『兵士の物語』再々放送

  アダム・クーパー、ウィル・ケンプ、マシュー・ハート、ゼナイダ・ヤノウスキー出演のウィル・タケット版『兵士の物語』がWOWOWで再々放送されます。

  今回は普通ヴァージョンのみの放映のようですね。11月30日(火)午前9:45から、191チャンネルでだそうです。

  詳細については WOWOWオンライン をご覧下さい。(「兵士の物語」で検索するとすぐヒットするでよ。)

  見逃した方は(たぶんいないだろーけど)この機会にぜひどうぞ~。

  てか、早くDVD化して下さいよ~。

  それとも、WOWOWが放映する間は出せないのかしらね?

  
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SUZUKI「スイフト」のCM

  最近、車のテレビCMでバレエ・ダンサーが踊っている映像をよく見かけていて、誰かなあとは思ったけど、特に知ろうとは思いませんでした。

  しかし、今日の『秋田魁新報』(今、帰省してます)に、SUZUKIの1面まるごとを使った写真広告が載っていました。新型「スイフト」の広告です。

  広告の写真には、白いレオタードを着た女性バレエ・ダンサーが、上半身を後ろに大きく反らし、両腕を頭上に上げ、右脚を通常よりも異様に前に出したアラベスクの姿勢をとっている姿の全身が、どーん、とデカく写っています。胴体部分に新型スイフトの写真をかぶせてあるのですが、はっきりいってバレエ・ダンサーのほうが圧倒的な存在感があります。

  よく見ると、そのバレエ・ダンサーは裸足なのに、しかし両足はともに指先がポワントで立っているかのようにぴんと伸びています。裸足でトゥで立てるはずがないので、これはどうやら跳躍をした瞬間を撮影した写真と思われました。

  こうして大きな写真でじっくり見ると、この女性バレエ・ダンサーは手足が長く、実に見事な体型をしており、身体の柔軟性もすばらしいようでした。それに、アラベスクで跳躍して、ここまで両脚が開いている(180度)のも凄まじい。もしくは、たとえばキトリがやる「えびぞりジャンプ」の瞬間を写したのかもしれませんが、それでも両脚が前後にびーん、と伸びてとても美しいです。

  ここではじめて、これは一体誰だ、と思って調べたら、なんとポリーナ・セミオノワ(ベルリン国立バレエ団プリンシパル)でした。ああ、やっぱり、そんじょそこらのダンサーではなかった、と納得。

  SUZUKIの新型スイフトの公式サイト で、セミオノワ出演のテレビCMの映像が観られますし、CM撮影時の話も詳しく載っています。なかなか読み応えがありますよ。

  あのダンサー(ポリーナ・セミオノワ)が観たい、と思われたみなさま、彼女が所属するベルリン国立バレエ団は、来年、2011年1月に日本公演を行ないます(詳しくは主催元の NBSの公式サイト をご覧下さいませ~)。もちろんセミオノワも出演予定です。ってか、セミオノワはこのバレエ団のトップ・バレリーナです。
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東京バレエ団『ジゼル』

  9日(木)の公演を観てきました。

  良い公演でした。事実上、ジゼルを踊ったアリーナ・コジョカル(英国ロイヤル・バレエ団)の独り舞台というか、確かに「名演」だったと思います。

  ただ、コジョカルの変貌ぶりは、あまりに痛々しくて、見るに忍びなかったです。第一幕からそうでした。ジゼルはまだ何も知らずに笑いながらアルブレヒトと戯れている場面だというのに、コジョカルを見ていると、なぜかとても哀しくなって涙が出ました。

  舞台上にいるのは、アリーナ・コジョカルというバレリーナというよりは、ジゼルその人でした。ウィリとなったジゼルがもし現実に目の前にいるとしたら、たぶんああいうふうなんだろうと思います。というよりも、コジョカルはジゼルという人物の本質、もしくはジゼルがアルブレヒトを救った行為の本質を、真実として具現してみせました。

  たとえば、「世界バレエ・フェスティバル」でマニュエル・ルグリと共演したときの、また英国ロイヤル・バレエの公演(2006年)の映像版におけるコジョカルのジゼルと、今回のコジョカルのジゼルはまったく違いました。

  今回のコジョカルは、第一幕でジゼルが悪戯っぽくほほ笑んでいても、いつも表情に翳がありました。その翳が、ジゼルの悲劇的な結末をすでに示していました。あんな陰翳は、以前のコジョカルにはありませんでした。

