー運転手が払って、運賃の清算時に高速料金込みで請求してくるものだからです。

  高速料金は10元でした。運転手は「記念に取っておくといいよ」と言って、“10.00”とプリントされたレシートを私にくれました。高速料金を実際よりも高めに客から徴収する運転手はたまにいます。自分は決して客をだましてぼったくりなんてしない、ということを彼は示したかったのでしょう。

  ほどなく、タクシーは空港に着きました。運賃は60元でした。私は「昨日は嫌な運転手に出くわして腹が立ったけど、今日はあなたに会えてとてもラッキーでした」とおっちゃんに言いました。おっちゃんは照れたように笑いました。本当に、前日の不愉快な経験を差し引いてもおつりが来るくらいな思いがしていました。

  彼の「中国のマスコミはこんな(政府に不都合な)ニュースは報道しない、でも私たち(人民)はみんな知っている」という言葉が強く心に残りました。  
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釣魚執法

(四川省を南北に流れる大河、岷江〔みんこう〕。これは成都の南にある楽山市内を流れる岷江で、更に南に流れて長江に合流する。)

  ホテルの部屋に戻ると、いつも机の上にその日の朝刊をサービスで置いてくれていました。確か『成都都市報』という新聞だったと思います。

  滞在中、いつも『成都都市報』の一面を飾っていたのは、上海で起こった「釣魚執法」事件でした。

  とはいえ、私が読み始めた時点では、すでに事件は「追跡報道」の段階に入っていたようで、記事を読んでも、事の発端は何だったのか、事件の詳しい内容はどういうことだったのか、あまりよく分かりません。ただ「『釣魚執法』事件について、上海市公安当局が謝罪した」、「白タク行為をしたとして逮捕され、罰金刑を受けたショックで自殺未遂をした○○さんが退院し、取材に応じた」とか書いてあるだけです。

  「釣魚執法」とはたぶん、いわゆる「おとり捜査」のことなんだろうと思いました。おとり捜査については、日本でもその合法性をめぐって議論が起きたことを覚えていましたから、中国でも同じ議論が起きているのだろう、ぐらいにしか考えませんでした。

  成都から東京に帰る飛行機は北京を経由します。北京空港で出国審査を受けて再び飛行機に乗り込んだら、機内サービスの新聞に北京の新聞がどっさり加わっていました。その中の一つ、『新京報』を取って読みました。

  『新京報』の中に、上海で起きた「釣魚執法」事件の顛末から背景に至るまでを詳しく説明した記事がありました。それでようやく、「釣魚執法」の詳細な内容が分かったと同時に、その背景は私が考えていたよりも深くて複雑なこと、日本における「おとり捜査」論争とはまったく異なることが分かったわけです。

  そもそもは、上海市が白タク(中国語では「黒車」という)の取り締まりを強化するにともない、白タク行為の通報者に500元の報奨金を出すという制度を導入したことが発端でした。

  500元といえば、都市住民の平均月収の3~4分の1くらいの額ではないでしょうか?いずれにせよ大金です。報奨金制度の導入は功を奏し、白タクの検挙率は格段に上がりました。が、この制度によって奇妙な現象が起こりました。白タクを通報して得た報奨金を主な収入源とする一群の人々(「鉤子」=釣り針)が生まれたのです。

  白タクは検挙されると、車を没収される上に高額の罰金も科せられます。白タクの運転手たちは自衛策を練りました。それは、「見知らぬ人間は乗せない」というものでした。

  もともと、上海の白タクのほとんどは、上海市の中心を外れたところで商売をしていたのです。上海市近郊・郊外は交通の便が悪く、公共の交通機関がほとんどない地域も多いそうです。村なんかだと人の通りも少ないですから、上海市の正規のタクシーは、商売にはならない郊外の村々には流しに来ません。

  そんな郊外の村の人々の「足」になっていたのが白タクだったそうです。白タクというと「ぼったくり→悪い人たち」というイメージを抱いてしまいますが、交通手段に困っている郊外の村の人々にとってはありがたい存在だったのです。

  白タクの運転手たちには、それぞれ顔なじみの「顧客」たちがいました。その「顧客」たちから電話がかかってくると送迎に馳せ参じる、というわけです。報奨金目当ての「鉤子」たちによる通報を防ぐために、白タクの運転手たちは、自分の「顧客」たち以外の人間は乗せない、という防衛策を講じました。

  白タク運転手たちのこの防衛策も功を奏しました。白タクの検挙率は徐々に下がっていきました。最も焦ったのが、白タクを通報した報奨金で生活している「鉤子」たちです。以前のように白タクを通報して報奨金をもらうことができなくなった「鉤子」たちは、報奨金制度を導入した上海市公安局の思惑を超えて、あらぬ方向に暴走し始めました。

