フジテレビ『世界法廷ミステリー』


  29日午後9時半から放映されました。いや~、こういう俗悪ゴシップ番組、だ~い好き♪フジテレビは上手いよね。『アンビリバボー』も好きでよく観てます。

  ボリショイ・バレエ芸術監督、セルゲイ・フィーリン襲撃事件を取り上げてました。関係者にもインタビューしてましたが、みなフィーリンとボリショイ劇場に反発する側の人々ばかりでした。ニコライ・ツィスカリーゼやアンジェリーナ・ヴォロンツォーワなど。

  他にバレエ批評家だという女性もインタビューに答えてましたが、あの人も反フィーリン派なのではないかなあ。証言(?)してた内容もひどかった

  フィーリン襲撃事件の裁判は去年12月に結審したそうで、フィーリン襲撃を指示した主犯とされたパーヴェル・ドミトリチェンコは、懲役6年の実刑判決を受けたそうです。6年か。年齢的には大丈夫かもしれないけど、ダンサー復帰は微妙かな。6年も踊らないのは長すぎるブランクだし、前科持ち、しかも自分が所属するバレエ団の芸術監督を襲撃させる事件を起こした人物だからね(真相は闇の中だけど)。

  アンジェリーナ・ヴォロンツォーワは、2013年7月、サンクト・ペテルブルグのミハイロフスキー劇場バレエにプリンシパルとして移籍したそうです(→ ミハイロフスキー劇場バレエ公式サイト )。さすがにボリショイ・バレエには居づらくなったんでしょう。

  ミハイロフスキー劇場バレエの現在の芸術監督はアンドレイ・クリギン。前監督のナチョ・ドゥアトも常任振付家として名を連ねています。

  女性プリンシパルは、エカテリーナ・ボルチェンコ、アンジェリーナ・ヴォロンツォーワ、ナターリャ・オシポワ、イリーナ・ペレン、ポリーナ・セミオノワ(ゲスト・プリンシパル)、オクサーナ・シェスタコワ(現姓シャドルーヒナ)、Kristina Shapran(未見)。

  男性プリンシパルは、イワン・ワシーリエフ、レオニード・サラファーノフ、ミハイル・シヴァコフ、マラト・シェミウノフ。たった4人?

  あと知ってるのは、イリーナ・コシェレワ、アナスタシア・ロマチェンコワ、イワン・ザイツェフ、アントン・プローム(ファースト・ソリスト)、ヴィクトリア・クテポワ、タチアナ・ミリツェワ、アレクセイ・マラーホフ、ウラジーミル・ツァル(セカンド・ソリスト)くらいになっちゃった。だいぶ顔ぶれが変わった感じです。

  プリンシパルだったアルチョム・プハチョフの名前は見えません。退団したみたいです。今はどうしているのでしょうか。ノーブルな踊りと雰囲気の優れたダンサーでした。

  フィーリン襲撃事件の背景として名前の挙がったアンジェリーナ・ヴォロンツォーワは、最近では『ラ・バヤデール』のガムザッティ、『眠れる森の美女』のオーロラを踊るそうです。『世界法廷ミステリー』では、『くるみ割り人形』のマーシャ(たぶん)を踊っている映像が紹介されていました。事件の発端になったといわれている『白鳥の湖』のオデット/オディールは無事踊れたのでしょうか。

  ヴォロンツォーワは、自身の事件への関与を否定してました。パーヴェル・ドミトリチェンコとは1年以上も連絡をとっていないそう。

  これはちょっとヤバいんじゃないかと思うんですが、この番組では、ヴォロンツォーワがフィーリンに冷遇された理由の一つとして、オリガ・スミルノワの存在を挙げていました。つまり、フィーリンがスミルノワをえこひいきして主役に抜擢し、ヴォロンツォーワに役を与えなかったというのです。

  まず、ニコライ・ツィスカリーゼが、スミルノワの能力はヴォロンツォーワとは比較にならないほど低い、とインタビューで答えました。次に、バレエ評論家だという女性が出てきて、とんでもないことを言いました。スミルノワはフィーリンと男女の関係になることで主役を得た(!!!)、という爆弾発言。

  そして番組は、スミルノワがフィーリンを手玉にとって主役を得て、その代わりにヴォロンツォーワは不当に冷遇され、そうした状況に不満を募らせたドミトリチェンコがフィーリン襲撃事件を起こすことによって、世間にボリショイ・バレエの配役をめぐる不正を告発しようとしたのだ、と結論づけました。

  この番組はゴシップやスキャンダルを面白おかしく紹介するのが趣旨なんでしょうが、このオチは非常に問題があるのでは?今年11-12月に行われるボリショイ・バレエ日本公演に、当のオリガ・スミルノワが参加予定なんですから。スミルノワは『白鳥の湖』のオデット/オディール、『ラ・バヤデール』のニキヤにキャスティングされています。もちろんフィーリンだって来日するでしょう。

  スミルノワの名前がいきなり出てきたんでびっくりしました。しかも、スミルノワがフィーリンと男女の関係を結んで主役を得たのが、フィーリン襲撃事件の遠因だったってさ。私、スミルノワが主役の日のチケットを買ってるのよ。フィーリン襲撃事件がこんな単純な構図ではないのは確かだし、スミルノワについても根拠のない憶測だと頭では分かっていても、無意識のうちに、なんかアラ探しするような目でスミルノワの踊りを見ちゃうんじゃないかと思う。

