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函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

本質を見抜く「考え方」

2016年01月12日 12時19分28秒 | えいこう語る

 

新書を購入すると、内容を以外と正確に理解していないことに最近気付いている。新書故に一気に読み終え、そのままに放置しているからだ。その代わり、安売り店で購入した本は、ページを折ったり付箋を貼ったり、赤線など引きメモも書いている。粗末に扱っているというのではない。むしろ本をノート代わりに身近に使用しているのだ。読み返すたびに、付箋は増えていく。だから私の身近に並んでいる本は、赤・緑・青・黄色など、付箋の花が咲いたような賑やかさだ。

京大教授で国際政治学者の中西輝政さんの著書、本質を見抜く「考え方」に、付箋が増え始めている。アベ総理のことを毎日考えているうちに、アベ総理が中西教授を、自分の恩師のように話していたのを思い出したからだ。だが、教授はそれを否定していたことも、私の記憶にあったからだ。読み返し始めているが、その著書の題名のとおり、アベ総理の「考え方」も見えてきそうな内容である。

ニュートンの運動の法則に「作用反作用の法則」がある。「動あれば反動あり」という考え方だ。最も緊密であると思われている日米関係。米国が日本に対し友好的な「動」を起こしても、その裏には「とことん日本の面倒を見てくれる」ということはないという。そうでない「反動」もあるということを忘れてはならないということだ。なぜなら、どこの国も最優先するのは「国益」だからだ。つまり国同士が感情や情緒で、仲よく出来るはずはないというのが、外交の常識だということなのだ。歴史的には不可侵条約なども破棄されるなのが政治の現実なのだから、軍事同盟といえども同様なのだろう。

さらにニュートンの法則の一つ「慣性の法則」について「静止または等速直線運動をする物体は、外部からの圧力を受けない限り、その状態を変えない」というのがある。これはある質量を持って動き出したら、その質量が大きかろうが小さかろうと、止まることはないということだ。例えば大きな開発計画が起きる。たくさんの審議会や各省庁も加わってくると、そのスケールの大きさで止まることができなくなる。これを止めるのはその質量の何倍もの力でしか遮れないという。これは、沖縄の米軍辺野古基地建設問題が身近な例だろう。

さらに歴史で言えば、関東軍が肥大化するにつけ、その勢力を止める力が作用したのは、ノモンハン事件でのソ連の圧力だ。そこで関東軍は南下政策の動きを余儀なくされる。その方向への動きは、一旦動けば止めることはできないのだ。だが、連合軍の軍事力でその力はやがて静止されようとしていたが、日本軍の精神力だけは衰えない。その力を静止させるためには、地上最大の力である原子力が必要だったのかもしれない。

🔽幕末からの日本は、海外からの圧力により動きが加わった。その動きは軍部の力学により肥大化し、原子力により静止した。戦後70年、再び外からの力(軍事的脅威)により、我が国は動き出そうとしているが、70年間続いたの平和の潜在力は、その外圧にはなかなか動かない。そこでアベ総理は、内圧による外部への新たな動きを創りだしたのだ。それが「安保関連法案」という、平和から戦争への移動力だ。

こう考えると、中西教授にアベ総理の政治論理は似ているようように思うが、中西教授は恩師ではないと言う。教授は問題を「3つの要素」に分けて考えることを薦める。例えば「正・反・合」だ。ある命題に対し、それをまず肯定し「正」、次に内在する矛盾点を見出しその対立物を探し、一旦それを否定し「反」、その否定を媒介として、より高いものに総合させていく「合」という段階を経て、思想を発展していく方法だ。だがこの行動の基本にあるものが「知性」「道徳」「感情」の3つだとも言う。

行動を促す最たるものは「感情」なのだが、感情を直接行動につなぐと、行動が極端なものになってしまう。そこに「知性」と「道徳」という要素を挟み込む必要がある。感じたら、どうなっているかと「知性」を働かせ、さらに、こんなことでいいのかと「道徳」を挟んで、点検・検証しなければならない。それから行動すれば、まず間違うことがという。

この考え方をアベ総理は理解していないので、教授はアベ総理の恩師ではないというのではないだろうか。アベ総理の「考え方」は「知性」と「道徳」が欠如し、本質を見間違える考え方だからだ。だからアベ総理の憲法解釈も、多くの憲法学者に違憲だいわれる理由ではないだろうか。

