「ディアナ・ヴィシニョーワ 華麗なる世界」Bプロ(8月21日)-3


 第2部

 『カルメン』(振付:アルベルト・アロンソ、音楽:ジョルジュ・ビゼー、編曲:ロディオン・シチェドリン)

   カルメン:ディアナ・ヴィシニョーワ(マリインスキー・バレエ)
   ドン・ホセ:マルセロ・ゴメス(アメリカン・バレエ・シアター)

   エスカミーリョ:イーゴリ・コルプ

   ツニガ(ドン・ホセの上官):後藤晴雄(東京バレエ団)
   運命(牛):奈良春夏(東京バレエ団)

   他:東京バレエ団


  あれ、ヴィシニョーワって、第1部に出てなかったんだ。今気づいた。そういえばプロローグにちょっと出ただけだったな。ヴィシニョーワ目当てでこの公演を観に来たわけではないから、気にもならんかった。

  40分の短縮版。といっても、全編でも1時間ほど。具体的にどこが省略されていたのか分からないけど、ドン・ホセと兵隊たちの踊り、運命(牛)の踊りなどの部分だと思います。

  ヴィシニョーワは、最初は鮮やかな赤い衣裳、ついで黒い衣裳。肩口から長い房飾りを多く垂らし、胸部の輪郭を隠すデザイン。それでも肋骨の幅が広いことは分かってしまう。ヴィシニョーワがマリインスキー劇場バレエ内部でうまくいかなかった原因の一つには、この上半身の体型もあったと思う。他のバレエ団なら問題にもされないはずだが、マリインスキーがプリマに要求する容姿の基準というのはつくづく異常だ。

  ヴィシニョーワのカルメンは、メリメの原作のカルメンに近いんではないかという気がした。「不道徳というよりは無道徳な女」という訳者の説明があって、ヴィシニョーワのカルメンはまさにそんな感じ。

  爬虫類系な邪悪さを持つ妖艶なカルメン。ドン・ホセに向かって、歯を見せてニヤ~ッと笑った顔には「この女はヤバいぞ、関わるな」と思ったけど、なぜかこの表情がとても魅力的で、すごく印象に残っている。男どもがハマるのも仕方がない。ヴィシニョーワのカルメン、これはこれでありだと思う。

  ただ、ヴィシニョーワの演技は確かに見事なんだけど、仰々しいところやわざとらしいところがあり、全体的に現実味が薄い。初めから終わりまで明らかに「舞台用」の演技であって、あくまでロシア系バレリーナに共通する演技の系統から外れていないように感じる。

  去年冬のマリインスキー劇場バレエ日本公演『アンナ・カレーニナ』(アレクセイ・ラトマンスキー版)でも、ヴィシニョーワの演技については同じように感じた。もちろん、よく頑張って演技してるな、とは思う。

  でも、観ているうちに引き込まれるような、自然でリアリスティックな演技では、ヴィシニョーワは西側のバレリーナに到底敵わないと思う。『アンナ・カレーニナ』とこの『カルメン』で、ヴィシニョーワがマノンをどんなふうに演じるのか(来年のアメリカン・バレエ・シアター日本公演『マノン』)も大体予想がついた。

  踊りのほうは、振付者のアルベルト・アロンソが意図したものとはだいぶ異なると思う。エレーナ・フィリピエワ(キエフ・バレエ)、ガリーナ・ステパネンコ(ボリショイ・バレエ)は主に脚と爪先で語っていた。一方、ヴィシニョーワは全身を大きく使っていて、セリフを踊るのではなく、あくまで踊りを踊る。

  ヴィシニョーワは踊りも演技もすばらしいけど、「ほら、私、役作りが独特で斬新ですごいでしょ?」、「演技力すごいでしょ?」、「踊りの技術も独自の表現もすごいでしょ?」、「クラシックでもモダンでもコンテンポラリーでも、どんな踊りにも適応できてすごいでしょ?」と終始アピールされている気がする。あまりに「自分押し」が強いので、観ていて少し辟易してしまう。

  ドン・ホセ役のマルセロ・ゴメスは、相変わらずパートナリングが盤石だった。カルメンに惑わされて苦悩するドン・ホセの演技も良かった。

  ドン・ホセの登場シーンで、上官ツニガ役の後藤晴雄さんと並んで同じ振りで踊ったとき、ゴメスと後藤さんとの能力差が出てしまっていた。ここは上官と部下の兵卒との踊りなので、動きはもちろん脚の高さなどもちゃんと合わせるべき。上官よりも部下のほうが踊りが上手いってまずいでしょ。

  エスカミーリョ役はイーゴリ・コルプ。コルプは、たぶんエスカミーリョ役があまり好きでないか、そんなに真剣に捉えるほどの役ではないと考えているんだろうと思う。故意にエスカミーリョを軽薄な伊達男として演技していて、両手で髪を何度も撫でつけてカッコつけていた。結果、お笑いエスカミーリョになってしまう。一昨年の「バレエの神髄」で上演された『カルメン』でもそうだった。

  あとは、やはり去年のマリインスキー劇場バレエ日本公演『ラ・バヤデール』(コルプがソロル役)で、はじめておかしいと思ったんだけど、コルプはクラシックを以前ほど踊れなくなっているのではないかなあ?「レダと白鳥」ではまったく違和感がなかったが、この『カルメン』での踊りはなんかガタガタしていて、音楽にも乗りきれていなかった。

  東京バレエ団の群舞がなにげに良かった。体制か、監視者か、群衆か、正体不明の不気味なたくさんの眼が、彼らの眼下でくり広げられるドラマを、冷徹に眺めている雰囲気がよく出ていて。

  (その4に続く。次で終わり)

  
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「ディアナ・ヴィシニョーワ 華麗なる世界」Bプロ(8月21日)-2


  (その1は ここ です。)


 第1部(続き)

 「タランテラ」(振付:ジョージ・バランシン、音楽:ルイス・モロー・ゴットシャルク)

   アシュレイ・ボーダー、ホアキン・デ・ルース(ニューヨーク・シティ・バレエ)

  ついにやっと、「こう踊られてしかるべき」な「タランテラ」を観ることができた!の一言。

  今まで観た「タランテラ」を踊ったダンサーたちに共通していたのは、「振付をきちんとこなすこと」、「秩序を保って崩さず丁寧に踊ること」、「きちんと元気に盛り上げること」にこだわりすぎるあまり、今ひとつ音楽に乗り切れず、頑張って軽快に踊ろうとしてる「無理してる感」が漂っていることだったように思う。

  もちろんこれらのことは大事だけれども、アシュレイ・ボーダーとホアキン・デ・ルースは、その上で音楽に乗ってリズミカルに、軽やかに踊り、自然に遊びの要素を入れ、ときに効果的に崩し、楽しい雰囲気を醸し出していた。恋の駆け引き的な演技もちゃんとしていた。

  デ・ルースには「無理して盛り上げてる感」がなく、心の底から楽しそうに踊っているように見えた。観客にそう思わせるように踊れることが凄い。アシュレイ・ボーダーに至っては、あの速い音楽と細かい振付を完全に手玉に取っていた。

  動きに独特の見事な緩急をつけて踊り、タンバリンを鳴らすタイミングも音楽とバッチリ合っている。柔軟な身体を軽く飛び跳ねさせて、脚を斜め後ろに高く上げて爪先でタンバリンを打つ。テクニックも見事で、ポワントのままプリエをくり返すところでは、すうっと異様に深くプリエして、そのままキープしてニッと笑ってみせた。バレリーナには珍しい、大胆不敵な雰囲気がこの上なく魅力的だった。

  「グラン・パ・クラシック」がフランスのバレエ・ダンサーのための作品なら、「タランテラ」はアメリカのバレエ・ダンサーのための作品、そんな気がした。作品のほうが踊るダンサーを選ぶような作品。  

  Aプロでデ・ルースとボーダーが踊った「チャイコフスキー・パ・ド・ドゥ」も観たかったな~。
  

 「精霊の踊り」(振付:フレデリック・アシュトン、音楽:クリストフ・ヴィリバルト・グルック)

   デヴィッド・ホールバーグ(ボリショイ・バレエ)

  ホールバーグのソロ。ホールバーグは上半身裸で白いタイツのみ。グレーの雲間から日の光がまっすぐに射している風景を後ろに、階段の上で長い両腕を美しく伸ばしている。この出だしは非常に神秘的だった。

  ただ、その後の振付は普通にクラシカルで、そんなに特徴的ではないと思った。ホールバーグの調子も今ひとつな感じ。


 『真夏の夜の夢』(振付:ジョン・ノイマイヤー、音楽:フェリックス・メンデルスゾーン)

   エレーヌ・ブシェ、ティアゴ・ボアディン(ハンブルク・バレエ)

  二人とも19世紀初頭の衣装を着ていた。ブシェは頭にティアラ、白いチュニック・ドレス、白い手袋と正装姿。ボアディンも白いシャツ、タイ、ベスト、上着、ズボン、長靴下という正装姿。

  この衣装からすると、素直に原作をバレエ作品化したものとは思えない。なにせノイマイヤーだから。確かノイマイヤーの『ハムレット』も衣装は現代風で、何かしらの読み替えがしてあるぽかった。『シルヴィア』もそう。

  だからどういう場面なのか分からない。ライサンダーとハーミア、デメトリアスとヘレナ、オベロンとタイターニアのいずれかのカップルの踊りなのか、それとも特にどのカップルでもないのか(思いがすれ違ってばかりいた男女がようやく結ばれた、とかね)。

  振付はクラシカル。『椿姫』のように複雑なものではなく、シンプルな動きだった。かといって平凡でもなく、動きが一本の線で流れるように展開されていって、すごく美しかった。

  エレーヌ・ブシェは『椿姫』のマルグリットでしか観たことがなかったが、こうしたピュアなクラシックを踊ってもすばらしいことがよく分かった。アラベスクでのバランス・キープみたいな技もこなす。手足を充分に長く伸ばした身体の線がとてもきれいで、特に脚の線。(この後、ブシェはコンテンポラリーを踊ってもすごいことが明らかとなる。)

  ティアゴ・ボアディンの踊りを見て、シュトゥットガルト・バレエとハンブルク・バレエの男性ダンサーって、踊り方がよく似てる、と思った。なんというか、両方とも「鋭い」感じがする。師匠(ジョン・クランコ)の振付の特徴と、それにともなって自ずと定まるダンサーの踊り方のパターンが、知らず知らず弟子(ノイマイヤー)の振付と彼のダンサーたちの踊り方にも引き継がれてしまうのかな。