  フィーリンに関しても、再現ドラマの中で、フィーリンはヴォロンツォーワに対して「お前のどこが白鳥だ!?鏡を見ろ!妊娠してるのか!?中絶しろ!」と暴言を吐いたことになっていました。また、フィーリンはボリショイ・バレエのバレリーナたちと次々と男女の関係を結んでいた、とも紹介されました。これが真実ならフィーリンは最低な人間だし、真実でないならフィーリンの名誉を傷つける内容だと思います。

   それとも、これはボリショイ・バレエ日本公演に向けた炎上商法なんでしょうか。にしては、芸術監督のフィーリンや主役を踊るスミルノワをここまで一方的に悪者扱いするのってアリなのかなあ?  (追記:ボリショイ・バレエ日本公演を主催するジャパン・アーツが、バレエ公式ツイッターでこの番組の内容に対して激怒しています。炎上商法ではないですね。当り前か。ツイートしたジャパン・アーツの人は、ツイートしたことを後悔する必要はないよ。あのツイートからは、ああ、この人、バレエのことが心から好きなんだ、ってことが伝わってくるもん。)

  ツィスカリーゼやヴォロンツォーワのような反フィーリン派の人たちばかりじゃなくて、フィーリン側の人たちにもインタビューしたほうがよかったのに。彼らが取材に応じなかったのかもしれませんが…。

  好奇心に駆られてぜんぶ観ちゃったものの、ちょっと後悔してます。不愉快な印象だけが残るからです。ボリショイ・バレエ日本公演までに、この番組の記憶が脳内から消去されますよーに。

  と思ったけど、スミルノワはすばらしい踊りで、こういういいかげんな噂を打ち消しちゃいなさい。踊りは嘘をつかないからね。

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近況


  またまたお久しぶりです~。花粉症になったり、一時帰国した姉につきあったり、仕事が忙しかったり、フェデラーが負けて(ソニー・オープン)落ち込んだりで、ブログを書く時間と気力がなかなかありませんでした。

  今年の花粉症は喉に来てます。外に出ると途端に咳が出ます。ひどいときには咳き込んでしまって止まりません。乾燥と花粉に加えて、噂のPM2.5なんかのせいもあるのかしらね。

  姉とは1年ぶりの再会でした。普段もメールのやり取りはしていますが、直に話すと、メールとは比べものにならないくらい、深く話しこむことができますね。姉とはずっと仲良しだったわけではなく、どの家庭の兄弟姉妹にもあるだろう葛藤も経てきました。数年間も連絡を一切とらなかったことさえありました。

  でもお互いに年をとり、互いがいろんなことを経験してきた今、私が言葉でうまく説明できないことも、姉はすぐに理解して、私の味方をしてくれます。私が悔しい思いをした出来事を聞いて、その出来事の本質を鋭く悟り、自分に起きた事のように憤ってくれます。血がつながっているというだけで、姉妹というのはこんなに意思が通じるものかと驚き、また心強く思いました。

  仕事のほうは、3月と4月ってもともと忙しいので仕方ないよね。特に4月からは何かしら環境が変わるから、それだけで疲れ果ててしまって、慣れるまでには時間がかかるでしょう。これも花粉症と同じく毎年のこと。4月は今にもましてブログの更新ができなくなると思います(今から言い訳)。

  バレエのほうは、3月は鑑賞しません。4月は新国立劇場バレエ団の『カルミナ・ブラーナ』を観に行きます。運命の女神フォルトゥーナ役が湯川麻美子さんと米沢唯さんの回を1回ずつだったかな。『カルミナ・ブラーナ』は演出と振付がよいし、音楽自体ですでに昂揚するから、元気をもらえそう。

  来年度は仕事がまた少しきつくなるので、バレエを観る回数もいよいよ減りそうです。どのみち、土日とか祝日とかじゃないともう無理。平日の仕事帰りに鑑賞する体力がもうなくなっちゃったし、平日に無理して観たら観たで、次の日へろへろになっちゃう。もう無理のきかない体ざんす。やーね。

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またテニス観戦三昧


  GAORAのおかげでテニス観戦できるのは楽しいです。お気に入りの選手が増えました。ウクライナのオレクサンドル・ドルゴポロフ(Alexandr Dolgopolov)です。ウクライナの選手だから同情してるわけじゃ全然ないです。ドルゴポロフはすごく個性的で魅力的なプレーをする選手だからです。感じもすごく良い。

   (←この人がドルゴポロフ)

  ロン毛を後ろでおだんごに束ねて、前髪をカチューシャみたいなピンで止めてるなでしこジャパンみたいな髪型に不精ヒゲで、これだけでかなり印象が強いです。サーブの仕方、ボールの打ち方は非常に独特で、サーブやリターンを打つ動作とタイミングがすっごい速いし、姿勢と動きもすっごい独特です。最初に見たときは「なんじゃこりゃ!?」と思いましたが、慣れてくるとこれがまた魅力的で、目が離せません。

  ドルゴポロフの爆速な鋭いサーブとリターンは、決まればほぼ確実にポイントを取れるんですが、決まらずにミスになってしまう確率もアホ高いです。天才的だけどまだ粗い感じです。でも、ドルゴポロフはミスが増えても、安全策を採って無難にボールを入れるということを絶対しません。どんなにミスしてもめげない。ひたすら攻撃的。あきらめない。

  ミスすると大ぶりな仕草をしたり、怒鳴ったり、ラケットを叩きつけたりするんだけど、なぜかわるい印象を与えないんですね。逆にほほえましい、かわいいとさえ思ってしまう。ベンチには使い終えたラケット、穿き替えた後のシューズ、タオルが無造作に散らばっていて、ガサツそうなところも気に入りました。

