「マラーホフの贈り物 2010」Aプロ

  5月18日(火)のAプロ初日を観ました。

  公演の数日前になって、ボリショイ・バレエから参加予定だったニーナ・カプツォーワとイワン・ワシリーエフが、バレエ団の都合で参加できなくなり、代わりにベルリン国立バレエ団からベアトリス・クノップとレオナルド・ヤコヴィーナが参加することになりました。それにともなって、演目にもやや大きな変更がありました。

  結局、クノップとヤコヴィーナはともに良いダンサーだったので、ダンサー的には何の影響もありませんでしたが(カプツォーワとワシリーエフのファンの方にはもちろんお気の毒でしたが)、演目の面では少し偏りが出てしまったと思います。でも、良い公演だったと思います。

  第1部

  「ザ・グラン・パ・ド・ドゥ」(クリスティアン・シュプック振付)

  ダンサーはエリサ・カリッロ・カブレラ、ミハイル・カニスキン(ともにベルリン国立バレエ団)。

  カブレラもカニスキンも以前に観たことがありますが、特にカブレラをまた観られたのが嬉しかったです。演目はやはり「ザ・グラン・パ・ド・ドゥ」で、そのときのカブレラの演技がすごく笑えたので。あのときの相手はイーゴリ・コルプ(マリインスキー・バレエ)でした。コールプのお笑い演技に多少「無理してるっぽい感」があったのに対して、カブレラの演技は自然で大笑いできたんです。

  今回の相手はミハイル・カニスキンですが、カニスキンは「真面目でお堅くてプライドの高い男性プリンシパル・ダンサー」という感じで、それだけにあのヘンなガニ股ツイストやら、『ジゼル』のアルブレヒトの有名ポーズやらが笑えました。

  カブレラとカニスキンのかけあい漫才・・・じゃなかった、踊りも面白かったです。カニスキンがカブレラをブンブン振り回すときに、カブレラが「ギャアァァ~~~~~!!!」とでっかくてカン高い悲鳴をあげていたのも笑えました。

  このお笑い作品、実はかなり危険そうな振りがたくさんありますね。男性が女性を振り回して、そのまま手を離して遠くに勢い良く放り投げるところとか。でも、これがケガしないんですなー。ケガさせないようにブン投げて、ケガしないように転がるって、ダンサーってすごい。

  「ジュエルズ」よりダイアモンド(ジョージ・バランシン振付)

  さっそく御大の登場です。ダンサーはポリーナ・セミオノワ(ベルリン国立バレエ団)とウラジーミル・マラーホフ(ベルリン国立バレエ団芸術監督)。

  マラーホフもセミオノワも純白のキラキラ衣装で登場しました。以前にこの二人が主役を踊った「バレエ・インペリアル」を観たことがあります。そのときはマラーホフとセミオノワが、淡い恋の雰囲気を醸し出して、この作品にストーリーを与えていたことに感心したものです。一方、この「ダイアモンド」では、そうした感情的なものはほとんどなく、マラーホフは個性を埋没させて(←これはこれですごいことだと思う)、ひたすらセミオノワのサポート&リフト役に徹していました。

  が、マラーホフとセミオノワの踊りがなんかぎこちない。特にマラーホフのパートナリングがなめらかでありません。マラーホフが回転するセミオノワの腰を支えると、セミオノワの体が斜めになるし、マラーホフがセミオノワを持ち上げると、マラーホフの体がグラグラガクガクする。

  二人の背丈や体格からいって、マラーホフがセミオノワをリフトしたりするのは無理があるんじゃないかと思いました。この「しっくりいかない感」は、マラーホフとセミオノワが組んで踊った他の演目でも常に感じられました。

  「ボリショイに捧ぐ」(ジョン・クランコ振付)

  ダンサーはマリア・アイシュヴァルトとマライン・ラドメイカー(ともにシュトゥットガルト・バレエ団)。ジョン・クランコがボリショイ・バレエ団のロンドン公演を観て衝撃を受けて作ったそうで、なるほど「春の水」や「スパルタクス」みたいな体育会系リフトがてんこもりな作品でした。アイシュヴァルトとラドメイカーの衣装も「春の水」に似てたよーな・・・。

  完璧に流れるように、とまではいきませんでしたが、マラーホフとセミオノワの「ダイアモンド」よりは、二人の踊りが合っていて、胸がすく思いでした。もちろん、振付家も違えば作風も違うので、単純に比べることはできませんが、アイシュヴァルトとラドメイカーの踊りのほうがより自然でスムーズに見えました(しかもあれだけアクロバティックな振付をやったというのに)。

  「アレクサンダー大王」(ロナルド・ザコヴィッチ振付)

  この作品は去年の「世界バレエ・フェスティバル」で、ポリーナ・セミオノワとフリーデマン・フォーゲル(シュトゥットガルト・バレエ団)が踊ったのを観たことがあり、たぶん同じパ・ド・ドゥだと思います。今回踊ったのはエリサ・カリッロ・カブレラとレオナルド・ヤコヴィーナ。

  双方の体を複雑に絡ませて踊る、かなり官能的な振付の踊りです。カブレラがさきほどとは一転して、長い黒髪をさばいて、クールだけどエロティックな雰囲気を漂わせながら登場。カブレラはバレリーナには珍しく、ボン!キュッ!ボン!の体型なので、かなり色っぽかったです。特に深いスリットの入った黒いスカートからのぞく長~い脚が。

  ところで、照明が暗くてよく分からなかったんだけど、キャスト表には「レオナルド・ヤコヴィーナ」とあるんですが、本当にそうだったのでしょうか?ミハイル・カニスキンだと思ったのは、私の見間違いかな?とにかく、相手がヤコヴィーナだろうとカニスキンだろうと、二人が組んで踊るときの動きがなめらかでよかったです。

  「コッペリア」より第三幕のパ・ド・ドゥ

  ヤーナ・サレンコは去年の「世界バレエ・フェスティバル」でもこのパ・ド・ドゥを踊りました。相手はズデネク・コンヴァリーナでした。あのときは「超絶技巧自慢会」化していたし、サレンコは少々押しつけがましいというか、自分の高度なテクニック、バランス・キープ、ジャンプ、回転などの凄さを見せつけようとする癖があるようで、しかしほとんどの場合、彼女が望むような観客の反応を得られない、という結果に終わっていました。この点ではタマラ・ロホ(英国ロイヤル・バレエ団)と似ています。

  自分の凄さを見せつけようとして躍起になればなるほど、観客は逆に引いちゃうんですが、彼女らはそれが分かってないみたいです。ところが、この公演では大いに違って、サレンコ本来の魅力が発揮されたように感じました。

