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函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

大相撲と原発

2016年01月21日 12時05分22秒 | えいこう語る

 

「テレビに釘付けになった」という表現を、久しぶりに思い出したのが、昨日の白鵬と琴奨菊戦だ。だが「テレビに釘付け」、このフレーズも、テレビに釘は変ではないかとふと思う。私たちの世代は、周囲が木材で溢れていたので、釘付けというのは、生活に馴染んでいた言葉だ。だが「おじさんテレビに釘付け」なんてそんな言葉はおかしいよと言われそうだと、ふと思ったのだ。

この頃、日本語に違和感を覚えることがある。テレビの若いアナウンサーにも、日本語が変だと思うことが度々あるからだ。全体の話の流れでは意味がわかるのだが、

よく考えると同じ意味の言葉を重ねて使っているものとか、間違っている言葉だと思うのだが、全体を通せば特別支障もなく、内容も伝わるのだ。テレビに向かい、この言葉の使い方は間違っていると、解説したりしているこの頃だ。そういうことが習慣になると、自分の日本語にも不安を感じてしまうのだ。

日本語に自信が持てなくなった理由が解明できた。国会中継をテレビで観たせいだ。アベ総理とアソウ大臣の答弁だ。二人の日本語には、相手に納得させる内容が欠けている。つまり、日本語の理解力が足りないのだ。自分流の日本語の理解力で、答弁しているので、聞く者は混乱し、やがて終了してしまうのだ。審議は十分尽くしたと自分では思っているが、肝心の答えにはなっていず、汽車でいえば、脱線したまま到着地についてしまったという感じだ。そんな現在の国会が、日本語を乱している元凶なのだ。

私も大きく脱線してしまったが、昨日の大一番に軌道修正しよう。仕切り最中から私は琴奨菊が勝つと思った。観客のすべての拍手が琴奨菊の応援をしていたからだ。それは白鵬自身が一番感じていたに違いない。「ねこだまし」「張り手」「頭おさえ」など、横綱にあるまじき相撲が批判されているが、普段はそんなものは無視する白鵬だ。もはや誰が見ても各界の第一人者だ。勝負は負けたらおしまいなのだ。批判するんだったら、俺をぶん投げればいいというのが、白鵬なりの「心・技・体」なのだろう。

今場所の初日、テレビの前で私が読んだ一句を紹介したい。「新年もモンゴル部屋で相撲とり」。もはや日本相撲協会は、モンゴル部屋が仕切っているというのが白鵬の心の中ではないかと思う。その慢心が観客の白鵬批判の拍手になったのだ。「時間です」の呼び声に、塩を持つ白鳳の姿からは闘争心が消えていた。日本中の相撲フアンの目が、琴奨菊の背後に見えたからだ。ダンプカーに押される如く、土俵からはみ出されてしまったのだ。

私もテレビの前で、拍手とバンザイを叫んだのだ。だが、千秋楽までは日がある。修羅場を乗り越えてきた「モンゴルの鬼」白鵬の逆襲劇はいかにだ。私の一句が千秋楽に当てはまらないよう願いたいものだ。この勝負、観客の声援が琴奨菊の勝ちにつながった。相撲を見てから、ふと思いついたのは「大間原発」のことだ。

昨年、函館市町会連合会は、14万6184人の建設反対署名を持って、国と電力会社に届けた。だが、この程度では白鵬に挑む同様、勝負にはならない。勝つためには、函館市民27万の声援が必要だ。原発反対の大勝負に、市民の関心が弱いのを感じる。今年はどんな反対運動を展開したらいいか、どうしたら市民の関心を高めることが出来るのか、私も迷っているところだ。迷ったら勝負にならないこともわかっている。それは白鵬が昨日の一戦で教えてくれたからだ。

夏場所「参議院戦」。白鵬でも観客の声援で負けたのだ。アベ総理の完敗で、日本中から座布団が飛び交う夢でも見たい気分である。


狙われる北海道

2016年01月20日 11時13分17秒 | えいこう語る

 

