マリインスキー・バレエ『ラ・バヤデール』(11月26日)


  月曜日の夜6時45分開演、10時終演というスケジュールだというのに、会場の東京文化会館大ホールは人、人、人の大盛況でした。

  いろんな点で、今日の公演がいちばんハズレがなさそう、というより「当たり」になることはみなさん分かりきってたでしょうから、不思議なことではありません。

  私は土曜日(24日)の公演も観たのですが、今日の公演では演出に細かい変更や増補がなされていました。観客にストーリーが分かりやすいようにという目的のようです。

  そのせいか、今日の公演は踊りだけではなく、物語としてもきちんと成立していました。

  ニキヤ役のディアナ・ヴィシニョーワは予想どおり磐石。安心して見ていられるダンサーっていいねえ。

  ガムザッティ役のエカテリーナ・コンダウーロワも今日は完璧でした。コンダウーロワのクールな美しさは、むしろガムザッティのほうに合っているように思いました。

  第一幕の最後、ガムザッティとニキヤとの対決は緊張感にあふれていました。長身のブロンド美人であるコンダウーロワ、白い肌に黒髪、黒い弓なりの眉、大きな瞳と赤い唇がくっきりと映える、目鼻立ちのはっきりした美しいヴィシニョーワと、まず見た目で対照的でした。

  コンダウーロワのガムザッティは、冷たい美しい無表情で傲然とニキヤを見下し、ニキヤから目を離さずに詰め寄っていきます。しかし、ヴィシニョーワのニキヤもきっと顔を上げ、毅然とした表情と強い目つきでガムザッティを見つめ、一歩も引きません。なにせ美女同士だけに、なおさら迫力がありました。

  また、コンダウーロワのガムザッティは、悲しみと屈辱の中で踊るニキヤが自分とソロルの前に来たときに、わざとソロルに自分の手に接吻させて、ニキヤのほうをちらりと見やって勝ち誇った微笑を浮かべます。更に、毒蛇に咬まれたニキヤを見て、かすかにほほ笑んでさえいました。とてつもなく怖くて、そして魅力的でした。

  第二幕のパ・ド・ドゥでのコーダ、コンダウーロワのイタリアン・フェッテはダイナミックで迫力があり、グラン・フェッテも安定していて、最後もきっちりとポーズを決めました。ボリショイ・バレエのマリーヤ・アレクサンドロワが踊ったガムザッティとイメージがかぶりました。

  ソロル役のイーゴリ・コルプは相変わらず面白い兄ちゃんでした(笑)。今回も色々とやらかしてくれたというか、許される範囲内で独自に工夫してますね。

  噴き出しそうになったのは口ヒゲです。口ヒゲのあるソロルははじめて見ました。あと、ソロルなんだから、歯を見せてニカニカ笑うのはやめなさいってば。他のダンサーがこんなことやったらムカつくだろうけど、コルプだと許せるどころか、なごんでしまうのよねえ。

  そして、第二幕のヴァリエーションでは、コルプはなんと片手に弓を持ったまま踊りました。

  でも、弓が明らかに動きを妨げていて、手足があまり伸びていなかったし、脚も開いておらず、動きは小さく縮こまったようになり、バランスも全体的にとりにくかったみたいで、動きが型崩れを起こしていました。あまり効果的な工夫ではなかったと思います。その心意気はよいと思いますが。

  理解不能なのは、ガムザッティとのパ・ド・ドゥが終わった後に、白いシーツを体に巻きつけて出てきたことです。風呂上がりじゃないんだから。

  でも、第三幕の冒頭で、白い布を持って出てきて、ニキヤの幻影を追って去るシーンでも白い布を肩に背負ったままだったので、もしかしたら、後で踊られる影の王国での白いヴェールの踊りを暗示する演出だったのかもしれません。

  最もすばらしかったコルプならではの演技は、ニキヤが死ぬシーンでのソロルの態度です。瀕死のニキヤを前に、大僧正がみなに合図をします。すると、藩主、ガムザッティ、ソロルをはじめとする人々は、みなニキヤに一斉に背を向けます。大僧正は解毒剤をニキヤに手渡します。

  みながニキヤに背を向けている、つまりみながニキヤを見捨てた中で、ふと、コルプのソロルだけがいきなり振り返って、ヴィシニョーワのニキヤをじっと見つめます。ニキヤはソロルと見つめあい、やがて解毒剤を手からぽとり、と取り落とします。

  ソロルが自分を見捨てたことを覚ったがために、ニキヤは絶望して死を選ぶ、というのが大方の流れです。しかし、コルプのソロルはその逆で、むしろ最後の最後でニキヤに目を向けるのです。そしてヴィシニョーワのニキヤは、ソロルが自分をまだ愛していることを知り、自分もソロルへの愛を貫くために死を選んだということでしょう。

  これは非常に深い表現でした。この解釈と表現によってはじめて、第三幕の影の王国で、ソロルがニキヤとの再会を果たすことが納得できますし、影の王国での二人の再会が単なる踊りの見せ場ではなく、ドラマとしても深い意味を持ってくると思います。

  コルプとガムザッティ役のコンダウーロワとは身長がほとんど変わらず、…ひょっとしたらコンダウーロワよりやや低いかも。コンダウーロワがトゥで立つと、明らかにコンダウーロワのほうが背が高かったです。

  コルプは自分よりも大柄なコンダウーロワをしっかりとリフトしてましたが、コンダウーロワを頭上にリフトしたときは、さすがに両脚が少し震えていました。一方、コルプの「ろくろ回し」は相変わらず見事の一言で、ヴィシニョーワも、コンダウーロワも永遠に回り続けるんじゃないかと思うくらいでした。

  ですが、たぶん、コンダウーロワをリフトしまくったこと、弓を持ってヴァリエーションを踊るなんていう、やらなくてもいい工夫をしたせいで、コルプは第三幕でスタミナ切れを起こしてしまったようです。

  第三幕の冒頭でのソロはちゃんと踊れていましたが、影の王国でのニキヤとの踊りでは、めずらしくサポートにぎこちないところが見られました。

  ニキヤが上半身を回してから回転した後に、ソロルがその腰を支えてニキヤがアラベスクでポーズを決める部分です。コルプがあわててヴィシニョーワの腰を支えていた感じでした。コルプにしては、これは本当にめったにないことです。

  コーダでのソロは、もう踊るのが精一杯という感じでした。音楽の出だしを読み違えたのも影響したようです(これもコルプらしくないミス)。音楽より先に踊りだしてしまい、踊りと音楽がずれを起こしました。でもさすがはコルプで、ジャンプの種類と速度を変えて、音楽に合わせました。

  最後、回転ジャンプをしながらの舞台一周では、もう力尽きているのが分かりました。自業自得な部分もあるとはいえ、コルプは当初のキャスティングでは、コンダウーロワと踊る予定ではなかったのです。

  キャスト変更に際して、パートナリングの上手さ、臨機応変に対処できること、適応能力の高さを買われて、コルプは大柄なコンダウーロワの相手役に選ばれたんでしょうが、さすがにこれはオーバーワークだと思います。

  『白鳥の湖』でも、コルプはコンダウーロワと組むそうです。これも、キャスト変更で決まったことです。『白鳥の湖』のジークフリート王子はあまり踊らないし、相手もオデット/オディール役の一人だけだし、なにより『白鳥の湖』では、今回のように個人の判断での独自な工夫は許されないでしょうから、まあ大丈夫なんではないでしょうか。

  影のコール・ドは、今日はすばらしく美しかったです。整然としてよく揃っていました。マリインスキー・バレエのダンサーたちの長い手足は、こうなると威力が倍増しますな。

  まだ書きたいことはありますが、もう午前2時なんでやめます。(もちろん明日も仕事~)

  後日またあらためて書ければと思います(やっぱこれでもう充分かいな)。

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「インテンシオ」(11月25日)-2


 第1部(続き)

  「椿姫」より 第3幕のパ・ド・ドゥ(振付:ジョン・ノイマイヤー、音楽:フレデリック・ショパン)

   ジュリー・ケント、ロベルト・ボッレ(ミラノ・スカラ座バレエ団)

  「黒のパ・ド・ドゥ」と呼ばれるやつですね。私、今年だけでこの踊り観るの2回目だよ。本当にダンサーたちに人気があるねえ、この演目。

  照明の下に浮かび上がったボッレを見て、え、これ誰?と思ってしまいました。ボッレを最後に観たのは何年前だったっけ?とにかく、すごく面変わりしてました。顔が面長になって、大人の男の顔になったというのかな。以前のようないわゆる「美青年」とは違う感じです。 ピート・サンプラスそっくり。

  ケントのほっそりした肢体と細い小さい顔、白い肌に垂れる茶色の長い髪、悲しげな風情はマルグリットにぴったり。

  二人で踊りだしたときの、特にケントの動きはすばらしく、ボッレの動きやサポートも流れるようにスピーディで、これはすごい踊りになるのではないかと鳥肌が立ちました。

  しかし、なぜか途中で失速。以降、ケントもボッレも一生懸命で情熱的に踊っているのは分かったのですが、全体的にぎこちなくなってしまいました。

  この「黒のパ・ド・ドゥ」は、マルグリットとアルマンの感情が高まっていくにつれて、音楽も振付もより速く、息つく間もない複雑な展開になっていきます。たぶん、いったん踊り遅れてしまったり、二人のタイミングがちょっとでも合わなかったりすると、後から追いつくのが非常に難しいのでしょう。

  後半のほうでは、ケントとボッレはもはや踊っているというよりは、激しく動いているという感じになっていました。ドラマティックな場面とはいえ、この「黒のパ・ド・ドゥ」はあくまで「踊り」ですので、「踊り」を通じて「ドラマ」を見せてほしかったと思います。

  
  「海賊」より 第2幕のパ・ド・ドゥ(振付:マリウス・プティパ、音楽:リッカルド・ドリゴ)

   マリア・コチェトコワ(サンフランシスコ・バレエ団)、ダニール・シムキン

  まさに「すばらしい!」の一言。実力が拮抗するダンサー同士がペアを組んで踊ると、こんなに凄まじくなるという典型例。ナターリア・オシポワとイワン・ワシーリエフが踊る「パリの炎」みたいなものです。

  シムキンの長所の一つは、誰かと組んで踊るときには、相手の能力と自分の能力とのバランスをきちんと考慮すること、そして自分の役割から決してはみ出さないことですね。相手がいる場合、集団の中にいる場合、自分を前面に押し出さない。シムキンの超絶技巧よりも、シムキンのこういう思慮深さのほうが、私は好きです。

  ただ、そうなると、仮に相手がシムキンよりも能力の劣るダンサーだった場合、シムキンもまた相手に合わせて、自分の能力を抑えてしまうことになります。その実例が、去年のアメリカン・バレエ・シアター日本公演『ドン・キホーテ』でした。シムキンのバジルだから楽しみにしていたのですが、キトリ役のダンサーの能力に合わせてか、シムキンは終始一貫して抑え目でした。

  しかし今回は違いました。コチェトコワは極めて優れたダンサーでした。技術のレベルが凄まじく高く、また姿勢や動きも美しくて、シムキンも遠慮せずに済んだようです。

  更に幸いだったのは、コチェトコワは非常に小柄なので、シムキンが無理せずサポートし、またリフトできたことでした。アダージョでの頭上リフトもきちんと決まっていました。…あれ、頭上リフトの途中で、シムキンは両足だけど一瞬爪先立ちになったような?