  フランツを踊ったのはディヌ・タマズラカル(ベルリン国立バレエ団)で、このタマズラカル(←すげえ名前だな)が思わぬめっけもんでした。

  まず、タマズラカルはほがらかな笑顔を浮かべてフランツになりきっていました。そして、ニコニコ笑いながら踊るんですが、ジャンプが異様に高い!空中で両足を打つのも素早い!まるで空中で止まっているかのように余裕綽々!回転も超安定!というテクニシャンだったのです。しかも、彼はどんな大きな動きをしようと、まったく足音がしません。ジャンプしても着地音が一切なし。よほど強靭な筋肉と柔軟な身体を持っているようです。

  それでも顔には人の好さげな笑顔を浮かべて踊っています。スワニルダと結婚するフランツの幸福感が伝わってきます。それに触発でもされたのか、以前は役を忘れて自分のテクニック披露に走りがちだったサレンコも、にこやかな、嬉しそうな笑顔を浮かべて踊っていました。やはりスワニルダの嬉しい気持ちが伝わってきます。こうして舞台は完全に『コッペリア』第三幕の世界になっていました。

  サレンコは可愛らしい顔立ちと雰囲気を持つダンサーですから、テクニック自慢に走らず、役になりきって踊ったほうが魅力的だし、またそのほうがテクニックも生きてくると思います。実際、今回のほうが、「世界バレエ・フェスティバル」のときより、テクニックが安定していました。スワニルダの踊りの中にテクニックが自然に融け込んでいて、本当にすてきでした。

  それにしても、ディヌ・タマズラカルは要チェック。

  第2部

  『仮面舞踏会』より「四季」(ウラジーミル・マラーホフ振付)

  ヴェルディの同名オペラに想を得た全幕作品の一部だとのことです。音楽もヴェルディですが、ただしオペラのものは使用していないそうです(そりゃそうか)。

  ごめん、寝てました。正直言うと、この「四季」は別になくてもよかったです。いつもの「with 東京バレエ団」だし、なかったほうが早く家に帰れたし(翌日も仕事だったので)。

  この作品は、振付や音楽以前に衣装が超ヘンです。

  頭にはニワトリのトサカみたいなでっかい飾り、ロココ調ドレスからアンダースカートを取り払った珍妙なデザインの女性衣装、色使いのヘンテコな男性衣装(冬)、異様に大きくてシャンプーハットみたいな花冠、マンガ『百鬼夜行抄』に出てくる妖怪みたいな半人半獣(春)、この半人半獣は「牧神」なのか?で、シャンプーハットみたいな花冠をかぶった姉ちゃんたちは春の神(プリマヴェーラ)かなんかか?

  この「四季」ではポリーナ・セミオノワとマラーホフも出てきて「夏」を踊ったらしい。かすかにその記憶はあるのですが、ああ、やっぱりマラーホフのパートナリングがぎこちないな~、と思って、そのまま寝てしまったようです。最後の「秋」については、衣装が茶色っぽかったような気がするという以外、記憶のカケラもなし。

  第3部

  『カラヴァッジオ』より第二幕のパ・ド・ドゥ(マウロ・ビゴンゼンティ振付)

  この『カラヴァッジオ』は映像版が出てますね。ベルリン国立バレエ団の上演で、マラーホフをはじめとして、今回の「マラーホフの贈り物」に参加してたダンサーのほぼ全員の名前が並んでいます。中村祥子さんも出ているようですよ。

  ここで踊られたのは男性二人によるパ・ド・ドゥです。ダンサーはマラーホフとレオナルド・ヤコヴィーナ。マラーホフは白い布を巻きつけたような短いパンツのみ、ヤコヴィーナも上半身裸で、膝丈の茶色のズボンを穿いているだけでした。

  どういう場面設定なのかまったく分かりませんが、同性愛的な雰囲気が濃く漂うパ・ド・ドゥでした。男性二人が苦しげな表情を浮かべながら、複雑に絡み合って踊ります。どちらかというと、ヤコヴィーナのほうが強い立場にいるような感じでした。

  女性と踊ると今ひとつしっくりこないマラーホフも、男性と踊ればしっくりくるんではないか、と思ってましたが、やっぱりなんかヤコヴィーナとのタイミングが合わないというか、少しぎこちない感じでした。

  でも、マラーホフもヤコヴィーナも雰囲気を出すのが凄くて、単なる同性愛的な踊りではなく、もっと深いドロドロした何かがあることを感じさせました。ヤコヴィーナはリフトやサポートも上手で、小柄とはいえ男性のマラーホフを軽々と支えて持ち上げていました。

  「ゼンツァーノの花祭り」(オーギュスト・ブルノンヴィル振付)

  ヤーナ・サレンコとディヌ・タマズラカルが踊りました。サレンコの印象はまったく残っておりません。彼女のせいではなく、タマズラカルがすばらしすぎたためであると思われます。ブルノンヴィルのあの独特の動きができるんかいな、と半信半疑でしたが、これがまたできるんですなー、タマズラカルは。

  またもやニコニコとお人好しそうな笑顔を浮かべながら、上半身を直立させ、両脚だけでぽーんと軽くきれいに跳んで、いろんな形に細かく両足を打ちつけます。そしてやはり足音がまったくしない。

  タマズラカルは笑顔がとにかく良く、舞台全体がほんわか、ぽかぽかします。それなのにあっさりと難しい振りをこなしてしまいます。ぜひともまた観たいダンサーです。

  『椿姫』より第三幕のパ・ド・ドゥ(ジョン・ノイマイヤー振付)

  これは凄かったです。

  ダンサーはマリア・アイシュヴァルトとマライン・ラドメイカー。幕が上がると、黒いヴェールをかぶり、黒い外套に身を包んだアイシュヴァルトのマルグリットが現れて、舞台の中央に立ちつくす。ふと見ると、いつのまにか舞台の右の端、オーケストラ・ピットに突き出ている部分に、アルマン役のラドメイカーが横たわっている。前の演目が終わってからすぐにそこに出たんだろうけど、まったく気づかなかった。

  ショパンのピアノ音楽が始まり、アイシュヴァルトとラドメイカーが踊り始める。そしたら、もうダメだった。音楽の中に引きずり込まれ、アイシュヴァルトとラドメイカーの手足の動きが語る、マルグリットとアルマンの感情のぶつかり合いの中に呑み込まれました。

  ノイマイヤーの振付って、こんなふうに踊れるダンサーが踊ると、本当にセリフを言っているのとまったく同じ。踊りを観ているはずなのに、なぜか言葉が聞こえてくる。

  アイシュヴァルトとラドメイカーの演技と踊りはすばらしかったけど、単なる「すばらしい演技と踊り」ではありませんでした。演技と踊りとの境目がない。顔なんか見なくても、爪先の動き一つだけで、彼らがどんな気持ちなのか、何を語り合っているのか分かります。パリ・オペラ座バレエ団のダンサーが踊っても、こうはなりません。

  音楽の渦の中に踊りが作り出す感情の渦があって、観客はその中に有無を言わさず巻き込まれて、マルグリットとアルマンと一緒にぐるぐる回っている。

  アイシュヴァルトとラドメイカーが踊り終わって、音楽も消えたとき、それまでの演目が終わったときには起こらなかった、マラーホフが踊り終えたときにさえ起こらなかった、熱狂的な拍手と喝采がわっと起こりました。