高齢者を狙う特殊詐欺が北海道で横行している。犯人は本州からやって来るという、遠隔地詐欺だ。我が函館市も、犯罪の検挙率が悪いと、市民に思われている。私の隣町でも、2年程前、数千万円を奪われた事件があるが、すぐ捕まると思ったが、すでに迷宮入りの様相だ。北海道の歴史は、開拓のためある地方から、集団で移住してきた地域が多い。仲間意識が高いので、鍵などかけないで家を開ける。顔見知りが多く、地域は犯罪が少ないという安心感もある。だが、そんな安心感も警察にもあり、検挙率の低さにつながっているのではないかとも思う。

そうなれば警察の組織自体のタガも自然に緩んでくる。警察の不正経理事件が明るみに出たのは、北海道警察からだ。それも、警察内部からの告発により発覚したのだ。つまり、自浄能力が欠けている組織なら、犯罪の検挙率など期待できないということになる。そんな北海道だから、本州からの特殊詐欺集団に狙われるのかもしれないなどと考えてしまう。

北海道が狙われやすい大地なのではないかと考えたのは、特殊詐欺事件ばかりではない。十勝管内大樹町にJAKA(宇宙航空研究開発機構)の実験施設があるというのはずいぶん前から知っていた。いずれは北海道から宇宙に向かって、夢のあるロケットが飛び立つぐらいに考えていた。だが、アベ内閣が武器輸出三原則を廃止してから、考え方が一変した。ロケットの製造・販売は、軍を持つ国家にであれば、武器として使用されるのではないかと考えられるからだ。

大樹町にあるロケット製造会社、インターステラテクノロジズは、旧ライブドアの堀江貴文社長が設立した会社だ。その会社と、あのロッキード事件の丸紅が業務提携したという。気象を観測したり衛星写真を撮ったり出来る、小型ロケットの開発をめざすという。だが丸紅は米国の衛星製造会社の販売代理店だ。昨年の売上高も50億円と過去最高という。ロケットの平和利用という名の下の、日米武器製造ラインの確立ではないだろうか。地球上で儲かる産業は、軍事産業だ。ホリエモンも儲けを重視したため、ムショ暮らしを強いられた。彼は「平和」というコンセプトで、世界一の金持ちになることを、塀の中で決心したのでないだろうか。

我が国の総理が唱える「積極的平和主義」を、ホリエモンは「平和を目的とし、積極的に儲けること」と解釈したに違いない。それには、人を信じるフロンティア精神旺盛な北の大地が最適であると判断したに違いない。その十勝はアベ総理に北海道の未来を託された、ムネオさんの地盤だ。ムネオさんとホリエモンは同じ釜の飯を食った同士だ。少し記憶を遡れば、ホリエモンは自民党から国政に挑戦したことがある。その時体型が似通っていたことから「私とホリエモンは兄弟だ」と迷言を吐いたのが、当時の幹事長タケベさんだ。タケベさんの地盤も十勝の隣だ。今は息子さんが地盤を受け継いでいる。

軍事産業による大儲けという磁場に引かれ「官・産・学・軍」共同体が、十勝の野に集結しているのではないだろうか。十勝とは「十戦十勝」という意味ではないかと、あらぬ想像までしてしまう。大樹町という名も「大きな樹」とは、アイヌ語で、天に飛び立つ存在、つまりロケットを意味するのではないかと、これまたあらぬ連想もしたくなるというものだ。

北海道のキャッチフレーズ「試される大地・北海道」を、はるみ知事は嫌いらしく、今新たなものを制作しようとしている。今度のキャッチフレーズは「未来を拓く大地・北海道」ではないかと、密かにはるみ知事の心を私は読んでいる。それは「官・産・学・軍」の共同による、日本の未来がこの大地に集結するという意味を含んでいるのだ。

昨夜からの暴風雪で、今日も道東方面は荒れ狂っている。そこにホリエモンと丸紅のロケット共同開発のニュースだ。私の心も太平洋と同様、乱れに乱れてしまったようだ。


しかたがない日本の私

2016年01月19日 16時09分56秒 | えいこう語る

 

