ミハイロフスキー劇場バレエ『白鳥の湖』(1月10日)


  ミハイロフスキー劇場バレエの『白鳥の湖』は、観るたびにバージョンが変わっている、という印象が私にはかねてよりありまして、今回も「これ、前の日本公演でも上演したっけ?前のとはかな~り違うような?」と思いました。

  でもそれだけに、今回はどんな『白鳥の湖』なんだろう、ラストは悲劇かハッピー・エンドかどっちだろう、と楽しみでもありました。

  今回上演されたのは、マリウス・プティパ、レフ・イワーノフ原振付、アレクサンドル・ゴルスキー振付、アサフ・メッセレル演出、ミハイル・メッセレル改訂演出版だということです。

  アサフ・メッセレルはマイヤ・プリセツカヤの母方の叔父さんです。改訂演出を担当したミハイル・メッセレルは、アサフ・メッセレルとプリセツカヤの母親の妹の息子です。つまりアサフ・メッセレルにとっては甥っ子、マイヤ・プリセツカヤにとってはいとこにあたります。ミハイル・メッセレルは今回の日本公演で上演された『ローレンシア』の復刻演出も手がけています。

  公演プログラムおよびマイヤ・プリセツカヤの自伝『闘う白鳥』(山下健二訳、文藝春秋社刊)によると、ミハイル・メッセレルとその母スラミフィは、1980年(あるいは1979年)に行われたボリショイ・バレエ日本公演中、アメリカ大使館に駆け込んで西側に亡命したそうです。ソ連崩壊後にミハイル・メッセレルは祖国に戻り、現在はミハイロフスキー劇場バレエの首席バレエ・マスターを務めています。

  マイヤ・プリセツカヤは去年亡くなりました。プリセツカヤとミハイル・メッセレルとの仲は良好とはいえなかったようです。プリセツカヤは自伝の中で、ミハイルはロシアに帰国後、メッセレル家の財産(不動産)の所有権をめぐって、プリセツカヤに対して訴訟を起こしたと書いています。もっとも、プリセツカヤの自伝は20年前に出版されたもので、近年における二人の仲はどうだったのか分かりません。最後は和解したのならいいのですが。

  まあこれは余談。マリインスキー劇場バレエが上演しているコンスタンティン・セルゲーエフ版を見慣れているせいで、このゴルスキー/メッセレル版は新鮮、いや正直言うと違和感がありまくりでした。慣れというのは時に厄介です。全体的な印象は、ロシア系統の『白鳥の湖』にしては演劇的だということです。演技やマイムによって、ストーリーや登場人物の心情が細かく説明されていました。

  第三幕、舞踏会の構成が面白かったです。まずナポリ→ハンガリー→ポーランドの順で民族舞踊が踊られ、その次に姫君たちが踊り、その後にオディールとロットバルトが登場し、そしてスペインの踊り、最後が黒鳥のグラン・パ・ド・ドゥでした。で、スペイン軍団4人はオディールと同様にロットバルトの手先という設定のようです。王子がオデットを裏切ってしまった後、ロットバルト、オディールと一緒に姿を消していたので。このへんはウラジーミル・ブルメイステル版を彷彿とさせます。

  最も面白かったのが、最終幕である第四幕で、オデットの感情がはっきり表現されていた点です。なんとオデットがクラシック・マイムで泣く演出がありました。また、湖畔に駆けつけて許しを請う王子を、オデットは最初は拒否します。他の版の演出だと、最終幕のオデットは何を考えているのか分からないことが多いでしょう。で、やって来た王子と意味不明に踊る(笑)。

  でもこのゴルスキー/メッセレル版では、オデットは自分を裏切った王子を許せなくて拒むのです。実に自然な演出じゃありませんか。でもオデットはやはり王子への愛を断ち切れません。オデットは王子のもとへ降り立ち、二人は互いにいとおしげに抱き合います。そして一緒に踊る。うん、自然な流れです。

  オデットと王子に襲いかかるロットバルトに対して、オデットが王子をかばい、腕をまっすぐに伸ばして立ちふさがる演出もよかったです。『ローレンシア』もそうだったけど、全体的に女が強いんだよね、旧ソ連時代のバレエの演出って。はっきり感情表現するオデット。いいねえ。一方、今のボリショイ・バレエのユーリー・グリゴローヴィチ版では、オデットは王子の妄想の産物ってことになっちゃってて、逆につまんない。

  第一幕のパ・ド・トロワでは、ワレーリア・ザパスニコワ(たぶん)がすばらしかったです。技術がしっかりしていて安定していました。アンドレイ・ヤフニュークはもっとパートナリングを頑張りましょう。エラ・ペリソン(たぶん)の美しい体型には驚愕しました。首が長くて細くて鶴みたい。