  本当にすばらしかった。

  「トランスパレンテ」(ロナルド・ザコヴィッチ振付)

  ダンサーはベアトリス・クノップとレオナルド・ヤコヴィーナ(?)。

  これ、どういう作品だったかな・・・。クノップがあまり踊らないのでつまらん、と思ったことは覚えているけど、衣装とか振付とか、ほとんど覚えてません。また寝ちゃったんだろうか?いや、たぶん前の『椿姫』のせいですね。そういえば、「あの『椿姫』の直後なんて、さぞかし踊りにくいだろうな」とか思ったもの。集中して観ることができなかったのでしょう。とにかく、男女が組んで踊るパ・ド・ドゥです。ソロで踊る振りはほとんどなかった気がします。男性ダンサー(ヤコヴィーナ?カニスキン?)は、リフトやサポートがとても上手で、頼りがいのあるパートナーだな、と思いました。

  「瀕死の白鳥」(マウロ・デ・キャンディア振付)

  最後はマラーホフがソロを踊って、そのすばらしい踊りっぷりで、観客の印象を独り占めする計画だな(←でも、たぶんマラーホフ自身に悪気や功名心はない)、と思っていたら、やっぱりそうでした(笑)。

  マラーホフはまたもや白パンツ一丁で、Bプロも通じて、「パン一率」が高かったです。今回は衣装用トランクに余裕があったのではなかろうか。

  どういう振付かというと、たとえば全身で白鳥の姿を、両腕で白鳥の羽根を、腕と手で白鳥の頸と頭を、というふうに、全身、あるいは身体の一部を様々に使って白鳥を表現するというものでした。

  そんなに優れた振付だとは思いませんでしたが、マラーホフの流れるように美しい、また巧みに緩急をつけた動きには見とれました。ただ、以前にマラーホフのソロを観たときほどの衝撃は受けませんでした。作品自体にやはり難があるかな、と思いました。

  カーテン・コールでは、『ラ・バヤデール』の「影の王国」コーダの曲が流れる中、出演者が次々と現れて、様々なジャンプや回転を披露する、というおまけがありました。その最後のほうで、マラーホフは舞台の右奥からジャンプをしながら現れ、舞台を斜めに横断していきました。両脚がほぼ180度に開いた、高さもある鋭い美しい跳躍でした。舞台の左前面の脇に去る直前、マラーホフは天に駆け上がるようにいっそう高く跳躍して、その身体が空で頂点に達した瞬間にカーテンの陰に消えました。

  マラーホフは4演目に出演しましたが、まったく跳ばなかったのです。それが、カーテン・コールで、見違えるようなもの凄い跳躍を連続でやって、最後に天に飛んで行ったかと思うような高いジャンプをして去ったのです。ニジンスキーの有名な逸話を思い出しました。

  結局、カーテン・コールでのこの跳躍が、マラーホフの踊りの中では最も印象に残りました。最も印象に残りましたが、それってどうよ!?と思わないでもありません。どうせ印象を残すなら、自身が踊ったいずれかの演目で残してほしかったです。

  以前に観た「マラーホフの贈り物」で、私はマラーホフにすごい好印象を抱いたのですが、今回の公演では何かがしっくりきませんでした。Aプロを観終わった時点で思ったのは、「マラーホフは、結局は一人で踊るほうが最もすばらしいのだ」ということでした。Bプロでは、更に思うことがありました。が、それはまたいずれ。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


第二子御誕生

  クーパー君の公式サイトによりますと、5月28日午後、クーパー君の奥様、サラ・ウィルドーが無事に男の子を出産したそうです。

  母子ともに健康とのこと。よかったよかった。

  さて、夫妻は第二子にさっそく名前をつけたようで、その名はなんとアレクサンダー・ジェイムズ・クーパー。なんかゴージャスです。

  ジェイムズは洗礼名だろうから、キリスト教の有名人物の名前が選ばれたのは分かるけど、ファースト・ネームの「アレクサンダー」はどこから取ったのでしょうか?

  第一子のナオミちゃんの名前は聖書から取った、と本人が言ってましたが、「アレクサンダー」もやはりキリスト教にゆかりの深い名前なのでしょうか。私はアレクサンダー大王くらいしか知りません。イギリス人でアレクサンダーっていう名前って、多いのでしょうか?

  それはともかく、クーパー君は順調に自分の家庭と家族というものをしっかりと築いていってますね。今はいろんな生き方がありますが、クーパー君は結婚して子どもをもうけて、という生き方を選びました。彼のことですから、夫として、そして父親として、きちんと責任を果たしていることでしょう。日記や家族写真からもそのことがうかがえます。

  どんな生き方を選んだにせよ、こうして自分の選んだ生き方に責任をもって、人生を歩んでいっているのは、人間としてすばらしく、また尊敬できることです

  さて、第二子が男の子だとすると、それはそれで我々ファンにとっては将来の楽しみが増えますな~ そう、アレクサンダー君が父親似のイケメン男子になるのではないかという楽しみと、両親と同じく、ダンサーの道を選ぶかもしれないという楽しみです。

  ともかく、おめでとうございます~!!!
コメント ( 5 ) | Trackback ( 0 )


東京バレエ団『オネーギン』

Tchaikovsky: Onegin
Emerson String Quartet,Stuttgart Symphony Orchestra,Tuggle,Fonteyn,Heinrich Rehkemper
Animato


(ジョン・クランコ振付、バレエ『オネーギン』の音楽CD。ジャケットのタチヤーナとオネーギンはYseult LendvaiとTamas Detrich。)

  今日(23日)、横浜(神奈川県民ホール)での公演を観に行きました。

  先週は「マラーホフの贈り物」Aプロ、Bプロも観たんだけど、疲れちゃってブログに感想を書く気になれませんでした。昨日休んで、ちょっと人心地がつきました。順番が前後するけど、とりあえず東京バレエ団『オネーギン』のほうから。

  東京バレエ団がジョン・クランコの『オネーギン』を上演することを知ったとき、まず思ったのは、「正気の沙汰か!?」ということでした。こう言っては申し訳ないけど、東京バレエ団のレベルを考えると、誰の発案かは知らないが、無茶なことをするものだと思いました。上演を許可したクランコ財団に対しても、ナニ考えてんだ!?と呆れました。

  そりゃ、振付を真似すれば、形だけはある程度までなんとか踊れるだろうけど、主役から群舞に至るまで、ともに高度な技術と同時に深い表現力が必要とされる『オネーギン』を、東京バレエ団が上演してどんな出来になるか、大体は想像できる気がしました。

  というのは、ちょうどそのころ、チャイナ・ナショナル・バレエが上演した『オネーギン』のほぼ全編の映像がYou Tubeに投稿されていて、その無様なパフォーマンス(←おそらく投稿者はそれに気づいてない)から、東京バレエ団の公演もおそらくこんな具合になるだろう、と予想したのです。