偽装や嘘を平気でつく事件が横行している。マンションの杭打ち違反事件や東芝の不正経理事件などは、社会的に名のある会社がなぜと思う程の呆れ返る事件だ。東京電力の福島原発事故も、国が後押しをして、安全・安心だと国民に信頼を抱かせたにも関わらず、事故が起きれば「しかたがない」と済まされてしまいそうな状況が蔓延してしまう。事件が大きければ大きいほど責任の所在を鮮明にし、再発防止をすることが必要だと思うのだが、どうも我が国の特徴は「しかたがない」と国民自身が諦めてしまう傾向があるような気がしてならない。そんな感情は日本民族だけの特徴なのだろうかと、考えてしまう。

日本人の特徴に「和を以って貴しとなす」という考えがある。様々な出来事があっても和を大切にしてみんなで仲良く暮らしていくのが、共同体を存続させる秘訣だという処世術だ。「村八分」という古い掟があった。食べ物がない時代、泥棒はご法度だ。泥棒した一家を、共同体全体で殺害し、神様のせいにするという、いわゆる「神隠し」という、共同体の秩序を維持する行為だ。神のせいにすればお咎め無しということになる。極めて合理的で人知に溢れた対応だ。

神のせいにすれば、誰もが責任を問われない。そして、何もなかったかのように和が保たれる。それが日本秩序の基本なのかもしれない。そう考えると学校でのイジメ事件はどう考えたらいいのだろうか。イジメの要因は、神聖な教育現場で培養される。責任は生徒なのか教師なのかと、という狭い選択になる。だが親や社会までと幅広く犯人探しが行われる。原因を追求するというのではなく、原因の押し付けが始まる。そうなると、イジメにあった子が「神隠し」的存在になり、時間の経過と共に「しかたがない」という気分が蔓延し、うやむやになってしまうのではないだろうか。

「神が隠す」ということで言えば、隠しても隠し切れないのが、大勢の命を奪う戦争の責任だ。当時、天皇は神だった。神のせいにすれば責任の所在は神になる。だが当時の天皇は神なのだろうか。目に見える生きた存在なのだ。国民と同じ人間なのだ。だから「現人神」という。天皇は「現人神」であって、その上に神がいるのだ。神と人間をつなぐ役目が「現人神」なのだ。敗戦の責任は神にとらせよう。「神隠し」を行えばいいのだ。そこで「現人神」を廃止し、人間宣言を行なったのだ。つまり「神隠し」を行うことで、日本の和が保たれたのだ。

昭和50年秋に天皇は訪米し、帰国後の記者会見でこのように話している。「陛下はいわゆる戦争責任について、どのようにお考えになっていますか」という記者の質問に「そういう言葉のアヤについて、私はそういう文学方面はあまり研究もしていないのでよくわかりませんから、お答えができない」と。さらに、広島・長崎の原爆投下について訊かれ「原爆が投下されたことに対しては、こういう戦争中のことであるから、気の毒であるが、やむを得ないことだと私は思ってます」と答えている。

つまり、戦争責任も原爆投下も「しかたがない」ことだと考えていたのだ。神を隠してしまい、自分は「現人間」なのだから、人間の自分は仕方がないことだと思っているというのが、天皇の真の気持ちなのだ。「和を以って貴しとなす」「神隠し」は日本民族特有の、資質なのかもしれないというような、自分でもよく整理ができない「しかたがない夢」を昨夜は見てしまったのだ。

昨夜は、台風を超えるほどの暴風雪が海から襲ってきた。まるで艦砲射撃を受けたように、外はドーン・ドーンと音がする。家は揺れ、ポータブル・ストーブの用意やローソクを準備をし、停電に備えた。眠れぬ夜に読んだ本は、保坂正康+半藤利一共著の「昭和を点検する」だった。

昭和を点検しないまま「安保関連法案」が戦後70年に成立した。「しかたがない」で済まされる世の中は、今だに続いている。それは、安全・安心な国家とは程遠いような気がするが。


