すごく良い公演でした。
上演された作品はすべてコンテンポラリーです。みーんなオフ・ポワント。でも、珍しくハズレがありませんでした。コンテンポラリー作品なるものは、私にはみな同じに見えるのですが、今日の公演では、それぞれの振付家独自の面白さがなんとなく分かるように思いました。
東京バレエ団、マッシモ・ムッル、シルヴィ・ギエムの踊りもすばらしかったです。
特に、マッツ・エックの「アジュー」のような、いわば最新のデジタル的バレエ(「バレエ」と呼んでいいのかどうか?)を、アナログ的バレエが依然として主流を占めている日本で、あえて上演したギエムの意図の深さには感じ入りました。彼女は日本の現在のバレエ・シーンを熟知していて、それになんとか働きかけたかったのだろうと思います。
一方、ウィリアム・フォーサイスの新作だという「リアレイ」が、どーも私には、以前と似たり寄ったりな演出と振付に見えてしまって、目新しさがないように感じられました。分かる人が観ればまた違うのかな?ギエムとムッルの踊りはよかったんですが。
また、暗い照明の作品ばかりだったので、節電と休憩時間のコーヒー(眠気防止)の売れ行きにも貢献したのではないかと思います。
今日は疲れたから(朝から仕事だった)、詳しくはまた後日~。
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第2部(続き)
「ボレロ」(音楽:モーリス・ラヴェル、振付:モーリス・ベジャール)
主演:シルヴィ・ギエム
群舞:東京バレエ団
指揮:アレクサンダー・イングラム
演奏:東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団
ギエムにしては珍しく、感情を激しく表に出した踊りだと感じた。以前の上演でもそうだったのか覚えていないけど、たとえば足を大きく踏み鳴らしたりしていた。群舞の東京バレエ団のダンサーたちも、同じようにリズムに合わせて大きく足音を立てていた。打ち合わせたのかしらん?
長い踊りのはずなのに、あっという間に終わってしまって、もっと観たいと思った。やっぱり、ギエムの踊る「ボレロ」はいいよねえ。
東京バレエ団の群舞もすばらしかった。最初に2人、それからまた2人が出てきて、ギエムと同じ動きで両腕を振り、ステップを踏みながら踊るところもいいし、あと私がいちばん好きなのは、前に出ている4人(8人だっけ?)が、前に出した片脚を曲げてかがみ、もう片脚は後ろに伸ばした姿勢で、身体を前後に大きく揺らすところ。
「ボレロ」は、最初に観たときは円卓上のソリストしか見てなかったけど、やはり群舞あってこその作品だとあらためて実感した。
そして、ギエムが一度は「封印」した「ボレロ」を、あえて今回の演目としたのは最良の選択だと思った。押しつけがましくなく、しかし大きな力を観ている側に与えてくれる作品だ。ギエムがインタビューで答えているとおり。
受け取る側の気分を高揚させ、その力をおのずと呼び起こすという点で、ベジャールの「ボレロ」は「第九」と共通していると思う。
震災直後に東京でチャイコフスキーの「悲愴」が演奏されたコンサートがあったと聞いた。終演後は拍手が起きず、会場全体が沈痛で陰鬱な雰囲気に包まれたそうである。今のこの時期もそうだけど、まして震災直後に「悲愴」なんて絶対にいけない。聴く側を徹底的に落ち込ませるだけである。マーラーの交響曲なんかもよくない。創作者の思想や感情が秩序立てて整理された表現としての作品ではなく、創作者の感情が無秩序にだだ漏れているような作品は、今は聴いたり観たりするのは避けたほうがよい。