  そんなわけで、いくら好きな作品でも、いや、好きな作品だからこそ、お粗末な出来の舞台など観たくなかったので、チケットを買う気は端からありませんでした。

  ただ、公演日が迫るうちに、斎藤友佳理さんのタチヤーナには、一見の価値があるのではないかと思うようになりました。斎藤さんの柔らかい母性的な雰囲気はタチヤーナに合っているし、斎藤さんは個人的にもロシアとの関わりがかなり深いそうだから、きっとプーシキンの原作に慣れ親しんでいて、タチヤーナという人物像をリアルに造形できるに違いない。

  それで、先週の木曜日に今日の公演のチケットを取りました。神奈川県民ホールのチケット・センターから買いました。ちなみに、神奈川県民ホールのチケット・センターは便利ですよ。オンライン販売システムもあり、席を指定して買うことができます。

  主なキャストは、オネーギン:木村和夫、タチヤーナ:斎藤友佳理、レンスキー:井上良太、オリガ:高村順子、グレーミン公爵:平野玲です。

  予想したとおり、斎藤さんも含めて、彼らは踊れていませんでした。たとえば難しい回転などの技をやるとき、いちいち「さあやるぞ」っていうあからさまな構えの姿勢をとって静止するので、踊りの自然な流れが断ち切られてしまっていたし、技そのもののできばえも不安定でした。跳躍などの着地でも足元がグラついて危うかったです。また、難度の高い動きが連続する踊りだと、前の振付をきちんとこなしてから次の振付に移る余裕が持てないらしく、多く姿勢が崩れがちで、なんだか中途半端な、不自然な踊りになっていました。

  オネーギンの踊りはレンスキーの踊りに比べればまださほど難しくないのではないか、と私は思っていましたが、木村さんの踊りを見て、オネーギンの踊りもかなり難しいことが分かりました。以前に観たシュトゥットガルト・バレエ団の公演でオネーギンを踊ったダンサーたち(マニュエル・ルグリも含めて)は、あまりに自然に、軽々と踊っていたので、そうとは気づかなかったのです。

  オネーギン、タチヤーナ、レンスキー、オリガが組んで踊るときも、サポートやリフトはぎこちなく、また互いの動きもあまりうまく連動していませんでした。練習不足というより、明らかに各々の能力以上のことを無理にやっているのでうまくいかない感じでした。

  見せ場であるタチヤーナとオネーギンの二つのパ・ド・ドゥ、第一幕の「鏡のパ・ド・ドゥ」、第三幕の「別れのパ・ド・ドゥ」も、技術の面だけからみれば、踊りそのものは大した出来ではなかったと思います。斎藤さんと木村さんが一生懸命に踊っているのはよく分かったのですが、彼らの身体能力と技術では、あの難しくて複雑な振付をこなすには明らかに無理がありました。ただ、第三幕の「別れのパ・ド・ドゥ」では、一種の「化学反応」というか「奇跡」のようなことが起こりました(これについてはまた後で書きます)。

  踊りのほうは今ひとつでしたが、役作りのほうはみな非常にすばらしかったです。ただ、レンスキー役の井上さんは、表情の作り方が稚拙で、雰囲気も出せていませんでした。特にレンスキーが怒っている、また苦悩する場面では、まるで友だちとケンカした中学生みたいでした。なんでも眉根に皺を寄せて歯を食いしばればいいというものではないと思います。

  オリガ役の高村順子さんは、明るく溌剌としたオリガの可愛らしさと、あどけなさから来る短慮さをよく表現していて、斎藤さんの静かで落ち着いた雰囲気のタチヤーナと鮮やかな対照をなしていました。明るい色の可憐な一輪の花のように愛らしかったです。

  グレーミン役は平野玲さんでした。どっしり構えた威厳のある雰囲気で、いかにも高位の貴族で、包容力のある落ち着いた大人の男性という感じでした。第三幕では、妻のタチヤーナを守るように愛している様が伝わってきてよかったです。タチヤーナとの踊りでのパートナリングも安定していて、役作りとの相乗効果で、頼りがいがある旦那だなあ、と感じました。あと、すごいハンサムでした。

  斎藤さんは予想どおりのタチヤーナで、第一幕と第二幕ではしっかり者の姉だけど、中身はロマンティックな夢見る少女、第三幕では人の妻として幸せに暮らし、心も成熟している安定した大人の女性になっていました。

  斎藤さんは踊り方も第一幕・第二幕と第三幕とでは変えていました。第二幕で、オネーギンに冷たい仕打ちを受けた後も、少女らしい不器用な動きだけど、それだけになおさらひたむきさを感じさせる動きで踊り、一生懸命に、必死にオネーギンに訴える姿が痛々しかったです。第三幕では安定した心としっかりした意志を感じさせる、優美でしかも力強い踊りになっていました。

  ただ、いつも口を半開きにしているのはいかがなものかと思いました。たまには口を閉じてもよかったかも。癖なのでしょうか?

  オネーギンを拒絶した後のタチヤーナがどんな顔をするのか、斎藤さんの演技の中で最も楽しみにしていました。斎藤さんは、泣き顔と笑い顔とのどちらともとれない、あるいはどちらともとれる表情をしていました。最後は目を閉じて両手のこぶしを握りしめました。これでよいのだときっぱり思いを断ったのか、それとも無理に自分を納得させようとしているのか、これまたどちらともとれませんでした。でも、現実は案外こんなものではないでしょうか。白か黒か、はっきり自分の気持ちを決められる人なんてそうはいません。まして、自分がまだ愛している男性をあえて拒絶する女性の気持ちは、実に複雑なものに違いありません。

  木村和夫さんのオネーギンの表現は、実にすばらしかったです。オネーギンの気持ちが手に取るように分かりました。オネーギンの性格、価値観、行動の動機、すべてが雄弁に表情や仕草によって語られていました。でも、いちばん印象に残ったのは、木村さんの目かな。目がセリフを言っているかのようで、オネーギンが何を考えているのかはっきり分かりました。

  最も印象に残ったのは、第二幕でラーリン家に入ってきた途端、その田舎屋敷ぶりを蔑むように見上げていたオネーギンが、第三幕でグレーミン公爵邸の大広間に入ってきた途端、その華麗さに気おされたように、怯えた表情で天井から吊るされたシャンデリアを見上げるシーンでした。田舎では気取っていたオネーギンが、モスクワでは自信なさげに身をすくめている、そのギャップがよかったです。木村さんの変貌ぶりが見事でした。

  先日の「マラーホフの贈り物」Aプロでは、主役のマラーホフとポリーナ・セミオノワを、ゲストのマリア・アイシュヴァルトとマライン・ラドメイカーが凌いでしまうということが起こりました。優れたダンサーであるアイシュヴァルトとラドメイカーが、よりによってジョン・ノイマイヤーの、よりによって『椿姫』の、よりによって第三幕のパ・ド・ドゥを踊ってしまったのですから、「ダンサー力」と「作品力」の相乗効果で、観客のほとんどヒステリーに近いような、物凄い反応を引き起こすことになったわけです。