  アリのヴァリエーションについては、もう書くまでもないですね(笑)。シムキンって、ただの技術屋じゃないです。姿勢も動きもとにかくきれい。アリが走り出てきてアティチュードでキープするところなんて、筆舌に尽くしがたい美しさ。

  シムキンがヴァリエーションで何をやったか細かくは覚えてませんが、超絶技巧を次々と繰り広げながらも、しかしやり過ぎるということがありませんでした。無理に高度な技をやって不完全な出来になることもなかったです。原振付の枠からはみ出ることもしませんでした。シムキンの踊りの美しい動線と、緩急をつけた動きが非常に流麗でした。

  それに負けてなかったのがコチェトコワです。彼女、おとなしそーな顔して、何気に凄技をやるのね。脚が強くて、充分にためをおいてキープ、バランス感覚も良いらしく、回転も磐石。爪先での動きも細かく、複雑なステップも軽々とこなします。あと、コチェトコワの良いところは、音感に非常に恵まれているらしいことです。音楽を最大限に効果的に使って踊っていました。

  コーダではもう笑うしかありませんでした。シムキン、空中で脚をぶん回し、身体を一回転させるあの技を連続でやったんじゃなかったっけ?それから、空中で身体が外側に向くジャンプで舞台一周。

  その後に出てきたコチェトコワのフェッテは、基本ダブルのターン、ついで回転しながら徐々に顔の向きをずらしていって、また正面を向くという技もやってました。もう大笑い(良い意味で)。

  次のシムキンの片脚連続高速回転では、なんか軸足を途中で半爪先立ちのままプリエにしてたように思います。最後のコチェトコワの両脚を交互に上げながらの回転移動は、やはり片脚を上げたときに一ひねり加えてました。確か片脚だけですばやく一回転してたように思います。それでもあの速い音楽に間に合ってしまう。

  終わったときには、会場は大興奮、大熱狂の渦、ほとんど集団ヒステリー状態でした(笑)。

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「インテンシオ」(11月25日)-1


  先週から今週にかけて、バレエ公演を連日のように観てます。本当はこういうのは嫌なんですが…。前の観劇経験をまだ消化できてないうちに、次の公演を観るのは疲れるし、なによりもわたくしの「心のアルバム」に残りにくい(早い話が記憶にあまり残らない)気がするんですね。

  でも複数のバレエ公演が重なってしまうことはあるわけだし、観たいものは観たいから仕方ない。だから行ってきました、ダニール・シムキン(アメリカン・バレエ・シアター)のガラ公演「インテンシオ」。会場はゆうぽうとホール。


 ダニール・シムキンのすべて 「インテンシオ」

 第1部

  オープニング

  紗幕が下りていまして、そこにシムキンが踊る姿をCG加工した映像が映し出されます。紗幕の向こうの舞台上では、出演するダンサーたちが準備しています。これはもちろん演出です。

  みなレッグ・ウォーマーや上着を着ており、男性ダンサーがパートナーの女性ダンサーの手を引っ張ってせかしたり、二人でいさかいを始めたりし、最後に女性ダンサーが白いチュチュと荷物を持って舞台から去ります。

  今回の公演では、CG映像を紗幕スクリーンに映写する演出が効果的に用いられていました。各々の踊りが始まる前に作品、作曲者、振付者、ダンサーの名前、ついでその踊りに合ったCG映像がスクリーンに映写されます。

  ガラ公演ですから、次の演目とダンサーが分かってすごく助かりました。

  また、CG技術でその作品に合った映像を作成して映写することによって、ガラ公演ではよくある、安っぽいカーテンやシャンデリアなどの装置を使う必要がありません。映像はいずれも各作品のイメージを抽象的に表現したもので、これが逆にとても効果的でした。


  「Qi (気)」(振付:アナベル・ロペス・オチョア、音楽:オーラヴル・アルナルズ)

   ダニール・シムキン

  シムキンのソロです。シムキンは白いシャツに肌色の短いパンツという衣装でした。振付はクラシックの典型的な技がメインで、時おりモダンだかコンテンポラリーだか知りませんが、とにかくクラシックっぽくない動きをします。

  映像とのコラボ作品で、シムキンは奥にあるスクリーンのすぐ前で踊ります。スクリーンに映るシムキンの影と、スクリーンに映る映像が連動していました。映像は、シムキンの影から煙のようなもの(つまり「気」なんでしょうね)が立ち昇るというものでした。

  このCG映像がすごく面白かったので、映像にばかり気を取られてしまいました。それで肝心のシムキンの踊りが霞んでしまった印象です。振付面でも大した特色はなく、また映像とのコラボ作品としても、映像のほうがダンサーの踊りよりも目立ってしまうのは本末転倒ですので、この「Qi (気)」は良い作品とはいえないと思います。


  「葉は色あせて」(振付:アントニー・チューダー、音楽:アントニン・ドヴォルザーク)

   ジュリー・ケント、コリー・スターンズ(アメリカン・バレエ・シアター)

  男女が二人で踊りだす部分から始まりました。テープ演奏とはいえ、ドヴォルザークの音楽が本当に美しい!それを踊りにしたようなチューダーの振付も、長い年月を経た今でも「色あせ」ないですね。この作品には特にあらすじはないと聞いたことがありますが、情感のあふれる美しい踊りです。

  ケントとスターンズの流れるような動きが見事でした。特に、スターンズのパートナリングは非常にすばらしかったです。また、二人の踊りは静かなうちにも清新で爽やかで、同時にそこはかとない切なさも伝わってきました。さすがの一言。


  「チャイコフスキー・パ・ド・ドゥ」(振付:ジョージ・バランシン、音楽:ピョートル・I・チャイコフスキー)

   イザベラ・ボイルストン(アメリカン・バレエ・シアター)、ホアキン・デ・ルース(ニューヨーク・シティ・バレエ)

  幸か不幸か、私は2007年のボリショイ&マリインスキー・バレエ合同ガラで観た、アリーナ・ソーモワ(マリインスキー・バレエ)の「チャイコフスキー・パ・ド・ドゥ」に非常に大きな衝撃を受け、ソーモワの踊りが脳内に刻み込まれてしまったため、以来、誰がこの作品を踊るのを観ても、すばらしいと感じるようになってしまいました(笑)。

  一見するとそうは見えませんが、この作品は実はすっごく難しいと思います。ボイルストンとデ・ルースは、アダージョはゆったりと丁寧に踊っていてすばらしかったです。一方、男女のヴァリエーションとコーダでは、二人とも苦戦していたようでした。

  特に女性のヴァリエーションとコーダは、音楽を捉えて踊るのがもともと非常に困難な振付です。ボイルストンの踊りは、可もなく不可もなかったと思いますが、でも少しいっぱいいっぱいな感じだったかなあ。

  バランシン作品上演の本場、ニューヨーク・シティ・バレエのデ・ルースが踊るというので、期待していました。ただ、アメリカのメジャーなバレエ団に所属するダンサーに多く見られる特徴ですが、デ・ルースも自分の実力以上に難しい技、とりわけ見た目に派手な大技をやりたがるという癖が身についてしまっているようです。

  時おり、ああ、無理しちゃってるな~、と思いました。コーダ、片脚での連続回転の途中でいきなりジャンプを入れたりね。それがきちんと決まっていればいいんですが、形が崩れてしまって、不完全な技になってしまうんです。たぶん、アメリカの観客はこういう派手な大技を好むので、ダンサーもそれに合わせざるを得ないんでしょう。


  「白鳥の湖」より グラン・アダージオ(振付:レフ・イワーノフ、音楽:ピョートル・I・チャイコフスキー)

   イリーナ・コレスニコワ(サンクトペテルブルク・バレエ・シアター)、ウラジーミル・シショフ(ウィーン国立バレエ団)

  コレスニコワの踊り方は非常に変わっています。個性的というか、癖が強いというか、アクが強いというか…。

  表現が不適当ですが、動きがねっとり、じっとりしていて、強い粘着性(あくまで動きがですよ)を感じさせる踊り方、という印象を受けました。ロシアのバレリーナで、しかもワガノワ・バレエ・アカデミーを卒業したにしては、こういう非常に癖のある踊り方をする人は珍しいんじゃないでしょうか。

  シショフは長身で、やはり長身のコレスニコワをきちんとサポートする役割に徹していました。急ごしらえ(?)のペアの割には、二人の踊りはよく合っていました。ただ、ジークフリート王子がオデットを頭上リフトしながら、舞台の左奥から右前に移動していく部分では、頭上リフトはしていませんでした。危険だから避けたのかもしれませんね。

  (その2に続く~。)

 
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マリインスキー・バレエ『ラ・バヤデール』(11月24日)


  ソロル役のエフゲニー・イワンチェンコがいちばん目立っていたというか、ヒロインのニキヤよりも輝いていたよーな…。

  ニキヤはエカテリーナ・コンダウーロワでした。はじめて観るダンサーだと思います。長身、細くて長い手足、上品な雰囲気の端正な美しい顔立ち、これぞマリインスキー・バレエのプリマという感じのダンサーです。