  (その3に続く)

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全米オープン ロジャー・フェデラー総括-1


 1回戦 対グレガ・ゼミヤ(Grega Zemlja、スロヴェニア)

   6-3、6-2、7-5

  対戦相手のGrega Zemljaのことを、解説は「ゼムラ」と呼んでおったような?ボールペン作ってる会社みてえな名前だと思ったので覚えてます。"l"と"j"が連続するとどう発音されるのかなんて分かんねえよ。

  ATP公式サイトの選手紹介では、あまりに読みの難しい名前の場合はローマ字で発音表記をしてくれているのだけど、Grega Zemljaについては発音表記がない。いっそのこと、選手全員の名前の発音を国際音声記号で示してほしいっす。

  フェデラーはサーブ、リターン、ネット・プレーが好調でした。ずいぶんと痩せたような?頬から顎にかけての鋭い輪郭がくっきり浮き出て、首がすっと伸びてのどぼとけが突き出ていて、襟元から覗く両の鎖骨とそのくぼみが実にセクシー。

  この試合はWOWOWのお試し視聴で観ました。フェデラーは青いシャツに白いズボンでした。休憩時間、フェデラーがシャツを脱いで着替え始めました。

  おおこれはラッキー、あの爆弾低気圧みたいにとぐろ巻いてる胸毛と腹毛とヘソ毛をじっくり堪能しよう、と思ったら、「さあ他のコートの試合結果はどうでしょうか」とかいう声とともに、別画面に切り替わってしまいました。ああっ、余計なことを!

  しかし試合の終盤、なんとも嬉しいファン・サービスが(←いや違う)

  汗のせいで、フェデラーの白い薄手のズボンが肌にぴったり貼りつき、白いパンツがバッチリ透けて見えるではありませんか!パン筋どころじゃなくて、パンツの形がはっきりと見えました 意外とハイレグでした。

  とーぜん、おケツの形もまる見え フェデラー、ええケツしてます。引き締まっていて小さいの(←今回「」だらけ。)

  というわけで、フェデラーのプレーよりもパンツのほうが網膜に焼きつき、試合終盤の内容はよく覚えてません。なんかフェデラーがブレークしてキープして勝った気がします(当たり前だ)。

  32歳のおっさんフェデラーのパン透けのほうが、マリア・シャラポワのパンチラよりもはるかに萌える、とわたくしはここに強く主張したい。

  録画しといてよかった。永久保存版にしよっと♪


 2回戦 対カルロス・ベルロク(Carlos Berlocq、アルゼンチン)

   6-3、6-2、6-1

  実況中継は「ベロック」と呼んでました。ATP公式サイトによると、"Berlocq"は"behrLok"と発音するらしいけど、この"behrLok"自体が私には読めません。

  フェデラーはファースト・サーブの入りが良くなかったんですが、ベルロクのリターンをバシバシ強打で、あるいはネットに出てボレーで、あるいはドロップ・ショットで決めていたので、まったく影響ありませんでした。

  特にフォアハンドとバックハンドの強打が、ラインぎりぎりまでよく伸びていました。ボールのスピードが速すぎて、スロー再生でも落ちた瞬間が見て取れません。アウトになるかと思ったボールでもインになっていて、解説によれば、ラインのところでいきなり落ちるんだそうです。

  第2セットの終盤あたりから、フェデラーにここ数ヶ月は見られなかった余裕が出ているのが分かりました。第2セット第7ゲーム、ベルロクのサービス・ゲームで、ベテラン同士の戦いならではの面白いプレーがありました。

  ネット際にいたフェデラーが、ベルロクのリターンを何度もふんわり返しました。わざとベルロクが拾えるような緩~いボールをです。しかし、緩くても左右前後に打ってベルロクを振り回すので、ベルロクはコートを必死に走り回って返します。

  最後は、ベルロクが股抜きショットで返したボールを、フェデラーが強烈なスマッシュで打って決めました。ベルロクはひえっ!というふうにユーモラスな仕草で飛び上がりました。観客がドッと笑いました。フェデラーは自分の位置に戻りながら、うつむいて一瞬だけかすかにニヤリとしました。

  フェデラーもベルロクも、プロテニスはエンターテイメントでもあって、観客を楽しませなくてはならないことが分かっているんですね。それを互いが承知した上での、観客へのサービスです。ベルロクが40-15とリードしていたときでした。こうしたおふざけをやってもかまわないポイントなのでしょう。

  この試合もWOWOWさんで観ました。だからさー、せっかくフェデラーが生着替えしてるっていうのに、「それでは他のコートを見てみましょう」って画面を切り替えるのはやめてよお。

  本日のフェデラー萌えシーン1:リストバンドの端を口にくわえたフェデラー。

  第2セット終了後の休憩時間、フェデラーはウェアを着替えました(やっぱり痩せたよね?)。その後にリストバンドも変えたようです。カメラが再びフェデラーを映したとき、フェデラーは新しいリストバンドの端を口にくわえながら、袋から新しいラケットを取り出しているところでした。それからリストバンドをはめました。

  本日のフェデラー萌えシーン2:タオルを蹴り上げて手に取ったフェデラー。

  第3セット、ゲームが始まる直前、フェデラーはタオルを持って自分の位置に向かいましたが、タオルを足元に取り落としてしまいました。するとフェデラーは足の上に落ちたタオルをサッカーボールのように蹴り上げて、再び手に取りました。

  本日のフェデラー萌えシーン3:ウィナーを決めた後に襟元のボタンをとめるフェデラー。

  第3セット第1ゲーム、ベルロクのサービス・ゲームで、ネット際から強烈なフォアハンドのウィナーを決めた後、フェデラーは無反応、無表情でさっさと自分の位置に戻っていきました。戻りながら、ウェアの襟元の下のボタンをとめていました。フェデラーは襟全開が嫌みたいで、必ず下のボタンをとめます。休憩時間にとめ忘れたか、とめたのが外れたかしたのでしょう。

  なんでこういう何気ない仕草が、いちいちこんなにセクシーなのかしらね、フェデラーは。うふ。

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小林紀子バレエ・シアター『マノン』(8月25日)


  昨日の公演から一転、今日は見事に立ち直っていました。どうやったらこんな短時間で修正できるのか?

  東京ニューフィルハーモニック管弦楽団の演奏も良かったし、島添亮子さんとエドワード・ワトソンとの踊りもなめらかでスムーズでした。

  第一幕の「出会いのパ・ド・ドゥ」は途中ちょっとだけガタつきましたが、「寝室のパ・ド・ドゥ」は、あまりのすばらしさに見入ってしまいました。「寝室のパ・ド・ドゥ」が終わると、昨日とは違ってブラボー・コールの嵐。

  昨日の公演で、あれほどワトソンと島添さんの息が合わなかったのは、ワトソンのほうに原因があると思います。パートナリングの技術の問題ではなく、ワトソンの性格の問題。昨日の公演、特に第一幕、ワトソンは島添さんに遠慮してる感じで、どのタイミングでサポートに入ったらいいのか掴めず、戸惑ってる雰囲気でした。

  2005年の冬、英国ロイヤル・バレエ団のプリンシパルに昇格したばかりのワトソンが、小林紀子バレエ・シアターの『くるみ割り人形』に客演したときもそうだったのです。ワトソンは内気で生真面目すぎる性格が舞台でモロに出るタイプで、自信がなかったり弱気だったりすると、印象の極めて薄い踊りと演技になります。

  今のワトソンは8年前とは違うとはいえ、昨日の公演ではかなり緊張してナーバスになっていたんだと思います。ソロは盤石のすばらしさだったものの、島添さんや小林紀子バレエ・シアターのダンサーたちにまだ慣れていなかったのが、パートナリングでのタイミングの読み誤りや食い違いの形で出ちゃったんでしょう(それに輪をかけたのが、第一幕「寝室のパ・ド・ドゥ」での演奏トラブルとオーケストラの崩壊)。

  ただその一方で、ワトソンはいったん波に乗ると、踊りでも演技でも凄まじいばかりの実力を発揮します。抑えられてたものが一気に大噴出するみたいに。両極端な感じなんだよなあ。おとなしいか、激しいかのどちらか。昨日はやや一方的で乱暴すぎる感があり、島添さんが怪我するんじゃないかと心配しました。

  今日の公演では、ワトソンは昨日よりも落ち着いた感じで、積極的に、適切に島添さんをサポートしていました。あまりに極端すぎる激しさもなく、きちんと中庸を保って島添さんと踊っていた印象です。

  ソロを踊るワトソンを見て思ったこと。ワトソンって、関節が異常に柔らかいどころか、どーいう身体構造してるの?みなさん、両方の脚を前後に開いて、膝から下を床に着けた状態で立ってみて。そのまま、左の膝から足首までを内側(右方向)約90度に曲げて、更に左の踵から爪先までを外側(左方向)約90度に開いてみて下さい。できました?できないでしょ?ワトソンはこれをやったんです(確か)。

  片脚を真横に上げたり、後ろに上げたりするのも異様に高い。ぐぐーっと上がります。更に、オフ・バランスでも長時間のキープが可能で、マクミランの振付に独特な、動きから次の動きへの片脚のみでの直接移行でも、まったくグラつきません。どころか、ゆっくりとためをおきまくり。平衡感覚がとにかくすごいし、筋力も強い。

  ワトソンがもし女性だったなら、シルヴィ・ギエム並みの身体能力の持ち主になっていたんじゃないでしょうか。

  第一幕「寝室のパ・ド・ドゥ」の時点で、うん、今日のワトソンは大丈夫、心配ない、と思いました。波に乗ったのが分かりました。「ゾーンに入った」状態です。こうなったらワトソンは凄い。

  今日は第二幕のパ・ド・ドゥ(←これは何て呼ばれてるんですか?)が圧巻でした。デ・グリューがマノンを自分の部屋に連れ帰ったものの、豪奢な生活の夢気分からまだ抜けきれないマノンに苛立ってケンカし、最後に仲直りするシーンです。ガラ公演などではほとんど踊られないパ・ド・ドゥですが、ワトソンと島添さんの動きが非常に流麗で、終わったときには「えっ、もう終わり?」とがっかりしました。

  マノン役の島添亮子さんをはじめとする、小林紀子バレエ・シアターのダンサーのみなさんにまったく触れていなくてすみません。一昨年の初演時と比べると、明らかに踊りも演技もみなさんレベルが上がってます。