アベ総理の発言は難解だ。難解というより、多弁過ぎてわかりにくい日本語だ。アベ総理の考え方を見抜くには、中西教授のこの本が教科書のような気がする。同時にアベ総理が、中西教授を師と仰ぐ気持ちも理解できる気がするからだ。だが、私の言い分もアベ総理のように長くなり、要点がぼけてしまったようだ。私もこの本から学ぶものが多かった。


民主党自滅か

2016年01月11日 11時47分20秒 | えいこう語る

▼今年夏の参議院選挙に、衆参同時選挙の声が聞こえてくる。4日に始まった国会光景は、もはやアベ政権の巨大化した激流を前に、川岸でなんらの対策もできず、ただうろたえる野党の姿を見るようだ。国会論戦も「アベ語」と言われる、アベコベの日本語に惑わされ、野党ばかりではなく、国民までもが「アベ語」の魔術に引っかかりそうな感じだ。

戦争放棄の憲法を解釈しながら守るため、集団的自衛権の行使をし、世界の有志が集まり平和を維持する。つまり、今の国際社会では、戦争放棄をしている状態が危険を孕むので、放棄することを解くことが平和を保つことだと声高に主張する。それが「積極的平和主義」であると、アベ総理は力強く断言する。国民は平和主義を積極的に推進すれば、平和は確保できるような気がしてしまう。なんとも不思議な日本語を操る総理が出現したものだ。

若者の政治参加を促すということは、政治に理解のない若者を「アベ語」で、催眠にかけ、改憲に持ち込めるというのが容易だと判断したのかもしれない。選挙権を18歳に引き下げて、なんの準備もない若者に、国を守るのは君たちだと「ハーメールンの笛吹き」と同様、投票場まで誘うという作戦なのだろう。

その「アベ語」に、まともに振り回されているのは民主党岡田党首だ。性格が真面目そうなので、アベノマジックに感染しやすいのだろう。「選挙権が18歳まで引き下げるのなら、被選挙権も引き下げるのが当然だ」という発言だ。それが今のアベ政権に対抗する言葉だというのだろうか。今度の参議院選挙は、日本が戦争をしない国から戦争をする国にしようとする、天下分け目の戦いだ。そんな戦いを前に、岡田党首は空鉄砲を撃っているようにしか思えないからだ。アベ総理もあまりにも野党の凋落ぶりを哀れに思っているのではないだろうか。

今民主党が、アベ政権へ攻撃ミサイルを発射するなら「防衛装備移転三原則」についてだろう。昨年4月、武器輸出を禁じた「武器輸出三原則」を廃止し「死の商人」の仲間入りをしたのだ。その後、アベ総理自ら武器のセールスマンとして、インドやオーストリアで売上成績を伸ばしているようだ。外国への販売先は軍隊だ。我が国の武器で人を殺すのだ。それを平気で売リ込む総理は、もはや平和を語る資格はないのだ。

第一「防衛装備移転」の「防衛装備」とは「武器」で、「移転」は「輸出」を「メイサイ」したものだ。「平和主義」に「積極的」をふっつけたと同様の「まやかし語」だからだ。アベ総理を、武器を売る「死の商人」と名付けて反撃したほうが、国民にはわかりやすいに違いない。

同盟国の米国大統領も、銃の規制で涙を流しているのではないか。そのうち、日本の武器を使用し、米国内での乱射事件や、イスラム国のテロが起きるかもしれない。戦争を放棄した我が国の総理が武器を世界に売りまくっている、なんて嘆かわしいことだと「防衛装備移転三原則」について、野党党首になりアベ総理を口撃していたところで、国会閉会のベルが鳴った。

野党の凋落ぶりを見るにつけての昨日の夢だったが、珍しく目覚し時計に起こされ、それが国会閉会のベルに聞こえたという、夢から覚めてもしばらく夢の中にいるような気がするのは、岡田さんと同様、アベノマジックにかかりやすい私なのかもしれない。

アベ総理の病気説が囁かれるが、この頃、特に態度が横柄になってきたようなので、病名は「シンゾウ肥大」のような気もするけど。


冬季五輪と新幹線と原発再稼働

2016年01月10日 13時30分50秒 | えいこう語る

 