  一方、マラーホフは持ち前の傑出したカリスマ性と「ダンサー力」で、地味で観客になじみの薄い作品をすばらしいものにしました。踊りが作品を凌駕したわけです。このように、ダンサー個人の力量によって、振付の元来さほど良くない作品がすばらしいものに変貌するという現象は、稀にではありますが舞台では目にすることです。

  ですが、作品そのものが持つ力が、そのダンサーの普段の力量を超えたすばらしいパフォーマンスを引き出すというのは、私は今日の舞台で初めて見ました。

  第三幕の最後、タチヤーナとオネーギンの「別れのパ・ド・ドゥ」でそれが起こりました。斎藤さんは完全にタチヤーナになっており、木村さんも完全にオネーギンになっていました。オネーギン役とタチヤーナ役としてではなく、愛する女性を乱暴なほどに情熱的に求める男性と、彼を愛する感情と現実の自分の立場を考える理性とが同時に激しく渦巻いている女性が舞台上にいて、ほとんど闘うようにして求め合っているのです。

  ドラマティックな音楽が演奏される中で、斎藤さんと木村さんは荒い息を吐きながら、争うように激しく踊っています。斎藤さんと木村さんの、というより、タチヤーナとオネーギンの鋭い気迫と激しい感情に圧されて、私は息を呑んで、ただ呆然と二人を見つめるばかりでした。

  そこにもはや「演技」はありませんでした。斎藤さんと木村さんは「素」だったと思います。お互いの踊りを待って踊る、タイミングを見計らって踊る、なんてことはしてませんでした。本気で愛し合って、そして拒んでいました。日本人ダンサーがあれほど感情を爆発させて踊っている姿ははじめて見ました。

  カーテン・コールで、斎藤さんと木村さんはぐったりと疲れ果てた様子で、互いに身をもたせかけて、かろうじて立っていました。二人ともほとんど放心状態のようでした。彼らの世界に呑み込まれたのは私ばかりではなく、他の観客も同じだったのでしょう。爆発音のような拍手が起こりました。

  今回の『オネーギン』は、斎藤さんにとっては長年の願いが実現した機会だったでしょう。また、木村さんにとっては、ダンサーとして、自分の中にあった可能性の一つを、一気にずるっと表に引き出せた舞台になったと思います。

  私にとっても、普段はおとなしい日本人ダンサーが、良い作品の世界の中に引き込まれて、演技を忘れて感情を爆発させたことで、奇跡のようなすばらしい舞台になった瞬間を目にするという、貴重な経験となりました。斎藤さんと木村さんにありがとうと言いたいです。      
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


行きました

葬式は必要! (双葉新書)
一条 真也
双葉社


(不謹慎かもしれませんが、葬式というものに対して、何かしらお考えのある方にはご一読をおすすめします。Amazonは「一時在庫切れ」だそうなので、大きな本屋さんなどで探してみて下さいね。)  

  母の夫はこの4月から入院していましたが、先週、脳出血のため永眠しました。

  先週のうちに通夜と葬儀、今週には初七日も済ませました。

  私は帰省して手伝いをしました。もっとも、大して役には立ちませんでした。おおよそのことは葬儀業者が仕切ってくれましたし、こういったことに慣れている親戚たちが来てくれて、一切を手際よく差配してくれました。

  故人の顔はとてもきれいで、変な話、カッコよくさえありました。業者の人が整えてくれたのかと思いましたが、母によると、特に何もしなかったそうです。それで、苦しまずに行ったことが分かりました。

  田舎なだけに、通夜、葬儀、初七日から四十九日までの行事は実に煩瑣です。大まかな流れは一般と同じなものの、その地域独特のやり方というのがあって、これが一連の行事を面倒で複雑なものにしていました。

  ただ、葬儀というのは、亡くなった人のためというよりは、残された人々のためにあるのだ、ということを強く思いました。母は喪主を務めたので、悲しみに浸る時間などありませんでしたし、親戚たちは葬儀によって、互いに久しぶりに会って、協力し合い、また親しく話す機会を得ました。

  東京に戻る新幹線の中で、『葬式は必要!』(一条真也著、双葉叢書)という本を読みました。その本にこう書いてありました。


  「(遺族の)心が動揺していて矛盾を抱えているとき、この心に儀式のようなきちんとまとまった『かたち』を与えないと、人間の心はいつまでたっても不安や執着を抱えることになります。・・・動揺して不安を抱え込んでいる心にひとつの『かたち』を与えることが大事であり、ここに、葬式の最大の意味があります。・・・死者がこの世から離れていくことをくっきりとした『ドラマ』にして見せることによって、動揺している人間の心に安定を与えるのです。ドラマによって『かたち』が与えられると、心はその『かたち』に収まっていき、どんな悲しいことでも乗り越えていけます。」


  なるほど、と納得しました。葬儀がとかく表面的で中身がないものに見えがちなのは、葬儀の本質そのものが「かたち」であり、「ドラマ」であるからなのでしょう。でも、この中身がない「かたち」を、「死」という「目に見えないもの」にかぶせることで、残された者たちは故人の死を実感できるのだろうと思います。

  母は今のところ、故人に関するいろんな手続きに必要な証明書を揃えたり、書類を書いたりで忙しい毎日を送っています。これもある意味、必要な「かたち」なのでしょうね。
コメント ( 4 ) | Trackback ( 0 )


新国立劇場バレエ団『カルミナ・ブラーナ』(2)

オルフ:カルミナ・ブラーナ
オルフ,ヨッフム(オイゲン),ベルリン・ドイツ・オペラ管弦楽団
ユニバーサル ミュージック クラシック

(このヨッフム盤がやっぱりおすすめです。録音は1967年と古いですが、音質に問題はありません。また、このヨッフム盤は、なんと作曲者であるカール・オルフ監修の下に録音されました。テンポが全体的に速く、リズムは弾けるようで、第1曲と最終曲である「おお、運命の女神よ」は迫力満点です。)

  2005年の日本初演の衝撃が美化されているせいか、今日の『カルミナ・ブラーナ』には、初演時ほどのインパクトは受けませんでした。ただ、初演では気づかなかったことに多く気づいたし、また、同じ役でも、以前に観たダンサーと今日のダンサーとではそれぞれ表現が異なるのが面白かったです。これは、5年前の初演時よりも、ダンサーたちの作品に対する解釈が深まり、それが表現にも雄弁に出たということなのでしょう。

  フォルトゥナ(運命の女神)は小野絢子さんでした。最初に踊っている姿を見たときには、ちょっと迫力不足のように感じました。手足の動きにキレと鋭さが足りない感じでした。なめらかで優雅ではあったのですが。あのフォルトゥナの踊りは、もっとシャープに、鋭角的に動いたほうが迫力があります。