  主なキャストでは、島添さんがマノンの演技を一昨年とは大幅に変えていました。一昨年はクールなマノンでしたが、今回は妖艶系なマノンです。

  レスコー役の奥村康祐さんはワルぶりに磨きがかかり、何より踊りがすばらしくなっていました。レスコーの愛人役の喜入依里さんも、一昨年はキャピキャピしたギャル系だったのが、今年は大人っぽい色気が漂っていました。

  喜入さんの踊りも衝撃的でした。技術は高いしパワーもあるんだけど、それ以上に、動きに重さがない、とにかく軽い、音楽を自在にコントロールして踊る、これが最も特徴的。日本人でこういう踊りができるダンサーは珍しいと思います。

  ムッシュG.M.役の後藤和雄さんもエロオヤジ度が増大した上に、残忍さと冷酷さとが加わりました。第二幕最後でレスコーを射殺した後、顔をいびつに歪めて高笑いする姿には凄味がありました。

  極悪看守は冨川祐樹さん。またオマエか。相変わらず最低な野郎だな。終演後、観客の評判が良かったぞ。「ハマってるよね」だって。褒め言葉だ。

  全体としては、演技が向上した印象です。みなさん細かく演技していました。いちばん興味深いのは、第三幕の冒頭、頭を丸刈りにされて、アメリカ流刑に処されてきた娼婦たちに対する人々の態度でした。特に男性たちの表情。あからさまに軽蔑の視線を向ける人もいるけど、同情のこもった辛そうな顔で見つめる人もいる。

  今回の公演については、もし時間があったら、後でまたも~っとねちっこく長く書きます。

  とりあえず、再々演を熱烈希望。

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小林紀子バレエ・シアター『マノン』(8月24日)


  マノン役の島添亮子さんとデ・グリュー役のエドワード・ワトソンの息が合わなくて、特に第一幕は観ているほうが冷や汗ものでした。

  第一幕の「出会いのパ・ド・ドゥ」っていうんだっけ?デ・グリューがマノンに愛を打ち明けるシーンね。冒頭のワトソンのソロは非常にすばらしかったんだけど、その後の島添さんとの踊りでは、とにかく二人のタイミングが合わなくてガタつきまくり。ワトソンはもちろん、島添さんも珍しく戸惑っているのが分かりました。

  同じく第一幕の「寝室のパ・ド・ドゥ」で、更に踏んだり蹴ったりなアクシデントが発生。

  まずデ・グリューがマノンの手を取って、マノンがゆっくりと回転してアラベスク・パンシェ、次にマノンがふざけてデ・グリューの手を取り、デ・グリューもゆっくりと回転してアラベスク・パンシェするところがありますね。

  そこでなんと、演奏を担当していた東京ニューフィルハーモニック管弦楽団のオーボエが、2回とも同じ箇所から音が出なくなってしまいました。

  そしてそれをきっかけに、オーケストラの演奏全体が完全崩壊。「えっ?あれっ?今、どこを演奏してんの?」状態になり、音楽がまったく把握できなくなりました。いくらバレエの演奏(←総じてレベルが高くないといわれている)でも、こんなひどい事態に遭遇したのははじめてです。こういうことってあるのねえ。

  ここの振りのうち、デ・グリューが回転してアラベスク・パンシェするところは、非常に危険なことで知られています。ゆっくりと片脚で回転してから、そのまま同じ脚を軸足にして、軸足の膝をやや曲げた状態でもう片脚を後ろに上げて静止します。

  これ自体がバランス保持の難しい、難度の高い振りであるのに加え、この間マノン役のバレリーナはポワントで立ったまま、デ・グリュー役の男性ダンサーの手を取っています。だからデ・グリュー役の男性ダンサーがバランスを崩すと、マノン役のバレリーナも巻き込まれて怪我をする可能性が高いということです。

  ですから安全策として、マノン役のバレリーナが、デ・グリュー役の男性ダンサーの手を取る真似をして済ませることもよくあります。

  オーボエが鳴らず、ついでオーケストラが総崩れとなったため、音が取れなくなってしまった島添さんとワトソンも動揺してしまいました。ワトソンが島添さんからぱっと離れ、いくつかの振りを省略・変更してしのいだように思います(←私も動揺してよく覚えていない)。

  その後、島添さんもワトソンもプロ根性を発揮して、この「寝室のパ・ド・ドゥ」をなんとか踊りぬきました。事故が起きなかったのは本当に幸いでした。

  オーケストラ総崩れ事態を引き起こすきっかけを作り、ダンサー二人を危険にさらした張本人であるオーボエ奏者のお二人は、休憩時間中、なごやかに歓談されておられました。気にかけてもいらっしゃらないご様子。

  実はすごく危険な状態だったことを、上部の人がちゃんと教えなくちゃいけないし、プログラムにもオーケストラの奏者全員の名前を明示すればいいと思いますよ(新国立劇場バレエ団はそうしてる)。

  東京フィルハーモニー交響楽団なら名前書くとか、東京ニューフィルハーモニック管弦楽団は名前書かなくていいとか、そんなの関係ねえよ。全員の名前を書いて奏者個人の責任をはっきりさせる。そのほうがオーケストラも緊張感を持つことができて、良い演奏につながると思います。

  もしも指揮者のアラン・バーカーに対する嫌がらせとか、労働条件や待遇改善のアピールとかだったのなら、別の形でやって下さい。ダンサーたちを巻き込むのはやめてほしいです。 

  ワトソンも島添さんも、ソロで踊るとまったく問題がないのですが(ワトソンのソロは実に美しい♪)、組んで踊るとどうもぎこちなくなります。それでも、第二幕に入ると若干お互いに慣れてきたようで、デ・グリューの部屋でのパ・ド・ドゥはなめらかになりました。

  第三幕の「沼地のパ・ド・ドゥ」はどうなるか不安でしたが、こういうシーンが得意なワトソンが本領を発揮というか大爆発を起こし、島添さんをぶんぶん振り回して、結果的に大迫力なパ・ド・ドゥとなりました。ワトソン君、アナタのパートナリングは強引すぎやしませんか、ちゃんと島添さんを見て合わせなさいよ、的な印象はぬぐえませんでしたが。

  島添さんとワトソンは8年近くも前に一度組んだだけ(2005年!の小林紀子バレエ・シアター『くるみ割り人形』)で、お互いに相手のことをよく知らないだろうし、しかも『マノン』ですから、結局はリハーサルが充分でなかった、これに尽きるんだろうなあ…。

  まあ明日の公演でどうなるか。

  ちなみにラスト・シーンのワトソンはまさにロイヤル100%で、観ているほうが号泣しそうなレベルの名演技でした(不覚にも泣いてしまった)。ワトソンのデ・グリューは、最後まで希望を捨てずに、マノンと一緒に生きようとするの。だからマノンが死んだと分かったときには…、いかん、また泣けてきた。

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「ディアナ・ヴィシニョーワ 華麗なる世界」Bプロ(8月21日)-1


 「ディアナ・ヴィシニョーワ 華麗なる世界」Bプロ(於ゆうぽうとホール)

  第1部:19:00-19:55、第2部:20:10-20:50、第3部:21:05-22:00

  7時開演だから9時には終わるかと思ってたら、終演はなんと10時過ぎ。2回の休憩時間も15分ずつしかなかったのよ。正味2時間半以上の公演。いや~、濃ゆかった。


 プロローグ

  マルセロ・ゴメスの振付だそうな。コンテンポラリーっぽい。全員出演(たぶん)。女性陣はデザインが微妙に違う暗色のレオタードを着て、男性陣も同じく暗色のシャツにズボンとシンプルな衣装。


 第1部

 「ドリーブ組曲」(振付:ジョゼ・マルティネス、音楽:レオ・ドリーブ)

   メラニー・ユレル、マチアス・エイマン(パリ・オペラ座バレエ団)

  音楽は『シルヴィア』と『コッペリア』からの抜き出し。前にルグリ先生のガラ公演かなんかで観たことがある気がする。マルティネスの初期の作品のはずで、振付は高度な技術が要求されるものの、典型的なクラシック・バレエの練習作品の域を出ていない。

  ユレルは紫、紺、青のグラデーションの生地でできたワンピース、エイマンも同じ青系の色からなる縦縞の衣装。これは確かアニエス・ルテステュのデザインだったと思う。

  マチアス・エイマンがすっかり大人の男になっていて驚いた。しかもものすごく均整のとれた体つきに成長していた。背は高く、顔は小さく、上半身は短く、脚が非常に長い。特に脚は長いばかりか、すらりとして線がきれいだった。太腿の前部の筋肉も盛り上がりすぎていない。

  数年前、まだ子どもっぽさが残っていたエイマンを観たときには、この子は、背はあまり伸びないだろう、頭がデカく、手足は短くて太腿の太さばかりが目立つような体型の「技術屋」になるだろうな、と思った。すみませんでした。

  本調子というわけではないと感じたし、パートナリングにもあぶなっかしいところがあったけれども、動きは柔らかく、技術も安定していた。ふわっと跳んで両脚を180度以上に開脚するジャンプは高く、連続で回転しながら顔の向きを徐々にずらしていくという技も披露。

  一方、メラニー・ユレルの踊りはかなり不安定で、観ていてヒヤヒヤした。


 「レダと白鳥」(振付:ローラン・プティ、音楽:ヨハン・セバスティアン・バッハ)

   上野水香(東京バレエ団)、イーゴリ・コルプ(マリインスキー・バレエ)

  コルプは白いタイツのみ、上半身は裸。上野さんは白いチュニック・ドレス。

  こういった作品では、男性ダンサーがオスくささや人間らしさを漂わせてしまうことは厳禁だが、コルプは生臭さの微塵もない、神秘的な雰囲気を醸し出していて見事だった。

  全身で、両腕で、また片腕で白鳥を表現していく。両腕を使ったはばたきはなめらかで柔らかく、しなやかに手足を伸ばして、白鳥らしい曲線的な姿勢をとり、そのままゆっくりと動き、また静止する。微動だにしない。上半身と腕の筋肉のうねりの連鎖が美しい。

  ゼウスが変じた白鳥に、陶然として籠絡されていく上野さんの演技もよかった。コルプが正体不明の謎めいた雰囲気を漂わせていたのとは対照的に、夢心地でたやすく惑わされていく生身の人間の女、という感じがよく出ていた。

