アリーナ・コジョカル ドリーム・プロジェクト Bプロ(2月22日)-3


 『ドン・キホーテ』ディヴェルティスマン(振付:マリウス・プティパ、音楽:レオン・ミンクス)

   アリーナ・コジョカル、ローレン・カスバートソン、ダリア・クリメントヴァ、ロベルタ・マルケス
   ヨハン・コボー、スティーヴン・マックレー、ワディム・ムンタギロフ、セルゲイ・ポルーニン

   高村順子、西村真由美、乾 友子、高木 綾
   奈良春夏、田中結子、吉川留衣、岸本夏未(東京バレエ団)


  『ドン・キホーテ』の抜粋短縮版ではなく、キトリとバジルのグラン・パ・ド・ドゥを中心にして、『ドン・キホーテ』から有名な踊りをダンサーたちが交代で踊っていく、というものでした。

  それらの踊りの中には、知っているものもあったけど、知らないものもありました(聴いたことのない音楽もあった)。

  東京バレエ団のものでしょうが、背景やセットが設置されているという豪華さ。それにしては、女性ダンサー8人だけの出演とはもったいないのではないかしらん。

  しかも、グラン・パ・ド・ドゥの最初の踊りと、あとはバジルとキトリの友人2人との踊りに参加するだけで、あとは座って見てるだけ。せっかく東京バレエ団の主力女性ダンサーたちを出演させているのに。東京バレエ団の『ドン・キホーテ』は楽しいのになあ。

  コジョカルをはじめとする女性陣は、みな黒と紅のチュチュでした。色使いは同じでも、デザインはそれぞれ異なるので、誰のがいちばんおしゃれかな、と面白かったです。

  コボーをはじめとする男性陣も、黒を基調にしたボレロとタイツという衣装。黒タイツを穿くと、普段はバランスの良い体型に見えるダンサーが、なぜか細すぎに見えたりします。特に脚。黒タイツがいちばん似合ってたのは、ムンタギロフとポルーニンでした。

  踊りはみな良かったです。明るく華やかな踊りが楽しくて、客席は大いに盛り上がりました。最後は男性陣が並んで一斉に華麗に回転しました。誰を見たらいいのか困るくらい贅沢な演出でした。

  コジョカルは長~いバランス・キープを披露するのが好きですね。怪我から復帰してから、この傾向がとみに強まったような気がします。

  グラン・パ・ド・ドゥの最初、コボーとの踊りでも、すっげー長い時間バランス・キープしていて、手持ち無沙汰になった(笑)コボーが、苦笑しながら客席を見やったほど。

  32回転をするところは、イタリアン・フェッテに振りを変更してました。グラン・フェッテであれば2~3回転する時間で片脚立ちキープ、また2~3回転する時間で片脚を後ろに回してそのままキープという、異常にためを置いた配分でした。グラン・フェッテのシングル4~6回分の時間で、イタリアン・フェッテを1回やった勘定です(たぶん)。

  やっぱりコジョカルは踊るのが好きなんだなあ。テクニックの強調や自慢目的ではなくて、自分がどこまでできるか、無邪気にトライしている雰囲気です。このへんがタマラ・ロホあたりとは違うので、決して嫌味ではないですね。

  まだ若いんだから、これでいいと思いますよ。あと5年もすれば、「若い頃はテクニックばかりにこだわっていましたが、最近は表現により深みを持たせることに気持ちが行くようになりました」とか言うようになるでしょう。

  今のコジョカルを充分に堪能できたし、コボーもたくさん見られたし、ムンタギロフやクリメントヴァという優れたダンサーたちを知ることもできたし、良いガラ公演だったと思います。

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アリーナ・コジョカル ドリーム・プロジェクト Bプロ(2月22日)-2


 この記事の内容(『椿姫』、「ザ・レッスン」)はかなり批判的です。感動に水をさされたくないみなさまは、どうかお読みになりませんようお願いいたします。



 『椿姫』より第三幕のパ・ド・ドゥ(振付:ジョン・ノイマイヤー、音楽:フレデリック・ショパン)

   アリーナ・コジョカル、アレクサンドル・リアブコ

   ピアノ:三原淳子


  リアブコはご存知、ハンブルク・バレエのプリンシパルです。この演目だけの出演で、なんかもったいない。

  いわゆる「黒のパ・ド・ドゥ」です。今まで観た中では、4番目くらいに良かったと思います。

  コジョカルもリアブコもすばらしかったし、特にコジョカルは、当代随一のバレリーナたちの一人としての本領発揮という感じで、一時も目を離せない、息を呑むばかりの驚異的な動きで踊りました。

  ところが、不思議なことに、両人とも踊りはすばらしいし、熱演もしていたのは確かなのに、全然感動できなかったんです。

  それはなぜなのか、ずっと考えていたのですが、この後の「ザ・レッスン」と『ドン・キホーテ』ディヴェルティスマンでのコジョカルの踊りを勘案するに、

  コジョカルは、踊ること自体を純粋に、無邪気に楽しんでいるのであって、踊ることを通じて何かを伝えるとか、訴えるとかいうことは、あまり考えていないか、もしくは二義的な問題なのだろうと。

  もちろん、コジョカルは演技も優れている。役作りだってきちんとやる。踊りと演技による表現力は凄まじい。しかし、それらの要素すべてを超えた最上位にあるのは、踊ることそのもの。

  そんな気がします。

  これはどうなんでしょうね。ダンサーなんだから踊り第一で当たり前なのか、それともダンサーとしては欠点なのか。実は、この点ではヨハン・コボーも共通しているな、と思いました。詳しくは次の「ザ・レッスン」で。


 「ザ・レッスン」(振付・デザイン:フレミング・フリント、音楽:ジョルジュ・ドルリュー)

   バレエ教師:ヨハン・コボー
   生徒:アリーナ・コジョカル
   レッスン・ピアニスト:ローレン・カスバートソン


  日本初演、ですよね?30分ほどの一幕物です。プログラムによると、「フランスの劇作家、ウジェーヌ・イヨネスコの不条理劇『授業』(1950年初演)を原作に、テレビ用に制作され、1963年9月16日にデンマークで放映された」そうです。

  ヨハン・コボーが03年にロンドンで行なった、自身のガラ公演「アウト・オブ・デンマーク」で上演し、それからロイヤル・バレエでも上演されるようになったとのことです。

  この作品をロンドンで観た方から、非常に衝撃的な内容だと聞いていたので、楽しみにしていました。

  で、実際に観た感想は、

  「ヨハン・コボー中二病チョイス作品」

です。ロイヤル・バレエの男子の間で罹患率が高い「マクミラン病」の影響もあると思います。

  「マクミラン病」の主症状は、1.暴力的なストーリーを好む、2.特に男性による女性への暴力を好む、3.更に成人男性による少女への暴力を好む、4.こういう残酷かつ残虐な内容を高尚で深遠な芸術だと思い込む、などです。

  バレエ教師が生徒を絞殺する、というストーリー自体は別にいいんです。いろんな意味で興味深いと感じさせてくれて、何かを考えさせてくれるなら。

  だけどね、この「ザ・レッスン」という作品、振付もマイムもひどいというか、すでに時代遅れになってるし、その時代的限界を補わなくてはならなかったコボー、コジョカル、カスバートソンのパフォーマンスも、はっきりいって失望もののレベルだと思いました。

  この作品が初演された50年前は斬新だったんでしょう。でも、現代では学生サークル劇団のレベルにも及ばない、機械人形的で大仰でわざとらしいマイム、そして独自性のまるでない振付(←レッスンに関係ない場面で、いきなりお約束的なクラシックの動きで踊りだす)は、明らかにもう時代遅れです。

  互いに何の連関も一貫性もない、演劇的なマイムとクラシックの踊りをつなぎ合わせて作品を作ってしまう「振付家」たちは現代でもいます。でも、ロイヤル・バレエで、フォーサイス、ウィールドン、マクレガー等々、現代で一流に数えられる振付家たちの作品をあれだけ踊ってきたコボーやコジョカルが、何でこの「ザ・レッスン」をすばらしいと思ってしまったのか、私はすごい不思議です。

  しかし、マイムや振付の時代的な限界は、現代のダンサーたちの工夫によっては、それを乗り越えることができるでしょう。私はまったくの素人ですが、「不条理劇」とは、ただの意味不明なドラマではないんじゃないの?