私が最初、今回の公演を観にいくかどうか迷った理由は他にもあった。それは、ギエムが政治的に利用されるかもしれないのが嫌だったからである。というよりは、自分がそれに加担することになるかもしれないのが嫌だったからである。
来日公演をキャンセルしたアーティストたちを「裏切り者」とみなし、来日公演を行なったアーティストたちを「英雄」とみなす一部の風潮には、感情面では私も同調する。しかし時間を置いて考えると、結局のところ、来日をキャンセルしたアーティストたちの決断はもっともなことだ、という判断をいつも下さざるを得ないのだ。また、来日を「決行」したアーティストたちを過剰にもてはやすのにも違和感を覚える。
今回、ギエムが岩手と福島でも公演を行なうと聞いて、ギエム自身にそんな気はなくとも、周囲では彼女をプロパガンダに利用しようとする動きが絶対に出てくるはずだと思った。それが、最終的には私たち日本人によくない結果をもたらすかもしれない。
逆に、来日を拒んだアーティストたちの判断が、私たち日本人によい結果をもたらしているかもしれないのだ。彼らの選択が、日本、とりわけ東京が世界からどう思われているかについての現実を容赦なく突きつけていることは、感情鈍麻と否認という心理機制をフル活動させて、これからの日本を以前と同じ方向に進めていこうという動きに歯止めをかけられる可能性があるからである。
私はギエムが政治利用され、結果的に日本によくない影響をもたらすことになるかもしれないと思った。しかし先日、NBSのサイトに掲載されたギエムのインタビュー を読んだ。
ギエムはなんと、「私は、日本がもう安全で、何も問題がないと言いたいためにここにいるわけではありません。むしろその逆です。長い間にわたり、何度も日本に来ていますが、これまでは日本は本当に順調で、何も問題がなく、私もたくさんの物を見たり聞いたりしてきました。けれども、やはり今はそういう状況ではないと感じています」と明言したのである。
ここまで正直な考えをはっきり述べた外国人アーティストが他にいただろうか。私はギエムのこの言葉を読んで本当に舌を巻いた。ギエムの、日本のために何かしたいという思いの中には、私たちの多くが危惧しているか、あるいは意識的にも無意識的にも無視しようとしている厳しい現実に対して、あえて問題提起をすることも含まれていたのである(詳しくはインタビューを読んで下さい)。
これはフランス人であるギエム自身にとっては当然の意思表明と社会参加、いわゆる「アンガージュマン」であるのだろうが、私たち日本人にとっては究極の「支援」だ、と心から思う。
公演に話を戻すと、カーテン・コールは予想どおり、観客総立ちのスタンディング・オベーションとなった。正直なところ、あまりに予定調和的なスタオベに、私は少々居心地がわるかった。でも、インタビューを読んで、にこやかに喝采に応じていたギエムが、実は非常に冷静だったらしいことが分かった。観客がどのような精神状態で今回の公演に来たのか、彼女には分かっていたのだ。
この公演が終わった直後、私はどうも気分がモヤモヤしてしまって、観なかったことにしようかな、とさえ思った。しかし、ギエム本人がこれほど現実に根ざした、しっかりした考えと意志を持ち、冷静沈着な態度と姿勢で今回の公演に臨んでいることを知って、私は安心して今回の公演についての感想を書くことができた。
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第1部(続き)
「アルルの女」より(音楽:ジョルジュ・ビゼー、振付:ローラン・プティ)
マッシモ・ムッルのソロ。ファランドールが流れる中、主人公フレデリが発狂して投身自殺するラストのシーン。