  途中、コルプと上野さんのタイミングが合わないところがあった。ポーズをとって静止しているコルプの脚の下に、上野さんが横たわりながらもぐりこむ動きがくり返されたが、上野さんの動きが粗く、コルプがバランスを崩しそうになっていた。コルプが上野さんの両脇を支えて、上野さんの身体を引き上げるリフトもスムーズにいかなかった。

  パートナリングについては、男性ダンサーのコルプにすべて責任がある、と言うべきなんだろうが、まあはっきり言えば上野さんのせいだろう。コルプが非常に高いパートナリング能力を持つことは、もう疑問をさしはさむ余地がないほどたくさん目にしてきたから。

  上野さんももう慣れっこになっただろうけど、カーテン・コールでは、またしてもあからさまな「上野さん外し」が起こった。上野さんが先に幕の間へと姿を消すと、一瞬だけコルプ一人が舞台上に残ることになる。その瞬間に拍手が露骨に大きくなるのである。

  上野さんが、海外のスター・ダンサーが座長のこうしたガラ公演に出演すると、ほとんどいつもこれが起きる。

  かつてコルプが草刈民代さんと「レダと白鳥」を踊ったとき(2009年「奇才コルプの世界」)のカーテン・コールでも、同じ現象が起きたのを覚えている。草刈さんが退場してコルプのみになったとき、とたんに拍手が大きくなった。

  上野さんと草刈さんがなぜこれほど多くの観客から嫌われているのか、これはご本人たちの能力の問題というより、こうした海外のスター・ダンサーのガラ公演に、主催者側がゴリ押しして彼女らをねじ込み出演させている、と多くの観客が思っていて、それに反感を抱いているためだと思う。

  名実ともに東京バレエ団の公演に上野さんが出演するのだったら、誰も文句はないだろう。上野さんは東京バレエ団のダンサーなのだから。

  草刈民代さんについてはよく知らないけれども、感情論を抜きにすれば、上野さんは決して凡庸なダンサーではないと私は思う。日本人離れした体型と身体能力とに恵まれ、高度な技術を持っている。

  しかし、上野さんの今回のようなガラ公演への出演が、もしことごとくNBSの意向によるものだとすると、NBSが上野さんのためによかれと思ってしていることが、逆に観客の上野さんに対する無用の反感をいよいよかき立てる結果になっている。

  このおかげで、上野さんはいろんな面でかなり損をしてしまっているのである。

  (その2に続く。)

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「ディアナ・ヴィシニョーワ 華麗なる世界」Bプロ(8月21日)


  7時開演で終わったのはなんと10時過ぎでした。休憩時間は2回あったものの、いずれも15分ずつと短かったです。

  ほとんどのダンサーたちのパフォーマンスはレベル高かったです。当初はチケット代、高すぎない?と思ってましたが、これほどの濃ゆい公演ならコスパ最高。

  特に、ニューヨーク・シティ・バレエからのゲスト、アシュレイ・ボーダーがすばらしかったです。

  ボーダーとホアキン・デ・ルースが踊った「タランテラ」を観て、ああ、「タランテラ」って、こう踊られるべきだったんだ、と思いました。ロシアやイギリスのダンサーたちが踊る「タランテラ」とはまったく別の作品のようでした。

  同じくボーダーとデ・ルースが踊った「パリの炎」は、どうしてもナターリャ・オシポワとイワン・ワシーリエフが踊ったのと比べてしまいました。でも、ボーダーはジャンプの高さではオシポワに敵わなくても、技術では負けていないのでは?

  ヴァリエーションも見ごたえがありましたが、コーダでのボーダーはただただ凄いの一言。

  アメリカのバレエ団のダンサーたちにありがちなわるい癖、ウケ狙いで中途半端にしかできない凄技を無理にやるんではありません。ボーダーは無理なく余裕たっぷりに凄技を見せます。

  「パリの炎」のコーダの前半、デ・ルースが踊り終えてボーダーが踊り始めたら、ボーダーから決して目を離さないで下さい。凄いことを2回やるから。軽く跳ねるような回転ジャンプをして着地するときです。彼女の足元に注意。

  パリ・オペラ座バレエ団のマチアス・エイマンの成長ぶりにびっくりしました。身長が伸びたばかりでなく、男性ダンサーとして極めて理想的な整った体型になって、テクニックも更に磨かれ、とても良いダンサーになりましたね~。男性ダンサーが回転しながら顔の向きをずらしていく技は初めて見た。

  メラニー・ユレルはちょっと不安定でした。急に出演することになったので、準備が間に合わなかったのかも。

  ヌレエフ版『眠れる森の美女』グラン・パ・ド・ドゥ、王子のヴァリエーションでのマネージュは、ヌレエフがああいう振付にしたんですか?『海賊』のアリかよ!と心中ツッコんでしまいました。

  イーゴリ・コルプは相変わらずヘンな兄ちゃん(笑)でした。でもそのヘンさが、「レダと白鳥」の白鳥にはぴったり。「薔薇の精」でもそうですが、コルプはときどき性別不明、人間なのか動物なのか不明、生物なのか非生物なのか不明という、なんか不思議な雰囲気になります。それが、『カルメン』のエスカミーリョになると、一転してお笑い路線に。

  個人的には、ハンブルク・バレエのエレーヌ・ブシェとティアゴ・ボアディンが踊った「ナウ・アンド・ゼン」がいちばん好きです。さすがノイマイヤー、ラヴェルの「ピアノ協奏曲ト長調」、あの第2楽章を見逃さなかったのね。なんで誰も振り付けないのか不思議に思ってたんですよ。

  しっとりした美しい音楽と、物哀しい切ない雰囲気の振付が良く合っていました。ただ、ボアディンの衣装がグレコ・ローマン・スタイル70キロ級。

  詳しくは後日また。

  人違いかもしれんが、デボラ・マクミラン(故ケネス・マクミラン夫人)らしき女性を見かけました。今週末に小林紀子バレエ・シアターの『マノン』があるから、それで来日してるのかしらん?「キーロフ・バレエ・イン・パリ」のDVD(←ルジマトフとザハロワの『シェヘラザード』、コルプの「薔薇の精」、ヴィシニョーワの『火の鳥』が収録されている)のポスターにしげしげと見入っていました。

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ウエスタン&サザン・オープン ロジャー・フェデラー総括


  このところ、私がメニエール病に罹患、母親が印鑑商法に引っかかりそうになるという、ちっとも楽しくないリア充のおかげで、フェデラーのことを すっかり忘れてました 気にかける余裕が持てませんでした。

  あとは、メニエールの再発を極力避けたいので、テニスの試合をライヴで観るために夜更かししたり、朝の3時とか4時とかに起き出したりする不規則な生活リズムは、しばらくの間はやめときたいせいもあります。

  フェデラーも大変だったみたいですね。ラケットのサイズを変えて悪戦苦闘し、立て続けに下位の選手に負けちゃって、メディアやファンにさぞバッシングされたことだろうと思います。でもいーのよ。ドラマチックな苦労譚が多ければ多いほど、伝記の続編のネタがたまるから。

  今回の大会も、後でYou Tubeにアップされた映像を観てます。フルマッチをアップしてくれているユーザーがいて、本当にありがたいことです。


 2回戦 対 フィリップ・コールシュライバー(ドイツ)

   6-3、7-6(7)

  結果を知ってから試合を観たので先入見があるし、試合時間も約1時間40分と長かったですが、コールシュライバーはフェデラーの敵ではないなあ、というのが率直な印象です。苦境でしぶとさを発揮して良いプレーをしていましたが。

  コールシュライバーについて、それはダメだよ、と思ったのは、チャレンジ・システムを有効活用しないことです。第1セットで、インだった自分のリターンがアウトとコールされてもチャレンジしませんでした。

  最も理解し難かったのは、第2セットのタイ・ブレーク、7-7という大事な局面で、フェデラーのファースト・サーブがアウトだったのにチャレンジせず、フェデラーにマッチ・ポイントを握らせてしまったことです。線からかなり外れていたのに、目視でアウトだと分からなかったのでしょうか?

  一方、フェデラーは第1セットの序盤から、積極的にチャレンジを要求していました。フェデラーにしては珍しいなと思いました。どうも線審の判定に誤りが多かったようです。フェデラーのチャレンジはたいてい成功していました。

  余談ながら、線審の判定が誤っていたと分かると、カメラは決まってその線審をアップで映します。ちょっとしたお仕置きプレイです。でもこのぐらいはやったほうが、線審も力を入れて自分の仕事に集中すると思います。

  この試合の主審は例の慧眼審判で、今回も線審のコールを覆すことが多かったです。フェデラーが第1セットの序盤でチャレンジをして成功した直後、アウトとコールされたフェデラーのサーブを、主審はすかさずインとコールしました。ホーク・アイで確認したらわずかにインでした。主審はそれを見て「ヒュー!」と安心したように口笛を吹きました。それがすごく笑えました。実況中継も「HAHAHA!」と大笑いしていました。これからはお笑い審判と呼ぼうかと思います。

  フェデラーは本調子からはほど遠い状態だと思います。この大会での初戦だったし、最近は格下選手に負けることが続いたので、内心は物凄く緊張していたでしょう。でもやっぱり、フェデラーはコールシュライバーとは根本的に何かが違うんだよなあ。


 3回戦 対 トミー・ハース(ドイツ)

   1-6、7-5、6-3

  またもやYou Tubeにアップされたフルマッチ映像を観ました。試合時間は2時間弱でした。私がフェデラーの試合を好きな理由の一つは、他の選手たちの試合よりも進行が速くて短時間で終わることです。

  この前、GAORAで放送していた、トップの某A選手と某B選手との試合を観てみましたが、二人ともベース・ライン上を左右に移動するだけで、1ポイントに30ラリーほどもかけていました。この調子で延々とプレーしていたので、10分くらいで飽きてチャンネルを変えてしまいました。こういうプレーが今は人気なのか。

  この試合も第1セットと第2セットはラリー戦が主体でした。第3セットでようやくフェデラーのペースになり、試合がさくさく進んだのでよかったです。でも観ていて疲れました。3セット先取制のグランド・スラムなら我慢しますが、2セット先取制の大会でこんなに時間をかけるのはやめてほしいです(観るほうだって疲れるんですよお)。

  次第に調子を上げていってなんとか勝てたとはいえ、フェデラーはプレーがまだまだ不安定ですね。今回の試合でもミスを大量生産してました。最近になって、腰痛が深刻な状態にあることをようやく認めたそうですが、それ以上に精神状態のほうが良くないんじゃないかと思います。繊細な人はこれだからねー。