減り張りがない

2016年01月18日 11時04分35秒 | えいこう語る

 

最近、私の問題意識が希薄になっている。カメラで言うと焦点が定まらない、そんな感じだ。アベ総理の思うがままに世の中が流れているのに、対抗する野党が無力感を漂わせているのが最大の原因かもしれない。夏の参議院選挙で与党大敗の予測でも流れば、少しは焦点もはっきりしてくるに違いないのだが。18歳まで選挙権を認めたのに、学校では政治的な話題は避ける流れのようだという報道も、減り張りが持てない原因の一つかもしれない。

18歳は高校3年生だ。高校生の一部を囲い込むようなことではなく、高校生すべてが参加し「安保関連法案」の討論会をさせるというようなことでなければ、若者が世の中を変えようという気になれないだろう。所得の低い高齢者に3万円をばらまくという政治を、若者に討論させるとどうなるか、原発再稼働をどう考えているか、未来を構成する若者の意見を聞いてみたいものだ。もう大人の意見は代わり映えがないからだ。

とはいえ、先日の夜間スキーバス事故。あれほどの大事故にも関わらず、格安スキーバス乗り場は盛況だ。普通なら、客が激減したという報道だと思ったのだがそうではない。単なる災難で、自分には降りかからないだろうという思いの強い国民が、増えてきたように感じる。こんな状態なら福島の原発事故を忘れ、再稼働は当たり前という気分になっていないかとふと思ったりもする。

北海道唯一の原発がある泊村の、村長選挙の結果が出た。村なので投票率は87,31%と高い。662VS594票で、現職が3選を果たした。村社会ゆえ相当熾烈な戦いだったというのは推測できる。だが、どちらも原発再稼働容認派だという。そうなれば、当然現職が実績面で有利なはずだが、僅差だ。村が色分けされた選挙だったに違いない。こんな村には住みたくないものだと思ったら、無効票が17もあったという。私はこの票が、無効ではなく良心票だと思いたい。なんだかホッとした17票の重みだ。

さて、沖縄の宜野湾市選挙だ。普天間米軍基地を辺野古に移設するのが争点だ。現職で自公推薦の佐喜真さんを勝たせるため、政府はディズニーリゾートの誘致計画を持ちだした。対抗馬は辺野古基地反対の翁長知事知事が推薦する志村さんだ。現職の「普天間基地の危険性除去」と「ディズニー誘致」の二本のニンジンは効果が大だろう。対抗馬はどんな作戦を立てるのだろうか。沖縄からの米軍基地撤去のため「安保関連法案廃止」を打ち出し「アベ政権打倒」の二本柱で対抗してはいかがかと思う。「基地問題は大事だが選挙のたび住民が分断される。それが悲しい」という住民の声に答えるためにも。

南に下ったと思ったが、また北上する。4月の札幌の衆議院補欠選挙は、亡くなった町村さんの後継者和田さん(自公推薦)を、ムネオさん(新党・大地)が応援する。

長女が民主党衆議院議員のムネオさん、大勝負に出たものだ。かつては民主王国と呼ばれた北海道、対抗馬に池田さんという女性候補を出す。この候補を前札幌市長の上田さんが結成した「戦争させない北海道をつくる市民の会」が支援を決めた

。この補選は「安保関連法案」が争点になっているので、ムネオさんをアベ総理が抱き込んだのだ。ぜひ「ストップ・アベ」の旋風を北海道から起こしてもらいたい。

戦後71年の今年、沖縄と北海道から真の民主主義の戦いを起こしてもらいたいものだ。そうなれば、私のブログにも減り張りが出て来るに違いない。

 

不発弾

2016年01月15日 09時42分33秒 | えいこう語る

 

昭和20年7月15日、当時人口が3,500人程の私の村は、米軍の奇襲を受け4人が死亡した。函館市から東側に40キロほどしか離れていない漁村が、なぜ米軍の攻撃を受けたのかというと、津軽海峡の太平洋側の先端に位置していたため、日本軍の監視所が、岬の突端にあったからだ。当日、太平洋上に現れた米艦隊から、函館・室蘭に向け爆撃機が飛び立った。その途中に我が村の上空を通過したのだが、見過ごせばよかったのだが、米軍機に発砲したため、2機が引き返し銃弾の雨を降らせたという。