  でも、いくらマリインスキー・バレエのダンサーでも、もうちょっと感情を表情に出してもいいと思います。表情があまりなくて、というよりニキヤの感情がほとんど伝わってこなくて、なんか印象が薄いんですね。

  技術はまだ不安定なのか、同じ舞台なのに、時によって完璧だったり、時によって危なっかしかったり、でした。

  脚の筋力がまだ弱いのではないかと感じるときも多くありました。軸足がグラついたり、震えたりするのです。また、あの長い脚をまだ今ひとつコントロールしきれていない気がしました。(もちろんコンダウーロワの身体能力には何の問題もあるはずがありません。)これらは、特に長身のバレリーナにはよく見られることのように思います。

  技術が安定し、動き(特に脚)の粗さが取れてなめらかになり、脚を完璧にコントロールできるようになって、表現力をもっと身につければ、ウリヤーナ・ロパートキナとディアナ・ヴィシニョーワを合体させたような、無敵のプリマ・バレリーナになるんじゃないでしょうか。

  第二幕のニキヤのソロ、ニキヤが合わせた両手を頭上に上げてトゥで立ち、それから上半身を前に傾け、片脚をゆっくりと後ろに上げる動き、コンダウーロワはすごかったです。片脚をぐぐーっと後ろに、頭の更に上まで高く上げながら、ずーっとトゥで立っているんです。あんなダンサーははじめて見ました。びっくりしました。

  コンダウーロワは20代後半にさしかかったばかりの年齢らしいです。まだ未完成で、これからもっと発展する余地があるダンサーだと思います。

  ガムザッティはエレーナ・エフセーエワでした。エフセーエワを観たのは何年ぶりだろ。ずいぶんと大人っぽい雰囲気になっちゃって。

  レニングラード国立バレエ(そろそろ「ミハイロフスキー劇場バレエ」と呼んだほうがいいんかいな)で活躍してたダンサーです。ある年の日本公演で突然、踊りと演技が豹変して別人レベルですばらしくなったと驚いたら、やがてマリインスキー・バレエに移籍しちゃった。

  今日、久しぶりにエフセーエワを観て、やっぱり身長と体型最重視のマリインスキー・バレエではきついんじゃないかな、と正直なところ思いました。見た目だけでも、コンダウーロワとの差が大きすぎます。

  レニングラード国立バレエではドラマティックな演技が許されていたようですが、どうもマリインスキー・バレエではそうではないようです。エフセーエワのガムザッティの演技は、かなり抑制されたものになっていました。レニングラード国立バレエ時代のエフセーエワの演技は、もっとリアルで凄かったんだけど(ちなみにオクサーナ・シェスタコワのガムザッティは最高に怖い)。

  今のレニングラード国立バレエ、じゃない、ミハイロフスキー劇場バレエは、以前とほとんど別物なバレエ団に変わっちゃいましたから、エフセーエワがマリインスキー・バレエに移籍したのは幸いなことだったんでしょう。

  でも、レニングラード国立バレエ時代のエフセーエワの、あくまで私個人が好きだった彼女の良さが、こうしてマリインスキー・バレエ仕様に矯正(?)されてしまったのを見て、なんか複雑な気分でした。

  ガムザッティがニキヤに詰め寄り、追いつめられたニキヤにナイフで切りかかられて、ニキヤを殺すことを決意するシーンは、それなりに見ごたえがありましたけどね。

  エフセーエワが、ニキヤ役がそれぞれコンダウーロワとオクサーナ・スコーリクの公演に、ガムザッティとして出演することになったのは、バレエ団側もさすがによく分かってるんだな~、と思いました。

  もしウリヤーナ・ロパートキナとディアナ・ヴィシニョーワがニキヤをやる公演で、エフセーエワがガムザッティをやったら、ロパートキナとヴィシニョーワには到底たちうちできないでしょう。見た目ばかりでなく、演技、踊り、なによりも存在感で。

  先日に観た『白鳥の湖』で、ハンガリーの踊りを踊ってたカレン・イオアンニシアン(←どーしても「アントシアン」と言い間違える)が、ソロルの友人の戦士、トロラグワ(←どーしても「トロワグロ」と言い間違える)役でした。頭にジンギスカン鍋をかぶってましたけど、やはりイイ男でした。

  大僧正が藩主ドゥグマンタ(ガムザッティ父)に、ソロルとニキヤとの仲を告げ口するシーンの最中、なぜか当のソロルが後ろに現れて、ドゥグマンタと大僧正を見ながら横切っていきました。これははじめて見る演出です。これどういう意味?ソロルもニキヤが殺されることを知ったってこと?よく分かりません。

  第一幕のジャンペの踊り、衣装デザインに問題があるよーな…。この踊りの衣装のデザインはどのバレエ団も基本的に同じですが、なんか、ズボンの片方の膝部分に付けられたあの布に引っ張られて、ダンサーたちがみんな踊りにくそうでした。マリインスキー・バレエのダンサーたちなら、あの踊りではなおさら脚が長く見えるはずだし(←ハーレム・パンツ効果)、ジャンプも高くなるはずなんですが。

  数年ぶりに景気の良い太鼓の踊りとインドの踊りを観られてハッピー♪ 特に、インドの踊りを踊ったアナスタシア・ペトゥシコーワは、すっごいノリノリに踊っていて、観ているこちらもとても楽しい気持ちになりました。

  黄金の仏像はキム・キミンでした。韓国の出身のダンサーだそうです。片脚を真横に伸ばした姿勢での跳躍がすっごい高くて、しかも伸ばした脚の線がとてもきれいだったんで(美脚の持ち主の模様)、思わず「うおっ!」と唸っちゃいました。最後の連続高速回転も凄かったです。

  今日の舞台で最も視線が吸い寄せられたのが、ソロル役のエフゲニー・イワンチェンコです。イワンチェンコが意図的に目立ちたがってたんじゃなくて、結果的に、主役級のキャストの中で、プロフェッショナルなダンサーはイワンチェンコしかいなかった、もしくは、それほどコンダウーロワの存在感が薄かったということだと思います。

  立ち居振る舞いは優雅だし、泰然として落ち着いてるし(第二幕で虎のぬいぐるみにつまずいて転びかけたとき以外)、決めるところでは凄い技をやって決めるし、舞台の片隅にいてもちゃんと演技してるし、う~ん、まさしくプロだなあ、と感心しました。

  ニキヤが毒蛇に咬まれ、大僧正が解毒剤を差し出してニキヤに迫るシーンで、イワンチェンコのソロルが自分を見つめるニキヤから目をそらし、ニキヤを見捨てる表情がいちばんよかったです。あの気まずそうな、気弱そうな、優柔不断そうなヘタレ具合が最高でした。

  第三幕の影の群舞、よく見たら振付が難しいですね。新国立劇場バレエ団の牧阿佐美版よりは確かに難しいです。レニングラード国立バレエ版よりもたぶん難しいと思います。ボリショイ・バレエのグリゴローヴィチ版と比べるとどうなのかは分かりません。ナタリア・マカロワ版も観たことないから分かりません。

  坂を下り終わって舞台に並んだ直後の足の動き(トゥの両足立ちで7秒くらいずーっとキープ)、最後のシーン、片脚で後ろに跳んで下がっていく直前に、上げた片脚を後ろに伸ばす前に複雑に動かすなど、これは見たことがない気がします(でも単なるカン違いかも)。

  第一幕から第三幕を通じて、やはり群舞の踊りがあまり揃っていないし、またダンサー個々の踊りが以前よりも粗くなった気がします。これも気のせいかなあ?

  でもとても楽しみました。『ラ・バヤデール』はやはり好きだわ。

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受賞しました


  "Theatre People Awards 2012"の"Favourite New Musical/Revival Award"は、"Singin' in the Rain"が見事受賞しました(詳しくは ここ )。

  おめでとうございます~
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マリインスキー・バレエ『アンナ・カレーニナ』(11月22日)


  アレクセイ・ラトマンスキー版です。たぶん今回が日本初演。

  全二幕で、第一幕が40分、休憩時間25分を挟んで、第二幕が45分です。公演時間は合わせて2時間ほどです。

  短い時間で終わってよかった。あれを、たとえば全三幕3時間とかで見せられちゃたまらないからね。

  詳しい感想はまた後日~。
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ノミネート月間


  アダム・クーパーの公式サイトにいろいろと出てますが、"Singin' in the Rain"は案の定、いろんな賞にノミネートされ始めましたね。 

  まず、ウエスト・エンドで上演されているミュージカルのチケット販売会社、TheatrePeople.comの"Theatre People Awards 2012"の"Favourite New Musical/Revival Award"にノミネートされました。ファン投票(10月21日まで)で結果が決まるそうです。

  私、期間中に投票しようとしたのですが、投票するにはメール・アドレスを登録する必要があったんです。同一人物の多重投票を防ぐためでしょう。

  でも、メール・アドレスを登録すると、これからTheatrePeople.comから宣伝メールが送られて来るのは間違いないです。あといちばんイヤなのは、メール・アドレスが流出して(←これほんとに多い)、ミュージカルと関係ない迷惑メールもどんどん来る可能性が高いことなんです。

  というわけで、投票は結局やめました。結果は11月21日に分かるそうです。"Singin' in the Rain"が受賞したら、またアダム・クーパーの公式サイトが知らせてくれるでしょう。

  WhatsOnStage.com Awards 2013 は、ファン投票で各賞のノミネート作品や俳優たちを決めるようです。投票期限は今月末(11月30日)まで。

  ノミネートの投票が始まったのは今月初めでした。さっそく投票しようと思ったら、なぜかページが重くて重くて、すぐに表示できないし、次のページになかなか進まないしで、うまく投票できませんでした(私のパソコンが古いせいだろう)。

  最近再び試してみたら、今度は以前より少しは軽くなっており、無事に投票できました。私が投票したのは以下のとおり。


  ・Best Supporting Actor in a Musical:Daniel Crossley("Singin' in the Rain" コズモ役)
  ・Best Solo Performance:Adam Cooper("Singin' in the Rain" ドン・ロックウッド役)
  ・Best Takeover in a Role:Adam Cooper("Singin' in the Rain" ドン・ロックウッド役)
  ・Best Musical Revival:"Singin' in the Rain"
  ・Best Ensemble Performance:"Singin' in the Rain"
  ・Best Choreographer:"Singin' in the Rain"(Andrew Wright)
  ・Best Director:"Singin' in the Rain"(Jonathan Church)