  「ザ・レッスン」については、まさにプログラムの作品説明に書いてあるとおり、登場人物たちの間の「関係性に変化が生まれる」過程を見せることが大事なわけでしょう。臆病な教師、無知で愚かな少女、神経質でヒステリックなピアニスト、この三人の関係が相互作用で変化していって、その果てに異常な事態が起きてしまう。有名な「看守役」と「囚人役」の心理実験のように。

  一見すると荒唐無稽、唐突、意味不明だけど、これらの非関連性、非因果性、無意味性こそが、実は時代的な限界のない、普遍的な意味を含有するアレゴリーであるわけでしょ。たぶん。

  正常と異常、日常と非日常なんてものの境目は結局曖昧で、その曖昧な境目にたまたま落ち込んでしまったとき、あるいは、他人との関係性の如何によって、人は誰でも異常で非日常的な犯罪行為に手を染めてしまう可能性を持っている。

  もしくは、たとえばケン・ラッセルの映画やモンティ・パイソンのコントのように、残酷や暴力を、ブラック・ユーモアとしてクールに表現する選択肢もあるわけですよね。

  そういうことを観客に伝えられないで、ごく普通の異常者によるごく普通の異常な犯罪行為を見せてどうすんの。コボーが演じていたのはただの変質者に過ぎない。コジョカル、カスバートソンとの演技もかみ合っておらず、三人のパフォーマンスはアレゴリーどころか、ブラック・ユーモアの域にも達していなかったと思います。

  上で「マクミラン病」と茶化してしまいましたが、マクミランは、残酷な内容の作品を作っても、そこでちゃんと、人間は誰でも暗いエア・ポケットにはまりうることを描いているんじゃないでしょうか。

  「教師役は唯一ぼくが自分との性格的共通点を見つけることのできない異常な役柄です」(コボー)と言うなら、じゃあなぜこの作品を上演したかったの?この作品で何を表現したかったの?大体、人が人の生命を理不尽に奪うということについて、人の生命が理不尽に奪われるということについて、どう考えてるの?ただ自分の「鋭い作品選択眼」と「幅広い演技力」を披露したかっただけ?

  とりたてて何を表現したいというわけでもなく、ただ残酷、残虐、暴力、狂気といったものに子どもじみた憧れを抱いて、このような題材を手のひらの上でもてあそぶだけのような作品やパフォーマンスは、私は好きではありません。

  コジョカルとコボーに共通しているのは、バレエの世界しか知らない人間の、しかもロイヤル・バレエという狭くて小さい世界での勝ち組ダンサーの、いわば視野狭窄です。挫折知らずであるがゆえに純粋で邪気がなく、単純で浅薄。悲しくなるほどたわいない。ダンサーのオフにおける素の人間性などどうでもよいのです。しかし、舞台の上では、こういう部分を見せてほしくなかった。
  
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アリーナ・コジョカル ドリーム・プロジェクト Bプロ(2月22日)-1


 「ラリナ・ワルツ」(振付:リアム・スカーレット、音楽:ピョートル・I・チャイコフスキー)

   アリーナ・コジョカル、ローレン・カスバートソン、ロベルタ・マルケス
   ヨハン・コボー、スティーヴン・マックレー、ワディム・ムンタギロフ、セルゲイ・ポルーニン


  感想はAプロと同じです。華やか、かつ爽やかなワルツとよく合う、美しくダイナミックな振付を、どのダンサーたちも伸び伸びと踊っていて、非常に魅力的でした。

  プログラムには書いてないけど、衣装デザインは誰だろうね?男性ダンサーたちの衣装の色とデザインが何気におしゃれでした。

  上下とも黒いんだけど、真っ黒ではなく柔らかみのある黒で、また上衣の形が特に格好よかったです。よく王子役が着ているデザインで、箱型に空いた襟、二の腕部分にふくらみを持たせた袖という形ですが、男性ダンサーたちのスタイルの良さを二倍増しくらいに見せていました。デザイナーさん、お見事!


 「タランテラ」(振付:ジョージ・バランシン、音楽:ルイス・モロー・ゴットシャルク)

   ロベルタ・マルケス、スティーヴン・マックレー


  意外にも、このBプロ最大のスベリ演目でした。こんなちんたらした「タランテラ」は初めて観ましたよ。NYCBに任せておけ、と思ってしまいました。

  マックレーは必死に盛り上げようと努力していましたが、踊りに軽快さがなく、音楽にも乗っていなかったです。ロイヤル・バレエのダンサーにありがちな雰囲気と踊りのスタイルである、控えめな上品さと優雅さは、この作品には合わないんじゃないかなと思います。

  マルケスはそれ以前の問題で、完全に技術不足でした。おっかなびっくり踊っていたので、見ていてハラハラしました。


 『くるみ割り人形』よりグラン・パ・ド・ドゥ(原振付:ワシリー・ワイノーネン、音楽:ピョートル・I・チャイコフスキー)

   ダリア・クリメントヴァ、ワディム・ムンタギロフ


  意外にも、このBプロで大盛り上がりだった演目でした。クリメントヴァはムンタギロフと同じく、イングリッシュ・ナショナル・バレエのプリンシパルです。

  クリメントヴァは、89年にローザンヌ・バレエ・コンクールに参加しているそうなので、かなりなベテランです。しかし、明るい金髪に大きな瞳で可愛らしく、淡い金色のチュチュがよく似合っていました。たぶんかなりな長身のようです。腕と脚は細長く、スタイルも抜群。

  ムンタギロフはサポートとリフトでもすぐれた技量を持っていますね~(感嘆)。クリメントヴァとムンタギロフはよく組んでいるのか、双方の踊りはみなしっくりいって、とてもスムーズでした。

  クリメントヴァの踊りから強く感じたのは、ああ、この人は、客への見せ方というのをよく心得ている、ほんとのプロのダンサーだな、ということでした。動きや姿勢をいささかもゆるがせにすることなく、完璧な美しさと正確さをもって踊り、しかも客を楽しませるという明確な職業意識を持っているように感じました。

  比較するのが適当かどうか分かりませんが、吉田都さんの踊り方とよく似てるのです。文字どおり爪先まで完全にコントロールしており、回転ひとつとっても、美しく回り、またきれいにビシッと静止して完璧に決める。

  下の記事に書いたように、最後のグラン・フェッテでは、美しい長い脚がこれまた美しい形で伸び、しなやかにたわんで、そして優雅に回転していました。あれには思わず目を奪われました。

  ムンタギロフは、今日も少々のもっさり感と大幅なおっさん感(笑)がありましたが、でもきれいにダイナミックに踊っていました。

  このパ・ド・ドゥが終わった瞬間、客席からは大きな拍手喝采が沸き起こりました。テープ演奏で、舞台には何の装置もなくって、しかも踊られたのはこのパ・ド・ドゥだけなのに、まるで生オケ付きで全幕を上演したかのような盛り上がりぶりでした。

  本当に、イギリス一国をとっても、世界にはまだまだ、日本では知られていないけど、すばらしいダンサーがいるのだと実感しました。こういう優れたダンサーたちを紹介してくれたコジョカルに感謝しなくちゃいけませんね。


