Illiterate(3)

  3月11日の地震が発生した当時、福島第一原発内で作業していた人々が、避難先でマスコミのインタビューに応じているのをテレビで観ました。

  私は、原発は緻密で微妙で難度の高い作業を必要とする施設だから、原発内で働く人々は全員が東京から派遣された専門の技術者だろうと思っていたのです。しかし、インタビューに答える人々がみな東北の方言でしゃべっていたので、作業員が地元の人であることをまず意外に思いました。

  次に驚いたのは、彼らが「原発は絶対に安全だと思っていたから、事故が起きてびっくりした」と口々に言っていたことです。

  1979年にスリーマイル島原子力発電所の事故が発生したとき、私はまだ子どもでしたが、テレビのニュースが事故について連日報道していたことは覚えています。どういうことなのかはさっぱり分からないけれど、なんか大変なことが起きているらしい、と漠然と感じました。

  その後、スリーマイル島原子力発電所事故から10年近くが経過した後、アメリカのテレビ局によるドキュメンタリー番組を観ました。それは、アメリカに数多く存在する、原子力発電所の一つの周辺に居住している人々の健康状態を取材した内容でした。

  取材した原子力発電所は事故こそ起こしていないものの、その周辺住民の間で白血病や癌の発症率が平均に比べて高くなっている、というのです。でも、原子力発電所が近くに存在することと、白血病や癌の発症率の上昇との因果関係を立証することは難しい、というより不可能で、周辺住民は不安を抱えたまま住み続けるしかないということでした。

  86年にはチェルノブイリ原子力発電所の事故が起きました。あの事故が全世界に与えた衝撃と影響は言うまでもないですね。旧ソ連が事故の発生を最初は隠していたこと、正確な情報を旧ソ連政府がなかなか発表しなかったこともあって、余計に恐怖を覚えたものです。

  だから、私の認識は「原発はそこにあるだけで恐ろしい代物だ」というものでした。

  それなのに、福島第一原発の中で働いていた作業員の人たちが、原発の建物は絶対に壊れないと思っていた、事故が収束したらまた原発で働きたい、と言うのを聞いて愕然としました。

  更に愕然としたのは、現在避難している、今は「警戒区域」に指定された20キロ圏内に居住する人々が、避難命令が出てから数日で家に帰れると思っていた、と言っていたこと、また東京電力が発表したいわゆる「工程表」に対して、9ヶ月もかかるなんて長すぎる、もっと早く終わらせてほしい、と言っていたことでした。

  そのあまりに素朴な考えに、原発内で働いていた地元の人々、原発周辺に住んでいた人々に対して、東京電力は都合のわるいことは何も教えずに騙し続けてきたのだ、と猛烈に腹が立ちました。

  同時に、原発内で働いていた地元の人々、原発周辺に住んでいた人々に対しても、違和感を覚えました。彼らはなぜ、原発についてこんなにも何も知らないのか?今は50年前とは違い、原発について知ろうと思えば簡単に知ることができる。彼らはなぜ知ろうとしなかったのだろう?

  ひょっとしたら、原発が危険なものだと知っていたからこそ、逆にあえてそれ以上は知ろうとしなかったのかもしれない、とも思います。彼らにとって、原発は、それなくしては生活できない不可欠の存在になっているだろうからです。原発が危険であることを認めてしまったら、生活の大きな基盤が、気持ちの上で崩壊してしまう。そうした恐怖感があったのかもしれません。

  そう、もし私が原発の周辺地域に住んでいたなら、やはり原発について知ろうとは思わないでしょう。原発が怖いのではなく、原発が怖いということを知るのが怖いから。

  日本において、「責任者」の大部分は、責任を自覚もしていなければ、本当の意味で責任をとらない人々です。「責任をとる」とは「引責辞任」、つまり「本当は自分の責任じゃないけれども、立場上しかたないから表向きに責めを一身に引き受ける形を取る」ことだと思ってる人々がほとんどのように思えます。

  テレビを観ていて、わりと責任をとってるなあ、と思えるのは、菅首相と東京電力の清水社長です。どんな目に遭うか分かりきってる避難所に行って、避難している人々に土下座して謝って、罵られて、怒鳴られるままになっている姿を見ると、まあマシだな、と感じます。