ムッルは上半身裸で、茶色のズボンに紅のベルトという出で立ち。相変わらずのセクハラ目線で申し訳ないが、いや~、イイ体しとるわ 首から肩、腕、胸にかけてのライン、左右にすっと並んだ鎖骨、腕、胸、腹筋に付いた筋肉が実に美しい。細マッチョで色っぽい。
踊りも見ごたえがあった。明るい音楽の中で、主人公が混乱し、狂ったように激しい、早い動きで踊り、最後に身を投げる。明るい音楽と狂気に満ちた動きがマッチしているのもドラマチック。「スペードの女王」のラストシーンみたい。
最後のほうで、ムッルがすごい速さと勢いで回転しながら舞台を一周するところが、最も迫力があった。
「火の道」
花柳壽輔(舞踊)、藤舎名生(横笛)、林英哲(太鼓)の共演。
こんな機会でもなければ、こういった芸能に接することはないので、興味深い経験だった。分かる人が観ればいろんなことに気づくのだろうし、より楽しめるのだろうな、と羨ましく思ったり。
林英哲の叩く太鼓の音が凄まじくて、脳髄と心臓にずんずん響いてきた。聴いているうちに気分が高揚した。藤舎名生の横笛も、名手ならではの良さというものが私には分からなかったけれど、音と同時に激しい呼気をおりまぜた吹き方には、横笛ってこういうふうにも吹くんだ、と初めて知った。
また、太鼓と横笛の音はなぜか物珍しくはなく、懐かしさのようなものさえ感じたのは、自分でも意外だった。
途中で花柳壽輔が出てきて踊った。ウチの母親あたりなら、あの姿勢がすごい、この動きがすばらしい、と感嘆したことだろう。
花柳壽輔と藤舎名生は高齢で、林英哲は中年の頃らしい。なにがすごいって、じいちゃんとオジさんがこれほど長い時間、最後まで一糸乱れずに演奏し、踊りきったことだ。しかも激しい演奏と踊りとをである。静かだけど、実は凄まじい力が凝縮された芸術なのだなあ。
第2部
「ダンス組曲」より(音楽:ヨハン・セバスチャン・バッハ、振付:ジェローム・ロビンス)
マニュエル・ルグリのソロ。チェロ独奏は遠藤真理。音楽はバッハの無伴奏チェロ組曲から第5番サラバンド、第6番プレリュードの2曲。
ルグリの衣装は、色は忘れたが、上下同色の長袖Tシャツとズボンというシンプルなものだったような。
ルグリが始終ほんわかした笑顔を浮かべていたのが最も印象に残った。特にプレリュードでは、ステップがユーモラスで、スキップするようなもので、ルグリの笑顔と動きの全体から、なんともいえない優しい、暖かい雰囲気が伝わってきた。
バッハは音楽それ自体が持つ力が非常に強いような気がする。踊りよりも音楽のほうに、注意が圧倒的な吸引力で引っ張られてしまうのである。だからダンサーにとって、「音楽負け」しないように踊るのは大変なことだろう。
遠藤真理のチェロとルグリの踊りが合っていなかった部分もあった。これは、生演奏だったせいと、ルグリほどのダンサーをもってしても、この曲に合わせるのは相当難しいせいもあるのではないかと思った。
でも、上に書いたように、音楽と踊りから穏やかな優しさと暖かさが醸し出されて、ほのぼのした気分になれた。
「十五夜お月さん」
「五木の子守唄」
「しゃぼん玉」
「赤とんぼ」
「さくらさくら」
藤村実穂子(メゾ・ソプラノ)の独唱(アカペラ)。
藤村さんの歌を生で聴くのは、この4月に行なわれたズービン・メータ&NHK交響楽団のチャリティ公演「第九」以来2回目。たった半年の間に2回も聴く機会を得たのは何かのご縁…ではなく、藤村さんがチャリティ公演に積極的に参加しているためだろう。
まず、世界に名だたる超一流オペラ歌手の豊かで力強い声量に圧倒された。すごいわ。ありゃあ、東京文化会館大ホールの1階最後列まで余裕で届いたでしょう。それに、深くて質感のある歌声。
あと、藤村さんの「き」と「ち」の発音が非常に透きとおっていてきれいだった。