  中肉中背で、顔は子どもっぽい、かわいらしい感じです。アバタのせいもあるかも。不精ヒゲ生やしてるけど。いちばんいいのは、悲壮感がまったくないことです。インタビューではどうしてもウクライナの情勢について聞かれてしまうので、そういった質問には答えてるみたいですが、試合中に「私はウクライナの悲劇を背負って頑張ってます」的な雰囲気をまったく漂わせません。めちゃくちゃ明るいです。

  こういう選手が台頭してきたのはいいですね。ロジャー・フェデラー、ガエル・モンフィスに続いて、脳内にお気に入り登録しました(愛称はドルちゃん)。

  ソニー・オープン準々決勝で、フェデラーが錦織選手に負けたのにはびっくりしました。ただ、ソニー・オープン2~4回戦でのフェデラーの試合は、たとえスコア上はどんなにフェデラーが強かろうが、正直なところ見ごたえがなかったです。

  いちばんつまんなかったのは、2回戦の対イヴォ・カルロヴィッチ戦です。互いにサービス・エース、サービス・ポイントでキープしあってるだけのように見えました。第1セットは、試合の序盤でプレーが不安定だったカルロヴィッチの隙を突いてブレークしたフェデラーが、そのまま第1セットを取りました。

  しかし第2セットは、まるで壁対壁みたいな試合になってました。フェデラーがタイブレークを取って勝ちましたが、ビッグ・サーバーを巧妙に切り崩していくフェデラーが見られなかったのは物足りませんでした。

  3回戦のティエモ・デ・バッカー、4回戦のリシャール・ガスケとの試合は、フェデラーが壁みたいになって相手をまったく寄せ付けず、相手は勝手にミスしまくって自滅したという印象です。一応録画しましたが、こんな試合は二度と観ないだろうと思って消去しました。

  ドバイ・デューティ・フリー選手権やインディアン・ウェルズの大会でのフェデラーのほうが、ハラハラさせられるときもありましたが、生き生きと楽しそうにプレーしていたように思います。観戦している私も楽しかったですから。

  ソニー・オープンでのフェデラーは絶好調だったんでしょうが、私はつまらなく感じました。ただ、今にして思えば、3大会連続出場ということもあって、準決勝と決勝を見据えて省エネでプレーしてたんでしょうね。それが、準々決勝で錦織選手が死に物狂いでぶつかってきたので、慌ててしまったんでしょう。油断大敵。鉄の壁の中にこもっていたフェデラーを引きずり出し、ストローク戦に持ち込んだ錦織選手は見事。格下選手に敗れたということで、またフェデラーがスランプに陥らなければいいのですが。

  ……たった今、錦織選手が股関節の痛みのため、ノヴァク・ジョコヴィッチとの準決勝を棄権したとGAORAの実況中継が報じました。錦織選手本人の記者会見の映像も流れました。火曜日4回戦の対ダヴィド・フェレール戦から痛みがあって、昨日(木曜日)から痛みがひどくなり、今日(金曜日・準決勝当日)は動けないほどで、試合ができる状態ではないということです。

  ………ちょっと待ってよ。フェデラーに勝った次の試合であっけなく負けてしまう格下選手が去年は複数いましたが、ごめんなさい、そういった選手たちに対する怒りに似た感情を今、錦織選手に対しても感じています。怪我だから、故障だから仕方ないという意見には完全には納得できない。錦織選手は普段から棄権が多いという印象があります。今回の股関節痛もかなり前からあった慢性の疼痛だったということで、ならばプロの選手として、また棄権を回避するために、体調管理や体力のペース配分はどうしていたのかと聞きたい。

  それに、フェデラーは去年の今ごろ、朝起きたときに動けないほどひどい腰痛に苦しんでいたという。でも黙って試合に出続けて、そして負けてはメディアとファンのひどいバッシングを受けた。それでもフェデラーは、負けたのは腰痛のせいという言い訳を一切しなかったし、腰痛を理由に棄権もしなかった。どうしてもそれを考えてしまう。

  …落ち着こう。気を取り直して。

  ポイントのシステムが私にはよく分かりません。でも要は、「貯めたポイントは1年間のみ有効」ということなんでしょ?同じ大会だと、今年の結果が去年の結果と同じかそれ以上じゃないと、ポイントが差し引かれてしまうんでしょ?

  フェデラーは2月の末から休みなく3大会に連続出場して、優勝(ドバイ)、準優勝(インディアン・ウェルズ)という成績を収めてしまいました。だから、今回のソニー・オープンでは、準々決勝という適当なところで負けてよかったんじゃないかと思います。去年はこの大会に出てないから、増えるポイントはあっても、減るポイントはないんだろうし(たぶん)、来年もこの3大会に連続出場して、同じような好成績を残すなんて大変でしょ。

  若い選手と違い、フェデラーは自分のキャリアを長期的に見据えて、無理のないスケジュールを組んで、着実にポイントを取ってランキングを上げられるようにしたほうがいいですから。次はマドリッド・オープンですが、去年の大会では、腰の怪我による休養から復帰したばかりのフェデラーは結果を残せませんでした。でも、そのぶん今年はポイントが稼げる可能性大。その後はイタリア国際で、これは去年、フェデラーは決勝まで行っちゃったはず。マドリッドでポイント稼いで、全仏オープンで第4シードまでに入れるといいね。