  本来なら自分も土下座して避難している人々に謝らなければならないのに、知らぬふり、だんまりを決めこんでいるばかりか、逆に被害者面したり、ヒステリックに政府批判をしている人々は多いです。政党はどこもそう。あと、某県の現職の知事とか。

  確かに政府のやりようは信用を得られていないという点でまずいだろうけど、政府の福島第一原発事故への対応を批判している人々の履歴を調べてみると、どの口でお言いだい?と思える人の実に多いこと。大っぴらになるとまずい履歴は、公式サイトからちゃっかり削除してる人もいます。

  その一方で、頑張ってる人々がいるのも確かで、東京電力の計画停電が停止されたのは、実は某政党の一部の議員たちが、東京電力に対して、計画停電を実施する根拠である、電力供給量と需要量の正確なデータを明らかにするよう強く要求したからだそうです。つまり、「計画停電」なんて、本当はやる必要がないはずだと追求したのです。

  また、与党にも野党にも原発推進派が溢れかえっている中で、脱原発の方向をめざして活動している議員たちも、やはり与党、野党に関わらずいます。

  私はそうした人々がいることを、最近になってようやく知りました。自分の無知を恥じるばかりですが、知ろうと思えば、知ることはできる、のです。
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Illiterate(2)

  震災から1ヵ月半がたとうとしています。福島第一原子力発電所の事故はいまだ収束していません。

  最近になって、福島第一原発の事故について、「福島は東京への電力供給のために犠牲になった」、「カネや雇用目当てに原発を誘致したのは福島だ」という類の応酬が始まりました。

  こうした考え方やことばは、もちろんまともにとらえるべきものではありません。原発事故が長引いて、被災した人も、そうでない人も、みな、疲れきっているのです。疲れや不安が怒りに転じて、誰かにそれをぶつけたいのです。感情から出たことばに過ぎないのです。

  確かに、原子力発電所の建設を誘致したのは、表向きには福島県と原発のある複数の地元自治体です。でも、事情はそれほど単純なものではなかったろうと思います。

  1960年(昭和35年)に福島県は原発誘致を計画し、東京電力の意向を打診しました。東京電力はそれに応じて、福島県が候補地として提示した大熊町と双葉町に申し入れを行ないました。1961年、大熊町と双葉町は同意して原発建設の陳情を行ないました。

  1964年から建設が始まり、1971年には1号機の運転が始まりました。

  こうしてみると、確かに「福島県が原発を誘致した」ようにみえます。ただ、私はいくつか疑問を感じます。

  まず、1960年の当時において、原子力発電所がどのようにとらえられていたか、という点です。原発は非常に危険なものであるという認識が、果たして当時からあったのかどうか。アメリカのスリーマイル島原子力発電所事故が起きたのは1979年、旧ソ連のチェルノブイリ原子力発電所事故が起きたのは1986年です。

  おそらく、一般の人々に原発への恐怖を植えつけたのは、1979年3月のスリーマイル島原子力発電所の事故でしょう。でも、その時点では、福島第一原子力発電所は、1号機から5号機までがすでに稼動していました。1979年の10月には6号機が運転を開始しています。

  つまり、福島県が原発誘致を立案した1960年においては、原発は危険だという認識を、一般の人々は持っていなかったのではないか、と思うのです。もしかしたら、現在の太陽光発電や地熱発電と同様、原子力発電はクリーンでエコな発電方法だとさえ考えられていたかもしれません。

  一方、原発誘致を立案した政治家と官僚、原発建設に携わった企業は、原発の危険性を知っていたはずです。それは、福島第一、第二原発の地理的位置を見れば一目瞭然です。でも、原発の危険性を地元自治体や地元住民に説明することは、おそらくしなかったでしょう。原発建設の利点ばかりを強調したはずです。こんなことを言うのは酷ですが、地元自治体の当時の町長たち、町議会議員たち、町民たちは、「お上」から説明された原発の「完璧な安全性」を素直に信じ、危険性などは考えもつかなかったと思います。