  また、神学生3(山本隆之)との踊りでは、ただきれいなだけではなくて、エロティックさやセクシーさがあればもっと良かったと思います。でも、最終曲での小野さんはなかなかに凄味がありました。フォルトゥナの正体に気づいて慌てふためく神学生をじろり、と睨みつける目つきと表情が実に残酷でゾッとしました。

  この『カルミナ・ブラーナ』では男性陣が余すところなく踊りまくります。3人の神学生ばかりでなく、群舞に至るまでそうです。しかもダイナミックで速さのある動きがとても多いので見ごたえがあります。笑えるヤンキー衣装のダサダサ感を払拭するぐらいカッコいいです。

  神学生1の福岡雄大さん、神学生2の古川和則さんはともに凄かったです。福岡さんの目にも留まらぬ超速連続回転ジャンプには圧倒されました。思わず息を呑みました。激しい動きで最初から最後まで踊りっぱなしの神学生2、古川さんは本当にお疲れさまでした。最後のあたりなんか、疲労困憊しているのがありありと分かりましたが、それでもパワフルに跳び、鋭く回転し、足元がグラついたりしないでことごとく見事に決まります。

  ローストスワンにむしゃぶりつく古川さんの演技も、目つきも仕草もすっかりエロオヤジ化していて大いに笑ったし、そのぶん堕落した神学生の醜い姿に皮肉さも感じました。

  神学生3の山本隆之さんはフォルトゥナの小野さんと絡んで官能的なデュエットを踊りました。道を踏み外すかどうかの間で揺れ動く心が醸し出す、一種の危うい雰囲気をちゃんと出せていたのも見事でした。あと、パンツ一丁になった山本さんの美しい肢体は、まさに眼福でございました。

  ただ、山本さんと小野さんのデュエットには、やっぱりもっとエロティックさがほしかったところです。下品に陥らないエロティックさです。日本人には、そういうのはやはり今いち苦手なのかもしれませんが。

  恋する女は伊東真央さんでした。初演の時には気づきませんでしたが、この恋する女っていう役はけっこう重要な役ですね。伊東さんの演技を見て思いました。伊東さんの溌剌とした動きの踊りは魅力的でした。また、無邪気に、悪気なしに、考えなしに他の若者たちにあっさりと心を移していく少女の演技も良かったです。

  ローストスワンを踊った川村真樹さんは実にセクシーでした。容姿、踊り、演技が最もハマっていたのは川村さんじゃないでしょうか。迷惑そうな、面倒くさそうな顔をしながらも、自分にむしゃぶりつこうとする男たちを、大きな羽根扇を振りながら余裕たっぷりに焦らす仕草がコミカルでした。

  男たちVS女たちの乱闘シーンは、もっと元気さとお笑いが入っていてもよかったかも。特に山本さんと小野さんがガチでケンカするところは、もうちょっと羽目を外してほしかったです。二人ともお行儀が良すぎて、面白さがあまり伝わってきませんでした。たとえば、小野さんが山本さんの股間に膝でケリを入れて、山本さんが悶絶するところなんかは、もっと大仰にやったほうがより笑えたと思います。殴り合いのシーンもそうで、概しておとなしめな印象を受けました。

  最後にフォルトゥナが正体を現して、再びあのクールな動きで踊り始め、その後ろに大量のフォルトゥナたちが同じ振りで踊り、舞台の奥では大きな車輪が光りながらぐるぐると回っているラスト・シーンには、やはり気持ちが大いに昂ぶりました。あれは何度観てもカッコいいわ。

  帰宅してからは『カルミナ・ブラーナ』をかけっぱなしです。このままじゃ興奮して眠れなさそうだから、いいかげん止めるとしよう。

  そうそう、今回の上演日程をよりによって5月1日~5日という、年末年始の次に客の入りがよくないと分かりきったゴールデン・ウィーク期間中に組んだことについては、アンケートにはっきり苦情を書きました。

  いったいどんな事情で、観客にとってこんな不都合極まりない公演日程になったのかは知りませんが、新国立劇場バレエ団マネジメント部の常識を疑ってしまいます。ゴールデン・ウィークには、関東の人口が帰省や旅行のために一気に減ること、交通機関のチケットが取りにくいため、地方在住の方々も気軽に上京するわけにはいかないこと、この程度の常識は持ち合わせてほしいものです。
コメント ( 4 ) | Trackback ( 0 )


新国立劇場バレエ団『カルミナ・ブラーナ』(1)

  今日の公演を観てきました。いや~、やはりカール・オルフの原曲の力は凄い!昂奮しました。

  『カルミナ・ブラーナ』の前には、同じくデヴィッド・ビントリー振付の「ガラントゥリーズ」が上演されました。30分くらいの小品です。

  「ガラントゥリーズ」は『カルミナ・ブラーナ』とはまったく異なり、衣装もクラシカルなら、振付もフォーメーションも完全にクラシカルでした。女性は薄いグレーと淡いピンクとがグラデーションになった、ヒラヒラした長いスカートのドレス、男性は出てきた瞬間には「あれ、上半身裸だ」と思いましたが、よく見たら薄手の肌色の長袖Tシャツを着ていました。下は黒いタイツで、へその下あたりに浅いV字型の切れ込みがあるちょっとおしゃれなデザインでした。

  2005年に『カルミナ・ブラーナ』を新国立劇場バレエ団が日本初演したときも、『ライモンダ』第一幕の夢のシーンが同時上演されました。『カルミナ・ブラーナ』を上演する際には、ピュアなクラシック作品を前に持ってくるのが定番になっているようですね。踊りの質が違う作品の二本立てというのは、観ているほうにとってバランス的にいいです。

  また、新国立劇場バレエ団の次期芸術監督となるビントリーが、『カルミナ・ブラーナ』にみられるような、奇抜な演出や振付のみに偏った振付家ではないことを観客に知ってもらうためにも、「ガラントゥリーズ」を上演したのはよい選択だったと思います。

  「ガラントゥリーズ」は、最初は全員による踊り、次に女性1人と男性2人によるパ・ド・トロワ、男女のパ・ド・ドゥ、男性1人と女性3人によるパ・ド・カトルが続き、最後にまた全員で踊るという、この手の作品にはよくある構成です。

  パ・ド・トロワやパ・ド・ドゥ、パ・ド・カトルの各ヴァリエーションには、ビントリーらしいトリッキーな振付がいくぶん見られたものの、この「ガラントゥリーズ」は基本的にピュアなクラシック・バレエの作品でした。また、ストーリーは特になく、セットも大きな白い幕が舞台奥に2枚のみ、衣装は上述のようにシンプルで、つまりは演技、セット、衣装、演出などでごまかしがきかない作品だということです。ダンサーは踊りのみで勝負しなければなりません。