  第二幕、ウィリとなったジゼルのときの、コジョカルのあの表情!ジゼルを踊るほとんどのバレリーナが頭では分かっているだろうけれども、実際に表現することがほとんどできないもの、崇高な次元の「愛と許し」(陳腐な表現だけど、でもこうとしかいいようがない)を、コジョカルは静かだけど哀しみと慈しみを漂わせた表情で体現していました。

  大げさな喩えかもしれないけど、まるで、聖母のようでした。

  コジョカルは1981年生まれだそうですから、まだ29歳くらいのはずです。コジョカルの踊りはすばらしかったです。ジゼルが横顔を見せてうつむいたときの、首から肩、背中にかけての美しい線、細かい爪先の震え、柳のように緩やかにしなだれる両腕、アルブレヒトを救おうという必死な思いが伝わってくる脚の動き、高い跳躍、長い安定したバランス。

  でも、コジョカルはもう全盛期の彼女ではない。彼女自身が言っていた、「音楽と戯れる」ような、柔らかな身体と細緻なテクニックと強靭なスタミナで、音楽と追いかけっこをするような、水の中を魚が自在に泳いでいくような彼女の踊りでは、もうない。

  第二幕はすばらしかったですが、第一幕はぎこちなさが目立ちました。一言でいえば、以前のコジョカルの踊りにいつもあった、ゆったりした余裕がないのです。なんとか振りをつなぐのが精一杯で、音楽に合わせるゆとりが持てないようでした。特に複数の種類のステップの連続でそれが見られました。

  第一幕のジゼルのヴァリエーションで、ジゼルが爪先立った片足で小刻みに跳ねながら、同時に上げた片脚を振っていく動きがあります。このヴァリエーションの見せ場の一つです。コジョカルの動きを見て愕然としました。調子が良くなかったとかいう問題ではありません。彼女はもうあの動きができなくなっているのでしょう。

  コジョカルは2008年から翌09年にかけてのほぼ1年間、怪我のせいでずっと休養していました。首の怪我といわれていましたが、正確にはむち打ち症(whiplash injury)だったそうです。

  むち打ち症というと、交通事故でなる、というイメージがありますが、スポーツ、そしてなんとバレエでもなる人が多いそうです。また、むち打ち症といえば、首に大きなギプスをはめている人が思い浮かびます。治癒には最低でも数ヶ月から1年という長い時間がかかるそうで、それは筋肉から脊髄までのあらゆる部位に損傷が及ぶからだということです。

  コジョカルによると、ある日のリハーサル中に「首に何かが起こった」と自覚したそうです。彼女の怪我は非常に深刻で、ダンサーとしての復帰は不可能、とまで一時期いわれました。

  しかし彼女は復帰しました。一見すると感動的な美談です。でも、今回の公演を観て、もう以前のようなコジョカルの踊りではなくなったことが分かりました。めったにそんなことを言ってはならないことは承知しています。それでも、ほほ笑むコジョカルの表情につきまとって離れないあの翳が、それを物語っているような気がするのです。

  まだ29歳、こんな若さで、「全盛期」を過ぎたとしたら、なんて残酷なことだろうと思います。ただ、コジョカルはそれと引きかえに、バレリーナとして、バレエ・ダンサーとして、より高い次元に昇ったのだ、とも感じます。今回の彼女のジゼルが、それを証明していました。

  舞台の上で、コジョカルだけが次元の違う存在でした。コジョカルは、公私ともに最高のパートナーであるヨハン・コボーさえも凌駕してしまっていました。コボーの年齢がどうだというのではないです。アーティストとして、コジョカルのほうがはるか上に行ってしまった、ということです。コボーは、バレエ・ダンサーとしては、良いパフォーマンスをしたと思います。

  バレエと銘打った児戯(←本当に申し訳ない)を披露していた東京バレエ団のダンサーたちについては、特に書きたいことは何もないです。先日、『小さな村の小さなダンサー』という映画を観ました。アメリカ人のバレエ関係者たちが中国人のダンサーたちについて言っていた、「ダンサーというよりアスリート」、「感情がない」というコメントが思い出されました。あ、でも、軍靴の音も勇ましかった以前の「軍隊ウィリ」が、静かな「妖精ウィリ」になっていたのはよかったです。

  今回は日本で久々にコジョカルとコボーの全幕作品共演を観られたし、ここ数年来のジンクス(必ずコジョカルとコボーとのどちらか一方にアクシデントが起きてポシャる)を破ることができました。