  次に、形の上では、福島県のほうから東京電力に対して原発を誘致しているのですが、たとえば当時の福島県知事がそんなことを一人で思いついたのでしょうか?私は、実際には、福島県が原発誘致を正式に立案する前に、中央の政治家、官庁、企業から、内々に福島県に対して働きかけがあったのではないか、と思うのです。東京電力から原発建設を打診された大熊町と双葉町が、その後に自分たちから原発建設を陳情したようにです。

  なにかの記事で読んで、言い得て妙だと思ったのですが、1機の原発を作って、その恩恵に浴してしまうと、まるで薬物中毒のように原発に依存してしまい、新しい原発を次々と作ってしまうのだ、と。

  それは、1966年に1号機の建設が申請されてから、ほぼ1年ごとのペースで、2号機から6号機の建設が申請されていったこと、また、1975年には、今度は富岡町と楢葉町で福島第二原子力発電所の建設が始まったことで分かります。福島第二原発は、1982年から1987年のたった5年間で1号機から4号機が運転を開始し、そのハイペースさは異様なほどです。

  その地域の貧しさに目をつけて、莫大なお金と引きかえに、人の手に負えないほど危険な原発を、言葉巧みに押し付けた連中がいたのです。地元の人々は騙されてしまったものの、後はその危険な原発への依存の深みにはまっていくしかなかったのです。誰かが一方的に悪い、という単純な話ではないと思います。 
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Illiterate(1)

  私の郷里は東北です。東北というと、たとえば「米どころ」ということばに代表されるように、農業をはじめとして、漁業、畜産業、林業などの第一次産業が盛んだ、というイメージがあると思います。

  しかし、農業を例とするならば、昔から今に至るまで、専業農家では生活していけないのが実情です。以前は、冬から春の初めにかけての農閑期、多くの専業農家の人々はよその土地にいわゆる「出稼ぎ」に行き、土木業などの一時仕事で収入を得ていました。私の郷里一帯も同じでした。

  それが、昭和40年代になって、近隣のある小さな町に、世界的に有名な大企業が大規模な工場地帯を建設しました。その企業の創業者が地元の出身者であったからです。

  状況は一変しました。大企業の工場に続き、子会社、下請け会社、孫請け会社、関連会社が次々とできて、工場地帯がある町やその周辺地域の雇用が飛躍的に増加しました。その結果、ほとんどの農家の人々はそれらの工場や会社で働くようになって、専業農家から兼業農家に転じ、出稼ぎに行く必要はなくなりました。

  現在、工場地帯がある町を中心とした周辺地域の農家は、ほぼ兼業農家、しかも農業が副業化した第二種兼業農家であり、高齢者が農業をやり、若者は会社や工場に勤める、というのが常態化しています。私の郷里在住のいとこたち、またいとこたちもみな、その企業の工場や関連会社に勤めています。

  工場地帯を有する地元自治体の収入も爆発的に増えました。その自治体の役場は、小さな町の役場にしてはしゃれたデザインの、コンクリート数階建てのひときわ目立つ大きな建物です。他には、私が知っているだけでも、夜間照明つきの野球場、立派な体育館、有名建築家がデザインした博物館などが小さな町の中に建っています。

  私が子どものころ、その小さな町を車で通るたびに、なぜこの小さな町には、自分が住んでいる大きな町よりも、はるかに立派な建物や施設がたくさんあるのか、不思議でなりませんでした。親に尋ねると、親はこう答えました。「ここには○○(←工場地帯を建設した大企業の名前)があるからね。」 でも、この言葉の意味を理解できたのは、大人になってからのことでした。

  その大企業が工場地帯を建設しなければ、あの小さな町は寒村のままで、過疎化や財政逼迫も進んでいたことでしょう。でも、工場を作ってくれた大企業のおかげで、その小さな町ばかりか、周辺地域も広く救われたのです。

  ただ、それは、その企業の工場地帯なくしては、その地域一帯の経済は成立しない状態になったということでもあります。実際、近年の不況の影響で、その企業の工場が稼動を一部停止・事業を縮小したところ、子会社、下請け会社、孫請け会社、関連会社もそれに追随せざるを得なくなり、大幅な人員削減が行なわれて大量の失職者が出ました。私の兄もその一人です。