  Best Actor in a Musical は、アダム・クーパーの他に優れた俳優はもっといるだろう、と思って投票しませんでした。

  "Singin' in the Rain"しか観ておらず、他の作品や俳優と比較できないのに"Best"に推すのもどうかなあ、とも思いましたが、"Singin' in the Rain"が極めて優れた出来の舞台であることは確かですし、思い切って投票しちゃいました。

  特に、"Best Solo Performance"は、アダム・クーパーでほぼ間違いないんじゃないかなあ…。ファンの欲目を抜きにしてもね。

  あとは、『イヴニング・スタンダード』紙"Evening Standard Theatre Awards"の"Ned Sherrin Award For Best Musical"にもノミネートされました。前に人名が付いてますが、早い話が「最優秀ミュージカル賞」です。

  受賞作品は舞台批評家たちの討議によって決められるそうですが、"Best Night Out award"については、一般観客による投票も行なわれています( こちら )。私はさっき投票しました。11月21日夜現在(イギリス時間21日午後)、投票はまだできます。こっちは作品名をクリックするだけでOKです。

  結果は11月26日に『イヴニング・スタンダード』公式サイト上で発表されるそうです。

  どんな賞でも、受賞できればアダム・クーパーのこれからのキャリアに有利ですから、どれか一つくらいは受賞できるといいですね。

  
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マリインスキー・バレエ『白鳥の湖』(11月20日)


  会場は府中の森芸術劇場どりーむホールです。最寄り駅は京王線東府中駅。京王線は複雑で乗換が難しい(どう乗り換えれば効率的なのかが分かりにくい)けど、本数が割とあるから助かりました。

  この日の公演のオデット/オディールは、もともとエカテリーナ・コンダウーロワだったのですが、キャストが変更されてウリヤーナ・ロパートキナになりました。ジークフリート王子はエフゲニー・イワンチェンコです。

  あらためて思ったのは、確かにロパートキナより身体能力や技術に優れ、個性の強いバレリーナはいるけれども、ロパートキナのように、正統すぎるほど正統な踊りによる真っ向勝負で、あんなにも強烈な表現力を発揮できるバレリーナは、まず他にはいないだろうということです。

  ロパートキナの、憂いを含んだ静かな表情のオデットの仕草や踊りからは、オデットの感情がはっきり伝わってきました。多くのバレリーナは、「オデットらしい」演技を表面的にするだけにとどまってしまうのです。オデットの感情を明確に伝えられるバレリーナは、ロパートキナぐらいでしょう。

  そして、あの一分の隙もない姿勢と動き。全身に白磁のような硬質な透明感が漂い、どの姿勢もどの動きも、ダイヤモンドのような深い光を静かに放っています。まさにマリインスキー・バレエきってのパーフェクショニスト。

  また、ロパートキナのオデットとオディールは、踊りの動きそのものだけで、すでにまったくの別人でした。表情と雰囲気の変化も凄い。『白鳥の湖』を観るときにはいつも、「あのダンサーのオデットはこういう雰囲気だった」とか「オディールは、あの瞬間の表情が良かった」とか褒めるのですが、ロパートキナはそういう次元を超えています。

  ロパートキナは、オデットのときはオデット、オディールのときはオディールです。演技も、踊りも。たぶん本当に別人が踊っていたんじゃないかと思います(笑)。

  しいていえば、殺気すら感じられる鋭いまなざしで前を睨みつけるオディールというのは初めて見ました。あれは凄まじく美しかった。今回は、ロパートキナのオディールのほうにすごく惹かれました。

  ロパートキナが真ん中で踊っていると、周囲のコール・ドまで引き締まって、よりいっそう美しく見えるから不思議です。また、ロパートキナが踊っているときには、いつも呼吸とまばたきするの忘れちゃって、息詰めて見入っちゃうんだよな(笑)。

  私はもうこれで、ロパートキナの全幕、特に『白鳥の湖』を観ることはないでしょう。期せずしてロパートキナのオデット/オディールを観られて、本当によかったと思います。

  エフゲニー・イワンチェンコも、相変わらず枠からはみ出さず、丁寧にジークフリート王子を演じ、(マリインスキー・バレエ基準では)さほどテクニカルではないとはいえ、決めるところではきっちりと決めていました。黒鳥のパ・ド・ドゥのコーダでの後ろ向き開脚ジャンプと、回転ジャンプでの舞台一周がすごかったです。 

  ロットバルト役のアンドレイ・エルマコフも、見た目は「夢は世界征服」的なわざとらしい悪魔ですが、ダイナミックな跳躍が大迫力でした。あの長身で、あんなに高く跳べるなんてすごいね(感嘆)。

  第一幕のパ・ド・トロワはマリーヤ・シリンキナ、ナデジダ・バトーエワ、ティムール・アスケロフが踊りました。アスケロフはガチガチに緊張してしまっていて、たぶん実力の6割程度しか今回は出せていなかったと思います。

  第二幕のスペイン、ナポリ、ハンガリー、マズルカの民族舞踊は、音楽の演奏がきちんとしていて、良いダンサーたちが見事に踊れば飽きないです。今回の民族舞踊もみな楽しかったです。

  ナポリの踊りを踊ったワシーリー・トカチェンコは、これからが楽しみなダンサーかも。

  同じくハンガリーの踊りを踊ったカレン・イオアンニシアン(←化学薬品みたいな名前だな)は超イケメン。女子のみなさまご注意を。

  ずっと昔から(キーロフ・バレエ時代から)マリインスキー・バレエをご覧になっていたみなさまにとっては、今のマリインスキー・バレエは劣化しているように思われるかもしれません。実際、数年前の公演よりも、コール・ドのレベルが落ちているんじゃないかと私も感じました。

  (ちなみに、コール・ドのトゥ・シューズの音が大きかったのは、舞台の床の材質と、あとこれはバレエをやっている方から以前お聞きしたのですが、ロシア製のトゥ・シューズのせいではないでしょうか。西欧製のトゥ・シューズより硬いんだそうです。)

  でも、身長、体型、容貌、身体能力、技術などの点で、やはりマリインスキー・バレエのダンサーたちは、男女ともに見栄えがするし優れているとあらためて感じました。彼らが舞台に登場しただけで、ほえ~、と見とれてしまうのです。

  ボリショイ・バレエなどは、優れた能力さえあれば、体型面ではまだ融通を利かせているほうだと思いますが、マリインスキー・バレエは、徹底して身長と体型には厳しいんだな、と思います。

  白鳥のコール・ドも美しかったです。ぴったりではないけど大陸的には(笑)揃ってるし、みんな手足が長くてきれいだから、うっとりと見とれてしまいます。

  会場の府中の森芸術劇場どりーむホールは、舞台の横幅が、たとえば東京文化会館大ホール、新国立劇場オペラパレス、ゆうぽうとホールなどより、はるかに広いように感じました。奥行きはそうでもないようですが。しかし、横幅は狭苦しくないので、ダンサーたちも伸び伸び踊れていたような印象を受けました。

  1階席に関しては、傾斜はわるくなく、更に前後の席の並びが微妙にずれているので視界がさえぎられることもなくて、バレエ公演には適しているホールだと思いました。前方の席はダンサーたちの爪先が見えませんが、まあこれはどこの劇場でも(たぶん)同じことでしょう。

  都心からやや離れていることだけが難点ですが、なかなか良い施設ではないでしょうか。舞台が広々としていると、観ている側の視界も開けて見やすい気がします。

  あと、オーケストラ・ピットは前方数列の席を取り払って設けるので、客席と舞台との距離が非常に近く、ダンサーたちを間近に感じることができます。

  今回上演されたのはもちろんコンスタンチン・セルゲーエフ版です。旧ソ連時代に作られたハッピー・エンドのヴァージョン。『白鳥の湖』は今や、ボリショイ・バレエのグリゴローヴィチ版を含めて、ややこしい解釈とストーリーが蔓延しています。私は今となっては素朴なセルゲーエフ版がいちばん好きです。

  王子がロットバルトを倒してオデットを救い、オデットが明るい笑顔を浮かべて王子と抱き合うラスト・シーンのおかげで、気持ちよく家路につけるよね(笑)。今のグリゴローヴィチ版は陰陰滅滅で救いがなく、余計にストレスがたまります。

  カーテン・コールはスタンディング・オベーションになりました。確かにそれだけの価値があるすばらしい舞台でした。やっぱりロパートキナはすごいですね。

  これから1週間、マリインスキー・バレエの公演とダニール・シムキンのガラがつまっているので、長~い感想はずっと後日に書けたら書きます(もう充分長いってか)。

 
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新国立劇場バレエ団『シルヴィア』-6


  第三幕(続き)

  今、テレ朝でやってる『レッドクリフ』特別編(前編・後編を編集して一挙放映)観てます。映画館の大スクリーンで観たほどの迫力はないけれど、でも面白いねえ♪

  キャストはやっぱりいちばん好みだわ~ 特に周瑜がトニー・レオンで、諸葛孔明が金城武というのは、本人たちの実年齢に近いキャストで、中国中央電子台制作の三国志実写ドラマの俳優たちみたいにおっさんくさくなく、若々しくてしかもイケメン

  演出にもお笑いが入っていて、これも歴史小説の実写化作品としては斬新で洗練されています。

  でも、俳優たちの声と日本語吹き替えの声が全然似てないのはなんとかならんか(笑)。

  
  さて、デヴィッド・ビントリー版『シルヴィア』第三幕の続き。

  シルヴィアとアミンタのグラン・パ・ド・ドゥが終わって大団円、かと思いきや、そこにシルヴィアを追ってオライオンが乱入。アミンタはオライオンと戦いますが、あっけなく倒されてしまいます。弱えぞアミンタ。

  しかし、激しく勇壮な音楽とともに、白馬に乗り、槍を持った兵隊たちに囲まれたダイアナが轟然と現れます。ダイアナは金色の鎧をまとい、金色の兜をかぶっていて、その表情は見えません。引き結んだ口元だけがかろうじて見え、表情が見えないだけに、いっそう冷酷な威厳に満ちています。クリムトの『パラス・アテナ』みたいなイメージです。