  ダンサーたちはきれいに踊っていましたが、もっと流麗に踊れればもっと魅力的だろうに、と思いました。男性陣(マイレン・トレウバエフ、江本拓、福岡雄大、福田圭吾)は、トレウバエフのパ・ド・ドゥでの雰囲気作りやパートナリングはさすがでしたが、他の諸君はパートナリング(パ・ド・トロワの2人)やソロ(パ・ド・カトルの彼)がぎこちなく、いまいち頼りなかったです。

  女性陣は、パ・ド・ドゥを踊った方、パ・ド・カトルで一つめのヴァリエーションを踊った方、二つめのヴァリエーションを踊った方(←誰が誰だか分からない)がすばらしかったです。

  今日は『カルミナ・ブラーナ』を「観に」ではなく、「聴きに」来た観客のほうが多かったように思いました(カーテン・コールでの観客の反応から察するに)。中には普段バレエを観ない方々もいるでしょう。そういう方々に「クラシック・バレエはヒマくさい」という誤解を与えないためにも、「ガラントゥリーズ」がもっとすばらしい出来であったなら、と思います。

  
  
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


ゴールデン・ウィークいろいろ(2)

  話は変わって、確か5月1日の午後だったと思いますが、今年の1月末に行なわれたローザンヌ国際バレエ・コンクールの上位20名による決戦の模様が、NHK教育で放映されました。

  たとえばプロフェッショナルとして舞台で踊るバレエ・ダンサーの踊りに関しては、バレエを専門的に知らない人間であっても、そのダンサーの踊りのよしあしは大体の印象でぼんやりと分かるものです。でも、ローザンヌ・コンクールは、出場者の現在の完成度よりは、将来性の有無を見るコンクールです。そのダンサーに将来性、つまりこれから伸びていくかどうかを見て取るのは非常に難しいことです。バレエ・コンクールを普段から観ている人、バレエ・ダンサーの育成に実際に携わっている人でないと見極められないのではないでしょうか。

  ただ、今回は、クラシック・ヴァリエーションとコンテンポラリー・ヴァリエーションの両方で、あえて難しい踊りを選んだ出場者ばかりが入賞したという印象が残りました。

  クラシック・ヴァリエーション:

   『ラ・フィーユ・マル・ガルデ』 アクリ瑠嘉、マルチェリーノ・サンベ、クリストファー・エヴァンズ
   『眠りの森の美女』 フランシスコ・ムンガンバ・レイナ、アーロン・シャラット
   『コッペリア』(第1幕、スワニルダのヴァリエーション) アレクサンドラ・ヴァラヴァニス、ヨウ・エイキ 
   『ジゼル』 ルイス・ターナー、チン・チンイ 
   『海賊』 ギリェルメ・ドゥアルテ・デ・メネゼス、リョウ・タクテイ、木ノ内周 
   『ラ・バヤデール』(影の第1ヴァリエーション) ヨ・ギョウトウ
   『ラ・シルフィード』 ヴィトール・ドゥアルテ・デ・メネゼス、クリスティアン・エマヌエル・アムチャステギ 
   『ドン・キホーテ』 アーロン・スミス、ジョナサン・デ・アラウジョ・バティスタ 
   『ライモンダ』(第1幕、ライモンダのヴァリエーション) カイトリン・スタワラック 
   『眠りの森の美女』(第3幕、オーロラ姫のヴァリエーション) リョウ・ソウ
   『ラ・バヤデール』(影の第3ヴァリエーション) 佐々木万璃子
   
  コンテンポラリー・ヴァリエーション:

   「コメディア」(クリストファー・ウィールドン振付) アクリ瑠嘉、ヴィトール・ドゥアルテ・デ・メネゼス、リョウ・タクテイ、チン・チンイ、アーロン・シャラット
   「コンティヌウム」(ウィールドン振付) フランシスコ・ムンガンバ・レイナ、アーロン・スミス、木ノ内周 
   「ポリフォニア」(ウィールドン振付、ポワントで踊る) アレクサンドラ・ヴァラヴァニス、カイトリン・スタワラック 
   「リベラ・メ」(キャシー・マーストン振付) ルイス・ターナー、マルチェリーノ・サンベ、ジョナサン・デ・アラウジョ・バティスタ
   「キャプテン・アルヴィング」(マーストン振付) ギリェルメ・ドゥアルテ・デ・メネゼス、クリストファー・エヴァンズ
   「トレーセス」(マーストン振付、オフ・ポワントで踊る) ヨ・ギョウトウ、ヨウ・エイキ、リョウ・ソウ、佐々木万璃子
   「カリバン」(マーストン振付) クリスティアン・エマヌエル・アムチャステギ

  第1位のクリスティアン・エマヌエル・アムチャステギ(アルゼンチン)は、クラシック・ヴァリエーションでは、他の踊りとはかなり異質な『ラ・シルフィード』のジェームズのヴァリエーションを踊りました(他にも1人いた)。

  また、コンテンポラリー・ヴァリエーションでは、このアムチャステギは唯一キャシー・マーストンの「カリバン」を踊りました。この「カリバン」は振付が非常に抽象的で、また音楽の音取りもかなり難しく、そのうえ深い解釈と高い表現力が求められると思われる作品でした。

  第2位のカイトリン・スタワラック(オーストラリア)は、クラシック・ヴァリエーションでは、『ライモンダ』からライモンダのヴァリエーション(第1幕)を踊りました。ライモンダのヴァリエーションを踊ったのも、このスタワラックだけでした。

  第3位の佐々木万璃子さん(日本)も、クラシック・ヴァリエーションで『ラ・バヤデール』から影の第3ヴァリエーションを踊りました。影の第1ヴァリエーションを踊った出場者は他にいましたが、第3ヴァリエーションを踊ったのは佐々木さんだけです。

  終わってみれば、難しい作品を選んだ時点で、すでに結果は決まっていたような感じです。男子に関しては、踊りを観ていたとき、アムチャステギがジェームズのヴァリエーションを踊るのを観て、ああ、この子はいいな、と漠然と思い、コンテンポラリー・ヴァリエーションでアムチャステギが踊る「カリバン」を観て、彼が確実に入賞するだろうことはなんとなく分かりました。

  でも、女子はまったく分からなかったです。女子の決戦参加者は6人しかいなかったのだから、おおよその見当はつきそうなものですが。それはやっぱり、私にはダンサーの将来性を見て取る力はないからです。

  「バレエ鑑賞道」はまだまだ奥が深いですね。

  そうそう、今回は中国の決戦参加者が非常に多かったですが、クラシックであれコンテンポラリーであれ、彼らの踊りには共通する特徴があるように思いました。

  簡単に言うと、「踊りが硬くて生真面目すぎ」ということです。いくらまだ若くて未熟だからとはいえ、またいくらコンクールだからといっても、みな一様に、ただ振付どおりに機械的に(ただしぎこちなく)動いているだけな印象を受けました。もっと「(いい意味で)くだけて」踊りなさいよ~!とはがゆく感じましたよ。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


ゴールデン・ウィークいろいろ(1)