  工場地帯を建設してくれた大企業は、貧しい地域にとっての救世主でした。一方で、それは地域の大企業への全面的な経済的依存を招きました。

  とはいえ、このような構造と状況の形成は、大規模な工業地帯や工場地帯を有する地域ならば、特にめずらしくもない話でしょう。

  福島の大熊町、双葉町、富岡町、楢葉町の場合、日本に多く存在するこのような地域と違ったのは、その「工場」が原子力発電所であったという点に過ぎません。   
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小林紀子バレエ・シアター『マノン』

  この4月に予定されていた第99回公演「ザ・レイクス・プログレス」は、計画停電のために残念ながら中止になりました。でも、8月の第100回公演『マノン』全幕は、現在のところ開催予定だそうです。

  早いところでは来週からチケットの販売が始まります。最も早い(4月27日)イープラスの公演情報によると、主な出演予定者は、

  島添亮子
  ロバート・テューズリー
  後藤和雄
  恵谷 彰
  高橋怜子
  中尾充宏
  冨川祐樹
  奥村康祐
  萱嶋みゆき
  喜入依里

だそうです。マノンはもちろん島添さん、デ・グリューはやはりテューズリーになりました。後藤さんはレスコーでしょう。

  ということで、あらためて、


  小林紀子バレエ・シアター第100回祝賀記念公演
  ケネス・マクミラン振付『マノン』全幕

  2011年8月27日(土)17:00開演、28日(日)15:00開演 於新国立劇場 オペラ・パレス

  S席:12,000円、A席:10,000円、B席:8,000円、C席:6,000円、D席:5,000円

  チケット取り扱い:

    イープラス (4月27日より)
    チケットぴあ (5月10日より)
    CNプレイガイド (4月28日より)
    小林紀子バレエ・シアター 03-3987-3648(4月下旬~5月初旬販売開始)


  ちゃんと開催できますように。    
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よく見りゃ似てるこの二人

   福井敬さん(テノール歌手)@メータ&N響「第九」 と 水谷豊@杉下右京(「相棒」)

  昨日の「N響アワー」観て、ますます「よう似とるわ~」と思いました。
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メータ&N響「第九」テレビ放映

  4月10日に行なわれた東北関東大震災 被災者支援チャリティー・コンサート、ベートーヴェン『交響曲第9番』(指揮:ズービン・メータ、演奏:NHK交響楽団、合唱:東京オペラシンガーズ)が、明日の17日夜にNHK教育で放映されます。


   4月17日(日)NHK教育 午後9:00~9:57「N響アワー」

    ズービン・メータ 希望の響き ~ 東日本大震災 チャリティーコンサート ~

     組曲第3番から アリア   ( バッハ作曲 )
     交響曲 第9番 ニ短調 作品125 「合唱つき」 から   ( ベートーベン作曲 )


  第9は抜粋で放映されるようですが(あのコンサートは多くの意味で特別なものだったのだから、今回だけ時間延長して全曲を放映してもいいのに~?)、でも、あの強靭で壮絶な第4楽章は、必ず放映してくれるはずです。

  明日が楽しみです。




  
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SMBC日興証券のCM

  最近、SMBC日興証券(旧名:日興コーディアル証券)のTVCMで、『白鳥の湖』の音楽に乗せて、オデットの白いチュチュを着たバレリーナがクラシック・バレエを踊り、途中から『白鳥の湖』がヒップホップ調に変わって、バレエを踊るバレリーナの横に、男性が現れてヒップホップ・ダンスかブレイク・ダンスを踊る、というのが放映されています。

  キャノンのCMのスヴェトラーナ・ザハロワしかり、スズキのCMのポリーナ・セミオノワしかり、たとえ15秒や30秒の短い時間でも、そのダンサーの能力の高さというのは充分に見て取れるもので、このSMBC日興證券のCMに出ているバレリーナもただ者ではない、と思われました。