死亡者の一人は、赤ん坊と一緒にいた若いお母さんだ。足を銃弾が貫通し、数日後に亡くなったそうだ。戦時中ゆえ、火葬場からの煙が敵の目標になることを恐れ,土葬にしたという。その後まもなく戦争が終了し、地中から掘り返し火葬したというのは、その実の姉から私が聞き取っている。その姉の子供が私と同級生で、数年前病気で、母親より先に旅立ったのだ。その姉は、私の知り合いと同じ病室に入院していた。亡くなる直前には、私が病院を訪れるたびに「あんたはうちの息子と同級生だったもね」と言いながら涙を流していた。

昨年は戦後70年の節目で、安保関連法案が強行採決されたことに伴い、戦争について考えさせられた年でもあった。襲撃を受けた当日、椴法華小学校も狙われ、校舎が破壊された。幸い生徒は休みで、人的被害はなかったが、校舎は相当破損した。学校を破壊しなくても良かったのではないかと思うが、いずれ兵士となる予備軍を養成する学校は、叩き壊せというのが戦争の実態なのだろう。

小学校のすぐ隣に、私の菩提寺がある。実は、数年前から修復作業をしていたが、その一角に銃弾が刺さっていたのだ。自衛隊に知り合いがいたので調べてもらうと、米軍機から発射された弾丸だという。弾丸処理の手続きは、地元警察に届け出ることから始まるという。爆発の危険性はなく、鉄の塊ということになった。私は地元の小学校に、戦争があった記憶として子どもたちに見てやりたいので、寄贈したいというと、それならお使いくださいと言われた。校長先生とも相談し、学校へ寄贈しようと思っていたところだ。

ところがふと気がついたことがある。私の町会の中に、玄関に大砲の弾を置いている人のことを思い出したのだ。その家の亡くなったおじいさんが、戦後前浜で拾ってきたもので、火薬とか取り除かれているというので、何気なしに置いていたものだった。それも戦争の記憶として小学校に寄贈したいと申し出ると、それならどうぞという。だが長さ32センチ直径12センチほどの砲弾なので、処分の手順上地元警察に届けると、ちょっとした騒ぎとなってしまった。

函館中央警察署から函館の自衛隊基地へ、さらに不発弾処理班が、なんと札幌からやってくるという。近隣の消防車も駆けつけ、報道機関までもやってきた。地元駐在所に届け出してから10時間近くも、警戒態勢が布かれた。発見場所から半径50メートル以内は退避勧告となり、私の家もその範囲に入ってしまった。その朝のテレビで「今日の運勢」は珍しく私の星座が一番になり、今日はいいことがあると妻に話していたばかりだったのだ。

結果は、米軍艦隊からの砲撃での弾丸と判明し、火薬も抜かれていてただの鉄の塊だったが、米軍からの砲弾は、戦後71年目に我が村から札幌に移送されて行ったのだ。もし私が手続きを知らず、小学校へ砲弾を持って行ったら、大変な迷惑ををかけたに違いない。運勢が良いというのは、この程度で済んだことではないかと、私は自分自身に言い聞かせた一日だった。

私も、現場いたが、自衛隊、警察、消防の対応は極めて親切で、熱心だった。だが安保関連法案の今後の流れで、一朝有事となるとどんな対応になるのかと心配になる。自衛隊が軍隊に変身した時は、国民の基本的人権などどうなるのかと、ふと考えさせられたりもした。同時に、この親切な自衛隊員たちが、集団的自衛権行使などで、遠い海外で危険にさらされることが無いように、心の中で願っていた。

アベ総理の言う「積極的平和主義」は「積極的戦争主義」で「安保関連法案」は「戦争推進法案」なのだと、なんだかきな臭い匂いが周囲に漂った、昨日の不発弾騒動だった。