  ところで、フェデラーは最近、いわゆる「ビッグ・サーバー」と呼ばれる選手との対戦が多かったですね。彼らを見ていて思ったんだけど、ティエモ・デ・バッカー(193センチ)、ケヴィン・アンダーソン(203センチ)、ジョン・イスナー(208センチ)、イヴォ・カルロヴィッチ(211センチ)の4人で、『進撃の巨人』のモノマネをしてくれないかなあ。絶対ウケると思うんだけど。

  で、毛深いフェデラーには、ペナルティ・ワッキーのネタ「男性ホルモン受信中」のモノマネをしてほしい。うわ、フェデラー・ファンのみなさん、ごめんごめんごめんってば。

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3年目


  3月11日に何か書こうかとも思ったけど、3月8日にNHK Eテレで放映された(3月15日再放送) 『ネットワークでつくる放射能汚染地図 ~福島原発事故から3年~』 を観たら、打ちのめされてしまって、薄っぺらい慰めの言葉を書く気になれなかった。

  もちろん、事故のせいでそれまでの暮らしを失っても、必死で立ち直ろう、立ち向かおうと努力している人々や、汚染の現状を地道に調査し続ける科学者たちの姿には、ひとすじの光を見る思いだったけれども、

  でも、実際には、故郷を追われた人々のこれまでの過程、現状と結末は、ほとんどが救いのないものだった。これが現実なのだ。思い知らされた。

  3年前(2011年5月)の放送で、ある養鶏場の経営者が紹介された。老いた男性だった。放射性物質の影響を恐れた業者に鶏の飼料を届けてもらえず、老人が養鶏場で飼っていた5万羽の鶏はすべて餓死した。餓死した鶏たちの白い死骸を前に、老人は呆然として立ち尽くしていた。

  その老人の今が伝えられた。3年前の放送では触れられなかったと思うが、彼は戦争中に大陸に出征し、終戦後はソ連軍の捕虜となってシベリアに抑留された過去を持っていた。彼は抑留中に重病に罹り、危うく死ぬところだった。しかしなんとか一命をとりとめた。

  老人は日本に帰還した後、福島の浜通りに入植した。しかし、耕作用の開拓に適した平地はもう残っていなかった。老人は条件のわるい土地で苦労しながら、独学で養鶏を学んだ。そして、入植から数十年をかけて、試行錯誤しながら養鶏場の規模を大きくしていき、養鶏場の隣に立派な自宅も建てた。

  そこで起きたのが原発事故だった。老人が苦労に苦労を重ねて大きくした養鶏場の鶏は、みな死んだ。老人は養鶏場と家とを失なった。

  しかし、老人は歯の抜けた口を開けて笑って言った。「おれはあのとき(シベリアで病気に罹ったとき)死んだんだ。おれはあのとき死んだんだ、そう思えばなんともねえ。」 老人はくり返していた。「おれはあのとき死んだんだ、そう思えばこんなことはなんでもねえ。」

  老人は去年、いわき市に新しく家を建てることができた。失なった養鶏場の損害賠償金が下りたおかげだった。老人は新しい家で椅子にゆったり座り、安心した笑顔を浮かべた。「これでもう10年くらいは生きられるかな。」

  2か月前、取材を担当していた記者に連絡が入った。老人が癌で亡くなったという知らせだった。老人は病院で亡くなった。亡くなる前、老人は病床で、養鶏場の傍にあった家に帰りたい、と口にしていたという。

  番組を観ていて、この老人の結末にいちばん打ちのめされた。テレビ画面を見ながら、心の中でこう祈るしかなかった。「今まで、本当に大変でしたね。苦しいことばかりでしたね。でも、もう終わったんですよ。本当にお疲れさまでした。どうかゆっくり休んで下さい。」

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ジェニファー・コー


  

 (1994年チャイコフスキー・コンクールCD。本選でのジェニファー・コーによるヴァイオリン協奏曲とニコライ・ルガンスキーによるピアノ協奏曲を収録。)


  NHKの「N響アワー」を途中から観た。指揮はアレクサンドル・ヴェデルニコフ。グラズノフの曲の後はチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲。ヴァイオリニストの名前を見てびっくり。ジェニファー・コー!

  ジェニファー・コー(Jennifer Koh)は、76年イリノイ州生まれの韓国系アメリカ人。94年のチャイコフスキー・コンクールのヴァイオリン部門で、当時17歳のコーは、ロシアのアナスタシア・チェボタリョーワとともに2位を獲得した(1位は該当者なし)。

  この94年のチャイコフスキー・コンクールは大波乱で、その結果は大きな論争を呼び起こした。

  まず、ピアノ部門は1位該当者なし、2位がロシアのニコライ・ルガンスキー。ヴァイオリン部門も1位は該当者なし、2位がジェニファー・コーとアナスタシア・チェボタリョーワの2人。更に、チェロ部門に至ってはなんと1~3位まで該当者なし、4位がアメリカのアイリーン・ムーンとロシアのグリゴリー・ゴリュノフ。結局、グランプリと1位が出たのは声楽部門だけだったからである。

  特に、ヴァイオリン部門の審査の公平性と妥当性をめぐっては賛否が分かれた、というか否とする意見が多かった。本選で聴衆(旧ソ連と現在のロシアでは、バレエの観客やクラシック音楽の聴衆は大きな影響力を持つ)、あえていえば、指揮をしたアレクサンドル・アニーシモフと演奏を担当したモスクワ国立交響楽団も含めて、彼らの圧倒的な称賛を得たのは、断然ジェニファー・コーのほうだったからである。

  本選を収録したCDを聴くと、コーが第一楽章を演奏し終えた時点で、モスクワの聴衆はもう堪えきれずに拍手をしてブラボーと叫んでいる。最終楽章が終わったときには言うまでもない。聴衆の熱狂と興奮ぶりがよく伝わってくる。