  でも数年ぶりに観たコジョカルとコボーとの間には、越えようのない差ができてしまっていました。コジョカルのほうがバレエの天上界(?)に先に到達してしまった感じです。コジョカルはまだまだ若いです。これから彼女の踊りがどうなっていくのか、というより、彼女はこれからどうするのか、目を離さずにいたいと思います。マジで。
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ザハロワ降板

  もうあちこちで話題になっているようですが、この10月に開催されるボリショイ&マリインスキー・バレエ合同ガラ公演、そして来年1月に上演される新国立劇場バレエ団『ラ・バヤデール』に出演予定だったスヴェトラーナ・ザハロワ(ボリショイ・バレエ)が、「健康上の理由」により両公演を降板しました。

  来年の公演にまで影響するような「健康上の理由」が何なのかは説明されていません。でも、ゆっくり養生してしっかり体調を整え、また舞台に戻ってきてほしいものです。

  ボリショイ&マリインスキー・バレエ合同ガラ公演では、すでにマリーヤ・アレクサンドロワ(ボリショイ・バレエ)の参加が取りやめになったことが発表されていました。その代わりとしてアンナ・ニクーリナが出演することになりました。

  ザハロワの代わりとしては、ガリーナ・ステパネンコが出演することになったそうです。

  アレクサンドロワとザハロワの降板については、私個人はさほど残念ではありません。両人とも日本ではとても人気のあるダンサーです。彼女らの踊りはこれまで何度か観てきたし、これからもその機会はいくらでもあるだろうからです。

  でも、アンナ・ニクーリナやガリーナ・ステパネンコの踊りは、日本ではおそらくめったに観られないのではないでしょうか?将来有望だというニクーリナがどんなダンサーなのか楽しみですし、超ベテランのステパネンコについては、ベテランならではの円熟した、表現力の豊かな踊りがきっと観られることでしょう。それに、ベテランといっても、ボリショイ・バレエのダンサーたちは、基礎体力そのものが常人とはかけ離れているので、年齢なんてまったく感じさせない踊りを見せてくれると思いますよ。

  それにしても、合同ガラに出演するボリショイ・バレエの男性陣を見てみると、日本で知名度のあるダンサーがほとんどいませんなー。もちろん、彼らは優秀なダンサーばかりなんだろうけど、観客をその名前だけで吸引できるとはいいがたいと思います。ニコライ・ツィスカリーゼあたりが来てくれれば、大騒ぎにもなるんでしょうが。

  一方、新国立劇場バレエ団『ラ・バヤデール』で、ザハロワの代わりにニキヤを踊ることになったのは、なんと英国ロイヤル・バレエ団のファースト・ソリスト、小林ひかるさんです。これには驚きました。

  ロイヤル・オペラ・ハウスの公式サイトに載っている小林さんのレパートリーを見ると、彼女は『ラ・バヤデール』(ナターリャ・マカロヴァ版)では、「影」の第1ヴァリエーション、第3ヴァリエーションを踊っているとのことです。新国立劇場の公式サイトには、ガムザッティを踊っている、と書いてあります。

  いずれにせよ、来年1月の新国立劇場バレエ団『ラ・バヤデール』が、小林さんのニキヤ・デビューになるということなのでしょうか。

  ザハロワに代わるニキヤ役の人選がどういう経緯で行なわれたのかは分かりませんが、芸術監督であるデヴィッド・ビントリーの意向が強く働いたのではないか、と私は憶測しています。

  もちろんビントリーは小林さんの踊りをイギリスで実際に観ているでしょう。小林さんならニキヤを踊れる、とビントリーは踏んだのかもしれませんし、日本人の小林さんなら、新国立バレエ団のダンサーたちと(見た目的に)違和感なく共演できる、と思ったのかもしれません。あくまで勝手な憶測ですが。

  『ラ・バヤデール』のチケットの一般発売は今週末です。私はザハロワの出演日を観るつもりでしたから、気合を入れてチケット争奪戦に臨もう、と覚悟していました。でも、こんな言い方は小林さんに失礼ですが、これで余裕をもってチケット取りができそうだな、と気が楽になりました。

  こうなった以上、小林さんのニキヤを観るのが楽しみでなりません。降板劇も、見方を変えれば、今まで知らなかった優秀なダンサーと出会える貴重な機会になるのです。

  でも、ザハロワのファンのみなさんの残念なお気持ちは察しております。私ももちろん、ザハロワの舞台復帰を強く待ち望んでいる一人です。
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『小さな村の小さなダンサー』