  そしてとうとう、中国全土の新聞の1面を長いこと賑わすことになる「釣魚執法」事件が起こりました。

  上海市郊外のある地域で、一般市民の青年が帰宅のために自家用車を走らせていました。すると、路上に1人の男性がいて、青年に向かって手を振り、車を止めてくれ、という仕草をしました。青年が車を止めると、その男性は、タクシーもバスもなくて困っている、途中まででいいからあなたの車に乗せてくれないか、と青年に頼みました。

  青年は気の毒に思って、その見知らぬ男性を自分の車に乗せてやりました。しばらく走ると、男性は車を止めてくれるように青年に言いました。そして、青年の車を降りる際に、運転席に向かってお金を放り投げました。青年は親切心から乗せたまでであって、金を取るつもりなど毛頭なかったので、驚いて男性を呼び止めました。しかし、男性はそのまま姿を消してしまいました。それと入れ替わりに、公安警察が姿を現し、白タク行為の現行犯で青年を逮捕しました。

  青年は乗用車を没収され、罰金を科せられました。青年は工場労働者でした。騙されて「犯罪者」にされたことがショックなあまり、青年は逮捕された翌日、職場の工場の昼休みに、衝動的に自らの手首と首を刃物で切って自殺を図りました。気づいた同僚がすぐに青年をはがいじめにして制止し、青年を病院に搬送しました。

  この事件はマスコミに一斉に取り上げられて大ごとになりました。一般市民を罠にかけて騙してまで、白タク行為をしたとして検挙摘発し、結果、「白タク運転手」とされたその市民を自殺未遂にまで追い込んだことによって、上海市公安局は非難の集中砲火を浴びました。

  中国全土のマスコミの連日にわたる報道と非難の大合唱に、ついに上海市公安局は、今回の「鉤子」による「釣魚執法」は適切でなかったことを認め、公式に謝罪しました。これが「釣魚執法」事件の顛末です。

  しかし、と『新京報』は続けます。白タクの存在の背後には、市中心と郊外の「交通格差」があり、また白タクの運転手はもともと上海市民でなく、地方から上海に出かせぎに来た元「農民工」が多い。そして、白タクの通報を生業にしている「鉤子」たちには「下崗(シアガン)」した人々が多い。

  「下崗」とは国営工場や国営会社を解雇されて職を失うことを指します。改革開放政策の導入にともない、多くの国営工場や企業が閉鎖・解体され、大量の「下崗」者を出しました。彼ら「下崗」者は自力で次の仕事を見つけなければなりませんでした。運良く仕事を見つけられたとしても、そのほとんどは以前よりもはるかに労働環境のよくない、収入の低い仕事でした。失職したままの「下崗」者も存在します。

  一方、これまた改革開放政策にともない、地方の農村から大都市に出かせぎに来る人々が大量に出現しました。彼らは「農民工」と呼ばれています。しかし、農民工が都市で働いたとしても、その仕事のほとんどは肉体労働です。食うのに精一杯でなかなかお金がたまらない。一部の農民工は早々に肉体労働に見切りをつけ、もっと稼げる仕事を探して転職します。でも、彼らは都市戸籍を持たないために、実入りがよい仕事に就くことは非常に難しい。

  今回の「釣魚執法」事件で逮捕されたのは一般市民でしたが、発端となった「白タク」の運転手の多くは農民工だそうです。彼らはなぜ正規のタクシー運転手にならないのか、なぜリスクを冒してまで白タクをやるのか。それは、上海市の規定では、上海市の戸籍(「戸口」)を持っていない者、上海市の中心に自宅がない者は、正規のタクシー運転手になれないからです。

  そして、悪質な手段で一般市民を犯罪者に仕立て上げた「鉤子」は、かつては国営工場もしくは国営企業で働いていた労働者で、やがて失職して、生活のためにカネになる仕事ならなんでも飛びつく、なんでもやる人間になってしまった人でした。

  上海で起きたこの「釣魚執法」事件は、現代中国の社会問題の代表である「農民工」と「下崗」者が、皮肉にも敵対する者同士として関わっていた事件だったのでした。しかも、彼らはいずれも改革開放政策にともなって現れた人々です。上海郊外での白タクと白タクの摘発が、最終的には中国の国策である改革開放につながるなんて、と問題の根の深さに呆然とする思いでした。 
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今年も始まったよ

(武侯祠〔しつこく説明するが諸葛孔明を祀った廟〕の「文物陳列館」にあった後漢~三国時代の陶俑〔陶器人形〕。もとはおそらく陵墓の副葬品。太鼓とバチを持っている。太鼓を叩きながら語り、歌い、踊り、貴人を楽しませた当時の芸人をかたどったものらしい。時代を超越する超いい笑顔してるなあ。こんなふうになりたい・・・。)