昨年暮れ、アベ総理がムネオさんを首相官邸に招き歓談したという。今年の北海道は、ムネオさんの言動に注目しなければならないと考えていたら、ムネオさんの政党大地が、町村信孝議員の死去に伴う4月の補選で、自民党候補で町村氏の後継者である、和田氏を支援することに決めたという。民主の候補の応援に、共産党が候補者の辞退で共闘体制を申し出る中、ムネオさんの野党壊しが始まったようだ。

ムネオさんの長女貴子さんは、民主党の比例代表で衆議員だというのは、誰もが知っている。普通のお父さんなら、娘の立場がなくなるような行動は絶対しないはずだ。だが、我が国の政治がどこに向かうか、ムネオさんの羅針盤は、最近極めて正確な方向を示しているようだ。貴子さんを、将来どの位置に置くのかも、お父さんの心の政界地図には記載されているのだろう。

かつて自民党の中枢にいて「強権病」を武器にしていたムネオさんだが、自民党末期の政局では、自身の羅針盤も異常をきたしたのだろう。敵にも仲間にも見放された状態での「ムショ属」暮らしとなった。その間に「古い政治癌」を取り除き、ドイツの先輩にならい、獄中での新たな「我が闘争」を計画したのだろう。それは、新党大地という第三極にいて、北海道の政治シーンを操る計画だ。「北海道院政計画」と呼ぶものに違いないというのは、先日私が見た夢だ。

ムネオさんの政治羅針盤が精巧になったのではない。アベ政権が「改憲」という単純な路線に走ったので、自民OBのムネオさんが、政局の動きを簡単に見極めれるようになったからだ。北海道は自民の町村亡き後、民主の横路も影を潜めた。こうなれば大地のムネオさんが新たな顔になるだろう。アベの親分としては「北海の石松」に、存分に活躍しようと狙いを定めたのだ。

当面の課題は、補欠選挙に勝つことだ。「親分、そんなことなら、民主を牛耳っていますので朝飯前です」と石松は答える。「それが成功したなら、新幹線の札幌延伸を早めよう」と親分が言えば「ていうことは、泊原発再稼働を急げということですね」と、石松は読みも早い。「次は核廃棄物処分場、米軍基地と訓練場の拡大、軍事大国建設のためにロケット基地・・・」と立て板に水の如く先を読む石松を親分は制し「さすが私が見込んだ、北の石松さんだ。人間ブルトーザーと言われた、越後の角さんの生まれ変わりのようだね。もし、全て実現の見通しがついたら、北海道は、君のものだよ」と、二人は首相官邸で、ムネオさんが持参した「イクラ」を肴に祝杯を重ねた

。「総理の考えはイクラでも実行しますよ、ということを総理に伝えてくれ」と総理私書に伝えて、ムネオさんが国会にお辞儀をして去るところで、パソコン前でのうたた寝から覚めたのだ。

早朝シバレが厳しかったので、ストーブの火を強めたら、ついうたた寝をしてしまったのだ。寝ては夢、覚めても夢のアベ政権下の、不安故に夢に逃避を試みるしか他に方法のない、国民の一人だ。

さらに、札幌冬季オリンピック誘致なら、新幹線の札幌乗り入れは、2029年に前倒しするという、ビックなお年玉まで飛び出した。20年の東京オリンピック後の浮かれた日本経済に、さらに冬季五輪の夢が続く。今後、自民独裁の政治が続く勢いになりそうな気配がしてきた。

戦後71年目、政府は沖縄を見限って、可能性の大地・北海道の開拓に力を注ぐ気がする。冬季五輪と新幹線、それに原発再稼働。それらを牽引してくる役割は、北の石松に違いない。日曜朝の教育テレビ、機関車トーマスくんを観たが、トーマス君の顔がムネオさんに似ているのに気がついた。

今後、公共事業で好景気にわく北海道。それはTPPによる疲弊する農業に代わる、政府による「新屯田計画」なのかもしれないと、夢の続きを現実で引き継いでみた、今日の私の他愛もない予測だ。

海外からの観光客の増加を見越しての道内空港の民営化。道経済界も称賛の拍手を送っているようだ。それに十勝へのロケット地基地構想。「官・産・軍体制」が北海道の将来になり、夢まで軍靴に踏みつけられないよう、道民全員で監視したいものである。


人のふり見て

2016年01月09日 12時52分56秒 | えいこう語る

 