歌われた曲はおなじみのものばかり。個人的には、「平城山(ならやま)」、「椰子の実」、「浜辺の歌」、「青葉の笛」とかのほうが好きなので、ぜひ藤村さんの歌で聴いてみたく思った。
でも、今回歌われた5曲は他愛ない童謡にみえるけど、さっき歌詞を確認してみたら、ほとんどが物哀しい内容なのね。特に「五木の子守唄」と「しゃぼん玉」は哀しい。「五木の子守唄」(熊本県の民謡)は伝承されている歌詞に大きく異同があるようで、藤村さんが歌ったのがどれなのか分からないけれど、どのバージョンにせよ貧しさを嘆く歌らしい。
「しゃぼん玉」(作詞:野口雨情、作曲:中山晋平)に至っては、これは聴いたときからうるっときたくらい。
しゃぼん玉 飛んだ
屋根まで飛んだ
屋根まで飛んで
こわれて消えた
しゃぼん玉 消えた
飛ばずに消えた
生まれてすぐに
こわれて消えた
風 風 吹くな
しゃぼん玉 飛ばそ
哀しいね。こういうことばのほうが心の奥に深くしみ入ってくる。
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以下の記事には、いささか辛らつな内容が含まれています。感動に水をさされたくない方は、決して読まないで下さい。
今回の公演の収益が寄付されるという あしなが育英会 は、親を主に自死、事故死で失ったため、経済的な理由で就学困難に陥った子どもたちを援助、また彼らの心のケアを行なう組織だった。
それに加え、ここ数年、日本で大きな自然災害が続いている状況を踏まえ、被災児童の就学支援や精神面のサポートも行なっている。この東日本大震災による被災児童、また、今回の震災によって親を失った子どもたちへの支援にも取り組んでいる。
asahi.com 8月11日配信の記事 によると、
「東日本大震災で父母のいずれかが死亡または行方不明となった18歳未満の震災遺児は、被災3県で1295人に上ることが厚生労働省のまとめで分かった。内訳は岩手445人、宮城711人、福島139人。同省が各県に調査を求めており、今後も増える見込み。
1日開かれた参院復興特別委員会で、細川律夫厚労相が7月29日時点の数を公表した。細川氏は、一人親家庭に対し、遺族年金の活用や積極的な就職支援をする考えを示した。
また、同時点で両親とも死亡または行方不明の震災孤児(18歳未満)は229人。岩手91人、宮城117人、福島21人に上る。」
更に10月22日の時事通信の記事によれば、「東日本大震災で両親や一人親を失った18歳未満の震災孤児は、岩手と宮城、福島の3県で計240人」という。
震災で両親、一人親、両親のいずれかを失った子どもたちがどのくらいの数にのぼるのか、まだ実数は明らかになっておらず、これからも増えていくのだろう。
今回の「チャリティ・ガラ」は、観に行こうかどうかちょっと迷った。
というのは、私個人は、すでに悲しみの感情に打ちのめされ、ショックに呆然とする段階を過ぎており、今はこの現実の中で、いかにして自分や家族の安全を守りながら生きていくかに専ら意識が向いている。今さら、安全な場所から震災に思いを馳せて感傷にひたりたいという気持ちはなくなっていた。
しかし、生オケによるギエムの「ボレロ」の誘惑には抗しがたかった。どうしようか迷った末、やっぱりやめようと一旦は決めた。
でも、チケットの発売日が過ぎてから、未練たらしくチケット販売サイトをのぞいてみた。そうしたら、たまたま1枚だけ良席が残っていた(←座席選択だったので分かった)。それでつい、カチッとクリックして買ってしまった。
あしなが育英会に寄付できて、良いパフォーマンスも見せてもらえるのなら一挙両得だ、と思うことにした。
第1部
