敗戦から我が国は、猛烈なスピードで国力を復活させた。
その経済復興の中、私たちは何か大切なものを見失ったということに気付く。
振り返れば、日本人としての「資質」のようなものであろう。
見失ったものはどこかに流されたのではなく、それぞれの心の深層部分に、ひっそりと埋もれてしまったのである。
3・11のマグネチュード9という大地震。そして津波、さらに原子力発電所の崩壊。
被災地の方ばかりではなく、日本人すべてが被災者と同じ被災感情に陥ってしまったようだ。
知り合いには、眠れず頭痛を訴え、何か捉えようのない心の揺れに襲われている者もいる。
震災後1週間を過ぎた。私自身災害を片時も忘れることがない生活をしている。ブログも何か別なものを書こうと思うが、災害のことがすべての思考を優先しているのだ。
※私の脳も、放射能で若干汚染されたのかもしれない!

震災後、テレビでは相手を思いやる胸が熱くなるシーンに、多くであう。
震災により、長い間日本人の心に積もった塵などが吹き飛び、心の底に眠っていた「資質」が、やっと目覚めてきたようである。
反面マスコミの報道は、日本人は「本当のことが聞けない」時代に再度入ったのかと、不安になる。
原発の事故の真相を正すのに、何が障害になっているのだろうか。
まるで医師に、自分の病状を尋ねるような、腰の引け具合である。
我が国が狂気に走ったあの忌まわしい戦争が終わり、憲法が国民主権になろうと、私たちは「天皇の戦争責任」について、直接問いただすことはなかった。
そうすることが、ずっと日本人であり続けることなのかもしれないと、思ったのかもしれない。
この未曾有の大災害で、日本人のよさが再び見え始めてきた。
と同時に「知らしむべからず寄らしむべし」という、明治から今に引き継がれる我が国の強固な体制を、いやというほど見せ付けられ、マスコミ報道の限界を確認できた。
現在我が国の原発は54機あるという。仮想敵国がもし原発を狙っているとしたら、これほど危険な施設はないと、考えてしまう。
原発は「天国と地獄」の二面性を持つことを、はっきり照明したのである。
毎日うわごとを繰り返すような、同じブログばかり書き続けているような気がする。
私のトラウマも深いが、被災された方のトラウマは、おそらく計測不能なものと思う。
今国民の中には、何かを訴えたいという欲求が、臨界状態になっているのではないだろうか。
そのはけ口の一つが、間近に迫った統一地方選挙だ。
だが、国民の不安を受け止めてくれるには、国会議員と同様、役者不足が並んでいるように見えて仕方がない。
「市民のために汗を流します」・・・トラウマはさらに深まりそうである。
その経済復興の中、私たちは何か大切なものを見失ったということに気付く。
振り返れば、日本人としての「資質」のようなものであろう。
見失ったものはどこかに流されたのではなく、それぞれの心の深層部分に、ひっそりと埋もれてしまったのである。
3・11のマグネチュード9という大地震。そして津波、さらに原子力発電所の崩壊。
被災地の方ばかりではなく、日本人すべてが被災者と同じ被災感情に陥ってしまったようだ。
知り合いには、眠れず頭痛を訴え、何か捉えようのない心の揺れに襲われている者もいる。
震災後1週間を過ぎた。私自身災害を片時も忘れることがない生活をしている。ブログも何か別なものを書こうと思うが、災害のことがすべての思考を優先しているのだ。
※私の脳も、放射能で若干汚染されたのかもしれない!

震災後、テレビでは相手を思いやる胸が熱くなるシーンに、多くであう。
震災により、長い間日本人の心に積もった塵などが吹き飛び、心の底に眠っていた「資質」が、やっと目覚めてきたようである。
反面マスコミの報道は、日本人は「本当のことが聞けない」時代に再度入ったのかと、不安になる。
原発の事故の真相を正すのに、何が障害になっているのだろうか。
まるで医師に、自分の病状を尋ねるような、腰の引け具合である。
我が国が狂気に走ったあの忌まわしい戦争が終わり、憲法が国民主権になろうと、私たちは「天皇の戦争責任」について、直接問いただすことはなかった。
そうすることが、ずっと日本人であり続けることなのかもしれないと、思ったのかもしれない。
この未曾有の大災害で、日本人のよさが再び見え始めてきた。
と同時に「知らしむべからず寄らしむべし」という、明治から今に引き継がれる我が国の強固な体制を、いやというほど見せ付けられ、マスコミ報道の限界を確認できた。
現在我が国の原発は54機あるという。仮想敵国がもし原発を狙っているとしたら、これほど危険な施設はないと、考えてしまう。
原発は「天国と地獄」の二面性を持つことを、はっきり照明したのである。
毎日うわごとを繰り返すような、同じブログばかり書き続けているような気がする。
私のトラウマも深いが、被災された方のトラウマは、おそらく計測不能なものと思う。
今国民の中には、何かを訴えたいという欲求が、臨界状態になっているのではないだろうか。
そのはけ口の一つが、間近に迫った統一地方選挙だ。
だが、国民の不安を受け止めてくれるには、国会議員と同様、役者不足が並んでいるように見えて仕方がない。
「市民のために汗を流します」・・・トラウマはさらに深まりそうである。