  私は当初、フェデラーは冷静沈着で鋼の心臓を持つ人だとカン違いしてました。でも今は、フェデラーほど感情豊かで神経質で繊細な感性を持っているトップ選手はいないと思います。フェデラーがイヤミに見えないのは、表面的には抑えていても、豊かな人間性がそこはかとなく滲み出ているからです。

  対戦相手と闘っていると同時に、自分自身への疑問や不安とも必死に闘っているフェデラーは非常に魅力的です。

  フェデラーに関するカン違いその二は、フェデラーの対戦相手はみんなコントロールが良くてミスが少ない、フェデラーはミスがすごく多い、と思ってたことです。今回の試合についても、ハースのリターンは確実にインになるのに、フェデラーのリターンはアウトばっかり、とイライラしました。

  これ自体は間違いではないと思います。でも、必ずしもマイナスに捉えることではないのでは、と感じました。

  つまり、大方の選手は「ボールを確実に線の内側に返す」ことを最も重視するものらしいです。これは堅実な姿勢だし基本的に大事なことだけれども、同時に工夫や冒険のない画一的なプレーになってしまって、だから他の多くの選手たちのプレーが同じように見えてしまう一因になっているのかなあ、と。

  フェデラーはいくらミスをしても、無難なプレーというものをまずしません。咄嗟の判断と当意即妙な対応にも優れています。普通でない発想をします。そこが他の選手たちと違うんだと思います。

  個人的な趣味ですが、私は変わったことをする選手、いろんな発想ができる個性的な選手のほうが好きなようです。それでイェジィ・ヤノヴィッツやバーナード・トミックを面白いと感じるんでしょう。(でも、トミックは才能に恵まれているけど、コーチでもある父親と絵に描いたような共依存関係にある限りは、あまり伸びないだろうなあ…。)

  ついで。フェデラーは髪が「夏毛」になってました。明るい栗色です。白人って、夏と冬で髪が「毛変わり」するんだとさ。夏は髪が細くなって、それで色も明るくなるんだって(カナダ人とドイツ人から聞いた話)。


 準々決勝 対 ラファエル・ナダル(スペイン)

   7-5、4-6、3-6

  これ、まだ試合を観てないです。でも良い意味でびっくりした。現在絶不調のフェデラーが、現在絶好調のナダルと戦っても、たぶん6-1、6-0とかでボロ負けするだろ、と思ってたんだよね(ははは~、ごめんフェデラー)。

  それが、ナダルから第1セットを取って、しかも第2セットと第3セットもたった1ゲーム差だったとは(驚)。フェデラーはよくやったと思います。

  ナダルという選手は、試合では戦略的な妥協ってものを一切しない感じです。相手が親友だろうが、相手が怪我してると薄々分かってようが、まったく手加減しないでボコボコに負かしてしまいます。つまり、コスい計算なんぞせず、いつでも全力で勝ちに行く選手。

  だからこのスコアからすると、フェデラーにとって、そうひどい試合内容ではなかったんじゃないの。後で録画を観てみよっと。

  …というわけで、フルマッチの録画を観ましたよん。フェデラーのプレーに対する率直な感想。なんでもっと早くこういうプレーをせんかったんじゃ、おっさん、です。やればできるんじゃん(毎度ごめんね失礼で)。

  全仏オープンの4回戦(だっけ?ジョー・ウィルフリード・ツォンガに敗れる前)以来だよ、こんなにすごいフェデラーを観るのは。

  ヤフーのテニスのニュースに、第2セットに入るとフェデラーが崩れた、とか書いてあったけど、別にフェデラーは崩れてないよ。第2セットは両選手とも譲らなかったものの、ナダルがわずかなチャンスをものにし、第3セットではナダルが更に調子を上げた、というほうが近いと思います。

  第3セット第9ゲーム、ナダルのサービス・ゲームで、ナダルはあっという間に0-40とリードし、マッチ・ポイントを3つも握りました。そっからのフェデラーの逆襲が凄かったです。3ポイントを連取してデュースに持ち込み、更にもう1回マッチ・ポイントをしのいで、ナダルに最後まで食らいついていました。

  ライヴで試合を観ていたら、たぶんナダルが勝つだろうけど、でもまだ分からない、ひょっとしたらフェデラーが勝つかもしれない、と最後まで期待したでしょう。

  ナダルがすごい神経質そうな人だったのには笑いました。強迫的な儀式癖のある選手だと読んだことがありますが、サーブを打つ前や待っているときにも、髪や顔のあちこちを落ち着きなくいじり、ウェアの皺をしきりに引っ張って直しています。休憩の間にも貧乏ゆすり(?)をしていました。この神経質さが強さに結び付いているのはすごいな。

  正直なところ、ナダルに感謝しなくてはいけないな、と。フェデラーからこれほどの良いプレーを引き出してくれたのだから。私がもし、今のフェデラーはヘタレだとか舐めてるアホ選手だとしたら、この試合を観れば驚愕すると思います。結果としては負けたけど、この試合はフェデラーが最近の悪循環をようやく断ち切れたんじゃないか、と思えるほどのすばらしい内容でした。

  それで、フェデラーがなんでそんなにナダルを好きなのか、なんとな~く分かりました。ナダルはフェデラーの良いところを引き出して、その上で真っ向勝負で力いっぱいにぶつかってくるからだと思います。

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ボリショイ・バレエ『ラ・バヤデール』DVD


  (ボリショイ・バレエ公演、ユーリー・グリゴローヴィチ版『ラ・バヤデール』DVD。2013年1月、ボリショイ劇場で収録。まだAmazonに出てないみたいなので、画像だけ。)

  禍々しい印鑑商法の件は早く忘れたい(笑)ので、無理やりバレエの話題に行きまひょ。

  ボリショイ・バレエは7月末から今月中旬まで、ロンドンのロイヤル・オペラ・ハウスで公演を行なっています。日本公演とは違い、演目も公演回数も多くて、ついでにチケット代もぼったくり価格ではなく(最高で120ポンド、1万8千円弱)、羨ましい限り。

  ロンドン公演では、『白鳥の湖』が8回、『ラ・バヤデール』が3回、『眠れる森の美女』が5回、トリプル・ビル(「クラシカル・シンフォニー」/「春の祭典」/「ダイヤモンド」)が2回、『パリの炎』が3回ずつ上演されます。

  それにともない、ボリショイ・バレエの『ラ・バヤデール』、『眠れる森の美女』、『パリの炎』DVDが発売されました。

  ロシア系の『ラ・バヤデール』全幕映像は、キーロフ・バレエ(現マリインスキー・バレエ)のコンスタンティン・セルゲーエフ版しか知りません。あと出ているのは、みんな西側に亡命した旧ソ連のダンサーたちの改訂版(ナターリャ・マカロワ版とルドルフ・ヌレエフ版)で、使用されている音楽も、イギリスの作曲家ジョン・ランチベリーによる編曲版じゃないですか?

  今回発売された『ラ・バヤデール』全幕DVDは、もちろんユーリー・グリゴローヴィチ版です。今年の1月にボリショイ劇場で収録されたものだそうで、撮りたてのホヤホヤですから、旧ソ連時代に収録されたキーロフ・バレエ版と違い、画質も音質ももちろん良いです。

  ただ、カメラ・ワークは、個人的にはあまり気に入らないです。ダンサーたちは基本豆粒サイズ、演技のほうが重要なシーンでもダンサーたちをアップにしない、正面から撮影したほうが見ごたえがある群舞を、なぜか斜め上から俯瞰して撮影する、第三幕の「白いヴェールの踊り」では、なぜか途中からニキヤの上半身だけを映す、など。

  こうしたカメラ・ワークは、ボリショイ劇場の舞台がとてつもなく広いらしいこと、グリゴローヴィチ版は演技のシーンにも踊りを詰め込んでいることなどを考慮したせいかもしれません。

  デカい舞台全体を画面に収めようとすると、どうしてもダンサーたちは豆粒サイズになってしまうし、演技が見どころなシーンでも、踊っているダンサーたちの全身を映すほうを重視すれば、結果アップが少なくなります。

  主な配役。


   ニキヤ:スヴェトラーナ・ザハロワ
   ソロル:ウラディスラフ・ラントラートフ
   ガムザッティ:マリーヤ・アレクサンドロワ

   ラジャ:アレクセイ・ロパレーヴィチ
   大僧正:アンドレイ・シトニコフ
   トロラグワ:アレクサンドル・ヴォイチュク

   男奴隷(ニキヤと奴隷の踊り):デニス・ロヂキン
   マグダヴェーヤ:アントン・サーヴィチェフ
   アイヤ:アナスタシア・ヴィノクール

   ジャンペの踊り:ユリア・ルンキナ、スヴェトラーナ・パヴロワ
   
   太鼓の踊り:アンナ・アントロポワ、ヴィタリー・ビクティミロフ、イーゴリ・ツヴィルコ
   黄金の神像:デニス・メドヴェージェフ
   壺の踊り:アンナ・レベツカヤ

   第1ヴァリエーション:アナスタシア・スタシケーヴィチ
   第2ヴァリエーション:アンナ・チホミロワ
   第3ヴァリエーション:チナーラ・アリザーデ


  ウラディスラフ・ラントラートフがソロルというのにはちょっと驚きました。ザハロワ様とパートナーを組んだのか。出世したねえ。

  ラントラートフは手足が長くてスタイルいいし、なかなか長身だし、優しげな顔立ちのイケメンだし、ボリショイ・バレエ期待の新星王子人材なのでしょうか。

  ただ、体つきは細っこいというか、ちょっと華奢すぎる気がします。それと関係しているのか、パートナリングはまだガタつきがちで、ソロで踊るときも、少しぎこちない感じです(特に大技に入る前と決めた後)。

  ニキヤ役のザハロワも、ガムザッティ役のマリーヤ・アレクサンドロワも、ともに長身とはいえ、ひたすらパートナー頼みで踊るようなバレリーナではないので、これはラントラートフの要努力だと思います。もうちょっとだけたくましい体つきになったほうが見ばえがするし、筋力も増強されていいのでわ?