 「ディアナとアクテオン」(振付:アグリッピーナ・ワガノワ、音楽:チェーザレ・ブーニ)

   ローレン・カスバートソン、セルゲイ・ポルーニン


  意外と良かった演目その二です。観る前は、どーせダメだろー、と決めつけて、マリインスキーに任せておけ、と思ってました。

  でも、観ているうちに、なかなかいいじゃん、と思えてきました。特に、カスバートソンがあれだけ踊れるのには驚きました。完璧とはいわんけど、全編を通じて丁寧に踊っていたし、しかも、あのいかにも難しそうなヴァリエーションでは、なんと目立ったミスなし。めちゃくちゃ難しそうな後半部もきれいに踊りきりました。

  カスバートソンの、謙虚さと穏和さと暖かさを感じさせる雰囲気も好印象でした。カスバートソンの生真面目さも美点ですね。虚勢を張らない、ミスしても気丈に立て直す、誠実に、真摯に役に取り組んで、振付どおりにきちんと踊るところ。

  ポルーニンは、なんで彼がテクニシャンだといわれているのか、この演目のおかげで納得できました。あくまでロイヤル・バレエ基準でのテクニシャンでしょうが。

  後の『ドン・キホーテ』ディヴェルティスマンでも感じたのですが、ポルーニンの技術と雰囲気は、ロンドンの保守的な舞踊批評家連中には受け入れられにくいタイプのものではないかと。ポルーニンのロイヤルでの立ち位置も、ロイヤル時代の熊川哲也のそれと似ていたのではないのかな~。

  もっとも、技術面では、全盛期の熊川哲也のほうがポルーニンよりもはるかに上だと思います。大体、熊川哲也の踊りはきれいだもん。ポルーニンはそうではない。いくら凄技ジャンプでも、あれほど上体の姿勢を崩してしまうのは、私は好きではないです。 

  でも、カスバートソンのフェミニンで優等生的な踊りと、ポルーニンのヤンチャな踊りとで、結局はうまくバランスが取れている感じでした。

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アリーナ・コジョカル ドリーム・プロジェクト Bプロ(2月22日)


  何でこれを踊るんかい、と不思議に思った演目もありましたが、なんだかAプロよりもはるかにおトク感がありました。チケット代、AプロとBプロは同じだったっけ?

  Bプロに参加のダリア・クリメントヴァ(イングリッシュ・ナショナル・バレエ プリンシパル)は、良いダンサーですよ~。まさにプロフェッショナル。磨きぬかれたかのような、艶のある踊り、すばらしかったです!

  クリントヴァとワディム・ムンタギロフ(←申し訳ないが、やっぱりおっさんにしか見えなかった)が踊った『くるみ割り人形』のグラン・パ・ド・ドゥは、すっげー盛り上がりました。ガラ公演で、このパ・ド・ドゥだけであれだけ観客を沸かせることができるとは。

  クリメントヴァのグラン・フェッテ、あんなにも美しいグラン・フェッテを見たのは久しぶりです。というか初めてかも。凄いグラン・フェッテなら何度か見たことがあるけれども。

  詳しくは後日~。

  あ、そうだ、「ザ・レッスン」と「ガラテア」って、何か影響関係とかあるんでしょうか?請うご教示。





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アリーナ・コジョカル ドリーム・プロジェクト Aプロ(2月18日)-2


 「チャイコフスキー・パ・ド・ドゥ」(振付:ジョージ・バランシン、音楽:ピョートル・I・チャイコフスキー)

   ローレン・カスバートソン、ワディム・ムンタギロフ


  観る前は、ワディム・ムンタギロフって誰じゃい、と思っておりましたが、これがまたいいダンサーでして、背が高い、手足が長い、ハンサム、テクニック強し、踊りも雰囲気もノーブル、と三拍子どころか何拍子も揃ってる人でした。動きが多少もっさりしている以外は、とても優れているダンサーです。イングリッシュ・ナショナル・バレエのプリンシパルだそうです。

  落ち着いた雰囲気の渋いオジさんだな、さすがベテラン、と勝手に感心して、後でプログラムを読んだら、オジさんじゃなくて、まだ21歳らしい(2009年、イングリッシュ・ナショナル・バレエにファースト・アーティストとして入団、趣味はバスケットボール)ので、びっくり仰天。さーせんした。

  21歳にしてすでにこれほど優秀だと、どーかな、このままイングリッシュ・ナショナル・バレエに留まり続けるかな~?(ニヤニヤ) いずれコヴェント・ガーデンに移るんじゃないかな~?(ニヤニヤニヤ)

  さて、久しぶりのローレン・カスバートソン。プログラムによると、1年半もの間、病気のために休養してたそうです。病名も書いてあったけど、よく分からなかったので、後で検索しました。そしたら、原因不明で、治癒に長い時間がかかる難病だということでした。そんなことになってたなんて。大変だったね。かわいそうに。

  淡いクリーム色の衣装に身を包んだカスバートソン、音楽をきちんと大事にしてる感じで、ゆっくりじっくり、実に丁寧に踊っていました。抒情的でしっとり、ふんわりした柔らかい踊りでした。ヴァリエーションとコーダはちょっといっぱいいっぱいな感じでしたが、よく踊りぬきました。

  ブランクがあったから仕方ないけど、カスバートソンの踊りを観ていて、カスバートソンは日本でもっと評価されていいはずのダンサーだよな、と思いました。

  苦しんだ時期を経て、これからはどんどん活躍してね。 


  「レ・リュタン」(振付:ヨハン・コボー、音楽:ヘンリク・ヴィェニャフスキー、アントニオ・バッジーニ)

    アリーナ・コジョカル、スティーヴン・マックレー、セルゲイ・ポルーニン
    ヴァイオリン:チャーリー・シエム
    ピアノ:高橋 望


  まあまあ小粋な佳作…でしょう、たぶん。

  2009年にロイヤル・オペラ・ハウスで初演された作品で、初演キャストはこの3人だそうです。

  ヴァイオリン奏者、ピアノ奏者ともに舞台上の前方左脇にいて、特にヴァイオリン奏者はダンサーと掛け合い的なパフォーマンスをします。

  ダンサーと奏者はみな同じ衣装です。白いシャツ、黒い腰丈のズボンにサスペンダーという姿。コジョカルもこの男装で登場します。

  速い音楽と複雑でスピーディーな動きの振付がよく合っているので観ていて気持ちよく、またダンサー同士、ダンサーとヴァイオリン奏者との掛け合いも楽しいものでした。

  最初にポルーニンとマックレーが出てきて、互いに競うように踊ります。途中からコジョカルが出てきて、ポルーニンとマックレーがコジョカルの気を引こうと躍起になるのですが、コジョカルが恋したのはイケメンのヴァイオリン奏者、チャーリー・シエム。

  コジョカルがシエムの前に立ちつくし、うっとりとシエムを見つめる表情が笑えました。

  そういえば、シエムは簡単な日本語を話しました。「コニチハ!」とか「ハジメハ」とか言ってました。ヴァイオリン奏者が司会の役割も担っているらしいです。普段は英語でやってるのでしょう。

  このチャーリー・シエムというヴァイオリニストは、若くてイケメンです(でも私のストライクゾーン外です)。優秀な演奏家である一方、その恵まれた容姿でモデルにも起用されてるそうです。欧米にもいるんですね。クラシック音楽家という肩書きのタレントが。日本だけの現象かと思ってたよ。

  スティーヴン・マックレーの踊りがことのほかすばらしかったです。本当に良いダンサーです。爽やかで人柄の良さそうな雰囲気と同じく、踊りも爽やかでキレがよく、かつ美しくて安定感抜群。

