▼偽装や嘘を平気でつく事件が横行している。マンションの杭打ち違反事件や東芝の不正経理事件などは、社会的に名のある会社がなぜと思う程の呆れ返る事件だ。東京電力の福島原発事故も、国が後押しをして、安全・安心だと国民に信頼を抱かせたにも関わらず、事故が起きれば「しかたがない」と済まされてしまいそうな状況が蔓延してしまう。事件が大きければ大きいほど責任の所在を鮮明にし、再発防止をすることが必要だと思うのだが、どうも我が国の特徴は「しかたがない」と国民自身が諦めてしまう傾向があるような気がしてならない。そんな感情は日本民族だけの特徴なのだろうかと、考えてしまう。
▼日本人の特徴に「和を以って貴しとなす」という考えがある。様々な出来事があっても和を大切にしてみんなで仲良く暮らしていくのが、共同体を存続させる秘訣だという処世術だ。「村八分」という古い掟があった。食べ物がない時代、泥棒はご法度だ。泥棒した一家を、共同体全体で殺害し、神様のせいにするという、いわゆる「神隠し」という、共同体の秩序を維持する行為だ。神のせいにすればお咎め無しということになる。極めて合理的で人知に溢れた対応だ。
▼神のせいにすれば、誰もが責任を問われない。そして、何もなかったかのように和が保たれる。それが日本秩序の基本なのかもしれない。そう考えると学校でのイジメ事件はどう考えたらいいのだろうか。イジメの要因は、神聖な教育現場で培養される。責任は生徒なのか教師なのかと、という狭い選択になる。だが親や社会までと幅広く犯人探しが行われる。原因を追求するというのではなく、原因の押し付けが始まる。そうなると、イジメにあった子が「神隠し」的存在になり、時間の経過と共に「しかたがない」という気分が蔓延し、うやむやになってしまうのではないだろうか。
▼「神が隠す」ということで言えば、隠しても隠し切れないのが、大勢の命を奪う戦争の責任だ。当時、天皇は神だった。神のせいにすれば責任の所在は神になる。だが当時の天皇は神なのだろうか。目に見える生きた存在なのだ。国民と同じ人間なのだ。だから「現人神」という。天皇は「現人神」であって、その上に神がいるのだ。神と人間をつなぐ役目が「現人神」なのだ。敗戦の責任は神にとらせよう。「神隠し」を行えばいいのだ。そこで「現人神」を廃止し、人間宣言を行なったのだ。つまり「神隠し」を行うことで、日本の和が保たれたのだ。
▼昭和50年秋に天皇は訪米し、帰国後の記者会見でこのように話している。「陛下はいわゆる戦争責任について、どのようにお考えになっていますか」という記者の質問に「そういう言葉のアヤについて、私はそういう文学方面はあまり研究もしていないのでよくわかりませんから、お答えができない」と。さらに、広島・長崎の原爆投下について訊かれ「原爆が投下されたことに対しては、こういう戦争中のことであるから、気の毒であるが、やむを得ないことだと私は思ってます」と答えている。
▼つまり、戦争責任も原爆投下も「しかたがない」ことだと考えていたのだ。神を隠してしまい、自分は「現人間」なのだから、人間の自分は仕方がないことだと思っているというのが、天皇の真の気持ちなのだ。「和を以って貴しとなす」「神隠し」は日本民族特有の、資質なのかもしれないというような、自分でもよく整理ができない「しかたがない夢」を昨夜は見てしまったのだ。
▼昨夜は、台風を超えるほどの暴風雪が海から襲ってきた。まるで艦砲射撃を受けたように、外はドーン・ドーンと音がする。家は揺れ、ポータブル・ストーブの用意やローソクを準備をし、停電に備えた。眠れぬ夜に読んだ本は、保坂正康+半藤利一共著の「昭和を点検する」だった。
▼昭和を点検しないまま「安保関連法案」が戦後70年に成立した。「しかたがない」で済まされる世の中は、今だに続いている。それは、安全・安心な国家とは程遠いような気がするが。