  ニキヤと踊る男奴隷役のデニス・ロヂキンのほうが、パートナリング能力は上だと思いました。

  ラントラートフがソロで踊るときに見られるぎこちなさは、これは完全に慣れの問題だから、経験を積んでいけば自然に解決されるでしょう。

  ザハロワは、以前にましてガリ細になってしまっていて、これまたびっくりしました。出産前より明らかに痩せてしまってます。これでよく踊れるな。

  グリゴローヴィチ版は数年前に1回しか観たことがないので、細部はすっかり忘れてしまいました。DVDを観ると、第一幕は音楽も踊りの構成もかなり変えてあります。第二幕、第三幕はほぼそのまま(第三幕のラストは版によって違うので除外)。

  第一幕は踊りじゃなかったところを踊りにし、また新たな踊りを挿入しています。戦士たちの行進がジャンプに改変され、ソロルも連続ジャンプをしながら登場します。ガムザッティの登場シーンも踊りになっていて、その直後にガムザッティのソロ(ここの音楽は聴いたことがない)が加えられています。

  また、ジャンペの踊りの中間に、ニキヤと男奴隷の踊りが挿入されていて、ジャンペの踊り前半→ニキヤと男奴隷の踊り→ジャンぺの踊り後半、という構成です。ガムザッティとニキヤとが諍いをするシーンにジャンプが取り入れられているのは、これは覚えてます。ナデジダ・グラチョーワとマリーヤ・アレクサンドロワがジャンプ合戦をやってた。

  マグダヴェーヤはニキヤにほのかな恋心を寄せている、という設定らしいですな。第一幕、ニキヤが脱ぎ捨てた白いヴェールをマグダヴェーヤが拾って、顔にかぶせて匂いを嗅ぐ(?)というシーンがあり、ちょっと変態でした。

  第二幕は不思議なほど改変がありません。最も意外なのは、グリゴローヴィチがよく「太鼓の踊り」を残したなー、と。「太鼓の踊り」、マカロワ版は削除していると聞いたことがあります。新国立劇場バレエ団が上演している牧阿佐美版にもない。ヌレエフ版はどうなんだろう?

  「太鼓の踊り」は、金太郎か岸田劉生作「麗子像」みたいなおかっぱヅラと衣裳がヘン(笑)だし、踊りが意味不明でバカバカしいと思ってる人もいるかもしれないけど、私は大好きなんですなー。確かに見た目ヘンで、なんじゃこりゃ?だけど、あの踊りは実はかなり難しいでしょう。踊りこなせるダンサーを揃えるのは大変だと思いますよ。

  長身の男性ダンサーを多く揃えなきゃいけないのと、いちばん難しいのは、あの振付をノリ良く踊れるダンサーたちがいるかという問題です。「太鼓の踊り」って、究極のキャラクター・ダンスだなあと私なんかは思うんで、旧ソ連系のバレエ団のように、高い能力を持つキャラクター・ダンサーが多くいるバレエ団じゃないと、あの踊りは無理だろうと感じます。

  ガムザッティとソロルのパ・ド・ドゥの途中で、ソロルはニキヤを示すあのポーズをして、曇った表情になります。そのソロルにガムザッティがしなだれかかり、ニキヤのことは忘れなさい、と促します。黒鳥のパ・ド・ドゥみたいです。

  全体的に、ソロルに対して批判的な演出がなされているように感じました。牧阿佐美版は意図してソロルに救いを与えない演出にしたそうですが、グリゴローヴィチ版もそうなのでしょうか。

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姓名判断と印鑑商法(後編)


  この占い師の手口はこう。「この人(私)は問題です!」と断言する。理由は、まず名前の画数が悪い。次に、苗字と下の名前の組み合わせが悪い。

  こうして相談者である母親に、いきなりガツンと一発食らわせてショックを与えた後、私の生年月日、現住所、職業、プライベートな状況など、より詳しい情報を少しずつ聞き出していく。それに基づいて私の人物像を予想し、この娘さんはこういう性格で、こういう長所と短所があって、行動パターンはこうで、ああで、と断定的に言う。そのたびに母親の反応を見る。

  そして、母親がうなづいたり、否定しなかったりした点に話を絞る。それらの点に集中して、極めてマイナスなことを言っては母親の不安をどんどん煽っていく。

  これはうまいな、と思ったのは、話す内容がすべてマイナスだと、相手に不信感と疑いを抱かせてしまう恐れがあるでしょ?だから、話すことが10個あるとしたら、最初の1、2個はプラスの内容を言っていることです。その上で、「でも」という接続詞に続けて、残りは全部マイナスのことを言うんですね。

  これだと相手は信じてくれやすいでしょう。良いことも悪いこともみな正直に言ってくれる占い師だ、という印象を与えられます。

  母親は占い師の話を聞いていて、私の将来が心配でたまらなくなってきました。たぶん表情にも態度にも明らかに出ていたに違いありません。

  それから占い師の猛攻撃が始まりました。言いたい放題だったらしいです。「娘さんはこのままでは運気が上がりません」、「これからずっとロクなことがないです」、「不幸な一生を送って死にます」(←ホントにこう言ったんだって)等々。

  この時点で、母親はもう一時的な洗脳状態にあったようです。そこで、占い師が「打開策」を提案。曰く、名前はもう変えようがない。でも、印鑑は変えられる。特に、実印はその人そのものである。実印を運気が上がるものに変えれば、娘さんの運は上がる。

  娘さんの場合は苗字が良くない。だから、苗字の実印ではなく、下の名前のみの実印を新たに作れば、不運を回避して良運を招くことができる。その印鑑は手彫りで、風水学に基づいた、良運を招く字形や流れのデザインになる。肝心なのは、実印を変えたら必ず印鑑登録をすること。

  価格は、水晶製:30,000円、犀角製:60,000円、象牙製:120,000円。

  母親はそれで娘の運が上がるなら、という気持ちで、犀角製60,000円の印鑑を依頼してしまいました。この値段設定も巧妙です。数十万円や百万円以上なら、田舎の年金暮らしのおばちゃんには手が出ません。それに霊感商法なのがおばちゃんの家族にバレて、警察が介入するレベルのトラブルになるリスクも高いですからね。

  しかしこんなふうに決して安くはないけど、そうバカ高くもない値段ならば、運が上がったら儲けもんだし、騙されたと分かっても、あきらめがつきやすいでしょう。

  私の実印作成を頼んだ、と母親から聞かされて、私は激怒のあまりさっそくメニエール病が再発しそうになりました。

  顔も名前も知らん赤の他人の占い師が、好き放題に私の悪口を言いまくったこと、母親が初対面の占い師に対して、私を含めた家族の個人情報や私的な事情をペラペラとしゃべったこと、実印なんて大事なものを、私本人の承諾なしに勝手に作ろうとしたこと、

  なによりも腹が立つのは、占い師と母親が一緒になって、私の名前を「悪い名前」と決めつけたことです。私が先祖から受け継いだ苗字と、私の死んだ父親が私につけてくれた名前をですよ。

  私は電話越しに母親を大声で怒鳴りつけました。最初は何を言ったのか覚えていないくらいです。しかし、落ち着け、落ち着けと自分に言い聞かせて、なぜ私が怒っているのか、一つ一つ、何度も何度もくり返して説明しました。

  そして、その占い師が本当に「スピリチュアル」な能力がある人だとしても、また、占い師としての知識と経験が豊富な人だとしても、相談者の不安をむやみに煽り立てる時点で、占い師としては最悪、人間的にも最低、ましてや、開運グッズを売りつけようとするなぞバレバレの詐欺じゃないか、と至極当然な事実に気づいて、それを母親にそのまま言いました。

  この当たり前の事実が、最も母親の腑に落ちたようでした。本物の良心的な占い師は相談者を不安に陥れたりしないだろうし、不安につけこんで物を売りつけたりもしませんよね。

  (面白いことに、この占い師は私の健康状態については、何も言わなかったそうです。理由は簡単、母親が私の当時の体調について何も言わなかったから。母親は「メニエール病」というカタカナ名前が難しくて言えなかったらしい。人間ナニが幸いするか分かんないですなwww)

  更に、私は会ったこともない占い師の勧めで、どこの誰が作ったかも分からない印鑑を、実印として使うなんて気持ち悪くて絶対にできない、と正直な感覚を言いました。また、すでに登録してある実印でないと、継続や更新が不可能な契約があり、新しく実印を作っても、すぐに印鑑登録の変更はできないことも伝えました。私のこの言い分にも母親は納得したようで、注文した印鑑はキャンセルすることになりました。

  キャンセルするには、その占い師本人ではなく、着物専門呉服店に申し込まなくてはならなかったそうです。母親がキャンセルを申し込んだところ、店側はあっさりと受け入れました。店側は、自分たちがヤバいことをしていると知っているのでしょう。騒ぎになるのを恐れているに違いありません。もしかしたら、以前にも同様のトラブルがあったのかも。

  一連の経緯から見て、その着物専門呉服店ぐるみでやっているのは間違いないと思います。地方では、高齢者相手の詐欺がやたらと多いのはよく知られているとおりです。私は郷里の市と県の消費生活センター、そして東京都(東京在住の私の実印を勝手に作られかけたから)の消費生活センターに電話して、その全国チェーンの着物専門呉服店の名前も出し、事のあらましをすべて話しました。その後、郷里の市役所の担当職員が、母親から直接に事情の聞き取りをしてくれました。  

  あえてつぶさには書かないですけれども、消費生活センターの相談員によれば、今回の姓名判断とそれにともなう印鑑の売りつけ(というより最初から印鑑の売りつけが目的なんですが)には違法な点が多々あり、非常に悪質な手口だということでした。 

  この詐欺はよくある霊感商法の一種であり、姓名判断で相談者を不安にさせた上で、「開運」を謳った微妙に高額な印鑑を売りつける、通称「印鑑商法」というらしいです。

  認印ではなく実印を作らせること、印鑑登録を絶対にするよう指示することも共通点だといいます。その理由はいくつかあるらしいのですが、ここでは最も怖い理由だけ書いておきます。

  最悪の場合、こんなことが起こり得るそうです。印鑑商法の業者は相談者が印鑑登録を済ませたであろう時期を見計らって、作成した実印のコピー印を作る。そのコピー印と、占い師から提供された相談者の氏名、生年月日、住所を使って、相談者が債務を負っている旨の虚偽書類を作り、更に別の詐欺業者が相談者に対して「債権」の回収を行なう。

  私があちこちの消費生活センターに電話しまくったのは、相談したかったのと同時に、情報提供をしたかったからでした。相談内容はデータベースに記録され、全国の消費生活センターがその情報を共有できます。

  心配なのは、その占い師が現在、東北を中心に渡り歩いているかもしれないことです。その占い師は私の郷里で「商売」をした後、岩手か宮城に行った可能性が高いのです。震災で打ちのめされ、まだ苦しんでいる人々、とりわけお年寄りが食い物にされるのではないか、ということが心に引っかかっています。

