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函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

東日本巨大地震と国家体制

2011年03月13日 11時31分08秒 | えいこう語る
自然の持つ計り知れぬエネルギーの前に、なす術もなくうちひひがれるテレビの前の私たちがいる。
さらに文明社会の象徴的存在である原子力発電所の爆発事故は、自然災害が去った被災者に、新たな恐怖を与えている。
原発から半径20キロメートルの避難勧告は、事故がなければクリーンエネルギー、事故が起きれば「原爆事故」の対応であることを、実感させられる。
政府と原子力安全保安院の発表にも「情報公開」のもどかしさを感じる。
この種の事故の対応は国民に不安を与えないため、実態を発表しないのがこれまでの経過である。エネルギー政策は国策であり、国策への信頼度を失わせることを極端に避けるため、「情報公開の囲い込み」をしてしまう。発表している者から誠意が伝わらないのは、まさしくそこに尽きるからだ。
巨大地震による津波は、まるで空襲の修羅場のごとき光景を国民に見せ付ける。負けているのに勝っているがごとく報道する「大本営発表」を想起するのは、私だけではないはずだ。
我が国は明治以降、中央集権体制により国家を繁栄させてきた。さらに戦後の復興も、やはり中央集権体制で経済の立て直しを図ってきた。
しかし、阪神大地震を契機に、中央の縛りに様々な限界が露呈し、我が国も本格的な地方分権の流れを加速してきた。
ここに至り、まるで敗戦時を思わせる、巨大地震の発生である。
※凄いやつがいた。潮が引いた海岸で逃げ遅れた魚を捕まえたカモメ。


災害復興の御旗をなびかせ、与党による政権維持と官僚の勢力復活を目指した、官治・集権体制に逆戻りはしないかとの危惧を感じる。
震災後の神戸のマチづくりには、市民の意見も反映されている。今回の被災地は地方の小さな自治体である。災害の復旧に、自治能力が発揮できるのか心配である。
地方分権とは、権限も財源も地方にゆだねることであるが、中央の揺り戻しが心配でもある。
自然豊かで密集した自治区、それぞれが個性的で人情あふれる地域社会を形成してきたはずである。
安全、便利という、画一的枠組みではなく、分権社会に向けた地域の歴史を尊重したマチの復興を期待したい。
と同時に、都市部に電力を供給する原発というものが、地域に住むものにとってどんな存在なのかを、あらためて問いたいものである。
東日本巨大地震。我が国が「市民自治国家」を形成する、歴史的スタートである。
そんな視点からも、しっかり見守っていきたいものである。