  この白馬の装置はかなり大型で、白い石像風のたくましい造りで豪華です。見た目に反してさほど重くないようで、舞台の上を流れるように旋回した末に、オライオンの前に立ちふさがります。白馬の上に屹立したダイアナは微塵も動かず、これぞ女神という感じで、すごくカッコよかったです。

  ダイアナは無表情のまま、兵隊たちとともにオライオンを追いつめます。オライオンは逃げ惑いますが、ついにダイアナの乗る白馬と兵隊たちとの中に、その姿が埋もれて消えます。兵隊たちが離れると、白馬の蹄にかけられて殺されたオライオンの死体が、無残にぶらりと垂れ下がっていました。

  今までユーモア路線でストーリーが進行してきただけに、これはちょっとゾッとするシーンでした。ユーモアの中にシリアスでショッキングなシーンをいきなり挿入する、これもビントリーの秀逸な演出です。

  ダイアナがオライオンを殺したというよりは、伯爵夫人が夫の伯爵を殺したと見れば、現実的な恐ろしさが感じられますね。

  夫(伯爵=オライオン)にないがしろにされてきた妻(伯爵夫人=ダイアナ)による、夫への容赦ない残酷な復讐です。夫にすげなくされても夫を愛し、夫の浮気現場を目にしても我慢してきた妻が、積もり積もった怒りを爆発させるとどうなるか。実際、そういう事件て、ときどき起きますもんね。

  事件化しなくとも、グーグルで「夫」と打ち込むと、サジェスト機能(下にだーっと複数キーワードの検索候補語が自動的に表示される機能)で、物騒な語ばかりが羅列されるというニュースを前に見ました。(さっき、実際に「夫」と打ってみたら、本当にそうでした。ひええ。)

  世の妻の、夫に対する潜在的な殺意を、ダイアナがオライオンを殺すこのシーンは暗示しているような気がします。

  ダイアナの怒りは、次にシルヴィアとアミンタに向けられます。これも、シルヴィアが純潔の誓いを破ったからというよりは、愛する者に裏切られて傷ついた女性の、愛し合う者たちに対する悲しい怒りなんでしょうね。

  白馬に乗ったダイアナはシルヴィアとアミンタを鋭く指さし、兵隊たちとともに二人に迫ります。シルヴィアとアミンタは観念して地面に身を伏せます。

  しかし、ダイアナの乗った白馬の前に、黒い雨傘をさし、白い帽子をかぶって、白いスーツを着たエロスがいつのまにかいました。エロスは白馬とともに旋回し、周囲を見渡すと、目が合ったダイアナに向かって帽子を取って軽く会釈します。その飄々とした様子に、客席から笑い声が漏れます。

  エロスはダイアナにシャンパンの入ったグラスをさし出します。ダイアナは馬から下りて黄金の兜を脱ぎます。そして、夢から覚めたような呆然とした表情で、つられたような手つきでシャンパン・グラスを受け取り、グラスをじっと見つめます。何かを思い出しかけているようです。

  女神ダイアナの厳しかった表情が、徐々に人の妻である伯爵夫人のそれに変わっていきます。このシーンで思い出すのは、湯川麻美子さんの表情の変化ですね。女神らしい容赦ない厳しさと冷酷さが緩んで、人間らしい柔和さに変わっていくのが、見ていてよく分かりました。

  エロスが合図すると同時に、場面はグイッチオーリ伯爵邸のホールに変わり、ダイアナの白馬も兵隊たちも奥に消え失せます。その場には、ダイアナの格好をしたグイッチオーリ伯爵夫人、ニンフであるシルヴィアの格好をした女性家庭教師、アミンタの格好をした召使だけがいます。

  我に返った伯爵夫人は、自分が古代ローマの女神のような格好をしているのに気づいて仰天します。そして女性家庭教師を見て、彼女にも、あなた、なんでそんな格好をしてるの?と驚きながら尋ねます。女性家庭教師も、自分が白い古代ローマ風チュニック・ドレスを着ているのを見てびっくりします。三人には何が何だかわけが分かりません。

  そこに、蝶ネクタイをほどいて首からぶら下げたグイッチオーリ伯爵が、奥からふらついた足どりで出てきます。伯爵は顔をややしかめながら、指先で右のこめかみを軽くたたくマイムをして、なんだかおかしな夢かまぼろしを見ていたようだ、と言います。

  グイッチオーリ伯爵は、妻である伯爵夫人を見ると、いきなりその前にひざまづきます。そしてうなだれて顔を両手で覆って泣き出し、今までひどい仕打ちをしてきた妻に許しを請います。伯爵夫人もまた泣き出しそうな表情になって、すぐさま夫に駆け寄って抱きしめます。

  白いスーツ姿の老庭師が伯爵夫妻の子どもたちを連れて現れます。伯爵夫妻と子どもたちは互いにしっかりと抱き合います。女性家庭教師と召使は、なぜかパ・ド・ドゥの最後の決めみたいなポーズをとります(笑)。

  彼らの様子を見届けた老庭師は、客席に向かって一礼すると、くるりと後ろを向いて去っていきます。その背中には、小さな白い翼が生えていました。人間たちが愛を取り戻したのと同時に、エロスもまた人間たちへの愛を取り戻したのでしょう。

  このデヴィッド・ビントリーの改訂版『シルヴィア』は、イギリスでも上演回数がまだ少ないようです。改訂版がバーミンガム・ロイヤル・バレエで初演されたのは2009年ということなので、まだ新しい作品といえます。イギリスでも観たことのある人々の数は限られているでしょう。

  しかし、その完成度はきわめて高く、これから上演回数が増えて、評価も高くなっていくのは必定だろうと思います。プログラムを見る限り、上演権をどこが、あるいは誰が持っているのか分からないのですが、たとえば欧米ではバーミンガム・ロイヤル・バレエでしか上演されないのだとすると、実にもったいない話だと思います。

  新国立劇場バレエ団がこのビントリー版『シルヴィア』を上演したのは、すばらしい決断であり、また本当に見事な舞台でした。ダンサーたちはよくやったと思います。本格的な撮影用の大型カメラが何台も入っていましたから、今回の舞台はテレビで放映されるか、あるいはDVDやブルーレイ・ディスクになる可能性が高いでしょう。

  映像化されれば、このビントリー版『シルヴィア』と、また新国立劇場バレエ団の双方の評価を高めることになるでしょうから、これも非常に良いことです。

  しつこいですが、ビントリー版『シルヴィア』は、ぜひとも新国立劇場バレエ団の定番レパートリーとして、『カルミナ・ブラーナ』とともに、これからも上演していってほしいです。今回は観劇を躊躇してしまったみなさまは、次はぜひご覧になってみて下さい。本当にすばらしい作品です。

  
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新国立劇場バレエ団『シルヴィア』-5


 第三幕(続き)

  ダイアナは気に入った女奴隷がなかなか見つかりません。ダイアナは女たちの顔を次々と持ち上げては眺め、気に入らないと女たちを無慈悲に突き飛ばして追いやります。選ばれなかった女たちは失望の色を浮かべます。

  ダイアナに突き飛ばされた厚木三杏さんの恨めしげな表情が、なぜか特に印象に残っています(笑)。バカバカしいシーンなのに、厚木さん、大真面目にきちんと演技してるんだもん。いや、大真面目にきちんと演技しないといけないんだけどね。

  ちなみに高慢な女神ダイアナとしての演技で印象に残ってるのは、どちらかというと本島美和さんでした。女王様的な雰囲気がよかったです。一方、第一幕の伯爵夫人、そして第三幕の最後でダイアナが伯爵夫人に戻る瞬間とその後の演技では、湯川麻美子さんのほうが人間味があったと思います。

  ダイアナは権高にほほ笑んでゆっくりと腕を伸ばし、最後に残った女(シルヴィア)を指さして、この女を買う、と海賊の首領に告げます。シルヴィアは海賊たちにすがりつき、自分を売らないでくれと頼みます。

  しかし、シルヴィアはダイアナの前に突き出されます。ダイアナはシルヴィアの顔をまともに見て、ようやくこの女奴隷が自分の以前のニンフだったと気づきます。すべてを覚ったダイアナは激怒します。シルヴィアはついに追いつめられます。

  そこに、目を布で覆ったアミンタが現れます。シルヴィアは、今度はためらうことなくアミンタに駆け寄って抱きつきます。シルヴィアを探し当てたアミンタもまた、彼女を優しく抱きしめます。それを見たダイアナは憤然として、神殿の奥に足早に去ります。

  シルヴィアとアミンタが踊ります。ここの踊りで、確か『マノン』の沼地のパ・ド・ドゥと同じダイビング&リフトがありました。ただし激しくはなく、互いがもたれ合うような、緩やかな振りの踊りでした。

  海賊の首領がいきなり帽子を脱いで黒いひげを取ります。なんと海賊の首領はエロスでした。エロスがアミンタの目を覆っていた白い布を取ると、アミンタは再び目が見えるようになります。アミンタとシルヴィアは初めて互いを見つめあいます。 

  再び海賊たちとエロスの踊りが始まります。エロスは義足姿のままで踊ります。最後は、エロスが左脚を軸にして長時間連続高速回転。『白鳥の湖』第一幕最後の道化みたいな連続回転です。でも、もちろん義足を付けた右脚は折り曲げたままです。海賊の首領が回転を続けている最中から観客は大興奮、会場は拍手の嵐に包まれました。

  次はシルヴィアとアミンタのグラン・パ・ド・ドゥです。アダージョ、アミンタのヴァリエーション、シルヴィアのヴァリエーション、コーダというベタなグラン・パ・ド・ドゥでした。これはアシュトン版とは構成が異なります。ビントリー版のほうが古典的です。

  シルヴィアは白いきれいなチュニック・ドレス、アミンタは白いシャツに淡いオフホワイトのタイツという出で立ちです。

  アダージョは、とにかくリフトが変わっているというか、危険そうなリフトが目立ちました。

  公演ポスターに使用された写真でのリフトは、グリゴローヴィチ版『スパルタクス』のスパルタクスとフリーギアのパ・ド・ドゥでの有名なリフトとよく似ています。しかも、シルヴィアを逆さまに頭上リフトしている状態で、アミンタは片脚をかなり高く上げてアラベスクをしています。