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姓名判断と印鑑商法(前編)


  あまりに腹が立ったので、検索で出やすいタイトルにしたぞ。

  (そしたら、ほんとにすぐ出やがった。実はこの記事、書いたその日に一瞬だけ公開にしたんだけど、私の頭が冷えるまで時間をおくべし、と思い直してすぐ非公開にしましてん。でもグーグルにすでにキャッシュが取られてた。恐るべしグーグル。)

  3週間ほど前のある朝のこと、起きたら右耳に水がつまったような感じと軽い耳鳴りがしました。前の晩にお風呂に入ったとき、水が耳に入ったかして、それがまだ残ってるんだろう、と思って放っておきました。

  それから1週間が経過しましたが、耳に水がつまったような感じは消えません。耳鳴りもあったけれども、気になるほどではない程度。最近は天候がおかしいから気圧のせいだろう、と思って、またも放っておきました。

  ほぼ2週間前のある日、職場で同僚が私の右側5メートルほどの位置に立って、誰かの名前を大きな声で呼びました。誰かを呼んだのは分かったんですが、誰を呼んでいるのか、その名前が聞き取れません。えっ?と思って顔を上げると、私のすぐ隣に座っていた別の同僚が、「○○さんだって」と私に教えました。

  そこではじめて、右耳が聞こえにくくなっていることを自覚しました。すぐに耳鼻科に行って診察してもらったら、右耳の聴力がやはり落ちていました。

  特に低周波の音が聞こえにくくなっていることから、メニエール病の可能性がある、と医師は言いました。めまい、吐き気、嘔吐などの激しい症状が出ないメニエール病もあるんだそうです。医師は、初期のうちにきちんと治療しましょう、じゃないと本格的なメニエール病に進行してしまいます、と言いました。医師は急いでいる感じでした。

  メニエール病の専門薬を飲み、4日ごとに聴力検査をすることになりました。薬を飲み始めてからたった4日で、耳に水がつまった感じと耳鳴りは消え、右耳の聴力は格段に良くなりました。そして服薬を開始してから2週間目の今週、右耳の聴力は完全に元に戻り、医師はもう薬を飲まなくてもいいですよ、と言ってくれました。

  初期症状とはいえ、いったん罹った以上は再発する可能性があります。メニエール病のことをネットで調べると、かなり悲観的なこと(必ず再発して重症化する、とか)を書いているサイトがあるし、サイトによって書いてあることが違います。

  ただ、医師に言わせると、メニエール病に限らず、どんな病気でも、いったん罹ると再発しやすいのが当たり前だということです。また、メニエール病はまだよく分かっていない病気で、耳鼻咽喉科の業界でも、毎年のように説がころころ変わるほどだそう。

  メニエール病の原因は完全には特定されていないようですが、疲労とストレスがきっかけの一つであることは確からしいです。疲れやストレスを溜めないよう気をつけて、症状に気づいたらすぐに医者に行くことが大事です。

  そこで、みなさまもお気をつけ下さい。以下の症状が出たらすぐに耳鼻科に行きましょう、いや、あえて命令口調で言います、絶対に行きなさい。


   ・ある朝起きたら突然、片方の耳を中心に水がつまったような感じになっていた。
   ・頭を叩くと音がごーん、ごーんと脳内で反響する。自分の声も頭の中でくぐもって響く感じがする。
   ・片方の耳に、セミが鳴いているような耳鳴りがする。
   ・片方の耳が聞こえにくい気がする。(「聞こえない」のではなく「聞こえにくい」。)


  ちなみに、メニエール病は厚労省から難病指定されているのですが、難病医療費助成の対象ではありません。各自治体でも独自に難病医療費の助成制度を設けているので、東京都の場合はどうかいな、と思って見たら、やはり助成対象ではありませんでした。残念。

  さて本題。2週間前にメニエール病だと分かった直後、私はかなり落ち込んで不安になっていました。家族や親しい友人たちには話しました。実家の母親にも話しました。が、それがいけませんでした。母親には話さなきゃよかったと激しく後悔しています。

  まだ私の聴力が完全には元に戻っていなかった1週間前、母親は地元にある全国チェーンの着物専門呉服店に行きました。(固有名詞を出してやりたいところですが、今は我慢します。いずれ詐欺容疑で摘発されたら具体的に言うつもり。)

  今はこの不景気だから、とりわけ高価な品物が多い着物専門呉服店は、どこも経営が難しくなっているんでしょうね。だから、着物専門店といいつつも、着物以外のいろいろな品物も取り扱っているようです。たとえば、普通の衣類、ハンドバッグ、小物、雑貨、宝石など。また、臨時の出店やブースなども常時いくつか設けているそうです。

  今回の件で驚いたのだけど、彼らは実に様々な手を使って、客をまず来店させようと努力しています。郷里にあるその着物専門呉服店が使った餌は、田舎ならではというべきか、なんと卵1パック

  来店するだけで生卵1パックをタダでプレゼント。母親はこんな情けない手に引っかかってしまったのです。卵を受け取って帰ろうとしたら(←ウチの母親も現金だけどね)、女性店員3人が母親に話しかけてきました。

  曰く、今日はよく当たる姓名判断の占い師が来てブースを出している、無料だから見てもらわないか、その占い師は人気があって引っ張りだこなので、明日には別の店に行ってしまうから、と。

  母親が店員たちに、あなたがたも見てもらったのか、と訊ねたところ、店員たちは、自分たちもその占い師が来るたびに見てもらっている、本当によく当たる、と答えたといいます。

  それで、母親は軽い気持ちで家族全員の名前を見てもらうことにしました。

  占い師は家族全員の名前を見て、数字がびっしり詰まった表のような紙と突き合わせて、何やら計算していたそうです。それから家族一人一人について、母親に質問しながら、その未来の運勢だの運気だのについて説明していきました。

  占い師との具体的なやり取りを母親から聞いたところでは、その占い師は家族の氏名以外に、それぞれの生年月日、性別、年齢、現住地、職業、私的な事情などの情報も母親からさりげなく聞き出し、それを基に大方の予想をつけて「息子さんはこうです」、「娘さんはこうです」と言っては母親の反応を観察し、付け入る隙を探っていたようです。

  私の番になったとき、その占い師は「この人は問題です!」と言い、私の個人情報をいくつか聞いたそうです。おそらく、そのときの母親の表情、目つき、態度などを見て、その占い師は私のことを脅しの中心ネタにすることに決めたのでしょう。

  その占い師は、私の将来について、話を悪いほうに悪いほうにと膨らませ始めました。(後編に続く。)

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『雨に唄えば』UK&アイルランド公演


  "Singin' in the Rain"公式サイト に、『雨に唄えば』UK&アイルランド公演の主要キャストが、いつのまにか載っていました(チェックするのサボってた~ごみんアダム)。

  今のところ、アダム・クーパーの出演はないようです。他の主要な役、コズモ、キャシー、リナ、RFシンプソンも、ウエスト・エンド公演のキャストとはまったく異なります。

  ツアーの主要キャストが発表されていなかったころから、公式サイトのホームページの写真、雨の中で踊るドン・ロックウッドがアダムでなくなっていたので、これはアダムの参加はないかな、と思っていました。

  アダム・クーパーの公式サイトには、アダムの今後の予定についての新しい情報はまだ掲載されていません。8月中はホリデイで、仕事関係の動きはすべて止まっている時期だろうから、仕方ないですね。

  それに、1年半にわたって、ほぼ毎日タフな舞台に立ち続けたアダムに対して、早く次のスケジュールを教えろ、というのも酷か。

  気長に待ちましょ。
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本日の光藍社(シリーズ開始)


  ご存じのように、光藍社といえば 超笑える 独創的なキャッチ・コピーで有名。

  早い話が、光藍社から送られてくる公演チラシの中に面白いキャッチ・コピーがあったら、ここにメモっておいて夜中に一人で笑おう、という思いつきです。

  本日は今度の年末年始にキエフ・バレエとともに来日する、ウクライナ国立歌劇場管弦楽団のコンサートのキャッチ・コピー。もちろん原文ママです。


   ジェットコースターのごとくあっという間に駆け巡る年末スペシャルコンサート!!!

   今年の欝憤、今年に晴らせ!

   休憩なしの一時間 一気に高まるボルテージ!

   圧倒的大迫力!!


  チラシの画像は 光藍社の公式サイト で見られます。圧倒的大迫力なのはあなたがたのチラシのほーだよ、と言いたくなるほどです。

  ところでこのコンサート、肝心の公演名が書いてません

  チケットを電話予約する場合、「すみません、ウクライナ国立歌劇場管弦楽団の『ジェットコースターのごとくあっという間に駆け巡る年末スペシャルコンサート!!!今年の欝憤、今年に晴らせ!休憩なしの一時間 一気に高まるボルテージ!圧倒的大迫力!!』を1枚下さい」と言えばいいのでしょうか(言ってみたい気もするが)。

  いや~、最高だわ、光藍社。


  追記:光藍社の公式サイトによると、上の公演名は「今年の欝憤、今年に晴らせ!」らしいです。電話でチケットをご予約の際には、大きな声で「『今年の欝憤、今年に晴らせ!』下さい」と言いましょう。

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今度は光藍社から


  DMが来ました。今度の年末年始に行われるキエフ・バレエ日本公演のチラシが入っていて、主要キャストが発表されていました。その中の『バヤデルカ(ラ・バヤデール)』で面白いキャスティングを発見、急遽『バヤデルカ』のチケットを買い足しました。

  で、下の記事の時点で悩んでいた、「ディアナ・ヴィシニョーワ 華麗なる世界」Aプロは観に行かないことに決定。

  この年末年始のキエフ・バレエ日本公演では、『くるみ割り人形』、『白鳥の湖』、『眠りの森の美女』、『バヤデルカ』、『ドン・キホーテ』と、この上なくベタな古典全幕5作品が上演されます。

  ああ、これを待っていたのです!最近は古典全幕でも新演出だの新解釈だのばっかりで、少し食傷気味でした。ロシア系正統派のピュアなクラシック・バレエが観たかったのよ~。

  演奏はウクライナ国立歌劇場管弦楽団、指揮はあの熱き血潮のオレクシィ・バクラン他。来日予定の主なソリストは、エレーナ・フィリピエワ、ナタリア・マツァーク、オリガ・ゴリッツア、カテリーナ・チェブィキナ、デニス・ニェダク、ワン・ヴァーニャ。セルギイ・シドルスキーの名前が見えないのがちょっと気になります。