小さな村の小さなダンサー (徳間文庫)
井上 実
徳間書店

(李存信の原作の翻訳本。映画の日本公開に合わせて文庫化された。こちらのほうが今はお求めやすいです~。)

  駆け込みで観てきました。期待したほど良い出来の作品ではなかったですが、1度くらい観ておいて損はないと思います。

  「中国版『リトル・ダンサー』」と謳った宣伝記事もありましたが、スティーヴン・ダルドリー監督作品の『リトル・ダンサー』と比べるのは酷です。

  『リトル・ダンサー』は、どんな観客層にもウケるよう、緻密に計算されて作られた娯楽性の強い映画です。ダルドリーはイギリス興行界のベテラン職人ですから、どういうストーリーにすれば、またどういう演出をすれば観客が喜ぶか熟知しています。だから、80年代のイギリスの炭鉱町を舞台にしているといっても、内容はほぼフィクションです(ただし、主人公ビリーのモデルは、振付家の故ケネス・マクミランと英国ロイヤル・バレエの現キャラクター・アーティストであるフィリップ・モーズリー)。

  この『小さな村の小さなダンサー』の原題は“Mao's Last Dancer”といい、中国出身の元バレエ・ダンサー、リー・ツンシン(李存信)の自伝(原題と同名)を映画化したものです。原作は、一バレエ・ダンサーの思い出というにはあまりに重い内容で、リー・ツンシンの個人的履歴に、1970~80年代の中国における文化大革命、改革開放政策、当時の微妙な米中関係などが絡んできます。映画の内容は原作に非常に忠実でした。あの原作の重い内容を2時間以内にまとめるのは大変な作業だったと思います。

  オーストラリア映画で、ブルース・ベレスフォード監督をはじめとする主要スタッフのほとんどがオーストラリア人である、ということが影響しているのか、また製作協力してくれた中国側への配慮か、中国=個人の自由と人権を無視・侵害する社会主義(つまり悪の)国、アメリカ=個人の自由と人権を尊重し擁護する正義の国、という単純な対立図式になっていなかったのがよかったです。

  逆に、アメリカ人が個人的な保身のために主人公を中国へ強制帰国させようとしたり、中国人の役人がアメリカに亡命した主人公の復権のために尽力したり、という逆転(笑)現象さえ描いていました。これらもみな実話で、原作にちゃんと書かれています。

  ただ、なぜ中国政府が主人公を軟禁してまで、アメリカから中国に無理やり帰国させようとしたのか、その理由説明が不充分でした。当時の中国政府が頭を痛めていた、優秀な人材の海外流出、という深刻な国家的問題をきちんと説明しないと、中国は意味なく個人の人権を侵害する無法国家だ、といった誤解を与えてしまいます。

  この点については、パンフレットの中でジャーナリストの莫邦富が詳しく解説しています。本編の鑑賞前でも、このページを読んでおけば、在ヒューストン中国総領事館の役人たちの過激な行動が理解できると思います。つまり、彼らは国家の方針に沿ってそのように行動せざるを得なかった、ということをです。

  主人公を軟禁し強制的に帰国させようとする総領事役の俳優(あの流暢な英語からすると、中国系アメリカ人俳優だと思われます)の演技が見事で、はっきりとしたセリフはなくとも、自身もこんな乱暴なことをするのは本意ではない、といった思いをにじませた複雑な表情がすばらしかったです。

  主人公リー・ツンシン役のツァオ・チー(漢字が「曹馳」だとやっと分かった)は、演技では影が薄かったです。もっとも、ツァオ・チーは俳優ではないし、リー・ツンシン役の設定も、アメリカでの生活に戸惑い、英語もロクにしゃべれない、というものなので、あまり気になりませんでした。

  オーストラリア・バレエ団の現役プリンシパル、マドレーヌ・イーストーも主人公の同僚であるバレリーナ、ローリ役で出演していました。ちびっとだけ特別出演、なんてもんではなく、主要な脇役の一人(!)でした。『ドン・キホーテ』グラン・パ・ド・ドゥ、グレアム・マーフィー版『白鳥の湖』などを主人公役のツァオ・チーと踊るだけでなく、最後まで主人公を助け、主人公のアメリカ残留に協力するという役柄です。