  しかし、コーは1位を獲得することができなかった。その理由は、審査員の情実審査にあると批判された。コーとともに2位を受賞したアナスタシア・チェボタリョーワの指導教官(名前は不明。女性だったと思う)が、ヴァイオリン部門の審査員長であったため、自らの教え子であるチェボタリョーワのほうを強く推した。意見の分かれた審査会は、妥協策としてコーとチェボタリョーワを1位なしの同点2位としたのだと噂された。

  チェボタリョーワの指導教官が、自分の教え子かわいさのあまりにチェボタリョーワを推したのか、純粋にチェボタリョーワの演奏を高く評価して推したのかは分からない。しかし、教え子が教官の理想とする演奏を見事にやってのけたのであれば、それが自分の教え子だからといって点を低く抑えるのは逆に不公平である。審査員として公平にその演奏を高く評価するのが当然だろう。受験者の教官を審査員に加えること、まして審査員長の座に据えることの是非はさておいて。

  実際、単なる情実審査とは決めつけられなかった。ジェニファー・コーとアナスタシア・チェボタリョーワの演奏は正反対であったからである。

  コーは憑依型、神がかり型、没入型、個性派の演奏スタイルで、時に音程を外すことも厭わない。対してチェボタリョーワは正統派、理性派、優等生型の演奏スタイルで、きっちり正確に演奏する。モスクワの聴衆、指揮者、オーケストラを熱狂的に惹きつけたのはコーだったが、審査員たちは真に高く評価されるべき演奏というものを、冷静に正しく判断しなければならない。

  今日のN響アワーでは、37歳になったジェニファー・コーは、奇しくもチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲を弾いていた。雑に切り揃えただけの短い髪、化粧っ気のまったくない顔。演奏会だから、ドレスはもちろん着ていた。スカートが大きくふくらんだ裾の長いドレスだ。これが全然似合ってない。いかにも演奏会のために一応着てきました、という感じで、コーの飾り気のなさ、というより、コーには演奏するに際し、見てくれで自分を飾り立てるという発想がないことを象徴していた。

  そして、ずっと目をつぶったままで、ときに頭を激しく振り、ときに恍惚とした笑みを浮かべて演奏する。第三楽章では、弓の毛が途中で切れた。しかしコーは目をつぶったまま、弓を激しく揺り動かして演奏し続ける。コーの持つ弓が上下するたびに、弓の切れた毛がぶんぶん宙を舞う。年齢を重ねても、基本的な演奏スタイルは昔のままだ。音程を外すことを怖れないのも(笑)。でも、あれでも大人になってずいぶん落ち着いたなあ、と思う。17歳のときのコーはもっと凄かった。

  94年のチャイコフスキー・コンクールが終了した後、なぜか日本で凱旋コンサートが開かれた。チャイコフスキー・コンクールを日本企業が後援していたから、という理由だったと覚えている。折しもバブル期でしたからね(笑)。

  チャイコフスキー・コンクール本選の映像を観て、コーの演奏にショックを受けた私は、その凱旋コンサートを聴きに行ったのだった。ジェニファー・コーがヴァイオリン協奏曲を、ピアノ部門第2位だったニコライ・ルガンスキーがピアノ協奏曲を演奏した。ステージに出てきたコーは、演奏前にぎこちなくほほ笑んで、ちょこんと頭を下げてお辞儀をした。舞台に慣れていないのがよく分かる。

  しかし、演奏が始まると、コーの様子は一変した。上の写真にあるように、眉根にしわをよせて強く目をつぶり、唇をぐっと引き結んで、頭を小刻みに激しく振りながら、弓をやはり激しく上下させて音を奏でていく。単なる個性的なんてものじゃない。外面的なきちんとした正確さ、というものを超越しちゃってる、作品を内面に取り込んで、完全に自分のものにしちゃってる人なんだろう。これが「天才」なんだと思った。

  コーの演奏を好きな人もいれば、嫌いな人もいるだろう。コーの演奏は同時に、濃い、エキセントリック、感情的に過ぎる、秩序がない、外れすぎ、という語でも表現できる。

  今日のN響アワーで放映されたコーの演奏は、20年前に比べたらかな~りおとなしくなったと思う。あれでも違和感を抱く人はいるだろうけれども。

  ちょうど今、94年チャイコフスキー・コンクール本選のCDを聴いている。コーのヴァイオリン協奏曲での演奏は、さっきのN響アワーとは比べものにならないほど凄まじい。映像という気が散る要素がなく、音だけだからなおさら迫力満点。

  コーとともに2位を受賞したアナスタシア・チェボタリョーワと、ピアノ部門第2位だったニコライ・ルガンスキーは今どうしてるんだろうと思って検索してみた。二人ともちゃんと活躍しているようだ。しかし、コー、チェボタリョーワ、ルガンスキーの音楽家としての現在のあり方は、文字どおり三者三様らしい。

  チェボタリョーワはヴァイオリニストという肩書きの職業に就き、ルガンスキーは演奏会でピアノを弾くことと並行して音楽教官も務めている。

  そして、ジェニファー・コーは、ヴァイオリニストになったようである。

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アメリカン・バレエ・シアター『マノン』(2月28日昼)-2


  レスコー役のジェームズ・ホワイトサイドは、演技は薄味でアクやクセがなく、悪人感があまりありませんでした。第一幕冒頭のソロはすごくすばらしかったです。第二幕の酔っぱらったレスコーのソロはよくなかったです。バランスを崩して踊るのが苦手なのかもしれません。たとえば、あの軸を斜めにして回るピルエットはまったくできないらしく、勢いだけで急いで片づけている感がありました。