  毎年秋冬恒例の「理由もなく気分がず~んと沈む」不調が今年も到来しました。今年はややハードです。参ったな~。

  日中が特にひどいです。何をするにも物憂い。だるい。めんどくさい。「こんなことして何になる」と意味なく虚無的になる。

  が、夕方から夜にかけてはマシになります。気持ちが前向きになり、なんとか動けるようになります。おかげで週末はすっかり夜型生活になってしまっています。

  理性では「毎年のことで、なんでもない」と分かってはいても、感情と体はまるで別物のように重いです。落ち込む理由がないから、立ち直る解決策もありません。

  ただこの嵐の時期が過ぎ去るのを待つだけです。

  早く上の写真のおっちゃんのように明るくなりたいぜ。(太鼓とバチを持って踊ったりはしないけど~。)
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漢民族と少数民族(2)

(「刀削面」を作っているところ。左手に持っている小麦粉のタネを、包丁できしめんみたいな扁平型に削って大鍋に落とす。)

  ホテルの近くに「蘭州拉面」の店があったので、晩ご飯はそれで済ますことにしました。

  「蘭州拉面」の店は今や中国全土の至るところにあります。蘭州とは四川省の真上にある甘粛省の省都です。下の記事に書いたように、甘粛省も多数の少数民族が居住している地域です。回族が特に多いと思います。

  回族は中国に古くから定住した少数民族で、中国全土に散らばっています。宗教はイスラム教です。ただ、回族の由来については未だに不明な点が多く、どの系統の民族で、いつごろ、どのルート(中央アジア経由か、それとも東南アジア経由か)で中国にやって来たのかなど、まだ解明されていません。

  甘粛省の回族のように特定の地域にまとまって居住している回族もいれば、中国の各地域に散在して居住し、ほとんど漢族と同化して、漢族と変わらない生活をしている回族もいます。

  特に後者の回族は見た目も漢族とまったく見分けがつきません。回族の男性は宗教上の理由で小さな白い帽子をかぶっていますが、帽子をかぶっていない回族の男性も多くいます。ただ、食生活(豚肉を食べない、酒を飲まないなど)や宗教(モスク〔清真寺〕に行って礼拝する)が漢族と異なるだけです。あと、身分証にも回族と記されているはずです。

  回族は中国全土に散在している、と書きましたが、中国の歴代王朝と共産党政府は、各地域それぞれの中に回族の居住地域を設けて、回族の人々をそこに住まわせていました。あまり知られていませんが、現代中国でも回族の「ゲットー」は存在します。私は実際に行ったことがあります。

  「蘭州拉面」を経営しているのはほとんどが回族の人々です。彼らはイスラム教徒ですから、ラーメンのスープは牛肉だしです。麺の形は多種多様ですが、上に牛の干し肉の薄切り(←「干切牛肉」。激ウマ!!!)と、みじん切りにした香菜がたっぷりのっています。私の大好物です。

  「麺の形は多種多様」というのは、刀で麺を削る刀削面の他にも、小麦粉のタネを両手でみょーん、と引っ張って伸ばして作る拉面、そばがきみたいな形のナントカ面(←名前忘れた)などがあり、それぞれの麺にスープ・バージョンとやきそばバージョンとがあります。円形のナンみたいなパンもあって、確か「バオモー」とかいう名前だったと思います。

  私がその晩に行った「蘭州拉面」店は、店の前面に大きな机を置いて小麦粉を打ち、その前に大きな鍋を置いて麺を煮て、煮上がった麺を碗に盛ると、やはり店の前面で火にかけている大鍋からスープをすくって入れ、鍋の横に置いてある机で肉や香菜をトッピングする、という合理的かつ清潔安心なシステムでした。というか、こういう小さな店では、奥に厨房なんて作らず、店の前に机やガス台を置いて調理してしまうところがほとんどです。

  夜遅く(といっても8時ごろ)に行ったので、お客はあまりいませんでした。その店は、明らかに漢族と同化していない回族と分かる、眉が太く、目が大きく、彫りの深い顔立ちをした青年数人が店を切り盛りしていました。ときどき、頭にスカーフをかぶった中年の女性が出てきていました。たぶんこの店の社長(というかおかみさん)でしょう。

  私は刀削面を注文し、麺を削るところを写真に撮らせてもらえないかと頼みました。ひときわ目の大きな青年が「いいよ、さあ撮りなよ!」と笑いながら言いました。麺を削ぐのは他の青年です。彼は照れ笑いをしていましたが、それでも撮らせてくれました。それが上の写真です。