  第二幕では、大きい白鳥(3人)の中の一人、スヴェトラーナ・ベドネンコ(たぶん)が、身体能力の面では突出していました。他の二人、アスティク・オガンネシアン、アンドレア・ラザコヴァも身長高い、首と手足長い、細い、と人間離れした体型揃いでした。第一幕のパ・ド・トロワを踊ったエラ・ペリソン(たぶん)も驚異的な体型をしてました。

  白鳥のコール・ドもみな「アーユーホントに人間?」と尋ねたくほど高身長・首長・手長・足長美女ばかりで、10年前のミハイロフスキー劇場バレエのコール・ドよりも確実に体型が変化しています。世代レベルでの体型変化がロシアでも起きているんだと思います。

  8日の『海賊』でランケデムを好演(踊りは凄かったし演技も大爆笑)したアレクサンドル・オマールは、今日は第三幕でスペインの踊りに登場しました。やっぱり存在感がありますなー。

  イリーナ・ペレンのオデット/オディールを観るのは何年ぶりだろう?技術にやや衰えが出てきたようですが、しかし表現力は確実に増していました。技術が衰えたといっても、目立ったミスは相変わらずほとんどしないんだよね、ペレンちゃん。少し音楽に遅れてもまったく動じることなく、きっちり追いついて最後は確実にキメます。冷静で落ち着いていて余裕があるというか。考えてみれば、ペレンちゃんの踊りを観てきて10数年、ペレンちゃんが大きなミスしたところって見たことない気がする…。

  ペレンちゃんの踊りに豊かな情感が立ち込めていたのが、今日最大の衝撃でした。波打つ両腕の動きのなんと美しいことよ。空間を大きく切り取る長い手足の角度のなんと絶妙なことよ。ペレンの姿が舞台の中で浮き立って見え、そのポーズ、動きの一つ一つからなぜか目が離せません。別格感が漂います。

  以前は、確かにきれいで美しい子で、かつ技術的にも正確に踊るけど、なんか表情がなくて、機械仕掛けのお人形みたいに無感情に手足を動かしているだけ、といった印象がありました。

  でも、今日は悲しげなオデットの表情も、王子を嘲笑うオディールの表情も、どれも非常に魅力的でした。いかにも演技です、という感じがしなくて、とても自然でした。いちばんよかったのは、オデットが自分が人間の姿に戻ったことに気づいて、自分の両腕を確かめるように触りながら微笑んだ表情。実にかわいらしい、暖かな笑顔でした。

  ミハイロフスキー劇場バレエは、ボリショイやマリインスキーからドロップ・アウトした連中の「セーフティ・ネット」と化しているところがあります。しかし、ペレンは生粋のミハイロフスキー劇場バレエのバレリーナです。イリーナ・ペレンこそがミハイロフスキー劇場バレエのプリマだ、と強く思いました。

  強く思ったことがもう一つ。ペレンちゃんはあのとおりの美女です。やはり美人は最強です。踊りが多少ぎこちなくても、美人なら許される。美人は無敵。美人に罪なし。美人は正しい。

  また、(たぶん)他人の意見は右から左に聞き流してスルーし、常にマイペースで徹底して我が道を行くドライな性格(あのファルフ・ルジマトフでさえもどうにもできなかった)も、ここまで貫きとおすといっそ立派でさえあります。

  王子役のヴィクトル・レベデフはメイクのせいで月亭方正似になっていましたが、小顔・長身で均整のとれた体型のイケメンでした。演技も良かったです。まとめて上演された第一幕と第二幕では踊りが少し硬かったですが、第三幕と第四幕は絶好調でした。回転柔らかいし、跳躍も高い。演技力と見てくれではレオニード・サラファーノフとイワン・ワシリーエフに勝ってるよ。

  レベデフについては以上。来年また日本公演で活躍してね(適当)。字数多すぎだからもうこのへんで。

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ミハイロフスキー劇場バレエ『ローレンシア』


  『ローレンシア』、良かったですよ。なんで1回しか上演しないの?2回やってもよかったんじゃない?

  まず内容。『ドン・キホーテ』と『パリの炎』を足して2で割ったような作品かと思ってたら、意外にもはるかにリアルだったというか衝撃的だったというか。確かに旧ソ連感満載のプロパガンダ作品ではあるのですが、騎士団の団長から兵卒に至るまで、通りがかった村の娘たちを手当たり次第に強姦しまくるというキャラ設定は、ロマノフ王朝時代の軍隊の振る舞いに由来するのかもしれません(とはいえ、第二次世界大戦末期のソ連軍も強姦、略奪、放火が得意だったが、ここではまあ置いといてやる)。

  第一幕ではハシンタ(アナスタシア・ソボレワ)が兵卒たちと騎士団長の餌食となり(かなり生々しい演出で驚いた)、第二幕ではなんと結婚式を挙げたばかりのヒロイン、ローレンシア(イリーナ・ペレン)までもがその犠牲になってしまいます。ヒロインがレイプされる作品って、あとは『マノン』ぐらいしかないんじゃないの?