「現代のためのミサ」より“ジャーク”(音楽:ピエール・アンリ、振付:モーリス・ベジャール)
出演は東京バレエ団。
余談だが、プログラムに、この音楽は「ミュージック・コンクレート」だと書いてあって、音楽を聴きながら、ほ~、これが「ミュージック・コンクレート」なのか、と興味深かった。
松本清張の『砂の器』の原作では、和賀英良はミュージック・コンクレートの作曲家・演奏家である。一方、映画版やテレビドラマ版ではことごとく、和賀英良はクラシックの音楽家に設定が変更された。そのため、和賀の生い立ちからすると、彼がクラシックの音楽家になったのは不自然だとよく指摘されている。
松本清張の原作が、和賀をミュージック・コンクレートの音楽家としたのは、ただ単に新奇な犯罪の手口を設定するためだけではなく、その生まれ育ちにも関わらず、和賀が音楽家として成功できたのは、彼がミュージック・コンクレートという当時は最先端の音楽ジャンルで活動したからだということを説明するためだと思う。
なぜなら、聴衆は和賀の音楽を聴いても、実はまったく理解できていないのだが、理解できない作品はすばらしいはずだという思い込みと、すばらしい作品を理解できない劣等感を隠すために、逆に和賀の「音楽」を集団ヒステリー的に大絶賛する様子が描写されているからである。
たぶん、当時は実際に「ヌーボー・グループ」みたいな芸術家集団がいて、ワケの分からない、意味不明な作品や評論を発表していたんでしょうね。松本清張はそうした芸術家たちと、彼らをもてはやす人々を暗に皮肉ったのかもしれません。
そろそろいいかな?東京バレエ団のダンサーたちは、雑多に踊っているようにしか見えなかった。バレエ・ダンサーの踊りにも見えなかった。たくさんの普通の人たちが踊っているだけ、という印象しか受けなかった。
この手の作品は、踊れる人と踊れない人、振付を物にしている人と物にしていない人との差がはっきり出る。別のバレエ団の公演で、似たような作品を延々と1時間も見せられてうんざりしたことがある。このときもダンサーたちのほとんどが踊れていなかった。今回はすぐ終わっただけマシだった。素朴な疑問だけど、ちゃんと練習して準備したの?
東京バレエ団なら、他にもっと魅力的に踊れる演目があったはず。今回は作品の選択を誤ったと思う。または、少数精鋭のキャストで踊る作品を上演したほうがよかったのでは、とも思った。
「満ち足りた幽霊」「子どもの言うには…」(作:ニネット・ド・ヴァロワ)
アンソニー・ダウエルによる詩の朗読。
作品の選択を誤った以前に、人選を誤ったと思う。この人、なんのために来たのか?ダウエルの往復交通費や滞在費で、被災した子どもを2人くらいはサポートできたのではないだろうか。
なぜ英語詩の朗読なのか?しかもなぜニネット・ド・ヴァロワの詩を選んだのか?イエイツと交流があれば、ニネット・ド・ヴァロワも偉大な詩人ということになるのか?
ダウエルはニネット・ド・ヴァロワの詩に感動したからというよりは、ロイヤル・バレエの身内意識に由来するニネット・ド・ヴァロワへの崇拝によって、彼女の詩を選んだのだろうと思えてならない。
実際、冒頭の挨拶で、ダウエルは「ロイヤル・バレエ」という語を連呼していた。「ロイヤル・バレエは…」、「私はロイヤル・バレエ・ファミリーの一員として…」等々、いい年して「ロイヤル・バレエ」からまったく卒業できていない。引いた。
詩の内容はともに「私のお墓の前で泣かないで下さい」的なもので、私が震災で家族や友人を失っていたら、あまりの無神経さに激怒しただろう。地震や津波で亡くなった人々が、「満ち足り」ているというのだろうか?そして、「哀しみはありません」?「辛くなることもありません」だあ?
私はそうは思わない。亡くなった人々も、大切な人を失った人々も、無念で、悔しいに違いないのではないか。少なくとも私ならそうだ。
ダウエルが善意で今回のガラに参加し、彼なりの優しさでこういう詩を選んで朗読したことは分かっている。でも、悲惨な現実を、文学的な、感傷的な言葉で片づけるのは、今の段階ではあまりに早すぎると思う。
それに、ダウエルはもうまったく踊れないのだろうか。こうした突然のガラ公演で披露できるような、小品のレパートリーが一つもないのだろうか。すべてが疑問だらけだった。
「ルナ」(音楽:ヨハン・セバスチャン・バッハ、振付:モーリス・ベジャール)
シルヴィ・ギエムのソロ。
私にはこの作品の良さがあまり分からないけど、とにかくやっと「バレエ」が観られた、とホッとした。青い照明に白いレオタードのギエムが、静かでもの哀しい旋律のバッハの音楽の中で、やはり静かに踊っている。ギエムが身体で物語っていることだけは分かる。
根元から信じられない方向にねじれ、天に突き刺さるかのようにまっすぐにピンと伸ばされたギエムの脚。音声言語よりも、このほうがずっと雄弁なように感じられた。
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……について書こうとしたけど、
今、日テレでやってる『家政婦のミタ』がめちゃくちゃ面白くて爆笑中です。
松嶋菜々子は新境地だね(笑)。
公演については、明日の夜~(早ければの話)。
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それは先週の金曜日、夜8時くらいのことだった。電話がかかってきた。
電話に出ると、男性の声で「いつもお世話になっております~、わたくし、株式会社○○の△△と申します~。今回はがん保険のご案内で、お忙しいところを恐縮ですが、ご連絡させて頂きました~。」
この会社ってのが、さる有名大手通販会社である。私は以前にその会社の通販で洋服や家電を購入したことがあった。そのときの個人情報を利用して、この通販会社の保険勧誘(仲介)の部署が電話をかけてきたのだ。
実は、1ヶ月ほど前にも、同じ通販会社から、やはりがん保険の勧誘電話がかかってきたことがあった。このときは女性の声だった。結局は断ったのだが、今にして思えば、断り方がいけなかった。角を立てないようにと、「興味はありますが、もう少し考えたいので」と言ってしまったのだ。
先週の金曜日にかかってきた電話の男性は、前回に私が断った口実を知っていた。「ご興味はおありである、とうかがっておりますが」と言っていたから。これは前回、私が断った際に言った内容が記録として残っているということだ。なるほど、断った客の言い分までデータ化しているんだな、と半ば感心し、半ば不気味に思った。
最も不気味だったのは、彼が「お客様は19**年**月**日お生まれの満**歳でいらっしゃいますね?」と、私の正確な生年月日を言ったことだった。がん保険だから、年齢に言及することになるのは当たり前だが、まさか向こうからこちらの生年月日を言い出すとは。この通販会社では、客の個人情報を全社員が好き放題に閲覧・利用できるようだ。
これは保険勧誘の常套手段なのだろうと思うのだが、保険の勧誘をしてくる人々というのは、一方的に延々としゃべりまくって、こちらになかなか口を挟ませない。一つには、相手に電話を切るタイミングを与えないため、もう一つには、相手を根負けさせるためらしい。
私は彼の術中にまんまと陥った。彼の長話にうんざりして、私は「じゃあ、とりあえず資料を送って下さい」と言ってしまった。これもいけなかった。彼は「では、日曜日に資料がお手元に届くように手配させて頂きます。つきましてはご説明とご相談をさせて頂きたいのですが、月曜日は何時ごろがご都合がよろしいでしょうか?」と切り出してきた。こうして、私は向こうに二度目の電話をする正当な理由を与えてしまった。
それにしても、日曜日に資料を送ってきて、翌日の月曜日に相談?いくらなんでも急ぎすぎじゃないか?イヤ~な感じがいよいよ強まった。