  煮上がった麺をすくい上げ、麺を盛った碗にスープを入れ、肉や香菜を盛り付け、客のところまで運ぶのは12~3歳くらいの男の子でした。その男の子にもカメラを向けたら、恥ずかしそうに笑い、麺をすくい上げる大きな穴あき柄杓で顔を隠してしまいました。他の青年たちがドッと笑いました。

  刀削面を食べていたら、初老の夫婦らしい二人連れが店に入ってきました。麺ができあがるのを待っている間、夫らしい男性が盛んに店の青年に話しかけていました。その初老男性は標準語で話しました。彼の発音はきれいで正確です。前の記事に書いたタクシー運転手のじじいとは、明らかにステイタスが違う人のようでした。

  ところが、客の初老男性と店の青年との会話を聞いていたら、なんだか嫌な気分になってきました。その初老男性は、店の青年に対して、主にイスラム教の戒律について尋ねていました。曰く、「豚肉は食べないのか」、「酒は飲まないのか」等々。

  字面にすると分かりづらいんだけど、その初老男性の語気や口調や言い方が、なんというのかな、「お前ら、ホントにそんなバカな戒律守ってんの!?」的な、イスラム教を揶揄、もしくは非難するようなものだったのです。

  イスラム教の戒律を知らなくて尋ねているんじゃなくて、知っていて否定的結論に持ち込むために尋ねていたみたいなんです。店の青年は怒ることなく答えていましたが、心中あまり面白くなく思っているらしいことは、その口調から分かりました。

  ひとしきりやり取りした後、その初老男性は、回族の歴史とイスラム教について、一人で勝手に論じ始めました。知ってたんなら最初から聞くなよ、てか、そんなつまんねえ演説をぶつために、わざわざ私の愛する蘭州拉面の店に来るんじゃねえ、と私は腹立たしく思いました。

  また、こんな文化程度のそこそこ高そうな人でさえ、少数民族に対して、完全に上から目線でものを言うのだから、私を(たぶん)少数民族だとカン違いしたあのタクシー運転手のじじいだって、道理で露骨に差別的な態度を取るはずだよ、と納得もしました。

  それにしても、回族が中国に定住してもう何世紀も経つはずなのに、漢族と回族との間にはまだこんなに「壁」があるのか、と驚きました。多民族国家というのは、どこの国でもこんなものなのでしょうか。

  昼間のタクシーでの一件、そして今、目の前で起こっていること、私は確信しました。中国で勃発している民族問題の一番の原因は、漢族が少数民族を見下しているという、まさにこの一点に他ならない、ということです。これが中国の民族問題の本質だよ、と、私は刀削面のスープをすすりながら思いました。 
   
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漢民族と少数民族(1)

(担担面。武侯祠〔諸葛孔明を祭っている廟〕の前にあった店で食った。上にかかっているのはたぶん砕いた煎りピーナッツ。碗の底に肉そぼろ入りの辛味噌ダレがあって、麺と混ぜて食べる。麺はコシのある細うどんみたいな感じ。)

  成都の繁華街に行こうとして、ホテルの前でタクシーを拾いました。ところが行き先を告げると、運転手のおじいさんがすごい勢いで怒鳴りだしました。でもこのおじいさん、訛りがとにかくひどい。何を言っているのかほとんど聞き取れません。

  四川省は訛りがきついことで有名です。「訛り」といっても、古代中国における標準語が各地域で独自の発展を遂げた末の近現代に至って、清朝政府、民国政府、共産党政府の事情によって北京音が「正確」で、それ以外の地域の音は「訛り」になってしまったわけです。

  四川の人々は地元人同士で話す場合は四川方言で話しているでしょうが、よそ者や外国人に対しては、当たり前のことですが、北京音で話してくれます。だからそんなに聞き取れなくて苦労するということはなかったので、このおじいさん運転手のひどい訛りにはびっくりしました。

  辛うじて聞き取れた部分を総合すると、どうやら彼はホテルの前で客を拾ったからには、郊外の空港へ行くものと期待したらしいのです。そのほうがタクシー代が高くなって稼げるからでしょう。ところが、私が告げた行き先は市の中心にある繁華街でした。あまり稼げない。これが彼の不満の一つ。

  もう一つは、中国の道路は右通行です。私が泊まっていたホテルは東に面しており、ホテルの前、つまり右車線を走るタクシーに乗ると、そのまま同じ車線を走って郊外の空港に行くのには便利です。しかし、市の中心に行くとなると、反対車線に移らなくてはなりません。回り道をしなくてはならず、それが面倒だしガソリン代もかかる。彼としては以上の2点が大いに不満で、それで怒ったようでした。

  なおも怒鳴りまくるので、私は音をあげて「聞き取れません。ゆっくり話して下さい」と頼みました。すると、おじいさん運転手は「聞き取れない?」と言うと、車を発進させながら、「聞き取れな~い!聞き取れな~い!聞き取れな~いんじゃ仕方がな~い!」とバカにしたような口調で歌いやがりました。

  こういう中国人、というよりこういう人間に出くわしたのはすっごい久しぶりでした。何年前だか、ロンドンで通りすがりのいかにも不良でバカそうなイギリス人男性3人に「ジャップ!ジャップ!ジャップ!」と言われたとき以来です。

  運転手のじじい(←もう「おじいさん」とは言わん)のこの態度に、私が非常にムカついたのは言うまでもありません。が、私は努めて冷静に「私が行きたい場所はどこか聞き取れましたか?」と丁寧な口調で尋ねました。じじいは当たり前だろーが、とばかりに「塩市口だろ!」と大声で言いました。それで充分でした。私はもうこの運転手には一言も口を利くまい、と黙り込みました。

  じじいはそれからもなにか言ってましたが、私は一切聞く耳を持ちませんでした。だって、聞いたって「聞き取れな~い!」からね(笑)。やがて塩市口に着きました。目的のビルが見えたので、「あのビルの前に行って下さい」とじじいに冷たく言いました。しかし、じじいはなぜか「あの道には入れないよ!」と怒鳴りました。

  じゃあいいや、もうこんな不愉快なタクシーは降りて徒歩で行こう、と私は思い、とびきり冷たい無感情な口調で「車を止めなさい。降ります」と言いました。じじいはようやく、私が怒っていることに気づいたようでした。奇妙なことに、じじいはその途端、いきなり私の顔色をうかがうような怯えた表情になり、小声で「こ、ここで止めるのかい?」と言いました。

  私は「車を止めなさい」と厳然と命令(笑)しました。車が止まると、私は財布からお金を取り出してじじいに渡しました。じじいはわざとらしい笑顔になって、異様に明るい口調で「あんたは標準語がヘタだなあ!」と言いました。これは別に不可解なセリフではありません。フォローしようとして、逆に相手の感情を逆なでするようなことを言ってしまう人はいるものです。

  ですが、私はこれで完全にブチ切れました。私はドアを開いて降りる間際、じじいに向かってゆっくりと「標準語」で言いました。「私の標準語がヘタなのではなく、あなたの訛りが汚いのです。」 そしてさっさとタクシーを降りました。

  私のヘタな標準語でも、どうやらじじいには聞き取れたようです。歩き出した私の背後から、じじいが「俺が訛りが汚いだとー!!!」と怒鳴っている声が聞こえてきました。私は振り返らずに無視して歩き出しました。

  心中プンスカ怒りながら歩いていましたが、徐々に気が静まってきました。それにつれて、私は「あれ?」と気づきました。

  あのじじいは、私に対して「あんたは標準語がヘタだなあ!」と確かに言いました。外国人のヘタな中国語をバカにしたのなら、「あんたは中国語がヘタだなあ!」と言うはずです。「標準語」と「中国語」はそれぞれ別の単語です。それに、タクシーに乗っている間、私がどこの人間なのか、つまり中国人なのか外国人なのかということは話題にのぼりませんでした。よってじじいはもちろん、私が外国人だとは知らなかったと思われます。

  つまり、じじいは私のことを、標準語が話せない中国人、おそらくは少数民族の人間だと思っていた可能性が高いのです。少数民族はぞれぞれに独自の言語を持っていますから、中国政府は彼らに対して徹底した標準語(つまり主要民族である漢民族の言葉「漢語」)の教育を行ない、標準語の試験制度も設けています。

  四川省というのは、北は甘粛省、青海省、西はチベット自治区、南は雲南省、貴州省と境を接しています。甘粛省、青海省、チベット自治区、雲南省、貴州省は少数民族が主に居住している地域です。そんな地理的環境から、成都には少数民族の人々の姿が多く見受けられます。

  といっても、私に見分けられたのはチベット族の僧侶や女性くらいです。チベットの坊さんの袈裟(鮮やかなえんじ色と黄色)は有名ですし、チベット族の民族衣装も見覚えがあったからです。

  タクシー運転手のじじいに話を戻すと、私は自分のヘタな中国語をバカにされたと思って怒ったのですが、じじい的には、少数民族の人間が「標準語」をうまく話せず、また「偉い」漢民族である彼の「標準語」(←彼は自分の訛りが致命的にひどいことは自覚していないらしい)を聞き取れないことをあざ笑ったのでしょう。

  もし私が、「私は外国人なのでゆっくり話して下さい」とあらかじめ彼に言っていたら、彼は果たしてどんな態度を取っただろうか、と思いました。たぶんあれほど無礼な言動はしなかったのではないでしょうか。

  漢民族と少数民族の関係について、私は普段あまり深く考えたことはありませんでした。でもこの経験を通じて、おおかたの漢民族は少数民族を見下しているのではないか、という印象を持ちました。漠然とした感触であり、また憶測に過ぎないのですが、中国における民族問題の根本的な原因は、案外このへんにあるのかもしれない、と感じました。

  つまり漢民族による少数民族の蔑視と漢民族中心主義です。それを感じる出来事がその夜にも起こりました。
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レジ袋有料化

(中国ペプシ・コーラが販売している飲料「草本楽」。これは菊の花と蓮の葉のミックス味。他に棗〔ナツメ〕と枸杞〔クコ〕のミックス味がある。いずれもそれぞれの風味が豊かでおいしい。1本3元〔42円〕ほど。)

  帰国前日、成都で最も賑やかな繁華街、春熙路にある「太平洋百貨」に行ってお土産を買いました。成都にはずいぶん昔からイトーヨーカドー(「伊藤洋華堂」)があり、またいつ出店したのかは分かりませんが、西武デパート(「SEIBU」)もあります。

  私が行った「太平洋百貨」はいちおう高級デパートに分類されると思います。1階はコスメ、靴、バッグ、2階以上は服飾、最上階は家庭雑貨を販売し、地下はスーパー・マーケットになっています。日本のデパートと構成はほぼ同じですが、ただ地下階のスーパー・マーケットは、日本のいわゆる「デパ地下」とは違い、普通のスーパーです。

  「太平洋百貨」に出店しているブランド、特にコスメ、靴、バッグ関係は、シャネルだのルイ・ヴィトンだのエルメスだのグッチだのと、もはや日本のデパートとまったく変わりありません。日本企業も多く出店していました。商品の価格も日本と同じです。

  「太平洋百貨」の真向かいに「王府井百貨」というこれまた高級デパートがあり、この2店は向かい同士ということもあって、互いに熾烈な競争を繰り広げているようです。

  私はこの「王府井百貨」にも入ってみましたが、「太平洋百貨」と店の構成や出店しているブランドもほぼ同じでした。2店はともに活気に溢れ、ほどほどにお客がいて、店内を歩いていると店員がしきりに声をかけてきます。

  ただ、「太平洋百貨」には地下にスーパー・マーケットがありますが、「王府井百貨」にはスーパーがありませんでした。でも「王府井百貨」の1階にはスターバックス・コーヒーが入っており、おいしいコーヒーを飲むことができました。スタバの価格も日本と同じか、もしくは日本よりもやや高めだと思います。

  地下にスーパーがあるという点で、個人的には「太平洋百貨」に軍配を上げます。

  「太平洋百貨」の靴を販売しているエリアを通ると、冬目前ということもあってか、今はブーツがメインに出されていました。デザインはいずれもおしゃれで形も質も良く、日本でも穿けそうなものばかりです。10年前、中国の服や靴は、たとえ高級百貨店で売られているものといえど、とても日本では着られない、穿けないようなダサダサなものばかりだったのに、まったく長足の進歩を遂げたものです。

  で、ついハーフ・ブーツを買ってしまいました。店員に頼むと、試し履きにも、サイズ違いを取りに行くのも、気軽に応じてくれます。態度も親切でした。店員が私の足のサイズのブーツを取りに行っている間、店内のソファーに座って待っていると、隣でやはりブーツの試し履きをしていた女性客が話しかけてきました。

  彼女は同じデザインのハーフ・ブーツで、黒と淡いグレーとのどちらにしようか迷っていて、「あなたはどっちの色がいいと思う?」と聞いてきたのです。私は「あなたは普段、どんな服装が多くて、どんな色のものを多く着ているの?」と尋ねました。彼女は「スカートが多くて、グレーが多い」と答えました。

  淡い色には淡い靴、濃い色には濃い靴、というのが無難な選択でしょう。でも、パンプスなどと違い、ブーツなんてそんなに数を持つものではありません(少なくとも私は)。それに、彼女は店員がいないのに乗じて、「ここの靴は値段が高いわよね」とつぶやきました。どうせ高い買い物なら、使い回しがきく色がいいだろうと私は思ったので、「黒ならどんな色の服にも合うと思いますよ」とアドバイスしました。

  やがて店員が私のサイズのブーツを持ってきました。隣の女性客はまだ悩んでいました。試し履きしたらちょうどよかったので、それを購入しました。値段は598元(8,500円くらい)でした。

  それから地下のスーパー・マーケットで買い物をしました。日本のスーパーと違うのは、陳列棚ごとに店員が1~2名待機していることでしょうか。せっかく成都に来たんだから、成都の特産がいいよなあ、と思って見て回っていると、どうも成都の特産はビーフ・ジャーキー(「牛肉干」)らしいのです。

  「成都のお土産で~す♪」と言って、ビーフ・ジャーキーを真っ昼間から同僚たちに渡すのはいかがなものか、と迷ったと同時に、「もしかしたらビーフ・ジャーキーは、成田の税関で引っかかる(没収される)かもしれない」ということに思い当たりました。確か肉類は、生はもちろん加工品もダメだったはずです。ここ数年来問題になっている、肉由来のナントカ病のせいですな。

  四川といえばパンダ、パンダといえば四川、パンダ型のクッキーとかチョコレートとかキャンディとかはないのか、と思って探しましたが見つかりませんでした。2年前に中国に来たとき、北京市内のスーパー・マーケットにはあったんですが。

  迷っていると、エレベーターの横の陳列棚に「成都特産」という文字を見つけました。それは成都特産のお菓子でした。「酥(スー)」といって、柔らかい落雁みたいなお菓子です。小麦粉を主原料とし、ゴマやピーナッツの粉が入っています。

  これは絶対に税関で引っかからないはずだし、なにより軽いので持って帰るのに便利です。さっそく必要な分だけ購入しました。

  「酥」は軽いですが非常に柔らかいので、型崩れを防ぐために箱詰めにされています。レジで清算すると大きなプラスチック袋にすべて入れてくれましたが、箱の角張った部分で袋が破れるかも、と思い、「もう1枚袋を下さい」と頼みました。

  すると、店員は「2枚目からは1枚3毛(4~5円くらい)です」と言いました。なんとレジ袋が有料化されていたのです。日本にもエコの観点からレジ袋を有料化しているスーパーやコンビニがありますが、エコの波が中国にも、しかも四川なんて地方にも及んだか、と驚きました。

  ホテルまでタクシーで帰り、近くの小さなお店で飲み物を買いました。上の写真にある中国ペプシ・コーラ社製の「草本楽」シリーズが気に入ったので、成都にいる間はほぼ毎日飲んでいました。2本ほどを持ってレジで清算しましたが、店員が袋に入れてくれません。「袋を下さい」と言うと、なんと店員、「3毛だよ!」と無愛想に言ってのけたではありませんか!

  高級デパートでさえ1枚目の袋は無料だったのに、こんな小さな店が1枚目の袋をケチるのか。しかも、デパートの袋は大きくて厚みのあるしっかりした袋でしたが、この店で使っている袋は小さくて薄っぺらく、日本のスーパーでいえば生鮮食品を入れるときに使う薄い袋並みの安っぽいものです。

  これはもう完全にエコではなく単なるケチであり、しかもエコにかこつけてこすい金儲け(たった3毛)を狙ったものだ、とプチ腹が立ったので、「じゃ、いらない!」と私も無愛想に言って店を出ました。

  両腕に高級デパートのデカいプラスチック袋と紙袋をぶら下げ、更に両手に2本のペットボトルを握りしめた私の姿を見ても、ドアボーイのお兄さんは冷静な表情で黙ってドアを開けてくれました。でも、外から見ればヘンな姿だったろうなあ。

  それにしても、エコの取り組みを即座に金儲けの取り組みに変える中国人恐るべし、と彼らのたくましさにちょっと感心(?)しました。 
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楽山大仏

(楽山大仏。右側の柵から眺める人々の姿と比べると、その巨大さが分かります。よく見ると、『聖☆おにいさん』のブッダに似てますなー。)

  成都市から高速道路を南にまっすぐ2時間半ほど走ると、楽山市というところがあります。そこは「楽山大仏」があることで有名です。

  「楽山大仏」は「岷江(みんこう)」という広い河に面してそそり立つ厳しい崖に彫られた石仏です。世界遺産にも登録されています。非常に巨大な石仏で、上の柵からでは顔しか写せませんでしたが、崖の上から下をまんべんなく使って全身像が彫られています。西洋風に腰かけているポーズです。

  楽山大仏は崖の下、つまり大仏の足元から見上げる形で眺めることもできます。大仏が彫られている脇の崖にとんでもなく急勾配の階段道が開かれていて、徒歩で降りていくわけです。

  下から巨大な大仏の全身像を眺めることができればさぞ壮観だったでしょうが、崖下に下りる見物客が押し合いへし合いの長い列をなしていたのです。まず、階段道に下りるのを待つ列が幾重にも重なり、階段道そのものも見物客でみっちり充満していました。

  しかも、その階段道が非常に狭く、人がすれ違うのがやっとという狭さでした。崖下まで下って大仏を見て、それから再び階段道を登って崖上に戻るまでに、少なく見積もっても軽く2時間ほどはかかりそうです。見物客で溢れかえっている階段道を崖上から見て、崖下に下りる気がすっかり失せてしまいました。