  ジャンプは高い(正面向き180度以上開脚ジャンプを平然と何度もやってしまう)、回転は鋭く、しかし端麗。複雑な足さばきやステップも軽々とこなしてしまう。音楽性も豊か。踊りが振付と音楽に余裕で追いついているどころか凌駕さえしており、しかしオレ様臭マンマンでそれを匂わせることは決してない。

  先日観たボリショイ・バレエのアレクサンドル・ヴォルチコフもそうだったけど(ロイヤルとボリショイを比べるな!というお叱りの声が聞こえてきそうですが)、すっごい高度な技術と表現力を合わせ持っているのに、それを押しつけがましくアピールしないというダンサーが、どーも私は好みのようです。

  セルゲイ・ポルーニンは、先月にロイヤル・バレエを退団したそうです。入団してわずか3年でプリンシパルになったということで、まだ21、2歳という若さです。にしては、プログラムにあるプロフィールの記載は極めて簡素です。レパートリーがほとんど書いてないです。

  これは、ポルーニンがまだ若いのと、在団期間が短いせいもあると思いますが、堂々と記載できる、もしくはぜひとも記載したいレパートリーが大してない、というのが主な理由でしょう。退団の原因はこのへんにあると思います。

  ダンサーの長所や優れた点というのはそれぞれ違います。ポルーニンについては、テクニックが凄いという評判を読んだことがあります。ところが、私は以前にポルーニンを観たときにそうは思わなかったし、今回の公演を観てもやはりそう思えませんでした。むしろ、マックレーとの踊り合戦で、技術的にもマックレーに及ばないのではないか、とさえ感じました。

  でも、まだ若いから伸びしろはあるんだろうし、どこかに移籍すれば新しい可能性が開けるかもしれません。いずれ大化けした姿を見せてくれるでしょう。(と、無難にまとめておこう。)


 「エチュード」(振付:ハラルド・ランダー、音楽:カール・チェルニー、クヌドーゲ・リーサゲル)

   エトワール:アリーナ・コジョカル、ヨハン・コボー、スティーヴン・マックレー、セルゲイ・ポルーニン
   白のソリスト:高村順子、佐伯知香(東京バレエ団)
   コール・ド:東京バレエ団


  好きな作品だから、まあいいんですが……。

  でも、アリーナ・コジョカル、ヨハン・コボー、スティーヴン・マックレーほどのダンサーたちに、今さらこの作品を踊らせることにどーんな意味があるんでしょうか?わしには分からん(大滝秀治風に)。

  ガラ公演ラスト盛り上げ&恒例の東京バレエ団ねじり込みを目的とした消極的選択としか思えんのですが。  

  コジョカル、コボー(←コジョカルのサポートにちょっとだけ出演)、マックレー、ポルーニンは想定内にすばらしかっただけでした。

  更に、この「エチュード」は、ソリストたちばかりでなく、カンパニー全体のレベルを見せることになる作品です。私はマリインスキー・バレエがこの作品を上演したのを観て、マリインスキーの全体的なレベルのあまりな高さに衝撃を受けましたからね。どうしてもそれと比べてしまうのです。

  個人的には、東京バレエ団がやってもなあ、と疑問に思わないでもありません。東京バレエ団には、この作品は向いていないと思います。

  まあでもいいですよ。好きな作品ですから。

  以上、Aプロでした。


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アリーナ・コジョカル ドリーム・プロジェクト Aプロ(2月18日)-1


 「ラリナ・ワルツ」(振付:リアム・スカーレット、音楽:ピョートル・I・チャイコフスキー)

  アリーナ・コジョカル、ローレン・カスバートソン、ロベルタ・マルケス
  ヨハン・コボー、スティーヴン・マックレー、ワディム・ムンタギロフ、セルゲイ・ポルーニン


  振付者のリアム・スカーレットというのは、プログラムによれば、ロイヤル・バレエの現役団員で、まだ25歳の若さの男性ダンサーのようです。

  この作品は、今回の公演のために作られたものだそうで、もちろん今回が世界初演(というほどご大層な作品でもないですが)です。

  男性ダンサーは黒のシャツにタイツ、女性ダンサーは純白のチュチュという衣装です。この衣装にふさわしく、振付も正統派クラシカルな動きで、ダンサーたちが入れ替わり立ち替わり踊っていきます。

  音楽はオペラ『エフゲニー・オネーギン』第二幕冒頭のワルツです。だから「ラリナ・ワルツ」という作品名なのでしょう。

  華やかな音楽に乗せた美しい振付の踊りです。このようなガラ公演で、観客をウォームアップさせるのにはふさわしい作品だと思います。

  いくらロイヤル・バレエやイングリッシュ・ナショナル・バレエのダンサーたちでも(←ごめん)、今回出演しているのは精鋭ばかりです。みなすばらしい動きで、ダイナミックで華麗に踊っていました。


 「ゼンツァーノの花祭り」(振付:オーギュスト・ブルノンヴィル、音楽:エドヴァルド・ヘルステッド、ホルガー・シモン・パウリ)

  ヨハン・コボー、ロベルタ・マルケス


  コボーの踊るブルノンヴィル、まさに「待ってました!」という感じでした。ごめん、マルケスのほうは、あんまり見てなかったです。

  ペアを組んで踊る相手としてのコジョカルに言及するとき、コボーは自分との年齢差を口にすることが多いです。

  つまり、自分のほうがかなり早く引退することを念頭においているようなのですが、男性ダンサーの年齢が最初に出るのは跳躍力のような気がします。その他の動き、たとえば回転や足の細かい動きなどは、40代以降でもそんなに衰えることはないんじゃないでしょうか?

  コボーの踊りは非常に見ごたえがありました。上半身を動かさず、両腕もかすかに内側に曲げて前に垂れた姿勢で、脚だけを動かして踊っていきます。両足を細かい複雑な動きで打ちつけたり、上半身の直立不動を保ったままジャンプしたり、節度と品の良さを感じさせる動きで回転し、足元が崩れることなくぴたっと静止したり、ほんとに精緻で端正。

  ああ、コボーの踊る「ラ・シルフィード」が観たいよ~。


 『眠れる森の美女』より「ローズ・アダージオ」(振付:マリウス・プティパ、音楽:ピョートル・I・チャイコフスキー)

  アリーナ・コジョカル
  ヨハン・コボー、スティーヴン・マックレー、ワディム・ムンタギロフ、セルゲイ・ポルーニン


  ふと気になったのが、ヨハン・コボーはこれで3作品連続出演なわけで、いつ衣装を着替えているのか、と。

  前の作品のカーテン・コールに出なかったりしたので、その間に手早く着替えているんでしょうね。大変だな~、と他人事ながら思いました。  

  両手に花、という言い方がありますが、これはその逆で、しかも倍増してる(笑)。4人の王子がこれほど豪華キャストなローズ・アダージオは他にあるまい。さすがロイヤル・バレエの女王、コジョカル様です。

  4人の王子がすでにこの面子だと、本命王子が出てくる第二幕を待つまでもなく結婚してもよさそうだ。

  王子役の4人はあのヘンテコ衣装で出てくるのかと思ったら、そこは工夫していて、4人とも現代風の白いシャツに黒いズボン、腰に紅いバラの花を一輪挿しこんで登場しました。そーだよね、あのヘンテコ衣装だと、あれだけで荷物が無駄にかさばるもんね。この衣装は、小才のきいた工夫だと思いますが、なんかハンパにダサいのがまたいいですね。特に真紅のバラ一輪には、昭和のホストクラブを彷彿とさせる場末感が漂っていました。

  この紅いバラの王子4人を見て、なぜか「オレたちひょうきん族」の「フラワーダンシングチーム」を思い出しました。(黒い海パンに工事現場用ヘルメットをかぶり、紅いバラを口にくわえて踊ってた連中。…若い人はわかんないよね。ごめん。)