そして日曜日、ホントに資料が送られてきた。資料の入った封筒を見て妙に思った。宛名と差出人名が手書きなのである。ふつうは宛名ラベルだったり印刷してあったりしてないか?保険の資料は薄いものだったが、小さくて細かい字でびっしりと書かれていて、一見して読む気を喪失する代物だった。で、ロクに読まないで放っておいた。
月曜日の夜、予告どおりまた電話がかかってきた。そしたら、今度は女性の声だった。たぶん、1ヶ月前に勧誘の電話をしてきたのと同じ人だろう。二人一組で仕事をしているらしい。声の感じからすると、金曜日に電話をしてきた男性は30~40代くらい、この女性は20代くらいみたいだから、上司と部下とか、先輩と後輩とか、そんな関係だろう。きっかけをがっちりつかむ難しい仕事は上司・先輩が請け負い、説明や相談といった事務的な仕事は部下・後輩が担当する、というふうに役割分担しているとみた。
ひょっとしたら、この上司もしくは先輩社員が、彼の部下や後輩が以前に勧誘して断られた客の情報を見直し、脈のありそうな客をリストアップして、一緒になって再度攻勢をかける、ということだったのかもしれない。
この通販会社の個人情報の管理や利用の仕方については、非常に不安に感じたし不愉快だったが、でも正直なところ、こんなご時世だから、きっかけはなんであれ、がん保険には入ってもいいかな、と思った(←こういう態度も向こうにつけこまれる隙だった)。だから電話をかけてきた女性社員にいろいろ聞いた。
ところが、彼らが勧めてきた某保険会社のがん保険というのは、掛け捨て、満期の還付金なし、そのくせ1ヶ月の保険料はバカ高い(10,000円弱)商品だった。それでも彼らは「この保険会社は広告を打っていないので、そのぶん保険料をお安くできているんです」と言う。でも私、以前にテレビでその保険会社のCMを見たことあるんだけどな。まあそれは言わなかったけど。
入る気が失せてきたので、ま、資料はもらいっぱなしで、送り返さないでほうっておけばいいんだしな、と思った。しかし、これは向こうにしてみれば想定内の客の浅知恵であって、向こうのほうがはるかに上手だった。「申込書には大事な個人情報が書かれておりますので、運送会社に直接ご自宅に集荷にうかがわせて頂く手配をいたします。火曜日では何時ごろがご都合がよろしいでしょうか?」
なにがなんでも申し込ませるつもりだ。しかも火曜日だって。金曜日に最初の電話、日曜日に資料送付、月曜日に説明、火曜日に申し込み。たった5日間で、車1台分以上に匹敵する買い物を、しかもひょっとしたらコスト・パフォーマンスがゼロの商品を購入させる気らしい。
それでも、まだ入ってもいいかな、という気持ちが残っていたし、がん保険についての知識もほとんどなかったから、がん保険はみんなこんなものなのかもしれない、とも思ったので、調べたり考えたりする時間を置くために、数日後を指定しておいた。
翌日から、インターネットで調べたり、家族、友人、同僚に尋ねてみた。まず、インターネットでがん保険の保険料や保障内容を調べたら、その通販会社が勧めてきた(というより最初から指定してきた)保険会社のがん保険よりはるかに安い保険料でも、ほとんど同じ保障が受けられる商品が実にたくさんあることが分かった。
ついでに、その通販会社の個人情報の管理と利用についての評判はかなり悪く、特に保険の勧誘に関して、私と同じような体験をした人の話が多く見つかった。大手で有名な会社だからって、プライバシー・ポリシーやコンプライアンスがしっかりしているとは限らないようだ。
また、保険勧誘の成功指南書的なサイトやブログもたくさんあった。保険勧誘を成功させる方法が書かれたそれらのブログには、どういうふうに客をつかむか、どういうふうに事を運んで契約に至らせるか、断ってくる客の傾向と対策などが詳しく書かれていた。それを読んだら、私が使った口実、態度、対応はことごとく、保険を勧誘する側からみれば、よくあるパターンに当てはまることが分かったのだ。