  愛人(ヴェロニカ・パールト)とのパ・ド・ドゥは、ユーモラスな雰囲気に欠けていました。パートナリングはよかったと思うんですが。

  レスコーの愛人役のヴェロニカ・パールトはゴージャスな美女で、非常に華のあるバレリーナでした。存在感があって印象に残り、はっきり顔を思い出せます。身体は柔らかく、踊りにはキレがあって、すべてのソロを盤石の安定感でこなしていました。第一幕のソロでは、爪先での細かいステップを丁寧にリズムよく踏んでいて、気持ちよかったです。

  一つだけ難癖をつけるなら、やはりパールトの演技も薄味で、レスコーの愛人であるこの女が、どういう人間なのかが伝わってこなかったことです。それにしても美人だったなあ。

  デ・グリュー役はコリー・スターンズでした。前に観たことがあるのは確かですが、どの公演、どの演目、どの役だったのかが思い出せません。

  おとなしそうな風貌で、世間知らずで純朴なデ・グリューという感じでした。踊りもパートナリングもよく頑張ったと思います。デ・グリューの踊り特有のバランス・キープが少し不安定でしたが、デ・グリューの一連のソロは、完璧にこなせるほうがむしろ珍しいので、大した問題ではありません。

  今回はマノン役のポリーナ・セミオノワと組みましたが、たぶんスターンズがセミオノワのパートナーを務めるのは、身長の面で本当は無理があるのだと思います。セミオノワの背が高いために、スターンズがパートナリングに苦労している感じがありました。しかし、全体的にはそうしたハンデをものともせず、スターンズは難しくて複雑で危険なサポートやリフトをやりとげました。

  マクミランの全幕作品で面白いのは、幕が進むに従って、ダンサーたちのパフォーマンスがどんどん良くなっていくことです。踊っているうちに、役と物語に没入していくのでしょうか。スターンズもこの例にもれず、第三幕で看守を刺し殺した後のソロは大迫力でした。沼地のパ・ド・ドゥでのパートナリングも壮絶そのもの。ダイブしてきたセミオノワの身体をがっしり受けとめて、そのまま空中で鋭く何回転もさせていました。

  また、スターンズは自分勝手に振付や演技を変えたりしませんでした。デ・グリューがマノンの死に慟哭するラスト・シーンに至るまで、マクミランが残した振付と演技の中で、スターンズは自分なりの表現をしていました。私はこういうタイプのダンサーのほうが好きです。

  マノン役のポリーナ・セミオノワは、2012年にアメリカン・バレエ・シアターにプリンシパルとして移籍したんだそうです。よかったですね。ベルリン国立バレエでは、型にはまったお姫様かトンデモ作品(ごめんね)ばかり踊らされていたような印象があるので、多岐にわたるジャンルの、しかも多くの有名作品をレパートリーとして持っているアメリカン・バレエ・シアターなら、いろんな役を踊れるのではないでしょうか。

  実際、セミオノワのマノンを見て、セミオノワはまだまだ伸びしろのあるバレリーナだと強く感じました。

  セミオノワがまだベルリン国立バレエに在籍していた数年前、まず自動車メーカーのSUZUKIが、ついでユニクロがセミオノワをCMに起用しました。両社に共通していたのは、セミオノワの持つマニッシュな魅力に注目し、それを強調した点でした。セミオノワは、当時の日本ではもっぱら「かわいいお姫様のポリーナちゃん」扱いだったのですから、両社ともまさに慧眼でした。

  セミオノワは本来マニッシュなタイプのダンサーだと思います。今回のマノンでもそれが強く出ていました。  

  マノンの演技は妖艶な女ではなく、勝ち気で自分に自信があり、自分の求めるものがはっきりしている少女、という印象でした。ムッシュG.M.にはじめて触れられたときには、一瞬緊張した表情でびくっと体を震わせたのが、みなが自分に魅せられていることを悟ると、艶然とした微笑を浮かべながら踊り始めます。

  ムッシュG.M.とともに去るときも、セミオノワのマノンはただ単に豪華な宝石や衣装が欲しいのであって、ムッシュG.M.のことなんぞ全然好きでもなんでもなく、愛しているのはあくまでデ・グリューであることがよく分かりました。

  またまた細かいけど、去り際、マノンはデ・グリューの残り香があるのであろうベッドをいとおしそうに撫でます。ムッシュG.M.が促すと、セミオノワのマノンは強い目つきでムッシュG.M.を睨みつけました。贅沢な暮しのために好きでもないジジイの愛人になる覚悟を決めた、といった感じでした。

  マクミランは生前、マノンは理解不能な女でいいのだ、と言っていたそうなので、別にすべてのマノンが妖艶系とかアホ系とかである必要はありません。マノンを踊るバレリーナがそれぞれに自分なりのマノンを表現すればいいのです。

  セミオノワの踊りは、まず身体能力と技術がずば抜けていました。ただ、マノンは技術が重要な役ではなく、表現が重要な役です。セミオノワは、マノンの必須要素、脚と爪先でのエロティックさを表現できていなかったと思います。あとはメイク。セミオノワは非常に美しい容貌を持つバレリーナですが、どうも眼が小さく見えてしまって、印象が薄かったです。口紅もしっかり塗ってたのに、なんでかね?

  正直なところ、第二幕までは、セミオノワは演技が今ひとつだし、踊りによる表現も舌足らずだなあ、と思ってたのですが、しかし第三幕になると一転しました。マノンはボロボロのドレスで、髪を無残に刈られた姿で登場しますが、その姿のセミオノワが非常に美しかったのです。

  やつれメイクをしてたんだけど、これまたなんでかね?あと、生の脚がすっごく美しかったです。第一幕と第二幕でタイツ穿いてた脚より、生脚のほうが断然きれいでした。

  セミオノワの身体能力、技術力、そして生脚力がいかんなく発揮されたのが沼地のパ・ド・ドゥでした。スターンズのパートナリングがすごかったおかげもありますが、セミオノワの両脚の鋭い動きとポーズには、マノンが死に引きずられつつも、必死にもがいて抵抗する壮絶な迫力が満ち満ちていました。セミオノワのあの脚は、ダーシー・バッセルやシルヴィ・ギエムを思い起こさせました。

  背が高くてマニッシュなマノンはレアな存在なので、セミオノワにはこれからもどんどんマノンを踊りこんでいってほしいです。

  そういや、会場でバレエのDVDを販売してました。『マノン』はいちばん古い映像版(82年、英国ロイヤル・バレエ公演)しか出てませんでした。『マノン』の映像版は、他にオーストラリアン・バレエ、それから、英国ロイヤル・バレエ(カルロス・アコスタ、タマラ・ロホ主演)のものが出ていると思いましたが。

  82年の英国ロイヤル・バレエ公演の映像版は、いったん生産が中止されたらしいのです。しかし、どういうわけか再び生産されるようになったようです。結局、後発の映像版は82年版を超えることができなかった、これに尽きるのでしょう。

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フェデラー・パパ金言


  ロジャー・フェデラーがドバイ・デューティー・フリー選手権で優勝した後、自身のツイッターにこう書きこみました。


  My dad just send me this "When you lose the journey is endless, but when you win time just flies"


  このツイートのハッシュタグは"thxdad(ありがとうお父さん)"でした。フェデラーが優勝したのを受けて、お父さんのロベルト・フェデラー氏からこのメールが送られてきたのでしょう。

  これはめずらしい。フェデラーがツイッターで親から送られたメールを紹介するなんて、たぶんこれがはじめてだと思います。"My dad just send me"と書いてますから、お父さんのメールが来た直後に、嬉しさのあまりツイートしたんでしょうね。"thxdad"というハッシュタグからもそれが分かります。

  ほー、あの優しそうで頼もしそうでいつもニコニコしているフェデラーのお父さんが、どんなことを書いて寄こしたのかなー、と読んだけど、これ、一見すると中学生レベルの英語力があれば読めそうなんだけど、私は分かりませんでした。でも、言動には人一倍慎重なあのフェデラーが、思わず即ツイートしてしまうほど喜んだような内容らしい。

  翻訳ツール的訳だとこう?「あなたが負けるとき旅は終わりがない、でも、あなたが勝つとき光陰矢のごとし(笑笑笑)。」

  んなワケはないんで、人間(←わし)の思考を加えて訳してみる。「負けているときには、その苦しみが終わりなく続くように感じる。でも、勝ってしまうと、それは一瞬のうちに過ぎ去ってしまう。」

  なんか分かるよな分からんよな。「負けていたときはとても苦しかっただろうけど、ほーら、勝つときはあっさり勝つもんだろ?」という意味か?長く不調だった息子ロジャーの優勝をお祝いしているには違いないけど、そんなに感動するような内容とは思えない。いまいち釈然としません。

  そこでわしのお姉ちゃん(←アメリカ在住)に助けを求めてみる。姉、「まーたいいトシしてオタクモードに入っとるんかい、しょーもねえ妹だな」的うんざり感を漂わせながらも教えてくれました。

  結局、フェデラー・パパはこう言いたいんじゃないかと。

  「負け続けているときには、お前はもがき苦しんで、それが永遠に続くように感じられて辛かったろうね。でも、勝ったら勝ったで、勝利なんて一瞬のうちに終わってしまっただろう?結局、勝ち負けという結果は大して重要じゃないんだ。努力を続けていくこと自体が大事なんだよ。」

  なんたる金言。フェデラー・パパは、息子ロジャーの優勝という結果を嬉しがるのではなく、むしろ息子がこれまで試行錯誤しながら続けてきた努力の過程のほうを讃えたのです。

  フェデラー・パパがすごいのは、この言葉を、フェデラーが負け続けていた時期ではなく、優勝した後に贈ったってことです。同じ言葉でも、フェデラーが不調だったときに贈るのと、優勝した後に贈るのとでは、言葉の重みが全然違ってきます。

  フェデラーが不調のときに「勝ち負けは重要じゃない、努力が大事なんだ」と言ったところで、勝てない苦しみの真っ只中にいたフェデラーには何の助けにもならなかったでしょう。

  それが分かっていた父親のロベルトは待った。息子のロジャーが苦しみを味わい尽くし、それを乗り越える努力を続けて、ついに勝利という結果を手にするまで、じっくり待ったのです。その上で、この言葉をかけた。フェデラーは不調から復調へという経験をし終えていたから、父親のこの言葉を実感をもって受け止められたに違いありません。

  子どもが苦しんでいる最中に励ましてやりたいのが普通の親心でしょうが、フェデラーの父ロベルトは、息子ロジャーがスランプという人生経験の一つをきちんと終えるまで待ち続けた。そして、勝ち負けという結果ではなく、努力の過程こそが大事なのだということを、子どもが納得できるタイミングで教えた。その教えが息子ロジャーの心にしっかり届いたのは、フェデラーのツイートを見れば明らかです。

  フェデラーの母、リネット・フェデラーさんの賢母ぶりはよく知られていますが、父のロベルト・フェデラー氏は、更にその上をいく人物なのかもしれません。見事な親です。

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ドバイ・デューティー・フリー選手権


  まず、大声で叫ばせて頂きます。


   ロジャーーーーー!!!!!