  コジョカルは淡いピンクのチュチュ姿です。

  4人の王子の中に、「オーロラ姫サポート担当王子」がいるじゃん。あれはやっぱりヨハン・コボーでした。このへんから、コボーがコジョカルの保護者というか、ほとんどお父さんに見えてきました。コボーは頼りがいがありそうだし、包容力もありそうです。サポートも磐石。ろくろ回しサポートなんか、何回転するの~!?というくらい、コジョカルがぐるぐる回ってました。

  コジョカルのバランス保持力も物凄かったです。ぜんぜんグラつかないんですね。最後は王子の手を借りずに、アティチュードからアラベスク。

  ただ、今のロイヤル・バレエで上演されてるモニカ・メイスン版はこうなってるんですか?イギリス系統の『眠れる森の美女』では、オーロラ姫は王子たちの肩を支えにせず、自力でアラベスク・パンシェをすると思い込んでたのですが、コジョカルは王子たちの肩に手を置いてやってました。

  細かいことだろうけど、自力アラベスク・パンシェは、イギリス系統の『眠れる森の美女』で私が好きな点の一つなので、ちょっと残念でした(細かくて本当にごめんね)。

  
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アリーナ・コジョカル ドリーム・プロジェクト Aプロ(2月18日)


  明日(19日)もAプロの公演があるらしいので、今日は一言だけ。


   スティーヴン・マックレーのファンのみなさまは、ゆうぽうと(会場)へ急げ。


  マックレー最高っす!


  
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五つ星キター!!!


  2月15日から、『雨に唄えば』の本公演が始まりました。

  アダム・クーパーの公式サイトによれば、クーパー君は本公演前、BBC1の朝のニュース番組「ブレックファスト」に出演してインタビューを受けたようです。

  「ブレックファスト」には、男女の司会者がゲストをスタジオに招いてインタビューをするコーナーがあったように覚えています。クーパー君はそれに出演したのでしょう。BBCのサイトを見たんだけど、ネット配信はしていないのか、私の探し方がわるいのか、まだ観れていません。

  クーパー君の公式サイトに、さっそく『テレグラフ』と『インディペンデント』のレビューへのリンクが貼られていました。

  『テレグラフ』は、なんと五つ星

  『インディペンデント』は四つ星です。

  上々の滑り出しと断言できるでしょう。

  『テレグラフ』には、ドン・ロックウッドが雨の中で歌う有名なシーンの写真が掲載されています。水を蹴り上げているアダム・クーパー、すっごい素敵です!生き生きしてます。彼が舞台を楽しんでるのが、この写真一枚だけでも充分に伝わってきます。

  まだ読んでない(これから仕事~)ので、帰ってからゆっくり読みたいと思います

  
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ボリショイ・バレエ『ライモンダ』(2月7日)


  ストーリーが無いに等しく、踊りだけの作品というのは、私の最も苦手とするところです。

  『眠れる森の美女』はなんとか克服しましたが(今では好きです)、『くるみ割り人形』はいまだに観るのが苦痛だし、『海賊』もまだ努力中、そしてこの『ライモンダ』に至っては、食わず嫌いで観たこともありませんでした。

  ボリショイ・バレエなら、またマリーヤ・アレクサンドロワがライモンダを踊るのなら、何とか大丈夫だろうと思って、この日のチケットを取りました。

  とはいえ、ボリショイ・バレエでも、数年前に日本で上演された、ピエール・ラコット復元版の『ファラオの娘』、あれはひどかったなあ。超つまんなくてバカバカしいストーリー、これでもかと繰り広げられる軽業的な踊り、観ていて退屈で退屈でたまらず、今でもトラウマになってるほどです。あのときは誰と誰が主役だったのかさえも覚えていません。

  今回上演された『ライモンダ』の振付はマリウス・プティパ、アレクサンドル・ゴールスキー、ユーリー・グリゴローヴィチです。どこがプティパの原振付で、どこがゴールスキーの振付で、どこがグリゴローヴィチの改訂振付なのかはさっぱり分かりません。まあでも全体的にプティパっぽい踊りに統一されてるはずだから大丈夫だろうし、どこが誰の振付でもどーでもいいです。

  ボリショイ・バレエってのは、あまり舞台装置におカネをかけない主義なのかね?『ライモンダ』も装置らしい装置は無く、背景幕とシャンデリアだけでした。

  衣装はすばらしかったです。色彩と模様が非常に美しく、とりわけハンガリー王、伯爵夫人、貴族たちの中世風の衣装は、光沢のある白い生地に金、銀、黒、深緑などの重厚な色を配した紋様でした。そうそう、王様や貴族役の男性陣はみなロン毛のオカッパヅラでした。イケメンぞろいだったので、よく似合っていました。

  ライモンダの伯母、ドリス伯爵夫人役のエカテリーナ・バリキナがものごっつい美女でした。

  ライモンダの友人(クレマンス、アンリエット)役にはエカテリーナ・シプーリナとアンナ・ニクーリナという豪華キャスト。二人ともさすがの踊りっぷりでした。並んで同じ振りで踊ると、やはりシプーリナのほうが一日の長があるように見えました。

  吟遊詩人のベルナールとベランジェという役があります。舞台を見る限りでは、どこが「吟遊詩人」なのかまったく分からないし、ベルナールだのベランジェだのという固有名詞も別に必要ないように思えるのですが、この役を踊ったウラディスラフ・ラントラートフとデニス・ロヂキンが、イケメン&踊りがダイナミックかつ華麗でした。

  特にロヂキンはいいですねー。開脚ジャンプが物凄かったです。なっがい脚が根元からぐわっと開いて、ぐいーん、と高く跳躍してました。

  第一幕の、ライモンダの夢の場面で、第2ヴァリエーションを踊ったダリーヤ・コフロワもすばらしかったです。ゆっくりした振りで、それだけにバランスの保持が大変そうな踊りでしたが、終始一貫して安定していました。

  そういえば、この夢の場では、ライモンダは立ったまま、柱に頭をもたせかけた姿勢で寝入ってしまうという演出でした。最終電車でつり革につかまって立ったまま寝てるサラリーマンじゃないのですから、なんかもうちょっと改善したほうがよいのでわ。

  夢の場面での女性コール・ドの美しさは筆舌に尽くしがたいです。舞台の奥に、手足を美しく伸ばして重なり合ったダンサーたちがぼうっと浮かんできたときは、あまりな美しさに呆然としました。他の場面でも、女性コール・ドはいずれ劣らぬ美女ぞろい、スタイル抜群、テクニシャンで、しかも踊りがよく揃っていました。群舞の整然さという点では、今のマリインスキー・バレエの女性コール・ドよりも優れているんじゃないでしょうか。

  貴族や騎士役の男性ダンサーたちもみな長身で脚が長く、タイツがよく似合っていました。踊りも良かったです。迫力があって見ごたえがありますね。

  第二幕のサラセン人の衣装と踊りについては、大いに異議ありです。いくら東洋人という設定でもさあ、もうちょっとオリエンタル的オシャレな衣装にしてあげて下さいよ。なんでみんな膝丈のかぼちゃブルマーなの?

  サラセン人の踊りもかなりヘンです。腰をかがめて床に這いつくばり、縮こまった姿勢で踊るので、見る甲斐がありませんでした。これってプティパの振付ですか?どうせやるなら、『ラ・バヤデール』の「太鼓の踊り」や「インドの踊り」ぐらいダイナミックな振付にしてほしいです。グリゴローヴィチ氏に再考を促したいところです。

  サラセン人が出てくる第二幕は、この作品にアクセントをつける大事なところだと思います。もっとダイナミックで魅力的な踊りになるといいんだけど。

  サラセン人の騎士アブデラフマン役はミハイル・ロブーヒン。第一幕の最後、ロブーヒンが頭からすっぽりとかぶっていた布を取って全身を現したとき、客席から拍手が沸き起こりました。

  ロブーヒンがマリインスキーからボリショイに移籍したときは、ボリショイのほうがロブーヒンの踊りのスタイルには合っていると思いました。しかし、先入見のせいかもしれませんが、こうしてボリショイ・バレエのダンサーたちの中で踊っているロブーヒンを見ると、ロブーヒンの踊りはやはりマリインスキー風だと思えます。優雅で柔らかいというか。

  岩田守弘さんのブログには、ロブーヒンの怪我については最小限のことしか述べられていません。よって、ここからは私の勝手な憶測です。もしロブーヒンが、ボリショイで過酷な役ばかりをあてがわれて、便利屋よろしくこき使われた末に怪我をしたのであれば、私はロブーヒンのことを非常にかわいそうに思うし、ボリショイ側は移籍してきたダンサーをそんな風に扱ってはならないと思います。

  さて、せっかくのロブーヒンなのに、アブデラフマンの演技や踊りの場面が思ったより少なくて残念でした。これでもグリゴローヴィチによって踊りの見せ場が増やされ、キャラクターも強化されたのだそうです。でもまだ全然物足りないです。しかし、何はともあれ、ロブーヒンが復活したのはめでたいことです。

  ライモンダの婚約者、ジャン・ド・ブリエンヌも、あれでも登場シーンと踊りがグリゴローヴィチの改訂で増やされたのだそうですが、やっぱり影が薄い気がします。もっとたくさん出てきて活躍するのかと思ってましたが、最初と最後に出てきて終わり、という印象です。

  ジャン・ド・ブリエンヌ役のルスラン・スクヴォルツォフは、去年の「バレエの神髄」で初めて観て、そのときはコイツが本当にボリショイ・バレエのプリンシパルなのか、と思わず目を疑いました。踊りがヨレヨレで全然頼りなかったからです。(一緒に出演したアンナ・アントニーチェワも惨憺たる踊りだった。)

  アレクサンドロワが観たかったからこの日のチケットを取ったけど、スクヴォルツォフには端から期待してませんでした。

  ところが、今日はきちんと踊れていて、大技もきれいに決まっていました。去年のあれは何だったのかと意外に思いました。ガラ公演でしたから、調整不足のまま参加してしまったのかもしれません。明らかに準備不足なのにガラ公演に出て、結果ひどい踊りを披露しちゃったダンサーは、他にも観たことがあります。某○○・○○○座バレエ団の○○○○・○○○とか、○○○○○○・○○○○とかね。

  ただ、スクヴォルツォフの踊りを観ていて、この人は出来不出来が激しいダンサーなんじゃないか、となんとなく思いました。一人で踊っていても、なーんか安定感に今ひとつ欠ける感じがします。見ていて安心できないんです。

  あと、スクヴォルツォフのサポートとリフトは怪しいんじゃないでしょうか。大きなリフトを1回失敗したし、スクヴォルツォフにサポートされているときに限って、アレクサンドロワの踊りが不安定になっていました。身体が斜めになったり、軸足が震えたり、軸足の膝を曲げちゃったり。アレクサンドロワは一人で踊っているときは何ともなかったので、スクヴォルツォフのほうに問題があったとしか考えられません。

  その他にも、長いマントが腕に絡まってしまったりといった脱力系のミスもありました。というわけで、スクヴォルツォフはやっぱりちょっと頼りない、というのが結論です。

  『ライモンダ』という作品名を体現するかのごとく、この作品ではライモンダが第一幕、第二幕、第三幕と文字どおり躍りっぱなしです。テクニックはもちろんですが、人並み優れたスタミナの持ち主であるダンサーじゃないと無理でしょう。とにかくソロやヴァリエーションがひっきりなしにあって、加えてジャン・ド・ブリエンヌ、アブデラフマンとの踊りもあります。

  マリーヤ・アレクサンドロワは、例によって最後までパワーが落ちませんでした。第一幕の夢の場面のヴァリエーションはちょっと不安定な感じがしました。でも、プティパの、特に女性ダンサーの踊りの振付を完璧にこなすほうが奇跡的なことだと思うので、それは織り込み済みでした。

  第三幕のヴァリエーションはすばらしく、ゆっくりとためを置いて踊るかと思えば、次にはものすごい速さでステップを踏み、余裕綽々に音楽を楽しみながら、または音楽を翻弄しながら踊っているようでした。

  アレクサンドロワは、確か彼女が結婚した前と後とで、踊りががらりと変わったことを覚えています。何の公演だったか忘れたけど、ボリス・エイフマン振付の『ロシアン・ハムレット』のパ・ド・ドゥを、(たぶん)セルゲイ・フィーリンと踊ったことがあって、そのときの踊りがそれまでとは別次元のレベルで凄くなってて、非常にびっくりしました。

  『スパルタクス』でエギナを踊ったときのカーテン・コールで、観客に対して投げキッスをして、客席が更に盛り上がりました。今日の『ライモンダ』では、オーケストラに対して投げキッスを連発していて、それが本当にプリマの貫禄たっぷりで、名実ともにボリショイ・バレエのプリマ・バレリーナなんだなあ、と実感しました。

  今回のボリショイ・バレエ日本公演では、私は『スパルタクス』と『ライモンダ』を観ました。『スパルタクス』は男の作品、『ライモンダ』は女の作品、また音楽の雰囲気や舞台全体の色彩も対照的で、私にとってはバランスが取れてました。

  贅沢な悩みですが、ボリショイ・バレエを観てしまうと、他のバレエ団の公演を観るときに印象を引きずってしまうのが怖いです。頭の中にフォルダを用意して、別々に保存するようにしないとね(笑)。  
  
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ボリショイ・バレエ『スパルタクス』(2月2日)’


  3日連続で『スパルタクス』を観たせいか、目に疲れが来ました。目の筋肉痛っぽいです。もうトシだね(歎)。

  でも、久しぶりに舞台に夢中になれて楽しかったです。夢のような3日間でした♪ありがとう。

  本日の主要キャストは、イワン・ワシーリエフ(スパルタクス)、アレクサンドル・ヴォルチコフ(クラッスス)、スヴェトラーナ・ルンキナ(フリーギア)、マリーヤ・アラシュ(エギナ)でした。

  マリーヤ・アラシュは数年ぶりに観ました。前に観たときはまだファースト・ソリストだったと思います。『白鳥の湖』のオデット/オディールと『ドン・キホーテ』の森の女王でした。踊りがまだ粗いのう、とか僭越にも思った記憶があります。

  そのときの印象を引きずっているのか、それとも初日のエギナだったエカテリーナ・シプーリナ、2日目のエギナだったマリーヤ・アレクサンドロワが凄すぎたせいか、やっぱりなんかぎこちないなー、と感じました。

  私の気のせいかもしれないけど、アラシュ、振付を(おそらく)容易なものに変えて踊ってませんでしたか?第二幕のエギナのソロ(「モノローグ」と呼ばなくてはならんそうな。けっ)がシプーリナやアレクサンドロワと違ったような……。

  あと、クラッスス役のヴォルチコフと組んで踊るとき、お互いの息がいつも今ひとつ合ってなかったような気がします。アラシュとヴォルチコフは『ライモンダ』でも組むみたいだけど、身長が合うとかの理由なのかしらん。ヴォルチコフは長身だから、アレクサンドロワと組んだら、かなり見ごたえがあるんじゃないかなと思うんだけど。

  でも、アラシュはとても美しい人だし、妖艶で色っぽいというよりは明るく溌剌としていて、にこやかな笑顔が魅力的でした。アラシュのメイクも、以前のように目の周りを真っ黒く塗りたくるのではなく、ナチュラルで素の美しさを引き立てるきれいなものになってました。