  しかし、なすすべなくぐったりと倒れ伏すマノンと違って、ローレンシアは負けてません。屈辱に混乱し、怒りに震えながらも自身を奮い立たせ、村人たちを鼓舞して武装蜂起を自ら統率し、騎士団のいる城になだれ込みます。で、このときのペレンちゃんの演技が意外に(すみませんね)すごく良かったです。

  毅然とした態度で傲然と顔を上げ、鋭い目つきで前をキッと見据える表情には威厳さえ漂っていました。ほー、ペレンちゃんはこういう強い女を演じることもできるんだな、と感心しました。というか、ペレンちゃんは強い女が実ははまり役なんじゃないかな。

  社会主義国家お約束のスローガンには、必ず「女性の解放」があります。そうとは分かっていても、ローレンシアをはじめとする女性たちが、女を虐げる男たちの象徴である騎士団の城内で、前を見据えながら力強い動きで全員で踊る様は壮観でした。

  ローレンシアの恋人フロンドーソ役はイワン・ワシリーエフ。数年前に観たときより更に一回り(体が)大きくなった感がありますが、ちゃんと踊れているからいいか。技にフィギュア・スケートのシット・スピンみたいなピルエットが加わった模様。540ターンもやった。でも、あの体型はもうどうしようもないのかな。惜しいんだよね、このまま終わっていいダンサーじゃないと思うから。

  観客の目を惹きつける強いオーラ、場を盛り上げる才能、相変わらず力強くて高いジャンプと緩急自在の回転、頼りがいのあるパートナリング、そして何より、ああいう一見すると滑稽でつまらないような役でも没頭して演じる真面目さ、稀有なダンサーだと思いますよ。

  ワシリーエフの現状を考えると、ひねくれて腐ってしまっていても当たり前なのに、舞台上のワシリーエフからはそういったところがまったく見えませんでした。ワシリーエフはとにかく明るく、このフロンドーソという役を一生懸命に演じ、様々な技を披露して観客を楽しませてくれました。ワシリーエフ、なんとかなんないのかな、もったいないのよ。

  ワシリーエフはカーテン・コールでも、登場する瞬間にいろんなジャンプをして現れ、そのたびに観客がドッと笑い、会場が大いに盛り上がりました。

  村の娘ハシンタ役のアナスタシア・ソボレワ、ローレンシアの友人、パスクアラ役のタチアナ・ミリツェワ、ともにすばらしかったです。特にソボレワは要注目、期待大です。

  ストーリーと構成の問題は置いといて、『ローレンシア』が現在ではほとんど上演されていない理由は、踊りの面からも納得できます。『ドン・キホーテ』みたいに、キトリとバジルと森の女王役に良いダンサーを3人揃えればなんとかなるような作品じゃないです。

  しかも、『ドン・キホーテ』のバジルが第一幕と第二幕ではサポート・リフト専門で、第三幕でようやくソロを踊るのとも違い、『ローレンシア』のフロンドーソは全幕通じてとにかく踊りまくりです。フロンドーソばかりでなく、他の男性ダンサーたちが踊るシーンも非常に多かったです。

  また女性を含め、主要な登場人物には全員ソロの踊りがあり、また高難度なリフトがあるパ・ド・ドゥやパ・ド・トロワを踊り、更にコール・ドの踊りも振付がすっごい難しい。全体的にハイレベルなバレエ団じゃないと上演は無理な作品だと思います。  

  これは踊りを見せる作品であって、ストーリーを見せる作品ではないのです。それだけに踊りがすばらしければもう充分に楽しめます。

  演出はもう少し改訂したほうがいいかもしれません。特に武装蜂起のシーン。あるいは場数の問題かとも思います。ダンサーたちばかりか、オーケストラも慣れてなくて戸惑っているのが分かりました。数をこなせば自然になるでしょう。

  次の日本公演でもぜひ上演してほしい作品です。

  カーテン・コールではスタンディング・オベーションが起きました。年中行事化しているミハイロフスキー劇場バレエ日本公演では珍しいことです。しかも日本初演作品でスタオベなんて。しかもこれ旧ソ連、しかも1939年の作品だよ?すごいね。それだけ良かったっちゅ~ことですわ。

  またあらためて書く機会があれば書きますねん(無理かもしんないけど)。

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謹賀新年


  あけましておめでとうございます。

  本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。ギエムの「ライフ・イン・プログレス」の感想とか書きたかったんですが、なかなか時間が取れないまま年が明け…。

  すでにミハイロフスキー劇場バレエの観劇週間に突入。『ラウレンシア』、『海賊』、『白鳥の湖』の3演目を観ます。

  というわけで新年初笑い。


  


  そっかあ、なるほど、「左上から2人目」がロジャー・フェデラーなのね。誰が誰だかわかんなくて困ってたのよ。おかげさまですっごく助かったわ~!
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