  逆立ち状態のシルヴィアを頭上リフトしたままのアラベスクは、アミンタを踊った福岡雄大さん(27日)も、ツァオ・チー(2日)も、さすがにちょっと脚を上げてすぐに下ろしていました。

  あと印象に残ったのは、緩やかに回転しながら軽くジャンプしたシルヴィアを、アミンタが空中(といっても低いところ)で受け止めるリフトです。これはすごく特徴的できれいでした。小野絢子さん、福岡さん(27日)も成功していましたが、やはり佐久間奈緒さん、ツァオ・チー(2日)のほうがスムーズに決まっていたと思います。

  シルヴィアのヴァリエーションは、新国立劇場の公式サイト、You Tubeに佐久間さんがリハーサルで踊っている映像がアップされていますので、そちらをご覧下さい。多種多様なステップ、動き、そしてバランス・キープが盛り込まれ、しかも複合技が基本になっています。

  複雑なだけでなく、音楽に合わせて、上げる脚の角度を上げていったり(しかも爪先立ちのままアラベスク・パンシェをしてキープする!!!)、爪先で床を蹴ってリズミカルに音を出したりと、劇的効果も高い構成です。

  最後は、両足を揃えて回転→左脚のみで2~3回転→そのまま右脚を根元から上げて円を描くように回す、という動きを超高速で連続で行ない、フィニッシュはオデットのようなアラベスク(しかも半端なく脚を高く上げる)をしてキープ、という凄まじいものです。

  小野絢子さんも佐久間さんもすばらしかったですが、佐久間さんのほうが生き生きしてた感じです。最後のアラベスクからも、弾けるような音楽と同じように、溌剌とした気がほとばしっていました。小野さんは、爪先を床に打ちつける動きと音がきっちり決まっていました。これは、佐久間さんは、今回やらなかったか、やっても弱くて音が出なかったのだと思います。

  アミンタのヴァリエーションは、やはり男性の踊りだけあって、大きなジャンプと回転がメインでした。

  ジャンプした瞬間に両足を細かく打ちつけて、片脚を再び高く上げたりとか、後ろ向きのジャンプから片脚だけで着地するとか、あと片脚での回転に一ひねりも二ひねりも加えられていたように思います。ほら、たとえば、軸足で大きく回りながら、上げているほうの片脚で違う動きをする的なやつです。

  で、最後はお約束の、大きな回転ジャンプで舞台一周でした。福岡雄大さんもツァオ・チーもダイナミックな踊りを見せました。ツァオ・チーはこの改訂版の初演者だから踊れて当然としても、福岡さんがあれだけ踊ってみせたのには本当に驚嘆しました。

  コーダは、シルヴィアとアミンタが畳みかけるように代わる代わる回転しーの、ジャンプしーの、最後はアミンタがシルヴィアを「しゃちほこリフト」(『ドン・キホーテ』や『眠れる森の美女』のグラン・パ・ド・ドゥでやるようなやつ)して決めてました。

  …あれ、これはアダージョの最後だったかな?コーダの最後じゃなかったかもしれない。ま、とにかく、この「しゃちほこリフト」も、かなり変わった形でした。しかも美しかったです。天を舞う女神(シルヴィア)が流れるように飛びながら、青年(アミンタ)にまとわりついている感じで、絵画によく用いられる意匠を思い出させました。詳しくはいずれ公開されるであろう映像をご覧下さい。

  グラン・パ・ド・ドゥが終わると、すっかり興奮状態になった観客が熱狂的な拍手と喝采を噴出させました。ビントリー版のこのグラン・パ・ド・ドゥは本当にすばらしい出来です。このグラン・パ・ド・ドゥだけ切り取って、ガラ公演で上演できるレベルだと思います。

  うーん、やっぱり、このグラン・パ・ド・ドゥの記憶では、佐久間奈緒さんとツァオ・チーの姿のほうが思い浮かぶなあ。やはり一日の長がありますね。

  終わりたかったけれど、その6に続きます~。次こそ終わり。

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新国立劇場バレエ団『シルヴィア』-4


 第三幕

  ダイアナの神殿の前。アミンタがシルヴィアを探してやって来ますが、門衛たち(←なぜか男だった。男嫌いのダイアナの神殿なのに?)に追い払われてしまいます。

  そして、ニンフたちが続々と姿を現し、早くもこの第三幕の見せ場の一つである、ダイアナ、女神、ニンフたちの群舞が繰り広げられます。

  ここの音楽も第一幕の冒頭と同じく勇壮な感じなので、音楽にふさわしいきびきびした、直線的な動きの振りを中心にした迫力満点の踊りとなっています。やはり速くて複雑なステップが目立ちました。

  群舞を間に挟みながら、ダイアナ、女神たちのソロと続き、最後は全員での群舞です。

  女神のソロは、ネプチューン、マーズ、アポロ、ジュピターの順番で踊られます。軍神マーズの踊りが技術的には最も大変だったと思います。マーズは長田佳世さん(27日)、竹田仁美さん(2日)が踊りました。片脚で3回転くらいしてからそのままフェッテ、という動きを連続で行ないます。これは凄い迫力でした。長田さんも竹田さんもまったくミスなし。

  ネプチューンは細田千晶さん(27日)、加藤朋子さん(2日)、アポロはさいとう美帆さん(27日)、井倉真未さん(2日)、ジュピターは寺田亜沙子さん(27日)、大和雅美さん(2日)でした。マーズの踊り以外は、みなゆったりした感じの踊りに見えるのですが、ステップの流れが若干ぎこちない方もいたので、やっぱり難しい振付であることが分かりました。

  ダイアナのソロも、鋭いグラン・ジュテ、手足を真っ直ぐに伸ばしたアラベスクなど、すごくカッコよかったです。ダイアナ役の湯川麻美子さん(27日)も本島美和さん(2日)も美しくてクールでした。白いチュニックと金色の鎧がまた似合う似合う。

  群舞の配置や動きも見ごたえがありました。ただ、ニンフたちが順番に正座していく振り(?)にはちょっと笑ってしまいましたが。デヴィッド・ビントリーはフレデリック・アシュトンの影響を受けてるな~、と感じるのは、特にこの群舞の振りですね。手足の動きが直線的、細かいステップ、そして、踊りがとにかく速い。『シンデレラ』の星の群舞、仙女と四季の精の踊りを彷彿とさせます。

  ダイアナ、女神たち、ニンフたちが並んで踊るラストは壮観でした。第一幕の群舞と同じく、女性のみの群舞とは思えない大迫力で、まさに圧巻です。

  やがて、海賊船が到着します。ダイアナ、女神たちとニンフたちは去ります。海賊船の舳先が舞台の右側からぬっと出てきます。船の陰から、海賊4人(27日:貝川鐵夫、奥村康祐、輪島拓也、小口邦明、2日:小笠原一真、清水裕三郎、田中俊太朗、アンダーシュ・ハンマル)が現れます。

  ここからはビントリー独特のユーモアです。海賊たちは、ターバンに膝丈のハーレム・パンツというトルコっぽい服装をしています。まもなく海賊の首領も現れます。首領に至っては、ナポレオン・ハットに18世紀風のロココ調軍服を着ているのです。

  面白いのが、海賊の首領は右足が木の義足です。ダンサーは膝を曲げて縛りつけ、膝の下に木の棒を固定しています。これもちろん、『宝島』のジョン・シルバーのパロディです。なんでローマ神話にトルコの海賊やジョン・シルバーが現れるんだよ!!!(笑)

  海賊たちは踊り始めます。ビントリーのアイディアは本当にすごい。木の義足をつけた首領にも踊らせます。首領役のダンサーは左足だけで踊っているも同然です。

  しかし驚いたことに、木の義足をつけた右脚だけで踊る振りもてんこもりでした。左脚だけで踊る以上に大変でしょう。バランスを保つのがかなり難しいはずです。

  ダイアナが神殿から出てきます。海賊の首領はダイアナに耳打ちして、何か話を持ちかけます。古代ローマの女神と海賊のジョン・シルバーが交渉しているというおかしな構図です。やがて海賊船の陰から、ベールで顔を隠した女たちが現れます。 

  彼女たちは海賊に囚われた女奴隷たち(27日:厚木三杏、西川貴子、丸尾孝子、千歳美香子、2日:堀岡美香、小村美沙、中田実里、成田遥)です。海賊の首領はダイアナに、この女たちの中から新しいニンフを買わないか、と持ちかけているようです。ダイアナはこの話に乗ります。

  古代ローマの女神が海賊から女奴隷を買ってニンフにする、これほどバカバカしいストーリーがありましょうか(笑)。こうなるともう完全にお笑いコントです。でも、『シルヴィア』がバレエ作品にしにくいのは、「ナンセンスで滑稽なほど時代遅れなストーリー展開」のせいだと、ビントリー自身が公演プログラムの中ではっきり言っています。

  ならいっそ、その滑稽さを逆手にとって、より滑稽にしてやればいいわけです。アシュトン版は、原脚本を忠実に再現しようとしたから成功しなかったのでしょう。

  復元されたアシュトン版は、振付のすばらしさ(いささか仰々しい踊りを除けば)で見ごたえのある作品となっていますが、やはりストーリーが貧弱で演出にも問題があるのは否めないと思います。特にオライオンのキャラクター設定が単純に過ぎるのと、ダイアナの出演シーンが第三幕の最後だけで、しかも踊りらしい踊りがない点です。

  奴隷の女たちの踊りが始まります。この踊りの振付はちょっとつまんなかったかな。でもなんか、シーンは『海賊』で、踊りは『ラ・バヤデール』第一幕のパロディのような気がしないでもないです。

  ダイアナはすっかり乗り気で(←おいおい)女たちを選びにかかります。ダイアナ役の湯川さんと本島さんの、「どれどれ~?どの女がいいかしら~?」的な、Sっぽい表情が笑えました。アナタ、畏れ多くもローマの女神様でしょーが!