  実家に帰省してます。今年は春が遅く、実家の街中こそすでに桜は散り初めですが(それでも例年より10日ほど遅いペース)、ちょっと山あいに入ると桜はまだ咲いておらず、山もまだまだ冬がようやく終わったばかり、という感じの枯れたくすんだ茶色で、木々の間には残雪が大量に積もり、例年なら淡い桜色や鮮やかな萌黄色でにぎわっている様は見られません。

  4月29日は祝日にも関わらず通常どおり仕事がありまして、30日に慌ただしく帰省しました。忙しかった日々から解放されて緊張が解けたのか、30日の朝に起きたら全身が筋肉痛になっており、気持ちも不安定になっていました。なぜか知りませんが、思考がとにかく後ろ向きなのです。新幹線に乗っている間じゅう、小さなことをくよくよと気にして、悪いほうに悪いほうにと考えていました。

  帰省した翌日の5月1日の朝、起きたら今までに経験したことのないタイプのめまいに襲われました。頭が後ろにぐいーっ、と磁力かなんかで引き倒されるような感覚です。立っていられなくなって座り込んでしまいました。なんじゃこりゃ、と思いましたが、とりあえず二度寝してみました。お昼近くになって起きたら、まだ若干くらくらする感じはありました。でも朝ほどひどくはありませんでした。これは休めば治るな、と安心しました。また、前日にあったマイナス思考もかなりなくなっていました。

  今年度からは仕事の内容に大きな変化があり、新たに覚えなければならないこと、作業しなければならないことが増えました。変化といっても、私にとっては嬉しい、良い変化なのですが、やはり新しいことを始めるというのは大変ですし、またそれに慣れるまでには時間がかかります。そのぶん心身にかかるストレスも大きかったのでしょう。

  これを書いている今は、体も気持ちももう完全に大丈夫です。実家の猫は相変わらず無愛想(笑)だけどかわいいし、山菜はおいしいです。山菜も今年は春が遅いことの影響を受けて、まだあまり出ていないものもありますが、タケノコ、サシボ、ワラビ、タラの芽、コゴミ、ホンナなど、おひたし、お味噌汁の具、あえもの、天ぷら、どんなふうに調理しても絶品です。

  急いで帰省したのは、この3月に認知症が悪化した母の夫のその後が気になったせいもあります。母の夫は、4月の初めから入院しています。4月に入ってまもなく、母の夫は高熱を出して2日ものあいだ意識がなくなりました。もちろんその間は飲まず食わずです。母はパニックになり、ケア・マネージャーと、いつも訪問看護に来てくれる看護師にあわてて連絡を取りました。

  ケア・マネージャーと看護師は母の夫の様子を見にやって来ました。母の夫の状態を見た看護師は、すぐに病院と連絡を取って入院の段取りをつけました。そして救急車で母の夫を病院に運び、母の夫はそのまま内科病棟に入院となりました。

  高熱の原因は膀胱炎でした。尿道カテーテルが原因のようです。寝たきりの高齢者は体が弱っているせいで細菌やウイルスに対する抵抗力がなくなるため、感染症にかかりやすいのだそうです。

  母の夫が入院したので、母と兄は介護から解放されました。私は冷たい人間なのでしょうが、母の夫が入院したことを聞いて、私の中で真っ先に浮かんだのは、嬉しさと安心感でした。

  前の記事を書いた後、多くの方々から、ご自分たちのご家族の介護経験のお話をうかがいました。共通していたのは、政府が現在推進している「在宅介護」は、現実的には無理な絵空事だということです。医療現場、介護の現場にいる人々はみなそのことを知っているのですが、立場上そうとは言えず、介護している家族をあの手この手で励ますしかないのです。

  現に、母の夫を診察した精神科クリニックの医者は、母の夫が入院したと母から聞かされて、「それはよかったですね!」と言って喜んだそうです。

  母の夫は現在、意識が常に朦朧とした状態です。母は毎日病院に通っていますが、時によっては、母の夫は母が誰なのかさえ分からなくなっているそうです。自力で嚥下もできなくなっていて、今は栄養点滴のみに頼っています。でも栄養点滴だけでは到底足りないので、もうじき「胃ろう」(お腹と胃壁を切って、胃にチューブを差し込んで直接に栄養を送る)の手術をすることになっています。

  いくら高齢とはいえ、自力で歩き、自力で食事をしていた人間が、たった2ヶ月で寝たきりになり、飲み食いもできなくなり、家族の顔さえも分からなくなるのか、と私は今でも信じられないです。医者は「かなりなご高齢のお年寄りはそんなものですよ」と言うのですが・・・。

  母は「もういつ何があってもおかしくない」と覚悟を決めているようです。実家の部屋の中には、母の夫が使っていた介護用のベッドが置かれています。が、部屋に漂っていた介護独特の匂いは消えかけていて、妙な言い方ですが、「ベッドの主の気配」が感じられません。たとえ本人がそこにいなくても、本人の気配や存在感を強く感じることってあるでしょう?それがないのです。

  とりとめもなく書いてしまいましたが、この家の中から、母の夫の存在が確実に消えていっている、ということはいえるのです。これが「人がいなくなる」ということなのかな、と、諦めと罪悪感の混じった複雑な思いでいます。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


『カルミナ・ブラーナ』が始まりますなー♪

  本日より、新国立劇場バレエ団がデヴィッド・ビントリー振付の『カルミナ・ブラーナ』を再演します(於新国立劇場オペラ・パレス)。私は5日の公演に行きます♪

  ところで、Akiさんよりコメント欄に頂戴した、ロバート・ハインデル展とデヴィッド・ビントリーのトークショー開催について、こちらに転載させて頂きます。Akiさん、どうもありがとうございました!!!

<以下引用>

ロバート・ハインデル展
ロバート・ハインデルが描いたデビッド・ビントレーの世界
2010年5月4日(火)~9日(日)
11:00-19:00
代官山ヒルサイドフォーラム
〒150-0033 東京都渋谷区猿楽町18-8 ヒルサイドテラスF棟
入場料
一般500円
大・専門学校生300円
高校生以下 無料

展覧会に先立って「友情の果実、ハインデルと私、そして私のバレエ」と題したトークショーが開催されます。
参加希望の方はメールにて連絡が必要で2名までOKのようです。先着順です!
日時:5月3日(月)18:30~19:30
場所:代官山ヒルサイドフォーラム

ローレンス・オリヴィエ賞にノミネートされたことで中止となったBunkamura Galleryのビントレーのトークイベントが復活(?)です。

<引用終わり>

  詳細は、展覧会とトーク・ショーを主催する アート・オブセッションの公式サイト をご覧下さい。

  ビントリーの『カルミナ・ブラーナ』は、人によって好き嫌いの分かれる作品だと思います。でも、ビントリーの振付と演出は、カール・オルフの原曲(音楽と歌詞の両方)と見事に合致していることは断言できます。振付が音楽とバッチリ合っている作品が好きな方には一見の価値があると思いますよ。この機会にぜひどうぞ~♪  
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )