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9日(木)の公演を観てきました。
良い公演でした。事実上、ジゼルを踊ったアリーナ・コジョカル(英国ロイヤル・バレエ団)の独り舞台というか、確かに「名演」だったと思います。
ただ、コジョカルの変貌ぶりは、あまりに痛々しくて、見るに忍びなかったです。第一幕からそうでした。ジゼルはまだ何も知らずに笑いながらアルブレヒトと戯れている場面だというのに、コジョカルを見ていると、なぜかとても哀しくなって涙が出ました。
舞台上にいるのは、アリーナ・コジョカルというバレリーナというよりは、ジゼルその人でした。ウィリとなったジゼルがもし現実に目の前にいるとしたら、たぶんああいうふうなんだろうと思います。というよりも、コジョカルはジゼルという人物の本質、もしくはジゼルがアルブレヒトを救った行為の本質を、真実として具現してみせました。
たとえば、「世界バレエ・フェスティバル」でマニュエル・ルグリと共演したときの、また英国ロイヤル・バレエの公演(2006年)の映像版におけるコジョカルのジゼルと、今回のコジョカルのジゼルはまったく違いました。
今回のコジョカルは、第一幕でジゼルが悪戯っぽくほほ笑んでいても、いつも表情に翳がありました。その翳が、ジゼルの悲劇的な結末をすでに示していました。あんな陰翳は、以前のコジョカルにはありませんでした。
第二幕、ウィリとなったジゼルのときの、コジョカルのあの表情!ジゼルを踊るほとんどのバレリーナが頭では分かっているだろうけれども、実際に表現することがほとんどできないもの、崇高な次元の「愛と許し」(陳腐な表現だけど、でもこうとしかいいようがない)を、コジョカルは静かだけど哀しみと慈しみを漂わせた表情で体現していました。
大げさな喩えかもしれないけど、まるで、聖母のようでした。
コジョカルは1981年生まれだそうですから、まだ29歳くらいのはずです。コジョカルの踊りはすばらしかったです。ジゼルが横顔を見せてうつむいたときの、首から肩、背中にかけての美しい線、細かい爪先の震え、柳のように緩やかにしなだれる両腕、アルブレヒトを救おうという必死な思いが伝わってくる脚の動き、高い跳躍、長い安定したバランス。
でも、コジョカルはもう全盛期の彼女ではない。彼女自身が言っていた、「音楽と戯れる」ような、柔らかな身体と細緻なテクニックと強靭なスタミナで、音楽と追いかけっこをするような、水の中を魚が自在に泳いでいくような彼女の踊りでは、もうない。
第二幕はすばらしかったですが、第一幕はぎこちなさが目立ちました。一言でいえば、以前のコジョカルの踊りにいつもあった、ゆったりした余裕がないのです。なんとか振りをつなぐのが精一杯で、音楽に合わせるゆとりが持てないようでした。特に複数の種類のステップの連続でそれが見られました。
第一幕のジゼルのヴァリエーションで、ジゼルが爪先立った片足で小刻みに跳ねながら、同時に上げた片脚を振っていく動きがあります。このヴァリエーションの見せ場の一つです。コジョカルの動きを見て愕然としました。調子が良くなかったとかいう問題ではありません。彼女はもうあの動きができなくなっているのでしょう。
コジョカルは2008年から翌09年にかけてのほぼ1年間、怪我のせいでずっと休養していました。首の怪我といわれていましたが、正確にはむち打ち症(whiplash injury)だったそうです。
むち打ち症というと、交通事故でなる、というイメージがありますが、スポーツ、そしてなんとバレエでもなる人が多いそうです。また、むち打ち症といえば、首に大きなギプスをはめている人が思い浮かびます。治癒には最低でも数ヶ月から1年という長い時間がかかるそうで、それは筋肉から脊髄までのあらゆる部位に損傷が及ぶからだということです。
コジョカルによると、ある日のリハーサル中に「首に何かが起こった」と自覚したそうです。彼女の怪我は非常に深刻で、ダンサーとしての復帰は不可能、とまで一時期いわれました。
しかし彼女は復帰しました。一見すると感動的な美談です。でも、今回の公演を観て、もう以前のようなコジョカルの踊りではなくなったことが分かりました。めったにそんなことを言ってはならないことは承知しています。それでも、ほほ笑むコジョカルの表情につきまとって離れないあの翳が、それを物語っているような気がするのです。
まだ29歳、こんな若さで、「全盛期」を過ぎたとしたら、なんて残酷なことだろうと思います。ただ、コジョカルはそれと引きかえに、バレリーナとして、バレエ・ダンサーとして、より高い次元に昇ったのだ、とも感じます。今回の彼女のジゼルが、それを証明していました。
舞台の上で、コジョカルだけが次元の違う存在でした。コジョカルは、公私ともに最高のパートナーであるヨハン・コボーさえも凌駕してしまっていました。コボーの年齢がどうだというのではないです。アーティストとして、コジョカルのほうがはるか上に行ってしまった、ということです。コボーは、バレエ・ダンサーとしては、良いパフォーマンスをしたと思います。
バレエと銘打った児戯(←本当に申し訳ない)を披露していた東京バレエ団のダンサーたちについては、特に書きたいことは何もないです。先日、『小さな村の小さなダンサー』という映画を観ました。アメリカ人のバレエ関係者たちが中国人のダンサーたちについて言っていた、「ダンサーというよりアスリート」、「感情がない」というコメントが思い出されました。あ、でも、軍靴の音も勇ましかった以前の「軍隊ウィリ」が、静かな「妖精ウィリ」になっていたのはよかったです。
今回は日本で久々にコジョカルとコボーの全幕作品共演を観られたし、ここ数年来のジンクス(必ずコジョカルとコボーとのどちらか一方にアクシデントが起きてポシャる)を破ることができました。
でも数年ぶりに観たコジョカルとコボーとの間には、越えようのない差ができてしまっていました。コジョカルのほうがバレエの天上界(?)に先に到達してしまった感じです。コジョカルはまだまだ若いです。これから彼女の踊りがどうなっていくのか、というより、彼女はこれからどうするのか、目を離さずにいたいと思います。マジで。
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もうあちこちで話題になっているようですが、この10月に開催されるボリショイ&マリインスキー・バレエ合同ガラ公演、そして来年1月に上演される新国立劇場バレエ団『ラ・バヤデール』に出演予定だったスヴェトラーナ・ザハロワ(ボリショイ・バレエ)が、「健康上の理由」により両公演を降板しました。
来年の公演にまで影響するような「健康上の理由」が何なのかは説明されていません。でも、ゆっくり養生してしっかり体調を整え、また舞台に戻ってきてほしいものです。
ボリショイ&マリインスキー・バレエ合同ガラ公演では、すでにマリーヤ・アレクサンドロワ(ボリショイ・バレエ)の参加が取りやめになったことが発表されていました。その代わりとしてアンナ・ニクーリナが出演することになりました。
ザハロワの代わりとしては、ガリーナ・ステパネンコが出演することになったそうです。
アレクサンドロワとザハロワの降板については、私個人はさほど残念ではありません。両人とも日本ではとても人気のあるダンサーです。彼女らの踊りはこれまで何度か観てきたし、これからもその機会はいくらでもあるだろうからです。
でも、アンナ・ニクーリナやガリーナ・ステパネンコの踊りは、日本ではおそらくめったに観られないのではないでしょうか?将来有望だというニクーリナがどんなダンサーなのか楽しみですし、超ベテランのステパネンコについては、ベテランならではの円熟した、表現力の豊かな踊りがきっと観られることでしょう。それに、ベテランといっても、ボリショイ・バレエのダンサーたちは、基礎体力そのものが常人とはかけ離れているので、年齢なんてまったく感じさせない踊りを見せてくれると思いますよ。
それにしても、合同ガラに出演するボリショイ・バレエの男性陣を見てみると、日本で知名度のあるダンサーがほとんどいませんなー。もちろん、彼らは優秀なダンサーばかりなんだろうけど、観客をその名前だけで吸引できるとはいいがたいと思います。ニコライ・ツィスカリーゼあたりが来てくれれば、大騒ぎにもなるんでしょうが。
一方、新国立劇場バレエ団『ラ・バヤデール』で、ザハロワの代わりにニキヤを踊ることになったのは、なんと英国ロイヤル・バレエ団のファースト・ソリスト、小林ひかるさんです。これには驚きました。
ロイヤル・オペラ・ハウスの公式サイトに載っている小林さんのレパートリーを見ると、彼女は『ラ・バヤデール』(ナターリャ・マカロヴァ版)では、「影」の第1ヴァリエーション、第3ヴァリエーションを踊っているとのことです。新国立劇場の公式サイトには、ガムザッティを踊っている、と書いてあります。
いずれにせよ、来年1月の新国立劇場バレエ団『ラ・バヤデール』が、小林さんのニキヤ・デビューになるということなのでしょうか。
ザハロワに代わるニキヤ役の人選がどういう経緯で行なわれたのかは分かりませんが、芸術監督であるデヴィッド・ビントリーの意向が強く働いたのではないか、と私は憶測しています。
もちろんビントリーは小林さんの踊りをイギリスで実際に観ているでしょう。小林さんならニキヤを踊れる、とビントリーは踏んだのかもしれませんし、日本人の小林さんなら、新国立バレエ団のダンサーたちと(見た目的に)違和感なく共演できる、と思ったのかもしれません。あくまで勝手な憶測ですが。
『ラ・バヤデール』のチケットの一般発売は今週末です。私はザハロワの出演日を観るつもりでしたから、気合を入れてチケット争奪戦に臨もう、と覚悟していました。でも、こんな言い方は小林さんに失礼ですが、これで余裕をもってチケット取りができそうだな、と気が楽になりました。
こうなった以上、小林さんのニキヤを観るのが楽しみでなりません。降板劇も、見方を変えれば、今まで知らなかった優秀なダンサーと出会える貴重な機会になるのです。
でも、ザハロワのファンのみなさんの残念なお気持ちは察しております。私ももちろん、ザハロワの舞台復帰を強く待ち望んでいる一人です。
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