  ダイアナが女たちのベールを外していきます。女たちの中には、なんとシルヴィアがいました。シルヴィアの白い衣装はもう汚れてボロボロです。シルヴィアはダイアナにベールをめくられた瞬間に顔をそむけます。ダイアナはシルヴィアだとは気づかず、次の女のベールをめくっていきます。

  再び奴隷の女たちが踊り始めます。シルヴィアはその真ん中で、隠れるようにしています。ダイアナのニンフだった自分が、海賊に囚われて奴隷になって売られているとバレたら、異常な潔癖症(笑)のダイアナに殺されることは間違いないからです。

  てか、「女は純潔第一」主義のはずのダイアナが、女奴隷を買って自分のニンフにすること自体すっげえ矛盾してますが、これもギャグということで。

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悔しいね


 ATP ツアー・ファイナル 決勝 ロジャー・フェデラー 対 ノヴァク・ジョコヴィッチ(セルビア)

   6(6)-7、5-7

  凄い試合でした。スコア上はフェデラーのストレート負けですが、2セットに2時間半かかりました。実質的にはフルセットを戦ったようなものです。

  両者のプレーのレベルはまったくの互角でした。プレーだけを比べれば、どちらが勝ってもおかしくなかったです。でも、ジョコヴィッチ選手のメンタルのほうが強かった。フェデラーの敗因は、ジョコヴィッチ選手の強靭な精神と集中力を崩せなかったことです。

  ジョコヴィッチ選手のプレーもすばらしかったです。特に、フェデラーの最強の武器といわれるフォアハンドをまったく恐れず、縦横無尽にどんどん打ち込みます。他の選手のように、ひたすらフェデラーの弱点だというバックハンドばかりを狙いません。

  しかし、観ていて楽しかったのは、やはりフェデラーのプレーのほうでした。あの角度自在のボレー、柔らかいドロップ・ショット、バックハンドのダウン・ザ・ラインは、もはや芸術の域に達しておりました。

  スロー再生されていたのも、もっぱらフェデラーの「アメイジング」で「インクレディブル」で「アンビリーバブル」(←実況中継の表現)な多彩な技と、フェデラーのフットワーク、ジャンプしてサーブを打ったときの足元、ライジング・ショットを打つ姿ばかりでした。

  しかし、大激闘の接戦だっただけに、フェデラーはよほど悔しかったようです。表彰式ではほほ笑んでいました(ただ写真を見るとやはり表情が冴えない)。でも、スピーチでは泣きそうになったのを辛うじてこらえたのが分かりました。

  スピーチをしようとしたフェデラーの口元と声音が少し震えました。でもすぐに立て直して、穏やかな微笑を浮かべ、落ち着いた口調でジョコヴィッチ選手を祝福し、主審、線審たち、大会関係者たち、観客、ファン、自分のコーチとスタッフ、家族に感謝の言葉を述べていました。そして、来年もこの場に戻ってきたいと言いました。

  テニス選手として、すでにすべてを手に入れ、前人未踏の記録を数々と打ち立てている、テニス史上に残る偉大な存在であるにも関わらず、フェデラーは今でも、どうしても勝ちたかった試合に負けると、泣きそうになるほど悔しいんだ!なんという純粋さ、一生懸命さだろう。私は呆然としました。

  これでまたフェデラーの衰え云々の議論が起こるのだろうけど、あの試合内容を見れば、31歳のフェデラーのプレーが、25歳のジョコヴィッチ選手と比べてなんら遜色ないことは一目瞭然です。今回の試合でのフェデラーのプレーは、前回のアンディ・マレー選手との試合でのフェデラーのプレーとは別次元の凄まじさでした。

  フェデラーの動向を追うと、自然と他の選手たちの動向も同時に知ることになりますよね。ノヴァク・ジョコヴィッチ選手は本当に強いです。技術も、パワーも、メンタルも。確実に今は最強の選手でしょう。

  でも、どうも私は、ジョコヴィッチ選手にはどこか釈然としません。なにか引っかかるのです。これは、アンディ・マレー選手、ラファエル・ナダル選手、ダヴィド・フェレール選手、トマーシュ・ベルディハ選手、ファン・マルティン・デル・ポトロ選手、ジョー・ウィルフリード・ツォンガ選手など、他のトップ選手には感じないものです。

  ジョコヴィッチ選手の大会スケジュールの組み方、各大会での成績、インタビューでの態度や発言、大会やイベントでのパフォーマンス、その他の立ち回りを見ていると、ジョコヴィッチ選手は非常に頭の良い、賢い人だという印象を受けます。それは、功利的で計算高いという意味での頭の良さと賢さです。

  それが端的に出たのが、ジョコヴィッチ選手のスイス・インドアの欠場とパリ・マスターズでの戦いぶりです。あそこまで露骨なことができるのは、他人の見方なんぞまったく気にしない、徹底的に心の強い人なのだとは思います。また、彼は人々に自分のことを好人物だと思わせるよう、意識的に、かつ効果的にアピールするのが上手だとも感じます。

  しかし、ジョコヴィッチ選手は頭がとても良いだけに、自分のそうした点に気づいている人々がいることも充分に承知していて、それでもほとんどまったく気にしないけれども(これも強い)、ごく少数の限られた人々に対しては好感を持っていないか、コンプレックスの入り混じった複雑な感情を抱いているのでしょう。

  たぶんその中で彼が最も苛立つ存在が、……なのでしょうね。

  しかも、その人物を想起させるあてこすりを言ったり、茶化したパフォーマンスをしたりしても、当の相手が何も反応しないばかりか、逆に自分を称賛するので、ジョコヴィッチ選手は余計に癇に障っていることでしょう。

  とにかく、ジョコヴィッチ選手、優勝おめでとうございます。

  フェデラーは、今年はたくさんの大会に出場した上に、すばらしい成績と記録を残すことができて本当に良かったですね。2ヶ月間も休みがありませんが(テニス選手はほんと大変)、とりあえず楽しいクリスマスと新年を過ごして下さい。

  それにしても、テニス観戦ってやっぱり面白いねえ!緊張して、ハラハラして、ドキドキして、がっかりして、腹が立って、楽しくて、嬉しくて、感動して、生き生きした感情を味わえる。フェデラー、私にその楽しみを再び与えてくれて、本当にありがとう!

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勝っちゃったよ


 ATPツアー・ファイナル 準決勝 ロジャー・フェデラー 対 アンディ・マレー(イギリス)

   7-6(5)、6-2

  まさかこんな結果になるとは…。フェデラー、アンディ・マレーにストレートで、たった1時間半で勝ってしまった…。

  正直なところ、今まさに絶好調のマレーには勝てないだろうと思ってました。

  ただ、今回の対戦は、ウィンブルドン選手権の決勝以来、フェデラーとマレーとの双方がまともな条件下にあっての試合なので、結果はどうなるか分からないとも思いました。

  「まともな条件下」とはつまり、フェデラーは直近の2回の対戦、ロンドン・オリンピックの決勝と上海マスターズの準決勝で、マレーに連敗してました。ただ、この2回の対戦では、ともにフェデラーの側に問題がありました。

  ロンドン・オリンピックの決勝では、フェデラーは準決勝で4時間半も戦ったせいで完全にスタミナ切れを起こしており、まともに戦える状態ではありませんでした。それでマレーにボロ負けしました。

  上海マスターズの準決勝では、あの「フェデラー暗殺予告」騒動のせいで、フェデラーは異常な状況の下に置かれ、精神的にかなり消耗していたと思います。

  今回はようやくそうした問題がない中での試合ですから、どういう内容になるかな、と興味がありました。

  第1セットの序盤は明らかにマレーが優勢でした。途中からフェデラーも調子を上げてきて、両者譲らずにタイブレークに突入、フェデラーが更に調子を上げて第1セットを取りました。

  第2セットに入ると、フェデラーがまた更に調子を上げて、もはや鉄のようになりました。逆にマレーのほうにミスが目立ち始め、あっさりと崩れてしまいました。

  一体どうしてしまったのか、マレーに聞いてみたいです。だって、今のマレーは本当に強いんですよ。ロンドン・オリンピックで優勝して以来、見違えるように、めきめきと強くなった。フェデラーも、たぶん次代のナンバーワンはマレーだと踏んでいると思います。

  でも気づいたんだけど、今回のツアー・ファイナルはロンドンで開催されています。しかし、スイス人であるフェデラーへの声援が圧倒的に多く、というか会場全体がフェデラーを応援していたといってもいいほどで、地元のイギリス人であるマレーへの声援は極めて少なかったばかりか、大ブーイングすら受けてました。

  マレーがブーイングを受けたのは、第1セット、タイブレークでフェデラーがセット・ポイントを握った時点で、マレーがラケットを替えたときです。わるいことをしたわけでは全然ない。

  なのに、なぜあんな大ブーイングを受けるの?観客はほとんど外国人なのでしょうか?それとも、マレーがスコットランド人だということが、それほどイングランド人の反感を買っているのでしょうか?スコットランド出身で活躍しているイギリス人なんて山ほどいるのに。

  ともかく、フェデラーは明日の決勝も大変な試合になります。対戦相手はノヴァク・ジョコヴィッチですから。

  フェデラー、なんとか勝ってくれるといいな。

  
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新国立劇場バレエ団『シルヴィア』-3


 第二幕

  オライオンの棲む洞窟。オライオンにさらわれたシルヴィアは、気を失って倒れています。

  純潔を表す白い衣装を着ていたシルヴィアは、黒い衣装をまとわされています。オライオンは倒れているシルヴィアを眺め、シルヴィアが着ていた白い衣装を手に取り、嘲るような表情でそれを投げ捨てます。

  オライオンは、確かに野蛮で粗野ではあるけれども、実は孤独で寂しい人物なのではないかと感じました。オライオン役だった古川和則さん、厚地康雄さんのお二人に、そんな雰囲気が漂っていました。皮肉な表情でもなぜか影があるのです。

  これは、アシュトン版『シルヴィア』のオライオンのキャラクターと比べてみればよく分かると思います。ビントリー版のオライオンは、好色だからというよりは、自分の孤独を埋めるために、シルヴィアを傍に置きたかったという感じがします。

  ああ、思い出した。オライオンの洞窟は真っ暗ですが、あたり一面に無数のろうそくが置かれて輝いていました。あの情景、『オペラ座の怪人』のファントムの棲み処にそっくりで、だからファントムとオライオンのイメージが重なったのかもしれない。

