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函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

依存と必要

2011年03月02日 12時27分45秒 | えいこう語る
大学の入試で携帯電話を使い、インターネットを利用し不正が行われた。
以前韓国で問題になったことがあるが、これらの手口はパソコンが世を席巻している我が国でも、今に始まったことではない様に思う。
携帯電話は顔の見えない世界なので、相手の心の動きを見ることが出来ない。人と人の会話であればそれが可能だ。いま自分が話したことで、相手がどんな思いをしたのか顔の表情で瞬時に判断し、次の言葉を捜す。それが血の通う人間関係を築くものだと思っている。
ちょっと知り合いになった人でも、連絡取りたいのでと、私の携帯番号を聞く。持っているけど、ほとんど使わないと答える。
自分を信用していないのかというような、怪訝な顔をされる。
そう思われたくないので、持っていないと答えればいいのだが、いまどき持っていないのは時代遅れだと思われるので、ついそんな曖昧な返事をしてしまう。
電話番号を教える教えないで、一瞬気まずい雰囲気に包まれるのがいやだ。
電話を持ち歩き、自分がどこにいるのかを確認されることが、監視されているようでとてもいやなのだ。
※存在を顧みられなくなった電話。


電話は必要だが、最近は老若男女問わず依存している感じがあり、没個性化するようでいやである。
依存してしまえば手放せなくなる。そして次々新しい機種に変更させられ、まるでペースメーカを埋め込まれたように、それなしでは生きていけなくなる。気がつけば、規則も倫理観もない世界に迷い込み、事件が起きてしまう。
「自分だけの世界」に酔いしれたれた結果、家族も失うという例は、身近でも発生している。
自分に酔う、依存といえばアルコールである。
何につけても最後はお酒と結びつける。お酒なくしては一日のドラマが完成しないのである。
罪の意識は薄い。人生を彩る必須アイテムだと思っているからだ。
しかし、最愛の女性でもいつも側に居ては、なにか大切なことを見落としてしまいそうな気がする。そこでちょっぴり距離をおくことが必要である。
そうすると、また無性に逢いたくなるのだ。
お酒ももちろんだ。2・3日飲まないとする。そして飲む時の新鮮さは、計り知れないものがある。
私はちょっぴり距離を置くことの必要性を大切にする。それが依存から逃れる唯一の道である。
依存は身を滅ぼす。ちょっぴり距離を置いて、必要であるという距離でいると、自分が自分らしく保たれると思っている。
お酒でも女性でも、そうであることを何度か経験しているからだ。
だから私は、携帯電話が好きになれない。
これといった恨みがあるわけではないが、多分死ぬまでだと思う。