  動きになめらかなキレと鋭さがあって、オデット風の踊りではないのですが、まるでオディールが白い衣装で踊っているかのようで、とても面白く感じました。オデットの踊りでないのは、このCMのコンセプトに沿ったためでしょう。このCMには「ふたつの力。ひとつの想い。」というコピーが付けられていて、同じジャンルでもスタイルの大きく異なるものが競いあい、やがて融合することを試みているのです。他に音楽編もあり、そちらは筝とエレキ・ギターです。

  でも、このバレリーナが誰なのか分からない。たぶん、名を聞けば「ああ!」と言うようなバレリーナに違いない、とは思いましたが。

  今日、 光藍社の公式サイト に掲載されている、キエフ・バレエのダンサーたちからのメッセージを読みました。エレーナ・フィリピエワ、ナタリヤ・マツァーク、セルギイ・シドルスキーのメッセージが載っています。

  そしたら、マツァークのメッセージに、こう書いてあるではありませんか。


>最近、CM撮影のために来日した時の、親切なご対応にとても感謝しています。
>この仕事は、私がいつも表現しているバレエ芸術とは異なるもので、とても感銘深い経験でした。


  ピンときました。ああ、あのCMのバレリーナはナタリヤ・マツァークだ!いわれてみれば、あの顔つきといい、動きといい、間違いない。

  SMBC日興証券の公式サイト で、このCMとメイキング映像が公開されています。今は時が時だけに、テレビではこのCMがあまり放映されていないようなので、ぜひご覧になってみて下さい。マツァークがすごくきれいですよ。踊りも姿も。

  追記:ナタリヤ・マツァークは、今年の7月9日(土)、10日(日)、12日(火)に東京で行なわれるバレエ・ガラ公演「バレエの神髄」に参加することが決まったそうです。詳しくは主催元の 光藍社「バレエの神髄」公式サイト をご覧下さい。 
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ズービン・メータ指揮/NHK交響楽団「第九」

  先月11日の震災発生時、ズービン・メータはフィレンツェ歌劇場日本公演の指揮者として東京にいた。いくつかの公演を行なった後、フィレンツェ市から帰国命令が出されたため、フィレンツェ歌劇場日本公演は半ばで中止となった。

  ズービン・メータは震災が発生した直後から、日本でチャリティー・コンサートを開催する道を探っていた。メータはいったん日本を離れたが、3月の末も末になって、ズービン・メータ指揮による特別演奏会が4月10日に行なわれることが発表された。メータ氏の熱意はもちろんのこと、このチャリティー・コンサート実現のために、日本の各方面のいろんな人々が奔走、尽力したであろうことは想像に難くない。


  東北関東大震災 被災者支援チャリティー・コンサート
  ズービン・メータ指揮/NHK交響楽団 特別演奏会

   ベートーヴェン:交響曲 第9番 ニ短調 op.125 「合唱付き」

     指揮:ズービン・メータ

     ソプラノ:並河寿美
     メゾ・ソプラノ:藤村実穂子
     テノール:福井 敬
     バス:アッティラ・ユン

     管弦楽:NHK交響楽団

     合唱:東京オペラシンガーズ

     合唱指揮:宮松重紀


  会場は東京文化会館。チケットはS席が少し残っているのみだと会場の入り口に書いてあったが、実際にほぼ満席だった。いきなりの開催発表からたった10日間で、チケットがほとんど完売しちゃったんですな。

  そのとおり、観客は熱かった。合唱団員が舞台上に登場し始めた時点でもう拍手が湧き起こり、次にオーケストラの団員たちが位置についても止まず、コンサートマスターが現れると拍手がいっそう大きくなった。コンサートマスターは客席に向かって軽く一礼し、チューニングを始めた。拍手がぴたっと止んだ。

  チューニングが終わって、ズービン・メータが舞台の脇から姿を現した。観客は再び熱狂的な拍手を送り、早くも歓声と喝采が飛んだ。

  最初にズービン・メータによる挨拶があった。メータは声を出す前に、嗚咽が漏れるのをこらえるかのように、ふうっ、と大きく息をついた。メータの挨拶で印象に残ったのは、震災による犠牲者への追悼の言葉、被災者へのいたわりの言葉に加え、被災した動物たちにまで言及したこと。よほど情報を細かくチェックしていないと、こんな言葉は出てこないはず。


  「皆様、本日の演奏会を始める前に(震災により)命を落とされた方々、そして未だ苦しんでいるたくさんの方々のために黙祷を捧げたいと思いますのでご起立願います。

  平和と友愛のメッセージがこめられたベートーベンの作品を始める前に、亡くなった方々への追悼としてバッハの「G線上のアリア」を演奏します。

  こうしてオーケストラと合唱の仲間たちに迎えられ、ここにいる皆様と、そしてこのような大きな困難に立ち向かう日本の方々の姿に深い感銘を受けた世界中の大勢の人たちと共に、この機会を共有できることを光栄に思います。まさに桜が満開となる今日、避難所でいまだ闘っている東北の被災者の方々が、一年後そしてそれ以降も一生、桜を楽しむことができるようになっていることを祈るばかりです。今日、私たちは被災者の方々、そしてそのご家族やペットのことを考え、彼らの無事を祈ります。

  ではバッハの「G線上のアリア」から始めますが、被災者の方々への配慮として演奏後の拍手はお控え下さい。」( 東京・春・音楽祭公式ウェブサイト より)


  メータの呼びかけで、メータ、団員、観客全員で長い長い黙祷。脳裏に津波の黒い濁流が、物凄い速さで田野を呑みこんでいく映像が浮かんだ。黙祷が終わると、震災の犠牲者に捧げる曲として、バッハの「G線上のアリア」がまず演奏された。それから間をおかずにいきなり第九が始まった。

  練習やリハーサルの時間なんて充分に持てなかったろうに、メータのタクトはきびきびと動き、N響は整然と演奏し、音が直線状に放射される。厳しさと同時に強靭さが伝わってくる。N響は静かだけど凄まじい気迫にあふれていた。

  東京オペラシンガーズの合唱も凄まじかった。まさに神。ずっしりと重みのある歌声が会場に響き渡る。合唱にもやはりものすごい強さと気迫を感じた。

  ほとんどの日本人がそうであるように、舞台上にいる団員たちも震災以後は自責と自問自答の日々だったろう。自分を「役立たず」と責め、そして「自分に何ができるか、自分は何をなすべきか」と問うただろう。その答えが「これ」なのだと思った。

  たとえ被災していなくとも、ほとんどの日本人はあの震災で傷を負っただろうと思う。それは団員も観客も同じだった。観客の中には、手やハンカチで顔をそっとぬぐっている人が何人もいた。

  私はといえば、第3楽章で泣こうと思っていたのだけど、メータは速めのテンポとあっさりした演奏でこの楽章を終えてしまった。メータは感傷的な演奏を好まないタイプの指揮者なのかな、とこのときは思った。

  しかし、第4楽章、合唱でやはり泣いてしまった。合唱が感情的な歌いぶりだったので泣いたのではなく、歌声のがっしりした力強さに、なんだか不屈の意志のようなものを感じて泣けてしまったのだった。

  観客の気持ちを煽るような、お涙頂戴の感情的で感傷的な演奏など、端から必要なかったのだった。オーケストラの演奏家たち、合唱団の歌手たち、ソリストたち、そしてメータ、みなが底に強靭な意志の力を湛えていたのだから。

  終演後、観客は総立ちとなった。私は3階席にいたのだが、1階席はもちろん、2、4、5階席の観客もみな立っていた。それがどの時期にどういう状況下で演奏されたかというだけで、もはやそれ以上のことを問うのは無意味である、そういう演奏があるのだ。

  ちなみに、今日のコンサートは、4月17日(日)夜9:00からの「N響アワー」(NHK教育)で抜粋版が、また4月24日(日)朝6:00からのBSプレミアム「特選オーケストラ・ライブ」で全曲がさっそく放映されるそうです。特に東京オペラシンガーズによるあの合唱は、めったに聴けるものではないので、必聴です。でも、どうだろう、テレビ放映だと、オーケストラと同じ音量に調整されてしまうのかな?実際の演奏では、オーケストラよりも合唱の歌声のほうが圧倒的に大きかったんです。