  フェデラーが優勝しました。全世界に数千万はいるであろうフェデラー・ファンは、フェデラーが長いトンネルをようやく抜け出したこの瞬間、同じように叫んだに違いない。

  1回戦からずっとネットとテレビで観戦してましたが、準決勝でノヴァク・ジョコヴィッチ、決勝でトマーシュ・ベルディハを倒して優勝したことは、すごく大きなことだと思います。たとえばこれがドロー運に恵まれたとか、不戦勝で勝ち上がったとかのおかげで優勝できたのなら、本当の意味でフェデラーのためにはなりません。

  準決勝からGAORAが放映してくれたので、対ノヴァク・ジョコヴィッチ戦は大きな画面と高画質で観ることができました。あれは物凄い試合でした。テレビモニタを通してでさえ、両者のプレーの鬼気迫る緊迫感が伝わってきました。しかも、フェデラーもジョコヴィッチも、プレーのレベルが高い高い。あれは生で観たらもっと見ごたえがあったでしょう。

  決勝よりは、準決勝のほうがレベルの高い試合だったと思います。録画しましたが、これはもう永久保存版ですな(笑)。

  今年に入ってからのフェデラーの試合を観ていて気づいたのは、まず対戦相手がフェデラーとの試合終盤には疲労困憊していたことです。トップ選手でさえ、肩を大きく上下させて、口を開けて呼吸していることがほとんどでした。全豪オープンではジョー=ウィルフライ・ツォンガ(4回戦)、アンディ・マレー(準々決勝)です。

  今回の大会でも、準決勝ではあのジョコヴィッチが疲れた表情を浮かべて口で息をし(ジョコヴィッチ、痩せすぎじゃない?大丈夫?)、決勝では最初は冷静だったベルディハが、最後には滝のような汗を流しながら必死な顔つきになっていました。

  フェデラーは今季、サイズの大きなラケットに変更し、プレー・スタイルもネット・プレーを大幅に増やすものに変えたんだそうです。去年と比べると、フェデラーは確かにネットに多く出るようになりました。凡ミスも圧倒的に少なくなりました。ボールがとんでもない方向に飛んで行くとか、ネットに引っかかるとか、ラインを大きく割ってアウトになるとかいうミスです。

  試合を投げること、勝てたはずの試合に負けることもなくなりました。去年は相手が食い下がると、最後は根負けしたのか、ずるずる負けることが多かったです。しかし、今年は最後まであきらめない感じです。今回の大会の対ジョコヴィッチ戦、対ベルディハ戦も逆転勝ちです。最終的に、フェデラーの勝ちに対する強い執念が勝利につながったように思いました。

  ジョコヴィッチとベルディハという強敵に当たったことは、まるで通過儀礼というか、今のフェデラーが乗り越えなくてはならない試練のようでした。決勝、ベルディハに負けたら、フェデラーはまた不調の悪循環に入っていくだろうと思いました。だから、恐れるな!あなたは誰でも倒せる!と(夜中だったので心の中で)声援しながら観戦していました。

  ジョコヴィッチに勝ったことの意義は言うまでもありませんが、ベルディハに勝った意義のほうが大きいかもしれません。ジョコヴィッチに対する勝利が技術や体力面での勝利なら、ベルディハに対する勝利は精神面での勝利です。フェデラーはベルディハを苦手としているからです。

  ですからベルディハに対しては、どうしても苦手意識が先に立ってしまうようです。ジョコヴィッチとの準決勝では、フェデラーは試合中に笑顔を浮かべたりして、明らかにリラックスしていました。しかしベルディハとの決勝では、フェデラーの表情は終始一貫して険しく、苛立った様子を見せることも多かったです。

  苦手な相手との試合で、気持ちのせいで負けたら、これからも負け続けることになってしまったでしょう。でも今回、フェデラーは最後まで気持ちが折れませんでした。第3セット最終ゲーム、フェデラーはしっかりと自分のサービス・ゲームを守り、そして優勝しました。

  今回の対ジョコヴィッチ戦と対ベルディハ戦で興味深いのは、彼らに勝った後のフェデラーの喜び方があっさりしていたことです。フェデラーは去年の年末から調子を上げてきましたが、ファン・マルティン・デル・ポトロ(パリ・マスターズ、ツアー・ファイナルズ)に勝ったときは涙目(笑)になり、ジョー=ウィルフライ・ツォンガ(全豪オープン4回戦)、アンディ・マレー(準々決勝)に勝ったときは雄叫びを上げていました。

  ところが今回、ジョコヴィッチとベルディハに勝ったときは、普通に微笑んで腕をぐっと上げただけ。優勝を決めた瞬間も、両腕を上げて力強く微笑んだだけでした。これはフェデラーが心の余裕を取り戻している証拠だと思います。

  ジョコヴィッチとベルディハに勝ったことは一つ一つの勝利に過ぎないし、今回の大会は500です。トップ選手に勝つことが最終目標になってしまったら、また500の大会で優勝して過剰に喜んでしまったら、それこそフェデラーはもう終わりです。

  ラケットとかプレー・スタイルとか技術的なことは分かんないけど、いちばん安心したのは、フェデラーが勝利の重みに適切に応じて、冷静に喜んでいたことですね。

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