  今年初めのキエフ・バレエ日本公演で、私は『白鳥の湖』と『眠れる森の美女』を観に行く予定でしたが、急用で行けませんでした(主演はオリガ・ゴリッツアとカテリーナ・チェブィキナだったと思う)。同僚にチケットを譲って、後で感想を聞いてみたところ、ともに大好評でした。うち一人は、『眠れる森の美女』の終演直後に、興奮冷めやらぬといった感じでメールを送ってきました。

  キエフ・バレエ2013~14年日本公演の詳細は、光藍社の公式サイト に掲載されています。

  面白いキャスティング、とはエレーナ・フィリピエワについてです。『白鳥の湖』、『くるみ割り人形』でフィリピエワが主役を踊るのは当たり前。『眠れる森の美女』では、今回フィリピエワはオーロラ姫を踊らず、「青い鳥のパ・ド・ドゥ」でフロリナ王女を踊るようです。でも、それもまだ順当。

  ちょっと驚いたのは、『ドン・キホーテ』で、フィリピエワが大道の踊り子を踊るらしいことです。

  更に驚いたことに、12月26日(木)と27日(金)に上演される『バヤデルカ』のうち、26日の公演でフィリピエワはガムザッティを踊るようです。ニキヤはナタリア・マツァークです。

  フィリピエワのガムザッティ、これは絶対に観たい!あの優しげでかわいらしく、フェミニンな柔らかい雰囲気のフィリピエワが、意地悪ワガママ王女のガムザッティだなんて、想像しただけで楽しみだわ~♪たぶん、オクサーナ・シェスタコワ(レニングラード国立バレエのはずだけど、今はどうしてるんだろ?)のガムザッティよりも怖くなると思うぞ。

  最も仰天したのは、27日の『バヤデルカ』で、「フィリピエワ(太鼓の踊り)」と記載されていたことです。一瞬、目の錯覚じゃないかと思いました。てか、これ、マジなの?

  プリマが「太鼓の踊り」なんて聞いたことねーぞ。たとえば、マリインスキー劇場バレエのウリヤーナ・ロパートキナが、「太鼓の踊り」にキャスティングされるなんてありえないでしょう。キエフ・バレエだからできること…なんだろうか?

  買い足した『バヤデルカ』はこれです。「太鼓の踊り」を踊るエレーナ・フィリピエワが観たい!ただそんだけで、「ディアナ・ヴィシニョーワ 華麗なる世界」Aプロに出演する、ディアナ・ヴィシニョーワ、ハンブルク・バレエ、パリ・オペラ座バレエ、ボリショイ・バレエ、アメリカン・バレエ・シアター、ニューヨーク・シティ・バレエの名だたるダンサーたちは、私の脳内から一気に吹っ飛んでいったのでございます(笑)。

  エレーナ・フィリピエワ、奥の深い人だ(感嘆)。


  そうそう、キエフ・バレエの公演を観に行こうかどうか迷ってるみなさま、光藍社はチケット販売に関して、こちらが逆に心配になるほど姑息な手を一切使わないプロモーターです。

  姑息な手っていうのはつまり、「特別優先予約」だの「限定先行発売」だの「今だけお得な特別割引価格」だのと称して良くない席を売りつける、日本のほとんどのプロモーターがやってる販売方法です。しかし光藍社については、私はそういう経験をしたことがありません。

  先行発売だろーが一般発売だろーが、割引価格だろーが正規価格だろーが、とにかく早い者勝ち。観たい気持ちの強い人が良い席を手に入れられるという原則。今なら割引期間中(8月22日まで)だし、お急ぎになったほうがいいと思います。

  ちなみにキエフ・バレエはウクライナのバレエ団ですが、ロシアのマリインスキー劇場バレエ、レニングラード国立バレエ(ミハイロフスキー劇場バレエ)などと同じく、ロシアのサンクト・ペテルブルグで発展したワガノワ・メソッドにもとづくダンス・スタイルを、きちんと継承している良いバレエ団です。

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ヴィシニョーワ・ガラ/エック版『カルメン』


  NBSから来たDMを見て思ったことその2。

  今月に行われるディアナ・ヴィシニョーワのガラ公演「ディアナ・ヴィシニョーワ 華麗なる世界」について、その最終的な詳細がやっとほぼ決定した模様。白黒印刷の「出演者、演目一部変更のお知らせ」が入ってました。

  私はBプロのチケットしか購入していません。チケットを買った時点では、確かAプロの詳細がほとんど決まってなかった覚えがあります。Bプロのほうは、アロンソ版『カルメン』が入っていたのと、その他の演目もAプロよりは決定していたので、それでBプロだけ買いました。

  公演まであと2週間余しかありませんが、Aプロの演目とダンサーたちがBプロに流れ込んできたり、新たなダンサーたちが参加することになったり、なーんか、ヴィシニョーワは、ロシアでいつもやってるガラ公演のノリ(←公演当日まで変更しまくり)で、日本でもガラ公演をやるつもりなんだろーな、ロシアと日本とじゃ勝手が違うことくらい、「世界的バレリーナ」なら理解しとけよ、と思わないでもありません。

  現時点でのAプロ、Bプロの演目とダンサーは、NBSの公式サイト に載ってます。

  ちょっと気になるのは、AプロとBプロの公演時間の差です。Aプロよりも、Bプロの公演時間のほうが長くなるんじゃないでしょうか?

  演目が決定したといっても、各作品から具体的にどのシーンが踊られるのかが書いてありません。ですからあくまで予想なんですが、

  Aプロの中で割と時間がかかりそうなのは、『コッペリア』(スワニルダとフランツのパ・ド・ドゥ?でもバランシン版だからよく分からない)、「ダイヤモンド」、『ドン・キホーテ』(グラン・パ・ド・ドゥ?)くらいじゃないかと思います。この3演目で、多めに見積もってたぶん40分弱。

  ルドルフ・ヌレエフ振付「マンフレッド」は未見ですが、ソロ作品なので短いでしょう。『オネーギン』はおそらく「別れのパ・ド・ドゥ」じゃないか?『オテロ』はたぶんオテロがデズデモーナを殺す場面、『失われた時を求めて』の「モレルとサン=ルー」はあの腐女子激萌えな踊り、んで「チャイコフスキー・パ・ド・ドゥ」、合計35分弱か?

  ジョン・ノイマイヤーがヴィシニョーワに振り付けたという「ダイアローグ」の時間も分かりません。まあでも、Aプロの実質的な公演時間は、大体85~90分じゃないのかなあ?

  Bプロでは、『カルメン』は短縮版だと書いてありますが、それでも40分間あるそうです。『椿姫』からはどのパ・ド・ドゥが踊られるのか分かりません。でもたぶん「黒のパ・ド・ドゥ」でしょう。昨今は猫も杓子も黒を踊りたがるからね。『眠れる森の美女』は「第3幕より」と書いてあるから、もちろんグラン・パ・ド・ドゥでしょう。

  『カルメン』、『椿姫』、『眠れる森の美女』で60分弱だと思います。

  そうすると、Bプロの他の演目8作品を25~30分以内におさめないと、Aプロと時間的なつり合いがとれません。「タランテラ」と「パリの炎」以外は時間の見当がつかないので、Bプロの公演時間は予想できないです。でも、90分以内におさめるのは相当きついんじゃないか。

  ヴァリエーションを省略すれば時間短縮は可能でしょうが、「タランテラ」は省略のしようがないし、『眠れる森の美女』と「パリの炎」からヴァリエーションを抜きやがったら、わしは激怒するぞ。

  まあ、AプロとBプロとで、時間的・内容的にどちらか一方に偏りが生じないよう、NBSは主催元として留意しているとは思います。Aプロの演目とダンサーがなぜBプロに移されたのかは謎だけれど。

  プティパ、バランシン、ワイノーネン、アロンソ、アシュトン、クランコ、プティ、ノイマイヤーと、有名な作品、もしくは定評のある振付家の作品ばかりだから、AプロもBプロも演目的に安心して観られると思います。ダンサーもほとんどが優秀な人ばかりだし。

  Aプロはまだ買ってないんだけど、どうしよっかな。

  「NBS News」にマッツ・エックのインタビューが載ってました。今冬の「シルヴィ・ギエム・オン・ステージ 2013」で、エック版『カルメン』が上演されるのにともない、東京バレエ団の中で配役を決めるため、7月初旬に来日したんだそうです。そのころは英国ロイヤル・バレエ団日本公演も行われていたから、もしかしたらある日の客席にいたかもしれませんね。

  で、かなりぎょっとしました。7月に来日したエック直近の写真が載っていたのですが、あまりに年老いた風貌だったので。もっとも、エックは45年生まれで、もう68歳。年齢どおりの風貌…なのだろうか?

  しかも、インタビューでエックは気になることを言ってます。「私自身、自分のキャリアに終止符を打つ事を意識しています。」 その理由を、エックは「世界中の何処にいっても、新作への期待がついてまわる。その真っただ中で創作をし続けることは、喜びでもあり、苦しみでもありますからね」と説明しているのですが…。

  縁起でもないことを言って本当に申し訳ないんだけど、エックは、ひょっとしたら体調が芳しくないんじゃないんだろうか?シルヴィ・ギエムに「ウェット・ウーマン」を指導していたころの、エネルギッシュで若々しかったエックとは、いくら20年という時間が経過しているとはいえ、あまりに違いすぎる。

  「シルヴィ・ギエム・オン・ステージ 2013」で上演されるエック版『カルメン』は、東京バレエ団による初演にシルヴィ・ギエムとマッシモ・ムッルがゲストとして参加するのであって、ギエム主体の公演とはとてもいえないので、チケットは買ってません。

  「聖なる怪物たち」は買いました。いろんな面でコスパが良いに決まってるのは、明らかに「聖なる怪物たち」のほうだから。エック版『カルメン』/「エチュード」は、事実上は東京バレエ団のダブル・ビルで、生オケが付くかどうかも不明(この2作品を組み合わせての公演に生オケを付けるのは難しいとは思う)。なのに、「聖なる怪物たち」よりもチケット代が高い。

  それで、『カルメン』/「エチュード」は買う気もなかったんだけど、マッツ・エックのあの写真を見たらね…。なんか、振付者自身が指導した舞台を観といたほうがいいんじゃないか、という気持ちも生じてきてしまった。

  ヴィシニョーワ・ガラのAプロ、エック版『カルメン』、うーん、どうしよう…。

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