  それで、大仏は崖上から眺めるだけにして、あとは山上にあるお寺(楽山大仏の建造を行なった偉いお坊さんを祭ってある)や、その他諸々の遺跡を見物しました。

  その他諸々の遺跡というのは、大仏以外にも、たとえば敦煌の莫高窟と同様、楽山全体に小規模の石仏が無数に彫られていた痕跡、また僧侶たちが修行の場所として用いたと思われる、人為的に掘削された洞窟を指します。

  私にとっては、世界遺産の巨大な大仏よりも、こうした小規模の遺跡のほうが興味深かったです。道に沿ってそそり立つ崖に、明らかに人の手で掘削されたへこみがいくつもあり、その中に観音や弥勒菩薩などの仏像が浮き彫りの形で彫られているのです。

  とはいえ、敦煌の莫高窟にある仏像とは比べものにならないほど損壊が甚だしかったです。顔の欠けているもの、手足の欠けているものがほとんどでした。

  中国では1966年から77年まで「文化大革命」という政治運動が行なわれました。文化大革命では、伝統的なもの、「封建主義」的なもの、「西側文化」のもの、資本主義的なもの一切が批判され、排斥され、破壊されました。

  古代の仏教遺跡も、文化大革命中に多くが破壊されました。楽山に彫られた顔や手足の欠けた石仏は、文化大革命中に壊されたのかと私は思ったのですが、同行した中国人によると、これらの石仏は壊されたのではなく、近年に発見されて発掘されたものであり、その発掘作業は今でも継続中である、ということでした。

  いったん彫られた仏像がどういう事情で埋め戻され、隠されたのかは分かりません。でも、いずれすべての石仏が発掘されれば、楽山の石仏群はより興味深い遺跡となるでしょう。

  巨大な大仏は切り立った崖を掘削して彫られているのですが、その両脇の崖をよく見ると、そこにも無数の穴が開いているのです。人為的に彫られた穴であることは明らかでした。今の時点ではそれらの穴の中を見ることはできません。それらの穴に行ける道がないからです。ですが、おそらく古代では、たとえば木製の桟道のようなものがあったのでしょう。

  これらの謎の穴の中に何があるのかについて、学術調査が行なわれたのかどうかは分かりませんが、巨大大仏を観光の目玉にすることのみに止まらず、楽山の仏教遺跡の全容について、きちんとした調査が行なわれるといいな、と思います。

  ところで、楽山市は非常に近代的な都市で、特に高層マンション群が街じゅうの至るところに建造されていました。道路の両脇に、まるで剣山みたいに高層マンション群がこれでもかとばかりに聳え立っているのです。

  楽山市は四川省の南の端に位置し、高速を更に1時間ほど南下すれば、少数民族の自治区に入ります。つまりは、楽山市がそんなに経済的に発展している都市であるとは思えないのです。

  それなのに、あの大量の高層マンション群には、どういう人たちが住んで、彼らはどこで働いているのでしょう?いずれも超近代的な高層ビルでしたから、それなりの収入のある人でないと住めないはずです。

  しかも、不思議なことに、剣山のように鋭く高くそそり立つ高層マンション群のほとんどの部屋はまだ空室のようでした。きれいな建物だけど、ほぼ無人の高層マンション群が沈黙したまま聳え立つ姿は異様でさえありました。

  楽山市は成都市のベッドタウンなのかもしれない、とも思いましたが、高速でも成都から3時間近くかかるようなところが果たしてそうなのだろうか?と疑問です。

  有名な楽山大仏を見物できて有意義でしたが、それよりもずらりと立ち並ぶ高層マンションのほうが印象に残りました。
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木芙蓉

  成都の街を歩いていて、やたらと目に付いたのがこの花でした。木芙蓉というんだそうです。

  成都双流国際空港から成都市内に走る高速道路の両脇には、この木芙蓉の樹がずっと植えられていました。街中でも公園などにはかならず木芙蓉がありました。

  一株の樹に紅い花、白い花、紅と白が混ざった花が一緒に咲いているので不思議に思いました。聞いてみたら、この木芙蓉という花は、咲いたばかりのときは白く、徐々に紅になっていって、最終的には紅になるんだそうです。

  とてもきれいな花で、成都といえば、この木芙蓉の花がいちばん印象に残りました。日本にもあるのでしょうか?

  ところで、料理のメニューを見ると、「芙蓉」という名がついた料理がよくあります。料理での「芙蓉」とは、卵の白身のみを炒め料理に用いた、またはスープに用いたものを指します。一般にあっさりめの料理に用いることが普通なので、日本人の口によく合い、とても美味です。

  実際の木芙蓉の花を見て、なるほど、だから卵の白身のみを使った料理は「芙蓉」という名前がついているのか、と納得できました。
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