  フリーギア役のスヴェトラーナ・ルンキナは、最後までなんでこんなに影が薄いのか、もっと表情をつけてもいいんじゃないか、と思ってました。

  踊りも意外と直線的というか、ねちっこくなくさっぱりしてます。しかし、最後の場面、フリーギアが死んだスパルタクスを前に、何かを訴えるかのように両腕を広げて前を見渡すところでの、ルンキナの毅然とした表情と目力は凄かったです。フリーギアの訴えが聞こえてきました。

  踊りであれ、演技であれ、あえて大っぴらに表情や雰囲気を作らないのが、ルンキナの表現なのかな、と思いました。

  今日はなんといっても、スパルタクス役のイワン・ワシーリエフとクラッスス役のアレクサンドル・ヴォルチコフの踊り合戦が、最も見ごたえがありました。

  ワシーリエフは初日、彼にしては抑え目な踊りをしていました。ところが、今日はやりたい放題(笑)。これぞワシーリエフ、という、高い開脚ジャンプ、電動ドリルみたいな斜め回転ジャンプ、超速ピルエット、空中での瞬間両脚組み替えジャンプなど、本当に盛りだくさん。

  着地に失敗したりもしましたが、逆に大きな拍手が起こる始末。これがワシーリエフの魅力。観客をエキサイトさせ、失敗でさえも観客を大いに沸かせることができます。

  ボリショイ・バレエから移籍はしたけど、移籍の理由が何であれ、ボリショイ・バレエとワシーリエフの双方がよほど大人気なくない限りは、ワシーリエフが今後もボリショイ・バレエに客演することは、たぶんあり得るのではないでしょうか。だって、少なくとも今の時点では、ワシーリエフほどスパルタクスを踊れるダンサーが、ボリショイにいますか?

  しかし、日本でスパルタクスを踊るのは今回が最後かもしれないから、うんうん、存分におやんなさい、と観ながらワシーリエフを応援していました。

  ワシーリエフにこれだけ踊られたら、常人の感覚だと、クラッスス役のダンサーは萎縮してしまうのではないかと思うのですが、やっぱボリショイの頂点でタイマンはってるダンサーは違います。アレクサンドル・ヴォルチコフも負けず劣らずのエキサイトぶりでした。

  とはいえ、ヴォルチコフは、ワシーリエフのようにポーズや動線の美しさを犠牲にする、ということを絶対にしません。

  クラッススは二つのスタイルで踊らなくてはならないようです。一つはローマ軍の司令官にふさわしい端正で威厳ある動きで、もう一つは小心さと気の弱さを紛らわすような、狂ったような動きです。

  ヴォルチコフの踊りはどちらのスタイルでも非常に美しいです。技術や身体能力はワシーリエフに及ばないでしょうが、それでもあの長身であれほどの跳躍力があるというのはすごいし、姿勢も動きもきれいな線を保っています。身長と体型にすごく恵まれている人なので、余計に美しく、ダイナミックに見せることが可能です。

  エビぞりジャンプも、両脚をぴったり揃えてくるくる回るジャンプも高さがあって迫力満点、しかもジャンプの姿勢は美しいし、回転の速さも一定でこの上なく端正。新体操のリボンがきれいに舞う様のようです。着地は決して乱れず、着地した足の位置を修正せずに次のステップに移ることができます。

  旧ソ連時代の儀仗兵を彷彿とさせるモモ上げ歩きも、あの長い脚と爪先がピンと伸びて、見ていてうっとりでした。ローマ軍の兵士たちやエギナもみなあのモモ上げ歩きをやるけど、あれは本来、笑える歩き方ですよ。しかし、彼らの動きと姿勢のあまりの美しさに、笑えるどころか見とれてしまうのです。さすがボリショイ。

  カルロス・アコスタ(英国ロイヤル・バレエ)主演『スパルタクス』(ボリショイ・バレエ団パリ公演、2008年収録)でも、ヴォルチコフはクラッススを踊っています。映像で観るのと生で観るのとの違いはあれど、映像版のヴォルチコフより、今回の公演でのヴォルチコフのほうがはるかに良かったと思います。映像版のヴォルチコフは、難しい動きの前の構えに時間を置きすぎている感じです。

  第二幕のクラッススとエギナのパ・ド・ドゥは、今日はあまりしっくりいきませんでした。ヴォルチコフが一時的にスタミナ切れしていたのかもしれませんが、ヴォルチコフとアラシュとの踊りの相性があまりよくないんじゃないかとも思います。

  ところが、同じ第二幕での最後、スパルタクスとクラッススとの一騎打ちのシーンでの、ヴォルチコフの踊りはまさに凄絶の一言。ワシーリエフにまったく負けてませんでした。剣を振り上げながら、片脚を後ろに上げて回転する動きの鋭くて凄まじかったこと。

  2日目のスパルタクスとクラッスス、ドミトリチェンコとバラーノフのときもそうだったのです。バラーノフは途中からバテ気味だったのですが、このシーンではドミトリチェンコと互角に渡り合ってました。舞台の上とはいえ、踊り合戦となると相手に決して負けまいとする、これくらい気が強いからこそやってけるんだな~、と感嘆しました。  

  ヴォルチコフは、初代クラッススだったマリス・リエパのようにエキセントリックなタイプではなく、思慮深い常識人だと思います。表情をあまり動かしません。ルンキナと同じく、激しい演技はしないダンサーのようです。

  しかし、この日は、スパルタクスとの勝負に負けて剣を取り落としたとき、上半身をがくっと折って、うめくように大きく声を出していました。これは初日の公演ではなかった気がします。エキサイトしちゃったんだろうと思います。普段は冷静な人が思わず感情を出しちゃうと萌えますな(笑)。

  ヴォルチコフの生腕と生フトモモは、これだけでロシア人民芸術家もの、いや、世界遺産ものです。ロシア政府にはぜひ申請を検討していただきたい。

  そして、ヴォルチコフの生膝と膝のウラもこの上なくセクシー。

  特に、ヴォルチコフの膝のウラは、ちょっと前に流行った言い方でいえば、いわゆる「絶対領域」です。まさにヒザ神(もちろんフルポン村上とは別の意味で)。

  前にボリショイ・バレエが『スパルタクス』を持ってきたのは、ほぼ10年前。また日本でヴォルチコフのクラッススを観られるかはかなり怪しい。

  だから、名古屋公演『スパルタクス』でもヴォルチコフがクラッススをやると知って、名古屋に行こうかずいぶん迷いました(←こういう気持ちになったのはずいぶんと久しぶり)。でも、チケットがもうほとんど完売状態だと聞いて、泣く泣くあきらめたわけです。

  失意のわたくしにひらめいた考え。そう、


  名古屋に行けないなら、モスクワに行けばいいじゃな~い?(by マリー・アントワネット)


  ロシアの劇場は大陸的で超いいかげんそうなので(直前キャスト変更とか気軽にやりそう)、これからボリショイ劇場の傾向と対策を研究しようと思っています。

  冗談はさておき、ボリショイ劇場管弦楽団の演奏もすばらしかったです。最初こそ、大音響で演奏すりゃいいってもんじゃねえだろ、と思いました。でも、大音響で、ハイテンポでリズム良く演奏されると、確かに気分が昂揚します。西側のオーケストラが『スパルタクス』を演奏しても、ああはならないでしょうね。

  群舞もお疲れさまでした。とりわけ、3人の羊飼い(杖持って「アーユー人間?」な振りで踊る人)は、3日間とも同じキャスト、ディミトリ・ザグレービン、デニス・メドヴェージェフ、アレクサンドル・スモリャニノフでした。この日は、真ん中で踊ってたダンサー(黒髪の坊主頭っぽい人)が転びそうになってて、ああ、やっぱり疲れてるな、と思いました。

  よくよく考えると、『スパルタクス』は舞台装置がほとんどない作品ですよね。カネかかってそうなご大層な装置って、第一幕の冒頭でクラッススが乗ってる車ぐらいじゃないでしょうか。