保険の営業を成功させる秘訣を綴っている、とあるブログでは、客に保険の契約を結ばせることを「カモる」と表現していた。もちろん、「鴨が葱を背負ってくる」に引っかけた言い方である。
電話による保険勧誘を撃退する方法はただ一つ、「いりません。二度と電話してこないで下さい」とはっきり断るしかないそうである。曖昧な、婉曲な、中途半端な言動や対応は、保険を勧誘する側にとっては格好のつけ入る隙になる。
家族や友人たちの反応も、「考える時間を与えない手合いが最も危ない」、「強引すぎる」、「まるで押し売り」と、すこぶる不評であった。
がんに罹った場合の治療費の平均額も調べてみた。そしたら、バカ高い保険料の掛け捨て保険に入らずとも、地道に貯金すればそれなりに間に合いそうな金額だった。
なによりも、保険の申込書は、直接に保険会社に送るのではなく、いったんその通販会社に送ることになっている。保険の申込書に記入しなければならない事項はこの上なく詳細で、職場の名前から健康状態の具体的内容に至るまで個人情報満載である。
がんのリスクよりも、悪評高いこの通販会社に個人情報を提供することのリスクのほうがよっぽど高いわ、と確信した。これは、向こうが私の生年月日を言ってきたときに、とうに感じていなければならないことだった。ようやく目が覚めた。
集荷に来られる前に、その通販会社に電話した。でも、保険勧誘を担当する部署にはかけなかった。当事者である部署に電話しても、またなんだかんだで言いくるめられるだけだから。
その通販会社の苦情受付センターに電話して、一連の経緯を話した。特に保険勧誘の電話をかけてきた社員自らが、電話越しに話しているに過ぎない目に見えない相手、つまり本当に客本人であるかどうかも分からない人間に、特定の客のフルネームと生年月日を漏らしたことを強調した。フルネームと生年月日の組み合わせは、個人を特定する最も強力な情報であり、それだけに管理には気をつけなければならないことは、一般人の間でも常識である。
苦情受付センターの人は平謝りだった。二度と勧誘の電話をかけてこないよう、保険勧誘の部署に伝えて下さい、と苦情受付センターの人に頼んだ。
それで話は終わったかと思ったら、運送会社の人が予定どおりに申込書の集荷に来た。送り状をいちおう見せてもらったら、宛名がすでに書き込まれていた。またもや手書きだった。これほど大手の通販会社なら、宛名が印刷済みの送り状を使うのが普通だよなあ?これはホントにヤバい、とダメ押し的に思った。
運送会社の人には、キャンセルしますと言って、そのまま帰ってもらった。なんとそれから30分もたたないうちに、さっそくその通販会社の保険勧誘部署から電話がかかってきやがった。今度は金曜日に電話してきた男性だった。おそらく運送会社の人に、集荷できたかどうかをすぐに連絡するよう、あらかじめ言っておいたのだろう。あまりなしつこさと粘着ぶりに本当に背筋が寒くなった。
遠慮や気使いはまったく無用、ともう分かったので、強い口調で「今回の件に関しては、もう○○(←その通販会社)さんの関連部署のほうにすべてお話ししてあります。いずれそちらから連絡が来ると思います。今後は二度と電話をかけてこないで下さい」と言った。
男性社員は「あ、あの、『そちら』とは、どちらのことでしょうか……」と消え入りそうな声で言った。明らかに狼狽している。他に知られたらまずいことをしているという自覚が、本人たちにあるらしい。
手書きの封筒やら送り状やらを見たときから思っていたのだが、今回の強引なやり方は、保険担当部署全体の正式な方針というよりは、この男性社員と女性社員の功名心にはやった個人プレー、独断専行だったのだろう。もちろん、周囲の社員たちも見て見ぬ振りをしているのだろうし、みなが多かれ少なかれ同じようなやり方をしているに違いないが。
私は何も説明しなかった。話を長引かせれば、また面倒なことになるだけである。私は「それでは失礼します」とだけ言って電話を切った。
それ以来、今のところ電話はない。まったく、無駄に消耗した1週間だった。
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