  おまけ話その一。終演後、会場のロビーで大勢の団員、そしてソリストたちが募金箱を持って募金を呼びかけていました。特にソリストの人たちはさすが腹式呼吸で、すっごい声が通る通る。たとえばテノールの福井敬さん。ローエングリンかタンホイザーを彷彿とさせる美声で「募金よろしくお願いしま~す!」

  その二。楽屋口でズービン・メータのデマチをしました。でもサインをもらったり写真を撮らせてもらったりするつもりは毛頭ありませんでした。一瞬でいいから、ズービン・メータを近くで見たいと思っただけ。それに、デマチする人々がとにかく多くて、楽屋口の前は黒山のような人だかり。あんなのははじめて見ましたよ。

  黒い車が楽屋口近くに停車し、やがてメータ氏が夫人をともなって現れました。感心したのは、サインや写真をねだる人がいなかったこと。みなが拍手をしてメータ氏をねぎらい、日本語で「ありがとう!」と声をかけていました。

  メータ氏と夫人は車中から人々に手を振り、人々もまた手を振り返して、なによりも一個の人間として偉大な指揮者を見送ったのでした。
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また石原

  東京都知事選、石原慎太郎が当選確実とのこと。

  3月11日の東北地方太平洋沖地震で起きた大津波を「天罰」と言ってのけた人間。

  福島第一原発が大事故を起こして福島、北関東、日本、世界中に大迷惑をかけているにも関わらず、「私は原発推進論者です、今でも」と公言し、新たに12箇所もの原発建設を計画している人間。

  その新しい12箇所の原発は、東京湾なんていわないで、ぜひ西新宿の都庁付近および西新宿再開発地域に建設して下さいね。  

  
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不在者投票に行ってきました

  今日(4月10日)は東京都知事選ですね~。私は今日は用事で出かけるので、昨日のうちに不在者投票を済ませました。

  各候補がこれからの東京、ひいては日本のエネルギー政策、つまり原発に関してどのような意見を持ち、どのような方針で臨むつもりなのかを基準にして投票しました。

  私は私個人の考えに基づいて、原発支持・推進派の候補には入れませんでした。

  今回の選挙の最も重要な争点、というより最も重要な意義は、ずばり原発建設をこれからも推進していくか、それとも原発を廃止して、リスクの少ない発電方法を選択するかのいずれかだと思いますから。

  余計なお世話であることは分かっていますが、それでも念のため。

  みなさま、投票に行きましょう!

  「どうせ民意なんて反映されない」という方もいらっしゃるでしょうが、このような考え方に対しては、ちょっときついことを言いますけど、将来なにか重大な災害や事件が起きたとき、投票しなかった方々には何も言う資格はないんです。たとえば都政や国政を批判することはできませんし、現代文明批判をぶつこともできません。自分の意思を表明する機会を放棄したのですから。

  投票すれば、少なくとも「自分はこう考えて、そうなるよう働きかけた」事実が成立します。それでこそはじめて、政治家や政治や政策に物言うことができるのだと思います。
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また揺れた

  昨夜11時半ごろ、また大きく揺れました。久しぶりに大きな長い揺れでした。先月11日の地震で棚から落ちた物はそのまま床に積み上げてあるので、更に物が落ちる心配はなし。揺れてる最中から即NHK。

  震源は宮城県沖、マグニチュード7.4、震源の深さは40キロ。津波警報と津波注意報が出されました。画面の右下に日本列島の地図が映し出され、警報・注意報が出されている沿岸が赤と黄色の線で示されています。先月11日の緊張がよみがえります。

  各地の震度。宮城県北部と中部で震度6強!実家のある秋田県沿岸南部は、…震度5強!?あわてて実家に電話しましたが、やはり先月11日と同じ、話し中の音がするばかりで通じません。ああ、また停電したな、とすぐに分かりました。

  母の携帯に電話しました。こちらも通じません。携帯メールを送りました。しかし、今(8日午前1:00)のところ返信はありません。

  さすがに心配になったので、さっき、郷里の消防署に電話して状況を聞きました。やはり市内全域で停電しているそうです。現時点では被害などの通報はないけれども、停電していることを考慮して、署員が市内を巡回して確認している最中だとのことでした。忙しいところに電話してしまって申し訳ないことをしましたが、詳しく答えて下さいました。感謝です!