  更に、ビントリー版のオライオンのほうが、ワイルドでカッコいいですね。古川さん、厚地さんのむき出しの腕、肩、胸、脚の筋肉がたくましくて、実にセクシーでした。

  オライオンのキャラクターにも、古川さんと厚地さんはぴったりです。悪役がよく似合って、様になってます(笑)。しかも、こんなふうに、どことなく影のある悪役が似合いますね。古川さんは『マノン』でレスコーを名演したし、厚地さんも残忍な看守を演じました。

  オライオンは気を失ったシルヴィアを抱き起こし、パ・ド・ドゥを踊ります。シルヴィアは目を覚まさないままという設定なのですが、オライオンはシルヴィアをいとおしそうに抱きかかえ、意外にも、ゆったりとした美しい動きとポーズで踊っていました。リフトもきれいでした。

  そして、このパ・ド・ドゥも、切なくて、なんだかもの哀しい雰囲気でした。意識のない愛する相手とともに踊ることが、オライオンの孤独をいっそう際立たせているような気がしました。考えてみれば、これほど虚しいことはないですね。シルヴィアが目を覚ませば、シルヴィアは自分を嫌っているのは分かりきってるのですから。

  オライオンは、シルヴィアを再び地面に放り出すと、無表情で岩の上に座ります。シルヴィアが目を覚まします。シルヴィアは自分が見知らぬ場所にいることに驚愕し、また黒い衣装をまとわされていることに気づいて呆然とし、悲しげな表情になります。オライオンは無表情のままシルヴィアに近づきます。

  案の定、シルヴィアはオライオンを激しく拒絶します。オライオンはさっきの優しさから今度は一転、シルヴィアを手荒く扱います。嫌がるシルヴィアを乱暴に引き寄せ、荒々しいリフトでシルヴィアを振り回します。

  オライオンがいきなり合図をします。すると、机の後ろからゴグとマゴグが並んでひょっこりと頭を出します。二人ともハゲ頭でかわいいです 観客がクスクスと笑いました。ゴグとマゴグは上半身が裸だったような気がします。短いハーレム・パンツみたいなズボンを穿いていたような?

  27日のゴグとマゴグは福田圭吾さんと八幡顕光さんの最強コンビ、2日は野崎哲也さんと江本拓さんでした。ゴグとマゴグは並んで踊り始めます。この踊りが非常にすばらしかった!

  二人で並んで高いカニ歩きジャンプ、てかパ・ド・シャで出てきました。ユーモラスな動きに観客から笑いが起きました。しかし、その後の振付がすごかった。まず、二人で手を組んだまま、相手の体を交互にまたいで裏になったり表になったり、二人でシンメトリーなポーズを作ります。

  もっとすごかったのがその後。今度は、互いが互いの体の上で側転をするのです。しかも互いが間をおかずに連続してやりながら、脚が徐々に開いていって、最後には完全な円形になります。

  このゴグとマゴグの踊りが終わると、客席からは拍手喝采の大嵐。さすがに福田さんと八幡さんのほうがスムーズで、側転の形もきれいですばらしかったです。

  オライオンの命令で、ゴグとマゴグは二つの籠と葡萄を取り出します。シルヴィアはそれを見て何かを思いつきます。ここからシルヴィアのソロになります。この振付も凄まじいんですよ。

  いきなりイタリアン・フェッテ(『ドン・キホーテ』の森の女王のヴァリエーションの最後や、『ラ・バヤデール』第二幕のパ・ド・ドゥでガムザッティが最後にやるやつ)から入るんです。普通は最後に持ってくるフェッテを最初にやらせる、ビントリー、鬼か、と思いました。

  ちなみに、ゴグとマゴグはその間、互いに向き合い、脚を曲げた状態でじっと倒立しています。シルヴィアは籠に葡萄を投げ入れ、ゴグとマゴグに踏みつけるように促します。ワインを造らせようというわけです。ゴグとマゴグは無邪気に籠の中に入った葡萄を踏み続けます。

  シルヴィアはいたずらっぽい微笑を浮かべ、ゴグとマゴグに味見してご覧なさい、と促します。ゴグとマゴグは籠の中に頭を突っ込み、ワインをごくごく飲みます。ここでも客席から笑いが起きました。それを見たオライオンは、ゴグとマゴグから籠をひったくり、自分も籠に口をつけてワインを飲み干します。

  オライオンの足どりがおぼつかなくなります。ワインに酔っ払ってしまったのです。シルヴィアは微笑して踊りながらオライオンの様子をうかがっています。

  そこから音楽が盛り上がります。速い音楽に乗って、シルヴィアは素早く回転しながら舞台を斜めに横切ります。シルヴィア役の小野絢子さんも佐久間奈緒さんも凄かったです。最後、豪快な音楽のところで、オライオンが音楽をそのまま踊りにしたような、ダイナミックな回転ジャンプを連続で行ないます。第二幕最高の見どころはここですね。

  古川さんも厚地さんも高く豪快に跳んでいて、野生的な迫力に満ちていました。ここでちょっと苦言。古川和則さんを「代役要員」扱いするのはもうやめてほしいんです。

  今回、古川さんは怪我で降板した山本隆之さんの代わりに、オライオン役を担当することになったそうです。前回の『マノン』でのレスコーも、古川さんは代役で急遽出演したのでした。しかし、古川さんのレスコーとオライオンを観て、古川さんは最初からキャスティングされるにふさわしいダンサーだと私は感じます。

  何度も何度も「代役要員」扱いされたダンサーは、自尊心と自信を失っていく危険があります。

  アダム・クーパーもそうでした。ロイヤル・バレエで代役ばかりに立てられた結果、自分には「代役要員」としての価値しかないと思い込み、すっかり自信を喪失して、バレエをやめようと思うまでに追いつめられたそうです。ダンサーに、そうしたひどい扱いをしてはなりません。

  オライオンはふらつきながらもシルヴィアを追いかけます。しかしついに酔いつぶれ、ばったりと倒れて寝てしまいます。シルヴィアはもともと自分が着ていた白い衣装を手に取り、オライオンの洞窟から逃げ出そうとします。

  しかし、洞窟の入り口はふさがれていて出られません。シルヴィアは座り込んで泣き出します。すると、洞窟の入り口をふさいでいた物が自然に動いてなくなり、明るい光が射しこみます。光の中から、目に白い布を巻いたアミンタがゆっくりと現れます。その後には白いスーツ姿のエロスが続いています。

  目を布で覆ったアミンタが光の中から現れるこのシーンは、絵画的な強い印象を与える、すばらしい演出でした。シルヴィアはアミンタに抱きつこうとしますが、しかし自分の黒い衣装を見てためらい、白い衣装を持ったまま逃げ出してしまいます。

  黒い衣装を着た自分(汚れた自分)は、好きな人(アミンタ)にふさわしくないとシルヴィアは思い込んでしまったのです。これも非常に比喩的です。好きな人だからこそ、自分で自分を貶めて、逆に離れてしまうのです。

  エロスは目の見えないアミンタに、彼女は去ってしまったと告げます。アミンタはそれでも、彼女を追って再び旅立ちます。

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難しい試合


 ATPツアー・ファイナル 予選 ロジャー・フェデラー 対 ファン・マルティン・デル・ポトロ(アルゼンチン)

   6-7(3)、6-4、3-6

  めったに観られない、珍しい試合です。一方は、負けても準決勝進出が決まっている選手(フェデラー)、もう一方は、準決勝に進むために死にもの狂いになっている選手(デル・ポトロ)。

  デル・ポトロは一生懸命に試合をすればいいんですが、難しい立場に置かれたのがフェデラーです。

  フェデラーにとって、今回の試合は勝っても負けても骨折り損にしかならないものだからです。

  準決勝に備えて体力を温存するために無理せず負けてもいいけど、これまでの2試合をストレートで勝った選手が、いきなりストレートで負けたりしたら、当然「無気力試合」を疑われます。

  観客やファンが疑う以前に、この試合は特に、大会の審判委員長がフェデラーのプレーを厳しくチェックしていたはずです。審判委員長が「無気力試合」と判定すれば、フェデラーには何らかの罰則が下される可能性があります(最悪の場合は失格)。

  だから、負けるなら接戦で、しかし次の試合への余力を残して負けるしかありません。これは、先週のパリ・マスターズに参加した、ツアー・ファイナルに出場が決定していた選手たち(ダヴィド・フェレール以外)が使った手です。

  簡単に勝てればいいんですが、なにせツアー・ファイナルです。しかも、最近いつも接戦になっているデル・ポトロが相手で、更にデル・ポトロは準決勝に進むために必死ですから、厳しい試合になるのは分かりきったことでした。

  フェデラーがロンドン・オリンピックの準決勝のときのように大激闘を演じて、全力を出し切ってデル・ポトロに勝ったところで、翌日の準決勝の試合の相手はノヴァク・ジョコヴィッチかアンディ・マレーです。疲れきった状態のフェデラーが勝つことはほぼ不可能でしょう。

  だから、負けたといえど、これでいいのではないかと思います。あと、フェデラーは接戦の「演技」をして負けたのではありません。いつものように、重要なチャンスを見極めては勝ちを取りにいこうとしていましたし、ミスをすると例の「ア~イ!」という悔しそうな声を上げていました。

  プレーの質も非常に良かったと思います。すでに準決勝を見据えて、プレーのレベルを上げているようでした。フェデラーはミスが多かった云々の報道を時おり目にしますが、あれは、フェデラーがミスのリスクを恐れずに積極的なプレーをしている証拠でもあります。無難なプレーというものを、フェデラーはまずしません。

  なにより、フェデラーはテニスが大好きで、テニスそのものを楽しんでいる、数少ないプロのテニス選手の一人だと、私は最近思うようになりました。

  相変わらず、フェデラーのネット・プレーは見ごたえがありました。また第1セット、フェデラーとデル・ポトロとの「股抜きショット(両足の間から返球する)合戦」は面白かったです。

  先々週のスイス・インドアに続き、デル・ポトロはまたファースト・サーブで、フェデラーにボディ・サーブを打ちました。今度はフェデラーには当たりませんでしたが、危ないからやめろっつーの。

  デル・ポトロは勝ったので、めでたく準決勝に進出したようです。今日の準決勝は、今の時点ではノヴァク・ジョコヴィッチ対ファン・マルティン・デル・ポトロ、アンディ・マレー対ロジャー・フェデラーということになります。

 
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