  本当に、ダンサーたちの踊りとオーケストラの演奏だけで見せる作品なんですね。だからこそ上演が難しい。

  日本がこういう時期に、こんなすばらしい、パワフルな作品を持ってきてくれて、本当に感謝しています。

  やっべ、モスクワ遠征、マジ考えよっかな(←楽しんごの東幹久風に)。

  
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ボリショイ・バレエ『スパルタクス』(2月2日)

  ワシーリエフとヴォルチコフが踊りでガチバトルでした。二人とも凄まじかったです。

  カルロス・アコスタ主演の『スパルタクス』映像版を買いました。ヴォルチコフがクラッススなの

  交感神経が活発化して、副交感神経とのバランスを欠いているので、今日はもう強制終了します。

  
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ボリショイ・バレエ『スパルタクス』(2月1日)

  連チャンはさすがに疲れます~ (でも明日も観に行くけど……だって、クラッススをヴォルチコフがやるんだも~ん

  見て下さいよ、ヴォルチコフのこの生腕と生脚( ジャパン・アーツの公式ホームページ )を!

  さて、昨日の公演を観た時点で思っていたことには、こういう、ダンサーに過酷で重すぎる負担を強いる作品はどうかな~、と。

  そりゃ、観ている側は楽しいですよ。でも、主役たちをはじめとして、群舞も常にフルパワーで踊り続けなければならないような作品を、ほぼ同じキャストで連日上演するのはいかがなものか。

  主役4人はさすがに1日は空けていますが、群舞は毎回ほとんど同じダンサーたちが出演しているんでしょう?群舞のダンサーたちの負担と疲労はハンパないと思います。ツアーだから仕方ないんだろうけどね。かわいそうだしかなり心配。

  それとも、同じ作品をルーティン・ワーク的にやったほうが、危険は逆に少ないのかなー。

  今日の公演は、スパルタクス役のパーヴェル・ドミトリチェンコとクラッスス役のユーリー・バラーノフがともにソリスト、フリーギア役のアンナ・ニクーリナがファースト・ソリストで、エギナ役のマリーヤ・アレクサンドロワだけがプリンシパルというキャスティングでした。

  ただ、ボリショイ・バレエほどのバレエ団になると、ダンサーの位階の違いは、ぱっと見では分かりません。この人たちは身体そのものが常人とは異なるので、もはや脚が高く上がるとか、よく開くとか、身体が柔らかいとか、ジャンプが高いとか、技術が凄いとかいったことは当たり前です。

  彼らの位階を最後に分けるのは、彼ら自身の努力ではどうしようもない要素、たとえば体型、身長、顔つき、雰囲気、果ては華があるとかオーラがあるとかいった形而上のことです。

  ですから、主役がプリンシパルではないからといって大きくハズれるようなことは、ボリショイ・バレエではまずないはずです。ダンサーによって優れた点がそれぞれ異なるだけの話だと思います。

  現に、スパルタクス役のパーヴェル・ドミトリチェンコはまだソリストだけど、非常にすばらしかったです。手足が長い、長身、小顔という恵まれた体型を持ってるし、技術はイワン・ワシーリエフにまだ一歩及ばないだろうけど、劣るというほどでもない。ドミトリチェンコの姿勢や動きには、ワシーリエフにはないしなやかな美しさがある。演技や雰囲気作りに至っては、ドミトリチェンコのほうがはるかに上。

  ドミトリチェンコの顔立ちと雰囲気は、イーゴリ・コルプに似てます。コルプのように、頭も良い人だと思うよ。最後までスタミナがもつように、体力の配分なんかもよく考えてるっぽいし(←第三幕が最も絶好調だった)、表情や目つきが物凄くリアルで、まさに迫真の演技。ワシーリエフが熱血・没入型なら、ドミトリチェンコは(良い意味で)冷静・計算型という印象です。

  フリーギア役のアンナ・ニクーリナも、個人的には、スヴェトラーナ・ルンキナよりもツボでした。ニクーリナとルンキナの決定的な能力差は何なのか、私には分かりません。ニクーリナの踊りのほうが私は好きですね。手足の動きに美しい伸びがあって、じっくり丁寧に踊ります。表情も豊かで見ごたえがあり、踊りながらきちんと演技してたし、踊りそのものでも演技してました。

  ドミトリチェンコとニクーリナの演技と踊りはすごくかみ合っていて、夫婦の愛情を感じさせる、暖かい雰囲気が常に漂っていました。最もそれを感じたのが、第三幕の有名なパ・ド・ドゥでの、有名な「逆立ちリフト」です。

  逆立ち状態のニクーリナが片脚を上げるタイミングと、ドミトリチェンコが半爪先立ちになるタイミングがバッチリでした。ドミトリチェンコ、そのまま何秒間キープしてたかな…5秒くらい?自分の肩の上に逆立ちしてるニクーリナを片腕だけで支えたまま、ゆっくりと半爪先立ちになって、しかもその状態で静止したんです。

  こーいうのが出てきちゃったんじゃ、そりゃワシーリエフも危機感を持つよな。追い越されるのは時間の問題だもの。ドミトリチェンコは将来(頭髪を除いて)かなり有望です。

  クラッスス役のユーリー・バラーノフも奮闘してましたが、ヴォルチコフと差がありすぎだと思います(←欲目を抜きにして)。クラッスス役をやれるダンサーが他に来なかったのか、それとも現在はクラッスス役の人材不足なのか。

  今日の公演の主役は、はい、もちろんエギナ役のマリーヤ・アレクサンドロワです(笑)。こんだけ別格だともう笑うしかない。

  踊り、演技、すべてが完璧、魅力的。圧倒されたし、エギナという女性に惹きつけられました。アレクサンドロワの辞書にスタミナ切れとかミスとかいう言葉はありません。大体、クラッスス役のバラーノフよりも跳躍が高くて、バラーノフがスタミナ切れして脚がほとんど上がらなくなってるのに、全然パワーが落ちないってどうよ(笑)。

  アレクサンドロワのどこが良かったかって、一つ一つ挙げるとしたら、エギナが登場する全場面です。

  特に、第三幕でエギナ率いる美女軍団が反乱軍の兵士たちを陥落させるシーンでの、エギナのソロはすっごいエロかったです。特に脚と爪先が。艶然とした笑みを浮かべながら、杖を爪先でつつつ、となぞるところは、ああ、アレクサンドロワ様、私もその爪先でなぞってえー!!!とつい変態な気分になりました。

  ところがその最後、エギナが羊飼いの杖を両脚の間に挟んで、地面に突き刺したとき、アレクサンドロワの表情が一変。杖を地面に勢いよく突き刺した瞬間に真顔に戻り、射るような鋭い視線で前をキッと睨みつける。最高に凄まじく、美しかったです。そう、エギナがスパルタクスの反乱軍にとどめを刺したんですね。それを観ている側に分からせるアレクサンドロワ、すげーな。

  アレクサンドロワのエギナにとっては、クラッススはあくまで、自分の野心を実現するための手段に過ぎないらしい。別にクラッススを心から愛してるとかいうわけではないと思う。クラッススを助けたいというより、自分の野心を実現するのにはクラッススが必要で、スパルタクスの反乱軍が邪魔なんですな。だから自ら策を弄して反乱軍を内部崩壊させてしまう。ここまで徹底して現実主義で行動的な女というのは、逆にすがすがしいですね。

  あと、ニクーリナとアレクサンドロワのおかげでやっと分かったけど、フリーギアもエギナも、脚と爪先で語ってます。40年以上も前にそんなことを考え出した振付者のグリゴローヴィチはすごいと思うし、それを体現したニクーリナもアレクサンドロワも本当にすばらしかった。
 
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