  たぶん実家は大丈夫だろうと思います。夜が明けたら、また電気が復旧したら連絡が取れるでしょう(8日朝6時ころに母からメールがありました。やっぱり大丈夫でした。また、午前10時ごろに電気も復旧したそうです)。

  それにしても、自然に悪意はないとはいえ、いいかげん腹が立ってきたぞ。神様にも、「どうしてですか?」と聞いてみたい。

  こうなったら受けて立ってやるわ。

  (午前1時半までに、出されていた津波警報と注意報はすべて解除されました。よかった。でも、地震と停電にともなって、亡くなられた方が出てしまいました。なんと言ったらいいのか……。)



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参った

  ここのところ、毎晩夢見はよくないわ、震災関係のニュースを見ては涙がだだ漏れるわ、気持ち的にちょっと疲れています。短気にもなりました。古舘伊知郎が「東松島」を、宮根誠司が「石巻」の読み方を間違ったことに、てめえらキャスター気取りなんだろ、ふざけんじゃねえ!と憤慨したり。

  被災したわけでもないくせに、何を甘ったれてるのか、何を正義ぶってるのか、と自分でも情けないのですが…。

  これはヤバいな、と思ったのは、昨夜、寝る前に、数年ぶりにマシュー・ボーン振付『白鳥の湖』のDVDを観たことです。もう9年くらい前になりますが、やはり気持ち的にすごく参っていた時期があって、そのときも毎晩、寝る前にボーンの『白鳥の湖』DVDを観ていました。

  もちろんボーンの『白鳥の湖』自体がわるいんではなく、寝る前に『白鳥の湖』のDVDを観るという行為が復活したことで、これは私の「落ち込んでますサイン」ではないか、とふと気づきました。

  まずいなあ、と感じながら、『白鳥の湖』を観ていて思うのは、「白鳥の群舞が揃ってないな」とか、「ダンサーたちの力量差がありすぎるな」とか、「バレエのテクニックは大したことないな」(←蛾の妖精ときこりが登場する劇中バレエを観て)とか、ネガなあら探しばかり。多少マシな考えといえば、「スコット・アンブラー、若いなあ」とか、「クーパー君、イイ体してんな」程度。同時に、自分がすっかり「バレエ目線」で観ていることに気づいて苦笑しました。

  とにかく救われたくて、この日曜日にチャリティー・コンサートの『第九』を聴きにいくことにしました。指揮はズービン・メータ、演奏はNHK交響楽団です。

  でも、コンサートに行くことにもすごい罪悪感があります。落ち込んでるといったって、結局あんた(私)はいいご身分なんじゃない、と。

  
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ペットのPTSD

  先の大地震直後、実家の猫が怯えてしまい、最もなついている私の母のそばを片時も離れなかった、と母から聞きました。

  私が帰省したところ、猫はほぼ毎日、昼から夜にかけて6~7時間ものあいだ、押入れの中に引きこもりっぱなしでした。普段はない行動です。

  東京に戻ってから友人に聞いたところによると、地震の直後から、家出をする猫が増えているとのことです。大きな揺れによるショックでパニック状態に陥ったことと、飼い主たちの緊張した気持ちや雰囲気を敏感に察して不安になり、大きなストレスに耐え切れないことが原因のようです。

  人間は今回の事態を理解できますが、動物たちはわけも分からず、ひたすら怯えるばかりです。

  もし、みなさんのペットたちの様子が普段と違っておかしいと感じたら、「ペット PTSD」などのキーワードで検索してみて下さい。PTSDとは、「心的外傷後ストレス障害」のことです。動物たちも心に傷を受けて、行動が不安定になります。飼い主が取るべき対応を調べてみて下さい。多くの獣医さんたちが、役に立つ情報を提供してくれています。

  動物たちも被害者です。災害弱者といってもいいでしょう。飼い主である人間が気をしっかりと強くもって、怯えている弱い小さな命を守りましょう。

  
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