  主人公と結婚するエリザベス役は、『センター・ステージ』で主人公を演じたアマンダ・シュールでした。今は女優業に専念しているようですね。

  主人公の母親役はジョアン・チェンで、あのセクシー女優が、見事に中国の僻地の農村のど根性オカンになっていたのでびっくりしました。大陸出身の俳優はこれだからすごいです。ハリウッド俳優と同様、中国の俳優も役に合わせて体重や顔つきをコロコロ変えることができるんだよね。コン・リーなんかもそうですね。

  そして!個人的に超楽しみだったカイル・マクラクラン!!!中国総領事館に軟禁された主人公を救出すべく、辣腕をふるうフォスター弁護士役です。いや~、『ツイン・ピークス』のクーパー捜査官のときと髪型が同じでやんの(笑)。もう51歳だけど、若い若い。声が低くてカッコいいし、落ち着いた渋みのある雰囲気で、なかなかいいオヤジになったわね。このフォスター弁護士は、いかにもアメリカ的やり手弁護士というか、まずマスコミを煽り、裁判所の判事を動かし、果てはアメリカ政府まで巻き込んでしまうド派手な活躍ぶりでした。役柄的にはいちばんおいしいかも。

  ちなみに判事役はちょっとしか出てきませんが、ジャック・トンプソンという俳優さんで、「オーストラリア映画界の伝説的名優」なんだそうです。いわゆる特別出演というヤツですね。大島渚監督の『戦場のメリー・クリスマス』にも出演したそうで、記憶をたぐりよせてみると、反日感情をむき出しにした捕虜役のおじさんがいました。たぶんあの人でしょう。

  ツァオ・チーは、素はあんなに爽やかイケメンなのに、役柄のせいで、安っぽい中国製の背広(スーツではない)に、異様に幅の広い赤いネクタイをし、眉をぶっとく描かれ、髪形もダサい七三分けという姿でした。原作者にあえて似せた髪型とメイクをしたようです。とはいえ、ツァオ・チーの素材を生かして、素のままで出したほうが、もっと観客を増やせたんじゃないかしらね?

  劇中バレエは、『紅色娘子軍』に似せた作品、『ジゼル』第一幕、「パ・ド・ドゥ」(ベン・スティーヴンソン振付、グレアム・マーフィー改訂振付)、『ドン・キホーテ』よりグラン・パ・ド・ドゥ、『白鳥の湖』(マーフィー版)、「中国をテーマにしたバレエ」(グレアム・マーフィー振付)、「春の祭典」(マーフィー版)でした。

  この中で、グレアム・マーフィーとツァオ・チーの黒歴史になりそうなのが「中国をテーマにしたバレエ」です。題名ぐらいテキトーに付けろよ、と言いたいですが、これがまたイタタな代物で、題名をつける気にならなかった気持ちも分かります。18世紀の中国の画家、鄭板橋を描いたんだそうですが、ツァオ・チーは白い着物を着て、真っ白にファンデを塗りたくり、黒い長い髪を後ろで束ねているという、ゲームのキャラばりのお耽美な姿で、なんか踊ってました。でも18世紀ならなー、弁髪(←世界史の教科書に載ってたよね)のはずだぜえ。

  それから、踊りのシーンで気になったのが、ぶつ切りの撮影がほとんどなことと、余計な加工を加えていることです。ぶつ切りの撮影は仕方ないとして、問題は加工のほう。

  たとえば、ツァオ・チーが回転をする場面(『ドン・キホーテ』)では、おそらく再生速度を速めて、実際の回転速度より異様に速く見せています。あれはすごく不自然でした。フィギュア・スケートのスピンみたいに速いんです。あんな超ハイ・スピードで回転する男性ダンサーなんて見たことないですよ。

  そして、跳躍をスロー・モーションで見せていること。印象を強めるための「効果的演出」(たとえば「春の祭典」)としてのスロー・モーションはいいのですが、跳躍後の滞空時間を長く見せるための「セコい小細工」(特に『ドン・キホーテ』)としてのスロー・モーションはいただけませんでした。

  劇中バレエの中で良かったのは、ベン・スティーヴンソン振付、グレアム・マーフィー改訂振付の「パ・ド・ドゥ」で、原題は「三つの前奏曲」だそうです。バレエのレッスンに用いるバーを巧みに用いた、美しい振付の男女のパ・ド・ドゥです。

  最も良かったのが、マーフィー版「春の祭典」です。「春の祭典」は音楽の力がそうさせるのか、どの振付家が作っても同じような壮絶な迫力を持った作品になるみたいですが、このマーフィー版もなかなかよさげで、ぜひ全編を観てみたいと思いました。

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