8日の国会をテレビで観ていたが、アベ総理は日本語を混乱させている張本人ではないかと思う。自分の主張は正しくて、反論する者はすべて間違っているという考えだ。だが、一国を預かっている総理は、相当な責任を持っている。それに野党の議員が反対を唱えても、責任の度合いからいえば、責任の多い総理の方に分があると考えるのが、一般国民だ。「何も実行しない者ほど、勝手なことを言う」というのが世間一般の考え方だからだ。そんな日本人の潜在意識が、アベ総理の高支持率なのだろう。

あべ総理は、そんな日本人気質を後ろ盾に、自分に反対する者は国賊に違いないというような自信で、正確と思われない日本語を、銃弾のように口撃に使っている。憲法学者ばかりでなく日本語学者、倫理学、心理学など多様な専門家に、アベ総理の点数をつけてもらいたいものだ。戦後71年目の我が国の総理が、果たしてどんな点数なのか、国民としては興味津々だ。そんなことを考えながら、テレビの国会討論を観戦し、決して正しい日本語とは思われない、野次を飛ばしている私だ。

国会討論を観戦してから、昨日は函館市町会連合会の新年会に出席した。開会にあたり来賓の挨拶がある。私たちの衆議院選挙区は、民主党が議席を占めたが比例で自民が復活し、2名の議員を有するので、二人が出席し挨拶をする。二人は共に大間原発反対を唱えているが、市町連が大間原発反対運動に動き出しているので、自民党議員のほうが雰囲気的には分が悪い感じになる。民主の議員が到着しているが、自民議員が欠席だという。今年は参議院選挙があり、もしかして衆参同時とも言われている。新年会に欠席とは自民ピンチの雰囲気だ。

今日の本会議終了後、自民党は北朝鮮の水爆実験に対し、制裁決議をするため函館に戻ってこれないので、挨拶文を送ってきたのだ。今のアべ政権には全く反応を示さない私が、代読を買って出た。自民党といえど、地元のために頑張っている代議士だ。市町連総務部長の私なら、壇上で読み上げても失礼ないだろうと考えたからだ。個人的には相当以前から知り合いの民主党議員に、今日は私が自民党議員の代わりに挨拶させてもらいますと告げると「えっつ!」と、驚いていた。野党が共闘を組めないでいるのを、叱咤激励するための、新年初の、私のビック・ジョークだ。

民主議員に続き、私が自民議員の代読で壇上に立つ。「本日は00議員に乗り移って、新年のご挨拶を申し述べさせていただきます」。文面通り読んだのだが、普通の代読にようにただ読むというわけではなく、本人の気持ちになったつもりで代読したのだ。内容は、北朝鮮のような無謀国家もあるので、万全の備えをするのが、政権与党しての努めだ。大間原発には引き続き反対したいという内容だ。壇上に立ち自民党議員になったつもりで話すと、もっと強く国家防衛について主張したい、などと考えてしまう自分がいる。人間はその立場になると、それにふさわしい言動をしてしまうのではないか。思想転向は環境により以外と簡単に起きやすいのではないかと実感した、夢ではなく、自民党議員になった気分を実際に味わった昨日でした。

席に戻ると「総務部長は自民党だったのですか」という、会長もいた。自民議員の地元秘書もお礼の挨拶に来た。私は周囲から革新系だと思われているに違いないが、昨日のパフォーマンスで、保守系かもしれないと思った会長さんも居たに違いない。普段、町会連合会は、政治色の強いものは扱わないというのに反発し、世の中全て政治で動いているので、政治を語り合えることが普通であるという町会にしなければならないと、主張する私だ。でも今回の出来事で、政党に偏らないタイプだと思われたのではないかと自画自賛している。

世界情勢が変動して、第3次大戦の様相を呈している。自分の考えも変わってくるに違いない。アベ総理だって、1次内閣の時から完全に変身した。私は今後アベ総理を私自身の反面教師として、様々なことを学び取っていきたいと思う。そんなことを感じた、昨日の終日でした。


目覚めよ

2016年01月07日 12時09分24秒 | えいこう語る

 

 

北朝鮮の水爆らしき実験で、国会質疑より重要視している我が国のマスコミの自覚のなさを情けなく思う。新聞の一面トップだって「アベ政権対各野党全面対決」くらいのタイトルで、我が国の政治に国民の関心を向けさせてほしいものだ。北朝鮮問題については推測の域を出ない中での報道が多い。世界を相手に、未熟者の「北の暴れん坊」が何を画策できるというのだろうか。世界が中東に注目している。この機会に、極東に注目させることが出来るのは我が国だけだ。誰も相手にしてくれないので、世界最強の水爆を持っていることで、いつでも攻めてやるぞという単なる脅しに違いない。それが嫌なら、俺様と付き合えという、そんな程度の考えだろう。

「北の暴れん坊」が一番腹が立ったのは、韓国と日本の従軍慰安婦問題についての歩み寄りだ。急に手を組んだのは、拉致問題を一向に解決させない北朝鮮を笑いものにするためだ。この仲介は米国が仕組んだに違いない。中東問題にロシアが主導権を握りそうになったので、極東に目をそらす日・米・韓の共同作戦に違いない。水爆実験は単なる「窮鼠猫を噛む作戦」だろう。だが、北朝鮮国民は窮鼠なのに、鼠をたらふく食べた化け猫が「北の暴れん坊」だ。世界各国が「実験は失敗に終わったようだ」といえば「北のデブ化け猫」も威信を失い、失脚につながるかもしれない。

でも、心配なこともある。「5月の朝鮮労働党第7回大会が開催される勝利と栄光の2016年を水素爆弾の爆音で開け」という発言だ。もしかして、5月の「伊勢・志摩サミット」を匂わしているのではないだろうか。世界各国の首脳が集まったところに一発落とし、第3次世界大戦は、俺が開始のゴングを鳴らしてやる、という意味ではないだろうかと、日本から水爆の煙が立ち昇る地球を「北のデブ化け猫」が見下ろしているところで、昨夜の夢は終了した。

我が国のマスメディアがもっと冷静で常識的なら、こんな恐ろしい化け物の夢など見なくなるのだが、今日も一日中テレビで「デブ化け猫」に翻弄されることになると思うと憂鬱極まりない。

我が政府はこの事件についてどのような対処の仕方をとっているのだろうか。多分北朝鮮は、我が国にターゲットを絞っての水爆実験だ。それに対抗するには、我が国も核爆弾保有をし、世界最高の「種子島ロケット」に搭載し、北朝鮮に先制攻撃をかけ、全滅させてやろうという計画を立てているのかもしれない。それは防衛中期計画だが、とりあえず、5月のサミットに合わせ、日米合同軍事訓練を日本海で頻繁に行い、日本海の日米艦隊の船上から、核ミサイルを打ち込んでやるというデモンストレーションを行うに違いない。「北朝鮮消滅作戦」をにおわせ、北朝鮮内部からの崩壊を起こさせようという計画が、もしかして今日見る、私の夢かもしれない。

世界が平和でいるためには、なんたって「日本国憲法第9条」に勝るものは他にない。だが我が国政府に、この憲法を間違いなく運用させる「内閣法制局」ですら、集団的自衛権行使を可能とする上の解釈変更をめぐる検討内容を、公文書として残していなかったという。公文書管理法には「軽微な事案」以外は、意思決定の過程を検証できるように文章に作成しなければならないと、定めてあるのだ。だが法制局の担当者は「法違反をした認識がない」という。バラバラ殺人を犯しても「殺すつもりはなかった」という、精神異常者的素養が内閣法制局に蔓延しているというのには呆れ返ってしまう。

第3次世界大戦は中東から勃発すると考えているが、実は北朝鮮と日本が核爆弾で滅びる。そこで世界はこのままでは地球が滅びるということに目覚め、その時点で第3次世界大戦は終了するというシナリオが、すでに出来上がっているのではないかと、私は恐ろしい邪推をしてしまう。今度「目覚めよの神」の伝道者がやってきた時、そのことを「目覚めよの神」は、すでに予測しているのかを尋ねて見ようと思う。

「アベ総理」も「北の暴れん坊」も、自国の平和は「軍事力」でしか保てないと考えている、同じ人種に違いない。「目覚めよ」という神のお告げは、そのような短絡的思考の為政者を、諌めるための言葉のように私は思う。そして、今の私にとっては、そんな邪推な夢ばかり見ていると、その二人のような人間になってしまうので「悪夢から目覚めよ」という、神の単なる起床の言葉に聞こえてはいるのだけれど。